「色付や」の巻、解説

初表

 色付くや豆腐に落て薄紅葉    桃青

   山をしぼりし榧の下露    杉風

 手みづ桶雲の広袖月もりて    杉風

   こぬかみだるる風の夕暮   桃青

 或時は餅に詠る雪の空      桃青

   猿子をだいて峯の松原    杉風

 朝日影岩根の床のわき虱     杉風

   熱湯をながす末の白波    桃青

 

初裏

 茶巾さばき袖よりつたふ風過て  杉風

   何と軒号窓の明ぼの     桃青

 五十点在が中にもほととぎす   杉風

   一村雲を継紙になむ     桃青

 縫箔に好むでとほる瀧の糸    杉風

   音羽嵐の松も姫君      桃青

 小夜時雨忍ばせ給ひける程に   杉風

   はねのあがりし衣々の末   桃青

 風匂ふ小便壺に浪越て      杉風

   灰吹捨る跡の夕露      桃青

 唐金の秋や袂に磨らん      杉風

   ろくしやう青き山の端の月  桃青

 嶋の景色胡粉に寄る花の浪    杉風

   霞も空に烟るかきがら    杉風

 

 

二表

 そぎ板の破に春のしらみ来て   桃青

   鼠の跡はえ方也けり     杉風

 米俵ふまへてますぞ有難き    桃青

   心に叶ふ長持の蓋      杉風

 送り膳道すこしだに隔ねば    桃青

   普請の積りよい手廻しの   杉風

 親仁殿扨法体はいつ比ぞ     桃青

   されば夏たけ彼岸たつ空   杉風

 秋風や奇妙発願蝉の声      桃青

   草庵淋し森の下露      杉風

 此月に薬鑵の口も物をいへ    桃青

   酒はこぼれてねぶり驚    杉風

 乗掛はたまりもあへず馬上より  桃青

   四里のぼりたる関の岩角   桃青

 

二裏

 見わたせば雲ははがれて雪の峯  杉風

   松のふぐりに下帯もなし   桃青

 またもをかしう磯うつ浪の子安貝 杉風

   灘の塩屋の櫛箱の底     桃青

 破小船削しらげて道具とす    杉風

   木賊にかかる真砂地の露   桃青

 その原やここに築せて庭の月   杉風

   かうした所が木曾山の秋   桃青

 味噌すこしさびしき旅の谷伝   杉風

   三千せつかいよしや修行者  桃青

 つらつらおもふ火宅の門や火吹竹 杉風

   時に和尚のときしのり売   杉風

 花曇五ヶ庄より空晴て      桃青

   遠の里橋おもしろの春    杉風

 

 

三表

 薄氷や絵書が胸に流るらん    桃青

   羽箒とれば風わたる也    杉風

 窓近き小ざさみだるる竹の皮   桃青

   夕日こぼれて柚べしかたまる 杉風

 小徳利の露もあらじと山やおもふ 桃青

   色替ぬ松を砕燈       杉風

 でかいたぞ明日の足中牛の沓   桃青

   雑水の桶のからりとしたは  杉風

 上方のかたぎ忘れぬ使たて    桃青

   はねもと結にかざすさし櫛  杉風

 縁付や二度返る事なかれ     桃青

   若もみつちやに恋やさめ南  杉風

 岩橋の夜の小袖をひつかぶり   桃青

   一汗流す谷川の月      桃青

 

三裏

 手拭の雫に浪やよごす覧     杉風

   六根罪障うたかたの淡    桃青

 とろろ汁生死の海を湛たり    杉風

   元小だたみは無面目にて   桃青

 開闢の天地すでに大砂鉢     杉風

   岩戸に隠し給ふ行燈     桃青

 つらからむ鬼の目掛の袖枕    杉風

   おもひの烟果ては釜焦    桃青

 菜刀の先にうらみは尽すまじ   杉風

   後妻打や相槌の露      桃青

 唐衣涙洗し袖の月        杉風

   終には無常早藁の灰     桃青

 花紅葉明し暮して物として    杉風

   葛籠一荷にためし夏冬    杉風

 

 

名残表

 古郷へは裁付着てや帰るらん   桃青

   葎の宿をおもふ獅子舞    杉風

 笛の声嵐木枯吹れたり      桃青

   義経是にて雪の暁      杉風

 玉子酒即事に須磨を打つぶし   桃青

   冷も発らぬ大浪の跡     杉風

 疝気持藻に住虫の音絶て     桃青

   朝霧たたむ夜着の芦田鶴   杉風

 揚屋より月は雲ゐに帰るる    桃青

   乙女の姿白じゆすの帯    杉風

 呉服物後藤源氏の物思ひ     桃青

   石山寺に残るうち敷     杉風

 夕暮は御前蝋燭飛蛍       桃青

   是彼岸の浮草の浪      杉風

 

名残裏

 六度まで渡かねたる橋越て    桃青

   よしなき    千万    杉風

 夢なれや    夢なれや    杉風

   扨々荒し軒の宿札      桃青

 朝朗原吉原を打過て       桃青

   壱分にいくら相場聞也    杉風

 折添て薪に花は花は花は     桃青

   都のぐるり山里の春     杉風

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

 色付くや豆腐に落て薄紅葉    桃青

 

 問題はこの頃「紅葉豆腐」があったかどうかで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 江戸時代、和泉国(大阪府)堺の名物の豆腐。上にもみじの形をしるしたもの。のちに江戸でも売られた。〔堺鑑(1684)〕

  〘名〙

  ① 紅葉の葉の型をおした豆腐。

  ※俳諧・常盤屋の句合(1680)六番「桜にあらぬさくらごんにゃく、予たはぶれに曰、彼は紅葉豆腐に増れるといはんか」

  ② 豆腐料理の一つ。豆腐に刻んだ唐辛子や生薑(しょうが)をすり混ぜ、揚げたもの。〔豆腐百珍続編(1783)〕」

 

とある。上の方の堺名物の「こうようどうふ」で、下のが「もみじどうふ」になる。①は延宝の終わりごろなので、延宝五年にあったとしてもおかしくない。②のほうはその一世紀後になるが、ただ、それはそれ以前にあったか無いかはわからない。

 文献上の初出はあくまで最初に書き留められた年代で、実際にはそれ以前にあった可能性は十分あるし、新たな資料で発見される可能性もある。

 この時代に紅葉豆腐があった可能性はあるが、句としてはどうかというと、まず「色付や」と疑っているのと、この句の主題が「薄紅葉」であるところから、この句は「薄紅葉の豆腐に落ちて色づくや」の倒置と考えられる。これは薄っすらと色づいたまだ青さの残る紅葉が豆腐の上に落ちて、汁の水分で色が鮮やかになるのだろうか、なってくれないかな、という句ではなかったかと思う。

 これが両吟の発句であるというところから、弟子の杉風に、まだ薄紅葉のような青いところもあるが、この両吟を機に色づいてほしいという寓意も読み取ってもいいかと思う。

 杉風は芭蕉の寛文十二年(一六七二年)に江戸に出てきて以来の付き合いだともいわれている。延宝五年(一六七七年)だとしても、既に五年経っている。そろそろ一人前にという思いであろう。

 杉風は正保四年(一六四七年)の生まれ。数えで三十一になる。

 薄紅葉は、

 

 もずのゐる櫨の立枝のうす紅葉

     たれわがやどの物と見るらん

              藤原仲実(金葉集)

 

の歌がある。

 

季語は「薄紅葉」で秋、植物、木類。

 

 

   色付くや豆腐に落て薄紅葉

 山をしぼりし榧の下露      杉風

 (色付くや豆腐に落て薄紅葉山をしぼりし榧の下露)

 

 豆腐は過熱した大豆を絞って豆乳を作り、それを固めて作る。

 ならば、紅葉の豆腐は山全体の榧(かや)の木の露を絞って、それを固めて作ったのか。

 寓意としては、榧(かや)の木は針葉樹で紅葉しない。自分は紅葉しない榧で、全山の榧の木の露を絞ったような冷や汗たらたらです、といったところか。謙虚な句で応じる。

 紅葉を染める下露は、

 

 下露の染むるは色の薄ければ

     紅葉も秋の時雨をや待つ

              祝部成久(続千載集)

 

の歌がある。

 

季語は「下露」で秋、降物。「山」は山類。「榧」は植物、木類。

 

第三

 

   山をしぼりし榧の下露

 手みづ桶雲の広袖月もりて    杉風

 (手みづ桶雲の広袖月もりて山をしぼりし榧の下露)

 

 前句の「下露」を「手みづ桶」で受けて、山に「雲」、「しぼりし」に広袖を付け、月の光が漏るのと露が漏るのを掛けて、なかなかのテクニックを見せる。

 山に雲がかかり、雲の広袖を絞ったように月の光の漏れる中、榧の下露も漏れ出てて水桶に溜まる。

 雲に漏る月は、

 

 郭公くものたえまにもる月の

     影ほのかにも鳴きわたるかな

              皇后宮式部(金葉集)

 

の歌がある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「雲」は聳物。「広袖」は衣裳。

 

四句目

 

   手みづ桶雲の広袖月もりて

 こぬかみだるる風の夕暮     桃青

 (手みづ桶雲の広袖月もりてこぬかみだるる風の夕暮)

