現代語訳『源氏物語』

12 明石

 なお雨風はやまず、雷も静まらないまま日々が過ぎて行きました。

 

 全く憂鬱なことばかり重なります。

 

 これまでもこれから先も悲しいことばかりだと思うと、希望を持とうにもなかなか難しいものです。

 

 「どうしたらいいものか。

 

 こんな状態だからといっても、都に帰った所でまだ世間が許してくれたわけではないし、ますます物笑いの種になるだけだし、だったらもっと山奥に籠って誰にも知られることのないところに行ってしまおうかと思っても、『波風にまでも嫌われたか』と嫌な伝説になって後世にまで面白おかしく語り継がれるのではないか。」

 

と思うとどうにも身動きが取れません。

 

 夢にもただいつもおなじ光景が繰返し現れ、すっかり取り憑かれてしまってます。

 

 雲が切れることなく何日も過ぎて行くと、京都からの便りもますます滞るようになり、このまま世間では死んだことにされてしまうのだろうかと不安に思っても、首を外に出すことすらできないような悪天候に、わざわざやってくる人もいません。

 

 そんな中、二条院からの使者がやけにみすぼらしい姿でびしょ濡れでやってきました。

 

 道ですれ違えば人なのかどうかもわからないような状態です。

 

 本来なら真っ先に追い払って然るべき下賤の者でも親族に会えたかのように喜んでいることに、我ながら恥ずかしく、つくづく落ちぶれたもんだと身にしみて思うのでした。

 

 その手紙には、

 

 「いつになっても降り止むことのない今日この頃のお天気に、ますます心まで閉ざされたうわの空で、何も手に付かないまま過ごす日々です。

 

 海べりの風はどうなの想像を

     しては何度も袖は濡れます」

 

 悲しい気持が切々と綴られてます。

 

 ますます涙の水位が上がったのでしょうか、目の前が真っ暗です。

 

 「都でもこの雨や風は、とにかくやばい不吉な前兆だということで仁王会なども行なわれているって話です。

 

 宮中に出入りする上達部なども外出できなくて、政治の方も滞っていて‥‥。」

 

というようなことを話すのですが、どうにも頭が悪そうで要領を得ず、それでも都の方のことを思えばいろいろ知りたいこともあるので、自分の前に連れて来させて尋ねました。

 

 「ただこんな雨が止むことなく降り続けて、風も時折吹くような状態がもう随分と長く続き、前例のないことなのでみんなびっくりしてます。

 

 それでもこんな地の底までも貫くような雹が降ったり、雷が止まないなんてことはありません。」

 

など、こちらがあまりにひどい状況なのに驚いて怖気づいて顔面蒼白なのを見ると、ますます不安になります。

 

 「このまま世界は破滅するのか」と思っているうちにも、そのまた次の明け方から風がひどく吹き荒れ、高潮が押し寄せ、波は音を荒げて岩も山も飲み込んでしまうかのようです。

 

 雷が光っては鳴り響くさまはこれ以上言いようがないくらいで、「落ちて来るぞ」と思った瞬間は誰も彼もが理性を失っています。

 

 「わわわわわっ、こんなひどい目にあって、一体俺は前世でどんな罪を犯したってゆうんだーーーーっ。」

 

 「父さん母さんにも逢えなければ最愛の妻の顔をも見ることなく、ここで朽ち果てるのか。」

 

と嘆くばかりです。

 

 源氏の君は何とか冷静さを保ち、「何も悪いことやってないのにこんな辺鄙な海辺で死んでたまるか」とあくまで強気ですが、周りがあまりにも騒ぎ立てるので、いろいろな神へのお供え物を並べ、

 

 「住吉の神よ、どうかこの辺りを静め、守ってくれ。

 

 本当に御仏の我が国に現れたる神ならば助けてくれ。」

 

と幾多の衆生救済の大願を求めました。

 

 みんな自分の命のことはともかくとして、これだけの大人物が異常な事態にあってこの地に沈んでいることに大層心を痛め、発心し、ちょっとでも信心のあるものなら我が身に代えてもこのお方を救ってくださいとどよめきが起こり、声を合わせて神仏に祈りを捧げました。

 

 「帝王の深き宮に育って、幾多の風流を楽しみ得意になっていたところはあったものの、この日本の津々浦々に至るまで民を深く愛し、埋もれていた人材も発掘してきたんだ。

 

 今何の罪あってここで邪悪な波風に溺れるというのか。

 

 天地の道理を明らかにせよ。

 

 罪もないのに罪人となり、官位を剥奪され、家を離れ都を追われ、明けても暮れても安らぐことなく嘆いているというのに、こんなひどい仕打ちで死んでしまうというのは前世の報いによるのか現世での犯罪によるものなのか、神仏よこの世にいるのであればこの災厄を鎮めてくれ。」

 

と住吉社の方角に向って、様々な願い事をし、また海の中の竜王や八百万の神に願い事をすると、雷はますます大きな音を立て、居間寝室へと続く廊下に落ちました。

 

 炎を上げて燃え上がり、廊下は焼け落ちました。

 

 理性も感情も失い、ただみんな呆然とするばかりです。

 

 後ろの方にある大炊殿(おほいどの)のような所にみんなを移し、身分の高いものも低いものも一緒になって、とにかく大声で泣き騒ぐ声は雷にも劣りません。

 

 空は墨を磨ったような状態で日も暮れました。

 

 やっとのことで風もおさまり雨脚も緩むと星の光が見えてきて、このすっかり変わり果てた居間にいつまでも居させるのも何とも申し訳なくて、寝殿に戻らせようとすると、焼け残った方も目を背けたくなるような状態で、そこらかしこ右往左往する人の足音がごろごろ鳴り響き、御簾なども皆風で散乱してました。

 

 ここで夜を明かすしかないかと何とか辿り着いて、源氏の君はお経を唱えながらあれこれ考えるのですが、どうにも落ち着けません。

 

 月の光も差し込み、柴の戸を押し開けて辺りを見回すと、波がすぐそばまで押し寄せた跡もなまなましく、その余波なのか今でも波は荒々しく寄せては返すのでした。

 

 こんな田舎では、今のこの状況を理解できて、過去の事例やこれからどうなるかをすばやく判断して、これはこうであれはこうなんだと即答してくれるような人はいません。

 

 得体の知れない猟師たちが偉い人がここにいるから何かわかるのかと集まってきて、わけのわからないことをあーだこーだと騒ぎ立てるのも何とも困ったものですが、追い払うわけにもいきません。

 

 「この風がもう少し吹いていたなら、高潮で全部持っていかれただろうな。

 

 神頼みというのも馬鹿にはできないな。」

 

という声が聞こえてくるものの、それにしてはあまりにも頼りなく馬鹿です。

 

 「海に住む神の助けがなかったら

     渦巻く潮に流されてたな」

 

 強がってはみても、丸一日吹き荒れていた風の騒ぎにすっかり疲労(ひろう)困憊(こんぱい)で、意に反して急に睡魔に襲われるのでした。

 

 申し訳程度の居間なのでただそこいらの物に寄りかかってうとうとしていると、亡き院が生きていた頃のそのままの姿で目の前に立っていて、

 

 「何でこんなとんでもないところに留まっているんだ。」

 

