X奥の細道、六月

六月一日

大石田(おおいしだ)出て(でて)新庄(しんじょう)の渋谷甚兵のところに向かう。風流のところで風流をしにいくわけだが、紛らわしい俳号だ。絵画という絵師がいるようなもんだ。

平右衞門が舟形(ふながた)までの二人分の馬を用意してくれて、加助と一緒に猿羽(さばね)(とうげ)まで見送りに同行してくれた。

 

舟形で馬を降りるとそこから先は暑い中を歩いた。

途中柳の木の影に清水があった。水は冷たく、生き返るような心地だった。

折から今日は61日。この日は朝廷へ氷室(ひむろ)の氷の献上のある日で、それに倣って公方様の所にも加賀藩から氷が献上される。

 

氷ではないが、この冷たい清水は有り難く、氷室の氷を献上された殿様になった気分だ。

 

水の奥氷室(ひむろ)(たづぬ)(やなぎ)(かな) 芭蕉

 

 

六月二日

すっかり梅雨明けで暑い日が続く。昨日は風流こと渋谷甚兵の家に泊まった。

午後からは甚兵の兄の九郎兵衛の家で興行することになった。8人は集まるというので、広い兄の家の方が良いとのことだ。

一応発句を用意しないと。

 

九郎兵衛邸での興行で一応「薫風自南来 殿閣生微涼」という禅語を出典として、

 

風の()も南に近し最上川 芭蕉

 

の発句も用意したが、風流の発句が当座の興にあっているのでこっちにした。

 

(たずね)(わが)宿(やど)せばし(やぶ)()や 風流

 

それで会場を移しました。

 

芭蕉「いやいや全然狭くなかったし、蚊帳(かや)も破れてなかったし、それに今は風(かお)る候なので、まるで高価なお香を焚いただ。」

 

  御尋に我宿せばし破れ蚊や

はじめてかほる風の薫物(たきもの) 芭蕉

 

孤松「初めて薫るというのを菊の香りにしましょう。ススキも折って軽くあしらっておきましょう。」

 

  はじめてかほる風の薫物

菊作り(くわ)(すすき)折添(おりそえ)て 孤松

 

曾良「それでは菊とススキに背景を添えておきましょう。霧に日の光が反射して虹ができる。」

 

  菊作り鍬に薄を折添て

(たち)かくす虹のもとすゑ 曾良

 

柳風「月に虹が掛かる珍しい光景についつい浮かれて二里も遠くまで行ってしまった。」

 

  霧立かくす虹のもとすゑ

そぞろ(なる)月に(ふた)里隔(さとへだて)けり 柳風

 

盛信「では今日は私盛信こと九郎兵衛が執筆を務めさせてもらう。二里といえば京から逢坂山まで、月といえば駒迎(こまむか)え。」

 

  そぞろ成月に二里隔てけり

馬市くれて駒むかへせん 盛信

 

 

六月三日

今日も良い天気で、新庄を出て(あい)(かい)から最上川を船で下って清川(きよかわ)へ行き、そこから羽黒山へ向かう。

この船に同船した二人の僧は前に深川にいた毒海長老の知り合いだという。

 

何事(なにごと)も招き果てたるすすき哉 芭蕉

 

の句を追悼に詠んだっけ。

 

最上川を下り途中、古口(ふるくち)の船関を通った。ここから清川の船関までが左右の山が迫り、仙人堂や白糸の滝があった。

最上川というと古今集東歌(あずまうた)に、

 

最上川登れば下る(いな)(ふね)

   いなにはあらずこの月ばかり

 

の歌があったな。

 

ここ何日か晴天が続いてたので、それほど急流という感じはしないし、昔から船が上ってたのもわかる。

ただ名所(めいしょ)名寄(なよせ)には、

 

稲船も登りかねたる最上川

   しばしばかりといつを待ちけむ

 

の歌もあったな。五月雨に詠むんだったら「集めて速し」か。

 

清川で船を降りて陸路で羽黒山に向かった。着いた時には日も西に傾いてた。

あらかじめ曾良が連絡を入れていた佐吉は留守で、待ってると宝前院(ほうぜんいん)(じゃっ)王寺(こうじ)の本坊から帰ってきたが、また曾良に手紙を持たされて本坊との間を往復した。

 

宿泊地の南谷(みなみだに)に着いた頃には、空にほんのり三日月が見えていた。

 

涼しさやほの三日月の羽黒山 芭蕉

 

 

六月四日

今日は旧暦63日で、元禄2年は64日。羽黒山。

 

今日も良い天気だが、尾花沢を出てからゆっくりできなかったので一休みだ。

昨日の夜、(かん)修坊(しゅうぼう)(ちょう)(せつ)という僧がやって来て、曾良の旧友だというので盛り上がってた。

釣雪は尾張にもいる。柳宗元(りゅうそうげん)の独釣寒江雪の詩句は有名だからな。

 

午前中はゆっくり休んだ。南谷の宿泊所は紫苑寺(しおんじ)という別当代の会覚阿闍(えがくあじゃ)()の隠居所で、滝の水を引き込んだ水風呂と高野山式の水洗便所があった。

午後は本坊の宝前院(ほうぜんいん)(じゃっ)王寺(こうじ)に呼ばれて蕎麦をご馳走になり、会覚阿闍梨と盛岡の(じょう)教院(きょういん)江州円入(ごうしゅうえんにゅう)に会った。

 

昼食の後、佐吉や釣雪や羽黒山の僧を交えて興行した。

 

芭蕉「月山は夏でも雪があって、そこから吹いてくる風が涼しいですね、という意味だが、ここは雪を薫らすと敢えて風の言葉を抜いてみた。」

 

有難(ありがた)や雪をかほらす南谷 芭蕉

 

佐吉「俳号は()(がん)ね。風の抜けならこちらは露の抜けとしましょうか。南谷の別邸も今は夏草が茂って、露に濡れる。」

 

  有難や雪をかほらす南谷

(すむ)(ほど)人のむすぶ夏草 露丸

 

曾良「夏草だと一応草の中で光る蛍ということで、水辺に展開しましょうか。」

 

  住程人のむすぶ夏草

川船のつなに蛍を引立(ひきたて)て 曾良

 

釣雪「蛍だから暗くなる頃ということで、月を出しましょう。鵜のどこかへ飛び去った空には三日月が残っている。」

 

  川船のつなに蛍を引立て

鵜の(とぶ)跡に見ゆる三日月 釣雪

 

珠妙「その空には天の川があって秋風が吹く。鵜をカササギに見立てて。」

 

  鵜の飛跡に見ゆる三日月

(すむ)(みず)に天の(うか)べる秋の風 珠妙

 

梨水「秋の夜ということで、あちこちから砧を打つ音が聞こえてくる。」

 

  澄水に天の浮べる秋の風

北も南も(きぬた)(うち)けり 梨水

 

 

六月五日

今日は旧暦64日で、元禄2年は65日。羽黒山。

 

明日は月山(がっさん)に登ってそこから湯殿山(ゆどのさん)にも行こうということで、まず羽黒山神社から参拝することにした。

一応修験の習慣に習って、今日の午前中は断食をした。

その間に佐吉と釣雪がやって来て、昨日の俳諧の続きをした。

 

釣雪「夜分(やぶん)を離れなくてはいけないからな。旅体(りょたい)にして昼間は木陰で眠って、夜に砧を聞くってことにしましょう。」

 

  北も南も砧打けり

(いねむ)りて昼のかげりに笠(ぬぎ)て 釣雪

 

