「紙衣の」の巻、解説

初表

 紙衣のぬるとも折む雨の花    芭蕉

   すみてまづ汲水のなまぬる  乙孝

 酒売が船さす棹に蝶飛て     一有

   板屋板屋のまじる山本    杜国

 夕暮の月まで傘を干て置     應宇

   馬に西瓜をつけて行なり   葛森

 

初裏

 秋寒く米一升に雇れて      芭蕉

   襦袢の糊のたらでさびしき  杜国

 吹付て雨はぬけたる未申     葛森

   夕に駕をかる都人      杜国

 命ぞとけふの連歌を懐に     芭蕉

   寺に祭りし業平の宮     應宇

 世の中を鶺鴒の尾にたとへたり  葛森

   露にとばしる萩の下末    乙孝

 いなづまの光て来れば筆投て   一有

   野中のわかれ片袖をもぐ   芭蕉

 君が琴翌の風雅をしたひつつ   應宇

 

   汐は干て砂に文書須磨の浦

 日毎にかはる家を荷ひて     芭蕉

 

   乞食年とる楢の木の中

 聖して霰ながらの月をみつ    芭蕉

 

   目前のけしきそのまま詩に作

 八ツになる子の顔清げなり    芭蕉

 

       参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

 

 紙衣のぬるとも折む雨の花    芭蕉

 

 雨の花(桜)は紙衣(かみぎぬ)が濡れても折ろうと思う。

 興行当日雨が降っていたのだろう、それでも負けずにこの興行を成功させよう、という寓意があったと思われる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「紙衣」は衣裳。「雨」は降物。

 

 

   紙衣のぬるとも折む雨の花

 すみてまづ汲水のなまぬる    乙孝

 (紙衣のぬるとも折む雨の花すみてまづ汲水のなまぬる)

 

 「すみて」は「住て」であろう。前句の紙衣を旅姿として、花の宿にたどり着き、住んでまず汲んだ水は折から桜の季節でなまぬるかった、とする。

 紙衣あるいは紙子は防寒性にすぐれいて小さくたためるということで、旅の必需品だった。『奥の細道』の草加のところにも「帋子一衣(かみこいちえ)は夜の防ぎ」とあるし、『冬の日』の「狂句こがらし」の巻の前書きにも「笠は長途の雨にほころび、紙衣はとまりとまりのあらしにもめたり」とある。

 すっかるぬるんだ春の水を汲んで、どうか旅の疲れを癒してください、というもてなしの意味を込めた脇であろう。

 

季語は「水のなまぬる」で春、水辺。

 

第三

 

   すみてまづ汲水のなまぬる

 酒売が船さす棹に蝶飛て     一有

 (酒売が船さす棹に蝶飛てすみてまづ汲水のなまぬる)

 

 一有は元禄七年の芭蕉が出席した最後の俳諧、「白菊の」の巻にもその名がある。園女の夫だという。

 前句の「すみて」はここでは「澄て」に取り成される。平仮名で表記されているときは取成しがある場合が多い。

 酒売が船で水を汲みに行く。酒に使う良質な水を求めてのことだろう。当時の酒屋は原酒を店先で水で薄めて販売していた。その酒売の船の棹に蝶が寄ってくる。

 

季語は「蝶」で春、虫類。「酒売」は人倫、「船」は水辺。

 

四句目

 

   酒売が船さす棹に蝶飛て

 板屋板屋のまじる山本      杜国

 (酒売が船さす棹に蝶飛て板屋板屋のまじる山本)

 

 酒売が船で川を行く時の周りの景色を付ける。

 「何の木の」の巻の時は「の人」名義だったが、ここでは元禄十三年刊の『一幅半』に収録されたテキストなので杜国の名前になる。

 

無季。「山本」は山類。

 

五句目

 

   板屋板屋のまじる山本

 夕暮の月まで傘を干て置     應宇

 (夕暮の月まで傘を干て置板屋板屋のまじる山本)

 

 山本の街道沿いの街であろう。山が迫る所だと天気が変わりやすいので、月夜の外出にも傘をもって行く必要があるので、夕暮れまでに乾くように干しておく。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

六句目

 

   夕暮の月まで傘を干て置

 馬に西瓜をつけて行なり     葛森

 (夕暮の月まで傘を干て置馬に西瓜をつけて行なり)

 

 西瓜は瓜の一種ということで、初秋の季語になる。素麵とともに七夕の時に食べた。前句の月を七夕の夜の半月としたのだろう。馬で西瓜が運ばれてゆく。

 さて、『一幅半』だとここで終わって、あとは芭蕉の付け句のみになるが、『一葉集』だと、次の句が続く。

 