と言って手をつかんで引き寄せます。

 

 そして、

 

 「住吉の神がお導きになるのだから、早く船に乗ってこの海岸から離れるんだ。」

 

と言うのです。

 

 なんだか嬉しくなって、

 

 「あなたのその畏れ多い御姿とお別れして以来、いろいろ悲しいことばかりたくさんあったので、今はこの浜辺で身分を捨てて隠れ住むつもりで‥‥」

 

と申し上げると、

 

 「それはいけない。

 

 これはちょっとした天罰だ。

 

 われは在位の頃、悪気はなかったのだが結果的に罪なことをしてしまい、その罪を生きている間に償いきれなくてこの世のことにかまっている暇もなかったんだが、あまりにも悲しみに沈んでいるお前のことを見ていると我慢できなくて、海に入り渚に上りえらく苦労をしたもんだが、せっかくこの世に舞い戻ったのだから、ついでに内裏に行っていろいろ言いたいことがあるんでこれから京都へ急がねば‥‥」

 

と言って去っていきました。

 

 もっと一緒にいたいのに思うと、とにかく悲しく、

 

 「お供します。」

 

と言って涙をぼろぼろ流しながら見上げると、そこには誰もいず、月の顔だけが煌々として、夢見ていたとも思えずまだ院の気配がそこにあるような気がして、空の雲が悲しそうにたなびいてました。

 

 今となっては夢にも見ることがなく、逢いたいと思ってもかなえられなかったそのお姿を、ほのかにではあるがはっきりと見ることができただけに、その面影を思い浮かべては、「俺がこんな悲しみのどん底にいて死にそうになっているのを助けようと、空のかなたから駆けつけてくれたのだ」と思うとすっかり感激して、それもこれもこの一連の事件があればこそだと、去って行った後のこの月夜が限りなく心強く嬉しく感じられるのでした。

 

 胸がきゅんとなってかえって気持ちを落ち着けることができず、現実の悲しいこともすっかり忘れて、夢とはいえ何一つまともな受け答えができなかったもやもやが残るだけに、もう一度逢えないかと何とか寝ようと努力するのだけど、ますます目が冴えてしまったまま夜も明けてしまいました。

 

 いかにも小さそうな船が近くの渚に接岸し、二三人ほど源氏の君の宿泊しているところにやってきました。

 

 「はて、どちら様で?」

 

と尋ねると、先の播磨の守で今は出家したばかりあの爺さんが、明石の浦から船を遣わせて来てたのでした。

 

 「源の少納言がおられるならこちらへ来て取り次いでくれ。」

 

と言いました。

 

 源少納言良清は驚いて、

 

 「あの入道は播磨の国にいた頃交流のあった人で、長く懇意にさせていただいてたっすが、個人的に少々感情的な問題があって長いこと疎遠になってて、こんな海の方から人目を忍んで一体なんなんすかねえ。」

 

と首をひねります。

 

 源氏の君は夢のことなど思い当たることもあるので、

 

 「早く会ってこいよ。」

 

と言うと、船の方に行って対応しました。

 

 あれほど風が吹いて波も高かったのに、一体いつ船を出したんだと何とも不可解です。

 

 「以前三月最初の巳の日の夢に、見たことのないような身なりの人お告げがあって、何とも信じがたいことだったのだが、

 

 『十三日に新たな兆候を見せる。

 

 船を用意して必ず雨風が止んだらこの浦に接岸せよ。』

 

と何度もお告げがあって、試しに船を用意して待っていると、雨も風も激しく雷もゴロゴロ鳴りだしたので、中国の皇帝にも夢を信じて国を救ったというような話がたくさんあるのを引用するまでもなく、この神罰の日を逃さず、このことをお話したくて船を出すと、不思議なことに弱い風がそこだけ吹いてこの浦にたどり着いたのだから、これぞまさに神の導きに違いない。

 

 そちらにももしや心当たりがあるのではと思ってな。

 

 突然でいかにも失礼なことではあるが、このことを伝えてくれ。」

 

と言いました。

 

 良清は源氏の君に耳打ちします。

 

 源氏の君は思い返すと、夢にもうつつにもいろいろ穏やかならぬ神のお告げのようなことがあったのをあれこれ結びつけて、

 

 「世間で逃げ出したというような話になって、いろいろ後の人に非難を受けることを心配するあまり、本当に神様が助けてくれているのかもしれないのを拒むなら、そっちの方がもっと人の物笑いの種になる。

 

 実際の人の心ですら怖いのだから、まして神ともなれば‥‥。

 

 これまでのどうしようもない状況を考えても、ここは自分より年長で、それに地位もあって、自分よりも時流に乗って輝いている人には、それにうまく取り入って気に入られるようにしない手はない。

 

 長いものには巻かれろと昔の賢者も言っていることだ。

 

 実際、こんな生きた心地もしないような、この世にそうそう起こるはずのないようなことばかり見せ付けられ、それで後の評判を恐れて逃げたのでは武勇伝にはならない。

 

 夢の中で父である御門にも諭されたとあれば、もうこれは疑いようがない。」

 

 そう思ってこう答えました。

 

 「見知らぬ土地で滅多にないような災厄をこれでもかと見てきたけど、都の方から見舞ってくれる人もいない。

 

 ただ行方も知れぬ日月の光ばかりを故郷の友と眺めていたところ、何とも嬉しい迎えの釣り船ではないか。

 

 そちらの浜辺に静かに隠れてすごせるような場所があるなら‥‥。」

 

 それを聞くとこの上なく喜んで姿勢を正してこう言いました。

 

 「とにかく夜が明けてしまう前に舟に乗りなさい。」

 

 そういうわけで例の親しい四五人を引き連れて乗り込みました。

 

 するとさっき言われたようにそこだけ風が吹いて、飛ぶように明石に到着しました。

 

 普通にこっそり舟を出したとしてもすぐ着いてしまうような距離とはいえ、それでもまるで意思を持っているかのような不思議な風でした。

 

   *

 

 この浜辺のあたりはまったくの別天地といったところです。

 

 人が多いのだけは難点ですが。

 

 入道の所領は海に面したところから山の向こう側まで広がり、四季折々の興を咲かすと思われる苫屋に、お勤めをして死後の成仏に思いをはせるにふさわしい山水に面したところに荘厳なお堂を立てて修行に励み、現世での生活は領内で取れる秋の田の稔りを頼みとし、長い老後に備えて立ち並ぶ米蔵はあたかも一つの町のようで、どこを見てもどれを取っても目を見張るようなものがここに集められてます。

 

 ここ最近の高潮を恐れて、娘などは高台の家に引っ越させていたので、この浜辺の館に誰にも気兼ねせずに気ままに暮らしいるようです。

 

 船を降りて牛車に乗り換える頃には陽もようやく昇り、源氏の君のお姿をほのかに拝むことができると、すっかり歳も忘れて若返ったような気分で破顔一笑し、住吉の神に真っ先に取りすがるようにお祈りし感謝を捧げました。

 

 太陽も月も手に入れたような気になって、せっせと源氏のご機嫌をとろうとするのも理由あってのことです。

 

 自然の景色はもちろんのこと、造営された庭の趣向もまた、立ち木、庭石、植え込みなどの見事さといい、言葉にできないくらいすばらしい入り江の水といい、絵に描こうにも才能のない絵師ではとても書くことはできないでしょうね。

