「旅人と(笠の雪)」の巻、解説

貞享四年十二月一日桐葉亭にて

初表

   芭蕉老人京までのぼらんとして熱田にしばし

   とどまり侍るを訪ひて、我名よばれんといひ

   けん旅人の句をきき、歌仙一折

 旅人と我見はやさん笠の雪    如行

   盃寒く諷ひ候へ       芭蕉

 有明の鉢の木を刈初て      桐葉

   露になりけり庭の砂原    如行

 こみかどに駒引むこふ頭ども   芭蕉

   椎の古枝を腰に折添     桐葉

 

初裏

 覆盆子ふむ山より村の雨晴て   如行

   老声くるし夏の鶯      芭蕉

 物喰ハで昼寝がちなる襟     桐葉

   又ふみ書て車返しつ     如行

 樒籠に見よし摘たる山の草    芭蕉

   印くづれし柴人のみち    桐葉

 橇作る家も淋しき春の風     如行

   三ヶ月細く節句しりけり   芭蕉

 鵜を入る初川いそぐ花の蔭    桐葉

   美濃侍のしたり顔なる    如行

 御即位によき白髪と撰出され   芭蕉

   植て常盤の百本の竹     桐葉

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

   芭蕉老人京までのぼらんとして熱田にしばし

   とどまり侍るを訪ひて、我名よばれんといひ

   けん旅人の句をきき、歌仙一折

 旅人と我見はやさん笠の雪    如行

 

 芭蕉がこの『笈の小文』の旅に出る際に詠んだ、

 

   十月十一日餞別會

 旅人と我名よばれん初霽     芭蕉

 

の句を如行が聞いて、ならば見はやさん、応じる。「はやす」は合いの手を入れて盛り上げることで、「笠に雪が積もり」はるばる雪の中をやってきた姿を見れば、なるほど旅人だと歓迎する意味になる。

 如行は大垣の人で、芭蕉さんが来ていると知って熱田の桐葉宅に駆け付けた。

 本来歌仙は一の懐紙の表裏、二(名残)の懐紙の表裏の二折で、「歌仙一折」は半歌仙になる。

 

季語は「笠の雪」で冬、降物。旅体。「旅人」「我」は人倫。

 

 

   旅人と我見はやさん笠の雪

 盃寒く諷ひ候へ         芭蕉

 (旅人と我見はやさん笠の雪盃寒く諷ひ候へ)

 

 「はやす」から「諷(うた)ひ」を付け、「雪」から「盃寒く」と四手に受ける。

 発句の「見はやさん」と主体を変えずに、旅人と見はやすから、寒いけど謡ってくれと二句一章にする。まあ、如行さんも大垣から旅をしてきたのだし、ともに旅人だということで、この半歌仙を楽しもう。

 

季語は「寒く」で冬。

 

第三

 

   盃寒く諷ひ候へ

 有明の鉢の木を刈初て      桐葉

 (有明の鉢の木を刈初て盃寒く諷ひ候へ)

 

 「鉢の木」では字足らずで、『校本芭蕉全集 第三巻』の注によると、『桃の白実』の方のテキストでは「鉢の木賊(とくさ)」となっているから、「賊」の一字抜け落ちたのだという。

 「鉢の木賊」は謡曲『鉢木』を踏まえたもので、大雪の中を旅の僧がやってきた時に梅桜松の鉢植えの木を折って、惜しげもなく焚き木にした、その人物があの「いざ鎌倉」の佐野源左衛門常世だった。

 桐葉の句も客人をもてなす句になっていて、発句の情を去ってはいないが、そこは心意気ということで良しとしよう。季節は秋に転じる。

 なお、木賊はそれほど選定の必要のない草で、傷んだ枝を落とす程度だと園芸のサイトに書いてあった。小さいけど恐竜の時代に栄えた鱗木の仲間だという。

 

季語は「有明」で秋、夜分、天象。「木(賊)」は植物、草類。

 

四句目

 

