「新麦は」の巻、解説

初表

 新麦はわざとすすめぬ首途かな    山店

   また相蚊屋の空はるか也     芭蕉

 馬時の過て淋しき牧の野に      芭蕉

   四五千石のまつのたて山     山店

 方々へ医者を引づる暮の月      山店

   踊の左法たれもおぼえず     芭蕉

 

初裏

 盆過の比から寺の普請して      芭蕉

   ほしがる者に菊をやらるる    山店

 蓬生に恋をやめたる男ぶり      芭蕉

   湿のふきでのかゆき南気     山店

 丹波から便もなくて啼烏       芭蕉

   節季が来れど利あげさへせぬ   山店

 雪に出て土器売を追ちらし      芭蕉

   ただ原中に月ぞさえける     山店

 神鳴のひつかりとして沙汰もなき   芭蕉

   しやくりがやんで気がかるうなる 山店

 奥の院をづをづ花を指のぞき     芭蕉

   けさからひとつ鶯のなく     山店

 

 

二表

 春の日に産屋の伽のつつくりと    山店

   かはりがはりや湯漬くふらん   芭蕉

 いそがしくみな股立を取並び     山店

   目つらもあかず霰ふるなり    芭蕉

 からびたる櫟林に日がくれて     山店

   仏の木地をつつむ糸だて     芭蕉

 ごろごろと臼挽出せばほととぎす   山店

   そぞろに草のはゆる竹縁     芭蕉

 羽二重の赤ばるまでに物おもひ    山店

   わかひ時から神せせりする    芭蕉

 鶏をまたぬすまれしけさの月     山店

   畠はあれて山くずのはな     芭蕉

 

二裏

 日光へたんがら下す秋のころ     山店

   くれぐれたのむ弟の事      芭蕉

 ゆふかぜに蒲生の家も敗れ行     芭蕉

   物にせばやとさする天目     山店

 花のあるうちは野山をぶらつきて   山店

   藤くれかかる黒谷のみち     芭蕉

 

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

初表

発句

 

 新麦はわざとすすめぬ首途かな  山店

 

 五月十一日には芭蕉は再び上方方面へと旅に出る。そしてこれが最後の旅になる。これはその直前の両吟歌仙興行の脇になる。

 新麦はここでは大麦のことと思われる。麦飯に用いられる。そのまま焚いて食べる分には、やはり取れたてがいい。小麦は熟成を必要とする。新麦では粘りが足りない。

 ここで新麦のご飯をすすめてしまうと、もっと食べたくなって旅に出るのをやめてしまいかねないから、という意味だろう。

 

季語は「新麦」で夏。旅体。

 

 

   新麦はわざとすすめぬ首途かな

 また相蚊屋の空はるか也     芭蕉

 (新麦はわざとすすめぬ首途かなまた相蚊屋の空はるか也)

 

 脇はこれからの旅を想像してのもので、相蚊屋というのは庵に同居して芭蕉の身の回りの世話をしていた二郎兵衛少年を連れていくから、ともに同じ蚊帳の中に寝ることになるというもの。少年が出たところで余計な想像はしないように。

 なお、旅立ちの時に品川宿で詠んだ句は、

 

 麦の穂を力につかむ別れ哉    芭蕉

 

で、やはり麦が気になっていたか。

 

季語は「相蚊帳」で夏。

 

第三

 

   また相蚊屋の空はるか也

 馬時の過て淋しき牧の野に    芭蕉

 (馬時の過て淋しき牧の野にまた相蚊屋の空はるか也)

 

 放牧されている馬を頭数や生まれた子供の数などをチェックし、野馬を一度集め、売りに出す馬と残す馬など選別していたか。

 貞享四年の「磨なをす」の巻十二句目に、

 

   古畑にひとりはえたる麦刈て

 物呼ぶ声や野馬とるらむ     芭蕉

 

の句がある所から、夏に行われてたのだろう。

 相馬の野馬追もおそらくこうした野馬を一度集めることが基礎にあって、野馬を捕まえることを軍事演習を兼ねて大々的に行ったのが起源ではないかと思う。

 空っぽになった放牧場は淋しく、相蚊帳の旅はまだまだ遥かに続く。

 元禄五年の「口切に」の巻四句目には、

 

