古俳諧、貞門、談林俳諧集

兼載独吟俳諧百韻

 文亀二年(一五〇二年)春、会津の黒川(今の会津若松市)の自在院に籠ってたころの兼載の独吟。宗艦・守武によって俳諧が確立される前の、連歌師の余興としての俳諧。

 発句:花よりも実こそほしけれ桜鯛    兼載

守武独吟俳諧百韻

 (もり)(たけ)(きょう)(ろく)三年(一五三〇年)正月九日より詠み始めた俳諧独吟百韻。

 発句:松やにはただかうやくの子日哉   守武

貞徳翁独吟百韻「(うた)いづれ」の巻

 貞門俳諧の祖、松永貞徳の独吟百韻。発句が寛永十年(一六三三)刊の『犬子集(えのこしゅう)』にあるところから、それ以前の寛永年間の吟と推定されている。

 発句:哥いづれ小町をどりや伊勢踊    貞徳

宗因独吟「花で候」の巻

 寛文の頃に作られた、恋をテーマにした恋百韻。寛文十一年(一六七一年)に高滝以仙撰の『落花集(らっかしゅう)』全五冊の内の一冊『宗因(そういん)十百(とっぴゃく)(いん)』に収められていて、後に延宝元年(一六七三年)に『西山宗因千句』(内題『西翁十百韻』)として再刊されている。談林俳諧がまだ江戸に来る前の上方で盛り上がっているときに作られたものだ。

 発句:花で候お名をばえ申舞の袖   宗因

大坂独吟集「去年(こぞ)といはん」の巻

  編者不明の延宝二年(一六七五年)刊『大坂おおさか独吟集どくぎんしゅう』の幾音きおん独吟どくぎんの第一百韻。宗因そういんの加点と評がついている。寛文末期の宗因点の独吟俳諧百韻十巻を集めた書店の側の企画物だったのかもしれない。

 発句:去年こぞといはんこといとやいはん丑のとし 幾音きおん

大坂独吟集「松にばかり」の巻

 編者不明の延宝二年(一六七五年)刊『大坂独吟集』の()(げん)独吟の第二百韻。

 発句:松にばかり嵐や花のかた贔屓びいき   げん

大坂独吟集「かしらは猿」の巻

 編者不明の延宝二年(一六七五年)刊『大坂独吟集』のさんしょう独吟の第三百韻。

 発句:かしらは猿足手あしては人よ壬生みぶ念仏ねぶつ  三昌

大坂独吟集「十いひて」の巻

 編者不明の延宝二年(一六七五年)刊『大坂独吟集』のらく独吟の第四百韻。

 発句:とをいひて四つの時めく年始かな   らく

大坂独吟集「軽口に」の巻

 編者不明の延宝二年(一六七五年)刊『大坂独吟集』の鶴永独吟の第五百韻。

 

 発句: 軽口にまかせてなけよほととぎす (かく)(えい)

談林十百韻「されば爰に」の巻

 松意編延宝三年刊の『(だん)(りん)十百(とっぴゃく)(いん)』第一百韻。延宝三年に宗因が江戸に来た時の興行で、談林の名を広く江戸に知らしめた記念すべき百韻。

 発句:されば(ここ)に談林の木あり梅の花   

談林十百韻「青がらし」の巻

 松意編延宝三年刊の『談林十百韻』第二百韻。

 発句:青がらし目をおどろかす有様也  松臼

談林十百韻「いざ折て」の巻

 松意編延宝三年刊の『談林十百韻』第三百韻。

 発句:いざ折て人中見せん山桜     雪柴

談林十百韻「郭公(来)」の巻

 松意編延宝三年刊の『談林十百韻』第四百韻。

 発句:郭公来べき宵也頭痛持      在色

談林十百韻「くつろぐや」の巻

 松意編延宝三年刊の『談林十百韻』第五百韻。

 発句:くつろぐや凡天下の下涼み    卜尺

談林十百韻「髪ゆひや」の巻

 松意編延宝三年刊の『談林十百韻』第六百韻。

 発句:髪ゆひや鶏啼て櫛の露      一朝

談林十百韻「峰高し」の巻

 松意編延宝三年刊の『談林十百韻』第七百韻。

 発句:峰高し上々めどをり松の月    志計

談林十百韻「夜も明ば」の巻

 松意編延宝三年刊の『談林十百韻』第八百韻。

 発句:夜も明ばけんぺきうたんから衣  正友

談林十百韻「革足袋の」の巻

 松意編延宝三年刊の『談林十百韻』第九百韻。

 発句:革足袋のむかしは紅葉踏分たり  一鉄

談林十百韻「雪おれや」の巻

 松意編延宝三年刊の『談林十百韻』第十百韻。

 

 発句:雪おれやむかしに帰る笠の骨   松意

宗因独吟「口まねや」の巻

 『宗因七百韵(そういんしちひゃくいん)』(延宝五年刊)所収で、制作年代その少し前の春だと思われる。江戸進出も果たし談林俳諧が全国に広がろうとしているときに、後輩へ向けてのお手本のような形で作られたのではないかと思われる。

 

 発句:口まねや老の鶯ひとり言     宗因

言水独吟「凩の」の巻

 言水編の『新撰 都曲(みやこぶり)』(元禄三年刊)所収の独吟歌仙で、発句は言水の代表作でもあり、この一句を以って「木枯しの言水」と呼ばれたともいう。

 発句:凩の果はありけり海の音     言水

「うたてやな」の巻

 元禄三年二月十日、前年の十月十日に亡くなった伊丹流の鉄卵の月命日の追善五十韻興行。鬼貫をはじめとして才麿、来山、西鶴など当時の大阪談林のそうそうたるメンバーが集まっている。

 発句:うたてやな桜を見れば咲にけり  鬼貫

「蓮の実に」の巻

 賀子撰『蓮実』(元禄四年刊)に収録された賀子と西鶴の両吟歌仙。

 発句:蓮の実におもへばおなじ我身哉    賀子

「立出て」の巻

 元禄五年刊の才麿編『椎の葉』に収録された五吟歌仙。この年の秋、才麿は須磨明石を旅し、姫路まで足を延ばしている。これはその時の興行で、後に惟然とともに超軽みともいえる風を担うことになる千山も参加している。

 発句:立出て侍にあふや稲の原     才麿