   有明の鉢の木(賊)を刈初て

 露になりけり庭の砂原      如行

 (有明の鉢の木(賊)を刈初て露になりけり庭の砂原)

 

 木賊を植えた庭には玉砂利が敷き詰められていて露に輝いている。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

五句目

 

   露になりけり庭の砂原

 こみかどに駒引むこふ頭ども   芭蕉

 (こみかどに駒引むこふ頭ども露になりけり庭の砂原)

 

 駒引きとする。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 平安時代、毎年八月中旬に、諸国の牧場から献上した馬を天皇に御覧に入れる儀式。天皇の御料馬を定め、また、親王、皇族、公卿にも下賜された。もと、国によって貢馬の日が決まっていたが、のちに一六日となり、諸国からの貢馬も鎌倉末期からは信濃の望月の牧の馬だけとなった。秋の駒牽。《季・秋》 〔九暦‐九条殿記・駒牽・天慶元年(938)九月七日〕

  ※俳諧・去来抄(1702‐04)先師評「駒ひきの木曾やいづらん三日の月〈去来〉」

 

とある。「こみかど」は正門ではない門。ここでは馬のための入口。

 

無季。「駒」は獣類。

 

六句目

 

   こみかどに駒引むこふ頭ども

 椎の古枝を腰に折添       桐葉

 (こみかどに駒引むこふ頭ども椎の古枝を腰に折添)

 

 大嘗祭の時には柴垣に椎の枝を挿すが、この「椎の古枝」も宮廷儀式に必要なものだったのだろう。

 ちなみにウィキペディアによれば、貞享四年三月二十一日に霊元天皇の譲位によって東山天皇が即位し、四月に即位式を行った後、「さらに11月16日には長く廃絶していた大嘗祭の儀式を復活させた。」とある。

 

無季。「椎」は植物、木類。

初裏

七句目

 

   椎の古枝を腰に折添

 覆盆子ふむ山より村の雨晴て   如行

 (覆盆子ふむ山より村の雨晴て椎の古枝を腰に折添)

 

 山奥の村人とする。焚き木にするのだろう。

 

季語は「覆盆子」で夏、植物、草類。「山」は山類。「村」は居所。「雨」は降物。

 

八句目

 

   覆盆子ふむ山より村の雨晴て

 老声くるし夏の鶯        芭蕉

 (覆盆子ふむ山より村の雨晴て老声くるし夏の鶯)

 

 老鶯は近代では夏の季語になっているようだが、この時代はそのままでは春なので「夏の鶯」とする。宗因独吟に、

 

 口まねや老の鶯ひとり言     宗因

   夜起きさびしき明ぼのの春

 ほの霞む枕の瓦灯かきたてて

   きせるにたばこ次の間の隅

 

とあり、春の季語になっているのは明らか。

 山村の雨上がりに夏の鶯を付ける。

 

季語は「夏の鶯」で夏、鳥類。

 

九句目

 

   老声くるし夏の鶯

 物喰ハで昼寝がちなる襟     桐葉

 (物喰ハで昼寝がちなる襟老声くるし夏の鶯)

 

 「襟」は「ものおもひ」と読む。なぜそう読むのかはよくわからない。

 夏はただでさえ食欲がなくなるし、暑いと動きたくなくて昼寝がちになるが、それにまぎれて恋のもの思いにふける。外では夏の鶯の声がする。

 

無季。恋。

 

十句目

 

   物喰ハで昼寝がちなる襟

 又ふみ書て車返しつ       如行

 (物喰ハで昼寝がちなる襟又ふみ書て車返しつ)

 

 古代の牛車で通ってきた男に直接対応せずに手紙だけ渡して追い返す。やつれた姿を見せたくないということなのか。

 

無季。恋。

 

十一句目

 

   又ふみ書て車返しつ

 樒籠に見よし摘たる山の草    芭蕉

 (樒籠に見よし摘たる山の草又ふみ書て車返しつ)

 

 「見よし」は「見よと」の間違いではないかと『校本芭蕉全集 第三巻』の注にある。

 樒(しきみ)は木偏に密と書くように、密教と結びついていたようだ。『源氏物語』の「若菜下」では出家した朧月夜に宛てて長文の手紙を書くが、その返事の手紙に樒の枝が添えてあった。

