「なきがらを」の巻、解説

元禄七年十月十八日於義仲寺追善之俳諧

初表

 なきがらを笠に隠すや枯尾花   其角

   温石さめて皆氷る聲     支考

 行灯の外よりしらむ海山に    丈草

   やとはぬ馬士の縁に来て居る 惟然

 つみ捨し市の古木の長短     木節

   洗ふたやうな夕立の顔    李由

 森の名をほのめかしたる月の影  之道

   野がけの茶の湯鶉待也    去来

 

初表

 水の霧田中の舟をすべり行    曲翠

   旅から旅へ片便宜して    正秀

 暖簾にさし出ぬ眉の物思ひ    臥高

   風のくすりを惣々がのむ   泥足

 こがすなと斎の豆腐を世話にする 乙州

   木戸迄人を添るあやつり   芝柏

 葺わたす菖蒲に匂ふ天気合    昌房

   車の供ははだし也けり    探志

 澄月の横に流れぬよこた川    胡故

   負々下て鴈安堵する     牝玄

 庵の客寒いめに逢秋の雨     游刀

   ぬす人二人相談の声     蘇葉

 世の花に集の発句の惜まるる   智月

   多羅の芽立をとりて育つる  呑舟

 

 

二表

 此春も折々みゆる筑紫僧     土芳

   打出したる刀荷作る     卓袋

 四十迄前髪置も郷ならひ     霊椿

   苦になる娘たれしのぶらん  野童

 一夜とて末つむ花を寐せにけり  素顰

   祭の留守に残したる酒    万里

 河風の思の外も吹しめり     誐々

   薮にあまりて雀よる家    這萃

 鹽売のことづかりぬる油筒    許六

   月の明りにかけしまふ絈   囘鳧

 秋も此彼岸過せば草臥て     荒雀

   くされた込ミに立し鶏頭   楚江

 小屏風の内より筆を取乱し    野明

   四ツになる迄起さねば寐る  風国

 

二裏

 ねんごろに草鞋すけてくるる也  木枝

   女人堂にて泣もことはり   其角

 ひだるさも侍気にはおもしろく  角上

   ふるかふるかと雪またれけり 之道

 あれ是と逢夜の小袖目利して   去来

   椀そろへたる蔵のくらがり  土芳

 呑かかる煙管明よとせがまるる  芝柏

   ふとんを巻て出す乗物    臥高

 弟子にとて狩人の子をまいらする 尚白

   月さしかかる門の井の垢離  昌房

 軒の露筵敷たるかたたがへ    丹野

   野分の朝しまりなき空    丈草

 花にとて手廻し早き旅道具    惟然

   煮た粥くはぬ春の引馬    霊椿

 

 

三表

 小機嫌につばめ近よる堀の上   正秀

   洗濯に出る川べりの石    囘鳧

 日によりて柴の値段もちがふ也  朴吹

   袋の猫のもらはれて鳴    角上

 里迄はやとひ人遠き峯の寺    泥足

   聞やみやこに爪刻む音    尚白

 七ツからのれども出さぬ舟手形  卓袋

   二季ばらひにて国々の掛   芝柏

 内に居る弟むす子のかしこげに  探芝

   うしろ山迄刈寄るの萱    游刀

 此牛を三歩にうれば月見して   楚江

   すまふの地取かねて名を付  魚光

 社さえ五郎十郎立ならび     其角

   所がらとて代官を殿     風国

 

三裏

 打鎰に水上帳を引かけて     支考

   乳母と隣へ送る啼児     正秀

 獅子舞の拍子ぬけする昼下リ   丈草

   雨気の雲に瓦やく也     昌房

 在所から医師の普請を取持て   臥高

   片町出かす畠新田      之道

 鳥さしの仕合わろき昏の空    去来

   木像かとて椅子をゆるがす  泥足

 三重がさねむかつく斗匂はせて  尚白

   座敷のもやうかふる名月   卓袋

 漣や我ものにして秋の天     角上

   経よむうちもしのぶ聖霊   牝玄

 かろがろと花見る人に負れ来て  土芳

   村よりおろす伊勢講の種   芝柏

 

 

名残表

 暖になれば小鮓のなれ加減    這萃

   軍ばなしを祖父が手の物   臥高

 淵は瀬に薩埵の上を通る也    其角

   朝日に向きて念珠押もむ   正秀

 幾人の着汚つらん夜着寒し    支考

   わすれて替ぬ大小の額    魚光

 味噌つきは沙彌に力をあらせばや 楚江

   かな聾の何か可笑しき    游刀

 ばらばらと恨之助をとりさがし  風国

   顔赤うするみりん酒の酔   之道

 白鳥の鎗を葛屋に持せかけ    探芝

   三河なまりは天下一番    去来

 飯しゐに内義も出るけふの月   尚白

   巧者に機をみてもらふ秋   囘鳧

 

名残裏

 うそ寒き堺格子の窓明り     芝柏

   文庫をおろす独山伏     土芳

 浮雲も晴て五月の日の長さ    惟然

   海へも近き武庫川の水    丈草

 寮にゐる外より鎖をかけさせて  牝玄

   思はぬ状の奥に戒名     支考

 青天にちりうく花のかうばしく  去来

   巣に生たちて千里鶯     正秀

 

      参考;『芭蕉臨終記 花屋日記』小宮豊隆校訂、1935、岩波文庫

初表

発句

 

 なきがらを笠に隠すや枯尾花   其角

 

 枯尾花と言えば元禄四年冬の、

 

 ともかくもならでや雪の枯尾花  芭蕉

 

の句を思い浮かべてのものだろう。芭蕉が江戸に帰ってきた時の句で、其角としても、あの時芭蕉さんが江戸の戻ってきてくれたように、今回もどこかへ旅に出ていて、「枯尾花にならずに済んだ」と言って帰ってきてほしいという気持ちだったのだろう。

 ただ、現実にその亡骸を見た。枯尾花になった現実を前に、それを旅の笠を添えて隠す。

 もちろん芭蕉の病中で詠んだ、

 

 旅に病で夢は枯野をかけ廻る   芭蕉

 

の句も念頭にあったのだろう。枯野に枯尾花は付き物だ。最後まで心の中で旅を続けていた芭蕉さんに、死んで枯尾花になってもなおかつ、笠を被せたかったのだろう。

 

季語は「枯尾花」で冬、植物、草類。無常。

 

 

   なきがらを笠に隠すや枯尾花

 温石さめて皆氷る聲       支考

 (なきがらを笠に隠すや枯尾花温石さめて皆氷る聲)

 

 この悲しみに溢れる句に、脇は秋からずっと芭蕉に同行していた支考が脇を付ける。

 温石(をんじゃく)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「温石」の解説」に、

 

 「① からだを暖める用具の一つ。蛇紋石、軽石などを火で焼いたり、またその石の代わりに菎蒻(こんにゃく)を煮て暖めたりして、布に包んで懐中するもの。焼き石。《季・冬》 〔文明本節用集(室町中)〕

  ※俳諧・続猿蓑(1698)春「温石(オンジャク)のあかるる夜半やはつ桜〈露沾〉」

  ② (温石はぼろに包んで用いるところから) ぼろを着ている人をあざけっていう。

 

とある。この①と②の両方の意味に掛けて、一方では参列する方々の懐の温石の冷めて震える様子を表し、一方では芭蕉さんの亡骸を包む笠を温石を包むぼろに見立てて、体温が失われていったときの比喩として用いている。

 「氷る聲」は、

 

 櫓声波を打って腸氷る夜や涙   芭蕉

 

の句の、断腸の声を表すのに「氷る」という表現を用いたことを踏まえてのことだろう。

 

季語は「氷る」で冬。

 

第三

 

   温石さめて皆氷る聲

 行灯の外よりしらむ海山に    丈草

 (行灯の外よりしらむ海山に温石さめて皆氷る聲)

 

 第三は丈草が付ける。七日に芭蕉の病を知って花屋の宿に駆けつけ、

 

 うづくまる薬缶の下の寒さ哉   丈草

 

の句は芭蕉も高く評価した。その第三。

 

