「師の桜」の巻、解説

貞享元年十月、大垣にて

初表

 師の桜むかし拾はん落葉哉    嗒山

   薄を霜の髭四十一      芭蕉

 月夜すむ竹の曲録琵琶澄て    木因

   簾に鰍の声を設し      如行

 洞鴨の石の古巣も冷じく     芭蕉

   作らぬ松の雨にのびたる   嗒山

 

初裏

 草鞋を印の塚に築しより     如行

   嵐の太郎熊狩に入      木因

 武かれと聟の心やためすらん   嗒山

   破軍の誓ヒ餅北に搗     芭蕉

 日の諷ひ簇を躍る果の国     木因

   早苗はじめて得し寶草    如行

 世の愛を産けん人の御粧     芭蕉

   恋降雪のうへの月しらむ   嗒山

 曙の三味せん杖にすがりたる   如行

   寄手を招く水曳の麾     木因

 花を射て梢を船に贈けり     芭蕉

   詩を啼烏柳みどりに     嗒山

 

 

二表

 不二の晴蜆に雪を斗り見る    木因

   女に法を説く夜千年     如行

 朝がほに髪結ふ人ぞあはれなる  嗒山

   貧のやつれに萩の庭売る   芭蕉

 犬捨る名残は露を吼けらし    如行

   馬塊三谷の楊貴妃の秋    木因

 誰が国の記念ぞ鏡すむ月は    芭蕉

   琴の唱歌に作り艶れて    嗒山

 明石なるしらら吹上須磨明石   木因

   夕べ侘しらぬ鯛寺に寐む   如行

 霰うつ草刈鼓とり出て      嗒山

   棺に歯朶を餝る年の夜    芭蕉

 

二裏

 愚を溜て金を我子に隠したる   如行

   二疋の牛を市に吟ずる    木因

 鸚兮鵡兮朝の喧き        芭蕉

   美山の瀧を産水に汲む    嗒山

 散レと折ル花に白髪の芳ク    木因

   世の外軽し身は野老売り   如行

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

 師の桜むかし拾はん落葉哉    嗒山

 

 延宝九年の七月二十四日に江戸滞在中の木因と会い、そこで、

 

   木因大雅のおとづれを得て

 秋とはば詞はなくて江戸の隠   素堂

   鯔釣の賦に筆を棹さす    木因

 鯒の子は酒乞ヒ蟹は月を見て   芭蕉

 

の句を詠んでいる。

 せっかく秋に訪ねてきてくれたのに文才もなく何の言葉もない江戸の引き籠りです、と素堂が発句をする。

 それに対し木因は、そんなことないでしょう、漢文が得意と聞いてます。ハゼ釣りの賦を書けば、流れに掉さすようにすらすらと書かれることでしょう、と答える。発句の「詞」を漢詩の一形式の「詞」として、今回は詞ではなく賦を書くとする。

 そして芭蕉は、多分木因の方を「こちの子は」として酒を欲しがり、素堂を蟹に喩えて月を見ているとしたのだろう。鯒(こち)はマゴチ、メゴチなどをいうが、小さいものはハゼ釣りの外道で時々かかる。

 その後嗒山も何らかの形で芭蕉の指導を受けていたのだろう。『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 「嗒山は天和年中すでに江戸で芭蕉の教えを受けていた。」

 

とある。芭蕉の「天和二年三月二十日付木因宛書簡」に、

 

 「嗒山丈御作いかが成行申候哉、是又承度候。」

 

とある。

 そういうわけでこの発句は、天和の頃芭蕉さん、あなたの教えを受けたことがありますが、その時の芭蕉さんがくれた桜(教えられたことの比喩)も今は落葉になってしまってます、とかつて受けた恩と自らの未熟さとを謙虚に詠む。

 

季語は「落葉」で冬。「師」は人倫。「桜」は植物、木類。

 

 

   師の桜むかし拾はん落葉哉

 薄を霜の髭四十一        芭蕉

 (師の桜むかし拾はん落葉哉薄を霜の髭四十一)

 

