ソクラテスはなぜえらいか

   ○ソクラテスはなぜえらいか

   ○クセノフォン『ソクラテスの弁明』解説
   ○プラトン『プロタゴラス』解説
   ○アリストパネス『雲』解説
   ○ソクラテス・ファンタジー「もう一つの弁明」
   ○プラトン『メノン』解説


ソクラテスはなぜえらいか

 ソクラテスと聞いて「ソッソッソークラテスかプラトンか、ニッニッニーチェかサルトルか‥‥」というCMソングを思い出す人は、多分私と同世代だろう。ソクラテスというとジーコ、ファルカン、トニーニョ・セレーゾとともに黄金のカルテットと呼ばれたという、一部の人にしかわからないボケをやってもしょうがない。

 ソクラテスはBC四六九年ごろからBC三九九年にかけて、古代ギリシャの都市国家アテナイ(今のアテネ)の全盛期に登場した哲学者で、その生涯はなにぶん古い時代なので、多くは伝説であって、さだかではない。我々がソクラテスについて知るのは、プラトンの著作や軍人で歴史家だったクセノフォンの『ソクラテスの思い出』や『ソクラテスの弁明』『饗宴』(プラトンにも同名の著作がある)やアリストファネスの喜劇『雲』で、その消息を知るのみである。

 プラトンの描くソクラテスは仕事もせずにいつもアテナイの広場をぶらぶらしては、同じ広場に集まる人たちと議論を楽しんだ人物として描かれている。もちろん、プラトンの著作はあくまでプラトンの創作で、どこまでが本当のソクラテスの姿なのかはわからない。

 クセノフォンの描くソクラテスは、神(ダイモン)の声が聞こえるという、若干神がかった宗教家として描かれている。無知の知を説いた控えめなプラトンのソクラテスとは対称的に、「何一つ不正なことを行うことなく、今日まで行きとおしてきた」だとか、「実際、私は親しい者の多くに神様からの助言を伝えたのですが、これまで一度も間違いであったことが判明したことはないのです」だとか、大言壮語する人物に描かれている。

 アリストファネスの喜劇では、ソクラテスは魂の道場で自然科学の研究をしたり弁論術を教えたりする学者として登場する。借金で首の回らなくなった老人がソクラテスのところへ行けば何とかならないか、と押しかけるところから、この喜劇は始まる。

 

 ソクラテスが自然科学に興味がなかったことは、クセノフォンが、

 「かれは『万有の性質』についても、他の多くの人々のようにこれを論議することを欲せず、学者たちのいわゆる『宇宙こすもす』の性質を問うたり、個々の天界現象を支配する必然をたずねたりすることなく、かえってこうした問題を詮索する人間の言語道断を指摘した。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.26)

と記しており、プラトンも、

 「しかし、アテナイの人々よ、私は自然についての思索にかかわったことなどまるでないというのが、まったくの真実なのです。ここにいる多くの人が、このことが真実であることの証人です。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

と記している。

 しかし、同じプラトンは、一方では『パイドン』の中で、

 「僕は若い頃、ケベス、自然についての研究と人々が呼ぶあの知識に驚くほど熱中したのだ。」(『パイドン』プラトン著、岩田靖夫訳、一九九八、岩波文庫、p.121)

とも言っている。この自然科学に熱中していた時期が四十六歳前後だったとしたら、アリストパネスの喜劇に登場するソクラテス像と何ら矛盾はしない。この喜劇が書かれたのがBC四二三年で、このときソクラテスは四十六歳。プラトンやクセノフォンがまだ四歳だったことを考えると、若い頃のソクラテスを知るうえで貴重な資料といえるかもしれない。

一、ソクラテスはなぜ死刑になったか?

 ソクラテスの訴状は、

 「ソークラテースは国家の認める神々を信奉せず、かつまた新しい神格を輸入して罪科を犯している。また青年を腐敗せしめて罪科を犯している。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.23)

というもので、このことについてはプラトンの証言とクセノフォンの証言にくい違いはない。そのため、このことは一応史実と見ていいだろう。

 ただ、困ったことに、この告発の解釈と、それに対する弁明の仕方が、プラトンとクセノフォンとでは大きく異なっている。

 クセノフォンはこの告発を文字通りのものとし、ソクラテスがダイモンの声を聞いていたことを、占いを信じるのと何ら変わりなく、新しいものは何もないというふうに弁護している。つまり、鳥や人語や前兆や犠牲に神意を問うということは、それらのものが役に立つ知識を持っているのではなく、神々がこれらを通じてそれを教えるからであり、ソクラテスの場合もダイモンがソクラテスを通じて語っているのだと主張する。

 しかし、これは明らかにちがう。占いの場合は、取りや人語や前兆や犠牲に神意を推し量るにしても、そこに明らかに人間の解釈が加わり、そこに神の絶対性と人間の不完全性との断絶が生じる。つまり、信託は神聖なものだが、その解釈はあくまでも人間のものであり、一つの解釈が絶対的な意味を持ち、神そのものと解釈されることはない。これによって、占いの結果は相対化される。

 これに対し、神がひとりの人間を通じて神意を語るということになると、そうはいかない。その場合、人間と神との断絶が存在しないために、ひとりの人間の語ったことがそのまま神の言葉になってしまう。つまり、神秘思想に陥ってしまうのである。

 これに対し、プラトンはこの訴状を、ソクラテスがアナクサゴラスのような唯物論者だと誤解されたものだとしている。

 

 ソクラテスが死刑になったとき、プラトンはアテナイにいて、ソクラテスの死を見取ったとされている。

 これに対し、クセノフォンはBC四○一年、つまりソクラテスが死刑になる二年前に、ペルシャ王アルタクセルクセス二世に対して反乱を起こした王の弟キュロス軍に傭兵として参加し、その後バビロンからの脱出の過程を『アナバシス』という本に書き表した。そして、無事にギリシャに戻ってきたものの、アテナイには帰れず、余生をスパルタで過ごしたとされている。

 普通に考えれば、ソクラテスの死に立ち会ったプラトンの言うことの方が、スパルタでソクラテスの友人からその消息を伝え聞いたにすぎないクセノフォンの言うことよりも、真実が多く含まれていると思いがちだ。

 しかし、ソクラテスが死刑になったということは、当然プラトンもまたその同類として、いつ告発され、死刑になってもおかしくない状況にあったのではなかったか。プラトンはソクラテスの死後、しばらく諸国を放浪したという。これも告発を恐れて逃げ歩いたと考えられないだろうか。そして、アテナイに戻ってきたとき、果たしてプラトンは真実を書くことができただろうか。むしろ、アテナイ市民のみんなが知っているソクラテスは完全なる誤解であり、本当はもっと穏健で安全な人間だったことを強調するであろう。

 それに比べると、アテナイの宿敵でもあるスパルタにいたクセノフォンの方が、真実を書くことができたのではなかったか。

 

 一般的に哲学者は、プラトン、アリストテレスを西洋哲学の基礎を築いた正統と見る立場から、ソクラテスをその伝説的な創始者、先駆者と見なしているように思える。

 そのため、哲学者は、クセノフォンの著作やアリストパネスの喜劇のような哲学のシロウトの書いたものをあまり重視してはいない。

 しかし、だからといって、プラトンの記述を信用しているかというと、決してそうでもない。『ソクラテスの弁明』『クリトン』以外は大体においてプラトンの創作と見なされている。

 それなら、一般に知られているソクラテスのイメージは一体何なのだろうかといったとき、それは結局哲学者たちが思い描いた、哲学者の一つの理想の姿としてのソクラテスに他ならないのではないかと思われる。まあ、つまり、大事なのはソクラテスのイデアであり、歴史上の実在の人物としてのソクラテスは、そのイデアの影にすぎないと言ったところか。

 ソクラテスはなぜ偉いか?─その答は単純だ。哲学者たちが思い描いた理想の哲学者のイメージそのものだからだ。

 

 結局、ソクラテスは基本的に伝説の人であり、確かなことは何一つ解っているわけではない。それでもソクラテスは「西洋哲学の祖」であり、哲学的精神のシンボルとされてきた。それはおそらく、「議論する」ということ自体が西洋哲学の根本精神だったからだろう。

 もちろん、中国やインドや日本の哲学でも、議論がなかったわけではない。しかし、西洋以外の地域の哲学は、基本的に職人の技術と同様、師匠から弟子へと脈々と受け継がれてゆくもので、その際、弟子は師匠の言うことをみだりに疑ってはならず、常に服従することが前提されていた。

 それに対し、西洋哲学の根本的な精神は、身分の上下に関係なく、自由に議論をするというところにあった。

 だから、ソクラテスが助産婦のヒモであろうが、借金の踏み倒し屋だろうが、そんなことは問題ではなかった。むしろ、そういうさして身分の高くない、立派な家柄というわけでもない人間が、街の広場という公共の開かれたオープンスペースで、相手が誰であろうと容赦のない議論をする。それが哲学の原点だったのである。

 ソクラテスがなぜえらいかというと、それは第一に「自由な議論」をしたからである。

二、「悪法も法である、守るべきだ」

 はたしてソクラテスが本当にこんなことを言ったのかどうかはわからない。おそらく、死刑判決を受けたソクラテスが、弟子の一人クリトンから亡命を勧められるが、それに対してソクラテスが、これまでアテナイの法律を守るように説いてきたのだから、自分でそれを破ることはできないと言って断る『クリトン』というプラトンの書いたソクラテスの対話編のイメージから来た言葉だろう。

 もちろん、これはどんな法律でも法律と名のつくものは守れと言っているのではない。ここでいう法律はアテナイの民主的なシステムによって作られた法律であり、アテナイの民主主義より良い立法システムを知らない以上、これに従うべきだと言っているにすぎない。冷徹な独裁者が勝手に作った法律を守れと言っているわけではい。古代アテネがもしアケメネス朝ペルシャに占領され、そこで過酷な法律の支配を受けていたなら、ソクラテスも「悪法も法である、守るべきだ」とは言わなかっただろう。

 たとえば、ソクラテスから造反したアルキビアデースは、まだ二十歳にもならない頃に国家の第一人者だったペリクレースとこういう会話を交わしたという。

 

 「ではぜひ教えて下さい」とアルキビアデースが云った。「私は世間の人が法律を守るから感心だとほめられているのを聞くと、法律とは何であるか知らない者はこの賞賛を受ける資格がないといつも思うんです。」

 「君の望んでいることは何もむずかしいことじゃない、アルキビアデース。君は法律とは何であるかを知りたいと云う。法律とは衆民が会議で決定しそして文書に書き、なすべきこととなすべからざることとを明らかにしたものをすべて云うのだ。」

 「善をなすべきだと考えるんですか、それとも悪をなすべきだと考えるんですか。」

 「そりゃ君、もちろん善だ。悪ではない。」

 「ですが、衆民でなく、寡頭政治の国で見るように、少数の人々が集まってこれこれの行為をすべしと明文に書いたのは、これはなんですか。」

 「国家の主権者が熟考して、そしてこれこれの行為をすべしと明文にしたものは、すべて法律と呼ばれる。」

  「では民王チュランノスが国家の主権者であって、市民のなすべきことを決めて明文にしたのは、これも法律ですか。」

 「民王の明文として宣布するものも、これも法律と呼ばれる。」

 「圧制と無法とは、これはなんですか、ぺリスレース。強者が弱者に対して自分の好きなことを、説明を用いないで強制的に強いることではないんですか。」

 「まあそうだね」とペリクレースが云った。

 「そうすると、民王が国民を説得しないで行為を強制する明文を宣布したら、これはみな無法ですか。」

 「そうだね、私は民王が説得を用いないで明文にして出したものは法律であるとの答を取り消そう。」

 「少数のものが多数のものを説得を用いないで強制する法文を出したら、我々はこれを圧制と云っていいのですか、いけないのですか。」

 「人が他人に説得を用いないで行為を強制するのは明文にしてあろうとなかろうと、いずれも圧制であって法律ではないと私は思う。」

 「そうすると、全民衆が資産家たちに対して権力を持ち、説得しないで法文を作ったら、これも圧制であって法律ではないのですね。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.40~41)

 

 これはソクラテスの立場とは異なるが、最後の部分を別にすれば、妙に説得力のある議論だ。最後の部分は確かにおかしい。つまり、実際のところ、全員一致を待っていたら、どのような法律も決まることはない。法律というのは少なからず少数意見の否定の上に成り立つものだ。つまり万人の行動をすべて肯定するのであれば、最初から法律はいらないわけだ。幼児を対象に性犯罪を繰り返す人は、彼なりの宿命でもってそうなっているにせよ、それを認めたのでは法律はいらなくなる。

 法律とは無法状態よりはよりよい社会を作るための一つの仮説であり、それによって多くの人が利益を得て、不満の少ない社会を作ることができればその法律の正しさが証明されるのである。そして、良い結果を得た法律は長く生きながらえ、良くない結果を得た法律は、どのような手続きで定められたものであれ、多くの人が圧制だと感じ、法として認めなくなるところから、自然に淘汰されてゆく。それで十分なのである。

 むしろ、ここで重要なのは、自分自身が日頃説いていることには、それが自分に跳ね返ってきた場合でも、その通りにしろということだ。これは西洋でいう「責任(レスポンシビリティー)」の概念をよく表している。「責任」というのは「跳ね返り(レスポンス)」を受入れることができる(アビリティー)ということだ。

 たとえば、「人を殺したら理由はどうであれ即死刑だ」と日頃言っている人は、自分が何らかの過ちで人を殺してしまった時でも、いっさい弁護せずに死刑を受入れるべきだろう。

 「死して敵の捕虜にならず」と戦陣訓を説いた人は、当然連合国に占領された時点で自ら範を示す必要があっただろう。

 また、万人の直耕による自然世を説き、農耕をしない不耕貪食の徒は食事を与えずに飢えさせろなどと主張する人は、まず自分自身が町医者などやめて百姓になるべきだっただろう。

 そういうわけで、ソクラテスがなぜえらいかというと、第二には「自分の言ったことに責任を持っていた」からである。

三、「汝自身を知れ」

 これは基本的に「無知の知」と同じだ。つまり、自分自身、決してすべてのことを知っているわけではない、思いあがるなということで、身の程を知れということだ。

 もっとも「身の程を知れ」という言葉は、身分の違いや自分の立場の弱さをわきまえろという処世術的な意味も含んでいるので、「汝自身を知れ」イコール「身の程を知れ」ではない。

 人間の論理というのは、いくら完璧なようでも、どこかに矛盾が生じる。現代科学の最先端でさえ、相対性理論と量子力学は矛盾するし、論理学でも完全な論理体系が可能かどうかは常に議論されてきた。世界的な大天才でさえ、完全な論理は困難だと考えるのだから、我々凡人が矛盾だらけなのはいたし方がない。

 それなのに人はえてしてわかったふりをしたがる。それは自分をえらそうに見せたいし、実際にえらそうに振舞った方がえらくなれたりする。張ったりも大事だ。

 しかし、それは真理の探求という観点からすれば、結局虚勢にすぎない。

 「汝自身を知れ」というのは、そうして自分をえらく見せようとすることではなく、本当のことを知ろうとする欲求の現れであり、本当のことを知ろうと思ったら知ったかこかずに、自分が本当は何も知らないことを謙虚に認めろということだ。

 ソクラテスがなぜえらいかというと、第三には「自分の無知を謙虚に認めた」からである。

 (ただ、クセノフォンの『ソクラテスの弁明』を読むかぎり、これもプラトンの創作である可能性がある。)

四、「良く生きる」

 これも別にソクラテスだけが言ったということではないが、ソクラテスは良く生きた人の代表のように言われているのは確かだ。昔読んだ倫社の参考書にソフィストが「上手く生きる」のに対し、ソクラテスは「良く生きる」だったというようなことが書かれていた。

 「良く生きる」なんて言われて、異を唱える人はそんなにはいないだろう。ただ、一体何が善なのかわからないから問題なので、わからないことは素直にわからないと認めたほうがいい。それこそ「無知の知」だ。

 マルチン・ハイデッガーは『存在と時間』という本の中で人間の良心について深い考察を行ったが、その良心の帰結がナチス入党だったりしたように、自分ではどんなに良かれと思ったことでも、結果的に大きな過ちを犯すことがある。まして、日常の小さな親切はえてして大きなお世話となり、良く生きていたつもりが、結局自分の満足のためだったなんてこともある。

 良く生きるということを本当につらぬこうと思うのだったら、本当の善とは何かを常に問い続けなくてはならない。つまり、良く生きるということは、真理の探求と切り離せない。

 そのためには名利や立場に囚われない「自由な議論」をしなくてはならない。そして、知らないことは謙虚に認め、予期せぬ結果に対しても責任を持たなくてはならない。それが良く生きるということだといっていいだろう。

五、「快楽の計量術」

 ソクラテスの功績でありながらあまり知られていないのがこれだ。

 プラトンの『プロタゴラス』に、

 

 「ところで、プロタゴラス、あなたは、人間たちの中には善き生を送る者と、悪しき生を送る者とのあることを認めますか」

 彼(プロタゴラス)は肯定した。

 「では、悩みと苦しみのうちに生を送るとき、人間は善き生を送ると思われますか」

 彼は否定した。

 「では美しく一生を送って生涯を終える場合はどうでしょう。そうして送った生涯は、善き生であったことになると思えませんか」

 「たしかにそう思う」と彼は言った。

 「してみると、楽しく生きることは善いこと(善)、不快な人生を送ることは悪いこと(悪)なのです」

 

とある。これがソクラテスの言葉だというのを、意外に思う人もいるかもしれないが、ソクラテスも案外健全な人間であり、哲学者だからと言って別に苦悩することがよいことだなどと思っていたわけではなかった。

 ある種の快楽が悪であるように見えるのは、その快楽の後にそれを上回るような苦痛が生じたり、あるいは得られるはずだったもっと大きな快楽がふいになるからであり、差し引きすれば最善でないからなのである。

 たとえば薬物による一時の快楽は、たとえそれ自体は善であっても、そのあと生じる人格の破滅によって地獄の苦しみが生じるため、悪になる。酒や色ごとも適度ならいいが、度を過ぎれば身を破滅させることになる。その場合も、快楽そのものは善であっても、その後の帰結がそれ以上の悪であるため、差し引きすれば悪だということになる。

 そして、この快楽と苦痛の収支を計算をするのに知が不可欠であるため、結局知が善であり、知が徳だということになる。

 プラトンはこれを霊肉二元論で解釈した。つまり、こうした計算能力は霊魂に属し、これに対して肉体は闇雲に快楽をむさぼろうとするものだと解した。そのため、快楽そのものは人生の目的ではなく、あくまで快楽を正しく計算し、自らの肉体をきちんとコントロールすることが善であり、本来の人間の生き方だとした。しかし、現実には現世での快楽はやったもん勝ちで、きちんと節制した者が必ずしも報われないため、結局霊魂不滅を信じ、来世での神の裁きで帳尻を合わせようとした。

 しかし、それでも決して快楽そのものが悪だということではないし、禁欲のための禁欲を説いたわけではない。快楽の合理的なコントロールは、一時的には抑圧的に働くことはあっても、むしろ相対的には快楽を高めるために技術(テクネー)であり、むしろ快楽の科学への道を開いた。

 これがやがて西洋の近代化の原動力となり、西洋的なものが世界を席巻するもととなった。この点はもっと重要視されるべきであろう。

 西洋文明が他の文明を圧倒することができたのは、それが他のどの文明よりも多くの快楽をもたらすからなのである。

 

 ソクラテスの死は、プラトンの『ソクラテスの弁明』でもクセノフォンの『ソクラテスの弁明』でも共通して、ソクラテス自身が死刑になるのを望んでいたように書かれている。多分、このあたりは真実なのだろう。

 人生が苦しみであり、死が開放であるという思想は、ソクラテスならずともさまざまな宗教に見られる。ただ、死が悪いものではなく良いものだという思想は、それが自分に向けられる分にはいいが、他人に向けられればポアの論理になる。つまり、人を殺すことが、その人の魂を救い、肉体から開放してやり幸福をもたらす良いことなのだ、という論理に陥る危険を常にはらんでいる。

 もし当時のアテナイ人が、あくまで漠然とした不安としてであれソクラテスにその匂いを感じていたとすれば、死刑もやむをえなかっただろう。多分、私がアテナイの陪審員だったら、そうしていただろう。

 私にはクセノフォンのソクラテスが一番真実に近いように思える。自分は神の声が聞こえると称し、大言壮語を吐き、カリスマ的の魅力で若い信者を集めたものの、大半のアテナイ市民の目にはいかがわしい新興宗教にしか見えず、危険視され、ついには死刑になった。

 もっとも、このような教団を形成する前は、アリストファネスの喜劇に出てくるような、自然科学を研究し、弁論術を教えるごく普通のソフィストだった可能性もある。

 今日でいう新興宗教のような教団を形成していたとすれば、ソクラテスはクサンティッペに頭が上らないということもなく、弟子達の貢物で良い生活をしていただろうし、妻が二人三人いたとしてもおかしくはないし、それを欲望ではないと正当化するのも容易だっただろう。

 ただ、その教団の中にはプラトンという有能な理論家がいて、彼は死刑になった教祖様を弁護し、世間にその正しさ認めさせ、世間との教団との共存を図らなくてはならなかった。西洋哲学の歴史の中で尊敬されてきたソクラテスは、実はそんな妥協の産物だったのかもしれない。

 そうなると結局、ソクラテスはなぜえらかったか─それはプラトンがえらかったからだ、ということにもなる。

 

 なお、クサンティッペを悪妻として伝えているのは、クセノフォンの『饗宴』のなかで、ありがちな酒の席での話しとして、アンティステネースが、

 「おお、ソークラテース、そうと認識していながら、あなたはクサンティッペーを教育しようともせず、現在の女たちの中で、いや、わたしの思うに、過去・未来の女たちの中でも、最も難しい女を妻としておられるのは?」(http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/xenophon/symposion.htmlより)

と尋ねたのに対して、

 「騎士になりたいと望む者たちも、聞き分けのよい馬たちではなく、気性の荒い馬たちを所有するのを。それは、こういう馬たちを手なずけることができたら、ほかの馬なんて扱うのは容易だと彼らはみなしているからです。だからわたしも、人間たちを扱いこれと交わることを望んでいるから、あの女を所有しているのです、この女を我慢できれば、ほかにはどんな人間たちといっしょになろうと、容易だと承知しているから」(http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/xenophon/symposion.htmlより)

と答える場面があるのが元で、それがディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』でかなり誇張されて書かれてしまったことによるものだ。

 また、ソクラテスにはミルトというもう一人の妻がいたという説もあるが、これもはっきりはしない。(これはアリストテレスの説によるらしい。アリストテレスはソクラテスの死後に生れていて、もちろん面識はない。また、アリストテレス自身による著作は現存せず、弟子達の記述した講義録のみが残っている。)

六、「無知の知」

 クセノフォンの『ソクラテスの思い出』にも、何ヶ所か無知の知に関係する記述が見られる。

 一つは二十歳にならぬグラウコーンが、国家の頭になりたいと言ったときに、それを思い止まらせる場面だ。ここでソクラテスは、相手の兵力や味方の兵力の説明を求めたり、守備隊が盗みをしていることの証拠を問いただしたり、さらには銀山の産出量の減少を実際に見たのかどうか追求する。  こうしてグラウコーンが答えに給すると、さらに追い討ちをかけるように、お前の志が叔父すら説得できないのなら、どうやって民を説得できるのかと問う。

 「叔父を説き伏せることができないで、アテーナイの全市民を叔父も一緒にして説き伏せ、君の云うことにしたがわせ得ると考えているのか。用心しなくてはいけない、グラウコーン、名声を得んと望んでその逆に陥る危険がある。自分の知らぬことを云ったりすることが、どれほど危ないことであるか、君は知らぬではなかろう。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.151)

 もし君が国家において名声を博し賞讃を得んと欲するならば、何よりもまず、行わんとすることの知識を完全ならしめるようにつとめたまえ。そして君がこの点で他人に立ちすぐれてから国事にたずさわるようにするならば、君がその望むところをきわめてやすやすと達し得ても、私は少しも不思議とは感じないであろう。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.151)

 これは明らかに「身の程を知れ」ということであり、実力がないのに実力以上の大きなことをやろうとすると、必ず失敗すると言うことで、私ももちろんこの説に異論はないが、処世術の域を出るものではない。

 「知識を完全ならしめる」というのは、いわゆる真理を知るということではなく、他人より優れているという方に重点が置かれ、いわば政敵の様々な反論や批判や中傷に耐えうるだけの十分な知識の蓄積を必要とすることを説いている。

 また、ソクラテスはエウテュデーモスに善とは何かを説くが、これはソクラテスに近づくものに、その覚悟を試すため、あえて嫌がらせをしていることが記されている。

 「ところで、ソークラテースによってこうした目に逢わされた人々は、大抵は二度と彼に近寄らなかったものであって、こういう連中を彼は愚物と見なしていた。しかるに、エウテュデーモスは、もし自分がソークラテースのそばでできるだけ多くの時を過さないならば、到底まともな人間にはなれないということに思い至ったのである。そしてそれ以来、何かやむを得ぬ用事のあるときのほかは、決して彼のそばを離れないで、その上彼の日常を自分も幾らか模倣したのである。ソークラテースも彼がこうなってきたのを知ってからは、もはや彼を苦しめることをやめ、知らなくてはならぬと思う事柄や、日常生活にもっとも必要と思う事柄を、きわめて簡明に、またきわめてわかりよく、説明して聞かせたのであった。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.206)

 こういう時のソクラテスの論法は、一定のパターンがあるように思える。最初に一般論をさせておいて、その次にそれに反する特殊な事例をあげ、最初の結論を撤回させるというものである。たとえば嘘はいいことか悪いことかをきけば、普通に考えれば原則としては嘘は悪いことだということになる。しかし、嘘によって人が助かった例を挙げ、これも悪いことかと問う。それはいいことだと答えると、ならば嘘はいいことではないかともってゆく。たいていの人はこれで混乱してしまう。ある意味で、この詭弁を見破れるかどうかで、相手の力量を試していたのかもしれない。

 嘘が悪いことなのは、真実を明かすことができるにもかかわらず、それを意図的にしなかったという点にあり、結果がうまくいったかどうかの問題ではない。こういうことならいくらでも言える。たとえば殺人は悪いことだ言われたら、それなら銃を乱射して大勢の人を殺そうとしている人間を狙撃して殺してはいけないのかとか、いくらでも言える。この場合でも、殺さずに銃の乱射をやめさせる方法があるのなら、そのほうが善であろう。嘘の場合も同じで、嘘をつくことで確かにうまくいくことはいくらでもある。ただ、嘘をつかなくても同じ効果があるやり方があるのなら、そのほうが善であり、嘘はやはり悪だということになる。

 ソクラテスは「では。戦争で敵を欺いたとしたら。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.195)という例を挙げる。これに対し、エウテュデーモスは単純に「これも正しいことです。」と答えてしまっている。戦場で敵を欺くのは、味方に対しては善であっても、敵に対しては悪であり、善悪は相対的なものにすぎない。南京虐殺はなかっただとか従軍慰安婦は虚構だと主張することは、その時点としては日本という国にとっては善かもしれない。だが、国際関係にとって善かどうかはわからないし、国際関係の悪化が結果的に日本の国益を損ねないとも限らない。嘘の善悪はその場のうまくいくかどうかの問題とは別のものであり、そこを指摘できればソクラテスは怖くない。

 (南京虐殺と呼ばれるような事件は事実存在した。ただその人数について日本側と中国側に見解の差があるのは事件の定義の問題であり、どこからどこまでを南京虐殺と呼ぶかの違いだと思われる。従軍慰安婦についても存在したのは事実だが、そのすべてが強制連行によるもので、三十万人にも上ったという説まで事実と考えることは困難だ。)

 確かにこの方法だと、入門希望者は振り分けられる。多分、大抵の人間はこうした議論に、説明はできなくても何かおかしいのではないかと思う。そういう人間は二度とソクラテスのもとを訪れることはなかっただろう。

 しかし、中には本当に自分の無知がさらけ出されたと思って、ひどく恥ずかしく思う人もいたかもしれない。それですっかり恐れ入って、本当のことを教えてくれると思ってソクラテスのもとに通う。しかし、こうした人は、下手なことを言って論戦になったら、またソクラテスに恥をかかされる。それを恐れてソクラテスに服従的な態度をとる。今日でも、ちょっと前に「定説だ」とか言って入門希望者のの無知をたしなめ、信者を獲得していた宗教団体があったが、ソクラテスの場合もそれに近いのではなかったか。

 特に人生経験の浅い若者は、こういう酸いも甘いも噛み分けた老人に一喝されると、心理的にも相当なプレッシャーになる。こうして、若者は今までの自分の考えてきたことやしてきたことに自信がもてなくなり、ソクラテスの言うことをそのまま信じ込むようになる。

 特に、「恥」だとか「恩」だとかは、人間の持っている本性の部分であり、この弱点を突くのがソクラテスのやり方だった。そして、このやり方が通じない相手を、ソクラテスは「愚物」だとして相手にしなかった。

 しかし、おそらくプラトンはまったく別の受け止め方をしたのではなかったか。プラトンは論破されることを恥として恐れるのではなく、理論をより強固で完全なものにするための手段と考えた。つまり、意地の悪い揚げ足取り的な議論でも、それは無知をさらけ出して辱めるためのものではなく、あくまで論理の弱点を指摘してもらっているのだと考えるのである。批判はあくまで理論を攻撃しているのであって、人を攻撃しているのではない。議論はあくまでシミュレーションであり、いわばゲームであり、理論を作るための手段にすぎないと割り切って考える。

 それゆえ、プラトンはイデア説を中心とする一つの哲学体系を作り、これをさらにアリストテレスが批判的に継承してゆくことで、西洋哲学の基礎をなした。しかし、そういった学問体系にソクラテスが興味を持っていたかどうかはわからない。むしろ、数学や天文学同様に考えていたのではなかったかと思われる。

 クセノフォンの『ソクラテスの思い出』の最後の方では、無知の知を敬神と結び付けている場面がある。真理についても善についても美についても人間の知に限界があることを示すことは、敬神に結び付くものであり、それが結局は科学の否定にもつながってゆく。ソクラテスにとって天地は人間のために作られたものであり、神がそのように作ったことを疑わない。だから、幾何学でも数学でも天文学でも、宇宙そのものを解き明かすものではなく、あくまで人間にとって役に立つものしか認めない。

 「だが君は知っているだろう、われわれはまず第一に光がある必要であるが、これを神々はわれわれのためにととのえてくださってある。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.207)

 これなどは旧約聖書の『創世記』の「光あれ」を思わせる。

 「そしてまた、われわれは休息を必要とするのであるが、神々はわれわれのために、夜という見事な休息の時を与えてくれた。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.208)

 「夜は暗黒であって何も見えないから、神々は夜の空に星をかがやかしめ、これが夜の時刻をわれわれに知らせ、これによってわれわれはいろいろの大切な用事を果たしているのではないか。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.208)

 これも『創世記』の「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ。」

を思わせる。

 「またわれわれは食物が必要であるから、神々はこれを地より生ぜしめ、その目的にかなう適当な季節を用意し、この季節がただわれわれの必要とするもののみか、また愉しみの材料まで、豊富にまた多種多様に供給してくれる」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.208)

 「それからまたわれわれに水という無上の価値ある賜を与え、これが大地ならびに季節と力を協わせてわれわれに必要な一切の物を生ぜしめ、成長せしめ、そしてわれわれ自らをも養い、かつわれわれの栄養となる一切の物に混入してこれを一層こなれやすく、健康によく、また味わいよくし、そしてわれわれがこれをすこぶる多量に必要とするので、惜しげもなく豊富に供給してくれる」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.208~209)

 「それからまた日という、寒さを防ぎ、暗黒を防ぎ、あらゆる技芸の助けであり、人間が便宜のために考案した一切の事物の製作に助けとなるものを、われわれのために獲てくれたのはどうであるか。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.209)

 そして、家畜や植物も人間のために作られたという。

 「明らかではないのか、彼らもまた人間の便益のためにこの世に生れ、そして養われているということが。なんとなれば、どこのいかなる生き物が人間ほどに、山羊や羊や、牛や馬や、驢馬や、またその他の動物から、これほどたくさんの利益を受けるのか。私にはじつに植物から受ける利益よりも多いように思える。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.210)

 こうした世界観は後のキリスト教の形成に大きな影響を与えている。本来ユダヤ教は、人間と神との間に大きな断絶があり、人間は神の痕跡しか知りえない。それを解釈するのは賢者(ラビ)の役割となるが、賢者(ラビ)はあくまで人間にすぎないため、その解釈は相対化される。これに対し、キリスト教は、イエスが神の子として直接神の言葉を伝達することで、神と人間は言葉(ロゴス)を通じて対話できる存在となる一方で、神は人間を超越した自然的な存在ではなく、より人間的な存在になる。

 ソクラテスのダイモン信仰は、古代ギリシャの多神教の文化の中では明らかに異端だった。それは、神々の計り知れない自然的な存在に対し、人間の世界を限界付けていたのに対し、ソクラテスは神を人間のためのものに変えてしまい、自然の計り知れない力への畏敬を否定してしまったからだ。

 キリスト教はその意味では、ユダヤの一神教をソクラテス的に解釈したともいえる。ローマの支配下にあったイスラエルでキリスト教は誕生し、主にローマで発展したその本当の理由は、キリスト教がソクラテスからプラトン・アリストテレスにつながる古代ギリシャ哲学による一神教の解釈だったからに他ならない。

 東洋でも、「陰陽不測、これを神という」と『易経』にあるように、本来神とは人間のためのものではなかった。それは人間だけでなく、この大地にあるありとあらゆる生命に根ざした自然の力でで、時には人間にとって非情なものでもあった。それは人間の心の中にも潜み、それが人間の自分自身でもコントロールできない情動の中に現れるものだった。

 これに対し、ソクラテスは自然を人間のためのものと見なすだけでなく、人間の中の計り知れない不条理な情動を、あくまで理性に従属させるべきものとした。それが長いことヨーロッパの神の概念を支配してきたのではなかったか。

 ソクラテスの思想の危険さは、こうした神の概念の転換にあった。ソクラテスが死刑になる理由があったとすれば、このほかになかっただろう。そして、数世紀後にイエスが同じ理由で十字架を背負った。

 私はもとよりクリスチャンではないし、ソクラテス的な神概念にも興味はない。どちらが正しいか、それは結局神のみが知るであろう。もちろん、神が何であるかについても、われわれは無知を認めなくてはならない。

七、ソクラテスは本当に謝礼や贈り物を受け取ってなかったのか

 確かにクセノフォンの『ソクラテスの弁明』では、「私はだれからも贈り物も受け取らなければ、謝礼も受け取らない」(『ソクラテスの弁明・クリトン』三島輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.216)とソクラテス自身が陪審員の前で語ったことになっている。

 しかし、クセノフォンが『ソクラテスの思い出』のなかで、

 「かれは市民あるいは外来の幾多の熱心な弟子を有しながら、ただの一度として教えの謝礼を取ったことがなく、すべての者に己れの宝をふんだんに分け与えた。中には彼から只で貰った宝の一小部分を、高い金で他人に売り、しかも彼のごとく人民の味方でなかった人もあった。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.46)

とあるのは、何か変ではないか。

 本当に謝礼や贈り物を一切受け取らないならば、ほんの一部分でも売れば大金になるような宝をどうやって手に入れていたのだろうか。

 クセノフォンの『ソクラテスの弁明』で、ソクラテスはこうも言っている。

 「つまり私にはお返しにあげるような財産はほとんどないということをだれでも知っているにもかかわらず、多くの人が私に贈り物をしたがるということの原因は、いったい何だとわれわれは言うべきでしょうか。あるいは私はだれにもお返しを求められていないにもかかわらず、多くの人が私に感謝の念を表わさなければならないと感じているのはなぜでしょう。‥‥略‥‥また、他の人は多くのお金を出して市場から快適に暮らすための贅沢品を調達するのに対して、私の方はお金をかけることなく、いわば自分の心の倉から、かれらよりももっと快適な状態をつくり出しているのはなぜでしょうか。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』三島輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.216~217)

 これは何を意味するのか。謝礼を受け取ったことがないというのは、いわゆる何かを教えたことに対し、その代価や報酬として謝礼を要求し、受け取ったことがないというだけの意味で、実際は、謝礼という名目ではなしに、弟子たちからたくさんの貢物を貰っていたのではなかったか。要求してないのに差し出されたものについては、遠慮なく受け取っていて、それを「多くの人が私に贈り物をしたがる」と自慢げに語り、それが市場に行かなくても贅沢品を調達できた理由ではなかったか。

 これは、ビジネスとして、あるサービスに対してその代価を求めるという行為ではなく、明らかに宗教家がお布施を貰うような行為ではなかったか。

 ソクラテスの生活の基盤を考える上で、一つ面白い話がある。それはソクラテスがクリトプロスに言った言葉だ。友とするにはどういう者がいいのかという話だが、そこで、食べすぎ、飲みすぎ、性や睡眠の欲求を自制できる人ということを述べたあと、嫉妬深い人というところでこう言う。

 「彼らはまた金銭も欲深くとりあうことをやめて、公正に分ちあえるばかりでなく、また互いに融通することができる。また彼らは、あらそいの心を苦痛なく抑え得るのみでなく、これを調停して相互の利益にみちびき、そして怒りが後悔に進むのをふせぐことができる。己の財物は友人たちに自分の物のように用いさせ、また友人の物は自分の物でもあると考えて、嫉妬を完全に捨てるのである。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.104) と。

 ソクラテスが弟子達にこのことを要求していたことは十分考えられる。

 また、ソクラテスは長男のラムプロクレスが母親に腹を立てているとき、延々と親の恩について話して聞かせる場面がある。この内容自体はそんなに珍しいことは言っていない。そこいらのホームドラマにもあるような内容で、その意味では普通に「いい話」と言えよう。もちろん、そこにはソクラテスが自分の妻、つまりラムプロクレスの母が悪妻だなどとなじるような場面はどこにもない。また、母親の名前は記されてないので、クサンティッペのことかどうかもわからない。

 こうしたエピソードも、裏返せば、ソクラテスが弟子達に親のように振舞えば振舞うほど、それにふさわしいお返しを暗に要求し、それに答えぬものを恩知らず呼ばわりした可能性はある。

 ソクラテスは友人に値段をつけていた。

 「アンティステネース、奴隷に値段があるとおなじく、友人にもそれぞれの値があるだろうか。なぜかと云うと、家僕のあるものは二ムナアの値打ちがあるが、ある者は半ムナアもしない。しかるにある者は五ムナアするかと思うと、ある者は十ムナアもする。ニーケーラトスの息子のニーキアースは自分の銀山の管理人を一タラントンで勝ったと云っている。だから私は、奴僕とおなじように、友人にもそれぞれ値段があるのだろうかと考えるよ。」

 「そりゃあります」とアンティステネースは云った、「少なくとも私は、二ムナアどころかもっと贈っても、自分の友人になってほしい人がいくらもありますが、ある人々には半ムナアでも、なって貰いたくありません。ある人は十ムナアの鐘よりも好ましく、またある人は、これを友人にするためには、全財産を傾け、あらゆる骨折をつくしてもいいと思います。」

 「では、もしそうとすれば」とソークラテースは云った。「人は己れが友人に対して果たしていくらの値打ちを有するか、よく自らを吟味し、そして能うかぎり高い値いあらしめるようにつとめ、こうして友人が自分を裏切ることの少ないようにすることが、大切であろう。なぜかと云うと、私は何度も、友人であった人間が自分を裏切ったとか、あるいは友人だと思っていた人間が、一ムナアを貰って自分を捨てたとか、いう人の話を聞くからだ。いろいろこういうことを眺めると、私は、ちょうど人がやくざな奴僕を売るときには幾らででも売ってしまうとおなじに、つまらぬ友人はその値打以上の物が得られる場合には、これを売る気になりはせぬかと、考えるのだ。しかし役に立つ人間というものは、私の見るところ、奴僕もどんなことがあろうと売られることはなく、友人もいかなることがあっても裏切られるものではない。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.96~97)

 ソクラテスと弟子達との関係は、単なる議論の相手でもなければ、何らかの哲学的真理を追究するサークルというわけでもない。むしろ、自分が親のように弟子達の悩みを聞き、解決してやることによって、恩義によって結び付けられた関係だったと思われる。ある意味では任侠道とでもいうべき義理人情の世界だといってもいいのかもしれない。こうした教団をアカデメイアという学校組織に発展させたのは、ひとえにプラトンの業績といっていいだろう。

 アリスタルコスには、内乱で男たちが逃げてしまったため、残された女たちが十四人もいて生活に困窮しているところに、女たちの技術を生かした事業を始めることを勧めている。そして、事業は成功するが、女たちからお前一人だけ働いてないと責められているアリスタルコスに、羊の群に牧羊犬が必要なようなものだと、いわば社長業に誇りを持つように勧めている。

 また、プラトンの著作では死刑になったソクラテスに逃亡を勧める役だったクリトンにも、かつて訴訟をいくつも起こされて困っていた時に、アルケデーモスという雄弁家を紹介したりしている。

 こうした恩に対して、当然弟子たちは報いなければいけないと思っただろう。その時、ソクラテスは果たしてそれを一切ことわり、無にするようなことをしただろうか。おそらくそんなことはなかっただろう。

 そうなると、一つ考えられるのは、こうした弟子達の贈り物やもてなしを、喜んで受けるのではなく、あくまで義理として受け取ってやるという態度をとることだ。つまり、そこに「もてなし」は一つの罰であるという奇妙な常識がソクラテスの弟子たちにあったのではなかったか。

 プラトンの『ソクラテスの弁明』によれば、ソクラテスは死刑の求刑に対し、代案を求められた時(これは当時の裁判の習慣だったようだ)、「オリンピア祭で騎馬競争や、二頭立てだろうがそれ以上だろうが戦車競争で、賞をとった市民より」大きな「貴賓館でのもてなし」と「三十ムナ」の罰金を主張した。これは実はアイロニーなどではなく、歓待は罰であるというそういう常識がソクラテスと弟子達との間にあったのかもしれない。

 アリストファネスの『雲』という戯曲に出てくるソクラテスは、借金の踏み倒しを手伝うソフィストとして描かれている。アリストファネスほどの当時の喜劇の第一人者が、全く根も葉もないことを芝居にしていたとも思えない。あるいはソクラテスは今は偉そうにしているけど、かつてはこんなだったというようなことを暴露しようとしたのか。

 しかし、仮にそうだとしても、ソクラテスにはあえてこうした借金の踏み倒しという職業を選んだ理由があったのかもしれない。

 当時は今のような人権意識はなく、人権を保障する法や制度があったわけでもない。そのため、借金をこさえることは常に債務奴隷に転落する危険をはらんでいた。いわば、借金のかたに自らの自由を債権者に取り上げられてしまうということは、、人権意識のなかった時代には普通に行われていることだっが。ソクラテスの時代のアテナイ(現アテネ)には、もちろん奴隷がいた。

 自由であることの難しさについて、クセノフォンのソクラテスはこう語る。

 「もし君が治めることも治められることも好まず、また為政者に仕えることもいやだというなら、君は見るであろうと思う、いかに強者は弱い者を公ならびに私の生活において泣かせ、奴隷同様に扱う術を心得ているかということを。それとも君は気がつかないでいるのか、人が種子を播き、苗を植えたのを、彼らは麦を刈り木を切りたおし、その他あらゆる手段を以て、自分たちの云うことを聞かせようと弱者を責めくるしめ、ついに強者と闘うよりはその奴隷となるを選ぶまでに、屈服させることを。さらにはまた私生活においても、果敢な強力な者が、果敢ならざる無力な者を圧えつけて搾り取るのを。君は知らぬか。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.73)

 もし、ソクラテスがこうした奴隷状態にある人間について、何らかの不条理を感じていたなら、そして、自分自身もいつそこに転落するかもしれないという恐怖を感じていたとしたら、債務奴隷に転落しかけている人を助け、それを商売にすることで自分の奴隷への転落も防ぎたいと思うのは、何ら不思議なことではない。

 人が借金をこさえる原因としては、もちろん事業の失敗などもあるが、今も昔も変わらないのは、酒に溺れる、博打に手を出す、商売の女に貢ぐという、いわゆる「飲む・打つ・買う」だ。もっとも古代ギリシャでは女だけでなく美少年というのもあった。

  だから、悪いやつは人を奴隷にしてやろうと思うと、親しげに近づいては酒や博打や売春屈に誘い、そうした遊びに溺れたところで、いかにも親切そうに借金の話を持ち出す。奴隷の世界にようこそである。

 ソクラテスは、たいていの道徳家が説くように、食べすぎ、酒の飲みすぎ、性欲、睡眠欲などの抑制を説いた。しかし、過度の禁欲思想家ではなかった。

 「彼は食事の分量を食事が楽しみである程度にとどめ、そのために、いつでも食事に向えて、いつでも食欲が彼の調味料となる用意ができていた。酒は喉がかわかなければ飲まないために、彼にはいつも美酒であった。御馳走に呼ばれて出席を欲するときも、満腹以上につめこむのを控えるという、大抵の人には骨の折れることが、彼にはきわめて容易にできた。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.50)

 当時のアテナイでは生水を飲むのは伝染病などの元になり、危険なことだったのだろう。喉がかわいた時には水代わりにアルコール度数の低い酒を飲んでいた。ギリシャの夏は暑く、四十度以上になるから、喉が乾いたから飲むといっても、その量は決して少なくはない。もっとも、プラトンの『饗宴』では、ソクラテスはいくら飲んでも顔色の変らない酒豪に描かれている。

 ソクラテスは自分の知恵に対し、いっさい謝礼を請求しなかったというが、感謝を表すための酒宴を断るようなことはなかったようだ。洋の東西を問わず、宴席で食わないというのは、主人の好意を無にすることであり、主人の顔を潰すことである。そのため、たいていの人は無理してでも食べる。別に肉欲に負けているわけではなく、たとえまずい料理でも食べるのがマナーだと思うから食べるのである。特に、身分の低いものほど、満腹になっても無理にでも食べて忠誠を示さなくてはならない。ソクラテスがそれをしなくてすんだのは、ソクラテスがいわゆる「えらい人」で、誰も「食え」とは言えなかったからではないかと思うのだが。

 「美しい者に対する性欲についても、厳重にこれを避けるようにいましめた。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.50)

 これも「美しい女」とは言っていない。クリトンの息子がクリトブロスがアルキビアデスの息子とキスしていたことを例に挙げているように、これは「美少年」を意味する。クセノフォンはソクラテスの言葉としてこう記している。

 「美少年を接吻したらどんな目に逢うと思う。自由の人間がたちまち奴隷となり、多くの資産を損う快楽に蕩尽し、高尚有徳なことに用いる多大な時間を失い、気狂いさえ問題としないような事柄に熱中しなくてはならなくなるではないか。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.51)

 また、金銭欲に関しても、

 「彼は単に肉体の快楽に己を制し得たばかりではなく、また金銭の快楽も制し得たからであって、彼は人がくれるからといって金を貰ったものは、己に主人をこしらえ、いかなる奴隷奉公よりも卑しい奴隷生活に入るものだと、考えていたからである。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.61)

と言うが、これも人権意識がなく、今日のような契約意識があったわけでもないから、金を貰うというのはやくざから金や高価な物をもらうようなものであり、「奴隷生活」というのは決して比喩ではなかった。やくざに物を貰えば、恩義に縛られて鉄砲玉にされてしまうのである。

 ソクラテスが、「弟子たちに食事や酒や放蕩や眠りに対する克己、および寒さ暑さや艱難に対する忍耐の、滋養を鼓吹した」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.68)というのは、それが今の平和な日本と比べて、契約も守られなければ人権も保護されたない、法はあっても警察機構のないような時代にあって、奴隷への転落を防ぐ処世術的なものであり、こうした戒め自体は世の親なら誰でも息子に対してするものであり、ごくごく常識的なものだっただろう。(奴隷への転落というと、今日では普通に日常生活を営み自由を謳歌しているようでも、実は肉欲の奴隷になっている、というような比喩に取られがちだが、当時は本当に奴隷に転落することを意味した。)

 これは一つの推測だが、ソクラテスがたくさんの弟子達を引き連れ、いわゆる教団のような状態になる最初のきっかけは、借金の踏み倒しを求めてきた依頼主に対して、ある時ぶち切れて大声で叱りつけてしまったあたりから始まっていたのかもしれない。

 しかりつけて、大事なお客にしまった、ついかっとなってとんでもないことを言ってしまったと思っていると、逆にその依頼者は涙を流して自分のしてきたことを悔い、そして後になって感謝の印にいろいろな贈り物を持ってくるようになった。案外きっかけはそんなところだったかもしれない。

 親がいるうちは、間違った道に入っても叱ってくれる親がいる。しかし、若気の至りで親元を飛び出した人もいるし、当時では捨て子や孤児も多く、死亡率も高いために幼い頃に親を失う者も多く、そのため叱ってほしくても誰も親身になって叱ってくれないという人は多かっただろう。八十年の漫才ブームの頃のツービートのギャグに「孝行をしたくないとき親はいる」というのがあったが、確かに今は親が長生きするのがすっかり当たり前になってしまったが、昔は「孝行をしたいときには親はなし」という諺は今の何倍もリアリティーがあった。

 そうなると、世間は冷たいもので、困っていてもそうそう誰かが助けてくれるものではない。中にはライバルが酒や女や博打に溺れて自滅するのを、心からざまあ見ろと思う人もいる。

 そんな中で、見ず知らずの得体の知れぬ人でも、叱ってくれれば感激する者もいる。実際、宗教の勧誘では、これはよく使う手だ。

 ソクラテスの場合、どこまで善意でどこまで生活のためだったかはさだかではない。ただ、借金で奴隷に転落しかかっている人間を叱りつけて、とりあえず当座の危機を救ってやれば、神様のように感謝される。別に謝礼を要求しなくても貢いでくれる。人も救われるが自分も救われる。こんな生き方もあるのかということを悟った。それがソクラテス教団の始まりではなかったか。

 そして、みんなから感謝され、家には宝物が集まってくる。宝物だけではあるまい。女も美少年も尋ねて来る。そうして思いもかけぬ人生の成功に思いあがり、おごり高ぶり、次第に誇大妄想を抱くようになる。俺はダイモンの神に選ばれた、ダイモンの声を託された聖人なのだと。

クセノフォン『ソクラテスの弁明』解説

 クセノフォン(クセノポンともいう)には、『ソクラテスの思い出(メモラビリア)』『ソクラテスの弁明』『饗宴』といったソクラテスもののほかにも、『ギリシャ史』や自身のペルシャからの脱出記である『アナバシス』といった著作がある。

 プラトンの著作が、初期のものに本来のソクラテスの面影をとどめているだけで、結局は自らの哲学をソクラテスに仮託したものだったのに対し、クセノフォンの著作に登場するソクラテスは、実際の歴史上のソクラテスを知るのに不可欠な、同時代のきわめて重要な資料である。

 ここでは『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫にブッキングされている三嶋輝夫訳のテキストを用いる。

