「十いひて」の巻、解説

初表

   鼻は(たもと)(よだれ)(ふところ)をうるほし、余念なき腹の

   上に指を(をる)も、いくつね幾つ(おき)て、それも(これ)

   もと(まち)かねし春の日も、ちよろり(くれ)ては又々

   (あけ)て、わが年も今朝(おい)て、二度児(ふたたびちご)(たのしみ)とあど

   なきことば、ふつふと出次第、しからば怒れ

   しかるとままよ

 (とを)いひて四つの時めく年始(かな)    ()(らく)

   春日(はるひ)かがやく算盤(そろばん)の上

 (つも)(だか)何程ととふ雪(きえ)

   膝ぶし(ぎは)来鳴(きなく)うぐひす

 道服(だうふく)のすそより霞む山つづき

   領内ひろくはやり出の医師

 百姓のかくのりものに月をのせて

   塩屋(しほや)一家(いつか)花野の遊舞

 

初裏

 (ゆふ)(づゆ)は浦辺におゐて(かくれ)なし

   とふにおよばぬあれは船持

 (のむ)酒の(その)(ばかり)(がつ)(てん)じや

   市立(いちたち)さはぐ中の目くばせ

 とらへぬる盗人は(これ)(いも)()

   ()()()の里に()(がき)かく(なり)

 白雨(ゆふだち)(さて)京ちかき瓦ぶき

   奉加すすむる山々みねみね

 客僧は北陸(ほくろく)(どう)に拾二人

   きのふも三度(おこ)るもののけ

 難産を(つげ)る使は追々(おひおひ)

   ()をもとめてよ馬でいそがせ

 花の宿に醤油(しゃういう)(ぶね)は月の暮

   長閑(のどか)にすめる江戸の川口

 

 

二表

 殿風(とのかぜ)(たつ)春風やおさるらん

   弓はふくろに雲はどちやら

 天下みな見えすくやうに(をさま)りて

   紙一枚に名所旧跡

 扇まつ歌人()ながら抜出(ぬけいだ)

   みださざりける大うちの時宜(じぎ)

 果報力(くわほうりき)つよき上戸(じゃうご)差合(さしあひ)

   耳(ひき)手をねぢ(わけ)御座(ござ)らぬ

 喧嘩(けんくわ)をばかやうかやうに仕ちらかし

   目安(めやす)にのするより棒の事

 (わたくし)()木戸のものにて(そふらひ)

   銭はもどりに慈悲を(たま)はれ

 月影も(めぐ)り忌日の寺まいり

   (ずい)()のなみだ袖に(おく)

 

二裏

 (いも)葉風(はかぜ)只ぶりしやりと別れ様

   男にくみのいそぐ(あぜ)みち

 布を()る所は(ここ)余所(よそ)(ごころ)

   あれたる駒をつなぐ(うち)(ぐひ)

 昼休みあたりにちかき国境(くにざかひ)

   狩場(かりば)の御供これまでにこそ

 かたみわけ三日(さんじつ)かけて以前より

   書置(かきおき)にする五人組判

 (たしか)にも見とどけ(まうす)鰹ぶし

   うたがひもなき初雁(はつかり)の汁

 律儀者(りちぎもの)の下屋敷にて月の会

   所もところ和歌も身にしむ

 (さく)花は(きの)()の山のとつとおく

   しぶぢの(わん)も霞む弁当

 

 

三表

 春の風古道具みせ音信(おとづれ)

   一条通り雪はすつきり

 夏の月(いり)てあとなき鬼のさた

   極楽らくにきくほととぎす

 夕涼み草のいほりにふんぞりて

   頓死をつぐる鐘つきの袖

 高砂(たかさご)尾上(をのへ)につづく親類に

   かしこはすみのえ状のとりやり

 相場もの神の(つげ)をも(まち)たまへ

   七日まんずる夜の入ふね

 墓まいり(さて)茶の子には餅ならん

   なみだかた手に提る重箱

 とはじとの便(たより)うらむる下女(しもをんな)

   おもひはいろに出がはり時分

 

三裏

 一ぱいの(つけ)ざも霞む小宿にて

   ぬるめる水ももりませぬ中

 (いれ)なをす桶の輪竹の永日(ながきひ)

   久しくなりぬうどん商売

 我見ても常住(じゃうぢう)おろすこせうのこ

   同じ拍子にくさめくつさめ

 雨だれの(おち)くる風や(ひき)ぬらん

   おかはもあらひ戸障子もさせ

 はひ出もの月さす(ねや)(よび)よせて

   露の(なさけ)はいやでもをふでも

 秋風にあふた時こそ縁ならめ

   後の彼岸の善智識(ぜんちしき)(さま)

 高座には異香(いきゃう)(くん)ずる花(ちり)

   弥陀(みだ)来迎(らいがう)目前(もくぜん)の春

 

 

名残表

 ふつとふく息やうららに(いで)ぬらん

   浪間(なみま)かき(わけ)およぐ海士人(あまびと)

 破損(はそん)(げに)それよりは十三艘

   四国九(しこくく)(こく)のうら手形(なり)

 米俵あらためらるる()利支(りし)(たん)

   大黒のある銀弐百まひ

 お住持(ぢうぢ)の不儀はへちまの皮袋

   からかさ一本女郎町の湯屋

 (あめ)(うる)人の心もうつり(がさ)

   (しらみ)はひ出る神前の月

 秋まつり古ふんどしも時を得て

   相撲の芝居ゆるされにけり

 位にも昇る四条の役者共

   引三(ひくしゃみ)(せん)は座頭よりなを

 

名残裏

 鯨よる浦づたひしてふなあそび

   五分(ごぶ)(いち)(まづ)たつ友千鳥

 勘定帳幾夜ね(ざめ)にとぢぬらし

   手代のこらずきくかねの声

 (しも)くだりあかぬ(わかれ)(をし)むらん

   堺のうみのしほよなみだよ

 和泉灘(いづみなだ)花の浪(たつ)うき名(たつ)

   恋風(こひかぜ)東風風(こちかぜ)(ふき)とばすふね

 

     参考;『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)

初表

発句

 

   鼻は(たもと)(よだれ)(ふところ)をうるほし、余念なき腹の

   上に指を(をる)も、いくつね幾つ(おき)て、それも(これ)

   もと(まち)かねし春の日も、ちよろり(くれ)ては又々

   (あけ)て、わが年も今朝(おい)て、二度児(ふたたびちご)(たのしみ)とあど

   なきことば、ふつふと出次第、しからば怒れ

   しかるとままよ

 (とを)いひて四つの時めく年始(かな)    ()(らく)

 

 くしゃみをすれば鼻水が袂を汚し、涎も垂れて懐を潤すが、別に懐の金が増えるわけではない。思えば指折り数えて今まで何回寝て何回起きたか数知れないが、正月が来たかと思っても、いつの間にちょろっとその年も暮れて、そうやって何年も経て、いつしか四十初老の隠居の身にもなれば、また赤ちゃんに戻ったような気分で、ふつふつとこの百韻一巻の言葉が湧き出て来た。何分子供なので𠮟って下さい。前書きはこんな感じだろうか。

 「十いひて四つ」は十を四回数えるということで、四十になって新たな第二の人生をと時めく年始め、ということになる。

 長点で「発句よりは若老うら山しく候」とある。若老はこの場合は初老ということか。七十になる宗因からすればこの若さは羨ましいという所だろう。まだまだ伸びしろがあるというところか。

 

季語は「年始」で春。

 

 

   十いひて四つの時めく年始哉

 春日(はるひ)かがやく算盤(そろばん)の上

 (十いひて四つの時めく年始哉春日かがやく算盤の上)

 

 新春の日差しが算盤の上を照らす。

 前句の十を四つを算盤の(たま)を一つ一つはじく仕草とする。

 点あり

 

季語は「春日」で春、天象。

 

第三

 

   春日かがやく算盤の上

 (つも)(だか)何程ととふ雪消て

 (積り高何程ととふ雪消て春日かがやく算盤の上)

 

 (つも)(だか)は今でいう見積りの金額のことか。それに雪の積もる高さとを掛けている。

 見積りという言葉はコトバンクで見ると近代の用例になってしまうが、積(つもり)に関してはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「積」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 (動詞「つもる(積)」の連用形の名詞化)

  ① つもること。かさなって量が増えること。回数をかさねること。また、その結果。

  ※平中(965頃)五「春雨にふりかはりゆく年月の年のつもりや老になるらむ」

  ② あらかじめ見はからって計算すること。みつもり。予算。また、計算。計算法。

  ※玉塵抄(1563)二「周は四方どちも百里のひろさぞ。これやうなつもりは周礼の書にあるぞ」

  ③ たぶんそうなるだろうという考え。また、こうしようとする意図。心ぐみ。

  ※浮世草子・傾城禁短気(1711)六「思ひ入の女郎請出してしまふて、悪所の通ひをやめたが上分別といふ人あれど、それは岡のつもり也」

  ※滑稽本・浮世床(181323)初「おらア路考茶といふ色ではやらせるつもりだ、むごくいふぜ」

  ④ 推量。推測。また、想像。

  ※滑稽本・浮世風呂(180913)二「最も疾に死んだ跡をくすりはなきか、何のかのと探り廻るが、鉄砲で打殺した物が薬位で届くものじゃアないはな。つもりにもしれたものだ」

  ⑤ 工面(くめん)。調達。才覚。

  ※咄本・諺臍の宿替(19C中)「米買銭のつもりをおまへがして、節季に逃あるかぬやうにしてお置き」

  ⑥ 限度。かぎり。際限。終わり。はて。

  ※御伽草子・文正草子(室町末)「こころよくて、食ふ人病なく若くなり、また塩のおほさつもりもなく、三十層倍にもなりければ」

  ⑦ 酒宴の終わりの杯。また、酒席でその酌限りに終わりとすること。納杯。おつもり。

  ※俚言集覧(1797頃)「つもり 飲酒の畢りをつもりと云。つもりはつまり也とまり也。つもり、つまり、とまり同じ言なるべし」

  [語誌](1)中古及び中世前期には、もっぱら積みかさなることという①の意味で用いられていたが、中世後期から近世にかけて、動詞「つもる」と共に、多く金銭に関わる計算といった②の意味用法が現われ、近世末には⑤の意にも使われた。

  (2)近世では、計算の意味が拡大されて、ある事柄について予測をするところから④の推量用法が生じ、また、将来の予定というところから、③の意志用法も派生し、文化文政期の頃から、用例が急速に増え始める。

  (3)幕末から明治にかけて、④の推量用法は衰え、もっぱら③の意志用法が主となる。それに伴って、構文上も、断定辞や終助詞などを伴って文末に現われる形式の固定化が進み、現在では、文中に単独で現われることはほとんどない。

  (4)一方、①に含まれていた、数をかさねる意から、中世末に、回数をかさねてそれ以上かさねられなくなることを「つもり(も)なし」というようになって⑥の意が生じ、⑦の用法につながった。」

 