季語は「西瓜」で秋。「馬」は獣類。

初裏

七句目

 

   馬に西瓜をつけて行なり

 秋寒く米一升に雇れて      芭蕉

 (秋寒く米一升に雇れて馬に西瓜をつけて行なり)

 

 前句の馬で西瓜を運ぶ人は荷物を運ぶ専門の馬ではなく、たまたま馬を連れた百姓を見つけ、米一升で西瓜を運んでもらうとする。

 まあ、七夕の特需ならありそうなことで、自然な展開なので、芭蕉の句であることを疑う理由はない。

 

季語は「秋」で秋。

 

八句目

 

   秋寒く米一升に雇れて

 襦袢の糊のたらでさびしき    杜国

 (秋寒く米一升に雇れて襦袢の糊のたらでさびしき)

 

 襦袢は下着で男女ともに用いる。貰った米を襦袢の糊に使おうというのか。

 

無季。「襦袢」は衣裳。

 

九句目

 

   襦袢の糊のたらでさびしき

 吹付て雨はぬけたる未申     葛森

 (吹付て雨はぬけたる未申襦袢の糊のたらでさびしき)

 

 ひとしきり風雨が強くなり、びしょ濡れで襦袢も湿ってよれよれになった所で糊が欲しい、となる。未申は午後一時から日が沈む一時間前くらいまでの時間。

 

無季。「雨」は降物。

 

十句目

 

   吹付て雨はぬけたる未申

 夕に駕をかる都人        杜国

 (吹付て雨はぬけたる未申夕に駕をかる都人)

 

 未申と来て夕暮れの酉の刻に駕籠に乗って外出する都人がいる。夜の街に繰り出すのか。

 

無季。「都人」は人倫。

 

十一句目

 

   夕に駕をかる都人

 命ぞとけふの連歌を懐に     芭蕉

 (命ぞとけふの連歌を懐に夕に駕をかる都人)

 

 この句は『一幅半』にもある。

 連歌興行は朝に始まり夕暮れに終わる。今日の連歌の出来が良かったので、それを大事に懐に仕舞い、駕籠に乗って帰る。連歌興行は寺社で行われることが多い。

 

無季。

 

十二句目

 

   命ぞとけふの連歌を懐に

 寺に祭りし業平の宮       應宇

 (命ぞとけふの連歌を懐に寺に祭りし業平の宮)

 

 『伊勢物語』第六十九段に、

 

 かち人のわたれどぬれぬえにしあれば

 

という女の差し出した盃に歌を書いたので、

 

 又あふさかのせきはこえなむ

 

と続松の炭して歌の末を書き継いだ話が記されている。

 これは後の土芳の『三冊子』で、連歌の起源を語る時でも、日本武尊の「かがなべて」の歌の次に古い連歌として記している。

 前句の懐に仕舞った連歌をこの在原業平の連歌とし、それを貰った女が業平の霊を寺に祀ったとする。この「斎宮なりける人」は恬子内親王とされている。

 そこでこの宮がどこにあるかだが、天理にある在原寺は、父の阿保親王が業平の誕生したときに光明寺をこの地に移して、本光明山補陀落院在原寺としたもので、死んで祀られた寺ではない。京都の十輪寺の方ではないかと思う。

 ここまでの展開は特に問題はないし、本物ではないかと思う。

 

無季。釈教。

 

十三句目

 

   寺に祭りし業平の宮

 世の中を鶺鴒の尾にたとへたり  葛森

 (世の中を鶺鴒の尾にたとへたり寺に祭りし業平の宮)

 

 鶺鴒は尾を上下に振ることで知られている。また、伊弉諾・伊弉冉の国生みの時、『日本書紀』に「時有鶺鴒飛来揺其首尾。二神見而学之。即得交道。」とあるように、尾を上下に振るのを見て「交わる道を得た」とされている。

 前句の業平からこの展開は今一つスムーズでないだけでなく、『猿蓑』の、

 

 世の中は鶺鴒の尾のひまもなし  凡兆

 

の発句と酷似していることが気になる。

 

季語は「鶺鴒」で秋、鳥類。恋。

 

十四句目

 

   世の中を鶺鴒の尾にたとへたり

 露にとばしる萩の下末      乙孝

 (世の中を鶺鴒の尾にたとへたり露にとばしる萩の下末)

 

 これは鶺鴒が尾を振ることで露が飛び散る。まあ、ちょっと別の意味もありそうだが、「萩の下末」と結ぶことで、萩の露でしたというところで綺麗に収まる。ここは問題ない。

 