 発句の弔いの情を離れて、明け方の寒さに転じる。ただ、あくまでも追悼興業なので、笑いを求めずに厳かに展開する。

 外が白んで明るくなっていくと、行燈の火は目立たなくなってゆく。

 

無季。「行灯」は夜分。「海」は水辺。「山」は山類。

 

四句目

 

   行灯の外よりしらむ海山に

 やとはぬ馬士の縁に来て居る   惟然

 (行灯の外よりしらむ海山にやとはぬ馬士の縁に来て居る)

 

 四句目は支考とともに伊賀から芭蕉と旅を伴にした惟然が付ける。

 海山の景色の美しい街道の宿場であろう。夜が白む頃に外へ出ていると、雇った覚えのない馬士がやってくる。人違いか。旅立とうとしている姿に見えたのだろう。

 

無季。「馬士」は人倫。

 

五句目

 

   やとはぬ馬士の縁に来て居る

 つみ捨し市の古木の長短     木節

 (やとはぬ馬士の縁に来て居るつみ捨し市の古木の長短)

 

 五句目は芭蕉の死を看取った医者の木節が付ける。最後まで芭蕉の治療に当たった功労者だ。

 前句の馬士が来たのを市場として、要らなくなった古木の木っ端をもって行ってもらおうと思ったが、違う馬士だった。

 役に立たない馬士に「長短」が響きとして面白い。

 

無季。

 

六句目

 

   つみ捨し市の古木の長短

 洗ふたやうな夕立の顔      李由

 (つみ捨し市の古木の長短洗ふたやうな夕立の顔)

 

 六句目は彦根の平田から来た李由が付ける。許六の弟子で、病気の時にすぐに駆け付けることのできなかった許六の代理でもあったのだろう。丈草・木節と同様、七日に到着している。

 夕立の後は洗われたようにというのは、今でもよく使われる言い回しでもある。

 前句の古木の積み捨てたのを急な夕立のせいとする。びしょ濡れの顔で雨宿りする。

 

季語は「夕立」で夏、降物。

 

七句目

 

   洗ふたやうな夕立の顔

 森の名をほのめかしたる月の影  之道

 (森の名をほのめかしたる月の影洗ふたやうな夕立の顔)

 

 七句目は芭蕉が大阪に来る理由でもあった之道が付ける。元凶となった洒堂は芭蕉の死に立ち会わずに雲隠れした。

 森は神社の意味で、この場合は住吉大社か。

 之道の地元でもあり、八日には他の門人たちを引き連れて、住吉大社で芭蕉の病気の治癒を祈願した。住吉だけに月の「澄んで良し」となる。前句の顔は月の顔になる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。神祇。

 

八句目

 

   森の名をほのめかしたる月の影

 野がけの茶の湯鶉待也      去来

 (森の名をほのめかしたる月の影野がけの茶の湯鶉待也)

 

 八句目は京の芭蕉の高弟、去来が付ける。去来も七日に到着した。

 「野がけ」は野遊びのことも意味するが、ここでは野点(のだて)のことであろう。

 前句の月の影を夕暮れの景色として、夕暮れの野点を行う。

 鶉は、

 

 夕されば野べの秋風身にしみて

     鶉鳴くなり深草の里

              藤原俊成(千載集)

 

が本歌で、ここで鶉の声でもあれば風情があるといったところか。

 

季語は「鶉」で秋、鳥類。

初裏

九句目

 

   野がけの茶の湯鶉待也

 水の霧田中の舟をすべり行    曲翠

 (水の霧田中の舟をすべり行野がけの茶の湯鶉待也)

 

九句目を付けるのは膳所の曲翠で、今回の追善興行の主催者であろう。芭蕉に幻住庵を世話したこともあった。

 野点の背景として、霧の立ち込める田の中をゆく舟を付ける。

 

季語は「霧」で秋、聳物。「舟」は水辺。

 

十句目

 

   水の霧田中の舟をすべり行

 旅から旅へ片便宜して      正秀

 (水の霧田中の舟をすべり行旅から旅へ片便宜して)

 

 十句目は七日に駆けつけ、芭蕉の死を看取った一人の正秀が付ける。膳所の人。

 前句の舟から旅体に転じる。

 「片便宜(かたびんぎ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「片便宜」の解説」に、

 

 「① 返事のない、一方からだけのたより。かただより。〔運歩色葉(1548)〕

  ※浮世草子・武道伝来記(1687)一「古郷の片便宜になを気をなやまし」

  ② 行ったまま、または来たままで元へ帰らないこと。また、そのような使いの者。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ※咄本・軽口御前男(1703)三「きらるるものにとひたいけれど、かたびんぎでしれませぬといふた」

 

とある。飛脚ではない、ただの行きずりの旅人なので、手紙を託しても返事を持って帰ってきてはくれない。

 

無季。旅体。

 

十一句目

 

   旅から旅へ片便宜して

 暖簾にさし出ぬ眉の物思ひ    臥高

 (暖簾にさし出ぬ眉の物思ひ旅から旅へ片便宜して)

 

 十一句目も同じ膳所の臥高が付ける。絵を得意としていて、画好という字を当てることもあった。

 あの人は旅の空から便りはよこすけれど、こちらからの手紙の手紙は届かない。一人暖簾の内でやきもきする。

 恋に転じる。

 

無季。恋。「暖簾」は居所。

 

十二句目

 

   暖簾にさし出ぬ眉の物思ひ

 風のくすりを惣々がのむ     泥足

 (暖簾にさし出ぬ眉の物思ひ風のくすりを惣々がのむ)

 

 十二句目は泥足で、大阪で九月二十六日、晴々亭興行の「此道や」の巻に同座し、

 

   此道や行人なしに秋の暮

 岨の畠の木にかかる蔦      泥足

 

の脇を付けている。また畔止亭の「七種の恋」でも、

 

   寄紅葉恨遊女

 逢ぬ日は禿に見する紅葉哉    泥足

 

の句を詠んでいる。泥足は元禄七年刊の『其便』の編纂を大方終えた頃芭蕉に会い、

 

 「此集を鏤んとする比、芭蕉の翁は難波に抖數し給へると聞て、直にかのあたりを訪ふに、晴々亭の半哥仙を貪り、畦止亭の七種の戀を吟じて、予が集の始終を調るものならし。」

 

という前書きの後、「此道や」の半歌仙と「七種の戀」を『其便』に加えて刊行している。

 「惣々(そうぞう)」は皆ということ。

 暖簾を店の暖簾として、みんな風邪ひいたから誰も出てこないということか。

 

無季。

 

十三句目

 

   風のくすりを惣々がのむ

 こがすなと斎の豆腐を世話にする 乙州

 (こがすなと斎の豆腐を世話にする風のくすりを惣々がのむ)

 

 十三句目は近江大津の乙州。姉は智月。

 斎(とき)は法事に出す食事。

 「こがすな」は風に苦しまないようにと言う意味で、風邪が治れば斎の豆腐が食べられると世間話をする。

 

無季。釈教。

 

十四句目

 

   こがすなと斎の豆腐を世話にする

 木戸迄人を添るあやつり     芝柏

 (こがすなと斎の豆腐を世話にする木戸迄人を添るあやつり)

 

 十四句目は芝柏で大阪の人。九月二十九日に芝柏亭で、

 

 秋深き隣は何をする人ぞ     芭蕉

 

を発句とする俳諧興行が行わる予定だったが、芭蕉の容態の悪化で中止になった。

 「あやつり」は人形芝居で、前句の「世話」を人形浄瑠璃の「世話物」に取り成す。

 木戸は芝居小屋の入口のことで、後ろで人が操りながら人形が木戸の所まで出て来る。

 

無季。「人」は人倫。

 

十五句目

 

   木戸迄人を添るあやつり

 葺わたす菖蒲に匂ふ天気合    昌房

 (葺わたす菖蒲に匂ふ天気合木戸迄人を添るあやつり)

 

 十五句目は昌房で膳所の人。

 端午の節句では軒の菖蒲を刺して飾り付ける。支考は『梟日記』で五月五日の岡山に着いた時のことを、

 「此日岡山の城下にいたる。殊にあやめふきわたして、行かふ人のけしきはなやかなるを見るにも、泉石の放情はさらにわすれがたくて、

 松風ときけば浮世の幟かな」

 

