「のまれけり」の巻、解説

延宝六年秋

初表

 のまれけり都の大気江戸の秋      春澄

   詞のかはせ千金の月        似春

 菊やどの家に久しき雁鳴て       桃青

   酒舟あれば汀浪こす        春澄

 碓の音いそがしの松の風        似春

   与作あやまつて仙郷に入      桃青

 

初裏

 はやり哥も雲の上まで聞えあげ     春澄

   いつも初音のいつも初音の     似春

 御町にて其御姿は御姿は        桃青

   あしたのだて染夕のときわけ    春澄

 むつ言のきがねの蚤のはひ出て     似春

   釈迦にそひねの夢の短夜      桃青

 所作らしい諸行無常のかねの声     春澄

   鼓の下手くそ寺は桂の       似春

 小芝居を君もおかしとおぼしめし    桃青

   鬼こらへずを生捕にして      春澄

 天も花に毒の酔狂月に影        似春

   鰒のこてふの春になり行      桃青

 

 

二表

 声霞む猫はかへつて野ら遠し      春澄

   へついの下に草はもえなん     似春

 世の中に名もなき茸のさればこそ    桃青

   金輪際より嶋山の露        春澄

 毘沙門の鉾のしたたり国の秋      似春

   外道の首の落かかる月       桃青

 蛬舌は八つにやさけぬらん       春澄

   空誓文に霜枯し中         似春

 薬物右近が哥を煎じても        桃青

   古川のべにぶたを見ましや     春澄

 先爰にパウの二けんの杉高し      似春

   日待にきたか山郭公        桃青

 

二裏

 やすき夜も寝ぬに目覚めすならちやずき 春澄

   雲のいづこに匂ふ焼みそ      似春

 内熱に遠の嵐やにくむらん       桃青

   松はすねたる入道相国       春澄

 花はとぶ袖は錦の長絹きて       桃青

   はだにはきむく鶯の声       似春

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

 のまれけり都の大気江戸の秋   春澄

 

 「大気」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「気が大きいこと。太っ腹。度量が大きいこと。」

 

とある。

 都では太っ腹で通っているこの私ですが、江戸ではすっかりご馳走になってしまいました、という挨拶であろう。

 

季語は「秋」で秋。

 

 

   のまれけり都の大気江戸の秋

 詞のかはせ千金の月       似春

 (のまれけり都の大気江戸の秋詞のかはせ千金の月)

 

 その発句は千金の価値があります。言葉の為替として有難く受け取っておきますよ、さすが都の太っ腹です、と返す。

 月に秋を詠んだ歌はたくさんある。

 

 このまよりもりくる月の影見れば

     心つくしの秋はきにけり

              よみ人しらず(古今集)

 月見れはちぢに物こそかなしけれ

     わが身ひとつの秋にはあらねど

              大江千里(古今集)

 

など。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

第三

 

   詞のかはせ千金の月

 菊やどの家に久しき雁鳴て    桃青

 (菊やどの家に久しき雁鳴て詞のかはせ千金の月)

 

 「菊やどの」は『校本芭蕉全集 第三巻』に「菊屋殿」とある。菊の咲く宿とも取れなくはない。

 「雁」を「借り」に掛けるのはこの頃のお約束といったところか、ここしばらく借金もなく、言葉の為替もいただいて千金の月、となる。

 月に雁を詠んだ歌も多い。

 

 さ夜なかと夜はふけぬらし雁金の

     きこゆるそらに月わたる見ゆ

              よみ人しらず(古今集)

 大江山かたぶく月の影冴えて

     とはたのおもに落つる雁金

              慈円(新古今集)

 

など。

 

季語は「菊」で秋、植物、草類。「家」は居所。「雁」は鳥類。

 

四句目

 

   菊やどの家に久しき雁鳴て

 酒舟あれば汀浪こす       春澄

 (菊やどの家に久しき雁鳴て酒舟あれば汀浪こす)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』に、酒舟は「酒の醸造にあたって酒を絞る槽」とある。菊酒を作る槽か。「こす」は酒を濾すに掛かる。

 菊酒はウィキペディアに二種類あるという。

 

