「夜も明ば」の巻、解説

初表

 夜も(あけ)ばけんぺきうたんから(ごろも)   正友(せいゆう)

   ちりけもとより秋風ぞ(ふく)    (しょう)(きゅう)

 (ばけ)もののすむ野の(すすき)穂に出て    一朝(いっちょう)

   毛のはへた手のきりぎりす(なく)  (しょう)()

 大力(だいぢから)ふけゆく月の枕引(まくらびき)       (いっ)(てつ)

   ゑいやゑいやに又かねのこゑ  (ぼく)(せき)

 雲かかる尾上(をのへ)をさして何千余騎   在色(さいしき)

   仮名(けみゃう)実名(じつみゃう)山ほととぎす     志計(しけい)

 

初裏

 お(たづね)を草の(いほり)の帳に見て     (せっ)(さい)

   奉加(ほうが)(かね)大儀(たいぎ)千万(せんばん)      執筆(しゅひつ)

 わる狂ひさとれば同じ(この)世界    松臼

   女房どもをとをくさる事    正友

 手負(ておひ)かと(たち)より見るに股をつき   松意

   恋の重荷の青駄(あをだ)(なり)けり     一朝

 旅衣思ひの山をそろりそろり    卜尺

   一首の趣向うき雲の空     一鉄

 初雁(はつかり)余情(よせい)かぎりに羽をたたき   志計

   大まな板にのする月影     在色

 (みづ)(をけ)に秋こそかよへ御本陣     正友

   いかに面々火用(ひよう)(じん)()用心(ようじん)    雪柴

 (この)所けしからずふく花に風     一鉄

   そりやこそ見たか(じゃ)(やなぎ)の陰   松臼

 

 

二表

 (きえ)やらで罪科(つみとが)ふかき雪女      一朝

   悋気(りんき)つもつて山のしら雲    松意

 (かよ)()は遠き竜田(たつた)の奥座敷     在色

   けふも蜜談さほ鹿の声     卜尺

 あの人にやらふらるまひ(ひめ)(はぎ)を   雪柴

   何百石の秋の野の月      志計

 (なが)むれば道具(ひと)すぢ露(わけ)て     松臼

   はり(つけ)柱まつ風の音      正友

 江戸はづれ磯に波(たつ)むら烏     松意

   御殿山(ごてんやま)より(あけ)ぼのの空     一鉄

 ()(まくら)に掃除坊主の夢を残し     卜尺

   小姓(こしゃう)の帰るあとのおもかげ   一朝

 下帯の伽羅(きゃら)(けぶり)を命にて      志計

   ちやかぼこの声(たえ)(あが)()   在色

 

二裏

 水道や水の水上(みなかみ)崩るらん      正友

   立付(たっつけ)あをる川おろしの風    雪柴

 一駄(いちだ)()下知(げち)して(いは)ク舟に(のれ)    一鉄

   東国(とうごく)(がた)より(いで)商人(あきびと)      松臼

 わらんべをかどはさばやと存じ(そろ)  一朝

   みだれたる世はただ風車    卜尺

 其比(そのころ)寿(じゅ)(えい)の秋の(かげ)(どう)()      在色

   法然(ほうねん)已後(いご)衣手(ころもで)の月      松意

 ()(わたせ)(れい)(がん)(じま)の霧(はれ)て       雪柴

   三俣(みつまた)をゆくふねをしぞ思ふ   志計

 全盛(ぜんせい)を何にたとへん夕涼み     松臼

   仲に名とりの大夫(たいふ)(そめ)きて    正友

 かたばちに花をさかせてぬめりぶし 卜尺

   入日をまねく酒旗(しゅき)の春風    一鉄

 

 

三表

 (つばくら)水村(すいそん)はるかに渡るらん    松意

   川浪たたく()シの捨石(すていし)     一朝

 人柱(めう)の一字にとどまりて     志計

   まじなひの秘事物いはじとぞ  在色

 (たう)()今枝もたははにぶらさがり   正友

   猿手をのばす谷川の月     雪柴

 杣人(そまびと)にたかる(しらみ)の声もなし     一鉄

   やまひの床の縄帯(なはおび)の露     松臼

 鍋底(なべぞこ)にねるやねり湯の(わり)(かゆ)    一朝

   せつかい(もっ)(ゆく)()が子ぞ   卜尺

 さび長刀(なぎなた)()(まろ)殿(どの)に何事か     在色

   やせたれど馬(たて)神垣(かみがき)     松意

 (さん)(せん)は障子のあなたにからりとす  雪柴

   談義の(には)へすでに禅尼の    志計

 

三裏

 ねがはくはかの西方(さいほう)撞木(しもく)(づえ)    松臼

   世は山がらの一飛(ひととび)の夢     正友

 露むすぶ柿ふんどしもわかい時   卜尺

   相撲におゐては信濃(しなの)のたて石  一鉄

 風越山(かざごしやま)(ここ)なる木の根に月(おち)て    松意

   雲は麓にかよふ斧音(をのおと)      一朝

 すは夜盗(やたう)野寺の門に(あさ)(ぼらけ)      志計

   日(ごろ)ためたる金仏(かなぼとけ)あり     在色

 古郷(こきゃう)へは錦のまもり肌に(つけ)て    正友

   田薗(まさ)安堵(あんど)の御判      雪柴

 境杭(さかひぐひ)子々孫々(ししそんそん)(いたる)まで       一鉄

   (ふな)(つき)見する松の大木      松臼

 志賀(しが)の山花(まち)()たる旅行(りょかう)(くれ)    在色

   京都のかすみのこる(すひ)(つつ)    卜尺

 

 

名残表

 (ぢう)の内みなれぬ鳥に雉子(きじ)の声    一朝

   焼野(やけの)見廻(みまひ)いはれぬ事を    松意

 (ぬり)(たれ)に妻もこもりて(つつが)なし     雪柴

   三年味噌の色ふかき中     志計

 この程のかたみの(かさ)()おし(やいと)    松臼

   それ(しゃ)(たて)し末の松山     正友

 仕出しては浪にはなるる舟問屋   卜尺

   (はかり)(さを)に見る(かもめ)(じり)      一鉄

 白鷺(しらさぎ)(かう)(こまか)(わり)くだき      松意

   釜の湯たぎる雪の(あけ)ぼの    在色

 神託に松の嵐もたゆむ(なり)      志計

   岩根にじつと伊勢の三郎    一朝

 夕月夜二見(ふたみ)が浦の(あはび)とり      正友

   波も色なる(はまぐり)の露      雪柴

 

名残裏

 状箱のかざしにさせる萩が花    一鉄

   ようこそきたれ荻の上風(うはかぜ)    松臼

 夕暮の空さだめなき約束に     在色

   日もかさなりてはらむと(いふ)か  卜尺

 そちに(これ)(りょ)宿(しゅく)名残(なごり)小脇指    一朝

   (おち)られまいぞ尋常(じんじゃう)に死ね    松意

 同じくは花に対して(ゑひ)たふれ    雪柴

   麁相(そそう)に鐘を春の日はまだ    志計

 

     参考;『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)

初表

発句

 

 夜も(あけ)ばけんぺきうたんから(ごろも)   正友(せいゆう)

 

 「けんぺき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「痃癖・肩癖」の解説」に、

 

 「① 首すじから肩にかけての筋のひきつるもの。肩凝り。打肩。けんびき。〔文明本節用集(室町中)〕

  ※仮名草子・仁勢物語(163940頃)下「太刀担やい火数多に据へぬれば絶へぬ薬にけんべきもなし」

  ② 肩から首筋にかけての辺り。けんぺきどころ。けんびき。

  ※歌舞伎・鳴神(日本古典全書所収)(1742か)「一帳羅をらりにしたわいの。ほんに、けんぺきまで濡れたわいなう」

  ③ (肩の凝りを治すところから) 按摩(あんま)の術。けんびき。

  ※浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)野崎村「艾(もぐさ)も痃癖(ケンペキ)も大掴みにやってくれ」

  ④ (形動) 思案にくれ肩が凝るほどの心配事。また、心配なさま。けんびき。

  ※雑俳・柳多留‐六(1771)「よし町のけんへきに成るいろは茶や」

 

とある。

 

 夜通し(きぬた)を打っていれば、夜の明ける頃には肩が痛くなるから、肩も叩かなくてはならない。

 「夜も明ば」は『伊勢物語』十四段の陸奥(みちのくに)の女の歌、

 

 夜も明けばきつにはめなでくたかけの

     まだきに鳴きてせなをやりつる

 

の歌に用例がある。夜が明けたら狐に食わすぞ(くそ)(にわとり)まだなのに鳴いて彼氏帰らせ、といったところか。

 

季語は「うたん‥‥衣」で秋。「夜」は夜分。「から衣」は衣裳。

 

 

   夜も明ばけんぺきうたんから衣

 ちりけもとより秋風ぞ(ふく)      (しょう)(きゅう)

 (夜も明ばけんぺきうたんから衣ちりけもとより秋風ぞ吹)

 

 「ちりけもと」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「身柱元」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「ちりげもと」とも) ちりけのあたり。えりくびのあたり。くびすじ。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「夜も明ばけんぺきうたんから衣〈正友〉 ちりけもとより秋風ぞ吹〈松臼〉」

 

とある。前句の肩癖(けんぺき)に応じる。肩癖は片の内側の筋を言い、身柱元(ちりけもと)は肩の外側の襟との間を言う。

 凝った肩の辺りに秋風が吹く。

 (から)(ごろも)に秋風は、

 

 花(すすき)おほかる野辺は(から)ころも

     たもと豊かに秋風ぞ吹く

              (むね)(たか)親王(しんのう)(続古今集)

 唐衣袖も草葉もおしなべて

     秋風吹けば露ぞこほるる

              西園寺(さいおんじ)実兼(さねかね)(続後拾遺集)

 

などの歌がある。

 

季語は「秋風」で秋。

 

第三

 

   ちりけもとより秋風ぞ吹

 (ばけ)もののすむ野の(すすき)穂に出て    一朝(いっちょう)

 (化もののすむ野の薄穂に出てちりけもとより秋風ぞ吹)

 

 前句の襟元の秋風を、幽霊の気配にぞくっとする感覚に取り成す。

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は、

 

 旅人のいる野の(すすき)穂に出て

     袖の数そふ秋風ぞ吹く

              西園寺(さいおんじ)(さね)(うじ)(新後撰集)

 

の歌を引いている。言葉の続き具合をそのまま取っている。

 

