「杜若」の巻、解説

貞享二年四月四日、鳴海の知足亭での興行

初表

 杜若われに発句のおもひあり   芭蕉

   麦穂なみよるうるほひの末  知足

 二つして笠する烏夕ぐれて    桐葉

   かへさに袖をもれし名所記  叩端

 住馴て月待つほどのうら伝ひ   菐言

   それとばかりの秋の風音   自笑

 

初裏

 捨かねて妻呼鹿に耳ふさぎ    如風

   念力岩をはこぶしただり   安信

 道野辺の松に一喝しめし置    重辰

   長者の輿に沓を投込ム    芭蕉

 から樽を荷ふ下部のうつつなや  知足

   岸にかぞふる八百の鷺    桐葉

 森透に燈籠三つ四つ幽なる    叩端

   子をおもふ親の月さがしけり 重辰

 それの秋すなる手打の悔しくも  知足

   猫ならば猫霧晴てから    如風

 鳥辺野に葛とる女花わけて    桐葉

   ねためる筋を春惜まるる   菐言

 

二表

 燕に短冊つけて放チやり     叩端

   亀盞を背負さざなみ     芭蕉

 天気さへ勅に応じて雲なびく   安信

   五日の風の宮雨のみや    如風

 菓子売も木がくれてのみ住はつる 自笑

   長屋の外面たつ名はぢらひ  知足

      参考;『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

 杜若われに発句のおもひあり   芭蕉

 

 何ともシンプルなメッセージだ。知足亭の庭に杜若が咲いているのを見て、今日はお招きくださってどうもありがとう、それでは発句といきましょうか、というだけの句だ。発句は本来こういうものでよかった。

 在原業平が三河八橋で詠んだとされる「かきつばた」の歌を踏まえているという説もある。その歌は、

 

   あつまの方へ友とする人ひとりふたり

   いさなひていきけり、みかはのくに

   やつはしといふ所にいたれりけるに、

   その河のほとりにかきつはたいと

   おもしろくさけりけるを見て、

   木のかけにおりゐて、かきつはたといふ

   いつもしをくのかしらにすゑてたひの心を

   よまむとてよめる

 唐衣きつつなれにしつましあれば

     はるはるきぬるたびをしぞ思ふ

              在原業平(古今集)

 

で、同じ歌は『伊勢物語』第九段にもある。

 三河八橋は鳴海の隣の池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)の先にある。距離にして三里くらいか。電車だと九駅。

 

季語は「杜若」で夏、植物、草類。

 

 

   杜若われに発句のおもひあり

 麦穂なみよるうるほひの末    知足

 (杜若われに発句のおもひあり麦穂なみよるうるほひの末)

 

 麦の穂のたわわに実ろうとしている今日この頃、我々もこうして打ち揃い興行ができるのも、みんな芭蕉さんの「うるほひ」ですと、単純に持ち上げて返す。脇は本来こういうものでよかった。

 杜若に波は、

 

 小屋の池の汀に立てる杜若

     波のをればやまばらなるらむ

              藤原清輔(夫木抄)

 

季語は「麦穂」で夏、植物、草類。

 

第三

 

   麦穂なみよるうるほひの末

 二つして笠する烏夕ぐれて    桐葉

 (二つして笠する烏夕ぐれて麦穂なみよるうるほひの末)

 

 桐葉は熱田で芭蕉に宿を提供している。この興行にも同行した。

 麦畑に烏は付き物で、海の向こうのフィンセント・ファン・ゴッホも絵に描いている。

 「笠する」は笠擦るで、威嚇のためによく行うタッチアンドゴーのことか。一羽ならともかく二羽もとなるとびっくりする。

 「笠する」を笠を被るの意味に取ると、二人の僧の比喩にもなる。

 

無季。「笠」は衣裳。「烏」は鳥類。

 

四句目

 

   二つして笠する烏夕ぐれて

 かへさに袖をもれし名所記    叩端

 (二つして笠する烏夕ぐれてかへさに袖をもれし名所記)

 

