「夏の夜や」の巻、解説

   今宵賦

            野盤子 支考

 今宵は六月十六日のそら水にかよひ、月は東方の乱山にかかげて、衣裳に湖水の秋をふくむ。されば今宵のあそび、はじめより尊卑の席をくばらねど、しばしば酌てみだらず。人そこそこに凉みふして、野を思ひ山をおもふ。たまたまかたりなせる人さへ、さらに人を興ぜしむとにあらねば、あながちに弁のたくみをもとめず、唯萍の水にしたがひ、水の魚をすましむるたとへにぞ侍りける。阿叟は深川の草庵に四年の春秋をかさねて、ことしはみな月さつきのあはいを渡りて、伊賀の山中に父母の古墳をとぶらひ、洛の嵯峨山に旅ねして、賀茂・祇園の凉みにもただよはず。かくてや此山に秋をまたれけむと思ふに、さすが湖水の納凉もわすれがたくて、また三四里の暑を凌て、爰に草鞋の駕をとどむ。今宵は菅沼氏をあるじとして、僧あり、俗あり、俗にして僧に似たるものあり。その交のあはきものは、砂川の岸に小松をひたせるがごとし。深からねばすごからず。かつ味なうして人にあかるるなし。幾年なつかしかりし人々の、さしむきてわするるににたれど、おのづからよろこべる色、人の顔にうかびて、おぼへず鶏啼て月もかたぶきける也。まして魂祭る比は、阿叟も古さとの方へと心ざし申されしを、支考はい勢の方に住ところ求て、時雨の比はむかへむなどおもふなり。しからば湖の水鳥の、やがてばらばらに立わかれて、いつか此あそびにおなじからむ。去年の今宵は夢のごとく明年はいまだきたらず。今宵の興宴何ぞあからさまならん。そぞろに酔てねぶるものあらば、罰盃の数に水をのませんと、たはぶれあひぬ。

 

初表

 夏の夜や崩て明し冷し物     芭蕉

   露ははらりと蓮の椽先    曲翠

 鶯はいつぞの程に音を入て    臥高

   古き革籠に反故おし込    維然

 月影の雪もちかよる雲の色    支考

   しまふて銭を分る駕かき   芭蕉

 

初裏

 猪を狩場の外へ追にがし     曲翠

   山から石に名を書て出す   臥高

 飯櫃なる面桶にはさむ火打鎌   維然

   鳶で工夫をしたる照降    支考

 おれが事哥に讀るる橋の番    芭蕉

   持佛のかほに夕日さし込   曲翠

 平畦に菜を蒔立したばこ跡    支考

   秋風わたる門の居風呂    維然

 馬引て賑ひ初る月の影      臥高

   尾張でつきしもとの名になる 芭蕉

 餅好のことしの花にあらはれて  曲翠

   正月ものの襟もよごさず   臥高

 

 

二表

 春風に普請のつもりいたす也   維然

   藪から村へぬけるうら道   支考

 喰かねぬ聟も舅も口きいて    芭蕉

   何ぞの時は山伏になる    曲翠

 笹づとを棒に付たるはさみ箱   臥高

   蕨こはばる卯月野の末    芭蕉

 相宿と跡先にたつ矢木の町    支考

   際の日和に雪の氣遣     維然

 呑ごころ手をせぬ酒の引はなし  曲翠

   着かえの分を舟へあづくる  臥高

 封付し文箱來たる月の暮     芭蕉

   そろそろありく盆の上臈衆  支考

 

二裏

 虫籠つる四条の角の河原町    維然

   高瀬をあぐる表一固     曲翠

 今の間に鑓を見かくす橋の上   臥高

   大キな鐘のどんに聞ゆる   維然

 盛なる花にも扉おしよせて    支考

   腰かけつみし藤棚の下    臥高

 

