「御明の」の巻、解説

初表

 御明の消て夜寒や轡むし     探志

   月さしかかる庭のこね土   正秀

 旅の空国は菜をまく頃ならん   昌房

   手拭帯のしめぢからなき   盤子

 広敷の草履を人に直させて    芭蕉

   又こがしたる魚の焼やう   及肩

 

初裏

 窮屈にあごひげばかりはやし置  楚江

   轡をすかす赤金の鍔     探志

 山づたひ伊賀の上野の年ふりて  正秀

   狂歌の集をあみかかりけり  芭蕉

 出来合のものふるまはん初しぐれ 盤子

   小鳥とび立そば垣のうへ   昌房

 名月にかりそこなひし戻り馬   正秀

   新酒の酔のほきほきとして  楚江

 語る事なければ君にさし向ひ   芭蕉

   手のふるふとて書なぐる文  探志

 咲花のはれに畳の表がへ     及肩

   傘ほせる宵の春雨      昌房

 

 

二表

 かへる雁おのが一くみ打つれて  正秀

   日高にとまる足よわの旅   盤子

 見るばかり細工過たるもみ佛   楚江

   湖水を呑て胸にさはらず   芭蕉

 隠家はもの静なる勢田の橋    昌房

   鹿のおどしのつづく松明   正秀

 むさくさと太鼓咄しに月更て   探志

   名残を惜む庭のらん菊    吟松

 みちのくや勅の草紙を書仕舞   盤子

   心にたらぬかろき膳立    正秀

 相組に男所帯のきれいずき    昌房

   おはるるごとに法華あらそふ 芭蕉

 

二裏

 一振の関より西は能登の国    正秀

   浄瑠理やめて説教にする   盤子

 風筋に片はら町を吹まくり    及肩

   馬にのりても鑓をかたげる  楚江

 誰が蔵ぞ白土付るはなの春    昌房

   海から見えてのどかなる松  芭蕉

 

       参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

 

 御明の消て夜寒や轡むし     探志

 

 御明(みあかし)は灯明のことで、神仏に供える灯しのこと。どれくらいの長さ灯しておくのかはよくわからないが、火が消えることには夜も遅く、秋だと肌寒くなりクツワムシの声が聞こえてくる。

 

季語は「夜寒」で秋、夜分。「轡むし」も秋で虫類。

 

 

   御明の消て夜寒や轡むし

 月さしかかる庭のこね土     正秀

 (月さしかかる庭のこね土御明の消て夜寒や轡むし)

 

 発句が秋の夜分なので、ここで月を出すのは必然といえよう。「こね土」は水で練った土で、壁などに用いる。

 夜寒のクツワムシに月の庭はまあ普通の展開だが、プラス何か一つ欲しいという所で「こね土」にしたか。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「庭」は居所。

 

第三

 

   月さしかかる庭のこね土

 旅の空国は菜をまく頃ならん   昌房

 (旅の空国は菜をまく頃ならん月さしかかる庭のこね土)

 

 前句を宿から見た眺めとして旅体に転じる。今ごろ故郷は菜っぱの種を蒔く頃なんだろうな、と思う。

 ここまでは興行の席の句ではなく書簡のやり取りで作ったようだ。元禄四年閏八月十日付の正秀宛書簡に、「脇珍重、第三御廻し可被成候。」とある。

 発句と脇を事前に作っておくことは連歌の頃から普通に行われていた。第三は発句を突き放して展開しなくてはならず、案外難しいので、それを回避して始めようということか。

 ただ、こういう事前を作っておくやり方は無難な予定調和的な展開になりやすい。その場の苦し紛れの突飛な思い付きというのが期待できなくなる。

 

季語は「菜をまく」で秋。旅体。

 

四句目

 

   旅の空国は菜をまく頃ならん

 手拭帯のしめぢからなき     盤子

 (旅の空国は菜をまく頃ならん手拭帯のしめぢからなき)

 