 「江戸時代の『本朝食鑑』には二種類の製造法が紹介されている。

 一つ目は、菊の花びらを浸した水で仕込みをすると言うもので、有名な加賀の菊酒はこの製法で作る。

 二つ目は、「菊花を用いて、焼酎中に浸し、数日を経て煎沸し、甕中に収め貯え、氷糖を入れ数日にし成る。肥後侯之を四方に錢る 倶に謂ふ目を明にし頭病を癒し 風及婦人の血風を法ると」『本朝食鑑』とあり、現在梅酒などを造る時の要領で、氷砂糖と一緒に寝かせた菊の花びらを焼酎に漬け込むもの。眼病や婦人病に効果があると、江戸時代に広く薬酒として愛された。」

 宿に汀は、

 

 わが宿の汀にまちし秋風は

     なかはにかくもつきにけるかな

              藤原公任(公任集)

 わが宿の汀におふるなよたけの

     はちすとみゆるをりもありけり

              赤染衛門(赤染衛門集)

 

の歌がある。

 

無季。「汀浪こす」は水辺。

 

五句目

 

   酒舟あれば汀浪こす

 碓の音いそがしの松の風     似春

 (碓の音いそがしの松の風酒舟あれば汀浪こす)

 

 「碓」は「からうす」でウィキペディアに、

 

 「唐臼(からうす)は、搗き臼の一種。

 臼は地面に固定し、杵をシーソーのような機構の一方につけ、足で片側を踏んで放せば、杵が落下して臼の中の穀物を搗く。米や麦、豆など穀物の脱穀に使用した。踏み臼ともいう。」

 

とある。

 前句の「酒舟」から酒に用いる米を搗く。

 汀に松風は、

 

 雨ふると吹く松風はきこゆれど

     池の汀はまさらざりけり

              紀貫之(拾遺集)

 

の歌がある。

 

無季。「松」は植物、木類。

 

六句目

 

   碓の音いそがしの松の風

 与作あやまつて仙郷に入     桃青

 (碓の音いそがしの松の風与作あやまつて仙郷に入)

 

 『和漢朗詠集』に、

 

 仙臼風生空簸雪 野鑪火暖未揚煙

          紅白梅花 紀斉名

 

の詩句がある。前句の碓(からうす)は仙臼で松の風で雪に包まれ、仙界に飛ばされてしまった。

 同じ『和漢朗詠集』に、

 

 謬入仙家雖為半日之客恐帰旧里纔逢七世之孫

          二条院宴落花乱舞衣序 大江朝綱

 

の句もある。

 

無季。

初裏

七句目

 

   与作あやまつて仙郷に入

 はやり哥も雲の上まで聞えあげ  春澄

 (はやり哥も雲の上まで聞えあげ与作あやまつて仙郷に入)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は、

 

 与作思へば照る日も曇る 関の古万が涙雨

 

という当時の流行歌があったという。このフレーズはネット上で探すと鈴鹿馬子唄の中に見ることができる。愛知厚顔さんの「東海道の昔の話(1)関の小万と鈴鹿馬子唄」によると、近松門左衛門の宝永四年(一七〇七年)の『丹波与作待夜の小室節』に既にこのフレーズがあるという。

 「丹波与作」をコトバンクでみると、「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「丹波の馬方。のち江戸へ出て出世し、武士になった。寛文(1661~1673)ごろから、関の小万との情事を俗謡に歌われ、浄瑠璃・歌舞伎にも脚色された。」

 

とある。また、「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典の解説」に、

 

 「歌舞伎・浄瑠璃の外題。

  初演延宝5.11(京・北側芝居)

  歌舞伎・浄瑠璃の外題。

  元の外題丹波与作手綱帯 など初演元禄6(京・村山平右衛門座)」

 

とある。

 ネット上の小西准子さんの『「薩摩歌」論─「丹波与作手綱帯』との関係をめぐって─』によると、元禄六年の方は富永平兵衛の『丹波与作手綱帯』で、延宝五年のは元祖嵐左衛門の『丹波与作』だという。それ以前から俗用に謡われてたのなら、当時誰しも知るキャラだったのだろう。

 ここで気になるのは与作と対になっている関の小万だが、これも、『冬の日』の「狂句木枯し」の巻十三句目に登場する、

 

