「ほととぎす」の巻、解説

貞享二年四月上旬、熱田にて

初表

 ほととぎす爰を西へかひがしへか  如行

   うすうす晴るさみだれの暮   叩端

 萱ふきのわづかな塵を掃もせで   閑水

   人のたからはとしの数なり   芭蕉

 有明に土圭のかげん直し置     桐葉

   植木のかげに今にのこる蚊   東藤

 

初裏

 物ずきは律にかなふて静さよ    工山

   昼がまはればいつも零風    桂楫

 篠竹の虎も居さうな谷つづき    執筆

   はらはらと火うち出は手のさえ 如行

 触事も田舎となればゆるやかさ   叩端

   蜘でのはしのかけつはづしつ  閑水

 恋ぐさを其中将とおもひわび    芭蕉

   かくせば文の袖に重たき    桐葉

 隙明の用は序になりもせず     東藤

   一里までなき産神の森     工山

 散はなを待せて月も山ぎはに    桂楫

   窓から東風のけふもきのふも  叩端

 

 

二表

 あたたかな空は早くもかはる雨   如行

   談義済たる縁のとろとろ    東藤

 挟みては有かと腰の汗ぬぐひ    桐葉

   非人もみやこそだちなりけり  芭蕉

 脱かぬるひとつ羽おりのひとつ紋  閑水

   五寸と書て一寸の雪      如行

 寒梅の床から添る茶の匂ひ     工山

   やかましい日はかねも覚えず  桐葉

 又しても忘れた物を月あかり    芭蕉

   どこやらすごき秋の水音    桂楫

 真くろな石のそばだつ霧の中    叩端

   手前の杖をいただいておく   閑水

 

二裏

 お十二に過た何かの御きようさ   桐葉

   不浄をよける金襴の糸     芭蕉

 釈教も末がすゑ程あじになり    東藤

   治めかねたる儒者の小宅    工山

 六経のはなを古瀬戸に秘蔵せむ   如行

   邪なしとおもへ日ながく    桂楫

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

 ほととぎす爰を西へかひがしへか 如行

 

 ホトトギスは一声を本意とするもので、鳴いたかと思ったらあとはどこへ行ったのだろうか、西だろうか東だろうか、となる。

 寓意としては、去年芭蕉さんがこちらへ見えていると聞きましたが、来ようと思ったら伊勢や伊賀や吉野を旅していて、やっとのことで熱田に戻ってきていると知って、こうして会いに来ましたよ、という意味が込められている。

 ホトトギスの一声は、

 

 夏の夜のふすかとすれば郭公

     なくひとこゑにあくるしののめ

              紀貫之(古今集)

 郭公ひとこゑにあくる夏の夜の

     暁かたやあふこなるらむ

              よみ人しらず(後撰集)

 

などの歌がある。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。

 

 

   ほととぎす爰を西へかひがしへか

 うすうす晴るさみだれの暮    叩端

 (ほととぎす爰を西へかひがしへかうすうす晴るさみだれの暮)

 

 特に寓意は受けずにホトトギスの季節を付ける。

 五月雨の夕暮れ、雨もやみ薄日が差してきました、と答える。

 

 ほととぎす雲路にまどふ聲すなり

     をやみだにせよ五月雨の空

             源経信(金葉集)

 

の心に近い。

 

季語は「五月雨」で夏、降物。

 

第三

 

   うすうす晴るさみだれの暮

 萱ふきのわづかな塵を掃もせで  閑水

 (萱ふきのわづかな塵を掃もせでうすうす晴るさみだれの暮)

 

 茅葺屋根のわずかな塵が落ちていても雨が降っていて掃くこともできず、ようやく日が暮れる頃になって止んできた。

 

無季。

 

四句目

 

   萱ふきのわづかな塵を掃もせで

 人のたからはとしの数なり    芭蕉

 (萱ふきのわづかな塵を掃もせで人のたからはとしの数なり)

 

 何もしなくても年寄りというのは尊いものだ。

 年寄りは智識があるだとか、経験が豊富だから尊いのではない。昔は年を取るまで生きられない人の方が多かったから老人になるまで生きられるのはそれだけ尊いことだった。今で言えば優秀な遺伝子を持っている証しということだ。それは誰しも本能的にわかることで理屈ではない。