 発句に対し、桜だなんてとんでもない。私も霜の降りた薄のような無精ひげを生やした四十一歳になる男です、と答える。当時は四十で初老と呼ばれたが、破笠の語るところによると、貞享期に初めて会った芭蕉は四十一、二歳なのに「六十有余の老人」に見えたという。

 薄に霜は、

 

 霜がれの冬野にたてるむらすすき

     ほのめかさばや思ふこころを

              平経章(後拾遺集)

 

などの歌に詠まれている。

 

季語は「霜」で冬、降物。「薄」は植物、草類。

 

第三

 

   薄を霜の髭四十一

 月夜すむ竹の曲録琵琶澄て    木因

 (月夜すむ竹の曲録琵琶澄て薄を霜の髭四十一)

 

 曲録は曲彔(きょくろく)でコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「主として僧侶(そうりょ)が使う椅子(いす)の一種。背もたれの笠木(かさぎ)が曲線を描いているか、または背もたれと肘掛(ひじか)けとが曲線を描いた1本の棒でつながっているのが特徴である。曲彔ということばは曲彔木の略で、彔は木を削(はつ)る(そぎ落とす)の意であるから、木を削って曲線をつくった椅子ということになる。鎌倉時代に中国から渡来したもので、最初は禅林で用いられたが、のちには他の宗派でも、また一般でも使うようになった。とくに桃山時代には大流行した。[小泉和子]」

 

とある。月夜に曲彔に座った老僧が琵琶を奏でる。

 霜枯れの薄に月は、

 

 小男鹿のいる野の薄霜枯れて

     手枕寒き秋の夜の月

              素暹法師(続古今集)

 しほれふす枯葉の薄霜さえて

     月影こほる有明の野辺

              飛鳥井雅孝(玉葉集)

 

などの歌がある。

 

季語は「月夜」で秋、夜分、天象。

 

四句目

 

   月夜すむ竹の曲録琵琶澄て

 簾に鰍の声を設し        如行

 (月夜すむ竹の曲録琵琶澄て簾に鰍の声を設し)

 

 「簾」は「みす」、「鰍」は「かじか」。

 魚のカジカは鳴かない。鳴くのはカジカガエルで、清流に美しい声で鳴き、井出の山吹などとともに古歌に詠まれる蛙はカジカガエルと思われる。

 前句の老僧の弾く琵琶に美しいカジカガエルの声を添えたいところだた、簾の向こうからは声もない。

 

季語は「鰍」で秋、水辺。

 

五句目

 

   簾に鰍の声を設し

 洞鴨の石の古巣も冷じく     芭蕉

 (洞鴨の石の古巣も冷じく簾に鰍の声を設し)

 

 「洞鴨(ほらがも)」は鴨の一種と思われるが不明。樹洞に営巣することのあるカワアイサのことか。流石に石洞には棲まないだろう。

 その洞鴨の石の古巣も寒々とするなかで、御簾は巣の入口の草だろうか、それ越しにカジカガエルの声を聞く。

 冷(すさま)じは

 

 山里の風すさまじき夕暮に

     木の葉乱れてものぞ悲しき

              藤原秀能(新古今集)

 澄む月の陰すさまじくふくる夜に

     いとど秋なる荻の上風

              西園寺実氏(続古今集)

 

などの歌に詠まれている。

 

季語は「冷じく」で秋。「鴨」は鳥類、水辺。

 

六句目

 

   洞鴨の石の古巣も冷じく

 作らぬ松の雨にのびたる     嗒山

 (洞鴨の石の古巣も冷じく作らぬ松の雨にのびたる)

 

 前句を放置された庭とし、枝ぶりを整える人もいない松の枝が長年の雨に勝手な方向に伸びている。

 松の雨の冷じは、

 

 むらむらに小松まじれる冬枯れの

     野辺すさまじき夕暮れの雨

              永福門院(風雅集)

 

の歌がある。

 

無季。「松」は植物、木類。「雨」は降物。

初裏

七句目

 

   作らぬ松の雨にのびたる

 草鞋を印の塚に築しより     如行

 (草鞋を印の塚に築しより作らぬ松の雨にのびたる)

 