芭蕉「では木曽の旅にしよう。姨捨山(おばすてやま)に行った時中山道(なかせんどう)を牛が荷物を運んでたな。」

 

  眠りて昼のかげりに笠脱て

百里の旅を木曽の牛追(うしおい) 芭蕉

 

露丸「木曽で牛といえば木曽(きそ)(よし)(なか)()(ぎゅう)の計。本人の登場ではなく、跡を弔うために旅してた坊さんかなんかで、木曽義仲の隠れ城のことを記す。」

 

  百里の旅を木曽の牛追

山つくす心に城の記をかかん 露丸

 

曾良「だったら城を建てる木材を調達する時に、神木の森を避けた、というのは。」

 

  山つくす心に城の記をかかん

(もち)すくむ神木の森 曾良

 

釣雪「ひょっとして曾良さん、みちのくの旅で野宿をしようとして木を切ろうとしたとか。俳諧ではなくここは和歌に変えて。」

 

  斧持すくむ神木の森

歌よみのあと(したい)(ゆく)宿なくて 釣雪

 

露丸「歌を詠めば鬼神も感銘して涙を流す。泊まる宿もなければ節分の豆まきもできないが、そこは歌を詠んで鬼を泣かす。」

 

  歌よみのあと慕行宿なくて

豆うたぬ夜は何となく鬼 露丸

 

午後からまた羽黒山の俳諧の続きをした。

 

芭蕉「昔の御所は公的な太極(たいきょく)殿(でん)(かわら)()きだったが、私的な紫宸殿(ししんでん)檜皮(ひわだ)()きだったという。その跡が今はお寺になって、昔の追儺(ついな)の儀式は失われている。」

 

  豆うたぬ夜は何となく鬼

(ふる)御所(ごしょ)を寺になしたる檜皮葺(ひわだぶき) 芭蕉

 

梨水「どうも、本坊の方から迎えに来ました。えっ、一句?お寺だから萩が咲いてて、荒れた寺だから枝垂れた枝や立ち枝が絡まってたりして。」

 

  古御所を寺になしたる檜皮葺

糸に(たち)()にさまざまの萩 梨水

 

曾良「萩の庭のある家で寝てると、急に月が出たと言って起こされたりしますね。鹿島根本寺で(ぶっ)(ちょう)和尚(おしょう)いきなり起こされましたな。結局月は見えなかったんですけどね。」

 

  糸に立枝にさまざまの萩

月見よと引起(ひきおこ)されて(はずか)しき 曾良

 

芭蕉「恥ずかしきとくれば女の恥じらう姿で恋だな。乱れ髪で薄物を着ただけで。」

 

  月見よと引起されて恥かしき

髪あふがするうすものの露 芭蕉

 

露丸「乱れ髪で薄物着た遊女といえばモフモフを飼ってたりして。(ちん)の頭を花の枝で飾ったりして。」

 

  髪あふがするうすものの露

まつはるる犬のかざしに花(おり)て 露丸

 

釣雪「裕福な武家の娘の飼ってる犬にしましょうか。庭に弓矢の練習場があって、その片隅に咲いた山吹の花を折ってかざす。」

 

  まつはるる犬のかざしに花折て

的場(まとば)のすゑに(さけ)る山吹 釣雪

 

夕食を取ってから羽黒山神社に行った。一度本坊の方に戻ってから山の上の方に登って行く。

山の上の社からだと麓の若王寺の大伽藍や五重塔が闇に沈もうとしていて、その向こうに月が見えた。

 

 

六月六日

今朝はよく晴れて絶好の登山日和となった。七号目の高清水(たかしみず)までは馬で行き、そこからが本当の登山になる。

 

七合目高清水で馬を降りた。馬での七里は長かった。

八合目の小屋で昼食を食べて、弥陀(みだが)(はら)を過ぎると至る所雪が残っていた。

日もすっかり傾いた頃山頂に着いて、山頂の御室(おむろ)に参拝して近くの角兵衛小屋に泊まった。

 

昼間は時折入道雲も湧いて出て来たが、大きく天気が崩れることもなく、夕暮れには雲もなく、半月に近い月が浮かんでた。

 

雲の峰幾つ(くずれ)て月の山 芭蕉

 

 

六月七日

今日も良い天気で、朝早く角兵衛小山を出て湯殿山に向かった。鍛治(かじ)屋敷(やしき)の跡があった。名刀月山はここで作られたのか。

辺りの雪原の切れ目には所々白い小さな草花が咲いてた。まだ蕾が多いが、咲いてたのは五枚の花弁で桜のようだった。

 

牛首(うしくび)にも小屋があり、ここでも泊まれるようだった。水を貰って体を清めた。

その先は下りの道になり、しばらく行くと装束場(しょうぞくば)あって、ここで衣装を整えた。湯殿山はさらに降りた所で、参拝の人が沢山いた。

 

湯殿山は温泉自体が御神体で、お金や荷物を置いて浄衣を着て入浴した。行列ができてるため、ゆっくり浸かる暇もなく、あくまで参拝だ。

なお、ここで見たものは語ってはいけないという。

 

語れぬ湯殿にぬらす(たもと)(かな) 芭蕉

 

湯殿山を出ると、さっき下ってきた坂を登って、昼には月山山頂に戻り、角兵衛小屋で昼食を食べた。

ここから先の下りが長いが、とりあえず高清水まで行けば馬がある。

 

高清水から馬に乗り(こわ)清水(しみず)まで降りると、光明坊から御迎えの者たちが夕食の弁当を持ってやって来た。

既に辺りは薄暗く、食べ終えると南谷まであと三里。

南谷に着いた時にはすっかり暗くなっていた。

 

 

六月八日

一昨日昨日と弾丸登山になってしまい、今日はゆっくり休もうと思ったが、午後からは別当代和合院会覚阿闍(えがくあじゃ)()に招待されている。午前中だけでも休んどかないと。朝から雨が降ってることだし。

 

 

六月九日

昨日は夕方まで別当代和合院のところで過ごた。

今日天気が良く、朝は抜いたが昼に素麺を食べた。

そのあと和合院が酒と料理を持ってやってきて、俳諧の続きをやることになった。

 

芭蕉「武家の弓矢の練習場の片隅には、息子が七つの時に持ち上げて力石が記念にとってあったりする。」

 

  的場のすゑに咲る山吹

春を()し七ツの年の力石(ちからいし) 芭蕉

 

露丸「日本武尊(やまとたけるのみこと)にも幼い時があったんだろうな。最後は伊吹山の神と戦って破れ、醒ヶ(さめが)()の水で目を醒ましたという。この戦いが原因で亡くなったという。」

 

  春を経し七ツの年の力石

(くみ)ていただく醒ヶ(さめが)()の水 露丸

 

円入「醒ヶ井というのは山の中だったかのう。そこで旅人が水を貰うんだね。足を引いて、腰の辺りまでの蓑も捻じ切れてたりすんのじゃよ。」

 

  汲ていただく醒ヶ井の水

足引(あしひき)のこしかた(まで)(ひねり)(みの) 円入

 

曾良「これは乞食を装った忍者でしょうね。敵の門の前で二日間寝たふりをして見張ってて、敵の動向を探るとは、まさに隠れ蓑ですな。」

 

  足引のこしかた迄も捻蓑

(かたき)の門に二夜(ふたよ)()にけり 曾良

 

露丸「仇討ちしようとかたきの門の前で待ってたら、あっさり返り討ちに合う。」

 

  敵の門に二夜寝にけり

かき(きえ)る夢は野中の地蔵にて 露丸

 

