「牛部屋に」の巻、解説

元禄四年七月、京都での興行

初表

 牛部屋に蚊の声よはし秋の風   芭蕉

   下樋の上に葡萄かさなる   路通

 酒しぼる雫ながらに月暮て    史邦

   扇四五本書なぐりけり    丈草

 呉竹に置なをしたる涼床     去来

   蓮の巻葉のとけかかる比   野童

 

初裏

 笈摺もまだ新しくかけつれて   正秀

   遊行の輿をおがむ尊さ    芭蕉

 休み日も瘧ぶるひの顔よはく   路通

   溝汲むかざの隣いぶせき   史邦

 なま乾なる裏打紙をすかし見る  丈草

   いつも露もつ萩の下露    去来

 秋立て又一しきり茄子汁     野童

   薄縁叩く僧堂の月      正秀

 分別の外を書かるる筆のわれ   芭蕉

   瘤につられて浮世さり行   路通

 散時はならねばちらぬ花の色   史邦

   畠をふまるる春ぞくるしき  丈草

 

 

二表

 人心常陸の国は寒かへり     去来

   産月までもかろきおもかげ  野童

 うき事を辻井に語る隙もなし   正秀

   粕買客のかへる衣々     芭蕉

 硝子に減リ際見ゆる薬酒     路通

   橘さけばむかし泣かるる   史邦

 草むらに寝所かゆる行脚僧    丈草

   明石の城の太鼓うち出す   去来

 大かたはおなじやうなる船じるし 野童

   ちからに似せぬ礫かゐなき  正秀

 ゆるされて女の中の音頭取    芭蕉

   藪くぐられぬ忍路の月    路通

 

二裏

 匂ひ水したるくなりて初あらし  史邦

   亦も鼬鼡のこねら逐出す   丈草

 手に持し物見うしなふいそがしさ 去来

   油あげせぬ庵はやせたり   野童

 鶯の花には寝じと高ぶりて    正秀

   柳は風の扶てぞふく     執筆

     参考;『校本芭蕉全集』第四巻(宮本三郎校注、1964、角川書店)

初表

発句

 

 牛部屋に蚊の声よはし秋の風   芭蕉

 

 元禄三年の春、一度は、

 

 草枕まことの花見してもこよ   芭蕉

 

と路通を破門した芭蕉も、翌年には許されたのか京都や膳所の連衆とともに興行を行っている。

 この歌仙もその中の一つだ。

 順番は芭蕉→路通→史邦→丈草→去来→野童→正秀の固定で、路通は常に芭蕉の句に付けることになる。これも嫌われ者の路通への気遣いなのかもしれない。特にうるさそうな去来が来席しているし。多分座席も路通を自分の隣に置き、対角線に去来が座るようにしたのではないかと思う。

 季節はまだ初秋で、匂いのぷんぷん籠るような牛小屋にもさわやかな秋風が吹いて、蚊の声も弱ってきていると、なにやら象徴的な意味があるのかないのか、という句だ。別に路通が蚊だとか去来が蚊だとかそういうことではなくて、いろいろ困難な問題も解決してこの牛小屋にも秋が来たという意味だと思う。

 史邦編の『芭蕉庵小文庫』(元禄九年刊)には、この形で掲載されているが、土芳編の『蕉翁句集』(宝永六年刊)では、

 

 牛部屋に蚊の声暗き残暑哉    芭蕉

 

の形に改められている。

 

季語は「秋の風」で秋。「蚊」は虫類。

 

 

   牛部屋に蚊の声よはし秋の風

 下樋の上に葡萄かさなる     路通

 (牛部屋に蚊の声よはし秋の風下樋の上に葡萄かさなる)

 

 下樋(したひ)は牛小屋に水を引く溝だと思われる。葡萄は自生する山葡萄で、溝の上に垂れ下がり鈴生りになっている。そこには主筆を含めてここの八人が一同に会しているという意味も含まれている。

 江戸中期になると甲州で葡萄の栽培が盛んになり、今日のようなぶどう棚が作られるようになる。

 

 勝沼や馬子も葡萄を食ひながら

 

は芭蕉に仮託されて伝わっているが、「勝沼ふたみ会&jibun de wine project&勝沼文化研究所」のサイトによれば、江戸時代中期の俳人、松木珪琳の句だという。

 

季語は「葡萄」で秋、植物、木類。

 

第三

 

   下樋の上に葡萄かさなる

 酒しぼる雫ながらに月暮て    史邦

 (酒しぼる雫ながらに月暮て下樋の上に葡萄かさなる)

