「紫陽花や」の巻、解説

元禄七年五月初旬(『別座敷』)

初表

 紫陽花や藪を小庭の別座敷     芭蕉

    よき雨あひに作る茶俵    子珊

 朔に鯛の子売の声聞て       杉風

    出駕籠の相手誘ふ起々    桃隣

 かんかんと有明寒き霜柱      八桑

    榾堀かけてけふも又来る   芭蕉

 

初裏

 住憂て住持こたへぬ破れ寺     子珊

    どうどうと鳴浜風の音    杉風

 若党に羽織ぬがせて仮枕      桃隣

    ちいさき顔の身嗜よき    八桑

 商もゆるりと内の納りて      芭蕉

    山のかぶさる下市の里    子珊

 草臥のつゐては旅の気むづかし   杉風

    四日の月もまだ細き影    桃隣

 秋来ても畠の土のひびわれて    八桑

    雲雀の羽のはえ揃ふ声    芭蕉

 べらべらと足のよだるき花盛    子珊

    ひらたい山に霞立なり    杉風

 

 

二表

 正月の末より鍛冶の人雇      桃隣

    濡たる俵をこかす分ヶ取   八桑

 昼の酒寝てから酔のほかつきて   芭蕉

    五つがなれば帰ル女房    子珊

 此際を利上ゲ計に云延し      杉風

    まんまと今朝は鞆を乗出す  桃隣

 結構な肴を汁に切入て       八桑

    見世より奥に家はひっこむ  芭蕉

 取分て今年は春ル盆の月      子珊

    まだ花もなき蕎麦の遅蒔   杉風

 柴栗の葉もうつすりと染なして   桃隣

    国から来たる人に物いふ   八桑

 

二裏

 閙しう一臼搗て供支度       芭蕉

    糞汲にほひ隣さうなり    子珊

 今の間のじるう成程降時雨     杉風

    日用の五器を籠に取込ム   八桑

 扈従衆御茶屋の花にざはめきて   桃隣

    小船を廻す池の山吹     主筆

 

      参考;『校本芭蕉全集』第四巻(宮本三郎校注、1964、角川書店)

初表

発句

 

 紫陽花や藪を小庭の別座敷     芭蕉

 

 「紫陽花や」の巻は芭蕉が最後の旅に出る直前の元禄七年(一六九四)五月初旬、深川の子珊亭で興行されたの五吟歌仙だ。『炭俵』に収録された「空豆の花」の巻の少し後と思われる。

 子珊は前年の冬、『炭俵』にも収録されている「雪の松」の巻でなかなかの活躍をした人で、今回の「紫陽花や」の巻も自ら『別座敷』という俳書を編纂し、このあとの旅で伊賀に滞在中の芭蕉に届けたという。

 芭蕉の発句の意味は、「紫陽花は藪を小庭の別座敷にするや」で、例によって「や」を係助詞的な倒置の用法で「紫陽花や」とし、語尾の「にする」を省略したもの。

 「藪」は自然そのままに守られた「森」でもなく、人が利用するために管理された「林」でもなく、ただ雑草や低木の生い茂った場所を言う。むしろ荒れ果てた印象を与える。

 藪というと「竹やぶ」を連想する人も多いと思うが、竹に関しても人が人工的に植えたものではなく、勝手に生えるがままにしてある所という意味で「藪」という言葉が用いられるのであろう。「竹林」という言葉もあるが、これだと庭などの人工的に竹を植えた場所というニュアンスになる。

 藪はいかにも草ぼうぼう木がぼうぼうの荒れたところで殺風景なイメージがあるが、そこに紫陽花の花が咲くと急に見違えるかのように、まるでそこだけ別座敷になったかのように見える。

 小庭の藪だから、本当は春にはきれいな花が咲いてたりもしたのだろう。夏になるとそれが雑草に埋もれ殺風景になるが、そこに紫陽花が咲くと、再び立派な庭に戻る。「別座敷」はこの場合比喩で、本当に子珊亭に別座敷があったかどうかは不明。「小庭」というくらいだから、本当はそれほど広い家ではなく、狭い家が別座敷になったみたいだと洒落ただけと見た方がいいかもしれない。

 

季題は「紫陽花」で夏。植物、木類。「別座敷」は居所。

 

