「亀の甲」の巻、解説

初表

   雑

 亀の甲烹らるる時は鳴もせず   乙州

   唯牛糞に風のふく音     珍碩

 百姓の木綿仕まへば冬のきて   里東

   小哥そろゆるからうすの縄  探志

 独寐て奥の間ひろき旅の月    昌房

   蟷螂落てきゆる行燈     正秀

 

初裏

 秋萩の御前にちかき坊主衆    及肩

   風呂の加減のしづか成けり  野徑

 鶯の寒き聲にて鳴出し      二嘨

   雪のやうなるかますごの塵  乙州

 初花に雛の巻樽居ならべ     珍碩

   心のそこに恋ぞありける   里東

 御簾の香に吹そこなひし笛の役  探志

   寐ごとに起て聞ば鳥啼    昌房

 銭入の巾着下て月に行      正秀

   まだ上京も見ゆるややさむ  及肩

 蓋に盛鳥羽の町屋の今年米    野徑

   雀を荷ふ篭のぢぢめき    二嘨

 

 

二表

 うす曇る日はどんみりと霜おれて 乙州

   鉢いひならふ声の出かぬる  珍碩

 染て憂木綿袷のねずみ色     里東

   撰あまされて寒きあけぼの  探志

 暗がりに薬鑵の下をもやし付   昌房

   轉馬を呼る我まわり口    正秀

 いきりたる鑓一筋に挟箱     及肩

   水汲かゆる鯉棚の秋     野徑

 さはさはと切籠の紙手に風吹て  二嘨

   奉加の序にもほのか成月   乙州

 喰物に味のつくこそ嬉しけれ   珍碩

   煤掃うちは次に居替る    里東

 

二裏

 目をぬらす禿のうそにとりあげて 探志

   こひにはかたき最上侍    昌房

 手みじかに手拭ねぢて腰にさげ  正秀

   縄を集る寺の上茨      及肩

 花の比昼の日待に節ご着て    野徑

   ささらに狂ふ獅子の春風   二嘨

 

       参考:『芭蕉七部集』(中村俊定注、岩波文庫、1966)

初表

発句

 

   雑

 亀の甲烹らるる時は鳴もせず   乙州

 

 亀って鳴くの、と思ってしまうがネットで見ると「レファレンス共同データベース」に、

 

 「カメには声帯がないので鳴くことはないが、呼吸音や首を引っ込めるときの音が『キュー』『クー』などと聞こえることがあります。

 (参考:『鳥獣虫魚歳時記 春夏』川崎展宏・金子兜太/監修列句選 朝日新聞社 2000年)

 

とある。

 曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』には春のところに「亀鳴(かめなく)」の項があり、

 

 「[夫木集]川越のをちの田中の夕闇に何ぞときけば亀のなくなり 為家」

 

とある。

 ただ、この一巻の前に「雑」と書いてあるので、「亀の‥‥鳴もせず」は無季として扱われている。

 亀を煮て食べるというと、やはりスッポンだろう。今日でもスッポン料理の店はある。高価で滅多に食う機会はないが、今でも鍋にして食べる。

 

無季。

 

 

   亀の甲烹らるる時は鳴もせず

 唯牛糞に風のふく音       珍碩

 (亀の甲烹らるる時は鳴もせず唯牛糞に風のふく音)

 

 スッポンは当時は高級料理ではなく田舎料理だったのだろう。風に乗って牛糞が匂って来る。

 発句、脇ともに特に寓意はない。発句が無季なので脇も無季で受ける。

 

無季。

 

第三

 

   唯牛糞に風のふく音

 百姓の木綿仕まへば冬のきて   里東

 (百姓の木綿仕まへば冬のきて唯牛糞に風のふく音)

 

 木綿は秋に収穫したあと、全部引っこ抜く。これを綿木引きという。これが終わると冬が来る。畑には何もなく、ただ牛糞の風が吹く。

 

季語は「冬」で冬。「百姓」は人倫。

 

四句目

 

