「されば爰に」の巻、解説

初表

  さればここに談林の木あり梅の花    宗因そういん

)

    世俗せぞくねむりをさますうぐひす    せっさい

)

  朝霞あさがすみたばこのけぶりよこおれて    在色さいしき

)

    駕籠かごかき過るあとの山風    いってつ

)

  ながむればともやりつづく峰の松    正友せいゆう

)

    追手おうてにちかきかけはしの月    志計しけい

)

  小男鹿さおじかわら人形におそるらん    一朝いっちょう

)

    五色ごしきの紙に萩の下露      しょうきゅう

)

 

初裏

  星合ほしあひの歌を吟ずる夕の風      ぼくせき

)

    をかたぶけて水銀みづかね茶碗    しょう

)

  香薷散かうじゅさんめしあがられて御覧ぜよ     執筆

    なふなふ旅人三伏さんぷくの夏     在色

  なみ松の声高ふして馬やらふ     雪柴

    いそうつ波のさはぐふなつき     正友

  傾城けいせいをあらそひかねてまくりぎり   志計

    なみだの淵をくぐるさいの目      一朝

  勘当かんどうや夢もむすばぬ袖枕      松臼

    つよくいさめし分別の月    卜尺

  おさかづき存じのほかの露しぐれ      松意

    ふらるるうらみ山のの色    雪柴

  一分いちぶんは男自慢の花ざかり      一鉄

    小知せうちをすてて帰るかりがね     志計

 

 

 二表

  かけぐらの春やむかしにすみごろも      在色

    いでその時の鉢ひらきにぞ    松臼

  去間さるあひだ衆生済しゅじゃうさいの辻談義      正友

    三千世界からかさ一本     松意

  ふんぎつて樹下じゅか石上せきじゃうをめくらとび   一朝

    子どもがまなぶ吉野忠信ただのぶ    一鉄

  草双紙くさざうしよりよりこれを窓の雪     卜尺

    風(こし)(ばり)をやぶる柴垣(しばがき)      在色

  ゑりうすき衣かたしくす浪人    雪柴

    住持ぢうじのやつかい小筵さむしろの月    正友

  山門の破損に秋やいたるらん    志計

    手代てだいにまかせをけるしら露   一朝

  御祓おはらひに伊勢の浜荻声そへて     松意

    上荷うはにをはねる大淀おほよどの舟     卜尺

 

 二裏

  なまざかな五分ごぶいちわけて帰る波      松意

    すでに城下の(あけ)ぼのの風     雪柴

  つきがねに夢を残して代番かはりばん        一鉄

    あかぬわかれまうすまんにち      志計

  移りの袖もかやう抹香まつこう     在色

    思ひつもりて瘡頭かさあたまかく     松臼

  ももとせのうばとなりたる道の者     正友

    むばらからたちすゑのはたご屋  松意

  用心は残る所も候はず        一朝

    風やふきけす有明ありあけの月      一鉄

  さてこそな枕をまたく虫の声      卜尺

    童子が好む秋なすの皮      在色

  花嫁はなよめを中につかんでかせ所帯じょたい    雪柴

    りんきいさかひ春風ぞふく    正友

 

 

 三表

  大泪おほなみだそこらあたりの雪きえて      志計

    五十二類や野辺の通ひ路    一朝

  とめ山はしたしげりてわけもなし   松臼

    ここにあらかみ千年の松      卜尺

  要石かなめいしなんぼほつてもぬけませぬ    松意

    なまづの骨を足にぐつすり        雪柴

  はきだめに瓢箪へうたん一つさうらひき       一鉄

    ひぢをまげたるうらだなの秋    志計

  やぶ医者もすこし工夫くふうのさぢの月      在色

    諸方しょほうのはじめひえておどろく   松臼

  その形こりかたまりて今朝けさの露     正友

    灰かきのけて見たるあだし野   松意

  穴蔵あなぐらゆくいかにとわすれみづ      一朝

    宿がへをせし東路あづまぢはて     一鉄

 

 三裏

  借銭しゃくせんは人のこころの敵となり    卜尺 

    くわん天皇九代ののみぬけ     在色

  道外どうけまひ塩辛しほからつぼとはやされたり   雪柴

    戸棚をゆらりととぶ猫の声    正友

  恋せしは衛門ゑもんといひし見世守リ  志計

    おちゃうにおゐて皆きせるやき     一朝

  起請文きしゃうもん既に宿しゅくろうふでとりにて     松臼

    今度こたびの訴訟白洲しらすをまくら    卜尺

  網引場あみびきば月の出はには西にあり    松意

    木仏きほとけよごかきがらの露      雪柴

  秋風をいたむ小寺のかたびさし      一鉄

    新発心しんぼち寒くなりまさるらん    志計

  ひさかたの天狗のわるさ花の雪     在色

    まづ谷ちかき百千ももちどりなく     松臼

 

 

 名残表

  音羽山かすみをわけて礼返し     正友

    関のこなたにばさばさあふぎ  松意

  にはかぞりかかる藁屋わらやを命にて       一朝

    あはれ今年の中にびゃうこう     一鉄

  青表紙かさなる山を枕もと     卜尺

    ひとッぷしかたる松の夜あらし  在色

  色をふくむ二三の糸のかた時雨しぐれ    雪柴

    君が格子かうしによるとなく鹿    正友

  文使ふみづかひ山本さして野辺のべの秋       志計

    しゅだうのおこり嵯峨さがの月影    一朝

  追腹おひばらやその古塚の女郎花をみなへし      松臼

    千石の家たてりとおもへば    卜尺

  倹約をまもるといつぱ手鼻てばなにて        一鉄

    すい風呂ふろよりもむしろ洗足せんそく      松意

 

 名残裏

  旅衣幾日いくかかさねて気むづかし     志計

    その沢のほとりあとつけ枕     松臼

  きりどりはにげて野中のあさぼらけ      一朝

    代官殿へひびく松風       雪柴

  つき臼を民のかまどにたてならべ    在色

    難波なにはの京に大力だいぢからあり        一鉄

  連俳れんぱいや何をとうてもはなごろも        松意

    一座の崇敬すうけい万年の春       正友

 

       参考;『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)

初表

発句

 

 されば(ここ)に談林の木あり梅の花   宗因(そういん)

 

 宗因は「(ばい)(おう)」とも呼ばれている。ここに談林に同調する俳諧師たちが集まり、宗因流の花を咲かせている、と高らかに宣言した句と見て間違いない。

 

季語は「梅」で春、植物、木類。

 

 

されば(ここ)に談林の木あり梅の花

世俗(せぞく)(ねむり)をさますうぐひす      (せっ)(さい)

 (されば(ここ)に談林の木あり梅の花世俗(せぞく)(ねむり)をさますうぐひす)

 

 談林の俳諧は世俗大衆の目が覚めるような斬新なもので、正月の梅に花に目出度さを添える鶯のように、今新しい年(時代)が始まる。

 

季語は「うぐひす」で春、鳥類。

 

第三

 

   世俗(せぞく)(ねむり)をさますうぐひす

 朝霞(あさがすみ)たばこの(けぶり)よこおれて    在色(さいしき)

 (朝霞(あさがすみ)たばこの(けぶり)よこおれて世俗(せぞく)(ねむり)をさますうぐひす)

 

 第三は発句のメッセージから離れる。

 世俗の人の眠りから覚める情景とする。「よこおれ」は「横ほる」で横たわることを言う。寝覚めの一服の煙草の煙が春の霞のように部屋に横たわる。

 「横ほる」は用例は少ないが雅語で、

 

 東路(あづまぢ)やよこほる山にふせるなり

     さやにも見はや古郷(ふるさと)の夢

              正徹(しょうてつ)(草根集)

 月まてと雲もよこほるかひかねに

     光さきたつ秋の白雪

              同

 

など、歌に用いられている。

 

語は「朝霞」で春、聳物(そびきもの) 

 

四句目

 

 朝霞(あさがすみ)たばこの(けぶり)よこおれて

 駕籠(かご)かき過るあとの山風      (いっ)(てつ)

 (朝霞(あさがすみ)たばこの(けぶり)よこおれて駕籠(かご)かき過るあとの山風)

 

 前句を旅宿の朝として、旅発つ人の駕籠が一通り通り過ぎると、後にはただ風が吹いているだけ。静かになる。

 

無季。旅体。「駕籠かき」は人倫。

 

五句目

 

   駕籠(かご)かき過るあとの山風

 ながむれば(とも)(やり)つづく峰の松    正友(せいゆう)

 (ながむれば(とも)(やり)つづく峰の松(とも)(やり)かき過るあとの山風)

 

 前句の駕籠を大名行列の駕籠として、あとから鑓持ちが続く。山風に峰の松が付く。

 

無季。「供鑓」は人倫。「峰」は山類。「松」は植物、木類。

 

六句目

 

   ながむれば(とも)(やり)つづく峰の松

 追手(おうて)にちかきかけはしの月     志計(しけい)

 (ながむれば(とも)(やり)つづく峰の松追手(おうて)にちかきかけはしの月)

 

 「追手」は大手門のこと。鑓持ち達が大手門の前の橋を渡ると、既に宵の月が昇っている。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

七句目

 

   追手(おうて)にちかきかけはしの月志計(しけい)

 小男鹿(さおじか)(わら)人形におそるらん    一朝(いっちょう)

 (小男鹿(さおじか)(わら)人形におそるらん追手(おうて)にちかきかけはしの月)

 

 藁人形と言えば楠正成の有名なはかり事で、千早城を防衛するために城の前に鎧を着せた藁人形を配置し、城を出たと見せかけて、敵が藁人形に群がるとそこに石垣の上から石を落としたという。

 月明りでは藁人形も本物の軍勢に見えてしまう。それを小男鹿どもが恐れたのだろうか。

 秋の季語が必要なので、敵の軍勢を小男鹿に喩える。

 

季語は「小男鹿」で秋、獣類。

 

八句目

 

 小男鹿(さおじか)(わら)人形におそるらん

 五色(ごしき)の紙に萩の下露        (しょう)(きゅう)

 (小男鹿(さおじか)(わら)人形におそるらん五色(ごしき)の紙に萩の下露)

 

 五色の紙は御幣(ごへい)のことで、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「御幣」の解説」に、

 