一、ダイモンの声

 「さて、ソクラテスについてその記憶を記録にとどめ、彼が裁判に呼び出された時、弁明ならびに人生の終わり方についてどのように思索したかについて記すことは、価値があることと私には思われる。たしかに、そのことについては他の人々もまたすでに書いているし、そのすべての者がかれの高言(メガレーゴリア)に触れている。そのことからして、ソクラテスによって実際にそのように語られたことは明らかである。しかし、もはや死のほうが生よりも自分にとって望ましいものであるとかれが考えていたという事実、─そのことを他の人々は十分に解き明かしていない。その結果、かれの高言は、いささか思慮に欠けたものであるように見えるのである。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.209)

 

 ソクラテスの裁判と死刑は、アネナイの市民にとって格好の話題を提供したのか、その後、いわゆるソクラテスもの(sōkratikoi logoi)、今で言えばソクラテス本とでもいうものがいくつも書かれたという。ソクラテス肯定派・否定派相交じり合って、巷でもさんざん議論が戦わされたことだろう。

 プラトンの有名な『ソクラテスの弁明』も、おそらくこうしたブームの中で、ソクラテスの弟子たちの中の若手理論家ナンバーワンの書いた書物として、華々しく登場したものと思われる。

 クセノフォンの『ソクラテスの弁明』もまた、ソクラテスの古くからの弟子の一人の書いたものとして、それに前後して登場したものと思われるが、もちろん古来偽書説も多い。ただ、それはローマ時代以降に定着した哲学者としてのソクラテス像と程遠いということが、この本を胡散臭く見せているだけで、ソクラテスの実像に迫るには、むしろ同時代の貴重な証言ではないかと思われる。

 特に話題になっていたのは、ソクラテスの弁明がとてもではないが無罪を勝ち取るための戦略とは程遠く、むしろ陪審員の感情を逆なでにして、わざと自分から死刑になろうとしているようにすら見えたということだろう。

 たとえば、求刑された死刑に対する代案として、オリンピックの優勝選手なみの歓待と三十ムナの罰金というふざけた案を出したことなどもその一つだ。

 この話題は、今議論しても十分面白い。ソクラテスのメガレゴリアともギガレゴリアともいうべきこの不遜な態度は何に由来するのか。確固たる哲学の裏づけがあるのか。単なる狂信者なのか。それとも別の理由があるのか。

 クセノフォンの『ソクラテスの弁明』は、この話題に対し、ソクラテスが自ら死を願っていたことと、その理由を詳しく解き明かすことが主だったと思われる。このことは、プラトンの『ソクラテスの弁明』の最後の方にも見られる。死は悪いものではなく良いものであり、この書は、

 

 「しかし、もう出て行かなければならない時間です。この私は死ぬために、皆さんは生き続けるために。しかし、われわれのどちらの方がより善いもののほうへ向かっているのかは、神以外のだれにも明らかではないのです。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.85)

 

という言葉で締めくくられている。

 ソクラテスの思想から言えば、善と快は同じものだと言ってもいい。(参照:『プロタゴラス』)

 はたして、この言葉は善のためなら死をも辞さないという覚悟なのか、それとも別の理由があったのか。

 プラトンもソクラテスのこの最後、なぜ自ら死を求めたかについて、いろいろと解釈を試みたのだろう。そして、一度は『プロタゴラス』で、善と快は同じものだとしたものの、『ゴルギアス』ではそれを打ち消すように、

 

 「果して、快と善とは同じものであるか。─同じものではない。それは、ぼくとカリクレスとで意見の一致を見たとおりだ。」(『ゴルギアス』プラトン、加来彰俊訳、一九六七、岩波文庫、p.215)

 

と言う。

 ソクラテスの死は、プラトンにとっては、『プロタゴラス』で論じたような「快楽の算術」では説明のつかない事件に映ったのだろう。そこから、プラトンは善を快楽を超えたものと見なし、そこにコスモス、つまり宇宙を意味するとともに秩序をも意味する絶対者を見いだすことになった。これは幾何学的秩序と結び付けられ、後にイデア論として展開されることになる。

 ただ、プラトンの『ソクラテスの弁明』では、まだこの説は展開されていない。その意味ではプラトンの『ソクラテスの弁明』はまだ『プロタゴラス』と時期的にそれほど離れていない時期のものだと思われる。

 しかし、果して本当のソクラテスはそのように考えていたのだろうか。クセノフォンはやはりソクラテスの弟子であり、ソクラテスの裁判の前後を共にしたヘルモゲネスの証言を紹介するところから始めている。

 (なお、クセノフォン自身はこのソクラテスの裁判には立ち会っていない。その二年前にペルシャの小キュロスの反乱軍に傭兵として加わり、『アナバシス』に描かれたペルシャ脱出劇を終え、ようやくスパルタにまで帰ってきたところだった。)

 

 「しかしながら、ヒッポニコスの息子ヘルモゲネスは、ソクラテスの仲間であったが、かれについてつぎのようなことを報告している。それによれば、ソクラテスの高言はその意図に沿ったものであるように思われるのである。というのもヘルモゲネスは、ソクラテスが裁判のことについて話をするよりもむしろ、それ以外のあらゆる事柄について話し合おうとするのを見て、つぎのように言ったと述べているからである。

 『しかし、ソクラテス、あなたは自分がどのように弁明すべきなのか、ということをこそ考察していなければならないのではありませんか。』

 それに対してソクラテスはまずつぎのように答えたそうである。

 『何だって。きみには、ぼくがこれまでずっと弁明する練習をしながら生きてきたのだとは見えないかね。』

 そこでヘルモゲネスは質問したそうである。

 『それはどういう意味でしょうか。』

 『何一つ不正なことを行うことなく、今日まで生きとおしてきたということを言っているのだよ。まさにそのことこそ、弁明の最も立派な練習であるとぼくは考えているのだ。』

 そこでヘルモゲネスは、もう一度言ったそうである。

 『あなたは、アテナイ人の法廷が、しばしば告発者の言葉にまどわされて、一方では何も不正を犯していない者たちを殺したり、他方では、不正を犯した者たちを、あるいはその嘆願の言葉のゆえに憐れんだり、あるいはその者たちが心をくすぐるような言葉で語ったために、しばしば放免してきたことをご覧になっていないのですか。』

 『いやゼウスに誓って』とソクラテスは言ったそうであるが、『ぼくは弁明についてすでに二回も検討しようとしたのだが、例のダイモニオンがぼくに反対するのだ。』(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、1998、講談社学術文庫、p.209~211)

 

 ソクラテスの身近にいる一人として、ソクラテスがどのように弁明すれば無罪を勝ち取ることができるか、その戦略をまず考えるのは自然なことだろう。しかし、当のソクラテスはそうした無罪を勝ち取る戦略を何一つ考えようとしていなかった。そこで気になって尋ねたのだろう。

 しかし、ソクラテスは例によってあまり論理的ではない答え方をする。つまり、「これまでずっと弁明する練習をしながら生きてきた(つまりあらためて弁明を検討する必要はない)」と言いながらも、それとは別に二度ほど弁明について検討したことを告白し(これは「鍋の論理」)、しかもそこにダイモン(ダイモニオン)の声との対立が生じたことを告白する。

 ダイモンの声は単に良心の声ぐらいのことをいうのか、それとも本当の神の声が聞こえるのか、あるいはそのような幻聴が生じるのかはさだかではない。この声についてはプラトンの『ソクラテスの弁明』にも、

 

 「すなわち、私には何か神と神格に関わりのあるもの(ダイモニオン)が生じるのです。そしてそれこそは、訴状においてもメトレスが茶化して書いたところのものなのです。それは子供の時以来私につきまとい、ある種の音声として生じるのですが、それが生じる時にはいつでも、それが何であれ、私がまさに行おうとしていることを私にやめさせようとするのです。それに対して、けっして何かをするように促しはしないのです。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.55~56)

 

と書かれている。最後の「それに対して、けっして何かをするように促しはしないのです」の一文は、クセノフォンがダイモンの声が何かをするように促すと書いていることを意識したものか。

 クセノフォンがここで「ダイモニオンの反対」を持ち出すのは、明らかに神の声が聞こえると言う意味で、ダイモン(ダイモニオン)の性格については、プラトンとクセノフォントの間ではその解釈が大きく異なる。

 このダイモンの声の反対理由も、善と快とが同じものであるという『プロタゴラス』的なソクラテスなら、それほど無理のないないようだ。

 

 「そこでヘルモゲネスが『びっくりするようなことを、あなたはおっしゃいますね』というと、ソクラテスはまた答えたそうである。

 『神様にもぼくがもう生を終えたほうがよいと思われるということを、はたしてきみはびっくりするようなことだと思うのかね。今にいたるまで、ぼくはだれに対しても、その人がぼくよりも善く生きたということは認めたことがないということをきみは知らないのかね。というのもまさにこのこと、つまり自分が全人生にわたって敬虔に正しく生きてきたことを自覚しているということこそ、一番心楽しいことだからだ。だから、ぼくは自分自身に賞賛の念を強くいだいているし、このぼくと一緒にいる仲間たちもまた、ぼくについて同じ思いをいだいているのを見いだすのだ。

 ところが、これからもっと年を重ねて高齢になるならば、老年につきものの厄介をすべて背負い込むことになって、目も悪くなれば、耳も遠くなり、理解力も落ちれば、習ったこともすべて忘れやすくなるのは必然だということが、ぼくには分っているのだ。だが前よりも衰えた自分に気づき、ぼく自身を責めることになれば、どうしてぼくは─とかれは言ったそうであるが─これからも心楽しく生きていくことができるだろう。実際、おそらく─とかれは言ったそうである─神様もまた、ご好意からぼくのために、ちょうどよい年齢で生を終えるように取りはからってくださっているだけでなく、また最も楽に終えることができるように取りはからってくださっているのだろう。それというのも、もし今ぼくに有罪の判決が下されるなら、ぼくがつぎのような生の終わりを迎えることができるのは明らかだからだ。つまり、そのことを司る者たちによっては最も楽な終り方と判断され、親しい者たちにとっては最も面倒が少なく、また亡くなった者に対する最大の思慕の念を飢え付けるような終わりをね。だって見苦しいことも不快なことも、何一つとしてそばにいるものたちの思い出の中に残すことなく、健康な体と、人を気遣うゆとりのある心を持ったまま息を引き取れるとするならば、どうしてその人物が惜しまれずにいようか。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、1998、講談社学術文庫、p.211~212)

 

 後のプラトンなら、「敬虔に正しく生きてきたことを自覚しているということこそ、一番心楽しいことだ」というのを精神的な快楽とし、これに対し老いから来るさまざまな不快は肉体的なものとして区別したいところだろう。

 しかし、ここでソクラテスは、この二つの快と不快を同一次元で秤にかけている。この考え方は初期プラトンの著作『プロタゴラス』のソクラテスなら違和感はない。ある意味で、ソクラテスのこの発想は安楽死の発想でもある。つまり、死に伴う苦痛を最小限にすることが単に快というだけでなく、同時に善でもあるという発想である。

 こうした快楽計算のわかりやすさは、不確定な死後の世界を考慮しなくても、あくまで現世の快楽と苦痛との収支だけで計算できるという点にある。

 これに対し、プラトンの『ソクラテスの弁明』では、死後の快楽を計算に入れている。

 ここではまず、ソクラテスはダイモンの声が私が死にに行くことを止めなかったことに対し、それを神が死を良いものだとする証拠だとし、こう言う。

 

 「すなわち、死んでいるということは二つのうちのどちらかなのです。つまり、死んでしまったものは、何ものでもないかのように、いかなるものに対しても何一つ感覚をもたないか、さもなければ、言い伝えどおり、死とはまさにある種の移住、すなわち魂がこの世から他の場所へ引っ越すことなのです。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.80~81)

 

 そして、前者に対しては、それは大変な儲けものであり、

 

 「もし人が夢さえ見ないほど熟睡した夜を選び出した上で、自分の人生におけるそれ以外の昼夜を選び出し、その夜と比較考量した上で、自分自身の人生の中でどれだけの数の昼夜をその夜よりも快適に過ごしたことがあるかを言わなければならないとすれば、思うに、誰か一般の市民は言うに及ばず、あのペルシャ大王でさえもそうした昼夜がそれ以外の昼夜に比べて数えるほどしかないのを見出すでしょう。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.81)

 

と言う。そして後者に対しては、言い伝えによれば、今まで死んだ人全部かそこにいるのだから、過去の有名な賢者や英雄にも会うことができるし、

 

 「かれらとあの世で対話を交わしながらともに時を過ごし、吟味することは無上の幸福ではないでしょうか。」大王でさえもそうした昼夜がそれ以外の昼夜に比べて数えるほどしかないのを見出すでしょう。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.83)

 

と言う。別に自分自身の死生観を言うわけではなく、世間で一般に言われるような二つの説に対して、どちらにしても悪くないと言うだけで、ここではまだプラトン的な霊魂不滅の思想は説かれていない。その意味でもこれは、ああ言えばこう言う的なソクラテスらしい発言だし、おそらく実際にソクラテスが言ったことだろう。

 それに、法廷でのこういった死をも恐れぬふてぶてしい発言は、陪審員の憎悪を煽り立てるには十 分だし、それにまた死を善とすることは生を悪とすることにもつながり、この価値観の転換は殺人を正当化する、いわゆるポアの論理にもつながる。

 おそらくプラトンはソクラテスのこの発言について、困惑し、あれこれ悩んだ上で別の解釈に至ったのだろう。ソクラテスは口から出まかせにあんなことを言ったのではない。何か最後に重要なメッセージを伝えようとしたのだろう、と。

 そして、このことはソクラテスが生前に説いていた快楽の算術だけでは説明できない、死に対し単なる快楽を超越した性格を見出したのではないかと考えるようになった。そこから、霊と肉との二元論に至り、魂の善は肉体の快楽を超越したものとなり、霊魂不滅を信じ、イデア論に集大成されることになった。

 しかし、クセノフォンは単純に生前のソクラテスの説に従っていた。そのため、ヘルモゲネスから聞かされた最後の快楽計算で納得したのだろう。

 

 「だから無罪になるための方策をあらゆる仕方で摸索すべきであると我々に思われた時、ぼくが弁論の仕方についてあれこれ検討することに神々が反対されたのは正しかったのだ、とかれは言ったそうである。というのも、ぼくがそれを実行していたならば、もう生を終える代わりに、病気あるいは老いに苦しめられながら生を終える用意を整えることになっていただろうからだ。その老いの淵というものには、辛くて心を陽気にさせるところなどひとかけらもないことのすべてが、一まとめに流れ込んでいるのだ。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.212)

 

 老いの苦しみというのは、わが国でも和歌や俳諧などの風雅の道に盛んに扱われてきたテーマであり、かつては洋の東西を問わず普遍的なテーマだったのだろう。

 ただ、最近ではあまりに医療が進歩し、誰もが老人になるまで生きながらえるようになっただけでなく、健康で、苦しみも少なく、孤独でもない老後の生活が開かれると、むしろ老いの苦しみを若い世代に向って訴えるよりも、同じ老人同士でともに老後を楽しく生きようと励ましあうことの方が多くなり、文学のテーマからはすっかり姿を消すことともなった。

 老いをネガティブに捉えるのではなく、むしろこれから老いてゆくことを楽しみにするといったような発想は、今の医療水準だから成り立つといっていい。しかし、もし若者が若いまま次第に体が動かなくなってゆく病気に犯されたとしたら、それはやはり悲劇だろう。同じことが年を取って起こったからといって、悲劇でなくなるわけではない。

 悲惨な現実の中で頑張ろうと励ましあうことはたしかに必要だが、ただ、そのことで悲惨な現実そのものから目をそらしてしまうなら、そんなものはたいした哲学とはいえない。

 

 「ゼウスにかけてけっして─とかれは言ったそうであるが─、ヘルモゲネス、ぼくはそうしたものを少しも欲してはいないのだ。そしてもしぼくが神々ならびに人間たちから得たと信ずる美しいことのすべてと、自分自身についていだいている見解を披瀝すると裁判官たちの不興を買うというのであれば、生きながらえることを自由人にふさわしくない仕方で懇願して、死に代えてずっと劣悪な生を手に入れるよりは、むしろ死ぬことを選ぶだろう。』」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.213)

 

 このあたりで、ようやくソクラテスの本音が見えてきたといっていいだろう。

 生というのが価値をもつのは、自由だからであり、誰かの奴隷となって、誰かの快楽に奉仕するために生きるなんてのは人間の生き方ではない。自分自身の快楽のために生きてこそ人間なのである。そして、ソクラテスにとって、快楽は真や善や美とちがう観念ではない。「美しいことのすべて」も「自分自身についていだいている見解の披瀝」も、そのあとの隷属的な人生と秤にかけなければならないのである。

 ソクラテスがアテナイで自由に生活ができたのは、たくさんの弟子や信者の好意によるもので、法廷でその間違いを認め、命乞いをするということになれば、ソクラテス自身の生活の手段が奪われることになる。

 何よりもソクラテスが恐れたのは、ソクラテスの神のお告げというのは間違えだらけだったと言われることだろう。多くの人がソクラテスの周りに集まり、その言葉を聞き、お礼の品物を持ってくるのは、ソクラテスが神の声を聞く人で、今まで間違ったことがないしこれからも間違いないと信じているからであり、その信用が揺らいだら、ほとんどの人はソクラテスのもとを去ってゆくにちがいない。

 特に難しいのは、今回の告発という事態をソクラテスが予期できなかったと思われることを避けねばならないと言うことだ。こうなる前に神のお告げはなかったのか、なかったとすれば本当に神の声を聞く能力があったのだろうか、ということになる。だから、ソクラテスにとって、この告発は予想されていたものでなければならなかった。だからこそ、弟子たちの前では、これがすべて予測されていたことであり、有罪になり、死刑になることも、神の意志だとしなければならなかった。そうでなければ、ソクラテスは神格を失うことになる。

 もちろんソクラテスが神の声を託された人でなくなったとしても、何人かの親しい友人はソクラテスのもとに残るものもいるかもしれない。それでも生活は今よりはるかに質素になり、もはや表に出ることのない隠居生活が待っているし、そして、弟子たちとの関係も逆転し、ソクラテスが弟子たちに恩義を感じなければならない生活になる。(このことは、有罪確定後にクリトンの勧めに従い亡命生活をしたとしても同じことだろう。)

 人間関係というのは、より多くのものを与えた方が優位に立つ。つまり「貸しを作る」ことができる。人間が他の人より優位に立ち、人間関係のしがらみに煩わされることなく自由に生きるには、常に自分が他の人たちに多くのものを与える立場にいなくてはならない。それが友人の善意にすがってやっとのことで生きる立場に転落すれば、今までの自由は一切失われることになる。

 それを考えるなら、裁判では真っ向勝負で無罪の主張を貫くしかない。有罪を認めたうえでの情状酌量を願う戦術を取ることはできない。そして、負けたときにはもはや死以外にない。その覚悟もしなければならなかった。

 ソクラテスがもし単なる哲学者で、自分の命以上に学的真理そのものが大事だったなら、自ら死を選ぶ必要はなかっただろう。ガリレオ・ガリレイのような態度をとったとしても、後世の人はさほど非難はしなかっただろう。ここで死ねば、今時分の頭の中にある学説は永久に消え去る。そう思うなら、多少妥協してでも生き延びて、学的研究を続ける道を選んだだろう。

 このあたりでソクラテスにとって何が本当に大事だったかがわかる。つまり命と引き換えにする価値のあるものというのは真理ではなく、自由だったのである。誰にも隷属することのない精神の自立を維持することが最も大事なことであり、隷属的な人生を送るくらいなら死を選ぶとところがソクラテスだったのである。

二、ギガレゴリア

 「ヘルモゲネスの言うところによれば、ソクラテスはそのような考えをいだいていたので、原告たちがソクラテスは国家が崇める神を崇めず、別の新奇な神格を導入するとともに若者たちを堕落させているとしてかれを弾劾した時にも、前に進み出てつぎのように言ったそうである。

 『いや諸君、私としてはメレトスに関して、まずつぎのことに驚いているのです。つまり、一体彼は何によってそのことを知って、国家が崇めている神を私が崇めていないと主張しているのかということにです。と申しますのも、国全体のお祭りに際して、また公の祭壇に私が犠牲を捧げているところを、たまたま通りかかった他の人たちも見ていますし、メレトス自身も、もし見たいと思えば見ることができるからです。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.213)

 

 メレトスはソクラテスの告発者の一人。ここはメレトスの「国家が崇める神を崇めず、別の新奇な神格を導入するとともに若者たちを堕落させている」という告発を受けての弁論となる。とはいえ、クセノフォンの記す内容は、かなり簡単であり省略されている。やはり、実際その場に居合わせず、ヘルモゲネスからの又聞きのため、それほど詳しくは知らなかったようだ。

 この点に関しては、プラトンの『ソクラテスの弁明』はかなり詳しい。ただ、注意しなければならないのは、プラトンの脚色がないかどうかだ。つまり、いかにもこの手の訴訟に慣れているかのような理路整然とした、いわばいかにもソフィストらしいソフィスティケイトされた弁論をしているところは気にかかる。

 プラトンなら、十分こうした弁論の脚本を書くことができただろう。実際、『プロタゴラス』での前半のプロタゴラスの弁論は見事だし、この種のソフィストの真似はお手の物だっただろう。

 (しかし、よく読むと、このプラトンのソクラテスは、若者の教育と馬の調教を一緒くたにするという、結構とんでもないことを言っている。馬の調教は馬のもって生れた性質を無視して人間の役に立つようにしなくてはいけないから、一部のすぐれた調教師を必要とする。しかし、人間は人間としての性質を持って生れているのだから、それを曲げて別の性質を叩き込むような一部の人間は若者を堕落させるだけなのである。こんな弁論こそ、まさに馬脚を現わすというところだろう。)

 そのプラトンの『ソクラテスの弁明』には、このヘルモゲネスの伝える「国全体のお祭りに際して、また公の祭壇に私が犠牲を捧げているところを、たまたま通りかかった他の人たちも見ていますし、メレトス自身も、もし見たいと思えば見ることができるからです。」に相当する箇所は見られない。もし、ヘルモゲネスもクセノフォンも嘘を言ってないとすれば、プラトンは実際のソクラテスの弁論のこの部分を聞き逃したか、それとも故意にカットしたかということになるだろう。

 弁明の仕方としては、たしかにこなれた感じはしない。しかし、議論を卑俗な次元にもって行くやり方は、いかにもソクラテスらしい。

 

 「実際また、新規な神格と称するものにしても、何をなすべきかを示す神の声が私に現れると述べるだけで、どうしてそれを導入していることになるのでしょう。というのも、鳥の鳴き声や人間の発する言葉を用いる者たちもまた、たしかに声を頼りに判断しているからです。雷鳴について、音を立てていないとか、最大の予徴ではないかといって問題にする人が誰かいるでしょうか。そしてピュートーの地で三脚の座にまします巫女ご自身もまた、声によって神のお告げを伝えられるのではないでしょうか。いや実際また、神様はこれから起こることをあらかじめ知っておられ、お望みのものに対してあらかじめ示されるということ、このことについてもまた、まさに私が主張するとおりに、すべての人が語りもすれば、そう見なしてもいるのです。しかし、そのあらかじめ示す者を人々が鳥や発せられた言葉や徴や占い師と名付けているのに対して、私はそれを何か神格に由来するもの(ダイモニオン)と呼ぶのですが、そのように名づけることによって、私のほうが、神々にそなわる能力を鳥に献呈する者たちよりも、真実かつ敬虔に語っていると思うのです。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.213~214)

 

 この弁明は、ソクラテス裁判の一番の核心にふれるものだろう。同じような内容を、クセノフォンは『ソクラテスの思い出』の最初の部分でも示している。つまり、ソクラテスが神の声を聞くというのは、鳥の鳴き声や雷鳴で占ったり、巫女が神託を述べるのと何ら変わらないものだと言うのだ。しかし、よく読めば、それよりも直接神の声を聞くわけだから、より「真実かつ敬虔」だと言うのである。

 おそらくソクラテスの訴状で一番問題だったのは、この点だろう。一般的な占いは、神の声を直接聞くわけではない。ただ、神の示した兆候にしたがって、あくまで人間がそれを解釈するのである。ここに、はっきりと人間と神との距離が置かれている。つまり、占いは神の声そのものではなく、人間の解釈を経ることで相対化され、神意が絶対的な拘束力を持つのをも免れる。つまり、神託者が直接政治上の重要な問題を決定したりすることをふせぐことができる。

 鳥や雷のような形での神の予兆は、基本的には無言だし、それを言葉に翻訳するのは、あくまで人間にすぎない。つまり、その言葉は神の言葉そのものではない。巫女が神託を行う場合でも、通常はトランス状態に入り、いわば巫女に乗り移った別人格の形で表される。つまり、そこに巫女自身の意志が働いていないということにおいて、神託は価値をもつことになる。しかし、ソクラテスが神の声を聞くという場合、そうした神とソクラテスとの距離がまるで存在しないのだ。

 人間は神ではないし、真意そのものは知りえない。ただ人間は神の示した徴候に対して解釈することができるだけであり、それゆえ、神の啓示といえども絶対的な力はない。ソクラテスは、この人間と神との距離を脅かすという点で警戒されたのではなかったか。ソクラテスの聞いた神の声が、人間ソクラテスの解釈を経たものではなく、神そのものの声として絶対化されるなら、国政の重要事項もソクラテスの一存で決まってしまいかねない。つまり、ソクラテスが事実上の生き神様になってしまうことが問題なのではなかったか。

 しかし、この部分もまた、プラトンの『ソクラテスの弁明』には見られない。こうした弁論はクセノフォンの創作だったのか、それともプラトンが意図的にカットしたものなのか。

 プラトンの『ソクラテスの弁明』は奇妙なことに、メレトスの訴状が「国家が崇める神々は崇めないように教え、他方では新奇な神格を崇めるように教えていることによって(若者たち)堕落させている」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.38)と言っているにもかかわらず、ソクラテスが、

 

 「きみがぼくを訴えているのも、まさに別の神々を崇めているというその点にあるのか、それとも、きみはぼくが自分自身まったく神々を崇めてもいないし、自分以外の人間にもそう教えていると主張するのか、そのどちらなのかをね。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.39)

 

と言うと、メレトスはあっさり、

 

 「そのこと、つまりまったく神々を崇めていないということを言っているのだ。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.39)

 

と答えてしまう。

 つまり、ここでは神と人間との関係(距離)が問題なのではなく、有神論か無神論かの問題にすりかわっている。この展開には、明らかに無理があるし、私にはこの場面はプラトンが意図的に問題点をすりかえたようにしか見えない。

 確かにこの方が、ソクラテスの弁護はしやすくなる。つまり、メレトスはソクラテスの思想をまったく理解せず、アナクサゴラスと混同してソクラテスを非難しているだけの間抜けなキャラにすることができる。

 

 「ゼウスにかけてけっして、裁判官諸君。この男は、太陽は石で、月は土くれだと主張しているのですから。」

 「親愛なるメレトスよ。きみはアナクサゴラスを告発しているつもりかね。そしてきみはこの人たちをひどく馬鹿にしていて、クラゾメナイ出身のアナクサゴラスの本がそのような説でいっぱいだということを知らないほど、この人たちが文字に親しんでいないと思っているのかね。‥‥略‥‥」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.39~40)

 

 これだと、いかにもメレトスがいい加減な訴状を書いて、ソクラテスを死刑に陥れようとしているように見えるし、それに気づかないほど裁判官(陪審員)たちは馬鹿だということになる。ソクラテスはアテナイ後期の衆愚政治の被害者であり、アテナイ市民のレベルはその程度のものだったということになる。しかし、それこそがプラトンの意図するとこだったのではなかったか。つまり民主主義を否定し、哲人独裁政治へと傾いてゆくプラトンの、一つの原初的衝動だったのではなかったか。

 今日では確かに無神論は市民権を得ている。当時のギリシアにもそうした人はいたし、疑り深い人間というのは、はっきり言っていつの時代にもいるものだから、無神論自体はそれほど大きな罪ではない。しかし、自分が神だと言い、生き神様になって権力を握ろうとする人間はそれ以上に警戒される。無心論はそれ自体としては権力を奪取するわけではない。しかし、自分が神だと称することは、それ自身現世の王だと宣言するようなものである。罪としては後者のほうが重いし、世間もまたそうしたいかがわしい宗教家には敏感に反応する。

 プラトンがソクラテスを弁護する時、クセノフォンのように馬鹿正直にソクラテスの言ったとおりの弁明をするよりは、ソクラテスを生き神様よりは罪の軽い無心論者の容疑をかぶせられたことにしたほうがいいと判断したとしてもおかしくはない。それがプラトンの賢さであり、ソクラテス以上の狡猾さかもしれない。

 ソクラテスはむしろこのとき死刑になることを望んでいた。もしプラトンを弁護士につけて弁護させたなら、こうした弁明をしたかもしれない。しかし、このときソクラテスにとって、自己弁護をするというよりはむしろ、高らかに自分が神に等しい存在だと宣言することによって、陪審員の憎悪を掻き立てることが問題だったとしたら、真っ向から自分が神の声を聞く人間であり、いかなる占いや巫女の神託よりも、自分の言うことの方が神の真意に近いということを高言してはばからないのは当然だ。まさにこれこそがメガレゴリアだ。この言葉はこう続く。

 

 「いかにも私が神様について偽りを述べてはいないということ、そのことについてもまた、私には証拠があります。それというのも実際、私は親しい者の多くに神様からの助言を伝えたのですが、これまで一度も間違いであったことが判明したことはないのです。』」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.214)

 

 ここまで来ると、メガレゴリアどころかギガレゴリアかテラレゴリアと言ってもいいかもしれない。自らの言ったことに何一つ間違いはなかった。それはまさに自分を神だと高言しているようなものだ。これを聞いたら、今まではソクラテス肯定派だった陪審員も、「こいつ本当に頭の方は大丈夫なのか」と思っただろう。

 しかし、このことは同時に、自分自身を追い込んでゆく。今まできいた神の声が間違いなかったなら、この裁判にかけられるということ自体も、当然神は告げていなければならなかった。自分の命の危機も含めて。

 

 「さて、以上のことを耳にして裁判官たちが騒ぎ立てた時─そのある者たちは語られたことに対する不信の念をいだき、またある者たちはソクラテスが神々からもまた自分たちより大きな恩恵を得ているというのを妬んで─、ソクラテスは今一度つぎのように言ったそうである。

 『さあそれでは、皆さんのうちでだれでもそうしたい方は、私が神格によって重んじられてきたということに疑いの気持ちをいっそうお持ちになるように、他のことも聞いてください。それというのは、カイレポンがかつてデルポイで私についてお伺いを立てたとき、アポロンの紙は大勢の人のいる前で、人間の中でこの私よりも自由な人間もいなければ正しい人間もおらず、節度に満ちた人間もいない、と答えられたのです。』」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、1998、講談社学術文庫、p.214~215)

 

 「妬んで」というのは、熱烈な信者であるクセノフォンの解釈だろう。ソクラテスが生き神様であることを疑うのは、ソクラテスが神に選ばれ、愛されていることに対する妬みだというのだ。

 デルフォイ(デルポイとも言う、現在はデルフィ)の神託は、アポロン神を祭ったデルフォイ神殿の巫女が、トランス状態で神託を行うもので、当時は硫黄が噴き出していたというから、どこか恐山に似たところがあったのかもしれない。

 ここでは、別にソクラテスが神だという神託が下ったわけではない。しかし、このクセノフォンの『ソクラテスの弁明』では、プラトンの言うような「無知の知」に関する記述は登場しない。「無知の知」は、このアポロン神殿に「汝自身を知れ」という文字が刻まれているところから、プラトンが創作したものではなかったか。ここではむしろ、ソクラテスがいかに正しく、間違いのない人間かということの例証とされてゆく。そのため、陪審員(裁判官)たちはさらに動揺することになる。

 

 「そこでまた裁判官たちがそれを聞いて、当然ながらいっそう騒ぎ立てた時、再びソクラテスは言ったそうである。

 『しかし諸君、ラゲダイモン人のために法律を制定したリュクルゴスについて、神様は私について言われたよりももっとすごいことを神託の中で言われたのです。すなわち、伝えられるところでは、彼が神殿に入ってゆく時、こう話しかけられたそうです。『私はお前を神と言うべきか、それとも人間と言うべきかを思案しているのだ』と。それに対して神様は私を神に比せられることはなかったのですが、人間たちよりははるかに優れていると評価されたのです。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.215)

 

 リュクルゴスはスパルタの法制度を作ったとされる人物で、なかば伝説とされている。しかし、別にソクラテスはリュクルゴスを讃美するわけではなく、単に自分の受けた神託はリュクルゴスにくらべればたいしたものではないというもので、暗に自分に対する神託の物足りなさを語っている。

 ただ、ソクラテスは、「人間の中でこの私よりも自由な人間もいなければ正しい人間もおらず、節度に満ちた人間もいない」という言葉を単に人間の中でナンバーワンという意味にではなく、神ではないが人間以上の存在だという意味に解している。これもギガレゴリアといっていいだろう。

 

 「とは言うものの、皆さんはそのことについて、闇雲に神様の言葉を信じるのではなく、神様が言われたことの一つ一つについて逐一考察してください。実際、皆さんはだれがこの私よりも肉体の欲望に隷従するところが少ないか、ご存知でしょうか。また人間の中でだれがこの私よりも自由人らしいか─私はだれからも贈り物を受け取らなければ、謝礼も受け取らないのですが─をご存知でしょうか。あるいはまた皆さんは、有りあわせのもので間に合わせるものよりも─その人は自分のものでないものは何一つ余計に必要としないのですから─、だれをもっと正しい人物であると正当に見なすことができるでしょうか。またつぎのような人を知恵があると言って、どうして正当でないことがありましょうか。つまり私がそうであるように、語られたことの意味を理解することができるようになった時以来、自分に理解しうるかぎりの有益なことを探求し学ぶことをけっして中断しなかった者のことですが。そしてつぎの事実こそ、私が無駄な骨折りをしなかったということの証拠であると皆さんには思われないでしょうか。すなわち、得を得ようと志す多くの国民と外国人の多くが、何にもましてこの私と交際することを望んでいるという事実です。』(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.215~216)

 

 ソクラテスに下った神託そのものが何やら疑わしいのだが、そうした陪審員の疑念を逆なでするように、それを信じるだけでなく、実際にこの私を見て確かめてみろ、その通りではないかと言うのである。

 もっとも、「肉体の欲望に隷従するところが少ない」というのは、必ずしも禁欲的であるという意味ではない。ソクラテスが求めたのは、快楽が悪であるとして、それを禁ずることではない。むしろ快楽は善であり、快楽と苦痛とをきちんと秤にかけて、最大限の快楽を得られるように計算することを説いたのであって、こうした計算がきちんとできるということが肉体の欲望をコントロールすることであり、欲望に隷従しないことであった。その点では、驚くほど近代的だった。

 「人間の中でだれがこの私よりも自由人らしいか」というときの自由は、他人に対して負い目を持っていない、借りを作っていない、つまりしがらみに縛られていないという意味での自由と解した方がいい。ソクラテスはこの自由に多くの価値をおいていた。ただ、本当に贈り物や謝礼を受け取ったことがなかったかどうかは大いにあやしい。むしろ、負い目になるような、人に借りを作るような贈り物や謝礼を貰ったことがないというべきであろう。つまり、自分の貰ったものよりも与えたものの方がつねに大きいということが言いたいのである。

 「有りあわせのもので間に合わせる」というのは、「自分のものでないものは何一つ余計に必要としない」ということだが、実際には、働かなくてもものに不自由しない身分であれば、そんなに難しいことではない。むしろ想像力を刺激するような新奇なものに心が動かないというのは、かえって頭が固く、保守的で、美意識が欠如していると取れなくもない。

 また、知恵があるといっても、「自分に理解しうるかぎりの有益なことを探求し学ぶことをけっして中断しなかった」という意味で、この「自分に理解しうるかぎり」がどの範囲かという問題はある。ソクラテスは数学や天文学のような科学には興味がなかったし、おそらくそうしたものは苦手だったのだろう。弁論術もできたとは思えないし、できたのは詭弁で相手をはめるような、いわば言葉の喧嘩術だった。ただ、ソクラテスが聡明だったのは、世間的な道徳観念に囚われず、人間の本性を鋭く見抜いていたことで、だからこそ快楽を否定することもなかったし(プラトンは後に否定した)、それをきわめて現世的に計算するすべを知っていた(プラトンは結局霊魂不滅を信じ、来世での神の裁きでもって現世の不条理を埋め合わそうとした)。

 「私が無駄な骨折りをしなかった」というのは、結局ソクラテスが特に働かなくても十分な生活を送ることができたことで、「交際」とは言うものの、実際は信者にさせて、貢がせていたと考えたほうがいい。

 

 「またあのこと、つまり私にはお返しにあげるような財産はほとんどないということをだれでも知っているにもかかわらず、多くの人が私に贈り物をしたがるということの原因は、いったい何だとわれわれは言うべきでしょうか。あるいは私はだれにもお返しを求められていないにもかかわらず、多くの人が私に感謝の念を表わさなければならないと感じているのはなぜでしょうか。あるいは国が包囲されている間、他の人たちは自分自身を情けなく思っていたのに対して、私は、この国が最も栄えていた頃に比べて何一つ不自由を感じることなく暮らしていたのはなぜでしょうか。また、他の人は多くのお金を出して市場から快適に暮らすための贅沢品を調達するのに対し、私のほうはお金をかけることなく、いわば自分の心の倉からかれらよりももっと快適な状態をつくり出しているのはなぜでしょうか。いかにも、誰一人として私が自分自身について述べた限りのことをはんぱくして私が嘘をついていることを示すことができないとするならば、今や私が神々と人間たちによって称えられるとしても、どうして当然でないことがありましょうか。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.216~217)

 

 こうした高言が事実で、クセノフォンだけでなく当時多くの人がこのメガレゴリアに興味と持ち、いろいろと書いていたとするならば、一体プラトンの描く「無知の知」を知る謙虚なソクラテスは何だったのかということになる。

 おそらくプラトンの『ソクラテスの弁明』は、こうした噂話が一段落し、やや人々の記憶から遠のき始めた頃、記憶の書き換えを狙った、いわば情報操作ではなかったか。

 

 「しかし、それにもかかわらず、メレトス、そのようなことにいそしんでいる私が若者たちを堕落させていると、きみは主張するのかね。たしかに、若者たちの堕落にどのような形態があるのかわれわれのほうは知っているけれども、きみはだれかつぎのような人間を識っているかどうか言ってくれたまえ。すなわち、ぼくによって敬虔だったのが不敬虔に、慎み深かったのが傲慢に、質素に暮らしていたのが浪費家に、ほどよく酒をたしなんでいたのが大酒飲みに、勤勉だったのがだらしなくなったり、あるいはまた他の邪悪な快楽に屈服してしまったものをね。』

 『いやゼウスにかけて、あなたが説き伏せて、親よりもあなたに従うようにさせた若者たちは私は識っているのだ』とメレトスは言った。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.217~218)

 

 これと似たような場面は、プラトンの『ソクラテスの弁明』にもある。ただ、メレトスの反応もその後の展開もかなり違っている。クセノフォンの記述の場合は、若者を堕落させたという主張に対し、ストレートに堕落した若者の実例を求める。これに対し、プラトンの場合は、ならば、誰が若者をより優れた人にしたのかと切り返す。

 

 「それでは今度はこの方達に、だれが彼ら若者たちをより優れたものとするのか、言ってくれたまえ。だって君はそのことに関心を持っているに相違ないからね。‥‥略‥‥ほら見たまえ、メレトス。きみは黙ったままで、言うことができないじゃないか。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、1998、講談社学術文庫、p.32)

 

 ここでその名前を挙げられないことで、メレトスに恥をかかせる。プラトンの書き方は、万事この調子だといってよい。つまり、訴えた人間をいかにも頭悪そうに描くのだが、なぜか陪審員は問い詰められて答えに窮しているようなメレトスに従ってソクラテスを死刑にしてゆく。

 こうした展開は、熱烈なソクラテス信者をだますことは出来ても、よく考えればかなり無理な展開であることはわかりそうなものである。実際、当時のアテナイ市民がそんなに馬鹿でなかった証拠はある。何よりも、プラトンの著作だけでなく、クセノフォンの著作もアリストファネスの著作もちゃんと保存して、後世に残してくれたからだ。

 これに対して、クセノフォンの描くメレトスは、ソクラテスの切り替えしにも臆することなく、多くの人を親の意見よりもソクラテスの意見に従うように仕向けた、それが堕落させたということだと、堂々と切り返す。

 

 「『同意するよ、教育についてのことだけどもね』とソクラテスは言ったそうである。

 『というのも、かれらはそのことにぼくが関心を寄せてきたことを知っているからだ。ところで健康に関しては、人々は両親よりもむしろ医者に従うだろう。また民会においても、アテナイ人のすべてが、きっと自分の親族に従うよりは最も思慮に満ちたことを言う者に従うことだろう。というのも、将軍職についてもまた、皆さんは父親や兄弟たちよりも、いや実際ゼウスにかけて皆さん自身よりも、戦に関することについて最も思慮に長けていると皆さんが考えるような人を選ぶのではないでしょうか。』

 『いかにもそのようにすれば、ソクラテス、有益だし、そのように見なされてもいるからだ』とメレトスは言ったそうだ。」

 『それでは、次のこともまた驚くべきことだとはきみには思われないかね。つまり、これ以外の行いに関しては、最も有能な者は平等な分け前にあずかるだけでなく、さらに顕彰されもするというのに、ぼくはと言えば、人間にとって最大の善、すなわち教育に関して最もすぐれているとある人々によって評価されているという、まさにその事実ゆえに、きみによって死刑を求められているとはね。』(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.218)

 

 ギガレゴリアもここまでくれば立派だ。私には、これこそがソクラテスだと思えてならない。

三、幸福な死

 「以上のことよりももっと多くのことがソクラテスとかれのために発言した友人たちによって語られたことは、明らかである。しかし、私は裁判裁判中に起ったことの一部始終を物語ることに賢明だったわけではない。神々に関して不敬虔の罪を犯してもいなければ、人間に関しても不正を行ってはいないことが人々の目に明らかになることをソクラテスが何よりも重視していたことさえ示せれば、それで満足だったのである。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.219)

 

 実際にこの裁判では、ソクラテスだけでなく、居合わせた弟子たちの何人かも法廷に立ち、ソクラテスの弁護をしたようだ。プラトンの『ソクラテスの弁明』も、ソクラテス自身の弁明というよりは、プラトン自身がソクラテスのために何らかの弁明を行ったか、またその時に言い残したことの、その反映と見たほうがいいのかもしれない。

 いずれによ、プラトンの『ソクラテスの弁明』にも、弟子たちの発言については記されてないし、もちろんメレトスの告発の言葉も記されていない。告発が終ったところから始まっている。その意味では、裁判の一部始終を記した資料は残されていない。

 二つの弁明はともに裁判そのものの客観的な叙述ではなく、あくまでソクラテスの無実を晴らすために、それぞれ自ら信じるままに書いたものと言っていいだろう。

 クセノフォンの方が、単純素朴にソクラテスのダイモンの声を信じ、ソクラテスの無謬性を信じていたとすれば、ソクラテス自身が弁明したとおりの論理をそのまま伝えるのは当然だろう。

 これに対してプラトンは、弟子の中でもきっての理論家であり、プロタゴラスの弁論の物真似くらいは容易にできたとすれば、むしろ論理が苦手だったソクラテスに代わって、ソクラテスの教えを一つの理論へと高めようという野心をいだくのも当然だった。

 そんなプラトンにすれば、ソクラテスの死に単なる安楽死を超えた何かすごい閃きがあったかのように見えたのだろう。自ら死を選んだのは、単なる快楽の算術ではなく、死自体にそれ以上の価値があったのではなかったか。そこから霊魂不滅を信じるようになった。

 一つ一つ論理を積み重ねて、体系的に蓄積してゆくことで世界を理解するタイプのプラトンに対し、ソクラテスの知というのは天性の閃きであり、直感的でそれでいて驚くほど的を射ていた。こうした閃きはプラトンにとっては永遠の謎でもあった。この二人の資質の違いは、サッカーでいうロジスタとファンタジスタの違いに似ている。それゆえにプラトンにとってソクラテスは神のような存在だったのである。

 ソクラテスの言葉をそのまま信じていたクセノフォンに対し、プラトンはソクラテスの言葉の背後にある何かに近づきたかったといってもいいだろう。それは神であり、不滅の霊魂であり、生れる前の記憶であり、最終的には「イデア」と呼ばれるものだった。プラトンはソクラテスそのものよりもダイモンに近づきたかったのかもしれない。しかし、プラトンにその声は聞こえない。ただソクラテスの言った言葉ややったことを解釈することでしか近づきえなかった。

 その意味で、クセノフォンは単なる信者だった。しかし、プラトンは自らその不可能な声を理論の力で手に入れようとしたところに、いわゆる形而上学の基礎を作ることとなった。そこに二つの弁明は真っ向から対立するものとなったのだろう。

 

 「他方、彼は死なずにすむように嘆願すべきだとは考えていなかったのであって、すでに自分にとって生を終えるべき時が来ていると見なしたのである。そしてかれがそのように認識していたことは、現に有罪の判決が下された時に、いっそう明瞭になったのである。というのも、まず第一には、刑の対案を申し出るように命じられた時、彼自身、申し出もしなければ、友人たちが申し出るのも許さないで、刑の対案を申し出ることは不正を犯したことを認めているもののすることであると、述べたからである。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.219)

 

 プラトンの『ソクラテスの弁明』では、「オリンピア祭で騎馬競争や、二頭立てだろうがそれ以上だろうが戦車競争で、賞をとった市民より」大きな「貴賓館でのもてなし」と「三十ムナ」の罰金を、「刑の対案」して申し出たことになっている。ただ、この点でもクセノフォンは別に嘘を言っているわけではない。

 ソクラテス自身は確かに「不正を犯したことを認めているもののすること」で、刑の対案を出すべきではないと考えただろう。ただ、裁判の慣習として刑の対案を出すのが慣わしだとすれば、実際には何も出さないわけにはいかない。そこで、とても刑とは思えないようなこの提案をするというのは理にかなっている。つまり、こんな馬鹿げた刑の代案は、常識で考えてとても刑の代案と言えるようなものではない。つまりクセノフォンのこのくだりはあくまで、まともな刑の代案を出すことを「彼自身、申し出もしなければ、友人たちが申し出るのも許さな」かったと読むべきであろう。

 実際、この代案なら、ソクラテスも納得しただろう。自分は神様のような存在であり、みんなに多くのものを与え続けていて、それが理由で告発されているのだから、その刑罰というのも、自分を盛大に歓迎し、感謝の意を示すものでなければならない。しかも、そうされたとしても、自分には負い目を感じるような理由はない。だから、その歓待への返礼は三十ムナで十分ということになる。

 人間の自由というのは、借りを作ってない、それゆえ恩義に縛られることがないというところに成り立つ。いくら法的に自由でも、多くの人に負い目を感じ、借りを返すようにせがまれ、人間関係のしがらみにがんじがらめになっていては、とても自由とはいえない。「借りをなくす」というのは、その意味でソクラテスの終生のテーマだったのだろう。借金をちゃらにする交渉術という意味でも、自由であるという意味でも。そして、結局そのことのためなら、死をいとわなかったのである。

 だから、逆の意味で、ソクラテスに贈り物をしたり、盛大にもてなしたりするというのは、ソクラテスに恩を着せ、貸しを作ろうという行為であり、これはソクラテスにとって罰だとも言える。そして、この罰に打ち勝つには、神様のようにふるまってそれ以上のものを与えるしかないのである。

 この人間関係のバランスシート(貸借対照表)こそ、プラトンが結局理解できなかったソクラテスの「徳」の本質だったのではなかったか。

 

 「つぎには、仲間たちがかれをひそかに牢獄から連れ出そうとした時にも従わず、ひょっとしてかれらがどこかアッティカの外の場所で死が足を踏み入れないような土地を知っているのかどうかとたずねて、かれらをからかったように見えたからである。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.219)

 

 アッティカはアテナイ(アテネ)のあるところで、アテナイの法律の支配地域。クリトンらはその北にあるテッタリア(テッサリア)への亡命を勧めた。当時は今のような近代的な警察機構があるわけでもなく、一応牢屋のようなところはあっても、プラトンの『クリトン』によれば、顔見知りで若干の袖の下でも渡せば簡単に入ることができたように書かれている。脱獄もまた金で解決できるような状態だったようだ。

 プラトンの『クリトン』だと、ここで今までアテナイの制度の恩恵を受け、アテナイの法律を守るように人に説いてきたのだから、その法律の決定には従うべきだ、ということを説くことになる。世間ではよく「悪法も法である、守るべきだ」という言葉が知られているが、この言葉の出典は知らない。

 ソクラテスは別にアテナイの法律が悪法だとは思っていなかっただろう。それくらい、アテナイの民主主義の申し子であり、アテナイでなかったなら、ソクラテスは教団を形成することすらできなかっただろう。

 そのため、当然よその地に移れば、ただの居候にすぎず、それこそ、

 

 「テッタリアでは、ご馳走でも食べるより他にすることがあるだろうか。それではまるで、食事のためにテッタリアへ亡命したようなものではないか。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.156)

 

ということになる。

 人の世話になって無駄飯を食ってたって、人は自由になれない。恩義に縛られて奴隷に転落する。人のお世話になっても、それ以上の与えられるものを自分自身いつも持ってなくてはならない。それがなければ生きている意味はない。

 人はいつか必ず死ぬ。どこへ逃げても死から逃れられるわけではない。人はみな死刑囚であり、牢獄の中で自由を求めてもがいている。そして、一瞬でも自由になれる瞬間があったら、きびしい世間のプレッシャーを振り切ってフリーになれる瞬間があれば、ゴールはもうすぐそこだ。その歓喜の内でなら死んでもいい。足りないものは何もない。ソクラテスは獄中でも、あのアルベール・カミュが描く不条理の英雄ムルソーのように幸福だったにちがいない。

 ソクラテスは幸福なまま死を迎えたかった。せっかく獲得した自由をみすみす捨てて、奴隷に逆戻りして死にたくはない。よく仕事一筋の男が定年退職したら、生きる理由を見失ってあっけなくぽっくりといったりするが、ソクラテスがテッタリアに行っても、おそらく長くは生きられなかっただろう。

 

 「さてソクラテスは以上のことを延べ終えると、語られたことにいかにもふさわしく、瞳も、姿勢も、歩みも、燦然と輝くばかりの様子で退場した。だが、彼の後ろについてきた者たちが泣いているのに気づくと、かれはつぎのように言ったそうである。

 『いったいどうしたのかね。きみたちは今になって、泣いているのかい。だって君たちにはずっと前から分っていたのではないかね。ぼくは生れたその瞬間から、自然によって、ぼくに死刑が宣告されていたのだということがね。いやたしかに、これがもし、これから善いことが押し寄せてくるというのにぼくがそれよりも先に死ぬというのだったら、ぼくにしても、ぼくに好意を寄せてくれている者たちにしても、悲しんで当然だろう。