季語は「薄」で秋、植物、草類。

 

四句目

 

   化もののすむ野の薄穂に出て

 毛のはへた手のきりぎりす(なく)    (しょう)()

 (化もののすむ野の薄穂に出て毛のはへた手のきりぎりす鳴)

 

 きりぎりすはコオロギのことでコオロギの足には小さな毛がある。ススキの穂の綿毛に応じたものであろう。

 薄にきりぎりすを詠んだ歌は見つからなかったが、薄に虫の音は、

 

 虫の音もほのかになりぬ花薄

     秋の末には霜や置くらむ

              源実朝(みなもとのさねとも)(続古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「きりぎりす」で秋、虫類。

 

五句目

 

   毛のはへた手のきりぎりす鳴

 大力(だいぢから)ふけゆく月の枕引(まくらびき)       (いっ)(てつ)

 (大力ふけゆく月の枕引毛のはへた手のきりぎりす鳴)

 

 大力(だいぢから)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「大力」の解説」に、

 

 「〘名〙 非常に強い力。また、その持主。怪力。だいりき。

  ※平家(13C前)五「互におとらぬ大(ダイ)(高良本ルビ)ぢからなりければ、上になり下になり」

 

とある。

 枕引(まくらびき)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「枕引」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「まくらびき」とも) 木枕の両端を二人が指先でつまんで引き合う遊戯。枕を引き取った方を勝ちとする。まくらっぴき。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「大力ふけゆく月の枕引〈一鐵〉 ゑいやゑいやに又かねのこゑ〈卜尺〉」

 

とある。

 前句の毛の生えた手を枕引きをする怪力男の手とする。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

六句目

 

   大力ふけゆく月の枕引

 ゑいやゑいやに又かねのこゑ    (ぼく)(せき)

 (大力ふけゆく月の枕引ゑいやゑいやに又かねのこゑ)

 

 「かね」と平仮名標記で、明け方の鐘をあえて金と掛けるというのは、枕引きで金をを賭けていたからだろう。

 

無季。

 

七句目

 

   ゑいやゑいやに又かねのこゑ

 雲かかる尾上(をのへ)をさして何千余騎   在色(さいしき)

 (雲かかる尾上をさして何千余騎ゑいやゑいやに又かねのこゑ)

 

 前句を陣鐘とする。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「陣鐘」の解説」に、

 

 「古代、軍防令(ぐんぼうりょう)にある、中国の軍制に倣った「鉦(しょう)」に由来する合図の軍器。軍勢を召集、進退させ、威武のために太鼓、法螺(ほら)貝とともに使用する釣鐘(つりがね)、伏鐘(ふせがね)、銅鑼(どら)などの打ち鐘で、集団戦を主とする戦国時代に普及した。古くは『続日本紀(しょくにほんぎ)』に騎兵を鉦で布陣させた記録があり、令制では官専用の軍器として、鼓、角(大角(はらふえ)・小角(くだぶえ))とともに私蔵を禁じた。中世、寺鐘の臨機の使用はあるが、軍記、絵巻にはみえず、わずかに『蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)』に、蒙古兵が太鼓とともに銅鑼を打つさまがみえる。戦国時代には、指令・示威にさまざまの鐘を打ち鳴らし、城郭内に鐘突(かねつき)堂を設け(『太閤記(たいこうき)』)たり、寺鐘を転用したりして、近世、軍陣専用の陣鐘という呼称を生じた。」

 

とある。

 

無季。「雲」は聳物(そびきもの)。「尾上」は山類。

 

八句目

 

   雲かかる尾上をさして何千余騎

 仮名(けみゃう)実名(じつみゃう)山ほととぎす       志計(しけい)

 (雲かかる尾上をさして何千余騎仮名実名山ほととぎす)

 

 仮名実名はウィキペディアには、

 

 「仮名(けみょう)は、江戸時代以前に諱を呼称することを避けるため、便宜的に用いた通称のこと。」

 

とある。

 江戸時代は名前を幾つも持つのが普通で、近代のいわゆる戸籍上の「本名」の概念はない。諱(いみな)は僧の法名以外は死後用いられるもので、それに対して普通に用いられている名前は仮名になる。

 つまり何千余騎も合戦で死者と生者に分かれてゆき、血反吐見せてなくというホトトギスの恨みの声がする。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。「山」は山類。

初裏

九句目

 

   仮名実名山ほととぎす

 お(たづね)を草の(いほり)の帳に見て     (せっ)(さい)

 (お尋を草の庵の帳に見て仮名実名山ほととぎす)

 

 草庵にも宿帳のようなものがあって、来訪者の名を記していたのか。僧は実名を記す。

 

無季。「庵」は居所。

 

十句目

 

   お尋を草の庵の帳に見て

 奉加(ほうが)(かね)大儀(たいぎ)千万(せんばん)        執筆(しゅひつ)

 (お尋を草の庵の帳に見て奉加の金は大儀千万)

 

 庵の帳を奉加帳とする。お金のことはやはりきちっと管理しなくてはならない。

 

無季。釈教。

 

十一句目

 

   奉加の金は大儀千万

 わる狂ひさとれば同じ(この)世界    松臼

 (わる狂ひさとれば同じ此世界奉加の金は大儀千万)

 

 遊郭に金をつぎ込むのも宗教に金をつぎ込むのも似たようなもの。なのに世間の扱いは全然違う。

 

無季。恋。

 

十二句目

 

   わる狂ひさとれば同じ此世界

 女房どもをとをくさる事     正友

 (わる狂ひさとれば同じ此世界女房どもをとをくさる事)

 

 遊女も女房も、女なんてみんな逃げてくだけさ。

 

無季。恋。「女房ども」は人倫。

 

十三句目

 

   女房どもをとをくさる事

 手負(ておひ)かと(たち)より見るに股をつき   松意

 (手負かと立より見るに股をつき女房どもをとをくさる事)

 

 「股をつき」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』に、「男色の誓約に股を刃物で傷つけること」とある。

 それがバレてともに女房は去って行く。

 

無季。恋。

 

十四句目

 

   手負かと立より見るに股をつき

 恋の重荷の青駄(あをだ)(なり)けり       一朝

 (手負かと立より見るに股をつき恋の重荷の青駄也けり)

 

 青駄はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「箯輿」の解説」に、

 

 「〘名〙 (編板(あみいた)の変化した語)

  ① 長方形の板の回りに竹で編んだ縁をつけた手輿(たごし)。罪人、戦死者、負傷者などを運ぶのに用いた。〔色葉字類抄(117781)〕

  ② 左右に畳表を垂れた、粗末な駕籠(かご)。町駕籠として用いた。

  ※禁令考‐前集・第五・巻四九・寛文五年(1665)二月「町中にて籠あんたに乗候者有之由に候」

 

とある。この場合は①であろう。股を突いて負傷者として青駄で運ばれてゆく。

 

無季。恋。

 

十五句目

 

   恋の重荷の青駄也けり

 旅衣思ひの山をそろりそろり   卜尺

 (旅衣思ひの山をそろりそろり恋の重荷の青駄也けり)

 

 前句の青駄を②の意味に転じる。感傷旅行に出ると失恋の傷が重荷になって、町駕籠もゆっくりになる。

 

無季。恋。旅体。「旅衣」は衣裳。「山」は山類。

 

十六句目

 

   旅衣思ひの山をそろりそろり

 一首の趣向うき雲の空      一鉄

 (旅衣思ひの山をそろりそろり一首の趣向うき雲の空)

 

 前句の「思ひ」を歌を案じているとし、何か浮んで来たのか、それに夢中になってうわの空になる。

 

無季。「うき雲」は聳物。

 

十七句目

 

   一首の趣向うき雲の空

 初雁(はつかり)余情(よせい)かぎりに羽をたたき   志計

 (初雁は余情かぎりに羽をたたき一首の趣向うき雲の空)

 

 「羽をたたき」というのは、

 

 白雲に羽うちかはし飛ぶ雁の

     数さへ見ゆる秋のよの月

              よみ人しらず(古今集)

 

であろう。月呼出しになる。

 

季語は「初雁」で秋、鳥類。

 

十八句目

 

   初雁は余情かぎりに羽をたたき

 大まな板にのする月影      在色

 (初雁は余情かぎりに羽をたたき大まな板にのする月影)

 

 ここで普通に月に行ってしまうと、本歌を三句に跨らせることになる。雁に月の付け合いは残して、俎板に乗せられた雁が暴れている姿とする。

 

季語は「月影」で秋、夜分、天象。

 

十九句目

 

   大まな板にのする月影

 (みづ)(をけ)に秋こそかよへ御本陣     正友

 (水桶に秋こそかよへ御本陣大まな板にのする月影)

 

 大まな板から大量の料理を作る大名行列などの宿泊する御本陣とし、月影の中を水桶もそこに通う、とする。

 

季語は「秋」で秋。

 

二十句目

 

   水桶に秋こそかよへ御本陣

 いかに面々火用(ひよう)(じん)()用心(ようじん)      雪柴

 (水桶に秋こそかよへ御本陣いかに面々火用心火用心)

 

 御本陣でボヤ騒ぎがあったか、水桶で何とか消し止め、みんなを集めて火の用心を戒める。

 

無季。

 

二十一句目

 

   いかに面々火用心火用心

 (この)所けしからずふく花に風     一鉄

 (此所けしからずふく花に風いかに面々火用心火用心)

 

 風が強いと早く類焼するので火の用心を訴える。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

二十二句目

 

   此所けしからずふく花に風

 そりやこそ見たか(じゃ)(やなぎ)の陰     松臼

 (此所けしからずふく花に風そりやこそ見たか蛇柳の陰)

 

 (じゃ)(やなぎ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「蛇柳」の解説」に、

 

 「[] 高野山の奥の院へ通じる道の渓流のほとりにあったという柳の木。弘法大師の法力でヘビが化身したものという。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「此所けしからずふく花に風〈一鉄〉 そりゃこそ見たか蛇柳の陰〈松臼〉」

 

とある。

 風が吹けば柳の枝が暴れて蛇のようになる。

 

季語は「柳」で春、植物、木類。

二表

二十三句目

 

   そりやこそ見たか蛇柳の陰

 (きえ)やらで罪科(つみとが)ふかき雪女      一朝

 (消やらで罪科ふかき雪女そりやこそ見たか蛇柳の陰)

 