季語は「露」で秋、降物。「萩」も秋、植物、草類。

 

十五句目

 

   露にとばしる萩の下末

 いなづまの光て来れば筆投て   一有

 (いなづまの光て来れば筆投て露にとばしる萩の下末)

 

 前句の萩の露の美しさに和歌で書き記そうとしたら、急に稲妻が光ってびっくりして筆を投げ打ったということか。前句の「とばしる」がよく生かされているので、これも問題はない。

 

季語は「いなづま」で秋。

 

十六句目

 

   いなづまの光て来れば筆投て

 野中のわかれ片袖をもぐ     芭蕉

 (いなづまの光て来れば筆投て野中のわかれ片袖をもぐ)

 

 この付け合いは『一幅半』にもある。

 稲妻の光は電光石火という言葉もあるように、瞬時に何かをひらめいたりするのにも用いられる。元はそれこそ雷に打たれたようにはっと悟りを開くことをいったのだが。

 ここでなかなか踏ん切りのつかなかった別れに、何か一筆と思ってた筆も投げ捨てて、片袖を破って形見として預けて別れる。

 『野ざらし紀行』の、

 

   杜国におくる

 白げしにはねもぐ蝶の形見哉   芭蕉

 

の句を彷彿させる。男女のというよりは男同士の、死してもう会えないかもしれないというような別れを感じさせる。

 

無季。

 

十七句目

 

   野中のわかれ片袖をもぐ

 君が琴翌の風雅をしたひつつ   應宇

 (君が琴翌の風雅をしたひつつ野中のわかれ片袖をもぐ)

 

 「翌」は「あす」と読む。琴士の別れとする。「こと」には琴、箏、和琴などがあるが、琴(七弦琴)は格式の高く、『源氏物語』でも光の君をはじめとして基本的に王族に伝わるものとされている。

 以上、疑問が残るとすれば十三句目であろう。あとは問題ない。

 『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注は、

 

 「以下を歌仙の初裏と見ると、この面に月の句がでるべきなのに、二三・二四・二五の三句中にも月を含まぬ素秋(スアキ)となっている点に疑問が存する。」

 

とある。

 十八句目に秋以外の月が出ていたのなら、運座としては問題ない。「いなづま」も貞徳の『俳諧御傘』には「天象には不嫌」とあるから、十八句目に月を出しても問題はない。

 もう一つの可能性としては、七句目から十二句目までの断簡と十四句目から十七句目までの断簡があって、それを後から問題の十三句目を挟み込んでつなげたのではないかということだ。

 

無季。「君」は人倫。

 それでは、残る付け合いを見てみることにしよう。

 

   汐は干て砂に文書須磨の浦

 日毎にかはる家を荷ひて     芭蕉

 (汐は干て砂に文書須磨の浦日毎にかはる家を荷ひて)

 

 「文書」は「ふみかく」。須磨の浦ということで在原行平の俤というのはお約束といえよう。ただ、普通につけても面白くないので「家を荷て」で浜のヤドカリを連想させたというところに芭蕉らしさがある。ヤドカリは「寄虫(がうな)」ともいう。『笈の小文』の旅に出る時の「旅人と」の巻四十一句目に、

 

   堺の錦蜀をあらへる

 隠家や寄虫の友に交リなん    観水

 

の句がある。

 

無季。「家」は居所。

 

   乞食年とる楢の木の中

 聖して霰ながらの月をみつ    芭蕉

 (聖して霰ながらの月をみつ乞食年とる楢の木の中)

 

 楢というと、

 

 霜さえて枯れゆくを野の岡べなる

     楢の広葉に時雨ふるなり

              藤原基俊(千載集)

 

の歌がある。時雨というと時雨の晴れ間の月にも通じるので、それをさらに寒く冷え寂びた「霰ながらの月」にし、前句の「乞食」を「聖(ひじり)」とする。

 

季語は「霰」で冬、降物。「月」は夜分、天象。

 

   目前のけしきそのまま詩に作

 八ツになる子の顔清げなり    芭蕉

 (目前のけしきそのまま詩に作八ツになる子の顔清げなり)

 

 詩はこの時代では漢詩のことで、数え八歳で眼前の景を即興で漢詩にするなんて、なかなかできることではない。数え七歳で読書を始めて、すぐに渤海国の使節相手に漢詩を作って見せるほどになったという桐壺巻の源氏の君の俤であろう。「光君(ひかるきみ)」という名はこのとき渤海国の使節が付けた名前だという。

 いずれも芭蕉らしさの感じられる句で、間違いない。

 

無季。「子」は人倫。