芭蕉「お地蔵さんの所で野宿してて、はっと夢から覚めると野犬の声がする。野犬は妻を探して遠吠えしてたのか。」

 

  かき消る夢は野中の地蔵にて

妻恋(つまごい)するか山犬の声 芭蕉

 

梨水「山犬は狼のことを言う場合もあるので、狼の棲むこの辺りの山の景色を付けておきましょう。」

 

  妻恋するか山犬の声

薄雪(うすゆき)(とち)の枯葉の(うえ)寒く 梨水

 

露丸「薄雪の積もる頃はやはり温泉。」

 

  薄雪は橡の枯葉の上寒く

湯の香に曇るあさ日淋しき 露丸

 

釣雪「朝早くというと狩り。マタギの人が弓でムササビを射る。」

 

  湯の香に曇るあさ日淋しき

(むささび)()(かり)宿(やど)に矢を(はぎ)て 釣雪

 

円入「殺生はいけません。ムササビの命の奪われる頃、山伏たちは(すず)()けを着て終夜修行する。結構結構。」

 

  鼯の音を狩宿に矢を矧て

(すず)かけしほる()(すがら)(のり) 円入

 

曾良「月山は地名ですが、ここは月山にかかる真如の月も含んでのこととして、修行してる人達の労を労っておきましょう。嵐に風は大変です。」

 

  篠かけしほる夜終の法

月山(がっさん)の嵐の風ぞ骨にしむ 曾良

 

梨水「月山といえば刀鍛冶。嵐の稲妻で作業を終えても、火は絶やさない。」

 

  月山の嵐の風ぞ骨にしむ

鍛治(かじ)が火残す稲づまのかげ 梨水

 

露丸「稲妻の季節になると桐の葉も散り始め、心太(ところてん)もそろそろ終わりになる。」

 

  鍛治が火残す稲づまのかげ

(ちる)かいの桐の見付(みつけ)心太(こころぶと) 露丸

 

釣雪「桐の木に掛けておいた鳴子(なるこ)が鳴って、知らない人は驚く。」

 

  散かいの桐の見付し心太

鳴子(なるこ)とどろく片藪の窓 釣雪

 

芭蕉「鳴子の鳴る家は空き家に住み着いた泥棒で、追手が来たら分かるように鳴子を付けている。妹を何とか食わせようと盗みをする兄という設定にしておこう。」

 

  鳴子とどろく片藪の窓

盗人に連添(つれそう)(いも)が身を(なき) 芭蕉

 

曾良「この泥棒兄妹は関を越えて他国へ逃れようとして、関の明神に祈る。白河は奥州街道も東山道も二つの明神様が祀られてたな。」

 

  盗人に連添妹が身を泣て

いのりもつきぬ関々(せきぜき)の神 曾良

 

芭蕉「さあ最後の花ですので、ここは阿闍梨さん一つ。」

会覚「そう言われてもな。まあ、関所での別れの盃ということで、川に流れる桜の花びらでも肴にしてってことでいいじゃろ。」

 

  いのりもつきぬ関々の神

盃のさかなに流す花の浪 会覚

 

梨水「では酒宴に燕の舞でも。」

 

  盃のさかなに流す花の浪

幕うち(あぐ)るつばくらの舞 梨水

 

 

六月十日

今日は朝から曇っている。今日も本坊から呼ばれているが、鶴岡(つるおか)の長山五郎右衞門にも呼ばれているので、ここを出て鶴岡に向かおうと思う。

曾良も出羽三山のの発句を作った。

 

月山や鍛治が跡とふ雪清水 曾良

 

曾良「月山に登ったら鍛治小屋が雪の中にあったけど、季語をどうしようかと思って、雪清水という造語はちょっと苦し紛れだったかな。」

 

(ふみ)世を忘れけりゆどの道 曾良

 

「これは芭蕉さんに褒められた。」

 

三ヶ月や雪にしらげし(くもの)(みね) 曾良

 

曾良「月山山頂に着いたら、三日月が見えて、これまで真っ白な雲の峰を見ながら雪の中を歩いて、その合間に白い花が見えて、白い世界だった。

自分は(しら)芥子(げし)だと思ったが芭蕉さんは桜だという。どっちなんだろう。

(チングルマのことと思われます。バラ科なので、どちらかというと桜の方に近いと思われます。)

 

昼前に本坊へ行き、蕎麦に酒やお茶をご馳走になった。若王寺の人達ともこれでお別れだ。

円入は五重塔の先の大きな杉の木の所まで送ってくれた。その先に身を清めるための場所があって、出る時もここで身を清めて行くことにした。

 

そういえば忘れてたが、寛永の頃に羽黒山を復興した天宥法印(てんゆうほういん)の法難の話を聞いて、そのあと天宥法印の書いた四睡図(しすいず)も頼まれたっけ。

 

(その)(たま)や羽黒にかへす(のり)の月 芭蕉

月か花かとへど四睡の(いびき)(かな) 同

 

門前の佐吉の家に行ったら馬が一頭しかなくて、自分だけ乗った。

門前町の端の方の黄金堂の所で釣雪と別れた。佐吉は一緒に鶴岡へ行く。

 

佐吉も一緒に鶴岡へ向かうと小雨が降り出したが、たいしたことはなかった。

長山五郎右衛門の家に着いて、お粥を頂いて一休みしたら、早速(さっそく)興行しようと言われた。

お粥のおかずに茄子(なすび)があったので、

 

めづらしや山をいで()初茄子(はつなすび) 芭蕉

 

五郎右衛門「俳号は重行でがんす。蝉の鳴く中に井戸があるだけの粗末な家だがの。」

 

  めづらしや山をいで羽の初茄子

蝉に車の()(そう)井戸 重行

 

曾良「ここは機織りの盛んな所と聞いてます。」

 

  蝉に車の音添る井戸

絹機(きぬはた)暮鬧(くれいそが)しう(おさ)(うち)て 曾良

 

露丸「それでは四句目なので軽く時節を。」

 

  絹機の暮鬧しう梭打て

(うるう)弥生(やよい)もすゑの三ヶ月 露丸

 

 

六月十一日

今日は旧暦610日で、元禄2年は611日。鶴岡。

 

昨日の俳諧の続きをした。

 

重行「(うるう)三月の末といえば梨の花でがんす。」

 

  (うるう)弥生(やよい)もすゑの三ヶ月

(わが)顔に(ちり)かかりたる梨の花 重行

 

芭蕉「梨の花といえば謡曲(よう)()()の梨花一枝。楊貴妃の霊があらわれると胡蝶の舞になる。ここでは胡蝶の盃にしておこう。」

 

  吾顔に散かかりたる梨の花

銘を胡蝶と(つけ)しさかづき 芭蕉

 

露丸「盃といえば別れの盃で、島隠(しまがく)れする船を思う。」

 

  銘を胡蝶と付しさかづき

山端(やまのは)のきえかへり(ゆく)帆かけ舟 露丸

 

曾良「船が行ってしまったのは何の風情もない里でしたから。せめて(よもぎ)くらいでも茂っててくれたら末摘(すえつむ)(はな)の面影もあるでしょうに。」

 

  山端のきえかへり行帆かけ舟

(よもぎ)(なき)里は心とまらず 曾良

 

芭蕉「蓬は食用にもなるからな。(あわ)(ひえ)の素食に飽きて、更なる素食を求める僧が次に食べたがるのが蓬だった。」

 

  蓬無里は心とまらず

粟ひえを日ごとの(とき)喰飽(くいあき)て 芭蕉

 