 柳の陰に幽霊というのは柳が境界を表すという意味があったのだろう。ここでは(じゃ)(やなぎ)の陰で現れるのは雪女になる。

 この時代ではなくもう少し後の貞享二年刊の洛下旅館著『宗祇諸国物語』では、二月のやや雪の溶けた頃、東の方の一反ほどの竹薮の北の端に背丈一丈(約3メートル)の肌が透き通るように白く、白い一重の着物を着た美女の姿を見た話が収録されている。

 近づくと消えてしまい、光だけが残って辺りを照らし、やがて暗くなっていった。

 それだけの話で、これといった物語があったわけではない。当時の人の雪女のイメージは、後の日本昔話的なストーリーはなく、単なる目撃談だけで終わる都市伝説に近いものだったのだろう。

 宗祇が越後で稀に見る大雪に見舞われたことは宗長の『宗祇終焉記』にもあり、ネタ元になっていたのだろう。

 柳は土地の境界に植えられたり、門の前に植えられたり、境界を示す木という性質を持っているから、それが現実と異界との境にもなって、怪異が起るというのは、昔の人の自然な発想だったのだろう。『宗祇諸国物語』では二月の真ん中、つまり仲春であり、東の方角に雪女が現れる。これは十二支では卯の方角で、柳は木偏に卯と書く。東は夜明けの方角であり卯の刻は夜と朝との境になる。竹薮と光はかぐや姫のパターンを引きずっている。

 そういうわけで前句の蛇柳に雪女は自然な発想だったと言える。本来ならすぐ消えてしまう雪女も、蛇の化身の蛇柳の雪女だから、罪業が深くて成仏できないでいる。

 

季語は「消え‥‥雪」で春、降物。

 

二十四句目

 

   消やらで罪科ふかき雪女

 悋気(りんき)つもつて山のしら雲      松意

 (消やらで罪科ふかき雪女悋気つもつて山のしら雲)

 

 雪の積もるに掛けて、嫉妬心も積もり積もって山の白雲のようにあたりを白く包み込む。前句の罪科を嫉妬によるものとする。

 

無季。恋。「山」は山類。「しら雲」は聳物。

 

二十五句目

 

   悋気つもつて山のしら雲

 (かよ)()は遠き竜田(たつた)の奥座敷     在色

 (通い路は遠き竜田の奥座敷悋気つもつて山のしら雲)

 

 前句の山の白雲を龍田山の奥の白雲とする。

 

 葛城(かつらぎ)高間(たかま)の桜咲きにけり

     竜田の奥にかかる白雲

              寂蓮(新古今集)

 

の歌を本歌とする。

 葛城山は仁徳天皇が他に女を作ったことに嫉妬して、葛城山の高宮に籠って仁徳天皇にあうことを拒んだという記紀に描かれた物語も踏まえていて、ここではその葛城の高宮が竜田の奥座敷に移動している。

 

無季。恋。「竜田」は名所、山類。「奥座敷」は居所。

 

二十六句目

 

   通い路は遠き竜田の奥座敷

 けふも蜜談さほ鹿の声      卜尺

 (通い路は遠き竜田の奥座敷けふも蜜談さほ鹿の声)

 

 蜜談は密談の事。竜田山の奥では鹿が密談している。「奥座敷」というのはしばしば密談に使われたのだろう。

 竜田にさほ鹿は、

 

 竜田山峰のもみぢ葉散りはてて

     嵐に残るさを鹿の声

              寂蓮(夫木抄)

 

などの歌がある。

 

季語は「鹿」で秋、獣類。恋。

 

二十七句目

 

   けふも蜜談さほ鹿の声

 あの人にやらふらるまひ(ひめ)(はぎ)を   雪柴

 (あの人にやらふらるまひ姫萩をけふも蜜談さほ鹿の声)

 

 萩は鹿の妻だと和歌には詠まれている。

 

 秋萩の咲くにしもなど鹿の鳴く

     うつろふ花はおのが妻かも

              能因(後拾遺集)

 宮城のの萩や牡鹿の妻ならん

     花さきしより声の色なる

              (ふじ)原基(わらのもと)(とし)(千載集)

 

などの歌がある。

 家のヒメハギをあの牡鹿にやるかやらないか、鹿が密談している。

 

季語は「姫萩」で秋、植物、草類。恋。「あの人」は人倫。

 

二十八句目

 

   あの人にやらふらるまひ姫萩を

 何百石の秋の野の月       志計

 (あの人にやらふらるまひ姫萩を何百石の秋の野の月)

 

 箱根の仙石原はウィキペディアに、

 

 「仙石原のことを、古くは「千穀原」とも書いた。地名の由来については複数の説があり、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名、豊臣秀吉の最古参家臣仙石秀久に由来する説や、源頼朝が雄大な原野を眺めて「この地を開墾すれば米千石はとれるだろう」と言ったのを由来とする説などがある。」

 

とある。この秋の野も開墾すれば何百石にもなる。萩の姫君はそんな薄が原に嫁がせるべきか否か。

 

季語は「秋の野の月」で秋、夜分、天象。

 

二十九句目

 

   何百石の秋の野の月

 (なが)むれば道具(ひと)すぢ露(わけ)て     松臼

 (詠むれば道具一すぢ露分て何百石の秋の野の月)

 

 道具はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「道具」の解説」に、

 

 「① 仏道修行のための三衣一鉢など六物(ろくもつ)、十八物、百一物などといった必要品。また、密教で、修法に必要な法具をいう。仏家の器具。〔御請来目録(806)〕 〔梵網経菩薩戒本疏‐六〕

  ② 物を作ったり仕事をはかどらせたりするために用いる種々の用具。また、日常使う身の回りの品々。調度。

  ※讚岐典侍(1108頃)上「ひるつかたになるほどに、道具などとりのけて、皆人人、うちやすめとておりぬ」

  ③ 武家で槍。また、その他の武具。

  ※狂歌・新撰狂歌集(17C前)下「ゆうさいより長原殿へ当麻のやりををくられける時 お道具をしぜんたえまに持せつつおもひやりをぞ奉りける」

  ④ 身体にそなわっている種々の部分の称。

  ※虎寛本狂言・三人片輪(室町末‐近世初)「某は道具も有り合点が行まい。何共合点の行ぬ躰じゃ」

  ⑤ 能狂言や芝居の大道具・小道具。

  ※わらんべ草(1660)一「面、いしゃう、其外の道具も、まへかどにこしらへおくべし」

  ⑥ 他の目的のために利用されるもの。また、他人に利用される人。

  ※俳諧・雑談集(1692)上「もと付合(つけあひ)の道具なるを、珍しとおもへるは、未練なるべし」

 

とある。この場合は③で、何百石の殿様の行列が通り、槍持ちが露払いをする。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

三十句目

 

   詠むれば道具一すぢ露分て

 はり(つけ)柱まつ風の音        正友

 (詠むれば道具一すぢ露分てはり付柱まつ風の音)

 

 「はり(つけ)」は磔(はりつけ)のこと。前句の槍を刑場で死刑を執行する槍とする。

 

無季。「松風」は植物、木類。

 

三十一句目

 

   はり付柱まつ風の音

 江戸はづれ磯に波(たつ)むら烏     松意

 (江戸はづれ磯に波立むら烏はり付柱まつ風の音)

 

 刑場には死体に群がる鴉が集まってくる。鈴ヶ森刑場は昔は東京湾のすぐそばだった。

 

無季。「むら鳥」は鳥類。

 

三十二句目

 

   江戸はづれ磯に波立むら烏

 御殿山(ごてんやま)より(あけ)ぼのの空       一鉄

 (江戸はづれ磯に波立むら烏御殿山より明ぼのの空)

 

 御殿山は鈴ヶ森よりは北のJR品川駅の方になる。太田道灌の館があったところで、ここもかつては海に近かった。

 

無季。「御殿山」は山類。

 

三十三句目

 

   御殿山より明ぼのの空

 ()(まくら)に掃除坊主の夢を残し     卜尺

 (木枕に掃除坊主の夢を残し御殿山より明ぼのの空)

 

 木枕はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「木枕」の解説」に、

 

 「① 木でつくった枕。籾殻(もみがら)などを布で包んだ円筒状のものを木製の台の上にのせて用いたものをもいった。箱枕。こまくら。《季・夏》

  ※虎明本狂言・枕物狂(室町末‐近世初)「ことわりや枕の跡よりこひのせめくれば、やすからざりし身のきゃうらんは、きまくらなりけり」

  ※俳諧・毛吹草(1638)五「ぬる鳥の木枕なれや花の枝〈作者不知〉」

  ② 江戸時代、楊弓場で、矢を立てるのに使用した台。

  ※雑俳・柳多留‐二七(1798)「矢をひろっては木枕へ立て出し」

 

とある。木の台に乗せた円筒状の枕は身分のある人の使うもので、前句の御殿に応じる。

 掃除坊主が勝手に主人の枕で寝ちゃったんだろう。一時お殿様になった夢を見る。

 

無季。「掃除坊主」は人倫。

 

三十四句目

 

   木枕に掃除坊主の夢を残し

 小姓(こしゃう)の帰るあとのおもかげ     一朝

 (木枕に掃除坊主の夢を残し小姓の帰るあとのおもかげ)

 

 掃除坊主は小姓と一夜を伴にし、小姓は朝になって帰って、俤だけがの枕に残る。

 

無季。恋。「小姓」は人倫。

 

三十五句目

 

   小姓の帰るあとのおもかげ

 下帯の伽羅(きゃら)(けぶり)を命にて      志計

 (下帯の伽羅の烟を命にて小姓の帰るあとのおもかげ)

 

 小姓の下帯には伽羅の烟が炊き込んであった。

 

無季。恋。「下帯」は衣裳。

 

三十六句目

 

   下帯の伽羅の烟を命にて

 ちやかぼこの声(たえ)(あが)()     在色

 (下帯の伽羅の烟を命にてちやかぼこの声絶し揚り場)

 

 ちゃかちゃかはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ちゃかちゃか」の解説」に、

 

 「〘副〙 (「と」を伴って用いることもある) 動作に落ち着きがなく、さわがしいさまを表わす語。また、言動が派手でにぎやかなさまをもいう。

 ※縮図(1941)〈徳田秋声〉素描「ちゃかちゃかしないで落着いてゐるのよ」

 

とあり、ぼこぼこはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ぼこぼこ」の解説に、

 

 「[1] 〘副〙 (「と」を伴って用いることもある)