 

 古代には山葡萄で葡萄酒を作ったともいうが、この時代には作られてたかどうかはよくわからない。早稲の米を布袋で発酵させると、そこから雫が垂れてきて、いわゆる「あらばしり」が取れる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

四句目

 

   酒しぼる雫ながらに月暮て

 扇四五本書なぐりけり      丈草

 (酒しぼる雫ながらに月暮て扇四五本書なぐりけり)

 

 酒宴であろう。揮毫を求められた先生もすっかりへべれけになって、扇になんだか分からないようなものを書きなぐっている。

 浦上玉堂が思い浮かぶが、それは一世紀後のこと。元禄の頃にも有名ではないけどこういう人っていたんだろう。

 

無季。

 

五句目

 

   扇四五本書なぐりけり

 呉竹に置なをしたる涼床     去来

 (呉竹に置なをしたる涼床扇四五本書なぐりけり)

 

 呉竹は淡竹(はちく)ともいう。

 前句の扇四五本書く人物を隠士の位として、呉竹越しの風がよく当たるように涼み床を置きなおすとする。

 「涼床(すずみどこ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 夏、暑さを避けて、涼むときに用いる腰をおろす床。水辺の涼み茶屋などに設けられる。涼み台。《季・夏》

 ※俳諧・続境海草(1672)夏『涼み床や水に数かく竹すのこ〈伴重〉』」

 

とある。

 

季語は「涼床」で夏。「呉竹」は植物、草類。

 

六句目

 

   呉竹に置なをしたる涼床

 蓮の巻葉のとけかかる比     野童

 (呉竹に置なをしたる涼床蓮の巻葉のとけかかる比)

 

 野童は去来の弟子。

 蓮の巻き葉は蓮の新芽で、まだ葉が広がる前の状態を言う。「とけかかる」はそれがやがて開くことをいう。

 

季語は「蓮の巻葉」で夏、植物、草類。

初裏

七句目

 

   蓮の巻葉のとけかかる比

 笈摺もまだ新しくかけつれて   正秀

 (笈摺もまだ新しくかけつれて蓮の巻葉のとけかかる比)

 

 「笈摺」は「おいずり」とも「おいずる」とも読む。コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、

 

 「巡礼などが笈を負うとき、衣服の背が擦れるのを防ぐために着る単(ひとえ)の袖なし。おいずる。」

 

とある。

 蓮からお寺、お遍路さんの連想だが、直接言わずに「笈摺」で匂わす。

 

無季。「笈摺」は旅体。

 

八句目

 

   笈摺もまだ新しくかけつれて

 遊行の輿をおがむ尊さ      芭蕉

 (笈摺もまだ新しくかけつれて遊行の輿をおがむ尊さ)

 

 遊行は遊行上人のこととも取れるが、特に誰と言うことでもなく単に諸国を行脚して回る高僧のことを言っているだけなのかもしれない。

 いずれにせよ、まだ発心したばかりの笈摺もまだ新しいお遍路さんが、駆けつけては拝みに来る。

 

無季。「遊行」は釈教。

 

九句目

 

   遊行の輿をおがむ尊さ

 休み日も瘧ぶるひの顔よはく   路通

 (休み日も瘧ぶるひの顔よはく遊行の輿をおがむ尊さ)

 

 「瘧(おこり)」はマラリアのこと。周期的に熱が出るが、熱が出てない日でも顔はやつれて弱々しい。

 『源氏物語』では光源氏がこの病にかかり、

 

 「きた山になん、なにがしでらといふ所に、かしこきおおなひびと侍(はべ)る。こぞの夏もよにおこりて、人人まじなひわづらひしを、やがてとどむるたぐひ、あまた侍(はべ)りき。」

 (北山のなんとか寺という所に霊力のある修行僧がいて、去年の夏も大流行して、多くの人が祈祷しても良くならなかったのがすぐに治ったという例がたくさんある。)

 

と聞いて、あの若紫に出会うことになる。

 

無季。

 

十句目

 

   休み日も瘧ぶるひの顔よはく

 溝汲むかざの隣いぶせき     史邦

 (休み日も瘧ぶるひの顔よはく溝汲むかざの隣いぶせき)

 

 ただでさえマラリアで弱っている所に、隣からはどぶ掃除のいやな匂いの風が吹いてくる。響き付け。

 

無季。

 

十一句目

 