 

 「こぬか」は米糠のこと。米を搗いた後の糠を手桶にいれて運ぶと、秋風に巻き上げられてゆく。

 風の夕暮れの月は、

 

 軒近き松原山の秋風に

     夕暮れきよく月いでにけり

              伏見院(風雅集)

 

の歌がある。

 

無季。

 

五句目

 

   こぬかみだるる風の夕暮

 或時は餅に詠る雪の空      桃青

 (或時は餅に詠る雪の空こぬかみだるる風の夕暮)

 

 粉雪の舞う空を小糠に喩えたか。「小糠雨」という言葉が当時あったかどうかはよくわからない。

 雪の空は和歌では初雪の空を詠むことが多い。

 

 はれくもり嵐にさゆるむら雲の

     時雨るとすれば初雪の空

              藤原雅経(正治後度百首)

 

などの歌がある。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

六句目

 

   或時は餅に詠る雪の空

 猿子をだいて峯の松原      杉風

 (或時は餅に詠る雪の空猿子をだいて峯の松原)

 

 前句の餅を雪の比喩として峯の松に猿の親子を付ける。

 雪に峰の松原は、

 

 聞きなれし嵐の音は埋もれて

     雪にぞなびく峰の松原

              藤原家隆(続古今集)

 

の歌がある。

 

無季。「猿」は獣類。「峯」は山類。「松原」は植物、木類。

 

七句目

 

   猿子をだいて峯の松原

 朝日影岩根の床のわき虱     杉風

 (朝日影岩根の床のわき虱猿子をだいて峯の松原)

 

 深山奥深いところで修行する僧としたか。窟屋の寝床では虱がわいてくる。外には猿の親子が見える。

 朝日影は、

 

 朝日影さすやをかへの松の雪も

     消えあへぬまに春はきにけり

              よみ人しらず(続千載集)

 

などの歌に詠まれている。

 

無季。「虱」は虫類。

 

八句目

 

   朝日影岩根の床のわき虱

 熱湯をながす末の白波      桃青

 (朝日影岩根の床のわき虱熱湯をながす末の白波)

 

 虱は熱に弱く、熱湯(にへゆ)で駆除できる。

 

 朝日影に白波は、

 

 朝日影さすや霞の下風に

     玉江をみかく春のしら浪

              正徹(草根集)

 

の歌がある。

 

無季。「白波」は水辺。

初裏

九句目

 

   熱湯をながす末の白波

 茶巾さばき袖よりつたふ風過て  杉風

 (茶巾さばき袖よりつたふ風過て熱湯をながす末の白波)

 

 茶道の場面とする。茶巾には決まった絞り方、畳み方がある。

 白波に袖は、

 

 いたづらに立帰りにし白浪の

     なごりに袖のひる時もなし

              藤原朝忠(後撰集)

 

の歌がある。

 

無季。

 

十句目

 

   茶巾さばき袖よりつたふ風過て

 何と軒号窓の明ぼの       桃青

 (茶巾さばき袖よりつたふ風過て何と軒号窓の明ぼの)

 

 夜がようやく白む頃から練習をしている。「何と軒」は茶人の軒号とも取れるし、茶室の名前とも取れる。ただ、茶人は庵や齋が多く、軒を名乗っている人はそんな多くないような気もする。連歌師だと柴屋軒宗長がいるが。

 

無季。

 

十一句目

 

   何と軒号窓の明ぼの

 五十点在が中にもほととぎす   杉風

 (五十点在が中にもほととぎす何と軒号窓の明ぼの)

 

 前句の「軒」を連歌師か俳諧師の軒号とした。連歌師だと柴屋軒宗長、俳諧だと松永貞徳に逍遊軒、安原貞室に一嚢軒、季吟に拾穂軒などの軒号がある。

 百韻のうちの五十句に点を貰い、前句の明ぼのにホトトギスを付ける。

 明ぼのホトトギスは、

 

 時鳥ほのめく声をいづかたと

     聞きまどはしつ曙の空

              中納言女王(金葉集)

 

などの歌がある。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。

 

十二句目

 

   五十点在が中にもほととぎす

 一村雲を継紙になむ       桃青

 (五十点在が中にもほととぎす一村雲を継紙になむ)

 

 百韻一巻の四枚の懐紙の表裏の計八枚を継紙にすれば巻子本(巻物)になる。

 ホトトギスに村雲が付くように懐紙を継紙にする。

 ホトトギスと村雲は、

 

 ほととぎす声さやかにて過ぐるあとに

     折しも晴るる村雲の月

              二条道良女(玉葉集)

 今こむといはぬばかりぞほとときす

     有明の月の村雲の空

              順徳院(続後撰集)

 

などの歌の縁か。

 

無季。「村雲」は聳物。

 

十三句目

 

   一村雲を継紙になむ

 縫箔に好むでとほる瀧の糸    杉風

 (縫箔に好むでとほる瀧の糸一村雲を継紙になむ)

 

 「縫箔(ぬひはく)」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「縫い(刺しゅう)と箔(摺箔(すりはく))を用いて裂地(きれじ)に模様加工をすること。室町末期から桃山時代を経て江戸前期に至る初期小袖(こそで)染織の時代においては、多彩な絵模様を表す手段として、盛んに用いられた。こうした技術を業とするのが縫箔屋であったが、後世では、単に刺しゅう屋のことも縫箔屋と称している場合がある。また、縫箔は、能の装束では模様が縫箔で加工されており、女の役柄が着付け、または腰巻にして用いる衣装の名称になっている。[山辺知行]」

 

とある。

 一村雲を継紙した巻子本に、瀧の糸を刺しゅうした縫箔で表装をする。

 

無季。

 

十四句目

 

   縫箔に好むでとほる瀧の糸

 音羽嵐の松も姫君        桃青

 (縫箔に好むでとほる瀧の糸音羽嵐の松も姫君)

 

 清水の舞台で知られる清水寺は音羽山清水寺という。

 清水寺の音羽の滝は三筋の筧から流れ落ちる水で、そこを姫君が縫箔の着物を着て通る。

 音羽嵐は、

 

 あすよりは秋の嵐の音羽山

     かたみとなしに散る木の葉かな

              藤原定家(正治初度百首)

 

の歌によるものか。

 

無季。「松」は植物、木類。「姫君」は人倫。

 

十五句目

 

   音羽嵐の松も姫君

 小夜時雨忍ばせ給ひける程に   杉風

 (小夜時雨忍ばせ給ひける程に音羽嵐の松も姫君)

 

 時雨の夜に殿が音羽山に忍んで行けば、嵐の松の姫君が待つ。

 小夜時雨は、

 

 月のあとの山の端曇る小夜時雨

     染めぬかづらも照りまさりゆく

              飛鳥井雅有(夫木抄)

 

の歌に用例がある。

 

季語は「小夜時雨」で冬、降物、夜分。恋。

 

十六句目

 

   小夜時雨忍ばせ給ひける程に

 はねのあがりし衣々の末     桃青

 (小夜時雨忍ばせ給ひける程にはねのあがりし衣々の末)

 

 雨の中だけに泥水の跳ね上がった「きぬぎぬ」と、何やらどろどろとした別れを感じさせる。

 

無季。恋。

 

十七句目

 

   はねのあがりし衣々の末

 風匂ふ小便壺に浪越て      杉風

 (風匂ふ小便壺に浪越てはねのあがりし衣々の末)

 

 衣に跳ね上がったのはいっぱいになった小便壺のお釣りだった。

 風匂ふは、

 

 朝霞光に色やまがふらむ

     春風匂ふ野辺の梅が枝

              九条教実(洞院摂政家百首)

 風にほふまことの花にくらべばや

     桜か枝にふれるしら雪

              西園寺実氏(宝治百首)

 

など、和歌では春の花に匂う風に用いる。

 

無季。「浪」は水辺。

 

十八句目

 

   風匂ふ小便壺に浪越て

 灰吹捨る跡の夕露        桃青

 (風匂ふ小便壺に浪越て灰吹捨る跡の夕露)

 

 灰吹(はいふき)は煙草盆に組み込まれた、吸い終えたとき火皿に残った灰を落とすための竹筒で、灰皿のようなもの。小便壺から溢れてこぼれたところに煙草の灰を捨てる。まあ、ここなら燃える心配がないということか。

 浪に露は、

 

 わか袖に露ぞおくなる天河

     雲のしがらみ浪やこすらん

              よみ人しらず(後撰集)

 

の歌がある。

 

季語は「夕露」で秋、降物。

 

十九句目

 

   灰吹捨る跡の夕露

 唐金の秋や袂に磨らん      杉風

 (唐金の秋や袂に磨らん灰吹捨る跡の夕露)

 

 唐金(からかね)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (中国から製法が伝わったところからいう) 銅、錫(すず)を主体とし、鉛、鉄、ニッケルなどを加えた合金。青黒色で銭その他の鋳物などに用いる。青銅(せいどう)。

  ※大乗院寺社雑事記‐明応五年(1496)三月七日「長谷寺鐘鋳事、唐金五百貫文目也」 〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ※浮世草子・世間胸算用(1692)一「仏具も人手に渡るべし。中にも唐(カラ)かねの三ツ具足」