と記している。前句の芝居小屋に端午の節句を付ける。

 

季語は「菖蒲」で夏、植物、草類。

 

十六句目

 

   葺わたす菖蒲に匂ふ天気合

 車の供ははだし也けり      探志

 (葺わたす菖蒲に匂ふ天気合車の供ははだし也けり)

 

 十六句目の探芝も膳所の人。許六は『俳諧問答』の中で、

 

 「一、昌房、探志、臥高、其外膳所衆、風雅いまだたしかならず。たとへバ片雲の東西の風に随がごとし。」(『俳諧問答』横澤三郎校注、一九五四、岩波文庫p.192)

 

と評している。

 元禄七年の四月には季吟などの助力もあり、王朝時代の賀茂祭が葵祭として再興されたとしでもある。賀茂祭というと『源氏物語』の車争いということで、端午の節句とはやや時期がずれるが、その連想によるものだろう。

 元禄の世では車は荷物を運ぶもので、牛を引く者は裸足だったりしたのだろう。

 

無季。「車の供」は人倫。

 

十七句目

 

   車の供ははだし也けり

 澄月の横に流れぬよこた川    胡故

 (澄月の横に流れぬよこた川車の供ははだし也けり)

 

 十七句目の胡故も膳所の人。『続猿蓑』に、

 

 きつと来て啼て去りけり蝉のこゑ 胡故

 

の句がある。

 横田川は東海道の石部宿と水口宿の間にある横田渡しの辺りを流れる野洲川のこと。元禄三年伊賀で興行された「種芋や」の巻十句目に、

 

   やすやすと矢洲の河原のかち渉り

 多賀の杓子もいつのことぶき   半残

 

の句がある。彦根多賀大社のお多賀杓子はお守りとされている。

 胡故の句の方は、前句を月の朝に東海道の横田川をこえる荷車とし、横田と「横たふ」を掛けている。

 

季語は「澄月」で秋、夜分、天象。「横田川」は名所、水辺。

 

十八句目

 

   澄月の横に流れぬよこた川

 負々下て鴈安堵する       牝玄

 (澄月の横に流れぬよこた川負々下て鴈安堵する)

 

 十八句目の牝玄も膳所の人。

 「負々」は追々で次々とという意味。月夜の川に雁が降りたつ。

 

季語は「鴈」で秋、鳥類。

 

十九句目

 

   負々下て鴈安堵する

 庵の客寒いめに逢秋の雨     游刀

 (庵の客寒いめに逢秋の雨負々下て鴈安堵する)

 

 十九句目の游刀も膳所の人で、元禄四年秋の「うるはしき」の巻に正秀、画好、乙州、探志、昌房などとともに参加している。

 秋の雨にびしょ濡れになった旅人が、庵に雨宿りして安堵する。

 

 病雁の夜寒に落ちて旅寝哉    芭蕉

 

のオマージュであろう。

 

季語は「秋の雨」で秋、降物。「庵」は居所。「客」は人倫。

 

ニ十句目

 

   庵の客寒いめに逢秋の雨

 ぬす人二人相談の声       蘇葉

 (庵の客寒いめに逢秋の雨ぬす人二人相談の声)

 

 ニ十句目の蘇葉も膳所の人。

 この場合は庵の客が実は泥棒で、泊めてやった主人が寒い目に逢うとする。

 

無季。「ぬす人」は人倫。

 

二十一句目

 

   ぬす人二人相談の声

 世の花に集の発句の惜まるる   智月

 (世の花に集の発句の惜まるるぬす人二人相談の声)

 

 二十一句目は大津の乙州の姉で、近江で芭蕉の世話をした智月尼が付ける。元禄三年の冬に、

 

   少将のあまの咄や志賀の雪  芭蕉

 あなたは真砂爰はこがらし    智月

 

   草箒かばかり老の家の雪   智月

 火桶をつつむ墨染のきぬ     芭蕉

 

の句を交わしている。

 前句を謡曲『草紙洗』のような盗作の相談としたか。設定を俳諧の撰集として、選ばれた発句の中に盗作があったのが惜しまれる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

二十二句目

 

   世の花に集の発句の惜まるる

 多羅の芽立をとりて育つる    呑舟

 (世の花に集の発句の惜まるる多羅の芽立をとりて育つる)

 

 二十二句目は呑舟は大阪の之道の門人で、芭蕉の介護の方で活躍し、『笈日記』によれば十月八日の夜、芭蕉の絶筆、

 

 旅に病で夢は枯野をかけ廻る   芭蕉

 

の句を書き留めている。

 この日の昼には住吉大社に詣でて

 

 水仙や使につれて床離れ     呑舟

 

を詠んでいる。多分介護は支考・呑舟・舎羅の三交代制でこの日の深夜のシフトだったのだろう。

 多羅の芽は春の山菜だったが、今では栽培する農家もいて、スーパーでも売っている。この頃も挿し木をして栽培しようとする人がいたか。

 前句を花のように素晴らしい集を編纂した一門の絶えるのを惜しむとして、比喩として若手を育てるとしたものだろう。蕉門の若手も育ってほしいと願うかのようだ。

 

季語は「多羅の芽」で春、植物、木類。

二表

二十三句目

 

   多羅の芽立をとりて育つる

 此春も折々みゆる筑紫僧     土芳

 (此春も折々みゆる筑紫僧多羅の芽立をとりて育つる)

 

 二十三句目は伊賀の土芳で、『三冊子』を書き表したことでもよく知られている。

 筑紫僧は特に誰ということでもなく、遠くからやって来る雲水の僧というイメージなのだろう。

 今年もやって来た筑紫僧のために多羅の芽を育てる。そのやり方も筑紫僧に教わったのかもしれない。

 

季語は「春」で春。釈教。「筑紫僧」は人倫。

 

二十四句目

 

   此春も折々みゆる筑紫僧

 打出したる刀荷作る       卓袋

 (此春も折々みゆる筑紫僧打出したる刀荷作る)

 

 二十四句目も伊賀の卓袋が付ける。

 筑紫僧は顔が広いのだろう。腕の良い刀鍛冶なども知っていて、遠くの武家から取次ぎを頼まれたりする。

 ここでは出来上がった刀を依頼主に届ける。

 

無季。

 

二十五句目

 

   打出したる刀荷作る

 四十迄前髪置も郷ならひ     霊椿

 (四十迄前髪置も郷ならひ打出したる刀荷作る)

 

 二十五句目は膳所の霊椿。浪化編『有磯海』に、

 

   芭蕉翁の住捨給ひける幻住庵を

   あづかり侍りければ

 初雪や去年も山で焼豆腐     霊椿

 

の句がある。

 前髪をそり上げる月代は元禄の頃には成人男子の標準的な髪型になったが、江戸初期には前髪を生やして髷を茶筌にしている人も多かった。

 前句を刀鍛冶として、古風な茶筌頭をしていたのだろう。四十過ぎて初老になると、さすがに禿げてくるので月代を剃っていたか。

 

無季。

 

二十六句目

 

   四十迄前髪置も郷ならひ

 苦になる娘たれしのぶらん    野童

 (四十迄前髪置も郷ならひ苦になる娘たれしのぶらん)

 

 二十六句目は京の去来の弟子の野童が付ける。元禄三年の「ひき起す」の巻、元禄四年の「牛部屋に」の巻などに芭蕉と同座している。

 女性の場合も元禄期には島田髷が定着したが、それ以前は長い髪を後ろで束ねるだけの女性も多かった。

 四十になるまで髪を結い上げない女性のところに、誰が忍んでやって来るのだろうか、と恋に転じる。

 

無季。恋。「娘」は人倫。

 

二十七句目

 

   苦になる娘たれしのぶらん

 一夜とて末つむ花を寐せにけり  素顰

 (一夜とて末つむ花を寐せにけり苦になる娘たれしのぶらん)

 

 二十七句目の素顰は膳所の女性で、浪化編『有磯海』に、

 