   溝汲むかざの隣いぶせき

 なま乾(ひ)なる裏打紙をすかし見る 丈草

 (なま乾なる裏打紙をすかし見る溝汲むかざの隣いぶせき)

 

 「裏打ち」はウィキペディアには、

 

 「裏打ち(うらうち)とは、水彩画・水墨画・書など掛軸や額装において、裏側にさらに紙や布などを張り、水分と乾燥による起伏をなくしたり丈夫にすること。

 書を掛軸にする場合などで行われる工程のひとつ。本紙(書画が書かれた紙)より大きめの湿らせた和紙に本紙を重ね、霧吹きや刷毛でシワを取り除き、別の裏打ち用の和紙にのりを塗り裏返した本紙に重ねて貼り付け、最初の和紙を取り除く一連の作業を指す。」

 

とある。

 生乾きの紙は向こう側が透けて見えるので、隣の溝汲む風景も見えるということか。わかりにくい付けだ。

 

無季。

 

十二句目

 

   なま乾なる裏打紙をすかし見る

 いつも露もつ萩の下露      去来

 (なま乾なる裏打紙をすかし見るいつも露もつ萩の下露)

 

 露が重なっているのが気になる。「下枝」「下陰」とするテキストもあるという。

 ただ、「萩の下露」は決まり文句で、

 

 秋はなほ夕まぐれこそただならね

     荻の上風萩の下露

            藤原義孝

 

の歌に由来する。別に一句に同じ字を二回使ってはいけないという規則はない。芭蕉にも、

 

    堤より田の青やぎていさぎよき

 加茂のやしろは能き社なり   芭蕉

 

と「やしろ」を二回使っている例がある。

 紙が生乾きなのを秋で露の季節だからという展開なのだろうか。これもわかりにくい。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

十三句目

 

   いつも露もつ萩の下露

 秋立て又一しきり茄子汁    野童

 (秋立て又一しきり茄子汁いつも露もつ萩の下露)

 

 これは萩の下露の季節ということで、立秋と秋茄子を付ける。

 

季語は「秋立」で秋。

 

十四句目

 

   秋立て又一しきり茄子汁

 薄縁叩く僧堂の月       正秀

 (秋立て又一しきり茄子汁薄縁叩く僧堂の月)

 

 「薄縁」は「一泊り」の巻の脇にも登場した。

 

   一泊り見かはる萩の枕かな

 むしの侘音を薄縁の下     蘭夕

 

 コトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、

 

 「藺草(いぐさ)で織った筵(むしろ)に布の縁をつけた敷物。」

 

とある。

 前句の「茄子汁」を僧堂の精進料理とする。月が出たので薄縁の上で寝ている人たちを叩いて起こしたのか。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「僧堂」は釈教。

 

十五句目

 

   薄縁叩く僧堂の月

 分別の外を書かるる筆のわれ  芭蕉

 (分別の外を書かるる筆のわれ薄縁叩く僧堂の月)

 

 「分別」がないということは恋を連想させる。

 これよりあとの元禄七年の「牛流す」の巻に、

 

   朝の月起々たばこ五六ぷく

 分別なしに恋をしかかる    去来

 

の句がある。僧堂の僧が分別もなく恋文を書いたりするが、僧だけに相手は稚児さんか。

 「筆のわれ」は墨がかすれて線が一本でなくなることを言う。

 

無季。恋。

 

十六句目

 

   分別の外を書かるる筆のわれ

 瘤につられて浮世さり行    路通

 (分別の外を書かるる筆のわれ瘤につられて浮世さり行)

 

 前句のお寺の情景を離れ、息子と一緒に出家する母を登場させる。男の分別のない恋に愛想つかして、縁切り寺に駆け込んだか。この辺の人情は路通らしい。

 

無季。

 

十七句目

 

   瘤につられて浮世さり行

 散時はならねばちらぬ花の色  史邦

 (散時はならねばちらぬ花の色瘤につられて浮世さり行)

 

 花は散る時が来れば散るが、散る時でなければ雨が降ろうが風が強かろうが散らない。散るとしたらそれは寿命だ。

 前句の「浮世を去る」を死ぬこととしたか。ならば「瘤」は腫瘍のことか。寿命がなかったとあきらめるしかない。

 

季語は「花」で春、植物、木類。無常。

 

十八句目

 

   散時はならねばちらぬ花の色

 畠をふまるる春ぞくるしき   丈草

 (散時はならねばちらぬ花の色畠をふまるる春ぞくるしき)

 

 前句の悲しげな雰囲気をがらりと変え、花を見に来た人が酔っ払って畠を踏んでゆくマナーの悪さを嘆く。

 