とある。

 雪の積もり高は①で、前句との関係での算盤の積もり高は②になる。心算(つもり)というのは③の用法になる。

 雪がどれだけ積もるかと思ってるうちに雪は解けて、算盤の見積りだけが残る。後の蕉門の、

 

 下京や雪つむ上の夜の雨   凡兆

 

の句を思わせる。

 点あり。

 

季語は「雪消て」で春。

 

四句目

 

   積り高何程ととふ雪消て

 膝ぶし(ぎは)来鳴(きなく)うぐひす

 (積り高何程ととふ雪消て膝ぶし際に来鳴うぐひす)

 

 膝ぶしはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「膝節」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 膝の関節。膝がしら。

  ※金刀比羅本保元(1220頃か)中「景能がめての膝(ヒザ)ぶし、からんでたてぎりにつっといきりて」

 

とある。

 雪がすぐに消えるというよりも、じわじわと雪の溶けてきて、膝節の高さになった頃に鶯が鳴く、と転じる。前句の「何程」を「膝ぶし際」で受ける。

 長点だがコメントはない。

 

季語は「うぐひす」で春。鳥類。

 

五句目

 

   膝ぶし際に来鳴うぐひす

 道服(だうふく)のすそより霞む山つづき

 (道服のすそより霞む山つづき膝ぶし際に来鳴うぐひす)

 

 道服はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「道服」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 道家の人の着る衣服。〔遵生八牋‐起居安楽牋・遊具〕

  ② 公家の堂上が普段着として着用した上衣。袖がひろく、裾にひだを設けた羽織に類するもの。

  ※塵袋(126488頃)八「雨ふらぬ時も乗馬する時は上にうちきて、おひもせぬものあり。其をば道服と云ふとかや」

  ③ 袈裟のこと。また真宗では直綴(じきとつ)に似た略衣をいい、直綴そのものをさすこともある。

  ※続日本紀‐養老元年(717)四月壬辰「恣任二其情一、剪レ髪髠レ鬂、輙着二道服一、貌似二桑門一、情挟二姧盗一」

 

とある。この場合は②で胴服とも言う。羽織の原型のようなもので裾が短く、膝節より上に来る。

 遠くの裾野の霞む山を道服に見立てて、膝下にあたる麓の方が霞んでいて、その辺りから鶯の声がする。

 点あり。

 

季語は「霞む」で春、聳物(そびきもの)。「道服」は衣裳。「山つづき」は山類。

 

六句目

 

   道服のすそより霞む山つづき

 領内ひろくはやり出の医師

 (道服のすそより霞む山つづき領内ひろくはやり出の医師)

 

 当時の医者は僧形(そうぎょう)なので、この場合の道服は③の袈裟(けさ)のことになる。

 はやり出はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「流行出」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 流行し始めること。はやりだすこと。

  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「道服のすそより霞む山つづき 領内ひろくはやり出の医師〈意楽〉」

  ② はやりの出立(いでたち)。流行の衣装をつけた姿。

  ※浮世草子・好色一代男(1682)六「男は本奥島(ほんおくじま)の時花出(ハヤリデ)

 

とある。この場合は①の意味。

 領内広く名が知れ渡って、霞む山のふもとまでその名が轟いている。

 点なし。

 

無季。「医師」は人倫。

 

七句目

 

   領内ひろくはやり出の医師

 百姓のかくのりものに月をのせて

 (百姓のかくのりものに月をのせて領内ひろくはやり出の医師)

 

 かくといえば駕籠(かご)。駕籠かきは百姓で、「月をのせて」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に謡曲『松風』を引いて

 

 「みつ汐の・(よる)の車に月を載せて、憂しとも思はぬ(しお)()かなや。(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.1558). Yamatouta e books. Kindle .

 

とある。去ってゆく車とともに月が沈んでゆくということで、流行の医師も百姓の担ぐ駕籠に乗って夜明けまで領内広く巡回する。

 点あり。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「百姓」は人倫。

 

八句目

 

   百姓のかくのりものに月をのせて

 塩屋(しほや)一家(いっか)花野の遊舞

 (百姓のかくのりものに月をのせて塩屋の一家花野の遊舞)

 

 前句の謡曲『松風』は藻塩焼く(あま)の家の松風・村雨の姉妹に挟まれる在原(ありはらの)行平(ゆきひら)の物語だが、それを現代風に羽振りの良い塩田農家の遊舞とする。

 この時代は藻塩製塩は既に廃れていて、塩田製塩が主流になっていた。

 点なし。

 

季語は「花野」で秋、植物、草類。「塩屋」は居所。

初裏

九句目

 

   塩屋の一家花野の遊舞

 (ゆふ)(つゆ)は浦辺におゐて(かくれ)なし

 (夕露は浦辺におゐて隠なし塩屋の一家花野の遊舞)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は、

 

 いかにせむ葛のうらふく秋風に

     下葉の露のかくれなき身を

             相模(新古今集)

 

の歌を引いている。

 ただ、この場合隠せないのは泪の露ではなく、夕露という遊女であろう。上方の伝説の遊女夕霧太夫をイメージしたものか。

 夕霧太夫は延宝六年没だから、この時点ではまだ現役。宗因の寛文の頃の独吟恋百韻「花で候」の巻も、

 

   さしにさしお為に送る花の枝

 太夫すがたにかすむ面影     宗因

 

と今を時めく太夫の登場で締めっくくっている。寛文十二年までは島原遊郭にいたが、以後大坂新町に移転している。浦辺と言えなくもない。

 点なし。

 

季語は「夕露」で秋、降物。「浦辺」は水辺。

 

十句目

 

   夕露は浦辺におゐて隠なし

 とふにおよばぬあれは船持

 (夕露は浦辺におゐて隠なしとふにおよばぬあれは船持)

 

 船持(ふなもち)は船のオーナーで、お金も持ってそうだ。

 

 わくらばにとふ人あらば須磨の浦に

     藻塩たれつつわぶとこたへよ

             在原(ありはらの)行平(ゆきひら)(古今集)

 

を踏まえて、行平なら隠れて住んでどうしてこんな所にいるんだと問う人もいるだろうけど、金持ちの船のオーナーはこれ見よがしで問う必要はない。

 点あり。

 

無季。「船持」は人倫。

 

十一句目

 

   とふにおよばぬあれは船持

 (のむ)酒の(その)(ばかり)(がつ)(てん)じや

 (呑酒の其壺許は合点じやとふにおよばぬあれは船持)

 

 舟持ちは太っ腹で、酒の一坪くらい奢るなんて何でもない。問う必要もない。

 点あり。

 

無季。

 

十二句目

 

   呑酒の其壺許は合点じや

 市立(いちたち)さはぐ中の目くばせ

 (呑酒の其壺許は合点じや市立さはぐ中の目くばせ)

 

 市立(いちたち)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「市立」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① (いち)が立つこと。また、市。→市が立つ。

  ※虎明本狂言・河原太郎(室町末‐近世初)「けふは天気がよひに依て、したたかな市立じゃ」

  ② 市に出かけること。また、その人。

  ※政基公旅引付‐文亀元年(1501)六月一七日「市立の人々地下よりかくして各返し申て候由」

 

とある。

 酒一壺は市場の人への差し入れだった。持ってくるときに目配せして、思いの人に合図する。

 点なし。

 

無季。恋。

 

十三句目

 

   市立さはぐ中の目くばせ

 とらへぬる盗人は(これ)(いも)()

 (とらへぬる盗人は是妹と背と市立さはぐ中の目くばせ)

 

 目配せしてたのは盗人の夫婦だった。万引き家族もこの時代ではあるあるだったか。

 点あり。

 

無季。恋。「盗人」「妹」「背」は人倫。

 

十四句目

 

   とらへぬる盗人は是妹と背と

 ()()()の里に()(がき)かく(なり)

 (とらへぬる盗人は是妹と背と美豆野の里に簀垣かく也)

 

 美豆野の里は、

 

   隔河恋といへるこころをよめる

 山城の美豆野の里に妹をおきて

     いくたび淀に舟よばはふらん

             源頼政(みなもとのよりまさ)(千載集)

 

の歌に詠まれている。今の 伏見区淀美豆町の辺りで桂川・宇治川・木津川の三つが交わる辺りになる。

 ()(がき)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「簀垣」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 竹で作った透垣(すいがい)

  ※散木奇歌集(1128頃)恋下「心あひの風ほのめかせやへすがきひまなき思ひに立ち休らふと」

 

とある。前句の泥棒夫婦は美豆野に住んでいて、夜な夜な船で大阪に出没していた。

 点なし。

 

無季。恋。「美豆野の里」は名所、居所。

 

十五句目

 

   美豆野の里に簀垣かく也

 白雨(ゆふだち)(さて)京ちかき瓦ぶき

 (白雨や扨京ちかき瓦ぶき美豆野の里に簀垣かく也)

 

 美豆野の里に簀垣の家は京に近いから瓦葺だ。当時は実際にこの辺りの家の多くが瓦葺であるあるだったか。

 点なし。

 

季語は「白雨」で夏、降物。

 

十六句目

 

   白雨や扨京ちかき瓦ぶき

 奉加すすむる山々みねみね

 (白雨や扨京ちかき瓦ぶき奉加すすむる山々みねみね)

 

 奉加は神仏への寄付で、京都の近郊の裕福そうな家は、いろんな寺から寄付を求められてたか。

 点あり。

 

無季。釈教。「山々みねみね」は山類。

 

十七句目

 

   奉加すすむる山々みねみね

 客僧は北陸(ほくろく)(だう)に拾二人

 (客僧は北陸道に拾二人奉加すすむる山々みねみね)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『安宅(あたか)』の、

 

 「これは南都(なんと)東大寺大仏(だいぶツ)再興のため、国国をめぐり勧進(くわんじん)を申し候。北陸(ほくろく)(どお)をば此の(ひじり)(うけたまわ)()て、一紙半銭(いツしはんせん)をえらはず、(すす)め申す勧進(くわんじん)(ひじり)にて候。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.3103). Yamatouta e books. Kindle .

 「語つてきかせ申さう。さても(より)(とも)義経(よしつね)()兄弟の御仲(おんなか)不和にならせ(たま)ひ、義経は都の住居(すまゐ)かなはせ給はず、十二人(じうににん)の作り山伏(やまぶし)となり、奥州(おおしう)秀衡(ひでひら)を頼み御下向(おんげこお)のよし頼朝聞こしめし及ばせ給ひ、国 国に新関(しんせき)をすゑ、山伏をかたくえらみ申せとの御事(おんこと)にて候程に、一人(いちにん)をも通し申すまじく候。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (pp.3103-3104). Yamatouta e books. Kindle .

