「月見する」の巻、解説

元禄三年、八月十五日、膳所義仲寺無名庵にて

初表

   古寺翫月

 月見する座にうつくしき顔もなし  芭蕉

   庭の柿の葉みの虫になれ    尚白

 火桶ぬる窓の手際を身にしめて   尚白

   別当殿の古き扶持米      芭蕉

 尾頭のめでたかりける塩小鯛    芭蕉

   百家しめたる川の水上     尚白

 

初裏

 寂寞と参る人なき薬師堂      尚白

   雨の曇りに昼蚊ねさせぬ    芭蕉

 一むしろなぐれて残る市の草    尚白

   這かかる子の飯つかむなり   芭蕉

 いそがしとさがしかねたる油筒   尚白

   ねぶと踏れてわかれ侘つつ   芭蕉

 月の前おさへてしゐる小屋の宿   尚白

   桔梗かるかや夜すがらの虫   芭蕉

 位散る髪は黄色に秋暮て      尚白

   大工の損をいのる迁宮     芭蕉

 三石の猿楽やとふ花ざかり     尚白

   八ツさがりより春の吹降    芭蕉

 

 

二表

 雁帰る白根に雲のひろがりて    芭蕉

   うちのる馬にすくむ襟巻    尚白

 商人の腰に指たる綿秤       芭蕉

   物よくしやべるいわらじの貌  尚白

 蒜の香のよりもそはれぬ恋をして  芭蕉

   暑気によはる水無月の蚊屋   尚白

 蜩の声つくしたる玄関番      芭蕉

   高宮ねぎる盆も来にけり    尚白

 薏苡仁に粟の葉向の風たちて    芭蕉

   随分ほそき小の三日月     尚白

 たかとりの城にのぼれば一里半   芭蕉

   さても鳴たるほととぎすかな  尚白

 

二裏

 西行の無言の時の夕間暮      芭蕉

   小草ちらちら野は遙なり    尚白

 薄雪のやがて晴たる日の寒さ    尚白

   水汲みかへて捨る宵の茶    芭蕉

 窓あけて雀をいるる軒の花     芭蕉

   折掛垣にいろいろの蝶     尚白

 

      参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

   古寺翫月

 月見する座にうつくしき顔もなし  芭蕉

 

 まあ、野郎二人の興行では「うつくしき顔もなし」だろう。前書きに「古寺」とあるから、そこからも年取ったお坊さんばかりというイメージは沸く。実際の義仲寺がどうだったかは知らないが。

 

季語は「月見」で秋、夜分、天象。

 

 

   月見する座にうつくしき顔もなし

 庭の柿の葉みの虫になれ      尚白

 (月見する座にうつくしき顔もなし庭の柿の葉みの虫になれ)

 

 蓑虫というと、芭蕉の貞享四年の句に、

 

 蓑虫の音を聞きに来よ草の庵    芭蕉

 

があり、伊賀の土芳が貞享五年三月に蓑虫庵を開いたときに、「蓑虫の」の句の自画賛を送られたというが、現存しない。これとは別に鯉屋杉風のところに伝来する芭蕉庵を描いた自画賛と英一蝶画の「みのむしの発句賛」が現存している。

 芭蕉の蓑虫の句を意識したのであろう。この無名庵にも柿の木があるから、柿の葉で蓑虫になれば芭蕉庵や蓑虫庵と肩を並べることになる。

 

季語は「みの虫」で秋、虫類。

 

第三

 

   庭の柿の葉みの虫になれ

 火桶ぬる窓の手際を身にしめて   尚白

 (火桶ぬる窓の手際を身にしめて庭の柿の葉みの虫になれ)

 

 火桶は丸い木製の火鉢で、漆を塗って仕上げた。蒔絵を入れた高級なものもあった。

 ここでは漆を塗って仕上げる職人の手際を詠んだもので、製作中の火桶だから冬季にはならない。「身にしめて」で秋になる。

 

季語は「身にしめて」で秋。

 

四句目

 

   火桶ぬる窓の手際を身にしめて

 別当殿の古き扶持米        芭蕉

 (火桶ぬる窓の手際を身にしめて別当殿の古き扶持米)

 

