「其富士や」の巻、解説

五月晦日會

初表

 其富士や五月晦日二里の旅    素堂

   茄子小角豆も己が色しる   露沾

 鷹の子の雲雀に爪のかたまりて  芭蕉

   家より庭の広き住なし    沾荷

 晨朝は汀の楼の水にあり     沾圃

   芭蕉の露のかかる張物    虚谷

 

初裏

 魂祭麻殻の火も夕なり      執筆

   村の径の分るやま本     素堂

 松すねていがきさびたる神所   露沾

   傘の袋をほどくはつ雪    芭蕉

 乗人の心になりし駒の足     沾荷

   絵にうつされぬ象潟の海   沾圃

 浜寺に餝り落たる仏達      虚谷

   土圭にはやし秋の日の影   露沾

 月白くそめいろの山は遥にて   素堂

   霧間分ゆく猿の寐所     沾荷

 花暗く岩ほの躑躅明らかに    芭蕉

   船に氷の解る早川      虚谷

 

 

二表

 鵜の眠る出崎の春の静さよ    露沾

   罪なくて見む知らぬひの果  素堂

 僧ひとり風呂敷包枕にて     沾圃

   またるる門やとり違ふらん  芭蕉

 恋の闇釣瓶のめぐる車井戸    沾荷

   明てはうさも蚊火の勢ひ   露沾

 双六の石ちらし置壇のうへ    虚谷

   笑ひを興に羽織はかるる   沾圃

 行燈の矢筈の紋に諂ひて     芭蕉

   古くなるほど枝たるる松   沾荷

 朝数奇に月を残せる奈良の町   素堂

   蚤のむしろをたたく秋風   虚谷

 

二裏

 此ごろはとり後れたる相撲取   沾圃

   みな坂本は坊主百姓     芭蕉

 朝霜に錆しままなる芦屋釜    沾荷

   赤き表紙の床に重なる    素堂

 家の形今年は花のおぐろ見て   露沾

   かづらの長き藤のはびこり  虚谷

   

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

初表

発句

 

 其富士や五月晦日二里の旅    素堂

 

 興行場所は露沾亭だったのだろう。場所は麻布にあったという。素堂は上野不忍池の辺りに住んでいて、そこから二里の旅をして露沾亭にやって来た。

 六月一日が富士山の山開きなので、わずか二里の旅ですが富士山に登るような有難い気持ちでやってきました、という挨拶になる。

 

季語は「五月晦日」で夏。旅体。「富士」は名所、山類。

 

 

   其富士や五月晦日二里の旅

 茄子小角豆も己が色しる     露沾

 (其富士や五月晦日二里の旅茄子小角豆も己が色しる)

 

 小角豆は「ささげ」。茄子は茄子紺に実り、ささげも収穫の時期が近付いている。大角豆と書く「ささげ」は小豆色の豆で赤飯に用いられる。それぞれあるべき色に色づく。

 夏に旅をすると日に焼けて人も黒くなることから、茄子や小角豆を引き合いに出したのだろう。遠くから来た素堂や芭蕉に、いい色になったじゃないか、という意味も込めての返しとなる。

 

季語は「茄子小角豆」で夏。

 

第三

 

   茄子小角豆も己が色しる

 鷹の子の雲雀に爪のかたまりて  芭蕉

 (鷹の子の雲雀に爪のかたまりて茄子小角豆も己が色しる)

 

 雲雀鷹(ひばりだか)という言葉があり、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「雲雀鷹」の解説」に、

 

 「〘名〙 六月、ヒバリの羽がはえかわる頃に鷹を放ってヒバリを捕える狩。また、その狩に用いる小鷹のこと。《季・夏》 〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ※俳諧・類題発句集(1774)夏「撫子に風を入るるや雲雀鷹〈冶天〉」

 

とある。小鷹が雲雀を捕らえることで爪が固まる。

 

季語は「鷹の子の雲雀に」で夏、鳥類。

 

四句目

 

   鷹の子の雲雀に爪のかたまりて

 家より庭の広き住なし      沾荷

 (鷹の子の雲雀に爪のかたまりて家より庭の広き住なし)

 

 鷹匠は鷹を飛ばすための広い庭を持っているが、そんな裕福な身分ではなく、家は小さい。

 

無季。「家」は居所。

 

五句目

 

   家より庭の広き住なし

 晨朝は汀の楼の水にあり     沾圃

 (晨朝は汀の楼の水にあり家より庭の広き住なし)

 