 

   紫陽花や藪を小庭の別座敷

 よき雨あひに作る茶俵    子珊

 (紫陽花や藪を小庭の別座敷よき雨あひに作る茶俵)

 

「茶俵」については『校本芭蕉全集』第五巻(小宮豊隆監修、中村俊定校注)の中村注には、「番茶などつめる俵」とある。

 今日の番茶は煎茶から派生したものだが、それ以前の原始的な製法の茶も番茶と呼ばれ、庶民の間で飲まれていたと言われている。

 おそらくは葉を一枚一枚摘み取るのでもなく、枝ごと摘んで束ねて干すだけの単純なものから、その地方地方で独自の工夫を凝らしたものまでいろいろあったのだろう。こうした原始的な茶の飲み方はミャンマーなどにも見られる。西洋のハーブティーの飲み方に近い。

 こうしたお茶は立派な茶畑で作られる抹茶と違い、庭先などに植えられていたと考えられる。こうしたお茶なら梅雨時の晴れ間にまとめて収穫して乾燥させ、自分で俵に詰めるということは十分考えられる。

 なお、この「茶俵」という言葉は同時期に江戸で編纂が進められていた『炭俵』を連想させる。『炭俵』の素龍の序文には「閏さつき初三の日」とあり、これより少し後になるが、選者の孤屋、野坡、利牛らとの交流があることを考えれば、それを知っててあえて「茶俵」で対抗した可能性もある。この日の連衆は『炭俵』の選者ではない人ばかりが集まっている。

 

季題は「茶俵」で夏。「雨」は降物。

 

第三

 

   よき雨あひに作る茶俵

 朔に鯛の子売の声聞て       杉風

 (朔に鯛の子売の声聞てよき雨あひに作る茶俵)

 

 「鯛の子」はタラコがタラの卵であるのと同じで鯛の卵をいう。春から夏にかけての鯛の産卵期に取れる。少量しか取れない珍味で、おそらくタラコ同様塩漬けにした保存の利くものを売っていたのだろう。魚問屋の杉風ならでは発想かもしれない。

 中村注には「よき雨間といふこと葉のひびきより、朔日をおもいよせたり」という『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)の引用がある。月初めの目出度い日にこれまたお目出度い「鯛」を重ねることで、「よき雨あひ」が単なる天気のいい日というだけでなく吉日であることを匂わせる。

 

無季。「鯛の子売」は人倫。

 

四句目

 

   朔に鯛の子売の声聞て

 出駕籠の相手誘ふ起々    桃隣

 (朔に鯛の子売の声聞て出駕籠の相手誘ふ起々)

 

 魚などの生鮮物の売り子の声は、その朝上がったもの痛まぬうちに売りに来るため朝が早い。ちょうど人が起き出すころで、宿場では駕籠に乗る人の客引きが始まる。「出駕籠」は道端で客待ちをする駕籠のこと。

 

無季。「相手」は人倫。

 

五句目

 

   出駕籠の相手誘ふ起々

 かんかんと有明寒き霜柱      八桑

 (かんかんと有明寒き霜柱出駕籠の相手誘ふ起々)

 

 「かんかん」というのは今の感覚だと「がちがち」といったところか。明け方の宿場の旅立ちの風景に、月の定座にふさわしく有明の月を出す。ただの有明だと月並だからか、冬のがちがちの霜柱を添える。

 

季題は「霜柱」で冬。「有明」はこの場合冬の月で、夜分、天象。

 

六句目

 

   かんかんと有明寒き霜柱

 榾堀かけてけふも又来る   芭蕉

 (かんかんと有明寒き霜柱榾堀かけてけふも又来る)

 

 「榾(ほだ)」は曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』に、「材に伐り取たる木の根を掘出したるものなり。関東では根骨といふ。山家、玄冬のころ炉に昼夜これを焼て寒を凌ぐものなり。」とある。

 その榾を掘りに今日もやってくる。

 

季題は「榾」で冬。

初裏

七句目

 

   榾堀かけてけふも又来る

 住憂て住持こたへぬ破れ寺   子珊

 (住憂て住持こたへぬ破れ寺榾堀かけてけふも又来る)

 