 別当は神仏習合の際の神社を管理する僧のことで、修験の寺にも別当がいた。

 前句を完成した火桶を納品する場面とし、別当から扶持米をもらう。

 

無季。「別当」は人倫。

 

五句目

 

   別当殿の古き扶持米

 尾頭のめでたかりける塩小鯛    芭蕉

 (尾頭のめでたかりける塩小鯛別当殿の古き扶持米)

 

 ここでいう小鯛はチダイではなく単に小さな鯛という意味だろう。保存するために塩漬けにする。塩漬けにすると小さな鯛がもっと小さくなるが、それでもちゃんと尾頭がついていてお目出度い。

 別当は仏者だが、他人の殺生した魚は食べる。祝い事の席なのだろう。ただ、贅沢はせずに、塩漬けの小鯛くらいに慎ましく止めておく。

 

無季。

 

六句目

 

   尾頭のめでたかりける塩小鯛

 百家しめたる川の水上       尚白

 (尾頭のめでたかりける塩小鯛百家しめたる川の水上)

 

 これは尾頭を「御頭様」に取り成しての展開だろう。百家を従え川上に屋敷を構えている。海から遠いから鮮魚ではなく、おめでたい席でも塩鯛になる。

 

無季。「川の水上」は水辺。

初裏

七句目

 

   百家しめたる川の水上

 寂寞と参る人なき薬師堂      尚白

 (寂寞と参る人なき薬師堂百家しめたる川の水上)

 

 前句の「川の水上」を山の奥の方として、忘れ去られたような薬師堂を付けて流したと思われる。

 

無季。釈教。「人」は人倫。

 

八句目

 

   寂寞と参る人なき薬師堂

 雨の曇りに昼蚊ねさせぬ      芭蕉

 (寂寞と参る人なき薬師堂雨の曇りに昼蚊ねさせぬ)

 

 人のいないお堂は旅人が雨宿りしたりもするが。雨はしのげても蚊が多いのは困ったものだ。

 

季語は「蚊」で夏、虫類。「雨」は降物。

 

九句目

 

   雨の曇りに昼蚊ねさせぬ

 一むしろなぐれて残る市の草    尚白

 (一むしろなぐれて残る市の草雨の曇りに昼蚊ねさせぬ)

 

 「なぐれる」はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、

 

 「①横の方にそれる。 「烟は横に-・れて/ふところ日記 眉山」 「矢ガ-・レタ/ヘボン」

  ②おちぶれる。 「近ごろどこからやら-・れて来た画工/洒落本・列仙伝」

  ③売れ残る。 「新造の-・れた市とすけんいひ/柳多留 9」

 

とある。この場合は①であろう。

 市場の撤収した後、草の上に忘れ去られたように筵が一枚落ちてたりする。ちょうど筵があるからとそこで休もうとすると、蚊が寄ってくる。

 

無季。

 

十句目

 

   一むしろなぐれて残る市の草

 這かかる子の飯つかむなり     芭蕉

 (一むしろなぐれて残る市の草這かかる子の飯つかむなり)

 

 この場合の「なぐれる」は③の意味か。

 市場の草の上で品物の売れ残っている筵があり、小さな子を連れてきているが主人は居眠りでもしているのだろう。子供が勝手に飯を食っている。

 

無季。「子」は人倫。

 

十一句目

 

   這かかる子の飯つかむなり

 いそがしとさがしかねたる油筒   尚白

 (いそがしとさがしかねたる油筒這かかる子の飯つかむなり)

 

 「油筒」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 油を入れる筒。近世には、婚礼用具の一つとして用い、上下に金物をつけ、横に金物の輪を打ち、紅の緒などをつけた。

  ※山科家礼記‐長祿元年(1457)一二月二二日「あふらつつ一〈九合、代は一度申て候也〉」

 

とある。ここでは単に油を量るための竹筒か。油売りが来たけど忙しくて油売ってる暇がない。

 

無季。

 

十二句目

 

   いそがしとさがしかねたる油筒

 ねぶと踏れてわかれ侘つつ     芭蕉

 (いそがしとさがしかねたる油筒ねぶと踏れてわかれ侘つつ)

 

 「ねぶと」はgoo辞書の「デジタル大辞泉(小学館)」に、

 