  ① 中空のものをたたく音を表わす語。

  ② 水が泡立って流れたり、水中から物が浮き上がる音やさまを表わす語。また、連続して物や事が生じたり、押し寄せて来たりするさまを表わす語。

※落語・阿七(1890)〈三代目三遊亭円遊〉「『覚悟は宜()いか』と念仏諸共(もろとも)隅田川へザブーリと飛込んで、此奴が、情死(しんじう)と来て土左衛門がボコボコ浮上り」

  ③ 咳の音を表わす語。

  ※面影(1969)〈芝木好子〉二「絵を描きながらぼこぼこ咳をしていたが」

  ④ ゆっくりと歩く音、また、そのさまを表わす語。

  ※熊の出る開墾地(1929)〈佐左木俊郎〉「馬車はぼこぼこと落葉の上を駛(はし)った」

  ⑤ くぼみや穴がたくさんあるさまを表わす語。

  ※犬喧嘩(1923)〈金子洋文〉一「店にぢっと坐って、ふけのやうな塵埃(ほこり)で白くてぼこぼこした街路を眺めてゐることは」

 

とある。

 当時のサウナ風呂であろう。風呂場は騒がしい音がするが、揚り場に出ると皆一心に体を拭いたり着物を着たりして静かになる。

 

無季。

二裏

三十七句目

 

   ちやかぼこの声絶し揚り場

 水道や水の水上(みなかみ)崩るらん      正友

 (水道や水の水上崩るらんちやかぼこの声絶し揚り場)

 

 江戸の低地では井戸を掘っても水に塩分があるため、早くから水道が整備された。それが水上の方で崩れたりすると泥水が入り込んだり、水が来なくなったり大変なことになる。さっきまで賑わっていた風呂場もみんないなくなってしまった。

 

無季。「水上」は水辺。

 

三十八句目

 

   水道や水の水上崩るらん

 立付(たっつけ)あをる川おろしの風      雪柴

 (水道や水の水上崩るらん立付あをる川おろしの風)

 

 川の方から強い風が吹いてきて、建付けの悪い扉がバタバタする。川上の水道が心配だ。

 

無季。「川」は水辺。

 

三十九句目

 

   立付あをる川おろしの風

 一駄(いちだ)()下知(げち)して(いは)ク舟に(のれ)    一鉄

 (一駄荷の下知して曰ク舟に乗立付あをる川おろしの風)

 

 一駄荷はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「一駄荷」の解説」に、

 

 「〘名〙 一頭の馬につける定量の荷物。江戸時代、伝馬制での本馬は一駄四〇貫目(一六〇キログラム)、軽尻は一駄二〇貫目とされていた。普通の一駄荷は、四斗俵の米二俵(三二貫目)。一駄。

  ※仮名草子・東海道名所記(165961頃)二「ふなちんは、一駄荷(ダニ)ののりかけは料足十五疋なり」

 

とある。

 伝馬(てんま)で荷物を運ぶように命じた役人が、川おろしの風に船の方が早く着くと見て舟に乗せるように命令を変更しに来る。荒々しく戸を開け閉めするあたりは役人風(やくにんかぜ)というべきか。

 

無季。旅体。「舟」は水辺。

 

四十句目

 

   一駄荷の下知して曰ク舟に乗

 東国(とうごく)(がた)より(いで)商人(あきびと)        松臼

 (一駄荷の下知して曰ク舟に乗東国方より出し商人)

 

 前句を偉そうにふるまう商人として、こういうのは大阪商人ではなく吾妻者(あづまもの)やな、となる。

 

無季。旅体。「商人」は人倫。

 

四十一句目

 

   東国方より出し商人

 わらんべをかどはさばやと存じ(そろ)  一朝

 (わらんべをかどはさばやと存じ候東国方より出し商人)

 

 これは謡曲『自然(じねん)居士(こじ)』の本説で、

 

 「かやうに(そうろお)(もの)は、東国方(とおごくがた)(ひと)商人(あきびと)にて候。われこの(たび)都に(のぼ)り、数多(あまた)人を買ひ取りて 候。又十四五(じうしご)ばかりなる女を買ひ取りて候が、昨日(きのお)少しの(あいだ)(いとま)()ひて(そおろお)程にやりて候が、(いま)だ帰らず候。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2484). Yamatouta e books. Kindle .

 

から取っている。

 

無季。「わらんべ」は人倫。

 

四十二句目

 

   わらんべをかどはさばやと存じ候

 みだれたる世はただ風車     卜尺

 (わらんべをかどはさばやと存じ候みだれたる世はただ風車)

 

 児童誘拐のまかり通る世はまさに乱世。

 風車は、

 

 人住まぬ不破の関屋の板廂(いたびさし)

     荒れにしのちはただ秋の風

              藤原(ふじわらの)(よし)(つね)(新古今集)

 

の「秋の風」を童だから「ただ風車」に変える。実質「秋風」の抜けと見ていい。

 この歌は保元(ほうげん)(らん)以降の乱世を象徴する歌でもあった。

 今では乱世というと戦国時代のイメージだったが、王朝を中心とした昔の歴史観では、王朝時代の終わり、武家政治の始まりが乱世だった。

 王朝時代の皇位継承は整然と規則にのっとったもので、後継争いで血なまぐさい事件が起きることもなく、ただ皇子へ娘を嫁がせるための恋の争いにすぎなかった。

 皇族の生活が税を基本として荘園の収入をプラスするだけの物で、安定していたのに対し、武家は所領からの収入で生活していて、その所領を相続をめぐって絶えず血で血を洗う相続争いが起きていた。

 思うに平安時代の平和が荘園開発による右肩上がりの経済に支えられていたのに対し、こうした開墾事業が飽和状態になった頃から、他人の所領を暴力で奪う事件が多くなり、それが武家の台頭ということになったのではないかと思う。

 その武家も子孫が増えればそれだけ多くの所領を必要とするものの、農地そのものの絶対面積はこれ以上増やせない状態だったため、戦争が常態化する乱世に陥っていった。

 

無季。

 

四十三句目

 

   みだれたる世はただ風車

 其比(そのころ)寿(じゅ)(えい)の秋の(かげ)(どう)()      在色

 (其比は寿永の秋の影灯籠みだれたる世はただ風車)

 

 乱世の始まりということで治承(じしょう)寿(じゅ)(えい)(らん)ということになる。寿永二年の秋は木曽義仲が入洛した頃になる。

 くるくる回る影灯籠は風車のように目まぐるしく、まさに走馬灯だ。

 

季語は「秋」で秋。「影灯籠」は夜分。

 

四十四句目

 

   其比は寿永の秋の影灯籠

 法然(ほうねん)已後(いご)衣手(ころもで)の月        松意

 (其比は寿永の秋の影灯籠法然已後の衣手の月)

 

 法然も寿永の時代を生きた人だった。

 衣手の月は、

 

 衣手はさむくもあらねど月影を

     たまらぬ秋の雪とこそ見れ

              紀貫之(後撰集)

 

あるいは、

 

 月見れば衣手寒し更科や

     姨捨山の嶺の秋風

              源実朝(みなもとのさねとも)(続千載集)

 

だろうか。

 まあとにかく寿永以降の乱世は、心も寒いということ。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。釈教。「衣手」は衣裳。

 

四十五句目

 

   法然已後の衣手の月

 ()(わたせ)(れい)(がん)(じま)の霧(はれ)て       雪柴

 (見渡ば霊岸嶋の霧晴て法然已後の衣手の月)

 

 江戸の霊岸島には浄土宗の(れい)(がん)の建立した霊巌寺があったが、明暦三年(一六五七年)の大火で深川に移転した。

 

季語は「霧」で秋、聳物。「霊岸島」は水辺。

 

四十六句目

 

   見渡ば霊岸嶋の霧晴て

 三俣(みつまた)をゆくふねをしぞ思ふ     志計

 (見渡ば霊岸嶋の霧晴て三俣をゆくふねをしぞ思ふ)

 

 三俣は隅田川から東に小名木川、西に箱崎川が分かれる所で船が盛んに行き来していた。後に芭蕉庵もこの近くに建てられることになる。

 前句の霧から、

 

 ほのぼのとあかしの浦の朝霧に

     島隠れゆく舟をしぞ思ふ

              柿本人麻呂(和漢朗詠集)

 

の歌を本歌として「ゆくふねをしぞ思ふ」と結ぶ。

 

無季。「ふね」は水辺。

 

四十七句目

 

   三俣をゆくふねをしぞ思ふ

 全盛(ぜんせい)を何にたとへん夕涼み     松臼

 (全盛を何にたとへん夕涼み三俣をゆくふねをしぞ思ふ)

 

 三俣を多くの船が行き交い、今まさに天下繁栄の全盛期を迎えている。この辺りの河辺は夕涼みに来る人も多い。

 

季語は「夕涼み」で夏。

 

四十八句目

 

   全盛を何にたとへん夕涼み

 仲に名とりの大夫(たいふ)(そめ)きて      正友

 (全盛を何にたとへん夕涼み中に名とりの大夫染きて)

 

 今を時めく遊女の大夫がやってきて、その夕涼みする姿は何に喩えん。

 

無季。恋。「大夫」は人倫。

 

四十九句目

 

   中に名とりの大夫染きて

 かたばちに花をさかせてぬめりぶし 卜尺

 (かたばちに花をさかせてぬめりぶし中に名とりの大夫染きて)

 

 「かたばち」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「片撥」の解説」に、

 

 「① 太鼓などの一対の撥のうちの一方。また、それで打つこと。能楽で太鼓の特殊な打ち方として、右手の撥だけで太鼓を打つこと。

  ※俳諧・玉海集(1656)付句下「一にぎりある夕立の雲 かたはちで太皷うつほど神鳴て〈貞徳〉」

  ※浮世草子・男色大鑑(1687)二「今春太夫が舞に、清五良が鞁(つづみ)、又右衛門がかた撥(バチ)、いづれか天下芸」

  ② 三味線の奏法の名称。撥の片面だけで弾くもので、すくうことをしない方法。テレン、トロンなどと、弾いてすぐすくう諸撥(もろばち)に対していう。片撥節(かたばちぶし)

  ③ 江戸初期の流行歌(はやりうた)の一つ。寛永(一六二四‐四四)の頃から遊里で流行した。

  ※仮名草子・ぬれぼとけ(1671)中「かたばち もろきは露と誰がいひそめた我身も草におかぬばかりよ よし野」

  [2] 三味線組歌の曲名。()②を取り入れて、組歌風に作り直した曲。破手片撥(はでかたばち)。」

 

