「秋の空」の巻、解説

初表

 秋の空尾上の杉に離れたり    其角

   おくれて一羽海わたる鷹   孤屋

 朝霧に日雇揃る貝吹て      孤屋

   月の隠るる四扉の門     其角

 祖父が手の火桶も落すばかり也  其角

   つたひ道には丸太ころばす  孤屋

 

初裏

 下京は宇治の糞舩さしつれて   孤屋

   坊主の着たる蓑はおかしき  其角

 足軽の子守して居る八つ下り   孤屋

   息吹かへす霍乱の針     其角

 田の畔に早苗把て投て置     孤屋

   道者のはさむ編笠の節    其角

 行燈の引出さがすはした銭    孤屋

   顔に物着てうたたねの月   其角

 鈴繩に鮭のさはればひびく也   孤屋

   鴈の下たる筏ながるる    其角

 貫之の梅津桂の花もみぢ     孤屋

   むかしの子ありしのばせて置 其角

 

 

二表

 いさ心跡なき金のつかひ道    其角

   宮の縮のあたらしき内    孤屋

 夏草のぶとにさされてやつれけり 其角

   あばたといへば小僧いやがる 孤屋

 年の豆蜜柑の核も落ちりて    其角

   帯ときながら水風呂をまつ  孤屋

 君来ねばこはれ次第の家となり  其角

   稗と塩との片荷つる籠    孤屋

 辛崎へ雀のこもる秋のくれ    其角

   北より冷る月の雲行     孤屋

 紙燭して尋て来たり酒の銭    其角

   上塗なしに張てをく壁    孤屋

 

二裏

 小栗読む片言まぜて哀なり    其角

   けふもだらつく浮前のふね  孤屋

 

       参考:『芭蕉七部集』(中村俊定注、岩波文庫、1966)

初表

発句

 

 秋の空尾上の杉に離れたり    其角

 

 「尾上の松」は名所だが、ここはただの杉で旅体と見ていいだろう。秋の変わりやすい空模様に無事に峠を越え、尾上の杉のもとを離れる。

 元禄六年八月二十九日に其角は父の東順を亡くしている。そんな死出の旅路に思いを馳せていたのかもしれない。

 

季語は「秋の空」で秋。「尾上」は山類。「杉」は植物、木類。

 

 

   秋の空尾上の杉に離れたり

 おくれて一羽海わたる鷹     孤屋

 (秋の空尾上の杉に離れたりおくれて一羽海わたる鷹)

 

 人も旅するように、鷹もまた海を渡って行く。発句に特に何か寓意を読むわけでもなく、軽く景を付けるが、「海わたる鷹」に孤独な旅を暗示させている。

 

季語は「わたる鷹」で秋、鳥類。「海」は水辺。

 

第三

 

   おくれて一羽海わたる鷹

 朝霧に日雇揃る貝吹て      孤屋

 (朝霧に日雇揃る貝吹ておくれて一羽海わたる鷹)

 

 日雇(ひよう)は港の人足であろう。船が入るというのでほら貝を吹いて召集する。遅れて鷹も一羽飛来する。

 

季語は「朝霧」で秋、聳物。「日雇」は人倫。

 

四句目

 

   朝霧に日雇揃る貝吹て

 月の隠るる四扉の門       其角

 (朝霧に日雇揃る貝吹て月の隠るる四扉の門)

 

 前句の日雇が大勢集まるような場所ということで、月も隠れるような大きな門で、扉が四枚もある、とする。実際そういう門があるのかどうかはよくわからない。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「門」は居所。

 

五句目

 

   月の隠るる四扉の門

 祖父が手の火桶も落すばかり也  其角

 (祖父が手の火桶も落すばかり也月の隠るる四扉の門)

 

 祖父には「ぢぢ」とルビがある。

 四扉の門は『芭蕉七部集』の中村注に、「二枚を蝶番いでくくったのを双方から合わせた門の扉」とある。

 ここでは月の隠れるようなもんではなく、月が隠れて暗くなった四扉の門で、小さの隠居所の門であろう。寒くて火桶を近くに置こうとするが、ちょっと持ち上げては落してヲ繰り返す。

 

季語は「火桶」で冬。「祖父」は人倫。

 

六句目

 