重行「修行のために粟稗を食ってきた武士が、力がついたかと石に向かって弓を引いてその威力を試す。」

 

  粟ひえを日ごとの斎に喰飽て

弓のちからをいのる石の戸 重行

 

曾良「根っからの武人の家系だから、木刀にするための(あか)(がし)を母の形見に植える。」

 

  弓のちからをいのる石の戸

(あか)(がし)を母の形見(かたみ)(うえ)をかれ 曾良

 

露丸「母の形見は赤樫だけでなく、その木が目印の小さな田んぼだった。」

 

  赤樫を母の形見に植をかれ

雀にのこす小田の(かり)(そめ) 露丸

 

重行「小さな田んぼの持ち主は亡くなってしまったか、雀が食べるだけで刈る人もなくて、門の板橋も崩れたままだ。」

 

  雀にのこす小田(おだ)の刈初

(この)秋も(かど)の板橋崩れけり 重行

 

芭蕉「蟄居(ちっきょ)を命じられた人の家だろう。他の人は赦免(しゃめん)されたのに一人だけまだ家から出られず、門の板橋も直せない。配所の月のような気持ちで月を見る。‥万菊丸はどうしてるかな。」

 

  此秋も門の板橋崩れけり

赦免(しゃめん)にもれて独り見る月 芭蕉

 

露丸「配所の月を明け方まで見て、夜明けの寺の鐘を聴くと、男女の後朝(きぬぎぬ)の別れのように切なくなる。」

 

  赦免にもれて独り見る月

衣々(きぬぎぬ)は夜なべも同じ寺の鐘 露丸

 

曾良「宿で夜通し働いてる女中さんが、宿場の遊女を連れ込んだ客に嫉妬する。」

 

  衣々は夜なべも同じ寺の鐘

宿(しゅ)クの女の(ねた)きものかげ 曾良

 

重行「良家に婿養子(むこようし)取られた若武者が花見のために馬に乗って宿場を通ると、密かに恋してた宿場の女中が物陰から見ている。」

 

  宿クの女の妬きものかげ

婿入(むこいり)の花見る馬に打(むれ)て 重行

 

露丸「この婿入りはお家再興のためのもので、古い城郭は壊されて畑が作られている。」

 

  婿入の花見る馬に打群て

(もと)(くるわ)(はた)(やき)ける 露丸

 

昼頃から体調がすぐれず、今日の興行はここで終わりにした。

 

 

六月十二日

昨日から時折にわか雨が降る不安定な天気だ。

昨日の俳諧の続き。

芭蕉「畑になった(くるわ)の値段は一歩(いちぶ)だった。」

 

  旧の廓は畑に焼ける

金銭の春も壱歩(いちぶ)(あらたま)り 芭蕉

 

重行「奈良の都では和同開珎(わどうかいちん)が鋳造され、一歩(いちぶ)とされた。出来たばかりの貨幣を投げ打って、帰国した遣唐使が唐で学んだ豆腐の店を開く。」

 

  金銭の春も壱歩に改り

奈良の都に豆腐(とうふ)(はじめる) 重行

 

曾良「奈良の都の冬は寒く、雪の夜はやはり湯豆腐が良いですな。」

 

  奈良の都に豆腐始

(この)雪に(まず)あたれとや釜(あげ)て 曾良

 

芭蕉「湯豆腐に誘ってくれたのは上臈(じょうろう)か遊女か。夜着や布団ではなく寝巻き姿という所が艶やか。」

 

  此雪に先あたれとや釜揚て

寝まきながらのけはひ美し 芭蕉

 

露丸「遊女は美しくも悲しいもの。筑紫船に乗せられて売られてゆく。」

 

  寝まきながらのけはひ美し

遥けさは目を泣腫(なきはら)す筑紫船 露丸

 

曾良「筑紫船を筑紫へ向かう平家の船としましょうか。仲間が一人、また一人討たれてゆく。」

 

  遥けさは目を泣腫す筑紫船

(ところどころ)に友をうたせて 曾良

 

重行「友をうたせては法難で弟子を失った開祖様にしようか。それにも負けずに千日(せんにち)(かい)(ほう)行のための庵を構える。」

 

  所々に友をうたせて

千日の庵を結ぶ小松原 重行

 

露丸「修行のための庵なのに、カタツムリを踏んで殺生をしてしまう。」

 

  千日の庵を結ぶ小松原

蝸牛(かぎゅう)のからを(ふみ)つぶす音 露丸

 

芭蕉「愛しい人の夢を見たのに、カタツムリを踏んで目を覚ましてしまう。あな(うと)し。穴を導き出す序詞を付けようか。」

 

  蝸牛のからを踏つぶす音

身は蟻のあなうと夢や(さま)すらん 芭蕉

 

重行「あな疎‥それで蟻と仲良くするんだったら落馬だな。我落ちにきの僧正(そうじょう)遍照(へんじょう)さんの俳諧歌から女郎花(おみなえし)に落ちたとか。」

 

  身は蟻のあなうと夢や覚すらん

こけて露けきをみなへし(ばな) 重行

 

曾良「月の定座(じょうざ)ですね。月に気を取られて転んだことにしましょう。風狂な行脚(あんぎゃ)の僧ですな。」

 

  こけて露けきをみなへし花

(あけ)はつる月を行脚の空に見て 曾良

 

芭蕉「行脚の僧といえばみちのくの行脚。幾つもの温泉を渡り歩く。」

 

  明はつる月を行脚の空に見て

温泉(いでゆ)かぞふる陸奥(むつ)の秋風 芭蕉

 

露丸「ここは能因(のういん)法師(ほうし)の逆パターンで、秋風にみちのくの温泉に入って、正月の氷室(ひむろ)の氷の厚さを模した(ひの)(ためし)(そう)す頃には都に戻りたい。」

 

  温泉かぞふる陸奥の秋風

初雁(はつかり)(ころ)よりおもふ(ひの)(ためし) 露丸

 

曾良「氷室神社の千木(ちぎ)は男の神様なのに横そぎの雌千木になってましてな。男の娘でしょうか。横そぎ作る宮ではそのまんまですから、雄とも雌ともつかない山そぎというのは。実は両性具有。」

 

  初雁の比よりおもふ氷様

(そぎ)作る宮の(ふき)かへ 曾良

 

重行「男の娘とか両性具有とか、その性癖ついて行けんのう。男勝りの尼さんくらいなら。」

 

  山殺作る宮の葺かへ

尼衣男にまさる心にて 重行

 

露丸「尼だけど心は男で、真間(まま)(つぎ)(はし)を渡って手古奈(てこな)に会いにゆくってのはどうかな。」

 

  尼衣男にまさる心にて

(ゆき)かよふべき歌のつぎ橋 露丸

 

芭蕉「歌の(つぎ)(はし)だから、ここは歌の道の伝授を受けるということで、古今伝授の三鳥の秘事の一つを。これは(はる)(すみ)も分からなかったからな。」

 

  行かよふべき歌のつぎ橋

花のとき(なく)とやらいふ呼子(よぶこ)(どり) 芭蕉

 

曾良「どんな声か知りませんが、エコーがかかって輪郭のはっきりしない声が聞こえたら、それがきっと呼子鳥なんでしょう。」

 

  花のとき啼とやらいふ呼子鳥

(えん)に曇りし春の山びこ 曾良

 

 

六月十三日

昨日の昼から晴れて、今日はいい天気だ。これから赤川を船で下って酒田へ向かう。

船に乗ろうとしてた時に、羽黒山から飛脚が来て、浴衣2枚と、

 