 

を引いている。前句を奥州に遁れる九郎(くろう)判官(ほうがん)義経(よしつね)等十二人とする。

 点あり。

 

無季。釈教。「客僧」は人倫。

 

十八句目

 

   客僧は北陸道に拾二人

 きのふも三度(おこ)るもののけ

 (客僧は北陸道に拾二人きのふも三度発るもののけ)

 

 物の()(やまい)はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ) 「物の怪」の意味・わかりやすい解説」に、

 

 「生霊(いきりょう)、死霊などの類をいい、人に取り憑()いて、病気にしたり、死に至らせたりする憑き物をいう。平安時代の文献にはよくこのことが記録されている。『紫式部日記』には、中宮のお産のとき、物の怪に対して屏風(びょうぶ)を立て巡らし調伏(ちょうぶく)したことが記されている。『源氏物語』葵(あおい)の巻に、「物の怪、生霊(いきすだま)などいふもの多く出で来てさまざまの名のりする中に……」とあり、また同じ巻に「大殿(おおとの)には、御物(おんもの)の怪()いたう起こりていみじうわづらひたまふ」などとある。清少納言(せいしょうなごん)も『枕草子(まくらのそうし)』のなかで、昔評判の修験者(しゅげんじゃ)があちこち呼ばれ、物の怪を調伏する途中疲れて居眠りをしたので非難されたことなどを記している(「思はむ子を」)。ほかに『大鏡』『増鏡』などにも物の怪の記述がみえ、これらは閉鎖的な宮廷社会での平安貴族の精神生活の一面を反映したものとみられる。物の怪に取り憑かれることを「物の怪だつ」といい、これにかかると、僧侶(そうりょ)や修験者を招き、加持祈祷(かじきとう)により調伏・退散させた。これには、物の怪を呪法(じゅほう)によって追い出し、別の人(憑坐(よりまし))にのりうつらせ、さらにそこから外界へ追い出し平癒させた。[大藤時彦]」

 

とある。

 謡曲『安宅(あたか)』では義経等十二人の到着の前日に、

 

 「昨日(きのお)も山伏を三人斬(さんにんき)つてかけて候。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.3104). Yamatouta e books. Kindle .

 

とあることから、この三人の怨霊のせいで三回物の怪の病の発作が起きた。

 点なし。

 

無季。

 

十九句目

 

   きのふも三度発るもののけ

 難産を(つげ)る使は追々(おひおひ)

 (難産を告る使は追々にきのふも三度発るもののけ)

 

 これは『源氏物語』の葵上(あおいのうえ)の出産の本説。妻が物の怪の病に苦しんでいるというのに、源氏の君の方は二条院(にじょういん)六条(ろくじょう)御息所(みやすどころ)の方で忙しかった。

 長点で「(あふひ)の上の御産尤〃〃」とある。

 

無季。

 

二十句目

 

   難産を告る使は追々に

 ()をもとめてよ馬でいそがせ

 (難産を告る使は追々に酢をもとめてよ馬でいそがせ)

 

 よく妊娠すると酸っぱいものが食べたくなるというが、今でも酢はカルシウムの吸収効率を良くすると言われている。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注も『和漢(わかん)三才(さんさい)図会(ずえ)』の、

 

 「産婦房中常以火炭沃醋気為佳。酸益血也。胞衣不下者、腹痛則甚危。以水入醋少許噀面神効也。」

 

を引いている。

 ただ、既に難産になってから慌てて酢を買いに行くのは泥縄というものだ。

 点なし。

 

無季。「馬」は獣類。

 

二十一句目

 

   酢をもとめてよ馬でいそがせ

 花の宿に醤油(しゃういう)(ぶね)は月の暮

 (花の宿に醤油舟は月の暮酢をもとめてよ馬でいそがせ)

 

 これは相対付けであろう。花の宿に月の暮といえば春宵一刻価千金。こんな宵はご馳走を並べて宴会をしたいものだ。というわけで馬で急いで酢を買いに行かせ、醤油を乗せた船も急がせる。

 醤油舟は酒舟と同様で、醬油か酒かの違いと思われる。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「酒槽・酒船」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「[] (酒槽) (「ふね」は液体をたたえておく容器)

  ① (「さかふね」とも) 酒を入れておく大きな木製の容器。

  ※古事記(712)上「其の佐受岐(さずき)毎に酒船(さかふね)を置きて船毎に其の八塩折(やしほをり)の酒を盛りて」

  ※太平記(14C後)二五「八醞(やしぼり)の酒を槽(サカブネ)に湛(たたへ)て」

  ② 酒をしぼるのに用いる長方形の容器。この器に醪(もろみ)の入った多くの酒袋を入れ、押しぶたを押すと、底に近い側面の穴から酒が流出し、袋の中に酒の粕(かす)だけが残る。〔羅葡日辞書(1595)〕

  [] (酒船) 酒を積んでいる船。特に、江戸時代、酒樽積廻船(さかだるづみかいせん)をいう。

  ※俳諧・江戸十歌仙(1678)八「菊やどの家に久しき雁鳴て〈芭蕉〉 酒舟あれば汀浪こす〈春澄〉」

 

とある。ここでは[] であろう。この時代醤油は上方には普及してたが、江戸の方ではまだ珍しかった。例文にある付け合いの芭蕉は伊賀の料理人で京料理にも通じていたと思われるし、(はる)(すみ)も京の人。

 中京地区でも溜まり醤油が早くから用いられていた。

 点なし。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「宿」は居所。「醤油舟」は水辺。「月」は夜分、天象。

 

二十二句目

 

   花の宿に醤油舟は月の暮

 長閑(のどか)にすめる江戸の川口

 (花の宿に醤油舟は月の暮長閑にすめる江戸の川口)

 

 江戸の川口がどこを指すのかよくわからない。今の埼玉県川口市になる日光御成道の川口宿はあるが、関西人にとってそんなに知られた場所だったかどうかは定かでない。一般名詞としての川口だと、隅田川が東京湾にそそぐ辺りか。

 歌枕に川口の関があるが、これは伊勢であって江戸ではない。

 となると何となく隅田川河口域を思い浮かべて、この辺りにも醤油舟が行くのかなって感じで付けたか。醤油をほとんど消費しない江戸では、確かに醤油舟がやってきても長閑なものだろう。

 点なし。

 

季語は「長閑」で春。「川口」は水辺。

二表

二十三句目

 

   長閑にすめる江戸の川口

 殿風(とのかぜ)(たつ)春風やおさるらん

 (殿風に立春風やおさるらん長閑にすめる江戸の川口)

 

 花を散らす春風も江戸の殿様の風に抑えられて、江戸は平和な中に繁栄を極めている。

 点なし。

 

季語は「春風」で春。

 

二十四句目

 

   殿風に立春風やおさるらん

 弓はふくろに雲はどちやら

 (殿風に立春風やおさるらん弓はふくろに雲はどちやら)

 

 「弓はふくろに」に『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『(ゆみ)八幡(やわた)』の、

 

 ツレ「弓を袋に入れ、

 シテ「(つるぎ)を箱に納むるこそ、

 ツレ「泰平の御代のしるしなれ。(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.118). Yamatouta e books. Kindle .

 

を引いている。全体が天下(てんか)泰平(たいへい)をことほぐのをテーマとして能で、

 

 ツレ「花の都の空なれや、

 シテ・ツレ「雲もをさまり、風もなし。

 シテ「君が代は千代に八千代にさざれ石の、巌となりて苔のむす、(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.116). Yamatouta e books. Kindle .

 

という言葉もその前の場面にある。

 雲も収まりを前句の「春風やおさるらん」を受けて、「雲はどちやら」と俗語にするところに俳諧らしさがある。

 長点で「一句の取合(とりあはせ)不都合によく又相叶(あひかなひ)候」とある。

 

無季。「雲」は聳物。

 

二十五句目

 

   弓はふくろに雲はどちやら

 天下みな見えすくやうに(をさま)りて

 (天下みな見えすくやうに治りて弓はふくろに雲はどちやら)

 

 占い師は算木を入れた算袋と持ち歩いていた。前句の弓をその算袋に見立てて、さて雲はどちらへ行ったかと、天下のことをみんな見え透くように占ってくれる。

 「おさまる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「治・納・収」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 乱れや騒ぎなどがしずまること。→納まりが付く。

  ※歌舞伎・三人吉三廓初買(1860)三幕「『ほんに私しゃどうなることかと案じてゐたによい所へ』『文里さんのござったので』『波風なしに此場の納(オサマ)り』」

  ② 物事が進んでいって最後に落ち着くところ。結末。決着。また、うまく落ち着くように処置すること。→納まりが付く。

  ※愚管抄(1220)七「随分随分の後見と主人とひしとあひ思ひたる人の家のやうにをさまりよきことは侍らぬ也」

  ③ (金銭などが)受け取られること。納入されること。また、自分の所有になること。収入。

  ※滑稽本・浮世風呂(180913)四「けふら乾魚(ひもの)を売居(うって)るやうぢゃァ納(ヲサマ)りやア悪いナ」

  ④ 物のすわり具合。また、物と物とのつり合いの具合。→納まりが付く。

  ※滑稽本・大千世界楽屋探(1817)口絵「からじるでこなからのみなほさうといふばだが、チョッ納りはわりいぜ」

 

とある。この場合は②にすることで、前句の賀から離れて、占いによって天下の色々な問題が解決してゆく、とする。

 長点で「眼力奇妙候」とある。この言葉は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、「占算の看板の語」とある。

 

無季。

 

二十六句目

 

   天下みな見えすくやうに治りて

 紙一枚に名所旧跡

 (天下みな見えすくやうに治りて紙一枚に名所旧跡)

 

 前句の「治りて」を収録する意味に取り成し、一枚の紙に描かれた名所(めいしょ)図会(ずえ)にする。

 点あり。

 

無季。

 

二十七句目

 

   紙一枚に名所旧跡

 扇まつ歌人()ながら抜出(ぬけいだ)

 (扇まつ歌人居ながら抜出し紙一枚に名所旧跡)

 

 歌人というのは行ったこともない歌枕の歌をさも見てきたかのように詠むもので、扇に名所旧跡の歌を書くように言われた歌人は、きっと魂が抜けだして名所へ飛んでるのだろう。

 点あり。

 

季語は「扇」で夏。「歌人」は人倫。

 

二十八句目

 

   扇まつ歌人居ながら抜出し

 みださざりける大うちの時宜(じぎ)

 (扇まつ歌人居ながら抜出しみださざりける大うちの時宜)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注によると、前句を扇の拝に取り成したのだろいう。

 扇の拝はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「扇の拝」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「中古、陰暦四月一日に、役人たちを宮中に召し出し、酒を賜わり、政治のことをお聞きになった朝廷の儀式。孟夏旬(もうかのじゅん)にあたって、役人たちに扇を分け与えることから、この名が生じた。《季・夏》 〔公事根源(1422頃)〕」

 

とある。

 まあ、宮中の役人といえば歌人も多いことだろう。ただ、「居ながら抜出し」は生かされてないように思える。

 点なし。

 

無季。

 

二十九句目

 

   みださざりける大うちの時宜

 果報力(くわほうりき)つよき上戸(じゃうご)差合(さしあひ)

 (果報力つよき上戸の差合にみださざりける大うちの時宜)

 

 果報力はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「果報力」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 前世の因によって現世でよい報いを受ける力。幸運を呼ぶ力。

  ※御伽草子・釈迦の本地(室町時代物語集所収)(室町末)「太子の、御くゎほうりきによって、どくにも、やぶられたまはず」

 