 だがぼくの思うところでは、これからもろもろの辛いことが予想される時にぼくが生を終えるのは、ぼくにとって幸いであると考えて、きみたちは皆喜んでくれなければいけないのだ。』」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.221~222)

 

 そう、人は生れた時からみな死刑囚だ。有限な大地に無限の生命を育む力はない。生きとし生けるものはみな生き残るため、子孫を残すために争い続けなくてはならない。定員のある世界では、子供の椅子取りゲームのように、必ず誰かが排除され、殺されてゆく。自分が裁かれる前に誰かを裁く。自分が死刑になりたくないから、誰かを死刑に値する罪だと告発する。

 それはアテナイの民主主義の欠陥などではなく、およそすべて人間の社会にあって普遍的な性質だ。今の日本のこんな豊かな社会でも、子供の間のみならず、大人な社会でも陰湿ないじめがなくなることはない。誰かが仲間はずれにされ、生きる手段を奪われ、自殺したり犯罪に走ったりする。

 ソクラテスが自らの告発者を恨まなかったのは、おそらくそこまで見通していたからだろう。それが生存競争、天の掟なのだ。

 これから善いことが押し寄せるなら、今死ぬのは損だ。それは悲しい。それは快楽の算術から導かれる一つの考え方だ。しかし、今の時点では損はない。ならば悲しむことではない。それは最後の強がりかもしれない。だが、だからといって泣くなというのは無理な話だ。なぜなら、悲しいのはソクラテスが損をするからではない。ソクラテスと二度と会えなくなることが、残されたものにとって損失だからだ。

 

 「ところでその場にアポロドロスとかいう名の者がいた。彼はソクラテスの熱烈な崇拝者だったが、とても素朴な男だったのでつぎのように言った。

 『しかし、少なくとも私にとっては、そのこと、つまりあなたが不当な裁きのゆえに亡くなられるのを見るのは、この上もなく辛いことです。』

 それに対してソクラテスは、彼の頭をなでながら言ったそうである。

 『親愛なるアポロドロスよ、きみはぼくが不当の裁きの結果死ぬのを見るよりも、正当な裁きの結果死ぬのを見るほうがよいのかね』と。そしてそう言いながら、微笑したそうである。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.222)

 

 屁理屈を言っているようにも見えるが、よくよく考えると、果してこの世に正当な裁きなんてものがあるのだろうか。神が裁くのではない。あくまで裁くのは人間である。生存競争に勝ち残るため、誰かを裁き、排除しなければならないとすれば、どんな理由をつけてもこの世に正当な裁きなんてものはない。

 

 「またアニュトスが傍らを通り過ぎるのを見て、言ったそうである。『ほら、この男はぼくを殺せば何かたいそう立派なことを成しとげたつもりで、得意になっているのだ。それというのも、彼が最も重要な仕事に値する人物と国家によって評価されているのをぼくが見て、息子に革なめしの類のことを教え込むべきではないとかれに言ったからだ。ぼくたち二人のうち、永遠にわたってより有益で立派なことを成しとげた者、その者こそが真の勝者であるということさえも知らないように見えるとは、なんてこの男は邪悪なやつなのだろう。いや実際、─とかれは言ったそうであるが─ホメロスもまた、生を終えようとしている幾人かの者に対してこれから起こることについての知を寄進しているが、私もまた少し予言しようと思うのだ。というのも、ぼくはかつて短い時間だったけれどもアニュトスの息子とともに過ごしたことがあるのだが、かれがその精神的能力において劣っているとはぼくには見えなかった。だから、ぼくは主張するのだが、彼は父親がかれにあてがった奴隷向きの仕事にずっととどまりはしないだろう。だが、だれもまじめに彼のことを心配してくれるものがいないために、何か醜い欲望に走って、邪悪の道をはるか遠くまで進むことだろう。』」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.222~223)

 

 アニュトスはアテナイの政治家で、三十人政権という寡頭体制の打倒に大きな役割を果たしたという。その点では民主派の有力人物だった。ただ、息子の教育に関しては評判が悪かったのだろう。

  アニュトスはプラトンの『メノン』の中でも息子の教育についての談義をしている。ここではアニュトスは大のソフィスト嫌いで、

 

  「冗談じゃない、言葉をつつしみなさい、ソクラテス。いやしくもこの私にかかわりのある者なら、身内の者であれ、友人であれ、この都市の者であるとよそ者であるとを問わず、あんな連中のところへ行って害毒を受けるような狂気の沙汰は、絶対に誰にもさせたくない。実に彼らこそはまぎれもなく、ともに交わるものたちに害毒をあたえ、堕落させる連中なのだから。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、一九九四、岩波文庫、p.87)

 

と言い放つ。ソクラテスもその一人にされてしまったのだろう。

 おそらくアニュトスというのは疑い深く、人を信じない人間だったのだろう。だから息子の教育についても、当時の名士の家では普通に行われていたように体育術や騎馬や武術を習わせたり、算術や医術や天文学の教師をつけたりすることもなく、唯一自分に教えられる家業の皮革業に息子を縛り付けていたのだろう。

 そのため、才能はあって、いろいろなものに興味を持つ年頃なのに、退屈な革なめしの修行に縛り付けられ、友人も少なく、視野も狭くなってゆく。これではグレてもしょうがない。

 世間的には成功した親でも、成功しただけに自分の価値観を息子に頑強に押付けてしまい、他人が息子に近づいて影響を与えるのを嫌う。息子が何をしたがっているのか、何になりたがっているかに興味がなく、ただやみくもに自分の課した課題に答えることだけを求め、息子を追い詰めてしまう。今でもありがちなことだ。

 ソクラテスのこの予言は的中することになるが、おそらくソクラテスだけでなく、世間の誰もがそう思っていたのではなかったか。

 

 「このようにソクラテスは語ったが、彼の予言は嘘ではなく、その若者は酒に溺れて夜も昼も飲むことをやめず、ついには、自分の国にとっても友人にとっても、また本人自身にとっても何の取り柄のない人間になってしまったのである。アニュトスはと言えば、息子に対する有害な教育法と自分自身の不明のゆえに、死んでしまった後になっても、不評を買っているのである。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.223)

 

 前にも述べたが、たとえば馬を調教するには、馬としてもって生まれた本性があり、馬として生きようとするのを、人間の役に立つように作り直さなくてはならない。だから高度な技術が必要になる。それでも、すべての馬がうまくいうことをきくわけではない。むしろ調教に耐えるような性質をもった馬だけを育て、そうでないものは人為的に淘汰してゆく。それを何千年も繰り返しているのである。

 これに対して、人間は最初から人間としての本性を持ち、人間らしく生きようとする。それを親や教師の一方的な価値観で抑えつけ、別の性質に作り直そうとすれば、自ずと無理が生じる。馬なら調教に耐えられない者は馬肉にしてしまえばいい。人間の場合はそうはいかない。グレて悪の道に走り、人様に迷惑をかけ、大きな社会的損失になる。

 人は誰も不幸になるために生れたりはしない。苦悩のうちに人生を終えるために生きているのではない。人は生れた以上、善いものを求める。この「善いもの」は何ら難しい概念ではない。長年の進化の過程で獲得された、生存に有用なもの、より良い子孫を残すのに有用なものを求める性質が「善」というイデアを生み出しているにすぎない。

 それは何十億年にもわたる突然変異と自然淘汰を繰り返した結果行き着いた一つの遺伝子に刻まれた「知識」であり、そしてこうした善いものを求めることに、我々の脳は脳内モルヒネを分泌して快楽報酬をもたらす。それゆえ、善と快は同じものとなる。

 もちろん、人間の知識は完全ではない。だから、何が本当に善いことなのか、何が本当に大きな快楽をもたらすのか、完全に計算することはできない。それは一つの賭けなのである。

 だから、その不完全な知識を人に押し付けたりすれば、かえって人を堕落させることになる。真の道徳教育とは、あくまで押しつけがましいものではなく、ただよりよい人生のための判断材料を提供するだけでいい。後はその人の自由な判断に任せるべきなのである。

 しかし、ならば悪はどこから生じるのだろうか。誰も悪を求めてないのに、現に悪が存在するというのは不思議なことではないか。

 それは実は、悪は善の反対ではないからだ。悪は善を求める中で必然的に生じる。なぜならば、有限な地球で無限の生命の繁栄は不可能だからだ。だから、誰もが善を求め、快を求め、よりよい人生を求めても、それは必然的に衝突し合い、そこに悪が、不快が、苦悩が生じる。

 そこで人は計算しなければならない。どうすれば悪を最小にして善を実現できるかを。それが魂の算術だ。徳とはこの算術にすぐれていることにほかならない。生存競争は避けられない。しかし、それを最小限にとどめるのは、生存競争に対する目覚めた意識なのである。

 ソクラテスはほぼ直感的にこの計算ができた。ただ、それに関する論理を欠いていた。そのため、この能力はプラトンの求めるような「技術(テクネー)」に達することのないまま、ただ何だかわからない神秘的な能力にとどまった。そのため、これを神の声とするしかなかった。そして、神のように振舞えば振舞うほど、世間の目にはいかがわしい新興宗教の教祖のように映り、政権を奪取し地上の王になるのではないかという危機感を与えた。そして最後にはそれがソクラテス自身の首を絞めることになった。

 ソクラテスはたしかに重要な真理に目覚めていた。表面では奇麗ごとを言いながらも、結局は奴隷制度のうえに成り立っているアテナイの民主主義の、その闇の中で自由の光を見つけた。そして、それでもはや、足りないものは何もなかったのである。そして、この光の正体をめぐって、プラトン以降、西洋哲学の長い旅が始まったのである。

 

 「他方、ソクラテスは法廷で自分を誇ったために反感を買い、裁判官たちをして、なおさら自分に有罪の判決を下すようにさせたのである。しかし、私には、かれは神に愛されているものにふさわしい運命にあずかったのだと思われる。というのも、かれは人生のうちで一番辛い部分を置き去りにして、さまざまな死に方がある中で最も苦労の少ない死を迎えたからである。かれはまた、精神の力を証明して見せたのである。すなわち、かれはさらに生きながらえるよりも死ぬほうがかれにとって勝ったいることを悟っていたので、ちょうどそれ以外の善きことに対して敵意を持たなかったのと同様、死に臨んでも柔弱になることなく、快活な気分でそれを受け入れ、死にとげたのである。この人の知恵と高貴さを思うにつけ、どうしても私はかれのことを記録に残さずにはいられないし、また記録にとどめながら、ほめ称えずにもいられないのである。そしてもし徳を得ようと務めている人々のうちに、だれかソクラテスよりも有益な人物と交際したことがある人がいるとするならば、私はその人物を最も幸福な人と呼ぶにふさわしい人と見なすのである。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.223~224) 

 

 ソクラテスはたしかに自由であり、幸福であり、真理を持っていた。しかし、彼はその技術を言葉にすることも人に伝えることもできなかった。だから、自由も幸福も真理も自分だけのもので、万人に広めることができなかった。ソクラテスは神に愛されていた。しかし、だからこそ神を独占したかどで死刑になった。

プラトン『プロタゴラス』解説

一、プロタゴラスがやってきた

 物語は、ソクラテスがプロタゴラスに合ったことを友人に語って聞かせるという形で始まる。

 プロタゴラスは当時を代表する高名なソフィストで、ギリシャ北部のトラキアのアブデラの人で、滅多にアテナイに来ることはなかっただろう。年齢的にもソクラテスよりはかなり上で、まだ若いソクラテスが、すでに功なり名を遂げた高齢のプロタゴラスに会うという設定になる。

 事の起こりは、まだ若いヒッポクラテスが、プロタゴラスがアテナイに来たのを知り、それをソクラテスに知らせに来たことで、ヒッポクラテスは是非ともプロタゴラスの講義が聞きたいという。

 プロタゴラスの名声はアテナイにもあまねく知られていて、授業料が高いということでも有名だった。そこでソクラテスに相談に来たわけだ。

 ソクラテスは、弁明の中で一切謝礼を受け取ったことがないという割には、裕福で生活の心配はなかった。知識を売り買いするというよりは、弟子達の好意から来る貢物で生活していたようだ。

 そこでソクラテスは本当に金を払う価値があるかどうか、ヒッポクラテスにこう尋ねる。

 

 「君は今、プロタゴラスのところへ出かけて、君自身のために報酬として金を払おうとしているわけだが、一体君は、自分がこれから行こうとしている人物がどういう人だと考え、また、自分が何になろうというつまりで行くのかね?」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.15)

 

 そして、たとえばコス島のヒッポクラテス(いわゆる医学の祖と呼ばれるヒポクラテス)に金を払おうとするならば、これから行こうとしている人物がどういう人だと考え、また、自分が何になろうというつもりで行くのか、と言われれば、ヒポクラテスが医者であり、自分も医者になりにゆくと答えることになる。

 同じように、ペイディアスのところに行くなら彫刻家になるため、ホメロスに会いにゆくなら詩人になるため、と容易に答えることができる。

 それならプロタゴラスに会いに行くというのは何になるためか。プロタゴラスはソフィスト(賢者)として名高い。だからソフィストになるためだということになる。

 それならソフィストは何について賢いのか。医者は医学について賢い。彫刻家は彫刻の技術について賢い。それならソフィストは?「では、ソフィストは、何に関して賢い事柄を知っているのか。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.20)  ここでヒッポクラテスは言葉を詰まらせる。そこでソクラテスはこう言う。

 

 「そもそもソフィストとは、ヒッポクラテス、魂の糧食となるものを、商品として卸売りしたり、小売をしたりする者なのではないだろうか。このぼくには、どうも何かそのような者に見えるのだが。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.22)

 

 ソフィストについては、今日の哲学者の意識の中に奇妙なねじれがある。

 自分たちは講義をすることで謝礼をもらったり、給料をもらったり、著書を売ったりして生計を立てているのにもかかわらず、自分たちはソフィストの末裔ではなく、ソクラテスの末裔だと信じているのだ。これは、今日の俳人が、同人誌を主宰し、句を募り、それを選んで本に載せているにもかかわらず、自分たちが点取り俳諧の末裔でなく、芭蕉の末裔だと信じているのに似ている。

 自らの経済的基盤に対して、それを真摯に問うことなく、机上の理想ばかりいうのは、洋の東西を問わず文化人の常なのかもしれない。

 今の時代では、何か真実を知りたいと思った時、知識をお金で買うということが当たり前のように行われている。本を買うというのが一つの方法だ。新聞や雑誌もある。また、お金を払って大学へ行ったり、カルチャーセンターで有名な先生の講義を聞くというのも一つの方法だ。

 一方で、お金をかけないで手に入る知識もたくさんある。これはちょっと昔よりは今の方が発達している。ネットで検索できる知識は、大体が無料だからだ。

 それなら、有料で売っている知識とただで手に入る知識と、どっちが信用できるだろうか。よくネットの知識は当てにならないと言う人がいる。こういうことを言う人は、たいてい著書があったり、原稿料を貰っていたり、職業が教師だったり、つまり知識をお金で売って生計を立てている人が多い。実際、学者だとか文化人だとかいってもピンからキリまでいるし、言っていることも正反対のことを言っていたりするから、どっちを信用していいものかわからなかったりする。

 知識を金で買おうが無料で手に入れようが、要は手に入れる側がきちんと距離をおいて、批判的に受け止めるべきであり、どんな情報でも鵜呑みにするのは危険だということだろう。

 

 「魂の糧食となるものとは、ソクラテス、何ですか」

 「もろもろの学識だ。そして、友だちとして言っておくが、ソフィストが、ちょうど身体の糧食を商う卸商人や小売商人と同じように、自分の売り物をほめたてて、われわれをだますことのないように、気をつけたほうがいいよ。というのは、彼ら食物の商人たちも、自分たちが持ってくる商品について、そのどれが身体によいか悪いかを自分自身でも知らないのに、売るにあたって何もかもほめたてるし、彼らから買うほうは買うほうでまた、体育科や医者でもないかぎり、その良し悪しがわからない。それと同じように、いろいろの知識を国から国へと持ち歩いて売り物にしながら、そのときそのときの求めに応じて小売する人々、そういう人もまた、売り物となれば何もかもほめたてるけれども、しかし中にはおそらく、君、自分で売ろうとするものについて、そのどれが魂に有益であり、有害であるかを、知りもしないような連中がいるかもしれない。彼から買うほうの人々も、やはり同様だ──この場合は、魂を扱う医術の専門家とでもいうべきものでない限りはね。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.23)

 

 ソクラテスのこの食物への喩えは、こう切り返すこともできるだろう。それなら食べ物をただでいくらでも持ってっていいよという人がいたとする。そうしたただで配られた食品は、市場で売っている食品よりも信用できるだろうか、と。

 ここではいわゆる市場原理という問題がある。つまり、売り手は確かに粗悪な食品を高い値をつけようとして褒めて売ることがある。つまり誇大広告をすることがある。しかし、実際に買ってみた人が、とても食えたものでないシロモノだと知ったら、その人はもとより二度とその商人からは買わないだろうし、仲間や友人に噂を広め、悪評が立てば、結局その商人は商売ができなくなってしまう。だから、実際には末永く安全に商売を続けようとすれば、そんなに阿漕なことはできない。そこに市場の自浄作用が生れる。

 これに対し、市場を経ずにただで流通するものは、配る側は何一つリスクを背負っていない。つまりその食品が粗悪であっても、どうせ商売じゃないんだから、ただ善意で配っただけだからで終ってしまう。むしろ、ただでくれてやったのに文句を言うとは何ごとだ、この恩知らず、になってしまわないとも限らない。貰った方も、どうせただで貰ったものだからと、お金で買って騙された時ほどには腹を立てない。

 残念ながら、二十一世紀の今日でも、魂を扱う医術の専門家というものはいない。哲学者や思想家や評論家はいるが、それが一つの科学に高められることはなかった。

 後になって徐々にプラトンが明らかにしてゆくことだが、プラトンは善を数量化し、一つの算術に高めようという野心を抱いている。そうすることによって、魂に関する知識もまた一つの技術として売り買いするに値するものとなるという。そして、後になるとプラトンは最終的に、その技術を持ったものが政治を行うべきであるという、哲人政治の理想を抱くことになる。

 残念ながら、こうした技術もまた二十一世紀のこの時代にすらまだ確立されていない。今の脳科学をもってしても「善」を数量化することには成功していない。しいて言えば経済学がそれに近いと言うべきか。

 ソクラテスは知識を売り買いすることに対して否定的だった。それはプラトンとクセノフォンの二つの『ソクラテスの弁明』に共通して書かれていることだから、おそらく真実だろう。

 しかし、ソクラテスの死後、徐々にソクラテスの影響下を脱してゆくプラトンにとって、政治の技術として、善と快楽を同一のものと見なし、快楽を数量化して計算する道を摸索していた。そして、その算術は他の技術と同様売り買いできるものと考えるようになった。そこにソクラテス的なものとプロタゴラス的なものを弁証法的に統一してゆく道を摸索し始めたのだろう。この初期の対話集『プロタゴラス』そのような意図で試みられた架空対談だったのではなかったか。

 後になって書かれるプラトンの後期の対話集は、あたかも台本があるかのような予定調和的な対話に終始し、時にはソクラテスが長々と議論をして、相手はそれにうなずくだけという場合もある。ただ、これに対し『プロタゴラス』は、対話の背景や人物の感情の動きなどが詳しく描写されていて、臨場感にあふれている。そこに、単なる架空対談ではないような、ソクラテスやプロタゴラスのいくらかの真実が含まれているように思える。

二、弁論術対やり込め術

   何を教えてくれるのか

 

 結局、ソクラテスとヒッポクラテスはプロタゴラスにお金を払って講義を聞くとか弟子入りするとかいう前に、とりあえず話だけでも聞いてみようということで、プロタゴラスの泊っているカリアスの家へ出かける。

 門番は、「ちぇっ、ソフィストどもだな。─ご主人は今お忙しいのだよ!」と言ってドアを閉める。

 これに対してソクラテスはわれわれはソフィストでもないし、ご主人(カリアス)に会いに来たのでもなく、プロタゴラスに会えればと思ってきたと告げると、門番はしぶしぶ中に入れてくれた。

 そこにはたくさんの弟子の姿があり、いかにも弟子らしく、「何と彼らは見事に、プロタゴラスの歩む行く手をけっして邪魔しないようにと、気を配っていたことだろう。プロタゴラス自身とそのお伴たちが向きを転じてひきかえすと、つづくこれらの聴講者たちは、巧みに一糸乱れずに左右にわかれ、ぐるりと旋回しながらそのつどうしろにまわって、世にも見事にぴたりと隊伍をととのえるのであった!」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.27)と記されている。

 さて、ソクラテスは、プロタゴラスに会うなり、君は何を教えてくれるのかと問う。これは基本的にはお金を取る以上、君は何を売っているのか、君は何屋なのかを問うのと同じだ。

 医者の所へ行けば医療の技術が身に着くし、彫刻家のところへ行けば彫刻がうまくなる。笛吹きのところへ行けば笛がうまくなる。それと同じように、プロタゴラスのところへ行けば何がうまくなるのか。同じような質問は、少し後に書かれる『ゴルギアス』にも見られる。

 これは今日の哲学者にも聞いてみたい質問だ。金をとって授業をやっているけど、一体何を教えているのか、と。

 これに対し、プロタゴラスの答えは、

 

 「身内の事柄については最もよく自分の一家を斉ととのえる道をはかり、さらに国家公共の事柄については、これを行うにも論ずるにも、最も有能有力の者となるべき道をはかることの上手というのが、これである。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.36~37)

 

 ここでは二つのことが言われている。

 一つは家をととのえる道。

 もう一つは天下公共を論じたり行動したりする道。

 しかし、これを別々に論じ出すと、話はかなりややこしくなる。そこでソクラテスは思い切った議論の単純化を提案する。

 

 「私には、あなたのおっしゃっているのは国家社会のための技術のことであり、あなたが約束されるのは、国家社会の一員としてすぐれた人間をつくるということであるように思えるのですが。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.37)

 

 この提案だと、ひとつの重要な問題に触れずにすむという利点がある。つまり、儒教でも古典的な難問とされていた、孝と忠どちらを優先させるべきかという問題だ。つまり、家を治めるのと国を治めるのと、どちらが重要かという問題だ。

 この問題は、たとえばサルトルの『実存主義はヒューマニズムである』のなかでも、二者択一の例として挙げている。それは、祖国のために病気の母を残して兵士に志願すべきかどうかという問題だ。孝を立てれば忠は立たず、忠を立てれば孝が立たない。

 なお、同じ儒教文化圏でも、中国人や韓国人は孝を優先させる傾向があるのに対し、日本人は忠を優先させる傾向にある。一方では親の死に目に会えなくても仕事を続けることが美徳とされ、一方では先祖の法事とあらばどんな大事な仕事でも穴をあける。

 また、この議論を始める前に、プロタゴラスが、

 

 「他の連中は青年たちをいためつけるからだ。何しろ彼らときたら、青年たちが専門的な学術からせっかく逃げ出しているのに、無理やり引き戻しながら、やれ算術だ、天文学だ、幾何学だ、音楽だと教えこんで、またしても専門的な学術の中にほうりこむのだからね。‥‥略‥‥この私のところに来るならば、目当てにしてきたものだけを学んで、ほかの余計なものを学ばされるようなことはないだろう。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.36)

 

と言っているのにも注意しておこう。

 ここでは物理や科学や数学などの形而下のものは論じないという宣言でもある。これが重要なのは、形而下の概念か形而上の(つまり精神的な)概念かによって、論じ方がちがってくるからだ。

 つまり形而下の概念は、対象となる物に合うように規定されなければならない。植物とは何かを論じるのに、実際の植物を離れて観念的な規定をすることはできないし、その概念の正しさは、ただ単に論理的というだけでなく、むしろ実際の植物と突き合わせて、実証できるものでなければならない。

 これに対し、精神の範疇にあるものは、必ずしも対象物に合わせる必要はない。勇気が善であるかどうかを議論するのに、勇気が物質的にどのような現象であるかという議論はすっ飛ばすことができる。

 ソクラテスは「国家社会の一員としてすぐれた人間をつくる」という自説に賛同を得たところで、果たしてそれが教えることができるものかどうか、あらためてプロタゴラスに問う。

 それは、国家が土木建築をするときには建築家に相談し、船を建造する時には造船の専門家を呼び、一般の素人に相談したりはしないし、それで普通の人は文句言わないし、素人の設計でそんなものを作ったらとんでもないことになるが、通常の国政の場合は誰も専門家には従わずに勝手に意見を述べるではないか、という論理だ。

 

 「アテナイ人が議会に集まるときに、私の目にするところでは、何か土木建築を国家の事業として行われなければならない場合には、建築家をまねいてその建築物のことを相談し、造船に関する場合は造船の専門家を呼び、またそのほかすべて、学んだり教えたりすることができると考えるかぎりの事柄については、同じようにします。そして、もし誰かほかの者が人々に向かって意見を述べようとしても、それが専門家と思われない場合は、どんなにその人の風采が立派で、金持ちで、家柄がよくても、これを聞き入れないことは同じであって、論じようとする本人がやじり倒されて壇を去るか、または政務委員の命令によって、警官がその人を壇から引きおろすなり連れ去るなりするまでは、人々は嘲笑し、騒ぎたてるのです。‥‥略‥‥

 これがひとたび、何か国事の処理を審議しなければならないような場合となると、大工でも、鍛冶屋でも靴屋でも、商人でも船主でも、貧富貴賎を問わず、誰でも同じように立って、それらについて人々に向かって意見を述べます。そして、そういう人達に対して、先の場合のように、どこからも学ばず、誰ひとり先生についたこともないくせに意見を述べようとするといって、非難するような者は、誰もいません。これは明らかに、人々はそういう事柄を、教えられうるものとは考えていないからです。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.38~39)

 

 もっとも、今の日本の場合は欧米人ほどには意見を言わないところがあるかもしれない。「餅は餅屋に」的な発想で、政治のことに素人は口出しせずに政治家に任せておけということになりがちだし、政治家もまたそんなに政治のことはよくわからないから、各省庁のエリート官僚の言うことにまかせておけみたいなことになり、国会の答弁も官僚の書いた原稿を読み上げるだけになる。こうして何やらよくわからない法律が出来上がっても、デモが起きたりすることはまれだ。

 民主主義の制度は、基本的には誰もが政治に意見を言う資格があり、その能力があるという前提に成り立っている。もし国政に関して一部の専門家にしかその能力がないというのであれば、官僚政治になる。日本は中国の影響で、長いこと官僚支配、いわば「おかみ」の支配が続いた。そのため、明治以降の西洋化で民主主義を取り入れたものの、未だに国民が自分で政治を決定するということに引け目を感じているというのが実態なのだろう。何か「こんな俺なんかが国の大事なことを決めていいのだろうか」とためらうところが、投票率の低下やデモやストライキなどの政治活動の盛り上がらない原因なのかもしれない。こういう状況下では、結局国家の一大事が(たとえば憲法改正のようなことでも、それが単に有効投票の過半数で決められるということであれば)きわめて少数の人間の意見によって決定してしまうことになる。

 陪審員制度というのも、法律的判断は誰にでもできる、素人でも法律や刑罰に対し意見を言えるということが前提になって、古代ギリシャで成立していた制度だが、これも日本ではなじまないのは、多くの人が法律的判断は法律家でなくてはできないと信じているからだろう。何か英語の文法を完璧に覚えて、正しいスペルで文章が書けなければ、本当に英語ができるとは言えないと信じているように、政治も法律も、それについて完璧な知識がなければ勝手に物を言ってはいけないみたいな風潮があり、これがある限りはたとえ裁判員に選ばれても、ウィッキーさんに話しかけられたときみたいに何とか口実を作って逃げることしか考えないだろう。

 西洋では政治に必要な能力は生まれながらにすべての人に分有されている前提で民主主義が発達したが、東アジアでは政治には高度な学習による専門知識が必要だと考えるために官僚政治が発達した。どちらが正しいのか、一体誰が判断すべきなのだろうか。誰もが等しく自分の考えで判断していいのだろうか。それとも専門家の意見に従うべきなのだろうか。

 ソクラテスは終止一貫してアテナイの民主制を支持したが、プラトンは後に『国家』のなかで、哲人政治を説くようになる。

 人間としての徳が万人に具わったものであるならば、民主制は最も良い制度となる。しかし、徳が学習されなくてはならないものなら、高度に学習した者のみが政治を行うに値するということになる。つまり官僚支配が正当なものとなる。この問題は、これからこの『プロタゴラス』で論じられることになる。

 近代の民主制は、民主的に選ばれた立法府と官僚機構である行政府と、その仲裁者である司法府の三権分立という形で両立させようと試みてきた。しかし、哲人政治の発想は消えたわけでなく、むしろ社会主義国家という形で今も生きている。

 

 

 

   徳は教えることができるのか

 

 それはともかくとしても、はたして人間の徳について、教えることができるのかどうか。この問題は、今日でも論議する価値はある。

 たとえば昨今の教育改革の論議で、道徳教育の強化ということが繰り返し主張されている。しかし、道徳教育は果たして「可能」なのだろうか。今の教育に比べれば、戦前の教育は明らかに道徳教育に力を入れ、多くの時間を割いていた。しかし、戦前の日本は今の日本と比べて果たして犯罪は少なかったといえるのだろうか。新聞には毎日のように役人の不正や猟奇的殺人が伝えられてなかっただろうか。

 また、その教育を受けた人たちが、ひとたび戦場へ行くと、略奪、強姦、放火などありとあらゆる犯罪を犯し、手がつけられなくなり、結果的にそれが日本の敗戦につながったのではなかったか。

 道徳教育がほとんど形だけしか行われてこなかった今の教育の中で、日本は世界的に見ても最も平和で最も治安の良い国になっていないか。

 ソクラテスは賢い親のものでもバカ息子が生れてくるように、世の中でもっとも徳のあると思われる人間であっても、自分の息子にすらそれを教えることに成功しないことを例に挙げる。

 

 「われわれの国民のうちでも最も知恵があり、最もすぐれた人物たちは、彼らがもっているその徳性を、ほかの人々に授けることができないでいるのです。現にペリクレスがそうです。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.39)

 

 そういえば、ソクラテスの息子も哲学者になったという話は聞かない。クセノフォンの『ソクラテスの思い出』では、母親にぶーたれる息子に、ソクラテスが切々と母の恩を説く場面がある。

 こうしたソクラテスの問いに、プロタゴラスは答えなくてはいけなくなる。ここからしばらくはプロタゴラスの演説の場面となる。

 まず、プロタゴラスの話は神話から始まる。ここにそれほど独創的なものはあるまい。当時の一般的な説として読んだ方がいいだろう。

 

 「むかしむかし、神々だけがいて、死すべき者どもの種族はいなかった時代があった。だがやがてこの種族にも、定められた誕生の時がやってくると、神々は大地の中で、土と、火と、それから火と土に混合されるかぎりのものを材料にして、これらをまぜ合わせて死すべき者どもの種族をかたちづくったのである。そしていよいよ、彼らを日の光のもとへとつれ出そうとするとき、神々はプロメテウスとエピメテウスを呼んで、これらの種族のそれぞれにふさわしい装備をととのえ、能力を分ちあたえてやるように命じた。しかしエピメテウスはプロメテウスに向かって、この能力分配の仕事を自分ひとりにまかせてくれるようにたのみ、『私が分配を終えたら、あなたがそれを検査してください』と言った。そして、このたのみを承知してもらったうえで、彼は分配をはじめたのである。

 さて、分配にあたってエピメテウスは、ある種族には速さをあたえない代りに強さを授け、他方力の弱いものたちには、速さをもって装備させた。また、あるものには武器をあたえ、あるものには、生まれつき武器をもたない種族とした代りに、身の安全のためにまた別の能力を工夫してやることにした。すなわち、そのなかで、小さい姿をまとわせたものたちには、翼を使って逃げることができるようにしたり、地下のすみかをあたえたりしてやった。丈たかく姿を増大させたものたちには、この大きさそれ自体を、彼の保全の手段とすることにした。そして同じように公平を期しながらほかにもいろいろとこういった能力を分配したのである。これらを工夫するにあたって彼が気を使ったのは、けっしていかなる種族も、滅びて消えさることのないようにということであった。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.41~42)

 

 こうしてさまざまな生物が作られたということに関しては、生き物の持つさまざまな固有の能力は、滅びないためのものだということくらいを読み取っておけばいいだろう。今日では自然選択の結果と思われているものを、神(エピメテウス)が工夫してそのように作ったと言い換えただけと思えばよい。

 食物連鎖についても同様である。

 

 「それから今度は、身を養う糧として、それぞれの種族にそれぞれ異なった食物を用意した。あるものには地から生ずる草をあたえ、あるものには樹々の果実を、あるものにはその根をあたえた。ほかの動物の肉を食物とすることをゆるされた種族もある。そしてこの種族に対しては、少しの子供しか産むことをゆるさず、他方、これらの餌食となって減って行くものたちには、多産の能力を賦与して種族保存の途をはかったのである。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.43)

 

 原因が自然選択によるものか、神の工夫によるものかという点を別にすれば、今日でも通用するあたりが、古代ギリシャ文明のレベルの高さを物語っている。

 しかも、この後に展開される説は、今日でもしばしば耳にする、人間=欠陥生物説のようで面白い。

 

 「さて、このエピメテウスはあまり賢明ではなかったので、うっかりしているうちに、もろもろの能力を動物たちのためにすっかり使い果たしてしまった。彼にはまだ人間の種族が、何の装備もあたえられないままで残されていたのである。彼はどうしたらよいかと、はたと当惑した。困っているところへ、プロメテウスが、分配を検査するためにやってきた。見ると、ほかの動物は万事がぐあいよくいっているのに、人間だけは、はだかのままで、履くものもなく、敷くものもなく、武器もないままでいるではないか。一方、すでに定められた日も来て、人間もまた地の中から出て、日の光のもとへ行かなければならなくなっていた。

 そこでプロメテウスは、人間のためにどのような保全の手段を見出してやったものか困りぬいたあげく、ついにヘパイストスとアテナのところから、技術的な知恵を火とともに盗み出して─というのは、火がなければ、誰も技術知を獲得したり有効に使用したりできないからである─そのうえでこれを人間に贈った。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.43~44)

 

 紀元前四世紀にこういう人間観があったことに驚くべきなのか。それとも今の人間がこの頃からたいして進歩してないことを嘆くべきなのか。

 この神話はさらに、人間は火を用いるだけでばらばらに散らばっていたため、獣との戦いに勝てず、ふたたび滅亡しかかったため、ゼウスはヘルメスを遣わしてみんなが寄り集まって社会を作る技術として、「いましめ」と「つつしみ」をあたえた、これが徳の起源だというふうに続く。

 そして、この社会を作る技術を一部の専門家にではなく、すべての人に分け与えたという。

 神が与えたということは動物の速く走ったり鳥が空を飛んだりするのと同様、万人に等しく生得的に具わったもので、今日的にはこうした神の工夫は自然選択によって生じたものと言い換えることができる。

 こうして、人間の徳性は、医者や建築家の技術とは別のものであり、万人に分有されているため、徳の専門家はいないということになる。

 しかし、これだけでは、徳は生まれつきであって教えることのできないものとなってしまう。

 プロタゴラスの議論は、ここで前の理論から整然と帰結を導き出すようなスタイルをとるのではない。むしろ、あえて正反対の主張や事例を検討することで、弁証法のスタイルを取る。こうしたやり方も、当時の弁論術として確立されていたものだったのだろう。

 

 テーゼ:人間はすべて生れながらに徳性を分有する。

 アンチテーゼ:徳は生まれつきのものではなく教えられることのできるものであり、徳が具わるのは意識的な心がけによる。

 

 つまり、

 

 「他方しかし、人々は、この徳が生まれつきのものでも、ひとりでにそなわるものでもなく、むしろ教えられることのできるものであり、この徳がそなわる人があるとすれば、それは意識的な心がけによるものだと考えているということ、このことの証明をつぎに君に対して試みなければならない。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.48~49)

 

 テーゼは神話からの引用であり、アンチテーゼは世俗の説として紹介する。そして、この二つの説をいかに統合し、一つのジンテーゼへと止揚するか、そこがプロタゴラスの腕の見せ所になる。

 この議論は、ソクラテスの言ったなぜすぐれた人物のところにバカ息子が育ったりするのかという質問を巧みに利用する。

 

 「それなら、すぐれた人物を父親にもつ息子たちがしばしばつまらぬ人間になる場合が多いのはなぜだろうか。その点を今度は理解したまえ。事実、それはいっこうに不思議なことではないのだから。すくなくとも、この私が先に述べたことが真実であって、国家が存立するためには、何びともこの徳という事柄に関して素人であってはならないとするならば、そうなのだ。なぜなら、もし事情が私の言うとおりのものだとすれば─じっさいこれ以上たしかなことはないのだが─、ひとが自分の仕事にしたり習ったりするいろいろなもののなかから、何でもいいから別の例をひとつ選んで考えてみたまえ。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.57)

 

 ここでプロタゴラスが持ち出すのは、万人の能力の個人差という事実だ。人は誰しも笛を教えられれば笛吹きになれるが、それには個人差がある。笛の技術が世襲であり、笛吹きの息子でなければ正しい笛の吹き方を学べないなら、笛吹きの名人の息子は必然的に、親父ほどではなくても一般人に比べれば名人と言えるレベルに到達する。

 だが、徳は誰もが学ばなくてはならない。だから徳のない親から有徳な人物が生まれることもあれば、その逆もあるということになる。

 プロタゴラスはこれを言語の習得にたとえる。

 

 「ほかでもない、あらゆる人々が事実上、それぞれの能力に応じて徳を教えているので、特に誰が誰の教師であるようには君には見えないのだから。それはちょうど君が、ギリシア語をしゃべることを教えるのは誰なのかをさがしてみても、誰ひとりそういう特定の教師はみつからないのと同じことだ。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.59~60)

 

 つまり、万人が言語の習得能力を生得的に持っていながらも、実際はギリシャ語を聞いて育たなければ、ギリシャ語を母国語として喋れるようにはならない。言語の能力は生得的で、万人に生まれながらに具わっている。ただ、それは何語でも喋れる能力であり、実際に何語を喋るかは、その育った環境から学ばなくてはならない。幼少期に言語を用いる環境に恵まれなければ、十分な言語の習得は困難になる。言語の能力は先天的かつ後天的である。

 徳もそれと同じで、徳の素質は万人が生まれながらにもっていながらも、それはあらゆる文化のあらゆる生活習慣を習得することが可能な素質にすぎず、実際には特定の文化のなかで育つことによって、その文化固有の倫理を身につけてゆく。徳の能力も先天的かつ後天的である。

 これが本当のプロタゴラスの説なのか、プラトンの創作なのかはさだかではない。ただ、プラトンがこの説を発展させることがなかったことを考えると、プロタゴラスにこういう説があったのかもしれない。いずれにしても、今日でも通用しそうな驚くべき説だ。

 ソクラテスはこの説に一応の賛辞を贈る。だが、この説はソクラテスの関心を引くものではなかったようだ。

 クセノフォンの『ソクラテスの思い出』によれば、ソクラテスは最初にプロタゴラスが述べたようなエピメテウスやプロメテウスの神話とは別のものを信じていたようだ。

 

 「だが君は知っているだろう、われわれはまず第一に光がある必要であるが、これを神々はわれわれのためにととのえてくださってある。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.207)

 「そしてまた、われわれは休息を必要とするのであるが、神々はわれわれのために、夜という見事な休息の時を与えてくれた。」(同、p.208)

 「夜は暗黒であって何も見えないから、神々は夜の空に星をかがやかしめ、これが夜の時刻をわれわれに知らせ、これによってわれわれはいろいろの大切な用事を果たしているのではないか。」(同、p.208)

 「またわれわれは食物が必要であるから、神々はこれを地より生ぜしめ、その目的にかなう適当な季節を用意し、この季節がただわれわれの必要とするもののみか、また愉しみの材料まで、豊富にまた多種多様に供給してくれる」(同、p.208)

 「それからまたわれわれに水という無上の価値ある賜を与え、これが大地ならびに季節と力を協わせてわれわれに必要な一切の物を生ぜしめ、成長せしめ、そしてわれわれ自らをも養い、かつわれわれの栄養となる一切の物に混入してこれを一層こなれやすく、健康によく、また味わいよくし、そしてわれわれがこれをすこぶる多量に必要とするので、惜しげもなく豊富に供給してくれる」(同、p.208~209)

 「それからまた日という、寒さを防ぎ、暗黒を防ぎ、あらゆる技芸の助けであり、人間が便宜のために考案した一切の事物の製作に助けとなるものを、われわれのために獲てくれたのはどうであるか。」(同、p.209)

 「明らかではないのか、彼らもまた人間の便益のためにこの世に生れ、そして養われているということが。なんとなれば、どこのいかなる生き物が人間ほどに、山羊や羊や、牛や馬や、驢馬や、またその他の動物から、これほどたくさんの利益を受けるのか。私にはじつに植物から受ける利益よりも多いように思える。」(同、p.210)

 

 どこか旧約聖書を思わせるような、すべてが人間のために創造されたという別の世界観を持っていた。おそらくこれが理由でアテナイ市民から、

 

「ソークラテースは国家の認める神々を信奉せず、かつまた新しい神格を輸入して罪科を犯している。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.23)

 

と告発され、死刑になったと思われる。

 こうしたすべてが神によって人間のために良く作られたはずだという世界観からすれば、人間もまた悪を行うように作られてはいない。人間が快楽を追求するのはそれが善だからであり、快楽に溺れて身を持ち崩すのは、知恵が足りないからだ、ということになる。

 快楽を追求しようとする衝動は、生まれながらに具わっている。ただ、それを実現するには目先の快楽だけに囚われずに、どうすればより多くの快楽を得られるかを計算しなくてはならない。徳とはその計算術であり、それゆえ教えることができる。

 人の性は善であり、徳は得であるというわけだ。中国では孟子に近い。生存競争だとか、人間の知の実際上の不完全さという事実を最初から度外視して考えている。

 実際のソクラテスがこの考えに至っていたのかどうかはわからない。おそらく快楽の算術というアイデアはあっただろう。ただ、それを一つの科学に高めようというのは、プラトンの一つの発展的な解釈にちがいない。ソクラテスは科学に興味がなかった。

 それゆえ、プロタゴラスとプラトンとの相違点は、人間の諸徳がそれぞれ場当たり的に神によって作られたり修正されたりしてきた結果なのか(つまり今日的には偶発的な突然変異の繰り返しと自然選択によって生じたものなのか)、それとも最初から徳も知も快楽への欲求も一つのものとして作られたのかという点に帰着する。

 

 

 

   ソクラテスの逆襲

 

 そういうわけで、まずソクラテスが持ち出したのは、プロタゴラスの弁論の中で、正義や節制、敬虔などを一括して「徳」と呼んだことで、徳は一つのものなのか、さまざまな別の徳があるのかをはっきりしないという問題だった。

 それに対するプロタゴラスの最初の答えは「徳とは一つのものであって、君がたずねているものは、それの部分をなすものなのだ」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.64)というものだ。これは妥当な答ではあるが、その全体と部分との関係がはっきりしない。

 これに対し、ソクラテスは顔の部分のようなものなのか、金塊の部分のようなものなのかと聞き返す。これに対しプロタゴラスは、「ちょうど顔のいろいろな部分と顔全体との関係と同じようなぐあいなのだ」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.65)と答える。これも妥当な答だ。

 問題は次だ。

 

 「人間がこれらの徳の部分を分け持つ場合にも、ある人々はこれを、ある人々はこれをというように、それぞれ別の物を持つのでしょうか。それとも、人がその一つを身につければ、それにともなって必ず全部をいっしょにもつことになるのでしょうか。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.65)

 

 普通に考えれば、たとえば仁義礼知信のような徳は、誰にも具わっていると考えがちだ。それともこう考えるのは儒教の五徳の思想がわれわれの伝統の中に息づいているからなのだろうか。われわれのイメージではこうしたそれぞれの徳は誰にでも具わっているが、ただ量的に差があり、ちょうどゲームキャラのパラメーターのように、ある人は仁3、義5、礼5、知2、信3で、ある人は仁5、義2、礼1、知2、信4みたいに考えがちであろう。これはちょうど目が大きく鼻が小さい人もいれば、鼻が大きく目が小さい人がいるように、その人の個性(キャラクター)と言うことになる。

 ところが、ソクラテスの質問は、こうしたそれぞれの特性の程度を聞いているのではなく、有無を聞くのである。つまり、人によっては目だけの人間がいて、人によっては鼻だけの人間がいるかどうかというものだ。

 プロタゴラスはこう答える。

 

 「いや、けっしてそんなことはない‥‥略‥‥勇気はあるが不正な人間だという者もたくさんいるし、他方また、正義の人ではあるが知恵がないという者もたくさんいるのだから」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、1988、岩波文庫、p.65)

 

 ここでプロタゴラスは、多い少ないではなく、あるないで答えている。ここですでにソクラテスの罠にはまってしまっている。「そのとおり、全部いっしょに持つ。ただ、目の大きい人や鼻の大きい人がいるように、勇気に特に秀でた人間もいれば、正義に特に秀でた人間もいる。」と答えるべきだっただろう。

 このあと、ソクラテスはこれらの諸徳の中に知恵と勇気が属するかどうかを説く。プロタゴラスはこれに同意する。奇妙なことだが、中国の五常の徳(仁義礼知信)の中に「勇」はない。文人支配の国だから、武勇は軽視されていたのだろう。古代ギリシャでは正義、分別、勇気、知恵、敬虔が五徳とされていたようだ。

 

 「するとそれらの部分のひとつひとつは、その機能においても、はたしてそれぞれに固有のものを持っているのでしょうか。たとえば顔の諸部分を考えてみると、目は耳と同じような性格のものではなく、それが持っている機能も同じではない。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.66)

 

 実際の顔のパーツを考えてみればいい。目は視覚を、耳は聴覚を、鼻は嗅覚をというぐあいに、それぞれ役割は違うが、全体として一つの世界に関する知覚を構成するという点では同じとも言える。たとえば、視覚を失えば、空間認識などは速やかに聴覚が代行する。しかし、こんな科学知識も、ソクラテスの時代に求めるべきではないのだろう。ただ、ここで諸徳のそれぞれ固有の機能を持っていることに同意することはまちがっていない。

 

 「だから、正義とは正しい性格のものだと、私はその質問者に答えて言うでしょう。あなたもですか?」

 「そう」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.68)

 

 さらにプロタゴラスは同様に、敬虔も不敬虔ではない、敬虔な性格のものだということにも同意する。そこでソクラテスはこう切り込む。

 

 「そうすると、敬虔とは、正しい性格のものではないということになるのだね。また正義とは、敬虔な性格のものではなくて、敬虔ではないような性格のものなのだね。そして、敬虔とは正しくないような性格のもの、不正な性格のものであり、逆に正義は不敬虔な性格のものなのだね」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.70)

 

 なぜこういう議論になるのか、おそらく読者の多くは戸惑うだろう。それはこういうことだ。

 

 正義は正しい性格のものである。敬虔は正義ではない。ゆえに、敬虔は正義ではないがゆえに正しい性格のものではない。

 敬虔は敬虔な性格のものである。正義は敬虔ではない。ゆえに、正義は敬虔な性格のものではなく、敬虔ではないような性格のものである。

 

 この推論は何かおかしくないだろうか。「正義は敬虔ではない」という言葉の意味を意図的に取り違えてないだろうか。「正義は敬虔ではない」という命題は、正義は敬虔と反対のものであるという意味ではない。これは正義と敬虔は関係しないという意味にすぎない。つまり、正しくは、

 

 正義は正しい性格のものである。敬虔は正義ではない。ゆえに、敬虔は正義ではないがゆえに、正義の属性つまり正しい性格とは関係しない。

 

ではないのか。実際ソクラテス自身「徳の部分もやはりこれと同様に、それ自体としても、それがもっている機能も、それぞれの部分は互いに他と通じるところがないようなものなのでしょうか。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.66)と言っている。それぞれの部分が相反するなどとは言っていない。だから、

 

 正義は正しい性格のものである。敬虔は正義ではない。ゆえに、敬虔は正義ではないがゆえに、正義の属性つまり正しい性格とは通じるところがない。

 

が正しい推論にならなくてはならない。

 この取り違えがソクラテス自身の論理の混乱ではなく意図的なものだとしたら、ソクラテスは詭弁を用いたことになる。

 どちらにしても、プロタゴラスはこの論理のすり替えを見破れなかった。プロタゴラスは言葉を濁してこう言う。

 

 「正義は敬虔なものであり、敬虔は正しいものであるということをそのまま承認できるほど、事柄が単純なものとはけっして思えないね。そこにはやはり、何らかの差異があるように思われる。‥‥略‥‥そんなことはどちらでもよいではないか。もし君がそうしたいのなら、正義は敬虔なものであり、かつまた、敬虔は正しいものであるということにしておこう」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.70~71)

 

 弁論術の勝負としてはここでソクラテスが勝ったといっていい。しかし、勝ち負けはあくまで相手をやり込めた、ぐうの音も出なくさせた、ぎゃふんと言わせたという程度の意味にすぎない。プロタゴラスは負けた。ただそれは詭弁にやり込められたという以上のものではない。

 

 ソクラテスはさらに追い討ちをかけるように言う。

 

 「あなたは、無分別と呼ばれるものを認めますか」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.72)

 「この無分別というものに対して、知恵はちょうど正反対のものではありませんか」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.73)

 

 これも一つの罠だ。無分別は分別の欠如であり、厳密に言えば分別の反対ですらない。「熱い」に対して「熱くない」が反対でないのと同じことだ。まして、ここでは無分別の反対を分別の類義語である「知恵」だと認めさせようとしている。これを認めてしまえば、とんでもないことになるのは目に見えている。

 案の定、プロタゴラスはこの罠にはめられて、分別と知恵が一つのものであることを認めることになる。

 さらにソクラテスは追い討ちをかけるように、不正を行いながら分別のあるような人はいるかと問う。普通に考えれば答えは「そうだ」ということになる。しかし、だとしてもこの答えはいろいろな状況を含む。分別のある人がたまたま魔が射すこともあれば、分別はあってももっと頭の切れる者に騙されている場合もあるし、脅迫されている場合もある。ソクラテス的対話というのはこういう具体的な状況を一切度外視して、言葉の抽象的な定義でもって答えさせるところが最大の特徴なのである。これに気づくなら、対応の仕方を全く変えなくてはならない。

 たとえば、そのあとソクラテスが「分別があるというのは、よく思慮をめぐらすという意味ですね」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.80)と突っ込んできた時、曲者なのは「よく思慮を」という言い回しである。つまり、さりげなくソクラテスはこの「よく思慮を」という言葉に「善にむかって思慮を」という意味を込めているのである。

 これに同意すると、次にこう来る。

 

 「そして、よく思慮をめぐらすというのは、不正を行うことにおいて、よく身のためをはかるという意味ですね」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.80)

 

と続く。ここでも「よく」を連発している。不正(悪いこと)を行うことにおいて、良く身をはかるという矛盾がここで生じる。これがこの種の対話術の巧妙なところなのである。

