現代語訳『源氏物語』

08 葵

 あれから二年、父君の御門が春宮に皇位を譲った後というもの、すっかり気の抜けたような状態になり、中将から大将となり、国政の要職に着いたこともあって、軽々しく遊び歩くこともできませんでした。

 

 源氏の通っていた女の方も逢うことのできない不満が積もり積もって、その呪いのせいでしょうか、藤壺の宮からは相変わらず相手にされず、尽きせぬ思いに溜息をつくばかりでした。

 

 その藤壺の宮は、今となってはなおさら四六時中単なる側近のようにいつも「院」となった先の御門と一緒にいます。

 

 

 今や皇太后となったかつての弘徽殿(こきでん)女御も、院には何か気に食わな所があるのかもっぱら内裏にいるので、特に邪魔する人もいなくて平穏な日々を送ってます。

 

 院の方はというと季節の折々に音楽などを楽しみ、それもまた世間を驚かすほど盛大で、退位したとはいえ今もなお華やかなものです。

 

 ただ、新たな春宮となった藤壺の子のことが気がかりなようです。

 

 後見人がないのが不安で、源氏の大将の君にあれこれ声をかけていて、源氏としては痛い事情があるものの、嬉しいことではあります。

 

 そういうこともあってか、あの六条御息所には、院の弟で源氏の叔父にあたる今は亡きかつての春宮との間のできた姫君がいて、今は斎宮になることが決まっているのですが、大将になったとはいえ源氏の力もまったく頼りにならず、姫もまだ幼いということも気にかかって、それを理由に自分も伊勢へ行こうかとかねてより思ってました。

 

 院にもこうしたことを漏らしていて、

 

 「今はなき宮様が常に援助を惜しまず、この上ないくらいに持ち上げていたのに、お前が軽々しく十人並みの扱いをしているのは残念なことだ。

 

 斎宮も自分の皇子たちと同じように思っているし、どちらに対してもおろそかにしないように願いたい。

 

 気の向くままにあっちゃこっちゃの女に手を出していたんでは、それこそ世間で高貴な身分にふさわしくないということになるぞ。」

 

とご機嫌斜めとあっては、自分でもそのことを否定できず、すっかり恐縮しています。

 

 「人を辱めるようなことをせず、どの方面に対しても事を荒立てず、女の恨みを買わないように、わかったな。」

 

と説教されても、とんでもない身分不相応なことをしでかしたことがばれやしないかと恐くなって、平身低頭でその場を去りました。

 

 このように、院にまで六条御息所との関係が知れてしまって、このようなことまで言わせてしまったとなると、六条御息所の名誉のためにも自分のためにもスキャンダルはまずいと思い、ますます軽くあしらうわけにもいかなくなります。

 

 それでも、常に気に掛けてなけらばならないならない血筋の者とは思うものの、まだ表立って妻としようとはしませんでした。

 

 六条の方も今さら結婚という歳でもないと恥ずかしく思っているのか、到底同意しそうにもない様子なので、それならばとばかりに放ったらかしにしてた所、院にも知れる所となり、宮中でも知らない人がいらないくらいに有名になってしまい、源氏の君のいいかげんさをひどく悲しく思うのでした。

 

 こんな噂を聞いてか、以前朝顔(むくげ)の花を捧げたことのある槿(あさがお)の姫君は、

 

 「あんなふうにはなりたくないわね。」

 

と思ってか、そっけないそぶりの返歌すらすることもありませんでした。

 

 かといって人当たりは悪くないし、礼儀正しく振舞い続けるので、源氏の君も「ただ者ではない」とずっと思ってました。

 

 左大臣邸の方では、こうした浮気心が不愉快でしょうがないのですが、当人はどこ吹く風で、言ってもしょうがないと思ってるのか、あからさまに不満をぶちまけることもありません。

 

 源氏の正妻が胸がむかむかするような感覚に悩まされ、何となく心細く思っていた頃のことです。

 

 源氏の君もたまには愛していたのでしょう。

 

 誰も彼もがご懐妊を喜び、流産を恐れて様々な加持祈祷をさせました。

 

 しかし、こうなってしまうとまたますます気持ちに余裕がなくなり、避ける気はなくても通わない日が多くなるものです。

 

   *

 

 そのころ加茂の斎院が引退して、皇太后の娘である女三の宮が新たな斎院になりました。

 

 今の御門と皇太后が特別大事にしている女三の宮なので、それが神に仕える生活に入ってしまうことは不本意なことだったのですが、他の皇族たちに適当な人材がなかったのでしかたなかったのでしょう。

 

 儀式なども通常の神事であっても、盛大に飾り立てます。

 

 祭ともなればできる限り宮中行事とリンクさせ、なかなか派手な演出をします。

 

 これも人柄によるものなのでしょう。

 

 四月の(とり)の日に行なわれる賀茂祭があり、その前の(うま)の日には斎院が(みそぎ)を行なうのですが、この時、上達部(かんだちめ)から決まった数の人間が選ばれて同行することになっていたので、特別に美形の人間を選びそろえて、下襲(したがさね)の色、表に着る袴の紋、馬の鞍まで皆新調しました。

 

 御門の特命によって、源氏の大将の君もその中に加わりました。

 

 沿道はただでさえ見物人の車を止める所に苦労します。

 

 一条大路には止められず、薄汚い路地裏まで大騒ぎです。

 

 あちこちに作られた桟敷はそれぞれに意匠を凝らし、そこから垂らしている女たちの見せ袖も見ものです。

 

 源氏の正妻はこうした外出すらほとんどしたことがないうえ、悪阻もひどかったので、祭を見物に行くなんて思ってもみなかったのですが、若い付き人たちが、

 

 「そんなーっ、私たちだけでこっそり見に行ったってつまんなーい。

 

 そこいらの人だって今日のイベントは源氏の大将目当で大騒ぎだし、得体の知れぬ山から降りてきたような人だって見たがって、遠い地方からも一家引き連れてやって来るくらいだから、これを見ないってのは、そりゃあんまりですわ。」

 

と言うと母の宮様もそれを聞いて、

 

 「体の調子も今はいいんでしょ。

 

 お付の人たちもつまらなそうにしているし。」

 

と急遽支度をさせて見物に出かけました。

 

 日はすでに高く、それほど派手に飾り立てるふうでもなく出発しました。

 

 沿道には既にびっしりと車が止まっていて、左大臣家の立派な車の列も立ち往生です。

 

 立派な女房車が多く、その中でもさほど多くの番人のいない車を見つけては立ち退かせて何とか停めていくうちに、ややくたびれたような網代車(あじろぐるま)だけど下簾(したすだれ)などに高貴な風格があり、随分と奥に座ってほのかに見える袖口、裳裾、汗袗(かざみ)などの色がとても上品で、いかにも高貴な人がお忍びできましたというふうの車が二台ほどありました。

 

 「これはあんた等が勝手にどかしていいような類の車ではない。」

 

と高飛車に言い放って、触らせようともしません。

 

 どちらの側も、酔っぱらった若い衆がけんか腰になるのを止めることはできません。

 

 歳取った露払いの人たちが「まあまあ」などと言っても、どうにかなるものではありません。

 

 伊勢斎宮の母の御息所が、ちょっとした憂さ晴らしにもなるかと、こっそりやって来ているのでした。

 

 他人のふりをしていてもバレバレです。

 

 「妾のくせに何威張ってんだ!」

 

 「源氏の大将が何とかしてくれるとでも思ってるのか!」

 

など口々に罵られ、左大臣側に混じっている源氏のお付の人達もちょっと気の毒かなとは思ってみるものの、ここでかばったりしても面倒なことになるので見なかったことにしています。

 

 結局左大臣側の車が表にずらりと並んで、六条御息所はその従者たちの手車の奥に押しやられ、何も見えません。

 

 敗北感に打ちひしがれただけでなく、お忍びで来たのがばれてしまったのがひどく悔しくてしょうがありません。

 

 停める時に牛が引く取っ手の部分を乗せておく台はへし折られて、車軸の出っ張りにだらしなくぶら下げられていて、これ以上ないくらいに無残な状態で、くやしくて「何しに来たんだか」と思ってみても後の祭りです。

 

 見物をあきらめて帰ろうにも、車を外に出せるような隙間もなく、

 

 「来たーーー!」

 

と言う声がすれば、ついついあの恨めしい人が前を通るのを心待ちにしてしまうのが、人間の弱い所です。

 

 せめて雰囲気だけでもと思ってみても、無情にも通り過ぎて行くだけで、心は乱れるばかりです。

 

 実際、いつもよりもあれこれ趣向を凝らして飾り立てた車がずらっと並び、見物する女房達はこぞって簾の隙間から自慢の(かさね)の裾を覗かせ、源氏の大将も何食わぬ顔で、微笑んでは流し目を送ったりします。

 

 ただ、左大臣家の車はすぐにわかるので、そこだけは真面目な顔をして通り過ぎます。

 

 源氏のお供の人たちが敬意を込めて挨拶しながら通り過ぎるのが切れ切れに見えて、六条御息所は違いを見せ付けられた思いです。

 