   梅がえにこそ鶯は巣をくへ

 もずの子をそだて揚るや茨くろ  素顰

 

の句がある。

 前句を『源氏物語』の末摘花とする。忍んで来るのは言わずと知れた‥。

 

無季。恋。「一夜」は夜分。

 

二十八句目

 

   一夜とて末つむ花を寐せにけり

 祭の留守に残したる酒      万里

 (一夜とて末つむ花を寐せにけり祭の留守に残したる酒)

 

 二十八句目の万里も膳所の女性。浪化編『有磯海』に、

 

       かまくらの女郎はすゝ竹のつめ

   比丘定 だに織ものゝ手おほひ

       うつの宮がさを

             きりゝとめされて

 秋ののを舞台に見たる薄かな   万里

 

の句がある。

 何処の娘か、祭の留守にたまたま置いてあった酒に酔って寝てしまう。酔って顔が赤くなったので「末つむ花」と呼ばれる。

 

無季。神祇。

 

二十九句目

 

   祭の留守に残したる酒

 河風の思の外も吹しめり     誐々

 (河風の思の外も吹しめり祭の留守に残したる酒)

 

 二十九句目の誐々は大津の人。

 祭の日だが川風が湿っていて雨が降りそうなので、酒を家に残してきた。

 

無季。「河風」は水辺。

 

三十句目

 

   河風の思の外も吹しめり

 薮にあまりて雀よる家      這萃

 (河風の思の外も吹しめり薮にあまりて雀よる家)

 

 三十句目の這萃は膳所の人。

 風が湿っているので雀は薮に帰るが、一部の雀は家の植え込みか生垣で雨をやり過ごす。

 

無季。「雀」は鳥類。「家」は居所。

 

三十一句目

 

   薮にあまりて雀よる家

 鹽売のことづかりぬる油筒    許六

 (鹽売のことづかりぬる油筒薮にあまりて雀よる家)

 

 三十一句目は彦根の許六が付ける。江戸で四回芭蕉と同座したが、満尾したのは二回だけだったという。

 前句の薮の近くの雀の沢山集まってくる家を海から遠い片田舎と見て、塩売が山の方に売に通うついでに手紙を届けてもらう。状箱なんてものもなく、油筒に手紙を入れる。この「油筒」が取り囃しで工夫した所だろう。

 

無季。「鹽売」は人倫。

 

三十二句目

 

   鹽売のことづかりぬる油筒

 月の明りにかけしまふ絈     囘鳧

 (鹽売のことづかりぬる油筒月の明りにかけしまふ絈)

 

 三十二句目の囘鳧は膳所の人。浪化編『有磯海』に、

 

 水うちて跡にちらほふ蛍かな   囘鳧

 

の句がある。

 絈は「かせ」。紡いだ糸を巻く桛木(かせぎ)のことか。

 月の明りで紡績をしていた女のところに、塩売が愛しい人の手紙を持って来たので、片づけてもてなす。

 結局塩売と結ばれるなんて落ちがありそうだが。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

三十三句目

 

   月の明りにかけしまふ絈

 秋も此彼岸過せば草臥て     荒雀

 (秋も此彼岸過せば草臥て月の明りにかけしまふ絈)

 

 三十三句目の荒雀は京都嵯峨の人。なぜか嵯峨は「京」とは別扱いになる。去来門であろう。

 浪化編『有磯海』に、

 

 露もるや精霊棚のうりなすび   荒雀

 

の句がある。

 暑さ寒さも彼岸までというが、秋の彼岸は夏の疲れが出る頃でもある。月は明るいが、今日は一休みする。

 

季語は「秋」で秋。

 

三十四句目

 

   秋も此彼岸過せば草臥て

 くされた込ミに立し鶏頭     楚江

 (秋も此彼岸過せば草臥てくされた込ミに立し鶏頭)

 

 三十四句目の楚江も膳所の人。芭蕉が元禄四年の名月の会を木曽塚で行ったときのことが、支考の『笈日記』に、

 

  「三夜の月

   是もむかしの秋なりけるが今年は月の本ずゑ

   を見侍らんとて待宵は楚江亭にあそび

   十五夜は木そ塚にあつまる。」

 

とある。このあとの堅田の成秀亭での「安々と」の巻にも参加している。

 前句の「草臥て」を植え込みのコンディションが悪くて、やっとのことで咲いている鶏頭のこととする。

 

季語は「鶏頭」で秋、植物、草類。

 

三十五句目

 

   くされた込ミに立し鶏頭

 小屏風の内より筆を取乱し    野明

 (小屏風の内より筆を取乱しくされた込ミに立し鶏頭)

 

 三十五句目の野明は去来門で嵯峨の人。

 小屏風はものを書く時に見られないように立てる。腐った庭の植え込みに取り乱して何かを書き付ける。

 

無季。

 

三十六句目

 

   小屏風の内より筆を取乱し

 四ツになる迄起さねば寐る    風国

 (小屏風の内より筆を取乱し四ツになる迄起さねば寐る)

 

 三十六句目は風国。京の人で後に芭蕉の句を集めた『泊船集』を編纂する。

 何に腹を立てたのか、筆を取り乱した後ふて寝する。昼の四つは午前九時前後で、それまで寝る。

 

無季。

二裏

三十七句目

 

   四ツになる迄起さねば寐る

 ねんごろに草鞋すけてくるる也  木枝

 (ねんごろに草鞋すけてくるる也四ツになる迄起さねば寐る)

 

 三十七句目の木枝は大津の人で、浪化編『有磯海』に、

 

 明月や里の匂ひの青手柴     木枝

 

の句がある。

 ねんごろは丁寧にとか一心にとかいう意味で、「すけて」は下駄だと鼻緒を差し込むことだが、草鞋の場合は緒を横にある輪の中に通して鼻緒にする作業のことか。

 「くるる」はこの場合は日が暮れるの意味であろう。

 旅体の句で、すぐに旅立てるように草鞋の準備をしながら夕ぐれには寝てしまい、誰も起さなかったのでそのまま翌朝九時まで寝てしまった。

 

無季。旅体。

 

三十八句目

 

   ねんごろに草鞋すけてくるる也

 女人堂にて泣もことはり     其角

 (ねんごろに草鞋すけてくるる也女人堂にて泣もことはり)

 

 三十八句目は発句を詠んだ其角に戻る。

 女人堂はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「女人堂」の解説」に、

 

 「〘名〙 女がこもって読経や念仏をする堂。寺の境内の外にある。特に女人禁制であった高野山のものが有名。

  ※浮世草子・椀久一世(1685)上「是かや女人堂、一日の事ながら女を見ぬこと悲しく」

 

とある。

 浄瑠璃や説教節の『苅萱』の本説だろうか。出家した父を追って妻子が高野山に行くが、女人禁制ゆえに妻の方は逢うことができなかった。

 

無季。釈教。

 

三十九句目

 

   女人堂にて泣もことはり

 ひだるさも侍気にはおもしろく  角上

 (ひだるさも侍気にはおもしろく女人堂にて泣もことはり)

 

 三十九句目の角上はコトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plus「三上角上」の解説」に、

 

 「1675-1747 江戸時代中期の僧,俳人。

延宝3年生まれ。三上千那の養子。近江(おうみ)(滋賀県)の浄土真宗本願寺派本福寺の住持。隠退して京都に瞬匕亭(しゅんひてい)を,のち大津園城寺のちかくに荷(にない)庵をむすんだ。松尾芭蕉の門人。延享4年5月8日死去。73歳。近江出身。別号に瞬匕亭,夕陽観など。法名は明因。著作に「白馬紀行口耳」。」

 

とある。『続猿蓑』に、

 

   江東の李由が祖父の懐旧の法事に、

   おのおの経文題のほつ句に、弥陀

   の光明といふ事を

 小服綿に光をやどせ玉つばき   角上

 

の句がある。

 侍気は侍気質のことで、「武士は食わねど高楊枝」という言葉もあるように、空腹でもそれを表に出さないで、何のこれしき面白いではないか、と開き直るが、同じく腹をすかせた女房はたまったもんでもない。女人堂に駆け込む。

