「かげろふの」の巻、解説

於嗒山旅店興行、元禄二年仲春七日

初表

 かげろふのわが肩に立かみこかな  芭蕉

   水やはらかに走り行音     曾良

 杣のやに独活のあへものあつらへて 嗒山

   身はかりそめに猿の腰懸    此筋

 いさよひもおなじ名所にかへりけり 曾良

   こころをかくすもの売の秋   芭蕉

 

初裏

 萩原は露ににれてもおもしろき   此筋

   ブトふりはらふともの松明   嗒山

 五月まで小袖のわたもぬきあへず  芭蕉

   おちたる髪をときそろへつつ  曾良

 恋られてこふ人よりも物ぐるし   嗒山

   ほそく書たる文のやさしき   此筋

 盃をそこらに火燵とりまきて    曾良

   としよりひとり日まちつとむる 芭蕉

 ものの音も夏はなつをぞふきにける 嵐蘭

   桐のたう立其陰の家      嗒山

 旅車あくるひがしは月と花     曾良

   なみは霞のふじをうごかす   嵐蘭

 

 

二表

 客よびて塩干ながらのいかなます  芭蕉

   犬にをはるるあぢの村鳥    曾良

 城北の初雪晴るるみのぬぎて    嗒山

   おきて火を吹かねつきがつま  芭蕉

 行かへりまよひごよばる星月夜   嵐蘭

   組でこかせば鹿驚なりけり   嗒山

 山風にきびしく落る栗のいが    曾良

   黒木ほすべき谷かげの小屋   北鯤

 たがよめと身をやまかせむ物おもひ 芭蕉

   あら野の百合に泪かけつつ   嵐蘭

 狼の番して明る夏の月       嵐竹

   水のいはやに仏きざみて    嗒山

 

二裏

 麦ゑます諏訪の涌湯の熱かへり   芭蕉

   おひねわびたる関のうちもの  曾良

 何故に人の従者と身をさげて    嵐蘭

   膳にすはれば鯛の浜焼     嗒山

 一門の花見衣のさまざまに     北鯤

   藤をつたふる摂政の筋     嵐竹

 

       参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

 

 かげろふのわが肩に立かみこかな 芭蕉

 

 春は寒い日と暖かい日が交互に来るので、いまだに紙子が手放せない。寒いからといって紙子を着るとすぐまた暖かくなる。まるで紙子を着た我が肩に陽炎が立つかのようだ。

 もちろん、その一方でみちのくの旅の計画も着々と進められていたのだろう。紙子は旅に欠かせないアイテムで、その紙子の上にまだ幻のみちのくの景色が陽炎のように浮かぶという意味も込められていたのだと思う。

 

季語は「かげろふ」で春。「かみこ」は衣裳。

 

 

   かげろふのわが肩に立かみこかな

 水やはらかに走り行音      曾良

 (かげろふのわが肩に立かみこかな水やはらかに走り行音)

 

 春の水の流れる音が聞こえます、というだけの脇だが、「やはらかに走り行く」というところに旅の無事が込められているように思える。

 

季語は「水やはらかに」で春。

 

第三

 

   水やはらかに走り行音

 杣のやに独活のあへものあつらへて 嗒山

 (杣のやに独活のあへものあつらへて水やはらかに走り行音)

 

 芭蕉と曾良の二人の江戸勢がこの日は来客になり、嗒山がそれをもてなす亭主になる。

 杣(そま)は杣木取る人で山に住んでいる。亭主としてここでは脇のように客人二人をもてなす気持ちを込めて、「独活のあへものあつらへて」とする。

 

季語は「独活」で春。

 

四句目

 

   杣のやに独活のあへものあつらへて

 身はかりそめに猿の腰懸     此筋

 (杣のやに独活のあへものあつらへて身はかりそめに猿の腰懸)

 

 此筋も大垣の人で、父は荊口、上の弟は千川、下の弟は文鳥と俳諧一家だ。此筋とはこの後芭蕉と曾良の長い旅の後、大垣で再会することになる。

 独活の和え物をご馳走になるのは旅人で、猿の腰掛に腰を下ろすような仮の宿、ということになる。

 猿の腰掛といえば後に芭蕉が幻住庵に滞在するときに、椎の木の上にそういう名前の腰掛を作っている。

 