とある。この場合は②であろう。片撥の華やかな演奏に乗せてぬめり節を謡う。

 ぬめり節はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「滑歌」の解説」に、

 

 「① 江戸時代、明暦・万治(一六五五‐六一)のころ、遊里を中心に流行した小歌。「ぬめり」とは、当時、のらりくらりと遊蕩する意の流行語で、遊客などに口ずさまれたもの。ぬめりぶし。ぬめりこうた。

  ※狂歌・吾吟我集(1649)序「今ぬめり哥天下にはやること、四つ時・九つの真昼になん有ける」

  ② 歌舞伎の下座音楽の一つ。主に傾城の出端に三味線、太鼓、すりがねなどを用いて歌いはやすもの。

  ※歌舞伎・幼稚子敵討(1753)口明「ぬめり哥にて、大橋、傾城にて出る」

 

とある。

 

季語は「花」で春、植物、木類。恋。

 

五十句目

 

   かたばちに花をさかせてぬめりぶし

 入日をまねく酒旗(しゅき)の春風      一鉄

 (かたばちに花をさかせてぬめりぶし入日をまねく酒旗の春風)

 

 早く日が暮れて夜にならないかなと、酒の旗をはためかせ、三味線にぬめり節を唄って客を待っている。

 酒旗の春風は言わずとしてた、

 

   江南春望   杜牧

 千里鶯啼緑映紅 水村山郭酒旗風

 南朝四百八十寺 多少楼台煙雨中

 

 千里鶯鳴いて木の芽に赤い花が映え

 水辺の村山村の壁酒の旗に風

 南朝には四百八十の寺

 沢山の楼台をけぶらせる雨

 

の詩による。

 

季語は「春風」で春。「入日」は天象。

三表

五十一句目

 

   入日をまねく酒旗の春風

 (つばくら)水村(すいそん)はるかに渡るらん    松意

 (燕や水村はるかに渡るらん入日をまねく酒旗の春風)

 

 酒旗に水村が()(ぼく)の詩の縁で付く。

 春風に燕も渡ってくる。

 

季語は「燕」で春、鳥類。「水村」は水辺。

 

五十二句目

 

   燕や水村はるかに渡るらん

 川浪たたく()シの捨石(すていし)       一朝

 (燕や水村はるかに渡るらん川浪たたく出シの捨石)

 

 ()シはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「出」の解説」に、

 

 「① 城の一種。出城(でじろ)、出丸(でまる)のこと。

  ※立入左京亮入道隆佐記(17C前)「城の大手のだしにおき申女房にて候故」

  ② 建物などの外に張り出しているもの。

  ※言継卿記‐永祿一二年(1569)四月二日「又南巽之だしの磊出来、只今東之だし沙二汰之一」

  ③ 指物(さしもの)などの棹(さお)の頭につける飾り物。

  ※雑兵物語(1683頃)下「指物のまっ先に出しと云物が有。旦那が出しはさかばやしだぞ」

  ④ 端午の飾り鎧(よろい)の上などに付ける経木(きょうぎ)や厚紙の装飾。

  ※日葡辞書(160304)「ホロノ daxi(ダシ)

  ⑤ =だしかぜ(出風)

  ※物類称呼(1775)一「越後にて東風をだしといふ」

  ⑥ =だしじる(出汁)

  ※大草家料理書(16C中‐後か)「生白鳥料理は〈略〉味噌に出を入て、かへらかして、鳥を入候也」

  ⑦ 自分の利益や都合のために利用する人や物事。方便。口実。だしに使う。

  ※浄瑠璃・右大将鎌倉実記(1724)一「旦那の病気を虚託(ダシ)にして栄耀ぢゃな」

  ⑧ 「だしがい(出貝)」の略。

  ※雍州府志(1684)七「合レ貝為二遊戯一〈略〉右貝称レ地而並二床上一左貝称レ出(ダシ)毎二一箇一而出二置中央之隙地一」

  ⑨ (「かきだし(書出)」の略) 請求書。勘定書。

  ※雑俳・川柳評万句合‐天明八(1788)満二「げせぬ事めでたくかしくだしへ書き」

  ⑩ 邦楽の用語で、「唄い出し」「語り出し」の略。現在はあまり使われない。」

 

とある。捨石(すていし)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「捨石」の解説」に、

 

 「① 道ばたや、野や山にころがっている、誰も顧みない岩石。また、平生直接の用には立たないが、おかれている石。

  ※俳諧・七柏集(1781)雲中庵興行「市の七日に手帋七度〈柳苔〉 馬繋ぐ捨石ひとつ軒の下〈蓼太〉」

  ② 築庭で、風致を添えるために程よい場所にすえておく石。

  ※俳諧・宗因七百韵(1677)「扨こそ清水の流れ各別〈禾刀〉 落滝津山石捨石物数奇に〈如見〉」

  ③ 堤防、橋脚などの工事で、水底に基礎を造り、堤防の崩壊を防ぎ、また水勢をそぐために水中に投入する石。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「川浪たたく出しの捨石〈一朝〉 人柱妙の一字にとどまりて〈志計〉」

  ④ 歌舞伎の大道具の一つ。戸外の場の舞台に置いておく石の作り物。

  ※歌舞伎・小袖曾我薊色縫(十六夜清心)(1859)五立「武太夫捨石へ腰をかけ」

  ⑤ 囲碁で、より以上の効果を得るために、わざと相手に取らせる石。シボリ、シメツケ、目欠きの筋などでよく用いられる。

  ※家(191011)〈島崎藤村〉下「碁で言へば、まあ捨石だ。俺が身内を助けるのは、捨石を打ってるんだ」

  ⑥ 今すぐには効果はなく、むだなように見えるが、将来役に立つことを予想してする投資や予備的行為など。

  ※浮世草子・けいせい伝受紙子(1710)一「大身も事に臨で命を捨石(ステイシ)

  ※故旧忘れ得べき(193536)〈高見順〉一〇「残した足跡は小さかったにしても、彼も地固めのための捨石になったとは言ひ得るだらう」

  ⑦ 鉱山で、採掘、掘進などの際に捨てられる無価値の岩石。ぼた。廃石。」

 

とある。②の建物に水害を防ぐ炒めの③が置かれている。水村にありがちな風景であろう。

 

無季。「川浪」は水辺。

 

五十三句目

 

   川浪たたく出シの捨石

 人柱(めう)の一字にとどまりて     志計

 (人柱妙の一字にとどまりて川浪たたく出シの捨石)

 

 人柱(ひとばしら)は今で言えば都市伝説に属するもので、その存在をうわさされているにすぎない。

 そういった一つの伝説で、あの捨石は人柱の跡で、水害が絶えなかった所をある高僧が自ら人柱になって、その妙の一字にその後ぱったり水害が起こらなくなった、といった類の話であろう。大阪の長柄の橋の人柱の話は今は、廃曲になっている謡曲『長柄(ながら)』でよく知られていた。

 

無季。

 

五十四句目

 

   人柱妙の一字にとどまりて

 まじなひの秘事物いはじとぞ   在色

 (人柱妙の一字にとどまりてまじなひの秘事物いはじとぞ)

 

 人柱のことは秘密にしておけ、ということ。

 

無季。

 

五十五句目

 

   まじなひの秘事物いはじとぞ

 (たう)()今枝もたははにぶらさがり   正友

 (桃李今枝もたははにぶらさがりまじなひの秘事物いはじとぞ)

 

 前句を豊作祈願の秘事とした。花咲(はなさか)じじい的なものか。

 

季語は「桃李」で秋、植物、木類。

 

五十六句目

 

   桃李今枝もたははにぶらさがり

 猿手をのばす谷川の月      雪柴

 (桃李今枝もたははにぶらさがり猿手をのばす谷川の月)

 

 猿が水面の月を取ろうとする図は伝統絵画の定番の画題で、かなわぬ望みを抱くことを喩えている。桃李がたわわに実っているのに、それでも月を欲しがるとは。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「猿」は獣類。「谷川」は山類。

 

五十七句目

 

   猿手をのばす谷川の月

 杣人(そまびと)にたかる(しらみ)の声もなし     一鉄

 (杣人にたかる虱の声もなし猿手をのばす谷川の月)

 

 前句を「猿手をのばす」で切る。

 猿が手を伸ばして山の木こりの虱を取ってくれるので虱は声もない。谷川の月は単なる背景になる。

 

季語は「虱」で秋、虫類。「杣人」は山類、人倫。

 

五十八句目

 

   杣人にたかる虱の声もなし

 やまひの床の縄帯(なはおび)の露       松臼

 (杣人にたかる虱の声もなしやまひの床の縄帯の露)

 

 縄帯はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「縄帯」の解説」に、

 

 「〘名〙 縄を帯の代用として腰に巻くこと。また、そのもの。

  ※浮世草子・好色二代男(1684)二「二十四五なる男、布地の柿染に、縄帯(ナワオビ)をして」

 

とある。

 病気で死にかけていると虱も逃げて行く。

 

季語は「露」で秋、降物。「縄帯」は衣裳。

 

五十九句目

 

   やまひの床の縄帯の露

 鍋底(なべぞこ)にねるやねり湯の(わり)(かゆ)    一朝

 (鍋底にねるやねり湯の割の粥やまひの床の縄帯の露)

 

 割の粥はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「割の粥」の解説」に、

 

 「細かくひき割った米で作った粥。主として、病人の食事に用いる。〔日葡辞書(160304)〕」

 

とある。粒すらない完全な流動食になる。

 ねり湯はコトバンクの「和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典「練り湯」の解説」に、

 

 「懐石で最後に出す、湯の子が入り薄い塩味のついた湯。本来は飯を炊いた釜の底に残った焦げ飯に湯を注いで作る(「取り湯」という)が、米をいったものを軽く煮て作る(「焦がし湯」という)こともある。「焦げ湯」ともいう。湯桶(ゆとう)に入れて出されるので「湯桶」ともいう。」

 

とある。韓国のヌルンジ(누룽지)はお茶同様の日常の飲み物になっている。

 病人に食べさせるためにお焦げを細かく砕いて割の粥にする。

 

無季。

 

六十句目

 

   鍋底にねるやねり湯の割の粥

 せつかい(もっ)(ゆく)()が子ぞ     卜尺

 (鍋底にねるやねり湯の割の粥せつかい持て行は誰が子ぞ)

 

 「せつかい」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「切匙・狭匙・刷匙」の解説」に、

 

 「① 飯杓子(めししゃくし)の頭を縦に半切りにしたような形のもの。擂鉢(すりばち)の内側などに付いたものをかき落とすのに用いる。うぐいす。せかい。〔日葡辞書(160304)〕