 加茂の禊の行われる御手洗(みたらし)川に掛けて、

 

 影だけをみたらし川のつれなさに

     我が立ち位置を思い知るのみ

 

と涙を流すのを、お付のものに見られてしまうのも恥ずかしく、眩しいほどの源氏の君の晴れの舞台で、さらに輝く姿なんか見なければ良かったと思いました。

 

 行列の他の人たちも、それぞれ衣装も立ち居振る舞いもしっかりしていたし、上達部ともなれば並々ならず立派だったのですが、ただ一つの光にかき消された感がありました。

 

 源氏の大将の行列の時だけの一時的な随身に、地下(じげ)将監(しょうげん)ではなく殿上人の将監がなることは普通ではありません。

 

 特別な行幸(みゆき)などの場合に限られることなのですが、今日は五位の右近(うこん)蔵人(くろうど)将監(しょうげん)が担当しました。

 

 他の随身たちも、姿形をまばゆいばかりに整えて、今の源氏の君の権勢には草木もなびかぬものはないほどです。

 

 壺装束と呼ばれる旅姿のそこそこの身分の女房や、また世俗を絶ったはずの尼さんまでもが押し合いへし合いで見物に来たりしているのも、普通なら「しょうもねえな、困ったもんだ」となるところですが、こんな日ならそれも理解できるところで、髪の毛を着物の内側に入れたどこから来たとも知れぬ女たちが額の上で手を合わて拝んだり、いかにも頭の悪そうな下層の男たちまでもが、すっかり緩み切った間抜けな顔になっているのも知らずに満面の笑みを浮かべてました。

 

 源氏の君からすれば攻略対象外の成り上がりの受領の娘が、きらびやかに飾り立てた車を連ね、いかにもという感じで気を引こうとしているのがおかしくて、なかなかの見ものです。

 

 まして、あちこちにいるちょくちょく通っているような女の所では、みんなひそかに自分など物の数でもないと深く溜息ついていたことでしょう。

 

 式部卿の宮が桟敷で見ていました。

 

 「ほんとにまばゆいばかりのすがたに成長したもんだな。

 

 神様に目を付けられて天に召されてしまうのではないか。」

 

と危惧してました。

 

 その娘が槿(あさがお)の姫君で、長年にわたって文などを貰っていて、その感覚の並外れているのは無視できないところで、ましてこんな姿を見せ付けられては、さすがに心に留まりました。

 

 もっと近くで見ようとまでは思いませんが‥‥。

 

 お付の若い女房達は、うるさいくらいに褒めちぎりあってました。

 

   *

 

 賀茂祭の当日は、源氏の正妻も見物には行きませんでした。

 

 源氏の大将の君に、例の車の場所取り争いのことを知って報告する人がいたため、

 

 「そりゃマジひどいし惨たらしい。」

 

と思い、さらに、

 

 「堅苦しい所に慣れてしまったあまりに、どうにも融通の利かない人たちだから空気が読めなくて、自分たちはそんな御息所のことを特別どうこう思ってなかったのだろうけど、こういう微妙な人間関係でも相互に立場を理解しあわなくてはいけないという感覚の欠如が蔓延してたんだろうな。

 

 お付の者たちもこんなひどいことをするようになるなんて。

 

 御息所はひどいコンプレックス持ちで体裁を気にする性格だから、どんなに落ち込んでいることか。」

 

と気の毒に思って尋ねて行くものの、娘の斎宮がまだ伊勢へ行かずに都に留まっていることから、神前での逢瀬が憚るべきことなのを口実に簡単には逢ってくれません。

 

 「そりゃそうだけど‥‥。」

 

とは思いながらも、

 

 「なんでこんなにツンデレなんだ。」

 

とつぶやくのでした。

 

   *

 

 当日、源氏の君は二条院の方にいて、祭見物に出かけます。

 

 西の対の方に行って、惟光に車の手配をさせました。

 

 「女房達も一緒に行くのかい?」

 

と言いながら、西の対の姫君が美しく身支度しているのをにんまりとしながら眺めてました。

 

 「君は来てくれ。

 

 一緒に見よう。」

 

と言って、いつもよりも奇麗に見える髪の毛をわさわさと撫でて、しばらく髪を梳いてなかったのを今日はハレの日なんだからと思って、暦に詳しい人を呼んで占ってもらいながら、

 

 「まず、女房たちから出発しなさい。」

 

と言っては童たちの着飾った姿を眺めてました。

 

 可愛らしい髪の先の方の毛をばっさりとそぎ落として、{浮紋|うきもん}の礼装用の袴にはらりと落ち、鮮やかに広がります。

 

 「君の髪は私が梳く。」

 

とは言うものの、

 

 「それにしても凄いボリュームだ。

 

 どんな風に伸ばして整えればいいのやら。」

 

と梳ぎながら悩んでしまいます。

 

 「思いっきり長く伸ばしている人でも、前髪はやや短めに切ることが多いし、全部梳いて短く切りそろえてしまうのはいかにもダサいな。」

 

ということで、髪を梳き終わると、

 

 「千尋(ちひろ)にながくなあれ。」

 

と呪文を唱えたので、少納言の乳母(今では乳母ではないですが)はありがたいやら申し訳ないやらです。

 

 果てしない千尋(ちひろ)の海の底の()()

     どこまで伸びて行くか俺は見る

 

と歌い上げると、

 

 千尋なんて深さかどうか知りません

     満ちたり引いたり潮は気まぐれ

 

と紙に書いてよこす様子がけなげなので、若くて可愛いというのはいいもんだなと思いました。

 

 今日も隙間なくびっしりと車が止まってました。

 

 一条大宮の北の競馬(くらべうま)が行なわれる右近馬場の(おと)殿()のあたりで立ち往生して、

 

 「上達部の車が多くて、やっかいな場所だな。」

 

と様子を見ていると、たくさんの女房達の乗っているそこそこ立派な女車から、扇を差し出して招きよせ、

 

 「今どかすからここに来なさいな。」

 

という声がします。

 

 どこのスケベ女かと思うものの、確かになかなかいい場所なので車を引き寄せて、

 

 「どうやってこんないい場所取ったんだ。

 

 癪だな。」

 

というと、こじゃれた扇の端を折って、

 

 「むなしいなあ、連れと逢う日を見せつけて

     (あうひ)をかざす今日を待ってたのに

 

 結界を張りおって。」

 

 

と書いてある筆跡で、どこかで見たことがあると思ったら、あの(ないしの)(すけ)でした。

 

 びっくりしたなあ、年取るのが嫌であんな若作りしてと、むっとしながら素っ気無く、

 

 「(あうひ)の葉なんて信用できないな

    だってみんなに逢う日なんでしょ」

 

と歌うと、やなこと言うなと(ないしの)(すけ)は思いつつ、

 

 「(あふひ)なんて名ばかり『逢う日』というだけで

     そんなの当てにしたのが悔しい」

 

と言い捨てました。

 

 女連れで乗っていながら簾すら上げようとしない源氏の君の車に、反感を覚える人もたくさんいたことでしょう。

 

 「禊の日にはあんなにりりしいお姿を見せておきながら、今日はふしだらに遊び歩いて、一体誰なのよ。

 

 一緒に乗っている人はさぞ凄い人なんでしょうね。」

 

と勘ぐる声が聞こえます。

 

 「葵のかざし飾りの争いとしては今一だったな。」

 

と源氏の君は拍子抜けのようですが、こういう懲りない女とはいえ、相乗りしていることを気遣って、素っ気無い返歌も軽く受け流すあたりは立派なものです。

 

   *

 

 六条御息所は今まで以上に煩悶し取り乱すことが多くなりました。

 

 薄情な人だとあきらめようとは思っていても、さよならと源氏のことをさっさとふって伊勢に下ってしまっても先行き不安だし、世間の人に知られたならいい笑いものになると思うのです。

 

 だからといってこのまま京にいても、こんな惨めな目にあったことで、みんなから見下されるのも面白くないし、釣する海人(あま)のウキのように定めなしと寝ても醒めても思い悩むばかりで、魂が海にぷかぷか浮いているよう気分で、病人のようでした。

 

 源氏の大将は伊勢に下ることにまったく無関心で、行かないでくれなどと言ってくれるわけでもありません。

 

 「俺のようなつまらない男など見るもの嫌だと思うなら捨てられてもしょうがないけど、今さら何を言うんだと思うかもしれないが、それでも最後まで君を思い続けるのが本当の愛ではないか。」

 

と言い含められ、迷っていた心もおさまるかと出かけて行ったら、あの(みそぎ)(かわ)の荒波にもまれてますますすべてが嫌になったしまったのでした。

 

 源氏の正妻はというと、物の怪の病のような状態になってきて、ひどく塞ぎこみがちになったので、左大臣家の人たちは皆どうしていいかと溜息をつくばかりで、源氏の君も遊び歩いている場合ではないと言いながら、二条院へもちょくちょく戻ってました。

 