とある。まあ、強運に恵まれてるくらいの意味か。

 こういう人は酔っ払って喧嘩しても不思議と許されてしまうものだ。

 点あり。

 

無季。

 

三十句目

 

   果報力つよき上戸の差合

 耳(ひき)手をねぢ(わけ)御座(ござ)らぬ

 (果報力つよき上戸の差合耳引手をねぢ分も御座らぬ)

 

 酔っぱらいの喧嘩は耳を引っ張ったり手をねじ上げたりしても、咎められると「いや何でもない」とか言って治まる。

 点あり。

 

無季。

 

三十一句目

 

   耳引手をねぢ分も御座らぬ

 喧嘩(けんくわ)をばかやうかやうに仕ちらかし

 (喧嘩をばかやうかやうに仕ちらかし耳引手をねぢ分も御座らぬ)

 

 火事と喧嘩は江戸の華というが、大阪も一緒だったのだろう。市場でも長屋でも喧嘩は日常茶飯事で、それでも大怪我したり死んだりすることはほとんどなくて、次の日にはお互いけろっとしてたりする。

 長点で「下々のありさま見るやうに候」とある。武士だとそうはいかない。すぐ刀を抜いて、末は切腹お取り潰しで、庶民が羨ましかろう。

 

無季。

 

三十二句目

 

   喧嘩をばかやうかやうに仕ちらかし

 目安(めやす)にのするより棒の事

 (喧嘩をばかやうかやうに仕ちらかし目安にのするより棒の事)

 

 これもまあ、庶民の喧嘩も素手で仲良く喧嘩してればいいが、大喧嘩になれば六尺棒を持った岡っ引きがわらわらとやって来て取り調べを受ける。

 長点で「たたかれたるよしを申上(まうしあげ)()」とある。

 

無季。

 

三十三句目

 

   目安にのするより棒の事

 (わたくし)()木戸のものにて(さふらひ)

 (私儀木戸のものにて候き目安にのするより棒の事)

 

 木戸番であろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「木戸番」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 江戸の町に設けた木戸の自身番屋。また、そこの番人。番所は中番、番人は番太郎ともいった。

  ※御触書寛保集成‐三九・寛文二年(1662)九月「一、町中木戸番之者、夜中川岸棚下入念を相改」

  ② 芝居小屋、また相撲、見世物などの興行場の木戸口を守り、客を引いた番人。

  ※仮名草子・都風俗鑑(1681)三「狂言のはてくちに、彼城戸(キド)ばんが『御評判御評判』と、息すぢはりてわめくがくだなり」

  ③ 転じて、一般に人の出入りするところの番をすることや、店先で客の来るのを待つことなどにいう。

  ※滑稽本・八笑人(182049)三「蚊を入れられては恐れるから、おれが木戸番をしてやらう」

 

とある。目安の申し立てを①の木戸番とした。番太郎はウィキペディアに「多くは非人身分であった。」とある。もっとも不釣り合いだから俳諧の笑いになるのだろうけど。

 長点でコメントはない。

 

無季。

 

三十四句目

 

   私儀木戸のものにて候き

 銭はもどりに慈悲を(たま)はれ

 (私儀木戸のものにて候き銭はもどりに慈悲を給はれ)

 

 前句を②の方の芝居小屋の木戸番とする。芝居がコケて客が金返せと騒ぎだしたのだろう。金は返しますから、どうかお慈悲を。

 点あり。

 

無季。

 

三十五句目

 

   銭はもどりに慈悲を給はれ

 月影も(めぐ)り忌日の寺まいり

 (月影も廻り忌日の寺まいり銭はもどりに慈悲を給はれ)

 

 期日にお寺へお参りに行ったら、帰りの門前で乞食がお恵みをと言ってきた。

 点なし。

 

季語は「月影」で秋、夜分、天象。釈教。

 

三十六句目

 

   月影も廻り忌日の寺まいり

 (ずい)()のなみだ袖に(おく)

 (月影も廻り忌日の寺まいり随気のなみだ袖に置露)

 

 随気はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「随気」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 わがまま。きまま。気随。」

 

とある、気随気儘という言葉もある。

 同音で隋喜だと、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「随喜」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 仏語。他人のなす善を見て、これにしたがい、喜びの心を生ずること。転じて、大喜びをすること。

  ※法華義疏(7C前)四「第二拠二随喜功徳一作レ覓」

  ※霊異記(810824)中「王聞きて随喜し、坐より起ち長跪(ひざまづ)きて、拝して曰く」 〔法華経‐随喜功徳品〕

  ② (①から転じて) 法会などに参加、参列すること。

  ※栄花(102892頃)うたがひ「その日藤氏の殿ばら、かつはずいきのため、聴聞の故に残りなく集ひ給へり」

 

とある。これだと当たり前すぎるので随喜に掛けて随気としたか。

 点なし。

 

季語は「露」で秋、降物。釈教。「袖」は衣裳。

二裏

三十七句目

 

   随気のなみだ袖に置露

 (いも)葉風(はかぜ)只ぶりしやりと別れ様

 (芋の葉風只ぶりしやりと別れ様随気のなみだ袖に置露)

 

 「ぶりしやり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「ぶりしゃり」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘副〙 (多く「と」を伴って用いる) すねて相手の気をひくさまを表わす語。特に男女間の愛情表現として用いることが多い。

  ※俳諧・犬子集(1633)一六「ふりしゃりとする絹のふり袖 腹立てくねるもこいの憂うら見」

 

とある。

 芋の葉は里芋の大きな葉で、前句の随気を芋の葉の柄の部分を言う芋茎(ずいき)と掛けて、芋の葉が秋風にあおられてそこに溜まってた露が柄の所に落ちて、芋茎のわがままな涙とする。

 点なし。

 

季語は「芋の葉」で秋、植物、草類。恋。

 

三十八句目

 

   芋の葉風只ぶりしやりと別れ様

 男にくみのいそぐ(あぜ)みち

 (芋の葉風只ぶりしやりと別れ様男にくみのいそぐ畝みち)

 

 畝は「あぜ」とルビがある。芋畑で別れて、男を憎む女が畦道を急いで走り去る。

 点なし。

 

無季。恋。

 

三十九句目

 

   男にくみのいそぐ畝みち

 布を()る所は(ここ)余所(よそ)(ごころ)

 (布を経る所は爰と余所心男にくみのいそぐ畝みち)

 

 「布を経る」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、「織る前に経糸を揃えて機に掛けること」とある。蘇秦の「初出遊困而帰、妻不下機」という(けい)(こう)牛後(ぎゅうご)の故事によるらしい。元ネタは金がないと家族にも相手にされないという意味のようだが、ここでは浮気のせいとする。

 点あり。

 

無季。

 

四十句目

 

   布を経る所は爰と余所心

 あれたる駒をつなぐ(うち)(ぐい)

 (布を経る所は爰と余所心あれたる駒をつなぐ打杭)

 

 古い形の機織機は台で固定するのではなく、杭に経糸を掛けて、手前へ引っ張りながら横糸を通して行く。機織に集中せずにほかのことを考えていると、経糸が荒れた駒のように暴れる。

 心の馬という言葉があり、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「心の馬」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「(「衆経撰雑譬喩‐上」の「欲求善果報、臨命終時心馬不乱、則得随意、往不可不先調直心馬」による) 馬が勇み逸(はや)って押えがたいように、感情が激して自制しがたいこと。意馬。心の駒。

  ※新撰菟玖波集(1495)雑「あらそへる心のむまののり物に かちたるかたのいさむみだれ碁〈よみ人しらず〉」

 

とある。余所心は荒れたる駒。

 点あり。

 

無季。

 

四十一句目

 

   あれたる駒をつなぐ打杭

 昼休みあたりにちかき国境(くにざかひ)

 (昼休みあたりにちかき国境あれたる駒をつなぐ打杭)

 

 前句の杭を国と国との境界の杭として、国境を越える前に一休みする人がそこに馬を繋ぐ。

 点なし。

 

無季。旅体。

 

四十二句目

 

   昼休みあたりにちかき国境

 狩場(かりば)の御供これまでにこそ

 (昼休みあたりにちかき国境狩場の御供これまでにこそ)

 

 鷹狩だろうか。領国で行うことが多く、殿があえて国境の向こうに行くのは、何か別の意図があってのことか。

 点なし。

 

無季。

 

四十三句目

 

   狩場の御供これまでにこそ

 かたみわけ三日(さんじつ)かけて以前より

 (かたみわけ三日かけて以前より狩場の御供これまでにこそ)

 

 前句の狩場を富士の巻狩りとして、曽我兄弟の物語に展開する。

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、

 

 「曾我兄弟は、仇討実行の三日前から、形見の品を従者の鬼王・団三郎に分け与え、故郷に帰すに当って言ったセリフが前句というわけだ。」

 

とある。

 点あり。

 

無季。

 

四十四句目

 

   かたみわけ三日かけて以前より

 書置(かきおき)にする五人組判

 (かたみわけ三日かけて以前より書置にする五人組判)

 

 五人組はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「五人組」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 江戸時代、古代の五保制にならった庶民の隣保組織。「五人与(くみ)」と書き、五人組合ともいい、地方によっては十人組もあった。その長を五人組頭、または判頭(はんがしら)と称した。戦国時代、下級武士の軍事編制にも五人組がみられたが、江戸幕府成立後、民間の組織として制度化された。初めはキリシタンや浪人の取締りを主眼としたが、後には法令の遵守、相互監察による犯罪の予防・取締り、連帯責任による貢租の完納および成員の相互扶助的機能に重点がおかれるようになった。

  ※慶長見聞集(1614)五「とかの子細の有ければ年寄五人組引つれて御代官の花山湯島へいそぎ参るべし」

  ② 江戸時代、特に寺院で、ある一定の地域内での同宗派の法中五軒で組織した自治機関。

  ※浮世草子・新色五巻書(1698)五「一寺の和尚共いわるる身が女房狂ひなどし、あまつさへ孕(はらませ)〈略〉出家の見せしめにきっと詮義を仕る、五人組(ごにんグミ)はどこどこぞ」

  ③ (五本の指を用いるところから) 男子の自慰、手淫をいう語。女子の「二本指」などに対していう。

  ※茶屋諸分調方記(1693)四「さもあらば五人組の一せんをみづからはげみ給へ」

 

とある。ここでは②の意味で、『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、

 

 「死亡の三日前から形見分けの書留に、五人組の連判をとっておいたという意。」

 

とある。

 点あり。

 

無季。

 

四十五句目

 

   書置にする五人組判

 (たしか)にも見とどけ(まうす)鰹ぶし

 (慥にも見とどけ申鰹ぶし書置にする五人組判)

 

 前句の「かきおき」を削るという意味の掻き置きとする。

 長点で「土佐ぶし上々」とある。鰹節は土佐の物を良しとした。鰹節は上方ではこの頃広く用いられてたが、江戸に普及するのは元禄の頃になる。

 

無季。

 

四十六句目

 

   慥にも見とどけ申鰹ぶし

 うたがひもなき初雁(はつかり)の汁

 (慥にも見とどけ申鰹ぶしうたがひもなき初雁の汁)

 