  ※浄瑠璃・長町女腹切(1712頃)中「用意摺子鉢(すりこばち)・せっかい・摺子木(すりこぎ)しゃにかまへ」

  ② 一種の鉾(ほこ)や薙刀(なぎなた)の小さなもの。〔日葡辞書(160304)〕」

 

とある。

 割の粥を上から掬わないで、鍋の横や底にこびりついている塊を剥がして食おうとする。まあ、頭が良いというか。

 

無季。「誰が子」は人倫。

 

六十一句目

 

   せつかい持て行は誰が子ぞ

 さび長刀(なぎなた)()(まろ)殿(どの)に何事か     在色

 (さび長刀木の丸殿に何事かせつかい持て行は誰が子ぞ)

 

 ()(まろ)殿(どの)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「木丸殿」の解説」に、

 

 「[1] 〘名〙 削ったりみがいたりしない質素な丸木造りの宮殿。黒木造りの御所。とくに福岡県朝倉郡朝倉町にあった斉明天皇の行宮のこと。きのまるどの。

  ※神楽歌(9C後)明星・朝倉「〈本〉朝倉や 支乃万呂止乃(キノマロドノ) 我が居れば 〈末〉我が居れば 名宣りをしつつ 行くは誰」

  [2] (()の「神楽歌」の例を「新古今和歌集」では天智天皇の作としており、その歌にちなんでいう) 天智天皇の異称。

  ※雑俳・柳多留‐八四(1825)「曲りなり木の丸殿の御造営」

 

とある。

 

 朝倉や木の丸殿に我が居れば

     名乗りをしつつ行は誰が子ぞ

              天智天皇(新古今集)

 

の歌をいう。

 前句の「誰が子ぞ」にこの歌を本歌にして付ける。

 前句の(せっ)(かい)を錆び落としに用いたか。

 木の丸殿が長刀の錆を落とすのに切匙を持って来させる。

 

無季。

 

六十二句目

 

   さび長刀木の丸殿に何事か

 やせたれど馬(たて)神垣(かみがき)       松意

 (さび長刀木の丸殿に何事かやせたれど馬立し神垣)

 

 「いざ鎌倉」ならぬ「いざ木の丸殿」にする。

 神垣は、

 

 神垣は木の丸殿にあらねども

     名乗りをせねば人咎めけり

              藤原(ふじわらの)(のぶ)(のり)(金葉集)

 

の縁による。

 

無季。神祇。「馬」は獣類。

 

六十三句目

 

   やせたれど馬立し神垣

 (さん)(せん)は障子のあなたにからりとす  雪柴

 (散銭は障子のあなたにからりとすやせたれど馬立し神垣)

 

 障子の向こうの神馬にお賽銭をする。「あなた」は彼方の意味。

 

無季。神祇。

 

六十四句目

 

   散銭は障子のあなたにからりとす

 談義の(には)へすでに禅尼の      志計

 (散銭は障子のあなたにからりとす談義の場へすでに禅尼の)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、

 

 「北条時頼の母、松下禅尼が、障子の切り張りをして倹約を教えた故事。」

 

とある。

 前句の散銭を散財として、「障子の穴だに」に取り成す。散財しないように障子の穴を自分でからりと張って直す。

 

無季。釈教。「禅尼」は人倫。

三裏

六十五句目

 

   談義の場へすでに禅尼の

 ねがはくはかの西方(さいほう)撞木(しもく)(づえ)    松臼

 (ねがはくはかの西方へ撞木杖談義の場へすでに禅尼の)

 

 談義の庭に取っ手のT字になった杖を突いてやって来た禅尼は、西方浄土へ行くことを願う。

 

無季。釈教。

 

六十六句目

 

   ねがはくはかの西方へ撞木杖

 世は山がらの一飛(ひととび)の夢       正友

 (ねがはくはかの西方へ撞木杖世は山がらの一飛の夢)

 

 (やま)(がら)は籠で飼われて宙返りなどの芸を仕込まれる。元禄五年秋の「青くても」の巻十一句目に、

 

   翠簾にみぞるる下賀茂の社家

 寒徹す山雀籠の中返り      嵐蘭

 

の句がある。籠の中の止まり木を撞木杖に見立てて、ここから出て飛び立つことを夢見る。

 

季語は「山がら」で秋、鳥類。

 

六十七句目

 

   世は山がらの一飛の夢

 露むすぶ柿ふんどしもわかい時  卜尺

 (露むすぶ柿ふんどしもわかい時世は山がらの一飛の夢)

 

 山雀はお腹と首が柿色なので、その形から柿ふんどしと言われていた。延宝六年春の「さぞな都」の巻七十一句目に、

 

   日用をめして夕顔の宿

 山がらのかきふんどしに尻からげ 信徳

 

の句がある。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注には「遊治郎が結んだ」とある。

 (ゆう)治郎(やらう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「遊冶郎」の解説」に、

 

 「〘名〙 酒色におぼれ道楽にふける男。放蕩者。遊び人。道楽者。

  ※文明論之概略(1875)〈福沢諭吉〉三「又去年の謹直生は今年の遊冶郎に変じて其謹直の跡をも見ずと雖ども」 〔李白‐采蓮曲〕」

 

とある。

 

季語は「露」で秋、降物。「ふんどし」は衣裳。

 

六十八句目

 

   露むすぶ柿ふんどしもわかい時

 相撲におゐては信濃(しなの)のたて石    一鉄

 (露むすぶ柿ふんどしもわかい時相撲におゐては信濃のたて石)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は「長野県。つるし柿が有名」とある。

 前句の柿ふんどしを相撲のまわしとして、老いた相撲取が信濃の地で亡くなったとする。

 立石はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「立石」の解説」に、

 

 「① 庭などに飾りとしてまっすぐ立てるように置いた石。横石に対していう。

  ※宇津保(970999頃)楼上上「たていしどもは、さまざまにて反橋のこなたかなたにあり」

  ② 墳墓の標石。道しるべに立ててある石。

※読本・椿説弓張月(180711)続「石碣(タテイシ)地に埋れて、虎豹の臥せるがごとし」

 

とある。

 

季語は「相撲」で秋。

 

六十九句目

 

   相撲におゐては信濃のたて石

 風越山(かざごしやま)(ここ)なる木の根に月(おち)て    松意

 (風越山爰なる木の根に月落て相撲におゐては信濃のたて石)

 

 長野県飯田市にある風越山は歌枕で、

 

 風越を夕越えくれば郭公

     麓の雲の底に鳴くなり

              藤原(ふじわらの)(きよ)(すけ)(千載集)

 白妙の雪吹き下ろす風越の

     峰より出る冬の夜の月

              藤原清輔(続後撰集)

 

などの歌に詠まれている。

 相撲は月夜などに行われる。前句の相撲取はかつて風越山で相撲を取っていた。今はこの根っこに月が沈むかのように、そこに立石が立っている。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「風越山」は名所、山類。「木の根」は植物、木類。

 

七十句目

 

   風越山爰なる木の根に月落て

 雲は麓にかよふ斧音(をのおと)        一朝

 (風越山爰なる木の根に月落て雲は麓にかよふ斧音)

 

 前句の木の根に麓の木こりの斧の音を付ける。

 

無季。「雲」は聳物。「麓」は山類。

 

七十一句目

 

   雲は麓にかよふ斧音

 すは夜盗(やたう)野寺の門に(あさ)(ぼらけ)      志計

 (すは夜盗野寺の門に朝朗雲は麓にかよふ斧音)

 

 野寺に斧の音がして、夜盗が来たかと思ったら、もう夜が明ける頃で木こりが通う時間になっていた。

 

無季。釈教。「夜盗」は夜分。

 

七十二句目

 

   すは夜盗野寺の門に朝朗

 日(ごろ)ためたる金仏(かなぼとけ)あり       在色

 (すは夜盗野寺の門に朝朗日比ためたる金仏あり)

 

  金仏(かなぼとけ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「金仏」の解説」に、

 

 「〘名〙 銅などの金属で造った仏像。かなぶつ。

  ※史記抄(1477)一一「瑚璉は〈略〉宗廟の器で貴い物なれども、余の処へは不用ものぞ。よい金仏と云と同ものぞ。別の用には不立ぞ」

  ※仮名草子・都風俗鑑(1681)二「そんりゃうのかり小袖にて、金仏(カナボトケ)のごとく荘厳して」

 

とある。貯めたる金に金仏と掛詞になる。あのお寺の坊さんはお金をためて立派な銅の仏像を買ったことが噂になって、夜盗が嗅ぎつけてきた。

 

無季。釈教。

 

七十三句目

 

   日比ためたる金仏あり

 古郷(こきゃう)へは錦のまもり肌に(つけ)て    正友

 (古郷へは錦のまもり肌に付て日比ためたる金仏あり)

 

 「故郷に錦を飾る」という言葉は今でもよく用いられるが、謡曲『(さね)(もり)』に、

 

 「(むね)(もり)(こう)に申すやう故郷(こきょお)へは錦を着て、帰るといへる本文(ほんもん)あり。実盛生国(しょおこく)は、越前の者にて候ひしが、近年、御領(ごりょお)に附けられて、武蔵の長井に居住(きょぢう)(つかまつ)り候ひき。この(たび)北国(ほツこく)に、(まか)(くだ)りて候はば、定めて、討死(つかまつ)るべし。老後の思出(おもいで)これに過ぎじ御免(ごめん)あれと望みしかば、赤地(あかぢ)の錦の直垂(ひたたれ)(くだ)(たま)はりぬ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.903). Yamatouta e books. Kindle .