 ソクラテスはこの矛盾をさらに拡大させようと、こう続ける。

 

 「不正行為がうまくいく場合のことでしょうか、まずいことになる場合でしょうか」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.80)

 

 これは「悪い行為が良くいく場合なのか、悪い行為が悪くいく場合なのか」と言い換えればわかりやすい。ここでプロタゴラスはこれが論理のゲームだということに気がつかずに、真面目に考えて答え続ける。「うまくいく場合だ」と。

 ソクラテスはここでおそらく、「悪い行為が良く行く」というところで、善悪の概念が混乱していることを突こうとしてこう言ったのだろう。

 

 「あなたば『善い』と呼ぶところのものが、いろいろありますね」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.80)

 

 これは善を善いと呼んだり、悪を善いと呼んだりしているという意味で突っ込んだのだと思われる。しかし、プロタゴラスはこの質問の意図を全く理解せずに、ごく普通の会話の意味で、人が「善」と呼ぶところのものが多種多様な性格を持つことを説明し始める。つまり、ある人にとって善いものが、別の人にとっては善でなかったり、人間にとって善いものが人間以外の生物にとっては有害だったり、その逆もあることを延々と述べ始める。

 プラトンの初期の対話編が面白いのは、こういうやり込められた時の対話相手の不快感が伝わってくるように、きちんと描写されていることだ。プラトンの後の対話集になると、対話はこうした人間同士の勝負という側面を失い、いわば最初から台本に書かれているような予定調和的な議論になってゆく。

 ここに、後期のプラトンの著作にはないような、ソクラテスの本来の姿が描かれているように思えないだろうか。つまり、ソクラテスは実はそんな立派な議論をする人間ではなく、むしろ一対一での論戦で詭弁を弄して相手をやり込めるのが、実はそれが一番得意だったのではなかったか。つまり、クセノフォンの『ソクラテスの思い出』で、若きエウテュデーモスに対して用いたような意図的なやり込めは事実だったのではなかったか。

 ここまでの議論は、いわば挨拶というところだろう。最初にプロタゴラスが、弁証法を用いた見事な弁論を行い、これに対しソクラテスは概念の意味を巧妙にすりかえることによって、相手を混乱させることに成功した。ともにそれぞれの持ち味を披露したわけだ。

 ただ、この二人の得意なパターンを見ると、プロタゴラスには法廷で陪審員を前に大弁論をぶつ一流弁護士の風格があるが、ソクラテスの技は一対一での交渉で相手を打ちのめすやり方であり、これからするとソクラテスは法廷で活躍するソフィストというよりは、法廷の外で直接交渉で決着をつける、いわば示談屋(もう少しマシな言い方をすれば交渉人)だったのではないかと思えてくる。

 アリストファネスの喜劇『雲』に出てくるソクラテスも、法廷の弁護士ではなく、借金を踏み倒すために債権者と直接交渉する姿を描いている。この喜劇はそれほど荒唐無稽なものではなく、案外ソクラテスのもう一つの顔を正確に描いていたのかもしれない。

 また、プロタゴラスについても、「人間は万物の尺度である」という言葉や相対主義ということばかりが強調されているが、実際はここでプラトンが描いたような、ある主張に対し相反する主張を戦わせながらそれを総合してゆく、弁証法の達人だったと見た方がいいのかもしれない。

 そしてまた、その両方の技術を正確に再現してみせるプラトンは、やはり恐るべき天才と見るべきなのだろう。

 ソクラテスの対話術の基本にあるのは、言葉の取り成し術だといってもいいだろう。つまり、同じ言葉でも、読みようによっては多種多様な意味を生じる。「正義は敬虔ではない」という場合のこの否定の「ない」の用法も一つではない。正義は敬虔の反対である。正義は敬虔とは程遠い、とも取れれば、単に正義と敬虔は関係ないという意味にも取れるし、あるいは正義と経験は似ているけど何らかの相違点があるため同一ではないという意味にも取れる。ソクラテスは明らかにこうした一つの文章をさまざまな意味に読み替えることを得意としていたのだろう。残念なのは、ソクラテスが日本の連歌を知らなかったことだ。こういう機知は連歌や俳諧でこそ真価を発揮する。

 ソクラテスが長い弁論を嫌い、できるかぎり一言で即答することを求めるのもそのためだ。ソクラテスは相手の言葉に対し、きわめて速やかにその多義性を見抜き、混乱に陥れる。長考されるとそのトリックが見破られやすくなるし、長くて詳しい筋道立てた論述をされると、言葉の意味が正確に限定されてしまい、両義性が生じにくくなる。

 最初はプラトンもソクラテスのこうした言葉のトリックにやり込められ、自分が何も知らないと思い込み、ソクラテスの教えを受け入れるようになったのだろう。しかし、ソクラテスの死後、徐々にマインドマインドコントロールが解けてゆくと、ソクラテスのこうしたやり方に対し、少しずつ距離をおいてながめられるようになる。  そこでプラトンは、こうした対話術を、一種の弁証法として、相反する意見を持つ相手の論理の弱点を指摘しあいながら、論理をより強固なものにしてゆく技術とみなすようになる。そこに、相手を打ち負かすための対話術ではなく、完全な論理体系を作るプロセスとしての対話術として捉えなおす。そして、最終的にはプロタゴラス的な長い議論、つまり言説(ディスクール)を構成するに至ってゆくのである。

 このあと、シモニデスの詩に対する解釈の話題へと展開するのも、決して偶然ではない。ソクラテスの言葉の多義性への鋭い感性は、一つの詩句に対しさまざまな解釈の可能性を探る際にも発揮されうるからだ。

三、シモニデスの解釈をめぐって

 ソクラテスとプロタゴラスの対話は噛み合ってなかった。プロタゴラスはプロタゴラスで、「『善い』と呼ぶところのものが、いろいろありますね」というソクラテスの質問に、つまり善の多様性についてまともに答えたつもりだった。

 しかし、ソクラテスにとってこれは意に反する反応であり、相手の言葉の矛盾をついたつもりが、全く関係ない議論を展開されたように映った。熱烈なソクラテスファンなら、ここで「プロタゴラス汚いぞ」というところだろう。

 こうした言葉の行き違いをきちんと描写するのも、初期のプラトンの短編集ならではのものだろう。これによって、ソクラテスとプロタゴラスの対話はリアリティーを持つし、臨場感を感じさせる。

 ソクラテスはあくまでも下手に、

 

 「プロタゴラス、どうも私は、あまりもの覚えのよくない人間でして、人に長い話をされると、何の話だったか忘れてしまうのです。‥‥略‥‥もし私があなたについて行くべきだとしたら、私のために答を切りつめて、もっと短くしていただけませんか」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.83)

 

と言う。しかし、プロタゴラスもこれに簡単に乗せられるほどバカでもない。今までの議論で、ソクラテスが何か言葉のトリックではめようとしているのに気がつかないはずはない。

 

 「私はすでにこれまで、多くの人々と言論をたたかわしてきたものだが、もし君がいま命じているうようなことをして、討論相手から言われるがままのやり方で言論のやりとりをしていたとしたら、私は誰に対しても優位に立つことはできなかっただろうし、プロタゴラスの名がギリシア人の間に広まることもなかっただろう」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.84)

 

 法廷での弁論はルールのある戦いだが、ソクラテスのかいくぐってきた示談での直接交渉は、そんなきれいごとを言ってられるような戦いではなかった。この違いを、何よりもプラトンは知っていたのだろう。だからソクラテスに惹かれたし、ソクラテスの弟子になった。

 ただ、一方で、それが世間で言われる詭弁術だということに、気づかないわけにもいかなかっただろう。プラトンにとっての課題は、この二つの弁論術を弁証法的に止揚することだ。そのためにもここで二人を決裂させることはできない。そこで、周りにいたプロタゴラスの取り巻きたちが何とか二人を引きとめようとする。

 結局今度はプロタゴラスの方の質問も認めるということで、プロタゴラスの提案で、シモニデスの詩の一節に関してプロタゴラスの方から質問するということで、話は再会される。

 それは、最初は、

 

 まことにすぐれた人になることこそはむずかしい

 手足 心が完全で 非の打ちどころのない人になることは

 

という一節だった。

 プロタゴラスはソクラテスに質問して、これが立派に正しく作られた詩かどうかを問い、ソクラテスはこれに同意する。ここには、ソクラテスをはめようという意図があった。ただ、ソクラテスのような言葉の多義性を利用した巧妙なトリックとは程遠い、初歩的な引っ掛けだった。

 ここでプロタゴラスは、

 

 「もし詩人が自分で自分の言葉に矛盾することを言っているとしたら、君はそれを立派な創作だと思うかね」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.95)

 

と問い、ソクラテスも同意する。そこでプロタゴラスはこの詩がそのあとでこう続くことを指摘する。

 

 ピッタコスの言も正しいとは思えない

 賢者の言った言葉だが。彼はいう

 すぐれた人であることはむずかしいと

 

 さっきは「まことにすぐれた人になることこそはむずかしい」と言っておいて、ピッタコスが「すぐれた人であることはむずかしいと」と言うのは正しいとは思えないと言う。これは矛盾してないかというわけだ。

 こうなれば、今度はソクラテスが、この二つの詩句が矛盾してないことを証明しなくてはならなくなる。

 これはソクラテスのとっても不意打ちだった、というプラトンの設定だろう。その証拠に、最初ソクラテスは苦し紛れに、「困難な(むずかしい)」という言葉が、ケオス島の方言で悪いものの意味に解していることで乗り切ろうとする。しかし、この説明には失敗する。

 おそらく、こうした無益な議論で時間稼ぎしながら、ソクラテスはもっといい説明を探していたのだろう。

 次に試みる説明は、簡単に言えば、「まことにすぐれた人になることこそはむずかしい」、つまりなるだけでも難しいのだから、「すぐれた人であることはむずかしい」、つまりあり続ける何でことはできるはずがない、思いあがりだというものだ。

  ここではソクラテスは実に長々と喋る。大演説と言っていい。このあたりは本当のソクラテスなのだろうか。それともプラトンのサービスなのだろうか。プロタゴラスがシモニデスの詩を引き合いに出してソクラテスをやりこめようとしたが、逆に返り討ちに合ったというだけのことなのだろうか。

 むしろ、ここはソクラテスの機知の一つ性格を示そうとしたのかもしれない。つまり、これはソクラテスの自説でも何でもなく、最初に方言を持ち出してとんでもない解釈を試みたことからも、むしろ即興でこういう辻褄合せができるということをアピールしたのではなかったか。

 だから、ここでのソクラテスのシモニデスの解釈が正しいかどうかはここでは問題になっていない。同席していたヒッピアスが「ぼくにもうまい説がある」といったけど、それについて書くことはなかった。おそらくソクラテスはしばしば弟子たちに、有名な詩に突飛な解釈をしてみせたりしたのだろう。ただ、それは一つの言葉に即座に多義を見いだすという一つの才能によるもので、それがソクラテスのやり込め術の基本でもある。

 ここでは、この話はこれ以上発展させることはない。ソクラテスはこう言う。

 

 「詩のことを話題にして談論をかわすということは、どうも私には、凡庸で俗な人々の行なう酒宴とそっくりのような気がしてならないのである。なぜなら、そういう連中もやはり、酒を飲むときに、教養の貧しさのため、自己自身のもっているものだけを頼りに、自己自身の声と自己自身の言葉によって互いに交わるということができないので、自分のものならぬ笛の声を高い金でやとって、笛吹き女の市価を高からしめ、その声を肴にお互いのつきあいをするではありませんか。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.119~120)

 

 こう言われてしまうと、私なんぞも連歌や俳諧はもとより、プラトンの著作のことも話題にして、こうやって長々とお喋りをしていることが何か悪いことみたいに思えてしまうが、もちろん私自身はそれが悪いことだとも俗なことだとも思っていない。

 ただ、こうした議論がしばしば陥る間違いというのは、決定不能な言葉に対して、いかに深読みするかを競ってしまうことだ。俳句の議論なんかがたいていそれで、たとえば芭蕉の古池の句を論じるとしても、芭蕉の時代にそれがどういう意味を持ちえたかではなく、自分自身の美学でもって、ある者は蛙は一匹でなくてはいけないだとか、数匹の蛙が断続的に飛び込む方が深みがあるだとか、それぞれ頭の中で自分の絵を描いて、あたかもこうやってみんなで議論して、一番美しいと決まった絵が芭蕉の真意であるかのようになってしまう。結局、俺はこんな何でもない言葉に、こんなすごい解釈を思いつくことができるぞという、それを競ってしまうのである。

 プラトンの著作の解釈にしても、えてして陥りがちなのは、プラトンやソクラテスを神格化し、その無謬性を信じ、その一つ一つの言葉に対して俺ならもっと深い意味に読み取れるぞという競争なのである。結局、これは自分の考えだ、私はこう思うと述べるだけの自信がないものだから、権威のある人の言葉を借りて、その言葉に仮託して自説を押し付けようというやからなのである。

 他人の言葉について論じること自体は悪いことではない。大事なのはその言葉が持つ固有の世界を描き出すことであり、言葉の多義性をいいことにこんな解釈もできるぞというようなことを競うから、凡庸で俗っぽい議論になってしまうのである。

 いわゆる実証性のない、単に解釈の深さを競うだけの論議なら、ソクラテスの言うように、

 

 「はっきり確証できない事柄について、がやがやと論じ合うだけなのです。すぐれた人々なら、そんなつきあいはまっぴらだと言うでしょう。そして、自分自身の言葉のなかでお互いの力量をためしためされつつ、自己自身のもっているものだけを頼りに、互いに直接相手とふれあうのです。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.120~121)

 

ということになる。

 偉い人がこう言ったということではなく、はっきりと「俺はこう思う」という議論で勝負すべきなのである。

 しかし、日本だと「それはお前の考えだろ」だとか言われて一笑に付されてしまい、偉い人がこう言ったということを延々と語る人が偉い人とされている。受け売りすることが偉くて、自分の考えを述べることは「私見」と呼ばれ、さげすまされている。

 プラトンを読むというのは、プラトンはこう言っているが、俺はこう思うということであり、いわば人間と人間をぶつけ合うことなのである。私は、それをやらなければプラトンに失礼だと思っている。プラトンの無謬性を説いて、その権威にかこつけてこっそりと自説を仮託するようなやからの文章は、はっきり言って読むに値しない。多分、このことにはソクラテスもプラトンも同意してくれるだろう。

 真の議論は、お互いに「俺はこう思う」ということをぶつけ合うことであり、偉い人がこう言っただとか、世間ではこう言われているということではない。そのような議論は酔っ払いが酒場でぶつ演説と何ら変わらない。そういうわけで、ソクラテスは中断した徳についての議論の再開を求めることになる。

四、ふたたび徳について

   勇気

 

 ソクラテスの論法の多くは、今日でいえば詭弁だが、ただ、当時には今日のようないわゆる論理学が存在しなかったことは酌量すべきであろう。なぜなら、論理学の基礎は、ソクラテスやプラトンよりややのちのアリストテレスによって確立されたものだからだ。

 ただ、論理というのは別にアリストテレスの発明ではなく、誰もが推論する中に等しく含まれているものであり、自覚のあるなしにかかわらず、少なからず正しい論理とまちがった論理を識別している。だから、はっきりとは説明できなくても、何かこの人の言っていることはおかしいのではないかと気づくことはある。こういう感覚は案外正確なのである。

 ソクラテスの対話に、何か釈然としないもやもやが残るとすれば、まさにそれが原因であり、実際に無理な議論が多いのは確かなのである。

 ただ、弁論の勝負という観点からすれば、詭弁もまた弁論であり、詭弁を見破れないのはその人間の無能に他ならない。だから、ここでまたこれからソクラテスとプロタゴラスの対話を見てゆくうえで、勝ち負けだけではなく、(たとえば囲碁の勝負をあとから検証するように)ソクラテスがどういうテクニックを用い、それに対しプロタゴラスの受け答えのどこに敗着があったのかを見ていかなくてはならない。

 勇気についての議論で、ソクラテスはこう言う。

 

 「勇気のある人々と言われるのは、ものをこわがらない人々という意味ですか。それとも、違いますか」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.125~126)

 

 私ならこれは「違う」と答える。なぜなら、勇気があるというのは、外見上はこわがらないように見えるかもしれないが、むしろリスクを正しく認識し、その上で行動する人間のことだからだ。だから、こわがらないのではない。こわいけど進んでゆける人間のことだ。

 これをもし「そのとおりだ」と答えてしまうとどうなるか。プロタゴラスはそう答える。

 

 「では、貯水池の中にこわがらずにとびこむのは、どういう人たちかご存じですね」

 「むろん。──潜水夫たちだ」

 「彼らは、知識があるからこわがらないのでしょうか。それとも、何かほかの理由によるのでしょうか」

 「知識があるからだ」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.126)

 

 もうここで気づいた人もいるかと思う。このあたりですでに話がそれているのだ。潜水夫が水にとびこむのは仕事であって、貯水池での安全な作業するのに、はたして勇気は必要なのだろうか。

 普通、勇気と呼ぶのは、たとえば貯水池で溺れている人がいるとき、危険を承知で飛び込んで助けようとする人のことではないか。

 ソクラテスは同様の会話を続ける。

 

 「騎馬で戦うのをこわがらないのは、どういう人たちでしょうか。馬術の心得ある人々ですか、その心得のない人々ですか」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.127)

 

 この議論も明らかな引っ掛けである。「騎馬で戦うのをこわがらない」という場合、馬に乗ること自体をこわがらないという意味なのか、それとも戦いに行って戦死する危険をかえりみないという意味なのか。普通は後者の意味だと思う。

 しかし、ソクラテスはそれにあえて、「馬術の心得ある人々ですか、その心得のない人々ですか」と続ける。馬術の心得がある人が「騎馬で戦うのをこわがらない」という場合は、前者の意味になる。ここでプロタゴラスが、

 

 「馬術の心得ある人々だ」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.127)

 

と単純に答えてしまうと、頭の中では戦場で突進する勇猛な騎馬戦士の姿を描きながら、ただその勇気が、単に馬に乗る知識があるというだけのことに見えてしまう。つまり錯覚している。

 

 「小盾を持って戦う場合には、どういう人たちがそうでしょうか。盾兵ですか、それとも盾兵以外の人々ですか。」

 「盾兵だ。そして、そういうことをききたいのなら、他の万事すべてがそのとおりだと言っておこう」と彼は言った。「つまり、知識がある人々は知識のない者よりこわがらず、またそれぞれの当人においても、ものを学べば、学ばない前の自分とくらべて、その事柄をこわがらなくなるのである」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.127)

 

 すでにプロタゴラスの頭の中は、ソクラテスの罠にはまって完全に混乱している。

 戦場で突進するのは、知識の問題だろうか。つまり、馬の乗り方や盾の使い方を訓練しさえすれば、戦場で勇敢に戦えるようになるのだろうか。

 確かに、訓練は自信につながる。つまり、他のへまなやつは死んでも、俺は生き残れるという自信にはなるし、必ず勝てるという確信も勇気につながる。しかし、知識によって戦死する危険を減らすことはできても、危険そのものが消滅することではない。戦場で突進するには、危険そのものをかえりみない勇気が必要であり、技術はあってもノミの心臓では腰が抜けて動けなくなる。スポーツでも、実力はあるのに本番でその力がうまく出せない選手というのがいる。

  戦況によっては、明らかに不利な状況であっても、戦わざるを得ない場合もある。たとえば『300』という映画にもなった、テルモピュレの海戦に付随した陸上戦では、圧倒的なペルシャの大軍を前に、300名のスパルタの戦士が玉砕した。後世の人はその勇気を讃えたが、それははたして「知識」によるものだったのだろうか。「到底勝てない」と知っていて、逃げる人とそれでも闘う人がいる。その違いは何なのだろうか。

 ソクラテスは、勇気と知が同じものであることに同意させるために、さらに追い討ちをかける。

 

 「しかし、あなたはこれまでに‥‥略‥‥すべてそういった事柄の知識をもっていないのに、それらひとつひとつの事柄に対してこわがらないような人々を、しばしばごらんになったでしょう?‥‥略‥‥そういう無鉄砲な連中は、また勇気のある者でもあるのでしょうか」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.127)

 

 普通に考えると、勇気の反対は臆病だと思う。しかし、この例を持ち出すことによって、ソクラテスはあたかも勇気の反対が無鉄砲であるかのように思わせようとする。プロタゴラスは、ただ言われるがままに、

 

 「それでは勇気というものが、みっともないものということになってしまうだろう‥‥略‥‥とにかくそういう連中は、正気ではないのだから」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.127~128)

 

と答える。

 

 「そうするといったい」とぼくは言った、「あなたの言われる勇気のある人々とは、どのような意味なのでしょうか。ものをこわがらない人々のことではありませんか」

 「その考えにかわりはない」と彼。

 「でも」とぼくは言った、「そのような、いま言った仕方でものをこわがらない人々は、明らかに勇気があるというものではなく、正気を失っている者たちではありませんか?他方、さっきの話では、かの最も知をそなえた人々が、また最もものをこわがらない人々でもあり、そして最もものをこわがらないからには、最も勇気のある人々なのでしょう?こう論じてくると、知恵こそが勇気であるということになりますね?」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.128)

 

 しかし、ここでソクラテス二つの議論を一つのこととして言おうとしている。つまり、「勇気とは、ものをこわがらない人々だ」という最初のことばがまちがっているということと、「勇気と知は同じものである」ということだ。

 勇気というのは、こわがらないのではない。こわくても行動することだ。そして、無鉄砲はこわさがわかってないがゆえに他の人が恐れていることでも行動する人のことであり、こわいと思っていないから行動する人のことである。

 たとえば、無動力の気球でも、ジェット気流に乗れば太平洋を横断してアメリカにゆくことができる。

 ただ、ジェット気流に乗るために一万メートルもの高度まで上昇しなければならず、それだけの浮力のある気球を作るのは大変なことだし、そこには恐ろしい寒気と空気の薄さが大きな障壁となる。もし、それだけの浮力を得られないなら、気球はジェット気流に乗ることもなく、気ままに向きを変える風に流されて、どこへ行くかわからない。また、浮力があったにしても、寒さと空気の薄さに耐えるだけの装備がなければ凍死する。

 知識は危険を認識するのには役に立つ。この危険を知らないなら、むき出しの駕籠に風船をつけて、意気揚々と飛び立ち、最後は太平洋上で行方不明になる。これは八十年代に実際に起きた、いわゆる「風船おじさん」の事件だった。

 この風船おじさんははたして勇気があったのだろうか。そんなことはないだろう。真の冒険家というのは、危険を十分知っていて、それに耐えうるだけの気球を設計して太平洋横断に挑む。危険を知らないのではない。危険を知ってて挑むのが勇気なのである。そして、知はその危険の認識を助けているにすぎない。

 確かに無動力の気球で太平洋を横断するのは危険なことだ。われわれはそんな危険を冒さなくても、成田から飛行機に乗ればより安全にアメリカへ行けることを知っている。しかし、成田から旅客機に乗って太平洋を横断しても、誰も勇気を褒め称えることはない。安全だという認識は勇気とは無関係なのである。

 戦争でも同じである。白兵戦で戦死する危険を承知で突進してゆく人は勇気がある。しかし、自分は安全な基地にいてただボタンを押すだけで、無人の誘導ミサイルで敵を攻撃することがはたして勇気といえるだろうか。

 勇気と知が同じものだというところには問題はある。しかし、「勇気とは、ものをこわがらない人々だ」という最初のテーゼはまちがっていた。ソクラテスはこの二つをセットにすることで、「勇気とは、ものをこわがらない人々だ」という最初のテーゼを否定させることと、勇気と知が同じものであることとを一つの問題として扱う。

 プロタゴラスはこの罠にはまったままだ。この二つが別々の問題ならば、最初の「勇気とは、ものをこわがらない人々だ」という同意を撤回すればいい。しかし、この二つがセットになってしまうと、勇気と知が同じものではないという主張を守ろうとして、「勇気とは、ものをこわがらない人々だ」という同意も何とかして守らざるをえなくなる。

 そこでプロタゴラスはこう言う。

 

 「ソクラテス、君はさっき私の言った答を正しく覚えていないね。いかにも私は、勇気のある人々はものをこわがらないかと君からたずねられたからこそ、そうだと答えた。けれども、逆にまた、ものをこわがらない人々は勇気のある人々であるかとは、私はきかれはしなかった。あのとき君がそうたずねたのだったら、私は『必ずしもすべてそうではない』と答えただろうからね。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、一九八八、岩波文庫、p.128)

 

 これは確かに一つの理屈ではある。ただ、これだと、知識があり、且つものを怖がらないのが勇気であり、知識がなく、且つものを怖がらないのが無鉄砲だということになる。

 この種の議論に難しさは、対象が容易に目に見えて識別できるものではないため、検証が困難であるところにある。たとえば、犬と猫とが同一かどうかは見た目にわかるし、おたまじゃくしと蛙が同一かどうかも観察によって容易に証明することができる。

 ひょっとしたら、脳科学がもっと進歩すれば、勇気というのが一つの行動パターンとして進化したもので、脳の一定の生理的状態(脳内物質の状態や特定のニューロンの発火パターンなど)として説明可能なものとなり、どこからどこまでが勇気と呼ばれるべきものかが確定される時がくるかもしれない。

 しかし、未だにそこまで科学は発達していない。われわれは勇気について、プラトンの時代とさして変わらない程度の認識しか持っていない。つまり、物質的に対象が確定できない以上、形而上の問題として、つまり魂の問題として議論するしかない。

 そこにはさまざまな恣意的な判断が加わる。ある者は風船おじさんも勇気があると言うかもしれないし、ある者は植村直己をただの無鉄砲なオヤジだと言うかもしれない。

 そもそも勇気というのはリスクのあることをするから勇気なのであり、リスクがある以上、勇気がある者はいつかその行為によって死ぬ可能性も大きい。ヘルマンブールも植村直己も山田昇も最後は山で死んだ。名だたる英雄や武将でも最後に戦死した人は珍しくない。もっと小さな勇気でも命を落とすことがある。ホームから落ちた人を助けようとして線路に飛び降りた韓国の留学生、暴走族を注意しようとして殺された人。こうした例も数え上げればきりがない。実際勇気と無鉄砲が紙一重なのは事実である。

 いくら知識があるとはいえ、人間の知識に絶対はない。その意味では賢い人といえども愚かな人といえども、ある行為の結末を完全に予測することができないという点では、五十歩百歩なのかもしれない。

 絶対安全なんてものはありえない、万に一つも危険がないとはいえないことならば行うべきでないとするならば、われわれは何一つできることはない。寝ていても突然ミサイルが降ってくるかもしれない。まして、われわれが起きてすることで、全く危険のないことなんてのはない。歯を磨けば、うがいの水に毒が入っているかもしれない。髪を整えれば、ドライヤーが突然火を吹くかもしれない。

 勇気は不完全な知識で生きている以上、人間に限らずどんな生物でも不可欠なものであり、それなしには生きることも、子孫を残すこともできない。だから進化する必然性があった。知識があるから勇気が出るのではなく、むしろ知識が不完全だからこそ勇気を出さなくてはならないと言った方がいいのかもしれない。

 また、知識を後天的に学習されたものに限らず、遺伝子に組み込まれたものも知識と呼ぶのであれば、勇気もまた危機を乗り切るために遺伝的にプログラムされた一種の知識だということもできるかもしれない。この種の問題は定義次第で結構どうにでもなる。

 魂に関するものは、あくまで神によって作られた非物質的なものであり、それについては特定の神の声を聞く能力のある人間のみが知りうるなら、われわれはその能力者の説明を信じるしかない。しかし、そういう能力があると称する人の説が、同じだったためしはない。だから宗教の対立はなくならない。

 また、誰もが内省的直観によってそれを知りうるのであれば、とっくに一つの真理が修行を積んだ多くの人によって検証され、すでにある程度の答が出てなくてはならないだろう。

 しかし、プラトンの時代より二四○○年もたって、未だに結論がでないということは、やはり勇気の問題は何か物質的な基礎によるものと考えた方がいいだろう。

 最後に、プロタゴラスはソクラテスの論証のまずさを指摘する。

 

 「それから、君は、知識をもっている人々が、知識をもたない前の自分よりも、また知識をもたないほかの人々よりも、いっそうものをこわがらないということを示し、それだけのことで、勇気と知恵とが同じものであると思っている。しかし、この論法で行くと、君は、強壮さとは知恵であると思うこともできるだろう。」

 

 ソクラテスの論法は、

 

 勇気のある者はものをこわがらない

 知識のある者はものをこわがらない

 ゆえに勇気は知識である

 

というもので、これはもちろん三段論法ではなく、一般には述語の一致による誤謬推理であり、典型的な詭弁とされている。

 

 犬は動物である

 猫は動物である

 ゆえに犬は猫である

 

というのと同じだ。だから、プロタゴラスもそこを突いてこう言う。

 

 強壮な人は有能である。

 知識のある人は有能である。

 ゆえに強壮は知識である

 

 論理としては、プロタゴラスは正当なことを言っているのだが、ソクラテスはこれを無視して話題を善と快楽の問題に転じる。このあたりもソクラテスの百戦錬磨の狡猾さといっていいだろう。日の当たるところを歩いてきたプロタゴラスには、なかなか難しい相手だ。

 

 

 

   絶対的な知

 

 さて、このあたりでプロタゴラスの敗因を検証してみよう。一つには、ソクラテスが何を前提として徳についての問題を切り出したかが、最後までプロタゴラスには読めてなかったことであろう。

 それは神の知である。この神はギリシャの伝統的な神々ではなく、ここでは明言されることはないものの、ダイモンの神の知と見た方がいい。とにかく、何らかの絶対的な知を前提とすれば、正義、分別、敬虔、勇気、知恵が一つのものになるということなのである。

 これに対して、プロタゴラスならずとも、ごく普通の常識ある人間なら、人間が絶対的な知識など持っていないことを知っている。そして人間の行動は、常にこの不完全な知識の中で生じていることも知っている。

 知識が不完全でも人は生きるために日々さまざまなことを決断しなくてはならない。そこから、さまざまな徳が生れる。不完全な知であっても、それに賭けるのは勇気である。そして、何に賭けるか、その基準となるのは、正義であったり、分別であったり敬虔であったりするのである。しかし、もし完全な知が存在するなら、賭けをする必要はない。ただ知っていることを行動にうつせば足りるのである。

 ソクラテスにとって、推論で持って何かを証明するという作業は問題になっていない。なぜなら絶対知があるならば、推論する必要もなければ、証明する必要もない。ただ、どのような手段であれ、詭弁であれ何であれ、説得できればそれでいいのである。推論や証明でもって一つ一つ断片的な真実を積み重ねてゆく作業はそこには存在しない。

 その意味で、ソクラテスはソフィストではない。今日的に言えば、新興宗教の教祖様なのである。つまり、論理の通用しない人間を相手にしているのだということをプロタゴラスは見抜けなかったのである。

 それは、プロタゴラスがようやくソクラテスの論法を見抜き、述語の一致による詭弁を指摘した際に、ソクラテスがそれに何の関心もなくスルーしたことでも明らかであろう。

 こう考えれば、これまでのソクラテスとプロタゴラスの議論が何でかみ合わなかったのかわかる。

 さて、これからがソクラテスにとっての仕上げである。ここからの議論もまた、知識が既に完全であるという前提で読まなければ理解できない。

 

 「ところで、プロタゴラス、あなたは、人間たちのなかには善き生を送る者と、悪しき生を送る者とのあることを認めますか」

 彼は肯定した。

 「では、悩みと苦しみのうちに生を送るとき、人間は善き生を送ると思われますか」

  彼は否定した。

 「では楽しく一生を送って生涯を終える場合はどうでしょう。そうして送った生涯は、善き生であったことになると思えませんか」

 「たしかにそう思う」と彼は言った。(p.130~131)

 

 このあたりのソクラテスの話し方、既に説教師のような口調に変わっているのを見ることができる。そして、

 

 「してみると、楽しく生きることは善いこと(善)、不快な生を送ることは悪いこと(悪)なのです」(p.131)

 

という言葉をプロタゴラスがさえぎって「立派な事柄を楽しみながら生きるならば、だがね」(p.131)と言った時に、ソクラテスの発言はますます説教調になる。

 

 「何ですって、プロタゴラス?まさかあなたまでが、多くの人々と同じように、ある種の楽しみは悪であり、ある種の苦しみは善であると呼ぶのではないでしょうね」(p.131)

 

 これまで下手に出たり、時折頭が悪そうに装っていたソクラテスも、ここでは完全に高いところからプロタゴラスを見下ろしたようにものを言う。

 快楽は善であり、苦痛は悪である。一見当たり前なようで単純ではないこの命題。何がこの命題を複雑にしているのか。それは一つには、自分にとっての快楽が他人にとって苦痛になる場合、もう一つには今は快楽であるが、長い目で見れば苦痛になる場合があるからである。

 たいていの人は、自分の今の快楽がどのような帰結を生むかについて、完全な知識はないという前提で考える。そこから、ある種の快楽は悪であり、それを抑えるべきだという議論になる。しかし、ソクラテスはこれが完全に計算できるという前提で議論する。

 たとえば、ソクラテスが知識というものをどのようなことと考えるかについて、プロタゴラスに尋ねる。

 

 「多くの人々は知識というものを、なにか、強さも指導力も支配力もないようなものと見ています。知識について考える場合、彼らは決してそれをそういった性格のものとは見なしていない。たとえば人間が知識をもっているとしても、いざ実際に人間を支配するものは、しばしば知識ではなくて何かほかのもの─あるときには激情、ときには快楽、ときには苦痛、ときには恋の情熱、またしばしば恐怖などであると、こう考えているわけです。つまり何のことはない。彼らの考えている知識というものは、いわば奴隷のように、他のすべてのものによって引っぱりまわされるものなのですね。」(p.133~134)

 

 しかし、知が人を支配できるのは、その知がある程度の精度を持つときに限られるのではないか。間違った知が人を支配したらどんな悲惨な結果になるか、歴史は常にそれを繰り返してきてないか。

 経験的に何度も検証を重ねた知識については、確かにわれわれを支配する力はある。たとえば、高いビルの屋上から落ちたら死ぬ、という知識はほとんどすべての人を支配している。だから、自殺でもしようとしない限り、人は高いビルの屋上から飛び降りたりはしない。

 ソクラテスが最初の方で例に挙げた、建築や造船の知識についてもそうだ。建築から見て、耐震強度に問題があり、地震が来れば倒壊する危険のあることが判明すれば、我々にそこに住むことも、そのような建物を建てたままにしておくことをも禁じる力がある。建築や造船についての知識は、倒壊する建物や沈む船を禁じるだけの力がある。だから、建物を建てるときや船を造るときは、かならず専門家に相談するのである。

 それでもこの知は完全ではない。完全に計算されていたはずの建物が、予想外の事態で倒壊することもある。それでも、知識のない人間が設計した建物よりは、はるかに信頼できる。

 しかし、徳だとか善悪だとかの知識は、こうした知識とは明らかに異なるはずだ。まして、哲学的な知、つまり内省的な直観にたよるだけの、検証不能な知についてはだ。

 

 「はたしてあなたもまた、知識をこんなふうに見ていらっしゃるのでしょうか?それとも知識は立派なものであって、人間を支配する力をもち、いやしくもひとが善いことと悪いこととを知ったならば、何かほかのものに屈服して、知識の命ずる以外の行為をするようなことはけっしてなく、知恵こそは人間を助けるだけの確固とした力をもっていると、このようにお考えでしょうか」(p.134)

 

 知識が人間を支配する力を持つには、その知識が、完全ではないにしても、ある程度信頼できるだけの精度がなければならない。しかし、ここではその完成度を問題にせずに、知識が人間を支配できるかどうか答を出せという。

 ならば精度を高めるにはどうすればいいか。それは仮説と検証を繰り返すしかない。法律や制度にしても同じだ。作ってみてうまくいかない法律や制度は改正しなくてはならない。そうして試行錯誤を繰り返して、人はよりよい社会を作ってゆくのである。そういう意味で知は力があるというならもちろん私も賛成する。

 プロタゴラスは何を思って、賛成したのか。

 

 「いかにもそれが‥‥略‥‥私の見解であるというだけでなく、ソクラテス、同時にまた、およそ人間にかかわりのあるすべてのもののなかで、知恵と知識にまさるものはないと主張しないとしたら、余人はしらず、この私にとっては恥ずべきことだ」(p.134)

 

 たとえば、「快楽に負ける」ということを、

 

 「それらの快適な事柄が悪であるのはほかでもなく、ただ結果として苦痛に終るからであり、ほかのいろいろな快楽を奪うという理由によるものではないかね」(p.138)

 

と説明し、「苦痛に打ち勝つ」ことを、

 

 「それらの事柄が善であるのは、ほかでもなく、ただ結果として快楽に終るからであり、さまざまの苦痛から解放され、苦痛を防止することになるからではないか。」(p.139)

 

ということは確かにできる。だが、問題はその予測がどの程度の精度を持っているか、不確定なものが多いから困っているのではないのか。

 たとえば、医者から酒をやめないとあと十年も生きられないと言われた時、この十年がどの程度確実なものなのかで、身の処し方もちがってくる。もちろん、ちょうど十年目に死ぬという意味ではない。実際には五年も持たないかもしれないし、ひょっとしたら酒を飲み続けても何ら変らずに生きられるかもしれない。また、酒で命が絶たれる前に別の理由で死ぬかもしれない、などと考えれば、酒をやめるかどうかの決断は一つの賭けとなる。

 酒をやめるほうに賭けるのは、一つの分別である。酒を飲み続けるほうに賭け、そしてその賭けに結果的に負けたなら、それは「快楽に負けた」ということになる。

 逆につらい仕事を我慢して続けるべきかどうかで迷った時、将来その会社が大きくなって、莫大な利益を上げ、それに伴い自分も出世し、たくさんの財産をこしらえて悠々自適の老後が待っているとわかっていれば、誰しも我慢するだろう。

 しかし、会社の経営も、国の経済も、確実な予想はできない。苦労して働いても会社は傾き、最後は倒産して退職金も出ないということもありうる。

 これも一つの賭けである。たとえ会社が傾いても、会社と運命を共にするんだと決意するのは、いわゆる「忠」である。これに対し、新たな仕事にチャレンジするのもまた一つの勇気である。しかし、辞めたもののろくな職もなく、もっと条件の悪い職場でこき使われることになれば、やはりそれは 「苦痛に負けた」ということになる。

 ソクラテスの議論はその知識が確実であり、計算可能である場合に限られる。

 このようなある程度信頼できる知が存在するなら、

 

 「君は、ちょうど目方を計るのが上手な人のするように、快と苦とをそれぞれまとめて秤にかけ、さらにこの秤のさおに、近さと遠さの分銅を乗せて、そのうえでどちらの側が重いかを言うことにしたまえ。つまりそのようにして、快と快との目方をくらべる場合なら、目方のより大きくより多いほうをつねにとるべきだし、苦と苦をくらべる場合なら、より少なくより小さい方をとるべきだ。‥‥略‥‥こういった事柄について、いったいこれ以外のことが考えられるかね、諸君?」(p.145~146)

 

というのも正しい。

 たとえば麻薬や覚醒剤によって得られる快楽も、快楽そのものは善であり、ただ後からもたらされる恐ろしい結末が悪だと言えば、誰しも「えっ」と思うかもしれない。これに対しては、たとえば末期癌の患者にモルヒネを投与することなどを考えればいいだろう。痛みを和らげ、快楽をもたらすことは善なのである。また、脳内モルヒネなどという言葉があるように、本来人間の脳内で働くβエンドルフィンという物質はモルヒネと同じ効果を持つものであり、快楽という点では同じものである。なのに、ジョギングでランナーズハイになっていても、誰もそんなに悪いこととは思わないだろう。

 快楽を悪と考える思想というのは、基本的には出る杭は打たれる的なものであろう。自分は幸福になりたいにもかかわらず、他人の幸福が許せないのは、人の世の常だ。

 つまり、人より多くの快楽を得ると、周りの人間から袋叩きに合いかねない。だから快楽は人知れず楽しむのをよしとする。しかし、これは結局快楽そのものが悪なのではなく、袋叩きに合うことが悪だと言われればそれまでであろう。

 そして、その計量術は算数なのだから、人に教えることができるということになる。

 我々は既にソクラテス以降の二四○○年もの歴史を知っていて、未だに快楽が数学的に計算できてないのを知っている。しいてそれに近いものがあるとすれば、経済学がそれだろう。それは快楽というよりは富についての算数だ。

 しかし、未だに快楽が十分に計算できないとしても、快楽を善と見なし、快楽の実現を社会の目標にすえ、快楽を最大限に高めるための「快楽の科学」を生み出したことが、結局西洋文明が世界を席巻する力を持った最大の理由ではなかったか。

 アメリカナイズということが世界的に起こるのも、単にアメリカの経済力だとか軍事力だとかの問題ではない。銃で脅かされるだけだったら、服従なんてものは表面的なものにすぎない。そうではなく、アメリカがやはり憧れなのは、それが快楽をもたらすからだ。この点では、おそらく中国がいくら軍事力や経済力をつけても勝つことはできないだろう。実際中国人はアメリカに憧れているからだ。

 もっと遠い将来なら、快楽がある種の脳の状態として、測定可能になるかもしれない。われわれの知が完全になればなるほど、ソクラテスのいうこの理想に近づく。しかし、われわれの寿命はそこまで長くはない。経済学の世界でも言われることだ。ケインズの言葉だが、「長期的に見れば、みんな死んでいる」。

 教えると言っても、実際にできるのは、せいぜいこういうことをすればこういうことになるという情報程度だろう。

 たしかにわれわれは酒や薬物への依存が何をもたらすかを教えることができる。こうしたものは科学的にもはっきりしているし、はっきりとした因果関係がある。しかし、嘘をつくとどうなるのかといった場合には、その結果ははるかに予測し難い。人を殺せばどうなるかについても、必ずつかまって死刑になるということではない。せいぜい教えることのできるのは、どういう法律があって、どういう罰を受けるといったことや、検挙率がどれくらいかとか、実際の殺人犯がその後どういう社会的制裁を受けているかということだろう。しかし、計算式までは教えられない。最後の選択は本人の決断にかかっている。

 たとえて言えば、明日の競馬でどの馬が勝つかは教えることはできないが、ただ、馬のコンディションや性格や、これまでの戦歴といったことなら教えることができる。しかし、どれに賭けるかを決めるのは、その人の勘にすぎないのである。

 一番わかりやすい、薬物依存の例にしても、実際薬物依存に陥る人のうち、ある種の人は薬物の害を知らずに手を出した結果かもしれない。そういう人なら、事前に薬物の害について正しく教えられていたなら防げたかもしれない。

 しかし、一方で、たとえば何年も続く終わりの見えないいじめの中で、自分にはこれから先何一つ満足な快楽を得ることはないだろうと悲観したうえで、薬物の害を承知しながらも、一生続くいじめ地獄にくらべればたいしたことないと思うかもしれない。どうせ地獄に変わりないなら、たとえ一時の快楽でも割が合うと計算するかもしれない。

 こういう場合、必要なのは、薬物の害を説くことではなく、実際にいじめ問題を解決してやることだろう。

 実際に快楽の計算式を教えることができない以上、道徳教育は結局旧態依然のまま、単に既存の価値観に基づいて、あれはやってはいけない、こういうことをしなさいというだけの、お説教の域をでることはない。こうしたお仕着せ道徳では、かえって反発を招くか、ただ単にいい人をよそおうためのテクニック(処世術)を身につけるだけに終る。つまり建前論ばかり言う人間を作るだけで終る。有力者にえてしてバカ息子が生れるのも、こうした建前道徳の押しつけがえてして逆効果にしかならないからだ。

 ソクラテスは結局、一つのイデアを提示したのである。われわれの知が完全なものになった日には、我々の快楽は完全に計算できるようになり、もはや賭けをする必要はなくなる。そのため、勇気はリスクを受入れることではなくなり、ただ知っているというだけのことになる。ほかの徳についても同様になる。すべてが見通せるなら、正義も分別も敬虔も必要ない。ただ、最大の快楽にむかって計算どおりに行動するだけなのである。

 ソクラテスは、これをダイモンの神の声と呼んだ。そして、この声は論証不要な自明の真理であって、そのため必要なのはあくまで説得であって、そのための詭弁は方便として許されるものであった。

 この『プロタゴラス』を書いた時点では、プラトンもまたそう信じていたのだろう。そのため、この『プロタゴラス』では、理路整然と議論を組み立てるプロタゴラスに対し、むしろソクラテスは詭弁を駆使して狡猾に論理を進め、最後はプロタゴラスをやり込めるというストーリーとなっている。

 これは今日一般に知られているソクラテスとは逆ではないか。詭弁を駆使するソフィストたちに対し、きちんとした議論をしてその欺瞞を暴いてゆくのがソクラテスではなかったのか。

 『プロタゴラス』はプラトンの初期の著作だから、ソクラテスに詭弁が多いのはプラトンの未熟さによるものだろうか。私はむしろ逆だったと思う。頭がよく理路整然としていて、つんと取りすまして、金や権力に擦り寄るソフィストたちに対し、ソクラテスはむしろ無学で、口先のテクニックだけでのしあがってきたオヤジではなかったか。

 プラトンではなく、実際のソクラテスがどのような思想を持っていたか、ここで一つの推測を述べてみよう。

 おそらくソクラテスは何らかの神秘体験、つまり自己と他者、自己と世界との境界が消滅するような、至福の体験を持っているにちがいない。それが絶対的な知を手に入れたという確信となる。

 それと前後して、何らかの形でユダヤ的な一神教を知る機会があったのだろう。ソクラテスは自分自身の内なる光と声の起源を、ダイモンという一つの神によるものとする。

 ダイモンの命ずる声はきわめて単純なものだった。良きものはすべて一つなのだ。真も善も美も、正義も分別も敬虔も勇気も、愛(エロス)や快楽も。

 人生の目的はそこから明瞭だった。良きものを求めよ。良く生きよ。それは真理を求めることも善を求めることも美を追求することも快楽を求めることさえも、「同じ」ものだった。

 ただ、やみくもな快楽の追求はより大きな苦をもたらす。そこは計算せよ、ということになる。

 ソクラテスは、それ以外のものには興味がなかった。天地が何からできているかも、天体がどのように動くかも、その他のさまざまな技術や職人芸にも興味がなかったし、よくわからなかったと言ってもいいだろう。

 まして自らの思想を理論にすることもなく、ただ、快楽の算術を一つの理論にしようと企てることもなく、あくまで直感的に体得してに熟達するのみだった。

 おそらく、ソクラテスも若い頃はソフィストを目指し、弁論で身を立てようとしたこともあったのだろう。それは惨敗に終った。ソクラテスの仕事は、法廷で華々しく弁論を繰り広げるソフィストではなく、示談で単独交渉するやくざまがいのものだった。

 その中で、知恵が足らないために債務奴隷に転落してゆく人を何人も目にし、それを救うのがソクラテスの仕事となった。報酬を要求するわけでないが、お礼の金品で結構いい暮らしもできるようになった。

 そして、自分は神の声の聞こえる選ばれた人間だという意識をもったソクラテスは、若者たちを奴隷への転落から救うべく、知の大切さを説き、快楽の算術を説いて回った。

 しかしそこで説く「知」というのも、実際には科学にも疎く、きちんとした論理も持たない、ソクラテスのことで、いわゆる学説があったわけではない。ただ議論で相手を翻弄し、打ち負かすためのものだった。

 良いものは良いんだ。小難しい区別などない。良いものを求めるのは当然の権利だ。そして、最善のものを得るのも簡単だ。それによって得られる快楽と、それによって生じる苦痛を秤にかければわかるはずだ、と。

 このわかりやすい教義は、多くの若者の心をとらえた。

 しかし、その布教方法は、それほどきれいなものではなく、結果さえ良ければすべて方便として許されるというようなものだった。詭弁でやり込めて、若者に恐怖心を植え付けたり、自信を喪失させたりして、洗脳まがいのこともやったし、おそらく自分が神の声をきく選ばれた者だということをわからせようとして、「空中浮遊」のようなマジックを使ったりもしたのだろう。アリストファネスの喜劇で籠に乗って上から登場するソクラテスは、この種の手品を皮肉ったもので、まったく根も葉もないものではなかっただろう。

 こうして形成されたソクラテス教団を、世間の人は決して快くは思わなかった。ソクラテスは、

 

 「ソークラテースは国家の認める神々を信奉せず、かつまた新しい神格を輸入して罪科を犯している。また青年を腐敗せしめて罪科を犯している。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、一九五三、岩波文庫、p.23)

 

という罪で告発され、結局死刑になった。

 死刑判決に対して、ソクラテスは自分があくまで神の声をきく人間であり、こうしたことはすべて予期できたことだと信じさせなければならなかった。

 なぜなら、快楽を計算し、苦痛をもたらす結果になることはするなと教えてきたからだ。自分自身の「死刑」という結果を予期できなかったということは、快楽の計算ができてなかったということになってしまうからだ。

 そのためにソクラテスは二つのことを言った。一つは、この死刑は予測していたことであり、逃れる気がないということ。一つは、死はひょっとしたら良いものであり、最大の快楽かもしれないということ。

 こうして、ソクラテスは最後まで教祖様を演じて死んだのだった。

 どこか胡散臭く、どこかいかがわしいが、それでも偉そうなソフィストたちをやり込めてゆく姿は、社会に不満を持つ反抗的な若者の心をとらえるものがあった。特に坊ちゃん育ちで、何不自由なく育ちながらも、むしろ豊かであるがゆえに負い目を感じ、その豊かさが不正の上に成り立っていることに罪悪感すら覚えるような若者には、それこそ神様のような人だったのかもしれない。

 プラトンもまた、若い頃ソクラテスにはまった一人だった。その気持ちがこの『プロタゴラス』にはまだ込められていたのではなかったか。

 やがてプラトンも大人になり、詭弁ではなくちゃんとした論理も必要なことがわかってくる。それとともに、プラトンの書くソクラテス像も大きく変わってくる。プラトンの手で、ソクラテスは哲学の先駆者としてまつりあげられ、そのイメージが後世のソクラテス像を決定的なものにしてしまった。

 しかし、この『プロタゴラス』には、まだソクラテスの真の姿が反映されている。それがこの作品の面白さではないかと思う。

 

 

   議論は終らない

 

 最後にソクラテスはこう言う。

 

 「私がこういったすべてのことをおたずねするのは、決して他意あってのことではありません。ただもっぱら、徳に関する諸問題を考察するとともに、徳それ自体がそもそも何であるかを考えてみたかったからなのです。というのは、私にはわかっているからです─それさえ明らかになれば、〔徳は教えられるかという〕さっきの問題も、最もよく理解されるにちがいないだろうと。私たちはその問題について、私のほうは徳が教えられることのできないものだと言い、あなたのほうは教えられるものだと言いながら、めいめいが長い議論をくりひろげたのでしたね。

 そしてどうも私には、私たちがたったいま到達したこの議論の結末が、何かまるで人間のような顔をして私たちをなじり、からかっているような気がしてなりません。もしそれがものを言うことができたら、さだめしこんなことを言うことでしょう─

