鈴呂屋日乗2017

12月10日

 NHKの受信料裁判では、あいかわらず公共放送が国民の知る権利を満たす主要な媒体であるかのような時代錯誤な認識のもとに合憲判決が下された。木内以外は×だと次の衆議院選挙まで覚えておこう。

 公共放送は他のマスコミと同様、局の方針による偏った報道がまかり通っていて、必ずしも国民の知る権利に答えるものではない。むしろ報道しない自由の行使によって、知る権利を脅かしてさえいる。

 国外からも放送法第四条を疑問視する意見は相次いでいる。戦後の日本の民主主義体制ではまず放送に不当な圧力を加えるような独裁政権は存在しない。むしろ反体制的な勢力によるプロパガンダの伝達や印象操作によって、逆の意味で国民を誤った方向に導くことが危惧されている。今の時代で、報道が公正であるなんて思う人は少ない。偏っているのを前提に判断するのが普通だ。

 そういうわけで、NHKの受信料を国民の知る権利の観点から正当化するのは間違っていると思う。

12月6日

 マスコミもネットも相変わらずネトウヨ対パヨクの非生産的な議論に終始しているし、右か左かの枠に無理矢理押し込めることで未来への自由な発想が奪われ、古臭い月並の思想に凝り固まってゆく。

 社会主義ははっきり言って冷戦崩壊と共に敗北した思想で、パヨクもそろそろ負けを認めたほうがいい。

 日本では最近「リベラル」という言葉がはなはだしく誤用され、ほとんどパヨクと同義で用いられている。立憲なんちゃら党をリベラルと呼ぶのには違和感を禁じえない。どう見てもあれはパヨクだろう。パヨクは基本的にプロレタリア独裁を理想とする人たちで、あくまで党の方針に従うところに人間の自由があると考える人たちだ。

 ちょっと前は日本のリベラルというと松下政経塾系のイメージがあった。この人たちが民進党崩壊で隅っこに追いやられたが、事実上今の日本のリベラルはむしろ安倍支持層と言ったほうがいいのかもしれない。

 安倍首相も増税によって教育の充実を図ると言い出したり、その政策に「人づくり革命」などと、あえて左翼を連想させる「革命」という言葉を使ったりしてるし、800万円以上の層の増税だとかかなり左に寄っている。移民政策にもかなり意欲を持っているし、ここまで左に寄られてしまうと野党はもはや極左になるしかない。

 幕末も尊皇攘夷と扶幕開国とが対立したが、結果的に尊皇開国となったように、ネトウヨとパヨクの争いも実際はそのどちらでもない方向に落ち着くだろう。

 まず社会主義は破綻した。資本主義を否定して替りに官僚が管理する国家資本でもって産業を興しても、資本主義以上の生産性を上げることはできなかった。まして労働者の自主管理による運営も資本主義の効率の良さには遠く及ばなかった。これからの時代は資本主義を否定するのではなく、むしろ資本主義を徹底させる「急進的資本主義」の時代になるだろう。

 一方で国家主義もとっくに破綻している。今のネトウヨも国家主義者ではない。大和民族が世界を制覇するなんて考え方ではなく、あくまで多様な民族の共存の中での日本人のアイデンティティーを維持を考えているにすぎない。基本的にはそれは「多元主義」と言った方がいい。前提となっているのはどこかの国の一国支配ではなく、それぞれの民族が自立する多元主義を求めている。

 トランプ大統領もメキシコとの間に壁を作ると言ったり、世界の警察を辞めるといったり、それはアメリガの世界支配の野望を放棄し、あくまで多元的な世界の中での一つの国にしようとするものだ。

 安倍首相もヒットラーのような侵略思想は何処にもない。あくまでパヨクのたれ流しているデマにすぎない。基本的には多元主義者と見ていい。多元主義は今後の世界の主流となるだろう。

 ロシアもイギリスも基本的には多元主義に向っている。トランプ政権の誕生にロシアの陰謀がと言われているのも、ロシアはかつての旧ソ連のような世界支配の野望はなく、むしろアメリカの一極支配を終わらせ、多極化の中でロシアの役割を高めようと画策しているからだ。

 イギリスのEU離脱も、一つのヨーロッパという一極主義への反動と見ていい。カタルーニャの独立運動も世界の多元化への一つの動きと見ていい。

 未来の世界は急進的資本主義と多元主義に基づくものとなるにちがいない。

 そもそも左翼思想が何処から出てきたかというと、初期の資本主義は初期投資のコストが大きく、それに対して金融資本や株式市場の未成熟から、資本家になるにはマルクス主義者の言う「原始的蓄積」を必要としたことによる。

 原始的蓄積がなければ資本化になれないならば、資本家は自ずと特権階級とならざるを得ない。そこに資本家と労働者との間に階級意識が生まれ、資本主義の発展は階級闘争を激化させ、最終的に革命によって資本主義は終わるとされた。

 だが、現実には資本家と労働者との境界は薄れている。株がネットで取引されるようになってから、株の取引の際の手数料は一気に十分の一以下に下がり、10万円程度の元手でも容易に株式投資が始められるようになった。

 それに加えてクラウドファンディングの登場は、さらに素人でも容易に資金調達ができるようにし、起業へのハードルを下げつつある。この部分ではまだ日本では後れを取っていて、日本のクラウドファンディングはまだほとんど募金集めの域を出てないが、やがては世界レベルに追いついてゆくであろう。

 原始的蓄積なして起業や投資が容易にできるようになれば、誰でも資本家になれる時代が来る。労働者がいつでも資本家になれるのならば、もはやそこに固定された階級は存在しなくなる。

 加えて、AIやロボットが生産の多くを担うようになれば、労働者は必要なくなる。労働者はただ失業するのだろうか。そんなことはない。労働者は資本家に姿を変えるだけだ。

 マルクス主義者は資本家を追放して万人が労働者になる牧歌的社会を想像してたが、現実にはむしろ万人が資本家になり労働は機械がやる急進的資本主義社会が誕生する。

 こうした時代の実現の鍵を握るのは、ベーシックインカムではないかと思う。機械がいくらでも生産してくれて生きるのに必要な物資に不自由しないなら、基本的に働く必要はない。機械に働かせれば働かざる者も食うことができる。最低限の生活が保障された上で、人はいつでも資本家になり、起業したり配当や売却益を得たりしてより上の生活を求めることができる。

 ただそれはリスクが大きいから賭け事のようなものだ。ベーシックインカムは起業の際の保険となる。成功すればうはうはの生活があって、失敗しても最低限の生活は保障される。すばらしい未来ではないか。

 そういうわけでネトウヨもパヨクもさようなら。これからは急進的資本主義と多元主義の時代だ。去年の段階ではまだもやもやしてたが、今年一年で大分未来の形が見えてきた。これは大きな収穫だ。

11月8日

 先日書いた「女性起業家資金イニシアティブ」のお金がどこから出ているのかという問題で、いろいろ情報が出てきている。どうやらフェイクニュースで「踊ってみました」になってしまったようだ。

 まず外務省が30年度予算の概算で14億円が計上されているという行政レビュー資料が早くから出ていて、57億円は一般会計から4年に分割して支出する予定であることが判明した。

 ただ、ここで疑問が残るのがODAなどの海外援助金の支出で、円でドルを買うのかという問題だ。

 おそらく為替相場を乱さないために、一般歳出の支出を日銀を通じて、いわば日銀に円を支出し、日銀がそれに相当する外貨準備金を支出する仕組みができているということなのだろう。逆の動きも「その他の歳入」として国家予算に計上されているという。だから国内でまったく使えないというわけでもないようだ。いわゆる「埋蔵金」というのはこれのことか。

 まあ、女性起業なんちゃらの支出が血税によるものなのははっきりした。ただ予算に関しては国会の審議を経て承認される必要があるから、国会の場で議論してそれをやめさせることは不可能ではない。(現時点では議席数が足りないから無理だが)

 だが、海外へのバラマキの問題を選挙の焦点にして、国民がそれを支持したなら、税金からの国際機関への資金拠出をやめさせることもできるだろう。福島瑞穂さんはそれを本気でやる気があるのか、そこは問われなくてはならない。まあ、社会主義者から見れば女性労働者ではなく女性資本家を援助するという所にひっかかるのかもしれない。

 まあ、今回はマスコミ報道も曖昧だし、社民党の福島瑞穂も自民党の佐藤正久議員もよくわからないままにコメントしてたようだし、政府の側からも詳しい説明はないし、だいぶ混乱したが、この次に何らかの海外へのこうした資金拠出があったときは、混乱せずにすむだろう。

 ネット民もこうして少しずつ勉強して賢くなってゆけばいいのだろう。今更マスコミ情報依存の時代に戻ることはできないのだから、闇雲にネット批判しても意味ない。

11月4日

 共同通信の「首相、57億円拠出を表明 / 女性起業家支援のイバンカ氏基金」のニュースをほとんどなぞる形でいろいろな新聞が報道してしまった結果、イヴァンカに血税を57億円も貢いでけしからんみたいな話になり、一方でこれはフェイクニュースだと騒ぎになっていた。

 まあ、おかげでいろいろ勉強になった。

 まずイバンカ氏基金というのは、イヴァンカさんが設立に関わった「女性起業家資金イニシアティブ(Women Entrepreneurs Finance Initiative:略してWe-Fi)」という世界銀行内に設置された基金で、外務省のホームページによれば、

 

 「途上国において,女性起業家や女性が運営する中小企業が直面する障害(資金アクセス,法制度等)を克服するための支援実施を目的として世銀内に設立される基金。支援内容は,女性起業家等に対する資金支援,金融機関等に対する女性起業家とのビジネス促進に向けた助言,途上国の法制度改善に向けた技術協力等。ドナー国から2億ドル及びリスク軽減措置により動員される民間資金等を合わせて10億ドル超の資金を利用可能とすることを目指す。」

 

とのこと。べつにイヴァンカさんの懐に入るのではないし、イヴァンカさんが運用しているわけでもないし、何か特別な権限を持っているわけでもない。むしろ広告塔を引き受けているようなものだろう。

 同ホームページによれば7月8日の日付で「5,000万ドルを拠出する予定です」と書かれているから、3ヶ月も前に決まっていたことだった。ちょうどイヴァンカさんが来日したので、そのタイミングでいかにも安倍首相の業績になるかのように、このタイミングで発表させたのだろう。

 そして、これも知らなかったことだが、ドル建てでの海外援助は基本的には税金ではなく外貨準備金を用いるらしい。ODAもここから支出しているらしい。

 何でも日本は再三に渡って円高を防ぐためにドル買いを行ってきたから、一兆ドルを越えるドルを保有し、中国についで世界第二位だという。円に換算すれば国家予算を大幅に上回る額だ。それなら5000万ドルくらいお安い御用だろう。

 何かあるに付け、随分気前良く世界のお金をばら撒いていると思ったら、そういうからくりがあったんだ。

 こんなにお金があるなら、そのお金で国の借金を返したり、福祉を充実させたりできないのか思うのだが、ドルを円に換えると円買いになって円高になるのでできないらしい。

10月29日

 人間一人一人皆違うし、一人の人間が日常的に接する人間の数は自ずと限られているから、集団がある程度の大きさになるとそれがいろいろな集団にまた分かれたりして、そうして民族だとか文化圏だとかが形成されてゆく。

 みんな違うのにあたかもそれがないかのように振舞うのは不自然だし、実際に差別や排除の意図がないなら、お互いにその特徴を誇張したりして笑い合うくらいは普通のことではないかと思う。重要なのはそれが単発的なその場で笑ってすむものなのか、持続的ないじめや差別と組になって行われているものなのかなのではないかと思う。

 手で目を横にやって細めるしぐさは、ほとんどの日本人は怒ってないと思うし、それが侮蔑の仕草だと思ったこともなかったと思う。ときおり2chのニュースで韓国人が怒っているという話は聞いたことがあるが、日本人が抗議したというのはあまり聞かない。

 例えば実際に外国に行って、話しかけても目を細めるだけして無視して通るようなら、差別と感じるだろうけど、それは無視するという差別的行動と組になっているからだ。あるいは唾を吐いたりとかそういう別の行動と組になっていれば、確かに問題だろう。

 言葉や仕草自体が悪いのではなく、それが持続的ないじめや差別と結びつくことが悪いのであって、悪いのはあくまでいじめや差別だ。

 たとえば、「ありがとう」という言葉をどこかの国では日本人を侮蔑するために習慣的に発して、「おい、ありがとう、何で御前なんかが来んだ、とっとと去れよ、ありがとう、おい、ありがとう」なんてなれば、「ありがとう」という言葉は言ってはいけないことになるのか。隣の国ではかつての国の正式な名前も言ってはいけないことになっているから、「日本」が差別語になることだってありうる。

 仕草にしても、ガチョーンのあの手の動きが、どこかの国である種の人たちを侮蔑するのにたまたま用いられていたとしたら使えなくなるのか。

 そういうわけでどうかひとつ、ながーい目で見てください。

10月22日

 まあ、台風は来ても選挙は無風というか、大体大方の予想通りになりそうだ。

 安倍政権は発足後しばらくは70パーセント近い支持率があったが、それが今は40パーセントに落ちている。30パーセントの安倍失望層がいる。

 これに対し、最初から安倍を支持してない層が30パーセント、そのうちコアな反安倍層、いわゆるパヨクはその半分の15パーセントくらいではないかと思う。後の15パーセントは何が何でも反安倍ではなく、安倍も野党も支持できないという支持政党なしの人たちで、俺もそこに含まれる。

 今回立憲民主党の躍進が伝えられていたが、基本的には15パーセントのコアな反安倍票を共産党と食い合っただけで、安部に勝ったのではなく共産党に勝ったと言った方がいい。

 希望の党はマスコミから「排除」だの「踏み絵」だの言われた時、党である以上一定の方針に従わないものを排除するのは当然だという当たり前のことが言えず、マスコミや民進党議員の批判に屈してしまった時点で既に敗北が決まっていた。

 これ以降希望の党は腰砕けになり、旧民進党の主張とほとんど変らなくなった。これだと共産党や立憲民主党との差別化が困難になり、反安倍の15パーセント票を奪い合う結果になった。この時点で自民党の勝利は決定的になった。

 ここで宙に浮いたのが安倍失望層の30パーセント、最初から支持政党なしの15パーセントだった。この45パーセントにアピールする政策を打ち出せれば、安倍の40パーセントに勝てたのだから小池さんは勿体ないことをした。何でこの45パーセントを狙わずに反安倍の15パーセントにこだわってしまったのか、まったく馬鹿なことをしたものだ。多分本人もそう思っていることだろう。

 希望の党の最大の敗因は「反マスコミ」になれなかったことだ。マスコミの批判に対して毅然たる態度を取れば、ネット情報を重視する人たちに逆に信頼されえる結果になっただろう。トランプのようにはなれなかった。

 繰り返すが「党である以上一定の方針に従わないものを排除するのは当然」なので、何でそれが言えなかったのかが悔やまれる。

10月6日

 希望の党は超安倍路線を取ってこなかったな。何だか消えた政党の残骸を集めたような公約で、民進や維新とたいして変りない。やはり自民対共産になるのか。

10月3日

 今日はKarlahan、Northland、Drakum、Steignyrといったバンドの曲をずっと車の中に流し、聴いてみた。この四つのバンドの共通点は今話題になっているカタルーニャのバンドだということ。

 カタルーニャというとイタリアに近いのかなと思ったが、むしろケルト文化圏なのではないかと思った。

 カタルーニャだけでなく、隣のアラゴンにはSalduie、フランス側にはBoisson Divine、Hantaomaといったフォークメタルバンドがいる。ピレネーの山の中には古いケルトの文化が息づいていて、スペインがイスラム帝国に占領されたときも、ピレネーは避難地だったようだ。

 なお、イラクにはCyaxaresというクルディスタンのお一人様バンドがいる。

9月30日

 反安倍票はせいぜい15パーセント行けばいいくらいだから、反安倍勢力が一本化し、統一名簿を作ったとしても、そんなの安倍政権にとって脅威とはならない。おそらく今回は共産党がこの票を一手に集めて躍進するのではないかと思う。ただ、希望の党に入れなかった民主左派が独自に立候補するなら、票は分散されることになる。どこまで共闘がうまくいくかにかかっている。