 

無季。「侍」は人倫。

 

四十句目

 

   ひだるさも侍気にはおもしろく

 ふるかふるかと雪またれけり   之道

 (ひだるさも侍気にはおもしろくふるかふるかと雪またれけり)

 

 四十句目は大阪の之道に二回目。

 腹ペコもなんのその、雪も降るなら降って見ろ、それが武士だ。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

四十一句目

 

   ふるかふるかと雪またれけり

 あれ是と逢夜の小袖目利して   去来

 (あれ是と逢夜の小袖目利してふるかふるかと雪またれけり)

 

 四十一句目は京の去来の二回目。

 前句を雪が降れば目当ての男を留め置くことができる、という意味にし、逢瀬にやって来る男の小袖を見て値踏みする。

 

無季。恋。「逢夜」は夜分。「小袖」は衣裳。

 

四十二句目

 

   あれ是と逢夜の小袖目利して

 椀そろへたる蔵のくらがり    土芳

 (あれ是と逢夜の小袖目利して椀そろへたる蔵のくらがり)

 

 四十二句目は伊賀の土芳の二回目。

 祝言の席であろう。客をもてなすための椀が揃えられた蔵で、今夜用いる小袖を吟味する。

 

無季。

 

四十三句目

 

   椀そろへたる蔵のくらがり

 呑かかる煙管明よとせがまるる  芝柏

 (呑かかる煙管明よとせがまるる椀そろへたる蔵のくらがり)

 

 四十三句目は大阪の芝柏の二回目。

 蔵の中で火を用いるのは危ないし、煙も籠るから、煙管を吸うのをやめて片付けろということか。

 

無季。

 

四十四句目

 

   呑かかる煙管明よとせがまるる

 ふとんを巻て出す乗物      臥高

 (呑かかる煙管明よとせがまるるふとんを巻て出す乗物)

 

 四十四句目は膳所の臥高の二回目。

 駕籠に乗って帰るので、蒲団を巻いて、煙管を仕舞い、出て行く。

 

季語は「ふとん」で冬。

 

四十五句目

 

   ふとんを巻て出す乗物

 弟子にとて狩人の子をまいらする 尚白

 (弟子にとて狩人の子をまいらするふとんを巻て出す乗物)

 

 四十五句目は尚白で初登場。大津の人で貞享の頃からの古い門人。千那とともに近江蕉門の基礎を作ったとも言われる。

 貧しい狩人が子供を何かの弟子にと送り出すが、荷物は蒲団一つ。

 

無季。「狩人」は人倫。

 

四十六句目

 

   弟子にとて狩人の子をまいらする

 月さしかかる門の井の垢離    昌房

 (弟子にとて狩人の子をまいらする月さしかかる門の井の垢離)

 

 四十六句目は膳所の昌房の二回目。

 垢離は仏教用語で、身を清める冷水のこと。前句の弟子を仏門の弟子とする。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。釈教。

 

四十七句目

 

   月さしかかる門の井の垢離

 軒の露筵敷たるかたたがへ    丹野

 (軒の露筵敷たるかたたがへ月さしかかる門の井の垢離)

 

 四十七句目の丹野は初登場。大津の能太夫で、元禄七年六月に丹野亭で「ひらひらと」の巻の興行があり、この時に同座している。

 この場合の「かたたがへ」は古代陰陽道の方違えだと意味が通じないので、単に方向違いということか。道に迷いお寺の軒を借りて、筵を敷いて寝る。

 

季語は「露」で秋、降物。「軒」は居所。

 

四十八句目

 

   軒の露筵敷たるかたたがへ

 野分の朝しまりなき空      丈草

 (軒の露筵敷たるかたたがへ野分の朝しまりなき空)

 

 四十八句目は丈草の二回目。

 台風の去った後の朝は、大気の乱れから雲も乱れている。軒には雨露が吹き込んで、筵もあらぬ方に吹っ飛んでいる。

 

季語は「野分」で秋。

 

四十九句目

 

   野分の朝しまりなき空

 花にとて手廻し早き旅道具    惟然

 (花にとて手廻し早き旅道具野分の朝しまりなき空)

 

 四十九句目は惟然に二回目。

 秋の野脇の頃から花見の旅を思い立ち、旅道具を揃える。芭蕉の『笈の小文』の旅立ちのイメージか。

 

 江戸桜心かよはんいくしぐれ   濁子

 

の餞別句があった。

 

季語は「花」で春、植物、木類。旅体。

 

五十句目

 

   花にとて手廻し早き旅道具

 煮た粥くはぬ春の引馬      霊椿

 (花にとて手廻し早き旅道具煮た粥くはぬ春の引馬)

 

 五十句目は膳所の霊椿の二回目。

 前句を大名の行列を仕立てての花見としたか。槍・打ち物・長柄傘・挟箱・袋入れ杖などの旅道具を急遽揃えて、粥を食う暇もなく飾り立てた引馬の手配をする。

 

季語は「春」で春。「馬」は獣類。

三表

五十一句

 

   煮た粥くはぬ春の引馬

 小機嫌につばめ近よる堀の上   正秀

 (小機嫌につばめ近よる堀の上煮た粥くはぬ春の引馬)

 

 五十一句目は正秀の二回目。

 前句の引馬を、単に馬に乗らずに引いて行くこととして、暖かくなって熱い粥を食う必要もなくなり、ツバメも塀の上に飛来している。そんな暖かい日で、人も機嫌がよくなるし、天候の機嫌も良い。

 

季語は「つばめ」で春、鳥類。

 

五十二句目

 

   小機嫌につばめ近よる堀の上

 洗濯に出る川べりの石      囘鳧

 (小機嫌につばめ近よる堀の上洗濯に出る川べりの石)

 

 五十二句目は膳所の囘鳧の二回目。

 春のうららかな日には川に洗濯に行く。

 

無季。「川べり」は水辺。

 

五十三句目

 

   洗濯に出る川べりの石

 日によりて柴の値段もちがふ也  朴吹

 (日によりて柴の値段もちがふ也洗濯に出る川べりの石)

 

 五十三句目の朴吹は膳所の人で初登場。

 婆さんが川に洗濯にと来れば爺さんは山に柴刈って、このフレーズがこの時代にあったかどうかは知らないが、こういう分業は普通だったのだろう。

 刈った柴は自宅で使用するだけでなく、売りに行って小銭を稼ぐ。柴が値崩れしている時期には爺さんも川へ洗濯に行ったのだろうか。

 

無季。

 

五十四句目

 

   日によりて柴の値段もちがふ也

 袋の猫のもらはれて鳴      角上

 (日によりて柴の値段もちがふ也袋の猫のもらはれて鳴)

 

 五十四句目は堅田本福寺の角上で二回目。

 野良猫は捕まると簀巻きにされて川に沈められたりもしたが、ここでは飼い主が決まって目出度し目出度し。

 前句の日によって値段も違うというところから、猫の運命もいろいろあるという所で付けている。

 

無季。「猫」は獣類。

 

五十五句目

 

   袋の猫のもらはれて鳴

 里迄はやとひ人遠き峯の寺    泥足

 (里迄はやとひ人遠き峯の寺袋の猫のもらはれて鳴)

 

 五十五句目は泥足の二回目。

 猫が引き取られたのは山奥の寺だった。

 余談だが、近代の「山寺の和尚さん」という唱歌は、福岡県うきは市にある大生寺の和尚さんがモデルだという。

 

無季。釈教。「里」は居所。「やとひ人」は人倫。

 

五十六句目

 

   里迄はやとひ人遠き峯の寺

 聞やみやこに爪刻む音      尚白

 (里迄はやとひ人遠き峯の寺聞やみやこに爪刻む音)

 

 五十六句目は尚白の二回目。

 「爪刻む音」がよくわからないが、都では爪をきちんと手入れしているということか。山奥の寺に都の噂を付ける。

 

無季。

 

五十七句目

 

   聞やみやこに爪刻む音

 七ツからのれども出さぬ舟手形  卓袋

 (七ツからのれども出さぬ舟手形聞やみやこに爪刻む音)

 