 「名所記」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「江戸時代前期の地誌,名所旧跡案内記のなかで文芸的色彩の濃い書の総称。仮名草子の『竹斎』などが名所記の先駆的作品であるが,実用的記述,すなわち名所旧跡の由来,道中の行程などが欠けており,名所記とはいえない。中川喜雲の仮名草子『京童 (わらべ) 』 (1658) が名所記の最初で,以後,山本泰順の『洛陽名所集』 (58) ,浅井了意の『東海道名所記』などが刊行された。名所記が後世に及ぼした影響は大きく,秋里籬島の『都名所図会』 (1780) 以下の名所図会類はその代表的な例である。」

 

 仮名草子の『竹斎』は芭蕉も読んでいたのか、前年の冬には、

 

 狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉 芭蕉

 

の句を詠んでいる。

 万治二年(一六五九年)に刊行された浅井了意の『東海道名所記』などを片手に東海道を旅する人も、当時のあるあるだったと思われる。不意のカラスのタッチアンドゴーにびっくりして本を取り落とす。

 「かへさ」は「帰りがけ」、夕方だから宿に戻る。

 

無季。旅体。「袖」は衣裳。

 

五句目

 

   かへさに袖をもれし名所記

 住馴て月待つほどのうら伝ひ   菐言

 (住馴て月待つほどのうら伝ひかへさに袖をもれし名所記)

 

 これは『源氏物語』須磨巻の十五夜の場面の本説。前句の名所記を、源氏の君が須磨から帰ったあとに描いた須磨の絵日記のことだとする。

 月待つ浦は、

 

 鳰の海や月待つ浦の小夜千鳥

     いづれの島をさして鳴くらむ

              藤原定家(拾遺愚草員外)

 

の歌がある。

 

季語は「月」で秋、天象。「うら」は水辺。

 

六句目

 

   住馴て月待つほどのうら伝ひ

 それとばかりの秋の風音     自笑

 (住馴て月待つほどのうら伝ひそれとばかりの秋の風音)

 

 月待つ浦に秋風と、軽く流す。

 浦の月に秋の風は、

 

 秋深き淡路の島の有明に

     かたぶく月をおくる浦風

              慈円(新古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「秋の風音」で秋。

初裏

七句目

 

   それとばかりの秋の風音

 捨かねて妻呼鹿に耳ふさぎ    如風

 (捨かねて妻呼鹿に耳ふさぎそれとばかりの秋の風音)

 

 これはひょっとして「剃れとばかり」に取り成したか。

 山奥に妻呼ぶ鹿のビイというこえが聞こえてきて、人の世も悲しければ山に住む鹿も悲しげで、俊成卿の、

 

 世の中よ道こそなけれ思ひ入る

     山の奥にも鹿ぞ鳴くなる

              皇太后宮大夫俊成

 

の歌も思い起こされる。

 ならばいっそ出家すればとばかりに秋の風も悲しげだが、なかなか出家には踏み切れない。

 述懐の句で、中世連歌のような古風な響きがある。

 

季語は「妻呼鹿」で秋、獣類。述懐。

 

八句目

 

   捨かねて妻呼鹿に耳ふさぎ

 念力岩をはこぶしただり     安信

 (捨かねて妻呼鹿に耳ふさぎ念力岩をはこぶしただり)

 

 「念力」は今日のようなサイコキネシスの意味ではなく、本来は信じる力という意味。必ずしも仏道や信仰とは限らず、思い込みが強いと本当にそうなるという意味で、「念力岩をも通す」という諺もある。これは「石に立つ矢」の故事からきたもので、コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」には、

 

 「一心を込めて事を行えばかならず成就するとのたとえ。中国楚(そ)の熊渠子(ようきょし)が、一夜、石を虎(とら)と見誤ってこれを射たところ、矢が石を割って貫いたという『韓詩外伝(かんしがいでん)』巻6や、漢の李広(りこう)が猟に出て、草中の石を虎と思って射たところ、鏃(やじり)が石に突き刺さって見えなくなったという『史記』「李将軍伝」の故事による。「虎と見て石に立つ矢もあるものをなどか思(おもい)の通らざるべき」の古歌や、「一念(一心)巌(いわ)をも通す」の語もある。[田所義行]」