 一方、安倍よりも安部という超安倍路線をとった場合、安部政権には不満だがパヨクはもっと駄目という「他にいない」層だけでなく、安倍支持者層も切り崩すことが出来る。小池さんは当然そこを狙ってくるだろう。ただ、相乗りの民主右派は正体がばれてるだけに果たして信用されるか。

 反安倍の場合は勝利条件は政権交代しかない。これに対し超安倍ならそこまで行かなくても連立政権入りできれば一応の勝利となる。パヨクの票は食わなくてもいい。自民、公明の票を削って過半数割れに持ち込めば、目標達成は可能だ。

 政権交代が目標でないなら、小池さん自ら出馬する必要はない。むしろ連立入りして党の実績を積み重ねたほうがプラスになる。

 過半数を取る必要がないから、候補者はかなり絞り込んでくるはずだ。連立にふさわしくない人は公認しないと思う。

 今の状態ではなかなか予想がつかないが、ただ希望の党が化ける可能性はある。トランプさんと同じでネット対応というところが強みだ。今の選挙はマスコミ報道よりも、ネットで話題になる動画がどれだけ出てくるかも焦点になる。

 共産党の善戦はあっても政権交代はありえない以上、基本的には安倍政権は存続することになるだろう。

9月27日

 鳥越俊太郎が「私は安倍さんを見るだけで吐き気がしますね。」と言ったとか。民進党の前原誠司も、「安倍政権終わらせる」と言ってたが、その前に民進党の方が終わっちゃったな。

 一体なんで日本の政治家はこうも安倍に対して感情的になりすぎて、政治家としての本分を忘れてしまうのか。確かに安倍首相は美男ではないし、「きもい」という気持ちもわからないでもない。ただ、なんか安倍首相に関しては他の自民党政治家にはない特殊な感情を持っている人が多い。安倍首相には人を狂わす何かがあるのだろう。残念ながらそういう感情は俺にはまったく共有できない。

 こういう異常なまでの反感というのは、愛憎平行(アンビバレント)による場合が多い。要するに本当は深層心理の部分では安倍さんに惹かれるからこそ、可愛さ余って憎さ百倍になるのではないかと思う。 

 多分安倍首相というのは、「父」なんだと思う。思春期の若者が親に反発して「くそ爺」「くそ婆」呼ばわりしたり、娘が「父さんのと一緒に洗濯しないで」といったりするのと同じような心理で、幼い頃絶対的だった父親像が、思春期になって乗り越えるべきライバルに変ってくることから起こる現象だ。

 この父への無意識の内に反発する感情は、ギリシャ悲劇の「オイデプス王」になぞられて、フロイトがエディプスコンプレックスと呼んだものだ。父殺しのテーマはアメリカ映画の某SF大作にも受け継がれている。

 大人になると、父に対する幻想は次第に解けて、一人の人間として認識できるようになり、一緒に酒を飲んだりする仲になればそれでいいのだが、父に対する幻想を実の父ではないものに投影してしまうと厄介だ。

 今日多くの左翼が無意識の内に安倍首相=父の幻想に取り付かれ、父殺しの神話を実行しようとしているのではないかと思う。

 安倍首相だけでなく、アメリカでもトランプ大統領がリベラル派にとっての父になっているのではないか。反安倍も反トランプも、とにかく異常だ。単なる一政治家に対する反発の域を超えている。

9月26日

 核兵器禁止条約は確かに理想としてはすばらしい。ただ、もし仮に世界中の国がこの条約を批准し、核のない世界となるはずだったというときに、どこかの国が突如条約を無視して核開発を始めたとしたら、果して止めることができるのだろうか。

 今の北朝鮮が突きつけている問題はまさにそれではないかと思う。果して核抑止力に頼らずに、あるいは何らかの武力行使に頼らずに、経済封鎖などの措置だけで核開発を阻止することが出来るのか。

 もしそれができないというのなら、核兵器禁止条約はたとえ世界がそれを批准したとしても、実際には効力のない条約だということになる。つまり違反した者勝ちになってしまう。

 果して軍事行動なしに最大級の経済制裁を課すことで核開発は止められるのか、今の状況では絶望的だ。

 現実には最大級の経済制裁は日米露の思惑の違いで、まずそこからして絶望的な状況にある。切り札さんが最大級の威嚇をして、何とか実際には行使せずに核抑止力を発揮させようとしているが、それすら通じていない。最後は戦争か容認かどちらかになるだろう。どちらも最悪だ。

 天皇陛下が高麗神社に参拝したことは、韓国でも話題になっているらしい。ただ、今の韓国は新羅人中心の国で、高句麗は新羅に滅ぼされ、その末裔はさらに北に渤海国を作り、日本と国交を結んだ。日本に高麗神社があり、高句麗にまつわる多くの地名や神社があるのも、このときの高句麗の難民を大量に受け入れたからであろう。

 今の北朝鮮もかつての高句麗の地にある。高句麗人の血が日本人の血の中にも流れていることを考えると、案外気質が似ているのかもしれない。国連演説の会場から退出しても、さすがに名誉ある脱退はしなかったが、今の北朝鮮を見ていると「この道はいつか来た道」と思うのは私だけではないだろう。

 北朝鮮の軍事介入が行われれば、日本は再び高句麗の難民を受け入れることになるだろう。まあ、初めてのことではない。高麗神社がそれを証明している。

 武装難民という言葉はよくわからないが、武装してたらそれは難民ではなく、難民に偽装したテロリストだ。中国の便衣兵のようなものを想像しているのか。確かあの虐殺事件の原因となった‥‥。

9月23日

 クルド人、独立できるといいね。命がけでイスラム国と戦ってきたし、それぐらいの褒美はあっていいと思うよ。でも結局アメリカとロシアの対立、サウジアラビアとイランとの対立なんかで潰されちゃうのかな。

 マスコミはすぐ国際世論を持ち出すが、作られた世論というのも存在する。騙されちゃいけない。

 

 民進党は何で労働時間の短縮に消極的なのか。何でもかんでも安倍の反対をやればいいというのではなく、一億総活躍社会や働き方改革はむしろ本来野党の方が強く求めるべきもので、安倍の財界に媚びた姿勢をもっと糾弾すべきではないのか。

 安倍が一億総活躍と言えば、今のまま活躍できない社会で何が悪いのだと言い出し、働き方改革を言えばかつてワークシェアリングを説いたことがまるでなかったかのようになっている。

 規制緩和だって民主党時代には積極的に進めてきたし、加計の獣医学部設立にも前向きだったのに、今じゃまったく逆の方向に行っている。安倍が白と言えば黒と言い、安倍が黒と言えば白と言うでは困る。

 残業時間を全ての産業で70時間以内に制限し(裁量労働制でも当然上限を設け)、違反した使用者を厳罰に処す法律(罰金30万なんてのは事実上の罰則なしだ、過労死させた上司は未必の故意があるのだから殺人罪でもいい)を作れば、足りなくなった労働力は、現在就労してない女性や勝凱者で補わざるを得なくなるから、自ずと一億総活躍社会も実現できる。

 希望の党(もっとましな名前はなかったのか、こういう抽象的な名前でしか呼べないような、政策も理想もない党だということを暴露しているような名前だ)も、この問題には興味ないのかな。でも働く者としては一番切実なのはこのことだと思う。

 消費したくても長時間労働で使う時間がないし、育児に参加したくても時間がない。北欧のような週40時間労働なら、ゆっくり子供に接する余裕もあるだろうに。介護だって時間があれば出来ることも、今の日本の労働環境なら会社を辞めるしかない。そうなると暇はあっても貧困のどん底に突き落とされ、結局満足な介護は出来ない。教育だって、時間があれば親がちゃんと子供の面倒を見れる。ゴミだか残飯だか分からないような給食もいらなくなる。

 今の長時間労働体質が変わらない限り、医者も学校の先生も介護士も保育士も体を壊してやめざるを得なくなる。過酷な職業だからなり手もいない。予算ばら撒いて給料を上げれば解決できる問題ではない。まず労働時間を何とかしなくてはならない。

 それに、長時間労働体質では、与えられた仕事をこなすだけでみんな精一杯になってしまい、未来への豊かな発想が生まれず、現状維持がやっとになる。これでは破壊的なイノベーションは期待できない。そのため生産性の低い現状のやり方から抜け出せなくなる。長時間労働は未来を奪う。

 働き方改革と一億総活躍社会は財界のどんな抵抗をも押しきってでも進めなくてはならない。だが、それができないのが安部の最大の弱点だ。なら、政権奪取を狙う野党としてはそこを責めるべきだろう。

9月21日

 最近クレイトン-クリステンセンの『ジョブ理論─イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム─』を読み始めた。前に『イノベーションの最終解』を読んで面白かったから、今度も期待できそうだ。

 まあ、多分需要不足とか言ってるのは、需要がどこにあるのか正しく認識されてないからだし、誰もほしがってもいない余計な提案が多すぎるのが問題なのだろう。

 テレビが4Kになろうが8Kになろうが、大抵の家庭ではテレビはただついているだけでそんなに真剣に見ていないし、何となく静かだと寂しいからついているようなもんだ。

 ハイレゾが売れないのも、俺もそうだが、音楽は運転の時のBGMにしているくらいで、やはりそんなに真剣に聞いてないからだろう。

 家に帰ってもやらなくてはいけないことがたくさんあるし、テレビや音楽以外にもやりたいことはいくらでもある。長時間テレビや音楽に釘付けになることはほとんどない。思考や生活を邪魔しない程度の雑音の消去の役割でテレビやオーディオを「雇用」している人は、かなりの数に登ると思う。

 家に帰って、エアコンが部屋を適度な温度にしていてくれれば、確かに快適かもしれないが、今の段階で別にそうしようと努力しているわけでもないし、そのことで頭を痛めているわけでもない。別になければないでそれほど困っていない。ならエアコンをわざわざネットに接続する必要もない。

 車は便利だが、車自体も高価だし、それ以上に毎月払う駐車場の料金は馬鹿にならないし、定期点検やタイヤやオイルの交換などいろいろと維持費がかかる。それにたまにドライブに行こうと思うと大抵は大渋滞で、美味しいクラフトビールの店があっても飲むわけにはいかない。それを解決できるサービスがあるなら、若者でもそれを「雇用」しようと思うかもしれない。

 酒は好きでもみんなで飲みにいくとなると説教されたり愚痴を聞かされたり、それにおつまみの頼み方でもいちいち駄目出しする人がいたり、レモンを掛けろだの掛けるなだのでもめたり、結構めんどくさいとなると、酒離れは必然だ。それを解決してくれる居酒屋があれば若者も雇用するだろう。

 いい物を作れば自ずと売れるというのではないし、頼んでもいないのにおせっかいな提案をされても財布の紐は緩まない。困っていることを解決してくれたり、面倒だからあきらめていることが出来るようになったりすれば、確かにそちらの方が売れるだろう。

 Iotも何ができるかではなく、何を解消してくれるのかを考えれば、道は開けるのではないかと思う。最後は庶民の悩みに真剣に向き合ってくれる会社が成功するのではないかと思う。

 多分政党でもそうだと思う。提案する党になる前に、何を解決するための提案なのかを考えてほしい。かつての維新の会の船中八朔はそこを誤ったと思う。日本ファーストが同じ轍を踏まなければいいが。

9月20日

 ロヒンギャの問題はなんか一方的にビルマが悪いみたいに言われているが、本来ロヒンギャはビルマとバングラディシュにまたがって暮らしていて、バングラディシュの方でも差別や迫害を受けていたのだから、なんでバングラディシュが被害者面しているのかわからない。
 さらに元を言うならイギリスがパキスタンからビルマまでの一体を植民地支配していて、そこに勝手に線を引いたわけだから、当然イギリスにも責任がある。
 この問題を最終的に解決したいなら、ビルマとバングラディシュにまたがるロヒンギャの多く居住していた地域を独立させるしかない。
 ただでさえビルマは北部にいくつもの少数民族を抱え、これまで対立してきた歴史がある。それに人種も宗教も違うロヒンギャを抱えることは、ビルマの発展にとっても大きなハンディになる。
 多民族の共存は理想だが、アメリカやヨーロッパでさえ難しいこの問題を一方的にビルマに求めるわけにはいかないだろう。今のビルマバッシングには、どこか白人たちの黄色人種への差別意識が感じられる。ロヒンギャばかりがクローズアップされ、カレン族などの少数民族の問題がスルーされているあたりが特に。

9月17日

 この時期に選挙をやるというのは、アメリカの軍事介入はないという読みなんだろうな。まあ、四月危機の時にも韓国では大統領選をやってたし。

 トランプ大統領も、

 

 "I spoke with President Moon of South Korea last night. Asked him how Rocket Man is doing. Long gas lines forming in North Korea. Too bad!,"

 

何て言って、ムン大統領の英語表記がmoon(月)なのに掛けたのか、かりあげ君をロケットマンと詠んでいる。まあ、爆弾を積んでないミサイルはただのロケットだと言えなくもないが。

 

 アメリカが北朝鮮に軍事介入すれば中国と戦争になると中国政府に脅されていたし、アメリカと中国との対立が解消されない限り軍事介入はないとすれば、北朝鮮はいい気になってロケットマンを続ける。だからといって本当にアメリカを攻撃することはできない。アメリカが直接攻撃を受けて当事者になれば、正統な報復となり、中国も手が出せない。

 レッドラインがアメリカへの直接攻撃だとすれば、韓国や日本への攻撃は果たしてレッドラインになるのか。ならないならもはや北朝鮮の核開発のみならず、核使用への抑止力も機能しないということになる。

 日本はいつまでアメリカに頼れるのかわからない。今の政府の北朝鮮に対するこれまでの姿勢と憲法改正に国民の承認が欲しいのはわかる。

 これに対して、今の野党の発言からすると、あくまで盛り掛け隠しの解散と位置づけている。いつものことながら争点は完全にずれている。マスコミもミサイルに結構過熱した報道をしてしまっているから、ミサイルより盛り掛けの方が重要だという方向に戻れるのか。野党・マスコミ・官僚の連合が崩れるなら、安倍首相の目論見どおりだ。

9月10日

 『IoTは“三河屋さん”である IoTビジネスの教科書』(児玉哲彦、2017、マイナビ新書)を読み終えた。

 わかりにくいIoTを精一杯わかりやすくしてもこの難易度なんだという感じだ。この本を読んで新しい商売のアイデアが次々と浮かぶ人がいたらきっと凄い人なのだと思うけど、案外ユビキタスのときのようにIoTもいつの間にかぽしゃってるかもなんて思えてきた。

 多分60年代の時点でいろいろな人が思い描いたコンピュータ社会のようなものかもしれない。あの頃誰もがやがてコンピュータ時代がやってくることは感じていたし、様々なSFに未来社会が描かれた。藤子・F・不二雄の『21エモン』では仕事探しがコンピュータ化されたが、わざわざ職安まで出向いて希望条件をパンチカードで入力する必要があった。

 あの頃コンピュータがやがて超小型化されることは予想できたが、欠けていたのはインターネットの発想だった。AIやロボットのアイデアはあったが、それを繋ぐものは考えられてなかった。

 モータリゼーションが進展するには全国規模の道路網整備が不可欠だったし、電話が普及するには全国レベルの回線網と海底ケーブルが必要だった。パソコンの普及にもインターネットが不可欠だった。80年代に第一次パソコンブームが起きて、俺も興味を持って入門書を買ったりしたが、結局はプログラミングの面倒くささで挫折したし、90年代の第二次パソコンブームの時にマックを買ったが、データ入力は大変な労力を要するものだった。インターネットに接続してようやくクリックするだけでいろんな情報が入手できるようになった。

 多分次に来るのは、必要な情報を得るのにいちいちググらなくてもいいようになる時代なのではないかと思う。きっと三河屋さんが来て、俳諧のこの巻を読もうと思ったら、それに必要な情報を全て揃えてくれる時代が来るのかもしれない。ただ、研究ではなく普段の生活それをあてはめるとなると、どうもイメージが涌かない。

 産業界だと、例えばこういう製品を作りたいと言ったら、それに必要な材料や工具はどこで入手できるかとか、部品はどこに発注すればいいのかとか、原価計算をしていくらで売ればいいかまで教えてくれるようになるのかもしれない。

