蕉門俳諧集 下

   元禄四年

 

「梅若菜」の巻

 元禄四年(一六九一)一月上旬大津で、乙州(おとくに)の江戸下向の際、珍碩、素男、智月、凡兆、去来、正秀らが集って行われた興行の二十句に、伊賀と京都でそれぞれ継ぎ足して歌仙として完成させたもの。去来、凡兆編の『猿蓑』に収録される。

 発句:梅若菜まりこの宿のとろろ汁   芭蕉

「蠅ならぶ」の巻

 元禄四年七月、京での五吟歌仙興行。路通が陸奥の旅を終えて上方の俳諧に復帰する。

 発句:蠅ならぶはや初秋の日数かな   去来

「牛部屋に」の巻

 元禄四年七月、京都での興行。連衆は芭蕉、路通、史邦、丈草、去来、野童、正秀、執筆で、人数は多いが出勝ちではなく順番に付けている。

 発句:牛部屋に蚊の声よはし秋の風   芭蕉

「安々と」の巻

 元禄四年八月十六日、近江堅田の成秀(せいしゅう)亭での興行。路通、丈草、惟然、正秀なども交え、総勢十九人でのにぎやかな興行となった。

 発句:安々と出でていさよふ月の雲  芭蕉

「御明の」の巻

 元禄四年閏八月、膳所の連衆との八吟歌仙興行。

 発句:御明の消て夜寒や轡むし     探志

「うるはしき」の巻

 元禄四年九月三日、膳所での十三人の連衆を集めての歌仙興行。

 発句:うるはしき稲の穂並の朝日哉   路通

「もらぬほど」の巻

 元禄四年の初冬、大垣の斜嶺亭での半歌仙興行。

 発句:もらぬほどけふは時雨よ草の屋  斜嶺

「其にほひ」の巻

 元禄四年初冬、三河新城滞在中の十二吟歌仙。

 発句:其にほひ桃より白し水仙花    芭蕉

「此里は」の巻

 元禄四年初冬、三河新城滞在中のもう一つの十二吟歌仙。

 発句:此里は山を四面や冬籠り     支考

   元禄五年

 

「鶯や」の巻

 元禄四年十月二十九日に江戸に到着した芭蕉と支考は、しばらく日本橋橘町に滞在する。これは年が明けて元禄五年一月の両吟歌仙。このあと支考は奥州行脚に旅立つ。

 発句:鶯や餅に糞する縁の先      芭蕉

「両の手に」の巻

 元禄五年春(六年説もある)の芭蕉、其角、嵐雪の三吟歌仙。初出が明和二年刊蓼太編の『三吟未来記』が初出なので、疑問はあるとされているが、完成度は高いし、高すぎると言ってもいい。発句は『桃の実』(兀峰編、元禄六年刊)所収。

 発句:両の手に桃とさくらや草の餅   芭蕉

「破風口に」の巻

 元禄五年の夏、芭蕉と素堂が試みた和漢俳諧の両吟歌仙で、満尾したのが八月八日だったという。

 発句:破風口に日影やよはる夕涼   芭蕉

「名月や」の巻

 元禄五年八月十五日、江戸在勤中の大垣藩士が集まっての半歌仙興行。

 発句:名月や篠吹雨の晴をまて     濁子

「青くても」の巻

 この興行は元禄五年九月中旬から下旬とされていて日付ははっきりしない。深川芭蕉庵(第三次)での芭蕉、洒堂、嵐蘭、岱水の四吟歌仙興行で、洒堂編の『俳諧深川集』(元禄六年刊)に収録されている。