 盤子は支考のことで野盤子ともいう。

 手拭帯を締める力もないというのは、畑仕事に向いてないということだろう。

 

無季。

 

五句目

 

   手拭帯のしめぢからなき

 広敷の草履を人に直させて    芭蕉

 (広敷の草履を人に直させて手拭帯のしめぢからなき)

 

 広敷(ひとしき)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「広敷」の解説」に、

 

 「① 広い座敷。広い部屋。広間。

  ※仮名草子・水鳥記(1667)一四「そこふかもよかりけん、心得たりといふままに、ひろ敷までおどり出」

  ② 江戸時代、大名屋敷の奥向き、または台所や、台所に続く部屋。また、町家でも台所やそれに続く二、三畳の間をさしていった。おひろしき。

  ※俳諧・西鶴大矢数(1681)第三二「万灯の責て光はならず共 暮に及ばは広敷を掃け」

  ③ 江戸城本丸と西の丸の大奥の側に設けられていた大奥勤務の役人の詰所。広敷用人以下の役人が詰め、大奥のすべての事務をつかさどった。おひろしき。〔明良帯録(1814)〕」

 

とある。いい所の奥方なのだろう。

 

無季。「人」は人倫。

 

六句目

 

   広敷の草履を人に直させて

 又こがしたる魚の焼やう     及肩

 (広敷の草履を人に直させて又こがしたる魚の焼やう)

 

 広敷の育ちのいい奥方の生活力のなさという点では、打越とあまり離れていない。

 

無季。

初裏

七句目

 

   又こがしたる魚の焼やう

 窮屈にあごひげばかりはやし置  楚江

 (窮屈にあごひげばかりはやし置又こがしたる魚の焼やう)

 

 窮屈はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「窮屈」の解説」に、

 

 「〘名〙 (形動)

  ① (━する) 狭かったり、堅苦しかったりして、思うように動けないこと。心身の自由を束縛されること。また、気づまりに感じること。また、そのさま。

  ※台記‐久安七年(1151)正月一日「太相為レ候二節会座一、侍レ陣、而御装束遅緩、不レ堪二窮屈一、退罷云々」

  ※談義本・教訓雑長持(1752)一「欲の皮と、肉の間へ、きうくつながら分入り」

  ※草枕(1906)〈夏目漱石〉一「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ」

  ② 疲れること。また、そのさま。疲労。

  ※台記‐康治元年(1142)五月一〇日「今日外記政也、事了、須二参内一、依二窮屈一不参、直参二高陽院一、即退出」

  ※海道記(1223頃)序「長途に疲て十日余、窮屈頻(しきり)に身をせむ」

  ③ 貧しくて思うようにならないこと。また、そのさま。〔色葉字類抄(1177‐81)〕」

 

とある。いまは堅苦しいというニュアンスが強いが、この頃は困窮の意味でも用いられていたか。おそらく牢人であろう。

 

無季。

 

八句目

 

   窮屈にあごひげばかりはやし置

 轡をすかす赤金の鍔       探志

 (窮屈にあごひげばかりはやし置轡をすかす赤金の鍔)

 

 轡(くつわ)は馬にかませて、その両側にある輪の所に手綱を繋ぐ馬具で、この輪の形は丸に十字の形のものが多かった。この形を透かしにした銅製の刀の鍔のことであろう。

 前句の顎髭生やした武士がいかにも持っていそうな物ということなのだろう。

 

無季。

 

九句目

 

   轡をすかす赤金の鍔

 山づたひ伊賀の上野の年ふりて  正秀

 (山づたひ伊賀の上野の年ふりて轡をすかす赤金の鍔)

 

 伊賀の里に逃れた落人としたか。伊賀は平家の落人伝説がある。芭蕉の祖先と思われる柘植氏も桓武平氏だとされているが、はっきりとはしない。

 

無季。「山づたひ」は山類。

 

十句目

 

   山づたひ伊賀の上野の年ふりて

 狂歌の集をあみかかりけり    芭蕉

 (山づたひ伊賀の上野の年ふりて狂歌の集をあみかかりけり)