 

無季。「人」は人倫。

 

五句目

 

   人のたからはとしの数なり

 有明に土圭のかげん直し置    桐葉

 (有明に土圭のかげん直し置人のたからはとしの数なり)

 

 土圭(とけい)は本来は日時計のことだったが、貞享の頃にはようやく機械式の櫓時計が登場した。

 日時計であれ機械時計であれ、当時は季節による日の長さの違いに応じた不定時法を採用していたので、夜明けの時刻に合わせて文字盤を調整する必要があった。

 そんな面倒くさい時計よりも夜明けより早く起きる老人の方が尊い。

 

季語は「有明」で秋、夜分、天象。

 

六句目

 

   有明に土圭のかげん直し置

 植木のかげに今にのこる蚊    東藤

 (有明に土圭のかげん直し置植木のかげに今にのこる蚊)

 

 前句を日時計とし、日時計の影が時を刻むように植木の影には蚊が移動する。

 

季語は「のこる蚊」で秋、虫類。「植木」は植物、木類。

初裏

七句目

 

   植木のかげに今にのこる蚊

 物ずきは律にかなふて静さよ   工山

 (物ずきは律にかなふて静さよ植木のかげに今にのこる蚊)

 

 律は中国の音階で律と呂がある。律の調べは秋の季語になっているが呂の調べは無季になる。松永貞徳も『俳諧御傘』に、「然ば呂の声春に成べき道理なれど、その沙汰なければ呂の字は雑にして置也。」とある。

 風流を知る「物数寄」は律呂に関してしっかりとした音感を持っている。蚊のようにぶんぶん言ったりはしない。

 

季語は「律にかなふ」で秋。

 

八句目

 

   物ずきは律にかなふて静さよ

 昼がまはればいつも零風     桂楫

 (物ずきは律にかなふて静さよ昼がまはればいつも零風)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注では零は冷だという。昼も過ぎれば風も涼しくなる。湿った空気が吹き飛ばされれば音の響きも良くなり、音楽の演奏にも適してくる。

 『源氏物語』の末摘花巻などを見ても、昔の人は季節による音の伝わり方の違いにかなり敏感だったと思われる。マイクやアンプなどの音を増幅する装置のなかった時代は、同じように楽器演奏をしても、特に屋外に漏れ出て来る楽器の音を聞く時には、はっきりとその違いが認識できたのかもしれない。

 

無季。

 

九句目

 

   昼がまはればいつも零風

 篠竹の虎も居さうな谷つづき   執筆

 (篠竹の虎も居さうな谷つづき

 

 篠は細い竹で密集して生えると奥が見えない。竹林に虎というのはよく画題になるが、虎でも潜んでそうな竹藪だ。

 虎は連歌でも一座一句物で、一種の俳言として扱われていた。

 

   鯨を一桶たびて

 鯨よる島そば過つ君ゆへや

     虎臥す野をも分て帰らん

              三条西実隆(再昌草)

 

の歌なども、正式な和歌というよりは俳諧歌の体だったのだろう。

 

無季。「篠竹」は植物で木類でも草類でもない。「虎」は獣類。「谷」は山類。

 

十句目

 

   篠竹の虎も居さうな谷つづき

 はらはらと火うち出は手のさえ  如行

 (篠竹の虎も居さうな谷つづきはらはらと火うち出は手のさえ)

 

 手が冷えるので火打石を打って、ぱちぱちと細い竹の枝を燃やして暖を取る。

 

季語は「さえ」で冬。

 

十一句目

 

   はらはらと火うち出は手のさえ

 触事も田舎となればゆるやかさ  叩端

 (触事も田舎となればゆるやかさはらはらと火うち出は手のさえ)

 

 江戸町奉行は寛文二年(一六六二年)に左義長や花火を禁止する御触書を出している。江戸は火事が多いのでこういう御触書がたびたび出たようだ。まあ、たびたび出るということは守られてなかったということだが。

 田舎になるとそれほど厳しい御触書もなく、まして手を温めるために焚き火するくらいは問題にならなかったのだろう。

 

無季。

 

十二句目

 

   触事も田舎となればゆるやかさ

 蜘でのはしのかけつはづしつ   閑水

 (触事も田舎となればゆるやかさ蜘でのはしのかけつはづしつ)