   百姓の木綿仕まへば冬のきて

 小哥そろゆるからうすの縄    探志

 (百姓の木綿仕まへば冬のきて小哥そろゆるからうすの縄)

 

 唐臼はウィキペディアに、

 

 「唐臼(からうす)は、搗き臼の一種。

 臼は地面に固定し、杵をシーソーのような機構の一方につけ、足で片側を踏んで放せば、杵が落下して臼の中の穀物を搗く。米や麦、豆など穀物の脱穀に使用した。踏み臼ともいう。」

 

とある。

 縄は何に使うかよくわからないが、足踏み式ではなく縄で杵を持ち上げるタイプの唐臼もあったのか。

 綿実油を取るための作業であろう。臼で砕いてから圧搾絞りで綿実油を抽出し、余った粕は肥料にと無駄なく使う。

 小歌を口ずさみながら作業を行う。いわゆる遊郭などで流行する様々な種類の小唄とはまた別ものだろう。多分即興で面白い歌詞を付けたりして笑わせながら仕事をしたのではないか。

 

無季。

 

五句目

 

   小哥そろゆるからうすの縄

 独寐て奥の間ひろき旅の月    昌房

 (独寐て奥の間ひろき旅の月小哥そろゆるからうすの縄)

 

 奥の間で独寝ていると隣の部屋で盛り上がっている小唄に混ざって米を搗く音が聞こえてくる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。旅体。

 

六句目

 

   独寐て奥の間ひろき旅の月

 蟷螂落てきゆる行燈       正秀

 (独寐て奥の間ひろき旅の月蟷螂落てきゆる行燈)

 

 蟷螂(かまきり)が天井から落ちてきて行燈を消してしまう。

 

季語は「蟷螂」で秋、虫類。「行燈」は夜分。

初裏

七句目

 

   蟷螂落てきゆる行燈

 秋萩の御前にちかき坊主衆    及肩

 (秋萩の御前にちかき坊主衆蟷螂落てきゆる行燈)

 

 坊主衆は江戸時代にあっては茶坊主のことで、表坊主、奥坊主、数寄屋坊主がいた。

 コトバンクの「世界大百科事典内の表坊主の言及」に、

 

 「…茶坊主というのも茶の湯坊主の意味である。江戸幕府は本丸,西丸ともに奥坊主,表坊主をおき,剃髪(ていはつ),僧衣で,茶室,茶席を管理し,登城した大名などを案内し,弁当,茶などをすすめ,その衣服,刀剣の世話をさせた。本丸の奥坊主は100人くらい,表坊主は200人をこえたことがあるという。…」

 

 「江戸幕府には同朋頭(若年寄支配)の配下に茶室を管理し,将軍,大名,諸役人に茶を進めることを職務とする奥坊主組頭(50俵持扶持高,役扶持二人扶持,役金27両,御目見以下,土圭間詰,二半場),奥坊主(20俵二人扶持高,役扶持二人扶持,役金23両,御目見以下,土圭間詰,二半場)100人前後,および殿中において大名,諸役人に給事することを職務とする表坊主組頭(40俵二人扶持高,四季施代金4両,御目見以下,躑躅(つつじ)間詰,二半場),表坊主(20俵二人扶持高,御目見以下,焼火間詰,二半場)200人前後があった(この職は大名,諸役人からの報酬が多く,家計は豊かで,そのため奢侈僭越に流れたという)。また茶室に関するいっさいのことをつかさどる数寄屋頭(若年寄支配)の配下に,数寄屋坊主組頭(40俵持扶持高,四季施代金4両,御目見以下,躑躅間詰,二半場),数寄屋坊主(20俵二人扶持高,御目見以下,焼火間詰,二半場)40~100人ほどがあった。…」

 

とある。

 ここでは秋の萩の花咲く庭園での夜の茶席であろう。貴人の傍に仕える坊主衆が行燈を持つが、蟷螂が落ちてきて消えてしまう。

 

季語は「秋萩」で秋、植物、草類。「坊主衆」は人倫。

 

八句目

 