 発句:青くても有べきものを唐辛子   芭蕉

「苅かぶや」の巻

 元禄五年九月二十日余り、江戸嵐竹亭での五吟十句興行があり、翌年一月から二月に洒堂が膳所、京、大阪などを回り、ふたたび膳所へ戻って満尾した一巻。

 発句:苅かぶや水田の上の秋の雲    洒堂

「けふばかり」の巻

 元禄五年十月三日、江戸勤番中で江戸に出てきていた森川許六の江戸旅亭(彦根藩邸)での興行。

 発句:けふばかり人も年よれ初時雨    はせを

「口切に」の巻

 元禄五年十月、深川の支梁亭での八吟歌仙興行。

 発句:口切に境の庭ぞなつかしき    芭蕉

「月代を」の巻

 元禄五年冬、深川芭蕉庵に大垣の千川・此筋兄弟を迎えて興行。十八句だが半歌仙ではなく十八公という形式だという。半歌仙が表六句、裏十二句なのに対し、表十、裏八になる。「十八公」は「松」という字を分解したもので、お目出度い常緑の松に因んでいる。

 発句:月代を急ぐやふなり村時雨    千川

「水鳥よ」の巻

 元禄五年冬、江戸勤番の備前岡山藩士、兀峰(こっぽう)を芭蕉庵に迎えての四吟歌仙興行。途中から里東が抜けて其角が参加しているが、同じ日なのか日を変えてなのか、事情はよくわからない。

 発句:水鳥よ汝は誰を恐るるぞ     兀峰

「洗足に」の巻

 元禄五年十二月上旬、森川許六の江戸旅亭(彦根藩邸)での興行。

 発句:洗足に客と名の付寒さかな    洒堂

「打よりて」の巻

 元禄五年十二月二十日江戸の彫棠亭での六吟歌仙興行。

 発句:打よりて花入探れんめつばき   芭蕉

「木枯しに」の巻

 元禄五年十二月二十二日、江戸の大垣藩邸での興行とされている。荊口・千川・此筋の親子が参加している。

 発句:木枯しにうめる間おそき入湯哉  荊口

   元禄六年

 

 

「蒟蒻に」の巻

 元禄六年一月、嵐雪との両吟三十四句に、珍碩の三十五句目と芭蕉の挙句が付け加わって、一応歌仙の形になっている。

 発句:蒟蒻にけふは賣かつ若菜哉    芭蕉

 