 

 ここ何か月かの住まいに比べれば、明らかに格段の差があり、すっかりお気に入りです。

 

 部屋の調度などもあり得ないくらいのもので、中の様子は都の大臣クラスの家にもなんら遜色ありません。

 

 まばゆいばかりのその華やかさは、むしろそれ以上と言ってもいいでしょう。

 

 少しは気持ちも落ち着いた頃、京に手紙を書きました。

 

 あの雨の中をやってきた二条院の使いも、今は「やばい旅路に出たばかりに悲惨な目にあった」と泣き崩れたままあの須磨に置き去りにされてたのですが、呼び寄せて不相応なほどの報酬を与えて発たせました。

 

 いつも一緒にいた祈祷師たちの主だったところには、今回あったことを詳しく書いて、この人に託したのでしょう。

 

 入道となった中宮には、不思議なことがあってあの世から生還したことなどを書きました。

 

 二条院への手紙はというと、書こうにも胸がいっぱいになり何も書くことができません。

 

 書こうとしては手を止めて涙をぬぐっている様子なども、それでも別格です。

 

 「これでもかこれでもかと悲惨な目の限りを体験しつくした状態なので、俗世とさよならしてこのまま消えてしまいたいような思いに駆られるけど、鏡に映るならそれを見てと言ったあの時の君の姿を忘れた夜はなく、こんなにもいてもたってもいられなくて、ここでのいろいろあった悲しいことも吹っ飛んで、

 

 こんなにも思いは遥か見も知らぬ

     浦からさらに遠い浦へと

 

 悪夢の中をもがくばかりで醒めることもできず、しょうもない愚痴ばっかりになってしまったな。」

 

と実際とりとめもないことを書き連ねているにしても、周りの者からすればついつい覗き込んでみたくなるもので、結構いろいろ気を使ってるんだなとあらためて感心するのでした。

 

 ほかの人もそれぞれの実家に、いかにも心細いことを書いて送ったのでしょうね。

 

   *

 

 少しも止むことのなかった空模様も嘘のように晴れ渡り、漁に出る漁師たちもどこか誇らしげです。

 

 須磨はひどく寂れたところで漁師の家もほとんどなかったが、ここは人が多くてうざいと思っては見ても、季節折々の風情にあふれ、何かにつけて気が紛れます。

 

 主人の入道は、日々の修行やお勤めの時はいかにも悟りきったようなのですが、ただ例の娘一人が悩みの種のようで、とにかく見ていて痛いくらいで、時折愚痴をこぼします。

 

 源氏も内心、なかなかの美人だと聞いていた人だけに、こんなふうに思いもかけず廻り合えたことは何かの縁ではないかと思ってはみるものの、そう言っても隠棲の身なので、仏道の修行のこと以外は考えまい、ただでさえ都に残してきた人から話が違うと言われると思うと気が引けて、無関心を装ってました。

 

 ただ、話を聞けば聞くほど、性格といい容姿といい並々ならないのを感じとると、興味無きにしも非ずです。

 

 入道の方も遠慮があってか、娘に会いに行くことはほとんどなく、大分離れたところの下屋(しものや)にいるようです。

 

 本当は朝から晩まで傍にいたいといつも思っているようで、何としても良い縁談を見つけたいと神仏に祈るばかりです。

 

 入道は六十くらいになるとはいえなかなかの美形を維持していて、修行のせいで痩せ細って人間的にも上品に振舞おうとしているのか、偏屈で常軌を逸したところはあるが、故事などにも詳しく、根は純粋で人情に精通している部分もあるので、昔のことなどをいろいろ聞いたりする分には少しばかり退屈も紛れます。

 

 最近は公私共に忙しくてなかなかじっくり聞くこともできなかった昔あった出来事なども、少しづつ聞き出すことができました。

 

 こういう場所や人に廻り合えなかったならほんと退屈だったな、と思うような面白い話も混じってました。

 

 そうはいっても、これだけ親しくしていながらも、源氏の君のあまりにも完璧で近寄りがたい美貌に圧倒されて萎縮してしまい、自分の思っていることを率直に切り出すことができないのが、情けないやら悔しいやらと母君にこぼしては溜息ばかりです。

 

 本人も、どこを見回しても目の保養になるような人にめぐり合えないようなこんなところに、まったくこんな人もいるんだと思ってはみるものの、自分の身分を考えれば遥か彼方の人のように思うのでした。

 

 親があれこれと画策しているのを知ってはいるものの、「所詮不釣合いやな」と思っては、今まで以上に悲しくなるのでした。

 

   *

 

 四月になりました。

 

 衣更えの装束や御帳に用いる裏地のない絹など、なかなかのセンスのものが用意されてました。

 

 万事至れり尽くせりのおもてなしも、参内するわけでもないのだから無駄でどうでもいいようなことのように思えるものの、性格的にどこまでもプライドの高い高貴な生まれの人だけに、目をつぶることにしました。

 

 京からも次々と慰問の手紙やら贈り物やらがたくさん届いて、ほとんどきりがないくらいです。

 

 長閑な夕月夜に海の上が霞むことなく見えわたるのを見るにつけ、住み慣れた我が家の池の水を思い出し、言いようもないくらい恋しくなるものの、その気持ちのやり場もなく、ただ目の前に見えているのは淡路島でした。

 

 「淡路にてあはと遥かに‥‥」と凡河内躬恒の歌を口にすると、

 

 ♪あはっ!と見る淡路の島が悲しいよ

     現実だけを見せる夜の月

 

 長いこと手も触れなかった七弦琴を袋から取り出して空しく掻き鳴らす姿に、見ている人も少なからず互いを哀れみ悲しく思うのでした。

 

 広陵散(こうりょうさん)という竹林七賢の(けい)(こう)ゆかりの曲を渾身の力を込めて弾いてみせると、あの高台の家でも松風や波の音と合わさり、察しの良い若い娘さんなら、その気持ちは痛いほど伝わったことでしょう。

 

 都の音楽など何も知らないそこらかしこの歯の抜けた老人たちも浮かれ出てきて、浜で風に吹かれて風邪を引いたくらいでした。

 

 入道も居ても立ってもいられず、供養の行を放り投げて急遽駆けつけました。

 

 「まったく、捨てたはずの俗世も今さらながらに思い出してしまったぞ。

 

 死んだ後に行きたいと思っている極楽浄土とやらも、きっとこんな感じなんじゃな。」

 

と涙を流しながら聞き惚れていました。

 

 源氏の君も内心、四季折々の管弦の宴やあの人この人の筝や笛、あるいは俗謡を唄う様子などそのつど何かとみんなから賞賛されたときのことや、御門をはじめとして大切にされ尊敬を集めたことなど、いろいろな人のことや自分自身のやってきたことも思い出して、夢見るような気持ちで掻き鳴らす琴の音も心にぞくっとするほど刺さります。

 

 年老いた人は涙が止まらずに岡の麓の家に琵琶や筝を取りにいかせ、入道はさながら琵琶法師のように目も開けられず、珍しい面白い曲を一つ二つ弾いてみせました。

 

 筝が届いていたので源氏の君が少し弾くと、それだけで何をやってもすごいんだと思い知らされました。

 