 『そろいもそろって変り者だね、君たちは、ソクラテスにプロタゴラス。君のほうは、はじめのうちは徳は教えられないのだと言っていたくせに、今ではカンカンになって自分の言ったことに反対し反対し、正義も節制(分別)も勇気も、いっさいがっさいが全部知識であることを証明しようとつとめている。そんなことを証明するのは、徳が教えられうるものだということを、何よりもいちばんよく明らかにすることにほかならないだろうに。なぜなら、もし徳というものが知識とは別のものだとしたら─ちょうどプロタゴラスが言おうとしていたようにね─、明らかにそれは、人に教えることのできるものではないということになるだろう。‥‥中略‥‥

 他方プロタゴラスはプロタゴラスでまた、さっきは徳が教えられうるものだと決めかかっていたのに、今では反対に、それが何でもいいから、とにかく知識以外のものであることが明らかになればよいと、賢明になっているように見受けられる。これもまた、もしそのとおりだとしたら、徳が教えられる可能性はほとんどなくなってしまうだろうにね』」(p.162~163)

 

 たしかに両者の主張は逆転した。決着はまだ付いていない。(もっとも最初のプロタゴラスの演説で、ある程度の答はでているようにも思えるが、この答えはプラトンは納得するものではなかったようだ。)

 この本はソクラテスとプロタゴラスの和解と、議論の継続を約束して終っている。しかしプラトンは『プロタゴラス』の続編は書いていない。

 ここは一つ二四○○年後の人間としての貫禄を示すためにも、一応まとめをしておこう。

 

 プロタゴラス:ところでソクラテス、快楽の算術はどうなったのかな。完成したのかな。それが計算できなければ、結局人は未だに知識以外のものを徳と呼んで、それに賭けてみるしかないのではないかな。

 まして徳を教えると言っても、相変わらず経験的な教訓話程度のものしか教えていないではないか。

 

 ソクラテス:何を言うんですかプロタゴラス。快楽が算術として計算できるという希望があったからこそ、科学も文明も社会システムも経済も、こんなに発展したではありませんか。快楽の算術が完成するかどうかなんで最初から問題ではなかったんですよ。それこそ神のみが知ることではないですか。

 人が今よりも豊かで平和で楽しい人生を歩むには、まず快楽を肯定しなくてはならなかったし、最大の快楽を得るために多くの人のすぐれた頭脳を結集しなくてはならなかったはずです。そのために、知識は教えられ、受け継がれていかなくてはなかったのではないでしょうか。

 

 プロタゴラス:これはまいった。そこまで見通してたとはな。だが、知識は果たしてどこまで人間を変えることができたかな。人間は結局神からあたえられた本性のままに生きているように私には見えるのだが。

 

 ソクラテス:本性のままに快楽を追及し、そのための最善の方法を求め、それを知識として伝えてゆく。ちがいますか。

 

 プロタゴラス:快楽のために知識を求めるのは人間の本能というわけか。しかし、ソクラテス、君を見ているとどうもそれだけには思えない。正直に答えてくれ。君は本当に快楽のために知識を求めているのかね。それとも知識を求めることもまた快楽なのではないかね。

 

 ソクラテス:プロタゴラス、君は相変わらず細かい論理のちがいを気にしますね。快楽のために知識を求めるのと、知識を求めるのが快楽というのと一体どこが違うというのですか。

 

 プロタゴラス:ハハハ、相変わらずだな君は。

アリストパネス『雲』解説

 ソクラテスを登場させたことで知られるアリストパネスの喜劇『雲』は、BC四二三年三月の大ディオニューシア祭の際に上演され、三本上演された中の三等、つまり最下位だったという。

 このときソクラテスは四十六歳で、死刑になるのは二十四年も後だ。ソクラテスについて多くのことを書き残したプラトンはとクセノフォンは、ともにBC四二七年の生まれとされているからまだ四歳。この喜劇のことをリアルタイムで知ることはなかった。

 ところで、BC四二三というと、ソクラテスはこの前年のBC四二四年にデリオンの戦いに従軍している。このときアテナイ軍はテーバイの深縦隊列や騎兵と歩兵の連携作戦などの新戦術に敗れ、ちりじりになって敗走した。このとき、テーバイの騎兵は逃げ惑うアテナイ軍に執拗な追撃を行った。装備を捨て、丸腰で一目散に逃げる兵士たちも、騎兵にスピードにはかなわず、追いつかれては馬に踏み潰された上で、槍で滅多刺しにされた。その中でソクラテスの一団は騎兵の攻撃を、小回りの利かない騎兵の性質を利用して、寸前のところでひらりひらりとかわしながら逃げ延びたという。おそらく、こうしたソクラテスの姿を見ながら、他の兵士も真似をすることで、アテナイ軍を全滅から救ったのだろう。アテナイの人々はその機知に驚き、ソクラテスは一躍ヒーローになったようだ。その意味では、アリストパネスとしては、この「時の人」を早速ネタにしたのかもしれない。

 プラトンもクセノフォンもまだ四歳だったということもあって、当時のソクラテスがどのような人物であったのかはまったくわからない。プラトンやクセノフォンの書いたソクラテスは、もっと後の晩年の姿だったと思われるからだ。だから、プラトンやクセノフォンの描くイメージと大きく異なるからといって、このアリストファネスの『雲』に描かれたソクラテスが全くの嘘だったということにはならない。少なくとも、ソクラテスを劇中に登場させる以上、全く似ても似つかないものを登場させることなどはなかっただろう。若干の脚色はあるにしても、ある程度は四十六歳のソクラテスの姿を正確に映しているものと見たほうがいいだろう。

一、魂の道場

 物語はストレプシアデスという老人が息子ペイディッピデスの馬術狂いのせいで借金を背負い、息子に魂の道場に行き、そこで弁論を学び、借金をチャラにする交渉術を身につけさせようとするところから始まる。

 馬術は本来は騎兵の戦闘技術向上のためのものだったのだろう。しかし、古代ギリシャではそうした軍事訓練とは離れて馬術や馬車の競技が古代オリンピックの種目となり、市民を熱狂させるものとなった。

 プラトンの『ソクラテスの弁明』の中にも、ソクラテスの刑を決める際のソクラテス側の代案として、30ムナの罰金とともに馬術でオリンピックに優勝した者並みの迎賓館でも歓待を要求している。

 アテナイの馬術のレベルがどの程度だったのかは知らないが、デリオンの戦いではテーバイの騎兵にこてんぱんにやられてしまったのだから、ここでは競技にばかりかまけて実戦をおろそかにしているという皮肉も込められていたのかもしれない。

 

 「これは賢明なる魂の道場だよ。そこには空は窯でこれがわしらを取りまいていて、わしらは灰だ、とこう言って納得させようとする人たちが住んでいるのさ。金を払いさえすれば、この人たちは弁論で、正しいか正しくないかおかまいなし、勝つ術を教えてくれる。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.14)

 

 空は窯だという説は、南イタリアのレギオンのヒッポーンの説だという。ただ、このネタは当時どれくらいの人が知っていたのかは疑問だ。

 この道場のことは息子のペイディッピデスも知っていて、こう答える。

 

 「うっふ、悪漢どもですね、知っていますよ。あの法螺吹き、なまっ白い顔の、裸足の連中だ。あの情けないソークラテースにカイレポーンの連中だ。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.14)

 

 なお、ここではソフィストという言葉は出てこない。つまり、果たしてここでいうソクラテスとカイレポンがソフィストと見なされていたかどうかは定かではないし、アリストパネス自身が、ソクラテスとカイレポンをソフィストとは区別していた可能性もある。

 ソフィストといっても、プロタゴラスやゴルギアスなどの当時の名だたるソフィストはアテナイの人間ではない。古代ギリシャの学問は、むしろギリシャの辺縁部で起こったもので、タレスや、アナクシマンドロス、アナクシメネスはギリシャ対岸の今でいうトルコ側のミレトスを中心に活躍した人たちだったし、ヘラクレイトスも同じくトルコ側のエペソス、パルメニデスやゼノンはイタリア半島南西部のエレア、ピタゴラスもイタリア南部のサモス、デモクリトスとプロタゴラスは北ギリシャのトルコに近いアブデラの出身、ゴルギアスもシチリア島のレオンティノイの人だった。これはおそらく、こうした学問がギリシャの文化内部から起こったものというよりも、エジプトやメソポタミアなどの他の文明との衝突によって起こったものだったからだろう。

 そのため、アテナイは学問の面では後進地域だった。ソクラテスもおそらくこうした学問には本来疎かったものと思われる。むしろソクラテスのソクラテスらしさは客引き術にあり(このことはクセノフォンの『饗宴』を参照)、つまり、今でいえばコーディネーターのようなもので、能力のある者をそれが生かせる場所に引き合わすことを得意としていたと考えれば、ソクラテス自身は学者ではなくても、ソクラテスの周りにおのずと様々な知識の集約が生じることになる。ソクラテスはアテナイで独自の学問を興したわけではない。むしろ得意の客引き術で、それまでばらばらだったギリシャ周辺部の様々な学問を、アテナイに集約する役割を果たしたものだと考えればいいのだろう。そのことを知らない人は、ソクラテス自身が学者であり、ソフィストであると考えても不思議はなかった。

 だから、「魂の道場」に類するものが、ひょっとしたらある時期には存在していたかもしれない。それはソクラテス自身が学問するというより、よそから引っ張ってきた学者を住まわせるようなところだった可能性がある。

 

 「人の噂ではあの人たちのところには二つの理論があるという。何がなんだか知らないが、強い方と劣った方とだ。その中の、一方の劣ったほうをだ。悪いことを弁じながら勝たせると言うことだ。そこでもし、この邪論というやつを教わったとしたら、お前のおかげで今しょっている借金をびた一文も返さずにすむだろう。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.15)

 

 これはストレプシアデスの台詞だが、ソフィストの主な役目が今日の弁護士のように、法廷での弁論だったとしたら、どのような立場に立ってでも弁論を展開できなくてはならない。

 人を殺すのが悪いことだとはわかっていても、殺人犯の弁護ということになれば、それがいかにやむを得ぬもので同情すべき事情によるものであるかを説かなくてはならない。借金をめぐる裁判でも同様で、貸した方、借りた方、両方の立場からそれぞれ弁論を展開し、それを秤にかけなければならない。

 しかし、しばしば人は誤解する。殺人犯の弁護をするものは、殺人犯の味方し、殺人を正当化しようとする悪者で、そのような弁論は弱論を強弁して勝たせようとする邪論・詭弁の類だと。そうして、今の時代でも殺人犯の弁護士に懲戒処分請求をするようにテレビで呼びかけるようなやからがいたりする。

 ストレプシアデスもそうした一人であり、弁護士の弁論には、悪人を告発する正義の弁論と、悪人の味方をする邪論との二つがあると思っていたようだ。

 借金に関しても、現実には、「借りたものは返そう」という一言ですむ問題ではない。それは取り立て屋の論理だ。貸す側が法外な金利を貸してないか。また、返済ができなくなったことにやむを得ぬ事情が無かったか。さらには実際問題として、全額返済が不可能な場合、負債者が自殺や逃亡などをして全く返済されなくなるのと、借金の減額の取引に応じるのと、どっちが得かという問題もある。また、借金の返済のために奴隷の労働を課すようなことがあれば、それが人道的に正しいかどうかという問題も含めて、必ずしも借りたものを返すだけが正義ではない。

 古代ギリシャにおいて、債務奴隷は法律で禁止されていたからなかったとする説もある。しかし、法律で禁止されているということは、逆に言えばそのようなことが盛んに行われていたから禁止されたとも考えられる。泥棒を取り締まる法律があるからといって、その社会に泥棒がいないという証明にはならない。日本にはサリンを撒くことを禁止する法律があるが、実際にサリンを撒く人が現れなければ、こんな法律が制定されることもなかっただろう。債務奴隷を禁止する法律の存在は、逆に債務奴隷が深刻な問題だったことを証明するといってもいいだろう。また、明確に奴隷となるわけでなくても、今日の日本でも借金の返済のために、俗に「お湯に浸からせる」ようなことは現実に行われている。

 つまり、借金を取り立てる正論と借金を踏み倒す邪論の二つがあるわけではない。むしろ双方にとって損失を最低限にとどめる算術があるのみなのである。それこそまさにソクラテスの「快楽の計量術」に属する。

 ここでアリストパネスが主人公のストレプシアデスに、借金の相談のためにソクラテスのもとを尋ねるという設定にしているのは、その意味で理由のないことではない。プラトンが『プロタゴラス』の中でソクラテスに語らせた「快楽の計量術」は、実際にソクラテスが金融関係の訴訟にかかわっていたところからきた可能性がある。

 ところが、ここでのストレプシアデスは、借金の交渉をすることが正当な権利ではなく、あくまで悪いことだと信じ、その上で自ら悪いことをするためにソクラテスの道場に息子を通わせようとする。これは矛盾している。そこが真面目な劇ではなく、あくまで「喜劇」だと言ってもいいだろう。

 この『雲』の一年後に、アリストパネスは『蜂』という喜劇を上演し、今度は見事に一等を取るが、そこでは裁判好きの老人を風刺している。当時のアリストパネスが二十代前半の若者だったことを考えると、アリストパネスはソフィストそのものよりも、ソフィストを利用する老人のほうを風刺しようとしてた可能性が大きい。今でこそ先進諸国はどこも少子高齢化で老人優位の社会だが、古代ギリシャでは戦争や伝染病などでの若者の死亡率が高く、人口比率は多産多死社会特有のピラミッド型だったと思われる。老人の数は少ない。だから喜劇も多くの票を得るために、若者向けに作られていたと考えられる。この『雲』も『蜂』と同様、老人を笑いものにするためのものだったのだろう。むしろ、ソクラテスのキャラがあまりに立ちすぎてしまったため、どっちを風刺しているのか曖昧になり、焦点が定まらなくなったことが、この劇の失敗の一因だったのかもしれない。

 実際劇中では、息子は言うこと聞かず、自分がその魂の道場におもむくことになる。

二、入門儀式

 ストレプシアデスが戸を叩くと、ソクラテスの弟子が出てきてこういう。

 

 「大ばか野郎の無教育者め、こんなにひどく遠慮会釈もなしに人の家の戸をけとばして、せっかく見つけた思想をば流産させてしまいやがった。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.16)

 

 これはソクラテスが問答を通じて相手にいろいろな考えを思いつかせることを助産術に例えていたことのパロディーとされている。しかし、ソクラテスの助産術は、なぜかプラトンの初期の著作には見られない。中期から後期への移行期に書かれた『テアイテトス』 になって突然現れる。

 なお、この「流産」から、どんな思想か教えてくれという話になり、蚤の足に蝋をつけて、蚤がどれくらい飛べるか調べたり、ブヨ(ブユ)は口で鳴くのか尻で鳴くのかというネタへとつづく。ブユに関しては、ソクラテスが尻で鳴くという説を展開したとするが、ブユの音はもちろん羽の音であり、それくらいことはギリシャの普通の人でも知っていただろうから、いかにも常識を知らない学者がこしらえそうな珍説としてネタにしている。

 そのあと道場の中でストレプシアデスが見たものは、スパルタ兵の捕虜のような(多分筋骨隆々としているが、みすぼらしい格好で地べたを這いつくばっているところが、そう見えるというのだろう)男たちが地べたを見つめていて、地下のものを求めている姿だった。これを見てストレプシアデスは、

 

 「それじゃ茸にちがいない。そんなものはやめたやめた、わしは大きな立派なやつのあるところを知ってまさあ。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.19)

 

と言うが、これはシモネタか。

 他にももっとかがみこんで、「タルタロスの下まで冥府を探求している」一群がいて、尻が空を向いていることを突っ込まれると、「天文学の教授を受けている」という。

 そのあと、天文学や幾何学をやっている一団にも出会う。こうしたいろいろな種類の学者が集まって一同に勉学に励んでいるところなどは、何十年も後のプラトンのアカデメイアを予言したかのようでもある。あるいはプラトンはここからヒントを得たのか。ある意味で今日の大学の原型ともいえよう。

 こうした施設をアリストパネスが全くの空想で思いついたのだろうか。それとも、それのモデルになるようなものがすでに存在したのだろうか。考えられるのは、こうした「道場」はなくても、ソクラテスの家に常に得体の知れぬ外国人が出入りしていたという可能性だろう。そこから、見る人が一体ここで何をやっているのだろうかといぶかり、いろいろ想像をめぐらして、こういうアカデメイアのようなものを想像したのではないのだろうか。

 そして、上の方に籠に乗っているソクラテスの姿を見つけ出す。何をしているのかと尋ねると、

 

 「空を歩み、日輪をば見ておる。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.22)

 

と言う。ストレプシアデスはこう言う。

 

 「それじゃあなたは籠から神様を見下ろしていなさるのか、とにかく地の上からじゃないな。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.22)

 

 日輪は神様とされていたが、もちろん籠に乗ったくらいでそれを見下ろせるはずもない。地上からではないのは確かだが、「空を歩み」というのはいかにも大げさと言うところだろう。

 これに対しソクラテスはいかにも勿体つけたようにこう言う。

 

 「まことに、わが精神をば宙にかけて、鋭き思索を同類の大気と混合せずんば、天空の事象をば正しく見取ることはかなわぬ。地にあって下より天つ空事を眺めておるのでは、わしはとても見取ることはかなうまい。確かに大地は、思索の甘汁をば己のかたへと否と言わせず引きよせる。みずたがらしと同じじゃ。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.22)

 

 ここまで来ると、マッドサイエンティストか怪しげな宗教家という感じだが、こういうキャラを紀元前五世紀に登場させるギリシャ喜劇の想像力は大変なものだ。

 そのソクラテスが降りてきて、いよいよストレプシアデスは借金の相談を切り出す。

 

 「さあ、あんたの二つの議論の例の一方、一文も支払わない方を教えてくれ。お礼はいかほどなりとも、神々に誓って支払います。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.23)

 

 せっかく借金がチャラになっても、多額のお礼を請求されたら、また借金を抱えることになりそうだが、邪論を身につければそれもチャラにできるという意味か。ソクラテスはそこにではなく「神々に誓って」のほうに突っ込む。

 

 「神々に誓う?まず第一に覚えておけ、神様はわしらの問題では通用せぬ貨幣だよ。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.23)

 

 貨幣(ノミスマ)は法(ノモス)と同じ語源の言葉で、自然(ピュシス)との対比で人為のものを意味する。つまり、神様は人間の作ったものというニュアンスが読み取れる。そこで、ギリシャの神々とは別に、ここで通用する女神の名として、この喜劇の表題でもある「雲(ネフェライ)」が登場する。これがソクラテスがその声を聞くというダイモン(ダイモニオン)の代わりになる。

 ここでソクラテスはストレプシアデスに頭飾りをかぶせて、大げさな入信の儀式を執り行う。このあたりはエレウシスの秘儀(ミュステリア)のパクリだろうとされているが、あるいはピタゴラス教団の影響もあるのか。

 舞台ではここで合唱隊が登場し、雲の女神の登場ということで盛り上げることになる。

 

 いつみても漂う雲のわれら

 露にぬれた煌く身をあらわに

 空高く上ろうよ、

 にぶい音におたけび狂う父なる大海から

 そびえたつ山々の木でおおわれた

 頂に、そこで

 みはるかす高い峰々を見よう、

 みのり豊かに育くむ聖い大地を、

 そしてまた水音高い尊い河を、

 低い音色に歌う海を。

           (『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.25~26)

  

こうして雲はやがて雷となる。

 ストレプシアデスが、それを、

 

 「くわばら、くわばら、尊いかたがた、鳴神のお返しにこっちも鳴らしたくなった。これほどにかたがた恐ろしく身が慄えるわい。よくも悪くも、もう我慢がならぬ、糞をひりたい。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.26~27)

 

とシモネタにもっていこうとすると、ソクラテスが突っ込む。

 

 「例の戯作どものようにふざけたり騒いだりしないで、黙っていろ。女神の群は高らかに歌おうとしていられるぞ。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.27)

 

 アリストパネスはここでそう言いながらもシモネタをやっているわけだが、おそらくこの大ディオニューシア祭で演じられた前の作品には、それ以上にシモネタが目立ったのだろう。このしばらくあとで「見物のみなさま」と語りかける一群のテキストが挿入されていて、おそらくそれはあとから付け加えられた部分だろう。そこには、「私の『真面目』と『不良』のあの二人」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.42)とあり、

 

 「だんなに性が慎ましやかか見ていただきたい。まずこの作は、革づくりの妙な物をばぶらさげておりません、例の先の真赤な太物の子供衆のお笑い草を。また禿頭をなぐったり、コルダクスをはね廻ったり、立役の老ぼれが杖でもって、そこいらいあわす男をなぐって、くだらぬ洒落をごまかしたりしたりはしません。また炬火を手に飛び込んで来て、『わあ、わあ』とどなりもせず、私自身とその内容に自信をもってこの作は現れました。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.43)

 

と記している。まあ、こういうネタはどこの国でもお笑い芸の常ではある。ギリシャでも日本と同様、こうしたお笑い芸は本来神に捧げられ、神様を喜ばすためのものだった。日本で言えばアマノウズメノミコトの裸芸に端を発するようなものであろう。コルダクスもそうした踊りに起源を持っているのか。

 さて、雲の女神の登場で、ストレプシアデスはこう尋ねる。

 

 「ソークラテースさん、お願いだからこの厳かな歌を歌ったかたがたが誰だか教えてもらいたい。先祖の女神様がたですかい。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.28)

 

 それにソクラテスはこう答える。

 

 「どうしてどうして、天つ雲の女神、なまけ紳士の大神さまだよ、この女神がたは、判断、対話法、理性をわしらに与えてくださる、それから法螺貝式威圧法、婉曲法、粉砕術に把握術。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.28)

 

 「なまけ紳士」というのは職についてないということだが、当時のギリシャの上流階級は、仕事を奴隷に任せて自ら「自由」でいることを誇りとしていた。実際、プラトンをはじめとするソクラテスの弟子たちの多くもそうした階級の人たちだったのだろう。ギリシャの民主政治は、よく言われるように、奴隷制の上に立脚した自由民たちによる自由民のための民主制であり、そこに矛盾を抱えていたとも言える。

 結局やることのない彼らは、自らの既得権益を守るために戦争に明け暮れ、奴隷に漕がせる巨大な三段櫓船の建造のために森林が破壊され、やがて大地は保水性を失って砂漠化し、生産力の低下から国力が低下する中で、最終的な打開策をマケドニアのアレクサンドロスの侵略戦争にゆだねることとなった。

 ところで、ここでソクラテスは最初に「判断、対話法、理性」というもっともらしいものを並べ、そのあとで「法螺貝式威圧法、婉曲法、粉砕術に把握術」と加えるのは、アリストパネスの皮肉であろう。実際のソクラテスは「判断、対話法、理性」を説いていて、いわばこの部分は事実の反映であり、それが実は「法螺貝式威圧法、婉曲法、粉砕術に把握術」に転用されている現実を示したにすぎない。

 ソクラテスの対話術が、今日の真面目な学問の議論のような理路整然としたものではなかったことは、プラトンの初期の著作『プロタゴラス』を参照すればいいだろう。ここではむしろプロタゴラスのほうが今の学者の議論に近い。ソクラテスは真理がいかなる理性の自己矛盾をも超えた超越的なものであることを確信し、真善美や諸徳や快楽を含めたすべての「良きもの」の同一性を説き、合理的な快楽の算術によって最大限の幸福を得ることを目標とした。ただ、その際の説得法は必ずしも論理的なものではなく、実際に「法螺貝式威圧法、婉曲法、粉砕術に把握術」だったことも事実だったのだろう。

 ここでは雲の女神は、当時のギリシャ辺縁部で発達した自然科学のシンボルとして描かれる。クセノパネスの断片に「イリス(虹の女神)と呼ぶもの、それも本来雲にすぎない、紫に、紅に、また黄緑に見えるところの。」(『初期ギリシア哲学者断片集』訳編山本光雄、、岩波書店、一九五八、p.29)とある所から、それによるものか。

 なお、ソクラテスの信奉するダイモンの神も、パルメニデスに由来するもので、日輪の娘なる処女とされている。

 

ソークラテース:このかたがただけが神さまだ、ほかのはみんなたわ言だ。

ストレプシアデース:それじゃ、ええと、大地にかけて、オリュムポスのゼウスは神さまじゃないのかね。

ソークラテース:ゼウスだと、ばかなことを言うな。ゼウスなんかいないよ。

ストレプシアデース:だって?それでは誰が雨を降らす。こいつを何より先に説明せずばなるまい。

ソークラテース:このかたがたさ、大したしょうめいをしてこれを教えてやろう。エヘン、一体雲なしに今までに雨の降るのを見たことがあるかね、でなくちゃ、このかたがたがよそに行っている間に、ゼウスが青天から雨を降らすはずだ。(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.32)

 

 もちろん、この説についてはゼウスが雲を使って雨を降らせているという反論は可能だろう。

 そして、雷についてソクラテスはこう説明する。

 

ソークラテース:多量の水でいっぱいとなり、運動を余儀なくされ、雨水にみたされて空高くよりたれさがり、必然的に重くなって、互いに激突し破裂して音をば立てるのだ。

トレプシアデース:しかしその雲を動かす者は誰か、ゼウスさまじゃないかね。

ソークラテース:どうしてどうして、それは空の渦巻だよ。

ストレプシアデース:渦巻!こりゃ気がつかなかった。ゼウスはいなくて、その代りに今度は渦巻が支配する。だがまだ雷の音、その轟きについて説明してくれませんぜ。

ソークラテース:雨が水でみたされて密度のために相互衝突の結果音を発するというわしの説を聞かなかったかね。

ストレプシアデース:だがこれがどうして信じられよう。(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.33)

 

 当時はまだ雷が電気だということは知るよしもなく、水が音を立てると考えている。ストレプシアデスはここで雲はゼウスが動かすのかと突っ込む。ソクラテスの「空の渦巻」という答は、今日では「上昇気流」とでも言うべきだろう。

 ここまではまともだが、こんな真面目な説ばかりでは喜劇にならない。この辺からまたシモネタに入る。

 

ソークラテース:おまえを例にとって教えよう。パンアテーナイア祭に濃い汁をいっぱいつめこんで、腹が変になり、突然お腹がごろごろ鳴り出したことはないかね。(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.33)

ストレプシアデース:本当だ、すぐさますごいことになって、腹が変になり、汁はまるで雷のように音をたて、がらがらがんときた。初めはそっとパパックス、パパックス、それからパパパックスそれから駆けこむと、あのかたがたとおんなじに滅多やたらにごろごろごろ。

ソークラテース:どうだ、みろ、ほんのこれっぱかしの小さい腹からどんなにすごいやつをぶっ放したか。ところが空ははてしなく、どうして大雷を鳴らさぬという法があろうか。それからこの雷(プロンテー)と屁(ポルデー)の二つの言葉は互いに形まで似ているて。(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.34)

 

 それなら稲妻はどうなるのか。ここでもシモネタが続く。

 

ソークラテース:雲の中に乾いた風が吹き上げられて閉じこめられると、内から雲をばまるで小便袋のようにふくらませて、それで当然圧力で雲を破り外へとほとばしり出る、その衝撃と突出の力でもって、自分で自分を焼きつくすのだ。

ストレプシアデース:本当だ、本当にわしはいつかディーアシア祭の折にこの目にあった。親類の者ちのために腸を焼いていたが、ぼんやりして切り口を入れておかず、どっこい、こいつがふくれ上がって、突然破裂し、わしの両の眼に糞をひっかけ顔をば黒焦げにしおった。(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.35)

 

 シモネタではあるが、こうした説はまやかしや詭弁というよりは、むしろ当時の科学の最先端を紹介するもので、かえって当時のアテナイ市民を驚かせたのではなかったか。神話ではなく、自然現象に合理的な説明をしようという試みは、今の感覚からしても、決して否定すべきものではない。

 こうした説は、おそらくエジプトやメソポタミアで発達した古代文明の自然科学が、ギリシャ周辺部の都市のソフィストによって、遅まきながらアテナイにもたらされたのだろう。それは伝統的なギリシャ人の世界観の中で生活するアテナイ市民にとって、一大カルチャーショックをもたらすもので、当時のアテナイはこの衝撃の中で揺れ動き、そこから哲学が生じたのだろう。

 自然科学は少なからず伝統的な世界観を持つ人たちに危機感を与える。それは何も古代ギリシャに限ったことではない。今日のアメリカでもダーウィン進化論を否定し、創造説を学校で教えていたりする。この二つの説は多くの地域で等価に扱われている。まして古代アテナイで科学に関して賛否両論あったのは何ら不思議ではない。そこから、ソクラテスのキャラは実際以上に進歩的に、つまり科学肯定派に近づけて設定されてしまったのだろう。

 あるいは、科学を嫌ったソクラテス像はプラトンやクセノフォンの見た晩年のソクラテスの姿であって、若い頃はむしろ積極的に科学を取り入れていたのかもしれない。歳を取ると保守的になるのはよくあることだ。

 七百年以上もあとの人だが、ディオゲネス・ラエルチオスの『ギリシャ哲学者列伝』には、自然哲学者のアルケラオスがソクラテスの師であったと記されている。アルケラオスはアナクサゴラスの弟子だから、ここにアナクサゴラス→アルケラオス→ソクラテスという系統があった可能性がある。

 アナクサゴラスは空虚を否定し、生成と消滅という考え方を否定し、万物は空気とエーテルの混合と分離によって変化するものだと考えた。この混合物のことをアリストパネスは「雲」という庶民にもわかりやすい言葉で言い表したのではなかったか。アナクサゴラスはこうした空気やエーテルは旋回運動をすると考えていたから、それが「空の渦巻」だということになる。四十代の中年ソクラテスは、まだ案外アナクサゴラスやアルケラオスに近い自然哲学者だったのかもしれない。

 

ソークラテース:それではわしらの敬うもの以外はいかなる神も信ぜぬな、これは三位、すなわち空虚、雲神さまにお舌さまじゃ。(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.36)

 

 しかし、これが果たして後にプラトンが『ソクラテスの弁明』の中で述べるように、ソクラテスがアテナイの神々を信じぬものとして告発され、死刑に至る原因をなしたものなのだろうか。プラトンはソクラテスが無心論者として告発されたかのように書いているが、告発文は『ソクラテスの弁明』では、

 

 「その主張によれば、ソクラテスは若者を堕落させ、また国事が崇めるところの神々を崇めずに、別の新奇な神格を崇めることによって不正を犯しているとのことです。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、一九九八、講談社学術文庫、p.31)

 

とあり、これはクセノフォンの伝えるところのソクラテスの罪状、

 

 「ソークラテースは国家の認める神々を信奉せず、かつまた新しい神格を輸入して罪科を犯している。また青年を腐敗せしめて罪科を犯している。」(『ソークラテースの思い出』クセノフォーン、佐々木理訳、1953、岩波文庫、p.23)

 

と一致している。これは史実と見て良いだろう。しかしこの罪状を、クセノフォンは、ダイモンの声を聞くことが「新しい神格を輸入した」として危険視されたと解釈している。

 それに、当時の名士の家では、息子に馬術や体育を習わせるのと同様に、教養の一つとして天文学や自然科学や幾何学や弁論術を習わさせることもよくあったという。そうなると、アリストパネスの意図はむしろこうした名士たちが科学や弁論術を身につけて、裁判も有利に乗り切り、結局私服を肥やしていることをやっかむ庶民感情に訴えようとしたものではなかったか。「空虚、雲神さまにお舌さま」の三位を信奉していたのは、ソクラテスというよりも、アテナイの特権階級の人たちだったのではなかったか。そして、それに対し、いつも裸足でみすぼらしい格好をしていたソクラテスこそ、庶民でも手の届くソフィストとして、むしろ庶民の味方として描かれたのではなかったか。

 ここで言う三位はむしろ、空虚=デモクリトス、雲神さま=アナクサゴラス、お舌さま=プロディコスで、ソクラテスというよりも、当時のアテナイの上流階級が信奉していたソフィストのことではなかったか。

 金で知識を教えるソフィストは、その行為自体が金持ちの味方と目され、出る杭は打たれるの言葉どおり、人々のやっかみを買い、何らかの理由をこじつけては告発される傾向にあった。アナクサゴラスは太陽が火であることを説いたことで、太陽神アポロンを冒涜するものとして告発されたというし、プロタゴラスに関しても無神論者として告発されたという説がある。

 科学嫌いというのは、結局のところそれが専門家によって独占され、その知識が庶民に還元されるよりも金持ちや権力者に有利に働いていることへの反感であり、こうした庶民感情はいつの時代でも不変的なものではないかと思われる。

 特に、このあと展開される文法ネタのギャグは、明らかにソクラテスというよりはプロディコスのパロディーだ。

三、ボケと突っ込み

 ストレプシアデスはソクラテスのところに入門したものの、ここでもボケキャラを演じ続ける。二人の対話は漫才のように、ソクラテスが突っ込みストレプシアデスがボケるという形をとる。詩の韻律を意味するメートロンのことを言うと、この言葉が同時に量り方を意味するところから、米屋にごまかされとボケる。

 

ソークラテース:さあ、おまえが前に習ったことのないもので、何が大一番に教わりたいか。量り方(メートロン)か、正しい言い廻しか、それともリズムか。

ストレプシアデース:もちろん量り方でさあ。この間わしは米屋に六合がとこごまかされやしたからね。

ソークラテース:そんなことを聞いてるんじゃない。何をいったい一等よい韻律(メートロン)と思うかだよ。三つかね四つかね。

ストレプシアデース:わしにはなにより半ヘクテウス(これは量を測る単位で四コイニクス)でさあね。

ソークラテース:こんちくしょう、ばかな。(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、1977、岩波文庫、p.48~49)

 

 ギリシャに張り扇があったなら、ここでパシッ!というところだろう。「こんちくしょう、ばかな。」は「アホか、このボケ!」と訳したほうが良かったのかもしれない。

 

ストレプシアデース:半ヘクテウスが四つでないかどうか賭をしよう。

ソークラテース:犬にくわれろ。なんたる土百姓。うすのろ野郎だ。だが多分リズムの方は習えるだろう。

ストレプシアデース:だが一体リズムを習って、食うためにどんな御利益がありますかな。

ソークラテース:まず第一に、集まりで気のきいた人間になる。どっちが軍歌にどっちが指の調子にふさわしいかをみわけられるて。(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.49)

 

 指の調子(ダクティロス)も詩のリズムを表す専門用語なのだが、ここで当然ストレプシアデスは単なる指でする合図の意味にとってボケることになる。

 

ストレプシアデース:指の調子だと。うん知っている。

ソークラテース:それじゃ言ってみろ。

ストレプシアデース:ここにある、この指以外にありませんや。以前にまだ子供の時に、ほうらこいつだ。(と中指を立てて見せる)(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.49)

 

 中指を立てるのは今でもファック・サインだが、古代ギリシャから伝わるものだったとは驚きだ。

 当時の弁論はマイクがなかったため、大勢の群集を相手に肉声で行わなくてはならなかったから、まずきちんとした発声法で大声が出せなくてはならなかったし、何を言ったかはっきりと記憶にとどめさせるには、印象的なフレーズを生み出さなくてはならなかった。そのため、叙事詩と同様に押韻したり、人を惹きつけるような心地よいリズムで語る必要があった。そのため、韻律(メートロン)はソフィストの技術としては必須のものだった。ストレプシアデスの言う弁論で借金をチャラにする交渉術を学ぶにしても、実際には高度な技術が必要になる。

 もちろん実際にはそれだけではない。法律の知識、科学の知識、神話や詩や歴史などあらゆる教養に通じていることが求められる。無学な老人が一朝一夕に身につけられるものではない。だからこそ、ソフィストは多額の報酬を得ることができるのだが、大衆心理としては口八丁で労せずに金を稼いでいるいかがわしい人間に見えてしまうものだ。頭を使う人間より、汗水たらしてものづくりに励んでいる人間のほうが立派だと見られるのは、今の日本の庶民感情でも同じだ。

 ストレプシアデスも真面目に弁論術など習うつもりはさらさらない。ただ楽して借金をチャラにしたいだけだ。

 

ストレプシアデース:くそたれめ、こんなものは教わりたくもねえや。

ソークラテース:それじゃどうしろと言うんだ。

ストレプシアデース:ほら、例のあの一等悪い議論でさあね。(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.50)

 

 実際にはそんな魔法の呪文があるわけではない。弁論術は学習と鍛錬の積み重ねの上にしか成立しない。そもそもソフィストというのは、今日で言えば弁護士のようなもので、本来は尊敬される職業だったはずだ。それが揶揄されるのは、今日のアメリカの訴訟社会のように、弁護士が乱立して報酬を得るために事件のないところを無理やり事件にしたり、金持ちは良い弁護士を雇って罪を逃れ、いつも庶民が損をするという理由による。

 そして、哲学者の議論というのがしばしばそのあたりの現実的な感覚まったくなしに、ソフィスト=詭弁、哲学者=正論と類型的に処理されているように思える。実際、今の哲学科の教授だって、実生活で弁護士を詭弁屋だと言って見下すようなことはしないだろう。

 

ソークラテース:だがそれを習う前にほかのことを教わる必要がある。四足の中で一体何が男かね。

ストレプシアデース:そんなことを知らなきゃあ、気狂いだよ。牡羊、牡山羊、牡牛、犬に鶏

ソークラテース:ほらみろ、どうだ。女の鶏も男の鶏もどっちも同じに鶏と言っているじゃないか。(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.50)

 

 こういうネタは日本人にはわかりにくい。たとえば日本語では牛は牛だが、英語では牡牛はbull、牝牛はcow、去勢牛はoxと別の単語で呼ぶ。英語には名詞に性はないが、ヨーロッパの言語の多くには名詞に性がある。古代ギリシャ語では鶏は男性名詞だったのだろう。だから雄鶏も雌鶏も男にする。

 言語というのは習慣で、誰かが何らかの理屈でもって決めたものではないから、いろいろ例外があったりする。

 たとえば鉢はカルドポスという男性形の語尾-osがつくにもかかわらず女性名詞だということもネタになる。

 

ソークラテース:みろ、また別の間違いだ。お前は鉢が女なのに、男にしたぞ。

ストレプシアデース:どうして鉢を男にした?

ソークラテース:そうさ、クレオーニュモス式だ。(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.51)

 

 クレオーニュモスはアテナイの政治家で、「非常に女性的な男で、女のごとき風をしていたので、古喜劇作者の嘲笑の的であった。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.134)と注釈されている。あるいは性同一性障害だったのか。

 

ソークラテース:おまえには鉢とクレオーニュモスはおなじだぞ。

ストレプシアデース:ですが先生、クレオーニュモスは捏鉢でさえもってやしなかった。丸い乳鉢でパンを捏ねていましたさ。だが今後どう言えばよいのです。

ソークラテース:どうだと。ソーストラテーを「お嬢さん」というように「お嬢さん鉢(カルドペー)」と言うんだ。

ストレプシアデース:「お嬢さん鉢(カルドペー)」というのは女ですかね。

ソークラテース:そのとおり。

ストレプシアデース:それじゃ「お嬢さん鉢(カルドペー)」に「クレオーニュモスのお嬢さん(クレオーニュメー)」だな。(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.51)

 

 これで落ちになるのだが、この種のネタがどの程度受けたかはわからない。多分シモネタのほうが受けていただろう。このネタで笑ったのは、案外ソクラテス本人くらいかもしれない。

 この『雲』という喜劇の大きな特徴は、こういったボケと突っ込みだけで延々と引っ張る、漫才のようなスタイルをとったことだったかもしれない。このスタイルは、案外のちのプラトンの対話編に影響を与えていたのではなかったか。

四、借金を踏み倒すには

 結局、ソクラテスは借金の踏み倒し術を教えたりはしない。ただ南京虫のいる布団の上に横になって、瞑想を命じる。自分で考えろというわけだ。

 

 「考えろ、思いにふけれ、

 思いをこらして

 残るくまなくぐるぐるまわせ、

 つまった時には速かに

 ほかの問題へと飛び移り、

 甘い眠りがあまえの目玉に

 下らぬようにするのだぞ」

           (『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.53)

 

 詰まったときには、同じ問題に拘泥せずに別の問題を考えろというのは、理にかなった考え方ではある。別の問題を考えているうちに、元の問題のヒントが見つかることもあるからだ。私なんかもいつもそうしている。解けない問題は飛ばして、解ける問題から解くというのは、試験の際の鉄則でもある。わからない問題に悩むのは時間の無駄だ。

 しかし、ボケ役のストレプシアデスのこと。大体ろくなことは思いつかない。

 最初に思いついたのが、

 

 「テッサリアの巫女を傭って、夜中に月を引き下ろし、それからお月様をまるで鏡のように丸い兜入れに閉じこめておく。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.57)

 

 月が昇らなければ利息を払わなくてすむというわけだ。

 さらに、ソクラテスに五タラントの損害で訴えられたときのもみ消し法を聞かれて、火打石で書類を焼いてしまえ、と答える。

 さらに、証人がいなくて負けそうなときにどうやって相手の告訴をはねつけるかと聞かれて、首をくくると答える。「わしが死んだら、誰も告訴できっこなし。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.59)というわけだが、これでは落ちにすらなっていない。

 

ソークラテース:たわごとだ。消えてなくなれ、もう教授はまっぴらだ。

ストレプシアデース:どうしてだ。神さまがたの御名にかけて、お願いだ、ソークラテース。

ソークラテース:おまえは教わったその尻からすぐさま抜けてしまうじゃないか。さあ、たった今最初におそわったのは何だったか言ってみろ。(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.59)

 

 さて、今この文章を読んでいる読者のあなた。思い出せますか。弁論術を教わりに来たストレプシアデスにソクラテスがこう言う場面があった。

 

 「まず第一に覚えておけ、神様はわしらの問題では通用せぬ貨幣だよ。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.23)

 

ストレプシアデスはそれを忘れて「神さまがたの御名にかけて、お願いだ」と言ってしまったわけだが、この喜劇を見ていた人々も果たして覚えていただろうか。ストレプシアデスは、

 

ストレプシアデース:ええと、はてな、最初は何だったっけ、最初は何、その中で大麦を捏ねるものは何だったっけ。こりゃいけない、何だったっけ。

ソークラテース:くたばってしまえ、この上なしの忘れん坊の耄碌爺め。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.59)

 

と「お嬢さん鉢(カルドペー)」を思い出そうとするが、結局ソクラテスに追い出されてしまう。

 結局、ストレプシアデスは息子のペイディッピデスを説得して、ソクラテスのところに弟子入りさせようとする。この場面でも、息子のペイディッピデスが突っ込みに回り、ストレプシアデスは相変わらずボケに回る。

 

ストレプシアデース:霧神さまに誓って、もうここに置くことはならん。さっさと出て行って、メガクレースの家の柱でも噛れ。

ペイディッピデース:どうしたというんです、お父さん、ええ?オリュムポスのゼウスにかけて、正気じゃありませんな。(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.61)

 

 そういって息子を追い出そうとするのだが、今しがたソクラテスに習った学識を披露しようとすると、これが大ボケになってしまう。

 

ストレプシアデース:今おまえはゼウスの名で誓ったな。

ペイディッピデース:そのとおり。

ストレプシアデース:学問がどんなによいものか見ろ。いないんだよ、ペイディッピデース、ゼウスなんてものは。

ペイディッピデース:それじゃ誰がいるのです。

ストレプシアデース:ゼウスを追っ払って、渦巻の御代だよ。

ペイディッピデース:うへっ、何をよまい言を。(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.62)

 

ストレプシアデース:(雄鶏と雌鶏を両わきに抱いて登場)おい、はてな(雄鶏を差し出して)、これを何と言うか言ってみろ。

ペイディッピデース:鶏でさあ。

ストレプシアデース:よろしい。(雌鶏を差し出して)こりゃ何だね。

ペイディッピデース:鶏でさあ。

ストレプシアデース:両方とも同じだと、滑稽千万。これから後はな、二度とふたたびそんなことは言うなよ。こっちの方は女にわとり、こっちは男にわとりと言うんだ。

ペイディッピデース:女にわとりだと。それじゃこれがあそこにいってあの地べたに生えた茸どもから習ってきた秘伝ですか。

ストレプシアデース:そのほかどっさりだよ。ところが習うたんびに、年をとっているもんだから、すぐさま忘れてしまったのだ。(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.63~64)

 

 ソクラテスとの時ほど面白いボケではないが、結局この喜劇はストレプシアデスのボケキャラが売りだったようだ。つまり基本的には老人を笑うものであり、ソクラテスを笑うものではなかった。

 そして、息子のペイディッピデスがソクラテスのところから戻ってきた時に、逆にストレプシアデスがやり込められてしまったときも、観客からは「いいぞ、ペイディッピデス、もっとやれ!」とばかりに笑いが生まれたのだろう。

五、正論と邪論

 「こいつは自分で両方の議論そのものから習うがよい。わしはしかしここにはいないよ。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.66)

 

 結局ソクラテスは正論も邪論も教えない。つまり自分で考えろということ。

 もっとも、果たしてソクラテスの議論に正論と邪論の区別があったかどうかは疑問だ。

 そもそも、我々が日常語で「詭弁」という場合には二つの意味がある。一つは論理学で言う詭弁で、論証が健全でない議論だ。たとえば述語の一致による誤謬推理のようなものを言う。つまり、

 

 犬は動物である

 猫は動物である

 ゆえに犬は猫である

 

 という類である。実は、プラトンの『プロタゴラス』の中でソクラテスが展開している論理も、

 

 勇気のある者はものをこわがらない

 知識のある者はものをこわがらない

 ゆえに勇気は知識である

 

といった述語の一致による誤謬推理に陥っているものがある。

 しかし、実際にはこういう種の詭弁よりも、もう一つの方の意味の「詭弁」のほうがよく使われる。つまり、理屈は通っているけど結論が間違っている、というものだ。

 ここでいう正論と邪論の区別も、基本的には結論が先にあって、その決まりきった結論に反する論証のことが「邪論」と考えていいだろう。つまり、雨はゼウス様が降らせるというのが正論であり、雲が降らせるというのは理由はどうであれ邪論となる。殺人犯を死刑にしろというのは正論であり、それを弁護し、無罪や減刑を主張するのは邪論だということになる。

 しかし、本当に正論が正義で、邪論は悪だったのだろうか。「正」とか「邪」とか言う価値判断は、最初から一方的なものではなかったか。むしろ二つの議論は、保守と革新という、今でも続いている古典的なテーマではなかったか。

 

正論:こっちへ来い、見物のみなさんに姿をお目にかけろ、蛙の面め。

邪論:「ご所望のところへ召されい」、大勢さまのいられる方が、なおさらおまえをやっつけやすいわ。

正論:やっつけるだと。おまえは誰だね。

邪論:理論だよ。

正論:さよう、劣った方の。

邪論:だがおれにまさっていると言っているおまえをやっつけるぞ。(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.66)

 

 この正論・邪論の二人のキャラも老人の姿で登場するようだ。

 

正論:さんざんな目にあわせてやるぞ。

邪論:どういう方法か教えてもらいたいね。

正論:正しいことを語ってだ。

邪論:だがそれを反駁して負かしてやるぞ正義なんかはこの世にないと断言する。

正論:ないと言うのか。

邪論:さあ、どこにあるね。

正論:神々のところにだ。

邪論:それじゃ正義があるのに、あのゼウスが自分の親父を縛っておいて、滅びなかったのはどういうわけだ。

正論:うわあ、こいつあたまらぬ。胸糞悪い、金盥を早く早く。

邪論:耄碌爺のちょんまげ野郎。

正論:ひひ爺の恥知らず。(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.67)

 

 結局両方ともじじい呼ばわりしあうことになる。

 しかし、その正論の内容はどのようなものだろうか。基本的には昔から伝えられている規律の遵守ということに尽きる。これは洋の東西を問わず、古代だろうと現代だろうと変わらない、保守派の一般的な主張だ。そして、邪論はそれに対し、生産性を高め、社会システムを合理化し、最大の快楽を追求することに理想をおく。こうした保守・革新の対立は昔も今も変わらない。

 正論は合唱隊に促されて、「正論」を語り始める。

 

 「それではその昔正義が栄え慎ましやかさが世の習であったころ訓育がいかなるものであったかを物語ろう。第一に、少年は囁き声さえ人に聞かれてはならぬ、次に音曲の師匠のところへ同じ区の少年たちは一緒になって、たとえ雪が霏々として降っていようとも外套は着ず、規律正しく列をなして道を歩まねばならなかった。師匠はまず膝をばすりあわせたりしないで、歌を吟唱するように教える、『おそろしき、都の毀ち手パラスの女神』、あるいはまた『なり渡る琴の響き』と、父祖より伝わる調べを張り上げて。だがもし誰かが調子を茶化し、今流行のあのプリューニスばりのしちめんどうな声をば転がす囀りをやるならば、歌の女神を害うものだとさんざん打擲された。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.71)

 

 今でも校長先生の話というと、こんな調子のものがありそうだ。歌うのは文部省唱歌(あるいはどこかの政治団体の作った歌)で、J-popの真似なんてもってのほかというわけだ。「古時計」を平井堅の真似して歌ってはいけないということだ。

 こうした保守主義の根底にあるのは、先祖と同じでなければならないということ。それはつまり人と同じでなければならないということだ。人と違うことを考えてはいけない。人と違うことを言ってはいけない。人と違うことをやってはいけない。そして人よりも多くの快楽を得てはいけないというものだ。もちろんこれには理由がある。

 大地は有限であり、科学が未発達な段階ではそこで得られる食料の量に、大きな変動はなかった。つまり生産性は一定であり、停滞していた。しかし、一方で常に人口は増加しようとする。そこで共同体は常に、耐えざる人口増加の圧力の中で人口を一定に保つための、排除の構造とならざるを得なかった。そして、こうした共同体の道徳の根底となるのは出る杭は打たれる式の禁欲道徳だった。つまり多数派が数の力で少数派を排除するというもので、少数派にならないように、みんなと同じようにするということが教育だった。

 つまり、生産力が限られている以上、誰かが多くとれば誰かの食い扶持が奪われる。だから、少しでも人より多く得ようとするものを警戒し、集団で排除する。それが共同体の論理だった。

 しかし、このやり方では、生産性を高め、社会全体を豊かにするアイデアも抑制されてしまうことになる。なぜなら、最初に生産性を高め、その恩恵を受け取った人間は、出る杭として打たれねばならないからだ。レビ・ストロースの言ういわゆる「冷たい社会」(未開社会の「未開」という概念を嫌った別名)というのは、こうした出る杭は打たれるシステムが完全に機能している社会だといっていいだろう。

 エジプトやメソポタミアの文明は、生産性を高める様々な技術を生み出すことによって生まれた。しかし、それは同時に貧富の差をもたらした。誰かが生産性を高める方法を思いつけば、それを最初に試した人間は豊かになり、そうでない人間は相対的に貧しくなる。技術が進歩すればするほど、持つものと持たざるもの差は大きくなる。それに対して、古い出る杭は打たれる式の共同体の論理は、常に平等を求め、共同体主義(コミュニズム)の幻想を生み出す。それは全体を(特に底辺を)底上げするほうに働けばいいのだが、大抵は全体を等しく貧しくする結果となる。出る杭を打ってしまうからだ。