 晨朝(じんでう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「晨朝」の解説」に、

 

 「① 仏語。一昼夜を六分した六時(晨朝・日中・日没・初夜・中夜・後夜)の一つ。辰(たつ)の刻。現在の午前八時頃。

  ※霊異記(810‐824)上「晨朝の時に至りて、鬼已に頭髪を引き剥れて逃げたり」

  ② 仏語。寺院で行なう朝の勤行。

  ※今昔(1120頃か)一七「亦常に持斉して毎日の晨朝に、地蔵の宝号一百八反唱ふ」

  ③ 「じんじょう(晨朝)の鐘」の略。

  ※光悦本謡曲・三井寺(1464頃)「後夜の鐘を撞く時は、是生滅法と響く也。晨朝の響きは、生滅滅已、入相は、寂滅為楽と響きて」

 

とある。この場合は③であろう。

 前句を大邸宅として、川辺に立つ楼閣とする。ただ、このような所の楼閣は水害で流されやすい。まさに生滅滅已。

 

無季。釈教。「汀」は水辺。

 

六句目

 

   晨朝は汀の楼の水にあり

 芭蕉の露のかかる張物      虚谷

 (晨朝は汀の楼の水にあり芭蕉の露のかかる張物)

 

 「張物(はりもの)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「張物」の解説」に、

 

 「① 布地を洗って糊をつけ、板や籡(しんし)に張ってしわを伸ばし、乾かすこと。また、その布地。

  ※宇津保(970‐999頃)吹上上「これははり物の所。めぐりなきおほきなるひはだや。〈略〉色々のものはりたり」

  ② 芝居の大道具の一つ。木の枠に紙や布を張って、屋台の壁や背景の絵などを画いたもの。

  ※歌舞伎・彩入御伽草(1808)皿屋敷の場「正面二重舞台、縁側付き障子、向う張り物、鼠壁」

  ③ 外見を立派に見せかけること。体裁をつくろうこと。また、そのもの。

  ※俳諧・毛吹草(1638)二「せけんははりもの」

  ④ 大道商いをする商人。」

 

とある。前句の楼閣を舞台セットの張りぼてとする。紙だから水に弱く、芭蕉葉のように儚い。

 

季語は「露」で秋、降物。「芭蕉」は植物、木類。

初裏

七句目

 

   芭蕉の露のかかる張物

 魂祭麻殻の火も夕なり      執筆

 (魂祭麻殻の火も夕なり芭蕉の露のかかる張物)

 

 魂祭りはお盆のこと。麻殻はその送り火や迎え火を炊くのに用いる。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「麻幹・麻殻」の解説」に、

 

 「〘名〙 皮をはいだ麻の茎。白くて軽く、折れやすい。七月の盂蘭盆(うらぼん)の精霊祭の箸(はし)や迎え火や送り火をたくのに用いる。また、焼いて火口(ほくち)や日本画の素描用としたり、火薬に混ぜたりする。おがら。麻木。《季・秋》〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ※俳諧・犬子集(1633)一七「白き物こそ黒くなりけれ 麻からは皆鉄炮のはいにやき〈徳元〉」

 

とある。前句の張物はこの場合は盆灯籠になる。

 

季語は「魂祭」で秋。

 

八句目

 

   魂祭麻殻の火も夕なり

 村の径の分るやま本       素堂

 (魂祭麻殻の火も夕なり村の径の分るやま本)

 

 村のどの家もお盆の時は火を焚くので、村の道はどこでも照らされている。帰ってくる霊にもわかりやすい。

 

無季。「村」は居所。「やま本」は山類。

 

九句目

 

   村の径の分るやま本

 松すねていがきさびたる神所   露沾

 (松すねていがきさびたる神所村の径の分るやま本)

 

 神所(かみどころ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「神所」の解説」に、

 

 「① 神の領地。朝廷から神社に奉られた土地。神領。かんどころ。

  ※書紀(720)崇神七年一一月(熱田本訓)「仍て天つ社・国、及び、神地(カミトコロ)・神戸(かむへ)を定む」

  ② 神のいらっしゃる所。

  ※浄瑠璃・津戸三郎(1689)道行「しげりし峯(みね)は、八王子(わうじ)二十一社(しゃ)のかみどころ」

 

とある。普通に神社と見てもよさそうなところだが、雰囲気的には神社の跡という感じもする。山の麓の分かれ道の所にある。

 

無季。神祇。「松」は植物、木類。

 

十句目

 