 

とある。

 煙草盆は茶道具なので、灰吹きの灰を捨てに行くあいだに、袂で唐金の茶道具を拭いて綺麗にする。

 露に袂は、

 

 ゆきやらぬ夢ぢにまとふ袂には

     あまつそらなき露ぞおきける

              よみ人しらず(後撰集)

 

の歌がある。

 

季語は「秋」で秋。

 

二十句目

 

   唐金の秋や袂に磨らん

 ろくしやう青き山の端の月    桃青

 (唐金の秋や袂に磨らんろくしやう青き山の端の月)

 

 山の端から月が昇る時、あたりの雲が青く染まる様を緑青が吹くのに喩え、その雲が払われていく様を袂でみがいたとする。

 秋の山の端の月は、

 

 いかなれば秋は光のまさるらむ

     おなじ三笠の山の端の月

              永縁(金葉集)

 

の歌がある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「山の端」は山類。

 

二十一句目

 

   ろくしやう青き山の端の月

 嶋の景色胡粉に寄る花の浪    杉風

 (嶋の景色胡粉に寄る花の浪ろくしやう青き山の端の月)

 

 前句を絵として、緑青の緑の絵の具で青い山の端を描き、島の景色は胡粉で白い波を描く。「花の浪」は本来は桜が波のように揺れ動くことだが、ここでは「浪の花」つまり花のように白い浪のこととしている。

 緑青の山の端、胡粉の花の浪と相対付けになる。

 

季語は「花の浪」で春。「嶋」は水辺。

 

二十二句目

 

   嶋の景色胡粉に寄る花の浪

 霞も空に烟るかきがら      杉風

 (嶋の景色胡粉に寄る花の浪霞も空に烟るかきがら)

 

 胡粉は貝殻から作る白の顔料で、ウィキペディアには、

 

 「白色度の高いものにはハマグリが用いられるが、加工のし易さからカキ、ホタテの貝殻も用いられる。」

 

とある。かつては貝殻を焼いて作っていた。

 「烟(けむ)るかきがら」は胡粉を作る工程で、その胡粉を作っている島の景色に花の浪が寄せるとする。

 浪に霞は、

 

 春霞絵島が崎をこめつれば

     なみのかくとも見えぬけさかな

              藤原重綱(千載集)

 

の歌がある。

 

 

季語は「霞」で春、聳物。

二表

二十三句目

 

   霞も空に烟るかきがら

 そぎ板の破に春のしらみ来て   桃青

 (そぎ板の破に春のしらみ来て霞も空に烟るかきがら)

 

 牡蠣殻(かきがら)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 牡蠣の貝殻。焼いて牡蠣灰をつくり、石灰の代用とし、和漢薬に混ぜて用いる。また、砕いて鶏の飼料に混ぜたり、近世には屋根にふいたりなど用途が多い。かきのから。すまがしわ。蠣殻(れいかく)。《季・冬》 〔和玉篇(15C後)〕」

 

とあり、そぎ板はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「《古くは「そきいた」》木を薄く削って作った屋根葺(ふ)き用の板。そぎ。」

 

とあるので、ともに屋根葺き用いられる。

 また貝殻を焼いてできた石灰の代用品はシラミ退治に用いられたという。日本石灰協会・日本石灰工業組合のホームページに、

 

 「周の時代に唇灰(しん灰、大蛤の殻を焼いた灰)を塗った壁を登場させ、漢時代末期の山東省で蛤を焼いた叉灰(きはい)を水で溶かして床下に撒き、シラミやノミ退治に使用したことや後漢時代に石灰焼成を石炭で始めた記録が残されている。」

 

とある。

 そぎ板の破れ目から虱が湧いてきたので、牡蠣殻を焼いて虱退治の石灰を作る。その煙が霞の空へと登って行く。

 霞に春は、

 

 春霞たてるやいづこみよしのの

     よしのの山に雪はふりつつ

              よみ人しらず(古今集)

 

他、多くの歌に詠まれている。

 

季語は「春」で春。

 

二十四句目

 

   そぎ板の破に春のしらみ来て

 鼠の跡はえ方也けり       杉風

 (そぎ板の破に春のしらみ来て鼠の跡はえ方也けり)

 

 「え方」は恵方で、新年の年神様を迎えるために恵方棚を飾る。恵方棚はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「恵方棚」の解説」に、

 

 「〘名〙 歳徳神(としとくじん)をまつる神棚。正月の神が恵方から来るという信仰に基づき、その年の恵方にあたる鴨居につるす。毎年作りかえるものであるが、常設のものもあり、天井からつるしてどの方角にも回るように作ったものもある。注連(しめ)、松竹を飾り、供物、灯火を供える。歳徳棚(としとくだな)。年神棚(としがみだな)。《季・新年》

  ※俳諧・増山の井(1663)正月「年徳のかみ え方(エハウ)棚」

 

とある。

 元禄四年文十編の『よるひる』に、

 

 火の数や年徳棚のにぎやかさ   鬼貫

 

の句があり、年徳棚ともいう。

 前句の「しらみ来て」を夜が白むこととし、子の方角ならぬ、鼠の壁をかじった跡のある方が恵方だとする。

 余談だが、恵方巻は戦後に海苔業者が海苔の消費の落ち込む立春の頃に海苔を使うものということで考え出したもので、セブンイレブンが広めたとされている。

 

季語は「え方」で春。「鼠」は獣類。

 

二十五句目

 

   鼠の跡はえ方也けり

 米俵ふまへてますぞ有難き    桃青

 (米俵ふまへてますぞ有難き鼠の跡はえ方也けり)

 

 鼠と言えば大黒様で俵の上に乗っかって米俵を踏んでいる。

 

無季。

 

二十六句目

 

   米俵ふまへてますぞ有難き

 心に叶ふ長持の蓋        杉風

 (米俵ふまへてますぞ有難き心に叶ふ長持の蓋)

 

 長持(ながもち)の蓋を締めるのに大黒様のように上に乗っかるということか。

 

無季。

 

二十七句目

 

   心に叶ふ長持の蓋

 送り膳道すこしだに隔ねば    桃青

 (送り膳道すこしだに隔ねば心に叶ふ長持の蓋)

 

 「送り膳」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「祭礼や冠婚葬祭などの儀礼に際し、当然列席すべき人が正式食事の席に出られなかった場合、そこに饗(きょう)せられた食物をそっくり欠席者の許(もと)に送り届けることを送り膳という。上述のような儀礼の際の食事には、かならず共食しなければならない定まった人があって、同じものを同じ席で食べるそのことが、互いの結合を強める意味があった。とくに祭りの日には、人間だけではなく神との直会(なおらい)であったので、いっそうこの意識は強かった。その座に連なるはずの人がいないということは、それだけ結合力に欠けることになるので、食膳を送って共食する形を整え、結合の力を加えようと考えたのである。古人の食物に対する考え方は、現在の人々の思い及ばぬ力を意識していたもので、同じ火で煮炊きしたものをいっしょに食べることに意義を感じていたことから、送り膳の風習が生まれたのである。[丸山久子]」

 

とある。

 送り膳を遠くまで運ぶわけでなく、すぐ近くにいるのなら、長持ちの蓋の上に載せて行けば二人で運べる。

 「道すこしだに隔ねば」という言葉は『校本芭蕉全集 第三巻』に、謡曲『忠度』の、

 

 「須磨の若木の桜は海少しだにも隔てねば、通ふ浦風に山の桜も散るものを」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.16240-16242). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

によるという。

 

無季。

 

二十八句目

 

   送り膳道すこしだに隔ねば

 普請の積りよい手廻しの     杉風

 (送り膳道すこしだに隔ねば普請の積りよい手廻しの)

 

 「普請の積り」は普請の計画、あるいは設計というような意味で、わざわざ送り膳の通り道まで計算しておくとは手回しがいい。

 

無季。

 

二十九句目

 

   普請の積りよい手廻しの

 親仁殿扨法体はいつ比ぞ     桃青

 (親仁殿扨法体はいつ比ぞ普請の積りよい手廻しの)

 

 「法体」は出家のこと。出家はまだまだ先のことだというのに、今から庵の設計を始める。

 

無季。釈教。「親仁」は人倫。

 

三十句目

 

   親仁殿扨法体はいつ比ぞ

 されば夏たけ彼岸たつ空     杉風

 (親仁殿扨法体はいつ比ぞされば夏たけ彼岸たつ空)

 

 「夏たけ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「(ロ) 季節が、その盛りを過ぎる。その季節が終わりに近づく。

  ※和漢朗詠(1018頃)下「春過ぎ夏闌(たけ)んたり 袁司徒が家の雪路達しぬらむ〈菅原文時〉」

  ※仮名草子・伊曾保物語(1639頃)下「去程に、春過夏たけ、秋も深くて、冬のころにもなりしかば」

 

とある。夏が過ぎて彼岸になったら、と親仁は答える。

 

季語は「夏たけ彼岸」で秋。釈教。

 

三十一句目

 

   されば夏たけ彼岸たつ空

 秋風や奇妙発願蝉の声      桃青

 (秋風や奇妙発願蝉の声されば夏たけ彼岸たつ空)

 