 「金、銀、白色、五色などの紙垂(しで)を幣串(へいぐし)に挿(はさ)んだもの。幣(ぬさ)、幣束を敬っていった語で、神前に用いる。串に挿む紙垂は、もとは四角形の紙を用いたが、のちには、その下方両側に、紙を裁って折った紙垂を付すようになり、さらに後世には紙垂を直接串に挿むようになった。紙垂の様式には、白川家、吉田家その他の諸流がある。また、御幣、幣、幣帛と書いて、いずれも「みてぐら」と読む。語義は、(1)手に持って捧(ささ)げることの御手座(みてくら)(2)絹織物である御妙座(みたえくら)(3)どっさりと供えることの充座(みてくら)、などの諸説があるが、いずれも神への奉り物の意である。したがって、御幣(ごへい)ももとは神への奉り物であったが、のちには神が憑依(ひょうい)する依代(よりしろ)として、あるいは神体として祀(まつ)られるようになった。そこで、土地により、歳徳神(としとくじん)、水神(すいじん)、山神(さんじん)、その他それぞれ神によって、紙の裁ち方や折り方など、さまざまの様式がある。なお、五色の場合は、青黄赤白黒の5色だが、黒のかわりに紫が用いられることが多い。[沼部春友]」

 

とある。

 魔物を追払うための五色の紙だが、庭や畑を荒らしに来た小男鹿がそれを恐れるだろうか。「らん」は反語に取り成される。萩の下露は涙の比喩。談林のお約束。

 

季語は「下露」で秋、降物(ふりもの)。「萩」も秋、植物、草類。

初裏

九句目

 

   五色の紙に萩の下露

 星合(ほしあひ)の歌を吟ずる夕の風      (ぼく)(せき)

 (星合(ほしあひ)の歌を吟ずる夕の風五色の紙に萩の下露)

 

 ここで芭蕉さんのお世話になった小沢さんの登場。この次は編者の松意で、次が執筆だから事実上の末席と言っていいだろう。

 星合は七夕(たなばた)で、前句の五色の紙を七夕の儀式とし、願い事を和歌にして捧げる。

 

季語は「星合」で秋、天象。

 

十句目

 

   星合の歌を吟ずる夕の風

 ()をかたぶけて水銀(みづかね)茶碗      (しょう)()

 (星合の歌を吟ずる夕の風()をかたぶけて水銀(みづかね)茶碗)

 

 水銀茶碗は辰砂(しんしゃ)釉薬(ゆうやく)に使った赤みのある茶碗のことであろう。実際に水銀を使うわけではなく、硫化水銀の結晶の色に似ている所からこの名前があるという。

 前句を数寄者の集まりとして、歌を吟じ水銀茶碗で茶を飲む。「()をかたぶけて」というところに、茶道のうやうやしさが感じられる。「結構なお点前(てまえ)で」というところだろう。

 

無季。

 

十一句目

 

   頭をかたぶけて水銀茶碗

 香薷散(かうじゅさん)(めし)(あが)られて御覧ぜよ     執筆

 (香薷散召上られて御覧ぜよ頭をかたぶけて水銀茶碗)

 

 香薷散(かうじゅさん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「香薷散」の解説」に、

 

 「〘名〙 陰干しにしたナギナタコウジュの粉末で作る薬。暑気払いの薬。江戸時代には、霍乱(かくらん)の薬として、旅行者の多くがこれを携行した。《季・夏》

  ※言継卿記‐天文一三年(1544)六月一七日「右衛門佐今朝香薷散所望之間聊持向、同麝香丸〈一貝〉遣之」

 

とある。

 金持ちの偉い人は香薷散を飲むのにも水銀茶碗を使う。あるいは水銀茶碗を売りに来た商人が、薬を飲むのに用いてはいかがですかと勧める場面か。

 

無季。

 

十二句目

 

   香薷散召上られて御覧ぜよ

 なふなふ旅人三伏(さんぷく)の夏       在色

 (香薷散召上られて御覧ぜよなふなふ旅人三伏の夏)

 

 三伏(さんぷく)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「三伏」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「さんぶく」とも。「伏」は火気を恐れて金気が伏蔵する日の意)

  ① 一般には、夏至後の第三庚(かのえ)を初伏、第四の庚を中伏、立秋後初めての庚を末伏といい、その初中末の伏の称。五行思想で夏は火に、秋は金に当たるところから、夏至から立秋にかけては、秋の金気が盛り上がろうとして夏の火気におさえられ、やむなく伏蔵しているとするが、庚日にはその状態が特に著しいとして三伏日とした。この日は種まきに悪いという。《季・夏》

  ※翰林葫蘆集(1518頃)三・便面「紅塵三伏汗如レ湯、不レ及三鷺鸞栖二柳塘一」 〔梁簡文帝‐謝賚扇啓〕

  ② (①から転じて) 時候の挨拶で酷暑の候をいう。」

 

とある。ここでは②の意味でいいだろう。

 前句を街道の薬売りの口上とする。

 

季語は「夏」で夏。旅体。「旅人」は人倫。

 

十三句目

 

   なふなふ旅人三伏の夏

 なみ松の声高ふして馬やらふ   雪柴

 (なみ松の声高ふして馬やらふなふなふ旅人三伏の夏)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は、謡曲『(げん)太夫(だゆう)』の、

 

 「時は三伏(さんぷく)の夏の日の、熱田の宮路(みやぢ)浦伝(うらづた)ひ、近く鳴海の磯の波、松風(まつかぜ)の声寝覚(ねざめ)の里、聞くにも心涼しく(おい)の身も夏や忘るらん老の身も夏や忘るらん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.10347-10352). Yamatouta e books. Kindle .

 

の場面を引いている。

 なみ松はここでは「なみ」と「松」で「磯の波、松風」を略していて、熱田神宮に近い海辺の景色として、馬やらふを謡曲に登場する勅使(ちょくし)とする。

 

無季。「なみ」は水辺、「松」は植物、木類。「馬」は獣類。

 

十四句目

 

   なみ松の声高ふして馬やらふ

 (いそ)うつ波のさはぐ(ふな)(つき)       正友

 (なみ松の声高ふして馬やらふ礒うつ波のさはぐ舟着)

 

 前句の「なみ」がわざと平仮名にしてあるのは、「並松」と取り成すためで、街道の松並木として船着き場を付ける。

 

無季。「礒うつ波」「舟着」は水辺。

 

十五句目

 

   礒うつ波のさはぐ舟着

 傾城(けいせい)をあらそひかねてまくり(ぎり)   志計

 (傾城をあらそひかねてまくり切礒うつ波のさはぐ舟着)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は、謡曲『兼平(かねひら)』の、

 

 「兼平と、名乗りかけて、大勢(おおぜい)に割つて入れば、もとより、一騎当千(とおぜん)の、秘術を現し大勢(おおぜい)を、粟津の、(みぎわ)に追つつめて磯打つ波の、まくり()り、蜘蛛手(くもで)十文字(じうもんじ)に、打ち破り・かけ(とお)つて、その(のち)、自害の手本よとて・太刀を(くわ)へつつ逆様に落ちて、(つな)ぬかれ失せにけり。兼平が最期(さいご)仕儀(しぎ)目を驚かす有様かな目を驚かす有様かな。(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.18676-18687). Yamatouta e books. Kindle .

 

の場面としている。

 「まくり切り」は「切りまくり」と同じ。

 ただ、ここでは遊女を争っての喧嘩の場面に換骨奪胎(かんこつだったい)する。舟着は吉原の日本堤であろう。

 

無季。恋。「傾城」は人倫。

 

十六句目

 

   傾城をあらそひかねてまくり切

 (なみだ)の淵をくぐるさいの目      一朝

 (傾城をあらそひかねてまくり切泪の淵をくぐるさいの目)

 

 豆腐の(さい)の目切りか。汁に入れるのも悲しく、泪の淵に見立てる。傾城に夫を取られた女房の気持ちであろう。

 

無季。恋。

 

十七句目

 

   泪の淵をくぐるさいの目

 勘当(かんどう)や夢もむすばぬ袖枕      松臼

 (勘当や夢もむすばぬ袖枕泪の淵をくぐるさいの目)

 

 賽の目を普通にサイコロの目として、夫の博奕が過ぎて親から勘当されたとする。明日からどうやって生活してゆこうかと思うと、涙が止まらない。

 

無季。恋。「袖」は衣裳。

 

十八句目

 

   勘当や夢もむすばぬ袖枕

 つよくいさめし分別の月     卜尺

 (勘当や夢もむすばぬ袖枕つよくいさめし分別の月)

 

 勘当は何度も強く諫めたが、それでも直らなかった結果だった。「分別の月」は真如の月に倣った言い回しか。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十九句目

 

   つよくいさめし分別の月

 お(さかづき)存じの(ほか)の露しぐれ     松意

 (お盃存じの外の露しぐれつよくいさめし分別の月)

 

 「お(さかづき)」は御盃(ぎょはい)のことか。

 忠臣が主君を強く諫めて、その分別に感謝のしるしとして御杯を賜る。注がれた酒はさながら月のきらめく露時雨のようだ。

 

季語は「露しぐれ」で秋、降物。

 

二十句目

 

   お盃存じの外の露しぐれ

 ふらるるうらみ山の()の色     雪柴

 (お盃存じの外の露しぐれふらるるうらみ山の端の色)

 

 「山の端の色」は紅葉の色で秋になる。紅葉は時雨の染めるもので、

 

 白露も時雨もいたくもる山は

     下葉のこらず色づきにけり

              紀貫之(きのつらゆき)(古今集)

 

のように、古くから和歌に詠まれている。

 前句の「お盃」を離別の盃とし、「ふられる」というのはここでは恋の意味ではなく、割り振られる、という意味で、今日だと芸人が言うような「ネタを振る」「無茶振りする」のような「振り」に近いのではないかと思う。

 離別の宴の盃が自分の方に回って来て、その悲しい涙の盃に顔を赤くする。

 

季語は「山の端の色」で秋、山類。

 

二十一句目

 

   ふらるるうらみ山の端の色

 一分(いちぶん)は男自慢の花ざかり      一鉄

 (一分は男自慢の花ざかりふらるるうらみ山の端の色)

 

 一分(いちぶん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「一分」の解説」に、

 

 「① 一〇に分けたものの一つ。十分の一。転じて、ごくわずかの意にも用いる。

  ※宇津保(970999頃)俊蔭「おのが一分とくぶんなし。なにによりてか、なんぢ一分あたらむ」

  ※読本・昔話稲妻表紙(1806)五「さもあらば我身の罪の一分(イチブン)を減じ」

  ② 一身。自身。自分ひとり。

  ※仮名草子・竹斎(162123)上「是を知らぬかと人に思はれん事を悲しみ、一ぶん済まひたる顔をして」

  ③ 一身の面目、責任。その人、ひとりの分際。一分が廃(すた)る・一分立()つ。

  ※浮世草子・好色敗毒散(1703)五「是皆身より出たる錆刀、一分に瑕がついたる上は」

  ④ 同様。一様。

  ※御伽草子・三人法師(古典文庫所収)(室町末)「十六の年近習一ぶんにて、朝夕召つかはるる間」

  ⑤ そのことに専念すること。一筋。

  ※評判記・けしずみ(1677)「こひをはなれてつとめ一ぶんのあひやうなるべし」

 