 昔行き倒れになった旅人の墓であろう。時がたち、松の枝も伸びている。

 漢詩では松柏は墓所を意味する。『文選』の古詩に、

 

 去者日以疎 来者日以親

 出郭門直視 但見丘與墳

 古墓犂為田 松柏催為薪

 白楊多悲風 蕭蕭愁殺人

 思還故里閭 欲還道無因

 

 去って行った者は日毎に疎くなり、来る者だけが日毎に親しくなって行く。

 町はずれの城門を出て見渡してみても、ただ土をもった墓があるばかり。

 古い墓は耕されて田んぼになり、墓に植えてあった真木も伐採されて薪となる。

 境界の柳には悲しげな風ばかりが吹いて、ショウショウと葉を揺らす音が死にたいくらい物悲しい。

 故郷の入り口をくぐって帰ろうと思っても、そこで落ち着く手だてなどありはしない。

 

とある。

 

無季。

 

八句目

 

   草鞋を印の塚に築しより

 嵐の太郎熊狩に入        木因

 (草鞋を印の塚に築しより嵐の太郎熊狩に入)

 

 「嵐の太郎」は何かそれっぽいマタギの名だろうか。狩りを生業とし、近くで行き倒れになった旅人を見つけた時は塚を立てて弔ってやる、人情に篤い人だ。

 

無季。「熊」は獣類。

 

九句目

 

   嵐の太郎熊狩に入

 武かれと聟の心やためすらん   嗒山

 (武かれと聟の心やためすらん嵐の太郎熊狩に入)

 

 武家が婿養子を獲ろうとしたか、娘が欲しけりゃ熊を取ってこいと命じる。

 

無季。恋。「聟」は人倫。

 

十句目

 

   武かれと聟の心やためすらん

 破軍の誓ヒ餅北に搗       芭蕉

 (武かれと聟の心やためすらん破軍の誓ヒ餅北に搗)

 

 「破軍」は破軍星のことで、北斗七星の柄杓の柄の一番端の星。剣の先に見立てられ、古代の北辰(北極星)信仰と習合した妙見菩薩と結びつくことで、千葉氏や九戸氏が妙見菩薩を一族の守り神とした。

 いずれにせよ破軍は軍神として信仰されていた。敵軍を破るに掛けて戦勝祈願に北の方角で餅を搗いたと、何となくありそうな話を作る。

 

無季。

 

十一句目

 

   破軍の誓ヒ餅北に搗

 日の諷ひ簇を躍る果の国     木因

 (日の諷ひ簇を躍る果の国破軍の誓ヒ餅北に搗)

 

 「簇」は「やじり」。中国神話に登場する羿(げい)であろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「中国古代伝説上の弓の名人。堯(ぎょう)の時代、一度に一〇個の太陽が現れたときに、うち九個の太陽を射落とし、人民を救ったといわれる。」

 

とあり、ウィキペディアには、

 

 「羿の伝説は、『楚辞』天問篇の注などに説かれている太陽を射落とした話(射日神話、大羿射日)が知られるほか、その後の時代の活躍を伝える話(夏の時代の羿の項)も存在している。名称が同じであるため、前者を「大羿」、後者を「夷羿」や「有窮の后羿」と称し分けることもある。その大羿は中国神話最大の英雄の一人である。

 日本でも古くから漢籍を通じてその話は読まれており、『将門記』(石井の夜討ちの場面)や『太平記』(巻22)などに弓の名手であったことや太陽を射落としたことが引用されているのがみられる。」

 

とある。

 北辰や北斗の信仰も中国から来た。どこか大陸の奥深くを想像したのだろう。

 

無季。「日」は天象。

 

十二句目

 

   日の諷ひ簇を躍る果の国

 早苗はじめて得し寶草      如行

 (日の諷ひ簇を躍る果の国早苗はじめて得し寶草)

 

 辺鄙な国なので、初めて見る稲を寶草とする。

 早苗は、

 

 昨日こそ早苗とりしかいつのまに

     稲葉そよぎて秋風の吹く

              よみ人しらず(古今集)

 

など和歌に詠まれている。

 

季語は「早苗」で夏、植物、草類。

 

十三句目

 