 そうは言っても放って置くわけにも行かず、最初の妻として特別な思いのある人の出産にまつわる病気となれば、心が狂わんばかりに思い嘆いて、密教の御修法(みずほう)やら何やら自分の方であれこれと行なわせました。

 

 物の怪や生霊(いきすだま)などたくさん出てきてその名を読み上げる中に、他の人に憑依することはなく、ただ源氏の君の背後に取り付いているのがいて、取り立てて騒ぎ立てたり悪さをしたりすることはないけど、片時も離れることのないものが一つあるといいます。

 

 霊力のある験者(げんざ)|たちでも正体を明かすことができず、その執念深い様子は半端ではないとのことです。

 

 源氏の大将が通っている女のなかであれこれ心当たりのある所を聞き出すと、六条御息所と二条院の女との関係がちょっと普通ではないと思ったのか、恨みもそれだけ深いんではないかと小声で言い、占いなどもするのですが、たいして当ってません。

 

 物の怪と言っても特に深い恨みを買った覚えもありません。

 

 過去の乳母や何かか、もしくは左大臣家に古くから取り憑いてきた怨霊が、弱みにつけ込んで出てきたなどと、次から次へとあやふやな説明ばかりします。

 

 その正妻はというと、ただただ泣いて何かを訴えるばかりで、時折胸からこみ上げるものに喉を詰まらせ、ひどく耐えられないかのような混乱した様子を見せれば、左大臣家ではどうしていいのやら、危機感と焦燥感に駆られてあたふたするばかりです。

 

 見舞いに来る院からの使いの者もひっきりなしで、祈祷のことまであれこれ手配してもらうのはありがたいものの、ますます予断を許さない状態になっていきました。

 

 世間のみんなが源氏の正妻のことを心配して見守っているのを聞いて、御息所は心中穏やかでありません。

 

 今まではそれほどでもなかった対抗心が、どうでもいいようなところで起きてしまった車争いによって掻き立てられてしまったことなど、左大臣家の人たちにはほとんど思いもよらぬことでした。

 

 御息所はそんなふうに心がかき乱されるので、精神状態がどうも普通じゃないと思い、娘が斎宮ということもあってか、わざわざ他所へ行って密教の御修法(みずほう)などをさせました。

 

 源氏の大将がそれを聞いて、どんな容体なのか気の毒に思って尋ねて行きました。

 

 普段行かないような旅をしてゆくような所だったので、それこそ人目が憚られます。

 

 長いことご無沙汰していたのは意図したものではなく、罪を許してほしいとばかりにあれこれ言い訳するうちに、本妻の病気の様子も心配そうに漏らしました。

 

 「自分としてはさしたる思い入れはないんだけど、親族の方が大げさに騒ぎ立てて右往左往しるのがを見ていると心苦しくて、この騒ぎが一段落してからと思って‥‥。

 

 その辺のところで目くじら立てないでいてくれれば嬉しいのだけど‥‥。」

 

などとうまく言いくるめようとします。

 

 御息所のいつも以上に苦しそうに悩んでいる様子も、もっともなことだと同情の目で見つめます。

 

 ぐだぐだしたまま夜明けになって、帰って行く源氏の君の姿の美しさに、やっぱり別れることはできないと思いなおしました。

 

 「いつも愛してる人にさらに放っておけないような事情が生じたのなら、そのことで心がいっぱいでしょうに、こうやって待っていても胸がいっぱいになるばかりだわ。」

 

と中途半端に悩みが蒸し返されてしまったような気分でいたところ、源氏の君からの手紙だけが夕暮れになって届きました。

 

 「このところ少し容体も安定していたのが急にまたひどく苦しみだしたため、どうにも逃げられなかったので‥‥。」

 

とあるのを、またいつものいい訳かと思い、

 

 「恋の道は涙の道と知りながら

     降りた田んぼのみずから苦しむ

 

 山の湧き水の浅すぎて、袖が濡れるだけで汲むことができないとは、昔の歌の通りです。」

 

 その筆跡に、やはり宮中では一番だなと打ち眺めながら、

 

 「女ってやはり分けわかんないな。

 

 性格も顔かたちもみんなそれぞれ捨てがたいというのに、この人一すじにと思えるような人もなくて‥‥。」

 

とすっかり悩んでしまいます。

 

 すっかり真っ暗になってから返事を送りました。

 

 「袖だけが濡れるというのはどういうこと?

 愛が深くないということではないですか。

 

 浅い水に降り立つ人よこの俺は

     深き恋路にどっぷり浸かり

 

 本当ならこの返歌を、自分の口から聞かせてあげたい。」

 

と書いてあります。

 

 正妻の方の物の怪の病はますますひどくなって、危険な状態になってきました。

 

 取り憑いてる霊は今は亡き父の大臣の霊ではないかと言う者もいて、御息所がその噂を聞くにつけてもさらに悩みの種は尽きず、自分の一身上のことで思い悩んでるだけで、別に人のことを悪く思ったりしたわけでもないのに、悩んでうわの空になっている間に魂だけが解離し、それが人を苦しめるなんてことを聞いたことがなくもありません。

 

 以前から、ありとあらゆるすべてのことで悩んできたものの、ここまで心を引き裂かれてしまうなんてありませんでした。

 

 何てこともないことなのに、あの禊の時にあの人が無視して知らん顔して通り過ぎてしまったことで、すっかり憂鬱になり心ここにあらずで、気持ちを鎮めることができなくなったせいなのか、少しうとうとしてみた夢ではあの姫君と思われる人いる大変奇麗に整えられた部屋に行って、あれこれ引っ掻き回したり、起きている時にはありえないような思いっきり引っ掻いてやりたい衝動に駆られ、いきなり服や髪を引っつかんで毟り取ろうとしてたなんてことがたびたびありました。

 

 「あーーっ、自己嫌悪。

 

 本当に魂が抜け出ちゃったんだ。」

 

と、確かに目が醒めているのに夢を見ているような気分になることがたびたびありました。

 

 魂が抜け出たなんて、小さなことでも人間というのは大体悪く悪く受け取るものなので、ましてこれは格好の攻撃材料にされてしまいかねません。

 

 だとすると噂になるのも避けられません。

 

 死んでから後に恨みを残すのはよくあることですが、それですら罪深いことで、あってはならないことなのに、生きている自分がそんな忌まわしいことを言い立てられたりしたら一生の恥です。

 

 もう一切あのつれない人のことは気にかけないようにしようと思ってはみても、気にかけてしまうものなのですね。

 

   *

 

 斎宮は去年(ぼく)(じょう)が出たときにすぐに内裏の初斎院(しょさいいん)潔斎(けっさい)に入る予定でしたが、いろいろと障害があって、この秋から内裏に入ります。

 

 そして晩秋の九月にはすぐに嵯峨野の{野宮|ののみや}に移らなくてはならないので、ふたたびあわただしく御祓いなどが重なるというのに、ただ妙にうつろな状態であれこれ悩んで寝込んでいるので、斎宮に仕えている宮人もゆゆしき一大事とばかりに、祈祷など様々に行ないました。

 

 そのせいかひどく取り乱すこともなく、小康状態を保ちながら、それまでの月日を過ごしました。

 

 源氏の大将も何度もお見舞いの手紙を送るのですが、それよりも大事な人がひどい病気なので、それどころではなさそうです。

 

 まだ予定日ではないと周りの人も油断していたところ、急に産気づいて苦しみだしたので、今まで以上にありとあらゆる祈祷の限りを尽くすのですが、例の取り憑いた物の怪の一つが居坐り続けています。

 

 高名な修験者たちも、こんなのは見たことがないと考え込むばかりです。

 

 とはいえ、さすがに物の怪の方も見事に調伏され、何かを大変気にしているかのように泣き伏して、

 

 「祈祷の声を少し静かにして下さいな。

 

 大将の君に伝えたいことがあります。」

 

と言います。

 

 「そうか。

 

 何かわけがあるんだな。」

 

と近くの御几帳(みきちょう)の中に源氏の君を入らせました。

 

 いまわのきわにどうしても言っておきたいことがあると思ったのか、大臣も母宮様もほんの少し下がりました。

 

 加持祈祷のお坊さん達が小さな声で法華経を読んでいて、それはそれは尊いことです。

 

 御几帳の帷子(かたびら)を引き上げて中を見ると、はっとする美しさでお腹が大きく盛り上がって寝ている姿は、他人が見てもドキッとすることでしょう。

 

 まして源氏の君が愛しくも悲しくも思うのも当然です。

 

 白い御衣(おんぞ)に顔の色が鮮やかで、長く伸びてうっとうしげな髪の毛を引き結って横に垂らしているのも、それでこそ可憐で秘めたる色気を漂わせて美しいんだと思いました。

 

 手を握り、

 

 「ひどすぎるよ。

 

 そんなに俺を責めないでくれよ。」

 

と、声を詰まらせて泣き出せば、いつもはひどく面倒くさそうで見下すかのような眼差しも、すっかり放心したような目で見上げて、じっと見つめられ、涙のこぼれるのを見ると、これがどうして悲しまずにいられましょうか。

 