無季。旅体。「身」は人倫。

 

五句目

 

   身はかりそめに猿の腰懸

 いさよひもおなじ名所にかへりけり 曾良

 (いさよひもおなじ名所にかへりけり身はかりそめに猿の腰懸)

 

 月の定座だが「いさよひ」という月の字のない月を選んでいる。

 十五夜だけでなく、十六日も見ようと、名所を離れかけたが戻ってきた。猿の腰掛に腰かけているように居所を定めない。

 

季語は「いさよひ」で秋、夜分、天象。旅体。

 

六句目

 

   いさよひもおなじ名所にかへりけり

 こころをかくすもの売の秋    芭蕉

 (いさよひもおなじ名所にかへりけりこころをかくすもの売の秋)

 

 物売りだけど風流の心があって、月の名所が離れがたいが、それを隠している。隠れ風流というべきか。

 

季語は「秋」で秋。

初裏

七句目

 

   こころをかくすもの売の秋

 萩原は露ににれてもおもしろき  此筋

 (萩原は露ににれてもおもしろきこころをかくすもの売の秋)

 

 隠れ風流だから、萩原で露に濡れても嬉しいのだけど、びしょ濡れで気持ち悪いとか言っているのかな。

 

季語は「萩原」で秋、植物、草類。「露」も秋、降物。

 

八句目

 

   萩原は露ににれてもおもしろき

 ブトふりはらふともの松明    嗒山

 (萩原は露ににれてもおもしろきブトふりはらふともの松明)

 

 「ブト」は蚋(ぶよ)のこと。今では「ブユ」が正しいことになっているのか、ウィキペディアの項目はブユになっている。「関東ではブヨ、関西ではブトとも呼ばれる。」とある。血を吸うので松明で追払う。もっぱら朝夕の薄暗いときに活動する。

 

季語は「ブト」で夏、虫類。「とも」は人倫。「松明」は夜分。

 

九句目

 

   ブトふりはらふともの松明

 五月まで小袖のわたもぬきあへず 芭蕉

 (五月まで小袖のわたもぬきあへずブトふりはらふともの松明)

 

 この年は寒くて五月まで小袖の綿を抜かなかった。暑くなったころにはブユが現れる。

 初表の月の定座に「月」の字がなかったので、ここで「五月」を出してバランスを取ったのだろう。同じようなことは元禄五年の「けふばかり」の巻でも行われていて、十三句目の「宵闇」の句を月としたため十五句目に「八月」を出している。

 

季語は「五月」で夏。「小袖」は衣裳。

 

十句目

 

   五月まで小袖のわたもぬきあへず

 おちたる髪をときそろへつつ   曾良

 (五月まで小袖のわたもぬきあへずおちたる髪をときそろへつつ)

 

 小袖の綿を抜かなかったのを病気のせいとした。悪寒だけでなく抜け毛もひどい。

 

無季。

 

十一句目

 

   おちたる髪をときそろへつつ

 恋られてこふ人よりも物ぐるし  嗒山

 (恋られてこふ人よりも物ぐるしおちたる髪をときそろへつつ)

 

 「恋(こひ)られて」とそういう言い回しがあるんだなと思う一句で、近代なら「恋されて」になるところだ。「恋する」という言葉は意外に新しいのかもしれない。もともと恋の動詞は「こふ」だったし。

 まあ男は恋られてもいいけど、女の方はやはりストーカーは怖い。髪も抜け落ちるくらい苦しむ。

 『校本芭蕉全集 第四巻』の注に、

 

 朝な朝なけづれば積る落ち髪の

     乱れて物を思ふころかな

             紀貫之(拾遺集)

 

の歌を引いている。

 

無季。恋。「人」は人倫。

 

十二句目

 

   恋られてこふ人よりも物ぐるし

 ほそく書たる文のやさしき    此筋

 (恋られてこふ人よりも物ぐるしほそく書たる文のやさしき)

 

 これは逆に男が恋られていて、恋する女の細い文字に気恥ずかしくなる。

 中世の連歌だと、恋の句は恋する気持ちを詠むもので、恋される句は本意にそむくということになる。

 

無季。恋。

 