   早苗はじめて得し寶草

 世の愛を産けん人の御粧     芭蕉

 (世の愛を産けん人の御粧早苗はじめて得し寶草)

 

 「御粧」は「おんよそひ」と読む。

 句は新嘗祭のことであろう。「世の愛を産けん人」は天皇の遠回しな言い方ではないかと思う。

 

無季。「人」は人倫。

 

十四句目

 

   世の愛を産けん人の御粧

 恋降雪のうへの月しらむ     嗒山

 (恋降雪のうへの月しらむ世の愛を産けん人の御粧)

 

 前句を出産した妻とし、その日は積った雪を月が照らす美しい夜だった。

 降る雪に恋は、

 

 奥山の菅の根しのぎ降る雪の

     消ぬとかいはむ恋のしげきに

              よみ人しらず(古今集)

 あまをぶねとませの小野に降る雪の

     けなかく恋し君がおとする

              よみ人しらず(夫木抄)

 

などの歌がある。

 

季語は「雪」で冬、降物。恋。「月」は夜分、天象。

 

十五句目

 

   恋降雪のうへの月しらむ

 曙の三味せん杖にすがりたる   如行

 (曙の三味せん杖にすがりたる恋降雪のうへの月しらむ)

 

 陸奥の奥浄瑠璃であろう。琵琶を用いる場合もあるが三味線の場合もある。雪の白む明け方、恋物語が終わり杖にすがりながら盲目の浄瑠璃師は帰って行く。

 元禄五年十月の「けふばかり」の巻にも、

 

   いかやうな恋もしつべきうす霙

 琵琶をかかえて出る駕物     芭蕉

 

の句がある。

 

無季。

 

十六句目

 

   曙の三味せん杖にすがりたる

 寄手を招く水曳の麾       木因

 (曙の三味せん杖にすがりたる寄手を招く水曳の麾)

 

 麾には手偏がついている。鷹狩りで鷹匠が合図に用いる麾(ざい)のこと。ここでは寄手(攻めてくる軍勢)を招いてしまうのだから采配のことであろう。ウィキペディアに、

 

 「采配(さいはい)とは戦場で軍勢を率いる際に用いた指揮具。1尺ほどの柄に千切りの紙片や獣毛(犛〈はぐま〉の毛という)などを細長く垂らしたもので、振って合図を送るために用いられた。」

 

とある。ドラマの合戦シーンでもこれを振る姿はよく登場する。

 三味線を持った盲目の芸人がご祝儀袋の水引をちらちらさせていると、それが采配に見えて敵軍を呼び寄せてしまう、といっても多分山賊か何かだろう。

 

無季。

 

十七句目

 

   寄手を招く水曳の麾

 花を射て梢を船に贈けり     芭蕉

 (花を射て梢を船に贈けり寄手を招く水曳の麾)

 

 巌上の桜の枝を弓で射落として、その梢に水引を付けて敵方の船にプレゼントする。軍記物にありそうな物語を作る。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「船」は水辺。

 

十八句目

 

   花を射て梢を船に贈けり

 詩を啼烏柳みどりに       嗒山

 (花を射て梢を船に贈けり詩を啼烏柳みどりに)

 

 柳と桜は素性法師の「柳桜をこきまぜて」の歌でしばしば付け合いになるが、ここは烏を僧のことにして相対付けで花を射る武将に柳に詩を詠む僧と対句にしたか。

 「柳緑花紅真面目」という禅語もある。物事を先入観なしにあるがままに受け入れよという意味。

 

季語は「柳」で春、植物、木類。「烏」は鳥類。

二表

十九句目

 

   詩を啼烏柳みどりに

 不二の晴蜆に雪を斗り見る    木因

 (不二の晴蜆に雪を斗り見る詩を啼烏柳みどりに)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「蜆の殻で大海をはかるの諺による」とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「(「漢書‐東方朔伝」の「以レ筦闚レ天、以レ蠡測レ海、以レ筳撞レ鐘」から) 小さな貝殻で海の水を汲んで、海水の量をはかる意で、自分の狭い見聞、知識をもとにして、大問題を議論することのたとえ。」