 それに加えて資金調達までやってくれれば、アイデアだけで誰でも起業できるようになる。いわゆる企業というのは衰退し、発案者とAIによって結ばれた資金提供者(クラウドファンディング)、部品製造工房(3Dプリンターを活用したプロシューマー)、契約工場、ネットショップによって産業が成り立つようになる。これらをマッチングしてくれるAIがあれば、誰でも企業家になれる。資本家と労働者という境界がなくなるのが、未来の資本主義だと思う。

 産業革命は人間の単純労働を機械化した。モータリゼーションは移動や運送を機械化した。エレクトリゼーションは家事労働を機械化した。コンピュータ化は人間の記憶を機械化した。次に来るのは人間の思考の機械化だということは何となく予測できる。これまでのコンピュータ社会はただ人間が入力した情報を引き出すだけのものだった。膨大な情報の中からコンピュータ自らが法則を発見するディープラーニングは確かに次ぎの時代の入口に来たといえるのかもしれない。ただ、自ら能動的に情報収集する段階にはまだない。

 コンピュータが電子三河屋さんになるには、自ら情報を収集し、法則を見出し、最善の回答を出すAIが必要になる。そこまでいくにはまだかなりの時間がかかるだろう。そこに辿り着く前には、今の生活とそれほど変わらないのではないかと思う。クラウドファンディング、3Dプリンター、ロボット、量子コンピュータ、シェアリングエコノミー、未来を変えるであろうものはかなり出揃ってきている。後はそれを結びつけるAIではないかと思う。

 IoT時代の新しい産業は調達とマッチングの代行ではないかと思う。

9月3日

 まずひとこと、「糞ったれ!」、昔ブルーハーツがそう歌ってたからね。

 核兵器に良い核兵器なんてものはない。米帝の脅威に対抗する核は良い核だなんて言い始めたところから、日本の反核運動は駄目になっていった。

 今でも同じで北朝鮮の核は絶対に許してはならない。これを許せば、たとえ核戦争は起こらなくても核ドミノは世界に広がり、やがて筒井康隆の「アフリカの爆弾」状態になる。

 冷戦時代から、核兵器の使用は必ず報復によって両者が滅亡するという所でかろうじて抑止力になっている。しかし、小国が核を保有した場合、イスラム国のように周辺国が利害の不一致から総すくみ状態になってしまうと、どこも全力で潰すことができなくなってしまう。

 北朝鮮の核も結局はアメリカと中国の利害の対立で手が出せない状態になっている。この状態が続けば、核を使用しても米中全面核戦争を避けるという理由で報復が行われず、許容されてしまう危険がある。見殺しにされるのはソウルかもしれないし東京かもしれない。

 現に今回の核実験でアメリカの軍事介入はなかった。かつての朝貢国は中国の領土だと主張する中国は、朝鮮半島全土がアメリカの傘下に入ることを許さない以上、アメリカが介入すれば中国も介入し第二次朝鮮戦争になる。だからアメリカはただ脅すだけで、それ以上のことはできない。唯一可能性があるとすれば、アメリカの北朝鮮制圧のあと、米軍が朝鮮半島から撤退するということで中国と密約が成立した時であろう。

 日本はいつかアメリカが何とかしてくれるという幻想を捨てるべきだろう。トランプは選挙中は世界の警察をやめ、アジアから軍隊の撤退すると示唆していた。今でも機が熟したならそうするだろう。そうなれば北朝鮮問題は日本に丸投げされる。

 とにかく何の力もないわれわれにできることといえば、全ての核にNOを言い続けることだ。良い核兵器なんてものは存在しない。北朝鮮の核兵器も悪だ。そこはどんな脅しにも屈することなく言い続けなくてはならない。今は金正恩の脅しには屈しないという所を何とかアピールする必要がある。

 だから「糞ったれ!」のひとことでもいい。何か言おう。いらないものが多すぎる。

9月1日

 かつての民主党政権に靡いた浮動票が、その後の安倍政権のアベノミクス支持層になることで安倍政権の高支持率を生み、逆に安倍政権に吸い取られた形で、民主党、維新の会、みんなの党といったところが支持基盤を失い分裂し混迷していったのだから、今の民進党の右派がリーダーになっても現状はほとんど変わらないだろう。だからといって左派がリーダーになっても共産党に吸収されるだけだろう。野党が束になっても所詮支持率は15パーセント行けばいい。それよりも今安倍を支持している層を切り崩すことを考えた方がいい。

 民進党が再生できるとしたら、反安倍の看板を捨てることだ。要はアベノミクスのいいとこ取りをすることだ。安倍首相は優柔不断だし、財界や官僚の圧力にめっぽう弱いから、そこを正して安倍よりも安倍らしいアベノミクスをやれば民進党再生の目もあると思う。

8月29日(2)

 昨日は日付が変わってからアップしたから、ついつい今日の日付にしてしまった。こっちが本当の8月29日の日記。

 北朝鮮のミサイルがまた発射された。グアムを攻撃するぞとアメリカを挑発したものの、威嚇という点ではトランプの方がはるかに上で、結局グアムを断念した金正恩は、やりやすい日本の方に向けて飛ばしたんだろう。

 ただ、弾道は結構きわどい。もう少し北にずれてロシアの方に飛んでったら面白かったのに。

 いくらミサイルを撃っても日本人は怒りをあらわにすることがない。菅さんは例によって原稿棒読みのコメントで、全然怒りが伝わってこないし、安倍さんの口調も内容とは裏腹ににこやかだ。これでは迫力がない。

 北朝鮮の核やミサイルや拉致問題に抗議するデモは、実際には行われているのだが、マスコミは当然のように報道しない自由を抗議しているし、例のしばき隊が相変わらず暴力でこうしたデモを封じている。

 日本人も黙ってないでもっと北朝鮮政府(北朝鮮人ではなく)への怒りをあらわにすべきだ。たとえマスコミが取り上げなくても、数が多くなれば、ネットでその噂も広がるだろうし、しばき隊に負けないだけの人数になれば妨害もできなくなる。

 北朝鮮はただ現体制さえ守られればいいんだ何てコメントしている輩がテレビに出ているが、甘い。アメリカが何度体制を保障すると言っても核開発もミサイル開発もやめる気配がないのだから、それは間違いだ。北朝鮮がアメリカ、中国、ロシアにかこまれて、あの小さな国土でただ存続できればそれでいい何て思うはずがない。南北統一は北朝鮮の悲願だし、アメリカと対峙できるだけの反米勢力を育てるには、核ミサイルの輸出をも辞さない。北朝鮮が目指すのはかつての反米共産圏の再編だ。

 そこには韓国はもとより日本の共産化も当然視野に入っているだろう。ミサイルの脅しに屈してくれれば、金正恩の日本支配もありうるかもしれない。

 もちろんマスコミにいる連中も左翼が多いから、こうした反米共産圏構想には少なからず期待している。米帝の脅威に対抗するための核は良い核であり許されるというのは、冷戦時代からの彼らの思想だ。フランスの核実験には抗議しても中国の核実験には抗議しなかった。

 さすがにこうした連中は数も少なくなったし、日本においてはもはや脅威ではないかもしれない。マスコミはもはや世論を形成する力はないし、騒げば騒ぐほどネットで炎上するだけだから、そんなに心配する必要はないかもしれない。

 世界の文化の多様性を維持するには、国境のない一つの世界を作るのではなく、諸民族の自立した独自文化圏を確保することと、その境界に文化同士の交わる、日本の中世の公界のような役割を果たす地域を確保することとを同時に行わなくてはならない。

 固有の文化を維持するにはその文化の担い手となる十分な数の集団が必要で、複数の集団をごちゃ混ぜにするなら、お互いに抑制しあってその長所を消し、結局は最大公約数的な文化にしかならない。一つの世界ではなくたくさんの世界を作ることが大事だ。日本人はそのたくさんの世界の中の一つとして誇りを持たなくてはならない。

 社会主義的な文化の均質化には抵抗しなくてはならない。たとえ核ミサイルを突きつけられても、「糞ったれ」という心意気は残しておかなくてはならない。「長いものには巻かれろ」ではいつか本当に巻かれて消されてしまう。

8月29日

 マスコミ報道が狂ってるのは別に今に始まったことではなく、昔からマスコミはこんなものだったと思う。ただ、マスコミ以外に有効な情報を得る手段がなかったため、おかしいなとは思っても、だからといって何か真実がわかるわけではなかったから、疑問は疑問のままで終わっていた。

 ネット時代に入って、情報はマスコミから庶民への一方通行ではなく、マスコミから庶民へ、庶民からマスコミへ、庶民から庶民へと他方向になり、たくさんのマスコミ情報を比較したりもしやすくなったし、別に新聞をたくさん取る必要もなくなった。海外メディアの情報も入手しやすくなった。ドイツやフランスの新聞なんて、そう簡単に入手できるものではなかったが、今では海外メディアのサイトが簡単にアクセスできるようになった。グーグルの翻訳で大雑把な意味くらいは外国語がわからなくてもつかめるようになった。

 音楽の役割も随分変わったと思う。少なくとも音楽は若者の思っていることを代弁する必要はなくなったのだと思う。今では誰でもネットで自分の思ったことをいえる。昔はマスコミや偉い人が一方的にメディアを独占していて、それに対して反論する手段はなかった。だから自分たちが思ってることを歌ってくれる人がいたら、それだけで拍手喝采だった。今では逆に、世間の多種多様な声にさらされ、反対の立場の人間から簡単に炎上してしまう。

 昔はステージに立つ人間は一方的に何でも言い放つことができた。作家にしても何でも一方的に書くことができた。今は違う。聴衆や読者はそれに対しいくらでもネットで反論することができる。だからあまり過激なことを言うとあっという間に炎上する。それを特に左翼の人たちは「言論統制」と感じているようだ。原因は安倍ちゃんにあるのではなく、多様な考えの人間が相互に抑制し合う時代だというだけのことだ。

 はるかぜちゃんというのはどういう人なのかよく知らないが、多分70年代だったらあの戦争に対する提案は「カッコいい」と受け止められてたなと思う。そうならないのは、メディアが一つの意見を独占できなくなったため、多様な批判に晒されてしまうのだと思う。そして、その多様性を考慮できずに一方的に自分の意見を押し通そうとすると、やはり今ではダサいという評価になるのだと思う。

 北朝鮮の有事を防ぐために、大々的に平和を訴えるデモ行進を行えばいいという人もいるかもしれない。ただ、それをやると北朝鮮に有利に働く。アメリカは民主国家だから国際世論は無視できないが、北朝鮮はそんなもの屁とも思わない。だから平和を訴えれば訴えるほど北朝鮮を付け上がらせてしまうというジレンマに陥る。だからそういうデモは未だに起きてないのだと思う。反金正恩デモというのはありかもしれないが、左翼は絶対にやらないだろうし、やればカウンターデモをやって潰しにかかるだろう。

8月15日

 戦後七十二年、日本人の多くは戦後の平和を享受してきたと思っているが、そうでない人たちもいる。

 確かに外国によくあるような、国が戦争をやめても野山にこもってゲリラ戦を続ける人たちというのはいなかった。ただ、西洋列強に対してアジアの独立を求めた大東亜共栄圏の理念に代わって、米帝資本主義の世界支配に対抗するという名目で反米闘争を継続してきた人たちがいた。その魂は今日もパヨチンと呼ばれる人たちに受け継がれている。

 彼らにとって戦争は終わっていない。デモや選挙演説を妨害したり平和式典で奇声を上げたりして、彼らは未だに戦っている。アメリカに対して、そしてアメリカと同盟を結ぶ日本の歴代の政権に対し。

 野党マスコミが結託して、それこそ安倍を倒すためなら手段は選びませんわ的な一大キャンペーンを張って、今でもあの戦争は続いている。たとえ一般国民に何ら戦争の意欲がなくても、いわゆる「市民」にとっては未だに戦争は終わっていない。彼らは韓国、北朝鮮、中国と連携し、日本を米帝支配から開放すべく戦っている。

 戦争を終わらせることの難しさというのは、そういうことだと思う。国は降伏して表向き戦争は終わっても、それに納得しない人たちというのは必ずいる。そして彼らは人々の平和を「偽りの平和」と呼び、「本当の平和」を手に入れるために戦争を継続する。平和のために戦争をするという矛盾はここでも繰り返される。

 終わりのない戦争は、おそらくこれからも続くだろう。それが人間の宿命なのかもしれない。

8月6日

 今日は広島原爆投下の日。核のない平和な世界を求める気持ちというのは、昔も今も世界中の多くの人の心に共有されているのは間違いと思う。

 しかし、他ならぬ唯一の被爆国の日本国民も、長いこと政治的な立場によって翻弄されてきた。

 まずはソ連の核を認めるかどうかで1965年に原水禁と原水協が分裂した。その背後には当時の社会党と共産党との対立があった。連合国の核は悪いが、ソ連や中国の核はそれに対する自衛のためだから「良い核兵器だ」という議論は、形を変えて今の北朝鮮問題にも受け継がれているように思える。

 原水禁・原水協分裂の前の1961年に分離した旧民社党系の核禁会議も目立たないが別個の活動をしている。こちらの方は原発推進と在日米軍容認で分裂したようだ。

 もちろんその一方で日本の核保有を求める声というのも確かに存在する。今の北朝鮮問題を考えると、こうした声が盛り上がってくるのも無理はない。

 核から守るための核なら「良い核兵器だ」という議論は、核ドミノを生み出す。筒井康隆の『アフリカの爆弾』という1968年の小説に書かれた世界が、今でも着実に現実のものになりつつある。今でもミサイルや化学兵器の輸出国である北朝鮮が、今後核ミサイルを輸出しないという保証はない。

 日本や韓国が核保有を我慢したとしても、世界の腐敗した独裁国家が突如地球を半周できる核弾頭搭載のICBMを保有する可能性は十分にある。

 石器を手にした人類は、早速その石器を人間同士の争いで使用したことだろう。どんな腕力に勝るものでも、みんなで石器を持って袋叩きにすれば倒せるということを知った人類は、腕力による順位争いを止め、生存競争を多数派工作の争いへと変えた。そこから人間らしいやさしさと仲間思いの気持ちが進化した。しかし同時に生存競争を個と個の争いから集団対集団の戦争へと変えた。

 やがて鉄を利用するようになると人類は剣で戦うようになり、銃を発明すれば銃で戦うようになった。仲間のために、愛する人を守るために、人はどんどん殺し合いをエスカレートさせてきた。

 核兵器の登場は、逆説的だがそれを使用することで人類が滅亡するという所まで行き着いてしまったために、一定の抑止力を生み出したし、実際に核を持つ国同士は直接戦争しなくなった。北朝鮮も核を使用した時は国が終わる時だということを十分承知していることだろう。

 だが、核を持たない国は核で攻撃されても有効な反撃ができない。核保有国の傘の下に入るしかない。それがいやなら、独自に核を持つしかないというなら、一種の国の守護神として、核を保有して祀っておく方が良いということになる。筒井康隆の予言した世界はまさにそういうものだった。

 北朝鮮の核は、それを使用して滅びることさえなければ、安価な核ミサイルをやがて世界に供給することになるだろう。

 核兵器なんてない方がいい。だが、核兵器がなくなれば本当に世界は平和になるだろうか。むしろ通常兵器のほうが安価だし、国を滅ぼすまでの破滅的な事態は起こらないという安心感から、簡単に戦争に踏み切ってしまう国が出てくるのではないか。

 核さえなくなれば魔法のように世界が平和になるなんてことは、当然ありえないことで、もしそうなら広島に原爆が落ちる前は戦争がなかったということになってしまう。核があろうがなかろうが、人類の歴史は戦争と虐殺の歴史だった。

 広島長崎に原爆が落ちなかったら、すぐにアメリカ軍は相模湾に上陸し、日本国内が戦場になっていた可能性があるし、核抑止力がなかったならアメリカとソ連は朝鮮戦争を機に全面戦争に突入していたかもしれない。