   秋萩の御前にちかき坊主衆

 風呂の加減のしづか成けり    野徑

 (秋萩の御前にちかき坊主衆風呂の加減のしづか成けり)

 

 坊主衆にはもう一つ古い意味で「坊」を持つ坊の主の意味がある。コトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 

 「日本中・近世の僧侶の一身分。平安末期以降,本来寺院に属すべき僧侶の屋舎が,僧侶個人の私的所有物と化し,その屋舎を坊(房),坊の主を坊(房)主と呼ぶようになった。当初,坊主の称は,坊舎を持たぬ法師などと区別されて使われていたが,室町期以降,宗教施設の差異(寺院,道場)にかかわらず,一般僧侶をも指すようになった。同一坊舎内,あるいは他所に住する,坊主に従う人々を門徒という。坊主と門徒との関係は,法名下付を媒介にした,名付け親と養子・猶子との関係である。」

 

とある。

 お寺には風呂があることが多く、古くは蒸し風呂だったがこの時代になると水風呂(浴槽のある風呂)も増えてくる。普段お湯加減にうるさい坊主たちも、偉い人の前だと静かになる。

 

無季。

 

九句目

 

   風呂の加減のしづか成けり

 鶯の寒き聲にて鳴出し      二嘨

 (鶯の寒き聲にて鳴出し風呂の加減のしづか成けり)

 

 まだ寒い中早春の鶯の声を聞いて、みんな静かになる。

 

季語は「鶯」で春、鳥類。

 

十句目

 

   鶯の寒き聲にて鳴出し

 雪のやうなるかますごの塵    乙州

 (鶯の寒き聲にて鳴出し雪のやうなるかますごの塵)

 

 「かますご」はイカナゴの別名とされている。一説には京都での呼び方だという。魚は所によって呼び名が変わるために一概に言えないが。

 イカナゴ漁は晩春のなので、ここでいう「かますごの塵」はそれのさらに小さい孵化したばかりの稚魚のことか。

 前句の「鶯の寒き聲」から、その季節のものを付ける。

 

季語は「かますご」で春。

 

十一句目

 

   雪のやうなるかますごの塵

 初花に雛の巻樽居ならべ     珍碩

 (初花に雛の巻樽居ならべ雪のやうなるかますごの塵)

 

 「巻樽」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 蕨縄(わらびなわ)で巻いた酒樽。進物用とする。

  ※浮世草子・好色二代男(1684)二「庭には金銀の嶋台。巻樽(マキダル)箱肴。衣装の色かさね」

 

とある。

 「初花」で季節は桜の咲き初めになり、ひな祭りの頃になる。前句の「かますごの塵」をカマスゴのちりめんのことにしたか。

 

季語は「初花」で春、植物、木類。

 

十二句目

 

   初花に雛の巻樽居ならべ

 心のそこに恋ぞありける     里東

 (初花に雛の巻樽居ならべ心のそこに恋ぞありける)

 

 ひな祭りを口実に酒を飲ませて、という下心か。

 

無季。恋。

 

十三句目

 

   心のそこに恋ぞありける

 御簾の香に吹そこなひし笛の役  探志

 (御簾の香に吹そこなひし笛の役心のそこに恋ぞありける)

 

 箏か何かを弾きながらお付の者に下手な笛を吹かせることで、それを聞いた笛の上手い男がそれならと来てくれるのを期待しているのだろう。

 

無季。「御簾」は居所。

 

十四句目

 

   御簾の香に吹そこなひし笛の役

 寐ごとに起て聞ば鳥啼      昌房

 (御簾の香に吹そこなひし笛の役寐ごとに起て聞ば鳥啼)

 

 下手な笛だと思ったら鳥の声だった。御簾の香に笛の音は夢だった。

 

無季。「寐ごと」は夜分。「鳥」は鳥類。

 

十五句目

 

   寐ごとに起て聞ば鳥啼

 銭入の巾着下て月に行      正秀

 (銭入の巾着下て月に行寐ごとに起て聞ば鳥啼)

 