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

今宵賦

   今宵賦

            野盤子 支考

 今宵は六月十六日のそら水にかよひ、月は東方の乱山にかかげて、衣裳に湖水の秋をふくむ。されば今宵のあそび、はじめより尊卑の席をくばらねど、しばしば酌てみだらず。人そこそこに凉みふして、野を思ひ山をおもふ。たまたまかたりなせる人さへ、さらに人を興ぜしむとにあらねば、あながちに弁のたくみをもとめず、唯萍の水にしたがひ、水の魚をすましむるたとへにぞ侍りける。阿叟は深川の草庵に四年の春秋をかさねて、ことしはみな月さつきのあはいを渡りて、伊賀の山中に父母の古墳をとぶらひ、洛の嵯峨山に旅ねして、賀茂・祇園の凉みにもただよはず。かくてや此山に秋をまたれけむと思ふに、さすが湖水の納凉もわすれがたくて、また三四里の暑を凌て、爰に草鞋の駕をとどむ。今宵は菅沼氏をあるじとして、僧あり、俗あり、俗にして僧に似たるものあり。その交のあはきものは、砂川の岸に小松をひたせるがごとし。深からねばすごからず。かつ味なうして人にあかるるなし。幾年なつかしかりし人々の、さしむきてわするるににたれど、おのづからよろこべる色、人の顔にうかびて、おぼへず鶏啼て月もかたぶきける也。まして魂祭る比は、阿叟も古さとの方へと心ざし申されしを、支考はい勢の方に住ところ求て、時雨の比はむかへむなどおもふなり。しからば湖の水鳥の、やがてばらばらに立わかれて、いつか此あそびにおなじからむ。去年の今宵は夢のごとく明年はいまだきたらず。今宵の興宴何ぞあからさまならん。そぞろに酔てねぶるものあらば、罰盃の数に水をのませんと、たはぶれあひぬ。

 

 場所は膳所の曲翠亭で、『芭蕉年譜大成』(今栄蔵、1994、角川書店)によれば閏五月二十二日から六月十五日まで嵯峨の落柿舎に滞在し、この日に膳所へ移り、七月五日まで湖南に滞在した。

 

 「今宵は六月十六日のそら水にかよひ、月は東方の乱山にかかげて、衣裳に湖水の秋をふくむ。」(今宵賦)

 

これは、落柿舎を出て湖南に着いた翌日の宵ということで、十六夜の月が乱山にかかる。乱山はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「乱山」の解説」に、

 

 「〘名〙 高低入り乱れてそびえ連なる山々。また、重なり合う山々。乱峰。乱嶺。〔日葡辞書(1603‐04)〕 〔儲嗣宗‐小楼詩〕」

 

とある。具体的には手前に低く信楽高原の山々があり、その向こうに鈴鹿山脈が見え、その上に月が掛かる。手前には琵琶湖南部の湖水が広がる。

 

 「されば今宵のあそび、はじめより尊卑の席をくばらねど、しばしば酌てみだらず。」(今宵賦)

 

は芭蕉さんが来たというので膳所の連衆が集まってきて、とりあえず飲もうということになったのだろう。酒を飲んでも乱れることはない。

 

 「人そこそこに凉みふして、野を思ひ山をおもふ。たまたまかたりなせる人さへ、さらに人を興ぜしむとにあらねば、あながちに弁のたくみをもとめず、唯萍の水にしたがひ、水の魚をすましむるたとへにぞ侍りける。」(今宵賦)

 

 野を思い山を思い、それを巧みに描写するでもなく、ただその場の興の流れに身をまかす。浮草のように水に漂えば、そこの泥をかき回すこともなく、水を濁らすこともなく、魚も安心して棲める。「すましむる」はこの両方を掛けている。

 

 「阿叟は深川の草庵に四年の春秋をかさねて、ことしはみな月さつきのあはいを渡りて、伊賀の山中に父母の古墳をとぶらひ、洛の嵯峨山に旅ねして、賀茂・祇園の凉みにもただよはず。」(今宵賦)

 

 阿叟は我が翁で芭蕉のことをいう。叟の字もまた「おきな」を意味する。阿叟という言葉を支考は『葛の松原』でも用いている。

 芭蕉は元禄四年の十月に江戸に下り、元禄四年、五年、六年、七年と足掛け四年江戸に滞在する。そして七年の五月に江戸を出て伊賀、湖南、嵯峨を経て再び湖南に来る。

 

 「かくてや此山に秋をまたれけむと思ふに、さすが湖水の納凉もわすれがたくて、また三四里の暑を凌て、爰に草鞋の駕をとどむ。」(今宵賦)

 

 このようにして、再度湖南にやってきて、ここに駕籠を止める。芭蕉のこの時の旅は病状の悪化から、駕籠に乗る旅となっていた。

 

 「今宵は菅沼氏をあるじとして、僧あり、俗あり、俗にして僧に似たるものあり。」(今宵賦)

 

 菅沼氏は曲翠のこと。僧は惟然であろう。

 俗は臥高で『芭蕉と近江の人々』(梅原與惣次著、一九八八、サンブライト出版)には、

 