 帰命(きみゃう)ならコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「仏教用語。南無と音写する。本来,身体を屈して敬礼することをさし,特に合掌することをいう。転じて,全身全霊をもって仏陀に傾倒することなどと解釈されるようになった。」

 

とあり、帰命発願なら全身全霊で仏道に傾倒し、願を掛けるということになる。

 ただ、ここでは奇妙発願で、これだと何だかわからないけど願を掛けるということになる。秋風の蝉の声は、一体何の願を掛けているのか、ということ。

 

季語は「秋風」で秋。釈教。「蝉」は虫類。

 

三十二句目

 

   秋風や奇妙発願蝉の声

 草庵淋し森の下露        杉風

 (秋風や奇妙発願蝉の声草庵淋し森の下露)

 

 これは特に捻りがなく、蝉の声に草庵淋しと平に付けている。

 

 鳴く蝉の声も涼しき夕暮れに

     秋をかけたる森の下露

              二条院讃岐(新古今集)

 

を本歌にした付け。

 

季語は「下露」で秋、降物。「草庵」は居所。

 

三十三句目

 

   草庵淋し森の下露

 此月に薬鑵の口も物をいへ    桃青

 (此月に薬鑵の口も物をいへ草庵淋し森の下露)

 

 せっかくの月なのに一人ぼっちで、せめて薬缶には口があるんだから何か言ってくれよ、淋しいじゃないか、となる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

三十四句目

 

   此月に薬鑵の口も物をいへ

 酒はこぼれてねぶり驚      杉風

 (此月に薬鑵の口も物をいへ酒はこぼれてねぶり驚)

 

 酔っ払ってうとうとしてたら薬缶の酒が吹きこぼれて、驚いて目を覚ます。まるで薬缶が物を言ったかのようだ。

 

無季。

 

三十五句目

 

   酒はこぼれてねぶり驚

 乗掛はたまりもあへず馬上より  桃青

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は、謡曲『兼平』の、

 

 「痛手にてましませば、たまりもあへず馬上より、遠近の土となる。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.18648-18650). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

を引いている。

 街道の乗掛馬で居眠りして落馬しそうになるのはよくある事だったのだろう。ここでは落馬はしないが、持っていた酒をこぼして驚いて目が覚める。

 馬上の居眠りは後に芭蕉が『野ざらし紀行』の旅でも、

 

 馬上眠らんとして残夢残月茶の煙 芭蕉

 

の句を詠んでいる。後に、

 

 馬に寝て残夢月遠し茶の烟    芭蕉

 

の句に作り直されている。

 

無季。旅体。「馬」は獣類。

 

三十六句目

 

   乗掛はたまりもあへず馬上より

 四里のぼりたる関の岩角     桃青

 (乗掛はたまりもあへず馬上より四里のぼりたる関の岩角)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は、

 

 逢坂の関の岩かどふみならし

     山立ち出づるきりはらの朝

              藤原高遠(拾遺集)

 

の歌を引いている。同じ注に「箱根八里の半分」とあるように、ここでは箱根八里を小田原から四里行った所の箱根の関とする。かなり急な上り坂が続くので、落馬する人もいたのだろう。

 

無季。旅体。

二裏

三十七句目

 

   四里のぼりたる関の岩角

 見わたせば雲ははがれて雪の峯  杉風

 (見わたせば雲ははがれて雪の峯四里のぼりたる関の岩角)

 

 元箱根への下り坂になると芦ノ湖の向こうに富士山が見える。そのちょうど雲が消えて行けば、なかなか感動的な光景だ。

 

季語は「雪」で冬、降物。「雲」は聳物。「峯」は山類。

 

三十八句目

 

   見わたせば雲ははがれて雪の峯

 松のふぐりに下帯もなし     桃青

 (見わたせば雲ははがれて雪の峯松のふぐりに下帯もなし)

 

 松ぼっくりのことを昔は松ふぐりといった。「ふぐり」は金玉のことで、『新撰犬筑波集』でもさんざん言い古されたネタだが、あえてここで来るか。

 富士山に松の木は近代の銭湯の壁にもよく描かれる定番だが。

 

無季。「松」は植物、木類。「下帯」は衣裳。

 

三十九句目

 

   松のふぐりに下帯もなし

 またもをかしう磯うつ浪の子安貝 杉風

 (またもをかしう磯うつ浪の子安貝松のふぐりに下帯もなし)

 

 ふぐりに子安貝とここは下ネタで応じる。磯に松は付き物。

 

無季。「磯うつ浪」は水辺。

 

四十句目

 

   またもをかしう磯うつ浪の子安貝

 灘の塩屋の櫛箱の底       桃青

 (またもをかしう磯うつ浪の子安貝灘の塩屋の櫛箱の底)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 芦の屋の灘の塩焼いとまなみ

     黄楊の小櫛もささで来にけり

              在原業平(『伊勢物語』題八十八段)

 

の歌が引用されている。

 「黄楊の小櫛もささで」からその小櫛の入れてある箱の底に安産のお守りの子安貝がある、ということで何とか下ネタ回避。

 

無季。「灘」は名所。「塩屋」は水辺。

 

四十一句目

 

   灘の塩屋の櫛箱の底

 破小船削しらげて道具とす    杉風

 (破小船削しらげて道具とす灘の塩屋の櫛箱の底)

 

 壊れた小船の廃材を使って櫛箱を作る。

 

無季。「破小船」は水辺。

 

四十二句目

 

   破小船削しらげて道具とす

 木賊にかかる真砂地の露     桃青

 (破小船削しらげて道具とす木賊にかかる真砂地の露)

 

 木賊(とくさ)はウィキペディアに、

 

 「表皮細胞の細胞壁にプラントオパールと呼ばれるケイ酸が蓄積して硬化し、砥石に似て茎でものを研ぐことができることから、砥草と呼ばれる。」

 

 「古来、茎を煮て乾燥したものを研磨の用途に用いた。「とくさ」(砥草)の名はこれに由来している。紙やすりが一般的な現代でも高級つげぐしの歯や漆器の木地加工、木製品の仕上げ工程などに使用されている。」

 

とある。

 破小船の廃材で道具を作る時に、木賊で磨く。その時に必要な水は真砂地の露を利用する。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

四十三句目

 

   木賊にかかる真砂地の露

 その原やここに築せて庭の月   杉風

 (その原やここに築せて庭の月木賊にかかる真砂地の露)

 

 「その原」は木曾の園原で和歌では「木賊刈る」が枕詞になる。

 

 木賊刈る園原山の木の間より

     磨かれ出づる秋の夜の月

              源仲正(夫木抄)

 

の歌に寄るなら、ここでも「庭の月」が木賊で磨かれて鏡のように輝くということになる。

 

 木賊刈る木曾の麻衣袖濡れて

     磨かぬ露も玉と置きぬる

              寂蓮法師(新勅撰集)

 

の歌の縁で前句の「露」にも付く。この二つの歌はともに謡曲『木賊』で用いられている。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「その原」は名所。「庭」は居所。

 

四十四句目

 

   その原やここに築せて庭の月

 かうした所が木曾山の秋     桃青

 (その原やここに築せて庭の月かうした所が木曾山の秋)

 

 何か歌の注釈のようにさらっと流した感じがする。

 

季語は「秋」で秋。「木曾山」は名所、山類。

 

四十五句目

 

   かうした所が木曾山の秋

 味噌すこしさびしき旅の谷伝   杉風

 (味噌すこしさびしき旅の谷伝かうした所が木曾山の秋)

 

 木曽義仲が味噌を朴葉に包んで持ち歩いたという伝承によるものか。

 

無季。旅体。「谷」は山類。

 

四十六句目

 

   味噌すこしさびしき旅の谷伝

 三千せつかいよしや修行者    桃青

 (味噌すこしさびしき旅の谷伝三千せつかいよしや修行者)

 

 「せつかい」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「切匙(せっかい)」とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 飯杓子(めししゃくし)の頭を縦に半切りにしたような形のもの。擂鉢(すりばち)の内側などに付いたものをかき落とすのに用いる。うぐいす。せかい。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ※浄瑠璃・長町女腹切(1712頃)中「用意摺子鉢(すりこばち)・せっかい・摺子木(すりこぎ)しゃにかまへ」

  ② 一種の鉾(ほこ)や薙刀(なぎなた)の小さなもの。〔日葡辞書(1603‐04)〕」

 

とある。

 味噌に切匙を付けて、その縁で三千世界を言い出す。

 旅が寂しいのは三千世界どこでも同じだし、まして修行者の旅は、とする。

 

無季。釈教。「修行者」は人倫。

 

四十七句目

 

   三千せつかいよしや修行者

 つらつらおもふ火宅の門や火吹竹 杉風

 (つらつらおもふ火宅の門や火吹竹三千せつかいよしや修行者)

 

 「火宅」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 仏語。この世の、汚濁と苦悩に悩まされて安住できないことを、燃えさかる家にたとえた語。「法華経‐譬喩品」に説く火宅三車のたとえ。現世。娑婆(しゃば)。

  ※法華義疏(7C前)二「言諸子在二火宅内一時、長者許レ賜二門外三車一。所以諸子楽レ得二三車一。諍出二火宅一」 〔法華経‐譬喩品〕」

 