   あるじはひんにたえし虚家

 田中なるこまんが柳落るころ   荷兮

 

の「こまん」のことなのだろうか。貞享二年六月二日の「涼しさの」の巻七十句目にも、

 

   はつ雪の石凸凹に凸凹に

 小女郎小まんが大根引ころ    才丸

 

の句がある。

 前句の与作もこの小万の句もその出典にさかのぼって理解する必要があるのかもしれない。

 

無季。「雲」は聳物。

 

八句目

 

   はやり哥も雲の上まで聞えあげ

 いつも初音のいつも初音の    似春

 (はやり哥も雲の上まで聞えあげいつも初音のいつも初音の)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 聞くたびに珍らしければ時鳥

     いつも初音の心地こそすれ

              永縁(金葉集)

 

が挙げられている。

 はやり歌はいつも新鮮なので、いつも初音になる。

 

無季。

 

九句目

 

   いつも初音のいつも初音の

 御町にて其御姿は御姿は     桃青

 (御町にて其御姿は御姿はいつも初音のいつも初音の)

 

 「御町(おちゃう)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 江戸の遊里、吉原の通称。

  ※俳諧・江戸十歌仙(1678)八「いつも初音の いつも初音の〈春澄〉 御町にて其御姿は御姿は〈芭蕉〉」

  ② 広く、公許の遊里。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「恋せしは右衛門といひし見世守り〈志計〉 お町におゐて皆きせるやき〈一朝〉」

 

とある。

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 「前句の『初音』を吉原の太夫の名にとりなす。当時初音太夫あり(吉原源氏五十四君)」

 

とある。『吉原源氏五十四君』は貞享四年刊其角編。

 

無季。恋。

 

十句目

 

   御町にて其御姿は御姿は

 あしたのだて染夕のときわけ   春澄

 (御町にて其御姿は御姿はあしたのだて染夕のときわけ)

 

 伊達染はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 派手な色や模様に染めること。流行の模様などに染めること。また、そのように染めた衣服。

  ※俳諧・桜川(1674)春二「伊達そめや仙台はぎのはなごろも〈玖也〉」

 

とある。「ときわけ」は解分衣(ときわけごろも)でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 袷(あわせ)を解きはなして単衣(ひとえ)にした衣。ときわけ。

  ※歌謡・松の落葉(1710)首巻・放下僧道行「初雁声におどろきて、解(と)きわけ衣(ごろも)洗ひほす」

 

とある。

 吉原で金をつぎ込んで落ちぶれてゆく様を誇張して、朝には派手な伊達染めだが夕べにはみすぼらしい単衣にばらした衣を着ているとする。

 

無季。恋。「だて染」「ときわけ」は衣裳。

 

十一句目

 

   あしたのだて染夕のときわけ

 むつ言のきがねの蚤のはひ出て  似春

 (むつ言のきがねの蚤のはひ出てあしたのだて染夕のときわけ)

 

 むつ言はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① うちとけた会話。むつまじく語り合う話。むつがたり。

  ※続日本紀‐天平元年(729)八月二四日・宣命「今のり給へる御事法は常の事にはあらず武都事(ムツごと)と思ほし坐すが故に」

  ② 男女二人だけのかたらい。男女の閨房(けいぼう)でのかたらい。

  ※古今(905‐914)雑体・一〇一五「むつ事もまだつきなくに明けぬめりいづらは秋のながしてふ夜は〈凡河内躬恒〉」

 

とある。

 睦言に気兼ねして蚤が出て行ったのだが、鼠も沈む船からは逃げ出すということか。

 

季語は「蚤」で夏、虫類。恋。

 

十二句目

 

   むつ言のきがねの蚤のはひ出て

 釈迦にそひねの夢の短夜     桃青

 (むつ言のきがねの蚤のはひ出て釈迦にそひねの夢の短夜)

 

 恋から釈教への逃げることはよくある。

 釈迦に添い寝の睦言は形だけの信仰ということで、悟りに至らぬまま夏の短夜のように一生は終わる。

 

季語は「短夜」で夏、夜分。釈教。

 

十三句目

 

