「もらぬほど」の巻、解説

元禄四年の初冬、斜嶺亭

初表

   元禄四年の初冬、茅屋に芭蕉翁をまねきて

 もらぬほどけふは時雨よ草の屋   斜嶺

   火をうつ聲にふゆのうぐひす  如行

 一年の仕事は麦におさまりて    芭蕉

   垣ゆふ舟をさし廻すなり    荊口

 打連て弓射に出る有明に      文鳥

   山雀篭を提る小坊主      此筋

 

初裏

 秋かぜに鍋かけわたす長ゐるり   左柳

   畳のうへを草鞋でふむ     怒風

 蝙蝠の喰破たる御簾の縁      如行

   念仏の声の細うきこゆる    残香

 わかれんとつめたき小袖あたためて 千川

   おさなきどちの恋のあどなき  芭蕉

 奥住居留守の表は戸をしまり    荊口

   米舂さして物買に行      斜嶺

 鞍おろす馬は霙を打はらひ     此筋

   峠に月のさえて出かかる    文鳥

 初花の京にも庵ンを作らせて    芭蕉

   目利で春をおくるなりけり   左柳

 

       参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

 

   元禄四年の初冬、茅屋に芭蕉翁をまねきて

 もらぬほどけふは時雨よ草の屋  斜嶺

 

 雨漏りがしない程度に時雨もほどほどに降ってほしい。今日は芭蕉さんを迎える日だから。

 

季語は「時雨」で冬、降物。「草の屋(やね)」は居所。

 

 

   もらぬほどけふは時雨よ草の屋

 火をうつ聲にふゆのうぐひす   如行

 (もらぬほどけふは時雨よ草の屋火をうつ聲にふゆのうぐひす)

 

 発句の草の屋を受けて、冬の鶯の声が聞こえてくる中で火打石を打つ音が部屋の中に響く。

 

季語は「ふゆのうぐひす」で冬、鳥類。

 

第三

 

   火をうつ聲にふゆのうぐひす

 一年の仕事は麦におさまりて   芭蕉

 (一年の仕事は麦におさまりて火をうつ聲にふゆのうぐひす)

 

 一年は「ひととせ」と読む。

 一年の仕事は麦蒔きで終わり、後は静かに年の暮れを迎える。

 

季語は「一年の‥おさまりて」で冬。

 

四句目

 

   一年の仕事は麦におさまりて

 垣ゆふ舟をさし廻すなり     荊口

 (一年の仕事は麦におさまりて垣ゆふ舟をさし廻すなり)

 

 「垣ゆふ舟」は菱垣廻船のことか。ウィキペディアに、

 

 「菱垣廻船(ひがきかいせん)とは、日本の江戸時代に、大坂などの上方と江戸の消費地を結んだ廻船(貨物船)である。当時、存在した同様の貨物船の樽廻船と並び称される。菱垣とは、両舷に設けられた垣立(かきだつ)と呼ばれる舷墻に装飾として木製の菱組格子を組んだ事に由来する。」

 

とある。平田舟や高瀬舟が河川による内陸部の物流を支えていたのに対し、菱垣廻船と樽廻船は沿岸を通る長距離輸送を支えていた。

 冬の間の農閑期には一時的に菱垣廻船の仕事をする人もいたのだろうか。

 

無季。「垣ゆふ舟」は水辺。

 

五句目

 

   垣ゆふ舟をさし廻すなり

 打連て弓射に出る有明に     文鳥

 (打連て弓射に出る有明に垣ゆふ舟をさし廻すなり)

 

 矢場は本来弓矢の練習場所だが、江戸時代には次第に寺社の縁日などの射的などをも指すようになった。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」には、

 

 「(1)古くは弓術の練習場をさし、この意味では弓場(ゆば)、的場(まとば)ともいう。武家では長さ弓杖(きゅうじょう)33丈(約76メートル)、幅は同じく1丈(約2.3メートル)と決められ、射場には(あずち)を築き、これに的をかける。矢場は城内や屋敷内、または人家の少ない郊外に設けられた。

 (2)江戸時代には、矢場は料金をとって楊弓(ようきゅう)(遊戯用小弓)を射させた遊戯場をさす。これは江戸での呼び名で、京坂では一般に楊弓場といった。楊弓は古くから行われ、主として公家(くげ)の遊戯であったが、江戸時代に民間に広がり、日常の娯楽として流行をみた。寛政(かんせい)(1789~1801)のころには寺社の境内や盛り場に矢場が出現、矢場女(矢取女)という矢を拾う女を置いて人気をよんだ。間口(まぐち)1、2間のとっつきの畳の間(ま)から7間(けん)半(約13.5メートル)先の的を射る。的のほか品物を糸でつり下げ、景品を出したが、矢取女のほうを目当ての客が多かった。的場の裏にある小部屋が接客場所となり、矢場とは単なる表看板で、私娼(ししょう)の性格が濃厚になった。1842年(天保13)幕府はこれを禁止したが、ひそかに営業は続けられ、明治20年代まで存続した。のちに、矢場の遊戯場の面は鉄砲射的に、私娼的性格は銘酒屋に移行したものもある。」

 

とある。

 貞享四年の如風が知足亭で興行した「めづらしや落葉のころの翁草 如風」を立句とする一巻の五句目に、

 

   銭を袂にうつす夕月

 矢申の声ほそながき荻の風    自笑

 

の句があり、既に遊技場としての矢場が存在していて、賭けが行われていたのではないかと思われるが、売春などをともなういわゆる「やばい」場所になったのは、もっと後のことではないかと思われる。

 矢場は寺社の境内や盛り場などにもあったが、有明に出るなら朝市のようなところでも行われていたのだろう。菱垣廻船が明け方に港に着くと、乗組員がぞろぞろと矢場に向かう。