十三句目

 

   ほそく書たる文のやさしき

 盃をそこらに火燵とりまきて   曾良

 (盃をそこらに火燵とりまきてほそく書たる文のやさしき)

 

 酔った勢いで女々しいことを書いてしまったか。あとで読み返して赤面。

 

季語は「火燵」で冬。

 

十四句目

 

   盃をそこらに火燵とりまきて

 としよりひとり日まちつとむる  芭蕉

 (盃をそこらに火燵とりまきてとしよりひとり日まちつとむる)

 

 日待はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 人々が集まり前夜から潔斎して一夜を眠らず、日の出を待って拝む行事。普通、正月・五月・九月の三・一三・一七・二三・二七日、または吉日をえらんで行なうというが(日次紀事‐正月)、毎月とも、正月一五日と一〇月一五日に行なうともいい、一定しない。後には、大勢の男女が寄り集まり徹夜で連歌・音曲・囲碁などをする酒宴遊興的なものとなる。影待。《季・新年》

  ※実隆公記‐文明一七年(1485)一〇月一五日「今夜有二囲棊之御会一、終夜不レ眠、世俗称二日待之事一也云云」

 

とある。「季・新年」とあるが曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』の「春」のところにもないから、近代の新暦になってからの季語であろう。それ以前は「春」であって「新年」という季はない。

 本当は大勢集まって朝まで賑やかにやる所だが、年寄り一人の日待は寂しい。

 

無季。「日まち」は夜分。

 

十五句目

 

   としよりひとり日まちつとむる

 ものの音も夏はなつをぞふきにける 嵐蘭

 (ものの音も夏はなつをぞふきにけるとしよりひとり日まちつとむる)

 

 ここで嵐蘭の登場だが、その一方で此筋がいなくなる。二十六句目には北鯤、二十九句目には嵐竹がとうじょうするが、此筋の退席と入れ替わりに別の江戸のメンバーがやってきて出勝ちになったか。

 「ものの音(ね)」は音楽のこと。コトバンクの「世界大百科事典内のもののねの言及」に、

 

 「…明治以前の日本では,たとえば雅楽は寺社と公卿階級に属し,能楽は武家階級のもの,長唄や浄瑠璃は町民のものというように,音楽の各ジャンルは,社会的階層の中に個別的,閉鎖的に所属するという傾向が強かった。 吉川英士によれば,〈音楽〉という用語は,古く中国からもたらされたが,奈良朝ころまでは,表記するためにその文字を借りても,〈おんがく〉とは訓(よ)まず,〈うたまひ〉〈もののね〉などといった。次いで,平安初期ころから,〈おんがく〉という語が用いられたが,主として唐楽・高麗楽系統の器楽合奏曲を指した。…」

 

とある。『源氏物語』では「あそび」が音楽の意味で用いられている。

 年寄り一人で「ふきにける」だから笛であろう。秋の夜が音が澄んで聞こえてベストだが、夏は夏で五月の日待ちをそれなりに楽しんでいる。

 

季語は「夏」で夏。

 

十六句目

 

   ものの音も夏はなつをぞふきにける

 桐のたう立其陰の家       嗒山

 (ものの音も夏はなつをぞふきにける桐のたう立其陰の家)

 

 桐も花が咲くが、それを薹が立つという。コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」にも、

 

 「1 桐の花軸。

  2 紋所の名。桐を図案化したもので、五三の桐、五七の桐などがある。

  3 《文様に2を用いたところから》大判・小判・一分金(いちぶきん)などの判金。きりのと。

  「その時の白菊は―に替へて、小判弐百両」〈浮・好色盛衰記〉」

 

とある。五三の桐、五七の桐は豊臣秀吉が用いたことでも知られている。

 桐は一年で急速に成長して、若いうちは背の高い草みたいだから桐の薹なのだろうか。福島の人の戻らない田んぼにも、桐はすぐ生えてくる。

 夏に笛を奏でる家の庭は荒れ果てて、桐の薹が立っている。

 

季語は「霧のたう」で夏、植物、木類。「家」は居所。

 

十七句目

 

   桐のたう立其陰の家

 旅車あくるひがしは月と花    曾良

 (旅車あくるひがしは月と花桐のたう立其陰の家)