 「本多氏、勘解由光豊、膳所藩家老、致仕して五十人扶持。蕉門諸生全伝に、ゼゝ本多氏『隅居シテ画ヲ好、賢才多芸』とある人。本多画好又は画香と同一人と思われる」

 

とある。俗にして僧に似たるものは支考と芭蕉であろう。支考はお寺で育ち最近になって還俗した。芭蕉に関しては『幻住庵記』に、

 

 「ある時は仕官懸命の地をうらやみ、一たびは佛籬祖室の扉に入らむとせしも、たどりなき風雲に身をせめ、花鳥に情を労じて、しばらく生涯のはかりごととさへなれば、つひに無能無才にしてこの一筋につながる。」

 

とあり、支考の『葛の松原』には、

 

 「一回は皂狗となりて一回は白衣となつて共にとどまれる處をしらず。かならず中間の一理あるべしとて」

 

とある。

 当時はまだ未発表だったが、芭蕉の『野ざらし紀行』には、

 

 「僧に似て塵有(ちりあり)。俗ににて髪なし。」

 

とあり、『鹿島詣』には、

 

 「いまひとりは、僧にもあらず、俗にもあらず、鳥鼠の間に名をかうぶりの、とりなきしまにもわたりぬべく」

 

とあり、『笈の小文』には、

 

 「ある時は倦(うん)で放擲(ほうてき)せん事をおもひ、ある時はすすんで人にかたむ事をほこり、是非胸中にたたかふて、是が為に身安からず。しばらく身を立てむ事をねがへども、これが為にさへられ、暫ク学んで愚を暁(さとら)ン事をおもへども、是が為に破られ、つゐに無能無芸にして只此の一筋に繋(つなが)る。」

 

とある。

 

 「その交のあはきものは、砂川の岸に小松をひたせるがごとし。深からねばすごからず。かつ味なうして人にあかるるなし。」(今宵賦)

 

 「君子の交わりは、淡きこと水の若く、小人の交わりは甘きこと醴の若し。」という諺があるが、俳諧師の交わりも淡いものではある。砂川の岸の小松の喩えは何か出典があるのか。あまり浅くてもいけないということだろう。

 

 「幾年なつかしかりし人々の、さしむきてわするるににたれど、おのづからよろこべる色、人の顔にうかびて、おぼへず鶏啼て月もかたぶきける也。」(今宵賦)

 

 淡い原因は芭蕉が旅をしていることで、同じところに住んで地域のコミュニティーの属してないため、たまに会うにすぎない所にある。ここにも久しぶりに会った喜びが感じられる。夕方から飲み始めて語明かすうちに夜明けになったことが記されている。

 

 「まして魂祭る比は、阿叟も古さとの方へと心ざし申されしを、支考はい勢の方に住ところ求て、時雨の比はむかへむなどおもふなり。しからば湖の水鳥の、やがてばらばらに立わかれて、いつか此あそびにおなじからむ。」(今宵賦)

 

 魂祭りはお盆で芭蕉翁も伊賀への帰郷を考えていて、支考もまた冬になる頃には伊勢移住を考えている。この興行の後、みんなばらばらでこのメンバーがもう一度揃うことがあるかどうかはわからない。まさに一期一会というところだ。

 

 「去年の今宵は夢のごとく明年はいまだきたらず。今宵の興宴何ぞあからさまならん。そぞろに酔てねぶるものあらば、罰盃の数に水をのませんと、たはぶれあひぬ。」(今宵賦)

 

 一年前は芭蕉は江戸にいて、ちょうど「閉門之説」を書いた頃だった。支考は元禄五年に奥州行脚を行い『葛の松原』を刊行した。そのあと美濃に戻っていたか。

 そして来年のことはわからない。芭蕉は周知の通りのこととなった。

 「あからさま」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「あからさま」の解説」に、

 