 雁は食用にされた。元禄の頃の江戸では恵比須講の御馳走としても売られていて、

 

 振売(ふりうり)(がん)あはれ(なり)ゑびす講  芭蕉

 

の句がある。関西では鰹出しで雁を汁物にして食べたのだろう。

 点なし。

 

季語は「初雁」で秋、鳥類。

 

四十七句目

 

   うたがひもなき初雁の汁

 律儀者(りちぎもの)の下屋敷にて月の会

 (律儀者の下屋敷にて月の会うたがひもなき初雁の汁)

 

 関西では初雁の汁を月見の料理の定番としていたか。

 長点で「鴈汁しそこなはぬ亭主()」とある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「律儀者」は人倫。

 

四十八句目

 

   律儀者の下屋敷にて月の会

 所もところ和歌も身にしむ

 (律儀者の下屋敷にて月の会所もところ和歌も身にしむ)

 

 前句の月の会を歌会とする。

 点なし。

 

季語は「身にしむ」で秋、人倫。

 

四十九句目

 

   所もところ和歌も身にしむ

 (さく)花は(きの)()の山のとつとおく

 (咲花は紀路の山のとつとおく所もところ和歌も身にしむ)

 

 和歌を和歌の浦として紀路に展開したか。紀路はここでは和歌山街道のことであろう。和歌山と松阪を結ぶ道で途中花の吉野を通る。吉野の桜は和歌山街道の山の中にあって、ここまで来れば和歌の浦も言ってみたくなる。実際貞享五年に芭蕉は吉野から和歌の浦へ行った。

 点あり。

 

季語は「咲花」で春、植物、木類。旅体。「山」は山類。

 

五十句目

 

   咲花は紀路の山のとつとおく

 しぶぢの(わん)も霞む弁当

 (咲花は紀路の山のとつとおくしぶぢの椀も霞む弁当)

 

 渋地はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「渋地」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 木製の什器類の地に柿渋を塗り、その上に漆を塗ること。また、その塗物。

  ※俳諧・毛吹草(1638)四「紀伊〈略〉黒江渋地(シブヂ)椀」

 

とある。元は近江にいた漆器職人が紀伊の国の黒江に棲み着いて、渋地椀の一大産地となった。

 花見に和歌山から吉野へ行くと、紀伊の渋地椀に入れた弁当も霞んで見える。

 点なし。

 

季語は「霞む」で春、聳物。

三表

五十一句目

 

   しぶぢの椀も霞む弁当

 春の風古道具みせ音信(おとづれ)

 (春の風古道具みせ音信てしぶぢの椀も霞む弁当)

 

 前句の渋地椀に古道具店を付けて、霞むに春の風を付ける。

 点なし。

 

季語は「春の風」で春。

 

五十二句目

 

   春の風古道具みせ音信て

 一条通り雪はすつきり

 (春の風古道具みせ音信て一条通り雪はすつきり)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、

 

 「一条通り『古道具や。一条通ほり川より西』(元禄五年(一六九二)刊諸国万買物調方記)」

 

とある。一条通りに古道具屋があるのは有名だったようだ。

 点なし。

 

季語は「雪はすっきり」で春。

 

五十三句目

 

   一条通り雪はすつきり

 夏の月(いり)てあとなき鬼のさた

 (夏の月入てあとなき鬼のさた一条通り雪はすつきり)

 

 『徒然草』第五十段に伊勢国から女が鬼になって都に来たといううわさが広がったが、誰も見た人がなく、一条室町に鬼ありと大声でわめく人がいて行ってみると院の御桟敷の辺りは祭で人が溢れていて身動きが取れない状態だったという話がある。

 この祭りを今宮(いまみや)(まつり)で五月と見てのことか。

 『徒然草』第五十段の最後の、

 

 「その比、おしなべて、二三日、人のわづらふ事侍しをぞ、かの、鬼の虚言は、このしるしを示すなりけりと言ふ人も侍りし。」

 

とあるのは多分疫病除けの今宮祭であまりに人が密になるから、却って疫病流行のもとになるという皮肉であろう。

 夏で「雪はすっきり」ではいくら何でも季節が遅すぎるから、「行きはすっきり」に取り成して人がいなくなってすんなり通れるということにしたか。

 点あり。

 

季語は「夏の月」で夏、夜分、天象。

 

五十四句目

 

   夏の月入てあとなき鬼のさた

 極楽らくにきくほととぎす

 (夏の月入てあとなき鬼のさた極楽らくにきくほととぎす)

 

 「らく」は楽(音楽)と洛に掛けたと思われる。鬼がいなくなってホトトギスの声が極楽の調べに聞こえ、京の町に聞こえる。

 点なし。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。

 

五十五句目

 

   極楽らくにきくほととぎす

 夕涼み草のいほりにふんぞりて

 (夕涼み草のいほりにふんぞりて極楽らくにきくほととぎす)

 

 「ふんぞる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「踏反」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘自ラ五(四)〙 (「ふん」は「ふみ」の変化したもの) 足をふんばって上体を後ろへそらす。また、からだを横たえて、手足を存分に伸ばして背をそらす。

  ※古文真宝彦龍抄(1490頃)「我家にて足ふんそって居た活計さは」

 

とある。人前でこの姿勢を取ると鷹揚な感じなので「ふんぞり返る」という言葉が生まれたのだろう。

 ここでは特にふんぞり返ってるわけではなく、庵の夕涼みでくつろぐ様になる。前句の「らく」はこの場合極楽のように楽に聞くという意味になる。「あーー極楽極楽」ってとこか。

 点あり。

 

季語は「夕涼み」で夏。「草のいほり」は居所。

 

五十六句目

 

   夕涼み草のいほりにふんぞりて

 頓死をつぐる鐘つきの袖

 (夕涼み草のいほりにふんぞりて頓死をつぐる鐘つきの袖)

 

 草庵で足を投げ出して状態をそらして倒れる様を突然死とする。発見した鐘撞(かねつき)の小坊主が涙に袖を濡らしながら告げに来る。

 長点で「卒中風(そっちうぶ)、夕涼み(すぎ)()」とある。昔はその名が示す通り、脳卒中は風に中るために起きるものとされていた。

 

無季。「袖」は衣裳。

 

五十七句目

 

   頓死をつぐる鐘つきの袖

 高砂(たかさご)尾上(をのへ)につづく親類に

 (高砂や尾上につづく親類に頓死をつぐる鐘つきの袖)

 

 高砂の尾上の松は加古川の河口にあった。大阪住吉の松と夫婦とされていて、謡曲『高砂』は尾上の松が高砂の松に会いに行く話として、かつて高砂の謡いは結婚式の定番だった。

 ただ、高砂の尾上の松ではなく尾上の鐘を詠む時は、

 

 高砂の尾上の鐘の音すなり

     暁かけて霜やおくらん

            大江(おおえの)匡房(まさふさ)(千載集)

 

などのように、むしろ晩秋の悲し気なものとして詠む。その意味では弔いの鐘としてもそれほど違和感はなかったのだろう。

 謡曲では尾上の松の霜は置いても常緑の、というふうに、この和歌が用いられる。

 

 シテ「高砂の、尾上の鐘の音すなり。

 地 「暁かけて、霜は置けども松が枝の、葉色は同じ深緑立ち寄る蔭の朝夕(あさいう)に、搔けども落葉の 尽きせぬは、(まこと)なり松の葉の散り失せずして色はなほまさきのかづら長き世の、たとへなりける常盤(ときわ)()の中にも名は高砂の、末代(まつだい)のためしにも相生の松ぞめでたき。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.102). Yamatouta e books. Kindle .

 

 点あり。

 

無季。「尾上」は名所。

 

五十八句目

 

   高砂や尾上につづく親類に

 かしこはすみのえ状のとりやり

 (高砂や尾上につづく親類にかしこはすみのえ状のとりやり)

 

 悲しい尾上の鐘を謡曲『高砂』の目出度さに転じる。

 「かしこはすみのえ」は、

 

 春の日の、

 シテ「光やはらぐ西の海の、

 ワキ「かしこは住の江、

 シテ「ここは高砂。

 ワキ「松も色添ひ、

 シテ「春も、

 ワキ「のどかに。(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.100). Yamatouta e books. Kindle .

 

という、長閑な春にこれから住吉の松に会いに行く場面で用いられる。

 ここでは前句の「親類に」から、直接会いに行く前に手紙のやり取りをしてたことにしている。飛脚の一般化した江戸時代の世相と言えよう。

 長点で「かしこはすみのえ耳なれ候へども、いつも面白(おもしろく)候」とある。

 

無季。「すみのえ」は名所。

 

五十九句目

 

   かしこはすみのえ状のとりやり

 相場もの神の(つげ)をも(まち)たまへ

 (相場もの神の告をも待たまへかしこはすみのえ状のとりやり)

 

 大阪は西国の米の集まるところで、特に肥後の米相場はその年の米相場の指標になったという。元禄七年閏五月の「牛流す」の巻三十四句目にも、

 

   吸物で座敷の客を立せたる

 肥後の相場を又聞てこい     芭蕉

 

の句がある。

 この時代から米は先物取引をすることで、その時その時の収穫や運送の事情で相場が乱高下しないように調整されていたため、米屋はある程度のリスクを背負いながら、先の相場の動向を見通して米の買い付けを行う必要があった。

 常に相場の動向に気を配り、神にも祈りたいところだろう。

 長点で「信心殊勝に候」とある。

 

無季。神祇。

 

六十句目

 

   相場もの神の告をも待たまへ

 七日まんずる夜の入ふね

 (相場もの神の告をも待たまへ七日まんずる夜の入ふね)

 

 旧暦の七日は小潮で船の発着に適してたのだろう。「まんずる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「満」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 期限が至る。日限に達する。特に、満願の日となる。また、年齢が満になる。

  ※今昔(1120頃か)六「其の七日に満ずる夜」

  ※幸若・十番斬(室町末‐近世初)「まんずる歳は、廿二」

  ② 願いごとなどがかなう。かけていた願が満たされる。

  ※古今著聞集(1254)一三「我が願すでに満ずとて」

  ③ すべてをうめる。欠けるところなくすべてに及ぶ。

  ※太平記(14C後)二七「累代繁栄四海に満ぜし先代をば、亡し給ひしか共」

  ④ ふくらみ広がって、元の完全な形になる。

  ※観智院本三宝絵(984)上「帝尺又天の薬を灑て身の肉俄かに満す、身の疵皆愈ぬ」

 

とあり、この場合は①で、米の到着の期限であろう。②とも掛けて用いる。

 長点で「よくまんじ候」とある。批評としてはパーフェクトということか。

 

無季。「夜」は夜分。「入ふね」は水辺。

 

六十一句目

 

   七日まんずる夜の入ふね

 墓まいり(さて)茶の子には餅ならん

 (墓まいり扨茶の子には餅ならん七日まんずる夜の入ふね)

 

 茶の子はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「茶子」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 茶を飲む時に添える菓子や果物。茶菓子。茶うけ。