とある。多義な言葉だが、②の今の言葉の「自分」が他人に対しても拡大されて、③の意味になったのだと思う。今でも相手に対し「自分はどうなんだよ」という自分と同じで、この場合も「手前(てめえ)は男自慢の花ざかり」という意味になる。

 そんな話を延々と振られると、せっかくの花の宴も台無しだ。そうやって日も傾き山の端が染まって行く。

 

季語は「花ざかり」で春、植物、木類。

 

二十二句目

 

   一分は男自慢の花ざかり

 小知(せうち)をすてて帰る(かり)(がね)       志計

 (一分は男自慢の花ざかり小知をすてて帰る雁金)

 

 前句の「一分」をお金の一分(いちぶ)とする。鳥の「かりがね」と借金の「借り金」を掛けるのはお約束。

 小知はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「小知」の解説」に、

 

 「〘名〙 少しの知行。わずかな扶持。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「一分は男自慢の花ざかり〈一鐵〉 小知をすてて帰る雁金〈志計〉」

 

とある。

 わずかな扶持をもらって生活しても、それだけでは足りず、結局主君から前借を重ねることになる。自分で一分を稼ぎ出して、借金を返し独立する。

 

季語は「帰る雁金」で春、鳥類。

二表

二十三句目

 

   小知をすてて帰る雁金

 (かけ)(ぐら)の春やむかしに(すみ)(ごろも)      在色

 (欠鞍の春やむかしに墨衣小知をすてて帰る雁金)

 

 『荘子』に「大知は閑閑たり、小知は間間たり」の言葉がある。雁を大知の(ほう)に見立てて、我も小知を捨てて、仏の大知に従い悠々と暮らそうと、馬に鞍を掛けて軍に赴いていたのも昔のこと、今は出家して僧になった、とする。

 「春やむかし」というと、

 

 月やあらぬ春や昔の春ならぬ

     わが身ひとつはもとの身にして

              在原業平(ありわらのなりひら)(古今集)

 

だが。

 

季語は「春」で春。「墨衣」は衣裳。

 

二十四句目

 

   欠鞍の春やむかしに墨衣

 いで(その)時の鉢ひらきにぞ      松臼

 (欠鞍の春やむかしに墨衣いで其時の鉢ひらきにぞ)

 

 「鉢ひらき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鉢開」の解説」に、

 

 「① 鉢の使いはじめ。

  ※咄本・醒睡笑(1628)七「今日の振舞は、ただ亭主の鉢びらきにて候」

  ② 鉢を持った僧形の乞食。女の乞食を鉢開婆・鉢婆という。鉢坊主。乞食坊主。」

 

とある。

 前句を逆にして、今は馬に乗っているが昔ははっち坊主だったとする。

 「いで其」というと、

 

 有馬山猪名(いな)の笹原風吹けば

     いでそよ人を忘れやはする

              (だい)弐三位(にのさんみ)(後拾遺集)

 

の歌を連想させる。あの時のはっち坊主をどうして忘れることができよう。

 

無季。釈教。「鉢ひらき」は人倫。

 

二十五句目

 

   いで其時の鉢ひらきにぞ

 去間(さるあひだ)衆生済(しゅじゃうさい)()の辻談義       正友

 (去間衆生済渡の辻談義いで其時の鉢ひらきにぞ)

 

 衆生済(しゅじゃうさい)()はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「衆生済度」の解説」に、

 

 「〘名〙 仏語。衆生を迷いの苦しみから救って悟りの境地へ導くこと。

  ※三国伝記(140746頃か)七「衆生済度の方便は慈悲を以て為レ始」

 

とある。

 あの時辻説法をして喜捨(きしゃ)を集めていたお前か。

 

無季。釈教。

 

二十六句目

 

   去間衆生済渡の辻談義

 三千世界からかさ一本       松意

 (去間衆生済渡の辻談義三千世界からかさ一本)

 

 三千世界はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「三千世界」の解説」に、

 

 「仏教の世界観による全宇宙のこと。三千大千世界の略。われわれの住む所は須弥山(しゅみせん)を中心とし、その周りに四大州があり、さらにその周りに九山八海があるとされ、これを一つの小世界という。小世界は、下は風輪から、上は色(しき)界の初禅天(しょぜんてん)(六欲天の上にある四禅天のひとつ)まで、左右の大きさは鉄囲山(てっちせん)の囲む範囲である。この一小世界を1000集めたのが一つの小千世界であり、この小千世界を1000集めたのが一つの中千世界であり、この中千世界を1000集めたのが一つの大千世界である。その広さ、生成、破壊はすべて第四禅天に同じである。この大千世界は、小・中・大の3種の千世界からできているので三千世界とよばれるのである。先の説明でわかるように、3000の世界の意ではなく、10003乗(1000×1000×1000)、すなわち10億の世界を意味する。[高橋 壯]

 『定方晟著『須弥山と極楽』(1973・講談社)』」

 

とある。とにかくでかい物で、辻談義の僧は大きな話をしているけど、そういう自分はしがない乞食で、住む家もなく、唐傘一本で雨露を凌いでいる。

 

無季。釈教。

 

二十七句目

 

   三千世界からかさ一本

 ふんぎつて樹下(じゅか)石上(せきじゃう)をめくら(とび)   一朝

 (ふんぎつて樹下石上をめくら飛三千世界からかさ一本)

 

 窮地に追い込まれ、観音助け給えとばかりに唐傘一本を落下傘のようにして飛び降りたのだろう。その後どうなったか。

 

無季。

 

二十八句目

 

   ふんぎつて樹下石上をめくら飛

 子どもがまなぶ吉野忠信(ただのぶ)      一鉄

 (ふんぎつて樹下石上をめくら飛子どもがまなぶ吉野忠信)

 

 吉野忠信は源義経(みなもとのよしつね)の家臣の佐藤(さとう)忠信(ただのぶ)のこと。ウィキペディアに、

 

 「室町時代初期に書かれた『義経記』での忠信は、義経の囮となって吉野から一人都に戻って奮戦し、壮絶な自害をする主要人物の一人となっている。義経記の名場面から、歌舞伎もしくは人形浄瑠璃の演目として名高い『義経千本桜』の「狐忠信」こと「源九郎狐」のモデルになった。

 継信・忠信兄弟の妻たちは、息子2人を失い嘆き悲しむ老母(乙和御前)を慰めんとそれぞれの夫の甲冑を身にまとい、その雄姿を装って見せたという逸話があり、婦女子教育の教材として昭和初期までの国定教科書に掲載された。」

 

とある。芭蕉が『奥の細道』の旅で佐藤(さとう)庄司(しょうじ)の旧跡を訪れているが、その佐藤庄司の息子。

 子供の教育のために忠信兄弟の妻たちの話をしても、子供の頭の中では忠信というと『義経記』の吉野合戦で奮戦する忠信の、

 

 「彼処にて死にたらば、自害したりと言はれんと思ひて、草摺掴んで、磐石へ向ひて、えい声を出して跳ねたりけり。二丈許り飛び落ちて、岩の間に足踏み直し、兜の錏押しのけて見れば、覚範も谷を覗きてぞ立ちたりける。「まさなく見えさせ給ふかや。返し合ひ給へや。君の御供とだに思ひ参らせ候はば、西は西海の博多の津、北は北山、佐渡の島、東は蝦夷の千島までも、御供申さんずるぞ」と申しも果てず、えい声を出して跳ねたりけり。」

 

の場面の方だ。古浄瑠璃でもこの場面は隋一の見せ場になる。庭で真似して飛び回る姿が浮かんでくる。

 

無季。「子ども」は人倫。

 

二十九句目

 

   子どもがまなぶ吉野忠信

 草双紙(くさざうし)よりより(これ)を窓の雪     卜尺

 (草双紙よりより是を窓の雪子どもがまなぶ吉野忠信)

 

 古浄瑠璃をノベライズした浄瑠璃本は寛文・延宝の頃は大人気で、当時の子どもたちも夢中で読んだ。蛍の光窓の雪で熱心に勉強してるかと思ったが、というネタで、昭和の頃のオヤジが漫画を読む子供を見るような感覚だ。

 翌延宝四年春の「梅の風」の巻九十句目に、

 

   朝より庭訓今川童子教

 さてこなたには二条喜右衛門    桃青

 

の句があるが、二条喜右衛門は浄瑠璃本を多数出版していた人で、ネタとしては似ているが、浄瑠璃本を揶揄する調子はここにはない。

 新しい文化を肯定するか否定するかで、卜尺と桃青との間にはギャップがあったのだろう。卜尺はいろんな意味でオヤジ臭く、そのあたりの感性の差で其角や杉風のようにはなれなかった。

 

季語は「雪」で冬、降物。「窓」は居所。

 

三十句目

 

   草双紙よりより是を窓の雪

 風(こし)(ばり)をやぶる柴垣(しばがき)        在色

 (草双紙よりより是を窓の雪風腰張をやぶる柴垣)

 

 (こし)(ばり)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「腰張」の解説」に、

 

 「① 壁や襖(ふすま)の下半部に紙や布を張ること。また、その場所やそこに張ったもの。

  ※茶伝集‐一一(古事類苑・遊戯九)「一腰張の事、湊紙ふつくり、其長にて張も吉、〈略〉狭き座敷は腰張高きが能也」

  ② (見終わると壁などに張られたところから) 芝居などの番付表。

  ※雑俳・柳多留‐二一(1786)「こしばりをはかまはおりてくばる也」

  ③ 腰の力。好色であること。

  ④ =こしばりぐら(腰張鞍)〔色葉字類抄(117781)〕」

 

とある。元禄二年の『山中三吟評語』によると、九句目の、

 

   遊女四五人田舎わたらひ

 落書に恋しき君が名もありて   芭蕉

 

の句には「こしはりに恋しき君が名もありて」の初案があったという。宿では掲示板代わりに用いられていたようだ。

 前句を雪の中の廃墟と化した家として、風が腰張を破るとする。『源氏物語』蓬生の、

 

 「霜月ばかりになれば、雪、霰がちにて、ほかには消ゆる間もあるを、朝日、夕日をふせぐ蓬葎の蔭に深う積もりて、越の白山思ひやらるる雪のうちに、出で入る下人だになくて、つれづれと眺め給ふ。」