   祖父が手の火桶も落すばかり也

 つたひ道には丸太ころばす    孤屋

 (祖父が手の火桶も落すばかり也つたひ道には丸太ころばす)

 

 よろよろとした爺さんは火桶を持とうとすると落すし、細い山道を行けば丸太で転ぶ。

 

無季。

初裏

七句目

 

   つたひ道には丸太ころばす

 下京は宇治の糞舩さしつれて   孤屋

 (下京は宇治の糞舩さしつれてつたひ道には丸太ころばす)

 

 前句の「丸太ころばす」を重いものを移動させる際の丸太を倒して並べておくことと取り成し、宇治に肥料用の糞(こえ)を運ぶ船を陸に上げる。

 下京の糞便は宇治に運ばれて肥料として利用されてたようだ。

 

無季。「宇治」は名所。「糞舩」は水辺。

 

八句目

 

   下京は宇治の糞舩さしつれて

 坊主の着たる蓑はおかしき    其角

 (下京は宇治の糞舩さしつれて坊主の着たる蓑はおかしき)

 

 京はお坊さんの多い所だが、寺の便所の糞便を運ぶときは蓑を着ていたのだろうか。

 

無季。釈教。「坊主」は人倫。「蓑」は衣裳。

 

九句目

 

   坊主の着たる蓑はおかしき

 足軽の子守して居る八つ下り   孤屋

 (坊主の着たる蓑はおかしき足軽の子守して居る八つ下り)

 

 八つの下刻というと春分秋分の頃なら午後二時過ぎの昼下がり。見た目は厳つい足軽も子守をしている。

 坊主の蓑の不釣り合いに、足軽の子守の不釣り合いを付ける相対付けになる。

 

無季。「足軽」は人倫。

 

十句目

 

   足軽の子守して居る八つ下り

 息吹かへす霍乱の針       其角

 (足軽の子守して居る八つ下り息吹かへす霍乱の針)

 

 霍乱(かくらん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「霍乱」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「きかくりょうらん(揮霍撩乱)」の略。もがいて手を激しく振り回す意から) 暑気あたりによって起きる諸病の総称。現在では普通、日射病をさすが、古くは、多く、吐いたりくだしたりする症状のものをいう。今日の急性腸カタルなどの類をいったか。《季・夏》

  ※正倉院文書‐宝亀三年(772)五月・田部国守解「以二国守当月十四日霍乱一、起居不レ得」

  ※浮世草子・世間胸算用(1692)一「夏くはくらんを患ひてせんかたなく、衣を壱匁八分の質に置けるが」 〔漢書‐厳助伝〕」

 

とある。必ずしも霍乱=日射病ではないようだ。針を打って治す。

 

無季。「霍乱」は夏。

 

十一句目

 

   息吹かへす霍乱の針

 田の畔に早苗把て投て置     孤屋

 (田の畔に早苗把て投て置息吹かへす霍乱の針)

 

 田植の最中に熱中症で倒れたが、大事な早苗は畔に投げて水に浸からないようにする。

 

季語は「早苗」で夏。

 

十二句目

 

   田の畔に早苗把て投て置

 道者のはさむ編笠の節      其角

 (田の畔に早苗把て投て置道者のはさむ編笠の節)

 

 「編笠の節」は『芭蕉七部集』の中村注に、「小唄の編笠節。はさむは順礼が御詠歌の間にはさんで歌う意。」とある。「歌謡遺産 歌のギャラリー」というブログによると、天正から慶長の頃にはやった小唄で、一節切(ひとよぎり)に合わせて唄ったという。

 百姓が田植をする中を順礼の僧が古い小唄を口ずさみながら通り過ぎて行く。

 

無季。旅体。釈教。「道者」は人倫。

 

十三句目

 

   道者のはさむ編笠の節

 行燈の引出さがすはした銭    孤屋

 (行燈の引出さがすはした銭道者のはさむ編笠の節)

 

 順礼僧が托鉢に来たので、行燈についている引き出しからはした銭を渡すということか。

 

無季。「行燈」は夜分。

 

十四句目

 

   行燈の引出さがすはした銭

 顔に物着てうたたねの月     其角

 (行燈の引出さがすはした銭顔に物着てうたたねの月)

 

 昼寝しているのをいいことに、勝手に行燈の引き出しから銭を持って行く。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十五句目