 五十七句目は伊賀の卓袋の二回目。

 前句を都に用事があるとして、船旅にする。

 七つはこの場合夜の七つで寅の刻であろう。夜もまだ明けぬうちから船に乗っているが、船手形がないので関所を通過できない。

 江戸の中川船番所では船手形を必要としていたが、関西の方でもそういう場所があったのだろう。

 

無季。旅体。「舟」は水辺。

 

五十八句目

 

   七ツからのれども出さぬ舟手形

 二季ばらひにて国々の掛     芝柏

 (七ツからのれども出さぬ舟手形二季ばらひにて国々の掛)

 

 五十八句目は大阪の芝柏の三回目。

 「二季ばらひ」は盆と暮とに支払いを行うことで、日本中どこでも大体掛け売りは二季払いだった。前句を盆暮れの決算期の舟の混雑としたか。

 

無季。

 

五十九句目

 

   二季ばらひにて国々の掛

 内に居る弟むす子のかしこげに  探芝

 (内に居る弟むす子のかしこげに二季ばらひにて国々の掛)

 

 五十九句目は膳所の探芝の二回目。

 決算期の忙しさに、弟や息子が頼もしく見えてくる。

 

無季。「弟むす子」は人倫。

 

六十句目

 

   内に居る弟むす子のかしこげに

 うしろ山迄刈寄るの萱      游刀

 (内に居る弟むす子のかしこげにうしろ山迄刈寄るの萱)

 

 六十句目は膳所の游刀の二回目。

 弟と息子のおかげで山の方まで萱を刈ることができた。

 

季語は「刈寄るの萱」で秋、植物、草類。「うしろ山」は山類。

 

六十一句目

 

   うしろ山迄刈寄るの萱

 此牛を三歩にうれば月見して   楚江

 (此牛を三歩にうれば月見してうしろ山迄刈寄るの萱)

 

 六十一句目は膳所の楚江の二回目。

 萱を刈って売った後は牛も三歩(三分)で売って月見する。金三分は牛の相場として高いのか安いのかはよくわからない。

 

季語は「月見」で秋、夜分、天象。「牛」は獣類。

 

六十二句目

 

   此牛を三歩にうれば月見して

 すまふの地取かねて名を付    魚光

 (此牛を三歩にうれば月見してすまふの地取かねて名を付)

 

 六十二句目の魚光は膳所の人で初登場。浪化編『有磯海』に、

 

 子をつれて岩にふりむく雉子哉  魚光

 

の句がある。

 地取(ぢどり)は相撲の稽古で、月夜に相撲というのはよくある事だったか。元禄二年山中三吟にも、

 

   花野みだるる山のまがりめ

 月よしと角力に袴踏ぬぎて    芭蕉

 

の句がある。

 

季語は「すまふ」で秋。

 

六十三句目

 

   すまふの地取かねて名を付

 社さえ五郎十郎立ならび     其角

 (社さえ五郎十郎立ならびすまふの地取かねて名を付)

 

 六十三句目は其角の三回目。

 五郎十郎というと曽我兄弟だが、神社で相撲を取ると、五郎十郎だとか称する人たちがいたりしたのか。

 

無季。神祇。

 

六十四句目

 

   社さえ五郎十郎立ならび

 所がらとて代官を殿       風国

 (社さえ五郎十郎立ならび所がらとて代官を殿)

 

 六十四句目は風国の二回目。

 前句を箱根権現(今の箱根神社)としたか。曾我兄弟がここに預けられて武道を磨いた。箱根は小田原藩と沼津代官の両方が支配していた。

 

無季。「代官」は人倫。

三裏

六十五句目

 

   所がらとて代官を殿

 打鎰に水上帳を引かけて     支考

 (打鎰に水上帳を引かけて所がらとて代官を殿)

 

 六十五句目は支考の二回目。

 打鎰(うちかぎ)は打ち鉤で、柄のついた鉤。水上帳(みづあげちゃう)はその日の売り上げを記す帳面のこと。

 代官を殿と呼ぶような土地柄なら、商家も鑓のような打ち鉤で帳簿を担いで勇ましいんではないか、という空想の句。

 

無季。

 

六十六句目

 

   打鎰に水上帳を引かけて

 乳母と隣へ送る啼児       正秀

 (打鎰に水上帳を引かけて乳母と隣へ送る啼児)

 

 六十六句目は正秀の三回目。

 児にムシとルビがある所から、「なきむし」と読む。

 前句を子供の遊びとする。軍ごっこで打ち鉤を槍に見立てて遊ぶが、負けて泣いて乳母に連れられて帰る。

 

無季。「乳母」「啼児」は人倫。

 

六十七句目

 

   乳母と隣へ送る啼児

 獅子舞の拍子ぬけする昼下リ   丈草

 (獅子舞の拍子ぬけする昼下リ乳母と隣へ送る啼児)

 

 六十七句目は丈草の三回目。

 獅子舞の獅子が恐いと言って子供が泣いて帰っちゃったので、舞う方としては拍子抜けする。

 今では獅子舞というと正月のイメージがあるが、獅子舞神事は秋の祭の時にやることも多い。ここでは無季になる。

 

無季。神祇。

 

六十八句目

 

   獅子舞の拍子ぬけする昼下リ

 雨気の雲に瓦やく也       昌房

 (獅子舞の拍子ぬけする昼下リ雨気の雲に瓦やく也)

 

 六十八句目は昌房の三回目。

 前句の拍子抜けを天候の悪化で人が来なかったとする。獅子舞が拍子抜けする昼下がり、この町では瓦が盛んに生産される。屋内で作業しているため、ただでさえ人が集まりにくい。

 

無季。「雲」は聳物。

 

六十九句目

 

   雨気の雲に瓦やく也

 在所から医師の普請を取持て   臥高

 (在所から医師の普請を取持て雨気の雲に瓦やく也)

 

 六十九句目は臥高の三回目。

 儲かっている医者なのだろう。瓦屋根の立派な屋敷を立てる。

 

無季。「医師」は人倫。

 

七十句目

 

   在所から医師の普請を取持て

 片町出かす畠新田        之道

 (在所から医師の普請を取持て片町出かす畠新田)

 

 七十句目は之道の三回目。

 「片町出かす」は片側町が新たにできるということで、片側町は道の片方だけが町になっていることで、新たに畠や新田ができたので、その端っこの道路の反対側に町ができたということだろう。

 町が新しく出来たので古い町から医者の移住を呼びかける。

 

無季。

 

七十一句目

 

   片町出かす畠新田

 鳥さしの仕合わろき昏の空    去来

 (鳥さしの仕合わろき昏の空片町出かす畠新田)

 

 七十一句目は去来の三回目。

 鳥さしは鳥もちを塗った竿で鳥を捕まえることで、この日は運が悪く鳥も獲れずに日が暮れて行く。

 前句の畠新田での出来事とする。

 

無季。

 

七十二句目

 

   鳥さしの仕合わろき昏の空

 木像かとて椅子をゆるがす    泥足

 (鳥さしの仕合わろき昏の空木像かとて椅子をゆるがす)

 

 七十二句目は泥足の三回目。

 黄昏時で物がはっきり見えなくて、木像だと思ったら椅子だった。

 ただ、江戸時代では椅子はほとんど用いられなかった。あるとすれば長い背もたれのないベンチ状のものか、床几という折り畳みのもので、木像と見間違える椅子がどういうものかはよくわからない。

 

無季。

 

七十三句目

 

   木像かとて椅子をゆるがす

 三重がさねむかつく斗匂はせて  尚白

 (三重がさねむかつく斗匂はせて木像かとて椅子をゆるがす)

 

 七十三句目は尚白の三回目。

 「三重がさね」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「三重重・三重襲」の解説」に、

 

 「① 布帛を三枚かさねること。特に衣類などで、中陪(なかべ)を入れて三重にしたもの。

  ※宇津保(970‐999頃)蔵開上「唐裳、摺裳、綾の細長、みへがさねの袴添へたる女の装五具」

  ② 「みえがさね(三重重)の扇」の略。

  ※青表紙一本源氏(1001‐14頃)花宴「かのしるしの扇は桜のみへかさね」

 