   釈迦にそひねの夢の短夜

 所作らしい諸行無常のかねの声  春澄

 (所作らしい諸行無常のかねの声釈迦にそひねの夢の短夜)

 

 「諸行無常のかねの声」といえば『平家物語』の冒頭の、「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」入試で覚えさせられた言葉だが、夢のように短い夜が明けて、わざとらしく諸行無常の鐘が鳴り響く。

 

無季。釈教。

 

十四句目

 

   所作らしい諸行無常のかねの声

 鼓の下手くそ寺は桂の      似春

 (所作らしい諸行無常のかねの声鼓の下手くそ寺は桂の)

 

 これは『校本芭蕉全集 第三巻』の注にある通り、謡曲『熊野』の、

 

 「清水寺の鐘の声、祇園精舎をあらはし、諸行無常の声やらん。地主権現の花の色、娑羅双樹の理なり。生者必滅の世の習ひ、げにためしある粧ひ、仏も元は捨てし世の、半ばは雲に上見えぬ、鷲のお山の名を残す、寺は桂の橋柱」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.31397-31408). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

の舞台で、鐘がわざとらしく、鼓が下手くそだということ。

 

無季。釈教。

 

十五句目

 

   鼓の下手くそ寺は桂の

 小芝居を君もおかしとおぼしめし 桃青

 (小芝居を君もおかしとおぼしめし鼓の下手くそ寺は桂の)

 

 これも『校本芭蕉全集 第三巻』の注にある通り、謡曲『天鼓』の、

 

 「老の歩みも足弱く薄氷を・履む如くにて、心も危きこの鼓、 打てば不思議やその声の、心耳を澄ます声出 づる、げにも親子のしるしの声、君もあはれと思し召して」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.48797-48802). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

の場面を、鼓が下手くそなので君も「おかし」とした。

 

無季。「君」は人倫。

 

十六句目

 

   小芝居を君もおかしとおぼしめし

 鬼こらへずを生捕にして     春澄

 (小芝居を君もおかしとおぼしめし鬼こらへずを生捕にして)

 

 君もおかしとする小芝居は、鬼を生け捕りにする話だった。

 

無季。

 

十七句目

 

   鬼こらへずを生捕にして

 天も花に毒の酔狂月に影     似春

 (天も花に毒の酔狂月に影鬼こらへずを生捕にして)

 

 「天も花に」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注、謡曲『大江山』の、

 

 「天も花に酔へりや。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.76511-76513). Yamatouta e books. Kindle 版.)

 

で酔ったところで鬼を退治したところから来ているが、ウィキペディアによると、『大江山絵詞』(大江山絵巻)のあらすじのところに「『神変奇特酒』(神便鬼毒酒)という毒酒を振る舞い」とある。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「月」は夜分、天象。

 

十八句目

 

   天も花に毒の酔狂月に影

 鰒のこてふの春になり行     桃青

 (天も花に毒の酔狂月に影鰒のこてふの春になり行)

 

 前句を危ない酔狂者として、河豚の毒で死んで胡蝶に転生した。

 延宝九年の常矩撰『俳諧雑巾』にも、

 

 我や獏荘子が夢を鰒汁      直貞

 

の句がある。

 まあ、そういう桃青さんも延宝五年の冬に、

 

 あら何共なやきのふは過て河豚汁 桃青

 

の句を詠んでいる。

 

季語は「こてふの春」で春、虫類。

二表

十九句目

 

   鰒のこてふの春になり行

 声霞む猫はかへつて野ら遠し   春澄

 (声霞む猫はかへつて野ら遠し鰒のこてふの春になり行)

 

 猫は河豚を食ったりはしなかったのか、どこか遠くへ行ってしまった。

 延宝九年の常矩撰『俳諧雑巾』に、

 

 折を嫌ふべき歟鰒の皮に猫の舌  宗雅

 

の句があるが、河豚の皮に毒がある事が知られていたか、猫の舌を遠ざけるようにとしている。延宝八年刊幽山編の『俳枕』にも、

 

 猫や声身のうき浜の鰒のわた   松陰

 

の句がある。河豚の腸も毒がある。

 

季語は「霞む」で春、聳物。「猫」は獣類。

 

二十句目

 