 「住持」は住職のこと。「こたへぬ」はこの場合「堪へぬ」で、昔はお坊さんがちゃんと住んでたのだが、あまりに山奥で住み辛くてついに破れ寺になってしまったようだ。ただ榾を取りに来る人だけが毎日やってくる。

 

無季。「住持」「寺」は釈教。

 

八句目

 

   住憂て住持こたへぬ破れ寺

 どうどうと鳴浜風の音     杉風

 (住憂て住持こたへぬ破れ寺どうどうと鳴浜風の音)

 

 住み憂き寺とはどういう寺かというと、海辺で浜風のどうどうと鳴るようなところにある寺だ。

 こういう景を付けてさらっと流すのは杉風の得意パターンか。

 

無季。「浜風」は水辺。

 

九句目

 

   どうどうと鳴浜風の音

 若党に羽織ぬがせて仮枕    桃隣

 (若党に羽織ぬがせて仮枕どうどうと鳴浜風の音)

 

 「若党」はウィキペディアによれば、

 

 『貞丈雑記』に「若党と云はわかき侍どもと云事也」とあるように本来は文字通り若き郎党を指したものであるが、江戸時代には武家に仕える軽輩を指すようになった。その身分は徒士侍と足軽の中間とも足軽以下とも言われた。「若党侍」とも呼ばれるが士分ではなく大小を差し羽織袴を着用して主人の身辺に付き添って雑務や警護を務めた。一季か半季の出替り奉公が多く年俸は三両一人扶持程度であったため俗に「サンピン侍」と呼ばれた。

 

という。

 「仮枕」は旅で寝ることを言う。

 前句の浜風の音を海辺の宿場のこととし、武士がお付の者に羽織を脱がせてもらって床に就く。

 

無季。「若党」は人倫。「羽織」は衣装。「仮枕」は旅体。

 

十句目

 

   若党に羽織ぬがせて仮枕

 ちいさき顔の身嗜(みだしなみ)よき 八桑

 (若党に羽織ぬがせて仮枕ちいさき顔の身嗜よき)

 

 若党の姿を付ける。

 「でかい面する」なんて言葉もあるように、顔が大きいと何となく自己主張が強く脂ぎってる印象がある。本人は別にそんなつもりはないんだろうし、顔の大きさは生まれつきではあるが、今でも世間では「顔がでかい」というのはしばしば笑いを誘う。

 その逆に顔が小さいとそれだけで謙虚そうに見えてしまう。本当はどうだか知らないが。

 

無季。

 

十一句目

 

   ちいさき顔の身嗜よき

 商(あきなひ)もゆるりと内の納りて 芭蕉

 (商もゆるりと内の納りてちいさき顔の身嗜よき)

 

 「ゆるり」というのは今でいう「ゆるい」に近いか。まあ、あまりがつがつ稼ごうとしなくても、のんびりゆったりと楽しながらそれでいてちゃんと成り立っていて、家内も丸く納まるなら言うことはない。働き方改革もこういうふうに行きたいものだ。

 

無季。

 

十二句目

 

   商もゆるりと内の納りて

 山のかぶさる下市の里     子珊

 (商もゆるりと内の納りて山のかぶさる下市の里)

 

 吉野の金峯山寺を降りて吉野川に出るあたりが上市で、そこからさらに吉野川に沿って西へ下ったところにあるのが下市。近鉄吉野線に下市口という駅がある。山に囲まれた小さな盆地だ。伊勢南街道の通る交通の要衝でもある。

 紀伊和歌山から高野山、吉野山、伊勢神宮を結ぶこういう街道沿いなら人の流れも絶えることなく、かといって東海道ほど過密でもなく、ゆるい商売で生計が立てられそうだ。

 初裏に入ってから無季の句が六句続くが、こういうのも芭蕉最晩年の軽みの風といっていいだろう。

 

無季。「山」は山類。「里」は居所。

 

十三句目

 

   山のかぶさる下市の里

 草臥のつゐては旅の気むづかし  杉風

 (草臥のつゐては旅の気むづかし山のかぶさる下市の里)

 

 これは難しい。「草臥(くたびれ)のつゐて」は多分「草臥つく」の変化したものだろう。「草臥」は語源的には草の上にひれ伏すことなのだろう。「草臥つく」はその疲労の慢性化したものをいうのだろうか。「気むづかし」は気味が悪い、恐ろしいという意味。