 まったく、たいしたことのない人が弾く音だって、時と場合によっては上手く聞こえるものなのに、遥か遠くまで遮るものなく見渡せる海の眺めに、なまじっかな春秋の桜や紅葉の盛りよりもただそこはかとなく茂る草木の陰が渋く彩り、クイナの戸を叩くような声は「誰が門を閉ざしたんだ」と哀れに思えます。

 

 入道が二つとないような音色の出る筝を何だか恋心があるかのように弾き鳴らしてるのが気になったか、

 

 「これはまた、まるでデレた女が感情にまかせてに弾いているようで面白いなあ。」

 

と大雑把な感想を言うと、入道は苦笑いしながら、

 

 「その女以上に熱烈に思っている者がここにおってな。

 

 わしは醍醐天皇より伝わる弾き方の三代目の継承者で、このとおり何の才能もなくこの世を捨てて忘れた身なのじゃが、胸の塞がるような思いが込み上げて来たときに楽器を掻き鳴らしておったんじゃ。

 

 そしたら何だか知らないがまねして弾く者がおって、それで自然とあの醍醐天皇の弾き方に通じるものになったんじゃろうな。

 

 この山伏めの思い違いで松風と聞き誤ったのかもしれないが、どうじゃ、これもこっそり聞かせてやりたいんじゃが。」

 

と言うとそのまま急に身を震わして涙が流れ落ちているような様子でした。

 

 源氏の君は

 

 「箏を侮ってたようなこの私の前で醍醐天皇の筋だなんて、ちょっと悔しいかな。」

 

と言って、話を遮りました。そして、

 

 「妙なことだが昔から箏の方は女の弾くものとされている。嵯峨天皇の伝える所で女五の宮様があの時代の名手だったにもかかわらず、その後継者となって取り立てて伝える人もなかった。

 

 今世に名のある箏の弾き手もみんな、感情に任せて搔き立てるだけで、ここにその嵯峨天皇の筋の箏を極めた人がいるというなら興味深い。聞かないわけにはいかないな。」

 

と言うと、

 

 「聞かせる分には何ら問題ない。たとえ御門の前じゃろうと。白楽天も商家で古琴を聞いて涙流したほどで、音楽は身分を越えるもんじゃ。

 

 琵琶だって本当にいい音を出せる人は昔だってそうそういなかったものを、何ら滞ることなく今も猶昔のような奏法で、確かな筋の演奏をしておる。よくぞ聞くと言ってくださった。

 

 ただ波の荒々しい音が混じってしまうような場所なのが悲しいことじゃが、積もり積もった嘆かしさを紛らわすことぐらいにはなるかと思う。」

 

などといかにも下心ありげに言うのに興味を引かれて、箏を入道の方に返しました。

 

 確かに年季の入った弾き方です。今の時代にはない弾き方で、その手法は中国っぽく、左手の弦のベンディングが音色を深く澄んだものにしています。

 

 催馬楽に「伊勢海」というのがあるが、ここは明石の浦で「清き渚に貝や拾はむ」など、歌のうまい人に歌わせて、源氏の君も時々拍子を取って声を被せたりしていると、箏を弾きながら誉めそやしました。

 

 ナッツ類などを今までになく沢山持って来させて、人々に酒を勧めたりして、すっかり日頃の憂さも忘れるような夜になりました。

 

 夜もすっかり更けて浜風が涼しく、月もゆっくり傾いてゆくにつれてより澄んでゆき、辺りも静かになり、話すことも次第に尽きて、入道のこの浦に住もうと思い立った決意や後生を願って仏道に励んだことなど、ぽつりぽつりと話し、娘のことも自分から話し始めました。面白く語ってはいるものの、悲しい話もありました。

 

 「大変申しにくいことじゃが、源氏の君がこうして望んでもないような場所に、一時的にでも移り住んで来られたというのも、おそらく長年この老法師めが祈ってきた神仏が哀れに思って、しばしあなた様の心を煩わしてしまったのじゃろう。

 

 というのも、住吉の神に願を掛けるようになって、既に十八年にもなってな。娘の生まれた頃より思う心があって、毎年春秋に必ず住吉大社に参拝に行ってたんじゃ。

 

 毎日六度のお勤めに、自分の極楽往生を願うのもあるが、ただあの娘に高い身分のところに嫁入りさせることを念じてな。

 

 前世の縁がなかったのか、こんな情けない田舎もんに成り下がってしもうたが、わしの親は大臣の位に就いててな。わしの代でこんな田舎暮らしをすることになってもうてな。

 

 こうやって代々身分を落として行ったら、最後はどうなってしまうものかと思うと悲しく、娘が生まれた時から娘に望みをかけてたんじゃ。

 

 どうすれば都の貴い人のもとに嫁にやれるかと切に思うばかりじゃったんだが、いろいろな人から妬みを買い、それが原因で辛い目にあうことも何度もあったけど、それは苦と思ったことはない。

 

 生きている間は細腕ではあるが娘を立派に育てあげ、それでも天が見捨てるなら、自ら波に身を沈めようと決めておった。」

 

などと、そこまで言うことはないと思うようなことも、涙ながらに語ってくれました。

 

 源氏の君もいろいろなことを様々考え続けていたので、もらい涙でこう言います。

 

 「不当な罪に問われて不本意な漂泊生活しているのも、何か前世の罪なのかと何となく考えていたんだが、今の話を聞いて、まじ浅からぬ前世の因縁があったんだなあ。

 

 そんなお祈りをしていたなんてこと、何でもっと早く言ってくれなかったかな。

 

 都を離れた時から、この世の無常を感じて空しくなり、神仏に祈るしかない日々が過ぎて行き、すっかり心が折られちまっていたんだ。

 

 あなたの娘さんのことは、そういえば良清がそんなこと言ってたような気がするが、今のこんな俺ではあぶない人に思われて相手にされないんじゃないかと卑屈になっていたが、それなら神の導きに従うしかない。何たって一人寝は心細いからね。

 

 一人寝は君も知るのかつれづれと

     思い明かしのうら寂しさを

 

 それ以上に長年思い続けてきたこの身の胸のつかえをわかってほしい。」

 

そう歌い上げる声のうち震えるのも、確かに理由のあってのことです。

 

 「そうは言っても俺は浦には不慣れだからね。

 

 旅衣のうら悲しさを明かしかねて

     草の枕の夢も見れない」

 

と、憂いに満ちたそぶりも可愛いいもので、言葉では表しがたいものがあります。今までもさんざん褒め尽くしたので、お腹一杯かもしれなせんね。

 

 まあ、ここで嘘を書いたところで、愚鈍なまでの入道の娘への心遣いはわかると思いますが。

 

   *

 

 入道の願ってたことがようやく叶い、すっかり気分の晴れたところで、別の日の昼頃、源氏の君は娘の高台の家に手紙を送ります。

 

 「遠く来て何も見えない雲の中

     かすかな宿の梢尋ねる

 

 隠していても。」

 

とだけあります。

 

 入道もこの時を密かに待っていて、高台の家に来ることは予想していたことで、文を持たせた使いの者をこれでもかと大歓迎して酒に酔わしました。

 

 返事はなかなか来ません。

 

 部屋に入って催促しても、娘はまったく言うことを聞きません。

 