 「① 物事の急に起こるさま。卒爾(そつじ)。にわか。たちまち。あからしま。あかさま。あかしま。

  ※書紀(720)雄略五年二月(前田本訓)「俄にして、逐はれたる嗔猪(いかりゐ)草の中より暴(アカラサマ)(〈別訓〉ニハカニ)出でて人を逐ふ」

  ※栄花(1028‐92頃)衣の珠「『昔恋しければ、見奉らむ。渡し給へ』とあからさまにありければ」

  ② 一時的であるさま。ついちょっと。かりそめ。「あからさまにも」の下に打消の語を伴って、「かりそめにも…しない。全く…しない」の意となることもある。

  ※宇津保(970‐999頃)俊蔭「あからさまの御ともにもはづし給はず」

  ※方丈記(1212)「おほかた、この所に住みはじめし時は、あからさまと思ひしかども」

  [二] (明様) ありのままで、あらわなさま。明白なさま。

  ※浮世草子・好色一代男(1682)一「亭(ちん)の遠眼鏡を取持て、かの女を偸間(アカラサマ)に見やりて」

  [語誌](1)「あから」は元来「物事の急におこるさま」「物事のはげしいさま」を表わすが、次第に「にわか・急」「ついちょっと・かりそめ」などの意に転じていった。しかし、「にわか・急」の意には「すみやか」「にはか」「たちまち」などの語が用いられるため、「あからさま」は「ついちょっと・かりそめ」の意に固定していったと考えられる。

(2)時代が下ってから(二)の用法が出て来るが、これは「明から様」と意識したことによると考えられる。」

 

とある。この場合は②の意味であろう。今はこの言葉は[二] の意味でしか用いられていない。

 明日はどうなるかわからない貴重な時間なので、精いっぱい遊び明かそうではないか、ということで、酔って寝た者には罰として飲まされた盃の数だけ水を飲ませようなどと冗談を言って過ごす。

 連衆の遊びふざけている様をこういうふうに描写するのは支考の文章の特徴でもあり、『梟日記』にも何か所か見られる。寺で禁欲的に育った支考にとって、俗世のこういうおふざけも貴重な時間だったのだろう。あるいはそれが支考の俳諧の本質なのかもしれない。

初表

発句

 

 夏の夜や崩て明し冷し物     芭蕉

 

 「冷し物」はコトバンクの「デジタル大辞泉「冷し物」の解説」に、

 

 「水や氷で冷やして食べる物。「夏の夜や崩れて明けし―/芭蕉」

 

とある。夏の夜は短く、

 

 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを

     雲のいづこに月宿るらむ

              清原深養父(古今集)

 

の歌もあるが、それを「崩て明し」という端的でキャッチーな言葉をすぐに思いつくのが芭蕉だ。その夜明けには酔いの眠りを覚ます冷し物がふるまわれたのだろう。

 序文で既に夜明けのことまでが語られていて、発句も朝の句だから、俳諧興行はこの後、おそらく六月十七日に行われたのではないかと思う。

 

季語は「夏の夜」で夏、夜分。

 

 

   夏の夜や崩て明し冷し物

 露ははらりと蓮の椽先      曲翠

 (夏の夜や崩て明し冷し物露ははらりと蓮の椽先)

 

 「椽」は垂木の意味だが、この頃は「縁」の字を使うべき所を「椽」の字を当てることが多い。

 縁側のすぐ前にある蓮から朝露がはらりと落ちる。前句を受けて朝のすがすがしい景色で応じる。

 

季語は「蓮」で夏、植物、草類、水辺。「露」は降物。

 

第三

 

   露ははらりと蓮の椽先

 鶯はいつぞの程に音を入て    臥高

 (鶯はいつぞの程に音を入て露ははらりと蓮の椽先)

 

 「音を入れる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「音を入れる」の解説」に、

 

 「鳥、特に鶯(うぐいす)が鳴くべき季節が終わって鳴かなくなる。鳴きやむ。〔俳諧・増山の井(1663)〕

  ※浄瑠璃・丹波与作待夜の小室節(1707頃)夢路のこま「いなおほせ鳥もねをいれて野辺のかるかや軒端のおぎ馬のまぐさに飼ひ残す」

 

とある。いつの間にか鶯も鳴かなくなって、今は蓮の華が咲いている。

 

季語は「音を入て」で夏。「鶯」は鳥類。

 

四句目

 

   鶯はいつぞの程に音を入て

 古き革籠に反故おし込      維然

 (鶯はいつぞの程に音を入て古き革籠に反故おし込)

 

 革籠(かはご)はコトバンクの「デジタル大辞泉「皮籠」の解説」に、

 

 「竹や籐(とう)などで編んだ上に皮を張った、ふたつきのかご。のちには、紙張りの箱、行季などもいう。」

 

とある。

 今まで書き散らしたものを捨てられずにとっておこうというのだろう。春の終わった淋しい気分に匂いで応じる。

 

無季。

 

五句目

 

