1月8日

 六本木ヒルズ52Fの森アーツセンターギャラリーへ「歌川国芳展」を見に行った。
 結構メディアでも取り上げられて、国芳の知名度が上がったせいか、行列ができるほど混んでいた。  浮世絵の場合、どうしても絵が小さいという印象を受ける。本来家庭用で、狭い長屋の中でも楽しめるように作られている上、多分コストの点で決まった大きさの紙を使っていたというのもあるのだろう。大きな画面のものは3枚組みだったりする。
 最初は武者絵だが、悲しいことに出典がわからないから、どういう絵なのかよくわからない。当時としては、誰もが知っている物語を題材にしていたのだろう。こういうのも研究してみたいけど、「源氏物語」を読むだけでもあと10年はかかりそうだから、いつになることやら。
 役者絵も、歌舞伎に詳しい人ならもっと楽しめたのかもしれない。市川海老蔵、尾上菊五郎、松本幸四郎など、役者の名前だけは今と一緒なのが変な感じだ。
 美人画もなんかみんな同じ顔に見える。まあ、今のマンガアニメの絵も100年後の人から見たらみんな同じに見えるのかもしれない。着物は奇麗だし、模様も多彩で、当時のファッションカタログでもあったのだろう。ひょっとしたらタイアップとかもあったのかな。浮世絵を買って、この着物いいなといってそれを買いに行く人とかいそうだし。
 「猫と遊ぶ娘」「艶姿十六女仙 豊干禅師」など、猫が登場する者もある。やはり国芳といえば猫だ。
 子ども絵、「稚遊雪月花の内 雪」の雪ウサギはかなりリアル。「新板子供遊びの内 雪あそび」の雪だるまは本当に達磨の形をしている。今の雪だるまは西洋のスノーマンの影響で逆に退化したのだろうか。
 風景画では「大山石尊良弁瀧之図」の大山詣での賑わいは凄いなと思った。二枚の「東都御厩川岸之図」の変り摺というのは、リミックスのようなものなのだろうか。同じ版木で絵の具の色合いを変えて別の作品に仕上げている。
 「近江の国の勇婦於兼」の馬は異様にリアルで、これは西洋の挿絵をぱくったのでは。「東都富士見三十六景 昌平坂の遠景」は今のお茶の水とはずいぶん違って、切り立った岩の谷間で山深いような印象を受ける。今はここに聖橋が架かり中央線が通っている。右側に塀のように見えるのが、湯島聖堂の塀なのだろう。
 摺物と動物画では、「花車」の絵が奇麗だし、「えびざこ」が渋い。
 戯画の方は待ったましたという感じで、どれもこれも面白い。「流行猫の曲手まり」は実際にこういう手まりを使った曲芸が流行ってたのだろうか。今で言えばフリースタイルフットボールチーム球舞みたいなリフティングの技を基本としたものみたいだが。
 「道外化ものの夕涼」は千と千尋に出てくる妖怪みたいだし「道外獣の雨やどり」にはタイガーマスクがいた。「猫の当字 ふぐ」や猫の顔した役者絵、鳥人や人面魚、狸が登場するものはほとんど「狸の金○八畳敷き」ネタだった。
 「朝比奈三郎義秀小人じま遊」はどう見てもガリバー旅行記だ。ガリバー旅行記が書かれたのが18世紀だから、何らかの形で日本に入ってきていて影響されたのではないか。
 落書き風の「荷宝蔵壁のむだ書」黄腰壁は中央に手ぬぐいかぶって踊っている猫又がいるし、右の端には相合傘が書かれている。相合傘ってそんなに古い歴史があったんだ。
 風俗・娯楽・情報では捕鯨の絵があった。今ではクジラの値段が高すぎて需要がなく、調査捕鯨で捕ってきた鯨肉が余っているとも言う。
 「生月鯨太左ェ門」は身長7尺5寸の実在した力士らしい。チェ・ホンマンのようなものか。
 そういうわけで、いろいろと楽しめた。1月17日に入れ替えなので、また行きたい。
 終ったあと、ミッドタウンで昼食を食べて乃木坂から千代田線で明治神宮前へ行った。同行者が一度明治神宮に行きたいというので。
 明治神宮は人がたくさんいた。拝殿の前には大勢人が並んでいたが、拝殿前の石段の所に布を敷きつめて巨大な賽銭箱状態になっていたので、横から行くとその左端から参拝することができた。
 神社としては、明治神宮は狛犬はないし、立派な楼門はあってもそれを守る武者もいないし、境内社もないし、参道には人が大勢いるというのに的屋の屋台はないし、かなり殺風景な所だ。奥で参拝するには申請書を書かなくてはいけないのだが、それを書く台が並べてあて、役所か!って感じだった。
 その後代々木公園を通って渋谷に向った。代々木公園では韓流グルメフェスタをやっていた。プゴク(干鱈のスープ)を食べた。あっさりした味でふわっとした卵が心地良い。
 五人組のアイドルがステージに出て歓声が上がっていた。大国男児というグループらしい。流暢な日本語で、韓国より日本で活動する方が多いのだろう。
 韓流アイドルとは言っても、徹底して現地ニーズに合わせているので、日本のアイドルとほとんど変わりはない。日本のファンもジャニファンがジュニアの内から目をつけて育っていくのを楽しむみたいに、韓流ファンもシン (xing)の頃から応援している人が多いのだろう。
 韓流アイドルは完全に日本の文化に同化しているので、そんなに目くじら立てるようなものではないのかもしれない。「韓流」と呼ぶからややこしくなるだけで、欧陽菲菲やテレサテンと同じように考えればいいのだと思った。
 この後渋谷に出て帰った。楽しい一日だった。

1月3日

 本屋に行ったら、「“若紫” ヒカルが地球にいたころ」(野村美月、ファミ通文庫)というのを見つけた。ちょうど若紫巻を読み始めたところなので、ちょっと興味がある。「葵」「夕顔」に続く3作目なので、まずそっちの方を探さなくては。
 去年読んだ「奥ノ細道オブザデッド」といい、古典がいろいろな形でラノベの中に取り入れられているのは面白い。

1月1日

 朝早く目が醒めたので6時半に家を出て、いつも初詣に行く柿生琴平神社に向った。
 さすがに朝早いだけあって、臨時駐車場はまだまだがらがらだった。それでも人は結構来ていた。
 儀式殿の前には既に20人くらいは並んでいたが、5列で進むのでそんなに待つことはなかった。売店は、まだ巫女さんたちが一生懸命品物を並べて準備している最中で、それでもなんとか交通安全のお守りは買えた。
 境内社の稲荷社には、塩釜大明神(際神は武甕槌神・経津主神・鹽土老翁神)も合祀されていて、震災からの復興を祈ってきた。
 去年完成した新しい本殿の方は、正面の石段が通行止めになっていて、横の女坂の方から登っていった。登り終えると手水場のところに人だかりがしていて、何かと思ったら、ちょうど初日の出だった。
 本当は既に日は昇っていたようだが、地平線近くに雲がかかっていて、その雲の上にちょうど太陽が顔を出そうとしていた。何かかなり久しぶりに見る初日の出だった。
 本殿とその裏の小さな稲荷社にお参りして駐車場に戻ると、既に駐車場は満車になっていて、無理に入ろうとする車が一つしかない出入り口を塞いでなかなか出れなかった。
 そういうわけで、一体どんな年になるのか、先行きの不安も多いが、一年の始まりは思いがけずに初日を拝み、まずは上々といったところか。