 前句の鳥啼は本物の鳥ではなく夜鷹蕎麦か夜啼うどんであろう。コトバンクの「世界大百科事典内の夜鷹そばの言及」に、

 

 「…夜間のそば行商がいつごろから始まったかは明確でないが,1686年(貞享3)には,めん類の夜売りが煮売り仲間から独立した業種として認められたばかりでなく,煮売りの筆頭にのし上がった。江戸ではこれを〈夜鷹そば〉,京坂では〈夜啼(よなき)うどん〉と称した。夜売りの期間は,陰暦9月から雛の節句である3月3日までと限られていたが,寛政(1789‐1801)末以降は期限が延びた。…」

 

とある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十六句目

 

   銭入の巾着下て月に行

 まだ上京も見ゆるややさむ    及肩

 (銭入の巾着下て月に行まだ上京も見ゆるややさむ)

 

 夕暮れに何かの用で巾着を下げて行く。まだ薄明るくて上京の方が見える。

 

季語は「ややさむ」で秋。

 

十七句目

 

   まだ上京も見ゆるややさむ

 蓋に盛鳥羽の町屋の今年米    野徑

 (蓋に盛鳥羽の町屋の今年米まだ上京も見ゆるややさむ)

 

 「蓋」はここでは「かさ」と読む。『芭蕉七部集』(中村俊定校注、一九六六、岩波文庫)の注に「椀のふた」とある。鳥羽は伏見の鳥羽で水運の要衝だった。ここで運ばれてきた新米をお椀の上に掬って吟味しているのだろう。上京が見えるということで京都の南とし、ややさむの季節に今年米を付ける。

 

季語は「今年米」で秋。「鳥羽」は名所。

 

十八句目

 

   蓋に盛鳥羽の町屋の今年米

 雀を荷ふ篭のぢぢめき      二嘨

 (蓋に盛鳥羽の町屋の今年米雀を荷ふ篭のぢぢめき)

 

 新米が荷揚げされる傍らで、米を食う害獣である雀が焼鳥にされるのか、駕籠に入れられて運ばれてゆく。「ぢぢめき」はぢっぢっぢっぢっぢっぢっと雀が鳴く様。

 雀の焼鳥は今でも伏見稲荷の名物だという。

 

無季。「雀」は鳥類。

二表

十九句目

 

   雀を荷ふ篭のぢぢめき

 うす曇る日はどんみりと霜おれて 乙州

 (うす曇る日はどんみりと霜おれて雀を荷ふ篭のぢぢめき)

 

 「どんみり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘副〙 (多く「と」を伴って用いる) 色合いなどが重くうるんでみえるさま、また、空模様が曇ってうす暗いさまなどを表わす語。どんより。どんめり。どみ。

※虎寛本狂言・附子(室町末‐近世初)「黒うどんみりとして、うまさうなものじゃ」

 

とある。「霜おれて」は霜で草が萎れてということ。

 雀は冬の寒スズメが旨いという。

 

季語は「霜」で冬、降物。

 

二十句目

 

   うす曇る日はどんみりと霜おれて

 鉢いひならふ声の出かぬる    珍碩

 (うす曇る日はどんみりと霜おれて鉢いひならふ声の出かぬる)

 

 「いひならふ」は言い慣れること。古語の「ならふ」は慣れるという意味がある。

 鉢叩きはコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「1 空也(くうや)念仏のこと。

  2 空也念仏を行いながら勧進すること。また、その人々。江戸時代には門付け芸にもなった。特に、京都の空也堂の行者が陰暦11月13日の空也忌から大晦日までの48日間、鉦(かね)やひょうたんをたたきながら行うものが有名。《季 冬》「長嘯(ちゃうせう)(=歌人)の墓もめぐるか―/芭蕉」

 

とあり京の冬の厳冬期の風物だった。

 日も射さず草木に霜の降りる寒い日は鉢叩きの口もうまく動かない。

 

無季。釈教。

 

二十一句目

 