   古き革籠に反故おし込

 月影の雪もちかよる雲の色    支考

 (月影の雪もちかよる雲の色古き革籠に反故おし込)

 

 前句を冬籠りの準備とする。冬籠りと言わずにその季節を付ける。

 

季語は「雪」で冬、降物。「月影」は夜分、天象。「雲」は聳物。

 

六句目

 

   月影の雪もちかよる雲の色

 しまふて銭を分る駕かき     芭蕉

 (月影の雪もちかよる雲の色しまふて銭を分る駕かき)

 

 夕暮れで明日は雪になりそうだというので、今日は早めに仕事じまいにして相方に銭を配分する。

 

無季。「駕かき」は人倫。

初裏

七句目

 

   しまふて銭を分る駕かき

 猪を狩場の外へ追にがし     曲翠

 (猪を狩場の外へ追にがししまふて銭を分る駕かき)

 

 駕籠が狩りの邪魔になるというので店じまいさせられたか。駕籠かきからすれば猪に襲われたくないから、大声を出したりして猪を追い出す。

 

無季。「猪」は獣類。

 

八句目

 

   猪を狩場の外へ追にがし

 山から石に名を書て出す     臥高

 (猪を狩場の外へ追にがし山から石に名を書て出す)

 

 お城の石垣などに見られる石垣刻印だろうか。どの大名が切り出したものかわかるように単純な記号などを記す。

 

無季。「山」は山類。

 

九句目

 

   山から石に名を書て出す

 飯櫃なる面桶にはさむ火打鎌   維然

 (飯櫃なる面桶にはさむ火打鎌山から石に名を書て出す)

 

 飯櫃はここでは「いびつ」と読むがいひびつ、めしびつのことだろう。面桶は「めんつ」でコトバンクの、

 

 「① 一人前ずつ飯を盛って配る曲げ物。後には乞食の持つもの。べんとう。めんつ。

  ※正法眼蔵(1231‐53)洗面「面桶をとりて、かまのほとりにいたりて、一桶の湯をとりて、かへりて洗面架のうへにおく」

  ※仮名草子・古活字版竹斎(1621‐23頃)下「くゎんとうのじゅんれいと打ち見えて、めんつう荷たわら、そばに置き」

  ② 茶道で曲げ物の建水(けんすい)のこと。①の形を模してある。曲水翻ともいう。めんつ。

  ※宗及茶湯日記(他会記)‐永祿一三年(1570)一二月四日「備前水下 面桶」

 

とある。

 火打鎌はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「火打鎌」の解説」に、

 

 「〘名〙 (古くは、鎌の破片などを用いたところから) 火打金のこと。主に、関東地方で用いた語。

  ※俳諧・続猿蓑(1698)上「山から石に名を書て出す〈臥高〉 飯櫃(いびつ)なる面桶(めんつ)にはさむ火打鎌〈惟然〉」

 

とある。

 面桶の弁当に火打ち鎌を添えて、山で適当な石を見つけて火を起こすように書いておく。

 

無季。

 

十句目

 

   飯櫃なる面桶にはさむ火打鎌

 鳶で工夫をしたる照降      支考

 (飯櫃なる面桶にはさむ火打鎌鳶で工夫をしたる照降)

 

 「照降(てりふり)」は晴れたり雨が降ったりする天気をいう。

 鳶は上昇気流に乗って滑空するところから、高く飛ぶと晴れて、低く飛ぶと雨が降ると言われている。

 前句を用意周到な人としての付けであろう。

 

無季。「鳶」は鳥類。

 

十一句目

 

   鳶で工夫をしたる照降

 おれが事哥に讀るる橋の番    芭蕉

 (おれが事哥に讀るる橋の番鳶で工夫をしたる照降)

 

 我を「おれ」ということは、この頃の口語でもあったのだろう。橋の番を詠んだ歌というと、近江という場所柄を踏まえれば、

 

 にほてるや矢橋の渡りする船を

     いくたび見つつ瀬田の橋守

              源兼昌(夫木抄)

 

の歌だろうか。琵琶湖の上の鳶を見ては天気を判断する。雨だと矢橋の船が止まって橋の方に人が押し寄せる。

 

無季。「おれ」は人倫。「橋」は水辺。

 

十二句目

 

   おれが事哥に讀るる橋の番

 持佛のかほに夕日さし込     曲翠

 (おれが事哥に讀るる橋の番持佛のかほに夕日さし込)

 

 宇治の橋守通円の持仏であろう。通円はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「通円」の解説」に、