 中村俊定注には「山間の里から旅、旅から草臥を趣向とし、宿とる、とらぬの仲間あらそいと句作した」とあるが、どこから仲間争いが出てきたのかよくわからない。

 疲労が重なることで、山間の里の山が不気味に迫って、襲い掛かってくるように見えるということか。下句の「かぶさる」を生かすなら、そういう解釈になる。

 

無季。「旅」は旅体。「仮枕」から三句隔てている。

 

十四句目

 

   草臥のつゐては旅の気むづかし

 四日の月もまだ細き影      桃隣

 (草臥のつゐては旅の気むづかし四日の月もまだ細き影)

 

 前句の「気むづかし(恐ろしい)」を薄暗がりのせいにする。

 二日三日だと夕暮れの空に月はあるものの真っ暗になる前に沈んでしまうが、四日だと真っ暗な中に四日の月が残っている。ただ、地面を照らすにはあまりに弱々しい光で闇とかわらない。

 

季題は「月」で秋。夜分、天象。

 

十五句目

 

   四日の月もまだ細き影

 秋来ても畠の土のひびわれて   八桑

 (秋来ても畠の土のひびわれて四日の月もまだ細き影)

 

 旱魃だろうか。旧暦文月の四日になっても恵みの雨は降らず、畠の土はひび割れている。

 

季題は「秋」で秋。

 

十六句目

 

   秋来ても畠の土のひびわれて

 雲雀の羽のはえ揃ふ声      芭蕉

 (秋来ても畠の土のひびわれて雲雀の羽のはえ揃ふ声)

 

 さてまたまたこれは難しい。秋は三句続けなくてはいけないのに「雲雀の羽のはえ揃う」は練雲雀で夏になってしまう。曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』では六月の所に、

 

 「練雲雀 ○凡六月、毛をかへて旧をあらたむ。俗呼て練雲雀と称す。毛かふるとき、其飛こと速かならず。故に鷹を放てこれを捕ふ。これを雲雀鷹と云。」

 

とある。

 『校本芭蕉全集』第五巻(小宮豊隆監修、中村俊定校注)の補注に引用されている『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)や『華実年浪草』(三余斎麁文、宝暦三年刊)にも練雲雀や雲雀鷹への言及がある。

 夏から秋にかけてのことだから、秋とする場合もあったのか。

 ひび割れた畠に鷹の餌食となる雲雀は響き付けだろうか。

 

季題は「練雲雀」でここでは秋。鳥類。

 

十七句目

 

   雲雀の羽のはえ揃ふ声

 べらべらと足のよだるき花盛  子珊

 (べらべらと足のよだるき花盛雲雀の羽のはえ揃ふ声)

 

 さて花の定座だが、練雲雀からどうやって花に持ってゆくのか、芭蕉からの難題だ。

 結局子珊の答は前句を比喩に取り成すことだった。羽の生えたばかりの雲雀は鷹の餌食になるくらい動きも緩慢だというところから、疲れきった花見客をそれに喩える。

 「べらべらと」というオノマトペは常用されていたわけではなく感覚的に言い放ったものだろう。「ぶらぶらと」だと普通の散歩だが、「べらべらと」だともっとけだるい感じがする。花見ではしゃぎすぎたか、人の多さで辟易したか、はたまた飲みすぎたか、あるいは祭の後の寂しさか、行きは上げ雲雀でも帰り道は練雲雀の声のようにけだるい声になる。

 

季題は「花盛」で春。植物、木類。

 

十八句目

 

   べらべらと足のよだるき花盛

 ひらたい山に霞立なり     杉風

 (べらべらと足のよだるき花盛ひらたい山に霞立なり)

 

 平たい山は上野山のことだろう。芭蕉の時代から花の名所だった。標高はせいぜい二十メートルくらい。桜が咲けば遠くから見ると白く霞がかかったように見える。

 昔は染井吉野ではなく山桜だったから、その白い花は霞や雲に喩えられた。

 

季題は「霞立」で春。聳物。「山」は山類。

二表

十九句目

 