   声霞む猫はかへつて野ら遠し

 へついの下に草はもえなん    似春

 (声霞む猫はかへつて野ら遠しへついの下に草はもえなん)

 

 「へつい」は「へっつい」で竈のこと。ウィキペディアの「かまど(竃)」のところに、

 

 「日本全国で呼称はさまざまである。関西では「へっつい」と呼ばれることが多いが、京都では「おくどさん」という名称が使われていた。」

 

とある。

 「もえなん」は草の萌えるのと草を燃やすのとに掛けて、竈にいた猫が帰って行ったので竈に火をつける。

 

 猫の妻へついの崩れより通ひけり 桃青

 

の句は延宝五年の句で、延宝六年刊不卜編の『俳諧江戸広小路』にある。

 

季語は「草はもえなん」で春、植物、草類。「へつい」は居所。

 

二十一句目

 

   へついの下に草はもえなん

 夜の中に名もなき茸のさればこそ 桃青

 (夜の中に名もなき茸のさればこそへついの下に草はもえなん)

 

 これは相対付けで、秋に茸も生えれば春には草も萌えるとする。

 

季語は「茸」で秋。「夜」は夜分。

 

二十二句目

 

   夜の中に名もなき茸のさればこそ

 金輪際より嶋山の露       春澄

 (夜の中に名もなき茸のさればこそ金輪際より嶋山の露)

 

 「金輪際」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「仏教用語。金剛輪際ともいう。仏教の宇宙論では,大地の下の底辺部に,黄金でできた金輪あるいは金剛から成る金剛輪があって,その最下端,すなわち大地のはてを金輪際という。」

 

とある。

 金輪際の底から茸のように生え出てきたものが島山となり、人の住む世界になったということか。

 

季語は「露」で秋、降物。釈教。「島山」は水辺、山類。

 

二十三句目

 

   金輪際より嶋山の露

 毘沙門の鉾のしたたり国の秋   似春

 (毘沙門の鉾のしたたり国の秋金輪際より嶋山の露)

 

 伊弉諾伊弉冉ではなく、仏教だから毘沙門天の鉾が秋津島を生み出したとする。

 秋に露も多くの歌に詠まれている。

 

 秋の夜は露こそことにさむからし

     草むらことに虫のわぶれば

              よみ人しらず(古今集)

 秋の野におく白露は玉なれや

     つらぬきかくる蜘蛛の糸すぢ

              文屋朝康(古今集)

 

など。

 

季語は「秋」で秋。釈教。

 

二十四句目

 

   毘沙門の鉾のしたたり国の秋

 外道の首の落かかる月      桃青

 (毘沙門の鉾のしたたり国の秋外道の首の落かかる月)

 

 外道はこの場合は悪鬼のことで毘沙門天の鉾のしたたりを外道の血のしたたりとした。

 秋に月は脇の所を参照。

 

季語は「つき」で秋、夜分、天象。釈教。

 

二十五句目

 

   外道の首の落かかる月

 蛬舌は八つにやさけぬらん    春澄

 (蛬舌は八つにやさけぬらん外道の首の落かかる月)

 

 「蛬(きりぎりす)」を「斬り斬りす」と掛けて、舌を斬って斬って八つに割かれる。

 これは貴船神社の伝承で、貴船明神のお供をした牛鬼の仏国童子が天上の秘密にすべきことを喋ってしまったため、舌を八つに裂かれた話を元にしている。

 蛬(きりぎりす)はコオロギのことで、蛬に月は、

 

 秋ふけぬ鳴けや霜夜のきりぎりす

     やや影さむし蓬生の月

              後鳥羽院(新古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「蛬」で秋、虫類。

 

二十六句目

 

   蛬舌は八つにやさけぬらん

 空誓文に霜枯し中        似春

 (蛬舌は八つにやさけぬらん空誓文に霜枯し中)

 

 「空誓文」は口先だけの約束で、愛しい人を待ち続けていたら、あれだけ鳴いていたキリギリスまで舌が裂かれたみたいに声も聞こえなくなり、草は霜に枯れて冬になってしまった。

 誓文は遊女がしつこく忠誠を求める客に対して、繋ぎ止めておくために形ばかりで書くもの。そうはいっても、金が尽きたか、かたっと来なくなる客もいる。

 