 

 「狂言の曲名。舞狂言。平等院参詣(さんけい)を思い立った旅僧が宇治橋までくると、茶屋に茶湯(ちゃとう)が手向けられている。不思議に思い所の者に尋ねると、昔、宇治橋供養のおり、通円という茶屋坊主があまりに大茶を点(た)て、点て死にした命日だと語る。そこで旅僧が供養していると、通円の亡霊(シテ)が現れ、橋供養のため都から押し寄せた300人の道者(どうしゃ)に1人残らず茶を飲ませようと孤軍奮闘、ついに点て死にした最期のありさまを謡い舞い、回向(えこう)を願って消え去る。能『頼政(よりまさ)』のパロディーで、最期を述べる部分は詞章ももじりになっている。通円は宇治の橋守が世襲した実在の名で、この曲のモデルは豊臣(とよとみ)秀吉に愛顧されたという中興の通円であろうか。平等院には「太敬菴通円之墓」が残っている。[小林 責]」

 

とある。

 

無季。釈教。「夕日」は天象。

 

十三句目

 

   持佛のかほに夕日さし込

 平畦に菜を蒔立したばこ跡    支考

 (平畦に菜を蒔立したばこ跡持佛のかほに夕日さし込)

 

 平畦(ひらうね)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「平畝」の解説」に、

 

 「〘名〙 種をまいたり苗を植える折、小高くしないで平らなままにした畝。

  ※俳諧・続猿蓑(1698)上「平畦に菜を蒔立したばこ跡〈支考〉 秋風わたる門の居風呂〈惟然〉」

 

とある。

 タバコは夏に収穫が終わるので、連作で秋に菜の種を蒔く。

 『炭俵』の「早苗舟」の巻三十句目に、

 

   切蜣の喰倒したる植たばこ

 くばり納豆を仕込広庭      孤屋

 

の句があるように、タバコはお寺で栽培されることが多かったのだろう。ここではお寺ではないが、田舎に庵を構える僧の畑で、持仏にタバコを付けている。

 

季語は「菜を蒔」で秋。

 

十四句目

 

   平畦に菜を蒔立したばこ跡

 秋風わたる門の居風呂      維然

 (平畦に菜を蒔立したばこ跡秋風わたる門の居風呂)

 

 お寺には風呂がある場合が多い。「居風呂(すゑふろ)」はサウナではなく、浴槽に湯を入れる風呂で「水風呂」とも言う。

 

季語は「秋風」で秋。

 

十五句目

 

   秋風わたる門の居風呂

 馬引て賑ひ初る月の影      臥高

 (馬引て賑ひ初る月の影秋風わたる門の居風呂)

 

 宿屋の風呂であろう。日が暮れる頃は宿場に乗り掛け馬が次々に到着して賑やかになる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「馬」は獣類。

 

十六句目

 

   馬引て賑ひ初る月の影

 尾張でつきしもとの名になる   芭蕉

 (馬引て賑ひ初る月の影尾張でつきしもとの名になる)

 

 昔は戸籍がなかったのでいわゆる本名の概念がない。名前は分不相応でなければ勝手に名乗ってよかった。

 わけあって余所に行かねばならず、そこでは別の名前を名乗っていたが、尾張に帰ってきてその賑わう街を眺めながら、これで元の名前に戻れる。

 あるいは伊勢で「の人」を名乗っていた杜国の俤があったのかもしれない。杜国はついに尾張に帰ることはなかったが。

 

無季。

 

十七句目

 

   尾張でつきしもとの名になる

 餅好のことしの花にあらはれて  曲翠

 (餅好のことしの花にあらはれて尾張でつきしもとの名になる)

 

 前句の「つきし」を餅つきに掛ける「かけてには」になる。尾張の花見の席に現れて、昔ながらに餅を搗く。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

十八句目

 

   餅好のことしの花にあらはれて

 正月ものの襟もよごさず     臥高

 (餅好のことしの花にあらはれて正月ものの襟もよごさず)

 

 正月に着てきた服をそのまま花見にも着てきたか。

 

季語は「正月」で春。「襟」は衣裳。

二表

十九句目

 

   正月ものの襟もよごさず

 春風に普請のつもりいたす也   維然

 (春風に普請のつもりいたす也正月ものの襟もよごさず)

 

 「つもり」は見積もりのことか。普請の相談には足元を見られてはいけないから、パリッとした服装で、如何にも金を持っているように見せる。

 

季語は「春風」で春。

 