   鉢いひならふ声の出かぬる

 染て憂木綿袷のねずみ色     里東

 (染て憂木綿袷のねずみ色鉢いひならふ声の出かぬる)

 

 前句を鉢飯習うに取り成して、出家したばかりで初めて托鉢に出る僧としたか。ねずみ色に染めた袷の僧衣を見るのも物憂くなる。

 

無季。「木綿袷」は衣裳。

 

二十二句目

 

   染て憂木綿袷のねずみ色

 撰あまされて寒きあけぼの    探志

 (染て憂木綿袷のねずみ色撰あまされて寒きあけぼの)

 

 「撰」は「より」と読む。自分の作った歌か句が撰に漏れて寒い朝を迎える。

 

季語は「寒き」で冬。

 

二十三句目

 

   撰あまされて寒きあけぼの

 暗がりに薬鑵の下をもやし付   昌房

 (暗がりに薬鑵の下をもやし付撰あまされて寒きあけぼの)

 

 まだ夜も明けないっ暗がりで薬缶の下の火を焚きつける。

 

無季。

 

二十四句目

 

   暗がりに薬鑵の下をもやし付

 轉馬を呼る我まわり口      正秀

 (暗がりに薬鑵の下をもやし付轉馬を呼る我まわり口)

 

 「轉馬」は『芭蕉七部集』の中村注に「伝馬」とある。コトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「江戸時代,諸街道の宿駅に常備され,公用の人や荷物の継ぎ送りにあたった馬をいう。古代の駅制にも伝馬の制があったが,その後廃絶した。戦国時代,諸大名は軍事的必要から領国に宿駅を設置し伝馬を常置したが,制度的に確立したのは江戸時代である。徳川家康が慶長6 (1601) 年東海道,中山道に多くの宿駅を指定し,36頭ずつの伝馬を常備させたのが初めで,寛永 15 (38) 年幕府は東海道 100頭,中山道 50頭,日光,奥州,甲州各道中 25頭と定めた。伝馬を使用できるものは幕府の公用,諸大名,公家などの特権者であったが,これには無賃の朱印伝馬と定賃銭を払う駄賃伝馬の2つがあった。」

 

とある。

 伝馬を呼ぶ声がするので夜明け前に薬缶の下の火を起こして準備する。

 

無季。「轉馬」は獣類。「我」は人倫。

 

二十五句目

 

   轉馬を呼る我まわり口

 いきりたる鑓一筋に挟箱     及肩

 (いきりたる鑓一筋に挟箱轉馬を呼る我まわり口)

 

 「挟箱(はさみばこ)は箱の上に金具がついていて、そこに棒を通して肩に担いで運ぶ従者の持つ箱。大名行列などに用いられる。鑓も大名行列の御持槍(おもたせやり)であろう。『猿蓑』に、

 

 鑓持の猶振たつるしぐれ哉    正秀

 

の句もある。

 伝馬を呼んでたのは大名行列に用いる馬の調達だった。

 

無季。

 

二十六句目

 

   いきりたる鑓一筋に挟箱

 水汲かゆる鯉棚の秋       野徑

 (いきりたる鑓一筋に挟箱水汲かゆる鯉棚の秋)

 

 大名行列が来ると鯉の特需があったのか。鯉の生簀の水を換えて鯉がよく見えるようにする。

 

季語は「秋」で秋。

 

二十七句目

 

   水汲かゆる鯉棚の秋

 さはさはと切籠の紙手に風吹て  二嘨

 (さはさはと切籠の紙手に風吹て水汲かゆる鯉棚の秋)

 