 

   顔に物着てうたたねの月

 鈴繩に鮭のさはればひびく也   孤屋

 (鈴繩に鮭のさはればひびく也顔に物着てうたたねの月)

 

 鈴繩は『芭蕉七部集』の中村注に『標註七部集稿本』(夏目成美著、文化十三年以前成立)の引用し、「鮭をとるには川中に竹を立て水をせく。是をトメといふ。その側に網をはり鈴を付置きて魚のあみに入りたるを知る也。」とある。今でも釣り竿に鈴をつけてアタリ取りに用いるが、それに似ている。

 網を仕掛けてなかなかかからずに寝てしまった漁師に、鮭がかかったのを知らせる。

 

季語は「鮭」で秋、水辺。

 

十六句目

 

   鈴繩に鮭のさはればひびく也

 鴈の下たる筏ながるる      其角

 (鈴繩に鮭のさはればひびく也鴈の下たる筏ながるる)

 

 鮭を取っているとそれを横取りしようと鴈(ガン)がやってくるが、筏に乗ってくるところが一つの取り囃しだ。

 

季語は「鴈」で秋、鳥類。「筏」は水辺。

 

十七句目

 

   鴈の下たる筏ながるる

 貫之の梅津桂の花もみぢ     孤屋

 (貫之の梅津桂の花もみぢ鴈の下たる筏ながるる)

 

 『芭蕉七部集』の中村注は『標註七部集』(惺庵西馬述・潜窓幹雄編、元治元年)により、紀貫之の大井川御幸和歌序を引いている。『古今著聞集』巻第十四遊覧廿二にあるもので、Wikisuourceから引用する。

 

 「あはれわが君の御代、なが月のこゝぬかと昨日いひて、のこれる菊見たまはん、またくれぬべきあきをおしみたまはんとて、月のかつらのこなた、春の梅津より御舟よそひて、わたしもりをめして、夕月夜小倉の山のほとり、ゆく水の大井の河邊に御ゆきし給へば、久かたの空には、たなびける雲もなく、みゆきをさぶらひ、ながるゝ水ぞ、そこににごれる塵なくて、おほむ心にぞかなへる。いま御ことのりしておほせたまふことは、秋の水にうかびては、ながるゝ木葉とあやまたれ、秋の山をみれば、をりひまなき錦とおもほえ、もみぢの葉のあらしにちりて、もらぬ雨ときこえ、菊の花の岸にのこれるを、空なる星とおどろき、霜の鶴河邊にたちて雲のおるかとうたがはれ、夕の猿山のかひになきて、人のなみだをおとし、たびの雁雲ぢにまどひて玉札と見え、あそぶかもめ水にすみて人になれたり。入江の松いく世へぬらん、といふ事をぞよませたまふ。我らみじかき心の、このもかのもとまどひ、つたなきことの葉、吹風の空にみだれつゝ、草のはの露ともに涙おち、岩波とゝもによろこぼしき心ぞたちかへる。このことの葉、世のすゑまでのこり、今をむかしにくらべて、後のけふをきかん人、あまのたくなわくり返し、しのぶの草のしのばざらめや。」

 

 大井川は今の桂川で嵯峨野の南、松尾大社の対岸の辺りになる。

 貫之ではないが、

 

 久方の月の桂も秋は猶

     もみちすれはやてりまさるらむ

              壬生忠峯(古今集)

 

の歌もあり、月にある伝説の桂の木も紅葉すれば光輝く。それを紅葉の名所桂川に掛けているわけだが、花の定座なので「花もみぢ」とする。

 

無季。「花もみぢ」は植物、木類。「梅津桂」は名所。

 

十八句目

 

   貫之の梅津桂の花もみぢ

 むかしの子ありしのばせて置   其角

 (むかしの子ありしのばせて置貫之の梅津桂の花もみぢ)

 

 紀貫之には土佐守として赴任していた時に子供を亡くし、

 

 みやこへと思ふ心のわびしきは

     かへらぬ人のあればなりけり

 

と詠んだという伝承が『今昔物語』にある。

 梅津桂の花紅葉を見ても、その子を偲び、悲しくなる。

 

無季。「子」は人倫。

二表

十九句目

 