 恥ずかしくて気おくれするような手紙の内容に、筆跡の方も見事でどうしていいものやら。

 

 高貴な源氏の君と田舎暮らしの我が身とのギャップに愕然として、体の調子が悪くなり、だらっと物に倒れかかってしまいました。

 

 入道も何も言えず、自分で返事を書きました。

 

 「恐縮ですが、こんな田舎びた者の袂には包み切れない程のことです。手紙を見ることすら恐れ多いということですが、それでも、

 

 目の前の雲とあなたの見る雲が

     同じなのなら同じ思いです

 

という気持ちだと思います。ちょっとデレ過ぎてしまったかな。」

 

というものです。

 

 陸奥紙(みちのくにかみ)で、年寄り臭いが格調高い書体で書かれています。

 

 「ほんと、デレすぎだよ」と読んであきれました。使いの者に並々ならない奇麗な裳を持たせました。

 

 またの日、

 

 「代筆の手紙など知ったことじゃない」とばかりに、

 

 「もやもやと何を悩んでいるのでしょう

     どうしたんだと問う人もなく

 

 まだ見ぬひとに言いにくく」

 

と、今度は思いっきり薄っぺらな紙に、可愛らしい文字で書きました。

 

 若い子がこういうのが嫌いだとしたら、世間から取り残されてしまっているのでしょうね。

 

 嬉しいと思ってはいても、到底釣り合わない身の程はどうしようもないことなので、なまじっかそんな自分の気持ちを知っているかのようにこう尋ね返されてしまうと、また涙があふれてきて、その上返事を書こうとしないのをぐちぐち言われて、香をしっかり焚き込んだ紫の紙に墨の濃淡を付けた筆跡で、

 

 「どれくらい私のことを思うのか

     まだ見ぬ人は噂ばかりで」

 

 書の腕も手紙の書き方も、殿(てん)上人(じょうびと)に何ら劣る所がなく、上級貴族のように見えます。

 

 京にいた頃のことを思い出してすっかり嬉しくなりましたけど、立て続けに手紙を出すのも人目もあるので慎まなくてはいけないと思い、二三日置きに退屈な夕暮れ時や、それとかまた気持ちの高ぶる明方など、何か理由を作って折々多分同じ気分だろうと推測して手紙の遣り取りをしてみても、不釣り合いな人ではないとわかります。

 

 賢くてプライドも高い様子に、会ってみたいと思うものの、良清の俺が目を付けたんだと言いたげなのも無視できないし、何年も前から目を付けていたのを、ここまできてかっさらうのも気の毒だなどといろいろ考え、入道の方からの押し付けられたということなら、良清にも申し訳が立つんだが、と思ってはみても、女の方はそこいらの殿上人よりもプライドが高く、立派そうに振舞っているようなので、双方出方待ちになって時が過ぎて行きます。

 

 京の女たちのことも須磨の関を隔ててしまっていて、早く会いたいという気持ちもあって、「どうすりゃいいんだ、遊びじゃすまないぞ、見つからないように呼び寄せなくちゃ」と弱気になるときもありましたが、「そんなことして京に帰っても、いずれ時が経てばバレて、スキャンダルになっちゃうな」と思いとどまるのでした。

 

   *

 

 その年、朝廷に天の兆しがたびたびあって、騒然としていた。

 

 三月十三日、閃光雷鳴し、風雨激しい夜、御門の夢に亡き桐壺院が現れ、朱雀の御門のいる部屋の階段の下に立って、苛立つかのように睨みつけていたので、すっかりすくみ上がっていました。

 

 「言いたいことはたくさんある。源氏の君のことだが。」

 

 とにかく怖くて困ってしまって弘徽殿大后にそのことを話すと、

 

 「雨なんかが降って荒れた天気の夜には、見間違いとかよくあることでしょ。何ふわふわと驚いているのよ。」

 

とのことでした。

 

 それでも先帝に睨まれたときに目を合わせてしまったせいか、眼病になり、耐え難い苦しみに襲われました。物忌みが内裏でも大后宮でも例外なく行われました。

 

 例の太政大臣も亡くなりました。いつ死んでもおかしくない年齢ではありますが、次々に誰が病気だの誰が亡くなっただのでざわめきたち、弘徽殿大后もどことなく病気がちで、やがて目に見えて弱ってゆき、内裏では幾多の悲しみに包まれてゆきます。

 

 「やはりというか、あの源氏の君が本当に罪なき罪に問われて失脚したなら、必ず因果応報があると思っていた。すぐにでも元の位に戻すことにしよう。」

 

との見解を表します。

 

 「そんなことすれば世間からぶれたと非難されますよ。罪に問われるのを恐れて自分から都を去った人を、三年もたたずに許したりすれば、世の人の何と言うことか。」

 

などと大后は止めようとしますが、それに遠慮して月日が流れても、次から次から様々なトラブルが発生するだけです。

 

   *

 

 明石は例によって秋の浜風が尋常でなく、一人寝るのも真面目な話、切なくてしょうがなくて、入道に何度も愚痴ってみるのでした。

 

 「とにかく、何とかごまかしてでもこっちに来るようにできない?」

 

とは言うだけで、こちらから高台の家に行く気はまったくないようで、相手の方も決心がつかないようです。

 

 「ほんに残念な田舎っ娘なら、たまたま都から下ってきた人が甘い言葉をかけてくれたら、すぐにほいほい付いてったりすることもあるんやろうけど、そんなんは物の数とも思わないんで、私なんかだったらこっぴどく傷ついちゃうことになるわなあ。

 

 分不相応な望みを抱いている親たちも、世間から引き籠って儚い望みをつないでるだけじゃこれから先心配で、半端なことはできないし」

 

と思い、

 

 

 「んならこの浦にいる間だけはこんなふうに手紙だけの遣り取りを続けるのも悪くないかも。

 

 これまでずっと話を聞くだけで、いつかはあの人の実物をほんの少しでも見てみたいなと思うとったけど、こんな予想もしなかったような所に住まわれて、はっきりとでないがちらっと見ることができ、この世のものとも思えないと噂されていた琴の音も風に乗って聞こえてきたし、日々の暮らしの様子もいろいろ伝わってくれば、こんなに私のことを認めてくれて気にかけてくれているなんて、海女の中で朽ちて行く身にすれば出来すぎやわ。」

 

 など思うと、なおさら恥ずかしくて、お近づきになろうなんて思ってもみないのです。

 

 親たちも今まで何度も何度も祈ってきたことが、ついにかなうと思いながら、

 

 「いきなり会わせて相手にされなかったら、かなりショックじゃろうな。」

 

と思うと、それも危なっかしくて、

 

 「立派な方だとわかってはおるが、辛さも半端ないじゃろうが。

 

 目に見えない神仏に願を掛けてはいたが、源氏の君の心も境遇もしらずに‥‥。」

 

など、今までとは逆の悩みを抱えてしまいました。

 

 その源氏の君の方は、

 

 「今の波の音も静かな時に、あの入道の娘の箏の音を聞かなくちゃ。そうでなくちゃ何もかも無駄になる。」

 

などと、いつも言っています。

 