 「切籠(きりこ)」は切子灯籠のこと。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「盆灯籠の一種で、灯袋(ひぶくろ)が立方体の各角を切り落とした形の吊(つ)り灯籠。灯袋の枠に白紙を張り、底の四辺から透(すかし)模様や六字名号(ろくじみょうごう)(南無阿弥陀仏)などを入れた幅広の幡(はた)を下げたもの。灯袋の四方の角にボタンやレンゲの造花をつけ、細長い白紙を数枚ずつ下げることもある。点灯には、中に油皿を置いて種油を注ぎ、灯心を立てた。お盆に灯籠を点ずることは『明月記(めいげつき)』(鎌倉時代初期)などにあり、『円光(えんこう)大師絵伝』には切子灯籠と同形のものがみえている。江戸時代には『和漢三才図会』(1713)に切子灯籠があり、庶民の間でも一般化していたことがわかるが、その後しだいに盆提灯に変わっていった。ただし現在でも、各地の寺院や天竜川流域などの盆踊り、念仏踊りには切子灯籠が用いられ、香川県にはこれをつくる人がいる。[小川直之]」

 

とある。「紙手(しで)」は紙垂でウィキペディアに、

 

 「紙垂(しで)とは、注連縄や玉串、祓串、御幣などにつけて垂らす、特殊な断ち方をして折った紙である。」

 

とある。お盆の燈籠に下げた紙垂の秋風にさわさわ揺れる頃、鯉屋は生簀の水を換える。

 

季語は「切籠」で秋、夜分。

 

二十八句目

 

   さはさはと切籠の紙手に風吹て

 奉加の序にもほのか成月     乙州

 (さはさはと切籠の紙手に風吹て奉加の序にもほのか成月)

 

 奉加はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① (神仏への寄進の金品に、自分のものを加え奉るの意) 勧進(かんじん)によって神仏に金品を寄進すること。また、その金品。知識。

  ※今昔(1120頃か)一二「此、皆、寺僧の営み、檀越(だんをつ)の奉加也」

  ② 転じて、一般に、金品を与えること、またはもらうこと。また、その金品。寄付。

  ※浄瑠璃・心中天の網島(1720)下「福島の西悦坊が仏壇買ふたほうが、銀一枚回向しやれ」

 

とある。

 奉加の品物に添えた端書きを書くにも、風で紙はじっとしてないし、月には薄雲が掛かりあまり明るくない。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

二十九句目

 

   奉加の序にもほのか成月

 喰物に味のつくこそ嬉しけれ   珍碩

 (喰物に味のつくこそ嬉しけれ奉加の序にもほのか成月)

 

 「味のつく」は『芭蕉七部集』の中村注に、「病後などにものが美味しく食えるようになること」とある。

 前句を病気が治ったことへの感謝の奉加としたか。

 

無季。

 

三十句目

 

   喰物に味のつくこそ嬉しけれ

 煤掃うちは次に居替る      里東

 (喰物に味のつくこそ嬉しけれ煤掃うちは次に居替る)

 

 家が煤掃きの最中だが、まだ手伝えるほどの元気もないので隣の部屋に避難する。その部屋を掃除するときは元の部屋に戻るのだろう。

 

季語は「煤掃」で冬。

二裏

三十一句目

 

   煤掃うちは次に居替る

 目をぬらす禿のうそにとりあげて 探志

 (目をぬらす禿のうそにとりあげて煤掃うちは次に居替る)

 

 禿(かむろ)は遊女の見習いで、うるんだ目で嘘を言っては煤掃きを手伝わずに奥の部屋でぬくぬくしている。

 

無季。恋。「禿」は人倫。

 

三十二句目

 

   目をぬらす禿のうそにとりあげて

 こひにはかたき最上侍      昌房

 (目をぬらす禿のうそにとりあげてこひにはかたき最上侍)

 

 最上侍といえば最上義光であろう。最上義光は鮭が大好物で鮭様と呼ばれたという。鯉は苦手だったのかもしれない。俳諧であえて平仮名で書いてあるときには両義性を持たせている場合が多い。

 前句の禿に騙されてというところに「恋にはかたき」と付けたところで「最上侍」という落ちを思いついたのだろう。

 鮭好きというと『鬼滅の刃』の冨岡義勇が思い浮かぶが。

 

無季。恋。「最上侍」は人倫。

 

三十三句目

 

   こひにはかたき最上侍

 手みじかに手拭ねぢて腰にさげ  正秀

 (手みじかに手拭ねぢて腰にさげこひにはかたき最上侍)