(わする)なよ(にじ)に蝉(なく)山の雪 ()(がく)

 

の発句を送ってきた。

 

鶴岡から船で下ること七里、赤川は海の近くで最上川に合流すると、その対岸が酒田だ。

途中ちょっとぱらぱらっと来たが、すぐに止んだ。夕日は見えなかった。

酒田の(げん)(じゅん)の家に着いたが玄順はいなくて、明日の朝戻るということだった

 

 

六月十四日

今日は晴れて暑い。玄順にも会えて、寺島彦助の家に招かれた。

興行になるので発句を用意しないとね。

昨日酒田に作る直前、最上川に出た時に海が見えたっけ。海に入りたる最上川。挨拶だから涼しいと一応褒めて、

 

涼しさや海に(いれ)たる最上川 芭蕉

 

暑い中、寺島彦助の家で興行をした。俳号は詮道という。玄順の俳号は不玉。それに曾良とあと三人ばかり集まった。発句はさっき作った。

 

涼しさや海に入たる最上川 芭蕉

 

詮道「最上川河口はとにかく広くて漠としてのう。明け方そこに満月が沈んで行くと、波がキラキラと光って物憂げで、その憂きに浮き()()をかけて。」

 

  涼しさや海に入たる最上川

月をゆりなす浪のうきみる 詮道

 

不玉「んだ。憂きといえば海辺に住む流人か隠遁者で、窓開けて月を見るだ。そしたら鴨がたくさん飛んでて、夏だから黒鴨(くろがも)だ。」

 

  月をゆりなす浪のうきみる

黒がもの飛行(とびゆく)(いお)の窓(あけ)て 不玉

 

定連「窓を開けて外の天気を見るだ。雨が降りそうでの。」

 

  黒がもの飛行庵の窓明て

麓は雨にならん雲きれ 定連

 

曾良「もうすぐ雨が降るというので、外へ出ずに内職ですね。次の市の立つ時のために、この辺りの名産品の(かば)細工(ざいく)のお盆を作っておくというのはどうでしょう。」

 

  麓は雨にならん雲きれ

かばとぢの折敷(おしき)作りて市を(まつ) 曾良

 

任暁「内職といえば夜だの。油の火を頼りに。」

 

  かばとぢの折敷作りて市を待

影に(まか)する宵の油火 任暁

 

扇風「前句の影をやってくる男の影として、男を待つ女の不機嫌な恋心にしておこう。」

 

  影に任する宵の油火

不機嫌(ふきげん)の心に重き恋衣 扇風

 

 

六月十五日

 

今日は旧暦614日で元禄2年は615日。象潟(きさかた)へ。

 

今日は朝から小雨が降っている。彦助の案内で象潟へ行くんだが、道は大丈夫だろうか。

 

結局(ふく)(うら)まで来たが、ここで土砂降りの雨になって、道はドロドロだしここから先は海沿いの細い道になるので、今日はここで一泊することにした。

 

 

六月十六日

今朝も雨が止んでると思って(ふく)(うら)を出たが、()鹿()番所(ばんしょ)を過ぎる頃にまた雨が降り出した。庄内藩から幕府領の小砂川(こさがわ)に入る。馬はないが象潟(きさかた)塩越(しおこし)までの船はあるという。

雨はまた土砂降りになり、船着場の小屋で一休みするが、船が出る様子もない。

 

結局小砂川から陸路を行くと、途中に本荘藩(ほんじょうはん)との境目にうやむやの関があった。

 

東路(あずまじ)のとやとやとほりの(あけぼの)

   (ほとと)(ぎす)()くむやむやの関

 

の歌が夫木抄(ふぼくしょう)読人(よみひと)不知(しらず)の歌にあったな。

 

何とか昼頃には塩越に着いた。彦助の知り合いの佐々木孫左衛門の家を訪ねた。

ちょうど女性客が来てるということで、向かい側の家に案内され、服を乾かして休ませてもらい、うどんまでご馳走になった。

 

象潟は内海で、それが外海と接する辺りが塩越で、ここと皇后山(こうぐうさん)干満(かんまん)珠寺(じゅじ)との間に橋があり、この狭い所で内海と外海が繋がってる。

今日は橋を渡らずに、ただここで雨の夕暮れの景色を眺めた。

 

松島は晴天で笑っていたが、ここは雨で恨んでいるかのようだ。

恨みといえば水死した西施(せいし)

恨みを抱きながらも、この世の苦しみからこれで解き放たれるんだと諦念した、そんな涅槃の眠りにつく顔を思わせる。

 

象潟や雨に西施がねぶの花 芭蕉

 

 

六月十七日

今朝も小雨が降ってたが、とりあえず朝飯を食って干満珠寺へ行った。塩越はちょうど祭りをやってて人も多く、賑やかだが、祭りは午後も方が盛り上がるようだ。

干満珠寺もまた立派な伽藍で、南の干潟の辺りに西行桜があった。

 

西行法師の、

 

象潟の桜は波にうづもれて

   花の上漕ぐあまの釣り舟

 

の歌は向こう側の(のう)因島(いんじま)の方からの眺めだろう。花の季節だったら花の波が見れたんだろうな。

 

一旦孫左衛門の向かいの宿に帰ってからお祭りを見に行った。そういえば本宅の方に泊まった女性客もお祭りを見に来てたんだっけ。熊野権現では踊りをやってた。

雨は昼には止んで日は差してきたが、山は雲に隠れてた。

 

曾良「象潟の祭りはいろいろと興味深かった。夕食が楽しみだ。象潟の祭りは料理何食うんだろう。」

芭蕉「それいい。発句にしちゃいなよ。」

曾良「発句にするというと、象潟は料理何食うや‥祭‥。こんなんでいいのかな。」

 

象潟や料理何食う神祭 曾良

 

昨日からちょくちょく訪ねてきてた加兵衛の誘いで、夕飯はまだ日のあるうちに外海の(かんむり)(いし)の浜辺に板を敷いて、加兵衛の奥さんの焼いてくれた小鯛を食べた。

 

小鯛さす柳涼しや海士がつま 芭蕉

 

加兵衛「まあ、妻といえば北の方とも言うし、それに象潟の潟を掛けて。」

 

  小鯛さす柳涼しや海士(あま)がつま

北のかたよる沖の夕立

 

まあ、酒が回ってきたか低耳(ていじ)も不玉も海に入って腰までびしょ濡れで、翁も早くと言うから、まあこれも旅の楽しみかと、足先を濡らしてみたら、波がざばーんと来た。

 

腰たけや鶴(はぎ)ぬれて海涼し   芭蕉

象潟や(あま)の戸を(しく)(いそ)(すずみ)     低耳

象潟や(しお)(やく)跡は蚊のけぶり   不玉

 

曾良「みんなあの浜辺の句を詠んだから自分も続こうと思ったが、象潟の苫屋(とまや)土座(どざ)で飲んだと言うところで季語が出てこない。前に月山の時もそうだったな。

明やすしでとりあえず結んだけど、別にここで夜を明かしたわけではない。」

 

象潟や苫やの土座も(あけ)やすし 曾良

 

夕食のあと象潟に船を浮かべて、夕暮れ景色を楽しんだ。

そこでまた酒とおつまみを持ち込んだが、自分はお茶にした。

夕暮れの波が空の残光を映して白く光って、西行の花の波ではないが、波の花もまた悪くないと思った。

 

(ゆう)(ばれ)や桜に涼む波の花 芭蕉

 