 

 伊賀が出たものだからここは自虐ネタで、狂歌の集を編纂しようとした、とする。『冬の日』の最初の歌仙で「狂句こがらし」と自称しているから、本当は狂句の集だが。

 

無季。

 

十一句目

 

   狂歌の集をあみかかりけり

 出来合のものふるまはん初しぐれ 盤子

 (出来合のものふるまはん初しぐれ狂歌の集をあみかかりけり)

 

 「初しぐれ」というとこの頃公刊されたばかりの撰集『猿蓑』の巻頭発句を連想させるが、「出来合のもの」をふるまう所で芭蕉さんではないとわかるようにする。芭蕉はかつての藤堂藩の料理人で、食にはうるさい。

 

季語は「初しぐれ」で冬、降物。

 

十二句目

 

   出来合のものふるまはん初しぐれ

 小鳥とび立そば垣のうへ     昌房

 (出来合のものふるまはん初しぐれ小鳥とび立そば垣のうへ)

 

 蕎麦掻は蕎麦を餅状にしたもので、これを細く切ると蕎麦切りになり、今日の蕎麦になる。

 ここでは蕎麦掻と側垣を掛けて、初しぐれで雨宿りしたところで出来合いの蕎麦掻をふるまわれ、雨が止むと小鳥が側垣から飛び立って行くように、旅人は旅立って行く。

 

無季。「小鳥」は鳥類。

 

十三句目

 

   小鳥とび立そば垣のうへ

 名月にかりそこなひし戻り馬   正秀

 (名月にかりそこなひし戻り馬小鳥とび立そば垣のうへ)

 

 お月見にやって来たが帰りの馬の手配しそこなった。小鳥は飛び立ってゆくが自分は飛び立ちかねつ鳥にしあらねば。

 

季語は「名月」で秋、夜分、天象。「馬」は獣類。

 

十四句目

 

   名月にかりそこなひし戻り馬

 新酒の酔のほきほきとして    楚江

 (名月にかりそこなひし戻り馬新酒の酔のほきほきとして)

 

 「ほきほき」は「ほぎほぎ」で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ほぎほぎ」の解説」に、

 

 「〘副〙 (多く「と」を伴って用いる)

  ① めでたくはなやかなさまを表わす語。

  ※浮世草子・猿源氏色芝居(1718)三「よいといはれぬやくしゃは、江戸・大坂の舞台も、一あたりはほぎほぎとするやうでも」

  ② 陽気に酔いのまわるさまを表わす語。ほきほき。

  ※浮世草子・好色美人角力(1696頃)一「はやもて出るおさかづき〈略〉ほしてはさし、さはりてはおさへ、たがひにかほもほぎほぎと成けり」

 

とある。②の方であろう。

 戻り馬を借りそこなったのを新酒が旨かったからだとした。

 

季語は「新酒」で秋。

 

十五句目

 

   新酒の酔のほきほきとして

 語る事なければ君にさし向ひ   芭蕉

 (語る事なければ君にさし向ひ新酒の酔のほきほきとして)

 

 会話が持たずについつい酒ばかり飲んでしまう。男にはよくあることだ。

 

無季。恋。「君」は人倫。

 

十六句目

 

   語る事なければ君にさし向ひ

 手のふるふとて書なぐる文    探志

 (語る事なければ君にさし向ひ手のふるふとて書なぐる文)

 

 書きなぐったような下手な字を、手が震えてたと言い訳する。話も下手なら字も汚い。せめてイケメンならというところか。

 

無季。恋。

 

十七句目

 

   手のふるふとて書なぐる文

 咲花のはれに畳の表がへ     及肩

 (咲花のはれに畳の表がへ手のふるふとて書なぐる文)

 

 絶好の花見日和にわざわざ畳替えをするとは、よほど去年の花見客がひどかったんだろうな。手の震えは怒りで震えてたりして。

 

季語は「咲花」で春、植物、木類。

 

十八句目

 