 

季語は「有明」で秋、夜分、天象。

 

六句目

 

   打連て弓射に出る有明に

 山雀篭を提る小坊主       此筋

 (打連て弓射に出る有明に山雀篭を提る小坊主)

 

 人の集まる所では山雀(やまがら)の宙返りなどの曲芸が行われていて、山雀に芸を仕込むのが流行し、飼う人もたくさんいた。ここでも小坊主が山雀篭を下げて帰って行く。

 

季語は「山雀」で秋、鳥類。

初裏

七句目

 

   山雀篭を提る小坊主

 秋かぜに鍋かけわたす長ゐるり  左柳

 (秋かぜに鍋かけわたす長ゐるり山雀篭を提る小坊主)

 

 「長ゐるり」は長囲炉裏。長い囲炉裏だと思われるが、複数の鍋を同時に掛けられるような、人の大勢集まる所の囲炉裏だろうか。

 小坊主がいるのだから、ここでは大きなお寺だろう。小坊主の一人が山雀の曲芸に挑戦している。

 

季語は「秋かぜ」で秋。

 

八句目

 

   秋かぜに鍋かけわたす長ゐるり

 畳のうへを草鞋でふむ      怒風

 (秋かぜに鍋かけわたす長ゐるり畳のうへを草鞋でふむ)

 

 長囲炉裏のあるようなところでは上履きを用いていたか。

 「草鞋」はここでは「わらんぢ」と読む。

 

 この海に草鞋捨てん笠時雨    芭蕉

 

の用例もある。

 

無季。

 

九句目

 

   畳のうへを草鞋でふむ

 蝙蝠の喰破たる御簾の縁     如行

 (蝙蝠の喰破たる御簾の縁畳のうへを草鞋でふむ)

 

 荒れ果てた家であろう。空き家になり蜘蛛の巣も張り、御簾はそのままになっていて蝙蝠の食い破った跡がある。そんな家だから草履のまま上がり込む。

 在原業平の「月やあらぬ」の心だ。

 

季語は「蝙蝠」で夏、獣類。「御簾」は居所。

 

十句目

 

   蝙蝠の喰破たる御簾の縁

 念仏の声の細うきこゆる     残香

 (蝙蝠の喰破たる御簾の縁念仏の声の細うきこゆる)

 

 幽霊屋敷であろう。幽霊が出ると言われている廃屋なので、お坊さんが念仏を唱え、供養して成仏させる。

 

無季。釈教。

 

十一句目

 

   念仏の声の細うきこゆる

 わかれんとつめたき小袖あたためて 千川

 (わかれんとつめたき小袖あたためて念仏の声の細うきこゆる)

 

 死んだ愛しき人との最後のお別れとする。

 

無季。恋。「小袖」は衣裳。

 

十二句目

 

   わかれんとつめたき小袖あたためて

 おさなきどちの恋のあどなき   芭蕉

 (わかれんとつめたき小袖あたためておさなきどちの恋のあどなき)

 

 幼い者同士の恋というと『伊勢物語』の筒井筒しか思い浮かばないが、他に何か出典があるのだろうか。

 

無季。恋。「おさなきどち」は人倫。

 

十三句目

 

   おさなきどちの恋のあどなき

 奥住居留守の表は戸をしまり   荊口

 (奥住居留守の表は戸をしまりおさなきどちの恋のあどなき)

 

 幼い恋は親が留守の時に奥の部屋で戸を閉めて‥‥。

 

無季。「奥住居」は居所。

 

十四句目

 

   奥住居留守の表は戸をしまり

 米舂さして物買に行       斜嶺

 (奥住居留守の表は戸をしまり米舂さして物買に行)

 

 「米舂」は「こめつき」。戸を閉めて米搗きの途中で買い物に行ってしまった。

 

無季。

 

十五句目

 

   米舂さして物買に行

 鞍おろす馬は霙を打はらひ    此筋

 (鞍おろす馬は霙を打はらひ米舂さして物買に行)

 

 ちょっとお買い物にというのではなく、唐臼の並ぶような大きな精米所の買い物で、馬が必要なくらいの物量がある。

 

季語は「霙」で冬、降物。「馬」は獣類。

 

十六句目

 

   鞍おろす馬は霙を打はらひ

 峠に月のさえて出かかる     文鳥

 (鞍おろす馬は霙を打はらひ峠に月のさえて出かかる)

 

 峠越えの旅人とする。峠を越えると雲も切れて、ちょうど月の昇る頃だ。

 ひょっとしたら元禄七年の芭蕉の、

 

 梅が香にのつと日の出る山路哉  芭蕉

 

のイメージの元になったかもしれない。月を日に変え、発句道具に「梅が香」を添えて、「のっと」という擬音で取り囃せばこの句になる。

 

季語は「さえて」で冬。旅体。「峠」は山類。「月」は夜分、天象。

 

十七句目

 

   峠に月のさえて出かかる

 初花の京にも庵ンを作らせて   芭蕉

 (初花の京にも庵ンを作らせて峠に月のさえて出かかる)

 

 「庵ン」は「あん」。「庵」だけだと「いほ」か「あん」かわからないから「ン」を補っている。隠者の住居の「いほ」と区別する必要があったとすると、ここでは茶室のことか。逢坂山の方から月が登るのが見える。

 

季語は「初花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   初花の京にも庵ンを作らせて

 目利で春をおくるなりけり    左柳

 (初花の京にも庵ンを作らせて目利で春をおくるなりけり)

 

 茶人は書画骨董などに詳しく、目利きで、鑑定などをやって春を過ごしている。

 

季語は「春」で春。