 源氏の君を忍ばせるのにちょうどいい日を見て、明石の母君のいろいろ娘を気遣うのも聞き入れず、入道の取り巻き達にも知らせず、自分一人決意して、部屋を輝くばかりに飾り立て、十三夜の月の華やかに昇るのを見て「無駄にできない勝負の夜じゃ」と呟きます。

 

 源氏の君は「誘ってるな」と思いはするが、直衣(のうし)をお洒落に着こなして夜遅く出発しました。

 

 最高の牛車が用意されていましたが、道が狭いからと言って馬で行きます。

 

 同行するのは惟光一人です。高台の家はやや遠く、山の中に入って行った所でした。

 

 道の途中、眼下に広がる浦を見渡して、愛する人と一緒に見ていたい入り江の月影に、京に残してきた妻を思い出し、このまま馬に乗って駆け付けたくなります。

 

 秋の夜の月毛の馬よ雲上の

     愛しき人のとこへ走って

 

と一人呟きます。

 

 家の辺りは木がこんもりと茂り、まさに隠れ家という所で見どころのある住まいです。

 

 入道の海辺の家の方はいかにも立派な感じで面白いが、ここはまたひっそりと暮らしている感じで、ここにいれば何一つ不足もあるまいと思われるほどの良い雰囲気の場所です。

 

 近くに三昧堂(さんまいどう)があって、鐘の音が松風に混じって聞こえてきて物悲しく、岩に生えた松の根も力強い生命力を感じさせます。

 

 庭の植え込みからは様々な虫の音がします。このあたりの様子にすっかり見入ってしまいました。

 

 娘の住んでいる建物は細心に注意を払った洗練されたもので、月の光を入れるためなのかと、真木の戸口がほんの気持ちばかり押し開けてあります。

 

 一瞬躊躇し、何とか声をかけてはみたけど、こんな近くで会うつもりはなかったんだろうなという様子がうかがわれので、何か残念で心に壁を作っているのかと、

 

 「本当にしっかりした人だな、靡きそうにない高貴な女でもここまで近寄って話しかければ、いつまでも強気ではいられないのが普通だが、自分もこういう身分を失った状況なので侮っているんだ」と思うと癪で、いろいろ悩ましい所です。

 

 「この状況で気持ちを踏みにじってまで強引に迫るというのも違うし、根競べになって引き下がるのも格好つかないな」などと葛藤する姿、誰か経験豊富な人がいたら教えてあげてほしいものですね。

 

 間近になった几帳の幅筋を揺らして箏の弾き鳴らす、その気配は落ち着いた感じで、何でもなさそうに掻き鳴らしているのが伝わってきて、いい音だなと思い、

 

 「これが入道のさんざん言っていた箏なんだ。」

 

などすべて納得してこう言います。

 

 「睦言を語る相手がほしかった

     今の悪夢を醒ますためにも」

 

 「明けぬ夜に迷い続ける心には

     どっちが夢と言えばいいやら」

 

 どことなく存在感の薄い気配は、伊勢へ行ったあの御息所によく似ていると思いました。

 

 無防備にひたすら箏を弾いていたところに不意打ちを食らったみたいに、そりゃないとばかりすぐそばの女官の控室に入り、必死に戸を押さえていると、いきなり押し入ってくる様子もありません。

 

 けど、それもいつまでも続きません‥‥。あとは御想像に。

 

   *

 

 愛しさが遠近法のように近づけば近づく程大きくなります。

 

 いつもは嫌な夜の長さもあっという間に明けてしまったような気分で、人に知られないようにと思うと、早く立ち去らなくてはと、また少し愛を交わすと出て行きました。

 

 その日の手紙は人目をはばかるように届けさせました。鬼のように恐れていることがあるのでしょうね。

 

 入道の方も秘密が漏れないようにと使いの者をいつものようにはもてなさないので、娘の方も辛い思いをしてます。

 

 その後も、時々こっそりと会ってました。

 

 高台の家はそれなりに離れたところにあるので、口の軽い海士の子が紛れているかもしれないと思い、堂々と会いに来れないところで、「そんなもんやな」とすっかり沈み込んでいるのを、「どうなるやら」と入道も極楽往生の願いを忘れて、この状態でこれからどうなるのか待つだけです。

 

 せっかく逢わせてくれたのに今更困ったものです。

 

 二条院に残してきた姫君が、風の便りにでもこの事を知ってしまったら、たとえ遊びの仲でも隠し事をしていることで嫌われてしまうのが、心苦しいだとか恥ずかしいだとか思うのも、身勝手な感情としか言えませんね。

 

 「この手のこととなると、さすがに放っておけずに恨み言を言われることが何度もあったから、たとえちょっとした浮気のつもりでも、今回もそういうことになっちゃうだろうな」など思い、取り返しのつくことならそうしたいが、こちらの姫君も今の状態からすると、やはり二条院の姫君が恋しいのが我慢できず、いつもよりも細心の注意で、

 

 「そういえば、我ながら本心からではない適当なことを言って嫌われたことが何度もあって、思い出すのも胸も痛いけど、また変な短い夢を見てしまってね。

 この話をどう思うかはわからないけど、隠し事をするつもりはないのでわかってほしい。誓ったことは忘れてはいません。」

 

と書きまして、

 

 「何ごとにつけても、

 

 しおしおと泣くばかりですかりそめの

     ()()()は海士の遊びと言っても」

 

という手紙の返事は、興味ないかのように可愛らしく、

 

 「隠すことのできなかった夢の話を聞くにつけても、

 

 うらがないと思っています約束の

     松を越すよな津波はないと」

 

 平静そのものの手紙ですが、ただならない何かを感じ取って、胸に何かが込み上げてきて手紙を置くこともできず、このあとしばらくお忍びの旅寝もしませんでした。

 

 娘も思った通りの結果になり、今は本当に海の底に沈みたい気分です。

 

 「この先そう長くない親ばかりが頼みの綱で、いつかは家柄にふさわしい暮らしがなんて思うべくもない身の上やし、何もないままに過ぎてくだけの月日なら何も悩むこともなかったのに、こんな苦しい思いばかりだったなんてね。」

 

と以前から想像してたよりも、はるかに悲しいことになってしまいましたが、何とか気持ちを落ち着かせて、平静を装っています。

 

 源氏の君も月日が経つにつれてあの娘が気の毒になり、何とかしなくてはという思いは募るのですが、都に残してきた人に会いたいという思いもあり、時間ばかりが過ぎて行きます。二条院の姫君が異常なまでの思いで待っているだろうなと思うと、とにかく胸が痛み、一人部屋でごろごろしながら過ごすのでした。

 

 ここで起きたいろいろなことを絵に描いて、思ったことなどを歌にして書き添え、返歌も書き込めるような仕様にしました。

 

 見せてあげる人が気に入ってくれるようにとのことです。

 

 どういうわけか空を越えて通じ合っているみたいに、二条の姫君ももの淋しさを紛らわすこともできなかった時などに、同じように絵を書き溜めて、そのまま自分の様子を日記のように書き記しました。

 

 これがどういうことになっていくのでしょうか。

 

   *

 

 年が変わりました。内裏では御門の薬の手配などで大騒ぎになっていました。

 

 今の御門の皇子は右大臣の娘の(じょう)(きょう)殿(でん)の女御の生んだ男児で、数えで二歳になったばかりでまだ赤ちゃんです。

 