   ひらたい山に霞立なり

 正月の末より鍛冶の人雇    桃隣

 (正月の末より鍛冶の人雇ひらたい山に霞立なり)

 

 平たい山を平城山(ならやま)に取り成したのだろう。特に佐保山の霞は古来歌にも詠まれている。平らにすることを「ならす」というあたりが語源か。 飛鳥の天の香具山も亀の甲のように平たい山で、香具山の霞も古歌に詠まれている。

 奈良には鍛冶屋が多く、農閑期には農家の人も臨時に雇ったりしたのだろう。

 『校本芭蕉全集』第五巻の中村注は、『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)の「二月・八月をもて鍛冶の時節とす。故にむかう槌の人雇ひしたるさまをあしらひたり」を引用している。

 

季題は「正月」で春。「鍛冶」は人倫。

 

二十句目

 

   正月の末より鍛冶の人雇

 濡たる俵をこかす分ヶ取     八桑

 (正月の末より鍛冶の人雇濡たる俵をかす分ヶ取)

 

 これは「鍛冶」を「梶」に取り成したか。今では「梶」は船の方向を変えるための道具だが、本来は船を進めるための櫓や櫂を意味していた。

 前句の「正月の末より」は捨てて、舟漕ぐ人足を雇って、難破船から濡れた米俵を転がし、山分けした。

 『校本芭蕉全集』第五巻の中村注は、『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)の、

 

 「人雇ひといふより起して、破船あるひは暴風などにて、ぬれたる俵の価をさげて売る折々あり。一口に買入れわけ取するさまを見せたり。」

 

を引用している。これは「鍛冶」をそのままの意味にして、米を買って分けたとするわけだが、それだと単なる共同購入で、わざわざ「雇う」意味がわからない。

 

無季。

 

二十一句目

 

   濡たる俵をこかす分ヶ取

 昼の酒寝てから酔のほかつきて  芭蕉

 (昼の酒寝てから酔のほかつきて濡たる俵をこかす分ヶ取)

 

 さて、取り成しの応酬になると芭蕉さんも負けてはいられない。これも「俵」の「瓢」への取り成しだろう。

 昼間っから酒を飲んでいい気持ちになってうとうとしていると急に酔いが回ってきて、酒のこぼれて濡れた瓢箪を分けてもらって飲もうとしてひっくり返す。

 

無季。

 

二十二句目

 

   昼の酒寝てから酔のほかつきて

 五つがなれば帰ル女房      子珊

 (昼の酒寝てから酔のほかつきて五つがなれば帰ル女房)

 

 「五つ」は時刻の暮五つのことで、春分秋分の頃だと午後八時くらいになる。昼の酒に酔いつぶれて、眼が覚めたら午後八時で真っ暗。女房はあきれて里へ帰っちまったってんだから情けない話だ。

 

無季。「女房」は人倫。

 

二十三句目

 

   五つがなれば帰ル女房

 此際(このきは)を利上ゲ計に云延し 杉風

 (此際を利上ゲ計に云延し五つがなれば帰ル女房)

 

 「利上げ」は今日では金利を上げることだが、ここでは元本を返済せずに利息分だけを支払うことを言うらしい。ただ、辞書を見ると用例がこの句だというのは気になる。ほかの用例はあるのだろうか。

 元本が減らなければ永遠に利息を払い続けなくてはいけないし、それすら滞るとなれば、後は借金が雪だるま式に増えてゆき、借金地獄に落ちてゆくパターンだ。女房にも逃げられる。

 

無季。

 

二十四句目

 

   此際を利上ゲ計に云延し

 まんまと今朝は鞆(とも)を乗出す 桃隣

 (此際を利上ゲ計に云延しまんまと今朝は鞆を乗出す)

 

 鞆は備後国の鞆の浦で瀬戸内海の海上交通の要。何とかこれからの商売で借金を返すんだと、前向きに転じた句だ。

 

無季。「鞆」は名所。水辺。

 

二十五句目

 

   まんまと今朝は鞆を乗出す

 結構な肴を汁に切入て     八桑

 (結構な肴を汁に切入てまんまと今朝は鞆を乗出す)

 

 「まんま」を飯に取り成す。朝飯をしっかり取ってから航海に乗り出す。

 

無季。

 

二十六句目

 