季語は「霜枯」で冬、降物。恋。

 

二十七句目

 

   空誓文に霜枯し中

 薬物右近が哥を煎じても     桃青

 (薬物右近が哥を煎じても空誓文に霜枯し中)

 

 右近の歌というと百人一首にもある、

 

 忘らるる身をば思はずちかひてし

     人の命の惜しくもあるかな

              右近(拾遺集)

 

であろう。この「ちかひてし」が空誓文だったので、右近の歌を煎じて飲ませればよかったのに。惜しい人をなくしたもんだ。

 

無季。恋。

 

二十八句目

 

   薬物右近が哥を煎じても

 古川のべにぶたを見ましや    春澄

 (薬物右近が哥を煎じても古川のべにぶたを見ましや)

 

 『源氏物語』玉鬘巻に、

 

 二本の杉のたちどを尋ねずは

     古川野辺に君を見ましや

 

の歌があるが、君は来ず豚が来る。

 この頃の人は豚を食べる習慣はなかったが、ウィキペディアによると、

 

 「18世紀の書『和漢三才図会』第37「畜類」の冒頭豕(ぶた)の条では育てやすい豚が長崎や江戸で飼育されていることが述べられているが、大坂在住の著者は「本朝肉食を好ま」ないため、近年は稀だとする。更に、豚肉を食べた際に生じる影響や豚肉と食べ合わせが悪いとされる食べ物などについても述べられている。また、同じように、豚肉について記したものとしては1695年(元禄八年)に刊行された人見必大の『本朝食鑑』があり、豚肉の効能・害について、または、江戸時代当時の豚の飼育状況についてが書かれている」

 

とある。

 ネット上の松尾雄二さんの「文献にみる長崎の江戸時代の豚について」によると、豚は主に汚物処理と猟犬の餌にするために飼われていたという。そこには、

 

 「人見必大の『本朝食鑑] (元禄八 (1695)年)には,「肉 [気味] 昔から謂われていることに,酸,微寒,無毒。李時珍の r[本草]綱目には詳しく禁忌を載せている。「本草別録」に,事者肉は能く血肱を閉じ,筋骨を弱くし,人肌を虚にするので,久しく食べてはいけない。病人・金療の者は尤も甚だしい,といっている。然ども,今俗でこれを金癒の薬としているのとは反説であるようにみえる。後来の試験を待って明らかにすべきことである。[主治]人を肥満にし,小児の府渇を療す。その他は「本草綱目」に詳しい。」と記述される。

 寺島良安の『和漢三才図絵j](正徳二(1712)年頃)には, r [苦,微寒,小毒あり〕 傷寒(外邪の侵入

によっておこる重い熱病),擢痢(おこりからくる下痢),疾病(慢性の目指息),痔漏などの疾あるものがこれを食えば,必ず再発する。〔烏梅(黒くいぶした梅),桔梗,黄連(薬草の名),胡黄連とは反発し,これらと一諸に食べれば潟痢をおこす。生董と一緒に食べれば面点を生じる。蕎麦と一緒に食べれば毛髪が抜ける。 JJとされる。」

 

とある。

 どうやら豚は毒だと考えられていたようだ。今から見ればおそらく豚の寄生虫が恐れられていたのだろう。河豚は食っても豚は食わなかった。それは経験の差だろう。河豚は有史以前より日本人は食べてきた。

 古川野辺で豚と会った時の感情は、汚らしいものを見たという感覚で、ムスリムほどではなくても近いものがあったのかもしれない。

 

無季。「古川のべ」は名所。「ぶた」は獣類。

 

二十九句目

 

   古川のべにぶたを見ましや

 先爰にパウの二けんの杉高し   似春

 (先爰にパウの二けんの杉高古川のべにぶたを見ましや)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、パウも前句の「ぶた」もカルタ用語だという。

 ウィキペディアの「天正かるた」のところを見ると、

 

 「天正かるたとは、16世紀、ポルトガルより日本に伝えられたカードゲームを国産化したもの。「カルタ」とは、ポルトガル語で「カード」を意味する。いわゆるトランプの一種である。この系統のカードの総称として「天正かるた」あるいは「天正系」と呼ばれ、これは天正年間に製造され始めたことに由来する。またこれを使った遊技法として「テンショ」「テンシュ」などの呼称にもなっている。