「野は雪に」の巻

 元禄六年一月江戸の大垣藩邸千川亭での歌仙。

 発句:野は雪に鰒の非をしる若菜哉     凉葉

「風流の(誠)」の巻

 元禄六年夏とされているが、詳しいことはよくわからない。『袖草紙所引鄙懐紙』には「餞別」と前書きがあるが、誰への餞別なのかもよくわからない。

 発句:風流のまことを鳴やほととぎす  凉菟

「篠の露」の巻

 元禄六年四月、千川が大垣藩主に従い日光に詣でるので、その餞別に歌仙興行が催される。

 発句:篠の露はかまにかけし茂哉    芭蕉

「其富士や」の巻

 元禄六年五月二十九日は、小の月なので晦日になる。その晦日会の歌仙興行。露沾、沾荷、沾圃といった磐城平藩のメンバーが集まっている。

 発句:其富士や五月晦日二里の旅    素堂

「朝顔や」の巻

 元禄六年七月、芭蕉が江戸にいた頃、京の史邦が江戸に移住してきての歌仙興行。

 発句:朝顔や夜は明きりし空の色    史邦

「初茸や」の巻

 元禄六年七月、「朝顔や」の巻と同じ頃、芭蕉と史邦に岱水、半落、嵐蘭を加えての五吟歌仙興行。

「帷子は」の巻

 元禄六年の七月の史邦、芭蕉、岱水の三吟歌仙。芭蕉の閉関前の興行になる。

 発句:帷子は日々にすさまじ鵙の聲   史邦

「いざよひは」の巻

 元禄六年八月十六日、江戸での七吟歌仙興行。閉閑明けの復活興行になる。

 発句:いざよひはとり分闇のはじめ哉  芭蕉

「十三夜」の巻

 元禄六年九月十三日、深川芭蕉庵にて興行。

 発句:十三夜あかつき闇のはじめかな    濁子

「秋の空」の巻

 元禄七年刊の野坡、孤屋、利牛編『炭俵』所収の其角・孤屋両吟。三十二句で終わっている。

 発句:秋の空尾上の杉に離れたり    其角

「道くだり」の巻

 天野氏興行という前書きがある。天野桃隣と『炭俵』の撰者利牛、野坡との三吟歌仙興行で『炭俵』に収録される。

 発句:道くだり拾ひあつめて案山子かな 桃隣

「ゑびす講」の巻

 元禄六年(一六九四)十月二十日、恵比寿講の日に深川での芭蕉、野坡、孤屋、利牛による四吟歌仙興行。元禄七年刊の野坡、孤屋、利牛編『炭俵』に収録される。

 発句:振売の雁あはれ也ゑびす講     芭蕉

「芹焼や」の巻

 元禄六年十一月、芭蕉、濁子、凉葉による三吟歌仙。「田舎」をテーマにした俳諧と思われる。

 発句:芹焼やすそ輪の田井の初氷    芭蕉

「後風」の巻

 元禄年冬、伊賀藤堂玄虎の江戸旅亭での芭蕉、玄虎、舟竹による三吟。二十四句までしかないが、満尾できなかったのか散逸したのかは定かでない。

 発句:後風鳶の身振ひの猶寒し     玄虎

「雪の松」の巻

 元禄六年(一六九四)十一月上旬、江戸での興行で、芭蕉は第三のみの参加となっている。芭蕉を含め十三人もの連衆を集めてのなかなか賑やかな興行だった。この歌仙も元禄七年の野坡、孤屋、利牛編『炭俵』に収録される。

  発句:雪の松おれ口みれば尚寒し    杉風

「いさみたつ(霰)」の巻

 元禄六年冬。芭蕉・沾圃・馬莧による三吟歌仙で、沾圃編の『続猿蓑』のために試みられたものと思われるが、芭蕉の求める出来ではなかったのだろう。後に「いさみたつ(嵐)」の巻を巻くことになる。

 発句:いさみたつ鷹引居る霰哉     芭蕉

「いさみたつ(嵐)」の巻

 元禄六年冬。「いさみたつ(霰)」の巻を反故にして、発句を若干変えて里圃に譲り、それを発句にしての里圃・沾圃・馬莧の三吟歌仙で、芭蕉は第三のみの参加となる。『続猿蓑』所収。

 発句:いさみ立鷹引すゆる嵐かな    里圃

「寒菊や」の巻

 元禄六年冬、芭蕉庵での野坡・芭蕉両吟で、三十二句で終了している。

 発句:寒菊や小糠のかかる臼の傍    芭蕉

「雪や散る」の巻

 元禄六年冬の六吟半歌仙興行。

 発句:雪や散る笠の下なる頭巾迄    杉風

「生ながら」の巻

 元禄六年冬。十二句目までは芭蕉と岱水の両吟で、そのあと岱水と杉風の両吟で歌仙を満尾している。

 発句:生ながらひとつにこほる生海鼠哉 芭蕉

   元禄七年

 

 

「むめがかに」の巻

 元禄七年春、野坡との両吟歌仙興行。元禄七年の野坡、孤屋、利牛編『炭俵』に収録される。

 発句:むめがかにのつと日の出る山路かな  芭蕉

「傘に」の巻

 元禄七年の春、濁子、凉葉といった大垣藩士、野坡、利牛、岱水といった『炭俵』のメンバーに、曾良、宗波といった『鹿島詣』からの門人を交えた豪華メンバーによる八吟歌仙。