 

とある。「蠡」は「ひさご、蜷(にな)、法螺貝」と色々な意味があるが、日本では蜆になったようだ。

 ここでは海を量るような無謀なことはせず、富士山の姿を蜆の殻に見立て、蜆の殻のこの辺まで雪だと雪の量を量り、雪の少なさに春を感じる。

 詩を啼く烏の機知ということか。

 

季語は「蜆」で春、水辺。「不二」は名所、山類。「雪」は降物。

 

二十句目

 

   不二の晴蜆に雪を斗り見る

 女に法を説く夜千年       如行

 (不二の晴蜆に雪を斗り見る女に法を説く夜千年)

 

 蜆で海を測るのだったら、無理なことの例えとして女人成仏の困難を詠んだことになる。

 

無季。釈教。「女」は人倫。「夜」は夜分。

 

二十一句目

 

   女に法を説く夜千年

 朝がほに髪結ふ人ぞあはれなる  嗒山

 (朝がほに髪結ふ人ぞあはれなる女に法を説く夜千年)

 

 朝顔の咲く朝に髪を結う人は遊女だろうか。どんなに苦しい思いをしても救われないの哀れだ。

 

季語は「朝顔」で秋、植物、草類。「人」は人倫。

 

二十二句目

 

   朝がほに髪結ふ人ぞあはれなる

 貧のやつれに萩の庭売る     芭蕉

 (朝がほに髪結ふ人ぞあはれなる貧のやつれに萩の庭売る)

 

 「萩の庭」と遠回しな言い方だけど、萩の伏す床のこと。

 朝顔に萩は、

 

 暮れにあひて朝顔はつる隠れ野の

     萩は散りにき紅葉はやつげ

              よみ人しらず(夫木抄)

 

の歌がある。

 

季語は「萩」で秋、植物、木類。

 

二十三句目

 

   貧のやつれに萩の庭売る

 犬捨る名残は露を吼けらし    如行

 (犬捨る名残は露を吼けらし貧のやつれに萩の庭売る)

 

 家を売るとそこに住んでいた犬も行く所がなくなる。ちょうど生類憐みの令の始まった頃か。

 

 草枕犬もしぐるるか夜の声    芭蕉

 

の句もこの頃か。

 萩の露は、

 

 秋はなほ夕まぐれこそただならね

     荻の上風萩の下露

              藤原義孝(和漢朗詠集)

 

などの歌に詠まれている。

 

季語は「露」で秋、降物。「犬」は獣類。

 

二十四句目

 

   犬捨る名残は露を吼けらし

 馬塊三谷の楊貴妃の秋      木因

 (犬捨る名残は露を吼けらし馬塊三谷の楊貴妃の秋)

 

 馬嵬(ばかい)は馬嵬駅の悲劇の地で、ウィキペディアに、

 

 「馬嵬駅の悲劇(ばかいえきのひげき、中国語:马嵬的悲剧)は、756年に唐の馬嵬駅で、安史の乱により蜀に逃げ延びる途上の皇帝玄宗に対して兵たちが楊国忠・楊貴妃を殺害するように迫り、楊貴妃が悲劇の死を遂げた事件である。」

 

とある。

 三谷は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「江戸吉原の付近の刑場・墓場」とある。もしかして:山谷

 刑場の名前は小塚原刑場で、ウィキペディアに、

 

 「小塚原刑場は、慶安4年(1651年)に千住大橋南側の小塚原町(こづかはらまち)に創設された。現在の東京都荒川区南千住2丁目に相当する。小塚原町は万治3年(1660年)に千住宿に加えられた。」

 

とある。山谷は浅草と南千住の間の泪橋より南側をいう。吉原は山谷からさらに南西になる。

 貞享二年六月小石川での「涼しさの」の巻七十二句目に、

 

   血をそそぐ起請もふけば翻り

 見よもの好の門は西むき     素堂

 

とあるが吉原の大門は西向きだった。正確には北西だが。

 吉原を飛び出した遊女は吉原の大門を出ると山谷になる。ただ、つかまった遊女は小塚原刑場に行くわけではない。脱走は死罪になるような犯罪ではないが、実際はリンチにあい、ウィキペディアによれば、