宿に戻ると加兵衛の兄の又左衛門もやってきた。曾良が例によってここの祭や神社のことをあれこれ詮索するけど、伝承に乏しくて困ってたな。

 

 

六月十八日

今朝はよく晴れた。早速(さっそく)干満(かんまん)珠寺(じゅじ)の前の橋まで行って、晴れた象潟の景色を見た。鳥海山が今日は雲もなくはっきりとその姿を現した。

今日ここで引き返すのだと思うと、胸が潰れる思いだ。

 

未知の世界に足を踏み入れ、次は何が見れるのかドキドキする感覚。人生はそういう旅ではなかったのか。

昨日もそれで曾良と言い争いになった。

秋はもう近いし、この北の地方はすぐに雪に閉ざされる。今のうちに引き返さないと帰れなくなる、と。

辺鄙な地方では馬もなく、今までも歩きっぱなし。

 

歳を考えなさい、と。

それにここから北には知ってる門人もいないし、泊まれる所もあるかどうかわからない、と。

それでも北へ行ってみたかった。津軽も蝦夷(えぞ)も行ってみたかった。

 

ゆっくり飯を食ってから船で出発した。北から吹く(あい)の風もどこか悲しげだ。

 

あれから気を取り直して、この前貰った()(がく)の発句を思い出した。

思えば羽黒山には大きな杉の木が沢山あって、そこで蝉が鳴いてたな。着いた時には三日月が見えてたっけ。あれは忘れない。

 

  (わする)なよ虹に蝉(なく)山の雪

杉の茂りをかへり三ケ月 芭蕉

 

不玉「発句が山の雪だからここは水辺に転じよう。狩人が狩猟用の小さな弓を手に持って磯を歩いてると、西の空に夕暮れの三日月が見える。」

 

  杉の茂りをかへり三ケ月

磯伝ひ手束(たつか)の弓を(ひっさげ)て 不玉

 

曾良「狩人ではなく馬に乗った武将にしましょう。潮が引いた時に馬で通り抜けて、そのあと潮が満ちるとその通った跡がなくなる。」

 

  磯伝ひ手束の弓を提て

汐に(たえ)たる馬の足跡 曾良

 

 

六月十九日

今日も良い天気だ。

昨日の夕方、酒田の玄順の家に戻った。

明日は彦助が江戸に行くというので、杉風(さんぷう)への手紙と、鳴海(なるみ)()(そく)や名古屋の越人(えつじん)への手紙を持たせようと思って今書いてる。

曾良もどこか出す手紙があるようだ。

 

午後から玄順(不玉)と三吟興行をしようというので、発句を考えた。

昨日吹浦まで帰ってきた時、南に温海山(あつみやま)が見えたので、暑そうな温海山も吹浦から吹くアイの風に涼しくなるように、ということで、

 

温海山(あつみやま)(ふく)(うら)かけて夕涼(ゆうすずみ) 芭蕉

 

不玉「海辺での夕涼みですな。あれは楽しかった。ここは漁師の()()()る磯での一休みにしておこう。」

 

   温海山や吹浦かけて夕涼

みるかる磯にたたむ()(むしろ) 不玉

 

曾良「では夕涼みから月見に転じましょうか。旅体ということで、海辺の関屋で酒盛りですね。」

 

  みるかる磯にたたむ帆莚

月出(つきいで)ば関やをからん酒(もち)て 曾良

 

芭蕉「関屋の辺りは陶芸が盛んで、その(かま)の煙で月が見えないから、町はずれの関屋で月見する。」

 

  月出ば関やをからん酒持て

(つち)もの(かま)の煙る秋風 芭蕉

 

不玉「焼物というと薪が必要。秋だから紅葉した柏の木を切って乾かす。」

 

  土もの竈の煙る秋風

しるしして(ほり)にやりたる(いろ)(がしわ) 不玉

 

曾良「前句を掘りに行くではなく、お堀に取り成しましょう。お城だから武士(もののふ)ですね。(さね)(とも)の歌にもあるように、籠手(こて)の上に(あられ)たばしる。」

 

  しるしして堀にやりたる色柏

あられの玉を(ふる)ふ蓑の毛 曾良

 

芭蕉「蓑を着て霰に打たれてるのは長良川の()(しょう)にしようか。冬は鳥小屋で鵜の世話をしている。」

 

  あられの玉を振ふ蓑の毛

鳥屋(とや)(ごも)()鵜飼(うかい)の宿に冬の来て 芭蕉

 

不玉「白髪頭の老人が焚火の火に浮かび上がる。漁の時は髪を結って烏帽子(えぼし)を被るが、今は髪を垂らしている。」

 

  鳥屋籠る鵜飼の宿に冬の来て

火を(たく)かげに白髪(しらが)たれつつ 不玉

 

曾良「藻塩(もしお)()海士(あま)のことにでもしましょうか。海辺の街道は道が狭くて、波打ち際をやっと通れる、象潟の道がそうでしたね。昔だったら須磨明石か清見が関か。」

 

  火を焼かげに白髪たれつつ

海道(かいどう)は道もなきまで切狭(きりせば)め 曾良

 

芭蕉「みちのくの旅の土産(みやげ)といえば、武隈(たけくま)の松の松ぼっくりかな。木曽の栃の実を荷兮子(かけいし)への土産にしたけど。」

 

  海道は道もなきまで切狭め

松かさ送る武隈の土産(つと) 芭蕉

 

不玉「遊女には値のはる物を貢ぐのが普通だが、松ぼっくりを送るとは、旅の鄙びた田舎の遊女か。」

 

  松かさ送る武隈の土産

草枕おかしき恋もしならひて 不玉

 

曾良「旅で恋のことで祈るなら、やはり道祖神(どうそじん)でしょうか。道祖神は(ちまた)の神で猿田彦(さるたひこ)大神(おおかみ)のことでもあります。土金(どきん)の徳を持ち、天の(あま)(てる)大神(おおかみ)に対して、我ら臣民にとっての最高神は猿田彦大神に他なりません。」

 

  草枕おかしき恋もしならひて

ちまたの神に(もうす)かねごと 曾良

 

 

六月二十日

今日も良い天気だがとにかく暑い。旅の疲れを癒すのに専念しよう。

三吟の続き。

芭蕉「(ちまた)の女に会いに行く時の源氏の君に同行する惟光(これみつ)の気持ちで。」

 

  ちまたの神に申かねごと

御供(おとも)して(あて)なき吾もしのぶらん 芭蕉

 

不玉「世を忍ぶことにして西行法師にでもしようか。吉野の山に籠って弥勒の世を見に行く。吉野金峯山寺は弥勒様のお寺。」

 

  御供して当なき吾もしのぶらん

(この)世のすゑをみよしのに(いる) 不玉

 

曾良「大きな寺院では麓に妻帯した僧も沢山住んでますね。鐘は吉野()尊寺(そんじ)の三郎鐘。」

 

  此世のすゑをみよしのに入

あさ(づとめ)妻帯寺(さいたいでら)のかねの声 曾良

 

芭蕉「妻帯した親鸞は越後流刑だっけね。ここはちょっと佐渡に流刑になった日蓮のイメージを加えて、架空の僧の法難としておこう。」

 

  あさ勤妻帯寺のかねの声

けふも(いのち)と嶋の乞食(こつじき) 芭蕉

 

不玉「花と一緒に散ってしまうまい。何とか生き延びようとする流人は、薬効のある茱萸(ぐみ)折って食べる。」

 

  けふも命と嶋の乞食

(かじけ)たる花しちるなと茱萸(ぐみ)(をり)て 不玉

 