   山雀の笠に縫べき草もなし

 秋の野馬の様々の形       利合

 

の句もある。秋には野馬が放牧場にいたようだ。

 

無季。「馬」は獣類。

 

四句目

 

   馬時の過て淋しき牧の野に

 四五千石のまつのたて山     山店

 (馬時の過て淋しき牧の野に四五千石のまつのたて山)

 

 「たて山」はコトバンクの「旺文社日本史事典 三訂版「立山・立野」の解説」に、

 

 「江戸時代,用材保護の目的から設定された保護林

領主の直接支配下の御林・留山とは性質を異にし,その植樹・造林は特定の個人,または村方に負わせ,成木は藩用・公共目的に供した。九州では狩猟用山林をいう。」

 

とある。四五千石に相当する立山がどれくらいの広さかはよくわからない。放牧場の向こうは見渡す限りくらいの感覚なのか。

 

無季。「まつ」は植物、木類。

 

五句目

 

   四五千石のまつのたて山

 方々へ医者を引づる暮の月    山店

 (方々へ医者を引づる暮の月四五千石のまつのたて山)

 

 松山が広いので医者も迷子になる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「医者」は人倫。

 

六句目

 

   方々へ医者を引づる暮の月

 踊の左法たれもおぼえず     芭蕉

 (方々へ医者を引づる暮の月踊の左法たれもおぼえず)

 

 盆踊りの踊り方を誰も知らないので、医者にあちこち回って指導してもらう。

 

季語は「踊」で秋。

初裏

七句目

 

   踊の左法たれもおぼえず

 盆過の比から寺の普請して    芭蕉

 (盆過の比から寺の普請して踊の左法たれもおぼえず)

 

 お盆過ぎてから寺の建設が始まって、この間の盆踊りのことはみんな忘れている。

 

季語は「盆過」で秋。

 

八句目

 

   盆過の比から寺の普請して

 ほしがる者に菊をやらるる    山店

 (盆過の比から寺の普請してほしがる者に菊をやらるる)

 

 お寺の工事で潰れる敷地に植えられていた菊を、欲しい人にみんなやる。

 

季語は「菊」で秋、植物、草類。

 

九句目

 

   ほしがる者に菊をやらるる

 蓬生に恋をやめたる男ぶり    芭蕉

 (蓬生に恋をやめたる男ぶりほしがる者に菊をやらるる)

 

 失恋し、「もう恋などしない」という色男だろう。蓬生の里の家に籠るが何にも興味が持てず、庭の菊なども人に与えてしまう。

 

無季。恋。

 

十句目

 

   蓬生に恋をやめたる男ぶり

 湿のふきでのかゆき南気     山店

 (蓬生に恋をやめたる男ぶり湿のふきでのかゆき南気)

 

 湿(しつ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「湿」の解説」に、

 

 「② 湿瘡(しっそう)。疥癬(かいせん)。皮癬(ひぜん)。

  ※俳諧・炭俵(1694)上「敷金に弓同心のあとを継〈野坡〉 丸九十日湿をわづらふ〈利牛〉」

 

とある。南気は南風。

 遊郭で疥癬をうつされてしまったか。まあ瘡(梅毒)でなくて良かった。

 

無季。

 

十一句目

 

   湿のふきでのかゆき南気

 丹波から便もなくて啼烏     芭蕉

 (丹波から便もなくて啼烏湿のふきでのかゆき南気)

 

 丹波は京に近いが山の中にある。山陰方面の街道も東海道や奈良大坂方面への街道に比べれば人も少なく、寂れた印象がある。

 そんな丹波の知人からの便りもなく、一人部屋で疥癬に苦しむ。

 丹波だから、より寂しげになる。これが「近江から便りもなくて」では印象がかなり違ってくる。

 

無季。「烏」は鳥類。

 

十二句目

 

   丹波から便もなくて啼烏

 節季が来れど利あげさへせぬ   山店

 (丹波から便もなくて啼烏節季が来れど利あげさへせぬ)

 

 「利あげ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「利上」の解説」に、

 

 「① 利息を高くすること。利率を上げること。

  ② 質入品の期限が来た時に、利息だけを払ってその期限をさらに延ばすこと。また、その利息。

  ※質屋仲間掟‐寛永一九年(1642)五月・質仲間定法書(古事類苑・政治八九)「利上げ、質物替、質物残、質物札書替候て」

 