 

 車で旅ができたのは古代道路の残っていた時代で、王朝時代と見ていいのだろう。桐の薹の立つ家で「月と花」ならば、

 

 月やあらぬ春や昔の春ならぬ

     わが身ひとつはもとの身にして

               在原業平

 

であろう。『伊勢物語』では東の五条で京から離れてないが、東国への旅のきっかけにもなる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。旅体。「月」は夜分、天象。

 

十八句目

 

   旅車あくるひがしは月と花

 なみは霞のふじをうごかす    嵐蘭

 (旅車あくるひがしは月と花なみは霞のふじをうごかす)

 

 旅車は駿河の国の田子の浦のあたりを行く。大きな干潟に映る富士山の霞は波に静かに揺らめく。

 

季語は「霞」で春、聳物。「なみ」は水辺。「ふじ」は名所、山類。

二表

十九句目

 

   なみは霞のふじをうごかす

 客よびて塩干ながらのいかなます 芭蕉

 (客よびて塩干ながらのいかなますなみは霞のふじをうごかす)

 

 田子の浦は今でもアオリイカが釣れる。釣ったばかりのイカを膾にして潮干狩りの客をもてなせば、向こうに春霞の富士山が浪に映っている。

 

季語は「塩干」で春、水辺。「客」は人倫。

 

二十句目

 

   客よびて塩干ながらのいかなます

 犬にをはるるあぢの村鳥     曾良

 (客よびて塩干ながらのいかなます犬にをはるるあぢの村鳥)

 

 「あぢがも」はトモエガモの異名だという。鷹狩だろう。鷹狩では犬の追い立てて飛び立った鳥を鷹に取らせる。季節が違うので相対付けであろう。春の潮干のイカ、冬の鷹狩りのあじがもが対になる。

 

季語は「あぢ」で冬、鳥類。「犬」は獣類。

 

二十一句目

 

   犬にをはるるあぢの村鳥

 城北の初雪晴るるみのぬぎて   嗒山

 (城北の初雪晴るるみのぬぎて犬にをはるるあぢの村鳥)

 

 『校本芭蕉全集 第四巻』の注に岑參の「漢王城北雪初霽」の詩が記されているので維基文庫から引用する。

 

   赴嘉州過城固縣尋永安超禪師房 岑參

 滿寺枇杷冬着花 老僧相見具袈裟

 漢王城北雪初霽 韓信臺西日欲斜

 門外不須催五馬 林中且聽演三車

 豈料巴川多勝事 爲君書此報京華

 

 一句として漢詩の趣向を借りているだけのように思える。城北は『冬の日』の「つつみかねて」の巻の四句目、

 

   歯朶の葉を初狩人の矢に負て

 北の御門をおしあけのはる    芭蕉

 

と同様、鷹狩などの外出の際は大手門ではなく搦手門から出入りしたということではないかと思う。

 

季語は「初雪」で冬、降物。「みの」は衣裳。

 

二十二句目

 

   城北の初雪晴るるみのぬぎて

 おきて火を吹かねつきがつま   芭蕉

 (城北の初雪晴るるみのぬぎておきて火を吹かねつきがつま)

 

 鐘撞は鐘撞の番をして時を知らせる人で、ネット上の「浦井祥子著『江戸の時刻と時の鐘』掲載紙:日本経済新聞(2002.5.24)」には、

 

 「時の鐘の運営も幕府の意向が強く働き、かなり制度化されていた。寛永寺に残る史料などから、鐘撞人の職が世襲である一方で鍾撞人の権利を有する株も存在していたことが分かった。」

 

とある。城北ならおそらく寛永寺であろう。鐘撞人の生活を多分想像したものだろう。

 

無季。「つま」は人倫。

 

二十三句目

 

   おきて火を吹かねつきがつま

 行かへりまよひごよばる星月夜  嵐蘭

 (行かへりまよひごよばる星月夜おきて火を吹かねつきがつま)

 

 まだ真っ暗な月のない夜、迷子になった子供を探す声がする。星月夜は暗闇のイメージで、当時は満天の星空はあまりに当たり前で、特に気に留めるようなものではなかった。

 

季語は「星月夜」で秋、夜分、天象。「まよひご」は人倫。

 