 世界の平和は本当は核があるかないかではなく、戦後の高度成長以降の豊かな経済にあり、一人の人間の生涯に稼ぐ金額が高騰し、一人の戦死があまりにも高くついてしまうため、戦争が割に合わなくなったからだとしたら、世界を豊かにすることが唯一の平和への道なのではないかと思う。

 今の北朝鮮では一人の人間の戦死など物の数でもないのかもしれない。それが一人の戦死が1億円2億円の損失となったなら、とても戦争などできないであろう。

 日本でも生涯年収は2億円と言われている。50万の戦死者を出したら一年分の国家予算が飛ぶことになる。だから今の日本で50万人の戦死者を出すような戦争は起こせない。世界中がそうなれば戦争はなくなる。

7月27日

 民進党は左派に乗っ取られてしまったのか。政権政党を目指した右派の人たちがぼろぼろと脱落してゆく中で、松下政経塾出身のヨシヒコさんも幹事長をやめ、後を追うように村田さんも代表辞任となった。

 村田さんも民進党の中ではそんなに左によった人ではなかったし、だからこそ戸籍公開に踏み切ったのだろう。そう見ると、相次いだ二人の辞任は左派の力を抑えきれなくなったということなのだろうか。

 安倍政権の誕生が破壊的だったのは、政権担当能力のある保守第二党を作って二大政党にしようともくろんだリベラル派の票を根こそぎ掻っ攫って、解体させてしまったことだった。民進党も分裂し、維新の会も分裂し、みんなの何ちゃらはどこかに消えてしまった。

 そして、その混沌を未だに再編できないから、保守派の人たちがとっくに安倍政治の限界に気づいていても、それに変わる受け皿がない。

 安倍の官邸主導はあまりに弱腰で中途半端な妥協ばかりしている。だが、安倍が駄目だからといっても他の自民党のメンバーを見るとそれ以上にずるずると官僚主導の時代に戻っていきそうだ。

 民進党はこうした層を取り込めないばかりか、ますます左傾化してこうした層を排斥して行きそうだ。これで有田・スターリン・ヨシフが代表になったなら、安倍ヒットラー対有田スターリンだ。冷戦時代に逆戻り。

 実際、戦後レジームからの脱却は世界的な現象で、トランプ大統領の爆誕もその一つの流れだから、いくらマスコミが騒いだ所で簡単にはこの流れをひっくり返せない。騒いでる連中は、結局この流れから取り残された人たちだからだ。

 取り残された古い戦後思想にしがみ付いている人たちは、だんだん高齢化して弱体化してくる。そうなれば、過去の内紛や内ゲバの恨みも忘れて、少数化した左翼は身を寄せ合うしかなくなってくる。有田さんと共産党との和解も既に進んでいるのかもしれない。しばき隊と元シールズが仲良くしているように。

 ただ、時代は留まることはない。今まで時の流れと戦って勝った人などいない。安倍政権が倒れたなら、必ず保守の再編が始まる。今は行く当てのない大票田をかき集めるのは一体誰か、今は藪の中だがそれは必ず現れるだろう。

7月18日

 結局村田さんって、いいように神輿に乗せられ担がれていただけだったのかな。

 村田さん(この呼び方は去年の10月に日本国籍を選択しているから間違いではないと思う)は中国人だということで結局日本人の左翼に利用されただけだったんだと思うよ。

 日本は戦争に負けたんだから、戦勝国の人が日本の首相になって日本の文化や伝統を悉く破壊しなくてはならないという、そういう声に乗せられて、さしたる政策もないのに党首に祭り上げられてしまった、それが最大に悲劇だったのだろう。

 もちろん戦勝国なら誰でもいいというわけではなかった。アメリカは資本主義の象徴で、左翼からすれば社会主義国家に圧力をかけて潰してった最も憎むべき国で、反米闘争のためなら北朝鮮やイスラム国さえ支持する人たちだ。そうした人たちからすれば「中国人」というのは理想的だったのだろう。

 村田さんもこうした人たちに支えられてきたから今の地位があるわけだし、恩義もあっただろう。ただ、二重国籍問題では党内で板ばさみになり身動きが取れなくなってしまった。そんな中での苦渋の決断が今回の会見だったんだと思う。

 一方では「やっぱ二重国籍だったじゃん、謝れば済むことか」となり、一方では「何で部分的にであれ戸籍を公開したんだ、民団や総連にどう説明すればいいのか」ということになる。その板ばさみは今後も変わらないだろう。

 結局アンタは日本人に利用されただけだ。そろそろ使い捨てにされる。

7月14日

 安倍首相の支持率は確かに低下したが、だからといって野党の支持率が増えたわけではない。

 つまりこれは、マスコミがさんざんスキャンダルを並べ立てて、時にはフェイクニュースを流したり、露骨な印象操作をしたりしたにもかかわらず、それとは別のところで、主に保守層の間に安倍離れが起きているのではないかと思われる。

 結局の所、安倍さんの言っていることはいいんだけど、その実行力が問題視されてきたのではないかと思う。特に財界や官僚にめっぽう弱く、あまりに妥協を重ねすぎたため、アベノミクスは悉く骨抜きになって、その限界が見えてきたのではないかと思う。

 外交の舞台でいくら強気な発言をして見せても、所詮はアメリカの威を借る狐にすぎず、最後はトランプさんにすがりつくしかないことも、アメリカがやる気をなくせば北朝鮮問題はいつまでたっても進展しないことも、いい加減気づいていい頃だろう。

 もちろんスキャンダルを追求された時の対応の悪さと、すぐ挑発に乗るメンタルの弱さあたりも、そろそろみんなわかってきたのではないかと思う。結局そんなに強いリーダーではなかったことに。気づいてないのは左翼やマスコミだけかもしれない。

 だから安倍首相の支持率は落ちても、その不満層は未だにどこにも受け皿がないまま宙吊りになっている。

7月13日

 戸籍を公表すると言ったと思ったら、二日後には一転して公表しないと言い出すし、公表するなんて言ってないと言い出す。これだからこの党は信用されない。

 そもそも、つまり基本的に国籍は民族や人種とは何の関係もない。只その国家の一員であることを示すだけのものだ。別に心は中国人で生まれは台湾人でも国籍が日本にあるなら真正の日本人だ。ラモス瑠偉も日本人だしドナルド・キーンも日本人だ。ラモスさんの場合はブラジル政府が国籍離脱を認めていないから結果的に二重国籍になるが、それはやむを得ぬ事情によるもの。

 外国人に対して帰化を認めているということ自体が、日本という国が多様な遺伝子や多様な文化を認めているということで、その日本という多様性の一員であることを証明するのが日本の国籍を保有することを明記した戸籍謄本ではないかと思う。多様性を認めていないなら、そもそも帰化ということは認められない。

 思うに村田さんはさんざん悩んだ末にようやく戸籍の公開に踏み切ろうとしたのではなかったか。それを党内の極左の連中と朝日新聞が騒ぎ立てたためにこういう結果になったのだと思う。明らかに「多様性」という言葉の勘違いだ。

 どこの国にも多種多様な人たちがいるし、人間一人一人顔かたちが違うのだから多様性というのはどんなことがあっても否定することはできない。

 これに対しレイシストというのはどこの国の人間であろうが関係なく差別をする。黒人排斥主義者は黒人であることが差別の理由であって、黒人の国籍を問うようなことはしない。ユダヤ人排斥もユダヤ人であることが排斥の条件で、イスラエル国籍の人を排斥しているのではない。レイシストは多様性を否定しているのではなく、多様性の中に特権的な集団がいると考える人たちだから。

 中国人を差別する人は、村田さんの国籍になど興味はないはずだ。中国人であるというだけで差別の理由になるからだ。国籍が問題になるのはあくまで政治家として適切かどうかの問題で、人種の問題ではない。法に触れる行為がないなら堂々と公開すればいい。そして、後の判断は有権者に任せるべきだろう。

 戸籍の公開は、日本人でないのにもかかわらず日本人に成りすましている人には問題かもしれないが、もとから心は中国人だと広言しているなら問題はないはずだ。

7月4日

 安倍首相は安倍ヒットラーなんて呼ばれるのとは裏腹に、むしろメンタルの弱さがこれまでもネックになってきた。

 本当にヒットラーだったら、安全保障関連法の時に護憲派に妥協せずに、憲法解釈の範囲内でなんていわずにあそこで改憲を高らかに主張しただろうし、本当に岩盤規制を打ち破ろうというなら、最初から獣医学科を一校だけなんて妥協はしなかっただろう。働き方改革だって、結局財界の圧力に屈して骨抜きになった。

 最初に妥協してしまって、苦しくなってから実はこうしたかったんだみたいに未練がましく言う。これでは国民はついてこない。

 選挙演説の時だって、帰れコールくらい平然と聞き流して、平常どおりに演説を終えれば、さすが肝が据わっているとなる所を、しばき隊ごときの挑発に乗って余計なこと言うもんだから、どんどん追い込まれていく。こんなことでは北朝鮮とは渡り合えない。本当に北朝鮮が攻めてきたらトランプさんに泣きつく以外にないだろうな。

 そのトランプさんだが、北のミサイル実験へのコメントがいかにもやる気ない。日本と韓国がそのうちぶち切れて、中国が何とかしてくれるだろうって他人事みたいなことを言っている。結局あの四月危機は、安倍さんに義理立てして怒ったふりしてくれただけだったのか。

 メンタルの強さと言う点では、小池さんを見習った方がいい。

6月28日

 文春の記事が本当なら、加計問題はようやく金銭の絡んだ裏献金疑惑に発展する。もっとも、贈収賄までの立憲は難しいだろうし、政治資金規正法違反でも下村博文元文科相はこれまでもいくつか他の疑惑があったが、なかなか起訴までは至らなかった。

 ただ都議選に与える影響は大きいし、ここまでいろいろ出てきて安倍政権のイメージが悪くなれば、そろそろ首の挿げ替え時かもしれない。

 民進党はこんな時にR4だし、共産党はまさかだし、維新もぼろぼろだし、都民ファーストはまだ間に合わないし、野党に政権が行くことは考えにくい。自民党内の誰かがなるのだろうけど、官僚主導政治へ逆戻りする可能性が高い。日本は緩やかに失われた時代に戻って行くだろう。

 日経平均はここんとこずっと二万円前後で高止まりして面白くない相場だから、安倍ショックで一度大きく下がると個人投資家にもチャンスが来るかもしれない。前向きに考えよう。

6月24日

 安倍首相が獣医学部新設、全国展開を目指すと言ったらしいが、ちょっと遅かったのでは。

 ここまでマスコミが嵩にかかってくると、本当は獣医学部を新設したいと思っていても、すぐに何らかの安倍との接点をほじくられて安部友認定されて、全国の安部友に獣医学部を拡散なんて言われかねないし、もちろん反安倍派は、意地でも安倍の在任中には獣医学部新設を言い出すことはないだろう。

 都知事選もタイミングが悪い。ここで自民党が惨敗しても、原因は豊洲問題やドンの支配の問題が大きいのだが、マスコミは勝ち誇ったように加計問題に国民の審判が下ったと吹聴するだろう。選挙に勝てなければ党内からも安倍降ろしの風が吹き始める。

 国会閉幕の時に誰かが終業式の比喩を用いてたがこれも不吉だ。始業式にははたして安倍さんは登校してくるのか。九月病で辞めた前科があるだけに。

 ところで安倍首相の句だが、

 

 逆風に神戸の空はさつき晴れ    晋三

 

だと切れ字がないので、

 

 逆風に神戸の空やさつき晴れ

 

の方が良いと思う。

 

   逆風に神戸の空やさつき晴れ

 蜘蛛の小糸を囲む紫陽花     こやん

 

 さあ、蜘蛛が勝つのか、紫陽花が勝つのか、勝負の行方を見守ろう。今年は旧暦五月が閏を含めて二ヶ月ある。まだまだ長い戦いになりそうだ。

6月22日

 武藤正敏の『韓国人に生まれなくてよかった』のなかで、日本大使館前の慰安婦像を囲んで行われている挺対協の水曜集会が100人にも満たない人数だというのを読んで、何だそれって在特会レベルではないかと思った。

 日本でも2チャンネルと見ると在特会としばき隊の仁義なき戦いが大げさに語られているが、人数的にはやはり100人レベルのこと。その支持層にしてもどちらの日本の1パーセントにも満たない。そんなものが過大に宣伝されて一人歩きしているように、韓国の反日にしても在特会レベルの反日デモを、あたかも韓国全土が怒っているかのようにマスコミが大げさに報道していることが、今の日韓関係を悪くしている最大の原因ではないかと思う。

 日本人のほとんどは別に韓国にも韓国人にも在日にも恨みはないし、韓流ドラマを見たり韓流アイドルを追っかけたりしている人も普通にいる。同様に韓国人のほとんどはそんなに日本に対して悪い感情を持っているわけではない。日本のアニメを見たり日本料理屋へ行ったり普通にしているし、日本への観光客も多い。

 反日も嫌韓もマスコミが作ったブームで、左翼系のマスコミは相変わらず外圧を利用して日本を変えようなんてたくらんでいるから、反日デモがあるとそれ見たことかとばかりに飛びつくが、そのことが結果的に日本人の一部の嫌韓感情を煽ってしまっている。

 日韓関係を良くしようと思うなら、反日や嫌韓を真面目に報道するのをやめるべきだ。ただ両方の国にこんな困ったことをする人がいると言って笑えるような報道をすべきだろう。

 アーチストも反日や嫌韓に怒るのではなく、パロディーにして笑えるような創作をしたほうがいい。平和を作るうえで大事なのは怒りではない。笑いだ。

6月15日

 武藤正敏さんの「韓国人に生まれなくて良かった」(2017、悟空出版)を読み終えた。

 この本に書かれているような韓国人の「頭よりハートで考える」気質というのはあまり笑えないし、「理性より感情で動く」ということにしても、現実を直視せずに希望的観測で動くことにしても、そういう日本人がたくさんいるからだ。ネトウヨからはチョン認定されたりする人たちだが、大体はれっきとした日本人だ。

 彼らは日本人でありながら常に反日的だし、この本が出版されたことにも、書店で見たら大声で抗議しろなんて言っている。そのツィットが2ちゃんでスレ立てられていたからこの本の存在を知ることができたのだが。

 何でこんなに似ているのかと思うと、おそらく今の韓国人の気質は日本から輸出されたものだったのではないかと思う。戦後の日本の文化人、特に左翼系は、悲惨な戦争に対する反省と称しながらも、敗戦を日本の文化伝統など全てにおいての敗戦と考え、西洋化に邁進することを説いた。日本を否定することが日本人として唯一残された道だと考えていた。そのことは戦後の和辻哲郎の文章を読めばわかる。

 そして、韓国人はこうした戦後日本の文化人たちの教えを忠実に守っただけなのではないかと思う。従軍慰安婦にしても強制連行にしても、最初は日本の学者が言い出したことだし、染井吉野の起源が王桜だというのも日本の学者が言い出したことだった。

 つまり、武藤正敏さんの書いている韓国人の気質とは、実は日本人の気質そのものに他ならないのではないかと思う。熱しやすく冷めやすい、一時の感情で盛り上がり歯止めの利かなくなる多湿性気候のモンスーン型の性格は和辻哲郎の言い始めたことだった。

 戦後70年たって、ようやく日本人がいくらか冷静になった頃、韓国では日本人が失ったモンスーン気質でパククネ政権を打ち倒し、国会の外の民主主義を見事に実践して見せたものだから、韓国は今やパヨクの憧れの国で、多分みんな韓国人に生まれればよかったと思っていることだろう。

 戦後の日本人がアメリカナイズされたように、戦後の韓国人はジャパナイズ(チョッパリナイズ?)され、それぞれ伝統の文化に背を向けて、本人は近代化されたと思い込んでいる。

 俺もまた両親が日教組の教師で左翼の家庭に育ったものの一人だから、「韓国人に生まれなくて良かった」と言える立場にはない。日本人に生まれながら反日教育を受け、今も心の中で過去の反日教育の痕跡と戦っている。

 韓国も北朝鮮同様危険な道に入り込もうとしているのは確かだろう。そしてそれに同調する日本人が多数いるのも確かだ。ただ、自分は違う、韓国人に生まれなくてよかったと思うのではなく、その韓国人を作ったのも日本人だということは、心のどこかにとどめておいた方が良いと思う。