   むかしの子ありしのばせて置

 いさ心跡なき金のつかひ道    其角

 (いさ心跡なき金のつかひ道むかしの子ありしのばせて置)

 

 「いさ心」は「いさ心も知らず」の略か。子供が亡くなって、残す必要もなくなった財産をどうしようか。

 

無季。

 

二十句目

 

   いさ心跡なき金のつかひ道

 宮の縮のあたらしき内      孤屋

 (宮の縮のあたらしき内いさ心跡なき金のつかひ道)

 

 縮(ちぢみ)は縮み織りのこと。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「縮織」の解説」に、

 

 「〘名〙 織地の一つ。よりの強い緯(よこいと)を用い、織り上げた後に温湯の中でもんで処理してしわ寄せをしてちぢませた織物。絹、木綿、麻のものがあり、明石産や小千谷(おぢや)産のものが有名。夏の服装に多く用いられる。縮地。ちぢみ。」

 

とある。『芭蕉七部集』の中村注に「近江国犬上郡高宮の名産高宮縮」とある。近江ちぢみのことであろう。

 高宮は高宮布が名産品で、貝原益軒の『東路記』にも「高宮の町に、布を多くうる。」とある。

 高宮布はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「高宮布」の解説」に、

 

 「〘名〙 滋賀県彦根市高宮付近で産出される麻織物。奈良晒(ならざらし)の影響を受けてはじめられ、近世に広く用いられた。高宮。〔俳諧・毛吹草(1638)〕」

 

とある。この麻織物は生平(きびら)とも呼ばれ、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「生平・黄平」の解説」に、

 

 「〘名〙 からむしの繊維で平織りに織り、まだ晒(さら)してないもの。上質であるため、多く帷子(かたびら)や羽織に用いる。滋賀県彦根市高宮付近から多く産出した。大麻の繊維を用いることもある。《季・夏》

  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)五「生平のかたびら添てとらすべし」」

 

とある。近江ちぢみはそれを発展させたもので、麻で織る。

 前句の「いさ心跡なき」を心の跡を残すことなき(思い残すことのない)という意味に取り成して、新しい近江ちぢみの服を仕立てる。

 

無季。「宮の縮」は衣裳。

 

二十一句目

 

   宮の縮のあたらしき内

 夏草のぶとにさされてやつれけり 其角

 (夏草のぶとにさされてやつれけり宮の縮のあたらしき内)

 

 「ぶと」はブヨ(ブユ)のこと。夏の頃の前の頃にはブヨも出てくる。

 

季語は「夏草」で夏、植物、草類。「ぶと」は虫類。

 

二十二句目

 

   夏草のぶとにさされてやつれけり

 あばたといへば小僧いやがる   孤屋

 (夏草のぶとにさされてやつれけりあばたといへば小僧いやがる)

 

 ブヨに刺されただけなのに天然痘のあばた(いも)と間違えられるのが苦痛。

 

無季。「小僧」は人倫。

 

二十三句目

 

   あばたといへば小僧いやがる

 年の豆蜜柑の核も落ちりて    其角

 (年の豆蜜柑の核も落ちりてあばたといへば小僧いやがる)

 

 節分の豆まきをする頃に、正月飾りのミカンのヘタが落ちて窪みだけになっていて、それをあばただと言ってあばたのある小僧をいじったりする。

 

季語は「年の豆」で冬。

 

二十四句目

 

   年の豆蜜柑の核も落ちりて

 帯ときながら水風呂をまつ    孤屋

 (年の豆蜜柑の核も落ちりて帯ときながら水風呂をまつ)

 

 帯を解いて服を脱ぐと、一緒に豆まきの豆やミカンのヘタが落ちる。

 水風呂は湯船にお湯を張った風呂で、蒸し風呂に対して言う。

 

無季。「帯」は衣裳。

 

二十五句目

 

   帯ときながら水風呂をまつ

 君来ねばこはれ次第の家となり  其角

 (君来ねばこはれ次第の家となり帯ときながら水風呂をまつ)

 

 壊れ次第の家というと『源氏物語』蓬生を思わせる。当時は水風呂の習慣がなかったから、これは今風に作り変えたもので、水風呂は寺などに多いが、庶民の物としては贅沢という所からの発想であろう。

 

無季。恋。「君」は人倫。「家」は居所。

 

二十六句目

 

