「月出ば」の巻、解説

初表

 月出ば行燈消サン座敷かな    越人

   朝夕かかる柴墻のひよん   苔翠

 このきみと名をいふ竹の露落て  芭蕉

   まづかたかなのいろは習ひに 友五

 南から声に雨もつ郭公      夕菊

   よもぎをのぞく山の草刈   泥芹

 

初裏

 打くだく燧のかけの淋しくて   依々

   女房戻れば留守渡す也    越人

 聾と物語する恋の友       友五

   痞おさへてあかつきを泣   芭蕉

 まだやまぬ雪の戸明て怕さよ   苔翠

   さしのこしたる曲舞の章   夕菊

 秋風や子をもたぬ身の哀より   越人

   谷の庵のあたらしき月    依々

 行雁におくれて一羽残けり    夕菊

   沖に舟見るあつもりの塚   泥芹

 唐の頭巾に花のちりかかり    夕菊

   酔て牛より落る春風     芭蕉

 

       参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

 

   東武苔翠にて

 月出ば行燈消サン座敷かな    越人

 

 九月も名月が過ぎて、居待月立待月も過ぎて行燈を灯しての興行になったのだろう。月が登る頃にはこの興行も終わり、静かに月でも見ましょうか、という挨拶になる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「座敷」は居所。

 

 

   月出ば行燈消サン座敷かな

 朝夕かかる柴墻のひよん     苔翠

 (月出ば行燈消サン座敷かな朝夕かかる柴墻のひよん)

 

 「ひよん」はヒョンノキでイスノキのこと。ウィキペディアに、

 

 「イスノキ(蚊母樹、柞、Distylium racemosum)は、暖地に自生するマンサク科の常緑高木。別名、ユスノキ、ユシノキ、ヒョンノキ。」

 

 「また、虫こぶ(ひょんの実)は成熟すると表面が硬く、内部が空洞になり、出入り口の穴に唇を当てて吹くと笛として使える。これが別名ヒョンノキ(ひょうと鳴る木)の由来とも言われる。また、この虫こぶにはタンニンが含まれ、染料の材料として使われる。」

 

とある。イチジクのような大きな虫こぶをつける。生垣に用いられる。

 ひよんに特に寓意はなさそうだ。自分のうちの生垣のことを詠んで脇にする。

 

季語は「ひよん」で秋、植物、木類。「柴墻」は居所。

 

第三

 

   朝夕かかる柴墻のひよん

 このきみと名をいふ竹の露落て  芭蕉

 (このきみと名をいふ竹の露落て朝夕かかる柴墻のひよん)

 

 『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注に、

 

 「晋の王子猷が竹を愛し、『何ぞ一日も此君なかるべけんや』と称した故事により、竹の異名。」

 

とある。王子猷は王徽之のこと。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「此君」の解説」に、

 

 「〘名〙 (晉の王子猷が竹を愛し「何可三一日無二此君一耶」と称したという「晉書‐王徽之伝」の故事から) 竹の異称。

  ※枕(10C終)一三七「御簾をもたげてそよろとさし入るる、呉竹なりけり。『おい、この君にこそ』といひわたるを」

  [語誌]王子猷の故事は、平安初期には漢詩の題材として好まれたが、「枕草子」に引かれてから、和歌の世界でも詠まれた。単に故事を詠み込むのではなく、竹の縁語の「よよ」=「世々」と結びつけて、「このきみといふ名もしるくくれ竹の世々へんまでもたのみてをみん〈藤原公能〉」〔久安百首‐慶賀〕のように、相手をことほぐ意味で用いられることが多い。」

 

とある。その『枕草子』一三七段には、

 

 「五月ばかり、月もなういとくらきに、女房やさぶらひたまふと声々していへば、いでてみよ、例ならずいふは誰ぞとよと仰せらるれば、こは、誰そ、いとおどろおどろしうきはやかなるはといふ。ものはいはで、御簾をもたげてそよろとさし入るる、くれ竹なりけり。おい、この君にこそといひわたるを聞きて、いざいざ、これまづ殿上にいきて語らむとて、式部卿の宮の源中将、六位どもなど、ありけるは往ぬ。」

 

とある。

 前句のヒョンノキの生垣に呉竹の露を付けるのだが、ただ竹を出すのではなく、そこに『枕草子』のこの話で取り囃す。

 

季語は「露」で秋、降物。「竹」は植物で木類でも草類でもない。

 

四句目

 

   このきみと名をいふ竹の露落て

 まづかたかなのいろは習ひに   友五

 (このきみと名をいふ竹の露落てまづかたかなのいろは習ひに)

 

 『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注に、

 