 「もも・尻など、脂肪の多い部分に多くできるはれもの。化膿 (かのう) して痛む。かたね。」

 

とある。

 後朝のとき、灯りをと思っても油筒がどこにあるのかわからない。その上暗いもんだから腫物のある所を踏まれてしまうし、いいことが何もない。

 

無季。「恋」。

 

十三句目

 

   ねぶと踏れてわかれ侘つつ

 月の前おさへてしゐる小屋の宿   尚白

 (月の前おさへてしゐる小屋の宿ねぶと踏れてわかれ侘つつ)

 

 「おさへて」はこの場合は下に見るという意味か。小屋の宿もよくわからないが、単に粗末な宿屋という意味か、あるいは遊女・若衆のいる芝居小屋か。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十四句目

 

   月の前おさへてしゐる小屋の宿

 桔梗かるかや夜すがらの虫     芭蕉

 (月の前おさへてしゐる小屋の宿桔梗かるかや夜すがらの虫)

 

 月明りの指す宿は小屋でも風流なもので、桔梗に苅萱(かるかや)に一晩中鳴く虫の声が聞こえる。

 苅萱(かるかや)はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「1 イネ科の多年草、オガルカヤとメガルカヤの総称。ススキに似る。根をたわしやはけなどの材料とする。  《季 秋》「野路の雨―独りありのままに/暁台」

  2 《刈り取った草の意》屋根を葺(ふ)くために刈り取る草。」

 

とある。

 「苅萱」は高野山萱堂(刈萱堂)を中心とする萱堂聖と呼ばれる聖集団によって生み出された遁世説話のタイトルでもある。父親を捜して旅をする石童丸が高野山に入る時に、母が女人禁制のために入れず麓の宿の止めておく、その俤もあるのかもしれない。

 

季語は「桔梗」「かるかや」は秋、植物、草類。「虫」も秋、虫類。「夜すがら」は夜分。

 

十五句目

 

   桔梗かるかや夜すがらの虫

 位散る髪は黄色に秋暮て      尚白

 (位散る髪は黄色に秋暮て桔梗かるかや夜すがらの虫)

 

 身分も下がり、抜け落ちた髪も黄色く、秋の終わろうとする。秋の景に老いの悲しさを付ける。

 

季語は「秋暮て」で秋。

 

十六句目

 

   位散る髪は黄色に秋暮て

 大工の損をいのる迁宮       芭蕉

 (位散る髪は黄色に秋暮て大工の損をいのる迁宮)

 

 遷宮はウィキペディアによると、「天災・人災により予定外の本殿の修繕・建て替えが必要になった場合に仮の建物に移す遷宮を仮殿遷宮、予定外に本殿を新たに建てた上で正遷宮と同様の儀式を行ない移す遷宮を臨時遷宮と区別する場合がある。」

 大工の損を祈るというとどういう場面があるのだろうか。本地の寺との土地争いで遷宮を余儀なくされた場合なら、訴訟に勝って遷宮をしなくて済むことを祈るというのは有りかもしれない。老いた神主さんで、今更遷宮はつらいし、頑固でとことん争おうということか。

 

無季。神祇。「大工」は人倫。

 

十七句目

 

   大工の損をいのる迁宮

 三石の猿楽やとふ花ざかり     尚白

 (三石の猿楽やとふ花ざかり大工の損をいのる迁宮)

 

 コトバンクの扶持のところの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 

 「武士1人1日の標準生計費用を米5合と算定して,1ヵ月に1斗5升,1年間に1石8斗,俵に直して米5俵を支給することを一人(いちにん)扶持と呼び,扶持米支給の単位とした。」

 

とあり、三石はこれだと二人扶持にも満たない。元禄七年の、

 

 五人ぶち取てしだるる柳かな    野坡

 

の句があったが、それよりも少ない。売れない猿楽師(能楽師)を呼んできて花見の座で舞わせる神主さんは、大工の賃金も安く買いたたくようなケチな男だったのだろう。

 

季語は「花ざかり」で春、植物、木類。「猿楽」は人倫。

 

十八句目

 

   三石の猿楽やとふ花ざかり

 八ツさがりより春の吹降      芭蕉

 (三石の猿楽やとふ花ざかり八ツさがりより春の吹降)