 (十一月になると雪や霰が時折降って、余所では所々融けているのに、朝日や夕日を遮る蓬や葎の陰に深く積ったまま、越中白山を思わせるような雪の中には出入りする下人すらいなくなって、ただぼんやりと眺めていました。)

 

のイメージもあるのかもしれない。

 

無季。「腰張」「柴垣」は居所。

 

三十一句目

 

   風腰張をやぶる柴垣

 ゑりうすき衣かたしくす浪人    雪柴

 (ゑりうすき衣かたしくす浪人風腰張をやぶる柴垣)

 

 前句をさもしい牢人(ろうにん)の家とする。「衣かたしく」は、

 

 きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに

     衣かたしきひとりかも寝む

              藤原(ふじわらの)(よし)(つね)(新古今集)

 

の歌を思い起こさせる。

 

無季。「ゑりうすき衣」は衣裳。「浪人」は人倫。

 

三十二句目

 

   ゑりうすき衣かたしくす浪人

 住持(ぢうじ)のやつかい小筵(さむしろ)の月      正友

 (ゑりうすき衣かたしくす浪人住持のやつかい小筵の月)

 

 小筵は「さむしろ」で、藤原良経の歌を本歌として寺の居候とする。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。釈教。

 

三十三句目

 

   住持のやつかい小筵の月

 山門の破損に秋やいたるらん    志計

 (山門の破損に秋やいたるらん住持のやつかい小筵の月)

 

 山門が破損したので小筵で応急修理をする。

 

季語は「秋」で秋。釈教。

 

三十四句目

 

   山門の破損に秋やいたるらん

 手代(てだい)にまかせをけるしら露     一朝

 (山門の破損に秋やいたるらん手代にまかせをけるしら露)

 

 手代も多義で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手代」の解説」には、

 

 「① 人の代理をすること。また、その人。てがわり。

  ※御堂関白記‐寛弘六年(1009)九月一一日「僧正奉仕御修善、手代僧進円不云案内」

  ※満済准后日記‐正長二年(1429)七月一九日「於仙洞理覚院尊順僧正五大尊合行法勤修云々。如意寺准后為二手代一参住云々」

  ② 江戸時代、郡代・代官に属し、その指揮をうけ、年貢徴収、普請、警察、裁判など民政一般をつかさどった小吏。同じ郡代・代官の下僚の手付(てつき)と職務内容は異ならないが、手付が幕臣であったのに対し、農民から採用された。

  ※随筆・折たく柴の記(1716頃)中「御代官所の手代などいふものの、私にせし所あるが故なるべし」

  ③ 江戸幕府の小吏。御蔵奉行、作事奉行、小普請奉行、林奉行、漆奉行、書替奉行、畳奉行、材木石奉行、闕所物奉行、川船改役、大坂破損奉行などに属し、雑役に従ったもの。

  ※御触書寛保集成‐一八・正徳三年(1713)七月「諸組与力、同心、手代等明き有之節」

  ④ 江戸時代、諸藩におかれた小吏。

  ※梅津政景日記‐慶長一七年(1612)七月二三日「其切手・てたいの書付、川井嘉兵へに有」

  ⑤ 商家で番頭と丁稚(でっち)との間に位する使用人。奉公して一〇年ぐらいでなった。

  ※浮世草子・好色一代男(1682)一「宇治の茶師の手代(テタイ)めきて、かかる見る目は違はじ」

  ⑥ 商業使用人の一つ。番頭とならんで、営業に関するある種類または特定の事項について代理権を有するもの。支配人と異なり営業全般について代理権は及ばない。現在では、ふつう部長、課長、出張所長などと呼ばれる。〔英和記簿法字類(1878)〕

  ⑦ 江戸時代、劇場の仕切場(しきりば)に詰め、帳元の指揮をうけ会計事務をつかさどったもの。〔劇場新話(180409頃)〕」

 

と、いろいろな手代がいる。下っ端だけどある程度の権限を握っている、という感じがする。いかにも横領とかしてそうな、というイメージがあったのだろう。

 

季語は「しら露」で秋、降物。「手代」は人倫。

 

三十五句目

 

   手代にまかせをけるしら露

 御祓(おはらひ)に伊勢の浜荻声そへて     松意

 (御祓に伊勢の浜荻声そへて手代にまかせをけるしら露)

 

 「伊勢の浜荻」は「難波の芦」ともいう。

 商売の方は手代に任せて伊勢参りに行くが、その手代がどうも心細い。御祓いをしても荻ならぬ芦の上風の寒々とした声がする。

 

季語は「御祓」で夏。神祇。「伊勢の浜荻」は植物、草類、水辺。

 

三十六句目

 

   御祓に伊勢の浜荻声そへて

 上荷(うはに)をはねる大淀(おほよど)の舟       卜尺

 (御祓に伊勢の浜荻声そへて上荷をはねる大淀の舟)

 

 上荷(うはに)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「上荷」の解説」に、

 

 「① 馬などの積み荷のうち、上に積み重ねたもの。

  ※万葉(8C後)五・八九七「ますますも 重き馬荷に 表荷(うはに)打つと 云ふ事の如(ごと)

  ② 車馬または船などの積み荷。上荷物。

  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「秋の海浅瀬は西に有と申 上荷とるらし彼岸の舟〈素玄〉」

  ③ 「うわにぶね(上荷船)」の略。

  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)一「上荷(ウハニ)茶船かぎりもなく川浪に浮ひしは」

 

とある。

 この場合は②でいいと思う。「はねる」は横にはねておくということで、御祓いをするため、一時的に荷物を余所にやる。

 伊勢の浜荻は「難波の芦」ということで、淀川の芦の生えている荷下ろし場の風景とする。

 

無季。「大淀の舟」は水辺。

二裏

三十七句目

 

   上荷をはねる大淀の舟

 (なま)(ざかな)五分(ごぶ)(いち)わけて帰る波      松意

 (生肴五分一わけて帰る波上荷をはねる大淀の舟)

 

 ここでは③の方の(うわ)()(ぶね)になる。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「上荷船」の解説」に、

 

 「〘名〙 大型廻船の荷物の積みおろしをするために使われた喫水の浅い荷船。瀬取船、茶船と同じで、二〇石積みから四〇石積みがふつうだが、所により大きさ、船型に多少の相違がある。うわに。

  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)六「これ天のあたへと喜びくだきて、上荷舟にて取よせ」

 

とある。

五分(ごぶ)(いち)」は『大坂独吟集』第四百韻「十ばかり」の巻九十四句目にも、

 

   鯨よる浦づたひしてふなあそび

 五分(ごぶ)(いち)(まづ)たつ友千鳥       ()(らく)

 

の句がある。

 収穫の五分の一を頂いて帰る。

 

無季。「帰る波」は水辺。

 

三十八句目

 

   生肴五分一わけて帰る波

 すでに城下の(あけ)ぼのの風      雪柴

 (生肴五分一わけて帰る波すでに城下の明ぼのの風)

 

 城下町で魚を売る魚屋であろう。漁船が付くと、その五分の一の上前を港に取られて、その残りをこれから売り歩く。

 

無季。

 

三十九句目

 

   すでに城下の明ぼのの風

 つき(がね)に夢を残して代番(かはりばん)      一鉄

 (つき鐘に夢を残して代番すでに城下の明ぼのの風)

 

 代番(かはりばん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「代番・替番」の解説」に、

 

 「① 互いにかわりあって事をすること。交替でつとめること。順番。かわりばんこ。

  ※俳諧・生玉万句(1673)「十五日つつ東風(こち)かせ恋風〈正察〉 かはり番余所目の関や霞むらん〈昌忠〉」

  ② 交替で当たる番。また、それに当たっていること。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「すでに城下の明ぼのの風〈雪柴〉 つき鐘に夢を残して代番〈一鉄〉」

 

とある。

 明け方からシフトに入る人が、まだ半分眠ったような状態で夜明けの鐘の音を聞く。

 つき鐘は撞木(しゅもく)でついて鳴らす鐘で、お寺の梵鐘をいう。

 

無季。釈教。

 

四十句目

 

   つき鐘に夢を残して代番

 あかぬ(わかれ)(まうす)(まん)(にち)        志計

 (つき鐘に夢を残して代番あかぬ別に申万日)

 

 (まん)(にち)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「万日」の解説」に、

 

 「① 万の日数、また、多くの日数。

  ② =まんにちえこう(万日回向)

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「つき鐘に夢を残して代番〈一鉄〉 あかぬ別に申万日〈志計〉」

 

とある。万日回向はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「万日回向」の解説」に、

 

 「〘名〙 江戸時代、一日参詣すると万日分の功徳に値するとされた特定の日。また、その日の法会。浄土宗の寺院に多く行なわれた。万日。

  ※咄本・軽口露がはなし(1691)三「夫婦づれにて百万辺の万日ゑかうに参るとて」

 

とある。

 「あかぬ(わかれ)」は、

 

 きぬぎぬのあかぬ別れにまたねして

     夢の名残(なごり)をなげきそへつる

              小倉(おぐら)(きん)()(新千載集)

 

が本歌か。後朝(きぬぎぬ)の後に二度寝して、その夢に愛しい人が出てきて悲しいという歌だが、ここでは今日は(まん)(にち)回向(えこう)なので代番を残して行ってしまう、という意味になる。

 

無季。釈教。

 

四十一句目

 

   あかぬ別に申万日

 移り()の袖もか(やう)()抹香(まつこう)     在色

 (移り香の袖もか様に葉抹香あかぬ別に申万日)

 

 ()抹香(まつこう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「葉抹香」の解説」に、

 

 「① 安物の香。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「あかぬ別に申万日〈志計〉 移り香の袖もか様に葉抹香〈在色〉」

  ② 葉のついた樒(しきみ)

  ※俳諧・富士石(1679)「山青し嵐も霞む葉抹香〈等躬〉」

 

とある。おそらく抹香の安価なものであろう。抹香はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「抹香・末香」の解説」に、

 

 「① 沈香(じんこう)・栴檀(せんだん)などをついて粉末にした香。今は、樒(しきみ)の葉と皮とを乾燥し、細末にして製する。仏前で焼香のときに用いる。古くは仏塔・仏像などに散布した。

  ※往生要集(984985)大文二「復如意妙香。塗香抹香無量香。芬馥遍二満於世界一」 〔法華経‐提婆達多品〕

  ② =まっこうくじら(抹香鯨)〔本朝食鑑(1697)〕」

 

とある。(しきみ)を使った安価なものが葉抹香だったか。

 万日回向だと言って行ってしまったあの人は、袖に移った香も安っぽい。

 

無季。「袖」は衣裳。

 

四十二句目

 

   移り香の袖もか様に葉抹香

 思ひつもりて瘡頭(かさあたま)かく       松臼

 (移り香の袖もか様に葉抹香思ひつもりて瘡頭かく)

 

 瘡頭(かさあたま)は「かさがしら」と同じで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「瘡頭」の解説」に、

 

 「〘名〙 おできのできている頭。かさあたま。

  ※御伽草子・高野物語(室町末)「かさがしらそり、此御山にてもはや三十よねんに成候」

  ※譬喩尽(1786)二「瘡頭(カサガシラ)掻乱(かきみだ)したやうな」

 

とある。葉抹香も瘡頭も貧乏臭い。貧乏人の恋。

 

無季。恋。

 

四十三句目

 

   思ひつもりて瘡頭かく

 (もも)とせの(うば)となりたる道の者    正友

 (百とせの姥となりたる道の者思ひつもりて瘡頭かく)

 

 謡曲『卒塔婆小町』であろう。

 

 「今は民間(みんかん)(しづ)のめにさへきたなまれ、諸人(しょじん)に恥をさらし、嬉しからざる月日身に積もつて、百年(ももとせ)(ンば)となりてさむらふ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.43173-43178). Yamatouta e books. Kindle .