 韓国人の心の内には日本人がいて、日本人の心の内には韓国人がいる。そういうわけで俺も「こやん」という名を変えるつもりは今のところない。

5月29日

 森友問題は疑わしいけど、結局贈収賄のような違法行為が出てこない以上手詰まりというほかない。

 加計問題は前川前文科次官がいかがわしすぎるし、それを今更ながらに英雄扱いしてもかえって疑いが増すばかりで、やはり手詰まり。前川さんが貧困問題と風俗産業の現状についてそこそこ納得の行くレポートでもしてくれたなら、疑いも晴れただろうに、なんて言ったら風俗事情に詳しい人にゴーストさせてレポートをこしらえたりして。いくら反安倍のためとはいえ、まさかそこまではやらないだろうな。

 それに比べると、山口敬之のレイプもみ消し事件の方が本命かもしれない。

 北朝鮮は相変わらずミサイル実験をやってるけど、トランプさんのほうはもう安倍さんへの義理立ては終わったといったところかな。脅しは所詮脅しで武力制裁がないとわかれば、核実験も時間の問題だろう。

 世界の警察なんて面倒でリスクの多い仕事はどこの国だってやりたくはない。安倍さんだって戦争法まで作ったけど、国際貢献しまーすというアピールだけで南スーダンからは逃げ帰ってきた。まあ、いても他の国の部隊の足手まといになるだけだし。

 OECDによると日本のニート率が10.1パーセントらしい。そのニートの定義が「雇用されていなく、かつ教育や訓練を受けていない若年」なら、大学を無償化してニートをみんな大学に放り込めばニートゼロ達成だ。数字のマジックで何の解決にもならないけどね。

5月27日

 放送法第四条は確かに今となっては役割を終えたもはや必要のない法律なのかもしれない。それだけテレビの影響力は絶大ではなくなっている。

 昔はテレビラジオなどの放送メディアや新聞週刊誌などの活字メディアが一般人の主な情報源だった。テレビラジオは放送法によって管理されていたが、新聞や週刊誌などはかなり偏った報道もできた。読者が疑問に感じることがあっても、それを確認する手立てがなかったから、無視することはできても疑問や反論を公にする手段はなかった。

 ネットの普及がそれを大きく変えたのは確かだ。おかしいと思ったことは誰でもネットで公開できるようになった。ただ、テレビが受動的なメディアなのに対しネットは能動的なメディアで、本人に調べようと言う気がないなら、情報は降ってこない。だから積極的にあれこれ検索かけて調べる人間とそうでない人間に大きな情報格差が生じるようになった。

 例の戦争法の問題でも、戦争法に徴兵制が盛り込まれるというデマは確かにネット上で拡散されたが、ただその法案は検索すれば出てくるから、調べた人はすぐに嘘だと見抜けた。

 最近ではフェイクニュースと呼ぶようになったが、その言葉が広まる以前からネットには無数の「釣り」があった。その「釣り」を見抜ける人と見抜けない人とでも情報に大きな格差が生じる。あの植松聖も、それが見抜けず、フリーメーソンの怪しげな噂に振り回されたり、安倍が本当にヒトラーのような人だと信じてたりしたようだ。

 ネットの持つ能動性を利用せずに、従来のマスコミ同様受動的メディアとして利用している人は、こうした「釣り」に容易に引っかかるし、右でも左でも極端な思想に流されやすい。

 特にツイッターは大体似たような考えの人間がフォローし、コメントするから、どこを取っても金太郎飴みたいに同じような意見がずらっと羅列されることになる。それを単純に受動的に見ている人間は、世間の声がそれ一色であるかのように勘違いしてしまう。

 ネトウヨとかパヨクとか呼ばれる人種は、結局そういうネットを能動的に活用せずに、相変わらず受容的に見ている人たちなのだろう。一方では自分たちの主張とほとんど同じ声が大量に書き込まれていて、そこに突然それを非難する大量の書き込みが来て炎上したりするのを見ると、なにやら強力な政治的圧力が加わったと勘違いする。

 ただ、ネトウヨもパヨクも書き込みの件数が多いだけで、どちらも結局はかなりの少数派なのは確かだ。ネット上にも明らかにサイレントマジョリティーが存在する。大きな声は上げないけど、左右両方の主張を草草言って笑いながら、バランスを取っている人のほうがむしろ主流なのではないかと思う。

 2チャンネルを読むときも、大体いつも見ていればいつも同じようなコメントがあるのがすぐにわかる。そういうのは無視して読むべきものだとわかれば結構有益なのだが、それがわからない人はただ不快感だけで終わってしまうことになる。

 ネトウヨでもパヨクでもない一般的なネットユーザーはネトウヨパヨクの書き込みに自分でフィルターをかけて無視して読んでいる。そしてその感覚はマスメディアの報道にも適用される。マスコミの報道は昔みたいな唯一の情報源ではないから、それはネット上の書き込みの一つのようなものだ。変だなと思った情報はたとえNHKだろうが三大新聞だろうが疑う。特に報道に掛けられているバイアスには敏感に反応する。

 テレビニュースや報道番組の情報を盲目的に信じる人が減り、バイアスを差し引いて理解する習慣が身についていれば、たとえ偏った放送をしても影響は限定的だし、むしろ偏りすぎることで報道への信頼性が失われることから自浄作用が働く。視聴者や読者はより正確な情報を提供するメディアに向うことで、偏りすぎた報道機関は淘汰される。国が法律を決めて何ちゃらではなく、こういう自浄作用のほうがより報道を公正なものに導く。つまり放送法第四条はいらなくなるのではないかと思う。

 今のマスコミにどの程度の影響力が残っているのか、加計学園問題は一つの試金石になるだろう。前川さん、一躍ヒーローじゃん。天下り問題は部下思いの人情ある次官の美談にすり代えられ、援交スキャンダルすら監視社会の恐ろしさを象徴するものになった。笛は吹かれた。だが国民は果たしてどれだけ踊ってくれるか、推移を見守ろう。

 ネットが普及する以前だったら、既に戦争法のときに安倍内閣は退陣に追い込まれていたかもしれない。一般市民の十万人のデモが国会前を覆い尽くたしなんて報道されたら、昔だったら自民党も党の存続のために安倍降ろしを始め、谷垣暫定内閣あたりが誕生してた可能性はある。ただ、あれがプロ市民の水増しされた人数だということがバレバレだったので、政権を追い詰めることはできなかった。

 「そもそも」という言葉は最近では「そもそも論」という言い方があるように、物事の基本的な議論という意味を持っている。「基本的な議論になるが」=「そもそも」でいいのではないかと思う。辞書にはまだ載ってないだろうけど。

5月24日

 ケナタッチ国連特別報告者が日本政府の共謀罪制定に対し重大な懸念を表明するとともに公開質問状を書いたことが広く報道されている。

 まずこの国連特別報告者とは何者かということだが、ウィキペディアによれば「国際連合人権理事会から任命され、特定の国における人権状況や主題別の人権状況について調査・監視・報告・勧告を行う専門家である。」という。政府や組織からの独立性を保つために個人の資格で任務を行うとあるから、今回の公開質問状も個人の資格で提起されたものと考えていいのだろう。別にこの問題に関して何らかの国連決議があったわけではない。

 この質問状はネットでも公開されていて、翻訳されたものもある。それを読む限りでは、ほぼ日本の左翼系野党の主張していることをなぞるものであることがわかる。ケナタッチ氏の独自な見解というものは見られない。おそらく日本に調査しに来た時に会談した日本のNGO関係者などの言い分を、ほぼそのまま文章にしたものであろう。

 これは別に不思議なことではない。人権問題のエキスパートとして国連特別報告者に任命されているのだから、日本の人権問題の専門家とそんなに違う考え方を持っているはずはない。これは国連の意見というよりも世界の人権問題の専門家の共通認識といっていいのではないかと思う。ただ、人権問題の専門家の常識が我々一般庶民の常識と同じかというと、そうではないから違和感を感じるのだと思う。

 別に日本の左翼がちくっただとかロビー活動したとかそういうのではなく、人権派というのは世界共通なんだと考えた方がいい。

 日本で「安倍政治を許さない」と言っているように、アメリカでは「トランプ政治を許さない」と言い、フランスでは「ルペン政治を許さない」と言っているようなものだ。日本でアッキード問題が起これば、ほぼ同時にアメリカでロシアゲート事件が起こる。どちらも韓国での政権交代を理想とし、マスコミと反体制政治家たちが結託して同じことを起こそうとしているようにしか見えない。

 国連報告者といえば、デビッド=ケイ国連報告者も、日本における「表現の自由」の現状について日本政府に報告書原案を提出したという。

 この原案はネットでは見つからなかったが、放送法4条の撤廃などを求めているという。あの悪名高い記者クラブ制度について言及があるのかどうかは不明。

 放送法第四条はぐぐればすぐ出てくる。

 

「第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

 一  公安及び善良な風俗を害しないこと。

 二  政治的に公平であること。

 三  報道は事実をまげないですること。

 四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

2  放送事業者は、テレビジョン放送による国内放送等の放送番組の編集に当たつては、静止し、又は移動する事物の瞬間的影像を視覚障害者に対して説明するための音声その他の音響を聴くことができる放送番組及び音声その他の音響を聴覚障害者に対して説明するための文字又は図形を見ることができる放送番組をできる限り多く設けるようにしなければならない。」

 

 この四条が問題となるのは、

 

「第三条  放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」

 

とありながら、事実上、犯罪を煽るだとか報道の公平性を損なうだとかいう理由で政府が報道内容に介入できるという点だと思われる。

 逆に言えば、放送事業者は特定の政治的運動に加担したり支援したりする権利があり、そのためには一方的な報道やニュースの捏造も許されるし、暴動などの犯罪を煽る権利もあるという考え方があると思われる。四条を撤廃すれば、それは解禁される。

 確かに時々報道の公平性って変だなと思う時もある。たとえばブラックバスが日本の生態系を乱している問題に対して、必ずブラックバスを放流している側の意見も併記しなければいけないのは何か変な気がする。だったら快楽的無差別殺人事件があったときでも、快楽的無差別事件を起こす側の主張も併記すべきであろう。まあ、人間の言うことは少なからず偏るもので、絶対的な公平はない。だからまあ、努力目標ってことなんだろうけど。

 今のマスコミのお偉方は、ちょうど全共闘世代か、それが終わった後も学生運動を続けていた世代で、一般企業に就職できないから試験を受ければ通るマスコミ関係に就職した人も多い。そうした人たちは今でも若い頃の革命の夢が忘れられず、フランス革命の時の新聞の果たした役割なんかを金科玉条とし、公正な報道どころか、むしろ革命を起こすための報道に心血を注いでいるだと思う。目的遂行のためなら捏造も許されると思っているふしがある。

 まあ、関係主義哲学によれば、真理は社会的関係によって決定されるものだから、体制が変われば昨日までの真理は虚偽となり、昨日までの虚偽は真理となるという思想もあるのだろう。客観的な真理などというものは真理という「物」があるかのような物象化に他ならず、真理はあくまで主体的に作るものだ、というわけだ。

 サルトル的なフランス実存主義も基本的には存在を作るものと考えるため、真理もまた「あるところのもの」ではなく「ないところのもの」であり、人間が主体的に作るものだとしている。その際、複数の真理が対立した場合は「愛の闘争」によって決着が付けられる。要するに真理は戦って勝ち取るもので、そのさいには暴力も肯定される。

 近代哲学は帰納法が真理の近似値にすぎず、演繹法は必ず矛盾に陥るため、絶対的真理は不可能だという結論に達した。そして、「ない」なら作ればいいというのが実存主義や関係主義の考え方だった。

 戦前の社会主義は科学的社会主義という言葉もあるように、基本的には社会変革を科学的理論によって正当化しようとしてきたのだが、マルクスの時代の科学が急速に古くなり、様々な形で否定されてゆく中で、新左翼と呼ばれる戦後のマルクス主義者たちは科学の客観性を否定し、科学的真理は主体的に作るものだとした。そして、「実証」という言葉は革命を起こすことを意味するようになった。革命が起こり、多くの人がそれを真理と認めたなら、その時点でその学説は実証されたことになる。

 報道の真実に関しても、放送局が一定の政治思想に基づいて作るべきもので、それによって社会変革が起こり、反対意見が一掃されたならそれは「事実」となる。

 左翼や人権団体が求めている放送の自由とは、客観的報道に縛られることなく主体的に事実を作ることができるような放送の自由にほかならないと思う。

 南京での30万人もの大虐殺も、朝鮮半島での30万人の従軍慰安婦強制連行も、歴史は検証不能で証明はできない。だから作るのだ、というのが彼らの理論だ。それが真理として認められるような世界へと社会を変革するのが彼らの目的だ。

 これは別に日本の左翼の固有の問題ではないし、ましてかれらが朝○人だからということではない。世界中どこへ行っても左翼というのはそういう人種なんだと思ったほうがいい。

5月23日

 共謀罪、正しくは「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律の一部を改正する法律案」が衆議院を通過した。昨日は46年前の中核派のテロリストが逮捕された。そして今日の午前中にはマンチェスターのテロのニュースが飛び込んできた。

 イギリスでテロ事件が多いのは今に始まったことではないし、こういう国なら共謀罪も必要だし、共謀罪があってもやはりテロを防ぎきれない現実がある。

 それにひきかえ、日本は七十年代の連合赤軍を最後に深刻なテロ事件はほとんど起きていない。オウム真理教の事件があったが、それくらいだろう。共謀罪があってもテロの起きる国もあれば、共謀罪がなくてもテロの起きない国もある。今の日本の場合確かに必要ないって言えば必要ないのだろう。ただ世界に対し、テロ対策をやってますというポーズをとるための法律のようなものだ。

 今回の法律はまず懲役四年以上に相当する犯罪を実行する「団体」、つまり、共同の目的を有する多数人の継続的結合体であって、その目的又は意思を実現する行為の全部又は一部が組織(指揮命令に基づき、あらかじめ定められた任務の分担に従って構成員が一体として行動する人の結合体をいう。以下同じ。)により反復して行われるものにしか適用されない。

 ネットで社会に恨みを持っていて、それでいて今にも自殺しそうな人を探し出し、そういう人間をそそのかして自爆テロをさせたとしても、「団体」に属してない以上、事前に監視することもできない。

 「団体」に属しているなら、少なくともその情報を得た時点で様々な形で監視することができるし、コンサート会場のセキュリティーをあれこれ調べてたりするような挙動不審があれば、その時点で共謀罪でしょっ引くこともできたかもしれない。ただ、「団体」に属してなければまったくの不意打ちだ。

 今時のテロに鉄の結束力を持つ強固な組織は必要ない。ただ偏ったバイアスのかかった情報を流し続けていれば、誰かがそれに共鳴して何かやらかしてくれる。

 昔みたいに爆弾を作る必要すらない。はからずも秋葉原通り魔事件の犯人がそれを証明してしまった。爆弾はなくても盗んだトラックで走り出すだけでテロはできる。

 自爆テロもフランスでカミカゼと言われているように、テルアビブ乱射事件に起源があるとすれば、テロの後進国だからこそ斬新なテロのアイデアが生まれるのかもしれない。

 おそらく「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」の改正法が施行されても、日本は相変わらず平和だろう。これまでも有事立法や特定秘密保護法や安全保障関連法が制定されるときはいろいろ騒ぎはあったけど、結局庶民の生活は何一つ変わっていない。結局みんな世界に対し日本はこういう対策をやってますというアピールをしたかっただけで、そんなに必要な法律でもなかったのだろう。

5月22日

 いろいろと世間をにぎわしている共謀罪だが、正しくは「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律の一部を改正する法律案」という。これではあまりにも長ったらしいので、略して「組織犯罪処罰法改正案」という。

 ネットでぐぐれば、組織犯罪処罰法改正案全文というのが出てくるが、注意しなくてはいけないのはこれは「改正案」だが全面改正ではなく、一部修正し、いくつかの条文を付け加えるというもので、「全文」書いてあるからってそれを読んでも、修正部分と付け加える部分しか出てこない。つまり、これだけ読んでも意味はない。

 改正案である以上、元になっている組織犯罪処罰法と合わせて読む必要があるし、合わせて読まなければ意味を成さない。

 たとえば共謀罪にあたる部分は、

 

「第六条の次に次の一条を加える。

 

第六条の二 次の各号に掲げる罪に当たる行為で、組織的犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。次項において同じ。)の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。」

 

 これだけ読むと、何を以てして「組織的犯罪集団」と呼ぶのかまったくわからない。それこそ、居酒屋で同僚と酒を飲みながら、「あの上司気に食わないから一度ぶんなぐってやろうか」「そうしよう、そうしよう」で共謀罪になるような印象を与えるが、組織犯罪処罰法(正確には「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律」)の第一章第二条にこうある。

 

 「この法律において「団体」とは、共同の目的を有する多数人の継続的結合体であって、その目的又は意思を実現する行為の全部又は一部が組織(指揮命令に基づき、あらかじめ定められた任務の分担に従って構成員が一体として行動する人の結合体をいう。以下同じ。)により反復して行われるものをいう。」

 

 居酒屋でたまたま意気投合した二人がここでいう「団体」でないのは明白だ。この二人が団体とみなされるには、この二人が多人数の組織に属していて(仮に労働組合であったとする)、そこに指揮命令系統があって、つまり組合の指示があって、反復して行われている、つまりこれまでも何度も上司を暴行する事件を起している、というところまでいかなければ団体とはみなされない。

 しかも、この団体が「組織的犯罪集団」になるには、この集団暴行を「結合関係の基礎としての共同の目的」としてなけらばならない。つまり、日頃から上司に暴行を働くことを目的とした組合でなくてはならない、ってそんな組合があるか!