  ※竹むきが記(1349)下「ちゃのこなど出だしてすすめらる」

  ② 彼岸会の供物。

  ※談義本・つれづれ睟か川(1783)三「彼岸の茶(チャ)の子()か歳暮の祝義もってきたやうに、あがり口での請取渡し」

  ③ 仏事の供物、または配り物。

  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「墓まいり扨茶の子には餠ならん なみだかた手に提る重箱〈意楽〉」

  ④ 朝飯。または、農家などで朝飯前に仕事をする時などにとる簡単な食事。また、間食。朝茶の子。

  ※咄本・戯言養気集(161524頃)下「明日は公事に出んぞ。かちごめをめしのちゃのこにいたし候へ」

  ⑤ (形動)(茶うけの菓子は腹にたまらないで気軽に食べられるところから) 容易にできること。たやすいさま。お茶の子。お茶の子さいさい。

  ※歌謡・松の葉(1703)四・草摺引「びりこくたいしばかだわう、おにをちゃのこのきんぴらだんべい」

  ※浄瑠璃・傾城反魂香(1708頃)中「常住きってのはっての是程の喧嘩は、おちゃこのおちゃこの、茶の子ぞや」

 

とある。墓参りなら③の意味になる。

 初七日が来ての墓参りで、多くの人を迎えての大規模な法要が行われるので、いろいろ用意するものがある。

 点あり。

 

無季。哀傷。

 

六十二句目

 

   墓まいり扨茶の子には餅ならん

 なみだかた手に提る重箱

 (墓まいり扨茶の子には餅ならんなみだかた手に提る重箱)

 

 一族揃っての墓参りであろう。元禄7年で伊賀でお盆を迎えた芭蕉も、

 

 家はみな杖にしら髪の墓参    芭蕉

 

の句を詠んでいる。

 人が多いと誰かが参列者のための重箱を提げて運ばなくてはならない。

 点なし。

 

無季。

 

六十三句目

 

   なみだかた手に提る重箱

 とはじとの便うらむる下女

 (とはじとの便うらむる下女なみだかた手に提る重箱)

 

 恋に転じる。

 男が今日は急に来られなくなったと便りをよこしたために、下女の用意した料理も無駄になる。

 点なし。

 

無季。恋。

 

六十四句目

 

   とはじとの便うらむる下女

 おもひはいろに出がはり時分

 (とはじとの便うらむる下女おもひはいろに出がはり時分)

 

 恋の思いを隠していても、隠しきれずに何となくわかってしまうというのは、

 

 しのぶれど色に出でにけりわが恋は

     ものや思ふと人の問ふまで

           平兼(たいらのかね)(もり)(拾遺集)

 

の歌は百人一首でもよく知られている。その「出に」を出替りに掛ける。出替りはコトバンクの「世界大百科事典 第2版 「出替り」の意味・わかりやすい解説」に、

 

 「半季奉公および年切奉公の雇人が交替あるいは契約を更改する日をいう。この切替えの期日は地方によって異なるが,半季奉公の場合22日と82日を当てるところが多い。ただし京坂の商家では元禄(16881704)以前からすでに3月と9月の両5日であった。2月,8月の江戸でも1668(寛文8)幕府の命により3月,9月に改められたが,以後も出稼人の農事のつごうを考慮したためか2月,8月も長く並存して行われた。」

 

とある。

 出替りになるというので、急に便りが来なくなることもよくあることだったのだろう。

 下女も便りが来ないというのでやきもきして、態度に出てしまう。

 点なし。

 

季語は「出がはり」で春。恋。

三裏

六十五句目

 

   おもひはいろに出がはり時分

 一ぱいの(つけ)ざも霞む小宿にて

 (一ぱいの付ざも霞む小宿にておもひはいろに出がはり時分)

 

 付ざは付差しのこと。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「付差」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 自分が口を付けたものを相手に差し出すこと。吸いさしのきせるや飲みさしの杯を、そのまま相手に与えること。また、そのもの。親愛の気持を表わすものとされ、特に、遊里などで遊女が情の深さを示すしぐさとされた。つけざ。

  ※天理本狂言・花子(室町末‐近世初)「わたくしにくだされい、たべうと申た、これはつけざしがのみたさに申た」

 

とあり、寛文の頃の宗因独吟「花で候」の巻第三にも、

 

   夢の間よただわか衆の春

 付ざしの霞底からしゆんできて   宗因

 

の句がある。

 遊女のいる小宿で付差しをしたが、その遊女も出替りでいなくなってしまったか。

 点なし。

 

季語は「霞む」で春、聳物。恋。「小宿」は居所。

 

六十六句目

 

   一ぱいの付ざも霞む小宿にて

 ぬるめる水ももりませぬ中

 (一ぱいの付ざも霞む小宿にてぬるめる水ももりませぬ中)

 

 「水も漏らさぬ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「水も漏らさぬ」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① すきまなく敵をとり囲むさま。また、警戒・防御・用意などがきわめて厳重なさま。転じて、容姿や態度などつけいるすきがなく、見事なさま。

  ※不在地主(1929)〈小林多喜二〉六「中々それも一寸見は分らないやうにやるんだから危いんだ。━水も洩らさない」

  ② きわめて親しい仲の形容。

  ※伊勢物語(10C前)二八「などてかく逢ふごかたみになりにけん水もらさじと結びしものを」

 

とあり、②の意味になる。春の季語が必要なので「水ぬるむ」という季語から「ぬるめる水」とする。まあ付差しも口の中で体温で暖まってぬるくなり、それを漏らさぬように口移しで飲む。

 点なし。

 

季語は「ぬるめる水」で春。恋。

 

六十七句目

 

   ぬるめる水ももりませぬ中

 (いれ)なをす桶の輪竹の永日(ながきひ)

 (入なをす桶の輪竹の永日にぬるめる水ももりませぬ中)

 

 前句の「水ももりませぬ」から文字通り桶を絞める輪竹を直したから桶の水が漏らないとするが、上句下句合わせた時にはこれが水も漏らぬ仲を導き出す序詞として機能する。

 点あり。

 

季語は「永日」で春。

 

六十八句目

 

   入なをす桶の輪竹の永日に

 久しくなりぬうどん商売

 (入なをす桶の輪竹の永日に久しくなりぬうどん商売)

 

 久しぶりにうどん屋を再開するので、桶の輪竹を締め直す。

 点なし。

 

無季。

 

六十九句目

 

   久しくなりぬうどん商売

 我見ても常住(じゃうぢう)おろすこせうのこ

 (我見ても常住おろすこせうのこ久しくなりぬうどん商売)

 

 常住はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「常住」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① (━する) 仏語。生滅変化することなく、過去・現在・未来にわたって、存在すること。じょうじゅ。

  ※勝鬘経義疏(611)歎仏真実功徳章「勝鬘応レ聞二常住一之時」

  ※徒然草(1331頃)七四「常住ならんことを思ひて、変化の理(ことわり)を知らねばなり」 〔北本涅槃経‐七〕

  ② (━する) つねに一定の所に住むこと。また、寺僧が一寺に定住して行脚(あんぎゃ)をしないこと。

  ※霊異記(810824)中「諾楽の京の馬庭の山寺に、一の僧常住す」 〔朱熹‐章厳詩〕

  ③ (副詞的にも用いる) 日常、ごく普通であること。また、習慣化していつもそうであるさま。ふだん。しょっちゅう。年じゅう。じょうじゅ。

  ※高野本平家(13C前)六「常住(ジャウヂウ)の仏前にいたり、例のごとく脇息によりかかって念仏読経す」

  ※浄瑠璃・夏祭浪花鑑(1745)九「アレあの通(とほり)に常住(ジャウヂウ)泣て居らるる」

  ④ 「じょうじゅうもつ(常住物)」の略。

  ※正法眼蔵(123153)行持「常住に米穀なし」 〔釈氏要覧‐住持・常住〕」

 

とあり、ここでは③のしょっちゅうの意味。「しょっちゅう」の方は「初中後」から来たと言われている。

 小姓と胡椒を掛けて、小姓がしょっちゅう胡椒を擦り降ろす、とする。うどん屋も蕎麦屋と同様、最初はお寺から始まったのだろう。

 「我みても」は前句の「久しくなりぬ」に掛けて、『伊勢物語』の、

 

 我見ても久しくなりぬ住吉の

     岸の姫松いくよへぬらむ

 

の縁で一種の歌てにはのようにつながる。

 点あり。

 

無季。「我」は人倫。

 

七十句目

 

   我見ても常住おろすこせうのこ

 同じ拍子にくさめくつさめ

 (我見ても常住おろすこせうのこ同じ拍子にくさめくつさめ)

 

 「くつさめ」はくしゃみのことで、くしゃみの擬音としても用いられる。狂言『(ひげ)(やぐら)』の最後の「くっさめ」はCMでも用いられたので知ってる人もいると思う。

 胡椒でくしゃみするのは六十年代の漫画でもお約束のパターンだが、この時代からあったようだ。

 長点で「拍子専一に候」とある。

 

無季。

 

七十一句目

 

   同じ拍子にくさめくつさめ

 雨だれの(おち)くる風や(ひき)ぬらん

 (雨だれの落くる風や引ぬらん同じ拍子にくさめくつさめ)

 

 くしゃみをするから風邪を引いたのか、となる。謡曲に(あめ)(だれ)拍子(ひょうし)というのがあり、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「雨垂拍子」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 規則正しく落ちるあまだれの音のように、雅楽や謡曲の拍子を一定の間隔で奏でること。謡曲では、地拍子の基本と考えられ、実際には変化をつけて奏する。

  ※諺苑(1797)「霤拍手(アマタレヒャウシ)

  ② =あまだれちょうし(雨垂調子)

  ③ 物事の進みぐあいがとぎれがちで、一定していないこと。

  ※五重塔(189192)〈幸田露伴〉三〇「仕事が雨垂拍子(アマダレビャウシ)になって出来べきものも仕損ふ道理」

 

とある。前句の拍子を受けて雨垂れを出す。

 長点で「又拍子よく候」とある。

 

無季。「雨だれ」は降物。

 

七十二句目

 

   雨だれの落くる風や引ぬらん

 おかはもあらひ戸障子もさせ

 (雨だれの落くる風や引ぬらんおかはもあらひ戸障子もさせ)

 

 「おかは」は(かわや)のこと。風邪を引いた時には感染防止のため、トイレを清潔にして戸障子も絞める。

 点あり。

 

無季。「おかは」「戸障子」は居所。

 

七十三句目

 

   おかはもあらひ戸障子もさせ

 はひ()もの月さす(ねや)(よび)よせて

 (はひ出もの月さす閨に呼よせておかはもあらひ戸障子もさせ)

 

 這出者(はひでもの)はコトバンクの「選版 日本国語大辞典 「這出者」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 田舎から初めて都会へ出て来たばかりの者。山だし。

  ※俳諧・雀子集(1662)四「朝顔や池田の宿のはひ出もの〈成元〉」

 

とある。前句のトイレや戸障子を這出者の仕事とする。

 点なし。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「はひ出もの」は人倫。「閨」は居所。

 

七十四句目

 

   はひ出もの月さす閨に呼よせて

 露の(なさけ)はいやでもをふでも

 (はひ出もの月さす閨に呼よせて露の情はいやでもをふでも)