 

とある。道は和歌の道。

 

無季。恋。「姥」は人倫。

 

四十四句目

 

    百とせの姥となりたる道の者

 むばらからたちすゑのはたご屋  松意

 (百とせの姥となりたる道の者むばらからたちすゑのはたご屋)

 

 「むばら」はイバラのこと。

 「むばらからたち」は『伊勢物語』六十三段に、

 

 「百年(ももとせ)一年(ひととせ)たらぬつくも髪

     われを恋ふらしおもかげに見ゆ

 

とて、いで立つ気色(けしき)を見て、うばらからたちにかかりて、家にきてうちふせり。」

 

とある。元ネタは在原業平(ありわらのなりひら)はたとえ九十九の婆さんでも分け隔てなく相手するというものだが、ここでは旅籠屋の娼婦として、九十九の婆さんが出て来る。

 老いた娼婦でも相手をするのが色道を究めた本当の遊び人というものだ。

 

無季。旅体。「むばらからたち」は植物、草類。

 

四十五句目

 

   むばらからたちすゑのはたご屋

 用心は残る所も候はず      一朝

 (むばらからたちすゑのはたご屋用心は残る所も候はず)

 

 イバラもカラタチも棘があるので、人の侵入を防ぐ効果がある。イバラとカラタチに守られた()籠屋(たごや)は、防犯意識が高い。

 

無季。

 

四十六句目

 

   用心は残る所も候はず

 風やふきけす有明(ありあけ)の月       一鉄

 (用心は残る所も候はず風やふきけす有明の月)

 

 火の用心ということか。月まで吹き消すなんて、やり過ぎだしシュールだ。

 

季語は「有明の月」で秋、夜分、天象。

 

四十七句目

 

   風やふきけす有明の月

 (さて)こそな枕をまたく虫の声     卜尺

 (扨こそな枕をまたく虫の声風やふきけす有明の月)

 

 前句の「有明」を有明(ありあけ)行燈(あんどん)のこととする。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「有明行灯」の解説」に、

 

 「座敷行灯の一種。江戸時代、寝室の枕(まくら)元において終夜ともし続けた。構造は小形立方体の手提げ行灯で、火袋または箱蓋(はこぶた)の側板が三日月形や満月形などに切り抜かれていて、書見、就寝などのとき灯火の明るさを調節できるようになっている。黒や朱で塗り上げた風雅なもの。[宮本瑞夫]」

 

とある。

 風が行燈の火を吹き消して暗くなると、コオロギなど部屋に入って来て枕の辺りで鳴く。

 

季語は「虫の声」で秋、虫類。

 

四十八句目

 

   扨こそな枕をまたく虫の声

 童子が好む秋なすの皮      在色

 (扨こそな枕をまたく虫の声童子が好む秋なすの皮)

 

 虫が寄ってくるのは、子供が(あき)茄子(なす)を勝手に食って、その皮を枕の辺りに捨てたからだ。

 今は茄子の嫌いな子が多いが、昔は茄子も子供にとってのご馳走だったのだろう。この時代の焼きナスは自分の手で向いて、手掴みで食べていたか。

 

季語は「秋なす」で秋。「童子」は人倫。

 

四十九句目

 

   童子が好む秋なすの皮

 花嫁(はなよめ)を中につかんでかせ所帯(じょたい)    雪柴

 (花嫁を中につかんでかせ所帯童子が好む秋なすの皮)

 

 「花嫁」は無季で非植物だが貞門・談林では正花として扱う。蕉門は基本的に花の定座は春、植物、木類の花に限られ、桜と限定できない譬喩の花でも春、植物、木類として扱う。

 「かせ所帯」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「悴所帯」の解説」に、

 

 「〘名〙 貧乏所帯。貧乏暮らし。貧しい生活。かせせたい。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「童子が好む秋なすの皮〈在色〉 花娵(はなよめ)を中につかんでかせ所帯〈雪柴〉」

  ※浄瑠璃・双生隅田川(1720)三「あるかなきかのかせ所帯(ショタイ)、妻は手づまの賃仕事(しごと)

 

とある。

 子供にはご馳走とはいえ、茄子はやはり貧乏人の食い物で、花嫁も子供と一緒になって茄子を掴んで食べる。

 「秋茄子は嫁に食わすな」とはいうが、悴所帯ではほかに食うものもあるまい。良家では食わすなということか。ひょっとしたら「秋茄子は嫁に食わすな」は、うちではそんな貧乏臭いものは食わないという見栄だったのかもしれない。

 

無季。恋。「花嫁」は人倫、正花。

 

五十句目

 

   花嫁を中につかんでかせ所帯

 りんきいさかひ春風ぞふく    正友

 (花嫁を中につかんでかせ所帯りんきいさかひ春風ぞふく)

 

 貧乏な家では親や兄弟が狭い部屋に同居していて、そんなところに花嫁がいると、手を出しただの出さないだの、いさかいのもとになる。

 

季語は「春風」で春。恋。

三表

五十一句目

 

   りんきいさかひ春風ぞふく

 大泪(おほなみだ)そこらあたりの雪(きえ)て     志計

 (大泪そこらあたりの雪消てりんきいさかひ春風ぞふく)

 

 春風に雪消えてが付け合いになり、「りんきいさかひ」に「大泪」と展開する。

 まあ、思い切り泣けば気も晴れるというものだ。

 

季語は「雪消て」で春。恋。

 

五十二句目

 

   大泪そこらあたりの雪消て

 五十二類や野辺の通ひ路     一朝

 (大泪そこらあたりの雪消て五十二類や野辺の通ひ路)

 

 五十二類はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「五十二類」の解説」に、

 

 「〘名〙 仏語。涅槃経(ねはんぎょう)序品における、釈迦入滅の際、集まって嘆き悲しんだという、仏弟子以下鳥、獣、虫、魚から毒蛇にいたる五十二種の生きもの。一切の衆生をさしていう語。五十二衆。

  ※保元(1220頃か)上「釈迦如来〈略〉彼の二月中の五日の入滅には、五十二類愁(うれへ)の色を顕し」

 

とある。

 涅槃会(ねはんえ)は旧暦二月十五日で、釈迦入滅を悲しむ頃には春も来て、動物たちも通って来る。

 

季語は「五十二類」で春。釈教。

 

五十三句目

 

   五十二類や野辺の通ひ路

 とめ山は(した)()しげりて(わけ)もなし   松臼

 (とめ山は下葉しげりて分もなし五十二類や野辺の通ひ路)

 

 とめ山はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「留山」の解説」に、

 

 「御林(おはやし)などと呼ばれた近世の領主林のうち、入山・伐採を厳格に禁止された山林のこと。近世初期の大建設時代、幕藩領主の囲い込んだ優良森林資源は、搬出可能な地域から大量に伐採され、寛文・延宝期(16611681)には資源桔渇状況に陥った。また、この時期は山野を対象とした耕地開発も進み、山野の水土保全機能が低下して、本田畑への災害を招くようになった。以後、享保期(17161736)頃までに、領主はこうした状況を解消するため、領主林については広く伐採禁止林(留山)を設定して優良森林資源を保護・育成するとともに、水土保全機能の向上に務めた。その結果、領主林からの伐採量は急減し、山元の村々では百姓の稼ぎの場が縮小した。森林資源は徐々に回復するが、伐採規制だけでは不十分であったため、領主林に百姓や地方給人(じかたきゅうにん)・陪臣(ばいしん)などが植林し、その収益を領主と植林者とが一定割合で分ける部分林(ぶわけばやし)制度の導入で、より積極的な資源育成に着手する藩が多かった。[加藤衛拡]

 『農林省山林局編『徳川時代に於ける林野制度の大要』(1954・林野共済会)』『所三男著『近世林業史の研究』(1980・吉川弘文館)』」

 

とある。

 入山禁止の山は柴刈る人も入れずに放置されていて、下葉は茂り放題で、動物たちの天下だ。

 

季語は「しげり」で夏。「とめ山」は山類。

 

五十四句目

 

   とめ山は下葉しげりて分もなし

 (ここ)にあら(かみ)千年の松        卜尺

 (とめ山は下葉しげりて分もなし爰にあら神千年の松)

 

 とめ山を神社の入山を禁じた森として、荒ぶる神の千年の松がある。

 

無季。神祇。「松」は植物、木類。

 

五十五句目

 

   爰にあら神千年の松

 要石(かなめいし)なんぼほつてもぬけませぬ   松意

 (要石なんぼほつてもぬけませぬ爰にあら神千年の松)

 

 要石は鹿島・香取両神宮にあり、地震を起こす(なまず)を抑えつけているという。地上に現れているのは小さな石だが、その下は地下の奥深くつながっていると言われている。

 

無季。神祇。

 

五十六句目

 

   要石なんぼほつてもぬけませぬ

 (なまづ)の骨を足にぐつすり       雪柴

 (要石なんぼほつてもぬけませぬ鯰の骨を足にぐつすり)

 

 要石(かなめいし)はウィキペディアには、

 

 「江戸時代初期までは、竜蛇が日本列島を取り巻いており、その頭と尾が位置するのが鹿島神宮と香取神宮にあたり、両神宮が頭と尾をそれぞれ要石で押さえつけ、地震を鎮めている、とされた。しかし時代が下り江戸時代後期になると、民間信仰からこの竜蛇がナマズになり、やがてこれが主流になった。」