 まあ、ブラック企業をやっつけようという意図で、ブラック企業の社員たちが居酒屋で会合を重ね、ちゃんと隊長も決めて「パワハラ上司滅殺隊」とかいう中二病集団を作って、気に食わない上司に対してリンチを繰り返してたなら、共謀罪の適応もありうるというわけだ。

 カレーを作ったら共謀罪というのも同じことで、まず毒入りカレーをばら撒いて大量殺人を実行するためのきちんとした命令指揮系統のある組織を作り、継続的に活動を続ける必要がある。組織名を仮に「華麗なる無差別殺人クラブ」とでもしておこうか。

 茸を採っても共謀罪というのは、当然ながら茸の不法採集を目的とする命令指揮系統のある継続的な組織が存在することが前提となる。保安林での森林窃盗罪は最高5年の懲役が定められているので、共謀罪の対象となる。共謀罪に反対するなら、実際にそのような組織を作って裁判で争うというのも手だ。名前は「保安林で茸を採って共謀罪になるかどうか試す会」でいいんじゃないかと思う。

 まあ、完全な法律というのは存在しない。実際に不都合なことが出てきたら、そのつど修正してゆくのがどんな法律にも必要なことで(憲法とて例外ではない)、そのために裁判という制度もある。日本の唯一の立法機関である国会を通過してしまったなら、あとは実際に判例を繰り返しながら、どこまでが共謀罪でどこまでがそうでないのか決めてゆくというのが民主主義のルールだ。

5月18日

 北朝鮮の脅威に関しては一部で議論が混乱していて、北朝鮮が日本にミサイルを撃ってくるはずがないのに脅威ばかり煽り立てて空騒ぎしているだとかいう人は根本的に勘違いをしている。

 北朝鮮のミサイル実験は別に今に始まったことではなく是までも何度となく繰り返されてきたし、それが日本に着弾したためしはない。当たり前だ。そうでなくちゃ「実験」ではない。本当に日本に着弾したらそれは実験ではなく実戦だ。

 北朝鮮が本気でいきなり日本に向けてミサイルを撃ってきたら、それこそ国際世論が黙っちゃいないし、アメリカを中心とする勇士軍が制裁を行い、それは北朝鮮の最後を意味する。だからやるはずがない。

 要するに、誰も北朝鮮のミサイル「実験」で日本にミサイルが飛んでくるなんて考えてないし、あったとしても日本を飛び越して太平洋に落とすつもりが飛距離が伸びなかったか何かで、誤射といっていい範囲だ。

 ここに来て急にミサイルが日本に降ってくる危険が生じたのは、アメリカがシリアに対してサリン攻撃の報復を行ったことで、にわかに北朝鮮でも核実験が行われれば軍事制裁を行うのではないかという観測が広がったからだ。

 アメリカが軍事制裁に出れば、在日米軍基地が北朝鮮のミサイル攻撃の対象となる事は十分想定できる。それは日本にミサイルが落ちてくることを意味する。

 北朝鮮は今のところ新たな核実験は行っていない。ミサイル実験に関してもかなり慎重になり、発射したミサイルを自爆させてアメリカの出方を窺い、攻撃はないと判断したのか、この前の日曜日にミサイルを日本海に落とした。今後も軍事制裁はないと判断すれば、早かれ遅かれ核実験も行うであろう。要はアメリカの出方を窺いながらぎりぎりまではやるという「瀬戸際外交」が健在なだけだ。

 アメリカが軍事制裁に踏み切らない限り、日本にミサイルが降ってくる可能性は限りなく低い。日本政府がアメリカ政府ときちんと連携し、軍事制裁に踏み切る時には何らかの連絡を受けるようになっているなら、連絡のない間は花見をしてもゴルフをしても外遊していても問題はない。

 北朝鮮はこちら側から攻撃しない限りミサイルを撃ってこない。だからといって北朝鮮は安全な国で安倍の方が危険だだとか言うのも正しくない。

 北朝鮮にとって武器は自分の国を守るだけではなく輸出産業でもあることを忘れてはいけない。北朝鮮はミサイルの輸出国だし、今回シリアで使用されたサリンも北朝鮮製の疑いがある。

 北朝鮮が核開発とICBM開発に成功したなら、それは自分の国を守るだけではなく、世界の独裁国家やテロリスト集団に販売される可能性がある。お金持ちのISあたりが買うかもしれない。核弾頭を乗せたICBMが世界中の危険な連中の手に渡れば、それは世界全体の脅威になる。それが一番厄介な問題だ。

 その時になってから軍事制裁をしようとすると、今度はアメリカ本土はもとよりアメリカに同調する勇士軍の国にも核ミサイルが降ってくる可能性が生じてしまう。

 だからそうなる前に早いうちに核開発とICBM開発をやめさせなければならないというのは、世界の声でもある。ただこれまで太陽政策と称して、何とか援助と引き換えに軍事開発をやめさせようとしてきたが一向に効果がなかった。そこで国際的にもそろそろ軍事制裁が必要なのではないかという声が上がってきている。

 今回アメリカは瀬戸際外交を続ける北朝鮮に対し、今にも攻撃するかのような態度を取って瀬戸際の脅しをかけた。それでも止められないとなると、早かれ遅かれ本当に軍事介入することになるだろう。それが日本の「爆弾が落っこちる時」になる可能性は十分ある。

5月17日

 人の結婚はお目出度いことで、別にそれに水を差すつもりはないが、これでまた女性宮家の問題が再浮上して、せっかくまとまりかけた退位法案がふり出しに戻ることだけは避けて欲しい。あれはあれこれはこれで切り離して議論されることを祈る。

 女性宮家の問題というのは、簡単に言えばたとえば眞子様が宮家を創設した場合、夫の小室圭さんの立場がどうなるのかという問題だ。

 小室姓で宮家はありえない。そんなことをしたら、眞子様が皇位についたとき、小室王朝の誕生になってしまう。王朝そのものが変わってしまうのだからこれは革命だ。本来の意味での易姓革命になる。

 それなら小室さんが婿養子に入る形で小室さんが姓を失うのか。これはこれで小室さんのこれからの社会生活に支障をきたす恐れがある。

 ならば夫婦別姓を特例的に認めればということで、それはそれで一応の解決にはなる。夫婦別姓の一般化の問題とリンクさせるとまた話がこじれる。

 次の問題は眞子様と小室圭さんとの間にお目出度く男児が誕生したとする。そうなるとこの子は宮家に属するのか小室家に属するのかという問題が生じる。

 小泉内閣の時代にもう少しで国会に提出される所だった皇室典範の改正案では、女帝は一代限りでその子孫は皇位継承券を持たないことになっていたという。眞子様と小室圭さんとの間に男児が誕生した場合、これに従って皇位継承権を持たないというなら、とりあえずその子は小室姓を名乗り、民間人として生きていけばいいことになる。

 皇位継承権を持った場合は、その子は宮家に属し、姓を持たないことになる。昔だったら皇位継承した時点で小室の父さんが天皇の父という立場になって権勢を振るうことになるかもしれないが、今の実権のない天皇制ではそれほど問題ではない。

 皇室典範の見直しの問題が、皇位継承者不足の問題からきているのであれば、小泉時代の改正案は一時的な気休めにしかならない。あの時はたまたま悠仁さまの誕生で立ち消えになったが、今後皇位継承者不足が解消されるという保証はない。生まれてくる子供が男か女かはそれこそ天にまかせるしかない。

 女性宮家の創設は、その場しのぎの法律では一代限りでいいかもしれないが、それで対応できない事態がその後生じた場合は、ふたたび女性宮家の子孫が皇位継承できるように改正しなくてはならなくなる。

 どっちにしても、最低限易姓革命を防ぐなら、女の腹は借り物ならぬ男のち○ぼは借り物と割り切るしかないだろう。

 ただ生物学的に遺伝子を継承できればいいと言うのであれば、何姓になろうが問題ではないが、そこまでドライに割り切ることは難しい。

 旧宮家の子孫を皇族に復帰させるという考え方もあるが、何代も経てとっくに民間人になった子孫が突然天皇になるなんてのもちょっとしたコメディーだ。それも面白いけどね。

 あとは神風が吹くことを祈るか。

 それと、今の天皇制では別の意味で天皇は人間ではない。いわゆる憲法の定める基本的人権の例外になって、あらゆる自由が失われている。天皇陛下と持ち上げておいて、事実上宮内庁の奴隷だ。そこも何とかならないか。

4月25日

 前回の金日成主席生誕105年記念日と同様、今回も北は核実験を見送り、代わりに大規模な砲撃演習をやった。一応アメリカの脅しが効いていて、さすがに核実験やミサイルの公海上に落とすのはやばいと思っているのだろう。

 ただ、今回は踏みとどまったというだけで瀬戸際外交路線は今後も継続するし、核開発もICBM開発もやめたわけではないから、北の脅威が収まったわけではない。多分、アメリカのカール・ビンソンが帰ったら、その隙にまた何かやりそうだ。

 とりあえずカール・ビンソンのいる一ヶ月間は爆弾は降ってこないとは思うが、だからと言って北を抑える効果的な方法が見つかったわけではないので、問題は先送りされただけだ。

 北をぶっ潰した後在韓在日米軍を撤収させるあたりの取引で中国が協力してくれれば、一気に問題が解決する可能性もあるかもしれない。トランプも最初は在韓在日米軍の撤収をうたっていたのだし。ただ、そうなるとアジアでの中国の影響力は測り知れないものになり、日本は独自の防衛を考えなくてはいけなくなる。

 フランスはオランド大統領、カズヌーブ首相、フィヨン元首相、アモン前国民教育相があいついでマクロン支持を表明した。昔だったらこれでマクロン決定となるところだが、今の時代は却って既存の二大政党への批判票が一気にルペンの方に行ってしまう可能性がある。

 特にルペン包囲網が政策的に一致しないため、対案のない批判ばかりを繰り返し、政策論争が霞んでしまうと、反安倍勢力や反トランプ勢力と同じ過ちを繰り返すことになる。まして反ルペンでデモが暴徒化したのは、かえって強いルペンを国民に印象付けることになる。口でかなわないから暴力に走ったと見られてもしょうがない。

4月20日

 カール・ビンソンを中心とする第1空母打撃群が朝鮮半島へ向かっているというニュースを最初聞いた時、確かに今シンガポールを出たのに何でそんなに時間がかかるんだとは思った。だから北が核実験した場合は第1空母打撃群抜きで制裁を行うと思っていた。まあ、謎は解けた。別に嘘を言っていたわけではない。ただインドに寄ってからというのが省略されていただけだった。

 中国政府は一貫して、かつての朝貢国は中国の一部だと主張している。韓国は朝貢国だった。ゆえに韓国は中国の一部だった、というのが習近平の論理で、トランプはただそう説明を受けたと発言しただけ。もちろん、この論理だと琉球も中国の一部だったということになり、日帝の侵略によって奪われたという主張になる。今回はたまたま朝鮮半島有事の問題を話し合ったからそうなっただけで、沖縄問題についても同じようにトランプに「沖縄は中国の一部だった」と説明する可能性は十分ある。

 中国が北朝鮮を潰したくないのは、ここを中国の領土として復帰させたいという思いがあるからで、要はアメリカにとられたくないということだ。そのためにあえてそういう説明をしたのだろう。アメリカが単独介入して北朝鮮を潰せば、朝鮮半島全体に対するアメリカの影響力は確固たる物になる。アメリカもシリア制裁で脅しをかけたが、中国も多分そんなことをすれば米中戦争になると脅しているのではないかと思う。これで北朝鮮問題は今までどおり膠着状態になり、笑うのは金正恩。

 

 民進党は「天皇陛下の退位に関する皇室典範特例法」の「天皇陛下」を「天皇」に変えろといっているが、その意味はわからないでもない。「天皇陛下」といった場合天下にただ独り今上天皇のみを指す。「天皇」といった場合、歴代天皇はもとより未来の天皇まで含めて天皇一般を指す。

 つまり、「天皇陛下の退位に関する皇室典範特例法」なら今の天皇一代限りの特別立法で、「天皇の退位に関する皇室典範特例法」なら恒久法となる。

 今の天皇陛下の御体調を考慮して、速やかに退位のための法整備をするというのではなく、むしろここにあえて自民党との合意が取れそうにもない皇室典範の改変を提起して、足を引っ張ろうとする作戦に間違いない。

 そうやって何一つ決まらないうちに崩御となれば、多分「安倍が殺した」って騒いで、鬼の首を取ったように責任追及し、不信任案を提出し否決されるといういつものパターンだ。それで国民にはここまで頑張りましたがあと一歩届きませんでした。それにつきましては次の選挙で我党に、というところなのだろう。

4月17日

 今回は北朝鮮の勝利といっていいだろう。アメリカは体制を変えないと明言したし、ミサイルを発射しても公海上に出る前に爆破すればOK、という前例がしっかりと出来た。

 これから先、仮に制裁があったとしてもシリアで行ったようなトマホークで軍施設の表面を攻撃する程度のもので、北朝鮮の瀬戸際外交は今後も続くし、核開発もICBM開発も継続されることになる。

 日本にミサイルが落ちる心配も先送りされたし、野党はこれからも安倍内閣を退陣の追い込むことが第一のアベファーストが続くだろう。安部を退陣させるというのは、要するに日本を不景気にしてアベノミクスを失敗させればそれでいいということか。簡単なことだ。今まで通り低賃金長時間労働に甘んじ、金持ちや遊んでるやつの足を引っ張り、1円でも安いものを選んで買って、万人が等しく貧しくなるようなことをやればいい。

 雨にも負けず風にも負けず、自己犠牲を賛美し、会社のために過労死することを美徳とすればいい。

 トランプも安倍も腰砕け。最初の威勢のいい言葉はどこへ行った。ここ数年右翼に新しい潮流が出てきて面白くなるかなと思ったけど、結局それが成熟する前に旧来の右翼に乗っ取られてしまったみたいだ。

 トランプの公約はうやむやになり、いつの間にか共和党主流派の言いなりだし、安倍は日本会議の言いなりだ。金正恩とバグダディが笑ってる。

4月9日

 今日の新聞によるとトランプの娘婿、イヴァンカさんの夫のクシュナーが影響力を強めていて、トランプの側近のバノンを押しのけて天下を取ろうとしているようだ。

 もう世界の警察を辞めるみたいなことを言ってたトランプが、ロシアと手を組んでイスラム国を叩くといってたトランプが豹変したのは、この辺のお家騒動の事情があったのか。

 今回のシリア攻撃はヒラリーさんも絶賛で民主党内の支持も得て、分断を解消するには戦争しかないということか。共通の敵を作れば、それまで争っていた人たちも手を結ぶ。わかりやすい。