 あまりひどく泣くので、親達に済まないだとか、またこんな姿を見てがっかりしているに違いないなんて思っているのではないかと思い、

 

 「何も心配するな。

 

 いつもの通りだ。

 

 たとえどうなっても会いたいと思うなら必ずまた一緒になれる。

 

 大臣も母宮様も深い縁をもって結ばれた仲は、生まれ変わっても変わることがないので、またどこかで逢うこともあるから心配するな。」

 

と慰めると、

 

 「そんなんじゃないの。

 

 この私をこんなに苦しめるのをちょっとの間やめてくれと言おうとしただけで‥‥。

 

 こんな形で来ることになるとは思わなかったけど、物を思う人の魂が遊離するというのは本当なのね。」

 

となれなれしい調子で言いつつ、

 

 「悲しみに空にさ迷う魂を

     下になったつまに繋ぎとめてよ」

 

と唄い口ずさむ声、様子はその人と思えず、何か違ってました。

 

 「一体どうなってるんだ。」

 

といろいろ思い巡らしてみても、思い当たるのはあの御息所だけです。

 

 御息所のことで見下したように人がとやかく噂していても、悪意を持った奴らが言っているのだけだと聞く気にもなれずに無視してきたが、こうやって目の当たりして、男女の情でこんなことも起きるのかと思うと、つくづく嫌になります。

 

 「ああ、うざっ。」と思って、

 

 「そんなことを言っても誰だかわからない。

 

 はっきり言え。」

 

と言っても、ただそんな様子なので、浅ましいなんてものではありません。

 

 他の人たちが近くに寄ってくるのも、痛々しく思えます。

 

 声が普通に戻ったのでこの隙にということで、母宮様が産湯にするお湯を運んできて、体を支えられながら身を起こすと、程なく赤ちゃんが生まれました。

 

 嬉しい気持ちは限りないけど、他の人に乗りうつらせた物の怪たちが悔しがって付きまとっているような気がしてどうにも落ち着かず、胎盤がちゃんと排出されるかどうかも気がかりでなりません。

 

 数限りない願文を読み上げたせいか、無事に出産が終り、比叡山の座主をはじめとする名だたる修験僧たちは、一仕事終えたとばかりに汗を拭いながら退出して行きました。

 

 大勢の人を動員して加持祈祷の限りを尽くしてきた余韻のなかで、源氏の君も少しほっとして、「今はとりあえず」と思いました。

 

 御修法などはその後も行なわれたりしましたが、まずは目出度し目出度しで、赤ちゃんの方をこれでもかと可愛がるものですから、すっかり気持ちが緩んでました。

 

 院をはじめとして皇族、上達部残らずやってきて三日、五日、七日などのお祝いが、かつてないほど盛大に行なわれ、夜ごと夜ごとの大騒ぎです。

 

 男の子でありさえすればと、その儀式の仕方も金がかかっていてお目出度いものです。

 

 六条御息所は、こうした出産のことを聞いても穏やかではありません。

 

 「あの時はあんなに危ないと言ってたのに安産とはどういうこと?」と首をかしげました。

 

 妙な自分が自分でなくなるような感覚は続いていて、{御衣|おんぞ}などもただ、祈祷の際に焚いた護摩の芥子の香が染み付くばかりです。

 

 気持ち悪いので髪を洗ったり御衣を着替えたりしても、これといって変化もないので自分のことながら嫌になり、まして人がどう思っているかなど人に聞くわけにもいかず、一人で悶々とするだけでますます精神に変調をきたして行くばかりです。

 

 源氏の大将の方は御息所に対しては遠慮がちで、あの聞くに堪えない憑依した声の告白を思い出しては憂鬱になり、あれから大分また間があいてしまったのも気がかりですが、実際に間近で会うにしてもどんなに不快に思っているか、あの人のためを思うと気の毒で、いろいろ考えた結果、手紙を書くだけにしました。

 

 ひどい物の怪の病を患っていたあの人のその後の経過が危険で予断を許さない状態だと誰しも思っている以上、当然のことながら他の女の所に通うわけにもいきません。

 

 今もなお、何をする気力もないような状態なので、まだいつものような形で逢うことはできません。

 

 生まれた子の危ういくらいに美しいその姿を、今からまったく別物であるかのように可愛がる様子は半端ではなく、まさに願ったりの感じで大臣も嬉しくて最高だと言っているあたり、娘の病状がなかなか良くならないのが気がかりではあるものの、「あれだけひどい状態だった後だけに」と思うと、この程度のことではそれほど気にする様子もありません。

 

 若君の眼差しの美しさなど、あの新しい春宮にやばいくらい似ているのを見るにつけても、例の人が恋しく思い出され、我慢できずに参内しようとして、

 

 「内裏へあまり長く行かないでいるのも悪いと思うし、今日からまた通うようにしたいので、少し近くで話がしたいんだが。

 

 ちょっと他人行儀過ぎないか。」

 

と不満を口にすると、

 

 「本当、そんな見てくればかりを気にしていては。」

 

と女房の一人が言って、病気で臥せってる所のそばに席を作ったので、入っていろいろお話します。

 

 時折返事をする声が聞こえるものの、とても弱々しいものです。

 

 それでも、てっきりもう死ぬのかと思ったときのあの状態を思えば信じられないような気分で、危なかった時のことなどを話して聞かせていると、あのどう見ても息絶えたようになったと思ったら、何事かを語り始めたあの時のことを思い出し、心配になって、

 

 「それじゃあ、聞いてほしいことはまだたくさんあるけど、まだ病気が良くなってないようだから。」

 

と言って、

 

 「お湯を持ってきてくれ。」

 

と気遣うあたり、すっかり看病に慣れてしまったのを周りの人は気の毒に思いました。

 

 あんなに美しかった人もすっかり衰弱して見る影もなく、その存在すらも不確かな状態で寝ている様子が、とても気の毒で苦しそうです。

 

 髪の毛には一点の乱れもなく、はらはらと枕に掛かるあたり、何一つかけがえがないと思えば、今まで一体何を不満に思っていたのかと、今になっておかしいくらいに急に見とれているのでした。

 

 「院や何かに挨拶したら、すぐに帰ってくるから。

 

 こうやってずっと見つめていられれば嬉しいんだけど、母宮様がずっとここにいるので遠慮した方がいいのかと、その気持ちを隠し続けていたのが心苦しくて、とにかく気持ちを強くもっていつもの所でまた会いましょう。

 

 あまり子供扱いしてたもんだから、病気の良くならない一因はそこにあるんじゃないかな。」

 

などと最後に言うと、これまた奇麗な装束を着て出て行くので、いつもよりはじっくりと見送って、ふたたび床に伏せりました。

 

   *

 

 八月、秋の除目が行なわれると決まり、左大臣も出席すれば、その息子達も昇進の斡旋をあてにしてか、左大臣にぴったりとくっついていて、みんなそろいもそろって出て行きました。

 

 左大臣邸の中が人も少なくしんみりとしている時に、急に以前のように咽たように咳き込み、ひどい不安感に襲われます。

 

 内裏にそのことを伝える暇もないうちに、息を引き取りました。

 

 みんなぞろぞろと地に足が着かぬ思いで内裏を退出すれば、出世のことも何も決まらずみんなすっかり意気消沈した様子です。

 

 大声を出して騒いでいるうちに夜中になれば、比叡山の座主をはじめとする名だたる修験僧を召喚する間もありません。

 

 「今は大丈夫」とすっかり油断していた所でとんでもないことになったので、左大臣家の内の者は柱や人にぶつかるくらいに混乱してました。

 

 あちこちから弔事の使いの者がどやどやとやってきても取り次ぐこともできず、上へ下への大騒ぎで、そのひどい狼狽ぶりは恐ろしいほどです。

 

 物の怪をたびたび取り込んでいたことを鑑みて、物の怪に魂を持って行かれただけで蘇るかもしれないと枕などのそのままにし、二三日様子を見たもののご遺体が時とともに変わり果てて行くのを見ては「もはやこれまで」と断念せざるを得なくて、誰も彼も無念の思いです。

 

 源氏の大将は悲しい上に他に思うこともあって、男と女はなんて悲しいものなんだと身にしみていたので、関係のあった方面からの弔問を受けるたびに自分が嫌になるのでした。

 

 院も悲嘆にくれ弔辞を送ってきたことは、かえって名誉なことだとちょっとばかり嬉しいやら、左大臣の目は悲し泪に嬉し泪と忙しいことです。

 

 人に勧められて大がかりな加持祈祷を行い、何とか生き返らないかとあらゆる手を尽くしたものの、変容していくご遺体を見るにつけて、今だに未練が残るものの何の効果もなく、月日が過ぎ去ればどうしようもなくて、葬送の地、(とり)()()に運んで行くにしても言い様のない思いばかりです。

 

 あちこちからやってきて別れを惜しむ人たちや、あちこちの寺からやってきた念仏僧などが集っては、広い野原も満員です。

 

 院からの使いはもとより(きさい)の宮(藤壺)や春宮などの使い、そうそうたる家柄の者も入れ替り立ち代り来ては次々と弔辞を捧げました。

 