二十四句目

 

   行かへりまよひごよばる星月夜

 組でこかせば鹿驚なりけり    嗒山

 (行かへりまよひごよばる星月夜組でこかせば鹿驚なりけり)

 

 「鹿驚」が「かがし」と読む。ぶつかって何だこの野郎と倒したら案山子だった。真っ暗な星月夜にはありがちなことだ。

 

季語は「鹿驚」で秋。

 

二十五句目

 

   組でこかせば鹿驚なりけり

 山風にきびしく落る栗のいが   曾良

 (山風にきびしく落る栗のいが組でこかせば鹿驚なりけり)

 

 案山子は風で倒れたとする。栗のいがが降ってきたあたり、攻撃を受けた感じがする。

 

季語は「栗のいが」で秋。

 

二十六句目

 

   山風にきびしく落る栗のいが

 黒木ほすべき谷かげの小屋    北鯤

 (山風にきびしく落る栗のいが黒木ほすべき谷かげの小屋)

 

 炭焼き小屋であろう。黒木は皮のついた原木のことで二三週間乾燥させてから炭焼きに入る。建築で「黒木造り」というときも、皮付きの丸太のことをいう。

 谷間にある炭の原木を貯蔵する小屋に栗のいがが落ちる。

 

無季。「谷かげ」は山類。

 

二十七句目

 

   黒木ほすべき谷かげの小屋

 たがよめと身をやまかせむ物おもひ 芭蕉

 (たがよめと身をやまかせむ物おもひ黒木ほすべき谷かげの小屋)

 

 京都大原は古くから炭焼きの盛んなところで、炭だけでなく乾燥させた黒木も薪として大原女が売り歩き、都で用いる燃料を供給していた。

 

 日數ふる雪げにまさる炭竈の

     けぶりもさびし大原の里

             式子内親王(新古今集)

 

など、歌にも詠まれている。

 天和二年刊の西鶴の『好色一代男』の影響もあったのだろう。大原雑魚寝の女に成り代わって詠んだ句になっている。

 大原の雑魚寝の西鶴の記述はうわさ話に基づいて多少盛っている感じはするが、古代の歌垣の名残をとどめていたのだろう。

 もちろん原始乱婚制なんてのは論外で、歌垣は結婚相手を探すために歌などを歌い交わす祭りだった。ただ、どこの祭りでも酒が入ったりして嵌め外しすぎるものはいたというだけのことだと思う。

 芭蕉の句も、誰と結婚することになるのかという悩みにしている。

 

無季。恋。「たがよめ」「身」は人倫。

 

二十八句目

 

   たがよめと身をやまかせむ物おもひ

 あら野の百合に泪かけつつ    嵐蘭

 (たがよめと身をやまかせむ物おもひあら野の百合に泪かけつつ)

 

 『校本芭蕉全集 第四巻』の注に、

 

 雲雀たつ荒野に生ふる姫ゆりの

     何につくともなき心かな

             西行法師(山家集)

 

の歌が引用されている。

 男の側に立って、あら野の百合のような村娘に思いをかけながらも、誰かの嫁になるのだろうなと寂しく思う。

 なお、今日で百合というと女性の同性愛を指すことが多いが、これはウィキペディアによれば、

 

 「語源は1970年代、男性同性愛者向けの雑誌『薔薇族』編集長の伊藤文學が、男性同性愛者を指す薔薇族の対義語として、百合族という言葉を提唱したことによると言われている。同誌には女性読者の投稿コーナー「百合族の部屋」が設けられた。」

 

だという。今日では小説、漫画、アニメなど、様々な媒体で百合がテーマになって、男性にも女性にも人気のあるジャンルになっている。

 

季語は「百合」で夏、植物、草類。

 

二十九句目

 

   あら野の百合に泪かけつつ

 狼の番して明る夏の月      嵐竹

 (狼の番して明る夏の月あら野の百合に泪かけつつ)

 

 あら野ということで狼の番をしている。日本では牧畜がおこなわれていなかったので、馬の放牧場ではないかと思う。馬も大事だが、馬が食べてしまうあら野の百合にも泪する。『野ざらし紀行』の、

 

 道の辺の木槿は馬に喰はれけり  芭蕉

 