 

とある。

 この句は咎めてにはで、前句の「捨かねて」を受けて世を捨てようかやっぱりやめようか迷っている人に、信じれば岩をも動かすんだと諭す体とみていい。

 最後の「しただり」は鹿の声を受けたもので、一種の放り込みとみていいだろう。鹿の声に耳を塞いでるつもりでも、知らずと涙がしただる。

 

無季。釈教。

 

九句目

 

   念力岩をはこぶしただり

 道野辺の松に一喝しめし置    重辰

 (道野辺の松に一喝しめし置念力岩をはこぶしただり)

 

 「一喝」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 禅家の語。悟りを得させるために用いる叱咤(しった)、叫声(きょうせい)。喝(かつ)。いちかつ。〔文明本節用集(室町中)〕

※読本・雨月物語(1776)青頭巾「『作麼生(そもさん)何(なんの)所為ぞ』と、一喝(いっカツ)して他(かれ)が頭を撃給へば」 〔臨済録〕」

 

とある。

 道野辺松の木の下で僧が同行の弟子に喝を入れ、前句をその喝の内容とする。街はずれ、村はずれの松の木の下は決闘の場所になったり、いろいろなドラマを盛り上げる上での欠かせない舞台装置と言えよう。

 

無季。釈教。「松」は植物、木類。

 

十句目

 

   道野辺の松に一喝しめし置

 長者の輿に沓を投込ム      芭蕉

 (道野辺の松に一喝しめし置長者の輿に沓を投込ム)

 

 これは謡曲『張良(ちょうりょう)』の本説か。

 張良はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 

 「能の曲名。四・五番目物。観世信光(のぶみつ)作。シテは黄石公(こうせきこう)。漢の高祖に仕える張良(ワキ)は,夢の中で不思議な老人に出会い,5日後に下邳(かひ)の土橋で兵法を伝授してもらう約束をする。下邳に出向くと,老人(前ジテ)はすでに来ていて遅参を咎(とが)め,さらに5日後に来いといって消え失せる。張良が今度は早暁に行くと,威儀を正した老人が馬でやって来て黄石公(後ジテ)と名のり,履いていた沓(くつ)を川へ蹴落とす。」

 

とある。このあとのことは、「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「漢の高祖の軍師となった張良が黄石公の川に落とした沓(くつ)を取って、その人柄を認められ、ついに兵法の奥義を授かる。」

 

とある。「松に一喝」を遅参を咎める場面とし、沓を返す場面を「輿に沓を投込ム」と元ネタと少し違えて付ける。

 

無季。「長者」は人倫。「沓」は衣裳。

 

十一句目

 

   長者の輿に沓を投込ム

 から樽を荷ふ下部のうつつなや  知足

 (から樽を荷ふ下部のうつつなや長者の輿に沓を投込ム)

 

 「うつつなや」はうつつでない、つまり気が確かでないこと。樽が空だというから、飲んじゃったんだろうな。長者の輿に沓を投げつけたりするなんて、普通じゃない。

 

無季。「下部」は人倫。

 

十二句目

 

   から樽を荷ふ下部のうつつなや

 岸にかぞふる八百の鷺      桐葉

 (から樽を荷ふ下部のうつつなや岸にかぞふる八百の鷺)

 

 これは源平合戦の富士川の戦いか。ウィキペディアには、

 

 「平氏撤退に関しては以下のような逸話が有名である。その夜、武田信義の部隊が平家の後背を衝かんと富士川の浅瀬に馬を乗り入れる。それに富士沼の水鳥が反応し、大群が一斉に飛び立った。『吾妻鏡』には「その羽音はひとえに軍勢の如く」とある。これに驚いた平家方は大混乱に陥った。『平家物語』や『源平盛衰記』はその狼狽振りを詳しく描いており、兵たちは弓矢、甲冑、諸道具を忘れて逃げまどい、他人の馬にまたがる者、杭につないだままの馬に乗ってぐるぐる回る者、集められていた遊女たちは哀れにも馬に踏み潰されたとの記載がある。事実がどのようなものであったかは不明ではあるが、平家軍に多少の混乱があったものと推察される。」