 ここではその物語を下敷きにしながら、尼寺に直接乗り込んできた男に樒籠を見せて、ここから出ることはないというメッセージを送ることになる。

 

無季。「山の草」は山類、植物、草類。

 

十二句目

 

   樒籠に見よし摘たる山の草

 印くづれし柴人のみち      桐葉

 (樒籠に見よし摘たる山の草印くづれし柴人のみち)

 

 山の草を摘みに行った柴人がおいた枝折(道しるべ)が帰る時に何かに乱されてわからなくなる。鳥が加えていったか、動物が踏み荒らしたか。

 

無季。「柴人」で人倫。

 

十三句目

 

   印くづれし柴人のみち

 橇作る家も淋しき春の風     如行

 (橇作る家も淋しき春の風印くづれし柴人のみち)

 

 日本の橇にはスキーのような二本の板の上に籠を乗せた物、人が乗る屋根付きの駕籠を乗せた物などがある。籠を編むのは農閑期の仕事だったのだろう。

 春風に雪が融けて柴人の道も橇がいらなくなる。

 

季語は「春の風」で春。「家」は居所。

 

十四句目

 

   橇作る家も淋しき春の風

 三ヶ月細く節句しりけり     芭蕉

 (橇作る家も淋しき春の風三ヶ月細く節句しりけり)

 

 三日月が見えれば三月三日の上巳だと分かる。雪国で春の遅い土地だと実感がわきにくいのだろう。

 

季語は「三ヶ月」の「節句」で春、夜分、天象。

 

十五句目

 

   三ヶ月細く節句しりけり

 鵜を入る初川いそぐ花の陰    桐葉

 (鵜を入る初川いそぐ花の陰三ヶ月細く節句しりけり)

 

 今の長良川の鵜飼いは毎年(新暦で)五月十一日から十月十五日までとなっているが、観光用ではなく生業としてやってた頃は旧暦三月には初漁を行ってたのだろう。

 

季語は「花の陰」で春、植物、木類。「鵜」は鳥類、水辺。

 

十六句目

 

   鵜を入る初川いそぐ花の蔭

 美濃侍のしたり顔なる      如行

 (鵜を入る初川いそぐ花の蔭美濃侍のしたり顔なる)

 

 長良川の鵜飼いは美濃侍にとっても郷土の誇りというところか。美濃は作家の司馬遼太郎が「美濃を制するものは天下を制す」と言ったように、生産力が高く、かつ京にも近いという土地ということもあってか、幕府はここに有力大名が出ることを警戒し、幕府直轄領になっていた。余所の藩士たちの中にいると肩身が狭かったのかもしれない。

 一方、鵜匠の方は古代には宮廷直属の官吏だったというが、江戸時代は普通に漁師だった。今は宮内庁の職員だという。

 

無季。「美濃侍」は人倫。

 

十七句目

 

   美濃侍のしたり顔なる

 御即位によき白髪と撰出され   芭蕉

 (御即位によき白髪と撰出され美濃侍のしたり顔なる)

 

 先にも述べたが貞享四年は東山天皇の即位した年だった。ただ、その式典に白髪の美濃侍がいたかどうかは知らない。

 

無季。賀。

 

挙句

 

   御即位によき白髪と撰出され

 植て常盤の百本の竹       桐葉

 (御即位によき白髪と撰出され植て常盤の百本の竹)

 

 「竹取の翁」の縁か。白髪に竹を付ける。

 竹は松や梅とともにお目出度い木(式目上は木でも草でもない)で、この一巻も目出度く終わる。

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注によれば、『如行子』の底本に「はせを心地不快ニして是にてやみぬ」、『桃の白実』のも「はせを心地不快して是迄にて止ぬ」とあるという。芭蕉さんの体調不良で半歌仙で切り上げたと思われる。

 

無季。賀。「竹」は植物で木類でも草類でもない。