の心も感じさせる。

 狼は三峯山や御嶽で神使として祀られ、牧畜のない日本では嫌われ者ではなかったが、残念ながらニホンオオカミは明治三十八年(一九〇五年)、奈良県吉野郡で捕獲された若いオス(標本として現存)を最後に途絶えている。今でも狼の生存を信じる人たちはいる。

 

季語は「夏の月」で夏、夜分、天象。「狼」は獣類。

 

三十句目

 

   狼の番して明る夏の月

 水のいはやに仏きざみて     嗒山

 (狼の番して明る夏の月水のいはやに仏きざみて)

 

 摩崖仏であろう。山奥のいつ誰が作ったかわからない仏像は、狼だけが番をしている。水の岩屋は湧き水の漏る岩屋ということか。

 

無季。釈教。

二裏

三十一句目

 

   水のいはやに仏きざみて

 麦ゑます諏訪の涌湯の熱かへり  芭蕉

 (麦ゑます諏訪の涌湯の熱かへり水のいはやに仏きざみて)

 

 「ゑます」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「[1] 〘連語〙 (動詞「えむ(笑)」に尊敬の助動詞「す」の付いたもの) にっこりほほえまれる。笑顔をなさる。

  ※万葉(8C後)七・一二五七「道の辺の草深百合の花咲(ゑみ)に咲之(ゑましし)からに妻といふべしや」

  [2] 〘他サ四〙 (麦などを)水や湯などにつけたり、煮たりしてふくらませる。ふやかす。〔俚言集覧(1797頃)〕」

 

とある。米のあまりとれない昔の信州では蕎麦や麦を食べていたが、麦を炊くときはぬるま湯につけて柔らかくしてから炊いた。芭蕉も更科を旅した時に食べたのではないかと思う。

 諏訪の辺りの山の中なら洞窟に籠って仏像を刻んでいる人がいてもおかしくない。

 

無季。「諏訪」は名所。

 

三十二句目

 

   麦ゑます諏訪の涌湯の熱かへり

 おひねわびたる関のうちもの   曾良

 (麦ゑます諏訪の涌湯の熱かへりおひねわびたる関のうちもの)

 

 「おひね」はよくわからない。『校本芭蕉全集 第四巻』の注に「背負いくたびれた意か」とある。これは「追い・寝わびたる」ではないかと思う。追ってきて疲れて眠ってしまったということで、関の名刀を持って敵を追ってきて、諏訪まで来た。

 

無季。旅体。

 

三十三句目

 

   おひねわびたる関のうちもの

 何故に人の従者と身をさげて   嵐蘭

 (何故に人の従者と身をさげておひねわびたる関のうちもの)

 

 これは謡曲『安宅』だろう。安宅の関を越える時に義経は正体がばれないように従者に身をやつした。「うちもの」には交換した物という意味もある。関を越える前に衣装を交換する。

 謡曲『安宅』を題材としたものは、元禄五年の「青くても」の巻二十五句目の、

 

   我が跡からも鉦鞁うち来る

 山伏を切ッてかけたる関の前   芭蕉

 

の句もある。

 

無季。「人」「従者」「身」は人倫。

 

三十四句目

 

   何故に人の従者と身をさげて

 膳にすはれば鯛の浜焼      嗒山

 (何故に人の従者と身をさげて膳にすはれば鯛の浜焼)

 

 鯛はお膳で食べるより浜で焼いて食べた方がうまい。だから従者のふりをしていた方がいい。

 

無季。

 

三十五句目

 

   膳にすはれば鯛の浜焼

 一門の花見衣のさまざまに    北鯤

 (一門の花見衣のさまざまに膳にすはれば鯛の浜焼)

 

 一門集まっての盛大な花見とする。

 

季語は「花見」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   一門の花見衣のさまざまに

 藤をつたふる摂政の筋      嵐竹

 (一門の花見衣のさまざまに藤をつたふる摂政の筋)

 

 一門というのは藤原氏の末裔の一門だった。伊丹の鬼貫の一門が摂政の筋だったかどうかはよくわからないが。

 名門の家柄の盛大な花見を以て一巻は目出度く終わる。

 

季語は「藤」で春、植物、草類。