   咲花のはれに畳の表がへ

 傘ほせる宵の春雨        昌房

 (咲花のはれに畳の表がへ傘ほせる宵の春雨)

 

 唐傘を干すと雨が降る。今だと洗車をすると雨が降るというようなことか。

 前句を桜が咲いてようやく晴れたと思ったら畳替えを予定していた日だった、ということにして、間の悪い奴、ということにした。

 

季語は「春雨」で春、降物。

二表

十九句目

 

   傘ほせる宵の春雨

 かへる雁おのが一くみ打つれて  正秀

 (かへる雁おのが一くみ打つれて傘ほせる宵の春雨)

 

 前句を春雨が止んで傘を干せる宵になったとして、帰る雁の一団が飛んで行くのが見えるとする。

 

季語は「かへる雁」で春、鳥類。

 

二十句目

 

   かへる雁おのが一くみ打つれて

 日高にとまる足よわの旅     盤子

 (かへる雁おのが一くみ打つれて日高にとまる足よわの旅)

 

 「日高(ひだか)」は『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注に、「まだ日の高いうちに」とある。足が弱くて一日歩き続けられず、日の高いうちに宿につく。

 ゆっくり行く旅人と帰る雁とを対比させる。

 

無季。旅体。

 

二十一句目

 

   日高にとまる足よわの旅

 見るばかり細工過たるもみ佛   楚江

 (見るばかり細工過たるもみ佛日高にとまる足よわの旅)

 

 籾仏はネット上だと香川県の旭林山本念寺のホームページで見ることができる。籾殻を後光とした米粒大の小さな仏像だ。

 前句の「日高にとまる」を泊るのではなく、単に足を止めるとする。

 

無季。釈教。

 

二十二句目

 

   見るばかり細工過たるもみ佛

 湖水を呑て胸にさはらず     芭蕉

 (見るばかり細工過たるもみ佛湖水を呑て胸にさはらず)

 

 これは取成し句で、前句を「見るばかり細工過たるも、御仏」としたか。良く出来た仏像で、湖の底に沈んでたのが発見された。寺の起源とかによくある霊験譚だ。

 

無季。「湖水」は水辺。

 

二十三句目

 

   湖水を呑て胸にさはらず

 隠家はもの静なる勢田の橋    昌房

 (隠家はもの静なる勢田の橋湖水を呑て胸にさはらず)

 

 琵琶湖の南端に掛かる勢田の橋の辺りに隠れ家を構えている人は、琵琶湖の水を飲んでいる。

 

無季。「隠家」は居所。「勢田の橋」は名所、水辺。

 

二十四句目

 

   隠家はもの静なる勢田の橋

 鹿のおどしのつづく松明     正秀

 (隠家はもの静なる勢田の橋鹿のおどしのつづく松明)

 

 鹿脅しといってもここではあの「ししおどし」ではなく、松明を並べて鹿除けにしているということ。

 

季語は「鹿のおどし」で秋。「松明」は夜分。

 

二十五句目

 

   鹿のおどしのつづく松明

 むさくさと太鼓咄しに月更て   探志

 (むさくさと太鼓咄しに月更て鹿のおどしのつづく松明)

 

 「むさくさ」は多義でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「むさくさ」の解説」に、

 

 「[1] 〘副〙 (「と」を伴って用いることもある)

  ① 毛などが多く乱れているさまを表わす語。むしゃくしゃ。

  ※俳諧・ゆめみ草(1656)夏「むさくさとはへ茂りけりぜうか髭〈二郎八〉」

  ② むさくるしいさまを表わす語。

  ※浮世草子・御伽名代紙衣(1738)一「むさくさした唐人などを相手にする丸山とはちがひ」

  ③ 気持が沈んで晴れないさまを表わす語。

  ※俳諧・望一千句(1649)三「籠(かご)にかふもいまだちいさき雀にて いとうつくしき姫のむさくさ」

  ※浮世草子・世間長者形気(1754)五「むさくさとせし迷ひを晴れなん」

  ④ 秩序なくやたらにしゃべったり行なったりするさまを表わす語。むちゃくちゃに。

  ※天理本狂言・悪太郎(室町末‐近世初)「六七はいのふでから、そろそろ、むさくさ云也」

  [2] 〘形動〙 無謀であるさま。でたらめであるさま。むちゃくちゃ。

  ※日葡辞書(1603‐04)「Musacusana(ムサクサナ) ウマノリニ ユキヤウタ。〈略〉 Musacusana(ムサクサナ) コトヲ ユウ、または、スル」