 左大臣は立ち上がることもできずに、

 

 「こんな歳になって、まだ若い盛りの娘に先立たれ、のた打ち回るなんて‥‥。」

 

と申し訳なさそうに涙ぐむのを、参列した人たちは悲しく見守りました。

 

 夜通しひどく騒々しい葬儀でしたが、すっかり儚くなったご遺体だけを残して明け方近く皆帰っていきました。

 

 大体みんなそうなのですが、源氏の君にしてもせいぜい一人か、そんな愛しい人の死を何度も見取ることなんかないのですから、これまでにないくらいに胸が張り裂けそうです。

 

 八月の二十日過ぎての明け方の月ともなれば、空もあたりの気色も物悲しいところへ、左大臣が悲嘆に暮れ惑う様子を見るのにとても耐えられないのも道理というもので、空を眺めるしかありません。

 

 「登ってく煙は雲と混じりあい

     雲の上とは悲しいもんだ」

 

 左大臣邸に戻っても、露ほどにも眠れません。

 

 生前のことを思い出しつつ、

 

 「なぜだかいつかは自然に分かってもらえると呑気に考えて、軽い気持ちで遊び歩いていたけど、辛い思いをさせてしまったな。

 

 これまでずっと、さぞかし愚かで恥ずかしいと思っていて、そのまま終ってしまったのだろうな。」

 

などと後悔することばかりで、反省しきりではあるもののどうしようもありません。

 

 いかにも軽々しい薄い灰色の喪服を着ても、まだ夢を見ているかのようで、自分がもし先に死んだなら、天皇の実子だからもっと重い黒い喪服になるところだと思うと、

 

 「規則では薄墨衣軽いけど

     涙で袖は黒い喪服に」

 

と歌っては、数珠を手に祈りを捧げる様子はより一層渋味を引き立たせ、お経を小声で読み上げながら、「法界三昧普(ほうかいざんまいふ)(げん)大士(だいし)」と普賢菩薩の名を俄かに唱え、プロのお坊さんの読経よりもありがたいことです。

 

 生まれたばかりの若君様をみるにつけても、「結びおきしかたみの子だになかりせば何にしのぶの草を摘ままし」という(かね)(ただ)()(そん)母の乳母(めのと)の歌はあまりに湿っぽいけど、それでもこうした形見がいなかったならと心を慰めます。

 

 母宮様はすっかり沈み込んで、床に伏したまま起き上がることができず、危険な状態に思われるので、またみんな大騒ぎして加持祈祷を始めました。

 

 空しく時は過ぎて、七日七日の法事もせわしく行なわせるのも想定外のことだったので、心労が重なったのでしょう。

 

 出来の悪い子でも人の親というものは可愛がるもので、あれほどの娘なら無理のないことです。

 

 他に娘がいなかったので心のぽっかり穴が開いたようで、大切にしていた宝玉が割れるよりも痛々しげです。

 

 源氏の大将の君は二条院にすらほんの少しの間も帰ることなく、悲しそうに深く溜息をついてばかりで、御仏へのお勤めを欠かすことなく日々を過ごしてます。

 

 方々に手紙は書いてましたが‥‥。

 

 例の御息所は、娘の斎宮が左衛門府に入ったので、ますます斎戒の厳しさを口実に、手紙すら受け付けません。

 

 つくづく世の中が嫌になり、何もかも鬱陶しくなって、子供という足枷さえなかったなら出家でもしちゃうのになと思ってはみるものの、すぐに西の対にいる姫君が退屈そうにしている姿がふっと浮かんできます。

 

 夜は御帳の内でひとり横になっているのですが、宿直の女房たちが近くで取り囲んで控えているとはいえ、自分の隣が淋しくて、

 

 「よりによってこんな淋しい季節に‥‥。」

 

と寝てもすぐに目が醒めてしまい、美声のお坊さんばかり集めて行なわせている念仏も、明け方などに聞けばとても堪えられるものではありません。

 

 「秋も深く、哀れさもひとしおの風の音が身にしみるなあ。」

 

と、不慣れな一人寝のなかなか来ない朝を待つ明け方の霧がかかる中に、菊の咲きかかった枝に青みの強い薄灰色の紙に書いた手紙を誰かが結んで置いていったようです。

 

 「なかなか洒落たことを。」

 

と思って開いてみると、御息所の字でした。

 

 「手紙のやり取りのできなかった間の気持ち、わかりますか。

 

 人生の無常ときくも露に濡れ

     残った者の袖が気がかり

 

 このまま一人で悩んでいてもしょうがないと思いまして。」

 

と書いてありました。

 

 「いつもより奇麗な字だな。」

 

と、さすがに放っておくこともできずに読んではみたものの、

 

 「全然弔意がこもってないじゃないか。」

 

と気が滅入るばかりです。

 

 そうは言っても返事を書かずこのまま音信不通というのも可哀想だし、御息所に悪い噂が立ってもいけないと思い悩みます。

 

 「亡くなった人は何のかんの言ってもそんなに悪く言われることはないが、何であんなことをこの目と耳ではっきり見たり聞いたりしたんだろう、なかったことにしたい。」

 

と、自分でも変なくらい、急に憎んだりすることができません。

 

 「斎宮も物忌みの最中なので面倒なことにならないだろうか。」

 

などとしばらく悩んでみたものの、

 

 「これで返事書かないなんてのはないよな。」

 

ということで、くすんだ紫の紙に、

 

 「すっかりご無沙汰してしまいましたが、別に忘れてしまったわけではなく、いろいろ事情が許さなかったことは御察し下さい。

 

 消え行くも残るも同じ露の世に

     あまり執着するのも空しく

 

 あの思いを消してほしいのです。

 死の穢れを恐れて受け取らないなら、誰か読んで聞かせてほしい。」

 

と書いて送りました。

 

 御息所が六条の自宅に戻ってた時だったので、こっそりその手紙を見て、「あの思いを消してほしいのです」という言葉でほのめかしたその意味を考えては自分自身の心の闇にさんざん悩んだ末、「そういうことだったのか」と御息所が自ら生霊のことを認めるのも辛いことです。

 

 それでも心の中はもやもやするばかりで、こんなことが噂になったら院は何て思うことか、今は亡き夫の皇太子と院とが兄弟だったということで格別に懇意にしていたということもあって、今回の娘を斎宮にする件でもいろいろと取り計らっていただいたうえ、亡き皇太子の代わりだと思っていると常々言っていただいて、すぐに内裏に住むようにと何度も要請されたというのに、そんなもったいないことをと遠慮してよそよそしくしていたところで、ひょんなことから若い君と恋に落ちて、ついに一大スキャンダルにまでなってしまうにちがいないと思うと、とても落ち着いてはいられません。

 

 そうは言っても世間から風流なことで知られていて、昔から高く評価されてきた人だけに、娘が野宮(ののみや)に移る際にも、面白い斬新な趣向を凝らし、殿上人でも風流心のあるものは朝夕嵯峨野の野宮に通うのを日課にしているなどと聞くと、源氏の大将の君は、

 

 「そりゃそうだろうな。

 

 もともと何かにつけて才能のある人だからな。

 

 もう俺のことなどどうでもよくなって伊勢へ行ってしまったら淋しくなるな。」

 

と思うと、さすがにこたえるようです。

 

 ご法事など過ぎていっても、四十九日まではまだまだお籠りです。

 

 慣れない退屈な日々に気が狂いそうになり、今は三位(さんみ)に昇格したかつての頭の中将がしょっちゅう訪れては、いろいろ世間の噂など真面目な話も、いつものスケベ話も交えて慰めてはいるものの、例の(ないしの)(すけ)の話には大笑いでさんざん盛り上がりました。

 

 源氏の大将の君は、

 

 「そりゃ可哀想だよ。

 

 いい婆さんなんだから敬わなくちゃ。」

 

と咎めつつも、やはり可笑しくてしょうがないのです。

 

 あの最初に末摘花の所に行った春の月も朧の十六夜や秋のことなど、いろいろ他愛のない古傷を暴露しあった果てに、この世の悲しみをあれこれ言い合っては、涙ぐんだりもしました。

 

   *

 

 時雨が急に降り出す物悲しい夕暮れ、三位の中将はにび色の直衣(のうし)指貫(さしぬき)にさりげなく衣更えして、なかなか源氏の君も気後れするくらい男らしく堂々としたいでたちでやって来ました。

 

 源氏の君は西側の妻戸の高欄に寄りかかって、霜枯れ前庭の植え込みを眺めていた所でした。

 

 風は荒く吹きつけ、時雨がざっとっ来ると涙と競争しているみたいで、

 

 「朝は雲、夕暮れには雨になって帰ってくるのだろうか、今はどうなのかわからないが。」

 

とポツリと独り言を呟いては、頬杖ついてる姿が、女だったら死んだ魂でもきっと戻って来るにちがいないなと男ながらに惚れてしまいそうで、じっと見つめながら傍に寄り添えば、だらしなく着ていた服の紐だけをとりあえず結びなおしました。

 