   松すねていがきさびたる神所

 傘の袋をほどくはつ雪      芭蕉

 (松すねていがきさびたる神所傘の袋をほどくはつ雪)

 

 傘はからかさのことだが、ここでは単に「かさ」と読む。初雪が降ってきたので、今まで用いてなかった唐傘の袋をほどく。

 寒々とした荒れた神社に雪を付ける。

 

季語は「はつ雪」で冬、降物。

 

十一句目

 

   傘の袋をほどくはつ雪

 乗人の心になりし駒の足     沾荷

 (乗人の心になりし駒の足傘の袋をほどくはつ雪)

 

 馬に乗っている人が傘をさすと馬も傘を差したことになる。まあ、多少前後がはみ出すけど。

 

無季。「乗人」は人倫。「駒」は獣類。

 

十二句目

 

   乗人の心になりし駒の足

 絵にうつされぬ象潟の海     沾圃

 (乗人の心になりし駒の足絵にうつされぬ象潟の海)

 

 象潟は船で廻るので、馬もゆっくりと象潟を楽しむことができる、ということか。

 

無季。「象潟」は名所、水辺。

 

十三句目

 

   絵にうつされぬ象潟の海

 浜寺に餝り落たる仏達      虚谷

 (浜寺に餝り落たる仏達絵にうつされぬ象潟の海)

 

 浜寺の仏像は飾りが落ちてしまって荒れ果てている。絵には描かれてない真実?

 この時代の人は荒れ果てたものを美だとする意識はなく、荒れ果てたものを表現するのは、再興や修復を促すメッセージだった。芭蕉の句も基本的には晴れ果てた風景は「嘆き」であり、「美学」ではない。

 

無季。釈教。「浜寺」は水辺。

 

十四句目

 

   浜寺に餝り落たる仏達

 土圭にはやし秋の日の影     露沾

 (土圭にはやし秋の日の影浜寺に餝り落たる仏達)

 

 土圭(とけい)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「時計・土圭」の解説」に、

 

 「① 時間をはかり、また、時刻を示す機械。西洋では、太陽の動きによって時間を測定する日時計から始まり、水時計、砂時計、火時計などを経て、現在の機械時計になった。日本では、古くはもっぱら漏刻(ろうこく)(=水時計)が使用されていたが、一六世紀後半、西洋から機械時計がはいるに及んで、日本の時刻制度に基づく和時計が作られた。従来の普通の時計は、引き上げた分銅、巻いたぜんまい、電気などの力により歯車が動き、時刻を示した文字盤の上を針が回転する仕掛けになっているが、現在は水晶時計(クオーツ時計)が主流で、ほかに音叉時計・原子時計などもある。形式・用途によって、柱時計・懐中時計・腕時計・置時計・ストップウォッチ・クロノメーターなどの種類があり、表示方式によりアナログ式とデジタル式に大別される。時辰儀。自鳴鐘。

  ※蔭凉軒日録‐延徳三年(1491)正月二五日「俊秀公置二斗景一計レ晷。及二申刻一則先鳴レ鐘集二大衆一」

  ② (土圭) 土地の方向・寒暑・風雨の多少あるいは時間などを、その日影によって測定する器具。

  ※菅家文草(900頃)七・清風戒寒賦「土圭景急、四騶之驟无レ前」 〔周礼‐地官・大司徒〕

  [語誌](1)表記は本来「土圭」であり、日時計のことであった。一四世紀にヨーロッパで機械時計が製作され、キリスト教宣教師によって中国、日本にもたらされた。日本では天文二〇年(一五五一)にフランシスコ=ザビエルが大内義隆に献上したのが最初だと言われている。

  (2)中国では、時打ち時計である機械時計には「土圭」ではなく、「自鳴鐘」が使用された。日本でも江戸時代には和語の「ときはかり」〔日葡辞書〕の漢字表記と思われる「時計」が広く用いられていた。しかし幕末・明治初期の漢語重視の時代には「時計」が字音的表記でないところから、「時器」「時辰儀」「時辰表」が一時的に使用された。ただしこれらの表記が使用される場合でも、振り仮名はあくまでも「とけい」であった。」

 

とある。この場合は「日の影」とあるから、日時計のことであろう。時の経つのの速さに浜寺の仏像の荒れを思う。

 機械時計もなかったわけではなく、『野ざらし紀行』の旅の時の「海くれて」の巻二十九句目の

 

   衣かづく小性萩の戸を推ス

 月細く土圭の響八ッなりて    工山

 

の句は、時を音で知らせる機械時計であろう。同じ旅の熱田での「ほととぎす」の巻五句目、

 