 これでますます日本のマスコミや野党は困惑するばかりだ。これまでのトランプの独裁対自由を求めるアメリカの民衆運動という対立図式で報道していたが、根底から崩れそうだ。

 クシュナーはユダヤ人だから、これからはアメリカファースト=イスラエルファーストになりそうだ。

 原子力空母カール・ビンソンを中心とする第1空母打撃群が朝鮮半島に向かっている。表向きは米韓合同軍事演習のためだが、あるいはということもある。

 トランプ・習近平会談でも具体的な結論は出ず、中国が新たな制裁を取ることも期待薄となるとますます状況は悪い。

 とにかく「爆弾が落っこちる時」が杞憂に終わることを祈る。

4月7日

 あれーっ?アメリカはロシアと組んでイスラム国をやっつけるんじゃなかったの?サリン攻撃に対する異様に早い対応と変わり身の早さ、一体何が起きているのか。まあ、多分ホワイトハウスは一人の人間で動いているのではないからこういうことも起きるのだろうな。マッドドッグのマティスさんもいるし。

 ロシアには事前に通告していたらしいが、裏で合意があったかどうかだな。ロシアの方もそろそろアサドがお荷物になってきて、見限るきっかけにしたいなら、アメリカも上手くやったといえるだろう。プーチンも表向きはアメリカを非難しているけど、本音はどっちだろうか。

 習近平との会談中ということで、当然シリア問題は来た朝鮮問題とリンクしてくる。当然習近平に北朝鮮を見限ることを促すだろう。ただ、いきなり手のひらを返して見放すわけにも行かないから、そこを外見上どう体面を取り繕うかの問題になる。そこで何かいい考えがあるのなら、北朝鮮軍事攻撃は速やかに行われるだろう。

 ロシアにしても中国にしても合意なしに軍事介入なら泥沼化のリスクが大きい。下手すると第三次世界大戦にもなりかねない。だから合意はできているものと信じたい。体面があるから合意を公にはできないだろうけど。

 今回のアサド政権攻撃に対しマスコミのコメントは歯切れが悪い。アメリカの暴挙だと非難すると、ならサリンを撒いても良いのかになるし、アメリカを賛美すると軍事行動を美化することになる。在日シリア人のただ不安なコメントを紹介するだけで、それ以上どうするかはまだ会議中なんだろうな。野党の方の声明も聞こえてこないし。

 ただ、今回の件で北朝鮮の軍事介入の公算は強まった。ミサイルが落ちてこなければいいが。昔のブルーハーツの唄を思い出す。

 

 爆弾が落っこちる時何も言わないってことは

 爆弾が落っこちる時全てを受け入れることだ

 

 でも一体誰に何を言うべきなのか、それがわからないから困っている。

4月6日

 ここんとこ鈴呂屋俳話の方ばかりで日乗の方を書いてなかったが、何やら北朝鮮情勢がかなりやばくなってきている。

 トランプもオバマケア代替法案撤回で求心力が低下し、株もじりじりと下がりだしてトランプラリーからトランプスランプになっている。「トランプスランプ」という言葉を聞くとスーパースランプというバンドがあったことを思い出してしまうが、あれってやっぱスーパートランプから取ったんだろうな。

 とにかくそんな情態だから、トランプ・習近平会談が不調に終われば更に求心力が低下し、共和党内の強硬派を押えきれなくなって暴走、北朝鮮軍事介入なんてあまり考えたくないシナリオもついつい考えてしまう。

 軍事介入の通告を受けても安倍さんはアメリカファーストだから「いいよいいよ」と言ってしまいそうだし。

 そうなったら北も破れかぶれで、さすがに核攻撃まではないとは思うが通常ミサイルを在日米軍基地に撃ってくる可能性はある。しかも北のミサイルの精度を思うと、正確に米軍基地に落ちるかどうかはわからない。まあ、そうなったら左翼は安倍が落としたって言うんだろうな。

 韓国は政治的空白が続いているし、日本の野党は森友、今村、共謀罪にかかりっきりで北朝鮮にもシリアにもあまり関心がない。日本が本当に戦争に巻き込まれるかもしれないというのに、その辺が余計にやばい。

2月26日

 もう一つラノベネタで、今回は白鳥士郎さんの「りゅうおうのおしごと」。

 最初タイトルだけ見て召喚師だとか竜騎士だとかファンタジー系かと思ったが、将棋の竜王ね。

 といっても将棋は子供の頃やったが、クラスメイトに十五連敗し、やればやっるほど弱くなるというか、最後など相手の角一つで負けてしまってすっかり心が折れて、それ以来将棋はまったくといっていいくらいやってない。まあ、駒の動かし方を知っているというだけで、定石も何も、簡単な手筋すら何一つわからないで闇雲に駒を動かしてただけだから、当然といえば当然だったのだろう。

 まず掴みはシモネタから入り、そのあとは少女が降ってきて、あとはラノベの王道を行く展開となった。ツンデレキャラ、中二病キャラ、そしてハーレム展開で、バトルシーンもまずまず盛り上げてくれる。このあたりは手堅い。居飛車穴熊だ。

 ラノベというのは将棋に似ているのかもしれない。こういうふうに書けば売れるという定石の研究が進んでいて、上手くそれを組み合わせながらストーリーを組み立ててゆく。ただ、あまり王道すぎてもまたかという感じになってくる。時には定石にない手を打って、先が読めないぐだぐだな展開になりながらも最後はきちっと落ちをつけてくれるみたいなのがあっても面白いのではないかと思う。失敗するとぐだぐだなまま三巻で終わるという「聖断罪ドロシー」になったりするが。(でもそれをやってくれる所が十文字さんの面白さでもある。)

 竜王というと、最近のあのスマホ問題の時に悪役を演じた竜王さんがいたが、「あい」という名前もAIを意識したのかな。並外れた計算能力と記憶容量はひょっとしたらグーグルがひそかに開発したロボットだったりして、とかそいういう落ちはさすがになさそうだな。

 「あい」はディープラーニング型で、「天衣」はBonanzaメソッド型か。

2月19日

 建国記念日から一週間。そういえばあの時ネットで建国記念日をおにぎりの日に使用なんてのがあったな。

 おにぎりも具材を工夫したりすれば結構豪華になるし、おにぎりパーティーだったら屋内でも屋外でも出来る。寒いけどね。梅見くらいはできる。

 ただ問題はおにぎりに使われる海苔が恵方巻とかぶるというころかな。恵方巻自体が海苔の需要の落ちる二月に海苔を消費するように大阪の海苔組合が始めたものだったが、これでおにぎりの日がほぼ一週間後となると、今度はのりの価格が高騰しやしないか。そこは業界と相談しながらキャンペーンを張った方がいい。

 恵方巻のようにコンビニを味方につけるとすぐに全国に広がりそうだが、バレンタインと被るからスペースの問題はある。

 まあ、おにぎりに海苔は不可欠というわけではないし、塩むすび、胡麻むすび、焼きおにぎりなどもあるから、恵方巻で余った海苔をさばく程度でいいだろう。

 ついでに建国に掛けて古代米のおにぎりを広めるといいのではないか。古代米は最近その良さが見直されているし、赤米・黒米・黄米・紫米など五色の米を復活させれば彩りもいい。

 おにぎりは「おむすび」ともいうから、高菜のおむすびを「たかむすび」、干瓢のおむすびを「かんむすび」と神様の名前で呼ぶのはどうだろうか。

 建国の日のおにぎりは案外悪くない発想だと思う。

 ただ、建国というとまた史実ではないとか騒ぐ筋もあるだろうな。まあ、神武天皇はイギリスのアーサー王のような伝説に属するもので、そこはあまり突っ込んでもしょうがないかと思う。建国のファンタジーとして楽しむ方がいい。

 諡号の「かむやまといわれひこ」も中国の「神仙盤古」の直訳だし、天武・持統の時代には道教が流行して天皇の称号も道鏡の神様天皇大帝から来たくらいだからな。「仙」は字をばらすと「山」と「人」になる。

 六十年代に騎馬民族説が流行した時には、神武天皇は朝鮮半島から来た侵略者で、今の天皇は実は韓国人だという説がまことしやかに広がった。

 何のことはない。あの侵略戦争を天皇制が悪い、君が代が悪い、日の丸が悪いといってた連中は、ひそかに日本の侵略戦争の原因を朝鮮人の血筋に押しつけ、自分たちは縄文人の末裔だからって免罪していたんだ。そして、縄文時代を原始共産制のユートピアに仕立て上げていた。

 手塚先生の「火の鳥、黎明編」でも、神武天皇に似せた人物を侵略者として描き、村人を集めて取り囲み一斉射撃するという、南京事件を髣髴させる残虐な場面を描いていた。結局あの時の残虐な行為も暗に韓国の影響だといっているようなものだ。

 俺が詩人会議にいた頃も、年配の共〇党員は案外嫌韓なんだと思った。

 ネトウヨは何かと左翼のことをチョンだというが、左翼も根っこの所では天皇やそれを崇拝する右翼のことをチョンだと思っている。去年の流行語の「日本死ね」も深層のところでは「チョン死ね」なのかもしれない。日本がチョンの立てた国なら「日本死ね」は「チョン死ね」になる。

 民族感情というのは人間の自然な感情だから、隠しておいてもどこかでそれが表れてしまう。騎馬民族説はその良い例だ。

 沖縄デモでも、西洋崇拝者のはずの左翼があれほど反米感情をむき出しにするのは、単に資本主義だとか言うだけでなく、太平洋戦争の恨みを一番引きずってるのが左翼だからではないかと思う。

 日本の侵略戦争が幕末の西洋列強の脅威に恐怖を感じ、過剰反応した志士たち、特に吉田松陰によって発案され、明治政府に継承されたのは明白な事実だ。

 それを隠そうとして、侵略戦争の原因を天皇や君が代や日の丸に押し付け、神武建国を嫌悪する。その底にあるのは実は嫌韓だったとしたら、ネトウヨを笑えない。

2月8日

 久しぶりのラノベネタになるが、おかゆまさきさんの『マルクスちゃん入門』を読んだ。おかゆまさきさんは1979年生まれで『撲殺天使ドクロちゃん』で一世を風靡した作家だ。

 マルクス主義の性への応用は戦後、マルクーゼやクロソウスキーなどによって提起され、一夫一婦制を廃止し原始乱婚制への回帰を求める主張は当時の学生を魅了し、ヒッピームーブメントなどとも結びついて、フリーセックスのコロニーが実験的に作られたりもした。

 この作者はあの時代の空気を知っているとは思えないが、あの時代をかすかにでも知るものにはいろいろと考えさせられるものがある。

 私的財産というのは単純に交換価値に基づくものではなく、その物への個人的な思い入れが含まれている。例えば車はちゃんと走って移動手段として利用できれば用を足すのだが、あの車に乗りたいあの車が欲しいという思い入れで実用以上の高級車を買い求める人たちがたくさんいる。カーマニアがいてカーコレクターがいて、車という物に異様に固執する人たちが存在し、高い値段をつけていることを、マルクス主義では物神崇拝(フェティシズム)として捉える。

 マルクス主義では本来商品の価値は社会分業の中で互いに交換する中で決定されると考え、物がこうした社会的関係を越えて独自に価値を持っていると考えるのは物神崇拝(フェティシズム)だと考える。

 これを性に応用するなら、セックスは本来生殖のためのもので、その目的を果たせるなら相手は誰だっていい。原始時代には人間は乱婚状態にあったとマルクス主義者は考える。ただ、民族学者は未開社会の研究から原始乱婚制仮説を否定している。霊長類学者もチンパンジーやボノボの社会に乱婚を見出しているが、人類に関しては否定的だ。

 乱婚制仮説を支持するなら、特定の異性の相手に固執し恋をするのは資本主義の物神崇拝に由来するもので、それが特定の異性の相手の私有化を生み出しているだけなので、共産主義の時代になるなら、男女の私的所有も解体され共有されねばならないとする。

 ジェレミー・リフキンの『限界費用ゼロ社会』では、IOTの広がりで、共有型経済への移行が始まることを予言している。ただ、たとえばカーシェアリングの動きが広がっているとしても、それは車がかつてのような富の象徴としての意味を失っただけで、単に移動手段として使えればそれでいいだけなら利用するが、自分だけの車に時分だけのカスタマイズをして、お気に入りのぬいぐるみやクッションを並べなんてことに興味を失っただけなのではないかと思う。すべての生産物から物神崇拝が消えてゆくのではなく、人間は少なからず本来的に自分だけのものを持ちたがるの以上は、対象が他のものに移るだけで、物神崇拝はなくならないと思う。

 フリーセックスのコロニーがことごとく失敗し、社会主義の実験もまた冷戦崩壊とともに急速に衰退していったように、結局自分だけのものを所有したいという欲求は人間として自然だったということがはっきりしてきたのではないかと思う。

 自分だけのものを欲しがる欲求に対し共有の強制は、いわばネトラレを強いることになる。ネトラレ願望が人間にとって本来的なものではなく、むしろそっちこそが異様なフェチである所に、マルクス主義の限界があったのではないかと思う。

 西岡恭蔵の「プカプカ」の三番の歌詞は、確かにあの時代の雰囲気を捉えていた。「あんたがあたいの寝た男達と、夜が明けるまでお酒のめるまで」それを一つの理想とする時代は確かにあった。槇原敬之の「僕が一番欲しかったもの」もかつての社会主義の理想を今に伝えるものだが、これを聞いた時俺はネトラレの歌だと思った。

 そんなことをつらつらと考えさせられる一冊だった。案外マルクス主義の陰に隠された核心を突いているのかもしれない。

1月31日

 トランプさんは案外小心者なのかな。多分イスラム国が暗殺指令を出したんですっかり震え上がったんだろうな。ただ七カ国からの入国を禁止するだけでイスラム国の刺客を防げるのかどうか、もう既に刺客はアメリカ国内にいるんじゃないのかな。国民を守るとか言っているけど、きっと本当に守りたいのは自分なんだろう。

 トランプさんは真田丸的に言えば太閤殿下だね。才能はあるけど女好きで身内には甘く、身を脅かすものには極端に冷淡になる。小日向さんの顔が浮かんでくる。

 急進的な右翼になる人というのは、多分遺伝的に恐怖心に支配されやすいタイプなんだろうな。逆に左翼というのは楽天的過ぎるのかもしれないが。程々が一番いい。

 トランプ大統領はアメリカを日本のような国にしようとしているのかもしれない。日本はほとんど移民を受け入れないでここまできたし、そのおかげで失業率は世界的に見れば低い。ただし、欧米諸国が移民に押し付けている効率化しにくい面倒な仕事、汚い危険な仕事を全部自分たちでやらなくてはならないから、それをアメリカの白人は受け入れることができるのかな。

 効率が悪く、それでいてコストを掛けられない仕事を自分たちでやるということになると、当然そこに長時間低賃金労働が発生する。アメリカでも過労死が問題になる時代が来るかも。AI搭載のロボットも初期投資のコストが高いから、こういう仕事は後回しになる。

 欧米は高度成長期に労働力が不足した時にそれを移民でまかなった。低成長期に入ると、移民を無碍に追い返すわけにも行かずに、結果失業者が町にあふれることになった。仕方ないからワークシェアで乗り切らざるを得なかった。結果的には短時間労働が実現した。

 日本は高度成長期に移民を受け入れず、地方からの労働力だけで乗り切ろうとしたため、労働時間はうなぎ登りに増えていった。低成長になって仕事がなくなっても労働時間をこれまで通りに維持しようとしたため、だらだらと長時間働く付き合い残業ばかりが膨れ上がった。こうして、忙しい職場では過労死するまで働かされ、暇な職場ではだらだら残業代だけを稼ぐというアンバランスが生じた。労働時間の短縮を政府が音頭取っても、忙しい職場の人間は歓迎するが暇な職場の人間が猛反対する。

 世界は一つにならず、戦後一貫して分離主義の流れは続いている。最初は植民地の独立に始まり、次にはソ連やユーゴスラビアなどの連邦の解体が起こり、西ヨーロッパでもスコットランドやカタルーニャなどで独立運動が起きている。そしてもう一つの分離主義が、国内での閉鎖的民族主義だ。

 これはグローバリズムの表と裏のようなもので、グローバリズムは分離主義を加速させ、分離主義は新たなグローバリズムを再編する。本来この二つは対立するものではない。植民地の独立なしに世界のグローバル化がなかったように、トランプ大統領爆誕もイギリスのEU離脱も新たなグローバル化の序曲にすぎない、というのは左翼気質特有の楽天主義なのだろうか。

1月29日

 民進党がようやく「○○をやめることを提案します」以外のことを提案し始めたと思ったら、いきなり女性天皇?