 当時のギリシャの反ソフィスト派、反ソクラテス派というのは、基本的に快楽の算術によって豊かさを求める考え方に反発する、昔ながらの出る杭は打たれる式の禁欲道徳の信奉者なのではなかったかと思われる。そして、ここで「正論」と呼ばれているものは、まさにそれなのである。

 これに対し、邪論は、ギリシャ人の伝統的な世界観というよりは、エジプト・メソポタミアの文明を取り入れ、科学の力で生産性を高め、豊かな社会を作ろうというものだと考えたほうがいい。

 ただ、こうした古代文明は、独裁政治の力で、上から政策で古い共同体を破壊して、都市文明を作り出した。しかし、アテナイの民主制の中では、弁論の力でもって新しい技術を広めなくてはならなかった。そこに弁論術が発達するとともに、こうした新しい技術による新しい社会の理想を求めるところから、いわゆる哲学が生まれた。それは古い共同体の価値観にとどまろうとする人々から見れば、すべて邪論にしか映らなかったというのが本当のところなのだろう。

 プラトンやアリストテレスが結局民主主義を否定し独裁政治のほうに傾いていったのは、当時の民主主義が共同体の論理に有利で、排除の論理に動かされやすかったせいであろう。何か新奇なことを言い出すものは、すぐに裁判に掛け、毒杯を飲ませようとする。そして、議会は常に好戦的な主張に動かされ、ギリシャは出口のない内戦状態に陥ってゆく。結局そこでアレクサンドロスに賭けてしまったのだ。

 後の人は哲学と弁論術が対立するかのように考えがちだが、当時の保守派にとっては哲学も弁論術もともに邪論でしかなかったといったほうがいい。その点では両者は一緒くたにしてもかまわなかったのである。正論とは昔ながらの伝統的な生活に戻すこと以外の何でもなかった。

 これに対して、その邪論と言われた方も黙ってはいない。

 

 「そうだ、おれはもう腹がにえくり返って息がつまりそうだ。こいつの言ったあらゆることを反駁してめちゃくちゃにしたくてうずうずだ。おれはこの先生どもの間で劣論と呼ばれているが、それと言うのもまっ先におれさまが法律や規則を反駁することを考え出したためなのだ。劣論を選んでおいて、しかも勝つというのは、こりゃ一万の金貨よりも値打ちがあるというもの。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.71)

 

 ただ、邪論はここで難しい科学や哲学を説くわけではない。あくまでシモネタのほうへと引っ張ってゆく。

 まずは、昔は良かったと昔の人を美化するが、ヘラクレスだって風呂に入り、ホメロスだってアゴラをぶらぶらして多用に今と一緒じゃないか、という反論をする。

 風呂は若者を軟弱にさせるというが、それならなぜヘラクレスのための温泉がテルモピュライにあるのか。

 アゴラでぶらぶらするのがいけないなら、ホメロスやネストルはどうなるのか。

 そして、邪論はペイディッピデスに向かって話しかける。

 

 「お若いの、節操がどういうことを意味するか見るがよい、ありとある快楽を奪われる、少年、女、コッタボス、うまい物、酒、ひそひそ笑い、こいつがなくちゃ生きている甲斐ががるものか。よし、これからひとつ自然の避けがたい必然を説こう。過ちを犯す、恋をする、姦通、それからつかまる。身の破滅だ。うまくしゃべれぬからな。ところがおれについていれば、野放しに跳ねまわり、笑い、なにごとも恥とは思わぬ。間男でつかまればこう反対するのだ。何も悪いことはしはしない。そうしてゼウスを引合いに出す、この神さまでさえ恋と女の奴となったのに人間のおまえがどうして神さまに勝てますかい。」(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.78)

 

 これに対し、正論はばれてお仕置きされたらどうするのかと詰め寄る。 

 

正論:だがおまえの言葉にしたがって赤かぶのお仕置きで灰の中で前の毛をむしられたら。助平野郎でないことをどうやっていいわけするかね。(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.78)

 

 姦通のばれたときの男に対する当時のお仕置きは、頭から熱い灰をかぶせた上で、尻に赤かぶをねじ込み、前の毛をむしりとることだったという。

 しかし、ここでいう助平野郎とうのは、「尻の大きい」という意味で、ホモの意味と両方の意味がある。そこからホモネタに持ってゆく。

 

邪論:助平野郎だったら、どういう害があるかね。

正論:これよりひどいことがあろうか。

邪論:もしこの議論でおれが勝ったら、お前は何と言うだろう。

正論:口をつぐむだけのことさ。

邪論:さあ、それじゃ答えろ、どういう種類の者から弁護士が出ているかね。

正論:助平野郎(ホモ)から。

邪論:おれも同意権だよ。それでは悲劇作者は。

正論:助平野郎(ホモ)から。

邪論:そのとおり、それでは演説家は。

正論:助平野郎(ホモ)から。

邪論:それじゃお前は自分の間違いを認めたろうな。見物のみなさんの中でどっちが多いか見てみるがよい。

正論:(見物席を眺めて)見た。

邪論:してなんと見た。

正論:こりゃいかん、ずっと多いわ、助平野郎(ホモ)が。(いちいち指さして)この男だ、知っている、それからあの男、それからここいにいる髪の長いの。(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.78~79)

 

 ここで勝負があったことになる。

 こうして、ペイディッピデスはソクラテスに弟子入りし、弁論術を学ぶことになる。

 しかし、先にも言ったように結局ソクラテスは正論も邪論も教えない。つまり自分で考えろということ。それが「助産術」の基本なのだろう。思いついたことにあれこれと突っ込みを入れて、弱点をさらけ出させる。だから、ソクラテスは突っ込みキャラが似合っている。

 しかし、この方法は、やりようによってはいろいろと取れる。それは若い者に対し、今まで学んできたことをことごとく否定されることにもなり、それで怒ってやめてゆく人と、自信を失ったまま洗脳されたようにソクラテスの言うことを聞くようになる人とに別れてゆくことにもなる。

 プラトンはこの方法を、弱点をあえて指摘してもらうことによって自分の理論を強化するのに役立てたのだろう。しかし、それはプラトンがそれだけ強靭な精神を持っていたということなのかもしれない。たいていは逃げ出すか追従者になるかのどちらかだっただろう。このやり方は危険視されても仕方がなかった。

 基本的にどのような理論も反駁可能であり、だからこそどんな犯罪者であっても弁護は可能である。それが正論かどうかは、秤にかけて決めなくてはならない。つまり有罪として処罰するのと無罪放免するのとで、どっちがより社会にとって有益かを秤にかけるのである。

  科学もまた、絶対正しい理論なんてものは存在しない。科学は九十九パーセントではなく百パーセント仮説である。ただ、それは繰り返し検証に耐えることで暫定的に真実と見なされているにすぎない。

 法律も道徳もそれと同じで、絶対に善な議論なんてものは存在しない。ただ、それを立法として万人に適応したとき、社会に有益な結果をもたらすものは残り、有害なものは捨て去られるにすぎない。こうした試行錯誤の結果生き残ったものが、今の法律に結集されているといったほうがいい。悪法も法であるとはいえ、それをみんなが守ることによって社会に大きな不利益が生じるなら、次第に守られなくなり、消え去ってゆく。

 科学にとっての実証主義は、法律や道徳にとっては快楽の計量術となる。つまり、その法律や道徳律が正しいかどうかは、それをみんなが守ったとき、より多くの快楽をもたらすかどうかにかかっている。「悪法も法である、守るべきだ」というのが正しいとすれば、それは守ってみなければ悪法かどうかがわからないということだろう。守ってみた結果、みんなが不幸になるなら、それは悪法なのである。

 ソクラテスが発見したのは、自然(ピュシス)だけではなく、法(ノモス)にも実証主義が適用できるということだったのではなかったか。道徳律が正しいかどうかは、それが立法として一般化されたときにどれだけの快楽をもたらすかで決まるということではなかったか。

 人類が科学に目覚めたとき、それは生産力を高めることでより多くの幸福を得ることができると確信した。しかし、それは不平等を生む。そのため、常に保守的な人間によって袋叩きに会う。それがみんなにとっても利益になることを主張するには、弁論術が必要になる。ソフィストの弁論術も、プラトンやアリストテレスの哲学も、基本的には快楽の算術によって人々を説得し、新しいやり方を導入するための手段だった。

 しかし、科学というのはいつの世も完全ではなく、様々な副作用をもたらす。そこが難しいところだ。今でも地球規模の環境破壊を目の前にして、文明そのものを否定して洞穴暮らしに帰れと主張する人たちはたくさんいる。当時のギリシャでもそれは一緒だっただろう。

 三段櫓船を作るために森林を伐採したギリシャは急速に砂漠化した。それは保守派の人々にとって、神の怒りのように見えた。人々が神をあがめなくなり、己の利益と快楽だけを考えるようになったから、神は罰として旱魃を引き起こし、警告しているのだ、と。

 合唱隊はこう歌う。

 

 さあ行け。だがいま後悔するでしょうよ。

 もし審判が公平にこの合唱隊に賞を与えるなら、

 どういう利益を授かるか、私らは告げましょう。

 まず季節に畑を鋤き返し種を播こうと思うなら、

 ほかの者はさしおいてまずおまえがたに雨を降らせましょう。

 つぎに作と葡萄とを護りましょう。

 旱魃に苦しめられず大雨がいためぬように。

 人間のおまえが神さまのこの私たちを軽んずるなら、

 どんな目にあうか目にとめよ。

 おまえの土地から葡萄酒も何にも取れず、

 オリーヴと葡萄の木々は咲き出る頃に

 たちまち叩き落される。私たちの石投げの力はこのようだよ。

 またもし、煉瓦を作っているのを見たならば、雨を降らし、屋根の

 瓦を堅い大きい霰でめちゃめちゃ。

 またもし、そいつや親類や友だちの誰かが結婚しようとすれば、

 一晩じゅう雨を降らす。そのためおそらく間違った

 審判をするよりエジプトにでもいた方がましだと思うことだろう。(『雲』アリストパネース、高津春繁訳、一九七七、岩波文庫、p.80~81)

 

 古臭い禁欲道徳は、人を貧しい生活に縛りつけたままだし、そこから逃れようとする新しい考え方は常に不完全で大きな災害をもたらす危険をはらんでいる。その中でアリストパネスが本当に風刺しようとしたのは何だったのだろうか。

 多分テーマが大きすぎて、アリストパネス自身も手に負えなくなってしまったのだろう。ただ、古い世界観の上に新しい思想を接木したことの矛盾。神々を信じたまま、ただ自分の利得のために新しいものに擦り寄ることの危うさ。そうしたものをストレプシアデスに背負わせたまま、答は見出せない。

六、結末

 最後の落ちについて、長々と解説することは控えたい。

 簡単に言えばこういうことだ。

 息子のペイディッピデスはソクラテスの新しい教育に洗脳されて帰って来る。しかし、ストレプシアデスは相変わらずわけのわからない仕方で借金取りを追い返す。そんな親父に息子のペイディッピデスは反撃を開始する。そして、ストレプシアデスはその怒りをソクラテスのほうに向ける。

 悪いのはソクラテスを利用しようとしたストレプシアデスだったし、息子のペイディッピデスもまたソクラテスの知恵を悪用しているのは明らかなのに、最後にそのストレプシアデスがソクラテスへの怒りを爆発させることによって、終わってみればなんだかソクラテスが悪かったかのような印象を与えてしまう。

 この喜劇が果たしてプラトンが『ソクラテスの弁明』の中で述べたように、大衆の間でのソクラテスのイメージに大きな影響を与えたのかどうかはわからない。むしろこの問題は、今日でも盛んに行われている文明批判によく似たもので、科学に対する不信感は、最後には文明そのものの否定に行き着いてしまう危険をはらんでいた。ソクラテスはそのシンボルとなってしまったのだろう。

ソクラテス・ファンタジー「もう一つの弁明」

 *この対談はあくまで架空のものである。

 *引用したプラトンの『ソクラテスの弁明』のテキストは、永江良一訳、

http://page.freett.com/rionag/plato/apology.htmlによる。

一、最初のつかみ

対話する人物:ソクラテス、プラトン

場面:獄舎

 

ソクラテス:プラトンよ、何度も君に言ってきたはずだが、自由というのは人から何らの恩義も負債も背負っていないところから生まれるもので、そうでなければ、恩義に縛られて、結局人の言いなりになってしまうものなのだよ。

 それなのに君ときたら、このぼくを例の告発者の手から助け出し、命の恩人になろうというのかね。

 

プラトン:そんな、ソクラテスさんに恩を着せるなんてとんでもない。ぼくはただ今までたくさんのことをソクラテスさんに教えてもらった恩の大きさがわからないわけじゃないから、そのほんの一割か五分程度でも返すことができたらと思っただけっすよ。

 

ソクラテス:まあいい。せっかくだから、その出来上がった弁明の原稿を読み上げてくれ、できればゴルギアスのように感動的にな。

 

プラトン:ゴルギアスやプロタゴラスの口真似ならお手のもんだが、でもそれはソクラテスさんのすることではないっすよ。ここで必要なのは、いかにもソクラテスらしい弁明を行うことなのですから。

 

ソクラテス:ちょっと待った。「ソクラテスらしい」というのはどういう意味だ。それはソクラテスではないが、ソクラテスであるという意味なのかね。同時に有ると無いとを言うことはできないぞ。偽のソクラテスなんてのはイソクラテスだけで十分だ。

 

プラトン:確かにそこを突っ込まれるとやっかいだ。じゃあこういうのはどうです。

ぼくはソクラテスさんならこう言うだろうと思ったことを書いた。それが本当にソクラテスさんの言うことなのかどうかはソクラテスさん自身に決めてもう、これならいいでしょう。

 

ソクラテス:わかった。じゃあとにかく始めてくれ。

 

プラトン:では、コホン‥‥

 

 「アテナイの人々よ、みなさんが私の告発者にどれほど心を動かされたか、私にはわかりませんが、私には自分が誰であるかほとんど忘れさせてしまうものでした。それほどに、あの人たちは説得力のある話をしたのです。しかしほんとうのことはどうみても言っていないのです。あの人たちの話した嘘の中でも、次の嘘には全くびっくりしました。つまり、私の雄弁の力に用心し、だまされないようにと、みなさんに言ったことです。私が口を開き、私がたいした弁舌家でないことを示してしまえばすぐに嘘だと見破られてしまうのに、こんなことを言うなんて、私にはほんとうに大恥知らずだとしか思えません。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:待て待て、「私が口を開き、私がたいした弁舌家でないことを示してしまえば」と言っているわりには、めちゃ雄弁じゃないか。これじゃぼくが雄弁家でしかも嘘つきであるということを宣言しているようなものではないか。

 

プラトン:まあ、そう言われてみれば‥‥

でも続きがあるんで。これは雄弁家であることを否定しているのではなく、嘘をまことしやかに語る雄弁家ではなくという意味で、真実を語ると言う意味では雄弁であるというふうに続くから、問題なんです。つまりこうです。

 

 「もっとも、あの人たちが、雄弁の力を真実の力という意味で使っていなければのことですが。というのは、あの人たちがそういう意味で使っているのなら、私は自分が雄弁であると認めるからです。しかし同じ雄弁といいながら、あの人たちのとは、なんと違う流儀でしょうか。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:なんかわかったようなわからないような言い方だが、要するにぼくは雄弁家なのか。それとも雄弁家ではないのか。

 

プラトン:それはつまり、嘘を語ることに関しては雄弁ではないが、真実を語ることに関しては雄弁だということです。

 

ソクラテス:つまり、雄弁というのは真実も嘘も語るということかね。

 

プラトン:はい。

 

ソクラテス:なら真実を語る雄弁と嘘を語る雄弁とは同じものなのかね、それとも別のものなのかね。

 

プラトン:別のものだと思います。

 

ソクラテス:別のものだというのは、真実を語る雄弁は嘘を語ることができず、嘘を語る雄弁は真実を語ることができない、という意味か。

 

プラトン:はい。

 

ソクラテス:なら真実を語る雄弁は雄弁ではなく、嘘を語る雄弁も雄弁ではない。そういうことだな。

 

プラトン:ちょっと待ってくれ、それだと雄弁であって同時に雄弁でないということになる。矛盾しちゃうな、困ったな。

 

ソクラテス:まあいい、せっかく書いたのだから続きを読んでくれ。

 

プラトン:なら、まあ‥‥

 

 「さて、私の言うように、あの人たちはほとんど真実を話してはいないのです。そうではなくて、みなさんは私からすべての真実を聞くことになるでしょう。とはいえ、あの人たちの流儀にしたがった、美辞麗句で飾りたてた型どおりの語り口で述べるわけではありません。神にかけて、そうではありません。私はこの瞬間に心に浮かぶ言葉と議論とを使おうと思います。というのは、私は自分の主張が正当だと確信している(あるいは、私はこのやり方をとるのが正しいと信じる)からなのです。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:で、実際には暗記した原稿を読んでるというのだな。

 

プラトン:そんなことは言わなきゃわからないって。何とか演技力で、棒読みにならないように、いかにもその場で思いついたかのように喋ってくれればいいんですよ。続きをいきますよ。

 

 「私のような歳恰好の人間が、アテナイの人々よ、みなさんの前に若い弁舌家のような役回りで現れるのはふさわしからぬことです。さようなことを期待めさるな。だが、次のことを御容赦願いたいと思います。私がいつもの態度で我が身の弁護を行い、私が常日ごろ広場や両替商の店先やあるいはその他どこででも使っている言葉でしゃべるのをお聞きになっても、それに驚かれぬよう、またそのことで私を妨げたりされぬよう、願いたいのです。私は七十歳をこえており、法廷に立つのは初めてなのですから、この場の言葉にはまったく慣れていません。ですから、私をまるっきりのよそ者と見なしてください。そういうよそ者がお国なまりで、故郷のやり方で話したとしても、みなさんは咎めだてなさらぬでしょうから。私はみなさんに不公平な要求をしているのではありますまい。態度の良し悪しは気にされず、我が言葉の真実のみを考慮されますよう。また、話し手が偽りなく語り、判決が正しくなされることを、お気に留められますよう。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:プラトンよ。最初から気になってしょうがないのだが、雄弁でないと言いながら雄弁だったり、法廷の言葉でないといいながらいかにもというような法廷の言葉で喋ってたり、一体君はこのぼくがこんな矛盾したことを言うと本気で思っているのかね。

 

プラトン:うーん。やっぱり無理か。でも裁判のときの弁論ってみんなこんなもんだし。

 

ソクラテス:ぼくは弁論なんて必要ないと思うよ。結局裁判ってのは、真実を言うといいながら嘘を言い、嘘を信じ込ませたほうが勝ちという単純なゲームなんだろ。そんなもんで命乞いをするのは、ぼくの今までの生き方とまったく違うように思うのだが。

 

プラトン:だけど、これはまだ最初の形式的な挨拶のようなもので、これから本論に入るときに嘘のない、ソクラテスさんの真実の姿を伝えてゆくことのなるのです。

 

ソクラテス:本当に大丈夫か、プラトン。君だってこのぼくの言っていることをよくわかっているとは思えないのだが。

二、よくある偏見への抗弁

プラトン:それでは本論に入ります。まず最初は、アニュトス一派が、アリストパネスの喜劇にあるような昔からあるソクラテスさんに対する偏見を利用してくることを想定してものです。

 

 「まず最初は、古くからある非難と私の最初の非難人に応えておかなければなりません。その後で最近の告発に向かうとしましょう。古い非難については、たくさんの非難人がおりますが、その人たちは長年にわたって私にたいして虚偽の非難をしてきたのです。私はアニュトスとその一党よりこの人たちのほうが恐ろしいのです。アニュトス一党もそれなりに危険ではありますが。しかし、古くからの非難人のほうがずうっと危険です。この人たちは、みなさんが子供の頃に活動を始め、次のように言って、自分たちの嘘をみなさんに信じこませたのです。すなわち、ここにソクラテスなる賢者がいて、天上に思いを馳せ、地下を探り、悪しき企てを良きものと思わせていると。この話をまき散らしたのが、私の恐れる非難人たちなのです。というのも、その話を聞けば、このような探究をなす者は神々の存在を信じないと想像してしまいがちだからです。それにこういう非難人たちは数多く、私にたいして非難を言い立てたのも古くからであり、みなさんが今よりずっと感じやすかった、子供時代や青年期にそういう非難がなされたのです。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:アニュトスの一派は、確かこのぼくが異教の神を信じ、それを広めているというかどで告発しているのではなかったかね。特にぼく自身が神の声を聞くということを問題視し、民主制を否定して独裁者になる危険人物だということが問題だったと思ったのだが。

 だから、このくだりはちょっと焦点がずれているように思うのだが。

 

プラトン:アニュトスはそうでも、一般の陪審員たちが吹き込まれているのは、こうした古くからのソクラテスさんのイメージなのですよ。だから、まずそこを崩そうと思ったのですが。

 

ソクラテス:しかし、この手の怪しげな噂はいつの世でもあるものだし、いつの間にか広まってるもので、どこのだれが言い出したかもわからないものだぞ。

 

プラトン:そこです。次を聞いてください。

 

 「なかでも大変なのは、たまたま喜劇作家の名を知ったほかは、私は我が非難人の名前を知らず、言うことができないことなのです。嫉妬と悪意からみなさんを説き伏せてきた人々、そのうちの何人かはすでに自らそうだと思いこんでいるのですが、こういう手合の人々の取り扱いが非常に難しいのです。というのは、法廷に訴えることもできず、反対訊問をすることもできず、だから私は我が身の弁護にあたって影と闘うしかなく、誰も答えてくれない議論をするしかないのですから。そこで、みなさんも私とともに、私が言うように、私の敵対者には、最近の敵対者と古くからの敵対者の二種類あるということを認めてくださるようお願いします。またみなさんが、私が古くからの敵対者にまず答えようとするのが妥当だと認めて欲しいのです。というのは、みなさんは、これらの非難のほうを最近のものより長い間、しかも数多く聞いてきたのですから。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:しかしなあ、プラトン。こういう大衆というのは、変わり身の早いものだ。昨日まである政治家をちやほやしていたと思ったら、次の日には手のひらを返したように追放だの死刑だの言い出すしだいだ。だから、ぼくにとってそれは敵にも味方にもなる。事実、こうした噂がささやかれている中で、ぼくの下にたくさんの若者が集まってきて、時代のヒーローに祭り上げられたこともあったではないか。

 

プラトン:確かにぼくもその一人だと言われれば、そうなのですが。

 

ソクラテス:大事なのは、こうした大衆を味方にすることではないか。それなのに君は「敵対者」だと決め付けて弁論させようとしている。

 

プラトン:でもアニュトス一派の告発以来、また風向きが変わったのも確かです。今は敵対者だといってもいいのではないですか。

 

ソクラテス:そこだ。君は「名前を知らず、言うこともできない」非難人と闘おうとしているが、そのような相手に「言うことができる」のかね。たとえば道端に今まで見たこともない名前の知らぬ草を見つけたとき、その草に毒があると非難することができるのかね。

 

プラトン:名前を知らなくても、実際に毒に当てられたものがいればそれで十分ではないか。

 

ソクラテス:その毒が処方によっては薬になるとしてもか。多くの毒草は実際薬草としても用いられているではないか。

 

プラトン:わかりました。大衆の声というのは、使い方によっては味方にもなる、そういうことですね。私の意図もそこなんです。

 

 「さて、それでは私は自分の弁護をし、短時間で長く続いてきた中傷を一掃するべく努めなければなりません。成功することが私にもみなさんにもためになり、あるいはおそらく私の裁判で私の有利にはたらくなら、成功しますように。この課題はたやすいことではありません。私はことの本質をよくわきまえております。そこで、事の成り行きを神に委ね、法にしたがって、今から我が身の弁護を行います。 ことの発端から始め、私の中傷を引き起こした非難が何であったかを問うてみましょう。そして実際、この非難に励まされ、メレトスは私に対する罪科を証明しようとしたのです。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:メレトスの告発文はまだ聞いてないが、もし、メレトスの告発がこうした昔からある噂話を利用してなかったらどうするんだ。

 

プラトン:必ず利用するはずです。昔からある非難を思い起こさせ、それに乗じるのは、裁判の定石です。

 

ソクラテス:メレトスはあれでそんなにバカではない。君みたいに果たして言うこともできないような影を相手にするだろうか。

 

プラトン:それってぼくがメレトスよりも劣るということっすか。

 

ソクラテス:実際にメレトスが風聞を寄せつけずに、堂々と彼自身の持論を主張してこのぼくを告発してきたのなら、そういうことになる。だが、君の読みどおり風聞を利用し、感情論に訴えるような弁論を展開してきたら、君と同等だということになる。

 

プラトン:もちろん、その場合も考慮してますよ。だから、この風聞に対する反論はメレトスへの反論ではなく、あくまで名も知らぬ中傷者への反論だとして展開するのです。

 

 「さて、中傷者たちは何と言ったのでしょうか。この人たちが私の起訴者であればと考えて、その訴状の言葉を要約してみましょう。『ソクラテスは悪事を働くもので、好奇心の強い者であり、地下や天上の事物を探り、悪しき企てを良き企てと見せかけている。そして前述した教義を他の者たちに教えこんでいるのである』と。こういうことが非難の本質なのです。それはみなさんがアリストファネスの喜劇(アリストファネス『雲』)でご覧になったものにほかなりません。アリストファネスはソクラテスなる人物を登場させ、歩き回らせては、空中を歩くと言わせているのです。そして私が多少なりとも知るはずもない事物についての馬鹿話を語らせるのです。もとより私には自然哲学の研究者をおとしめようというつもりはありませんが。もしメレトスが私に対する罪科をかくも重大なものとするなら、非常に遺憾に思うのです。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:アリストパネスの『雲』はぼくも見たし、あれは笑えたな。特に「お嬢さん鉢」は傑作だったな。

 

プラトン:そんな感心している場合ではないですよ。

 

ソクラテス:でも、君も知っているだろう。彼とは古くからの友人だし、一緒に飲んだりする仲だってことも。それに、あの喜劇にはそんなに罪はない。それにプラトン、君は知らないだろうけど、ぼくも若い頃にはいろいろあったからな。

 

プラトン:でもあんな籠に乗って降りてきたりはしなかったでしょう。

 

ソクラテス:あれはぼくが本当に神の声を聞くということを信じようとしない人が多かったために、若い頃やったことが元になっているんだ。あの頃は今みたいにみんなが食料やなんかの差し入れしてくれる人もいなくて、生活に困ってたからな。

 ただし、実際は籠ではなく、もっと細い黒く塗ったロープで釣ってもらって、薄暗い室内だと空中浮遊しているように見えるようにやったのだが。

 

プラトン:まさかとは思いますが、他の話も事実だとか。

 

ソクラテス:借金の踏み倒しは、当時ぼくの得意としていたことで、ぼく自身ひところ山のように借金をこさえて、危うく奴隷として売られそうになったからな。

 だが、勘違いするなよ。ぼくはただ、奴隷に転落しそうな人間をほっておくことができなかったんだ。それで、借金を何とかチャラにしてもらうように口八丁で債権者に直接交渉し、やり込めてやることにしたんだ。相手は一流のソフィストを連れてきたこともあったが、一対一での短い言葉での交渉では絶対に負けることはなかったよ。

 

プラトン:確かに、一対一の短い対話でソクラテスさんに勝てる人はいないっす。

 

ソクラテス:ただ、違うのは、アリストパネスはこのぼくを天文学にも通じているかのようなキャラに設定していたけど、ぼくはそういうものがからっきし駄目だということくらいかな。

 

プラトン:それはよくわかってますよ。だから、ソクラテスさんについての噂を否定するには、まずそこから始めるのがいいと思います。つまり、こういうふうにです。

 

 「しかし、アテナイの人々よ、私は自然についての思索にかかわったことなどまるでないというのが、まったくの真実なのです。ここにいる多くの人が、このことが真実であることの証人です。私はその人たちに訴えましょう。それでは、私が話しているのを聞いたことがある方は話してください。そしてお隣に、私がそういった事柄を多少なりともしゃべっているのを聞いたことがあるかどうかを言ってください。みなさんはその答えを聞きましたね。それでは、罪科のこの部分についての話から、残りの部分が真実かどうか判断できるでしょう。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:なんかバカにされているみたいだなあ。

 

プラトン:知らないということを逆手に取るというのは、裁判では結構重要なんですよ。陪審員は心情的に自分より頭のいいものには、何か騙されるんじゃないか、うまいこと言いくるめられるんじゃないかと警戒するものです。ここでは等身大のソクラテスさんをアピールしたほうがいいんです。

 

ソクラテス:それってぼくが今までやってきたこととずいぶん違うんではないかな。

 

プラトン:それが作戦です。続きを行きますよ。

 

 「私が教師で、お金をとっているという報告についても、ほとんど根拠のないことなので、他の非難と同様真実ではありません。けれども、もしほんとうに人間に教えることができ、教育を授けたことでお金を受け取ることができるのなら、私の意見では、それは名誉なことだと思います。そういう人には、レオンティウムのゴルギアスとかケオスのプロディコスとかエリスのヒッピアスとかがいますが、この人たちは都市をわたり歩き、若者を説き伏せて、無償で教えてくれる自分たちの町の市民のもとをはなれて、自分たちの所に来て、お金を払わせるばかりか、お金を払わせてもらえることに感謝までさせることができるのです。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:レオンティウムのゴルギアスが都市を渡り歩いているのは、しょうがないことだと思わないかね。なにしろ、レオンティウムはシラクサに破壊され、もはや存在しないのだから。それに彼はプロタゴラスとは違い、法外な金を要求したりはしないというじゃないか。その日を食っていけるだけの金で、どんな裁判も快く引き受けるのが彼のいいところだと思わないかな。ぼくもそんなふうに、お金は受け取ったけど、宵越しの金は持たない主義でね、気前よくみんなにおごってやったではないか。

 

プラトン:「お金を受け取っていない」というのは、ここでは授業料を受け取っていないという意味です。もちろん、ソクラテスさんは法廷に立つこともなかったから、弁論の謝礼ももちろん受け取ってはいませんですし。ソクラテスさんのように無料で相談に乗って、それでうまくいって、後で感謝の印を受け取る程度のことは、「お金を受け取っている」のうちには入りません。

 

ソクラテス:そこでだ、その「感謝の印を受け取る」というのが、実際はお金の場合であっても、それを「お金を受け取っていない」というのは、何か変ではないかね。

 

プラトン:だから、法廷ではそれも受け取っていないということで通すしかありません。それだけでなく、そんなふうにお金を受け取れる身分にでもなってみたいものだなあ、と哀れっぽく言うのです。私の知識で五ムナでも謝礼を受け取れるなら、そうなりたいというふうに言うのです。とにかく謙虚さが大切です。間違っても普段喋るような調子で高言(メガレゴリア)などなさらないでください。

 

 「このごろ、パリア人の哲学者がアテナイに住んでいます。私はその人のことを耳にしました。私がその噂を耳にしたのは次のようなわけです。私はソフィストに多額のお金を使ったという人物、ヒッポニコスの息子のカリアスに出会いました。彼には息子がいるのを知っておりましたので、彼にたずねました。『カリアスさん、あなたの息子さんが子馬か子牛だったら、息子さんを仕込む人を見つけるのは難しくないでしょうね。たぶん馬の調教師か農夫を雇えばいいのですから。その人たちが本来の長所や美点を改善し完全なものにするでしょうから。でも息子さんは人間なのですから、誰をつけようとお考えですか。だれか人間の、また市民の徳目を理解している人がいるでしょうか。あなたには息子がおありだから、そうしたことをお考えになったにちがいない。だれかいるんでしょうかね。』『いますとも。』とカリアスは言いました。『どなたでしょうか。』と私はいいました。『どこの国の人ですか。お代はいかほどですか。』『パリア人のエヴェノスさんですよ。』とカリアスは答えました。『その人がそういう人物ですよ。お代は五ミナです。』もしほんとうにこういう知恵があり、こういう手ごろな代価で教えるのなら、エヴェノスは幸せ者だと、私は一人ごちしました。私が同じような才覚があれば、私はとても自慢に思い、うぬぼれたことでしょう。しかし真実は私はそんなような知識は持ち合わせていないのです。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

三、デルフォイの神託

ソクラテス:これじゃまるで、プラトン、ぼくが金に困って仕事を探しているプータロウか何かみたいではないか。

 

プラトン:その方がいいのです。大衆というのは、自分よりかわいそうな人を見ると同情し、自分よりはぶりのいい人を見ると嫉妬するものなんです。ソクラテスさんのところにみんなが貢物を持ってきて、断るのに苦労しているなんてこと少しでも言ったら、それこそみんな頭から湯気出して、毒杯へ一直線ですよ。

 だから、ソクラテスさんにとって一番問題なのは、例のデルフォイの神託なのです。

 

ソクラテス:あれはぼくが人間と神との中間であることを証明した重要な神託だが、それがどうかしたのか。

 

プラトン:そんなこと言ったら、それこそ陪審員はみんな怒り心頭に発し、怒髪天を突き、死刑死刑の大合唱ですよ。

 いいですか、あの「人間の中でソクラテスよりも自由な人間もいなければ正しい人間もおらず、節度に満ちた人間もいない」という神託は、あくまで人間の中でナンバーワンだというふうに解釈しなければなりません。自分が人間以上の、神に近い存在だなんていったら、大変なことになります。

 

ソクラテス:つまりプラトン、君はこのぼくにサイヤ人のポジションではなく、あくまでクリリンのポジションで我慢しろとでも言うのかね。

 

プラトン:またダイモンの声ですか。よくわからない例えですが、とにかくここは謙虚に、私は人より頭が悪く、人よりも無知だが、無知だということをわきまえている、そのことが本当の賢さだと、こう解釈し、それで押し通したほうがいいと思います。

 

ソクラテス:ははん、読めたぞ。つまりデルフォイ神殿に書かれている「汝自身を知れ」という言葉にヒントを得て、身の程をわきまえる人間がもっとも賢く、もっとも自由で、もっとも正しく、もっとも節度があるというのだな。

 

プラトン:そのとおりです。だから、まずこういうふうに始めるのです。

 

 「アテナイの人々よ、おそらくみなさんの中には次のように言い返す人がいることでしょう。『それなら、ソクラテスさん、あなたに対して持ち出されたこういう非難のもとは何なのでしょうね。何か変わったことをしてきたに違いありません。あなたに関するこういう噂や風評は、あなたがみんなと同じにしていたら、立つはずがないですよ。その原因がなんなのか言ってごらんなさい。というのは、あわててあなたに判決を下すのは気の毒だと思っているのだから。』さて、これはもっともな要求だと思います。それで、私が博識だといわれたり、こんな悪評が立ったりした理由を説明するよう努めましょう。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:どうも君の弁明を聞いていると、長ったらしく、もって回った言い回しが多くてしょうがない。全部読まなくてもいいから、要点だけをかいつまんでくれないか。

 

プラトン:そうですか。法廷ではこれくらいくどい言い方をしないと、陪審員はすぐに聞き逃したり、論理の展開が速すぎるとついていけなくなって、わけがわかんなくなったりしますから。

 でもまあ、ここで手短にというのであれば、多少は飛ばして読みましょう。

 

 「アテナイの人々よ、私の評判は私がもっているある種の知恵から生じたのです。どんな知恵なのかとおたずねなら、普通の人間ならおそらく持っているような知恵だと、お答えしましょう。というのは、その程度なら私は知恵があると信じられると思いますから。一方、私が言っている人は、超人的な知恵をもっているのです。こういう知恵を私はうまく言い表すことができません。なぜなら、私はそんな知恵を持ってはいないからです。私がそんな知恵を持っているという人は嘘をついており、私の品格を傷つけようとしているのです。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:超人的な知恵というのが、このぼくの聞くダイモンの声だとしたら、それは当然ぼくはまだ物心つかぬ頃から持っている。それがまずいのかね。

 

プラトン:当然です。法廷ではこのことについては黙っていてください。

 

 「そこで、アテナイの人々よ、たとえ私がなにか仰々しいことを言っていると思っても、どうか邪魔をしないでください。というのは、私が話そうとしているのは、自分のことではないのですから。私はみなさんに信用するにたる証人のことを言おうしているのです。その証人とはデルフォイの神です。もし私になにか知恵があるとしたら、この神が私の知恵のことを、それがどんな種類のものかを、みなさんに告げてくださるでしょう。みなさんはカイレフォンをご存じでしょう。私の古くからの友人ですが、みなさんの友人でもありました。というのは、彼は最近の民衆党の亡命に加わっていて、みなさんとともに帰国してきたのですから。さて、カイレフォンは、ご存じの通り、なにをやるにも衝動的ですが、デルフォイにおもむき、大胆にも次のような質問に答える神託を求めたのです。言いましたように、どうか邪魔をしないでくださいね。彼は私よりも知恵ある人がだれかいるかどうかを教えてくれる神託を求めたのです。するとデルフォイの巫女はもっと知恵ある者はだれもいないと答えたのでした。カイレフォン自身は亡くなっていますが、彼の弟がこの法廷に来ていますから、私の言ったことが真実だと保証してくれるでしょう。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

プラトン:さて、これからです。これからこのデルフォイの神託の驚くべき解釈が始まるのです。

 

 「このお告げを聞いたとき、私は自分に問いました。神様は何を言おうとしているのだろうか、その謎をどう解釈すればよいのだろうかと。というのは、私は自分が多少にかかわらず知恵がないことを知っているからです。では、神様は私が一番知恵のある人間だと言ったとき、何を言おうとしていたのでしょうか。しかし神様なのですから、嘘をつくことはありえません。嘘をつくことは神の本性に反するからです。長いこと考え抜いた末に、私は質問をしてみるという方法を思いつきました。もし私より知恵のある人を見つけ出せれば、反証をもって神様のところへ行こうと考えたのです。神様に「ここに私よりも知恵のある人間がいます。神様は私が一番知恵があるといったのに。」と言うつもりだったのです。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:神託を疑い、神様に向かって逆に質問するという発想は、それこそ神様を信じてないという嫌疑の上書きをすることにはならないのかね。

 

プラトン:大丈夫です。最後には神様が正しかったことに納得するようにできてますから。

 

ソクラテス:ならば君は、大事な戦の吉凶を占い凶と出たとき、それを疑い戦に出て、負ければ神様が正しかったことが証明されるとでも言うのかね。それこそ神を恐れぬことだとは思わないかね。

 

プラトン:まあ、そう言われれば。とにかく、続きを聞いてください。

 

 「私が検証に選んだのは政治家でした。そして結果は次のようなものでした。この人は多くの人から知恵があると思われ、自分ではずっと賢いと思っていたのでしたが、それにもかかわらず、私はこの人と話し始めると、ほんとうはこの人は賢くはないと考えざるをえなくなりました。それで、私はその人に、自分では賢いと思っているが、ほんとうは賢くないのだと、説明しようとしました。その結果、その人は私のことを憎むようになり、そこに同席し私のことを聞いていた数名の人も同じ憎しみを抱いたのです。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:ぼくが訪ねた政治家のどこがどういうふうに賢くなかったのか、その辺がずいぶん曖昧だが、それでいいのかね。

 

プラトン:まあ、実際はソクラテスさんが得意の詭弁でやり込めただけですから。

 

ソクラテス:あれは詭弁ではない。これは何度も言ってきたことではないか。人間の論理というのはどうやっても必ず矛盾してしまうもんだ。パルメニデスのように、「あるはある、ないはない」という論理が可能なら、必ずその反対の立論も可能になる。ゴルギアスが「何もない、あるとしても知ることができない、知ったとしても伝えることができない」と言ったみたいにね。だから、「徳は教えることができる」という議論が可能なら、必ずその反対の「徳は教えることができない」という議論も可能なのだ。

 これは人間の論理の限界であり、真理というのはそれを超えたところにある。ぼくがダイモンから授かったのはそうした絶対知であり、それを人間のロゴスで語るということはそれ自体矛盾なのだ。

 それを普通の人が見ると、少なくとも見かけの上では筋の通らない詭弁のように見えるのだ。

 だから、ぼくが政治家やプロタゴラス、ゴルギアスといった名だたるソフィストに挑戦していったのは、どんな綿密に構成された議論でも、必ず穴があることを指摘してやるためだ。いいか、完全な論理なんてのは幻想だ。哲学は論理ではない、超越だ。

 

プラトン:それを神の知だというと、どうしても大衆の反感は避けられません。だから、ここではそれを、「知らない」ということを知っている知だと説明するのです。

 

 「さて、私たちのどちらかがほんとうに美しく善なるものを知っているとは思えないが、私のほうが彼よりはまだましである。というのは、彼は何にも知らないのに知っていると思っているが、私は何も知らないが知っているとも思っていないのだからと。この後の方の点で、私はその人より少しばかり優れていると思えるのです。それから、もっとずっと知恵者を自負する人のところへ行きましたが、結果は全く同じでした。それ以来、私はその人とその大勢の取り巻きの敵の一人となったのです。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

プラトン:このあと、同様に詩人たち、職人たちのもとを訪ね、「ヘラクレス並みの労苦」をして、どこへ行っても同じ結果だったということにして、こう結論するのです。

 

 「この調査によって、私は最悪の危険きわまりない敵をたくさん持つにいたり、多くの中傷を被ることにもなりました。そして私は知恵があると言われるようにもなったのです。というのは、私のことを聞いていた人たちはいつも、私が他の人に探し求めている知恵を私自身が持っていると思ってしまうからなのです。しかし真実は、アテナイの人々よ、神様だけが知恵があるのです。そして神様の答えは、人間の知恵などほとんど価値がないかまるで無価値だということを示そうと言う意図であったのです。神様はソクラテスのことを言っているのではないのです。神様は説明するために私の名前を使っているだけで、あたかも、人間よ、ソクラテスの如く、自らの知恵が実は無価値だと知っている者が最も知恵あるものだと言っているようなものなのです。そこで、私は神様にしたがって、世の中を歩き回って、アテナイ市民であれよそ者であれ、知恵があると思われる者をだれかれなしに探してはその知恵を詮索し、もしその者が知恵がなければ、神託の正当を示すために、その者に知恵がないことを示しているのです。私はこの仕事にすっかり没頭し、公的重要事にも私事にも割く時間がなく、神様への奉仕のために極貧のうちにあるのです。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:なるほど、ぼくは一瞬誰であるか忘れてしまったぞ。

 

プラトン:でしょう。ここで一気に結論へともってゆくのです。

 

 「その他、次のようなこともあります。金持ち階級の若者たちが、さしてやることもないまま、自発的に私のもとに集まって、智恵者のふりをした人が試されるのを聞きたがり、しばしば私の真似をして、他の人たちを試し始めたのです。なにか知っていると思っているが、その実は、ほとんど知らないかまるで知らないということを、この若者たちにたちまち見破られた人は多数にのぼり、若者に試された人たちは、若者に怒るかわりに、私に怒ったのです。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:君は確かにな、プラトン。そうやってぼくの真似をして、偉い人をおちょくって回ったというではないか。そう、君は金持ち階級だしな。

 つまりこの説だと、本当は君に怒らなくてはならないことを、ぼくが引っかぶっていることにならないかね。

 

プラトン:そこを突かれるとつらいっすね。

 

ソクラテス:それに相手を論理的な矛盾に追いやることで無知をさらけ出させるというのは、あくまでそれが論理の限界であるというだけで、画家が絵や画材に対して知識をもっていたり、騎兵が馬に関して知識を持っていたり、船大工が船の建造について知識を持っていることには変わりがない。そう思わないかね。

 

プラトン:神にかけてそうです。

 

ソクラテス:君が彼らをやり込めたとして、君は彼らよりうまく絵が書けるわけでもなければ、馬に乗れるわけでもなく、沈まない船を作れるわけでもない。

 

プラトン:その通りですダイモンの神にかけて。

 

ソクラテス:彼らが無知でいるのは、ただその知識そのものが何なのかを、つまり知識とは何か、なぜそれが有るとわかるのか、それが何かに役に立つにしたら、それは何のためなのか、徳のためだとしたら徳とは何なのか、善のためだとしたら善とは何なのか、そういったことについてではないかね。

 

プラトン:まさにその通りだと思います。

 

ソクラテス:そして、果たしてこうした知識、徳、善というのは別々のものなのかね、それとも同じものなのかね。

 

プラトン:同じです。

 

ソクラテス:ならば快楽はどうかね。

 

プラトン:それも同じです。

 

ソクラテス:同じものでありながら、議論し始めると互いに矛盾しだす。それは、無知だからなのかね。

 

プラトン:それは無知というよりは、議論そのものの性質のように思えます。つまり、一なる真実はわかっていても、言葉にするとどちらも論証できてしまうということです。

 

ソクラテス:それをプラトン、君は「無知の知」と呼ぶのだね。

 

プラトン:そう呼びます。

 

ソクラテス:しかし、果たして知らないことをどうして知ることができるのかね。知らないことは知らないのではないのかね。

 

プラトン:何かこんがらがってきた。

 

ソクラテス:つまりこういうことだ。金持ち階級の若者たちがやったのは、議論そのものの矛盾する性格を教えるふりをしながら、その人が持っている技術までもあたかもそれがないかのように言いくるめたのではなかったのかね。船はおろか、木を決められた寸法に切ることもできないような若者が、一流の造船技師のところに行って、なにやら抽象的な議論で煙に巻いて、その無知を笑ったのではなかったのかな。

 

プラトン:それは‥‥怒りますよね。

それはともかく、続きはこうです。

 

 「このいまいましいソクラテスめと、この人たちは言うのです。この若者を惑わす不埒者めと。そこで誰かがこの人たちに、なぜなのか、ソクラテスがどんな悪いことをしたり、教えたりしたのかと聞いても、この人たちは知らないので、言うことができないのです。しかし、困ったとは思われたくないので、雲の中だの地下だのの事物を教え、神を持たず、悪しき企てを良き企てに見せかけているという、あらゆる哲学者に対して使われてきた出来合いの非難を繰り返すのです。というのはこの人たちは、自分たちの見せかけの知識が見破られたとは言いたくないからなのです。それが真実なのです。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:これはプラトン、告発されているのは君ではないのかね。そして、これは君がしなくてはならない弁明ではないのかね。

四、反対尋問

プラトン:何かそんなふうに言われると、ぼくが原因でソクラテスさんが告発されちゃったみたいですね。

 まあ、それはそれで置いといて、これからいよいよメレトスとの直接対決です。ソクラテスさんがメレトスに反対尋問をするのです。

 

 「最初の種類の非難人には充分我が身の弁護を述べてきました。次に二番目の種類の告発者に移りましょう。その筆頭はメレトスですが、彼は自分で言う通り、善意の人で母国を真に愛する人です。これらの告発者に対しても、弁護を試みなければなりません。その訴状を読んでみましょう。その内容は次のようなものです。ソクラテスは悪事をなす者で、若者を堕落させ、国家の神々を信じず、自らの何か他の新しい心霊を奉じていると。罪状は以上のとおりですが、さて個々の論点を検証してみましょう。メレトスは、私が悪事をなす者で、若者を堕落させていると言います。だが。アテナイの人々よ、メレトスが悪事をなす者なのです。彼は真面目なふりをして、悪ふざけを行うばかりで、本当はわずかの関心すらない事柄に熱心さと関心を装っては、人を裁判にかけることに熱心なのです。それでは、このことが真実だということを、みなさんに証明することに努めましょう。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:わかったぞ。その堕落した若者とは誰かと聞くのだろ。誰か一人でも名前を挙げてみてくれたまえとね。

 

プラトン:あーっ、その手もあったか。

 でもぼくが考えてたのはそうではなく、誰が若者を本当に指導できるのか、という方向から突っ込んでゆくやり方です。メレトスにこう尋ねるのです。

 

 「では、審判官たちに、だれが若者の善導者か言ってください。あなたはご存じにちがいないでしょうから。あなたは、せっせと若者を堕落させる輩を探すことに精を出し、審判官の前に私を召喚し告発したほどですものね。それでは審判官に若者を善導するのはだれか言ってください。メレトスさん、黙りこくって、何にも言うことがないみたいですね。でもそれは、かなり不面目なことではないですか。私が言ったこと、つまりあなたはこの問題にまるで関心がないってことの、かなりはっきりした証拠ではありませんか。友よ、遠慮なくおっしゃってくださいな。若者を善導するのは誰なのか教えてくださいな。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:まあ、普通に考えれば「親だ」というのがまっとうな答だろうね。そして、親の言うことよりも、得体の知れぬソフィストやこのぼくの言うことを聞くようにしたというのが「堕落させた」ということだと、メレトスならそう言うだろう。

 

プラトン:ちょっと待ってくれ、その反応は想定外だ。

 

ソクラテス:じゃあ、どんな反応を想定したのかね。

 

プラトン:たとえば、法律だとか、ここにいる陪審員の方々だとか、市民全員だとか言うことを想定したのですが。

 

ソクラテス:君の得意な性善説だな。そうやっていくと結局人を悪く教育する人など誰もいなくなる。だからぼくも人を堕落させてないという寸法か。

 

プラトン:そうです。次に「あなたは私が若者を堕落させているのは、故意にだとと言ったのですか、それともそういう意図はなくてと言ったのですか。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)と尋ね、こう切り返すのです。

 

 「あなたは良き市民は隣人に良くし、悪い市民は隣人に悪事をなすと認めたばかりです。さて、あなたの優れた知恵はその若さで認められており、私といえば、この歳で、自分のそばの人間を堕落させれば、その人に危害を加えられやもしれぬことに気づかず、私も別の人間もあなたに説得されそうなものなのに、まだ私はその人を堕落させ、しかも、あなたの言うところでは、故意に堕落させるという、無知蒙昧のうちにあるというのが、真相なのでしょうか。そうではなくて、私は彼らを堕落させていないか、故意にではなく堕落させているか、のどちらかです。どちらの場合でも、あなたは嘘をついているのです。私の違反が意図的でないなら、法律は意図せざる違反を知るところではありません。あなたは私的に私を呼び、警告し注意すべきではないでしょうか。というのは、私は良い忠告を受ければ、意図せずにしてしまったことをやめるでしょうから。やめることは、疑いもありません。しかし、あなたは私には何も言わず、教えることを拒んだのです。そして今、あなたは教えの場ではなく、処罰の場であるこの法廷に、私を引き出したのです。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:わかりにくい言い回しだが、要するに、ぼくがわざと人を堕落させたなら、何で良い市民はこのぼくをそのようなことをしないように教育しなかったのか、と教育のせいにしようという発想だな。つまりこのぼくが人を堕落させたのは、教育が悪い、社会が悪いと訴えるわけだ。ぼくは環境の奴隷だというのかね。

 

プラトン:いえいえ、めっそうもない、そんなことを言っているのではないっすよ。ただ、メレトスの理屈だとそうなると言っているだけっすよ。

 

ソクラテス:だが、陪審員にはいい印象は与えない。まるでぼくが自分の罪を人のせいにしているみたいではないか。さっきから聞いていると、すべてはこのぼくが頭が悪いからだ、貧しいからだ、教育が悪いからだ、社会が悪いからだ、ずいぶんひどい弁明ではないか。