 

 吹降(ふきぶり)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 強い風といっしょに雨が降ること。また、その風雨。

  ※俳諧・焦尾琴(1701)風「吹降の合羽にそよぐ御祓哉〈其角〉」

 

 八ツ下がりは未の下刻で二時から三時で、春の天気は変わりやすく、急に雨風が強くなる。

 吹降は笛を吹くことに掛けて、猿楽師が送り笛を吹いて、いよいよシテの登場でこれから盛り上がるというときに急に雨になる。

 

季語は「春」で春。「吹降」は降物。

二表

十九句目

 

   八ツさがりより春の吹降

 雁帰る白根に雲のひろがりて    芭蕉

 (雁帰る白根に雲のひろがりて八ツさがりより春の吹降)

 

 雲が広がって雨になる。これは遣り句。

 

季語は「雁帰る」で春、鳥類。「白根」は山類。「雲」は聳物。

 

二十句目

 

   雁帰る白根に雲のひろがりて

 うちのる馬にすくむ襟巻      尚白

 (雁帰る白根に雲のひろがりてうちのる馬にすくむ襟巻)

 

 前句の「白根」を受けて、まだ雪残る山越えの旅とし、寒さで急遽馬に乗ることにして、首に布を巻いて凍える寒さをしのぐ。

 

無季。旅体。「馬」は獣類。

 

二十一句目

 

   うちのる馬にすくむ襟巻

 商人の腰に指たる綿秤       芭蕉

 (商人の腰に指たる綿秤うちのる馬にすくむ襟巻)

 

 「商人(あきうど)の腰に指たる」と来て帯刀してるのかと思わせておいて、綿秤で落ちにする。

 軽くてかさのある物を量るため、綿秤は棹が長く、腰に差していると長刀かと見誤る。

 

無季。「商人」は人倫。

 

二十二句目

 

   商人の腰に指たる綿秤

 物よくしやべるいわらじの貌    尚白

 (商人の腰に指たる綿秤物よくしやべるいわらじの貌)

 

 「いわらじ」はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、

 

 「〔「いえわらし(家童子)」の転とも、「いえあるじ(家主)」の転とも〕

  農家の主婦。 「わめく声に出女ども、-もろとも表に出づる/浄瑠璃・丹波与作 中」 〔歴史的仮名遣い「いわらじ」か「いはらじ」か未詳〕」

 

とある。

 綿農家のところに綿商人がやってくると、そこの主婦がおしゃべりでなかなか綿を出してくれない。秤はいつまでも腰に差したまま。

 

無季。「いわらじ」は人倫。

 

二十三句目

 

   物よくしやべるいわらじの貌

 蒜の香のよりもそはれぬ恋をして  芭蕉

 (蒜の香のよりもそはれぬ恋をして物よくしやべるいわらじの貌)

 

 これは『源氏物語』帚木巻のニンニク女のことだろう。藤式部(とうしきぶ)の丞の昔付き合ってた女で博士の娘だが、熱病でニンニクを食べていて、その匂いに辟易して逃げ帰ったという話で、筆者は紫式部自身の自虐ネタではないかと思っている。

 その時の、

 

 逢ふことのよをしへだてぬなかならば

     ひるまもなにかまばゆからまし

 (夜ごとに愛し合ってる仲ならば

     昼(蒜)でもなんら恥ずかしくない)

 

の歌が思い浮かぶ。

 ここでは相手が田舎の人妻になってしまうが。

 

無季。恋。

 

二十四句目

 

   蒜の香のよりもそはれぬ恋をして

 暑気によはる水無月の蚊屋     尚白

 (蒜の香のよりもそはれぬ恋をして暑気によはる水無月の蚊屋)

 

 ニンニクは夏バテ防止になる。

 

季語は「暑気」「水無月」「蚊帳」で夏。

 

二十五句目

 

   暑気によはる水無月の蚊屋

 蜩の声つくしたる玄関番      芭蕉

 (蜩の声つくしたる玄関番暑気によはる水無月の蚊屋)

 

 ヒグラシは秋の季語になっているが、夏の他の蝉が鳴く頃から鳴き始める。水無月の暑い盛りでも日が暮れる頃にはヒグラシが鳴き、夏バテの玄関番もこの声が聞こえる頃には生き返った気分になるのかな?かな?