   人のたからはとしの数なり

 有明に土圭のかげん直し置    桐葉

 

の句も機械時計で日が昇るたびに不定時法の調整が必要とされた。次の句では、

 

   有明に土圭のかげん直し置

 植木のかげに今にのこる蚊    東藤

 

と日時計に取り成されている。

 

季語は「秋の日」で秋、天象。

 

十五句目

 

   土圭にはやし秋の日の影

 月白くそめいろの山は遥にて   素堂

 (月白くそめいろの山は遥にて土圭にはやし秋の日の影)

 

 「そめいろ」は「白く染め」と掛けて蘇迷盧(そめいろ)を導き出している。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「蘇迷盧」の解説」に、

 

 「(Sumeru の音訳) 仏教の世界説で、世界の中心にそびえ立つという高山。そめいろの山。須彌山(しゅみせん)。

  ※秘蔵記(835頃か)「即蘇迷盧山也。蘇者妙也、迷盧者高也、故曰二妙高山一也」

  ※俳諧・曠野(1689)員外「そめいろの富士は浅黄に秋のくれ〈越人〉」 〔釈氏要覧‐中〕

  [補注]「染色」の意にかけて用いることが多い。

 

とある。越人の句の用例同様、ここでも富士山のことか。発句に富士があるので「富士」という言葉は使えない。

 秋の日は短くあっという間に沈んでしまい、月が山を白く染める。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「そめいろの山」は山類。

 

十六句目

 

   月白くそめいろの山は遥にて

 霧間分ゆく猿の寐所       沾荷

 (月白くそめいろの山は遥にて霧間分ゆく猿の寐所)

 

 山には猿が住む。月に手を伸ばす猿は画題にも用いられ、かなわぬ果てしない思いを象徴する。

 

季語は「霧」で秋、聳物。「猿」は獣類。

 

十七句目

 

   霧間分ゆく猿の寐所

 花暗く岩ほの躑躅明らかに    芭蕉

 (花暗く岩ほの躑躅明らかに霧間分ゆく猿の寐所)

 

 桜の花は暗くてよく見えず、大きな巌(いはほ)の躑躅だけがはっきりと見える。明け方の霧が晴れてゆく過程であろう。

 躑躅は岩躑躅として、しばしば「言わない」に掛けて用いられる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「躑躅」も春、植物、木類。

 

十八句目

 

   花暗く岩ほの躑躅明らかに

 船に氷の解る早川        虚谷

 (花暗く岩ほの躑躅明らかに船に氷の解る早川)

 

 岩ほの躑躅に山奥として、氷の解ける早川を添える。

 

季語は「氷の解る」で春。「船」「早川」は水辺。

二表

十九句目

 

   船に氷の解る早川

 鵜の眠る出崎の春の静さよ    露沾

 (鵜の眠る出崎の春の静さよ船に氷の解る早川)

 

 前句の早川を山奥ではなく、海に接した山から流れ落ちる川として、海の景色に転じる。

 

季語は「春」で春。「鵜」は鳥類。「出崎」は水辺。

 

二十句目

 

   鵜の眠る出崎の春の静さよ

 罪なくて見む知らぬひの果    素堂

 (鵜の眠る出崎の春の静さよ罪なくて見む知らぬひの果)

 

 「罪無くして配所の月を見る」という言葉が『徒然草』にあるという。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「(「古事談‐一」などによると、源中納言顕基(あきもと)がいったといわれることば) 罪を得て遠くわびしい土地に流されるのではなくて、罪のない身でそうした閑寂な片田舎へ行き、そこの月をながめる。すなわち、俗世をはなれて風雅な思いをするということ。わびしさの中にも風流な趣(おもむき)のあること。物のあわれに対する一つの理想を表明したことばであるが、無実の罪により流罪地に流され、そこで悲嘆にくれるとの意に誤って用いられている場合もある。

  ※平家(13C前)三「もとよりつみなくして配所の月をみむといふ事は、心あるきはの人の願ふ事なれば、おとどあへて事共し給はず」

 

とある。

 ここでは月ではなく不知火を見る。不知火(しらぬひ)」はコトバンクの「世界大百科事典 第2版「不知火」の解説」に、

 