季語は「春」で春。

二表

十九句目

 

   畠をふまるる春ぞくるしき

 人心常陸の国は寒かへり    去来

 (人心常陸の国は寒かへり畠をふまるる春ぞくるしき)

 

 前句の「畠をふむ」を麦踏とする。寒の戻る中での麦踏は苦しい。「寒かへり」は「さえかへり」と読む。

 

季語は「寒かへり」で春。

 

二十句目

 

   人心常陸の国は寒かへり

 産月までもかろきおもかげ   野童

 (人心常陸の国は寒かへり産月までもかろきおもかげ)

 

 「産月」は臨月のこと。常陸国の鹿島神宮は神功皇后が後の応神天皇を出産した際に帯を奉納したとされている。『校本芭蕉全集』第四巻の宮本注にある。

 

無季。

 

二十一句目

 

   産月までもかろきおもかげ

 うき事を辻井に語る隙もなし  正秀

 (うき事を辻井に語る隙もなし産月までもかろきおもかげ)

 

 本当はお産が心配なのだけど、井戸端会議ではついつい強がってしまう。

 

無季。

 

二十二句目

 

   うき事を辻井に語る隙もなし

 粕買客のかへる衣々(きぬぎぬ) 芭蕉

 (うき事を辻井に語る隙もなし粕買客のかへる衣々)

 

 元禄六年冬の「ゑびす講」の巻の十五句目に、

 

   馬に出ぬ日は内で恋する

 絈(かせ)買の七つさがりを音づれて 利牛

 

とある。『評釈炭俵』(幸田露伴、昭和二十七年刊)に、

 

 「絈は『かせ』と訓ます俗字にして、糸未だ染めざるものなれば、糸に従ひ白に従へるなるべし。かせは本は糸を絡ふの具にして、両端撞木をなし、恰も工字の縦長なるが如き形したるものなり。紡錘もて抽きたる糸のたまりて円錐形になりたるを玉といふ。玉を其緒より『かせぎ』即ち略して『かせ』といふものに絡ひ、二十線を一トひびろといひ、五十ひびろを一トかせといふ。一トかせづつにしたるを絈糸といふ。ここに絈といへるは即ち其『かせ糸』なり。絈或は纑のかた通用す。絈糸を家々に就きて買集めて織屋の手に渡すものを絈買とは云ふなり。」(竹内千代子編『「炭俵」連句古註集』、一九九五、和泉書院より。)

 

とある。

 前句の「うき事」を恋に取り成し、粕買客との不倫とする。

 

無季。「衣々」は恋。

 

二十三句目

 

   粕買客のかへる衣々

 硝子(びいどろ)に減リ際見ゆる薬酒 路通

 (硝子に減リ際見ゆる薬酒粕買客のかへる衣々)

 

 ビイドロは当時珍しく、長崎でわずかに作られた物か、そうでなければ西洋か中国から持ち込まれた酒瓶くらいだった。醤油の輸出に大量のケンデル瓶が使われるのは、多分もう少し後のことであろう。路通は筑紫を旅しているが、どこかでビイドロを目にすることがあったのか。

 それに対して江戸時代には様々な薬酒が造られていたようだ。粕買が明け方に返るときにこっそりと薬酒を飲んだのか、だがガラス瓶に入ってたため減っているのがばれてしまう。

 

無季。

 

二十四句目

 

   硝子に減リ際見ゆる薬酒

 橘さけばむかし泣かるる    史邦

 (硝子に減リ際見ゆる薬酒橘さけばむかし泣かるる)

 

 これは『伊勢物語』六十段の本説で、宇佐の使いとして豊前へいった男がかつての妻がそこの役人の妻となっていることを知り、その妻を呼び出して酌をさせ、その時肴となっていた橘を取り、

 

 さつき待つ花たちばなの香をかげば

     むかしの人の袖の香ぞする

 

と詠んだという。

 この歌は「古今集」に詠み人知らずとして収録されている。

 減っている酒に橘がこの物語を思い起こさせる。

 

季語は「橘咲く」で夏、植物、木類。述懐。

 

二十五句目

 

   橘さけばむかし泣かるる

 草むらに寝所かゆる行脚僧   丈草

 (草むらに寝所かゆる行脚僧橘さけばむかし泣かるる)

 

 橘が咲けば悲しくなるから、野宿する場所を変える。

 

無季。「行脚僧」は釈教、旅体。

 

二十六句目

 