 

 「ねぢて」は別にねじり鉢巻きのようにするのではなく、ねじれたままきちんと広げずにという意味だろう。いかにもずぼらな感じでもてないだろうな。

 

無季。

 

三十四句目

 

   手みじかに手拭ねぢて腰にさげ

 縄を集る寺の上茨        及肩

 (手みじかに手拭ねぢて腰にさげ縄を集る寺の上茨)

 

 「上茨」は「うはぶき」と読む。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 屋根の上に花弁や雪などが覆い葺くように積もること。

  ※大弐集(1113‐21)「見せばやなささの庵に春風のたくみにおろす花のうはふき」

  ② かやの類で屋根を葺くこと。

  ※高野山文書‐天文一九年(1550)奥院興隆作事入目日記「奥院二宮上葺入目之事」

  ③ 牛車(ぎっしゃ)の車箱の屋根。

  ※兵範記‐仁安元年(1166)一〇月一〇日「儲皇御車 華美唐車也、四面垂二白生糸一、施二左右横縁一、上葺同糸」

  ④ インドの倉庫、物置小屋のごとき建物の屋根の葺き方で、蔵の上部しかも蔵から独立した形で葺く方法(日葡辞書(1603‐04))。」

 

とある。ここでは②の意味。

 茅葺屋根の上葺の際には、まず竹で土台を組むときに縄が用いられ、その上に下地となる縄で束ねた萱を敷き詰める。この時に大量の縄が必要とされる。

 前句を屋根葺きをする職人とする。忙しくて腰手拭を畳む暇もない。

 

無季。釈教。

 

三十五句目

 

   縄を集る寺の上茨

 花の比昼の日待に節ご着て    野徑

 (花の比昼の日待に節ご着て縄を集る寺の上茨)

 

 前句の「上茨」を①の意味に取り成し、藁ぶき屋根に花が散った花の上葺にする。

 日待(ひまち)はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 

 「村の近隣の仲間が特定の日に集まり,夜を徹してこもり明かす行事。家々で交代に宿をつとめ,各家から主人または主婦が1人ずつ参加する。小規模の信仰行事で,飲食をともにして,楽しくすごすのがふつうである。神祭の忌籠(いみごもり)には,夜明けをもって終了するという形があり,日待もその一例になる。日の出を待って夜明しをするので日待というといわれる。宗教的な講の集会を一般に日待と呼ぶこともある。集りの日取りにより,甲子待(きのえねまち),庚申待(こうしんまち)などと称しているが,十九夜待,二十三夜待,二十六夜待などは月の出を拝む行事で,日待と区別して月待と呼ぶ。」

 

とある。狭義の日待は正月・五月・九月に行われるので、この場合は桜の季節だから甲子待か庚申待を指しているのかもしれない。通常は夜通し行われるものだが、昼から行われることもあったのだろう。

 「節ご」は『芭蕉七部集』の中村注に「節句小袖。節日に着る晴着」とある。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「節ご」は衣裳。

 

挙句

 

   花の比昼の日待に節ご着て

 ささらに狂ふ獅子の春風     二嘨

 (花の比昼の日待に節ご着てささらに狂ふ獅子の春風)

 

 獅子神楽であろう。ササラを打ち鳴らす中で獅子が乱舞する。

 獅子舞は能にも取り入れられ、『石橋』では獅子が舞う。ここでは獅子だけに桜ではなく牡丹の中で舞う。

 

 「獅子団旋の舞楽のみぎん、獅子団乱旋の舞楽のみぎん、牡丹の花房にほひ充ち満ち、たいきんりきんの獅子頭、打てや囃せや牡丹芳、牡丹芳、黄金の蕊、現はれて、花に戯れ枝に伏し転び、げにも上なき獅子王の勢ひ、靡かぬ草木もなき時なれや、万歳千秋と舞ひ納め、万歳千秋と舞ひ納めて、獅子の座にこそ、直りけれ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.90267-90283). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

とばかりに目出度く一巻は終了する。

 

季語は「春風」で春。