とある。椅子ということで王朝時代のイメージになったか、これでもかと香を焚き込んだ衣類とする。

 

無季。「三重がさね」は衣裳。

 

七十四句目

 

   三重がさねむかつく斗匂はせて

 座敷のもやうかふる名月     卓袋

 (三重がさねむかつく斗匂はせて座敷のもやうかふる名月)

 

 七十四句目は卓袋の三回目。

 名月の明りに座敷も模様替えしたかのようにいつもと違う風情がある。

 

季語は「名月」で秋、夜分、天象。「座敷」は居所。

 

七十五句目

 

   座敷のもやうかふる名月

 漣や我ものにして秋の天     角上

 (漣や我ものにして秋の天座敷のもやうかふる名月)

 

 七十五句目は角上の三回目。

 漣(さざなみ)は志賀に掛る枕詞で、琵琶湖の波のことになる。名月を映してきらめく琵琶湖を眺める座敷は、まるで秋の天を我が物にしたかのようだ。堅田の浮御堂のイメージか。元禄四年の、

 

 錠明て月さし入よ浮御堂     芭蕉

 

の句がある。

 

季語は「秋の天」で秋。「漣」は水辺。「我」は人倫。

 

七十六句目

 

   漣や我ものにして秋の天

 経よむうちもしのぶ聖霊     牝玄

 (漣や我ものにして秋の天経よむうちもしのぶ聖霊)

 

 七十六句目は膳所の牝玄の二回目。

 盂蘭盆会に転じる。それこそ浮御堂で一人こっそりとお経をあげるお坊さんとしたか。

 

季語は「聖霊」で秋。釈教。

 

七十七句目

 

   経よむうちもしのぶ聖霊

 かろがろと花見る人に負れ来て  土芳

 (かろがろと花見る人に負れ来て経よむうちもしのぶ聖霊)

 

 七十七句目は土芳の三回目。

 前句の聖霊を旧暦二月二十二日の聖徳太子の聖霊会(しょうりょうえ)としたか。

 ウィキペディアに、

 

 「 江戸時代(明治3年まで)には、門外にある太子堂での四箇法要(唄、散花、梵音、錫杖という四つの声明曲を具備した法要)の前半を行なったのち、楽人・衆僧らの右方・左方の行進により聖徳太子像と仏舎利が境内の六時堂に渡御、安置され、堂の前で舞楽を伴う法要があり、その後、本尊への奉納と参詣者の娯楽をかねて演奏される「入調」と呼ばれる舞楽が十数曲行われ、再び太子堂へ還御し四箇法要の後半を行うという組み合わせだった‥」

 

とあるが、この聖徳太子像の渡御を「負れ来て」としたか。

 

季語は「花見」で春、植物、木類。「人」は人倫。

 

七十八句目

 

   かろがろと花見る人に負れ来て

 村よりおろす伊勢講の種     芝柏

 (かろがろと花見る人に負れ来て村よりおろす伊勢講の種)

 

 七十八句目は芝柏の四回目。

 伊勢講でお伊勢参りに行った人は、農作物の種をお土産に持ち帰ったという。

 

季語は「伊勢講」で春。神祇。「村」は居所。

名残表

七十九句目

 

   村よりおろす伊勢講の種

 暖になれば小鮓のなれ加減    這萃

 (暖になれば小鮓のなれ加減村よりおろす伊勢講の種)

 

 七十九句目は膳所の這萃の二回目。

 小鮓は小鮒で作った鮒寿司のことか。鮒寿司は琵琶湖の名物だ。春に獲れた鮒を塩漬けにして夏に漬け込み、翌年の春に食べごろになる。

 伊勢講も農閑期に行くことが多く、春の季語になっている。種を持ち帰る事には苗代の季節となり、鮒寿司もほどよく熟れて食べごろになる。

 

季語は「暖」で春。

 

八十句目

 

   暖になれば小鮓のなれ加減

 軍ばなしを祖父が手の物     臥高

 (暖になれば小鮓のなれ加減軍ばなしを祖父が手の物)

 

 八十句目は臥高の四回目。

 「手の物」はお手の物というくらいで、軍の話をするのが好きな祖父がいつもなれ鮨を作っているのだろう。

 最後の軍となる大坂夏の陣が慶長二十年(一六一五年)だから、元禄七年(一六九四年)の時点で八十五歳以上なら、一応子供の頃の記憶には残っているだろう。二〇二四年に太平洋戦争の記憶を持つ者がどれくらいいるかくらいの話になるが。

 豊臣秀吉の天下統一が天正十八年(一五九〇年)とするなら、それからすでに百四年経過している。戦国時代は遠くなっていた。芭蕉の子供の頃だったら、まだ生き証人がいたかもしれない。

 

無季。「祖父」は人倫。

 

八十一句目

 

   軍ばなしを祖父が手の物

 淵は瀬に薩埵の上を通る也    其角

 (淵は瀬に薩埵の上を通る也軍ばなしを祖父が手の物)

 

 八十一句目は其角の四回目。

 ウィキペディアによると東海道の薩埵峠の道は、「一六〇七年の朝鮮通信使の江戸初訪問の際に山側に迂回コースとして造られた」のだという。それまでは海岸沿いの、波が高いと通れなくなる、いわゆる「波の関守」のいる難所だった。

 軍も遠くなったが、かつて深かった淵が浅瀬になるように、東海道の難所にも薩埵峠の道が開かれ、みんな昔話になって行った。

 

無季。「淵」「瀬」は水辺。旅体。

 

八十二句目

 

   淵は瀬に薩埵の上を通る也

 朝日に向きて念珠押もむ     正秀

 (淵は瀬に薩埵の上を通る也朝日に向きて念珠押もむ)

 

 八十二句目は正秀の四回目。

 薩埵の元の意味はsattvaの音訳で衆生という意味だったが、真言密教では金剛薩埵の意味で用いられる。大日如来の教えを受けた菩薩で、真言密教では第二祖とされる。

 そこから朝日に向かって拝むというイメージが出て来る。薩埵峠も東側は海で朝日が拝める。

 

無季。釈教。「朝日」は天象。

 

八十三句目

 

   朝日に向きて念珠押もむ

 幾人の着汚つらん夜着寒し    支考

 (幾人の着汚つらん夜着寒し朝日に向きて念珠押もむ)

 

 八十三句目は支考の三回目。

 前句を寒くて手を擦り合わせる仕草として、夜着を着てもなお寒い冬の明方とする。

 「着れば着寒し」という諺と関係があるのか。

 

季語は「寒し」で冬。「幾人」は人倫。「夜着」は衣裳。

 

八十四句目

 

   幾人の着汚つらん夜着寒し

 わすれて替ぬ大小の額      魚光

 (幾人の着汚つらん夜着寒しわすれて替ぬ大小の額)

 

 八十四句目は膳所の魚光の二回目。

 額はこの場合は金額のことであろう。前句を旅体として、銭を持ち歩くと重いので、金銀で持ち歩き、その都度銭に両替するが、それを忘れると細々とした支払いに困ることになる。

 

無季。

 

八十五句目

 

   わすれて替ぬ大小の額

 味噌つきは沙彌に力をあらせばや 楚江

 (味噌つきは沙彌に力をあらせばやわすれて替ぬ大小の額)

 

 八十五句目は楚江の三回目。

 味噌つきは味噌の製造段階で豆を搗くこと。沙彌は所帯を持っている剃髪僧。

 僧というのは労働しないから非力なイメージがあったのだろう。その上金銭にも疎かったりする。味噌搗きくらいが良い運動になる。

 

無季。「沙彌」は人倫。

 

八十六句目

 

   味噌つきは沙彌に力をあらせばや

 かな聾の何か可笑しき      游刀

 (味噌つきは沙彌に力をあらせばやかな聾の何か可笑しき)

 

 八十六句目は游刀の三回目。

 かな聾(つんぼう)は全聾のこと。まあ、「王様ランキング」のボッジのように愛嬌があるということか。非力で味噌搗きも苦手というと、ますますボッジだ。

 障害があっても人を笑わせることで生活していた人は、昔から結構いたのだろう。そうした人たちの仕事を今のポリコレが奪ってゆく。何が本当の人権なのか。

 