 

 下女を(ねや)に呼び寄せてそこで無理やり。よくあることだったのだろう。露だから儚くやり捨てにされる。

 長点で「申され分無余(よぎ)(なく)候」とある。言われたら従わざるを得ない、という意味か。

 

季語は「露」で秋、降物。恋。

 

七十五句目

 

   露の情はいやでもをふでも

 秋風にあふた時こそ縁ならめ

 (秋風にあふた時こそ縁ならめ露の情はいやでもをふでも)

 

 秋風は年齢的に盛りを過ぎたという意味だろう。この時に出会ったのも何かの縁だから、とにかく結婚してくれ、となる。

 点なし。

 

季語は「秋風」で秋。恋。

 

七十六句目

 

   秋風にあふた時こそ縁ならめ

 後の彼岸の善智識(ぜんちしき)(さま)

 (秋風にあふた時こそ縁ならめ後の彼岸の善智識様)

 

 後の彼岸は秋の彼岸のこと。善智識はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「善知識・善智識」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① よき友。良友。自分のことをよく知ってくれている人。

  ※今昔(1120頃か)一「汝、我が為に生々世々の善知識也」

  ② 仏語。善法、正法を説いて人を仏道にはいらせる人。外から護る外護、行動を共にする同行、教え導く教導の三種を数える。真宗では法主(ほっす)を、禅宗では師僧を尊んでいうことがある。知識。⇔悪知識。

  ※菅家文草(900頃)一二・践祚一修仁王会呪願文「因二善知識一 得二安楽果一」

  ※日蓮遺文‐三三蔵祈雨事(1275)「善知識は爪上の土よりもすくなし」 〔法華経‐提婆達多品〕

  ③ 人を仏道に導く機縁や機会となるもの。

  ※平家(13C前)一〇「おもはしき物をみんとすれば、父の命をそむくに似たり。これ善知識也」

 

とある。前句の縁を仏縁として出家を願い出る句に転じる。

 長点で「西こそ秋の門跡(もんぜき)様にや」とある。門跡はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「門跡」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「[1] 仏語。

  ① 祖師から継承する法流。また、法流を継ぐ門徒、さらにその門徒が住持する寺家・院家のこと。

  ※観智院本三宝絵(984)下「世世の賢臣おほくこの門跡をつげり」

  ② 皇族・貴族の子弟が出家して、入室している特定の寺格の寺家・院家。また、その寺家・院家の住職。南北朝時代には、寺院の格式を表わす語となり、江戸幕府は、宮門跡・摂家門跡・清華門跡・准門跡などに区分して制度化した。門主。

  ※太平記(14C後)一「梨本の門跡に御入室有て、承鎮親王の御門弟と成せ給ひて」

  [2] (本願寺は准門跡であるところからいう) 本願寺の称。また、その管長の称。御門跡。

  ※咄本・昨日は今日の物語(161424頃)下「六条のもんぜきに能の有時」

 

とある。彼岸は西方浄土の意味もあり、秋風の吹く後の彼岸は西方浄土に通じる門跡様になる。

 

季語は「後の彼岸」で秋。釈教。

 

七十七句目

 

   後の彼岸の善智識様

 高座には異香(いきゃう)(くん)ずる花(ちり)

 (高座には異香薫ずる花散て後の彼岸の善智識様)

 

 高座はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「高座」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 天皇や将軍が謁見の時などにすわる御座所。

  ※内裏式(833)元正受群臣朝賀式「前一日整二設御座於太極殿一、敷二高座一以レ錦」

  ② 主賓や身分の高い人、または、年輩者などがすわる席。通常は床の間に近い席。上座(かみざ)。上席。

  ※雑談集(1305)九「無官なるも高坐(カウサ)に処(しょ)し、御(きみ)の御坐(ござ)て」

  ③ 説教などの時、説教師や僧侶などがすわる一段高くしつらえた席。また、その席で説法をすること。たかくら。

  ※延喜式(927)一三「正月最勝王経斎会堂装束〈略〉高座二具」

  ※枕(10C終)三三「はじめゐたる人々も〈略〉かうざのもとちかきはしらもとにすゑつれば」

  ④ 社会的な高い位地。

  ※コンテムツスムンヂ(捨世録)(1596)三「ヲヲクノ シンルイ、チインノ アルコトヲ ヨロコビ cǒzauo(カウザヲ) タノシミ」

  ⑤ 講釈師が講釈を行なう一段高い座席。後に寄席で芸人が芸を演ずるために、一段高くした席をいい、また、一般に寄席をもいう。

  ※洒落本・風俗八色談(1756)一「高座(カウザ)の談議に辻談議」

  ⑥ 銭湯の番台。」

 

とあり、この場合は③であろう。異香は並々ならぬ良い香りのことで、善智識様だから高いお香を用いているという意味と、法の花の香ばしさを掛けている。

 点なし。

 

季語は「花散て」で春、植物、木類。釈教。

 

七十八句目

 

   高座には異香薫ずる花散て

 弥陀(みだ)来迎(らいがう)目前(もくぜん)の春

 (高座には異香薫ずる花散て弥陀の来迎目前の春)

 

 前句を①の意味に取り成して崩御が近いとする。

 点なし。

 

季語は「春」で春。釈教。

名残表

七十九句目

 

   弥陀の来迎目前の春

 ふつとふく息やうららに(いで)ぬらん

 (ふつとふく息やうららに出ぬらん弥陀の来迎目前の春)

 

 阿弥陀如来が迎えに来てくれて西方浄土にいざなわれるなら、念仏を唱えながら迎える人生最後の一呼吸も麗らかなことだろう。

 長点で「善導大師満悦たるべく候」とある。善導大師は浄土教の開祖の中の一人で、法然・親鸞に大きな影響を与えたと言われている。まさにこれが浄土の教えだ、といったところだろう。

 

季語は「うらら」で春。

 

八十句目

 

   ふつとふく息やうららに出ぬらん

 浪間(なみま)かき(わけ)およぐ海士人(あまびと)

 (ふつとふく息やうららに出ぬらん浪間かき分およぐ海士人)

 

 前句の息を一転して、水面に上がって来た海士(あま)の呼吸とする。

 長点で「一句新しく候」とある。海士の息継ぎを詠んだ句は前例がなかったか。

 

無季。「浪間」は水辺。「海士人」は人倫。

 

八十一句目

 

   浪間かき分およぐ海士人

 破損(はそん)(げに)それよりは十三艘

 (破損舟実それよりは十三艘浪間かき分およぐ海士人)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『海人(あま)』の、

 

 「げにそれよりは十三年(じうさんねん)

 地 さては(うたご)ふ所なし。いざ(とむら)はんこの寺の、(こころざし)ある()(むけ)(ぐさ)、花の(はちす)(みょお)(きょお)(いろいろ)(ぜん)をなし(たも) 色色の善をなし(たも)ふ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.4169). Yamatouta e books. Kindle .

 

を引いている。

 嵐で猟師の船団が壊滅してしまったか。放り出されてたくさんの海人たちが泳いでいる。

 長点で「ことばよく直され候」とある。謡曲の言葉を一字直すだけで面白く作ったという意味だろう。

 

無季。「破損舟」は水辺。

 

八十二句目

 

   破損舟実それよりは十三艘

 四国九(しこくく)(こく)のうら手形(なり)

 (破損舟実それよりは十三艘四国九国のうら手形也)

 

 浦手形は(うら)証文(しょうもん)と同じで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「浦証文」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 江戸時代、廻船が遭難してもっとも近い浦へ着いた場合、難船前後の状況、捨て荷、残り荷、船体、諸道具の状態などにつき、その浦の役人が取り調べてつくる海難証明書。浦手形。浦切手。浦証。浦状。

  ※財政経済史料‐一・財政・輸米・漕米規則・享保二〇年(1735)六月一一日「右破船大坂船割御代官にて吟味之訳添書致し、浦証文相添可レ被二差出一候」

 

とある。

 十三艘が難破して浦手形の交付を受けるわけだが、その数が四国と九州を合わせた数になっている。

 点あり。

 

無季。

 

八十三句目

 

   四国九国のうら手形也

 米俵あらためらるる()利支(りし)(たん)

 (米俵あらためらるる吉利支丹四国九国のうら手形也)

 

 九州というと吉利支丹がまだ隠れていたか。遭難して積荷の米俵が調べられると同時に、遭難した船乗りがキリシタンだったことも発覚する。

 点なし。

 

無季。「切利支丹」は人倫。

 

八十四句目

 

   米俵あらためらるる吉利支丹

 大黒のある銀弐百まひ

 (米俵あらためらるる吉利支丹大黒のある銀弐百まひ)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、

 

 「島原の乱後、寛永十五年(一六三八年)十月、吉利支丹伴天連(バテレン)の訴人に銀二百枚、伊留満(イルマン)の訴人に銀百枚、吉利支丹門徒の訴人に銀五十枚または三十枚を与える旨の法令が発布された。」

 

とある。

 大黒は大黒丁銀のことで、ウィキペディアの慶長丁銀の所に、

 

 「慶長丁銀の発行に先立ち堺の南鐐座(なんりょうざ)職人らは、菊一文字印銀(きくいちもんじいんぎん)、夷一文字印銀(えびすいちもんじいんぎん)および括袴丁銀(くくりはかまちょうぎん)を手本として家康の上覧に供したところ、大黒像の極印を打った括袴丁銀が選定され、慶長丁銀の原型となったとされる。」

 

とあり、大黒像が刻印されていた。

 キリシタンを見つけたので銀二百枚が与えられた。

 点なし。

 

無季。

 

八十五句目

 

   大黒のある銀弐百まひ

 お住持(ぢうぢ)の不儀はへちまの皮袋

 (お住持の不儀はへちまの皮袋大黒のある銀弐百まひ)

 

 住持は住職と同じ。前句の大黒を住持の妻と取り成す。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「大黒」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「[1] 「だいこくてん(大黒天)」の略。

  ※蔭凉軒日録‐永享七年(1435)九月二八日「大黒像二体、以二誉阿一預申」

  ※虎明本狂言・夷大黒(室町末‐近世初)「ひえの山の三面の大黒は、いづれの大こくよりもれいげんあらたにて」

  [2] 〘名〙

  ① 僧侶の妻。梵妻。大黒天は、元来厨(くりや)にまつられた神であるところから、寺院の飯たき女をいい、また、私妾や妻をもいうようになったという。また、世をはばかって厨だけにいて、世間に出さないからとも、大黒天の甲子祭から、子(寝)祭とのしゃれからともいう。

  ※歌謡・閑吟集(1518)「よべのよばひ男、たそれたもれ、ごきかごにけつまづゐて、大黒ふみのく」

  ※浮世草子・傾城禁短気(1711)二「されば世間の人口をいとひ給ふ、歴々のお寺方の大黒(ダイコク)は、若衆髪に中剃して、男の声づかひを習ひ」

  ② 「だいこくがさ(大黒傘)」の略。

  ※雑俳・柳多留‐九(1774)「傘でさへ大こくはふとってう」

  ③ 江戸浅草の一二月二七日の歳の市で売られた木彫りの大黒天の像。うまく盗み、持ち帰れば幸運が得られるとされた。

  ※雑俳・柳多留‐二四(1791)「大黒はぬすんでばちにならぬもの」

  ④ 「だいこくまい(大黒舞)」の略。

  ※雑俳・柳多留拾遺(1801)巻一一「大こくも恵方からくりゃ安く見へ」

 