 棍棒(波宇/巴宇)、刀剣(伊須波多/伊須/伊寸)、金貨(於宇留/於留/遠々留)、聖杯(古津不/骨扶/乞浮)の4種類の紋標(スート)、1(豆牟(ツン)/虫)から9までの数札と女王(十)、騎馬(馬/牟末)、国王(切/岐利/腰)の絵札で構成される計48枚。最初はラテン系(イタリア、ポルトガル、スペイン)のカードの忠実な模倣であったが、国王や騎馬の鎧兜が日本の武士のように変化して、やがて「うんすんかるた」や「すんくんかるた」のように枚数を拡張して多人数が遊べるように対応したかるたも作られた。」

 

とある。この棍棒(波宇/巴宇)がパウで、今のトランプのクラブにあたる。ぶたはおいちょカブで十を意味する。トランプの数字を九にするゲームで、十だとぶたになる。今日でもポーカーで役ができない時に「ぶた」という。

 パウの形が今日のトランプと違い、棒を斜めに交差させた形で、数字が多くなると杉の木のような形になるため、杉が二本でぶたになる。

 

無季。「杉」は植物、木類。

 

三十句目

 

   先爰にパウの二けんの杉高し

 日待にきたか山郭公       桃青

 (先爰にパウの二けんの杉高し日待にきたか山郭公)

 

 日待(ひまち)はコトバンクの「百科事典マイペディアの解説」に、

 

 「旧暦1・5・9月の15日または農事のひまな日に講員が頭屋(とうや)に集まり,斎戒して神をまつり徹宵して日の出を待つ行事。待つとは本来神のそばにいて夜明しする意味で,十干十二支の特定の日に物忌する庚申(こうしん)講や甲子(きのえね)講,月の出を待つ月待などを総称して待ちごとという。→講」

 

とある。この場合は五月の日待ちであろう。夜通しおいちょカブをし、前句の「杉高し」を本物の杉の木としてホトトギスがやってくるとする。

 杉にホトトギスは、

 

 聞かずともここを背にせむほとときす

     山田の原野杉のむらだち

                 西行法師(新古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「郭公」で夏、鳥類。「山」は山類。

二裏

三十一句目

 

   日待にきたか山郭公

 やすき夜も寝ぬに目覚すならちやずき 春澄

 (やすき夜も寝ぬに目覚めすならちやずき日待にきたか山郭公)

 

 ならちや(奈良茶)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 奈良地方から産する茶。

  ② 「ならちゃめし(奈良茶飯)」の略。〔料理物語(1643)〕」

 

とある。

 この場合は②の方で、奈良茶飯は二つあり、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 薄く入れた煎茶でたいた塩味の飯に濃く入れた茶をかけて食べるもの。また、いり大豆や小豆(あずき)・栗・くわいなどを入れてたいたものもある。もと、奈良の東大寺・興福寺などで作ったものという。ならちゃがゆ。ならちゃがい。ならちゃ。〔本朝食鑑(1697)〕

  ② 茶飯に豆腐汁・煮豆などをそえて出した一膳飯。江戸では、明暦の大火後、浅草の浅草寺門前にこれを売る店ができたのが最初で、料理茶屋の祖となった。〔物類称呼(1775)〕」

 

とある。

 日待のときに食べるなら①の方か。奈良茶飯のカフェインで目を覚ましながら日待ちを乗り切る。

 「やすき夜」は、

 

 ますらをも枕を高みやすき夜に

     ひとりなげきはぬる夜ともなし

              藤原為家(夫木抄)

 

の用例がある。

 

無季。「やすき夜」は夜分。

 

三十二句目

 

   やすき夜も寝ぬに目覚めすならちやずき

 雲のいづこに匂ふ焼みそ     似春

 (やすき夜も寝ぬに目覚めすならちやずき雲のいづこに匂ふ焼みそ)

 

 これは百人一首でも有名な、

 

 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを

     雲のいづこに月宿るらむ

              清原深養父(古今集)