とある。また、「故事成語を知る辞典の解説」に、

 

 「[由来] 「法華経―譬喩品」に見えるたとえ話から。ある財産家の自宅が火事になりました。しかし、子どもたちは夢中になって遊んでいて、逃げだそうとしません。そこでその財産家は、子どもたちが欲しがっていた羊の車や鹿の車、牛の車が門外にあると言って気を惹き、無事に救い出すことができました。火事になった家は、煩悩に満ちたこの世を、三つの車は仏の教えをたとえたもの」

 

とある。

 そんな火宅をわざわざ火吹竹で吹いて余計に燃え上がらせている。これはとんだ三千お節介だ。

 

無季。釈教。

 

四十八句目

 

   つらつらおもふ火宅の門や火吹竹

 時に和尚のときしのり売     杉風

 (つらつらおもふ火宅の門や火吹竹時に和尚のときしのり売)

 

 初裏で杉風が花の定座だったので、ここは杉風が二句続けて読んで桃青に譲る。

 時に和尚の説いた法を聞いた溶いた糊を売る糊売婆が、火宅の門は火吹竹のようだとつらつら思う。

 

無季。釈教。「和尚」は人倫。

 

四十九句目

 

   時に和尚のときしのり売

 花曇五ヶ庄より空晴て      桃青

 (花曇五ヶ庄より空晴て時に和尚のときしのり売)

 

 五ヶ庄は京都の宇治のことで、隠元和尚の開いた黄檗山萬福寺があった。

 前句の和尚を隠元和尚として、花曇りも宇治の五ヶ庄まで来る頃にはさながら和尚の霊験があったかのように晴れて、そこに和尚がかつて法を説いた糊売婆がいる。

 花曇りは、

 

 なにとなく雨にはならぬ花曇り

     咲くべき比やきさらぎの空

              飛鳥井雅縁(為尹千首)

 

の用例がある。

 

季語は「花曇」で春。

 

五十句目

 

   花曇五ヶ庄より空晴て

 遠の里橋おもしろの春      杉風

 (花曇五ヶ庄より空晴て遠の里橋おもしろの春)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注にある通り、謡曲『頼政』の、

 

 「遠の里橋の景色、見所多き名所かな。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.17519-17521). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

から取っている。「遠の里」は『解註謡曲全集』の注に、

 

 「字治橋の東北の里を「遠(をち) の里」とか、「をちかたの里」とか呼んでいた。「水まさるをちの里人いかならん晴れぬ眺めにかきくらす頃」(「 源氏物語」浮舟)。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.17782-17784). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

とあり、「橋の景色」は、「宇治橋の景色」とある。

 遠の里は、

 

 たがためと思ひそめてかよもすがら

     をちの里人衣打つらむ

              京極関白家肥後(堀河百首)

 

などの歌に詠まれている。

 

季語は「春」で春。「橋」は水辺。

三表

五十一句目

 

   遠の里橋おもしろの春

 薄氷や絵書が胸に流るらん    桃青

 (薄氷や絵書が胸に流るらん遠の里橋おもしろの春)

 

 薄氷は「うすらひ」と読む。

 前句を絵として、画家の頭の中には橋の下に薄氷が流れているイメージなんだろうな、とする。

 薄氷は、

 

 佐保川氷わたれるうすらひの

     うすき心を我が思はなくに

              よみ人しらず(夫木抄)

 

の用例がある。

 

季語は「薄氷」で春、水辺。

 

五十二句目

 

   薄氷や絵書が胸に流るらん

 羽箒とれば風わたる也      杉風

 (薄氷や絵書が胸に流るらん羽箒とれば風わたる也)

 

 書き直そうとして羽箒ではたけば薄氷の上に風が渡る。風に解ける薄氷ということで、

 

 袖ひちてむすびし水のこほれるを

     春立つけふの風やとくらむ

              紀貫之(古今集)

 

の心であろう。

 

無季。

 

五十三句目

 

   羽箒とれば風わたる也

 窓近き小ざさみだるる竹の皮   桃青

 (窓近き小ざさみだるる竹の皮羽箒とれば風わたる也)

 

 茶道で用いる三羽(みつばね)の柄の所には竹の皮を巻く。その竹の皮が窓の近くの小笹についている。

 小笹に風は、

 

 霜むすぶ秋の末葉の小笹原

     風には露のこぼれしものを

              藤原良経(秋篠月清集)

 

の歌がある。

 

無季。

 

五十四句目

 

   窓近き小ざさみだるる竹の皮

 夕日こぼれて柚べしかたまる   杉風

 (窓近き小ざさみだるる竹の皮夕日こぼれて柚べしかたまる)

 

 柚べしはウィキペディアに、

 

 「源平の時代に生まれたとも伝えられる。菓子というよりも保存食・携帯食に近いものだったとされ、時代とともに現在のような菓子へ変化したといわれている。現在では珍味に分類されるものと、和菓子の一種(蒸し菓子や餅菓子など)に分類されるもの、その他のものに分けられる。また江戸時代には、徳川家にも献じるなどの献上品として扱われることもあった。」

 

 「柚子の実の上部を切り取った後、中身をくり抜き、この中に味噌、山椒、胡桃などを詰めて、切り取った上部で蓋をする。そして、これに藁等を巻いて日陰で1か月から半年ほど乾燥させる。食べる際には藁を外して適宜に切り分け酒の肴やご飯の副食物として用いる。」

 

とある。

 柚べしが固まるというのはこの乾燥させる作業であろう。窓の所に干してあった。

 作者がよくわからないが、日文研の和歌データベースによると、

 

 竹の葉はうつりうつらずかげろひて

     夕日の窓に風すさぶなり

              (百番歌合)

 

の歌がある。

 

季語は「柚べし」で秋。「夕日」は天象。

 

五十五句目

 

   夕日こぼれて柚べしかたまる

 小徳利の露もあらじと山やおもふ 桃青

 (小徳利の露もあらじと山やおもふ夕日こぼれて柚べしかたまる)

 

 柚べしを肴にと思っていても山寺では小徳利に露ほどの酒もな。

 

季語は「露」で秋、降物。「山」は山類。

 

五十六句目

 

   小徳利の露もあらじと山やおもふ

 色替ぬ松を砕燈         杉風

 (小徳利の露もあらじと山やおもふ色替ぬ松を砕燈)

 

 小徳利の露ほどの情けもないのか。山寺では常緑の松を伐採し薪にして燈火を灯している。

 動物の殺生は駄目でも植物は良いのか、というところか。

 

季語は「色替ぬ松」で秋、植物、木類。「燈」は夜分。

 

五十七句目

 

   色替ぬ松を砕燈

 でかいたぞ明日の足中牛の沓   桃青

 (でかいたぞ明日の足中牛の沓色替ぬ松を砕燈)

 

 足中は足半(あしなか)で、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「藁草履(わらぞうり)の一種で、足中とも書く。普通の草履に比べて長さが半分であり、芯緒(しんお)を利用して鼻緒を結ぶことが特色である。長さが短いため足の裏に密着するので小石や泥が入らず、今日のスパイク的な役割を果たした。鎌倉時代の絵巻物『春日権現霊験記(かすがごんげんれいげんき)』のなかにすでにみられ、雑兵や一般武士の履き物であった。室町時代、武家故実が盛んに行われるようになると、足半の履き方にも一つの決まりができ、織田信長は足半を履いていれば目通りを許したという。江戸時代に入ると全国の農山漁村で用いられるようになり、なかには長草履の形をしたものを足半という地方もあった。なお、古くは半物草(はんものぐさ)とよばれていたことが仮名草子にみられる。」

 

とある。

 「でかいた」は「でかした」のイ音便で、足半を牛の靴にすれば牛も音を立てずに走り、これで角に松明を括り付ければと、木曽義仲の倶利伽羅峠の戦いの火牛の計とする。

 「あしなか」は「よしなか」のもじりとも取れる。「芦」を「よし」と言うように。

 

無季。「牛」は獣類。

 

五十八句目

 

   でかいたぞ明日の足中牛の沓

 雑水の桶のからりとしたは    杉風

 (でかいたぞ明日の足中牛の沓雑水の桶のからりとしたは)

 

 牛は音を立てなくても桶がからりと音を立てる。

 雑水(ざうつ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 牛や馬などの家畜の飲料や飼料。

  ※運歩色葉(1548)「雑漿 ザウズ 飼牛之物」

  ※滑稽本・大山道中膝栗毛(1817)初「がうぎと牛をひいて来た、みんなぞうずを付けにゆくのだ」

  ② 食器などを洗った水。

  ※羅葡日辞書(1595)「Aquarium〈略〉Zǒzzu(ザウヅ) ナドヲ スツル トコロ、または、スイモン」

  〘名〙 よごれた水。すてるための水。

  ※仮名草子・片仮名本因果物語(1661)下「百日程馬の真似して、雑水(ザウミヅ)を馬桶(むまをけ)に入て呑(のま)せ」

 

とある。ここでは①の意味。

 

無季。

 

五十九句目

 

   雑水の桶のからりとしたは

 上方のかたぎ忘れぬ使たて    桃青

 (雑水の桶のからりとしたは上方のかたぎ忘れぬ使たて)

 