とある。ここでは②で、ぼんやり丹波の手紙を待つような人は、何もするのも面倒くさそうな顔をしていて、質草も流れるままにする。

 節季は年末で決済の日。

 

季語は「節季」で冬。

 

十三句目

 

   節季が来れど利あげさへせぬ

 雪に出て土器売を追ちらし    芭蕉

 (雪に出て土器売を追ちらし節季が来れど利あげさへせぬ)

 

 土器売(かはらけうり)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「土器売」の解説」に、

 

 「〘名〙 土器を売り歩くこと。また、その人。盂蘭盆(うらぼん)の灯籠用または、土器投げに用いる土器などを売り歩いた。

  ※庭訓往来抄(1631)中「内裏へ参る器也。かわらけ売は、烏帽子かみしもにて参也」

 

とある。正月前にもやって来たか。恵方棚に用いたか。

 前句の物に頓着しない性格なので、儀式習慣にも頓着しない。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

十四句目

 

   雪に出て土器売を追ちらし

 ただ原中に月ぞさえける     山店

 (雪に出て土器売を追ちらしただ原中に月ぞさえける)

 

 土器売の視点で、追い出されたあとは原中に月が冷たく光る。

 

季語は「月ぞさえける」で冬、夜分、天象。

 

十五句目

 

   ただ原中に月ぞさえける

 神鳴のひつかりとして沙汰もなき 芭蕉

 (神鳴のひつかりとして沙汰もなきただ原中に月ぞさえける)

 

 「ひつかり」はピッカリ。

 「沙汰もなき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「沙汰無」の解説」に、

 

 「① 他に知らせないこと。黙っていること。ないしょ。秘密。

  ※虎寛本狂言・米市(室町末‐近世初)「夫成らばいふて聞さうが、必沙汰なしでおりやるぞや」

  ② 表沙汰にしないこと。穏便にすますこと。また、そのようにするさま。

  ※浮世草子・好色一代男(1682)三「世之介を捕えて、とかくは片小鬢(かたこびん)剃られて、其夜沙汰なしに、行方しらずなりにき」

  ③ 話がなかったことにすること。とりやめること。中止。

  ※浮世草子・西鶴織留(1694)二「又分別替りて、夜ぬけの事は沙汰(サタ)なしにして」

  ④ 相手に知らせないこと。ことわりなし。

  ※洒落本・初葉南志(1780)「例の友へもさたなしに抜買(ぬけがい)と出ようか」

  ⑤ おとずれのないこと。便りのないこと。無沙汰。

  ※人情本・鶯塚千代の初声(1856)初「一向(さっぱり)沙汰(サタ)なし」

 

とある。雷は光るだけ何事もなく去っていった。

 

季語は「神鳴」で夏。

 

十六句目

 

   神鳴のひつかりとして沙汰もなき

 しやくりがやんで気がかるうなる 山店

 (神鳴のひつかりとして沙汰もなきしやくりがやんで気がかるうなる)

 

 雷でびっくりしてしゃっくりが止まる。

 

無季。

 

十七句目

 

   しやくりがやんで気がかるうなる

 奥の院をづをづ花を指のぞき   芭蕉

 (奥の院をづをづ花を指のぞきしやくりがやんで気がかるうなる)

 

 高野山の奥之院のイメージか。神聖な場所で緊張した様にする。

 

季語は花で春、植物、木類。釈教。

 

十八句目

 

   奥の院をづをづ花を指のぞき

 けさからひとつ鶯のなく     山店

 (奥の院をづをづ花を指のぞきけさからひとつ鶯のなく)

 

 山奥の奥之院なら、朝から鶯も鳴いている。

 

季語は「鶯」で春、鳥類。

二表

十九句目

 

   けさからひとつ鶯のなく

 春の日に産屋の伽のつつくりと  山店

 (春の日に産屋の伽のつつくりとけさからひとつ鶯のなく)

 

 「つつくり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「つっくり」の解説」に、

 