 発句:傘におし分見たる柳かな     芭蕉

「五人ぶち」の巻

 元禄七年春の野坡、芭蕉両吟歌仙興行。野坡との両吟は「梅が香に」の巻の方が『炭俵』に採用され、「五人ぶち」の方は発句のみの入集となった。

 発句:五人ぶち取てしだるる柳かな   野坡

「八九間」の巻

 元禄七年春の興行で『続猿蓑』に収録されている芭蕉、沾圃、馬莧、里圃による四吟歌仙。『真蹟添削草稿』で推敲の過程をたどることができる。

 発句:八九間空で雨降る柳かな      芭蕉

「水音や」の巻

 元禄七年春に興行された六吟半歌仙。

 発句:水音や小鮎のいさむ二俣瀬   湖風

「兼好も」の巻

 元禄七年刊野坡・孤屋・利牛編『炭俵』所収の嵐雪・利牛・野坡の三吟歌仙。

 発句:兼好も莚織けり花ざかり      嵐雪

「空豆の花」の巻

 元禄七年(一六九四)初夏、深川芭蕉庵での興行の発句。このすぐあと五月十一日には芭蕉は西へと最後の旅に出る。

 発句:空豆の花さきにけり麦の縁     孤屋

「早苗舟」の巻

 元禄七年初夏、おそらく芭蕉が上方への最後の旅に出る前だろう。利牛、野坡、孤屋の三人による三吟百韻。ちなみに許六の『俳諧問答』によれば「三人共越後屋の手代」だという。越後屋は三井越後屋呉服店。

 発句:子は裸父はててれで早苗舟     利牛

「紫陽花や」の巻

 元禄七年(一六九四)五月初旬、深川の子珊亭での五吟歌仙興行。子珊編『別座敷』に収録される。

 発句:紫陽花や藪を小庭の別座敷   芭蕉

「新麦は」の巻

 元禄七年五月、芭蕉が上方方面への最後の旅に出る際の、山店の餞別吟を発句とした両吟歌仙。

 発句:新麦はわざとすすめぬ首途かな  山店

「世は旅に」の巻

 元禄七年五月二十三日か二十四日、名古屋の荷兮亭での十吟歌仙興行。

 発句:世は旅に代かく小田の行戻り   芭蕉

「水鶏啼と」の巻

 元禄七年五月二十五日、佐屋の隠士山田庄右衛門宅での芭蕉・露川・素覧による三吟半歌仙。その続きを付けた支考・左次・巴丈・露川・素覧によって歌仙として満尾しているが、この続きの部分には二つの異なるバージョンがある。

 発句:水鶏啼と人のいへばや佐屋泊   芭蕉

「柳小折」の巻

元禄七年(一六九四)閏五月二十二日、京都落柿舎での興行。芭蕉はもとより、珍碩あらため洒堂、去来、支考、丈草、そして後に惟然を名乗る素牛など名だたるメンバーがそろった乱吟(出勝ち)による興行。

発句:柳小折片荷は涼し初真瓜  芭蕉

「鶯に」の巻

 元禄七年の正月に去来が浪化と巻いた半歌仙を元に、閏五月に京都にやってきた芭蕉を迎え、指導を受けながら歌仙一巻を完成させた、やや特殊な作品。季吟に学び貞門の作風を引き継いでた浪化が蕉門の作風に馴染んでゆく様子が伺われる。

 発句:うぐいすに朝日さす也竹閣子なりたけがうし  浪化

「牛流す」の巻

 元禄七年閏五月下旬、芭蕉の京都滞在中、京都嵯峨野にある去来の落柿舎に大阪の諷竹(之道)を迎えての七吟歌仙興行。

 発句:牛流うしながむらのさはぎや五月雨さつきあめ      諷竹

「夕㒵や」の巻

 元禄七年五月二十二日から六月十五日までの京都落柿舎滞在中の興行。実際のこの時の興行は二十二句目までだったと思われる。名古屋へ持ち帰って露川・如行らが続きを作った巻が存在するほか、之道、去来、惟然、野明による二十二句目からの異なるもう一つの巻が存在する。

 発句:夕㒵や蔓に場をとる夏座敷    為有

「夏の夜や」の巻

 元禄七年のおそらく六月十七日、膳所の曲翠亭で行われた五吟歌仙興行で、前書きに当たる「今宵賦」とともに『続猿蓑』に収録された。「今宵賦」には六月十六日とあるが、「今宵賦」の内容といい、芭蕉の発句といい、この夜は宴会で興行は別の日ではなかったと思われる。