 藤壺中宮の子である春宮に譲位させることになるのでしょう。新しい御門の後見として政治を行う人の人選ということになると、源氏の君が須磨浦に沈没していることが勿体なく、こんなのは有り得ないということで、ついに弘徽殿太后の忠告を無視して赦免の決定が出ました。

 

 去年から太后も物の怪の病に悩まされていて、さまざまな怪異などが次々と起きて騒然として、怪しげな物忌みをした結果なのか、大したこともなかった御門の眼の病気もこの頃ひどくなって、不安が広がっていたので、七月の二十日過ぎには再度源氏の君に京へ戻るよう宣旨が下りました。

 

 いつかはどうにかなると思っていたものの、世の中は変わっていくもので、またこれからどうなるのか悩んでいたところ、急な決定とあって嬉しさはさることながら、この浦にさよならすることを思うとそれも心残りで、入道もしょうがないなと思い、急な話に胸塞がれる思いですが、「思った通りに源氏に君の栄華となれば、我思いもかなったりじゃな」と思いなおしました。

 

 そうなると、毎晩のように明石の娘の所に通いつめ、六月頃には妊娠の兆候があって悩むことになりました。

 

 別れなくてはならないというのに困ったことになったと、以前よりも明石の娘を気の毒に思って、「何か悩みが尽きない星の下に生まれてきたのかな」と煩悶します。

 

 娘の方は言うまでもなくもっと悲惨です。当然のことですね。

 

 不本意にもここまでの悲しい旅をしてきたけど、ついに帰れる時が来たんだと、一方では自分を元気づけるのでした。

 

 今度こそあれほど帰りたかった所への旅立ちで、もうここには来ないだろうと思うのも、悲しいことです。

 

 従者の人たちは皆相応に喜んでます。京から迎えに来た人たちもいて最高な気分でいるのを、ここの主の入道は涙に暮れているうちに八月になりました。

 

 季節も物悲しくなる空の景色に、

 

 「何でなんだ、自分から今も昔もわけのわからないことに身を突っ込んでしまうんだ。」

 

と心を取り乱しているのを、知っている人たちは、

 

 「しょーもねーなあ、またいつもの癖が出たぞ。」

 

 「ここ数ヶ月、気のないふりをしていながら、時折こっそり通ったりしてたんだろっ、冷てーな。」

 

 「この頃不機嫌だったのは、あの女のことで悩んでたからか。」

 

と小突き合ったりしてます。

 

 良清の少納言は昔、源氏の君に明石でのことなどを話して、噂話をしたことを思い出しては、複雑な気分です。

 

 出発はあさってということで、いつもと違い、まだ夜もとっぷり更ける前に高台の家にやってきました。

 

 いつも夜更けではっきりと見たことのない姫君の容貌など、

 

 「いかにも由緒ある家柄で気高い姿は、悔しいくらいだな。」

 

と、このまま別れてしまうのが残念に思ってます。

 

 「何とかして理由を付けて京へ呼ぼう。」

 

と思うようになりました。そう言って慰めてまた愛し合います。

 

 男の顔立ちや容姿はこれ以上言うこともないでしょう。

 

 ここの所の苦労からやつれ切った顔も言いようもないほど立派なお姿で、苦しみに耐えて涙ぐみながら、優しげにしっかりと約束されてしまうと、「これだけでも十分幸せなのに、何であきらめられないのよ」とまで思ったりしますが、相手が堂々としているだけに自分は何なんだという思いは尽きません。

 

 波の音も秋の風には違った響きがあります。藻塩焼く煙が幽かにたなびいてきて、哀れを寄せ集めたような場所です。

 

 「このたびはお別れだけど藻塩焼く

     煙は同じ方にたなびく」

 

と言えば、

 

 「海女の焼く藻塩の思い集めても

     無駄なことです恨みすらなく」

 

 悲しくも泣き出して、言葉少なくなり、こうした和歌へのお答えなども深く心に響きます。

 

 いつも聞きたがっていた箏の音なども、あれから一度も聞くことができなかったのを思うと、どうしようもなく心残りです。

 

 「それなら、また来る印を心に刻むためにも琴を一つ。」

 

と言っては、京から持ってきた七弦琴を持ってくるように命じ、並々ならぬ心を込めた一曲を軽く掻き鳴らしました。深夜の澄み切った空気に、例えようもなく身に染みます。

 

 入道も我慢できず、箏をもって娘の所に差し入れました。

 

 娘の方もそんなことをされるとますます涙も止まらず、断る理由もないままに、誘われるがままに控えめに掻き鳴らすあたりが、いかにも貴婦人然としています。

 

 出家した中宮(藤壺)の箏の音が当代最高のものと評されているのは、「今風でうわっ、すげー」と聞いててすかっとする上、容貌までも含めて評価されているという点で、確かに最高の箏の音といえましょう。

 

 明石の娘の箏はあくまで丹念な演奏で、上品だがつんと澄ましたような音の良さです。

 

 源氏の君ですら、初めて聞くような情感の込め方に引き寄せられ、あまり聞いたことのない曲など、途中で引くのをやめてはじらされては物足りなく思い、どうして今までひと目など気にしてこれを聞こうとしなかったのかと悔やむのでした。

 

 とにかく誠心誠意、これから先のことを約束しました。

 

 「七弦琴とのセッションはその時までの印に。」

 

と言うと、娘は、

 

 「なおざりな期待持たせるひと言を

     変わらぬ音と思うことにする」

 

と、語るというより突き放すように軽く歌い上げるのでむっとして、

 

 「会うまでの約束をした中の糸

     調べはことに変わりはしない

 

 今共鳴し合う音がずれてしまわぬように必ず会いましょう。」

 

とすがるような気持ちです。それでも別れなくてはならない不条理を思いむせび泣くも当然ということでしょう。

 

   *

 

 明け方の出発には、夜更けから外でお迎えに来ている人たちが騒がしくて呆然としてましたが、人の途切れた隙を見計らって、

 

 「打ち捨てて旅立つ浦の悲しさに

     この後のことがとても心配」

 

 返歌。

 

 「年を経た苫屋も荒れて憂鬱な

     波が帰ってきたらそのとき」

 

 事情を知らない人は、「こんな辺鄙な所のお住まいでも、長く住んだら愛着があって、さよならするとなるとそんなふうに思うんだろうな」くらいに考えてました。

 

 良清などは、「半端な気持ちで言ってるんじゃなきゃいいっすけどね」とむかついてます。

 

 嬉しいと思いながらも、「本当の今日限りでこの海岸から別れることになるんだ」などと淋しくもあり、口々に涙くんで挨拶を交わします。

 

 まあ、言うまでもないことですね。

 

 入道は今日のための準備をこれでもかと盛大に行いました。

 

 人々は下っ端の者まで立派な旅装束です。

 

 一体いつ用意したんでしょうね。

 

 着るものは言うまでもなく、衣裳入れの御衣(みそ)(びつ)もたくさん沢山持たせてます。そしてメインの都へのお土産にする贈り物は由緒あるものばかりで、至れり尽くせりです。

 

 今日お召しになる狩衣には、

 

 寄る波に重ねて着てた旅衣は

     びしょ濡れなのでお嫌いでしょう

 