 「〘副〙 (多く「と」を伴って用いる) ひとりじっとしているさま、特になすこともなく、あるいは思いに沈んでたたずむさまを表わす語。つくねん。つっくと。

  ※虎寛本狂言・茫々頭(室町末‐近世初)「それにつっくりと致いて居ましたれば、何が菓子と見へまして、結構な提重を持て出まするに依て」

 

とある。

 産屋の伽はお産を手伝う人達か。夜通し今か今かと待っていたのだろう。明け方には眠気もあって黙り込んでいるところに鶯が鳴く。

 

季語は「春の日」で春。

 

二十句目

 

   春の日に産屋の伽のつつくりと

 かはりがはりや湯漬くふらん   芭蕉

 (春の日に産屋の伽のつつくりとかはりがはりや湯漬くふらん)

 

 湯漬(ゆづけ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「湯漬」の解説」に、

 

 「〘名〙 飯を湯につけて食べること。また、その食事。蒸した強飯(こわめし)を熱い湯の中につけ、また、飯に湯を注いだ。食べるときに湯を捨てることもある。夏は「水漬」といって、水につけることがあった。

  ※宇津保(970‐999頃)春日詣「侍従のまかづるにぞあなる。ゆづけのまうけさせよ」

  ※夢酔独言(1843)「酔もだんだん廻るから、もはや湯づけを食うがよひとて」

 

とある。

 生まれるのを待つ間は、交代で簡単な食事をとる。

 

無季。

 

二十一句目

 

   かはりがはりや湯漬くふらん

 いそがしくみな股立を取並び   山店

 (いそがしくみな股立を取並びかはりがはりや湯漬くふらん)

 

 「股立(ももたち)を取」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「股立を取る」の解説」に、

 

 「袴(はかま)の左右のすそをつまみあげて、帯または袴の紐に挟む。活動しやすい状態をいう。

  ※今川大双紙(15C前)躾式法の事「御供之出立は、〈略〉下緒をとめ、ももだちを取て、きゃはんをするなり」

 

とある。

 股立脚絆の作業着姿の男たちが並んでかわるがわる湯漬けを食う。現場などにありそうな光景だったか。

 

無季。「股立」は衣裳。

 

二十二句目

 

   いそがしくみな股立を取並び

 目つらもあかず霰ふるなり    芭蕉

 (いそがしくみな股立を取並び目つらもあかず霰ふるなり)

 

 霰降る中の作業は辛い。

 

季語は「霰」で冬、降物。

 

二十三句目

 

   目つらもあかず霰ふるなり

 からびたる櫟林に日がくれて   山店

 (からびたる櫟林に日がくれて目つらもあかず霰ふるなり)

 

 「からびる」は乾いて水気がなくなるということで、今日の「ひからびる」。

 

 櫟(くぬぎ)は葉は枯れて茶色くなるが、落葉せずに枝に残っている。そこに音を立てて霰が降る。

 

季語は「からびたる櫟林」で冬、植物、木類。

 

二十四句目

 

   からびたる櫟林に日がくれて

 仏の木地をつつむ糸だて     芭蕉

 (からびたる櫟林に日がくれて仏の木地をつつむ糸だて)

 

 「糸だて」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「糸立」の解説」に、

 

 「〘名〙 糸を挟み込んで補強した渋紙。

  ※滑稽本・戯場粋言幕の外(1806)上「いとだてのウ天窓(あたま)へぶちかけて」

 

とある。仏像を彫るためにカットされたクヌギ材を渋紙で包んで持ち帰る。

 

無季。釈教。

 

二十五句目

 

   仏の木地をつつむ糸だて

 ごろごろと臼挽出せばほととぎす 山店

 (ごろごろと臼挽出せばほととぎす仏の木地をつつむ糸だて)

 

 ゴロゴロ音をたてる臼は碾臼で、季節的には新麦を粉に挽いて、切麦(今の冷や麦)にするのであろう。お寺などで作られることが多く、前句の仏像に付く。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。

 

二十六句目

 

   ごろごろと臼挽出せばほととぎす

 そぞろに草のはゆる竹縁     芭蕉

 (ごろごろと臼挽出せばほととぎすそぞろに草のはゆる竹縁)

 

 庵に呼ばれて切麦を食べる時のよくある風景か。

 

無季。

 

二十七句目

 