 

とある。延宝の頃には既に鯰になっていたようだ。

 鹿島神宮の(たけ)(みか)(つち)大神(おおかみ)が鯰を踏みつけて退治し、要石で封印したというが。踏んだ時に足に鯰の骨が刺さったという話があったのかどうか。知らんけど。

 

無季。

 

五十七句目

 

   鯰の骨を足にぐつすり

 はきだめに瓢箪(へうたん)一つ(さうら)ひき     一鉄

 (はきだめに瓢箪一つ候ひき鯰の骨を足にぐつすり)

 

 (なまず)は古くは鮎の字を当てていて、「(ひょう)鮎図(ねんず)」は画題になっていた。「瓢箪で鯰を抑える」という禅の公案(禅問答)によるという。

 まあ、真理を言葉で言い表すというのは、鯰を瓢箪(ひょうたん)で捕まえようというようなものだ、ということか。

 この有難い画題を卑俗なゴミ捨て場の情景にして、食べた後の鯰の骨や、それを肴に酒を飲んだ瓢箪が転がっている。うっかり踏むと鯰の骨が足に刺さる。

 

無季。

 

五十八句目

 

   はきだめに瓢箪一つ候ひき

 (ひぢ)をまげたるうら(だな)の秋      志計

 (はきだめに瓢箪一つ候ひき肱をまげたるうら店の秋)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、『論語』述而篇の、

 

 「子曰、飯疏食飲水、曲肱而枕之、楽亦在其中矣、不義而富且貴、於我如浮雲。」

 

と雍也篇の、

 

 「子曰、賢哉回也、一箪食、一瓢飲、在陋巷、人不堪其憂、回也不改其楽、賢哉回也。」

 

を引いている。

 掃き溜めのような裏通りに住んで、肱を枕にして瓢箪の水を飲む市隠とする。

 

季語は「秋」で秋。

 

五十九句目

 

   肱をまげたるうら店の秋

 (やぶ)医者も(すこし)工夫(くふう)のさぢの月     在色

 (薮医者も少工夫のさぢの月肱をまげたるうら店の秋)

 

 前句の裏店を薮医者の薬売りとする。

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は『春秋左氏伝』の「三折肱知為良医」の言葉を引用している。これによる付けであろう。

 医者の使う金属製の(さじ)を月に見立てたか。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「薮医者」は人倫。

 

六十句目

 

   薮医者も少工夫のさぢの月

 諸方(しょほう)のはじめ(ひえ)ておどろく     松臼

 (薮医者も少工夫のさぢの月諸方のはじめ冷ておどろく)

 

 薬を処方したら体温が急速に低下して驚く。

 

季語は「冷て」で秋。

 

六十一句目

 

   諸方のはじめ冷ておどろく

 (その)形こりかたまりて今朝(けさ)の露    正友

 (其形こりかたまりて今朝の露諸方のはじめ冷ておどろく)

 

 諸方はその文字の通りの意味だと、「あちらこちら」という意味になる。朝の寒さにあちこちに露が降りている驚くということだが、それに国生みの天地の凝り固まりてのイメージを重ねる。

 凝り固まるは科学的には万有引力によるもので、露も天体もそれによって丸くなる。賀茂真淵は朝露の丸くなるのを以て地球も丸いとしたが、古来は沈殿のイメージで上下の座標の固定された平らな大地と考えられていた。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

六十二句目

 

   其形こりかたまりて今朝の露

 灰かきのけて見たるあだし野   松意

 (其形こりかたまりて今朝の露灰かきのけて見たるあだし野)

 

 (あだし)()の露は、

 

 あだし野の露吹き乱る秋風に

     なびきもあへぬ女郎花(をみなへし)かな

              藤原(ふじわらの)(きん)(ざね)(金葉集)

 誰とてもとまるべきかはあだし野の

     草の葉ごとにすがる白露

              西行法師(山家集)

 

など、歌に詠まれている。前者は秋で、後者は哀傷になる。化野はかつては風葬の地で、江戸時代には火葬場があった。

 ここでは近世の火葬場の哀傷になる。灰になった故人に、辺りの草には露が降りる。

 

無季。無常。

 

六十三句目

 

   灰かきのけて見たるあだし野

 穴蔵の行衛いかにと忘水     一朝

 (穴蔵の行衛いかにと忘水灰かきのけて見たるあだし野)

 

 忘水はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「忘水」の解説」に、

 

 「① 野中などを、絶え絶えに流れている水。人に知られないで流れている水。

  ※是則集(平安中)「霧ふかき秋のの風にわすれみつたえまがちなるころにもあるかな」

  ② 残り水。

  ※続春夏秋冬(190607)〈河東碧梧桐選〉春「雀子や盥の底の忘れ水〈楽南〉」

 

とある。

 前句の火葬の場面に「穴蔵」は墓穴を連想させる。埋められた後は次第に忘れ去られていく。「去るものは日々に疎し」とは『文選』の古詩に由来する言葉で、

 

 去者日以疎 来者日以親

 出郭門直視 但見丘與墳

 古墓犂為田 松柏催為薪

 白楊多悲風 蕭蕭愁殺人

 思還故里閭 欲還道無因

 

 去って行った者は日毎に疎くなり、来る者だけが日毎に親しくなって行く。

 町はずれの城門を出て見渡してみても、ただ土をもった墓があるばかり。

 古い墓は耕されて田んぼになり、墓に植えてあった真木も伐採されて薪となる。

 境界の柳には悲しげな風ばかりが吹いて、ショウショウと葉を揺らす音が死にたいくらい物悲しい。

 故郷の入り口をくぐって帰ろうと思っても、そこで落ち着く手だてなどありはしない。

 

から来ている。

 

無季。

 

六十四句目

 

   穴蔵の行衛いかにと忘水

 宿がへをせし東路(あづまぢ)(はて)       一鉄

 (穴蔵の行衛いかにと忘水宿がへをせし東路の果)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注が引用している通り、

 

   東に侍りける時都の人に遣しける

 東路(あづまぢ)の道の冬草茂りあひて

     跡だに見えぬ忘れ水かな

              (やすすけ)王母(おうのはは)(新古今集)

 

を本歌として「忘水」に「東路」が付く。

 穴蔵に籠って修行していたが、今はどこかへ宿替えしたのだろう。その行方も知れず忘れ水となる。

 

無季。旅体。

三裏

六十五句目

 

   宿がへをせし東路の果

 借銭(しゃくせん)は人のこころの敵となり    卜尺

 (借銭は人のこころの敵となり宿がへをせし東路の果)

 

 前句の「東路の果」を借金取りに追われての逃避行とする。

 

無季。「人」は人倫。

 

六十六句目

 

   借銭は人のこころの敵となり

 (くわん)()天皇九代の(のみ)ぬけ       在色

 (借銭は人のこころの敵となり桓武天皇九代の呑ぬけ)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『船弁慶(ふなべんけい)』の、

 

 「抑もこれは、(くわん)()天皇(てんのお)九代(くだい)後胤(こおいん)、平の(とも)(もり)幽霊(いうれい)なり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.74874-74878). Yamatouta e books. Kindle .

 

を引いている。

 ただ、知盛が大酒飲みだったかどうかはよくわからない。

 『平家物語』には、

 

 「まぢかくは六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人の有様、伝へ承るこそ、心も詞も及ばれね。

 其先祖を尋ぬれば、桓武天皇第五の皇子、一品式部卿葛原親王、九代の後胤、讃岐守正盛が孫、刑部卿忠盛朝臣の嫡男なり。」

 

とあるから、「桓武天皇九代の後胤」は平清盛と、その一門全体を表していたか。

 今の時代の酒で借金を拵えて没落する人を、平家の栄華に喩えたと見た方がいいかもしれない。

 

無季。

 

六十七句目

 

   桓武天皇九代の呑ぬけ

 道外(どうけ)(まひ)塩辛(しほから)(つぼ)とはやされたり    雪柴

 (道外舞塩辛壺とはやされたり桓武天皇九代の呑ぬけ)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は『平家物語』の殿上闇討の、

 

 「忠盛御前の召に舞はれければ、人々拍子を替へて伊勢(いせ)瓶子(へいじ)()(がめ)なりけりとぞはやされる。」

 

を引いている。

 一般に平家(へいけ)と呼ばれるのは伊勢平氏で、「へいし」という音から「瓶子(へいじ)」と揶揄される。ここではその瓶子は酒ではなく酢甕だという。

 前句の平家の大酒飲みから、ここでは酢甕ではなく塩辛壺だと囃す。舞も延宝の頃の流行の「道外(だうけ)(まい)」にする。

 桓武平氏はいくつかの流れがあって、平家とよばれるのは伊勢平氏で、頼朝挙兵の時に頼朝を神輿(みこし)に載せて担ぎ上げていた坂東武者の多くは、源氏ではなく坂東平氏だった。平氏が平家を打倒したといってもいい。

 

無季。

 

六十八句目

 

   道外舞塩辛壺とはやされたり

 戸棚をゆらりと(とぶ)猫の声      正友

 (道外舞塩辛壺とはやされたり戸棚をゆらりと飛猫の声)

 

 前句の道外舞を戸棚を跳ぶ猫とする。塩辛壺をひっくり返したか。

 

無季。「猫」は獣類。

 

六十九句目

 

   戸棚をゆらりと飛猫の声

 恋せしは()衛門(ゑもん)といひし見世守リ  志計

 (恋せしは右衛門といひし見世守リ戸棚をゆらりと飛猫の声)

 

 『源氏物語』で柏木と呼び習わされている登場人物は、作中では「衛門督(ゑもんのかみ)の君」という官名で呼ばれている。正確には右衛門督(うゑもんのかみ)だが、それを「右衛門」というと江戸時代の庶民っぽい。

 柏木というと猫の取り持つ縁で、普段他の人に馴れない猫が、なぜかその人にはなつくというパターンは、今でも時折用いられる。

 ここでは右衛門という江戸時代の青年の物語になり、前句の戸棚から男は店主ということになる。

 

無季。恋。「見世守リ」は人倫。

 

七十句目

 

   恋せしは右衛門といひし見世守リ

 お(ちゃう)におゐて皆きせるやき     一朝

 (恋せしは右衛門といひし見世守リお町におゐて皆きせるやき)

 

 「きせるやき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「キセル焼」の解説」に、

 