 

とある。

 平家が合戦を前にして飲んだくれていて、水鳥の羽音を敵軍と聞き誤ったとする。

 

無季。「岸」は水辺。「鷺」は鳥類。

 

十三句目

 

   岸にかぞふる八百の鷺

 森透に燈籠三つ四つ幽なる    叩端

 (森透に燈籠三つ四つ幽なる岸にかぞふる八百の鷺)

 

 前句を単に河辺の風景として、その向こうに神社かお寺があるのか、燈籠が三つ四つ森の木々の合い間に見える。盆燈籠なら秋になる。

 夜分になるので月を呼び出す。

 

季語は「燈籠」で秋、夜分。

 

十四句目

 

   森透に燈籠三つ四つ幽なる

 子をおもふ親の月さがしけり   重辰

 (森透に燈籠三つ四つ幽なる子をおもふ親の月さがしけり)

 

 これは謡曲『三井寺』か。前句を三井寺の燈籠とする。「月さがしけり」は「月の中をさがしけり」。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「子」「親」は人倫。

 

十五句目

 

   子をおもふ親の月さがしけり

 それの秋すなる手打の悔しくも  知足

 (それの秋すなる手打の悔しくも子をおもふ親の月さがしけり)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は子殺しのこととするが、子の敵(かたき)をとったとも取れる。

 いずれにせよ前句を心の闇に真如の月を探すこととする。

 

季語は「秋」で秋。

 

十六句目

 

   それの秋すなる手打の悔しくも

 猫ならば猫霧晴てから      如風

 (それの秋すなる手打の悔しくも猫ならば猫霧晴てから)

 

 曲者と思って手打ちにしたが、霧が晴れたら猫だった。無用な殺生は悔やんでも悔やみきれない。

 

季語は「霧」で秋、聳物。「猫」は獣類。

 

十七句目

 

   猫ならば猫霧晴てから

 鳥辺野に葛とる女花わけて    桐葉

 (鳥辺野に葛とる女花わけて猫ならば猫霧晴てから)

 

 「鳥辺野」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「京都市東山(ひがしやま)区、東山西麓(せいろく)の地域。かつては現在の五条坂から今熊野(いまくまの)付近にかけての広い地区を称していた。平安中期ごろから葬送の地として知られ、『源氏物語』にも葵上(あおいのうえ)が荼毘(だび)に付されるようすを記している。近世以前は庶民の墓は墓石がなく、卒塔婆(そとば)を立てたが、近世以降は大谷本廟(ほんびょう)(西大谷)から清水(きよみず)寺にかけて墓地が集中し、浄瑠璃(じょうるり)で知られたお俊(しゅん)・伝兵衛(でんべえ)の墓などもある。[織田武雄]」

 

とある。江戸時代ではもはや風葬の地ではなく、普通に墓石が立てられていた。

 「葛とる」は葛の根を掘るのではない。葛の根の収穫は冬でかなりの力仕事だ。ここでは食用にする葛の芽ではないかと思う。

 花の定座で、この場合の「花わけて」が正花であるからには、そこいらの雑草の花ではなく、散った桜の花びらを掻き分けてという意味だろう。

 墓場で葛の芽を摘む女は、この周辺に住む被差別民であろう。

 墓地には猫が多い。死んだ猫と考える必要はない。葛を取りながら猫に餌やったりしてたのかもしれない。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「女」は人倫。

 

十八句目

 

   鳥辺野に葛とる女花わけて

 ねためる筋を春惜まるる     菐言

 (鳥辺野に葛とる女花わけてねためる筋を春惜まるる)

 

 女が出たところで恋に転じる。

 ねたましい人を憎みながら、春の終ってしまうのを惜しむ。

 

季語は「春惜まるる」で春。恋。

二表

十九句目

 

   ねためる筋を春惜まるる

 燕に短冊つけて放チやり     叩端

 (燕に短冊つけて放チやりねためる筋を春惜まるる)