二十句目

 

   春風に普請のつもりいたす也

 藪から村へぬけるうら道     支考

 (春風に普請のつもりいたす也藪から村へぬけるうら道)

 

 庭が藪から村へ抜ける抜け道になってしまっているから、そこを塞ぐように何かを建てたい。

 

無季。「村」は居所。

 

二十一句目

 

   藪から村へぬけるうら道

 喰かねぬ聟も舅も口きいて    芭蕉

 (喰かねぬ聟も舅も口きいて藪から村へぬけるうら道)

 

 聟や舅が「喰かねぬ」というのは食いかねてない、食うに困ってはいない、という意味か。本人は食うに困っているのだろう。裏道で相談して村に何か口きいてもらって職を得ようということか。

 薮は荒れ果てた家、賤を連想させる。

 

無季。「聟」「舅」は人倫。

 

二十二句目

 

   喰かねぬ聟も舅も口きいて

 何ぞの時は山伏になる      曲翠

 (喰かねぬ聟も舅も口きいて何ぞの時は山伏になる)

 

 食いつめて、山伏になれば飯を食えるのではないかと相談する。

 

無季。「山伏」は人倫。

 

二十三句目

 

   何ぞの時は山伏になる      

 笹づとを棒に付たるはさみ箱   臥高

 (笹づとを棒に付たるはさみ箱何ぞの時は山伏になる)

 

 「はさみ箱」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「挟み箱」の解説」に、

 

 「江戸時代の携行用の担い箱。主として武家が大名行列、登城など道中や外出をするとき、着替え用の衣類や具足を中に入れて、従者に担がせた黒塗り定紋付きの木箱。上部に鐶(かん)がついていて、これに担い棒を通して肩に担ぐ。古くは挟み竹といって、二つに割った竹の間に衣類を畳んで挟み、肩に担いで持ち歩いたが、安土(あづち)桃山時代になると、箱に担い棒を通した形に改良された。江戸時代には、武家調度の必需品とされ、一方、民間でも商家の主人が年始回りなどに、年玉の扇を挟み箱に入れ、鳶(とび)人足に持たせたり、町飛脚などが飛脚箱として用いた。また明治初年には、郵便集配や新聞配達もこれを用いた。[宮本瑞夫]」

 

とある。

 この場合は棒に笹包を付けた似せ物で、物真似芸か何かか。山伏の真似もレパートリーに入っている。

 

無季。

 

二十四句目

 

   笹づとを棒に付たるはさみ箱

 蕨こはばる卯月野の末      芭蕉

 (笹づとを棒に付たるはさみ箱蕨こはばる卯月野の末)

 

 「こはばる」は柔らかい蕨の芽ではなく、育ちすぎて固くなるということだろう。前句を子供の遊びとして、蕨取りのできなくなった四月の野原を付ける。

 

季語は「卯月」で夏。「蕨」は植物、草類。

 

二十五句目

 

   蕨こはばる卯月野の末

 相宿と跡先にたつ矢木の町    支考

 (相宿と跡先にたつ矢木の町蕨こはばる卯月野の末)

 

 『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に橿原の北とあり伊勢街道の八木札の辻と思われる。近くに近鉄大和八木駅がありここでも大阪線と橿原線が交差している。

 相宿になっても、翌日はそれぞれ違う方向に行く。

 

無季。旅体。

 

二十六句目

 

   相宿と跡先にたつ矢木の町

 際の日和に雪の氣遣       維然

 (相宿と跡先にたつ矢木の町際の日和に雪の氣遣)

 

 別れ際に空を見て、雪にならないといいねと言葉を交わす。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

二十七句目

 

   際の日和に雪の氣遣

 呑ごころ手をせぬ酒の引はなし  曲翠

 (呑ごころ手をせぬ酒の引はなし際の日和に雪の氣遣)

 

 「手をせぬ酒」は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に「交ぜ物で調合しない生(き)のままのもの」とある。水を加えてない原酒のことか。あるいは名酒に安い酒を混ぜたものがあって、それに対してものか。

 雪が降ってきそうな寒い日には一杯やりたいというのは、昔も今も同じだ。

 

無季。

 

二十八句目

 

   呑ごころ手をせぬ酒の引はなし

 着かえの分を舟へあづくる    臥高

 (呑ごころ手をせぬ酒の引はなし着かえの分を舟へあづくる)

 

 うまい酒があるというので、船に乗る前に飲みに行く。着替えの衣服を船に置いといて、席は確保しておく。

 