 「〘名〙 キセルにつめたタバコの火で肌を焼き、入れぼくろのようにすること。元祿(一六八八‐一七〇四)頃、誓約のしるしとして遊女の間などに行なわれた。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「恋せしは右衛門といひし見世守り〈志計〉 お町におゐて皆きせるやき〈一朝〉」

 

とある。

 当時の遊女は今日のソープランドのような、金さえ払えば誰でもやれるというものではなかった。

 売春施設というよりは、今日の出会い系に近いもので、男はせっせと通い、相手に気に入られるような文を交わしたり、金をつぎ込んでプレゼントなどをし、遊女に気に入られれば逢うことを許されるというプロセスを必要とした。

 遊女の側からすれば基本的には生活のための売春なのだが、通う男の方の意識としては憧れの遊女と恋仲になるという感情が入ってしまうため、ひとたび遊女と擬制の恋仲になると、客の男が遊女に貞節を要求するという、奇妙なことになっていた。

 もちろん、それは商売上の表向きのもので遊女も生活のためには何人もの客を取らなくてはならないのだが、すっかり頭に血がのぼってストーカーまがいになる客も多く、誓文を書かせたり、指を詰めて忠誠を誓うように要求したりしていた。

 こういう輩に憑りつかれた遊女の苦悩というのも並大抵のものではなかっただろう。遊女の側としては、せいぜい金を使い果たして身を持ち崩し、遊郭に来られなくなるのを願うしかない。

 遊び馴れた人間は、遊女の立場というのもよく理解しているから、こういう無理難題を吹っ掛けたりしないし、誓文なんかも、どうせ客のみんなに配ってるんだろうくらいに思い、本気にしたりはしない。

 煙管焼きというのも、その貞操の誓いの一つだったのだろう。見世守リで金はあるもんだから、何人もの遊女を相手にして、みんなに煙管焼きをするなんて、そうとう嫌な客だったのだろう。まあ野暮だから俳諧のネタにもなる。

 今日では煙草の火を肌に押し付ける「根性焼き」というのが、リンチの一つのやり方として残っている。

 

無季。恋。

 

七十一句目

 

   お町におゐて皆きせるやき

 起請文(きしゃうもん)既に宿(しゅく)(ろう)(ふで)(とり)にて      松臼

 (起請文既に宿老筆取にてお町におゐて皆きせるやき)

 

 起請文は誓文のこと。遊女の起請文も一々自分で書くものではなく、宿老が代筆していたのだろう。

 

無季。恋。「宿老」は人倫。

 

七十二句目

 

   起請文既に宿老筆取にて

 今度(こたび)の訴訟白洲(しらす)をまくら      卜尺

 (起請文既に宿老筆取にて今度の訴訟白洲をまくら)

 

 前句の起請文を裁判の時の宣誓の書類とする。宿老に代筆してもらう。

 白洲は「お白洲」で、ウィキペディアに、

 

 「お白洲(おしらす)は、江戸時代の奉行所など訴訟機関における法廷が置かれた場所。」

 

とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「白州・白洲」の解説」には、

 

 「⑥ (白い砂が敷かれていたところからいう) 江戸時代、奉行所の法廷の一部。当時は身分により出廷者の座席に段階が設けられており、ここは百姓、町人をはじめ町医師、足軽、中間、浪人などが着席した最下等の場所。砂利(じゃり)

  ※浮世草子・本朝桜陰比事(1689)四「夜中同じ事を百たびもおしへて又其朝もいひ聞せて両方御白洲(シラス)に出ける」

  ⑦ (⑥から転じて) 訴訟を裁断したり、罪人を取り調べたりした所。奉行所。裁判所。法廷。

  ※虎明本狂言・昆布柿(室町末‐近世初)「さやうの事は、此奏者はぐどんな者で、申上る事はならぬほどに、汝らが、お白砂(シラス)へまいって直に申上い」

 

とある。

 「まくら」は頭に敷くものということで、起請文の提出を裁判の初め(枕)とする。

 

無季。

 

七十三句目

 

   今度の訴訟白洲をまくら

 網引場(あみびきば)月の出はには西にあり    松意

 (網引場月の出はには西にあり今度の訴訟白洲をまくら)

 

 前句の白洲を海岸の白浜とし、網引場の月を添える。海辺で白洲に寝ころびながら、今度の訴訟のことを思う。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「網引場」は水辺。

 

七十四句目

 

   網引場月の出はには西にあり

 木仏(きほとけ)(よご)(かき)がらの露        雪柴

 (網引場月の出はには西にあり木仏汚す蠣がらの露)

 

 月は西にということで西方浄土の象徴とし、木仏を出す。網引場の木仏だから、(かき)の殻がへばりついている。

 

季語は「露」で秋、降物。釈教。

 

七十五句目

 

   木仏汚す蠣がらの露

 秋風をいたむ小寺の(かた)(びさし)      一鉄

 (秋風をいたむ小寺の方庇木仏汚す蠣がらの露)

 

 木仏に小寺を付け、前句の「蠣がら」を牡蠣(かき)(がら)()きの屋根とする。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「牡蠣殻葺」の解説」に、

 

 「〘名〙 牡蠣殻を屋根の上に一面に敷き並べること。また、その屋根。飛び火などによる火災を防ぐために行なった。牡蠣殻屋根。〔禁令考‐前集・第四・巻三七・享保一〇年(1725)三月〕」

 

とある。

 庇に秋風は、

 

 人住まぬ不破の関屋の板廂(いたびさし)

     荒れにし後はただ秋の風

              藤原(ふじわらの)(よし)(つね)(新古今集)

 

を本歌として、荒れた小寺の方庇とする。

 

季語は「秋風」で秋。釈教。

 

七十六句目

 

   秋風をいたむ小寺の方庇

 新発心(しんぼち)寒く(なり)まさるらん      志計

 (秋風をいたむ小寺の方庇新発心寒く成まさるらん)

 

 新発心(しんぼち)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「新発意・新発」の解説」に、

 

 「〘名〙 仏語。

  ① 新たに発心して仏道にはいること。また、その人。新たに出家した者。特に、武家などの出家した者をさすこともある。初発心。今道心。青道心。しんぼっち。

  ※法華義疏(7C前)一「六地以還、不レ宜レ明二新発一、而其不レ能三体二解如来実智之理一。皆是一種無レ異故。皆称二新発一」

  ※浮世草子・好色五人女(1686)四「跡は七十に余りし庫裏姥ひとり十二三なる新発意(シンボチ)壱人」

  ② 真宗で寺のあとつぎをいう。

  [語誌]シンボチとよむのが一般的であるが、「源氏物語」などには撥音無表記により「しぼち」とあり、また、「文明本節用集」に「シンホツイ」、「明応本節用集」に「シホツイ」、「黒本本節用集」に「シンボチイ」と見える。これに対し、「節用集大全」(一六八〇)に「シンボチ」「シンボチイ」の両形、「広益二行節用集」(一六八六)に「シンボチ」、「書言字考節用集‐四」(一七一七)に「シンボチ」が認められ、元祿に入って刊行された節用集以降は、ほぼシンボチに定着していくようである。」

 

とある。

 前句の「いたむ」を悼むとして、親しき人の死をきっかけに発心したのであろう。まだ寺での生活に慣れず、心まで寒くなる。

 

季語は「寒く」で冬。釈教。

 

七十七句目

 

   新発心寒く成まさるらん

 (ひさ)(かた)の天狗のわるさ花の雪     在色

 (久堅の天狗のわるさ花の雪新発心寒く成まさるらん)

 

 山の天狗が桜の花の散るのを本物の雪に変えてしまい、山寺の新発心は寒い思いをする。

 花はよく雪に喩えられ、雪もまた花にたとえられる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「雪」は降物。

 

七十八句目

 

   久堅の天狗のわるさ花の雪

 (まづ)谷ちかき百千(ももち)(どり)なく       松臼

 (久堅の天狗のわるさ花の雪先谷ちかき百千鳥なく)

 

 百千鳥は古今伝授三鳥の一つとされる謎の鳥で、鶯とも、不特定な沢山の鳥とも言われている。春に詠むことが多い。

 花の雪に百千鳥というと、

 

 百千鳥木づたひ散らす桜花

     いづれの春か来つつ見ざらむ

              紀貫之(きのつらゆき)(貫之集)

 

だろうか。桜の花が雪のように散るのを天狗の悪さかと思ったが、実は百千鳥の仕業だった。

 

季語は「百千鳥」で春、鳥類。「谷」は山類。

名残表

七十九句目

 

   先谷ちかき百千鳥なく

 音羽山かすみを(わけ)て礼返し     正友

 (音羽山かすみを分て礼返し先谷ちかき百千鳥なく)

 

 前句の谷を逢坂山の大谷として音羽山(おとわやま)を出す。

 「かすみを(わけ)て」は、

 

 山高み霞をわけてちる花を

     雪とやよその人は見るらん

              よみ人しらず(後撰集)

 

を始めとして和歌に多用される言葉だが、霞を中をかき分けての意味。それを霞を分割して返礼すると転じる。霞の半分を近江に返す。

 

季語は「かすみ」で春、聳物。「音羽山」は名所、山類。

 

八十句目

 

   音羽山かすみを分て礼返し

 関のこなたにばさばさあふぎ    松意

 (音羽山かすみを分て礼返し関のこなたにばさばさあふぎ)

 

 音羽山と言えば逢坂の関で、一方で巨大な団扇でバサバサ扇いで、霞を向こう側に追いやろうとしている。

 

無季。

 

八十一句目

 

   関のこなたにばさばさあふぎ

 (にはか)ぞりかかる藁屋(わらや)を命にて     一朝

 (俄ぞりかかる藁屋を命にて関のこなたにばさばさあふぎ)

 

 逢坂の関の蝉丸であろう。

 

 世の中はとてもかくても同じこと

     宮も藁屋(わらや)もはてしなければ

              蝉丸(新古今集)

 

の歌はよく知られている。謡曲『蝉丸』では目が不自由という理由で出家させられ、逢坂の関に捨て去られるが、それを(にわか)出家とする。

 

無季。釈教。「藁屋」は居所。

 

八十二句目

 

   俄ぞりかかる藁屋を命にて

 あはれ今年の中に(びゃう)(こう)       一鉄

 (俄ぞりかかる藁屋を命にてあはれ今年の中に病功)

 

 病功を病気の治癒とすると「あはれ」がわからなくなる。病功は病のせいでというくらいの意味か。

 「あはれ今年の」の言い回しは、

 

 契りおきしさせもが露を命にて

     あはれ今年の秋もいぬめり

              (ふじ)原基(わらのもと)(とし)(千載集)

 