無季。「かな聾」は人倫。

 

八十七句目

 

   かな聾の何か可笑しき

 ばらばらと恨之助をとりさがし  風国

 (ばらばらと恨之助をとりさがしかな聾の何か可笑しき)

 

 八十七句目は風国の三回目。

 恨之助はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「恨之介」の解説」に、

 

 「仮名草子。2巻2冊。作者未詳。1612年(慶長17)ごろの成立。慶長(けいちょう)9年6月10日、清水(きよみず)観音の万灯会(まんとうえ)のおり、葛(くず)の恨之介は、関白秀次の家老木村常陸(ひたち)の忘れ形見である雪の前を見初め、仲立ちを通して恋文を送る。恋は成就して一度は契りを結ぶが、恨之介はその後の出会いがままならぬことに耐えかね、最後の文を残して焦がれ死ぬ。雪の前もまたその文を見て悲しみに耐えかねて死に、仲立ちの者たちも後を追って自害する、という筋。物語の展開は中世恋物語の常套(じょうとう)を出ているとはいえないが、当時の風俗や話題、時代の風潮を取り入れた新鮮さによって好評を博し、初期仮名草子の代表作の一つと称するに足る作品となっている。[谷脇理史]

 『前田金五郎校注『日本古典文学大系90 仮名草子集』(1965・岩波書店)』▽『野田寿雄校注『日本古典全書 仮名草子集 上』(1960・朝日新聞社)』」

 

とある。

 恨之助をばらばらととりさがしに行くのは、思の介、恋の介、緑の介、浮世の助という今でいうダチだったようだ。もっとも恨の介は一緒につるまずに、ぼっちを貫いていたようだが。

 恨之助を探せとなった時、かな聾(つんぼう)はこう思ったんだろうな。「言葉が聞こえなければこんなことにならなかったのに。」

 

無季。

 

八十八句目

 

   ばらばらと恨之助をとりさがし

 顔赤うするみりん酒の酔     之道

 (ばらばらと恨之助をとりさがし顔赤うするみりん酒の酔)

 

 八十八句目は之道の四回目。

 料理に用いるみりんはアルコールが入っているので、飲めば酔う。これは「顔に紅葉を散らしける」という下女のことか。

 

無季。

 

八十九句目

 

   顔赤うするみりん酒の酔

 白鳥の鎗を葛屋に持せかけ    探芝

 (白鳥の鎗を葛屋に持せかけ顔赤うするみりん酒の酔)

 

 八十九句目は探芝の三回目。

 白鳥鞘の鑓(やり)は奥平忠昌が徳川家康から拝領したとされる槍で、今は大分中津城に展示されている。

 家康以前には織田信長が所有していたもので、酒欲しさに葛屋(藁ぶき屋根の家)でみりんをせしめて飲むという、「大うつけ」と呼ばれた信長の所作とする。

 信長は酒に弱く、普段は飲まなかったという。まあ、酒豪なら顔を赤くしたりはしない。

 

無季。「葛屋」は居所。

 

九十句目

 

   白鳥の鎗を葛屋に持せかけ

 三河なまりは天下一番      去来

 (白鳥の鎗を葛屋に持せかけ三河なまりは天下一番)

 

 九十句目は去来の四回目。

 三河なまりだから徳川家康の方であろう。

 

無季。

 

九十一句目

 

   三河なまりは天下一番

 飯しゐに内義も出るけふの月   尚白

 (飯しゐに内義も出るけふの月   尚白

 

 九十一句目は尚白の四回目。

 「飯しゐ」はよくわからない。飯を強ふということか。三河なまりの内儀は天下一番とする。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「内義」は人倫。

 

九十二句目

 

   飯しゐに内義も出るけふの月

 巧者に機をみてもらふ秋     囘鳧

 (飯しゐに内義も出るけふの月巧者に機をみてもらふ秋)

 

 九十二句目は膳所の囘鳧の三回目。

 前句の内儀は機織りの巧者で、月を七夕の月とする。

 

季語は「秋」で秋。「巧者」は人倫。

名残裏

九十三句目

 

   巧者に機をみてもらふ秋

 うそ寒き堺格子の窓明り     芝柏

 (うそ寒き堺格子の窓明り巧者に機をみてもらふ秋)

 

 九十三句目は芝柏の五回目。

 堺格子は堺戸格子のことか。鉄砲屋格子とも呼ばれる頑丈な格子戸だという。漏れる明りが少ないので余計に寒く感じられる。

 

季語は「うそ寒き」で秋。「堺格子」は居所。

 

九十四句目

 

   うそ寒き堺格子の窓明り

 文庫をおろす独山伏       土芳

 (うそ寒き堺格子の窓明り文庫をおろす独山伏)

 

 九十四句目は土芳の四回目。

 文庫は書物などを入れる箱のことで、いかつい堺格子にいかつい山伏が付く。

 

無季。「山伏」は人倫。

 

九十五句目

 

   文庫をおろす独山伏

 浮雲も晴て五月の日の長さ    惟然

 (浮雲も晴て五月の日の長さ文庫をおろす独山伏)

 

 九十五句目は惟然の三回目。

 山伏の雲水行脚から浮雲を出す。

 

季語は「五月」で夏。「浮雲」は聳物。

 

九十六句目

 

   浮雲も晴て五月の日の長さ

 海へも近き武庫川の水      丈草

 (浮雲も晴て五月の日の長さ海へも近き武庫川の水)

 

 九十六句目は丈草の四回目。

 武庫川は伊丹や尼崎の方を流れる川で、芭蕉も須磨明石へ行く時は尼崎から船に乗った。中国・九州方面の旅立を思わせる。あるいは芭蕉の見残した西国の旅路に思いを馳せたか。

 

無季。

 

九十七句目

 

   海へも近き武庫川の水

 寮にゐる外より鎖をかけさせて  牝玄

 (寮にゐる外より鎖をかけさせて海へも近き武庫川の水)

 

 九十七句目は牝玄の三回目。

 武庫から兵庫、兵庫寮の連想か。武庫や兵庫が古代に武器庫があったからという説はあるが、さだかでない。

 

無季。

 

九十八句目

 

   寮にゐる外より鎖をかけさせて

 思はぬ状の奥に戒名       支考

 (寮にゐる外より鎖をかけさせて思はぬ状の奥に戒名)

 

 九十八句目は支考の四回目。

 前句の寮をお寺の寮として、渡された書状に戒名が記されていた。

 戒名は今では死んだ人の名前のイメージが強いが、本来は法師として受戒した時に与えられる法名のことだった。

 受戒を認められ、目出度く僧になる。

 

無季。釈教。

 

九十九句目

 

   思はぬ状の奥に戒名

 青天にちりうく花のかうばしく  去来

 (青天にちりうく花のかうばしく思はぬ状の奥に戒名)

 

 九十九句目は去来の五回目。

 前句の戒名を死者の戒名とする。死者に戒名を付ける習慣は室町時代からあったという。

 青空に散る桜の花は無常ではあるが神聖な空気を醸し出し、西行法師の俤も感じさせる。

 なお、芭蕉の戒名は伝わっていない。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   青天にちりうく花のかうばしく

 巣に生たちて千里鶯       正秀

 (青天にちりうく花のかうばしく巣に生たちて千里鶯)

 

 挙句は正秀の五回目。

 千里鶯は杜牧の「江南春望」。

 

   江南春望   杜牧

 千里鶯啼緑映紅 水村山郭酒旗風

 南朝四百八十寺 多少楼台煙雨中

 

 千里鶯鳴いて木の芽に赤い花が映え

 水辺の村山村の壁酒の旗に風

 南朝には四百八十の寺

 沢山の楼台をけぶらせる雨

 

 江南の春の景色の美しさの中、たくさんの鶯が巣立って行く。芭蕉さんの花は散ったが、たくさんの門人がここにいますよというメッセージを込めて、追悼百韻一巻は目出度く満尾する。

 

季語は「鶯」で春、鳥類。