 前句の「からり」を擬音ではなく性格がさっぱりしているという意味にして、上方の気質(かたぎ)を付ける。

 

無季。「使」は人倫。

 

六十句目

 

   上方のかたぎ忘れぬ使たて

 はねもと結にかざすさし櫛    杉風

 (上方のかたぎ忘れぬ使たてはねもと結にかざすさし櫛)

 

 撥元結(はねもとゆひ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 江戸中期に流行した女性用の元結。芯(しん)に針金を入れて金紙・銀紙・色紙などで作り、結んだときに末がはね上がるようにした元結。若い女性が好んで用いた。はんがけ。はねもとい。

  ※俳諧・玉海集(1656)一「柳かみのはねもとゆひか三日の月〈季吟〉」

 

とある。

 上方の女性は頭をきらびやかに飾る。

 

無季。

 

六十一句目

 

   はねもと結にかざすさし櫛

 縁付や二度返る事なかれ     桃青

 (縁付や二度返る事なかれはねもと結にかざすさし櫛)

 

 縁付(えんづく)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 縁づくこと。結婚すること。嫁入り、婿入りすること。

  ※俳諧・紅梅千句(1655)八「縁付(エンヅキ)はすめる十九のわかをんな〈安静〉 あすの団子もちぎりをく袖〈季吟〉」

 

とある。前句を花嫁の髪とし、嫁に行ったらもう帰ってくるなよ、と送り出す。

 

無季。恋。

 

六十二句目

 

   縁付や二度返る事なかれ

 若もみつちやに恋やさめ南    杉風

 (縁付や二度返る事なかれ若もみつちやに恋やさめ南)

 

 「みつちや」は痘痕で疱瘡(いも)の跡をいう。たとえ疱瘡の跡で先方の恋が冷めたとして、何とかうまく居残れ。当時は顔を見ずに結婚をすることもあった。

 防災新聞のサイトの「日本の災害・防災年表」によると、寛文二年に「長崎で乳幼児を中心に天然痘大流行」とある。

 

無季。恋。

 

六十三句目

 

   若もみつちやに恋やさめ南

 岩橋の夜の小袖をひつかぶり   桃青

 (岩橋の夜の小袖をひつかぶり若もみつちやに恋やさめ南)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 岩橋の夜の契も絶えぬべし

     明るく侘しきかつらぎの神

              小大君(拾遺集)

 

とある。醜いと言われている葛城の神を、ここでは疱瘡の跡の残る女性とする。

 

無季。恋。「夜」は夜分。「小袖」は衣裳。

 

六十四句目

 

   岩橋の夜の小袖をひつかぶり

 一汗流す谷川の月        桃青

 (岩橋の夜の小袖をひつかぶり一汗流す谷川の月)

 

 岩橋を架ける葛城山から吉野へ岩橋を架ける一言主神を普通の労働者のように描いている。

 汗は松永貞徳が無季としたが、師匠によってばらつきもあり、汗が無季になるか夏になるかは文脈にもよる。ここでは夏。

 岩橋に谷川は

 

 奥山の人も通はぬ谷川に

     瀬々の岩橋誰渡しけむ

              京極関白家肥後(永久百首)

 

の歌がある。

 谷川の月は、

 

 谷川の流れしきよく澄みぬれば

     くまなき月の影も浮かびぬ

              京極関白家肥後(新古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「汗」で夏。「谷川」は山類、水辺。「月」は夜分、天象。

三裏

六十五句目

 

   一汗流す谷川の月

 手拭の雫に浪やよごす覧     杉風

 (手拭の雫に浪やよごす覧一汗流す谷川の月)

 

 澄んだ谷川の水に映る月も、手拭の雫に汚れるのだろうか。水はともかく月は汚れないと思うが。

 雫の月は、

 

 あれにけり汐汲む海人の苫庇

     雫も袖も月宿るまで

              藤原定家(新拾遺集)

 

の歌に詠まれいてる。

 

無季。「浪」は水辺。

 

六十六句目

 

   手拭の雫に浪やよごす覧

 六根罪障うたかたの淡      桃青

 (手拭の雫に浪やよごす覧六根罪障うたかたの淡)

 

 六根罪障は六根によって生じた罪障で、修験者は六根清浄を唱えて山を歩く。六根は眼根(視覚)、耳根(聴覚)、鼻根(嗅覚)、舌根(味覚)、身根(触覚)、意根(意識)をいう。

 手拭の雫で搾り取られた六根の罪障が、浪の上にうたかたの泡となって消えて行く。

 泡にうたかたは、

 

   まかる所しらせす侍りけるころ、

   又あひしりて侍りけるをとこのもとより、

   日ころたつねわひてうせにたるとなん

   思ひつるといへりけれは

 おもひかは絶えず流るる水の泡の

     うたかた人にあはで消えめや

              伊勢(後撰集)

 

の歌に詠まれている。

 

無季。釈教。

 

六十七句目

 

   六根罪障うたかたの淡

 とろろ汁生死の海を湛たり    杉風

 (とろろ汁生死の海を湛たり六根罪障うたかたの淡)

 

 前句の泡をとろろ汁の泡とし、とろろ汁を生死の海に見立てれば六根罪障もその泡となり消えて行く。

 

無季。釈教。「海」は水辺。

 

六十八句目

 

   とろろ汁生死の海を湛たり

 元小だたみは無面目にて     桃青

 (とろろ汁生死の海を湛たり元小だたみは無面目にて)

 

 「小だたみ」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 「海鼠を酒に漬けておき、煮出汁・塩・味みりんで味付けした中に入れて、わさびあえにした料理。」

 

とある。

 「無面目」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 恥ずかしくて人に顔向けができないようなこと。むめんぼく。また、面目をつぶされても平気でいるさま。はじしらず。〔温故知新書(1484)〕

  ② 物事の知識がないこと。ものを知らないこと。また、そのさま。ものしらず。

  ※志都の岩屋講本(1811)上「病状を知らぬ文盲医者坊が、無面目に攻撃を用ふるのは、こりゃごめんな事だが」

 

とある。

 生死の海で小だたみの元となる海鼠は、何も知らずに食われるということか。

 

無季。

 

六十九句目

 

   元小だたみは無面目にて

 開闢の天地すでに大砂鉢     杉風

 (開闢の天地すでに大砂鉢元小だたみは無面目にて)

 

 天宇受賣命(あまのうずめのみこと)が天孫降臨の際に猿田彦大神を送って行ったあと大小の魚を集め、天孫に仕えるかどうか尋ねた時、海鼠だけが黙っていたため天宇受賣命がの口を小刀で裂いたという。それ以来海鼠は食用になり、鉢に盛られるようになった。そのことを小だたみは知らない。

 

無季。神祇。

 

七十句目

 

   開闢の天地すでに大砂鉢

 岩戸に隠し給ふ行燈       桃青

 (開闢の天地すでに大砂鉢岩戸に隠し給ふ行燈)

 

 天地開闢から天の岩戸神話に展開するが、隠れたのは太陽ではなく行燈だった。

 

無季。神祇。「行燈」は夜分。

 

七十一句目

 

   岩戸に隠し給ふ行燈

 つらからむ鬼の目掛の袖枕    杉風

 (つらからむ鬼の目掛の袖枕岩戸に隠し給ふ行燈)

 

 鬼が目掛といるときに本妻が来たので、行燈を岩戸に隠して真っ暗でわからないようにする。

 

無季。恋。「袖枕」は夜分。

 

七十二句目

 

   つらからむ鬼の目掛の袖枕

 おもひの烟果ては釜焦      桃青

 (つらからむ鬼の目掛の袖枕おもひの烟果ては釜焦)

 

 「釜焦」は「かまいり」。思い焦がれて焦がれて焦げてで、釜炒り状態になる。

 

無季。恋。

 

七十三句目

 

   おもひの烟果ては釜焦

 菜刀の先にうらみは尽すまじ   杉風

 (菜刀の先にうらみは尽すまじおもひの烟果ては釜焦)

 

 菜刀は菜切り包丁で先は尖ってないから、刺すのではなく、切り刻んで釜炒りにしてやる、ということ。どっちにしても恐ろしい。

 

無季。恋。

 

七十四句目

 

   菜刀の先にうらみは尽すまじ

 後妻打や相槌の露        桃青

 (菜刀の先にうらみは尽すまじ後妻打や相槌の露)

 

 「後妻打(うはなりうち)」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「主として平安時代の末から戦国時代頃まで行われた習俗で,離縁になった前妻 (こなみ) が後妻 (うわなり) にいやがらせをする行動をいう。女性が別れた夫の寵愛をほしいままにしている新しい妻をねたむあまり,憤慨してその同志的な婦人らとともに後妻のところへ押寄せていくこと。一方,後妻のほうでも,その仲間の女性たちを集めて応戦した。武器としてはほうきやすりこぎなどの家庭用の道具が用いられた。」

 

とある。ウィキペディアによると寛永を過ぎた頃には途絶えたとある。ただ、話としては残っていて、歌川広重の浮世絵にも描かれている。

 儀礼的な闘争に菜刀はちょっと穏やかでない。ただ、ここでは恨みが尽きないという前妻に相槌を打つ女性が、ならば後妻打や、と提案する句で、そんな物騒なものでもない。

 貞徳独吟「哥いづれ」の巻の三十九句目に、

 