の歌によるもので、「命にてーあはれ今年の」のつながりがそのまま生かされている。これは連歌では「うたてには」と呼ばれる。

 年内にもはや命も危ないというので、俄出家して死後に備える。

 

無季。

 

八十三句目

 

   あはれ今年の中に病功

 青表紙かさなる山を枕もと    卜尺

 (青表紙かさなる山を枕もとあはれ今年の中に病功)

 

 前句の病功を病にかこつけての意味に取り成し、枕元に青表紙本を積み上げ、読書三昧に耽る。この場合の青表紙は仮名草子や浄瑠璃本であろう。

 

無季。

 

八十四句目

 

   青表紙かさなる山を枕もと

 (ひと)ッぷしかたる松の夜あらし    在色

 (青表紙かさなる山を枕もと一ッぷしかたる松の夜あらし)

 

 「一ッぷし」は一節で、浄瑠璃本の一節を語ると、嵐の風に松の一節も語る。

 

無季。「松」は植物、木類。「夜あらし」は夜分。

 

八十五句目

 

   一ッぷしかたる松の夜あらし

 色をふくむ二三の糸の(かた)時雨(しぐれ)    雪柴

 (色をふくむ二三の糸の片時雨一ッぷしかたる松の夜あらし)

 

 前句の「一ッぷし」を(ろう)(さい)(ぶし)などの一節として、(しゃみ)(せん)の二の糸、三の糸がなかなか泣かせる。

 

季語は「片時雨」で冬、降物。

 

八十六句目

 

   色をふくむ二三の糸の片時雨

 君が格子(かうし)によるとなく鹿      正友

 (色をふくむ二三の糸の片時雨君が格子によるとなく鹿)

 

 格子は遊郭の張見世の格子であろう。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「張見世」の解説」で、

 

 「遊女屋の入口わきの、道路に面して特設された部屋に、遊女が盛装して並ぶこと。もとは店先に立って客を引いたものが、座って誘客するために考案された方法であろう。したがって客を誘うための行為であるが、遊客が遊女を選定するのに便利なように、座る位置や衣装で遊女の等級や揚げ代がわかるようになっていた。各遊女屋では上級妓()を除く全員が夕方から席について客を待ち、客がなければ夜12時まで並んでいた。江戸吉原では、張見世を見て歩く素見(ひやかし)客が多かった。明治中期から東京ほか地方の遊廓(ゆうかく)でも廃止され、かわりに店頭に肖像写真を掲げた。アムステルダムやハンブルクの「飾り窓の女」は、これの海外現代版である。[原島陽一]」

 

とある。

 「よるとなく鹿」は「夜と鳴く鹿」と「寄ると無く」とを掛ける。つまり見るだけで素通りする。

 

季語は「鹿」で秋、獣類。「君」は人倫。

 

八十七句目

 

   君が格子によるとなく鹿

 文使(ふみづかひ)山本さして野辺(のべ)の秋      志計

 (文使山本さして野辺の秋君が格子によるとなく鹿)

 

 前句を王朝風にして、使いの者に歌などを詠んだ恋文を持たせて、野辺にひっそり暮らす花散里のような女に届けさせる。女の家の辺りでは夜となると鹿が鳴く。

 

季語は「秋」で秋。「文使」は人倫。「山本」は山類。

 

八十八句目

 

   文使山本さして野辺の秋

 (しゅ)(だう)のおこり嵯峨(さが)の月影      一朝

 (文使山本さして野辺の秋衆道のおこり嵯峨の月影)

 

 前句の野辺を嵯峨野とする。

 嵯峨というと天和三年刊『風流(ふうりゅう)嵯峨(さが)紅葉(もみじ)』があるが、著者は山本八左衛門で、前句の「山本」に掛かるから、延宝期に前身となる作品があった可能性がある。

 

季語は「月影」で秋、夜分、天象。恋。「嵯峨」は名所。

 

八十九句目

 

   衆道のおこり嵯峨の月影

 追腹(おひばら)やその古塚の女郎花(をみなへし)      松臼

 (追腹やその古塚の女郎花衆道のおこり嵯峨の月影)

 

 追腹(おひばら)は後を追って腹を切ること。

 寛永十七年の藩主細野主膳切害事件は衆道のトラブルによって起きた。当時は有名な事件で、伊丹右京が切腹を命じられ、舟川采女がその後を追ったという。

 

季語は「女郎花」で春、植物、草類。恋。

 

九十句目

 

   追腹やその古塚の女郎花

 千石の家たてりとおもへば    卜尺

 (追腹やその古塚の女郎花千石の家たてりとおもへば)

 

 主君が腹を切れば臣下も追い腹を切るのは、「士は二君に仕えず」の忠義の話として美化されがちだが、臣下も所領を失い困窮するから、現実的な面もある。「たてり」はこの場合は「絶てり」。

 

無季。「千石の家」は居所。

 

九十一句目

 

   千石の家たてりとおもへば

 倹約を(まもる)といつぱ手鼻(てばな)にて     一鉄

 (倹約を守といつぱ手鼻にて千石の家たてりとおもへば)

 

 千石を賜り立派な屋敷を建てたが、見栄を張り過ぎたか、倹約を強いられる。鼻紙が勿体ないということで、手鼻をかむ。

 「いつぱ」はよくわからない。一派か一把か。

 

無季。

 

九十二句目

 

   倹約を守といつぱ手鼻にて

 (すい)風呂(ふろ)よりも(むしろ)洗足(せんそく)        松意

 (倹約を守といつぱ手鼻にて水風呂よりも寧洗足)

 

 水風呂は今のような湯船のお湯に浸かるタイプの風呂で、この時代はそれまで主流の蒸し風呂と入れ替わる時期だった。

 水風呂は最初はお寺に多かったのだろう。お寺ではまず足を洗うことから。

 

無季。

名残裏

九十三句目

 

   水風呂よりも寧洗足

 旅衣幾日(いくか)かさねて気むづかし    志計

 (旅衣幾日かさねて気むづかし水風呂よりも寧洗足)

 

 長旅では足も汚れる。「気むづかし」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「気難」の解説」に、

 

 「① 気分がすぐれない。うっとうしい。また、何かをするのがわずらわしい。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「水風呂よりも寧洗足〈松意〉 旅衣幾日かさねて気むつかし〈志計〉」

  ※人情本・春色梅美婦禰(184142頃)初「夫とも貴君もお気欝(キムヅカシ)くは明日でもよろしふござゐます」

  ② 自我が強く神経質で、容易に人に同調しない。

  ※人情本・英対暖語(1838)四「客人の中に、寔に気むづかしいお客があって」

 

とある。①の意味は「むつかし」の古い意味による。

 体がだるくて、何をするのにも億劫だから、足も洗わなくてはならないけど、それより湯船にゆっくり浸かりたい。

 

無季。旅体。

 

九十四句目

 

   旅衣幾日かさねて気むづかし

 その沢のほとりあと(つけ)枕      松臼

 (旅衣幾日かさねて気むづかしその沢のほとりあと付枕)

 

 「その沢のほとり」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』に『伊勢物語』九段とある。

 

 「三河の国八橋(やつはし)といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河のくもでなれば、橋を八つわたせるよりてなむ八橋といひける。その沢のほとりの木のかげにおり居て」

 

とあって、あの有名な、

 

 (から)(ころも)きつつ(なれ)にしつましあれば

     はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ

              在原業平(ありわらのなりひら)

 

に繋がる。

 旅で疲れているのに「かきつはた」の五文字を頭にして歌を詠めなんて、無茶振りされて、八橋を後付けで歌枕にして、この地を有名にしようという魂胆だったか。

 

無季。「沢」は水辺。

 

九十五句目

 

   その沢のほとりあと付枕

 (きり)どりはにげて野中の(あさ)(ぼらけ)     一朝

 (切どりはにげて野中の朝朗その沢のほとりあと付枕)

 

 「切どり」は切取強盗のことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「切取強盗」の解説に、

 

 「〘名〙 (「きりどりごうどう」「きりどりごうとう」とも) 人を切り殺して金品を奪い取ること。また、その人。切取り。

  ※黄表紙・化物太平記(1804)上「きりどりごうどうをなして世をわたりける」

 

とある。

 前句の付枕を枕付(まくらづけ)のこととしたか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「枕付」の解説」に、

 

 「〘名〙 死者の枕頭に供えること。また、そのもの。

  ※浄瑠璃・蝉丸(1693頃)五「死人にそなへし枕づけのぐもつ」

 

とある。

 沢の辺で仲間が切取強盗に斬られ、それを弔う。

 

無季。「切どり」は人倫。

 

九十六句目

 

   切どりはにげて野中の朝朗

 代官殿へひびく松風        雪柴

 (切どりはにげて野中の朝朗代官殿へひびく松風)

 

 切取強盗は捕まらず、代官様も困っている。松風の音が空しい。

 

無季。「代官殿」は人倫。

 

九十七句目

 

   代官殿へひびく松風

 つき臼を民のかまどに(たて)ならべ   在色

 (つき臼を民のかまどに立ならべ代官殿へひびく松風)

 

 前句の「ひびく」を搗き臼の音とする。精米に用いる。

 飢饉か災害の時であろう。代官様の計らいで救援物資として玄米と搗き臼が支給され、その音は代官様の耳にも届くことだろう。

 

無季。「民」は人倫。

 

九十八句目

 

   つき臼を民のかまどに立ならべ

 難波(なには)の京に大力(だいぢから)あり        一鉄

 (つき臼を民のかまどに立ならべ難波の京に大力あり)

 

 大力は「だいぢから」とルビがある。力持ちのこと。

 前句から、

 

   貢物許されて國富めるを御覧じて

 高き屋に登りて見れば煙立つ

     民のかまどはにぎはひにけり

              仁徳天皇御歌(新古今集)

 

の歌の連想で、舞台を仁徳天皇の時代の難波京(難波高津宮)としたのだろう。

 あの時代に搗き臼を並べたのだから、さぞかし力持ちがいたのだろう。

 

無季。「難波の京」は名所。

 

九十九句目

 

   難波の京に大力あり

 連俳(れんぱい)や何を(とう)ても(はな)(ごろも)       松意

 (連俳や何を問ても花衣難波の京に大力あり)

 

 前句を難波や京に大きな力を持つ者がいる、としてこれを宗因とする。

 

季語は「花衣」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   連俳や何を問ても花衣

 一座の崇敬(すうけい)万年の春        正友

 (連俳や何を問ても花衣一座の崇敬万年の春)

 

 最後は一座感謝をこめて、万歳をことほいで一巻は目出度く終了する。

 

季語は「春」で春。