 

季語は「蜩」で秋、虫類。「玄関番」は人倫。

 

二十六句目

 

   蜩の声つくしたる玄関番

 高宮ねぎる盆も来にけり      尚白

 (蜩の声つくしたる玄関番高宮ねぎる盆も来にけり)

 

 「高宮(たかみや)」は『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)の宮本注に、「近江国高宮から産した荒い麻布」とある。

 コトバンクの麻宮布の「精選版 日本国語大辞典の解説」には、

 

 「〘名〙 滋賀県彦根市高宮付近で産出される麻織物。奈良晒(ならざらし)の影響を受けてはじめられ、近世に広く用いられた。高宮。〔俳諧・毛吹草(1638)〕」

 

とある。

 近江上布とも呼ばれ、上布はウィキペディアに、

 

 「細い麻糸(大麻と苧麻)を平織りしてできる上等な麻布。過去に幕府などへ献上、上納された。縞や絣模様が多く、夏用和服に使われる。」

 

とある。玄関番のようなぴしっとした格好をする人には夏の必需品だったのだろう。

 盆の頃になるとこれから涼しくなるというので売れなくなるから、そのころ合いを見計らって値切って買い、来年用にする。位付け。

 

季語は「盆」で夏。

 

二十七句目

 

   高宮ねぎる盆も来にけり

 薏苡仁に粟の葉向の風たちて    芭蕉

 (薏苡仁に粟の葉向の風たちて高宮ねぎる盆も来にけり)

 

 「薏苡仁」は漢方薬の「よくいにん」で、ハトムギの種皮を除いた種子を原料とする。そのため「はとむぎ」と読む場合もあるが、ここでは「すすだま(数珠玉)」のことらしい。ウィキペディアには、

 

 「ハトムギ(鳩麦、学名:Coix lacryma-jobi var. ma-yuen)はイネ科ジュズダマ属の穀物。ジュズダマとは近縁種で、栽培化によって生じた変種である。ハトムギ粒のデンプンは糯性であり、ジュズダマは粳性である。

 アジアでは主食やハトムギ茶など食品として、成分の薏苡仁(ヨクイニン)は生薬として利用されている。」

 

とある。

 ハトムギは夏作穀類なので、粟と同様秋に収穫する。ここで粟と並べられている以上、「すすだま」と読むにしても実質は栽培されているハトムギのことではないかと思う。

 「葉向(はむけ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 風などが草木の葉を一方になびかせること。また、そのなびいた葉叢。

  ※出観集(1170‐75頃)秋「野辺近き荻のはむけはくらけれど月にかへつる風哀なり」

 

とある。

 ハトムギや粟が背高く伸びて秋風に一斉になびく頃にはお盆になる。

 

季語は「薏苡仁」「粟」で秋、植物、草類。

 

二十八句目

 

   薏苡仁に粟の葉向の風たちて

 随分ほそき小の三日月       尚白

 (薏苡仁に粟の葉向の風たちて随分ほそき小の三日月)

 

 ハトムギや粟のような雑穀の貧しい感じに細い貧相な三日月を付けるという響き付けになる。

 旧暦にも三十日まである大の月と二十九日で終わる小の月とがある。朔(月と太陽の視黄経が等しくなること)になる日を朔日とし、朔日と次の朔日との間が二十九日しかない場合は小の月となる。

 貞享元年に渋川春海(二世安井算哲)が改暦した時に中国と日本との時差を考慮し、日本時間で朔になる日を朔日としたため、たとえば日本で午前一時に朔になる場合、中国では午後十二時になる。そのため中国を基本にした暦では晦日でも、貞享暦では朔日になるという一日のずれが生じる場合が出てきた。そのためそれまでは二日の月だったものが三日月になる場合も生じた。

 このずれは多分当時の人の間でも話題になったのだろう。尚白の句だけでなく、

 

 木枯しに二日の月の吹き散るか   荷兮

 

の句も、従来の朔日が二日になったため、月のない二日が生じたという意味ではなかったかと思う。

 

季語は「三日月」で秋、夜分、天象。

 