 

とある。これも本文とあるから何かの引用だったのだろう。かなり古い言葉だったようだ。

 ここでは前句の金仏は比喩であろう。たくさん貯めた金を仏に喩え、そのお守りの錦を着て故郷に錦を飾る。

 

無季。旅体。

 

七十四句目

 

   古郷へは錦のまもり肌に付て

 田薗(まさ)安堵(あんど)の御判        雪柴

 (古郷へは錦のまもり肌に付て田薗将に安堵の御判)

 

 安堵(あんど)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「安堵」の解説」に、

 

 「① (━する) 垣の内に安んじて居ること。転じて、土地に安心して住むこと。家業に安んずること。また、安住できる場所。

  ※続日本紀‐和銅二年(709)一〇月庚戌「比者、遷レ都易レ邑。揺二動百姓一。雖レ加二鎮撫一、未レ能二安堵一」

  ※古今著聞集(1254)一二「其より八幡にも安堵せずなりて、かかる身と成りにけるとぞ」 〔史記‐高祖紀〕

  ② (━する) 心の落ち着くこと。安心すること。

  ※保元(1220頃か)下「今度の合戦、思ひのほか早速に落居して、諸人安堵のおもひをなして」

  ※寛永刊本蒙求抄(1529頃)三「功をないた者には所領を取せいと云付るぞ。群臣━まうあんとぢゃと云ふたぞ」

  ③ (━する) 中世、幕府や戦国大名が御家人・家臣の所領の領有を承認すること。特に、親から受けついだ所領の承認を本領安堵という。

  ※吾妻鏡‐治承四年(1180)一〇月二三日「或安二堵本領一。或令レ浴二新恩一」

  ※太平記(14C後)三五「所帯に安堵(あんト)したりけるが、其恩を報ぜんとや思ひけん」

  ④ 以前本人またはその父祖が領有していた土地を取り戻すこと。〔日葡辞書(160304)〕

  ⑤ 「あんどじょう(安堵状)」の略。

  ※上杉家文書‐明徳四年(1393)一一月二八日・足利義満安堵下文「去永徳二年十二月廿六日所レ給安堵紛失云々」

 

とある。

 「田薗将に」は陶淵明の『帰去来辞』の「田園將蕪胡不歸」を本説として陶淵明の隠棲とする。

 ただ、陶淵明もちゃんと保証された所領を持っていてそこに引き籠るのだから、当然③の意味の本領安堵なのだろう。

 

無季。

 

七十五句目

 

   田薗将に安堵の御判

 境杭(さかひぐひ)子々孫々(ししそんそん)(いたる)まで       一鉄

 (境杭子々孫々に至まで将に安堵の御判)

 

 幕府の安堵の判のある所領なら、この領地の境界線の杭も子々孫々に至るまで安泰だろう。

 

無季。

 

七十六句目

 

   境杭子々孫々に至まで

 (ふな)(つき)見する松の大木        松臼

 (境杭子々孫々に至まで舟着見する松の大木)

 

 木を境杭の代りとするのはよくあることだったのだろう。第五百韻「くつろぐや」の巻四十九句目にも、

 

   庄屋九代のすへの露霜

 花の木や抑これはさかい杭    在色

 

の句がある。ここでは船を止める杭の代りに用いられている松の木になっている。

 

無季。「船着」は水辺。「松」は植物、木類。

 

七十七句目

 

   舟着見する松の大木

 志賀(しが)の山花(まち)()たる旅行(りょかう)(くれ)    在色

 (志賀の山花待得たる旅行の暮舟着見する松の大木)

 

 志賀の山は散る花を詠むことが多い。

 

 嵐吹く志賀の山辺のさくら花

     散れば雲井にさざ浪ぞたつ

              三条(さんじょう)公行(きんゆき)(千載集)

 春風に志賀の山越え花散れば

     峰にぞ浦の浪はたちける

              藤原(ふじわらの)(ちか)(たか)(千載集)

 

などの歌がある。三井寺(みいでら)の後にある(なが)等山(らやま)をいう。

 「待ち得たる旅行の暮」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『兼平(かねひら)』の、

 

 ワキ:船待ち得たる旅行(りょこお)の暮。

 シテ:かかる(をり)にも近江(おおみ)の海の、

 シテ・ワキ:矢橋(やばせ)を渡る舟ならば、それは旅人(りょじん)(わたし)(ぶね)なり。

 (野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.918). Yamatouta e books. Kindle .

 

を引いている。前句を志賀の矢橋(やばせ)の船着き場として、(なが)等山(らやま)の花見客がやってくる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。旅体。「志賀の山」は名所、山類。

 

七十八句目

 

   志賀の山花待得たる旅行の暮

 京都のかすみのこる(すひ)(つつ)      卜尺

 (志賀の山花待得たる旅行の暮京都のかすみのこる吸筒)

 

 (すひ)(つつ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「吸筒」の解説」に、

 

 「〘名〙 酒や水などを入れて持ち歩いた、竹筒または筒型の容器。水筒。

  ※俳諧・鷹筑波(1638)二「さとりて見ればからき世の中 すひ筒に酒入てをくぜん坊主〈時之〉」

 

とある。空の水筒には京都の霞が入っている。

 

季語は「かすみ」で春、聳物。

名残表

七十九句目

 

   京都のかすみのこる吸筒

 (ぢう)の内みなれぬ鳥に雉子(きじ)の声    一朝

 (重の内みなれぬ鳥に雉子の声京都のかすみのこる吸筒)

 

 雉は元禄七年の「松風に」の巻二十三句目に、

 

   陽気(やうき)をうけてつよき椽げた

 (さいはい)(れう)(はじめ)(きじ)うちて      (せつ)()

 

のように狩猟の対象となっていたから、食用にもなっていた。許六の『俳諧(はいかい)問答(もんどう)』にも、

 

 「火鉢の焼火に並ぶ壺煎

といふ処に遊ぶ。雉子かまぼこを焼たる跡ハ、かならず一献を待。」

 

とある。

 ただ、なかなか食べられるものでもなく、京で食事をしたら見慣れぬ鳥が出てきて、雉ではないかと盛り上がるところなのだろう。

 

季語は「雉子」で春、鳥類。

 

八十句目

 

   重の内みなれぬ鳥に雉子の声

 焼野(やけの)見廻(みまひ)いはれぬ事を      松意

 (重の内みなれぬ鳥に雉子の声焼野の見廻いはれぬ事を)

 

 雉に焼野は、「焼野の雉夜の鶴」という諺の縁で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「焼野の雉夜の鶴」の解説」に、

 

 「雉は巣を営んでいる野を焼かれると、わが身を忘れて子を救おうと巣にもどり、巣ごもる鶴は霜などの降る寒い夜、自分の翼で子をおおうというところから、親が子を思う情の切なることのたとえにいう。焼野の雉。夜の鶴。

  ※謡曲・丹後物狂(1430頃)「焼け野の雉夜の鶴、梁(うつばり)の燕に至るまで、子ゆゑ命を捨つるなり」

 

とある。

 「いはれぬ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「言ぬ」の解説」に、

 

 「① 言ってはならない。筋の通らない。わけのわからない。むちゃな。

  ※竹取(9C末‐10C初)「国王の仰せごとを、まさに世に住み給はん人の承(うけたまはり)たまはでありなんや。いはれぬことなし給ひそ」

  ※無名抄(1211頃)「この難はいはれぬ事なり。たとひ新しく出来たりとても、必ずしもわろかるべからず」

  ② 言わなくてもよい。余計な。無用の。いわれざる。

  ※寛永刊本蒙求抄(1529頃)二「かふある時は、本書と蒙求がちがうたと云て、なをさうもいわれぬことぞ」

 

とある。

 雉も焼野の見回りに来て撃たれてしまったか。余計のことをして。

 

季語は「焼野」で春。

 

八十一句目

 

   焼野の見廻いはれぬ事を

 (ぬり)(たれ)に妻もこもりて(つつが)なし     雪柴

 (塗垂に妻もこもりて恙なし焼野の見廻いはれぬ事を)

 

 (ぬり)(たれ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「塗垂」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「ぬりだれ」とも) 土蔵からひさしを出して塗家(ぬりや)にしたもの。〔易林本節用集(1597)〕

  ※俳諧・類柑子(1707)上「西北にならべる塗垂の間に一株の柳あり」

 

とある。塗家造りはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「塗家造」の解説」に、

 

 「〘名〙 外壁を土や漆喰で厚く塗り、柱を塗り込んだ家の造り。また、その家。防火用の建築。

  ※歌舞伎・月梅薫朧夜(花井お梅)(1888)二幕「本舞台四間塗家造(ヌリヤヅクリ)、上手三間常足の二重六枚飾り」

 

とある。

 焼野になったところに見舞いに来たが、防火建築の中に籠っていたので無事だった。余計なことだったか。

 

無季。恋。「妻」は人倫。

 

八十二句目

 

   塗垂に妻もこもりて恙なし

 三年味噌の色ふかき中      志計

 (塗垂に妻もこもりて恙なし三年味噌の色ふかき中)

 

 塗家造(ぬりやづくり)の家に妻とずっと籠っていれば、三年味噌のように熟成した仲になる。

 

無季。恋。

 

八十三句目

 

   三年味噌の色ふかき中

 この程のかたみの(かさ)()おし(やいと)    松臼

 (この程のかたみの瘡気おし灸三年味噌の色ふかき中)

 

 (かさ)()は梅毒のこと。三年連れ添った女は梅毒を残して死んでしまった。

 

無季。恋。哀傷。

 

八十四句目

 

   この程のかたみの瘡気おし灸

 それ(しゃ)(たて)し末の松山       正友

 (この程のかたみの瘡気おし灸それ者を立し末の松山)

 

 それ(しゃ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「其者」の解説」に、

 

 「① その道によく通じている人。専門家。くろうと。

  ※仮名草子・可笑記(1642)五「此のたぐひかならずすきき過して、それしゃのやうになる物なり」

  ② (特に、くろうとの女の意で) 遊女。芸者。娼婦。商売女。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「この程のかたみの瘡気おし灸〈松臼〉 それ者を立し末の松山〈正友〉」

  [語誌]その道の専門家の意だが、特に遊里の遊びに慣れていて、その道によく通じた、いわゆる「粋人(すいじん)」を指していうことが多い。「評・色道大鏡‐一」には、「粋(すい)」「和気(ワケ)しり」も同意と説明がある。」

 

とある。

 形見に末の松山は、

 

 ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ

     末の松山波こさじとは

              清原元(きよはらのもと)(すけ)(後拾遺集)

 

で、百人一首でも知られている。

 遊女との別れの形見に梅毒をもらったとする。

 

無季。恋。「末の松山」は名所、山類。

 

八十五句目

 

   それ者を立し末の松山

 仕出しては浪にはなるる舟問屋  卜尺

 (仕出しては浪にはなるる舟問屋それ者を立し末の松山)

 

 仕出しは多義で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「仕出」の解説」に、

 