   結構な肴を汁に切入て

 見世より奥に家はひっこむ   芭蕉

 (見世より奥に家はひっこむ結構な肴を汁に切入て)

 

 これは京の町屋だろうか。間口は狭いが奥行きが長く、うなぎの寝床のような家は税金対策だとも言われている。奥の間では結構な肴を惜しげもなく汁に切り入れている。

 

無季。「家」は居所。

 

二十七句目

 

   見世より奥に家はひっこむ

 取分て今年は春(はる)ル盆の月 子珊

 (取分て今年は春ル盆の月見世より奥に家はひっこむ)

 

 月の定座を二句繰り上げる。

 『校本芭蕉全集』第五巻の中村注は、『俳諧鳶羽集』(幻窓湖中、文政九年稿)の、「あらたに家を造りて飛退たる人の霊祭りする体と思ひよせたり」を引用しているが、それが何で珍しく晴れた盆の月と関係があるのか良くわからない。『俳諧鳶羽集』は『猿蓑』や『炭俵』の注でも独自の解釈が多い。

 これは薮入りに結びつけた方がいいのかもしれない。奉公人が店を出てどこかの奥の家に引っ込むと、その夜は珍しく晴れて盆の月が見えるというのはどうだろうか。

 

季題は「盆の月」で秋。夜分、天象。「盆」が釈教ではないことは『去来抄』にもある。

 

二十八句目

 

   取分て今年は春ル盆の月

 まだ花もなき蕎麦の遅蒔    杉風

 (取分て今年は春ル盆の月まだ花もなき蕎麦の遅蒔)

 

 蕎麦には春蒔き用の品種と夏蒔き用の品種があり、この場合は夏蒔きの方だろう。夏蒔きは新暦の八月に蒔くから、いくら蕎麦の成長が早いからといっても、お盆の頃はまだ芽生えたばかりで花とは程遠い。春蒔きの方はこの頃花が咲く。「蕎麦の花」は秋の季語になっている。

 中村注は「春ル盆の月」を旱魃のこととして、「盆頃の日でり続きから、作物の不作を思いよせた付け」としているが、それだと十五句目の「秋来ても畠の土のひびされて」とかぶる。

 芭蕉はこのあと九月に伊賀で、伊勢からやってきた支考と斗従をねぎらい、

 

 蕎麦はまだ花でもてなす山路かな 芭蕉

 

の句を詠むことになる。夏蒔きの蕎麦も山奥となればさらに遅く、旧暦九月にようやく花が咲く。食べるのはもっと後のこと。

 

 三日月に地は朧なり蕎麦の花   芭蕉

 

の句はこの二年前の元禄五年秋の句。蕎麦の白い花は小さく、夕暮れともなるとかすかに白く朧に見える。マイナーイメージで朧な蕎麦の花と対比させることで、暗に月の方は秋で澄み切っていることを表している。

 

季題は「花もなき蕎麦(蕎麦の花)」で秋。植物、草類。

 

二十九句目

 

   まだ花もなき蕎麦の遅蒔

 柴栗の葉もうつすりと染なして  桃隣

 (柴栗の葉もうつすりと染なしてまだ花もなき蕎麦の遅蒔)

 

 「柴栗」は栗の原種で小粒だが味は良いという。筆者はまだ食べたことがないので「良い」と断定はしない。栗の葉も秋になると黄葉するが、蕎麦もまだ花の咲く前だから栗の葉もよく見ないとわからない程度のうっすらと色づくに留まる。

 

季題は「柴栗」で秋。植物、木類。

 

三十句目

 

   柴栗の葉もうつすりと染なして

 国から来たる人に物いふ     八桑

 (柴栗の葉もうつすりと染なして国から来たる人に物いふ)

 

 故郷よりやってきた人に、ついつい尋ねてみたくなる。「柴栗の葉もうつすりと染なしているかい?」と。

 

無季。「人」は人倫。

二裏

三十一句目

 

   国から来たる人に物いふ

 閙(いそが)しう一臼搗て供支度 芭蕉

 (閙しう一臼搗て供支度国から来たる人に物いふ)

 

 国から来た人にお供するように誘われたか。すぐに付いてゆきたい気持ちを抑え、取り合えず目の前の仕事を片付ける。

 