 

 「ねためる筋」を仲を引き裂こうとしている筋としたか。燕に短冊をつけて飛ばして思いを伝えようとする。

 燕に短冊は何か故事でもあるのかと思ったが、よくわからない。伝書鳩は江戸時代に日本に入ってきたと言うが、おそらく江戸後期のことだろう。となると想像で燕に短冊を思いついたことになる。七夕のカササギの渡せる橋あたりがヒントになったか。

 

季語は「燕」で春、鳥類。

 

二十句目

 

   燕に短冊つけて放チやり

 亀盞を背負さざなみ       芭蕉

 (燕に短冊つけて放チやり亀盞を背負さざなみ)

 

 これも何か故事があるわけではなさそうだ。

 あるいは放生会の亀か。放鳥も放し亀も放生会ならわかるが、ただ短冊や盃をつけたりはしない。

 お目出度い亀の背中に盞(さかずき)を背負わせて酒をふるまうとは何とも粋だが、実際には亀は思ったとおりに歩いてくれないし、揺れて酒がこぼれたりするから、難しい。

 燕に亀と対句のように付ける相対付け(向え付け)だ。

 

無季。「亀」「さざなみ」は水辺。

 

二十一句目

 

   亀盞を背負さざなみ

 天気さへ勅に応じて雲なびく   安信

 (天気さへ勅に応じて雲なびく亀盞を背負さざなみ)

 

 前句を吉祥とし、森羅万象をあやつる聖人君主の登場とした。

 震災の頃、当時の菅首相が「総理という役割はまさに森羅万象のことに対して対応しなければなりません」と言ったというが、これは単にあらゆることに対処するという意味で、別に森羅万象を意のままに操る能力があるわけではない。

 今の安倍首相は噂によると地震を起したり火山を噴火させたり北にミサイルを発射させたりする能力があるらしいが、あくまで噂にすぎない。

 

無季。「雲」は聳物。

 

二十二句目

 

   天気さへ勅に応じて雲なびく

 五日の風の宮雨のみや      如風

 (天気さへ勅に応じて雲なびく五日の風の宮雨のみや)

 

 「風の宮」はウィキペディアによると、「外宮正宮南方の檜尾山(ひのきおやま)の麓に位置する外宮の別宮である。」とある。

 さらに、「古くは現在の末社格の風社(かぜのやしろ、風神社とも)であったが、1281年(弘安4年)の元寇の時に神風を起こし日本を守ったとして別宮に昇格した。」とある。

 雨の宮はよくわからないし、「五日」にも何か意味があったかどうかは不明。何となく語呂が良くて並べた言葉であろう。

 

無季。神祇。

 

二十三句目

 

   五日の風の宮雨のみや

 菓子売も木がくれてのみ住はつる 自笑

 (菓子売も木がくれてのみ住はつる五日の風の宮雨のみや)

 

 「菓子売(かしうり)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 菓子を売り歩くこと。また、その人。

 ※滑稽本・浮世床(1813‐23)初「日傘をさして高く組あげたる菓子箱をかたにかつぎて売来る此菓子売」

 

とある。ただこれは江戸後期のことで、ここでは京都の門前菓子を売る人のことではないかと思う。

 前句を五日間雨風が続いて「風の宮雨の宮」だったとし、いつもは賑わう門前もひっそりしていて、「木がくれてのみ住はつる」となる。

 

無季。「菓子売」は人倫。

 

二十四句目

 

   菓子売も木がくれてのみ住はつる

 長屋の外面たつ名はぢらひ    知足

 (菓子売も木がくれてのみ住はつる長屋の外面たつ名はぢらひ)

 

 菓子売りの娘がひっそりと暮らしているのは、長屋で浮名が立ってしまったからだとする。

 さて恋に転じて盛り上がってきたところでここからどういう展開をするのか、残念ながらこの先は現存していない。

 未完なのか、散逸したのか、さだかではないが、挙句の体にはなってないから、ここで満尾ということはない。

 

無季。恋。「長屋」は居所。