二十九句目

 

   随分ほそき小の三日月

 たかとりの城にのぼれば一里半   芭蕉

 (たかとりの城にのぼれば一里半随分ほそき小の三日月)

 

 奈良の高取藩の藩庁である高取城は日本三大山城の一つで、ウィキペディアによれば、

 

 「城は、高取町市街から4キロメートル程南東にある、標高583メートル、比高350メートルの高取山山上に築かれた山城である。山上に白漆喰塗りの天守や櫓が29棟建て並べられ、城下町より望む姿は「巽高取雪かと見れば、雪ではござらぬ土佐の城」と歌われた。なお、土佐とは高取の旧名である。

 曲輪の連なった連郭式の山城で、城内の面積は約10,000平方メートル、周囲は約3キロメートル、城郭全域の総面積約60,000平方メートル、周囲約30キロメートルに及ぶ。」

 

という。周囲三十キロだと直径十キロ弱で、まあ門から城の中心まで一里半というのは誇張ではなさそうだ。たどり着く頃には日が暮れてしまう。

 

 高取の城の寒さやよしの山     其角

 

の句もある。

 

無季。

 

三十句目

 

   たかとりの城にのぼれば一里半

 さても鳴たるほととぎすかな    尚白

 (たかとりの城にのぼれば一里半さても鳴たるほととぎすかな)

 

 山だからホトトギスも鳴く。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。

二裏

三十一句目

 

   さても鳴たるほととぎすかな

 西行の無言の時の夕間暮      芭蕉

 (西行の無言の時の夕間暮さても鳴たるほととぎすかな)

 

 ホトトギスは夜通し待ってようやく明け方に聞くのを本意とするので、夕方から鳴いてても歌にならない。ホトトギスで西行というと、

 

 我やどに花たちばなを植ゑてこそ

     山ほととぎす待つべかりけれ

               西行法師

 郭公待つ心のみつくさせて

     声をば惜しむ五月なりけり

               同

 ほととぎすなごりあらせて帰りしが

     聞き捨つるにもなりにけるかな

               同

 

などの歌がある。

 

無季。

 

三十二句目

 

   西行の無言の時の夕間暮

 小草ちらちら野は遙なり      尚白

 (西行の無言の時の夕間暮小草ちらちら野は遙なり)

 

 西行だから旅体ということで、遥かな野の風景を付ける。

 

無季。旅体。「小草」は植物、草類。

 

三十三句目

 

   小草ちらちら野は遙なり

 薄雪のやがて晴たる日の寒さ    尚白

 (薄雪のやがて晴たる日の寒さ小草ちらちら野は遙なり)

 

 薄雪が融ければ野には草が見えてくる。

 

季語は「薄雪」で冬、降物。「寒さ」も冬。

 

三十四句目

 

   薄雪のやがて晴たる日の寒さ

 水汲みかへて捨る宵の茶      芭蕉

 (薄雪のやがて晴たる日の寒さ水汲みかへて捨る宵の茶)

 

 雪も上がり晴れたところで水を汲みに行く。水を汲んだら昨日のお茶を捨てて新たにお茶を淹れなおす。単なる景に生活感を加える。

 

無季。

 

三十五句目

 

   水汲みかへて捨る宵の茶

 窓あけて雀をいるる軒の花     芭蕉

 (窓あけて雀をいるる軒の花水汲みかへて捨る宵の茶)

 

 宵の茶を捨てるのに、台所の明かり取りの窓を開ける。すると軒端に桜の花が咲いているのが見え、雀も飛び込んでくる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「雀」は鳥類。

 

挙句

 

   窓あけて雀をいるる軒の花

 折掛垣にいろいろの蝶       尚白

 (窓あけて雀をいるる軒の花折掛垣にいろいろの蝶)

 

 「折掛垣(をりかけがき)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 竹や柴などを折り曲げて地面にさしたものを続けてつくった垣根。しおりがき。折掛。

  ※菅家御集(鎌倉‐室町)「山里のをりかけ垣の梅の枝わひしらなからはなや咲らん」

 

とある。軒の花に垣の蝶を添えて、ここも軽く景を付けて終わらせる。

 

季語は「蝶」で春、虫類。