 これは夏に着ていたいま少し濃い目の喪服の直衣を光沢のある紅の単衣の上に重ねたもので、一見地味な中にも見てて飽きさせない趣向が凝らされています。

 

 中将も深い悲しみをたたえた眼差しで空を眺めます。

 

 「雨となり時雨れる空の浮雲の

     どっちの方を見ればいいのか

 

 どこにいるのかわからないのに。」

 

と独り言のように呟けば、

 

 「雨となり雲の上へと行った人

     今は時雨に暮れて行くだけ」

 

と口ずさむ様子からして、深い悲しみがはっきりと感じ取れるので、

 

 「妙なものだ。

 

 今までは愛情などないのに、院などもあれこれ言うし、大臣が世話を焼くのも心苦しく、母宮の血筋もおろそかにできないなど方々に気配りして、これまで我慢して面倒くさそうに通っていたと思って、ちょっぴり気の毒だと思える時も何度もあったけど、本当に一番愛していたかけがえのない人だったんだな。」

 

とわかると、何でこんなことになったのか残念でなりません。

 

 何もかもが光を失ってしまったような感じで、心が痛みます。

 

 枯れた下草の中にリンドウ、撫子などが咲いているのを摘んで、中将の帰ったあとに若君の乳母の宰相の君に渡して、

 

 「草枯れた垣根に残る撫でし子を

     別れた秋の形見と思う

 

 あの人ほど芳しくはないなんて思ったりはしませんよ。」

 

と言いました。

 

 本当に何も知らずに笑う赤子はやばいくらいな美しさです。

 

 母宮様は風が吹くにつけても木の葉よりももろい涙を流し、まして源氏の歌を聞けば、それを抑えるなんて無理なことです。

 

 「可愛さがかえって袖を濡らします

    荒れた垣根の大和撫子」

 

 なお、あまりに寂しすぎるので{槿|あさがお}の宮に、今日のこの時雨の物悲しさは堪えられるだろうかと、源氏の君はそこまで気を回す性格なので、暗くなってからではあったが手紙を書きました。

 

 滅多に手紙を書かない相手ではありますが、この種の手紙なら男からの文だということで咎められることもなく読むことができます。

 

 にび色をした中国製の紙に、

 

 「特にこの日暮れの袖は湿っぽい

     物思う秋をいくつ過ごせど

 

 いつもの時雨ではなくて。」

 

という手紙です。

 

 一字一字心込めて書かれていて、いつもよりも心惹かれる所があって、「これは返事書かなきゃね」と周りの女房達も言うし、槿の宮もそう思って、

 

 「あなたのいらっしゃる大内山のことを思って手紙を読むと、これはと思いまして、

 

 秋の霧が先に行ってしまっては

     時雨の空もさぞかしと思う」

 

とだけ簡単に書き送るなど、心憎い気遣いです。

 

 大体において結婚すれば相手の魅力も色あせるのが普通の世の中だというのに、愛想のない人に限って魅力を感じてしまうのが源氏の君の性分なのです。

 

 いつもつれない返事だけど、こういう何かの時の機転を利かせた返事ははずさない、こういうところこそ、互いに心を通わす秘訣なんだろうな、なまじ優雅で上品だと常に人の反応を気にしたりして、かえって嫌味になるものだし、対の姫君をそんな風にはしたくないな、と源氏の君は思うのです。

 

 退屈して淋しがっているのではないかと一時も忘れてはいないものの、ただ親のない子を放置しているようなもので、逢えないからといってやきもきしたり浮気を勘ぐったりしないため、気楽でいられるのでした。

 

 すっかり暗くなったので大殿油(おおとなぶら)を近くに持ってこさせて、その場にいる人を集めていろいろ話をするように言いました。

 

 中納言の君というのは、長いこと密かに手をつけていた女ですが、今のこの悲しみの中ではなかなかそんな気にはなりません。

 

 「ほんと、可愛そう。」

 

と思っていると、ごく普通に親しく話しかけてきて、

 

 「あの人の生前よりも今の方が、ここにいるみんなとじっくりと向き合うことができたし、すっかりここの水に馴染んで、これからここに通うこともなくなってしまうなんて淋しすぎる。

 

 今度の不幸はもちろんのこと、こうやって考えれば考えるほど辛いことばかり多すぎる。」

 

と言うと、みんなさらに涙が止まらず、

 

 「言うまでもなくこのたびの不幸に、ただただ目の前が真っ暗になるばかりなのはもちろんのこと、何一つ残すことなくここを出て行ってしまうなんて思うと‥‥。」

 

とそれ以上言葉も続きません。

 

 悲しそうに辺りを見回して、

 

 「残るものがあるじゃないか。

 

 そんな薄情に思われても困るなあ。

 

 もっと気長に構えていてくれれば、まだまだ長い付き合いになるじゃないか。

 

 儚いのは人の命だけだ。」

 

と言って、ふと大殿油の火を眺める目がうっすら濡れているのが美しい。

 

 特に可愛がられていた親のない小さい童が心細く思うのももっともだと思い、

 

 「貴君(あてき)も、今は俺だけになっちゃったね。」

 

といえば、堰を切ったように泣き出します。

 

 小さな(あこめ)を他の子よりも黒く染め、その上に黒い薄手の上着をはおり、萱草色の袴を着た姿が可愛らしい。

 

 「これまでのことを忘れたくないんだったら、今はぽっかり穴の開いたようになっているのを何とかこらえて、あの赤ちゃんを見捨てることなく、これからも仕えてくれ。

 

 今までのことをなかったことにしてみんな散り散りになってしまったら、俺だってこれからどうしていいのかわからないよ。」

 

とみんなにこのまま留まるように言ってはみるものの、そうはいっても、源氏の君が次第に通うこともなくなるに違いないと思い、ますます不安になります。

 

 大臣は女房達の身分に応じて、故人の用いていたちょっとした遊具や形見の品などを、それとなく選んではみんなに配りました。

 

   *

 

 源氏の君は、四十九日も過ぎたところで、いつまでも籠っているわけにもいかず、院の所へ行きました。

 

 車の準備ができて前駆の者たちが集ってきた頃には、そんなみんなの気持ちを知ってか知らずかにわかに時雨となり、木の葉を散らす風があわただしく吹きすぎて行くと、源氏の君のお付の者達もすっかり悲しい気分になり、しばらく忘れていた泪がふたたび袖を濡らしました。

 

 夜になれば、結局二条院に泊まることになるなと、仕えている人たちもそこへ行って待つことにしようとそれぞれに立ち去ると、この家に来るのが今日限りになるわけではないにせよ、どうにも悲しさに胸が締め付けられます。

 

 左大臣も母宮様も、今日のこの様子にまたあらためて悲しみがこみ上げてきました。

 

 源氏の君は母宮様に手紙を書きました。

 

 「院が心配なさっているので、今日こそは参ります。

 

 ほんのちょっと出かけてくるとはいえ、今日まで何とか死なないでこれたなと、ただただ心を取り乱すばかりです。

 

 挨拶に行くのもなかなか辛いことなので、そちらには参りません。」

 

と書いてあったので、ますます母宮様は涙で目が見えなくなり、深く悲しみに沈んだまま返事を書く気力もありません。

 

 左大臣もすぐに見送りにやってきました。

 

 どうしても涙をこらえることができず、袖を目に当てたまま離しません。

 

 見ている人たちも本当に悲しくなります。

 

 源氏の大将の君も、人生やら恋やらいろいろなことをとめどもなく考え続けては涙ぐむ様子に深く哀愁がにじみ出ていて、それを押し隠した姿もなかなか渋いものです。

 

 左大臣もしばらく声をかけるのもためらった後、

 

 「こう歳を重ねてますと、たいした事でなくてもついつい涙もろくなるものというのに、ましてやこのような涙の乾く暇もないことの連続で、どうにもこうにも気持ちを抑えることができなくて、本当に取り乱してばかりですっかり自信をなくしてまして、院などにも合わせる顔がありません。

 

 だから院にお会いしましたら、こういうことでお伺いできない旨を伝えてください。

 

 すっかり年老いてこの先いくばくもないという時に、先立たれてしまったのが辛くて辛くて。」

 

 源氏の君も何度も鼻をかみながら、

 

 「親より子の方が先に死んでしまうような不条理も、世間ではよくあることとわかっててはいたものの、今このように現実になってみて感じられる心の痛みは、ほかに較べるものもないと思います。

 

 院も事情をお知りになられたら、きっとご理解いただけると思います。」

 

と答えます。

 

 「ならば、日が暮れるとすぐにでも時雨が降り出すので、その前に。」

 

と急き立てます。

 

 部屋の中をざっと見回すと、御几帳の後や障子の向こうなどの開いている場所に女房達が三十人ほどそれぞれ身を寄せ合っていて、それぞれにび色の濃いのや薄いのを着て、皆一様にひどく不安そうにこうべを垂れて集っているのがとても悲しげです。

 