 「① 作り出すこと。趣向をこらすこと。また、そのもの。工夫。流行。新案。

  ※わらんべ草(1660)二「一代の仕出の上手のまねは、にせべからず、三代、五代もつづきたる人は猶以古法をまもるべし」

  ※俳諧・鶉衣(172779)後「さもなき調度のたぐひ、是は仕出しの風流なり、これは細工の面白しなどいひて」

  ② (形動) よそおい。いでたち。おめかし。おしゃれ。また、流行にのって美しくよそおうさま。

  ※浮世草子・好色一代男(1682)七「浅黄のあさ上下に茶小紋の着物、小脇指の仕出し常とはかはり」

  ※浮世草子・世間妾形気(1767)一「まれなる博識に、上京風のいたり仕出しな男ぶり」

  ③ 生き方。生活の仕方。

  ※浮世草子・風流曲三味線(1706)三「堅いしだしの時代親仁。一生女の肌をしらず、朝暮小判を溜る事をのみ面白き業に思ひ」

  ④ 仕事をはじめること。またその結果、財産をつくり出すこと。身代を大きくすること。また、その人。

  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)六「是らは近代の出来商人(できあきんど)三十年此かたの仕出しなり」

  ⑤ 身許をあずかっている人や雇人に食事を出すこと。〔日葡辞書(160304)〕

  ⑥ 料理などを、注文に応じて調理して届けること。また、その料理。〔多聞院日記‐天正一六年(1588)一〇月一一日〕

  ※咄本・昨日は今日の物語(161424頃)上「下々(したじた)をば町中よりしだしに仕れとて、献立をいださるる」

  ⑦ 役者などの所作、身ぶり、演技のしかた。

  ※評判記・役者口三味線(1699)江戸「にくげのないげいのし出し」

  ⑧ 歌舞伎で、幕明きなどに、場面の雰囲気を作ったり、主役の登場までのつなぎをしたりするための端役。また、その役者。しだしの役者。

  ※歌舞伎・助六廓夜桜(1779)「女郎買の仕出し」

  ⑨ 建造物の外側に突き出して構えた所。〔日葡辞書(160304)〕

  ⑩ 近世の大型和船の外艫(そとども)の上に設けたやぐら。尻矢倉、船頭矢倉、出(だし)矢倉、見送りなど多様の呼称がある。」

 

とある。

 恋の文脈からすれば②の意味であろう。舟問屋が舟そっちのけでいそいそとめかし込んで遊郭に通い、遊女にに入れ挙げてその末の松山(別れ)、となる。

 

 霞立つ末の松山ほのぼのと

     波にはなるる横雲の空

              藤原家(ふじわらのいえ)(たか)(新古今集)

 

の歌を逃げ歌にする。

 

無季。「浪」は水辺。

 

八十六句目

 

   仕出しては浪にはなるる舟問屋

 (はかり)(さを)に見る(かもめ)(じり)        一鉄

 (仕出しては浪にはなるる舟問屋秤の棹に見る鷗尻)

 

 前句の仕出を④の意味にして、一財産造ったから舟問屋をやめてどっか行ってしまったとする。

 鷗尻はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鴎尻」の解説」に、

 

 「① 太刀の鞘尻(さやじり)を上にそらせるように帯びること。伊達(だて)な様子。

  ※長門本平家(13C前)二「こがね作りの太刀かもめじりにはきなして」

  ② 秤竿(はかりざお)の端が上にはねあがる程、はかり目を十分にすること。目方の多いこと。

  ※俳諧・ゆめみ草(1656)冬「かもめ尻にはぬるやはかり棹の池〈正定〉」

  ③ =かもめづと(鴎髱)

  ※俳諧・誹諧発句帳(1633)「かしらよりはねあがりけり鴎尻〈立圃〉」

 

とある。稼いだ金が多くて天秤棹が跳ね上がるという意味だが、前句の「浪にはなるる」を受けて、鷗が尻を向けて飛び去るイメージとも重なる。

 

無季。

 

八十七句目

 

   秤の棹に見る鷗尻

 白鷺(しらさぎ)(かう)(こまか)(わり)くだき      松意

 (白鷺に香を濃に割くだき秤の棹に見る鷗尻)

 

 ネット上の石橋健太郎さんの「『改正香道秘伝』(上巻)の翻刻」の「雪月花集」五十種之内のところに「白鷺」が含まれている。「雪月花集」は「香道用語読み方辞典」に、「三条西実隆の作と伝えられる名香目録」とある。

 高価な香だったのだろう天秤が跳ね上がる。

 

無季。

 

八十八句目

 

   白鷺に香を濃に割くだき

 釜の湯たぎる雪の(あけ)ぼの     在色

 (白鷺に香を濃に割くだき釜の湯たぎる雪の明ぼの)

 

 白鷺の香を焚いて雪の(あけぼの)に茶の湯を(たしな)む。

 

 あさぼらけ野沢の霧の絶え間より

     たつ白鷺の声の寒けさ

              藤原(ふじわらの)(ただ)(よし)(夫木抄)

 

の歌に寄ったか。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

八十九句目

 

   釜の湯たぎる雪の明ぼの

 神託に松の嵐もたゆむ(なり)      志計

 (神託に松の嵐もたゆむ也釜の湯たぎる雪の明ぼの)

 

 (くが)(だち)だろうか。中世では()起請(ぎしょう)と呼ばれていた。釜で湯を炊く神事はその名残とも言われている。

 雪の朝で手が凍り付いていると良い結果が出やすいとか、あったのかもしれない。

 

無季。神祇。「松」は植物、木類。

 

九十句目

 

   神託に松の嵐もたゆむ也

 岩根にじつと伊勢の三郎     一朝

 (神託に松の嵐もたゆむ也岩根にじつと伊勢の三郎)

 

 伊勢の三郎は伊勢義盛のことで、ウィキペディアに、

 

 「伊勢 義盛(いせ よしもり)は、平安時代末期の武士で源義経の郎党。『吾妻鏡』では能盛と表記されている。源義経・四天王のひとり。伊勢三郎の名でも知られる。出身は伊勢或は上野国といわれる。」

 

とある。

 特に神託を受けたとかいう本説はなく、伊勢神宮での連想であろう。

 

無季。「岩根」は山類。

 

九十一句目

 

   岩根にじつと伊勢の三郎

 夕月夜二見(ふたみ)が浦の(あはび)とり      正友

 (夕月夜二見が浦の鮑とり岩根にじつと伊勢の三郎)

 

 伊勢の海人の鮑取りの三郎だった。

 

季語は「夕月夜」で秋、夜分、天象。「二見が浦」は名所、水辺。「鮑とり」は人倫。

 

九十二句目

 

   夕月夜二見が浦の鮑とり

 波も色なる(はまぐり)の露        雪柴

 (夕月夜二見が浦の鮑とり波も色なる蛤の露)

 

 月に「波も色なる」は、

 

 あすもこむ野路の玉川萩こえて

     色なる浪に月やどりけり

              源俊頼(みなもとのとしより)(千載集)

 

による。

 二見に蛤は、

 

 いまぞしる二見の浦のはまぐりを

     かひあはせとておほふなりけり

              西行法師(夫木抄)

 

の歌がある。

 

季語は「露」で秋、降物。「波」は水辺。

名残裏

九十三句目

 

   波も色なる蛤の露

 状箱のかざしにさせる萩が花   一鉄

 (状箱のかざしにさせる萩が花波も色なる蛤の露)

 

 海辺からの便りが届き、その状箱に萩の花が添えてある。前句は手紙の内容の比喩になる。

 蛤に「かざしにさせる」は、

 

 山吹をかざしにさせばはまぐりを

     井出のわたりのものと見るかな

              源俊頼(夫木抄)

 

の歌がある。前句が秋なので山吹を萩に変える。

 

季語は「萩が花」で秋、植物、草類。

 

九十四句目

 

   状箱のかざしにさせる萩が花

 ようこそきたれ荻の上風(うはかぜ)      松臼

 (状箱のかざしにさせる萩が花ようこそきたれ荻の上風)

 

 荻の上風に萩は、

 

 秋は猶夕間暮れこそただならね

     荻の上風萩の下露

              (ふじ)原義(わらのよし)(たか)(和漢朗詠集)

 

の歌があり、決まり文句になっている。

 状箱の萩を見てならば荻の上風も来い、ということになる。

 

季語は「荻」で秋、植物、草類。

 

九十五句目

 

   ようこそきたれ荻の上風

 夕暮の空さだめなき約束に    在色

 (夕暮の空さだめなき約束にようこそきたれ荻の上風)

 

 秋の空の変わりやすさに約束も忘れられて、と恋に転じる。

 

 色変わる心の秋の時しもあれ

     身に染む暮の荻の上風

              (しゅん)成女(ぜいのむすめ)(新後撰集)

 

の心か。

 

無季。恋。

 

九十六句目

 

   夕暮の空さだめなき約束に

 日もかさなりてはらむと(いふ)か    卜尺

 (夕暮の空さだめなき約束に日もかさなりてはらむと云か)

 

 結婚の約束も果たされないままでも、ずるずる長く付き合っていると子供ができてしまう。

 「か」は「かな」と同じ。

 

無季。恋。

 

九十七句目

 

   日もかさなりてはらむと云か

 そちに(これ)(りょ)宿(しゅく)名残(なごり)小脇指    一朝

 (そちに是を旅宿の名残小脇指日もかさなりてはらむと云か)

 

 旅宿の遊女を呼んだところ、妊娠していることを言われて、哀れに思ってこれでも売って何かの足しにと小脇指(こわきざし)を置いて行く。

 

無季。旅体。

 

九十八句目

 

   そちに是を旅宿の名残小脇指

 (おち)られまいぞ尋常(じんじゃう)に死ね      松意

 (そちに是を旅宿の名残小脇指落られまいぞ尋常に死ね)

 

 追手がすぐそばまで迫っていて、これ以上逃げられないと、ここで腹を切る覚悟を決める。

 ずっとお供をしてくれた者がいたのだろう。小脇指を渡し、共に死んでくれというところか。

 

無季。

 

九十九句目

 

   落られまいぞ尋常に死ね

 同じくは花に対して(ゑひ)たふれ    雪柴

 (同じくは花に対して酔たふれ落られまいぞ尋常に死ね)

 

 これが最後と花の下で宴をする。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   同じくは花に対して酔たふれ

 麁相(そそう)に鐘を春の日はまだ      志計

 (同じくは花に対して酔たふれ麁相に鐘を春の日はまだ)

 

 麁相はここでは後先考えずに飲めるだけ飲んでしまったことを指すのだろう。

 花の下で酔いつぶれてみんな倒れてしまったから、今日はこれまでとまだ早いけど入相(いりあい)の鐘を鳴らす。

 

季語は「春の日」で春、天象。