とあり、ここでは[2]①の意味になる。

 ヘチマの皮はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「糸瓜の皮」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① ヘチマの外皮。

  ② ヘチマの種子などを取り除いたあとの繊維。垢すりなどに用いる。〔日葡辞書(160304)〕

  ③ つまらないもの、とるにたりないもの、役にたたないもののたとえ。問題にもしない、という時にもいう。へちまの皮袋。へちまの根。

  ※浮世草子・元祿大平記(1702)四「此上は命もなんのへちまの皮(カハ)とにくからぬ心ざし」

 

とある。

 住持の妻は財布をがっちり握っているから多少の浮気もへとも思わない。

 長点で「念比(ねんごろ)(つけ)(られ)句作(くづくり)やすらかに候」とあり、年頃と懇ろの仲と掛けて用いている。

 

無季。釈教。恋。

 

八十六句目

 

   お住持の不儀はへちまの皮袋

 からかさ一本女郎町の湯屋

 (お住持の不儀はへちまの皮袋からかさ一本女郎町の湯屋)

 

 湯屋は銭湯のことだが、関西では湯女のサービスのある売春がらみの所が多かったという。これも女郎町の湯屋で、そうした湯屋であろう。戦後のトルコ風呂の発想にも通じる。

 不儀と言ってもプロの女性相手の湯屋通いで、唐傘一本持って気軽に出かけて行く。

 点あり。

 

無季。恋。

 

八十七句目

 

   からかさ一本女郎町の湯屋

 (あめ)(うる)人の心もうつり(がさ)

 (飴を売人の心もうつり瘡からかさ一本女郎町の湯屋)

 

 瘡はここでは梅毒のことであろう。前句の唐傘一本を飴売りの傘として、傘だけに瘡をうつされる。

 長点で「右同前」とある。「念比に被付句作やすらかに候」ということ。

 

無季。恋。「人」は人倫。

 

八十八句目

 

   飴を売人の心もうつり瘡

 (しらみ)はひ出る神前の月

 (飴を売人の心もうつり瘡虱はひ出る神前の月)

 

 前句の瘡を虱に食われた跡の瘡として、飴売りを神前の飴売りとする。

 点なし。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。神祇。「虱」は虫類。

 

八十九句目

 

   虱はひ出る神前の月

 秋まつり古ふんどしも時を得て

 (秋まつり古ふんどしも時を得て虱はひ出る神前の月)

 

 秋祭りで古い(ふんどし)を引っ張り出したら夏の虱がまだいて這い出してきた。

 点あり。

 

季語は「秋まつり」で秋。「古ふんどし」は衣裳。

 

九十句目

 

   秋まつり古ふんどしも時を得て

 相撲の芝居ゆるされにけり

 (秋まつり古ふんどしも時を得て相撲の芝居ゆるされにけり)

 

 秋祭りで相撲や芝居の小屋が並び、古い褌も役に立つ。

 点あり。

 

季語は「相撲」で秋。

 

九十一句目

 

   相撲の芝居ゆるされにけり

 位にも昇る四条の役者共

 (位にも昇る四条の役者共相撲の芝居ゆるされにけり)

 

 前句を相撲を題材にした芝居とする。京の四条は芝居小屋が並んでいたが、その役者が天皇に招かれたのか官位を貰う。

 長点で「清和の御位河原者に(なり)候か。乍恐(おそれながら)俳諧御免とこそ」とある。さすがに当時は河原者と呼ばれた非人身分の歌舞伎役者が天皇に呼ばれて官位を貰うということはなかったのだろう。俳諧ならではの空想ということか。

 

無季。「役者」は人倫。

 

九十二句目

 

   位にも昇る四条の役者共

 (ひく)(しゃみ)(せん)は座頭よりなを

 (位にも昇る四条の役者共引三線は座頭よりなを)

 

 琵琶法師の蝉丸は皇子(みこ)でありながら盲目ゆえに逢坂山に捨てられたという伝説があるが、今の芝居小屋の三味線引きは座頭の三味線(この頃は既に琵琶を弾く座頭は過去のものになっていた)よりも優れているので、昇殿しても不思議はない、と。

 点なし。

 

無季。「座頭」は人倫。

名残裏

九十三句目

 

   引三線は座頭よりなを

 鯨よる浦づたひしてふなあそび

 (鯨よる浦づたひしてふなあそび引三線は座頭よりなを)

 

 前句の座頭をザトウクジラのこととする。

 点なし。

 

季語は「鯨」で冬。「浦」は水辺。

 

九十四句目

 

   鯨よる浦づたひしてふなあそび

 五分(ごぶ)(いち)(まづ)たつ友千鳥

 (鯨よる浦づたひしてふなあそび五分一は先たつ友千鳥)

 

 五分一は収穫の五分の一を徴収するということか。コトバンクの「日本歴史地名大系 「五分一町」の解説」の、明石の五分一町の由来の所に、

 

 「もとは西樽屋町のうちで紺屋こんや町と称した。五分一町の町名は、当町の西側にあった明石湊の出入湊税を取扱った帆別役所の役宅があり、収納した税を役所・明石町・郡代官所・下役人の間で五分割していたことに由来する。」

 

とある。

 この句の場合は獲れた鯨の五分の一は千鳥が持って行くということか。

 点あり。

 

季語は「千鳥」で冬、鳥類。

 

九十五句目

 

   五分一は先たつ友千鳥

 勘定帳幾夜ね(ざめ)にとぢぬらし

 (勘定帳幾夜ね覚めにとぢぬらし五分一は先たつ友千鳥)

 

 千鳥に「幾夜寝覚め」と来れば、百人一首でもお馴染みの、

 

 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に

     幾夜ねざめぬ須磨の関守

           源兼(みなもとのかね)(まさ)(金葉集)

 

になる。五分一の支払いに苦労して、勘定帳を幾夜も開いたり閉じたりしている。

 点なし。

 

無季。「幾夜」は夜分。

 

九十六句目

 

   勘定帳幾夜ね覚めにとぢぬらし

 手代のこらずきくかねの声

 (勘定帳幾夜ね覚めにとぢぬらし手代のこらずきくかねの声)

 

 寝覚めの鐘と金とを掛ける。

 手代はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「手代」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 人の代理をすること。また、その人。てがわり。

  ※御堂関白記‐寛弘六年(1009)九月一一日「僧正奉仕御修善、手代僧進円不云案内」

  ※満済准后日記‐正長二年(1429)七月一九日「於仙洞理覚院尊順僧正五大尊合行法勤修云々。如意寺准后為二手代一参住云々」

  ② 江戸時代、郡代・代官に属し、その指揮をうけ、年貢徴収、普請、警察、裁判など民政一般をつかさどった小吏。同じ郡代・代官の下僚の手付(てつき)と職務内容は異ならないが、手付が幕臣であったのに対し、農民から採用された。

  ※随筆・折たく柴の記(1716頃)中「御代官所の手代などいふものの、私にせし所あるが故なるべし」

  ③ 江戸幕府の小吏。御蔵奉行、作事奉行、小普請奉行、林奉行、漆奉行、書替奉行、畳奉行、材木石奉行、闕所物奉行、川船改役、大坂破損奉行などに属し、雑役に従ったもの。

  ※御触書寛保集成‐一八・正徳三年(1713)七月「諸組与力、同心、手代等明き有之節」

  ④ 江戸時代、諸藩におかれた小吏。

  ※梅津政景日記‐慶長一七年(1612)七月二三日「其切手・てたいの書付、川井嘉兵へに有」

  ⑤ 商家で番頭と丁稚(でっち)との間に位する使用人。奉公して一〇年ぐらいでなった。

  ※浮世草子・好色一代男(1682)一「宇治の茶師の手代(テタイ)めきて、かかる見る目は違はじ」

  ⑥ 商業使用人の一つ。番頭とならんで、営業に関するある種類または特定の事項について代理権を有するもの。支配人と異なり営業全般について代理権は及ばない。現在では、ふつう部長、課長、出張所長などと呼ばれる。〔英和記簿法字類(1878)〕

  ⑦ 江戸時代、劇場の仕切場(しきりば)に詰め、帳元の指揮をうけ会計事務をつかさどったもの。〔劇場新話(180409頃)〕」

 

とある。この場合は⑤のことか。実際の金を数えて、勘定帳の数字と合っているか確認する作業であろう。

 点なし。

 

無季。「手代」は人倫。

 

九十七句目

 

   手代のこらずきくかねの声

 (しも)くだりあかぬ(わかれ)(をし)むらん

 (下くだりあかぬ別や惜むらん手代のこらずきくかねの声)

 

 「(しも)くだり」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に「西国下り」とある。

 商家の主人が大阪から西国へ夜明け前に旅立つと、手代たちが勢ぞろいして別れを惜しむ。

 点なし。

 

無季。恋。旅体。

 

九十八句目

 

   下くだりあかぬ別や惜むらん

 堺のうみのしほよなみだよ

 (下くだりあかぬ別や惜むらん堺のうみのしほよなみだよ)

 

 前句の西国下向の旅立ちを堺港からとする。西国へ売られてゆく遊女としたか。高須(たかす)に室町時代から遊郭があって、一休さんと地獄(じごく)太夫(たゆう)の物語が知られている。

 点なし。

 

無季。恋。「うみ」は水辺。

 

九十九句目

 

   堺のうみのしほよなみだよ

 和泉灘(いずみなだ)花の浪(たつ)うき名(たつ)

 (和泉灘花の浪立うき名立堺のうみのしほよなみだよ)

 

 堺は遊郭があった所だから、そこに入り浸ってると自ずと浮名が立つが、ここは一休さんのことか。

 点あり。

 

季語は「花の浪」で春、植物、木類。恋。「和泉灘」は水辺。

 

挙句

 

   和泉灘花の浪立うき名立

 恋風(こひかぜ)東風風(こちかぜ)(ふき)とばすふね

 (和泉灘花の浪立うき名立恋風東風風吹とばすふね)

 

 水辺三句続いたが、打越の「うみのしほ」を体とするなら舟は用なので問題はない。展開には乏しいが、恋風とこち風に浮名も何のそのと、恋の船は吹っ飛ぶように進み、目出度く一巻は終わる。

 点なし。

 

季語は「東風」で春。「ふね」は水辺。

 

 「愚墨五十六句

     長廿三

      梅翁判」

 

 他の巻に比べても遜色のない出来になっている。

 

  毎句金言えり(わけ)がたく、(ひが)(ずみ)おほかるべく候。(この)上両がへに見せらるべし。

 

 判定に困る句が多かったということか。どれが「金」言かは両替商に聞いてくれと言って締めくくる。脇の算盤(そろばん)を受けての事。