   草むらに寝所かゆる行脚僧

 明石の城の太鼓うち出す    去来

 (草むらに寝所かゆる行脚僧明石の城の太鼓うち出す)

 

 明石城は小笠原忠真の築城で、宮本武蔵もここにいたという。ただ、その後改易が相次いで城主が点々と入れ替わり、天和二年に越前家の松平直明が入城し、ようやく落ち着いたという。(ウィキペディア、「明石城」参照)

 明石市教育委員会のサイトによれば、今日の明石神社には明石城太鼓があり、「明石城築城以来太鼓門に置かれ、時刻を知らせていたものです。」とある。

 明石の太鼓の時を告げるのを聞いて、草むらに寝所を定める。

 明石も昔は流刑や左遷の悲劇を詠むことが多かったが、それを今風に「城の太鼓」を詠む。

 

無季。「明石」は名所。

 

二十七句目

 

   明石の城の太鼓うち出す

 大かたはおなじやうなる船じるし 野童

 (大かたはおなじやうなる船じるし明石の城の太鼓うち出す)

 

 明石は廻船の寄港地で、北前船が大坂と蝦夷との間を通っていた。

 コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」の「船印」のところには、

 

 「また近世期膨大な数に上った商船や廻船(かいせん)では、船主の家紋や名前を1、2字使用した模様などが、帆や船尾に掲げる旗に描かれた。」

 

とある。北前船の場合は縦に黒い線を入れたものが多く、それが「大かたはおなじやうなる船じるし」だったのか。

 今日では船首と船尾にその国の旗を掲揚することで、どこの国の船かを識別する。

 

無季。「船じるし」は水辺。

 

二十八句目

 

   大かたはおなじやうなる船じるし

 ちからに似せぬ礫かゐなき   正秀

 (大かたはおなじやうなる船じるしちからに似せぬ礫かゐなき)

 

 これは印地(石合戦)に転じたか。印地はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「 川原などで、二手に分かれて小石を投げ合い勝負を争う遊び。鎌倉時代に盛んで、多くの死傷者が出て禁止されたこともあったが、江戸末期には5月5日の男の子の遊びとなった。石合戦。印地打ち。《季 夏》「おもふ人にあたれ―のそら礫/嵐雪」

 

とある。

 石合戦といってもガチに戦えば死者も出かねないので、平和な江戸時代ではたいていは手加減して行われていたのだろう。

 旗を立てて合戦ぽくしてはいても、結局は同じような旗を立てた日ごろの仲間同士。

 印地は夏の季語だが、ここでは印地の文字はない。

 印地というと、

 

 思う人にあたれ印地のそら礫  嵐雪

 

の句もあるが、これはどこからともなく石が飛んできて、思う人に当たり、「いでっ」と言ってこっちを振り向かないかな、というものか。

 

無季。

 

二十九句目

 

   ちからに似せぬ礫かゐなき

 ゆるされて女の中の音頭取   芭蕉

 (ゆるされて女の中の音頭取ちからに似せぬ礫かゐなき)

 

 「音頭(おんど)」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「民謡などで全体の進行をリードする者,またはその者が独唱する口説 (くどき) 節の名称。建築や踊りなどで,歌や掛声でこれを指揮する者を音頭取りという。江戸時代後期に口説節が流行すると,盆踊りに取入れられ,1人が独唱し,踊り手が囃子詞を斉唱するために,その歌も音頭の名で呼ばれた。もっぱら地名をつけて,河内音頭,江州音頭,伊勢音頭などと呼ぶ。明治以後に作られた新民謡でも,口説でなくともこの名をつけて呼ばれることが多い。」

 

とある。

 今日の盆踊りなどで演奏される音頭はもっぱら明治以降の新民謡で、東京音頭は昭和初期。その前身となるような河内音頭でも江戸後期だから、芭蕉の時代の盆踊りがどういうものかはよくわからない。

 盆踊りは普通に行われて秋の季語だったので、音頭という音楽はなくても導入部を仕切る音頭取りはいて、それも秋の季語になったということだろう。

 女の中に男が一人というのは、なんとも間が悪く、笛吹けども躍らず、いわゆる「なしの礫」ということか。

 

季語は「音頭取」で秋、人倫。

 

三十句目

 

   ゆるされて女の中の音頭取

 藪くぐられぬ忍路の月     路通

 (ゆるされて女の中の音頭取藪くぐられぬ忍路の月)

 

 盆は旧暦七月十五日、満月なので明るくて、こっそり女のもとに通うのには向かない。でも許されて音頭取りになれば堂々と逢いに行ける。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