 

プラトン:まあまあ、最後にこれだけ、これが決め手です。メレトスに、こう聞くのです。

 

 「メレトスさん、私がどんふうに若者を堕落させたと断言されているかをね。あなたの告発状から察すると、私が若者に、国家が認める神々を認めず、それに代わって、何か他の新しい心霊というか霊的主体を認めるよう教え込んだと、言いたいのでしょう。これが私が若者を堕落させた教程であると、言っているのですね。

  あなたの主張は、私が他人になにかの神を認めるよう教え、だから私は神を信じており、完全な無神論者ではなく、この無神論者というのは、あなたは私の罪科にいれていませんが、ただそれが国家が認めた神々と同じではない、それが違う神だというのが罪であるというのでしょうか。それとも、単に私は無神論者で、無神論を教えていると言いたいのですか。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:普通に考えれば、メレトスの訴状は「国家が認めた神々と同じではない、それが違う神だ」ということだろう。つまり、ぼくがダイモンの神の声を聞くことが問題になっているのだろう。つまり占いや前兆なしに直接声を聞いていることが問題なのだろう。

 

プラトン:そこをうまくメレトスを誘導して、ソクラテスさんが無神論者だと言わせるのです。

 

ソクラテス:まず言わないとは思うけど、言ったらどうするのかね。

 

プラトン:こう言うのです。

 

 「我が友、メレトスさん、アナクサゴラスを告発しているとでもお思いですか。そしてクレゾメニア人のアナクサゴラスの書物にはそういう説があるとは知らぬほど、審判官は無学だと思い込んで、見下そうというのですか。その書物はこういう説で一杯なんですよ。それで、そんな説は劇場でよくお目にかかるし(おそらく、戯画化したアリストファネスと他の劇作家と同じくアナクサゴラスの概念を借りてきたエウリピデスへの当てこすり)、(入場料は高々一ドラクマだから)若者が自分で払って劇場へ行き、こういう風変わりな見解を作り出した振りをするソクラテスを大笑いしている時世だから、いかにも若者がそんな説をソクラテスに教えられたと言いそうではありますね。」(プラトン著、永江良一訳『ソクラテスの弁明』より)

 

ソクラテス:そんなことを持ち出すより、占いのような曖昧などうとでも解釈できる仕方で神の声を聞くより、ぼくのように直接神の声を聞くことができたほうがよほど便利で確実ではないか、国家が認めた神々の声がこんなに簡単に聞けるなら、そのほうがいいではないか、そうはっきり言ったほうがいいのではないかな。

 

プラトン:そんなこと言ったら大騒ぎですよ。みんな一斉に死刑コールです。

 

ソクラテス:しかしプラトン、さっきから君の弁明の原稿を聞いていると、さんざんぼくはバカで頭が悪く、貧しく、ろくな教育を受けてこなかったと卑屈に頭を下げて命乞いをするけど、それで死刑を免れる見込みはどうやらなさそうだということだ。ならば、ぼくは堂々と自分の言いたいことを言って死ぬべきだと思わないかね。

結、書き給え

ソクラテス:まあそんながっかりするな。どうやらプラトン、君は弁論の原稿書きには向いてないが、物真似の才能はある。

 君が書けば、プロタゴラスは本人よりもプロタゴラスらしくなり、ゴルギアスを書けば本人よりゴルギアスになる。ぼくの真似にしてもそうだ。

 実は今しがた、ぼくの耳元にダイモンの声が降りてきたところなんだ。君はイソクラテスのように弁論の原稿書きで名声を得ることはできないが、君の書いたものはその何十倍も何百倍も多くの人に読まれ、多くの人を魅了し、多くの人を惑わす作家になるとな。

 パピルスがこんなに大量に出回るようになると、ぼくのような口八丁で生きてきた人間は、どのみちもう時代遅れさ。

 プラトンよ、書き給え。とにかく書くんだ。それが君だ。

 やあ、ヘルモゲネス、君も来てくれたのか。実はちょうど今、ぼくは弁明の練習をやめることに決めたところだ。

  おや、クリトンまで。ははん、読めたぞ。どうやらぼくをテッサリアに亡命させる手はずをととのえて来たのだな。いいだろう、これからそのことについて話し合おう。


プラトン『メノン』解説

 メノンはテッタリア(テッサリア)の貴族の生まれで、若くして重装歩兵千人、軽装歩兵五百人を率いて、BC.401年、つまりソクラテスが死刑になる2年前に、ペルシャ王アルタクセルクセス二世に対して反乱を起こした王の弟キュロス軍に参加し、最後はバビロンで捕虜となって死んだ。
 この戦いには、ソクラテスの弟子でもあり、『ソクラテスの思い出(メモラビア)』『ソクラテスの弁明』『饗宴』などのソクラテス関係の著書をも残しているクセノフォンも参加し、その顛末を『アナバシス』という本に書き表している。
 そこにはメノンについて、こう記されている。

 「テッサリア出身のメノンが極度に金銭欲の強い男であったことは明白である。軍の統率者になりたいというのも、収入を増やすためであり、栄誉を求めるのも儲けを多くするためにほかならなかった。また最高の権力者たちに近づこうとしたのは、悪事を働いても処罰を免れるのが目当てだったのである。自分の野望を遂げるためには、偽りの誓いを立て、嘘を言い、だますのが最も近道であり、率直や正直は馬鹿と同義語だと考えていた。
 彼が人を愛することのできなかった人間であることは明白な事実で、彼が自分は誰々の友人であると言う時には、明らかにその人の失脚を狙っているからである。敵方の誰に対しても侮蔑的な言葉を用いることはなかったが、配下の者と会話する時には、相手が誰であろうと必ず嘲るような口調ではなすのが常であった。
 彼は敵の財物を狙うことはしなかった。警戒している人間の持物を取るのは難しいというのである。しかし、見方の持物は無警戒であるから、いとも容易に手に入れることができる、という理を心得ているのは自分くらいなものであろうと考えていた。誓約を破ったり悪事を働く人間であると見ると、手強い相手だとして恐れたが、敬虔で真実を守る人間は腰抜けとして扱うようにしていた。普通の人間が敬虔とか真実とか正義とかを誇りとするように、メノンは人を騙す能力とか、嘘を捏造したり、友人と嘲笑することを自慢していた。‥‥」(『アナバシス』クセノフォン、松平千秋役、1985、筑摩書房、p.75~76)

 そして、その最期について、

 「他の指揮官たちの刑死後、王によって処罰されて死んだのであるが、クレアルコスその他の指揮官たちのごとく斬首によってではなく──斬首は最も手早い死様と思われるが──悪人として残虐な扱いの下に一年間生き延びた後、死んだということである。」(『アナバシス』クセノフォン、松平千秋役、1985、筑摩書房、p.76)

というあたりは、テッサリアへの亡命を拒否して潔く死んだソクラテスと対比したものと思われる。ソクラテスが自由なまま幸福な死を遂げたちょうどその少し前、メノンは一年間の奴隷同然の生活の後に最も苦痛の多い死に方をしたというわけだ。
 このような人間がソクラテスと「徳(アレテー)」について語ろうというのだから、プラトンも洒落がきつい。ここではメノンがアテナイのアニュトスのところに滞在しているところを、ソクラテスが尋ねるという設定になっているが、このアニュトスもすぐ後にソクラテスを告発して死刑にする首謀者の一人となる。
 おそらくプラトンは、徳を教えることがいかに難しいことかを際立たせるために、この二人を選んだのだろう。とにかく、ここでの対話の相手は、『ゴルギアス』で熾烈な論戦バトルを展開したカリクレスのような、単に権力者に憧れているだけのザコではない。
 そして、ソクラテスもここではすっかり論理的な人間に変貌している。『プロタゴラス』に登場するソクラテスとくらべれば、まったくの別人といってもいい。ここでのソクラテスはすっかりプラトンその人(若干理想化されているかもしれないが)と言ってもいいだろう。

1,徳の本質論へ向けて

 そのメノンの最初の質問はこのようなものだった。

 

 「こういう問題に、あなたは答えられますか、ソクラテス。──人間の徳性というものは、はたして人に教えることのできるものであるか。それとも、それは教えられることはできずに、訓練によって身につけられるものであるか。それともまた、訓練しても学んでも得られるものではなくて、人間に徳がそなわるのは、生まれつきの素質、ないしはほかの何らかの仕方によるものなのか──。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.9)

 

 メノンが何で突然こんな質問をしたのかわからない。自分がいつも人から徳がないと言われているからか。悪知恵一つで綱渡りのような世渡りをしているメノンにとって、もし徳を学ぶことができるなら、もっと良い暮らしができると考えたか。それとも、徳が生まれつきだとわかれば、自らの徳のなさを悩む必要がないということか。
 ソクラテスもこのメノンの意外な質問に、皮肉たっぷりに答える。

 

 「おや、メノン、これまでテッタリア人といえば、馬に乗るのがうまいのと金持ちだということでギリシア人のあいだに名がきこえ、讃歎されていたものなのに、いまではどうやら、知恵にかけてもそういうことになったらしいね。とくに、君の仲間のアリスティッポスもいるラリサの市民というのが、どうもそのようだ。そして君たちをそういうふうにしたのは、ゴルギアスだね。なにしろ、彼があの都市にやって行くや、君を愛するアリスティッポスが属しているアレウアス家の主だった人々をはじめ、その他一般のテッタリアの主要人物たちは、すっかりその知恵に魅せられて、恋人のように彼を慕うようになってしまったのだから。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.9~10)

 

 これは別に、メノンもまたゴルギアスを慕うようになったということではなく、テッタリアでメノンが孤立しつつあるということなのだろう。このあたりが、アテナイのアニュトスのもとを訪れた理由でもあり、後にキュロスの傭兵となった事情だったのかもしれない。
 だとすれば、ソクラテスに徳を学べば、ゴルギアスを慕うラリサ市民の上に立てるかもしれないなどという下心もあったのかもしれない。
 しかし、ソクラテスの答は期待はずれなものだった。

 

 「この問題に関するぼくの知恵は、同市民(アテナイ市民)たちのご多分にもれず貧困であって、徳についてぜんぜん何も知らないことを、自分自身に対して非難している状態なのだ。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.11)

 

 そして、ソクラテスはさらに論理的にこう言う。

 

 「あるひとつのものが何であるかを知らないとしたら、それがどのような性質のものかということを、どうしてぼくが知ることができよう。それとも君には、メノンとは何ものであるかをぜんぜん知らない人が、メノンが美しいか、金持ちであるか、高貴な人物であるか、あるいはまたそういった性質と反対の人間であるか、というようなことを知ることができると思えるかね。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.11)

 

 このあたりの進め方は、『ゴルギアス』までの著作にはない一つの進歩であって、いわばプラトンが論理的な思考に目覚めた、記念すべき作品がこの『メノン』だったと思われる。
 また、徳について何も知らないと自ら明言するあたりは、プラトンの『ソクラテスの弁明』の中で展開した「無知の知」の考え方の延長といえよう。
 もちろん、実際に徳について何も知らないということはありえない。もしそうならば、ここで「徳」という言葉をどうして使えるのかということになる。最低限でもメノンが人名だということを知らないならば、「メノン」という言葉をきいても、それはただ意味不明な音の配列にすぎず、この言葉を確実な正しい文脈の中で使用することも困難だろうし、聞く人も何のことかわからないだろう。しかし、実際今まで「徳」について何不思議なく会話を交わしているという以上、徳について何も知らないということはありえない。少なくとも、「徳というのは飛びますよね」だとか「どんでんがえしですね」とか意味の通じないようなことを言ってはいない。
 この場合、知らないのは「徳」についてのさまざまな現象のことではなく、徳の本質や定義について知らないということで、たとえば音というのが振動であることを知らなくても、さまざまな音について語ることができたり、「魚類」の生物学的な定義を知らなくても、魚について語ることができるのと同じである。
 メノンがこれを聞いて、

 

 「しかし、ソクラテス、あなたが徳とは何かということさえも知らないというのは、本当ですか?くにへ帰って、あなたのことをそのように伝えてもいいですか?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.11)

 

という場合、メノンは徳と呼ばれるさまざまな現象について知っているということと、徳の本質について知っているということとの区別がついていない。もっともこれは仕方がない。こうした思考は訓練を要するものだからだ。そして、それはプラトンがようやくたどり着いた地点でもあるのだ。
 ソクラテスはこう付け加える。

 

 「それだけでなく、君、ぼくはまだそれを知っている人に、出会ったことさえないと自分では思っているということも、ついでに伝えてくれたまえ。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.11)

 

 そして、メノンに徳が何なのか知っているのか、知っているなら説明してくれ、と来るのは、必然的な展開だ。メノンは軽く乗せられて、こういう。

 

 「いや、ソクラテス、お答えするのは別にむずかしいことではありません。まず、男の徳とは何かとおたずねなら、それを言うのはわけのないこと、つまり、国事を処理する能力をもち、かつ処理するにあたって、よく友を利して敵を害し、しかも自分は何ひとつそういう目にあわぬように気をつけるだけの能力をもつこと、これが男の徳というものです。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.13)

 

 一見もっともらしいが、結局国事を処理するにあたって仲間内の利益だけを図り、敵を貶めることだと、結構勝手なことを言っている。自分の身を削ってでも国家のために尽すというのは男の徳ではないらしい。さすがメノンだ。

 

 「さらに、女の徳はと言われるなら、女は所帯をよく保ち、夫に服従することによって、家そのものをよく斉えるべきであるというふうに、なんなく説明できます。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.13)

 

 これも男尊女卑の社会では普通に言われていることではあるが、勝手といえば勝手である。ここで、プラトンの『プロタゴラス』の中で、ソクラテスがソフィストは何を教えているのかと尋ねた時、

 「身内の事柄については最もよく自分の一家をととのえる道をはかり、さらに国家公共の事柄については、これを行うにも論ずるにも、最も有能有力の者となるべき道をはかることの上手というのが、これである。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、1988、岩波文庫、p.36~37)

と答えていたのを思い出してもいいだろう。プロタゴラスはここで家を治めるのと国家を治めることをともに人間の徳として述べている。これに対して、ソクラテスが家のほうは無視して、

 「私には、あなたのおっしゃっているのは国家社会のための技術のことであり、あなたが約束されるのは、国家社会の一員としてすぐれた人間をつくるということであるように思えるのですが。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、1988、岩波文庫、p.37)

と言う。このあたりに、家を治めるのは女の仕事という意識があったのだろう。儒教文化では家を治めるのも男の仕事とされているから、同じ男尊女卑の文化でも中国とギリシャでは若干の違いがあるようだ。
 ギリシャ人は、結構家のことは女にまかせっきりで、家の治め方について男は干渉しないものだったのか。ソクラテスの妻、クサンティッペの悪妻説というのもおそらく、ソクラテスが家のことにほとんど関心がなかったところから作られた説だったのだろう。

 

 「そして、子供には、男の児にも女の児にも、別にまた子供の徳があるし、年配のものには別にまた年配のものの徳があって、それもおのぞみとあれば、自由人には自由人の徳、召使には召使の徳があります‥‥」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.13)

 

 これはたとえば、魚とは何かと聞かれて、鮒や鯉や鯛や鱈や鯖が魚だと答えるようなものだ。確かに日常的な会話で「魚を知っている」というのはそういうことで、魚の名前をたくさん挙げられるとか、それぞれの魚の特徴をくわしく説明できると、「この人は魚のことをよく知っている」ということになる。  ソクラテスが尋ねているのはそういうことではなく、あくまでその本質であり、その諸相ではない。

 

 「ずいぶんぼくも運がいいようだね、メノン、徳は一つしかないというつもりでさがしていたのに、徳がまるで蜜蜂のように、わんさと群をなして君のところにあるのを発見したのだから。しかしだね、メノン、ついでにこの蜜蜂の譬えを使って言うと、仮にもしぼくが蜜蜂というものの本質について、それはいったい何であるかとたずね、それに対して君が、蜜蜂にはいろいろとたくさんの種類のものがあると答えたとしよう。その場合、ぼくがもし次のように質問したとしたら、君は何と答えるかね。
 『蜜蜂にはいろいろとたくさんの種類があって、それからは互いに異なったものであるというのは、それらが蜜蜂であるという点においてそうなのだと、君は主張するのかね?それとも、その点では、それらは互いにすこしも異なるものではなくて、何がほかの点、たとえば美しさとか、大きさとか、その他そういった何らかの点で異なっているのかね?』
 こうきかれたら、君は何と答えるかね?言ってみてくれたまえ。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.14)

 

 「蜜蜂のようにわんさかと群をなして」というのはいかにもソクラテスっぽい比喩で、こういう言葉を時折交えることで、プラトンは一応、一連のソクラテスシリーズでのソクラテスのキャラの統一性を保っている。しかし、そのあとはもはやソクラテスではなくプラトンだ。
 ここでは個々の蜜蜂と蜜蜂一般との階層的な区別を提起する。つまり、プラトンが徳とは何かと尋ねる時、問題になっているのは徳一般の定義であり、徳のさまざまな様態についてではない。
 つまり、蜜蜂にいろいろな種類があるのは(ウィキペディアによれば世界には9種の蜜蜂がいて、その中のセイヨウミツバチに24の亜種がいるという)、また、同じ蜜蜂の中にも働き蜂、女王蜂、王蜂の区別があるのは、それぞれまったく別の蜜蜂で、何の関係のないものなのか。それとも蜜蜂一般というのがあって、その中でたとえば大きさや美しさや役割の違いなどでいくつかの区別があるのかと問う。
 メノンはこの質問に、別に混乱することもなく、すんなりとこう答える。

 

 「むろんこう答えるでしょう。──それらの蜜蜂は、蜜蜂であるという点では、どれをとってくらべてみても、互いにすこしも異なるものではないと。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.15)

 

 それと同じで、ここで「徳とは何か」という場合には、あくまで徳の諸相ではなく、徳一般について尋ねている。これをソクラテスは、「男の健康」「女の健康」というのが別のものではなく、男であれ女であれ共通した「健康」の概念が存在する例や、「強い男」「強い女」という場合でも、「強さ」というのは男女に限らす共通であることを例示する。そして、「徳」に関しても老若男女にかかわらず、自由人か奴隷かにもかかわらず、共通のものが存在する。それが何なのかを問う。
 しかし、「健康」や「強さ」に比べると、「徳」そのものというのは、イメージがしにくい。健康といえば、何となく元気で飛び跳ねたり、笑って冗談を言ったりという姿が目に浮かぶ。「強い」というと、一撃のパンチで相手を打ちのめしたり、でかい岩を持ち上げたりする姿が浮かぶ。それにくらべると「徳」というのは抽象的で、すぐに絵が浮かんでくるようなものではない。
 メノンはこう言う。

 

 「どうも私には、ソクラテス、なんだかこの場合にはもう、これまでのほかのものと同じようにはいかないように思えるのですが。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.17)

 

 そこでソクラテスがこう突っ込む。

 

 「どうして?君は、男の徳は国をよく治めることにあり、女の徳は家をよく治めることにあると、こう言っていたのではなかったかね?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.17)

 

 このあとソクラテスは、よく治めるのは節制や正義などではないかともってゆく。しかし、「節制」や「正義」も徳のいくつかの相の一つであり、あくまで徳の下位概念である。徳そのものを定義するものではない。
 ここで、ソクラテスはゴルギアスが何と言っていたか思い出すようにいう。
 メノンは答える。

 

 「人々を支配する能力をもつこと、というよりほかはないでしょう。もしあなたが、あらゆる場合にあてはまるような、何か一つのものを求めているのでしたら。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.19)

 

 しかし、これだと、召使の徳にはならない。そのことをソクラテスは指摘する。召使が主人を支配する能力をもったら、もはや召使ではないというわけだ。しかし、これはよくよく考えてみれば、人を支配する力がない、つまり徳がないから召使に甘んじているのではないか。人を支配する力(徳)を持ったらもはや召使ではなく、対等の人間なのではないか。
 この問題に深入りすると、話はややこしくなる。君子の徳もあれば、確かに臣下の徳というのもありうるからだ。つまり、自分が君子になる器でないという自覚があるときは、いかによく主君に仕えるか、ただ、主君の言いなりになるだけでなく、主君を支え、時には諌めたりするというのも一つの徳ではある。しかし、この場合は、臣下でありながらも、ただ支配されるだけでなく、君子が過ちを犯したときは、君子をも支配する能力を持つということではある。だから、「支配する能力をもつ」というのは徳だといっていい。
 ソクラテスは話題を変える。

 

 「もう一つ次のことも考えてみてくれたまえ。──支配する能力をもつこと、と君は主張するけれども、われわれはそこに、『正しく、不正にではなく』とつけ加えるべきではないかね?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.19~20)

 

 これはメノンへの皮肉も含んでいる。メノンは確かに人を支配しているが、お世辞にも正しくとは言えない。メノンは仕方なくこう答える。

 

 「確かにつけ加えるべきでしょうね。正義は、ソクラテス、徳なのですから。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.20)

 

 ここまで来て、問題を整理するために、ソクラテスはあえてこう問う。

 

 「徳、だろうか、メノン、それとも徳の一種だろうか?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.20)

 

 こうした切り込み方が、プラトンの一つの進歩であり、つまり、徳一般のなかに、正義、節制、敬虔、勇気、知恵などの下位概念を考え、階層的秩序を想定している。
 『プロタゴラス』ではそうではなかった。ここでは、徳は一つのものなのか、さまざまな徳があるのかと問い、そこでプロタゴラスが、

 「いや、ソクラテス、そんなことなら、答えるのはわけはない。徳とは一つのものであって、君がたずねているものは、それの部分をなすものなのだ」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、1988、岩波文庫、p.64)

と答えたのに対し、ソクラテスは、

 「『その部分というのは、どちらの意味なのでしょうか』とぼくはたずねた、『たとえば、口とか鼻とか目とか耳とかいった顔の部分が部分であるという意味なのでしょうか。それとも、金塊の部分のように、大きいか小さいかという違いのほかは、部分どうしをくらべても、部分と全体をくらべても、互いにすこしも異ならないようなものなのでしょうか』」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、1988、岩波文庫、p.64~65)

と切り込むと、プロタゴラスは、

 「それは前者のような意味だと私には思えるね、ソクラテス。ちょうど顔のいろいろな部分と顔全体との関係と同じようなぐあいなのだ」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、1988、岩波文庫、p.65)

と答える。
 この時のソクラテスは、これを否定して、正義、節制、敬虔、勇気、知恵などが金塊のごとく一つのものであることを説こうとして、さまざまな論理の嵌め手にプロタゴラスを引っ掛けてゆく。
 しかし、ここではプラトンは徳一般と正義、節制などの五徳とのあいだに階層的構造を認め、その意味ではかつてのプロタゴラスの立場を支持することになる。
 ここで、『メノン』のソクラテスは、円形を例に取り、これが形の一種ではあっても形そのものではないというところに持ってゆく。

 

 「つまり、誰かが君に向かって、さっきのぼくと同じような問をかけるとする。『形とは何であるか、メノン』とね。で、かりに君がその人に『円形』と答えた場合、もしその人がぼくと同じように、『円形というのは形なのかね、形の一種なのかね』と言ったとしよう。おそらく君は、形の一種であると答えるだろうね?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.21~22)

 

 円だけが形ではなく、四角も三角も楕円も星型も形だからだ。形=円ではない。論理学の記号を使えば、形⊃円になる。  同様なことは色にも言える。

 

 「同様にして今度は色について、色とは何であるかとその人がたずね、君が『白』と答えると、質問者はそれに対して次に、『白というのは色なのか、それとも色の一種なのか』と言ったとする。君は、色の一種であると答えるだろうね?ほかにもさまざまな色があるのだから。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.22)

 

 つまり、「徳とは何か」と問うとき、いつもたくさんの徳を見つけてしまうのは、徳そのものではなく、徳に含まれているものを挙げてしまうからなのである。

 

 「いつもわれわれはたくさんのものに行き着いてしまうどうかそうならないようにしてくれたまえ。問題はこうなのだ。──いやしくも君がそういったたくさんのものを、ある一つの名前で呼んでいる以上、そして、そのだれひとつとして、『形』でないものはない──それも、互いに反対のものでさえあるというのに──と主張する以上、そのように円形も直線形も同じように抱合しているところのものとは、いったい何であるのか。そのものこそは、まさに君が『形』と名づけている当の対象であり、円形は直線系とはまったく同じ程度に形であると主張する時に、君が念頭においているところのものであるはずだが」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.23)

 

 「形とは何か」と聞かれて、ある者が「円」だと答え、別のある者が「直線」だと答えると、二人の主張は矛盾する。これはどちらもあるものについて聞かれた時に、その一要素を答えているにすぎないために生じる矛盾であり、「形」というのが本来円も直線も含んだ概念だとわかれば解消される。それとともに、その概念が何かが問われることになる。しかし、これを説明するのは結構難しい。
 同じように、色とは何かと聞かれて、「白や黒や赤や緑や黄色や青や紫が色だ」とその要素を挙げてゆくのはやさしいが、そもそも色とは何なのかというと、難しい問題になる。徳の問題もこれと同じように考えることができる。
 徳とは何なのかと聞かれて、「男の徳は天下国家を治めることで、女の徳は家庭を守ることで、君主の徳は人を支配することで、臣下の徳は身の程をわきまえることだ」というふうに列挙するのはたやすいし、「勇気や知恵や敬虔や正義や節制が徳だ」と言うのもたやすい。それは単に徳の要素について述べているにすぎないからだ。
 この高次概念についてソクラテスは一応当時の知識の中から答を出す。
 つまり、形とは「立体がそこで限られているところのもの」「形とは立体の限界である」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.28)と答える。
 つまり世界を三次元の立体的な空間からなるとし、その空間の一部を何らかの区画でもって区切られた、その部分が形であるということになる。これは日常的な感覚としては正しいが、宇宙が三次元ではなく、四次元以上の高度な次元を持つ時空であるとなると、また難しくなる。
 色についても、エンペドクレスの説に従い、「色とは、その大きさが視覚に適合して感覚されるところの、形から発出される流出物である。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.31)と答える。今日では物体からの流出物ではなく、物体に反射したさまざまな波長の光が、視覚によって捉えられ、脳によって構成されるものだとされている。
 ここでは、まったく科学に興味のなかったはずのソクラテスが、なかなかの博識に描かれている。これもプラトンの成長によるものだろう。
 ならば、「徳」とは何かということになる。しかし、徳一般については、形や色のような形而下の概念を探求するのとはまた別の難しさが生じる。そこには内省的直観による形而上学的方法を確立しなくてはいけなくなる。そこに登場するのが、「想起説」だった。

想起説(アナムネーシス)

 たしかに、「形とは何か」「色とは何か」を問うように、「徳とは何か」を問うことができる。
 しかも、その答を知らなくても、我々はすでに形とか色とかが何なのか、自明のようにふるまっているように、徳が何なのかを知っているかのようにふるまっている。
 これは、20世紀に入ってマルチンハイデッガーの提起した、「存在とは何か」という問いにも共通しているかもしれない。ハイデッガーの『存在と時間』も、プラトンの『ソフィステス』の次の引用から始まる。

 「それならあなたがたは、『ある』という言い回しをするとき、一体何を思い描いていっているのかを、ずいぶん前から知っているわけだが、われわれもそのことを以前からわかるようにならなくてはいけないと思っていたのに、今はただ途方に暮れるばかりだ。」(Sein und Zeit"p.1)

 この種の問は、まったく知らないことを問うのではないし、だからといって完全に知っていることを問うのでもない。何となく知っていることを、はっきりさせようとしていると言えばいいだろう。
 しかし、何で何となく知っているのか。誰かから教えられたのか、それとも先験的(アプリオリ)なものなのか。先験的だとしたら、なぜわれわれは先験的にそれをはっきりと知っていないのだろうか。
 プラトンはここに驚くような答を見出すが、その前に、もう少し、徳とは何なのかをめぐるソクラテスとメノンの対話は続く。

 

 「さあ、こんどこそ君も、ぼくに約束を果たすようにしてくれたまえ。全体的に見て徳とは何かということを言ってもらいたいのだ。そして、口の悪い連中が、何かものをこわす人たちをいつもからかうときの言いぐさではないが、『一から多を製造する』のはもうやめて、徳を全体として無きずのままのこしたうえで、徳とは何であるかを言ってくれたまえ。その手本となる例は、ぼくから聞いてわかったはずだ。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.32)

 

 そして、メノンはこう答える。

 

 「徳とは、美しいものを欲求してこれを獲得する能力があることだと、こう申しましょう。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.32)

 

 これだと、美しいものを手に入れるために、暴力的な手段を使うのも徳だということになってしまいそうだ。ソクラテスはこう言い換える。

 

 「その場合、美しいものを欲求するものと君が言うのは、善きものを欲求する人という意味なのだろうか?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.32)

 

 人は実際、美しいものを醜い手段で手に入れることもあるだろう。たとえば、美術品を騙し取ったり略奪したり、美人を暴力によって服従させようとしたりする。
 「善きもの」と言った場合、こうした矛盾はより少なくなる。ただ、古代ギリシア語の場合はよく知らないが、日本語では「良きもの」も「善きもの」も同じ言葉で発音するし、単に「良いもの」手に入れるだけなら、不正な手段で手に入れることもある。ただ、「善」を手に入れるというのであれば、手段が不正なら、それは善とはいえなくなる。
 ソクラテス的な議論だと、善だとか、美だとかは基本的には同じものとなる。たとえば、美しいものを醜い手段で手に入れるときは、美しいものを求める時は善でありなおかつ美であり、不正に手に入れるというのは悪であり醜であると区別して考える。入手方法が醜であっても、手に入れる対象が美であることには変りない。
 そして、美や善は快楽でもある。快楽そのものは善であり、そのあとの帰結が悪になりうるというだけのことで、その場合差し引きして善か悪かを考えることになる。そのため、善を求めるというのは、快楽の計量術となる。
 「善きものを欲求し、獲得する能力がある」というのは、言うまでもなく「善きものを欲求し、それを善き手段で獲得する能力がある」という意味である。たとえ、良かれと思ったことでも結果が悪かったり、手段がまちがってたりした場合には、両者を差し引きして善か悪かを考えればいいだけのことなのである。
 それなら、自分にとっては善であっても他人にとっては悪であるということをどう考えるべきか。他人にとって悪であれば、当然他人が怒って、手痛い仕返しにあったり、裁判で裁かれたりしてその報いを受ける。それだと結果的に自分にとっても悪となる。
 ただ、そうした反応(レスポンス)が即座に起るとは限らない。他人を巨大な権力で抑圧し続ければ、最後まで他人による裁きを受けることなく天寿をまっとうできてしまうという問題がある。逆に無実の者が他人の裁きを受けるという不条理も起りうる。
 この矛盾に、ソクラテス自身がどう考えていたかはさだかではない。おそらく、その不条理をも受入れた上で、最後まで自分が自由でいられたことに満足したのだろう。そして、わずかな快楽のために、その反応(レスポンス)を恐れ、他人を脅迫したりあの手この手を使って手なずけようとしたり、不正な手段を画策し、他人を陥れたりすることに多大な労力を割かれてしまえば、結局得られる快楽に見合う以上に、余計な悩みを背負い込んでしまうのではないか、ということになる。ただ、その快楽と苦痛の計量は、なにぶん他人のことなので、明確に比較できない。
 プラトンが『ゴルギアス』の中で展開したのも、基本的にはそういう議論だった。ただ、その最終的な不条理は、いわばプラトンにすればソクラテスが死刑になったということがまさにそれなのだが、現世的解決を放棄して、来世で裁かれるということに期待して溜飲を下げることになる。

 「ところで、クロノスの治世の頃には、人間についてこういう掟が定められていたが、それは、その後もずっと現在に至るまでなお、ゼウスを中心とする神々の間において守られているのである。つまり、その掟によると、人間たちの中でその一生を正しく、また敬虔に過した者は、死後は『幸福者の島』に移り住み、そこにおいて、災厄から離れた、全き幸福のうちに日を送ることになるが、これに反して、不正に、神々をないがしろにする一生を送った者は、償いと裁きの牢獄──それはつまり『タルタロス(奈落)』と呼ばれているところなのだが──そこへ行かねばならぬというのである。」(『ゴルギアス』プラトン、加来彰俊訳、1967、岩波文庫、p.266)

 ソクラテスにとって美も善も快楽も、とにかく良いものは良いのであって、みな同じであり、そして、人は誰でも良いものを求めている。だから、快楽を求めるのも善を好むのも、そして知ることを好むのも、結局は同じことなのである。

 

 「いったいそれは、悪しきものを欲求する人々もあれば、善きものを欲求する人々もまた別にあるという意味なのかね。君には、どうだね、人間は誰でもかならず、善きものを欲求するのだとは思えないのかね?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.33)

 

 一見すると、ずいぶんお目出度い性善説のように見えるかもしれない。しかし、ソクラテスがここで「善」と呼ぶのは、別に自分を犠牲にした観念的な善ではない。自分に快楽と幸福をもたらし、しかも他人に憎まれて足を引っ張られたりしないような、自分をも他人をも快に導くようなことをいう。
 誰だって苦悩のうちに人生を終えるよりは幸せになりたい。誰だって苦渋にみちた人生を送るよりは快楽にあふれた人生を歩みたい。ソクラテスにとっての善とはそういう単純なものであり、このような善ならかならず誰もが求めるだろう。
 それは快をより多くして、不快を減らす快楽の計量術であり、たとえひととき至上の快楽をもたらしたとしても、あとにそれを上回る地獄の苦しみが待っているなら、それは差し引きすれば快楽とはならない。また、自分に多くの快楽をもたらしても、そのことで人から憎まれ罰を受けるのであれば、その罰の苦痛と差し引きして必ずしも最善にはならない。
 誰もがかならず善きものを求めるというのはそういう意味で、あとに来る苦痛が予測できるなら、差し引きして苦痛の方が勝るなら、そのようなものは選ばない。差し引きして最も多くの快楽が得られる方法を選ぶ。それが「人間は誰でもかならず、善きものを欲求する」ということなのである。
 これに対して、メノンは自ら悪しきものを求める人もいるという。それに対しソクラテスはこう言う。

 

 「そういう人々は、その悪しきものを善きものであると思いこんでそうするのだと、君は言うのかね。それとも、悪を悪と知りながら、しかもなお、それを欲するのだろうか?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.33)

 

 快楽の計算ができなくて、あとに苦痛が待っているのも知らずに目先の快楽に溺れて、自ら地獄に堕ちてゆく人なら確かにいる。しかし、この世の生き地獄が待っていると知りながら、自らそれを選ぶ人がいるだろうか。メノンはどちらの場合もあると答える。

 

 「つまり君の考えでは、メノン、悪しきものを悪しきものと知りながら、しかもなおそれを欲求するような者が誰かいると、こういうわけなのだね?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.33)

 

 結局メノンは「悪しきものが有益であると信じている」だけで、悪しきものを知らずに善きものだと思っているにすぎないことを認める。メノンは結局こう言う。

 

 「悪しきものをのぞむ人は誰もいないでしょう。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.36)

 

 そこでさっきの、「徳とは、美しいもの(善きもの)を欲求してこれを獲得する能力があることだ」という主張に戻る。誰も醜いもの、悪しきものをのぞむ人はいないということであれば、「美しいもの(善きもの)を欲求してこれを獲得する能力」は誰にも等しく具わっているということになる。
 ところで、「善きもの」はやはり、いわゆる日本語でいう「善」というだけの意味ではなく、ただ単に「良いもの」という意味も含んでいるようだ。それだとまた、さっきの矛盾が生じることになる。つまり、良いものを悪いことをして手に入れるのも徳なのかということになる。
 ソクラテスは、善きものというのは「たとえば健康とか富とかいったようなものではないかね?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.37)と問うと、メノンはそれに金銀や名誉や官職を得ることもそうだという。
 どっちにしても、「善きもの」が必ずしも倫理的な善に限らず、単に良いもの、美しいものと同義であるのなら、その獲得手段が問題になる。

 

 「よしわかった。徳とは金銀を獲得することであると、父祖以来のペルシア大王の賓客、メノン氏は主張する。──ところで君は、メノン、そのいうところの「獲得」に、正しくかつ敬虔にという一項をつけ加えるつもりはないかね?それとも、君にとってそれはどちらでもかまわぬことで、たとえ人がそうした善きものを、不正な仕方で獲得するとしても、やはりそれを徳と名づけるのかね?」」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.38)

 

 実際のメノンを知っている人だったら、ここは笑いどころなのだろう。つまり、メノンはまさしくそういう人間で、最初に引用したクセノフォンの『アナバシス』の記述のとおりだったからだ。まあ、こういう人間が、正直に「そのとおりです」と答えるはずもない。答えはもちろんNo。
 しかし、この一項をつけ加えると、結局徳をそれ自体としてではなく、その一要素である「正義」や「敬虔」でもって定義してしまうことになる。

 

 「そうすると、メノン、いったい君は、ぼくをからかっているのかね?‥‥略‥‥
 たった今このぼくが、徳をばらばらにこわしたり、こまかく切りきざんだりしないようにしてくれとたのんだばかりなのに、しかも、答えの手本とすべき例をちゃんとあたえてあげたのに、君はそれを無視して、徳とは善きものを正義をもって獲得できることなのだなどと、言っているではないか。その正義とは、君の主張では、徳の部分にほかならないのだろう?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.39~40)

 

 自分から「正しくかつ敬虔に」という一項をつけ加えるように勧めていながらこう切り返すのは、明らかに一種の嵌め手なのだが、ただこの嵌め手は『プロタゴラス』でソクラテスが用いたような詭弁ではなく、ここではちゃんと理屈は通っている。それは「徳」そのものと徳の要素である五徳(正義、敬虔、勇気、知恵、節制)とのあいだの階層的構造をしっかりと理解しているからだ。
 徳はその要素からは定義できない。後のアリストテレス的に言えば、徳はそれを包括するさらに上の概念(類)と、その類の属する諸要素のなかで何が徳を徳として際立たせているか(種差)からしか定義されない。たとえば、人間はどのような動物であるかという仕方では定義できても、人間の一要素、たとえばソクラテスが人間であるという仕方では定義できない。(本人は人間以上神未満の存在だと考えていたようだが。)
 つまり、

 

 「それなら君も、よき友よ、徳が全体として何であるかということが、まだ探求の途中にあるのに、それの部分を使って答えることによって、徳そのものを誰かに明らかにしようなどと思ってはいけない‥‥略‥‥」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.41)

 

 こうして議論はまた仕切りなおしになるのだが、ここでメノンはソクラテスをシビレエイに喩えたあと、こう言う。(このシビレエイの喩えは、別に解説するようなことではないので、興味ある人は自分で読むこと。)

 

 「おや、ソクラテス、いったいあなたは、それが何であるかがあなたにぜんぜんわかっていないとしたら、どうやってそれを探求するおつもりですか?というのは、あなたが知らないもののなかで、どのようなものとしてそれを目標に立てたうえで、探求なさろうというのですか?あるいは、幸いにしてあなたがそれを探り当てたとしても、あなたはそれを知らなかったはずなのに。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.45)

 

 これに対しソクラテスはこう答える。

 

 「わかったよ、メノン、君がどんなことを言おうとしているのかが。君のもち出したその議論が、どのように論争家ごのみの議論であるかということに気づいているかね?いわく、『人間は、自分が知っているものも知らないものも、これを探求することはできない。というのは、まず、知っているものを探求するということはありえないだろう。なぜなら、知っているのだし、ひいてはその人には探求の必要がまったくないわけだから。また、知らないものを探求するということもありえないだろう。なぜならその場合は、何を探求すべきかということも知らないはずだから』──」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.45~46)

 

 これがいわゆる「メノンのパラドックス」と呼ばれるわけだが、ただ、プラトンもこの言葉を論争家の誰かが言ったことの引用として述べている。だから、これは必ずしもプラトンが考え出したことでもなければ、もちろんメノンが発明したものでもなく、多分、当時のソフィストの議論としてよく知られていたものだったのだろう。
 もっとも、これは実際はたいしたパラドックスではない。これはハイデッガーが「行為とは仕上げることだ」と『ヒューマニズムについて』の冒頭で言っていたことと同じで、問うということも、探求するということも、基本的には仕上げる、完成させることだからだ。つまり、問いというのは未完成なものがあるから生じるもので、その未完成なものを完成させる行為なのである。
 これだと、完成している(と自分で信じている)ものは問うことはない。また、未完成な断片すら知らないものについても問うことはない。未完成な断片が与えられたとき、それを完成させるべく問うだけなのである。
 たとえば、われわれはメノンとは何かと問うことができる。たとえそれを人名だと知らなくても、メノンという言葉を聞いたとき、「それって食えるのか?」と問うことはできる。人名だとわかれば、それがいつの時代のどこの人で、どういうことをやった人かを問うことができる。
 つまり、このパラドックスは、まったく知らないか、完全に知っているかの二つしかないかのように言いくるめるところに生じるだけなのである。実際にはどんな物事にも、それについて言葉だけしか知らないだとか、おぼろげに知っているというレベルから、詳しく知っている。それについて一冊の本が書けてしまうほど知っているというレベルまで、さまざまなレベルの知が存在するだけなのである。そして、知っているか知らないかはあくまで相対的なものにすぎない。
 たとえば、英語がぺらぺらの人は片言で喋っている人を見ると、「英語を知らない」と言うだろう。しかし、ハローやサンキューなどの挨拶程度の言葉しか知らない人は、片言でも何とか文章を作って喋っている人を見れば、「英語を知っている」と言うだろう。
 メノンの場合、ソクラテスに会う前は徳についてよく知っていると思っていた。それは単に徳についての知識が完成していると思い込んでいただけであり、ソクラテスに会うことで、徳の定義ができてないのに気づかされ、まだ完成してなかったと思うようになっただけのことなのである。これがシビレエイ効果である。
 もちろん、こうした説明は一つの弱点を持つ。つまり、問う以上、最低限何かを知っているわけだが、その最初の最低限の何かはどのように生じたかという問題だ。「メノン」という言葉を聞いたとき、少なくともそれが何かの言葉であり、単語であることを認識する。そして、それを食い物なのか人なのかと問うとき、「食い物」についても「人」についても何かしら知っている。たとえそれが幼少期に学習したものだとしても、最初に学習する際に、まったく無から何かを知るということはできない。メノンのパラドックスは、知そのものの起源に向かうとき、あらためて問題になる。
 このことを頭に入れておかないと、これからプラトンが展開する「想起説アナムネーシス」は単なる神話になってしまうだろう。

 

 

 メノン:あなたには、この議論がよくできているとは思えませんか。ソクラテス。
 ソクラテス:ぼくはそうは思わないね。
 メノン:どの点がよくないかを指摘できますか?
 ソクラテス:できる。というのは、ぼくは、神々の事柄について知恵を持った男や女の人たちから聞いたことがあるからだ‥‥。(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.46)

 

 この話によると、

 

 「人間の魂は不死なるものであって、ときには生涯を終えたり──これが普通「死」と呼ばれている──ときにはふたたび生れてきたりもするけど、しかし滅びてしまうことはけっしてない。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.47)

 

 そして、

 

 「こうして、魂は不死なるものであり、すでにいくたびともなく生れかわってきたものであるから、そして、この世のものたるとハデスの国のものたるとを問わず、一切のありとあらゆるものを見てきているのであるから、魂がすでに学んでしまっていないようなものは、何ひとつとしてないのである。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.47~48)

 

 もちろん、われわれの知っていることの何から何までが、前世で既に知っているとするのは、明らかに不合理だろう。
 たとえば、われわれの生活の中に、今までなかったものがいろいろと入ってくる。モータリゼーションでマイカーが普及すれば、車の運転や交通ルールを身につける。パソコンが普及すれば、その使い方やネット社会のルールを学ぶ。こうしたものを、われわれはどうやって前世に学ぶことができただろうか。
 今の時代でなくても、古代ギリシアであったとしても、今まで知らなかった人に出会い、知らなかった事件が起る。ソクラテスが死刑になったというニュースも、クセノフォンがバビロンから無事帰還したというニュースも、前世で知っていたのだろうか。
 もし、われわれの今まで経験したことも、これから経験することも、全部既に知っていて、ただ想起するだけだとすれば、われわれはニーチェの永劫回帰の説を支持しなければならない。つまり、この人生で起ることのすべては、すべて寸分たがわず前世で経験されていたことになる。
 ニーチェの永劫回帰は、想起説のもたらす一つの極端な帰結なのかもしれない。それにしても、前世の知識はそのまた前世の想起であり、延々と遡って行くと、どうしても一番最初はどうだったのかというところに疑問を残してしまう。
 プラトンはもちろん、こんな永劫回帰などというものを思いつくこともなかっただろう。となると、想起説といっても、すべての知が前世の想起ということではなく、やはり生れたあとに後天的に学ぶものもあると考えざるを得ない。つまり、想起説の適用範囲は、いわゆる先験的(アプリオリ)な認識に限定する必要がある。
 ソクラテスもこう言う。

 

 「もし人が勇気を持ち、探求に倦むことがなければ、ある一つのことを思い起こしたこと──このことを人間たちは「学ぶ」と呼んでいるわけだが──その想起がきっかけとなって、おのずから他のすべてのものを発見するということも、充分にありうるのだ。それはつまり、探求するとか学ぶということは、じつは全体として、想起することにほかならないからだ。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.48)

 

 想起というのは全体の大まかな枠組みの想起であって、実際には経験に照らし合わせて、発見してゆかなければならない。経験されたさまざまな知識は前世の想起ではなく、想起されたのは先験的な知識とすべきであろう。
 先験的な知識というのは、やがてキリスト教がヨーロッパを席巻した時には、もはや前世の知識ではなく、神によって創造されたときに、人間が神に似せて作られたことに由来する神の栄光の現われということになる。そして、やがて19世紀に進化論が登場することによって、今日では長い進化の果てに獲得されたものということになる。
 ここでたとえば、プラトンが『プロタゴラス』のなかで、プロタゴラスに語らせた説を思い起こすこともできよう。
 ここでは、徳は神々によって与えられたものではあるが、徳は広く社会生活のなかで学習する必要があり、それを最後には言語習得との類似で語っている。今日では言語は一種の人間に生得的に備わる本能であることが明らかになっている。しかし、その能力は深層文法に基づいて何らかの言語を習得する能力であって、どの言語を習得するかは環境次第ということになる。
 徳は本来生得的なものでありながら、それは実際の社会生活の中に置かれなければ発現しない。社会生活の中に置かれることで、その社会の特有の習慣を身につけるとともに、徳もまた身に着く。しかし、その徳は、あくまでも生得的な能力に基づいて学習されたものにすぎない。そういう意味では、徳は学習されるとはいえ、生得的に具わっているものを思い出すだけだとも言える。
 プラトンは、これを霊肉二元論の図式によって、こうした生得的な知識を、前世から受け継がれた永久不滅の魂に属するものとする。しかし、今日では身体的な基礎をもっていることが知られている。たとえばフィアネス・P・ケージのように、自己による脳の損傷で著しく人格が変り、

 

 「気まぐれで、無礼で、以前にそんな習慣はなかったのに、ときおりひどくばちあたりな行為に耽り、同僚たちにほとんど敬意を払わず、自分の願望に反する束縛や忠告にいらだち、ときおりどうしようもないほど頑固になったかと思うと、移り気で、優柔不断で、将来の行動をあれこれ考えはするが、段取りをとるとすぐにやめてしまう‥‥ゲージの知的な能力と表現の中には子どもがいて、同時に彼には強い男の動物的感情がある。」(『生存する脳─心と脳と身体の神秘』アントニオ・R・ダマシオ、田中三彦訳、2000、講談社p.46

 

という状態になったという例がある。
 フィアネス・ゲージはアメリカ北東部ニューイングランドにいた建築技師で、1848年、爆破事故で吹っ飛んできた鉄棒が前頭部を貫通したものの、奇跡的にも命に別状はなかった。しかし、左の視力を失った以外は身体的能力や、そのほかの言語や思考やさまざまな能力が無事であったにもかかわらず、人格だけが著しく変化した。

 「こうした新しい人格的特徴は、事故前にフィアネス・ゲージがもっていた『穏健な傾向』や『エネルギッシュな性格』とは、際立った対照をなしていた。かつてゲージは『バランスのとれた心をもち、彼を知る者からは、計画した行動をひじょうに精力的にしかも粘り強くこなす、敏腕で頭の切れる仕事人として尊敬されていた』。仕事でも、時代状況で見ても、ゲージが成功者だったことはまちがいない。
 しかし、あまりに根本的に変化していたので、友人も知人もほとんど彼をゲージと認識できないほどだった。彼らは『ゲージはもはやゲージではない』と悲しげに言った。あまりにも人間がちがっていたので、ゲージが仕事に戻ってほどなく、会社は彼を解雇せざるを得なかった。会社は『彼の心の変わりようがあまりにも著しいので、元の仕事に就かせるわけにはいかないと考えた』のである。問題は身体的能力や技量の低下ではなかった。あくまでゲージの新しい人格だった。」(『生存する脳─心と脳と身体の神秘』アントニオ・R・ダマシオ、田中三彦訳、2000、講談社p.47)

 プラトンがこの話を知ったなら、前世の記憶は想起することもあるが、突然忘却することもあるのだとでも言うだろうか。少なくとも、ここには、ソクラテスが説いたような快楽の計量術はまったくない。より大きな快楽のための我慢やより大きな苦痛を避けるための知恵を、すべて失ってしまったといってもいい。前世から受け継いだ霊的なものをすべて失い、肉体だけの人間になったのである。
 プラトンによれば霊魂は不滅なのだから、ゲージが霊魂を失ったということではないだろう。想起できるのもはふたたび忘れることもある。そういう解決しかあるまい。
 フィアネス・ゲージの例は、たとえ想起された事柄が忘却されたとしても、経験的な知識にはほとんど何も影響は与えていないことを示している。ここでメノンのパラドックスに戻ろう。メノンのパラドックスとは次のようなものだった。

 「人間は、自分が知っているものも知らないものも、これを探求することはできない。というのは、まず、知っているものを探求するということはありえないだろう。なぜなら、知っているのだし、ひいてはその人には探求の必要がまったくないわけだから。また、知らないものを探求するということもありえないだろう。なぜならその場合は、何を探求すべきかということも知らないはずだから」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.45~46)

 探求するというのは、知っているものを思い出すことであり、思い出す過程で、さまざまな経験的な知識を発見してゆくことはあっても、最終的には忘れていた前世の魂の記憶を思い出すことでもって終る。
 しかし、それはいつ終るのだろうか。そこにはただ、既に知っていて、やがて思い出すべき霊的なものと、その過程で得られる経験的な知識との埋め合わされることのない距離を残すだけではないのか。この二つの知識の矛盾は、その後西洋哲学の一つの運命のようにつきまとい、あるときはアンチノミーとなり、あるときは弁証法の体系となり、あるときは存在と存在者の根源的差異となる。そして、この差異のなかに、諸科学に対していわゆる「哲学」が一つの学問として独立を保つことになる。

 