 陛下が何のためにあのビデオを公表したのか、その意図がまったく理解できてないだけでなく、皇室典範改正の議論が起こったからこの際あれもこれも盛り込んでやろうという便乗商法か。

 こうやって話をそらして、関係ない方向にどんどん拡大してしまうと、結局議論倒れになって今の緊急の事態に対応できなくなる。ようするに民進党は何も変えたくないんだと言わざるを得ない。

 とりあえず緊急を要する今の天皇の退位を先に議論し、皇室典範改正はその後ゆっくり議論した方がいい。今与野党でガチに対決姿勢になってしまうと、何も決まらないまま陛下の命の方が先に尽きてしまう。まあ、そうなる前に自民党は賢いから強行採決をやってでも対応してくれるとは思うが。

 目の前にある事態に向き合わずに、遠い未来ばかりを見て反対論を展開していても、はっきり言って時間の無駄で、そんな反対論なら強行採決で乗り切るのは正当だ。提案するなら今やるべきことを的確に提案して欲しい。

 とにかくまず今の陛下の退位をどうするかを最優先で議論しなくてはならない。恒久法を作るかどうかはその次でいい。

 むしろどうせ今提案するなら、宮内庁が天皇陛下を酷使しているというブラック企業的体質を問題にし、宮内庁の行政改革を提案した方がいい。天皇の全国巡業は憲法に規定されているわけではなく、宮内庁が予算欲しさに勝手にやっているだけだ。こういう予算の無駄にもメスを入れるべきだ。

 ちなみに日本から女性天皇が消えたのは神護景雲3年(769年)の道鏡事件によるもので、要するに悪い男が女帝をたらしこんで、女帝に皇位継承者となる子供がいないことを理由に自分に天皇を譲るように教唆した事件だ。これがまかり通ってしまうと、次は王家の血筋ではない道鏡の親族に皇位が譲られ、天皇家そのものが簒奪されてしまう危険があった。

 この事件を機に確立された万世一系の天皇制の最大の機能は、王家の分裂や暴力による王家の簒奪(易姓革命)などによる内乱を防ぐことにあった。それでも途中、平将門の乱や南北朝時代や織田信長の中華皇帝の野望などによって万世一系の天皇制は危機に晒されたが、今に至るまで保たれてきた。

 明治以降は皇位継承が完全に法律によってコントロールされ、実質的に皇位継承争いが起きない状態にはなっている。それでも明治憲法下では軍の統帥権など天皇に強力な権力を残していたため、実際に昭和の軍部は天皇を拉致しての実質的に国家の全権を掌握して、あの無謀な戦争に突入した。

 現行憲法下での天皇制はその反省によるもので、天皇の仕事は形式的な公務に限定された。(ドサ回りの義務は何一つ規定されていない。)これによって一応の秩序は保たれているので、女性天皇について議論する分には問題はないが、この場のどさくさに紛れて強引にねじ込もうというのではなく、長期的な視野に立って国民の理解を得た方がいい。

 日本の社会から父系制の概念が消えた段階であれば、完全に男女平等に皇位を継承させることは可能であろう。

1月22日

 トランプさんの大統領就任演説の前文が新聞に英語・日本語両方載っていた。わかりやすい英語なので日本の中高生でも読めるんではないかと思う。受験勉強にも良いのではないか。

 アメリカの大統領は総じて言葉がわかりやすい。日本の歴代首相はというと、「言語明瞭意味不明瞭」とか言われる人もいたし、官僚言葉やもって回った言い回し、出典のある難解な詞などやたら使いたがる。なら、野党はというとこれも翻訳口調で日本語としておかしかったりするから「チョン認定」されたりする。

 いつからか日本人は普通に喋るということができなくなってしまったのだろう。難しい誰にもわからないような言葉を喋るのが偉い人なんだと勘違いしているのか。

 「貧困をなくせ」なんていうと、「貧困」からイメージするのは途上国のスラムで栄養失調の子供がいたりとかで、そんな連想をしてしまうから「日本に今時貧困なんて」という反応になってしまう。「貧乏をなくせ」となぜ言えないんだ。

 文学でも難解な言葉を使えば高尚な文学だなんて変な風潮が未だに根強い。だから俺はラノベが好きだ。ライト・ノベルの「ライト」の文字には芭蕉の「軽み」の伝統が生きているように思える。

 江戸の俳諧も一方では誰も知らないような漢籍から引いてきた難解な言葉を使って、さしたる内容もないのにいかにも凄いことを言っているかのように粉飾する連中がいたようだが、芭蕉はそれとは反対に古典の風雅の心を誰もが知る俗語で表現しようとした。

 其角が、

 

 声枯れて猿の歯白し峯の月   其角

 

と詠んだのに対して、芭蕉は、

 

 塩鯛の歯ぐきも寒し魚の店   芭蕉

 

とやり返した。

 今の日本ではその魂が忘れ去られ、誰も彼も言葉の難解さを競って、わざわざ意味がわからないようにしている。わかったら空っぽなのがばれてしまうからだ。

 

 今の政治家がツイッターを使うのは確かに理にかなっている。マスコミの報道だと言葉の一部分だけを抜書きして、前後の脈絡と無関係に勝ってに問題発言に作り上げてしまうからだ。

 アメリカ・ファーストということが問題にされているが、日本にも「国民の生活が第一」と言っている政治家がいた。どこが違うんだ。アメリカ人は世界の警察官だから、アメリカの国民の生活を第一に考えてはいけないということなのか。

 TPP離脱にしても、日本でもあれだけ反対反対と騒いでた人たちがいたのに、アメリカがそれをやると問題なのか。移民排斥がいけないというが、そもそも移民を受け入れてすらいない日本人に何が言えるんだ。それに「移民は出て行け」というのと「不法移民は出て行け」というのではまったく内容が違う。「不法移民は出て行け」というのは本来国内にいてはいけない人に出て行ってもらうだけだ。沖縄の基地問題も、アメリカが二つの中国を認めて台湾に基地を移転させるなら願ってもないことではないか。

 それと、日本ではファーストレディのメラニア夫人の情報が少なすぎるように思う。旧ユーゴスラビア出身者(今はアメリカ国籍を取得している)がファーストレディだと、トランプさんの排他主義のイメージが崩れるからなのか。

 まあ、とにかくこれからは安倍さんがやろうとしてきたことがことごとくアメリカ側から拒否されることになりそうだ。ポスト安倍はまだ現れないのか。

1月7日

 トランプさんの暴言は「真田丸」的に言えば、上田城で旗振って高砂を歌うようなものだ。挑発に乗っていきり立って攻めてゆくと大体ろくなことはない。

 ヒラリーさんもトランプさんが何か暴言を吐くたびにいちいちいきり立って批判してたから、ネガキャンばかりで政策論争がないだとか言われ、いつも青筋立てて批判ばかりしているヒステリックなおばさんになってしまった。

 サンダースさんならそんな挑発に乗らずに、地道に自分の政策を説いていって勝てたかもしれない。

 民進党の村田さんもいちいち安倍首相や他の自民党議員の発言に噛み付いてばかりいないで、きちんと自分の政策を説いてゆけば活路はあるだろうに。トランプさんは案外日本の自民党を研究してたりして。

1月6日

 トランプさんは今度はトヨタのメキシコ工場に文句をつけて、だけどツイッターの発言はそれこそただの呟きで、公式の声明でもなければ、議事録に残る発言でもない。それをわかって、日本の政治で言う所の「アドバルーンを上げる」のにちょうどいいのだろう。

 自民党の改正憲法草案なんかもその類のもので、これが法案として提出されるわけでもなく、ただ書いてみて反応を伺おうという程度のものではないかと思う。

 この種のアドバルーンに政敵が噛み付いてきてくれればしめたものだ。反対や批判の声をかげるのに忙しくなり、たとえ何か政策があってもまず反対の声を前面に押し出さなくてはならなくなるから、「批判ばかりして対案がない」と一蹴できる。民進党がいつまでたっても何も提案できないのは、自民党がわざとらしく批判してくださいというようなネタを提供しているから、というのもあるかもしれない。

 暴言は「挑発」としても使える立派な作戦であり、それにかまっている間に裏では着々と仕事を進めているものだ。アメリカの民主党も結局それでやられてしまったのだろう。

1月5日

 民族感情それ自体は自然な感情で、問題になるのはそれが単なる感情の次元ではなく、理性的な当為に昇華された時だ。つまりカント的な定言命令の声にすりかえられた時だ。

 ○○ぶっ殺せ!だとか○○死ね!とかいう言葉は、最初は感情的に発せられる。言った人はそう言い放つことである程度の満足を得、殺意はすぐに消滅する。あくまで感情の爆発であり、そういったからといって実際に殺人に及ぶことは稀で、殺人に発展したとしてもその場限りの激情によるものすぎない。いわば組織的で持続的な殺戮に発展することはない。

 危険なのは「感情」だと言いながらそれを一つの思想に作り上げ、感情をあらわにすることを当為とし、人間としての義務だとすることだ。

 ひとたびそれが思想となったとき、もはや感情は必要ない。ただ為すべきが故に、そして為しうるが故にそれを淡々と遂行することができる。

 感情的な行動と、それを一つの思想の下に当為とみなして行動することの間には大きな差がある。その危険は右翼も左翼も変わらない。

 レイシズムは単なる差別感情ではない。「イズム」とつくようにそれは一つの思想で、かつては進化論や優生学の誤った解釈によって理性の下に正当化された感情であり、一つの思想として冷静に為すべきこととして、異なる人種や民族を排除するようになった時が本当に危険な状態になる。もはやそこには感情は存在しなくていいし、それゆえに激高する必要はない。ただ日常の延長で日々の業務をこなすように人を殺すことができる。

 性差別であろうが同性愛差別だろうが身障者差別だろうが貧困差別だろうが、本当に大事なのはそれが単なる一時の感情の高まりによるものか、それとも一つの思想として理性の名の下に冷静に遂行される性質のものかを識別することだ。

 ナチスが行ったT4作戦も、そこには障害者を憎む感情はもはや必要ではなく、優生学の見地から理性の要請として冷静に遂行する所が本当の恐さだった。そこにはヘイトすら存在しない。ただ汝為すべしの声にしたがって実行する恐さだ。ホロコーストにしても、感情の激高による虐殺ではない。それは日常業務として粛々と遂行された。

 2ちゃんねるで口汚い書き込みをしている連中は、それ自体はほとんど害はない。どうせ書き込んだだけで満足し、普通か引き篭もりの生活している連中だ。ただ、それを一つの思想に高め、組織を作り行動することは恐ろしい。そういう連中はいつか顔色も変えずに人を殺すだろう。あるいは内心済まない、こんなことしたくないんだと思いながら、粛々と人を殺すことになるだろう。

 民間の侵略という点では、韓国の一部市民団体(いわゆるプロ市民)の手による慰安婦少女像の設置もその一つと言える。国家としては内心困った問題なのだろう。日本との関係も大事だし、かといって国民感情を無碍にも扱えない。こうして国家が身動き取れなくなっていることを利用して、民間の侵略は押し進められてゆく。

 本当の名もなき市民は投票して政治家を選ぶことしかできない。そうして選ばれた政治家が身動き取れないところで、プロ市民は理性の名の下に民間の侵略戦争を仕掛けてゆく。この対立は今年もいろいろな所で噴出するだろう。

 一応言っておくが、在特会もしばき隊も組織としては貧弱で思想的にも未熟。ネット上で炎上して人目を引くだけで、実行力としては取るに足らない。本当に恐い組織は他にある。

1月1日

 今年一年の始まりということで、これから起こる出来事について考えていく際、注意しなくてはならないのは、「民主主義の危機」だとか「戦前への回帰」だとかいうバイアスのかかった報道からいかに自由になるかだと思う。

 昔から日本の左翼系文化人の間では、ことあるごとに「この道はいつか来た道」とかいって軍国主義の復活だとか、侵略戦争が始まるだとかいう声があったが、日本に限らず戦後レジームから脱却しようと世界が動き始めた時、それを「民主主義の危機」「レイシズムの復活」「ブロック経済への回帰」「第三次世界大戦の前兆」と捉える声がいたるところに溢れている。

 世界のマスメディアがブレグジットやトランプ大統領爆誕を予測できなかったのは、こうしたバイアスによるものだ。マスコミを信じてトランプ大統領爆誕の日に株を売って、その後のトランプラリーもどうせすぐに終わると見て空売りをした人はご愁傷様。マスコミを信じなかった人は今頃トランプラリーに乗っかって、チャイナショック前の水準までは行かなくても去年の年初に比べて10パーセントくらい資産を回復できたのではないかと思う。年金の方も多分。

 まず、ブレグジットやトランプ大統領爆誕は民主主義が機能していたから起きたことで、決して民主主義の危機ではない。孤立主義のように見える現象は、世界の警察としての湾岸戦争やユーゴスラビア内戦への米軍の関与の失敗への反省から来るもので、よりよい世界秩序の構築へ向けての序曲にすぎない。

 アメリカやヨーロッパでの移民の増加は、あまりにも急激過ぎて伝統的社会と移民文化との共存のためのルール作りが追いつかず、一時的に待ったを掛ける必要があるだけで、今の生物学のレベルからすればレイシズム復活の余地はない。

 素朴な差別感情は、例えて言えば高校野球で出身県を応援したり、オリンピックで自分の国の選手を応援するような素朴なもので、おらが村が一番、地元が最高、というレベルのもの。ネットに溢れるヘイトスピーチもそのレベルのもので、今の時代にそれを生物学や優生学など科学を援用してホロコーストのような極端な行動を正当化し、実践理性の定言命令にまで高めることは無理。

 植松聖のような突発的にT4のようなことを思いつく人間はいても、多くの人の理性の定言命令にまで高めることができないなら大衆の支持を得ることなく、散発的な事件で終わる。

 ブロック経済への回帰も、今のように為替や株や債権やコモディティーのグローバル市場がすっかり定着している以上、貿易の際の若干の保護主義は復活しても、グローバル史上そのものを否定するようなブロック化は不可能だ。ブロック化しようにも植民地が存在しない。

 今の民族感情の爆発も、もっぱらネットを通じた個人レベルのもので、テロも組織を持たないお一人様テロが増えている。むしろ民間レベルでの排他的な動きにどこの国の政府も苦悩している。国家は人気取りのために迎合したり利用したりすることはあっても、本気で戦争をしようとは思っていない。

 むしろ今後可能性があるのは民間レベルの侵略だ。ウクライナ問題はその一つの突破口を開いている。つまり民間レベルで大挙して隣の国に移住し、そこで民主的な手段で独立運動を行い、独立に成功したら本国への帰属を決定する。こうして民主的な手段で無血のうちに国境の変更が可能になる。

 こうした動きはじわじわと時間を掛けて起きる可能性もある。その意味では対馬が韓国になり、沖縄が中国になる可能性もなくはない。ヨーロッパのどこかにシリア・ヨーロッパ共和国が誕生する可能性もある。

 イスラム国も既存国家から起こったものではなく、民兵集団の世界征服の野望によるもので、一種の民間の侵略戦争と言えよう。

 むしろ注意すべきことは、こうした動きに下手に世界の警察と称して国連や大国が介入すれば、かえって代理戦争に様相を呈し、こじれる元となる。

 第三次世界大戦の危機がまだ残っているとすれば、それは内戦レベルの戦闘に大国が介入し代理戦争に発展し、それがやがて大国同士の直接衝突に発展する危険性だ。そうならないためには、むしろ民間の侵略をどう抑えるか、きちんとルールを作る必要がある。

 民間の暴走と個人テロはこれからますます大きな問題になってゆくに違いない。既存の国家間の戦争や侵略の論理では捉えきれない。問題の解決のためには古いバイアスから自由になる必要がある。