 

 「蜘(くも)手」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「[一] (蜘蛛が足を八方に広げた形から) 物が四方八方に分岐したさまをいう。

  ① 川や道などが四方八方に枝分かれしていること。また、その分岐点。

  ※伊勢物語(10C前)九「そこを八橋といひけるは、水ゆく河のくもでなれば、橋を八つわたせるによりてなむ」

  ② 放射状をした物。

  (イ) 木や竹などを打ち違えに組んだ様子。また、その格子、柵の類。

  ※平家(13C前)二「ある障子のうへに、蜘手結うたる所あり」

  (ロ) 橋の梁(はり)、桁(けた)を支えるために、橋脚から斜めに渡した筋交いの支柱。

  ※詞花(1151頃)雑上・二七四「並み立てる松のしづ枝をくもでにてかすみ渡れる天の橋立〈源俊頼〉」

  (ハ) 扇の要(かなめ)と地紙との間の骨が放射状に見える部分。

  ※幸若・なすの与市(室町末‐近世初)「扇をたててはかなめを射るとは申せども、かなめの辺はめづらしからず、くもでの辺をあそばせ」

  (ニ) 鷹や隼(はやぶさ)の部分の名称。あしからあしゆびが分かれている付け根の内側をいう。

  ※養鷹秘抄(15C前か)「くもて」

  (ホ) 照明に用いた灯台、行灯(あんどん)の油皿を支える台。また、手水鉢や水桶などを載せる台。

  ※随筆・貞丈雑記(1784頃)八「切燈台、白木にて上はくも手にして」

  ③ 四方八方に駆け回ること。また、刀や棒などを打ち違えに振り回す動作。→蜘蛛手十文字。

  ※浄瑠璃・平仮名盛衰記(1739)一「我命の続かんだけかたはし撫切(なでぎり)拝打(をがみうち)、くもで、輪違、十文字」

  [二] (「に」を伴って副詞的に用いる)

  ① 四方八方に。八重十文字に。

  ※小大君集(1005頃)「花すすきくもでに人に結ばれていつかとくると待つぞはかなき」

  ② あれこれとさまざまに思案をめぐらすさま。

  ※大和(947‐957頃)二条家本附載「もし男などに具してきたるにやなど、くもでに思ひ乱るるほどに」」

 

と色々な意味があるが、橋だから[一]②の(ロ)の意味であろう。

 街道などで橋が禁止されているところでも、禁令が出るとそのときだけ橋をはずし、しばらくするとまた架けるということを繰り返していたのだろう。

 

無季。「はし」は水辺。

 

十三句目

 

   蜘でのはしのかけつはづしつ

 恋ぐさを其中将とおもひわび   芭蕉

 (恋ぐさを其中将とおもひわび蜘でのはしのかけつはづしつ)

 

 其中将とは在五中将(在原業平)か『源氏物語』の頭中将か。

 前句の「蜘でのはし」を比喩として、[二]②の「くもでに思ひ乱るる」の意味にする。

 

無季。恋。「中将」は人倫。

 

十四句目

 

   恋ぐさを其中将とおもひわび

 かくせば文の袖に重たき     桐葉

 (恋ぐさを其中将とおもひわびかくせば文の袖に重たき)

 

 渡しそびれた恋文を隠す袖が重たい。

 

無季。恋。

 

十五句目

 

   かくせば文の袖に重たき

 隙明の用は序になりもせず    東藤

 (隙明の用は序になりもせずかくせば文の袖に重たき)

 

 「隙明(ひまあき)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 仕事がなくなって暇になる時。閑暇の時。てすきの時。

  ※上杉家文書‐(年月日未詳)(室町後)書札等手本「御隙明御越之時分、懸二御目一可二申入一候」

 

とある。

 仕事のある時は仕事の序(ついで)ということで渡すことのできる恋文でも、仕事のないときにわざわざ渡しに行くと傍輩中にばれてしまう。

 

無季。

 

十六句目

 

   隙明の用は序になりもせず

 一里までなき産神の森      工山

 (隙明の用は序になりもせず一里までなき産神の森)

 

 仕事のないときの神社への用はついでというわけではない。行かなくてはと思うのだが一里にほんのちょっと足りないという距離は微妙で、ついついいつでも行けるという気分になる。