二裏

三十一句目

 

   藪くぐられぬ忍路の月

 匂ひ水したるくなりて初あらし 史邦

 (匂ひ水したるくなりて初あらし藪くぐられぬ忍路の月)

 

 「匂ひ水」はここでは単に汚れて濁った臭い水のことだろう。「したるく」は湿っぽくということ。「初嵐」は初秋の頃に吹く強い風で、台風の影響によるものだろう。

 台風は「野分」という言葉でも表されるが、普通に「嵐」という言葉で済まされるときもある。台風とそうでない嵐との区別は、組織的な気象観測がなされる前はよくわからなかったのだろう。

 台風が近づき、川の水も濁ってあたり一体がじめじめしてくると、月が出たものの女のもとに忍んでは行かれない。

 

季語は「初あらし」で秋。

 

三十二句目

 

   匂ひ水したるくなりて初あらし

 亦も鼬鼡のこねら逐出す    丈草

 (匂ひ水したるくなりて初あらし亦も鼬鼡のこねら逐出す)

 

 「鼬鼡」はイタチ、「こねら」は子鼠等。イタチはネズミの天敵なので、実りの季節に農作物を守ってくれる。

 そういえばアニメの『ガンバの冒険』のラスボスも、ノロイという巨大なイタチだったか。

 

無季。「鼬鼡」「こねら」は獣類。

 

三十三句目

 

   亦も鼬鼡のこねら逐出す

 手に持し物見うしなふいそがしさ 去来

 (手に持し物見うしなふいそがしさ亦も鼬鼡のこねら逐出す)

 

 「いたちごっこ」という言葉が思い浮かぶが、ウィキペディアには「江戸時代後期に流行った子供の遊び」とある。

 子供の遊びから「いたちごっこ」という言葉が生まれたのか、それともイタチが何度もネズミを追い回すのを見て、子供の遊びよりも前に「いたちごっこ」という言葉があったのか、その辺は定かでない。

 手に持っていたものをふっとどこかに置いて、そのまま忘れてしまい、後で探し回るのはよくあること。特に歳取るとそういうことが増えてくる。何度も同じ事を繰り返していると、それこそイタチが何度もネズミを追い回しているようだ。

 

無季。

 

三十四句目

 

   手に持し物見うしなふいそがしさ

 油あげせぬ庵はやせたり    野童

 (手に持し物見うしなふいそがしさ油あげせぬ庵はやせたり)

 

 油揚げはコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「豆腐を薄く切って油で揚げた食品。江戸時代初期に江戸の町でつくられるようになった。」

 

とある。

 ただ、その豆腐にしても都市部だけで田舎の方では、「一泊り」の巻の十七句目に、

 

   賤が垣ねになやむおもかげ

 豆腐ひく音さへきかぬ里の花   白之

 

とあるように、まだ普及していなかった。

 油揚げを作るための油は明暦の頃には既に擣押木による菜種油の増産が始まっていたようで、庶民でも入手できた。

 そうなると、油揚げを作れるかどうかは豆腐の入手の方にかかっていたのか。

 油揚げは100グラムあたり386カロリーで、豆腐の55カロリーに較べるとかなりの高カロリーになる。それにたんぱく質もたっぷりだから、油揚げを食べている庵の住人は太っていて、ない庵の住人が痩せていたとしても不思議はない。まして忙しい庵ならなおさらだ。

 

無季。「庵」は居所。

 

三十五句目

 

   油あげせぬ庵はやせたり

 鶯の花には寝じと高ぶりて   正秀

 (鶯の花には寝じと高ぶりて油あげせぬ庵はやせたり)

 

 『源氏物語』「若菜上」に、

 

 いかなれば花に木づたふ鴬の

     桜をわきてねぐらとはせぬ

 

の歌がある。光源氏の桜以外のいろいろな花に浮気する高ぶった心を歌ったもので、それを踏まえつつ、僧もあれこれ美食にふけって油揚げを食べないでいると、カロリーが不足して痩せるとする。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「鶯」も春、鳥類。

 

挙句

 

   鶯の花には寝じと高ぶりて

 柳は風の扶てぞふく      執筆

 (鶯の花には寝じと高ぶりて柳は風の扶てぞふく)

 

 まあまあそんな高ぶるのはよしなさい。世の中柳に風が一番ですよと締めくくる。一種の咎めてにはだ。

 「扶て」は「たすけて」と読む。

 

季語は「柳」で春、植物、木類。