  [3] 気持が晴れないこと。鬱憤。

  ※俳諧・鷹筑波(1638)一「すぢりもぢれる心むつかし ほとほるか子はむさくさをいひ出て〈日如〉」

 

とある。この場合は「咄」を言うので④の意味であろう。

 太鼓咄はよくわからない。太鼓についての薀蓄話なのか、太鼓のようにどんどん鳴らすような話し方なのか。前句の物々しい雰囲気に、武家か何かとしたのだろう。

 

季語は「月更て」で秋、夜分、天象。

 

二十六句目

 

   むさくさと太鼓咄しに月更て

 名残を惜む庭のらん菊      吟松

 (むさくさと太鼓咄しに月更て名残を惜む庭のらん菊)

 

 「らん菊」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「乱菊」の解説」に、

 

 「① 長い花弁が入り乱れて咲いている菊の花。また、その模様。《季・秋》

  ※俳諧・誹諧初学抄(1641)末秋「らんきく 猩(しゃう)々菊」

  ② 紋所の名。①を図案化したもの。

  ③ =らんぎく(蘭菊)②

  ※雑俳・川柳評万句合‐宝暦一二(1762)仁五「乱菊へもとった跡はあけらこん」

 

とある。この③の蘭菊のところには、

 

 「① 植物「だんぎく(段菊)」の異名。

  ※日蓮遺文‐開目抄(1272)「南三北七の異執をこりて蘭菊なりし」

  ② (「白居易‐凶宅詩」の「梟鳴二松桂枝一、狐蔵二蘭菊叢一」から) 狐(きつね)を導きだすことばとして用いる。乱菊。

  ※曾我物語(南北朝頃)五「故郷を見るに、いつしか三年にあれはてて、鳥、松桂の枝にすくひ、狐、らんぎくの草むらにかくる」

 

 この曽我物語の用例が気になるところだ。太鼓咄はあるいは出陣の話だとか、勇ましい話とかいう意味だったのかもしれない。庭の乱菊に別れを告げる。

 

季語は「らん菊」で秋、植物、草類。「庭」は居所。

 

二十七句目

 

   名残を惜む庭のらん菊

 みちのくや勅の草紙を書仕舞   盤子

 (みちのくや勅の草紙を書仕舞名残を惜む庭のらん菊)

 

 勅の草紙は勅撰集のことか。撰を終えて陸奥へ旅立つ。特に出典になった故事はなさそうだ。

 

無季。

 

二十八句目

 

   みちのくや勅の草紙を書仕舞

 心にたらぬかろき膳立      正秀

 (みちのくや勅の草紙を書仕舞心にたらぬかろき膳立)

 

 左遷の身で、特別な送別会もなく、ということか。

 

無季。

 

二十九句目

 

   心にたらぬかろき膳立

 相組に男所帯のきれいずき    昌房

 (相組に男所帯のきれいずき心にたらぬかろき膳立)

 

 「相組(あひぐみ)」は『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注に「仲間・同類」とある。

 男所帯の綺麗好きは、掃除が得意というよりはいかに汚さないかにぴりぴりしている。油料理などもってのほかで、皿なども汚したくないから簡単なものしか作らない。今でいえば車に乗る時に靴を脱げというような輩だ。

 

無季。「相組」は人倫。

 

三十句目

 

   相組に男所帯のきれいずき

 おはるるごとに法華あらそふ   芭蕉

 (相組に男所帯のきれいずきおはるるごとに法華あらそふ)