   清水坂の辻にまつ袖

 かつたゐにうはなり打をあつらへて 貞徳

 

とあり、延宝六年春の「さぞや都」の巻二十一句目にも、

 

   鉄杖鯉の骨をくだくか

 酒の月後妻打の御振舞      桃青

 

の句がある。

 

季語は「露」で秋、降物。恋。

 

七十五句目

 

   後妻打や相槌の露

 唐衣涙洗し袖の月        杉風

 (唐衣涙洗し袖の月後妻打や相槌の露)

 

 前句の相槌を砧を打つ槌のこととして唐衣を涙で洗う女性を付ける。

 唐衣は女性の着る「からぎぬ」と万葉の頃の韓衣(からころも)があったが、後者が廃れ枕詞に名残を残していたため、中世には在原業平が「唐衣着つつなれにし」と詠んだのを理解できず、謡曲『杜若』では、

 

 「これこそ歌に詠まれたる唐衣、高子の后の御衣にてさむらへ。又この冠は業平の、豊の明の五節の舞の冠なれば、かたみの冠唐衣、身に添へ持ちさむらふなり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.29161-29169). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

と、高子(たかきこ)の后の形見の唐衣ということになっている。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「唐衣」「袖」は衣裳。

 

七十六句目

 

   唐衣涙洗し袖の月

 終には無常早藁の灰       桃青

 (唐衣涙洗し袖の月終には無常早藁の灰)

 

 前句の「涙洗し」から無常に転じる。

 

季語は「早藁」で秋。無常。

 

七十七句目

 

   終には無常早藁の灰

 花紅葉明し暮して物として    杉風

 (花紅葉明し暮して物として終には無常早藁の灰)

 

 花紅葉(はなもみぢ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 春の桜の花と秋の紅葉。花や紅葉。また、広く春秋の美しい自然のながめをいう。

  ※宇津保(970‐999頃)祭の使「めづらしき花もみぢ、おもしろき枝に、ありがたき紙に書きて」

  ② 花のように色あざやかな紅葉。

  ※蜻蛉(974頃)上「車のしりのかたに、はなもみぢなどやさしたりけん」

 

とある。ここでは①の方で、生涯を花に紅葉に明け暮れた風流人も、ついには灰となった。

 貞徳の『俳諧御傘』に「花紅葉 正花なれども雑なり」とある。春とも秋とも決定できない。

 

無季。「花」「紅葉」は植物、木類。

 

七十八句目

 

   花紅葉明し暮して物として

 葛籠一荷にためし夏冬      杉風

 (花紅葉明し暮して物として葛籠一荷にためし夏冬)

 

 前句の「物」を着物のこととして葛籠に貯めたする。

 前句の「花紅葉」の春秋決定不能の詞を「夏冬」で受ける。

 

無季。

名残表

七十九句目

 

   葛籠一荷にためし夏冬

 古郷へは裁付着てや帰るらん   桃青

 (古郷へは裁付着てや帰るらん葛籠一荷にためし夏冬)

 

 「裁付(たつつけ)」はコトバンクの「百科事典マイペディアの解説」に、

 

 「労働用の山袴(やまばかま)で,まった袴,ゆき袴といい,裁着,立付とも書く。股引(ももひき)に脚絆(きゃはん)を付けた形で,ひざ下がぴったりした袴。地方武士の狩猟服であったが,戦国時代に一般化,江戸時代には庶民の仕事着となった。相撲の呼出し,角兵衛獅子(かくべえじし)などが着用。

→関連項目袴|もんぺ」

 

とある。もんぺの元になったものだが、ひざ下を脚絆で裾が広がらないように固定して用いる。忍者の衣装にもなっている。今日の建築系の労働者が穿いている鳶ズボンにも似ているが、脚絆を使用しないために裾をたぷたぷさせている人が多い。

 前句の葛籠一荷に、そんな大荷物をこさえて裁付着て里帰りする気か、と揶揄する。

 支考の『梟日記』に「正秀はいかにたちつけ着る秌やきぬらん」とあるが、裁付(たつつけ)をいつも履いていて、門人の間で有名だったか。

 

無季。「裁付」は衣裳。

 

八十句目

 

   古郷へは裁付着てや帰るらん

 葎の宿をおもふ獅子舞      杉風

 (古郷へは裁付着てや帰るらん葎の宿をおもふ獅子舞)

 

 獅子舞の中の人も裁付を履いている。古郷を古い里として葎の宿に帰るとする。

 葎の宿といえば、

 

 八重葎茂れる宿のさびしきに

     人こそ見えね秋は来にけり

              恵慶法師(拾遺集)

 

が思い浮かぶ。

 

無季。「葎の宿」は居所。

 

八十一句目

 

   葎の宿をおもふ獅子舞

 笛の声嵐木枯吹れたり      桃青

 (笛の声嵐木枯吹れたり葎の宿をおもふ獅子舞)

 

 田舎の寂しげな葎の宿で正月の獅子舞の練習をしていると、笛の音に嵐や木枯しの音が混じる。

 

季語は「木枯」で冬。

 

八十二句目

 

   笛の声嵐木枯吹れたり

 義経是にて雪の暁        杉風

 (笛の声嵐木枯吹れたり義経是にて雪の暁)

 

 牛若丸というと京の五条で笛を吹いているというイメージがある。その牛若丸が使っていたと伝えられる薄墨の笛が静岡市清水区の鉄舟寺に残されているという。

 ここでは木枯しの中を吹くので、「雪の暁」の景を付ける。芝居の台本っぽい言い回しで。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

八十三句目

 

   義経是にて雪の暁

 玉子酒即事に須磨を打つぶし   桃青

 (玉子酒即事に須磨を打つぶし義経是にて雪の暁)

 

 義経が須磨の平家に打ち勝った一ノ谷の戦いは旧暦二月七日で、実際は春だった。

 ここでは雪の暁に玉子酒を飲んで出陣したことにしている。

 

季語は「玉子酒」で冬。「須磨」は名所、水辺。

 

八十四句目

 

   玉子酒即事に須磨を打つぶし

 冷も発らぬ大浪の跡       杉風

 (玉子酒即事に須磨を打つぶし冷も発らぬ大浪の跡)

 

 玉子酒は冷え性にも効くので、須磨の大浪をかぶってもへっちゃら。

 

季語は「冷(ひえ)」で秋。「大浪」は水辺。

 

八十五句目

 

   冷も発らぬ大浪の跡

 疝気持藻に住虫の音絶て     桃青

 (疝気持藻に住虫の音絶て冷も発らぬ大浪の跡)

 

 「疝気(せんき)」はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」には、

 

 「近代以前の日本の病名で,当時の医学水準でははっきり診別できないまま,疼痛をともなう内科疾患が,一つの症候群のように一括されて呼ばれていた俗称の一つ。単に〈疝〉とも,また〈あたはら〉ともいわれ,平安時代の《医心方》には,〈疝ハ痛ナリ,或ハ小腹痛ミテ大小便ヲ得ズ,或ハ手足厥冷シテ臍ヲ繞(めぐ)リテ痛ミテ白汗出デ,或ハ冷気逆上シテ心腹ヲ槍(つ)キ,心痛又ハ撃急シテ腸痛セシム〉とある。江戸時代の《譚海》には,大便のとき出てくる白い細長い虫が〈せんきの虫〉である,と述べられているが,これによると疝気には寄生虫病があった。」

 

とある。

 疝気を虫が起こすというところから、前句の「大浪」に掛けて疝気を起こしている藻に住む虫が流されて直ったとする。

 藻に住む虫は『校本芭蕉全集 第三巻』の注にあるように、

 

 海人の刈る藻に住む蟲のわれからと

     音をこそ泣かめ世をば恨みじ

              典侍藤原直子朝臣(古今集)

 

の歌による。

 

季語は「虫」で秋、虫類。

 

八十六句目

 

   疝気持藻に住虫の音絶て

 朝霧たたむ夜着の芦田鶴     杉風

 (疝気持藻に住虫の音絶て朝霧たたむ夜着の芦田鶴)

 

 疝気の虫の音が絶えて、「朝霧の立たむ」に夜着を「畳む」を掛ける。

 芦田鶴(あしたづ)は、

 

 さ夜更けて聲さへ寒きあしたづは

     幾重の霜か置きまさるらむ

            藤原道信朝臣(新古今集)

 

の歌のように、寒い冬に詠む。寒い夜の夜着の芦田鶴も「発つ」と三重の掛詞になる。

 

季語は「朝霧」で秋、聳物。「夜着」は夜分、衣裳。「芦田鶴」は鳥類。

 

八十七句目

 

   朝霧たたむ夜着の芦田鶴

 揚屋より月は雲ゐに帰るる    桃青

 (揚屋より月は雲ゐに帰るる朝霧たたむ夜着の芦田鶴)

 

 前句の「たたむ夜着の芦田鶴」を鶴の模様をあしらった豪華な夜着として、吉原などの遊郭の遊女とする。

 月に喩えられるような大事なお客様が帰るので、夜着を畳む。

 「雲居」は皇居のことだが、ここでは身分の高いお方の屋敷ということか。

 芦田鶴に雲居は、

 