 

 「一説には「心中」「枕荒らし(客の財布を盗む事)」「起請文(お気に入りの客に宛てた手紙)乱発」「足抜け(脱走)」「廓内での密通」「阿片喫引」など吉原の掟を破った者の遺骸は、素裸にされ、荒菰(あらごも)に包まれ、浄閑寺に投げ込まれた。人間として葬ると後に祟るので、犬や猫なみに扱って畜生道に落とすという迷信によったとものとされている‥‥」

 

とある。浄閑寺は三ノ輪にある。

 まあ、山谷で刺客に殺され悲劇の死を遂げるわけだから、その山谷を楊貴妃の殺された馬嵬になぞらえ、浄閑寺に犬のように捨てられた。

 

季語は「秋」で秋。恋。

 

二十五句目

 

   馬塊三谷の楊貴妃の秋

 誰が国の記念ぞ鏡すむ月は    芭蕉

 (誰が国の記念ぞ鏡すむ月は馬塊三谷の楊貴妃の秋)

 

 白楽天『長恨歌』の「行宮見月傷心色」を思い起こしたのであろう。楊貴妃なら唐の月だが遊女の月はどこの国の月か、売られてきた身で出身地すらわからない。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。

 

二十六句目

 

   誰が国の記念ぞ鏡すむ月は

 琴の唱歌に作り艶れて      嗒山

 (誰が国の記念ぞ鏡すむ月は琴の唱歌に作り艶れて)

 

 「唱歌」というと今では文部省唱歌のことだが、元の意味は楽器に合わせて謡う歌、あるいはその歌詞のこと。「艶れて」は「たはれて」で戯れること。前句をその歌詞としたか。

 

無季。恋。

 

二十七句目

 

   琴の唱歌に作り艶れて

 明石なるしらら吹上須磨明石   木因

 (明石なるしらら吹上須磨明石琴の唱歌に作り艶れて)

 

 「吹上」は和歌の浦玉津嶋神社付近にある吹上の浦。須磨明石の対岸になる。

 前句の唱歌に『源氏物語』明石巻の源氏の君が七弦琴を取り出して、

 

 あはとみるあはじの島のあはれさへ

     残るくまなくすめるよのつき

 

と歌う場面を思い起こしたのであろう。ただここでは淡路島向こうの明石からは見えない吹上になってしまっている。

 

無季。「明石」「吹上」「須磨」は名所、水辺。

 

二十八句目

 

   明石なるしらら吹上須磨明石

 夕べ侘しらぬ鯛寺に寐む     如行

 (明石なるしらら吹上須磨明石夕べ侘しらぬ鯛寺に寐む)

 

 明石は明石鯛の獲れる所で、特に春の小鯛は桜鯛と呼ばれている。

 

 花よりも実こそほしけれ桜鯛   兼載

 

の連歌師兼載の俳諧もある。

 鯛の名産地だから鯛寺くらいあってもおかしくないということか。架空の寺であろう。侘びた旅人が寺で寝させてもらう。

 

無季。旅体。

 

二十九句目

 

   夕べ侘しらぬ鯛寺に寐む

 霰うつ草刈鼓とり出て      嗒山

 (霰うつ草刈鼓とり出て夕べ侘しらぬ鯛寺に寐む)

 

 草刈笛は敦盛だが、草刈鼓とはこれいかに。草刈は樵牧童の卑賤な者で、それが打つ鼓はあえてそれを装った高貴な人を想像させる。鼓を打つに霰打つを掛けて、鯛寺に寝る。

 草刈笛だと打越の須磨明石を引きずってしまうので、鼓にすることで場面を冬に転じる。

 

季語は「霰」で冬、降物。

 

三十句目

 

   霰うつ草刈鼓とり出て

 棺に歯朶を餝る年の夜      芭蕉

 (霰うつ草刈鼓とり出て棺に歯朶を餝る年の夜)

 

 「餝る」は「かざる」。

 前句の寒々とした鼓の音に、年の暮れの葬儀へと展開する。葬儀にアンバランスな歯朶と鼓のミスマッチで、悲しい中に若干の救いがある。

 