 

無季。神祇。

 

十七句目

 

   一里までなき産神の森

 散はなを待せて月も山ぎはに   桂楫

 (散はなを待せて月も山ぎはに一里までなき産神の森)

 

 花見に行こう行こうと思っているうちについつい花の散る夕暮れになって、機会をのがしてしまった。

 二年後には芭蕉が吉野へ行き、

 

 日は花に暮てさびしやあすならう 芭蕉

 

という句を詠む。楽しいことは先延ばしすべきではない。

 

季語は「散はな」で春、植物、木類。「月」は夜分、天象。「山ぎは」は山類。

 

十八句目

 

   散はなを待せて月も山ぎはに

 窓から東風のけふもきのふも   叩端

 (散はなを待せて月も山ぎはに窓から東風のけふもきのふも)

 

 東風(こち)が花を散らそうと昨日も今日も吹いているけど、山際にいまようやく満月が昇ろうとしている。月の明かりで今日は夜桜がみえる。桜と月は滅多に揃うことはない。この瞬間を待っていた。

 

季語は「東風」で春。

二表

十九句目

 

   窓から東風のけふもきのふも

 あたたかな空は早くもかはる雨  如行

 (あたたかな空は早くもかはる雨窓から東風のけふもきのふも)

 

 春の天気は変わりやすい。

 

季語は「あたたかな」で春。「雨」は降物。

 

二十句目

 

   あたたかな空は早くもかはる雨

 談義済たる縁のとろとろ     東藤

 (あたたかな空は早くもかはる雨談義済たる縁のとろとろ)

 

 お寺で法談を聞いて帰ろうとすると雨が降り出し、しばらく縁側で何をするともなくとろとろとしている。

 

無季。釈教。

 

二十一句目

 

   談義済たる縁のとろとろ

 挟みては有かと腰の汗ぬぐひ   桐葉

 (挟みては有かと腰の汗ぬぐひ談義済たる縁のとろとろ)

 

 法談が終わってゆっくりと縁側で涼もうとして、腰に汗拭が挟んであったかどうかと探る。

 手拭と汗拭いは長さが違い、汗拭いの方が短い。

 「汗ぬぐひ」は曲亭馬琴編『増補 俳諧歳時記栞草』では夏の季語になっている。松永貞徳の『俳諧御傘』では「汗」は無季としていて「汗ぬぐひ」も含まれると思われる。立圃説の『増補はなひ草』にも特に記載はない。「汗」は近代俳句では夏。

 

無季。

 

二十二句目

 

   挟みては有かと腰の汗ぬぐひ

 非人もみやこそだちなりけり   芭蕉

 (挟みては有かと腰の汗ぬぐひ非人もみやこそだちなりけり)

 

 手拭や汗拭いは江戸時代に綿花の栽培が広まることで急速に普及した。ウィキペディアには、

 

 「綿はおもに中国大陸などから輸入され絹より高価であったが、江戸時代初頭の前後に、日本でも大々的に栽培されるようになり普及した。また、用途においても神仏の清掃以外では、神事などの装身具や、儀礼や日除けなどにおいての被り物(簡易の帽子や頭巾)であったとされ、普及するにつれ手拭きとしての前掛けなどの役割を帯びていったと考えられている。」

 

とある。

 貞享の頃はまだ地方にまでは広まってなかったか、汗拭いを腰に下げるのは京都人というイメージがあったのだろう。

 

無季。「非人」は人倫。

 

二十三句目

 

   非人もみやこそだちなりけり

 脱かぬるひとつ羽おりのひとつ紋 閑水

 (脱かぬるひとつ羽おりのひとつ紋非人もみやこそだちなりけり)

 

 非人にもいろいろあり、貧しい非人もいれば裕福な非人もいる。川原乞食だけでなく様々な芸能者、それに歌舞伎役者も非人に含まれていた。紋付の羽織を着ていてもおかしくない。

 

無季。「羽おり」は衣裳。

 

二十四句目

 

   脱かぬるひとつ羽おりのひとつ紋

 五寸と書て一寸の雪       如行

 (脱かぬるひとつ羽おりのひとつ紋五寸と書て一寸の雪)

 