   君来ねばこはれ次第の家となり

 稗と塩との片荷つる籠      孤屋

 (君来ねばこはれ次第の家となり稗と塩との片荷つる籠)

 

 塩売は内陸部に塩を売りに旅をする。その先々に女がいてもおかしくない。

 塩売が通って来るから何とか稗飯を食いながら暮らしているが、来なくなったらどうしていいやら。

 「片荷つる」は『芭蕉七部集』の中村注に、「片方の荷が重くて平衡を失うこと」とある。塩は重く稗は軽い。

 筆者は実際運送の仕事をしていたからわかるが、塩はめちゃ重い。

 

季語は「稗」で秋。

 

二十七句目

 

   稗と塩との片荷つる籠

 辛崎へ雀のこもる秋のくれ    其角

 (辛崎へ雀のこもる秋のくれ稗と塩との片荷つる籠)

 

 志賀辛崎の冬は厳しく、

 

 さざなみや志賀の辛崎風さえて

     比良の高嶺に霰降るなり

              藤原忠通(新古今集)

 冬寒み比良の高嶺に月さえて

     さざなみ凍る志賀の辛崎

              後鳥羽院(正治初度百首)

 

などの歌にも詠まれている。

 志賀の辛崎を行く塩売も秋の暮ともなれば辛そうだ。

 

季語は「秋のくれ」で秋。「辛崎」は名所。「雀」は鳥類。

 

二十八句目

 

   辛崎へ雀のこもる秋のくれ

 北より冷る月の雲行       孤屋

 (辛崎へ雀のこもる秋のくれ北より冷る月の雲行)

 

 辛崎に凍月は付き物と言って良い。「北より冷る」は比良の嶺を吹き下ろす風を言う。雲は時雨の雲であろう。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「雲」は聳物。

 

二十九句目

 

   北より冷る月の雲行

 紙燭して尋て来たり酒の銭    其角

 (紙燭して尋て来たり酒の銭北より冷る月の雲行)

 

 北風の冷たい寒い夜、月も雲に隠れたのにわざわざ紙燭を灯して酒を買いに来る人がいる。俗世の辛いことを思い出して眠れない隠士だろうか。

 

無季。「紙燭」は夜分。

 

三十句目

 

   紙燭して尋て来たり酒の銭

 上塗なしに張てをく壁      孤屋

 (紙燭して尋て来たり酒の銭上塗なしに張てをく壁)

 

 粗壁(あらかべ)のまま、ということだろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「粗壁」の解説」に、

 

 「〘名〙 粗塗(あらぬり)をしただけで、仕上げをしていない壁。しっくい塗りや砂壁などの下地となる。

  ※俳諧・ひさご(1690)「火を吹て居る禅門の祖父(ぢぢ)〈正秀〉 本堂はまだ荒壁のはしら組〈珍碩〉」

 

とある。

 酒ばかり飲んでいたので塀が完成する前に金がなくなったか。まあ、ある意味コンクリートの打ちっ放しみたいにお洒落かもしれないが。

 

無季。「壁」は居所。

二裏

三十一句目

 

   上塗なしに張てをく壁

 小栗読む片言まぜて哀なり    其角

 (小栗読む片言まぜて哀なり上塗なしに張てをく壁)

 

 小栗判官は説教節だが延宝三年に出版された正本版もあった。

 田舎暮らしの隠士が、子供たちを集めて小栗判官の読み聞かせをやったのだろう。本に書かれた都言葉に土地の方言を交えながら語る姿は、いかにも辺鄙な地に来てしまったという哀愁を漂わせる。

 

無季。

 

三十二句目

 

   小栗読む片言まぜて哀なり

 けふもだらつく浮前のふね    孤屋

 (小栗読む片言まぜて哀なりけふもだらつく浮前のふね)

 

 浮前(うけまへ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「浮前」の解説」に、

 

 「〘名〙 船出の前。また、船が陸に引き揚げられていること。

  ※俳諧・炭俵(1694)下「小栗読む片言まぜて哀なり〈其角〉 けふもだらつく浮前(ウケマヘ)のふね〈孤屋〉」

 

とある。

 天候のせいか何かでなかなか船が出ないのだろう。小栗判官を読むが言葉がよくわからない。

 

無季。「ふね」は水辺。