 「前句の晋の書聖王羲之の子、王子猷という事から、手習いのはじめの仮名を習う」

 

とある。维基百科に「王徽之(338年-386年),字子猷,東晉名士、書法家,王羲之第五子。」とある。

 まあ、王羲之の子なら王羲之直々に書を習っただろうけど、「いろは」は習わないと思うが。

 

無季。

 

五句目

 

   まづかたかなのいろは習ひに

 南から声に雨もつ郭公      夕菊

 (南から声に雨もつ郭公まづかたかなのいろは習ひに)

 

 五月雨のホトトギスは、

 

 五月雨に物思ひをれば郭公

     夜ぶかく鳴きていづちゆくらむ

              紀友則(古今集)

 さみだれの空もとどろに郭公

     なにを憂しとか夜ただ鳴くらむ

              紀貫之(古今集)

 

など、古来歌に詠まれている。『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注は、

 

 五月雨にしをれつつ鳴く郭公

     ぬれ色にこそ声も聞ゆれ

              (夫木抄)

 

の歌を引いている。

 「いろ」と「いろは」を掛けたということか。今一つ前句との関係がわからない。

 

季語は「郭公」で夏、鳥類。「雨」は降物。

 

六句目

 

   南から声に雨もつ郭公

 よもぎをのぞく山の草刈     泥芹

 (南から声に雨もつ郭公よもぎをのぞく山の草刈)

 

 夏のホトトギスの季節に山へ草刈に行くと、蓬に埋もれた宿が見える。

 『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注に、

 

 山陰にしげき蓬の杣つくり

     我住むいほのかこひにぞ刈る

              (夫木抄)

 

とある。

 

無季。「よもぎ」は植物、草類。「山」は山類。

初裏

七句目

 

   よもぎをのぞく山の草刈

 打くだく燧のかけの淋しくて   依々

 (打くだく燧のかけの淋しくてよもぎをのぞく山の草刈)

 

 山の草刈は岩を砕いて火打石にするが、その音も静寂の中に淋しく響く。

 貞享四年冬、鳴海の菐言亭での「京までは」の巻二十六句目に、

 

   山守が車にけづる木をになひ

 燧ならして岩をうちかく     知足

 

の句がある。

 

無季。

 

八句目

 

   打くだく燧のかけの淋しくて

 女房戻れば留守渡す也      越人

 (打くだく燧のかけの淋しくて女房戻れば留守渡す也)

 

 女房が留守で一人火打石を打つ淋しさ。

 

無季。恋。「女房」は人倫。

 

九句目

 

   女房戻れば留守渡す也

 聾と物語する恋の友       友五

 (聾と物語する恋の友女房戻れば留守渡す也)

 

 聾は「つんぼう」だが、ここでは比喩で、単に恋して心ここに有らずで見当ちがいな返事をする友、ということだろう。

 女房が帰ってきたら席を外して悩みを聞いてもらう。

 

無季。恋。「聾」「友」は人倫。

 

十句目

 

   聾と物語する恋の友

 痞おさへてあかつきを泣     芭蕉

 (聾と物語する恋の友痞おさへてあかつきを泣)

 

 痞は「つかへ」。胸がふさがることで、病気の場合もあれば、恋で胸がふさがることをも言う。

 

無季。恋。

 

十一句目

 

   痞おさへてあかつきを泣

 まだやまぬ雪の戸明て怕さよ   苔翠

 (まだやまぬ雪の戸明て怕さよ痞おさへてあかつきを泣)

 

 「怕さ」は「けうとさ」でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「気疎」の解説」に、

 

 「〘形口〙 けうと・し 〘形ク〙 (古く「けうとし」と発音された語の近世初期以降変化した形。→けうとい)