   そぞろに草のはゆる竹縁

 羽二重の赤ばるまでに物おもひ  山店

 (羽二重の赤ばるまでに物おもひそぞろに草のはゆる竹縁)

 

 羽二重はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「羽二重」の解説」に、

 

 「① 絹布の一種。優良な絹糸で緻密に織り、精練した純白のもの。薄手でなめらかで艷がある。多く、礼服地、羽織裏、胴裏などに用いられ用途は広い。はぶたい。

  ※俳諧・毛吹草(1638)四「山城〈略〉新在家 羽二重(ハブタヘ)」

  ② 特に、黒羽二重の羽織。遊客の間で、通人の服装とされた。はぶたい。

  ※俳諧・望一千句(1649)三「何疋とあらず鹿子のあつまりて 色々にしもそむるはぶたへ」

  ③ 「はぶたえかつら(羽二重鬘)」の略。

  ④ 「はぶたえはだ(羽二重肌)」の略。

  ※俗謡・伊名勢節(1856)「丸顔、中背中肉、太りが好きなら、ハッハ、羽二重(ハブタヘ)嬉しいやわらかな」

 

とある。「赤ばる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「赤張」の解説」に、

 

 「〘自ラ四〙 汚れや日焼けなどで赤く変色する。赤茶ける。

  ※俳諧・芭蕉庵小文庫(1696)夏「そぞろに草のはゆる竹椽〈芭蕉〉 羽二重の赤ばるまでに物おもひ〈山店〉」

 

とある。

 『源氏物語』末摘花の俤ではないかと思う。

 

 「ゆるしいろのわりなう、うはじらみたるひとかさね、なごりなうくろきうちぎかさねて、うはぎにはふるきのかはぎぬ、いときよらにかうばしきをき給へり。」

 (薄紅の今様色の無残に色あせてしまったような単(ひとえ)の上に本来の紫色の面影もない黒ずんだ袿を重ね、その上に最高級のロシアンセーブルの毛皮に香を焚き込めたものを着ていました。)

 

のイメージを今風にしたのではないか。

 

無季。恋。「羽二重」は衣裳。

 

二十八句目

 

   羽二重の赤ばるまでに物おもひ

 わかひ時から神せせりする    芭蕉

 (羽二重の赤ばるまでに物おもひわかひ時から神せせりする)

 

 「神せせり」は「神いじり」と同じで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「神弄」の解説」に、

 

 「〘名〙 誠の信心からではなく、みえや形式だけで神参りすることをとがめていう語。神いびり。神せせり。神なぶり。

  ※歌舞伎・阿国御前化粧鏡(1809)序幕「小さん坊、無性やたらに、お百度お百度と、神いぢりも大概にするがよい」

 

とある。今でもからかうことを「いじる」と言う。「せせる」も「せせら笑う」に名残をとどめているが、あざ笑うということ。

 神に願を掛けるというよりも、神は言うことを聞くのが当然とばかりに、下僕か何かと勘違いしてるような人のことであろう。

 神仏に願を掛けるのは昔からの習慣で、それは悪いことではない。神は「陰陽不測」であり、人智を超えた存在だということを忘れてはいけない。

 「人事を盡して天命を待つ」という言葉もあるように、精いっぱい努力したうえで、自分の力ではどうにもならないところだけほんの少しの運を貰うというのが願掛けだ。努力もせずに願い事だけしていれば、いつしか羽二重の衣も赤ばみ、溢れる才能も怠惰に朽ちて行く。

 

無季。神祇。

 

二十九句目

 

   わかひ時から神せせりする

 鶏をまたぬすまれしけさの月   山店

 (鶏をまたぬすまれしけさの月わかひ時から神せせりする)

 

 鶏を盗んでゆくような輩は、神を畏れないような連中だ。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「鶏」は鳥類。

 

三十句目

 

   鶏をまたぬすまれしけさの月

 畠はあれて山くずのはな     芭蕉

 (鶏をまたぬすまれしけさの月畠はあれて山くずのはな)

 

 葛の花は夏の季語だが、それを避けて秋にするためにあえて「山葛の花」としたか。形式季語から実質季語への一つの試みであろう。

 句の方は、人々の心が荒んでいて、畑も荒れ放題になっているということか。

 