 

で、焼き味噌の匂いに、どこから匂って来るのだろうと目を覚ます。

 焼き味噌はコトバンクの「和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典の解説」に、

 

 「みそを杉板などに塗りつけて、遠火であぶった料理。そばの実・ごま・しょうがなどを加えることもある。酒の肴(さかな)、飯のおかず、茶漬けの具などにする。」

 

とある。奈良茶飯の具に焼味噌は定番だったのだろう。

 

無季。「雲」は聳物。

 

三十三句目

 

   雲のいづこに匂ふ焼みそ

 内熱に遠の嵐やにくむらん    桃青

 (内熱に遠の嵐やにくむらん雲のいづこに匂ふ焼みそ)

 

 内熱は陽気によって体に生じる熱のことをいう。味噌は寒性で熱を鎮めるとされている。

 内熱には味噌が良いというのに、焼き味噌の匂いはすれど姿が見えぬ。遠くから嵐の風で運ばれてきただけだった。

 嵐に雲は、

 

 なごりなく夜半の嵐に雲晴れて

     心のままにすめる月かな

              源行宗(金葉集)

 

の歌がある。

 

無季。

 

三十四句目

 

   内熱に遠の嵐やにくむらん

 松はすねたる入道相国      春澄

 (内熱に遠の嵐やにくむらん松はすねたる入道相国)

 

 相国はウィキペディアに、

 

 「相国(しょうこく)は、中国の漢代における廷臣の最高職。」

 

 「この職は日本にも律令制やそれに伴う文物とともに輸入され、日本の律令制度下に於ける太政官の最高職である太政大臣の唐名となった。平清盛が「入道相国」と呼ばれたり、足利義満が京都御所の近くに立てた寺の名前が「相国寺」であるのも、歴代の徳川将軍の位牌に「正一位大相国○○院殿」と記されているのも、彼らが生前に太政大臣に就任、若しくは死後に朝廷からこの官位を贈られたからである。」

 

とある。入道相国は平清盛のことでウィキペディアに「謎の熱病に罹って倒れた」とある。

 既に各地で反乱がおこっていて、それを遠の嵐に喩え、千歳の松の栄華も曲がってしまった。

 嵐に松は、

 

 ふゆされば嵐のこゑも高砂の

     松につけてぞ聞くべかりける

              大中臣能宣(拾遺集)

 

の歌がある。

 

無季。「松」は植物、木類。「入道相国」は人倫。

 

三十五句目

 

   松はすねたる入道相国

 花はとぶ袖は錦の長絹きて    桃青

 (花はとぶ袖は錦の長絹きて松はすねたる入道相国)

 

 付け順が変わり、桃青に花を持たせる。

 「長絹」は「すずし」と読む。weblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「練っていない(=灰汁(あく)などで煮ていない)絹糸。また、その糸で織った布。張りがあって薄くて軽く、主に夏の衣服に用いる。古くは「すすし」。[反対語] 練り絹(ぎぬ)。」

 

とある。法衣にも用いられ、この場合階級の高い入道相国なので錦のすずしとなる。

 僧でありながら千歳の松よりも花を好み、短い命を散らせていった。松に花と違え付けになる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「錦の長絹」は衣裳。

 

挙句

 

   花はとぶ袖は錦の長絹きて

 はだにはきむく鶯の声      似春

 (花はとぶ袖は錦の長絹きてはだにはきむく鶯の声)

 

 「きむく」は黄無垢。「はだ」は肌小袖のことか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 綿入小袖の下に着る袷(あわせ)の小袖。肌着の小袖。

  ※竹むきが記(1349)下「袴着あり。〈略〉紅梅の浮織物の二小袖、白織物のはだ小袖」

 

とある。

 最後に下着の色で落ちにして、花に鶯を添えて一巻は目出度く終わる。

 花に鶯は、

 

 花のかを風のたよりにたぐへてぞ

     鶯さそふしるべにはやる

              紀友則(古今集)

 鶯のなく野辺ことにきて見れば

     うつろふ花に風ぞふきける

              よみ人しらず(古今集)

 

など、多くの歌に詠まれている。

 

季語は「鶯」で春、鳥類。「きむく」は衣裳。