 発句:夏の夜や崩て明し冷し物     芭蕉

「ひらひらと」の巻

 元禄七年六月、大津の能太夫、本間丹野亭での歌仙興行。

 発句:ひらひらとあがる扇や雲のみね  芭蕉

「秋ちかき」の巻

 元禄七年の六月二十一日、大津の木節庵での興行。連衆は芭蕉、木節、惟然、支考の四人。木節はこのあと芭蕉を看取ることになる医者だ。

 発句:秋ちかき心の寄や四畳半     芭蕉

「あれあれて」の巻

 元禄七年七月二十八日の夜、伊賀の猿雖亭で興行された歌仙。

 発句:あれあれて末は海行野分哉    猿雖

「残る蚊に」の巻

 元禄七年七月中旬からの伊賀滞在中の興行と思われる。三十句のみ残っているが、本来は歌仙だったと思われる。

 発句:残る蚊に袷着て寄る夜寒哉    雪芝

「松茸や(都)」の巻

 元禄七年八月二十三日、猿雖亭での興行で、十六句のみが残されている。

 発句:松茸や都に近き山の形リ     素牛

「つぶつぶと」の巻

 元禄七年八月二十四日の伊賀での八吟歌仙興行。

 発句:つぶつぶと掃木をもるる榎実哉  望翠

「松茸や(知)」の巻

 元禄七年九月三日の伊賀に到着した支考と文代(斗従)が、その翌日誰かから届けられた松茸を見て、芭蕉の旧作を元に巻かれた歌仙。

 発句:松茸やしらぬ木の葉のへばりつき 芭蕉

「松風に」の巻

 元禄七年九月四日伊賀の猿雖亭での七吟五十韻興行とされているが、四日に「松茸や(知)」の巻が興行され、五日に「行秋や手をひろげたる栗のいが 芭蕉」の句が披露され、この日「猿蓑に」の巻が興行されたとすると、六日の可能性もある。

 発句:松風に新酒をすます夜寒哉    支考

「猿蓑に」の巻

 元禄七年九月の初め頃の伊賀での興行。前年に詠まれた沾圃の発句をもとに芭蕉、支考、惟然の三人が巻いた歌仙で、沾圃編の『続猿蓑』に収録される。『続猿蓑』の編纂のきっかけを作った発句を元にした、この句を収録するための興行だったといえよう。

 発句:猿蓑にもれたる霜の松露哉    沾圃

「升買て」の巻

 元禄七年九月十四日、大阪畦止亭での興行。この興行で、もめ事の元になっていた洒堂と之道は顔を合わせることになる。

 発句:升買て分別かはる月見かな    芭蕉

「秋もはや」の巻

 元禄七年九月十九日、大阪の其柳(きりゅう)亭での八吟歌仙興行。

 発句:秋もはやはらつく雨に月の形   芭蕉

「秋の夜を」の巻

 元禄七年九月二十一日、大阪の車庸亭での半歌仙興行。

 発句:秋の夜を打崩したる咄かな    芭蕉

「此道や」の巻

 元禄七年九月二十六日、大阪の晴々亭で十二人の連衆による半歌仙興行の一巻。この翌日の園女亭が芭蕉の最後の興行になる。

 発句:此道や行人なしに秋の暮    芭蕉

「白菊の」の巻

 元禄七年九月二十七日、大阪の園女亭での九吟歌仙興行。これが芭蕉が参加する最後の俳諧興行となった。

 発句:白菊しらぎくたてちりもなし    芭蕉

「なきがらを」の巻

 元禄七年十月一十二日、芭蕉は大阪に没す。亡骸は膳所木曽塚義仲寺に埋葬された。初七日の十月十八日日、ここに多くの門人が集まって、追善百韻、「元禄七年十月十八日於義仲寺追善之俳諧」が興行された。

 発句:なきがらを笠に隠すや枯尾花   其角


参考、「そんならば」の巻

 元禄十五年(一七〇二)の惟然の撰による『二葉集』に収録された俳諧だが、十九句目までしか掲載されていない。それでもこの頃の惟然の風を知るのには十分だろう。

 発句:そんならば花に蛙の笑ひ顔    智月

参考、「此さきは」の巻

 元禄十五年(一七〇二)惟然撰『二葉集』所収の惟然、正興による両吟半歌仙。

 発句:此さきは何ンであらふぞ夏木立   正興