 

 何か追及されるとそのたびに法華経を持ち出して反論する、ということか。日蓮の徒はあまり人と妥協しないというイメージがあったのだろう。

 

無季。釈教。

二裏

三十一句目

 

   おはるるごとに法華あらそふ

 一振の関より西は能登の国    正秀

 (おはるるごとに法華あらそふ一振の関より西は能登の国)

 

 日像の北陸布教のことか。コトバンクの「朝日日本歴史人物事典「日像」の解説」に、

 

 「没年:康永1/興国3.11.13(1342.12.11)

生年:文永6(1269)

鎌倉後期の日蓮宗の僧。日蓮宗最初の京都弘通(布教)を行い,妙顕寺を拠点に教団発展の礎を築いた。京都妙顕寺開山,肥後房,肥後阿闍梨と号す。下総国(千葉県)平賀氏の出自。7歳で日朗に師事。のち身延の日蓮の弟子となり経一丸を賜り本尊を授与される。日蓮の滅後,肥後房日像と名乗り日朗のもとで研鑽。永仁1(1293)年,日蓮の遺命を奉じて京都布教を決行,日蓮の遺跡を巡拝しつつ北陸を経て同2年に上洛した。その途次,能登の真言僧を帰伏させ日乗と名乗らせた。」

 

とある。日蓮の流刑地の佐渡を経由して能登に入ったという。

 

無季。釈教。「市振」「能登」は名所。

 

三十二句目

 

   一振の関より西は能登の国

 浄瑠理やめて説教にする     盤子

 (一振の関より西は能登の国浄瑠理やめて説教にする)

 

 東は薬師如来の浄瑠璃世界、西は阿弥陀如来の西方浄土。ここでは旅芸人が市振の関を越えたら古浄瑠璃の三味線語りをやめて説教節に出し物を変える、とする。

 

無季。釈教。

 

三十三句目

 

   浄瑠理やめて説教にする

 風筋に片はら町を吹まくり    及肩

 (風筋に片はら町を吹まくり浄瑠理やめて説教にする)

 

 片はら町は片側町と同じか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「片側町」の解説」に、

 

 「〘名〙 道路の片側にだけ家並みがある町。片町。片通り。

  ※俳諧・富士石(1679)三「しられけり片頬(カハ)町の秋の暮〈宗也〉」

 

とある。

 片側町は古い町の形態で、商業が発展するにつれて道の両側にできた町が一つの町に合わさって両側町になったという。

 片側町の場合は道の反対側は川や海や農地だったりする。町の前を通る道路に風を遮るものがなくて、「吹まくり」になる。

 前句の浄瑠璃を簡易舞台による人形芝居として、風が強くて舞台が設営できないということか。

 

無季。

 

三十四句目

 

   風筋に片はら町を吹まくり

 馬にのりても鑓をかたげる    楚江

 (馬にのりても鑓をかたげる風筋に片はら町を吹まくり)

 

 大名行列の槍持奴は雨が降っても、

 

 鑓持の猶振たつるしぐれ哉    正秀

 

だが、風が強いと馬に乗って担ぐこともあったのか。

 

無季。「馬」は獣類。

 

三十五句目

 

   馬にのりても鑓をかたげる

 誰が蔵ぞ白土付るはなの春    昌房

 (馬にのりても鑓をかたげる誰が蔵ぞ白土付るはなの春)

 

 昔の桜は山桜で白かったが、土蔵の白壁が花のように白くてこの世の春を謳歌している。

 前句を槍持ちが出世したとする。

 

季語は「花の春」で春、植物、木類。「誰」は人倫。

 

挙句

 

   誰が蔵ぞ白土付るはなの春

 海から見えてのどかなる松    芭蕉

 (誰が蔵ぞ白土付るはなの春海から見えてのどかなる松)

 

 前句を船旅で、海から見た景色とし、千歳の松を添えて目出度く一巻は終わる。

 

季語は「のどか」で春。旅体。「海」は水辺。