曾良「花には(おぼろ)(づき)。鳩も心あるのか、桜の枝ではなく茱萸の枝で巣を掛ける。」

 

  憔たる花しちるなと茱萸折て

おぼろの鳩の寝所(ねどころ)の月 曾良

 

不玉「鳩は山鳩で山奥にその声が木魂する。」

 

  おぼろの鳩の寝所の月

物いへば木魂(こだま)にひびく春の風 不玉

 

芭蕉「木魂は木の精霊ということで、春のその声の主は山姫であろう。山姫は式目では非人倫。つまり人外。」

 

  物いへば木魂にひびく春の風

姿は瀧に(きゆ)る山姫 芭蕉

 

曾良「山姫が現れたので、山で荷物を運んでたいかつい剛力(ごうりき)さんもびっくりですね。」

 

  姿は瀧に消る山姫

剛力(がうりき)がけつまづきたる笹づたひ 曾良

 

不玉「剛力さんといえば修験者に従って荷物を運ぶ人だから、棺桶を運ぶこともある。」

 

  剛力がけつまづきたる笹づたひ

(くわん)(をさむ)るつかのあら芝 不玉

 

芭蕉「棺桶の中の遺体は死化粧が施され、棺の行く道も霜が降りて岩も白く化粧する。」

 

  棺を納るつかのあら芝

初霜はよしなき岩を(よそふ)らん 芭蕉

 

曾良「粧うというと女性ですな。やはり美女がいいでしょう。匈奴(きょうど)に嫁がされた(おう)(しょう)(くん)ですな。」

 

  初霜はよしなき岩を粧らん

ゑびすの(きぬ)縫々(ぬひぬひ)(なく) 曾良

 

 

六月二十一日

今日も良い天気で、昨日の三吟の続きをした。

不玉「前句のゑびすを恵比寿講のこととして、そのご馳走の雁を用意する。」

 

  ゑびすの衣を縫々ぞ泣

明日(あす)しめん(かり)を俵に生置(いけおき)て 不玉

 

芭蕉「確かに恵比寿講の時って、振り売りが雁を売りに来るな。ここは普通の街ではなく、陣中の市にしようか。秀吉は軍の士気を低下させないように、陣中で市を開いたという。」

 

  明日しめん雁を俵に生置て

月さへすごき陣中の市 芭蕉

 

曾良「陣中といえば、お忍びで殿様の奥方が会いに来たりして、さながら()(くず)が原に通うみたいですな。」

 

  月さへすごき陣中の市

御輿(おんこし)()(くず)の奥に隠しいれ 曾良

 

不玉「真葛が原に訪ねてきたのは稚児さんだったりして。輿(こし)に乗ってたのは高僧で、小袖袴をプレゼントする。」

 

  御輿は真葛の奥に隠しいれ

小袖(こそで)(はかま)を送る(かい)の師 不玉

 

芭蕉「そのお坊さん、出家前には妻と娘がいて、その娘と再会する。説経節とかにありそうな場面だし、西行物語でも西行が娘と再会する場面があったな。」

 

  小袖袴を送る戒の師

(わが)顔の母に似たるもゆかしくて 芭蕉

 

曾良「没落した家で母の家も売ってしまったが、母譲りの自分の容色はまだ衰えていない。」

 

  吾顔の母に似たるもゆかしくて

貧にはめらぬ家はうれども 曾良

 

不玉「貧しくて衰えたのではないが、家を売るようなことというと、古今伝授のことかな。奈良の饅頭屋(まんじゅうや)に伝授された奈良伝授ってあったよね。」

 

  貧にはめらぬ家はうれども

奈良の京持伝(もちつた)へたる古今集 不玉

 

芭蕉「奈良といえば奈良の僧坊(そうぼう)(しゅ)南都(なんと)諸白(もろはく)。花見には欲しいものだ。」

 

  奈良の京持伝へたる古今集

花に()(きる)(ばう)酒蔵(さかぐら) 芭蕉

 

曾良「花の頃は(うぐいす)も巣を作り始める。」

 

  花に符を切坊の酒蔵

鶯の巣に(たち)(そむ)(はね)づかひ 曾良

 

不玉「前句の羽づかひを羽箒(はねぼうき)のこととして、折から孵化(ふか)した(かいこ)掃立(はきたて)の作業も始まる。」

 

  鶯の巣に立初る羽づかひ

()(だね)うご(ごき)きて(ははき)手に(とる) 不玉

 

芭蕉「みちのくは養蚕が盛んだからな。家の戸に錦木を立てて機を織り続ける謡曲(にしき)()にしてみようか。」

 

  蠶種うごきて箒手に取

(にしき)()を作りて古き恋を見ん 芭蕉

 

曾良「大宮人もまたいろんな色を好むものです。大和歌(やまとうた)も色好みの道と言いますし。」

 

  錦木を作りて古き恋を見ん

ことなる色をこのむ宮達 曾良

 

 

六月二十二日

夜に少し雨が降ったが、今日は朝から曇り。今日も休養に当てよう。

これから帰り道だと思うと気が重い。

 

芭蕉「そういえばこの前の話だと魂魄(こんぱく)は気で消散するけど、魂を(まつ)る心は理で不易だという話だったか。その気と理の違いなんだが。」

曾良「気は目に見えるもの耳に聞こえるもの、森羅万象全てがそれで、理はその根底にあるもの、そう言ったところかな。」

 

芭蕉「仏教でいう色相と実相の関係か。」

曾良「多分そう言ってもいいんだと思う。朱子学だと気は空間的に捉えられるが、理は時間的なんだ。

ただ様々な物が空間的に併存するのではなく、その因果や成り立ち、始まり終わりを時間的に捉えることで、それを考えたりできる。それが人間だという。」

 

芭蕉「因果を断つんではないんだ。」

曾良「因果を断つ、つまり輪廻(りんね)を絶って解脱(げだつ)するというのは朱子学にはない考え方だ。

仏教のような前世(ぜんせい)来世(らいせ)ないしあくまで現世(げんせい)に様々な物が混沌と存在してるだけで、そこから因果を見つけ出すことが重要になる。格物窮(かくぶつきゅう)()とはそういうことだ。」

 

芭蕉「よくわからないが、人間というのは時間なのかい。」

曾良「難しい所だけど、多分時間そのものというよりは時間を意識できる、時間に対して開かれている、ということではないか。」

芭蕉「この時間には前世や来世はないのか。」

曾良「想像することはできるが、実際にはこの世界しか知らない。」

 

芭蕉「死んだら終わりということなのか。」

曾良「まあ、魂はこの大気に溶けてゆくということだ。肉体は土に帰り、魂は風となって大地を駆け巡ると思えばいいんじゃないかな。」

 

 

六月二十三日

昨日の夕方から晴れている。今日もゆっくり休もう。

夜に三郎兵衛の家に招待されている。興行ではないし、発句も別に作っておかなくていいかな。

 

芭蕉「それでは昨日の続きだが、誠の心というのは理でいいのかい。」

曾良「人間の心は四端(したん)(しち)(じょう)に分けられる。七情は普通の喜怒哀楽の情で、これはその時の個人的な感じ方だったりする。これに対して四端から突き起こされる情は理から来る。」

 

芭蕉「どっちも情だけど気から発するか理から発するかで、私情と本意本(ほいほん)(じょう)とが決まるわけか。」

曾良「例えば惻隠(そくいん)の心は同じ命あるものへの気遣い。花が咲くのを喜び散るのを悲しむのも、春に万物が生じるのを喜び秋に止むのを悲しむのも、惻隠の心が働いた情ではないかと思う。」