 「光の異常屈折のために,一点の漁火(いさりび)でも左右に細長くのびて見える現象。九州の八代海(別名不知火海)や有明海で夏の朔日(さくじつ)(旧暦の1日で大潮になる日),特に八朔(旧暦8月1日)によく見られる。この現象は《日本書紀》景行紀にも記され,古くから知られていたが,その正体が不明のまま不知火といいならわされてきた。1937年宮西通可(1892‐1962)が現地の観測と室内実験で,不知火現象のおこる機構を説明した。」

 

とある。九州までの風流の旅とする。芭蕉さんも行ってみたかったかな。

 

無季。旅体。

 

二十一句目

 

   罪なくて見む知らぬひの果

 僧ひとり風呂敷包枕にて     沾圃

 (僧ひとり風呂敷包枕にて罪なくて見む知らぬひの果)

 

 前句を旅の僧とする。当時の人は基本的に一人旅は危険が多くて避けていたし、笈ではなく風呂敷包なのは、本格的な巡礼の旅ではない。棲家を失ったのであろう。

 

無季。旅体。釈教。「僧」は人倫。

 

二十二句目

 

   僧ひとり風呂敷包枕にて

 またるる門やとり違ふらん    芭蕉

 (僧ひとり風呂敷包枕にてまたるる門やとり違ふらん)

 

 訪ねて行くお寺を間違えたとする。

 

無季。

 

二十三句目

 

   またるる門やとり違ふらん

 恋の闇釣瓶のめぐる車井戸    沾荷

 (恋の闇釣瓶のめぐる車井戸またるる門やとり違ふらん)

 

 隣の別の女の所を尋ねて行ったが、本当に取り違えかどうかはわからない。

 恋は井戸の釣瓶のように、落ちたと思ったら引き戻され、そんなことを繰り返す。

 

無季。恋。

 

二十四句目

 

   恋の闇釣瓶のめぐる車井戸

 明てはうさも蚊火の勢ひ     露沾

 (恋の闇釣瓶のめぐる車井戸明てはうさも蚊火の勢ひ)

 

 恋は落ちたと思ったら引き戻される、そんな車井戸の釣瓶のようで、夢のような夜が明ければ後朝の別れがやってくる。それでも恋は蚊遣火のように燃え続ける。

 

季語は「蚊火」で夏。恋。

 

二十五句目

 

   明てはうさも蚊火の勢ひ

 双六の石ちらし置壇のうへ    虚谷

 (双六の石ちらし置壇のうへ明てはうさも蚊火の勢ひ)

 

 双六はバックギャモンと同系統のゲームで、古くから博奕に用いられてきた。白と黒の石を駒として用いる。

 祭壇の上に双六の石を置くというのは、何かの儀式なのか。博徒の験担ぎか。あるいは博徒の追悼なのか。よくわからない。

 

無季。

 

二十六句目

 

   双六の石ちらし置壇のうへ

 笑ひを興に羽織はかるる     沾圃

 (双六の石ちらし置壇のうへ笑ひを興に羽織はかるる)

 

 前句の儀式に羽織袴を着る。

 

無季。

 

二十七句目

 

   笑ひを興に羽織はかるる

 行燈の矢筈の紋に諂ひて     芭蕉

 (行燈の矢筈の紋に諂ひて笑ひを興に羽織はかるる)

 

 「諂ひて」は「へつらひて」。

 行燈に矢筈紋が入っていたので、どこかの立派な武家の行燈かと思ったか。

 

無季。「行燈」は夜分。

 

二十八句目

 

   行燈の矢筈の紋に諂ひて

 古くなるほど枝たるる松     沾荷

 (行燈の矢筈の紋に諂ひて古くなるほど枝たるる松)

 

 年を取る程謙虚になるという比喩か。あるいは単に守りに入る、という揶揄なのか。

 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という諺があるが、誰の句かわからない。

 

無季。「松」は植物、木類。

 

二十九句目

 

   古くなるほど枝たるる松

 朝数奇に月を残せる奈良の町   素堂

 (朝数奇に月を残せる奈良の町古くなるほど枝たるる松)

 

 前句の「古くなる」松に古都奈良の町を付ける。朝数奇(あさすき)は朝の茶事で、元禄六年秋の「いざよひは」の巻三十三句目にも、

 

   老がわらぢのいつ脱たやら

 朝すきを水鶏の起す寝覚也    濁子

 

の句がある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「奈良」は名所。

 

三十句目

 

   朝数奇に月を残せる奈良の町

 蚤のむしろをたたく秋風     虚谷

 (朝数奇に月を残せる奈良の町蚤のむしろをたたく秋風)

 

 奈良の町には乞食もいて、蚤のたかる筵を秋風にはたいている。

 