無季。「舟」は水辺。

 

二十九句目

 

   着かえの分を舟へあづくる

 封付し文箱來たる月の暮     芭蕉

 (封付し文箱來たる月の暮着かえの分を舟へあづくる)

 

 『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注には『芭蕉翁付合集評註』(佐野石兮著、文化十二年)の引用として、「さだめてしろがね入たる文箱ならむ」とある。江戸時代は飛脚を用いて現金を送金することもあったので、封付けした文箱はそういう意味だったのだろう。

 船に乗ろうとしたら急に現金が届いたので、いったん店に戻る。

 

季語は「月の暮」で秋、夜分、天象。

 

三十句目

 

   封付し文箱來たる月の暮

 そろそろありく盆の上臈衆    支考

 (封付し文箱來たる月の暮そろそろありく盆の上臈衆)

 

 「そろそろ」は静かに、ゆっくりとということ。上臈はばたばた歩いたりはしない。

 盆は大晦日と並んで決算の日だったから、上臈のところには次々と現金が届いていたのだろう。

 前句をお盆の旧歴七月十五日の月とする。

 

季語は「盆」で秋。「上臈衆」は人倫。

二裏

三十一句目

 

   そろそろありく盆の上臈衆

 虫籠つる四条の角の河原町    維然

 (虫籠つる四条の角の河原町そろそろありく盆の上臈衆)

 

 虫売りはコトバンクの「世界大百科事典 第2版「虫売」の解説」に、

 

 「江戸時代には6月ころから,市松模様の屋台にさまざまな虫籠をつけた虫売が街にあらわれ,江戸の風物詩の一つであった。《守貞漫稿》には,〈蛍を第一とし,蟋蟀(こおろぎ),松虫,鈴虫,轡虫(くつわむし),玉虫,蜩(ひぐらし)等声を賞する者を売る。虫籠の製京坂麁也。江戸精製,扇形,船形等種々の籠を用ふ。蓋(けだし)虫うりは専ら此屋体を路傍に居て売る也。巡り売ることを稀とす〉とある。虫売は6月上旬から7月の盆までの商売で,江戸では盆には飼っていた虫を放す習慣だったので盆以後は売れなくなったという。」

 

とある。江戸だけでなく、京の四条河原もお盆まで虫売りが出て賑わっていたのだろう。

 

季語は「虫籠」で秋、虫類。

 

三十二句目

 

   虫籠つる四条の角の河原町

 高瀬をあぐる表一固       曲翠

 (虫籠つる四条の角の河原町高瀬をあぐる表一固)

 

 「一固」は「ひと小折」で一箱の荷物をいう。

 

 柳小折片荷は涼し初真瓜     芭蕉

 

の句もある。今日では二三箱をバンドで束ねた出荷する単位を「ひとこり」ということもある。

 高瀬は四条河原だと高瀬川だが高瀬舟とも取れる。

 

無季。「高瀬」は水辺。

 

三十三句目

 

   高瀬をあぐる表一固

 今の間に鑓を見かくす橋の上   臥高

 (今の間に鑓を見かくす橋の上高瀬をあぐる表一固)

 

 高瀬舟から荷物を降ろしていると、その間に橋の上を通る鑓が見えなくなる。大名行列か何かだろうか。

 

無季。「橋」は水辺。

 

三十四句目

 

   今の間に鑓を見かくす橋の上

 大キな鐘のどんに聞ゆる     維然

 (今の間に鑓を見かくす橋の上大キな鐘のどんに聞ゆる)

 

 「どん」は鈍で、くぐもった鈍い音が聞こえてくる。空気が湿っているのか。花の定座の前で、春の霞みの暗示か。

 

無季。

 

三十五句目

 

   大キな鐘のどんに聞ゆる

 盛なる花にも扉おしよせて    支考

 (盛なる花にも扉おしよせて大キな鐘のどんに聞ゆる)

 

 花見を待ちきれずに、夜明けの鐘とともに群衆が寺に押し寄せる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   盛なる花にも扉おしよせて

 腰かけつみし藤棚の下      臥高

 (盛なる花にも扉おしよせて腰かけつみし藤棚の下)

 

 押し寄せたのは藤棚の花だった。藤波というくらいだから怒涛のように。家の間近に迫った花を縁側に腰かけたまま摘む。春もたけなわで一巻は目出度く終わる。

 

季語は「藤棚」で春、植物、草類。