  ① 人気(ひとけ)がなくてさびしい。気味が悪い。恐ろしい。

  ※浮世草子・宗祇諸国物語(1685)四「なれぬほどは鹿狼(しかおほかみ)の声もけうとく」

  ※読本・雨月物語(1776)吉備津の釜「あな哀れ、わかき御許のかく気疎(ケウト)きあら野にさまよひ給ふよ」

  ② 興ざめである。いやである。

  ※浮世草子・男色大鑑(1687)二「角落して、きゃうとき鹿の通ひ路」

  ③ 驚いている様子である。あきれている。

  ※日葡辞書(1603‐04)「Qiôtoi(キョウトイ) ウマ〈訳〉驚きやすい馬。Qiôtoi(キョウトイ) ヒト〈訳〉不意の出来事に驚き走り回る人」

  ④ 不思議である。変だ。腑(ふ)に落ちない。

  ※浄瑠璃・葵上(1681‐90頃か)三「こはけうとき御有さま何とうきよを見かぎりて」

  ⑤ (顔つきが)当惑している様子である。

  ※浄瑠璃・大原御幸(1681‐84頃)二「弁慶けうときかほつきにて」

  ⑥ (多く連用形を用い、下の形容詞または形容動詞につづく) 程度が普通以上である。はなはだしい。

  ※浮世草子・好色産毛(1695頃)一「気疎(ケウト)く見事なる品もおほかりける」

  ⑦ 結構である。すばらしい。立派だ。

  ※浄瑠璃・伽羅先代萩(1785)六「是は又けふとい事じゃは。そふお行儀な所を見ては」

 

とある。

 雪が止まなくて困ったということだろう。胸のつかえがひどいのに一人っきりは心細い。狭心症かもしれない。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

十二句目

 

   まだやまぬ雪の戸明て怕さよ

 さしのこしたる曲舞の章     夕菊

 (まだやまぬ雪の戸明て怕さよさしのこしたる曲舞の章)

 

 「さす」は舞で手を前方に伸ばすことをいう。外の雪にびっくりして、曲舞の途中で固まったようなポーズになった。

 

無季。

 

十三句目

 

   さしのこしたる曲舞の章

 秋風や子をもたぬ身の哀より   越人

 (秋風や子をもたぬ身の哀よりさしのこしたる曲舞の章)

 

 子供がいないので謡曲『望月』を最後まで舞えないということか。

 

季語は「秋風」で秋。「子」「身」は人倫。

 

十四句目

 

   秋風や子をもたぬ身の哀より

 谷の庵のあたらしき月      依々

 (秋風や子をもたぬ身の哀より谷の庵のあたらしき月)

 

 「あたらしき月」は初月(三日月)のことか。山に囲まれて三日月が見えない。子供がなくて寂しいが、三日月が見えないのも寂しい。

 

季語は「あたらしき月」で秋、夜分、天象。「谷」は山類。

 

十五句目

 

   谷の庵のあたらしき月

 行雁におくれて一羽残けり    夕菊

 (行雁におくれて一羽残けり谷の庵のあたらしき月)

 

 行雁(ゆくかり)は春の帰る雁の事をいう場合もあるが、ここでは単に空を飛んで行く雁の列のことで秋になる。一羽だけ列からやや遅れてまだ山の端に見える。

 

季語は「雁」で秋、鳥類。

 

十六句目

 

   行雁におくれて一羽残けり

 沖に舟見るあつもりの塚     泥芹

 (行雁におくれて一羽残けり沖に舟見るあつもりの塚)

 

 敦盛塚は須磨の一ノ谷古戦場にある。一羽遅れて飛ぶ雁は、平家の船団が去ったあとの敦盛の魂のようだ。

 謡曲『敦盛』に、

 

 「籠鳥の雲を恋ひ帰雁列を乱るなる」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.20811-20813). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

とある。

 

無季。「沖」「舟」は水辺。

 

十七句目

 

   沖に舟見るあつもりの塚

 唐の頭巾に花のちりかかり    夕菊

 (唐の頭巾に花のちりかかり沖に舟見るあつもりの塚)

 

 「唐の頭巾」は幞頭(ぼくとう)のことか。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「幞頭」の解説」に、

 

 「律令(りつりょう)制で、成人男子が公事のとき用いるよう規定された被(かぶ)り物。養老(ようろう)の衣服令(いふくりょう)では頭巾(ときん)とよび、朝服や制服を着用する際被るとしている。幞頭は盤領(あげくび)式の胡服(こふく)を着るときに被る物であり、イランより中国を経て日本に伝えられたものと考えられる。原型は正方形の隅に共裂(ともぎれ)の紐(ひも)をつけた布帛(ふはく)を髻(もとどり)の上から覆って縛る四脚巾(しきゃくきん)といわれるもの。それをまえもって成形し、黒漆で固形化して被る物に変えた。貞観(じょうがん)儀式や延喜式(えんぎしき)で一枚とか一条と数えていて、元来平たいものであったことを示している。四脚巾着用の遺風は、インド・シク教徒の少年にみられる。」

 

とある。

 敦盛を弔いに来た大宮人とする。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「唐の頭巾」は衣裳。

 

挙句

 

   唐の頭巾に花のちりかかり

 酔て牛より落る春風       芭蕉

 (唐の頭巾に花のちりかかり酔て牛より落る春風)

 

 王朝時代の大宮人の花の宴で、酔っ払って牛車を曳く牛に跨ろうとして落ちる。

 

季語は「春風」で春。「牛」は獣類。