季語は「秋風」で秋。「蚤」は虫類。

二裏

三十一句目

 

   蚤のむしろをたたく秋風

 此ごろはとり後れたる相撲取   沾圃

 (此ごろはとり後れたる相撲取蚤のむしろをたたく秋風)

 

 「とり遅れたる」は相撲を取ることができなくなったということか。蚤のたかる筵にくるまって、ほとんど乞食同然だ。

 

季語は「相撲取」で秋、人倫。

 

三十二句目

 

   此ごろはとり後れたる相撲取

 みな坂本は坊主百姓       芭蕉

 (此ごろはとり後れたる相撲取みな坂本は坊主百姓)

 

 坂本は比叡山の東側(近江国側)の麓で、ここは坊主と百姓ばかりで相撲を取る相手もいない。

 

無季。「坊主百姓」は人倫。

 

三十三句目

 

   みな坂本は坊主百姓

 朝霜に錆しままなる芦屋釜    沾荷

 (朝霜に錆しままなる芦屋釜みな坂本は坊主百姓)

 

 芦屋釜はコトバンクの「世界大百科事典 第2版「芦屋釜」の解説」に、

 

 「筑前国(福岡県)遠賀川の河口の芦屋の里で鋳造された茶の湯釜の総称。桃山時代以前のものをとくに古芦屋と呼ぶ。茶の湯釜の起源は建仁年間(1201‐04)に明恵上人が芦屋の鋳物師に鋳させたのに始まると,西村道冶の著した《釜師之由緒》にみえるが,天明釜の方が古いとする説もあり,つまびらかでない。茶の湯の隆盛に伴い,室町時代には名物釜が盛んにつくられた。芦屋釜の特色は引中型(ひきなかご)を用いていること,真形(しんなり)釜が多く,鐶付(かんつき)は鬼面を用い,地肌は滑らかで鯰肌(なまずはだ)が多く,陽鋳の絵画的地紋で飾られていることである。」

 

とある。

 坂本は明智光秀の坂本城のあったところで、天正十四年(一五八六年)に廃城となった。城跡ではかつての光秀の芦屋釜が放置されて、朝霜に錆びていそうだ。

 

季語は「朝霜」で冬、降物。

 

三十四句目

 

   朝霜に錆しままなる芦屋釜

 赤き表紙の床に重なる      素堂

 (朝霜に錆しままなる芦屋釜赤き表紙の床に重なる)

 

 「赤き表紙」は赤本のことであろう。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「赤本」の解説」に、

 

 「江戸中期の草双紙(くさぞうし)の一種。幼童向けの絵本で、表紙が丹色(にいろ)(赤)のためこの名がある。寛文(かんぶん)末年(1670ころ)より、江戸で正月に出版され、享保(きょうほう)(1716~1736)ごろより、大半紙半切の中本型、5丁(10ページ)1冊とする形式が定まり、これが以後の草双紙の定型となった。その読者対象から、平易な教訓とめでたい結末とが、素朴な挿絵に簡単な会話などの書き入れだけで描かれる。題材は「桃太郎」「舌切り雀(すずめ)」「鉢かづき姫」「頼光山入(らいこうやまいり)」などの昔話や御伽草子(おとぎぞうし)、浄瑠璃(じょうるり)本で、近藤清春、西村重長、羽川珍重らの画工が手がけている。なお、明治時代以降には、少年向きの講談本などを、表紙が赤を主体にした極彩色であったため、この名でよび、さらに転じて、内容、体裁ともに低級俗悪な本や縁日などで売られるいかがわしい本をいう。[宇田敏彦]」

 

とある。

 先代は茶に造詣があったが、息子は引き籠って赤本ばかり読んでいる。芦屋釜も放置されている。

 

無季。

 

三十五句目

 

   赤き表紙の床に重なる

 家の形今年は花のおぐろ見て   露沾

 (家の形今年は花のおぐろ見て赤き表紙の床に重なる)

 

 「おぐろ」は不明。『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注は、

 

 「家の西北隅をいうが、ここは人の見ないところの意か。」

 

とあるが、これも意味不明。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「家」は居所。

 

挙句

 

   家の形今年は花のおぐろ見て

 かづらの長き藤のはびこり    虚谷

 (家の形今年は花のおぐろ見てかづらの長き藤のはびこり)

 

 「おぐろ見て」は何となく隠れて見えるような感じなのか。家に藤の蔓が巻き付いて、桜の花を「おぐろ見る」。

 

季語は「藤」で春、植物、草類。