 

芭蕉「飛花落葉の心は元は一つということか。同じように人が生まれるのを喜び、老いて死んでくことを悲しむ。」

曾良「その気遣いが死後にまで及ぶなら、死者の魂を(いた)(よみがえ)ることを願うのも自然の情ということになる。」

 

夕飯を食ってから近江屋三郎兵衛の家に行った。()(くわ)(うり)を一個持ってきて、「発句を詠んだら食べていい」なんてぬかしおった。

食えない奴だから料理してやらないとね。

でもどうやって切ろうか。

曾良と三人で食べるのに四つに切ると一つ余るしなあ。

 

輪切りにすると六つにできるが、大きいのと小さいのができる。

誰か真桑瓜を正確に三等分する方法を教えてくれ。ってそれを句にすればいいか。

 

(はつ)()(くわ)(よつ)にや(わら)ン輪に(きら)ン 芭蕉

 

三郎兵衛もちょっと考え込んで、悪かったと言って真桑瓜をもう二個持ってきた。

瓜の花の咲く中で瓜が食べられて、両方の盛りがいっぺんに来たとヨイショしようと思って、

 

花と()と一度に瓜のさかりかな 芭蕉

 

という句も作ってみた。

 

 

六月二十四日

昨日の夕方から晴れて、今日は良い天気だ。明日はここを()とうと思う。

 

芭蕉「俳諧ではよく花実(かじつ)ということを言うし、昨日もそれに掛けて、花と実と一度に瓜のってしてみたが、花は(しち)(じょう)で実は四端(したん)ということになるのかな。」

 

曾良「七情というのは四端と対立するものではなく、四端に動かされて七情が表に現れるわけだから、実に対して花という場合はその表に現れた部分という意味じゃないかな。

朱子学には未発(みはつ)既発(きはつ)と言って、既発(きはつ)のものがさまざまな花となるが、未発(みはつ)で表に現れなければそれが実ということになるのか。」

 

芭蕉「花は句の表に現れた喜怒哀楽の生き生きとした姿で、実は余情として句の裏に隠されたもの、ということでいいんだな。」

曾良「よくある喩えだと、未発は何もしないでいる無為の状態で、既発は座臥行往屈伸伏仰の様々な形となって現れた姿ということになる。」

 

芭蕉「花が咲くのは嬉しいもんだが、それをただ単にちょっと忙しくて花を見ても何とも思わないだと私情になる。付句(つけく)では構わないが発句には()(がた)い。

でも他の四端が働いて花が嬉しくないだったら良いわけだ。

 

杜甫の感時花濺涙のように、戦乱で国が荒れ果ててるという場合は、悪を憎む是非(ぜひ)の心というもう一つの四端が働いていて、それが花への惻隠の心を上回っていれば良いわけだ。」

曾良「なるほど。ならばわかる。」

芭蕉「本意本情は新たな創作の(かせ)にもなるが、それを打ち破っても四端に発するなら可だ。」

 

 

六月二十五日

今日も天気は良い。朝から大勢の人が見送りに集まってくれて、最上川河口の船場まで送ってくれた。

対岸が歌枕(うたまくら)にもなっている袖の浦だという。

いずれにせよ広大な河口域で海も見えて、ここを船で渡らなくてはならない。

 

曾良「芭蕉さん、名残(なごり)惜しいのは分かります。でもアイ風が今日も気持ちよくふいてるじゃないですか。」

 

海川や(あい)風わかる袖の浦 曾良

 

最上川を渡って()州浜(しゅうはま)街道(かいどう)をしばらく行くと浜中(はまなか)宿(しゅく)があり、昼過ぎにその次の大山(おおやま)宿(しゅく)に着いた、酒田で紹介された丸屋義左衛門の宿に泊まることにする。

 

 

六月二十六日

昨日の夜、雨が降ったが、朝には晴れていた。

大山宿を出てしばらく行くと矢引(やびき)(とうげ)越えの狭くて険しい道になり、三瀬(さんぜ)宿(しゅく)に出る。

 

三瀬宿の先に行くと海に出て、今度は岩の切り立った海岸沿いの狭い道になる。

小波(こば)()を過ぎると鬼架け橋という岩の橋があり、大波(おおば)()(かた)苔沢(のりざわ)を過ぎてしばらく行くと巨大な立岩(たていわ)が見えてくる。どれも絶景だ。

 

温海(あつみ)宿(しゅく)は立岩からそう遠くなかったが、この辺りでまた雨がぱらついてきた。

鈴木所左衛門の家に泊めてもらう。ここも酒田の宮部弥三郎の紹介によるものだ。

夕暮れには大雨になった。

 

 

六月二十七日

昨日の雨も止んだ。これから山の方へ入って出羽街道山通りに出て中村(なかむら)宿(しゅく)に向かうが、その前に馬を借りて(ねず)()(せき)に行ってみようと思う

曾良は何か面倒くさそうで同行せず、温泉に入って待ってるそうだ。

 

曾良「ああ、朝湯は気持ちいいな。朝の温泉街も良いもんだ。

えっ?鼠ケ関?古代出羽道が通ってた場所でもないし、昔の念珠関はあそこではないと思うんだ。

古代の出羽路はこれから行く今の出羽街道に近い所を通ってたと思う。それを今から見に行きたい。」

 

鼠ヶ関には普通に番所があった。番所の向こうは大きな入江があって港町だった。

手形もないし、ここで引き返した。

温海宿に戻ると曾良と合流して、山の中の出羽街道山通りを目指す。

 

小国(おくに)宿(しゅく)に出ると、こっちの方が酒田から新潟へのメインなのか、古代の道もこっちを通ってたと曾良も言う。

小名部(おなべ)を過ぎると堀切(ほりきり)(とうげ)があり、ここも出羽と越後の国境になる。海沿いの険しさはなく、なだらかな山道が続く。

 

あれから時々雨が降ったが出羽街道山通りは順調で、小俣(おまた)宿(じゅく)を過ぎ、夕方には中村宿に着いた。

 

 

六月二十八日

朝は晴れてたが変わりやすい天気だ。中村宿を出て葡萄(ぶどう)(とうげ)の山道は険しくはないがだらだらと長かった。途中で激しい雨になったが、すぐ止んだ。

 

まだ明るいうちに村上に着いた。久左衛門の宿に泊まる。

曾良は用事があるのか、何か三人ばかり宿にやってきて城に行くと言って出て行った。昔伊勢長島にいた頃の知り合いがいるらしい。

城といっても天守閣はない。

 

 

六月二十九日

今日は天気が良い。休養にはちょうど良い。

曾良は昔伊勢長島にいた頃仕えてた主君の息子が今の村上藩の家老で、それで会いに行ってたようだ。主君の方は亡くなられて、今日は墓参りに行くという。

曾良の名前も木曽川と長良川から取ったというし。

 

曾良が墓参りから帰って来た。昨日から一緒にいる喜兵衛、友兵衛、彦左衛門も一緒で、冷麦を持って来てくれた。

午後は宿の久左衛門も一緒に瀬波(せなみ)の浜の海を見に行く。

 

瀬波の砂浜で海を眺めながら楽しいひと時を過ごした。

佐渡島の方に赤々とした日が傾いてゆくのは何だかエモい。今日までは6月で暦の上では夏だが、風は秋風だ。

帰りにいろいろお土産を貰ったが取っておいても荷物になるので、宿に帰ってから食おう。