 「あなた様があの幼子を見捨てることなんてないと思いますので、何かの折には立ち寄ってくれると思って気持ちを落ち着けてますが、そこまで気の回らない女房なんかが今日限りここを見捨ててしまうんだと思いつめて、しばらく逢えなくなる悲しみよりも、今まで過ごしてきたこの歳月が終ってしまうことがいたたまれないと思うのも、無理もないことです。

 

 なかなか仲がしっくりと行かないところもありましたが、それでもいつかはと淡い期待を抱いてまして、本当にどうしていいのかわからないような夕暮れです。」

 

と言いながらまた泣き始めました。

 

 「そんなふうに心配するなんてよっぽど信用されてないんだなあ。

 

 確かに、いつかそのうちにと呑気に構えていたころは自然と疎遠になることもあったけど、むしろ今となっては通うのをおっくうがる理由もないからね。

 

 見ててくださいよ。」

 

と言いながら出発するのを、左大臣も見送ってから源氏の使ってた部屋に入って行くと、置かれている調度など以前と変わらないにもかかわらず、蝉の抜け殻のように空しい気持ちになります。

 

 御帳(みちょう)の前に硯なんかが放ったらかしになっていて、字の練習した後のゴミを拾い上げて、目を細めて涙をこらえながら見ると、若い女房達は悲しいとはいえ、口元がついつい緩みます。

 

 優雅な古典作品の漢詩や和歌を書き散らしてあって、草書もあれば楷書もあるし、その他の珍しい字体もごちゃ混ぜに書いてありました。

 

 「恐るべき筆づかいだ。」

 

と空を仰いで眺めます。

 

 ここにお見せできないのが残念です。

 

 「舊枕故衾誰與共(古い枕古い衾誰とともにある)」という一節の所に、

 

 「ともに寝た床から離れられなくて

     あの魂も同じ気持ちか」

 

 また、「霜花白(霜の花が白く)」とある所に、

 

 「君なくてほこりだらけの常夏の

     露をはらって何回寝たか」

 

 昨日見た撫子(常夏)の花でしょうか、枯れた下草の中に咲いていた‥‥。

 

 母宮様に見せて、

 

 「言ったからどうなるものでもないことだけど、この悲しみに匹敵するようなことは世間にいくらもあると思ってはみるものの、前世の約束で若くして娘に先立たれ、心を惑わせることも決まっていたのかと思うとかえって辛くて、どんな前世だったのかとあれこれ考えてはあきらめようとするのだけど、それでも日が経つにつれて淋しい気持ちを抑えきれなくて、その上大将の君が『それならば』と遠くへ行ってしまうのではないかと、どうしてもそのことが頭から離れないんだ。

 

 一日、二日と通わなくなり、滅多に来なくなったときでもずっと胸を痛めていたけど、朝に夕に光を与えてくれた人までいなくなったら、これから何を頼りに生きていけばいいのか。」

 

と声を抑えることもできずに泣き出せば、そばに控えていた年老いた女房まで、あまりの悲しさに耐え切れずにわっと泣き出し、それはぞっとするほど寒々とした夕暮れの光景でした。

 

 若い女房達は所々に身を寄せ合いながら互いに自分の悲しい気持ちを打ち明けあいながら、

 

 「あの方がおっしゃったように、若君様に仕えることで気持ちを紛らわそうと思ってはみても、形見とは言ってもあまりに幼すぎるし‥‥。」

 

と言って、中には「ちょっとの間休暇を貰いましょう」と言う者もいたりして、互いに別れを惜しみながら、どちらにしても悲しいことばかりです。

 

   *

 

 院の所に参上すれば、

 

 「これはまた頬がげっそりと痩せこけたもんだ。

 

 精進料理しか食べてないのか。」

 

と心配に思ったのか、食い物を持ってこさせていろいろと気遣うのも、何とも畏れ多いことです。

 

 藤壺の中宮の所に行くと、そこの女房達が珍しそうに見に出てきます。

 

 命部の君が出てきて、

 

 「何とも申し上げられないことがたくさんありまして、あれから何日か経たにしてもまだいかがか、お気持ちを察します。」

 

と言伝を与ってきました。

 

 「この世の無常はかねがね知識としては知ってましたが、いざ身近なこととなってみるともう世を捨ててしまおうかなどと心を乱しましたが、みんなからの弔問に励まされて今日まで‥‥。」

 

と答えて、こういう時でさえいい格好しようとするあたり、本当に心苦しい限りです。

 

 紋のない御衣(おんぞ)を上に着て、にび色の下襲(したがさね)巻纓(けんえいの)(かん)をかぶった姿は華やかに着飾った時よりもぐっと来るものがあります。

 

 春宮(藤壺の子)にも長いこと会いに行くことができなくて気がかりだと女房達に話しながら、夜も更けてから退出しました。

 

   *

 

 二条院はというと、至るところ模様替えして新たに飾り立て、お付の男も女も待ち受けてました。

 

 身分の高い女房たちも皆駆けつけてきて、少しでも目立とうと着飾って化粧しているのを見るにつけても、左大臣家での身を寄せ合い悲嘆に暮れていた様子を悲しく思い起こされます。

 

 着替えをして、西の対へ行きました。

 

 十月の衣更えに合わせた部屋の模様替えは一点の曇りもなく鮮やかなもので、若い衆や童女も服装や髪型をきちんと整えて、少納言の心遣いは一点の非もなく、心憎いばかりに思えました。

 

 姫君の着付けも完璧です。

 

 「しばらくみないうちにすっかり大人になって。」

 

と言って小さな御几帳を引き上げて覗き込むと、さっと目線をそらして恥ずかしがる様子など、見ていて飽きさせません。

 

 灯に照らされた横顔や髪の毛の様子など、あのずっと思い続けている人に瓜二つで 寸分たがわぬ姿になってきたと思うと、嬉しくてしょうがないのでした。

 

 近くに寄って、これまでなかなか戻れなかった事情などを説明し、

 

 「これまであったことをゆっくり話して聞かせたいんだが、いろいろ忌むべきこともあって、ちょっとの間別室で休んでから来るよ。

 

 これからはずっと一緒にいられるので、うざがられちゃうかもな。」

 

と調子のいいことを言っているのを、少納言は嬉しいと思う一方で不安は残ります。

 

 「相変わらずいろんな所にこっそりと通っているので、またやっかいなことが入れ替り立ち替り起こるのではないのか。」

 

と思うのも、まったくよくわかってらっしゃるという所でしょうか。

 

 自分の部屋のある東の対に行って、中将の君という官女に足のあたりなどを揉ませてお休みになりました。

 

 翌朝には左大臣家の若君の所に手紙を遣りました。

 

 情のこもったご返事を受け取ってご覧になるにつけても、言いようもないことばかりです。

 

 相変わらずじっと物思いにふけりがちで、これといったものでもない外出も面倒臭く、そんな気分にはなれません。

 

 姫君はというと、すべて理想どおりに一人前の女となり、見た目には完璧なので、もう十分な年頃で、もしやと思ってそれとなく誘うようなことを言ったりしたけれど、さっぱり無関心な様子です。

 

 何の進展もないままただ西の対に行っては碁を打ったり、(へん)(つぎ)というカードゲームをしたりして日々をすごしていれば、人当たりも良くすっかり慣れたように愛想を振りまき、ちょっとした冗談にもきらっと光るものを感じさせるので、まだ女と意識しなかったこれまでの日々の中にもある種の可愛らしさはあったのものの、今となってはもはや気持ちを抑えることが出来ず、これから先のことは語るも心苦しいことですが、いかがなものでしょうか。御想像に‥‥。

 

   *

 

 人の入れない所だから、見て何があったかはっきりとわかるようなことではありませんが、男は早く起き、女はなかなか起きてこない朝がありました。

 

 女房達は、

 

 「どうしたのかしら、いつまでも部屋にこもっていて。

 

 ご気分がすぐれないのかしら。」

 

とあれこれ考えては溜息ついていると、源氏の君が自分の部屋に戻ると言って、硯の箱を御帳の中に差し入れていきました。

 

 人がいない時にやっとのことで姫君が顔を上げると、引き結んだ手紙が枕元にありました。

 

 何の気なしに開いてみると、

 

 「理不尽に拒絶するのか幾夜経て

     ようやく馴れた仲の衣を」

 

と捨て台詞のように書きなぐっていったように見えます。

 

 こんな下心があったなんてこれまで全く思いもよらなかったので、何であんな気色悪い変態男を何も考えずに信頼してしてきたのかと思うとおぞましいばかりです。

 

 昼ごろになった源氏の君は西の対へ行き、

 

 「病気みたいに塞ぎこんだりして一体何考えてるんだ。

 

 今日は碁も打てなくて張りあいがなくてしょうがない。」

 

と言って覗き込むと、ますます御衣(おんぞ)を引き被って寝込んでしまいます。

 

 女房達は部屋の外に下がって控えているので、姫君に近くに行き、

 

 「なんだよ、そのふてくされた態度は。

 

 そんな見下げ果てた女とは思わなかったな。

 

 みんなも変だと思うだろっ。」

 

と言って布団を引き剥がすと、汗の匂いがもわっとして、額髪がぐっしょりと濡れていました。

 