季語は「山くずのはな」で秋、植物、草類。

二裏

三十一句目

 

   畠はあれて山くずのはな

 日光へたんがら下す秋のころ   山店

 (日光へたんがら下す秋のころ畠はあれて山くずのはな)

 

 「たんがら」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「たんがら」の解説」に、

 

 「〘名〙 植物「たがらし(田芥子)」の異名。〔重訂本草綱目啓蒙(1847)〕」

 

とあり、田芥子はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「田芥子」の解説」に、

 

 「① キンポウゲ科の一年草または二年草。北半球に広く分布し、日本各地の水田や湿地に生える。高さ三〇~五〇センチメートル。茎はよく分枝し中空で太い。根生葉および下部の茎葉は有柄で、葉身は掌状に深く三裂、各裂片はさらに三裂し縁に鈍鋸歯(きょし)がある。上部の茎葉はほとんど無柄で、三深裂し、各裂片は線形。春、枝の先に径一センチメートルたらずの黄色い五弁花が咲く。果実は痩果で、多数集まって長さ約一センチメートルの俵形の果球となる。有毒。漢名、石龍芮。たたらび。どぶごしょう。かえるのきつけ。こしょうな。《季・春》

  ※養鷹秘抄(15C前か)「田からしの根かげぼしくろやき、むめぼしのあんにんをくろやき、右等分に合」

  ② 植物「たねつけばな(種漬花)」の異名。〔物品識名(1809)〕

  ③ 植物「いぬがらし(犬芥子)」の異名。〔重訂本草綱目啓蒙(1847)〕」

 

とある。

 畠は荒れて葛に覆われ、田んぼには田芥子の芽が生えて来る。田芥子は「田枯らし」ともいわれ、収穫の少ない田んぼに生える。毒のある草で、引っこ抜いて日光にさらす。

 

季語は「秋」で秋。「たんがら」は植物、草類。

 

三十二句目

 

   日光へたんがら下す秋のころ

 くれぐれたのむ弟の事      芭蕉

 (日光へたんがら下す秋のころくれぐれたのむ弟の事)

 

 前句の「たんがら」を丹殻染のこととして、日光(地名)へ出荷すると取り成し、日光へ行く人に弟の事を託す。

 

無季。「弟」は人倫。

 

三十三句目

 

   くれぐれたのむ弟の事

 ゆふかぜに蒲生の家も敗れ行   芭蕉

 (ゆふかぜに蒲生の家も敗れ行くれぐれたのむ弟の事)

 

 蒲生(かまふ)は浅茅生、蓬生に順じた造語で、蒲の生えるあたりの家ということか。荒れた家で我が身のことは致し方ないとしても、自分の死んだ後の弟の事が心配だ。人に弟の事を託す。

 

無季。

 

三十四句目

 

   ゆふかぜに蒲生の家も敗れ行

 物にせばやとさする天目     山店

 (ゆふかぜに蒲生の家も敗れ行物にせばやとさする天目)

 

 戦国武将の蒲生氏郷はウィキペディアに、

 

 「連の統一事業に関わった功により、天正18年(1590年)の奥州仕置において伊勢より陸奥国会津に移封され42万石(のちの検地・加増により91万石)の大領を与えられた。」

 

とある。この氏郷は天目茶碗を焼く窯を会津大塚山窯に築いたらしい。

 蒲生家は寛永四年(一六二七年)に改易となっている。

 

無季。

 

三十五句目

 

   物にせばやとさする天目

 花のあるうちは野山をぶらつきて 山店

 (花のあるうちは野山をぶらつきて物にせばやとさする天目)

 

 茶の数寄者であろう。花を好むとともに、天目茶碗は何とかして手に入れたいと思っている。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「野山」は山類。

 

挙句

 

   花のあるうちは野山をぶらつきて

 藤くれかかる黒谷のみち     芭蕉

 (花のあるうちは野山をぶらつきて藤くれかかる黒谷のみち)

 

 黒谷は金戒光明寺のある辺りで、金戒光明寺は「くろ谷さん」と呼ばれている。東山の麓で近くに銀閣寺(慈照寺)や吉田山もあり、南には南禅寺もある。今でも観光客の散歩コースだ。

 

季語は「藤」で春、植物、草類。