 五寸は積雪十五センチ。寒冷期の時代の名古屋辺りでは普通だったのだろう。「一寸」は「ちと」という読み方もある。今で言うと「ちょっと」になる。五寸のちょっとの雪だけど羽織は脱げない。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

二十五句目

 

   五寸と書て一寸の雪

 寒梅の床から添る茶の匂ひ    工山

 (寒梅の床から添る茶の匂ひ五寸と書て一寸の雪)

 

 五寸の雪の中に咲く寒梅の匂いに、床の方で立てている茶の香りが寄り添う。

 

季語は「寒梅」で冬、植物、木類。

 

二十六句目

 

   寒梅の床から添る茶の匂ひ

 やかましい日はかねも覚えず   桐葉

 (寒梅の床から添る茶の匂ひやかましい日はかねも覚えず)

 

 「やかまし」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「①騒がしい。うるさい。

  出典冥途飛脚 浄瑠・近松

  「はて、やかましい。この忠兵衛をそれほどたはけと思ひやるか」

  [訳] えい、うるさい。この忠兵衛をそんなに愚か者と思うのか。

  ②わずらわしい。めんどうだ。

  出典傾城禁短気 浮世

  「お世話をやかましうおぼし召してのことと」

  [訳] お世話をわずらわしくお思いになってのことだと。◇「やかましう」はウ音便。

  ③厳格だ。厳しい。

  出典浮世風呂 滑稽

  「どのやうにやかましく申しても、折り屈(かが)みが直りませぬ」

  [訳] どのように厳しく申しても、行儀作法が直りません。」

 

とある。基本的にはうるさいということで、前句にやかましさが感じられないところから違え付けであろう。

 いつもは周囲が騒がしくて鐘の音すら聞こえないが、今日は静かで寒梅を眺めて茶を飲む余裕がある。

 

無季。

 

二十七句目

 

   やかましい日はかねも覚えず

 又しても忘れた物を月あかり   芭蕉

 (又しても忘れた物を月あかりやかましい日はかねも覚えず)

 

 前句の「かね」をわざわざ平仮名にしているということは、次の句で取り成しがある。ここではお金を忘れたになる。大体貸した方は覚えていても借りた方は忘れているものだ。

 

季語は「月あかり」で秋、夜分、天象。

 

二十八句目

 

   又しても忘れた物を月あかり

 どこやらすごき秋の水音     桂楫

 (又しても忘れた物を月あかりどこやらすごき秋の水音)

 

 養老の瀧であろう。謡曲『養老』に、

 

 「飲む心よりいつしかに、やがて老をも忘れ水(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.2429-2430). Yamatouta e books. Kindle 版. )」

 

とある。

 

季語は「秋」で秋。

 

二十九句目

 

   どこやらすごき秋の水音

 真くろな石のそばだつ霧の中   叩端

 (真くろな石のそばだつ霧の中どこやらすごき秋の水音)

 

 深山幽谷の水墨画のような景色とする。李白観瀑図を思わせる。

 

季語は「霧」で秋、聳物。

 

三十句目

 

   真くろな石のそばだつ霧の中

 手前の杖をいただいておく    閑水

 (真くろな石のそばだつ霧の中手前の杖をいただいておく)

 

 「手前」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「[一]名詞

  ①自分の目の前。また、こちら側。

  ②体面。

  出典武悪 狂言

  「そなたのてまへ、面目もおりない」

  [訳] あなたに対する体面も、面目もありません。

  ③腕前。技量。

  出典武道伝来記 浮世・西鶴

  「三手の矢五本当たり、ことさらてまへ見事なるに」

  [訳] 六本の矢のうち五本当たり、特に腕前が見事であるが。

  ④暮らし向き。生活。

  出典日本永代蔵 浮世・西鶴

  「てまへのよき親類も、銭銀(ぜにかね)の頼りにはならぬもの」

  [訳] 暮らし向きのよい親類も、金銭面の頼りにはならないものだ。

  ⑤茶を立てること。またその作法。◇ふつう「点前」と書く。

  [二]代名詞

  ①私。自分。

  ②おまえ。▽多く目下の者に対していう。「てめえ」とも。」

 

とある。自分の杖に「いただく」は変なので、ここは自分のすぐ傍にある杖を拝借するという意味だろう。誰のか知らないけど霧のなかだからしょうがない。

 