 うわっ、やばっ、これはまずいことになった、とばかりにあれこれ取り繕って声をかけてみても、本当に苦しそうで露ほどの返事もしません。

 

 「よしよし、もう見ないことにしよう。

 

 恥ずかしくなる。」

 

と不機嫌そうに言いながら硯箱を開けても今朝の歌の返歌はなく、まだまだ子供なんだなと可愛くも思えてきて、その日一日この部屋で慰めの言葉を囁き続けたけど、機嫌を直すことも出来ず途方に暮れてました。

 

 夜になると、亥の子餅が献上されてきました。

 

 亥の子餅はアズキを混ぜた赤い餅で、十月の最初の亥の日に食べる縁起物で、様々な色をつけて趣向を凝らしたものが作られてました。

 

 正妻の喪中ということもあっておおっぴらなものではなく、うちわだけのものですが、趣向を凝らした檜の弁当箱がいろいろと持ち込まれてくるのを見て、源氏の君は南の釣殿のほうまで来て惟光を呼び、

 

 「今回の餅は、こんな公式の儀式に用いるような色とりどりの華やかのものではない。

 

 明日の暮れに別のを持ってきてくれ。

 

 今日は忌日だった。」

 

と意味ありげに笑いながら話す様子を、察しの良い惟光はすぐ理解しました。

 

 惟光はそれ以上何も聞かずに、

 

 「御意。

 

 愛の始まりは日を選んで公表しなくてはなりません。

 

 それで、その亥の子ならぬ『ねの子餅』はいくつくらい用意しましょうか。」

 

と真顔で言うので、

 

 「三つか一つかあればいい。」

 

と答えると、すべて理解して下がりました。

 

 婚姻の三日目のお祝いに一つ、という意味ですので、老婆心ながら。

 

 「世慣れた奴だな。」

 

と源氏の君は思いました。

 

 惟光は誰にも言わず、自前でということで実家で作りました。

 

 源氏の君はご機嫌を取るのに疲れ果て、まるで今掻っ攫ってきたばかりの女を相手にしているような気分ですが、そうした難易度の高さがまた面白くてしょうがないようで、今まで可愛いと思ってきたことなんて比じゃないくらいに愛しさがこみ上げてきます。

 

 喪中だというのに人の恋心というのはどうしようもないもので、今となっては一晩すらも離れていることに耐えられないと思うほどです。

 

 頼んでおいた餅は密かにすっかり真夜中になってから届けられました。

 

 少納言は大人だから、こんなの恥ずかしくて渡せないと思うのではないかと思い、そこは気を使って娘の弁という者を呼び出して、

 

 「これ、こっそり渡してくれ。」

 

と言って(こう)()の箱を一つ差し入れました。

 

 間違いなく枕元にお届けしなければならない祝いの品です。

 

 お願いします。

 

 決して浮ついたものでは‥‥。」

 

と言えば、変なのとは思っても、

 

 「浮ついたことなんてまだ無理よ。」

 

と言って受け取ったので、

 

 「確かに今はこの言葉はタブーでした。決してそのようなものは混じってません。」

 

と言い替えます。

 

 若い娘だったので何のことなのか深く考えることもなく持って行って、枕のある側の御几帳より差し入れたのを、源氏の君が例によっていろいろ言いくるめたのでしょう。

 

 ほとんどの人は何があったか知る由もなかったが、翌朝この箱を引き上げるときに一部の側近の女房はぴんと来ることもあったようです。

 

 お皿などもいつの間にか用意したのか、()(そく)という足のついたお供え用の器はとても華麗で、餅の方もなかなか気取った感じで面白い盛り付けが成されていました。

 

 少納言は、

 

 「本当にこんなにまでして‥‥。」

 

とついついそんな言葉を漏らしてしまうほど、そこまで愛情を込めて細かく気遣ってくれていることに涙しました。

 

 「だったら私達にも知らせてよね。

 

 あの人だって一体何でだか不思議に思ったんじゃないの?」

 

と女房達も囁きあってました。

 

   *

 

 これ以降というものの、源氏の君は内裏や院のところに出かけている間はちょっとの間でも心ここにあらずになり、姫君の面影が恋しくなってはこりゃまずいなと自分でも思います。

 

 いつも通っているあちこちの女からは不満の声も上がっているので困惑気味ではあるものの、あの若草の新手(にいた)(まくら)が心狂わせて、やはり毎晩欲しいという思いが頭から離れず、いかにも心労が重なり憂鬱になっているふうを装って、

 

 「何もかもが鬱陶しく思える今の状態が治ったならお会いしましょう。」

 

とだけ答えて日々を過ごすのでした。

 

 皇太后、かつての弘徽殿の女御は御匣殿(みくしげどの)にいる自分の娘がまだこの大将にご執心なのを見て、父の右大臣が、

 

 「まさにこの、あの左大臣殿の娘もお亡くなりになったことでチャンス到来というのに、何とも残念なことだ。」

 

などというのを、

 

「あらまあ何て憎らたらしいこと。」

 

と思い、

 

 「内裏への出仕も、御門のお目に止まるようにさえできればそのほうがいいじゃないの。」

 

としきりに宮廷入りを勧めます。

 

 源氏の君も並大抵の女ではないなとは思っては残念に思うけれど、ただ今は二股掛ける気もなくて、

 

 「とにかく人生は短いのだから、こうして一人の人に決めておけば人の恨みを買うこともない。」

 

とすっかり懲りたのか、ますます途方に暮れながらそう思うのでした。

 

 「あの御息所には本当に気の毒だけど、真の伴侶として手を取り合って行くには嫉妬深すぎる。

 

 時おり通うだけで、その辺のことに目をつぶれるなら、その季節の行事などに洒落た会話の出来る人なんだけど‥‥」

 

など、やはり見限ろうとはしません。

 

 この姫君は今まで世間で誰も一体何ものなのか知らないため、どうにも人に説明のしようがなく、父の兵部卿にまずこのことを知らせようと思うようになり、成人して初めて裳をつける()()の儀式のことを、内々だけで内密に行なうとはいえ、兼ねてないほど盛大に行なうことを密かに計画しているのはなかなかないことだとはいうものの、姫君としてはただただ気持ち悪いだけで、今まで父親のようにすべて信頼しきっていたのに、こうしつこく体を求めてこられると、それだけの男だったのかとすっかり見下げはて、悔しくなるばかりで、目を合わせることもしません。

 

 冗談を言ってもリアクションに苦しんで固まってしまい、すっかり人が変わったようになった様子も、源氏の君には面白くて可愛く思えるのか、

 

 「今までずっと思ってきたのに心を開いてくれないなんて残念だなあ。」

 

と不平を漏らしているうちに、新たな年となりました。

 

   *

 

 元日には例によって院の所に年始参りに行き、内裏や春宮の所にも行きました。

 

 そして退出してから左大臣家へ行きました。

 

 左大臣は新年の挨拶もなく、昔のことをあれこれ語るばかりで、すっかり悲しくて何をする気にもならないところへもってきて、源氏の君がこうしてやってくるとぐっとこらえて明るくふるまおうとするものの、やはりこらえきれないようです。

 

 源氏の君はまた一つ年齢を重ね、若干の貫禄も具わって、去年よりもまた一段と華やかになったように見えます。

 

 部屋を出てかつての正妻の部屋へ行くと、女房達も久々に源氏の姿を見て涙をこらえきれません。

 

 赤ちゃんに対面すると、すくすくと成長していて、盛んに笑うようになっていたのもかえって悲しげです。

 

 ただ、目元や口元の辺りが春宮様と一緒なので、人が見て怪しまれやしないかと思います。

 

 調度やなんかもそのままで、衣桁(みぞかけ)には源氏用の装束がいつものように掛けてあるものの、その横に女物の着物がないのがどこか物悲しく寂しげです。

 

 母宮様からの言づてで、

 

 「今日は目出度い日なので我慢していたのですが、あなた様がやってきたことでついつい‥‥。」

 

とのことで、

 

 「新年のご装束は昔からこちらでご用意することになってましたものの、ここ何ヶ月、涙で目が見えなくなるばかりで、出来が悪いなと思いになるかと思いますが、今日だけでもこの粗末な衣装を着ていただければ。」

 

と、そのほかにも目出度い趣向を凝らしたものをたくさんいただきました。

 

 これは絶対に元日専用だなと思われる下襲(したがさね)は色といい織り方といい見たこともないようなもので、そんな気分ではないものの着てやらなくてはと思い着替えました。

 

 ここに来なかったなら無駄になってたと思うと、心苦しいばかりです。

 

 母宮様への返礼として、

 

 「新春の挨拶に、まず第一にお目にかかろうと参りましたが、あまりに思い出すことがたくさんありまして、まともな挨拶もできません。

 

 長かった年月今日であらたまり

     晴れ着も涙降るかのようだ

 

 心を静めかねまして。」

 

と申し上げました。

 

 母宮様のお返事です。

 

 「あたらしい年だというのに降るものは

     古びた人の涙なのです」

 

 

 このような涙を愚かだと笑うことができるでしょうか。