季語は「年の夜」で冬、夜分。

二裏

三十一句目

 

   棺に歯朶を餝る年の夜

 愚を溜て金を我子に隠したる   如行

 (愚を溜て金を我子に隠したる棺に歯朶を餝る年の夜)

 

 せっかく金を溜めていたのに金を我が子にも見つからないところに隠したから、どこにあるのかわからない。

 

無季。「我子」は人倫。

 

三十二句目

 

   愚を溜て金を我子に隠したる

 二疋の牛を市に吟ずる      木因

 (愚を溜て金を我子に隠したる二疋の牛を市に吟ずる)

 

 牛荷物を引いたり農耕に用いたりするためのもので、昔は牛を食べる習慣がなかったから、牛を売るといってもドナドナのような悲壮感はない。大阪では四天王寺の牛市が有名だったらしく、宗因独吟「口まねや」の巻に、

 

   立市町は長き夜すがら

 引出るうしの時より肌寒み    宗因

 

の句がある。丑の刻にひそかに牛が運び込まれる。

 ただ、この句の場合は逆に、ひそかに溜めた金で牛二頭を買ったのかもしれない。仕事が楽になるように、息子のことを思って、あえて黙っていたのだろう。

 

無季。「牛」は獣類。

 

三十三句目

 

   二疋の牛を市に吟ずる

 鸚兮鵡兮朝の喧き        芭蕉

 (鸚兮鵡兮朝の喧き二疋の牛を市に吟ずる)

 

 「鸚兮鵡兮」は「あうなれやむなれや」と読む。オウムや九官鳥は長崎を通じて輸入されて、人の声を真似するということで人気を博していた。

 市場でもオウムが来れば人だかりができて、「おう」だの「む」だの言って騒がしかったのだろう。「オウム」という言葉の響きがどこか牛の声に似ているところから、「おう」だの「む」だの二疋の牛かっ、て突っ込みたくなったのか。

 兮は音読みだとケイだが、古代の中国では「ヘイ」と発音していたらしい。どこか英語っぽい。

 

無季。「鸚鵡」は鳥類。

 

三十四句目

 

   鸚兮鵡兮朝の喧き

 美山の瀧を産水に汲む      嗒山

 (鸚兮鵡兮朝の喧き美山の瀧を産水に汲む)

 

 前句の「鸚兮鵡兮」を妊婦さんの呻き声とした。もうすぐ生まれるというので産水を汲みに行く。「美山の瀧」を出して次の花に備える。

 

無季。「美山」は山類。「瀧」は山類、水辺。

 

三十五句目

 

   美山の瀧を産水に汲む

 散レと折ル花に白髪の芳ク    木因

 (散レと折ル花に白髪の芳ク美山の瀧を産水に汲む)

 

 白髪の老人が力まかせに桜の枝を折ったのだろう。散った花が髪に掛かって匂いを添える。孫が生まれるというので水を汲みに来た。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   散レと折ル花に白髪の芳ク

 世の外軽し身は野老売り     如行

 (散レと折ル花に白髪の芳ク世の外軽し身は野老売り)

 

 「世の外」というのは、

 

   ねはむいとなむ山かげの塔

 穢多村はうきよの外の春富て   芭蕉

 

にも見られる表現で、俗世と隔絶されてという意味だろう。

 野老(ことろ)は山芋に似ているが根は苦く、かつてはあく抜きして食べられていたという。根が老人の髭のようでお目出度いというので正月飾りにされていた。

 野老売りは一種の縁起物を売る人ということで、穢多同様の聖=賤の構造があったのかもしれない。

 『続猿蓑』に、

 

 守梅のあそび業なり野老賣    其角

 

の句がある。梅を守るのが本業で、野老売りは副業ということか。

 前句と合わせて考えると、野老売りは花守の副業だったのかもしれない。その花守自体もよくわかっていない謎の職業で、その意味でも「世の外」なのだろう。

 花守?=野老売りの仙人のような俗世と隔絶された風貌とともにこの一巻は目出度く終了する。

 

季語は「野老売り」で春、人倫。