 むかしみし雲ゐをこひて芦鶴の

     沢辺に鳴くやわが身なるらん

              藤原公重(詞花集)

 

の歌に詠まれている。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。

 

八十八句目

 

   揚屋より月は雲ゐに帰るる

 乙女の姿白じゆすの帯      杉風

 (揚屋より月は雲ゐに帰るる乙女の姿白じゆすの帯)

 

 これは言わずと知れた、

 

 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ

     をとめの姿しばしとどめむ

              僧正遍照(古今集)

 

による付けで、白繻子の帯を締めた遊女の帰って行くのを惜しむ。

 

無季。恋。「乙女」は人倫。「白じゆすの帯」は衣裳。

 

八十九句目

 

   乙女の姿白じゆすの帯

 呉服物後藤源氏の物思ひ     桃青

 (呉服物後藤源氏の物思ひ乙女の姿白じゆすの帯)

 

 「呉服物」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 織物、反物などの類。

  ※浮世草子・好色一代男(1682)八「難波男、呉服物(ゴフクもの)ととのえにのぼりて室町に有しが」

 

とある。後藤源氏は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、「縫物所後藤縫殿助。幕府の御用呉服所。」とある。ウィキペディアに、

 

 「後藤縫殿助(ごとうぬいのすけ)は、江戸時代に代々呉服師を手がけた後藤家の当主が名乗った名称である。江戸幕府の御用達呉服師として仕え、彫金師の彫物後藤および小判鋳造を手がけた金座後藤庄三郎家と区別するため呉服後藤(ごふくごとう)とも呼ばれた。また後藤縫之助と書かれる場合もある。」

 

とある。

 後藤縫殿助を源氏に見立てて白繻子帯の乙女に恋をする。

 

無季。恋。「呉服物」は衣裳。

 

九十句目

 

   呉服物後藤源氏の物思ひ

 石山寺に残るうち敷       杉風

 (呉服物後藤源氏の物思ひ石山寺に残るうち敷)

 

 大津の石山寺はウィキペディアによると、「『源氏物語』の作者紫式部は、石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承がある。」という。

 「うち敷」は打敷で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 家具などを置くときに装飾用に敷く布帛(ふはく)の敷物。

  ※宇津保(970‐999頃)吹上上「君だち四所、国の守までに、紫檀の折敷(をしき)二十(はたち)、紫檀の轆轤挽(ろくろびき)の坏(つき)ども、敷物、うちしき、御供の人の前ごとにたてわたし」

  ② 仏前、仏座を荘厳にするため、仏前の卓上を覆う布。金襴(きんらん)、緞子(どんす)の類を用いる。この上に、供物(くもつ)、仏具などを載せる。〔庭訓往来(1394‐1428頃)〕

  ③ 香をたくために香炉の中に置く水晶、銀製などの薄板(日葡辞書(1603‐04))。

  ④ 菓子を器に盛るときに敷く白紙。

〘他カ四〙 (「うち」は接頭語) その上に寝たりすわったりするために、物を平らにのべひろげる。敷く。

  ※宇津保(970‐999頃)内侍督「しとねうちしきてゐ給て」

 

とある。

 源氏物語を書いた紫式部ではない後藤縫殿助源氏は、石山寺の打敷をどうするかで悩んでいる。

 

無季。釈教。

 

九十一句目

 

   石山寺に残るうち敷

 夕暮は御前蝋燭飛蛍       桃青

 (夕暮は御前蝋燭飛蛍石山寺に残るうち敷)

 

 「御前蝋燭(ごぜんろうそく)」は御前蝋燭(おまえろうそく)のことであろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 浄土真宗で、仏前にともすろうそくのこと。

  ※俳諧・富士石(1679)三「お前蝋燭蜻蛉(カゲロフ)の暮草の露〈調機〉」

 

とある。夏の景に転じる。

 

季語は「蛍」で夏、虫類。釈教。

 

九十二句目

 

   夕暮は御前蝋燭飛蛍

 是彼岸の浮草の浪        杉風

 (夕暮は御前蝋燭飛蛍是彼岸の浮草の浪)

 

 蛍の飛ぶ夕暮れに、向こう岸の浮草と、ここも穏やかに景を付けて流す。

 

季語は「浮草」で夏、植物、草類。釈教。「岸」「浪」は水辺。

名残裏

九十三句目

 

   是彼岸の浮草の浪

 六度まで渡かねたる橋越て    桃青

 (六度まで渡かねたる橋越て是彼岸の浮草の浪)

 

 「六度」は六波羅蜜のことで、コトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 

 「〈ろっぱらみつ〉ともいう。波羅蜜はサンスクリットのpāramitāを音写した語で,波羅蜜多ともされる。〈完成した,到達した〉を意味し,仏教経典では古くは〈度(ど)〉,またのちには〈到彼岸(とうひがん)〉などとも訳されている。この度や到は〈渡る,到る〉の意味で,迷いのこちら側から,悟りのむこう側へ渡った,到着したことを表している。大乗仏教の最も重要な修行方法を六種とし,それらの完成した,完全なあり方を波羅蜜と名づけたのである。」

 

とある。六種は布施・持戒・忍辱(にんにく)・精進・禅定・智慧だという。

 到彼岸(とうひがん)に掛けて、橋を渡り彼岸に行くとする。

 

無季。「橋」は水辺。

 

九十四句目

 

   六度まで渡かねたる橋越て

 よしなき    千万      杉風

 (六度まで渡かねたる橋越てよしなき    千万)

 

 四字欠落しているのは伏字と同じ。底本の『芭蕉杉風両吟百韻』には「二句虫ばみ見えず」とあり、『新編芭蕉一代集』に「謀反笑止」が入るという。

 六度が六波羅で、六波羅で謀反というと、鎌倉時代に二月騒動という事件があった。ウィキペディアに、

 

 「二月騒動(にがつそうどう)は、鎌倉時代中期の文永9年(1272年)2月、蒙古襲来の危機を迎えていた鎌倉と京で起こった北条氏一門の内紛。鎌倉幕府8代執権・北条時宗の命により、謀反を企てたとして鎌倉で北条氏名越流の名越時章・教時兄弟、京では六波羅探題南方で時宗の異母兄北条時輔がそれぞれ討伐された。」

 

とある。

 あまり有名な事件ではないが、謀反ということで、慶安四年(一六五一年)に起きた慶安の変への展開を意図して仕掛けたのではないかと思う。

 

無季。

 

九十五句目

 

   よしなき    千万

 夢なれや    夢なれや    杉風

 (夢なれや    夢なれやよしなき    千万)

 

 まあ、面白いからと言ってあえて伏字にしたなら、それで続けてみようということで、もう一句、謀反を別の人に転じて付けることになる。同じネタが三句にまたがるわけにはいかない。

 そういうわけで、ここは、慶安四年(一六五一年)に慶安の変を起こした「由井正雪」ということになる。

 

無季。

 

九十六句目

 

   夢なれや    夢なれや

 扨々荒し軒の宿札        桃青

 (夢なれや    夢なれや扨々荒し軒の宿札)

 

 ウィキペディアによると、由井正雪は、

 

 「計画が露見していることを知らないまま、7月25日駿府に到着した。駿府梅屋町の町年寄梅屋太郎右衛門方に宿泊したが、翌26日の早朝、駿府町奉行所の捕り方に宿を囲まれ、自決を余儀なくされた。」

 

とある。そこで宿が荒れたことを付ける。

 

無季。

 

九十七句目

 

   扨々荒し軒の宿札

 朝朗原吉原を打過て       桃青

 (朝朗原吉原を打過て扨々荒し軒の宿札)

 

 東海道で原宿、吉原宿ときたら次は蒲原宿。その次はというわけだ。由比。

 

無季。旅体。

 

九十八句目

 

   朝朗原吉原を打過て

 壱分にいくら相場聞也      杉風

 (朝朗原吉原を打過て壱分にいくら相場聞也)

 

 壱分は壱分金のことで、当時は壱部銀はなかった。壱部銀は幕末の天保の頃に登場する。

 旅の途中では小銭が必要なので、金で持ち歩いて、所々で銭に両替する。銭で持ち歩くと重くてかさ張るからだ。『奥の細道』の時の曾良の『旅日記』にも、銭の相場と思われる数字が書き込んである。

 

無季。

 

九十九句目

 

   壱分にいくら相場聞也

 折添て薪に花は花は花は     桃青

 (折添て薪に花は花は花は壱分にいくら相場聞也)

 

 大原の薪売りであろう。大原女は木炭や炭にする前の乾燥させた状態の黒木を薪として売りに来て、京の街のエネルギーを支えてきた。

 その一方で、この時代の女性の行商人には別のことを期待する男たちもいて、「花は」というのは暗に春を売ってくれということなのではないかと思う。相場は金壱分と銭いくら?としつこく聞く。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   折添て薪に花は花は花は

 都のぐるり山里の春       杉風

 (折添て薪に花は花は花は都のぐるり山里の春)

 

 京の都は山に囲まれ、そこには今を盛りと山桜が咲く。最後は奇麗にまとめて、一巻は目出度く終わる。

 

季語は「春」で春。「山里」は居所。