無季。

 

三十二句目

 

   閙しう一臼搗て供支度

 糞(こえ)汲にほひ隣さうなり  子珊

 (糞汲にほひ隣さうなり閙しう一臼搗て供支度)

 

 「一臼搗て」を田舎の事として、肥え汲む匂いを付ける。糞尿ネタはシモネタということで蕉門では嫌われるが、畠に蒔く肥えを詠んだ句はいくつかある。

 

無季。

 

三十三句目

 

   糞汲にほひ隣さうなり

 今の間のじるう成程降時雨    杉風

 (今の間のじるう成程降時雨糞汲にほひ隣さうなり)

 

 「じるう」は「地潤う」。

 『炭俵』の「ゑびす講」の巻に、

 

   砂に暖のうつる青草

 新畠の糞もおちつく雪の上   孤屋

 

の句があるように、新しく開墾した土地では雪の解ける頃に肥料をやるのが良いとされている。土が湿っていると酸欠になるからだという。

 雪のない地方なら、収穫の終わった後の冬に荒起こしをして土を空気にあて、それから土作りに入る。肥を撒くのもこの頃だ。

 雨が降りすぎると酸欠になる恐れがあるが、時雨の雨なら地面を潤してくれる。

 

季題は「時雨」で冬。降物。

 

三十四句目

 

   今の間のじるう成程降時雨

 日用の五器を籠に取込ム    八桑

 (今の間のじるう成程降時雨日用の五器を籠に取込ム)

 

 日用は「にちよう」ではなく「ひよう」と読む。日用(ひよう)の場合は「日雇い」のことをいう。

 時雨が降りだしたので、日雇い労働者が主人の大事な食器を急いで籠に入れ、片付ける。

 

無季。

 

三十五句目

 

   日用の五器を籠に取込ム

 扈従衆(こしょうしゅう)御茶屋の花にざはめきて 桃隣

 (扈従衆御茶屋の花にざはめきて日用の五器を籠に取込ム)

 

 「御茶屋」はウィキペディアによると、1御殿御茶屋、2お茶屋屋敷、3御茶屋、4茶屋、5お茶屋の五つに分類されている。御殿御茶屋は将軍の外出の際の休憩所。お茶屋屋敷は慶長十年に徳川家康が上洛の際の休泊のための施設。御茶屋は街道に作られた大名のための宿泊施設で「本陣」とも言う。茶屋は一般の休息所。お茶屋は花街で芸妓を呼んで飲食する店。

 扈従衆(こしょうしゅう)を引き連れて来るのだから、将軍か大名の訪れる御茶屋で1か2ではないかと思われる。桜がたくさん植えられているなら、1である可能性が高い。今は浜離宮恩賜庭園となっている浜御殿や品川の御殿山にあった品川御殿などがある。

 将軍やそのお付の者たちが御殿御茶屋の広い庭に桜が咲いているのを見て俄にざわめきたち、今にも花見の宴になりそうなので、御茶屋の日雇い衆は急いで籠に食器を詰めて庭へと運び、宴の準備をする。

 

季題は「花」で春。植物、木類。「扈従衆」は人倫。

 

挙句

 

   扈従衆御茶屋の花にざはめきて

 小船を廻す池の山吹     主筆

 (扈従衆御茶屋の花にざはめきて小船を廻す池の山吹)

 

 挙句はこの興行の筆記係を務めていた「主筆」が詠み、一巻が締めくくられる。

 浜離宮クラスの立派な御茶屋であれば、庭に船を浮かべられる池くらいありそうだ。岸には山吹も咲いている。

 山吹といえば小判の連想も働く。粗末な藪の「別座敷」に始まり、最後は山吹の池に船まで浮かべて終わる。病身で前途洋々の旅ではないが、芭蕉の最後の旅をこうして目出度く送り出すことができた。そして江戸の人たちとはこれが永の別れとなった。

 黄金は錆びないところから永遠の命の象徴とされており、道教では黄金の骨と玉の肉体を手にいれることで不老不死を得られるとされていた、ということは『笈の小文─風来の旅─』の西河のところでも書いた。池の山吹に芭蕉も永遠にというところか。

 

季題は「山吹」で春。植物、草類。「小船」「池」は水辺。