無季。

二裏

三十一句目

 

   手前の杖をいただいておく

 お十二に過た何かの御きようさ  桐葉

 (お十二に過た何かの御きようさ手前の杖をいただいておく)

 

 前句を自分の杖とすると「いただく」という敬語が変だが、その変な敬語に合わせて「十二を過ぎた何かの教唆」を無理に敬語にする。

 十二歳のお坊ちゃまが何かの御教唆を受けたか自分の杖を盗んでいった。

 

無季。

 

三十二句目

 

   お十二に過た何かの御きようさ

 不浄をよける金襴の糸      芭蕉

 (お十二に過た何かの御きようさ不浄をよける金襴の糸)

 

 不浄には女性の生理の意味もある。前句の「お十二」から良家の娘の初潮とし、金襴の糸を使った丁字帯(ふんどし状のナプキン)を御教唆する。

 

無季。

 

三十三句目

 

   不浄をよける金襴の糸

 釈教も末がすゑ程あじになり   東藤

 (釈教も末がすゑ程あじになり不浄をよける金襴の糸)

 

 「あじになり」は「『あぢけなし』になり」の略か。

 前句をお守りのこととする。仏教も時代が下るにつれ本来の精神を離れてわけのわからないものになり、金襴の糸で作ったお守りなどを販売している。

 もっとも、沢山の僧たちも霞を食って生きているわけではなく、生活のためにお金も必要なのだから、その一つの工夫だと思った方が良いのだろう。お布施だけで足りなければグッズの販売も有りだ。

 

無季。釈教。

 

三十四句目

 

   釈教も末がすゑ程あじになり

 治めかねたる儒者の小宅     工山

 (釈教も末がすゑ程あじになり治めかねたる儒者の小宅)

 

 これは相対付け。釈氏は道を逸脱し、儒者は貧窮にあえぐと対句になる。

 

無季。「儒者」は人倫。「小宅」は居所。

 

三十五句目

 

   治めかねたる儒者の小宅

 六経のはなを古瀬戸に秘蔵せむ  如行

 (六経のはなを古瀬戸に秘蔵せむ治めかねたる儒者の小宅)

 

 古瀬戸はウィキペディアに、

 

 「平安時代末から室町時代中期まで現在の愛知県尾張地方の瀬戸市周辺で生産された陶器類やその様式をいう。」

 

とあり、

 

 「元和2年(1616年)に徳川家康が死去して駿府城内にあった遺品は将軍家と御三家に分配されるが、そのうち尾張徳川家が受け取った分の目録『駿府御分物之内色々御道具帳』(徳川黎明会蔵)には、すでに「瀬戸」と「古瀬戸」の語の使い分けが見える。こんにちでいう「古瀬戸」とは指し示す範囲が異なるものの小堀政一(遠州)『茶人の次第』(水戸徳川家伝来)にも「古瀬戸」の語がみえ、近世初期には「瀬戸」と「古瀬戸」の使い分けが広がっていることが確認できる。」

 

とある。

 「六経(りくけい)」はコトバンクの「百科事典マイペディアの解説」に、

 

 「六芸(りくげい)とも。儒教経典のうち重要な6種。《詩経》《書経》《礼(らい)経》《楽経》《易経》《春秋》。戦国時代にはこの六経が定まっていたとみられる。のち《楽経》《礼経》が亡失。《礼経》を《周礼(しゅらい)》と《礼記》に分かち,《楽経》《礼経》の代りに入れ,六経とした。

→関連項目六芸」

 

とある。

 儒者の小さな家ではあるが六経を古瀬戸の箱に入れて大切にしている。「六経のはな」は似せ物(比喩)の花。

 

無季。

 

挙句

 

   六経のはなを古瀬戸に秘蔵せむ

 邪なしとおもへ日ながく     桂楫

 (六経のはなを古瀬戸に秘蔵せむ邪なしとおもへ日ながく)

 

 儒教の経典を大事にし、孟子の性善説ではないが、この世に邪(よこしま)なことはないものと思いたい。こんな長閑な春の日に。

 前句の「はな」に応じて、春の日長を付けて目出度く終わる。もっとも「しず心なく花は散るらむ」という歌もあるが。

 

季語は「日ながく」で春。