 メノン:わかりました。ソクラテス。ただしかし、われわれは学ぶのではなく、「学ぶ」とわれわれが呼んでいることは、想起にほかならないのだと言われるのは、どのような意味でしょうか。本当にそのとおりだということを、私に教えることができますか?
 ソクラテス:だからさっきもぼくはいったのだよ、メノン、君は油断のならない男だとね。今も君は、ぼくが君に教えることができるかどうかなどとたずねてくる──教えというものはなく、想起があるだけだと、ぼくが主張しているのに。つまり、ぼくが自分の言葉と矛盾したことを言うのを、たちどころに暴露させようというつもりなのだ。(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.49)

 

 生得的に知っていることについては、教えることはできない。たとえば、われわれが赤ちゃんの時にどのようにして母国語を学んだかということは、現代の科学をもってしても難問中の難問といえよう。しかし、われわれは誰しも母国語を喋っている。
 もちろん、何らかの障害がある場合はこの限りでないし、ジニーの例のように、幼児期に何ら言語に接する機会なく育てられた場合には、母国語の習得が困難になる場合もある。
 ジニーは1957年の生まれで、1歳8ヶ月の頃から幼児用の便座椅子に括り付けられ、食事と便の始末の時以外は完全に放置されて育った。その際も無言だったし、奥まった部屋にはほとんど何一つ物音はなく、13歳半で警察に保護されるまで、こうした生活が続いた。そのあと学者達が集まって、さまざまな教育がなされたが、結局文法能力を身につけることはできなかった。(参考;『隔絶された少女の記録』ラス・ライマー、片山陽子訳、1995、晶文社)
 だから、想起説の証明は、こうした思い出してゆく過程を観察することでしかなされ得ない。そこで、ソクラテスはメノンの召使を呼び出して、数学を教える。この無学な召使が、どのようにして数的知識を思い出すのかを見ようというわけだ。
 しかし、ここでの詳しい説明は省略しよう。今日では数的能力は生得的なもので、発達段階があることについても知られている。(先のジニーも数や図形に関する能力は正常だった。)しかし、果して数学の答を出すように、徳の問題に答を出すことができるのか。それはおそらく無理だといわねばならないだろう。だとすればそれはなぜなのかを考えなくてはならない。

3,仮説としての知徳合一

 話は徳の問題に戻る。
 とりあえず、「人間は、自分が知っているものも知らないものも、これを探求することはできない。というのは、まず、知っているものを探求するということはありえないだろう。なぜなら、知っているのだし、ひいてはその人には探求の必要がまったくないわけだから。また、知らないものを探求するということもありえないだろう。なぜならその場合は、何を探求すべきかということも知らないはずだから」というメノンのパラドックスは却下というところで、

 

 「それでは、人は自分の知らないものがあれば、それを探求しなければならないということに、われわれの意見が一致しているのだから、われわれは力を合わせて、徳とはそもそも何であるかということを探求することにしようか。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.70)

 

 そこで、メノンは一番最初の問題をあらためて提起する。

 

 「ええ、ぜひそうしましょう。ただし、ソクラテス、私としては、最初におたずねしていたあの問題について、自分でも考察し、あなたの意見もきかせていただくことができれば、いちばんうれしいのですが。つまり、私たちが徳を心がける場合に、それを教えられうるものと考えたらよいのか、それとも、徳とは生まれつきによるものと考えるべきか、それとも、いかなる仕方で人間にそなわるものと考えるべきか、という問題です。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.70)

 

 しかし、この問題にすぐに答は出せない。それには、まず、「徳とは何か」という問題にこたえなければならない。
 この問題に答えるには、徳の中に正義や知恵や敬虔や勇気や節制のような属性があるように、徳を属性の一つとするようなもっと高次な概念を想定しなければなるまい。たとえば、人間の行為や行動一般のようなものを仮定して、その中で徳がどういう働きをするかを見る必要があろう。たとえば、徳とは人間が生存し子孫を残すうえで進化してきたさまざまな行動の中で、主に人間関係の調整に役立つ行動一般をいう、というような定義は可能かもしれない。
 しかし、プラトンはすぐにこの問に答えるのではなく、徳がどういう性質のものかについて、一つの仮説を立てる。つまり、「徳とは知である」という仮説を。

 

 「そこで、まず最初に、もし徳というものが、知識とは異なった性格のものだとしたら、それは教えられうるのだろうか、教えられえないだろうか?あるいは、われわれのさっきの説にしたがって、想起されうるものだろうか、と言ってもよいが、まあどちらの言い方をつかっても、さしあたってわれわれには少しも違いはないということにして、教えられうるだろうか、と問うことにしよう。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.73)

 

 ここで一つ混乱があるのは、「教えというものはなく、想起があるだけだ」と言っていたにもかかわらず、「教えられうるのだろうか、教えられえないだろうか?」と問題を提起している点だ。知識に先験的なものと経験的なものとがあって、前者は教えることができないが、後者は教えることができるというのであれば、徳は前者であるがゆえに、教えることはできず、想起させることができるにすぎない。これに対して、経験的な知識なら教えることができるとせねばならない。
 ところがここではこの二つを「さしあたってわれわれには少しも違いはない」としている。その上で、

 

 「それとも、この点はわざわざ問うまでもないことであって、人間が教わるものといえば、それは知識以外のものでないということは、何びとにも明らかなことだろうか?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.73)

 

と言う。そして、メノンがそれに同意すると、

 

 「そして、もし徳が一種の知識であるとするならば、明らかに、徳は教えられうるものだということになるだろう。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.73)

 

と言う。これだと、すべての知識は想起でなければいけなくなる。このあたりは、やがて先験的な「思わく」と経験的な「知識」とを区別することで解消されてゆくわけだが、ここではあえてあいまいなまま議論をする。
 確かにかつて、プラトンはこのように議論を進めていた。
 すなわち、徳が知識であるなら、徳は教えることができる。これは『プロタゴラス』のなかですでに論じられ、そのときは、徳とは快楽の計量術であり、足し算引き算の類のものだから一つの知識であり、教えることができると結論した。
 しかし、この頃からだいぶ時間が経過し、プラトンの考えは変ってきている。おそらく、『プロタゴラス』での結論は、ソクラテスから直に受け継いだものだったのだろう。しかし、ソクラテスの死後何年も経過してくると、プラトンの中にはプラトン自身の考え方が芽ばえてくることは避けられなかった。
 まず第一に「快楽」の問題で、プラトンは快楽を人生の目的とすることを拒否し、肉体的な快楽に対し霊魂の求める何かがあると考えるようになった。それは、実際、各自がそれぞれ快楽を追求していった場合、必然的に生じる生存競争の勝者と敗者との差を考えざるをえなかったのだろう。
 確かに他人を犠牲にして自分が快楽を得た場合、結局は他人の恨みを買い、復讐にあうから、得策ではないという判断は可能だ。しかし、実際には逃げ切ってしまうことも起こりうる。つまり「やった者勝ち」になる。各自が快楽を追求した場合、長期的には他人を犠牲にしない快楽が勝利を収めるかもしれないが、短期的にはそうならずに、他人を踏み台にしても結局はやった者勝ちになる。人間の寿命はそう長くはない。実際には正しく生きた人間が死刑になったり、不正と悪徳の塊のような人間が世に長らえたりする。
 プラトンはソクラテスの死に対して、そうした不条理を感じ、その不条理を解決するのに、霊魂の不滅とあの世での裁きを考えずにはいられなかった。それが『ゴルギアス』でのカリクレスとの激しい論戦の帰結だった。
 そこでプラトンは、徳の問題を快楽と切り離し、純粋な霊魂の問題として問おうとしたのだが、これではただ神話の中をうろうろする以上のことはできず、解決は遠のいてしまう。それが、この『メノン』のころのプラトンのジレンマだったのだろう。
 そこでまず、プラトンは『プロタゴラス』で展開した、節制、敬虔、勇気などの諸徳が結局は知恵であるという説をふたたび一つの仮説として提起する。この論証を論理学的に検証してみよう。

 

 「そこで、つぎに考えなければならないのは、思うに、徳は知識であるか、それとも知識とは別の性格のものかということだろう。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.74)

 

 これは論理学的にいえば、徳⊆知識ということになる。徳=知識ではない。つぎにソクラテスはこう言う

 「われわれは、問題の徳というものを、善そのものであると主張すべきではないだろうか?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.74)

 善そのものであるというのは善の一部ではないということ、つまり、徳⊂善ではなく徳=善だということになる。

 

 「そうすると、知識とは別箇に切りはなされてもなお善であるようなものが、もし何かあるとするならば、善は知識の一種ではないかもしれない。これに対して、もし知識が包括しないような善は一つもないとするならば、徳は知識の一種であると正当に推定できるわけだ。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.74)

 

 徳⊆知識であり、徳=善であるなら、善⊆知識となる。
 もし善⊆知識でないような善があるなら、善⊆知識は成立しない。
 善⊆知識でないような善が一つもないなら、善⊆知識は成立する。

 

 「ところで、われわれが善き(すぐれた)人間であるのは、徳によるのだね?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.74)

 

 善=徳であるならば、善人=徳人となる。

 

 「善き人間であるならば、有益な人間であるわけだね。すべての善きものは有益なのだから。そうではないかね?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.75)

 

 この場合、すべての善きものは有益ではあるが、有益なものが必ずしも善きものとは限らない。悪いことに役立つものもあるからだ。
 したがって、善⊆有益となる。

 

 「したがって、徳もまた有益なものだね?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.75)

 

 善⊆有益であり、かつ善=徳であるなら、徳⊆有益もまた成立する。

 「では、どのようなものがわれわれに対して有益であるかということを、ひとつひとつの例をとりあげながら考えてみることにしよう。いわく、健康、強さ、美しさ、それに富──これらのものやこれに類したものを、われわれは有益なものであるといっている。そうではないかね?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.75)

 

 有益には健康、強さ、美しさ、それに富などが含まれる。

 

 「しかしわれわれは、同じこれらのものが、ときによっては害をあたえることもあると主張する。それとも、君は違った主張をもっているかね?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.75)

 

 健康、強さ、美しさ、富がすべて有益なわけではない。したがってa{健康、強さ、美しさ、富、‥‥}⊆有益は成立しない。

 

 「では、考えてみてくれたまえ、そうしたひとつひとつのものを何が導く場合には、われわれを益し、何が導く場合には有害なものとなるのだろうか?──こうは言えないだろうか。導くものが正しい使用である場合には有益となり、そうでない場合には有害なものとなる、と。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.76)

 

 健康、強さ、美しさ、富は正しい場合のみ有益となる。
 正しさ∩a{健康、強さ、美しさ、富、‥‥}⊆有益
 ここで話は徳の要素の方にむかう。なかなか論理としては複雑になり、きちんと整理しながらすすまないとこんがらがる。このあたりも、プラトンの頭の良さを証明している。実際のソクラテスはむしろこういうのは苦手だっただろう。
 そして、これを聞きながらほとんど混乱してないメノンもまた、かなり頭のいい人物として描かれている。

 

 「ではさらに、魂に属するものについても考えてみよう。──節制、正義、勇気、ものわかりのよさ、記憶力、度量の大きさ、そしてすべてこういったものを君は認めるだろうね?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.76)

 

 b{節制、正義、勇気、ものわかりのよさ、記憶力、度量の大きさ、‥‥}⊆魂

 

 「では考えてみてくれたまえ。──いま挙げたもののなかで、知識ではないと君に思えるもの、知識とは別のものであると思えるものが何かあるならば、そのようなものは、ときによっては有害であったり有益であったりするのではないかね。たとえば勇気だが、もし勇気が知ではなく、一種の空元気のようなものだとしたら、どうだろうか。人間は、ただ元気を出すだけで知性がそこに伴われなければ害を受け、知性が伴う場合には益されるというのが、事実ではないだろうか。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.76)

 

 勇気についてのこの議論は、『プロタゴラス』のなかでも展開されている。そして、勇気が知であるという結論について、私は異を唱えておいた。
 勇気はむしろ知の不完全さを補うものであり、むしろ結果の予測できないものに対し、あえてリスクを引き受け、賭けてみることをいう。そのため、どんなに知識のある人間でも、一流の登山家がしばしば山で死ぬように、結果的に失敗することもあるし、知識がなくても、たとえばコロンブスがアメリカ大陸について何の知識もなかったにもかかわらず、アメリカに到達したような成功を収めることもある。
 どんなに知識があるといっても、人間の知識は神の知識ではないのだから、けっして完全ではない。だから、どんな聡明な人間の決断でも、結果的に有害となることはある。だからこそ、われわれは時として、失敗した人間にもその勇気をたたえることがある。
 もしわれわれに完全な知識が具わっているのなら、われわれは何一つ決断を下す必要はないだろう。すべては何も意識せず、機械的に処理すればそれですむ。最近の哲学者が言う「ゾンビシステム」だけで充分なはずである。逆にいえば、意識というのは、不完全な知識や不完全な遺伝的行動プログラムを補うために存在するといってもいいのかもしれない。
 ランダムに起る遺伝子の複製ミスが、結果的に遺伝子を進化させるように、意識もまた、ランダムに判断ミスを起こさせるシステムであり、それによって思いがけない発見をするのではないのか。

 

 「節制にしても、ものわかりのよさということにしても、これと同様ではないだろうか。つまり、何かものごとが学ばれる場合にも、しつけられる場合にも、知性を伴ってこそ、有益となり、知性を伴わなければ有害なものとなるのではないだろうか。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.77)

 

 節制のような、将来のことを考えていまの快楽を抑えることも、実際には完全な未来予測が成り立たないところで行われている。つまり節制が結果的に慎重すぎて大きな快楽を失する結果となることもある。そうなると、節制もまた一つの賭けだとも言える。
 ものわかりのよさは確かに理解能力があるという一つの知識なのかもしれない。しかし、えてして世の中には頑固なわからずやだからこそ思いがけない新しい発見をすることもある。つまりこれも一つの賭けではないか。
 われわれの知識が不完全であり、われわれは既存の知識を学んで身につけるだけでなく、常に新しい発見を要求されているとすれば、既存の知識に囚われず、それを超えてゆく能力を求められている。そして、どちらが有益かというのは、結果にすぎないのではないか。
 逆にいえば、徳とは単なる知というよりはむしろ知の限界の自覚、つまり「無知の知」だと言ったほうがいいのではないか。

 

 「これを総括すると、魂が積極的に心がけたり、受動的に耐えたりするはたらきはすべて、知が導くとき幸福を結果し、無知が導くときは反対の結果になるのではないだろうか?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.77)

 

 こうした考え方は、一種の結果説で、これに対して徳とは動機ではないかという動機説を説く人もいるかもしれない。つまり人間には本来利他行動をする本能があり、人のためにすすんで我が身を犠牲にするのが本来の徳だとする考え方だ。
 この種の信念は、今日でも生物学の「利己的な遺伝子」の考え方に激しく反発する人たちにみられるもので、結構根強い。
 ただ、こうした人たちは、自分が他人に対し献身的に生きるだけならいいが、えてして他人にそのようなことを強要する人たちであることを忘れてはならない。母親が我が子のために身を犠牲にするのは「利己的な遺伝子」でも説明できる。しかし、こうした利他主義者はそれと同じように、人は社会のため、企業のため、宗教団体のために、国家のために、革命のために、とにかく何ら遺伝子上の利害のない人たちのために身を犠牲にすべきことを説く。
 そして、こうした人たちはしばしば身を犠牲にすること自体が価値のあることだと信じ、幸福の追求を悪だと見なす。つまり、誰も幸福になれない社会を理想とするのである。
 こうした価値観は、人間の生存競争が「出る杭は打たれる」式のゲームに陥ってしまったことによるもので、本当は自分も幸福になりたいのに、他人が自分より幸福そうに見えるのがどうしようもなく許せないという心理によるものだ。
 利他行動が正しいのは、それが自他ともに有益な結果をもたらす時に限られる。そのためには、結果を予測する能力、つまり「知識」が不可欠であり、その知識が不完全な時にはそれを補い超えてゆくための、いわば賭けを行い、その結果に責任を持つ能力が求められる。
 たとえばエイズと戦うのに、「エイズは同性愛が原因で起る病気である」という誤った認識で献身的に努力されちゃったらどうなるだろうか。結果は同性愛者の迫害や殺戮ということになりかねない。それを、彼には悪気はなかったんだ、善意でやったことなんだ、ということで正当化できるだろうか。
 よくある笑い話に、穴のあいたそういうファッションのジーンズをおばあちゃんが親切にも継ぎ当てして繕ってしまったという話があるが、それが笑い話として許せるのは、そのおばあちゃんが身内であるからであり、クリーニング屋が勝手にそんなことをやったら賠償責任の問題になる。
 こうした場合、利他行動そのものが善なのではない。同性愛者がいなくなればエイズはなくなって人類はより幸福になれる、ズボンの穴がふさがればはく人が喜ぶ、それは無知ゆえに誤って「善」だと信じただけであり、善だと思ってやったことが実際は「悪」だったわけである。もしその人に正しい認識があったなら、決してそのようなことを行わなかったような行為は、軽々しく動機だけで善と言うべきではない。無知は明らかに悪のなのである。
 無知は有益な結果をもたらさない。つまり人を幸福にしない。だからこそ無知の自覚、つまり無知の知を必要とする。無知の知を含めて徳とは知であるということもできる。

 

 「とすると、もし徳というものが、魂にそなわる資質のひとつに数えられるようなものであり、また、かならず有益なものでなければならないとするならば、徳とは知でなければならないことになる。なぜなら、いやしくもすべての魂の資質というものは、それ自体単独では有益なものでも有害なものでもなく、そこに知もしくは無知が加わることによってはじめて、有害なものとなったり有益なものとなったりするのだから。こうして、この議論にしたがえば、徳が有益なものである以上それは一つの知でなければならないのだ。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.77~78)

 

 人類に有益な結果をもたらすには、知が欠かせないのはいうまでもない。しかし、現実には無学でもいい人はいるし、東大を出ても悪いことをする人はいる。知と徳とは切り離せない関係ながら、それだけでは徳を完全に説明できない。「無知の知」は知の一つではなく、何か別の知なのだろうか。
 もちろんプラトンも徳が知であるといって、それで満足するのではない。単なる知識ではない特殊な知識を想定せざるをえなくなる。

4,徳はなぜ教えられないのか

 ここまでの議論を整理すると、徳というのは有益なものの部分集合であり、有益なもののなかで正しい有益さとして定義される。そして、この正しいか正しくないかの判断は知によることになる。つまり、ここでは徳はこう定義できることになる。

徳とは知識によって正しいとされた有益なものである。

こうした定義の方法は、後にアリストテレスによって、定義は類と種差からなるという考え方と一致する。

定義「徳とは何か」は、類「有益さ」と種差「正しさ」によって定義される。

そして、この「正しさ」が、単純に知識の有無によるものであるなら、徳とは知であるということがいえる。そして、知である以上教えることが可能だということになる。
 しかし、これはプラトンが以前に言った「想起説」と矛盾する。つまり、知識とは教えられるものではなく、想起されるもの、つまり前世で学んだことを思い出すにすぎないのだとしたら、徳は教えることができないものになる。ただ、生得的にそなわっているものを呼び起こすことができるだけということになる。

 

 「もし徳が知識であるならば、それは人に教えることのできるものだという、この点については、ぼくはそれが正しくないかもしれないと言って撤回するようなことはしない。問題は、そもそも徳が知識であるかどうかであって、君にもぼくがこの点を疑うのはもっともだと思えるかもしれないから、一つ考えてみてもらいたいのだ。‥‥略‥‥徳にかぎらず、どんな事柄にせよ、もしそれが教えられうるものだとしたら、かならずその事柄を教える教師たちと、それを学ぶ弟子たちがいなければならないはずではないかね?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.81~82)

 

 こうして、徳を教える教師を捜すことになる。徳を教える教師が見つかれば、徳は知識であり、生まれつきのものではないということになる。そして、教師がいないなら、徳とは想起であり生得的なものだということになる。
 徳を教える教師がいないことについては、すでに『プロタゴラス』のなかでも、ソクラテスの主張として描かれている。それでいながら、プロタゴラスとの議論によってねじれが生じ、最後は徳とは快楽の計量術であり、一種の算術なのだから教えることができるという主張に変わってゆく。
 そして、この『メノン』では召使の少年を登場させ、算術が生得的なものの想起であることを証明している。徳は後天的な知識としては教えることはできない。しかし、先天的な能力の発現であるなら、教えることはできなくても想起させることはできる。
 しかし、今日、算数は学校で教えている。つまり、想起であるにもかかわらず、教えることができる。確かに、小学校の分数あたりの授業から脱落する子どもが生じ、これが因数分解や三角関数や微分積分と高度になると、半数以上が落ちこぼれてしまう。ここに文系人間と理系人間とが別れてしまうことになる。
 数学は反復練習であり、体で覚えるものだという説もある。しかし、理系の人は文系の人より多くの練習した結果なのだろうか。体で覚えるものでも、同じだけサッカーの練習したら、誰でもベッカムに成れるというものでもない。そうなると、やはり遺伝的な素質に影響されているのではないか。
 徳が生得的なものだとしても、徳を養う反復練習というのは可能なのかもしれない。そういうものがあれば、犯罪を減らしたり、犯罪者を更生させたすることもできるだろう。あるいは、日本の治安の良さを考えると、何か日本の文化の中に、徳を養う反復練習の秘密が隠されているのかもしれない。
 とはいえ、未だに徳を教える決定的な方法はない。あるのはかつての戸塚ヨットスクールのような悪夢だけで、まともに人を更生させるシステムは何一つ確立されていない。現代のこの平和な日本でさえそうなのだから、古代ギリシャにそれを見出すことは難しかっただろう。
 ソクラテスはメノンの泊っている家の主人であるアニュトスにそれをたずねる。

 

 「そしていまも、ほら、メノン、われわれにとってちょうど都合のよいことには、ここにアニュトスが来て坐ってくれた。この人に探求の仲間にはいってもらおうではないか。まったくそれはふさわしいことだろう。なぜって、このアニュトスという人はね、まずその父君というのが、アンテミオンという富も才知も兼ねそなえた人物で、その富も、偶然手にはいったとか、誰かからもらったとか‥‥略‥‥いうのではなく、もっぱら自分自身の才知と配慮によって獲得したものなのだ。それに彼アンテミオンは、一般にほかの点でも、ひとりの市民として、人を見下すことなく、尊大で厭味なところもなく、慎みぶかく礼儀正しい人物だという評判をえている。さらに彼は、このアニュトスを立派に育てて教育した。‥‥略‥‥だからわれわれは、当然こういう人たちにこそ、徳の教師たちがいるかいないか、いるとすればどのような人々かを探求するにあたって、力を貸してもらうべきだろう。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.82~83)

 

 ここで、ソクラテスは『プロタゴラス』で、

 「かりに、このヒッポクラテスが急に志を変えて、最近アテナイに来ているあの若者、ヘラクレイアのゼウクシッポスにつくことを望んだとしましょう。‥‥略‥‥もし、ヒッポクラテスが重ねて彼に、『いったい何に関してすぐれた人間になり、何に向かって進歩するとあなたはおっしゃるのですか』とたずねたとしたら、ゼウクシッポスはきっと『絵をかく技術に関して』と答えるでしょう。またもし、テバイのオルタゴラスに習いに行って、あなたから聞いたのと同じことを彼から聞いた場合、重ねて彼に、彼につけば何に向かって日に日にすぐれた人間になるのかとたずねるとしたら、『笛の吹き方だ』と答えることでしょう。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、1988、岩波文庫、p.35)

と言ったように、すぐれた医者にしようと思うなら、医者のところにやるし、靴作りにするには靴屋のところにやるし、笛吹きにするには笛吹きのところにやる。それなら、

 

 「この人はさっきからぼくに向かって、こういうことを言っているのだ。つまりこの人は、人々がよく家をととのえ国を治め、自分の親に仕え、すぐれた人物にふさわしく内外の客人を送迎できるために必要な知徳を身につけたいと、こういうわけなのだ。で、ひとつ考えてもらいたいのだが、彼がそういう徳を学ぶためには、われわれは彼をどんな人たちのところへやるのが当をえたやり方だろうか?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.86)

 

とうことになる。この言葉は、『プロタゴラス』でのプロタゴラスの返事、つまり、君のところに習いに行ったら何に向かって日に日にすぐれた人間になるのかという問いに、

 「身内の事柄については最もよく自分の一家をととのえる道をはかり、さらに国家公共の事柄については、これを行うにも論ずるにも、最も有能有力の者となるべき道をはかることの上手というのが、これである。」(『プロタゴラス』プラトン、藤沢令夫訳、1988、岩波文庫、p.36~37)

と答えたのを受けている。
 これでゆくと、徳を習うためにはプロタゴラスのようなソフィストのところへ行けばいいということになる。

 

 「それとも、あらためて問うまでもなく、たった今の議論にしたがえば、みずから徳の教師たることを標榜し、学びたいと思うギリシア人の誰にでも門を開くことを宣言して、そのための報酬をきめてとりたてるところの、例の人たちのところへやるべきだろうか?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫、1994、岩波文庫、p.86)

 

 つまりソフィストかと問う。これに対し、アニュトスはこう答える。

 

 「冗談じゃない、言葉をつつしみなさい、ソクラテス。いやしくもこの私にかかわりのある者なら、身内の者であれ、友人であれ、この都市の者であるとよそ者であるとを問わず、あんな連中のところへ行って害毒を受けるような狂気の沙汰は、絶対に誰にもさせたくない。実に彼らこそはまぎれもなく、ともに交わるものたちに害毒をあたえ、堕落させる連中なのだから。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.87)

 

 そんな連中が、どうしてお金を取って、商売として成り立っているのか、不思議な話である。わざわざ自分を堕落させるとわかっている人のところに、何でお金を払ってついてゆくのだろうか。また、自分の息子をそんな所にやる親がいるのだろうか。少なからず、アニュトスはソフィスト全般に対し、偏見を持っているようだ。もっとも、今日の「ソフィスト」のイメージにしても、倫社の授業では単なる詭弁屋みたいな言われ方をしている。これはプラトンの著作をちゃんと読んでない証拠だろう。

 

 「してみると、人の役に立つことを何か心得ているとみずから主張する者は数多くいるが、そのなかで彼らソフィストだけは、特別ほかの人たちと異なっていて、自分にゆだねられたものに対し為になることをするのが普通なのに、彼らはそれをしないばかりか、逆に、だめにしてしまうというわけなのだね?どうもぼくには、そんなことは信じられないがねえ。なぜって、ぼくの知るところでは、プロタゴラスがこの知恵をもとにして一人でかせいだ金額は、名作をのこしてあれほど有名なペイディアスをはじめ、そのほかの十大彫刻家をしのいでいるくらいなのだから」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.87~88)

 

 結局、アニュトスは実際にソフィストの誰一人ともつき合ったことがないことを認める。つまり実際にソフィストがどういう人か知りもしないのに、偏見で物を言っているだけだったのだ。よくあることだ。知らないのに知ったかこいて偉そうなことを言う。無知の知の反対と心得るべきだろう。ソフィストを詭弁屋だと思っている人!君はソフィストに会ったことがあるのかね?

 

 「きっとあなたは、占いができるのだろうね、アニュトス。そうでなければ、どうして彼らのことがあなたにわかるのか、あなた自身の言うところから考えて、ぼくは了解に苦しむ。──しかしまあ、それはどうでもよいことだ。われわれは別に、メノンがそこに行けば悪い人間になるというような、そんな人たちをさがしているわけではないのだから。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.90)

 

 ソクラテスがソフィストを弁護しているのも面白い。ソクラテスはしばしばソフィストと対立しているように描かれるが、むしろソフィスト(知者)と異なるフィロソフィア(愛知者、今で言えば学問オタクといったところか)という生き方を求めたのはプラトンの方だったかもしれない。
 ソクラテス自身は、むしろ法廷や議会などで活躍する華々しいソフィストとはちがう、もっぱら示談や交渉ごとを引き受ける、ソフィストの中ではアウトローだったのではないかと思われる。プラトンの『プロタゴラス』の面白さは、そのアウトローのソフィストが、当代きってのソフィストであるプロタゴラスを、得意の詭弁でやり込めてゆくところだ。
 ソフィストが徳の教師でないなら、誰のところへ行けばいいか。ふたたびソクラテスはアニュトスに尋ねる。アニュトスはこう答える。

 

 「アテナイでひとかどの立派な人物なら、そのなかの誰と出会っても、ソフィストたちよりは彼をすぐれた人間にすることはまちがいないだろう。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.91)

 

 こうして、その立派な人の名前を次々と挙げてゆく。テミストクレス、アリステイデス、ペリクレス、トゥキュディデス。しかし、そのその息子はというと、みんなたいしたことないことが暴露されてゆく。これも『プロタゴラス』の中の議論と重複する。それならソクラテスの息子はどうなったのか、と突っ込みたくなる。

 

 「だから明らかに、もし徳が教えられうるものだったとしたら、トゥキュディデスは、自分の子供たちに金のかかる教育をあたえておきながら、人間としてすぐれた者にするためにすこしも金の要らないような事柄を、教えなかったというはずはないのではなかろうか?いや、もしかしたらトゥキュディデスはとるに足らぬ男であって、アテナイ人の中にも、彼と結ぶほかの国の人々の中にも、あまり多くの友人がいなかったのだろうか?そんなことはない、彼は大きな家柄の出であって、この国をはじめ、ほかのギリシア人のあいだでも大きな勢力をもっていたのだ。したがって、もし徳が教えられうるものでさえあったなら、自分の息子をすぐれた人物にしてくれるはずの者を、同市民の中からなり、よその国の人々の中からなり、誰か見つけ出すことができたはずだ──もし彼自身が、国務に気をつかわなければならないために、それだけの暇がなかったとした場合にはだよ。だが、おそらくは、わが友アニュトスよ、徳は教えられることのできないものだというのが、事実なのではないだろうか。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.97~98)

 

 こうした議論も『プロタゴラス』ですでに提起されていたもので、ここではプロタゴラスがこの疑問に、徳は言語のようなもので、誰もが社会に中で自然に学んでゆくものだから、特定の教師は必要としないし、周囲の人間がみな教師だとも言えるから教師につかなかった者もいない。その一方で、たとえ高名な師匠の下で技術を学んでも、素質によって一流になる者もいればそうでない者もいる。そのため、徳のある人間とない人間の差が生じる、と答える。
 この答がプロタゴラスの説なのか、プラトンの思い付きだったのか、今日ではプロタゴラスの言葉は断片的にしか残ってないため、定かではない。
 徳のある人間は、何も一流の人の中にしかいないというものではない。貧しくてもいい人はたくさんいる。いい教師はどこに行かなければ見つからないというものでもなく、そこらじゅうにいるため、徳についての教育の機会は、かなり誰でも平等に得ることができる。後は素質の差、つまり生得的な差になる。
 笛吹きのもとに弟子入りさせても、誰もがその技術をマスターでき、一流のフルーターになれるわけではない。一流の彫刻家のもとに弟子入りしても、全員が一流の彫刻家になれるわけではない。それと同じで、徳の高い人間の子が、必ずしも徳の高い人間になるとは限らない。
 後天的な知識は教えることができる。しかし、先天的な知識については教えることができない。しかし、算術のように、教えれば想起できるものもある。そこが、道徳教育の難問(アポリア)の一つの答になるのだろう。
 ところで、ソクラテスのこの発言に、やり込められて不機嫌になったアニュトスは、こう捨て台詞を以後黙り込むこととなる(退席はしていない)。

 

 「ソクラテス、どうもあなたは、軽々しく人々のことを悪く言うようだ。もし私の言うことをきく気があなたにあるなら、私はあなたに忠告しておきたい、気をつけたほうがいいとね。ほかでもない、たぶんほかの国でも、ひとによくしてやるよりは害を加えるほうが容易だろうけれども、この国ではとくにそうなのだから。そのへんのことは、あなた自身も承知していることとは思うがね。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.98)

 

 やがてアニュトスは、ソクラテスの告発者の一人となる。ソクラテスも「ともに交わるものたちに害毒をあたえ、堕落させる連中」、つまりソフィストの一人として、断罪されたわけだ。クセノフォンの『ソクラテスの弁明』には、実際のソクラテスのこととしてこう記されている。

 「またアニュトスが傍らを通り過ぎるのを見て、言ったそうである。『ほら、この男はぼくを殺せば何かたいそう立派なことを成しとげたつもりで、得意になっているのだ。それというのも、彼が最も重要な仕事に値する人物と国家によって評価されているのをぼくが見て、息子に革なめしの類のことを教え込むべきではないとかれに言ったからだ。ぼくたち二人のうち、永遠にわたってより有益で立派なことを成しとげた者、その者こそが真の勝者であるということさえも知らないように見えるとは、なんてこの男は邪悪なやつなのだろう。いや実際、──とかれは言ったそうであるが──ホメロスもまた、生を終えようとしている幾人かの者に対してこれから起こることについての知を寄進しているが、私もまた少し予言しようと思うのだ。というのも、ぼくはかつて短い時間だったけれどもアニュトスの息子とともに過ごしたことがあるのだが、かれがその精神的能力において劣っているとはぼくには見えなかった。だから、ぼくは主張するのだが、彼は父親がかれにあてがった奴隷向きの仕事にずっととどまりはしないだろう。だが、だれもまじめに彼のことを心配してくれるものがいないために、何か醜い欲望に走って、邪悪の道をはるか遠くまで進むことだろう。』」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、1998、講談社学術文庫、p.222~223)

 アニュトスはどうやら、息子にろくな教育をしてなかったというか、むしろ虐待していたといってもいいだろう。ありそうなことだ。
 アニュトスが黙り込む中、ふたたび、徳の教師がいるかどうかの議論に入る。
 まずソクラテスはメノンに、青年達に徳を教える仕事を引き受けるかどうか尋ねる。メノンはこれに、徳が教えられるものかどうかもわからないのに、と辞退する。これは一つの進歩だ。メノンは徳について何も知らないこと、つまり「無知の知」を学習した!
 そして同じく、ソフィスト達はどうかと問う。

 

 「私がゴルギアスに感心するのはとくにその点なのですが、ソクラテス、あなたはそんな約束を彼の口から聞くことは決してないでしょう。のみならず、あの人は、ほかのソフィストたちがそんなことを約束するのを聞くと、笑っています。彼が自分の仕事として考えているのは、ただ、ひとを弁論に秀でたものにするということだけなのです。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.100)

 

 確かにプラトンの『ゴルギアス』でも、すぐれた医者にしようと思うなら、医者のところにやるし、靴作りにするには靴屋のところにやるし、笛吹きにするには笛吹きのところにやる。それなら、というプロタゴラスの時と同じ質問に、単純に「弁論術だよ、ソクラテス」(『ゴルギアス』プラトン、加来彰俊訳、1967、岩波文庫、p.18)と答えている。
 ソフィストたちをきちんとその分をわきまえた、いわば「無知の知」を知る人間として描くようになったのも、プラトンの一つの進歩だろう。そうなると、プラトンの『ソクラテスの弁明』で、あの名士たちのところを尋ね、無知の知を知らないと断罪したあの場面はどうなるのだろうか。

5,知識と「思わく」

 ここでソクラテスは「エレゲイア」の詩を引用する。

 かのひとびとと飲みくらい
 かのひとびとと共に坐り
 かのひとびとをよろこばせよ──
 大いなる力もてるひとびとを。
 善きひとびとは善きことを教え
 悪しきひとびととまじわるときは
 もてる知識をも失うもの。

 しかし、この後ではこういう一節も出てくる。

 善き父の子は、かしこき言葉のさとしのちからで
 悪しき人とはならぬであろう。
 されど汝は教えによって、悪しきこころのさがを変え
 善き人となすことはできぬのだ。

 長編叙事詩の中に、こうした言葉の矛盾を探すのは、プラトンの得意技だったのか、それともソクラテス自身が得意だったのかはわからない。『プロタゴラス』にもシモニデスの詩の解釈をめぐる場面がある。また、『パイドロス』では、自ら相矛盾する内容の二つの詩を作ってみせる。
 しかし、この矛盾を解く鍵は、すでに与えられている。つまり、二つの知識があるということだ。前世で学習され、受け継がれた、生まれながらにもっている知識。先験的な知。もう一つは経験の積み重ねによって学習される知。後天的な知。この二つの知の混乱を解くことが最後の課題となる。

 

 「つまり、われわれは笑止にも、人間の行為が正しく立派になされるのは、ただ知識によって導かれる場合だけではないということに、気がづかなかったのだ。いかにしてすぐれた人物はできるかということをわれわれが知りえないでいるのも、おそらくはここに抜け道があってのことだろう。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.105)

 

 先に徳を、

 徳とは知識によって正しいとされた有益なものである。

と定義したのを思い出そう。この「知識」は経験的な知識とは限らない。先験的な「思わく」によることもできる。

 

 「それをこれから説明してみよう。──もし誰かが、ラリサでもほかのどこでもよいが、そこへ行く道をちゃんと知っていて、歩きながら、ほかの人々を導いて行くとするならば、むろんその人は正しく、よく導くことになるだろうね?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.106)

 

 メノンは「たしかに」と答える。

 

 「では、こういう場合はどうだろう。ある人が、その道を実際に通ったことがなく、ちゃんとした知識をもっているわけでもないが、しかしどの道を行けばよいか見当をつけて、その思わく(思いなし)が正しかったような場合は?そういう人もやはり、正しく導くのではないだろうか?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.106~107)

 

 徳を導くのは正しい知識だけではなく、正しい思わくでも導かれる。そして、ダイダロスの例を引くことによって、想起説に結び付けられてゆく。
 ダイダロスは神話に登場する彫刻家だが、その作品があまりにリアルなので、縛り付けておかないと逃げ出すという、左甚五郎の「眠り猫」のような逸話があったのだろう。

 

 「ダイダロスの作品を所有していても、それが縛りつけられていないならば、ちょうどすぐに逃亡する召使と同じことで、あまりたいした値打ちはない。じっとしていないのだからね。しかし、縛りつけられている場合は、たいした値打ちものだ。何しろ、たいへん立派な作品だから。──ところで、何のつまりでこういうことを言うかというと、ぼくは正しい思わくのことを考えているのだ。つまり、正しい思わくというものも、やはり、われわれの中にとどまっているあいだは価値があり、あらゆるよいことを成就させてくれる。だがそれは、長い間じっとしていようとはせず、人間の魂の中から逃げ出してしまうものであるから、それほどたいした価値があるとはいえない──ひとがそうした思わくを原因(根拠)の思考によって縛りつけてしまわないうちはね。しかるにこのことこそ、親愛なるメノン、先にわれわれが同意したように、想起にほかならないのだ。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.109~110)

 

 先験的な知識は、使われなければ失われる。たとえば、言語能力の多くがそうだ。幼児期はRとLとの区別が誰でもできるという。しかし、日本語の環境の中に育てば、この識別能力は速やかに失われる。スペイン語圏の人が「ジャ」と「ヤ」の区別がつかなくなるのと同じだ。
 本来、人間は、あらゆる言語を学習できるようにできている。日本で生れた赤ちゃんも、ロシアで育てばロシア語を喋り、タイで育てばタイ語を喋り、コイサン人の下で育てば、コイサン語のたくさんのクリック音を見事にマスターするだろう。
 しかし、その能力の多くは、母国語を獲得すると同時に失われてゆく。母国語に必要のない能力は、不要なものとして退化してゆくのである。たまに多言語環境に育った子供は、こうした能力を残すことがあり、何十ヶ国語をも話す人間になることがある。しかし、たいていの人は、第一外国語すら満足に覚えられない。
 徳もまた同じように考えることができるだろう。人間は本来ありとあらゆる国の習慣を身につけ、そこでもっともふさわしい行動を学ぶ能力がある。しかし、実際には生まれ育った狭い小さな社会での価値観・世界観・道徳観念を身に付けると、異なる価値観を受入れることが困難になり、頑迷になってゆく。
 つまり、さまざま人の考え方を秤に掛けながら、その中で最善のものを探り出すという能力が失われ、ただ自分の信じ込んでいることを頑なに守るだけの偏屈者になってゆく。
 アニュトスがまさにそうだった。一度ソフィストが有害な狂ったやつらだと信じ込むと、実際に会ったこともないじゃないかと指摘されても、自分自身を反省して考えを改めるということがない。こうして、自分の息子にいろいろな外の世界を学ばせることもせず、自分の価値観を一方的に押付けるだけで、ついにはグレさせてしまう。
 思わく、いわば知識を学習するうえでの大雑把な枠組みのようなものであり、ラリサへゆく道の例で言えば、ラリサへゆく具体的な道筋や、分岐点の目標物などを知らなくても、ここからラリサまでのおおよその位置関係が理解だとか、後は太陽の位置などを見て方向を判断したり、山の斜面や高低から道がどのように曲がっていくかを判断する能力などをさすのだろう。
 方向音痴の人は、いくら詳しい地図があっても迷うし、その一方で地図がなくても勘でちゃんと目的地に着ける人がいるのは、全体的な空間把握の能力に関係があると思われる。
 しかし、こうした空間把握能力は漠然としたものであり、そこがはっきりとした道筋についての知識になったとき初めてより確実なものとなり、人に地図を描いて教えたりできるようになる。

 

 「そして、こうして縛りつけられると、それまで思わくだったものは、まず第一に知識となり、さらには、永続的なものとなる。こうした点こそ、知識が正しい思わくよりも高く評価されるゆえんであり、知識は、縛りつけられているという点において、正しい思わくとは異なるわけなのだ。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.110)

 

 知識は、限定され、縛りつけられ、固定された思わくだ。それは、生得的な深層文法の能力が、母国語を学習することによって母国語の文法能力に限定されるようなものだ。思わくは深層文法や空間把握能力のように、それ自身は漠然としていながら、さまざまな経験的学習の根底にあり、知識の成立に欠くことができないが、知識になることによってその自由さが失われるものでもある。
 ここで今までの議論のおさらいとなる。

 

 「ところで、すぐれた人物は有益な人間であるということに、われわれはすでに同意した。‥‥略‥‥彼らをそのような人物たらしめるものは、ただ知識だけではなく、正しい思わくもまたそうだということになる。そして、この両者のいずれも、すなわち知識のほうも正しい思わくのほうも、生まれながらにして人間にそなわるものでないということとなると‥‥略‥‥すぐれた人物たちもまたやはり、生まれつきすぐれているというわけのものではないだろう。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.111~112)

 

 これは一つの仮定である。

 

 「ところでわれわれは先に、すぐれた人物が生まれつきすぐれているのではないということになったので、それならそういう特性は、はたして教えられうるものかどうかを、つぎに考えてみたのだった。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.112)

 

 そして、結果として、徳は教えられうるものでもなければ知でもないということになった。

 

 「そうすると、善きもの、有益なものが二つあるうちで、一方は放免されてしまったわけだ。そして、知識は、政治的活動を導く力ではないということになる。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.114)

 

 そうすると、残るところは思わくのよさということになる。

 

 「そこで、もし知識によるのではないとすると、残るところは、思わくのよさによるということしかないことになる。政治家たちはこれを用いることによって、国を正しく導いているわけであって、結局彼らは、知という点にかけては、例の神託を伝えたり、神の意をとりついだりする人たちと、なんら異なるところはないのだ。なぜなら、この人たちも、神がかりにかかることによって、真実のことをいろいろたくさん口で言うけれども、その言っていることの意味を知ってはいないのだから。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.115)

 

 ここで、本当のソクラテスが「ダイモンの声を聞く」と言っていたことを思い起こすことができよう。「思わく」はダイモンの声であってもいいわけである。

 

 「ところで、メノン、知性なくしてその言行に多くの偉大な成功をおさめるような者がいるとしたら、そのような人たちを神のようなと呼ぶのは、まことにふさわしいのではないだろうか?」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.115~116)

 

 実際のソクラテスが、まさにそのような存在と思われていなかっただろうか。ソクラテスが裁判にかけられ、死刑になるときの罪状は「ソクラテスは国家が崇める神を崇めず、別の新奇な神格を導入するとともに若者たちを堕落させている」というものだった。
 クセノフォンの『ソクラテスの弁明』では、ソクラテス自身がこのように弁明したことになっている。

 「実際また、新規な神格と称するものにしても、何をなすべきかを示す神の声が私に現れると述べるだけで、どうしてそれを導入していることになるのでしょう。というのも、鳥の鳴き声や人間の発する言葉を用いる者たちもまた、たしかに声を頼りに判断しているからです。雷鳴について、音を立てていないとか、最大の予徴ではないかといって問題にする人が誰かいるでしょうか。そしてピュートーの地で三脚の座にまします巫女ご自身もまた、声によって神のお告げを伝えられるのではないでしょうか。いや実際また、神様はこれから起こることをあらかじめ知っておられ、お望みのものに対してあらかじめ示されるということ、このことについてもまた、まさに私が主張するとおりに、すべての人が語りもすれば、そう見なしてもいるのです。しかし、そのあらかじめ示す者を人々が鳥や発せられた言葉や徴や占い師と名付けているのに対して、私はそれを何か神格に由来するもの(ダイモニオン)と呼ぶのですが、そのように名づけることによって、私のほうが、神々にそなわる能力を鳥に献呈する者たちよりも、真実かつ敬虔に語っていると思うのです。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、1998、講談社学術文庫、p.213~214)

 つまりソクラテス自身が、「神託を伝えたり、神の意をとりついだりする人たちと、なんら異なるところはないのだ」ということを認めているのである。
 しかも、プラトンは、

 

 「そういえば、メノン、女たちもたしか、すぐれた人物たちを神のような人々と呼ぶようだし、またスパルタ人も、誰かすぐれた人物をたたえるときに『これは神にも似た人物』という言い方をするね」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.116)

 

 と書いているが、後者のスパルタ人のいう「誰かすぐれた人物」というのは、スパルタの法制度を定めた伝説上の人物リュクルゴスのことで、リュクルゴスが受けた「私はお前を神と言うべきか、それとも人間と言うべきかを思案しているのだ」というデルフォイの神託を指すのではないだろうか。
 そして、クセノフォンの『ソクラテスの弁明』では、ソクラテスが同じデルフォイで、

 「人間の中でこの私よりも自由な人間もいなければ正しい人間もおらず、節度に満ちた人間もいない」という神託を受けたことについて、ソクラテス自身が、リュクルゴスのように「私を神に比せられることはなかったのですが、人間たちよりははるかに優れていると評価されたのです。」(『ソクラテスの弁明・クリトン』プラトン、三嶋輝夫・田中享英訳、1998、講談社学術文庫、p.215)

と弁明していることにもつながる。ここではソクラテスは自らを人間以上神未満の存在と位置づけている。
 プラトンは自らが書いた『ソクラテスの弁明』の内容に反して、こうした真実を知っていたのではなかったか。つまり、ソクラテスが「神のような」人であったことを。
 ここでもし、ソクラテス自身が、自分のことをも念頭において、「神のような」と言うのであれば、横で黙って聞いていたアニュトスの顔色が変わったとしても不思議ではない。メノンはこう言う。

 

 「たしかに、ソクラテス、そういう言い方は正しいように見うけられます。しかし、そこにいるアニュトスが、あなたがそんなことをおっしゃるのに腹を立てているかもしれませんよ。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.116~117)

 

 この言葉は、ソクラテスが偉い人たちを「神のようだ」といいながら、その無知を笑っているところに腹を立てたと取ることもできる。しかし、実はプラトンはソクラテスの無知を知っていて、自らが神に近いようなメガレゴリア(高言)をほしいままにしていたのも知っていて、その事実を隠すために無知の知を前面に押し出した『ソクラテスの弁明』を書き、ソクラテスのイメージを変えようとしていた可能性も否定できない。
 こうして、最後の結論は、かなり突飛な形で終る。

 

 「目下のわれわれの議論だが、もしこれまでの探求と議論の進め方がすべてまちがっていなかったとすれば、徳とは、生まれつきのものでもなければ、教えられることのできるものでもなく、むしろ、徳のそなわるような人々がいるとすれば、それは知性とは無関係に、神の恵みによってそなわるものだということになるだろう──すくなくとも、誰か政治的能力のある人物たちのなかに、ほかの者にもその能力をさずけることのできるような人が出てくるのでないかぎりはね。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.117)

 

 想起説に厳密に従えば、徳は生まれながらにそなわっている前世の記憶でなくてはならない。しかし、その記憶はそのままでは発現しない。言語環境にさらされなければ、われわれはいかなる言語をも習得できないのと同じだ。それと同様、徳もまた、環境によって発現する。しかも、それが想起である限りでは、知識として人に教えることはできない。徳のある人は、あたかも誰にもそれを教えることもなく天性のように振舞う。
 実際のソクラテスもそのような人だったのだろう。そして、それをダイモンの声を聞く能力とし、自らを神に準じた存在であるかのように主張してゆくことで、結局大衆の反発を買い、死刑になっていった。
 今日であれば、こうした先験的な知は、前世での学習の結果ではなく、突然変異と自然選択の繰り返しによって遺伝子にプログラムされたものと考えることができる。徳は遺伝子の声に従って発現するだけで、そこに神を介在させる必要はない。
 徳は人間が生存し、子孫を残すために必要な遺伝的行動プログラムの中で、主に対人関係にかかわるものを言うのだろう。そして、それは実際の社会のなかで発現し、一つの知識になり、社会の常識となることで、一つの社会に縛られ、柔軟性を失ってゆく。しかし、稀にその柔軟性を生涯失わない人もいるのではないか。ちょうど多言語を操る人間がいるように、いくつもの価値観にたって同時に思考できる人間というのがいるのではないか。
 すべての言語の根底に深層文法があるように、さまざまな国や文化や共同体固有のモラルの背後に深層道徳というのが存在する。神の恵みというものがあるとすれば、そのようなものではないか。

 

 「それでは、メノン、これまでの推論にしたがうかぎり、徳というものは、もし徳が誰かにそなわるとすれば、それは明らかに、神の恵みによってそなわるのだということになる。しかしながら、これについてほんとうに明確なことは、いかにして徳が人間にそなわるようになるかということよりも先に、徳それ自体はそもそも何であるかという問を手がけてこそ、はじめてわれわれは知ることができるだろう。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.118)

 

 徳を神の恵みと解し、そのまま天真爛漫に振舞った実際のソクラテスと、それを論理の力によって解明しようと努めるプラトンの二つの立場が、ここに交錯しているように思える。

 

 「だがいまはもう、そろそろぼくは行かなければならない。君のほうは、自分で納得のいったことをそのまま、君も客友であるこのアニュトスにもよく説得して、彼が気をやわらげるようにしてくれたまえ。もし君がこの人を説得してくれたら、君はアテナイ人たちのために一つの功績をつくすことになるだろうからね。」(『メノン』プラトン、藤沢令夫訳、1994、岩波文庫、p.118)

 

 この台詞はソクラテスではなくてプラトンのものだ。それも未来の世界からタイムスリップしてきた‥‥。
 何とか神様気取りになっている師匠を弁護してくれ、徳とは何なのかが本当に解明されたら、彼の正しさは証明できる。それまで待ってくれ。何とかあの人があやしげな新興宗教を広めた罪で死刑になることだけは食い止めてくれ。それがプラトンの本音だったのかもしれない。