と書き添えてあるのを見つけて、慌ただしいなかですが、

 

 交換し残しておこうまたそのうち

     会うことになるなかの衣を

 

と書き付け、「御厚意に甘えて」と言って着替えました。今着ていたものを置いて行きます。

 

 まさに今一重に偲ぶことのできる形見です。

 

 並々ならぬ匂いを焚き込んである衣裳が、どうして人の心を染めないことがあるでしょうか。

 

 入道が、

 

 「今は世を離れた身じゃが、送って行くことだけは今日は許してもらおう。」

 

などと言って、泣き顔になって口をへの字にするのが不似合いで、若い人は笑うことでしょう。

 

 「世を恨み潮にひからぶ身だけれど

     なおこの岸が離れられない

 

 子を思う煩悩の闇に迷わずにはいられなくて、摂津国との境までじゃが。」

 

と言えば、

 

 「欲張りと思うかもしれませんが、思い出す時がありましたら。」

 

など、源氏の君の意向を賜ります。

 

 入道のことがどうしようもなく気の毒に思えて、どこもかしこも赤らんでる目元の辺りなども、言いようがないほど美しいものです。

 

 「娘さん一人だけでない放っては置けないこともあるので、今すぐ可及的速やかに何とかしましょう。ただ、ここの家も見捨てがたいものがあり、どうすればいいか。」

 

ということで、

 

 「都を出た春に劣らず悲しいよ

     今この浦を去って行く秋」

 

と言って涙を拭えば、入道の方もますます堪えきれない涙で袖がびしょ濡れです。立っていることもおぼつかなくてよろよろしています。

 

 娘本人の気持ちとしてはもう例えようもなく、何とか周りに知られないようにと心の奥に留めているけど、運命なんだと思っても割り切れず、捨てられた恨みのやり場もなく、源氏の君のことをは今でも目に浮かび忘れることもできず、いくら強がっても涙に沈んでいます。

 

 母君も慰めることもできずに、

 

 「どうしてこんな無茶な家の復興や何かに執念を燃やしちゃったんかえ。どれここれもみーんなあのクソ爺に従ってきた私がバカやったわ。」

 

と言います。

 

 「黙れ!娘さん一人だけでないと奴は言ってたんだから、何か思う所があるはずじゃ。

 

 とにかくさ湯でも飲んで落ち着きなさい。ああああ、忌々しい。」

 

と言って隅っこで小さくなりました。

 

 乳母や母君などそんな意固地なところを責めたてながら、

 

 「いつかきっと、何とかしてやむごとなき人のもとに嫁がせたいと長年祈り続けていて、やっとその思いが叶うと思うとったのに、こんな痛ましいことになるのが最初から分かってればなあ。」

 

と嘆かれてしまうと困ってしまい、だんだん頭もボケて行き、昼は一日寝込んでは、夜になるとむくっと起きて、「はて数珠をどこに置いたやら」と言っては手を擦り合わせて祈ってました。

 

 弟子たちにも蔑まれ、お堂に起きてお堂を廻るものの、転んで庭の遣り水に落っこちてしまいました。

 

 趣味の良い庭石にも、座ろうとして腰を打って寝込んでしまい、やっと少しばかり正気を取り戻しました。

 

   *

 

 源氏の君は難波の方に船で渡って御祓いをして、住吉大社にもあの時の天変地異が収まったということで、いろいろ願を掛けるべくお使いを出しました。

 

 急なことで準備もなく、自分では今は詣でずに、その他にも特に寄り道する所もなくて、急いで京に戻りました。

 

 二条院に着くと都の人もお供の人も夢見心地で抱き合い、うれし泣きしながら大丈夫かというくらいの馬鹿騒ぎです。

 

 姫君もあの時どうしようもなく、命なんて惜しくもないと言ってましたが、さぞかし嬉しかったでしょう。

 

 大変美しく大人びて、苦労したのか、密だった髪が少し減ったようにも思えますが、それも却ってやばいくらい立派に見え、「今はこうして一緒にいることができる」と、ほっとしてはいるものの、あの未練を残して別れた人を思っているのが痛いところです。

 

 やはりいつになってもこの方面では心休まる暇はないようですね。

 

 その女のことなども伝えました。

 

 思い出しながら話すその様子をみて、これは相当入れ込んでいるなというのがわかり、こりゃ一大事と思いながらもさりげなく、「あなたはともかく、その人の命が心配ですわ」など、右近の歌を仄めかすあたり、ヤンデレも可愛いなと思っているようです。

 

 これだけ見ていて飽きない人は、どんな長い年月会えなくても変らないと、我ながらあきれるほど惹かれているのを思うにつけても、今回のことはどうすればいいものやら。

 

 やがてすぐに元の官位に戻され、員外の(ごん)大納言(だいなごん)になりました。源氏の君に同行した人たちも元の官位を再び賜り、罪をゆるされることで、枯木に春が来たような気分で、本当に目出度いことです。

 

 源氏の君は御門に呼び出されて内裏に参りました。御前に現れた源氏の君は大人の貫録を増し、「さすがたいした人物だ。田舎暮らしで苦労を重ねてきたのよのう。」と思いました。

 

 桐壺院の頃から仕えてきた女房などはすっかり年老いてしまい、悲しくなって今更のように泣き騒きながら褒めていました。

 

 御門も今まで源氏の君にしていたことを恥ずかしくさえ思って、装いなども殊更威厳を正して出て来ました。

 

 ここの所体調がすぐれない日が続いていたので、かなり衰弱してましたが、昨日今日ようやく少し良くなったものと思われます。

 

 淡々と会話を交わしていると、夜になりました。

 

 十五夜の月が静かに輝き、昔のことを少しづつ思い出して、涙に袖を濡らします。

 

 退位のこともあってか、心細くなっているのでしょう。

 

 「名月なのに遊楽もせず、昔聞いたそなたの琴なども聴かなくなって随分とながくなるよのう。」

 

とおっしゃり、

 

 「海の上にたわんで落ちた蛭子みたく

     立てなくなってもう随分経つ」

 

と歌を聞かせれば、とても悲しそうで恥ずかしそうにしながら、

 

 「蛭子すら宮柱太く祀られた

     昔の春を恨むでないぞ」

 

 何とも優雅な源氏の君の御振舞です。

 

 亡き院のために法華経八講を行うことを急いで準備させました。

 

 春宮に拝謁すると、すっかり大きくなって、この上なく喜んでおられるのを見て、この上なく可愛いと思いました。

 

 沢山のことを良く学んでらして、世継ぎとしても遜色なく、畏れ多いほどオーラを発してます。

 

 その母の入道の宮にも、少し心の落ち着いた頃に対面すれば、いろいろ湧き上がる思いもあるんでしょうね。

 

   *

 

 ああ、そうそう、あの明石の娘には帰って行く波に文を託しました。他の人にわからないように配慮しながら書いたのでしょうね。

 

 「波のよるよる、いかがですか。

 

 悩みながら明石の浦に朝霧の

     立つかと人を気にかけてます」

 

 大弐(だいに)(そち)の娘、五節(ごせち)の女君は面白くないようで、人知れず無事を祈っていた気持ちも冷めて行き、ちょっとしたあいさつ程度に手紙を置いて行きました。

 

 「須磨の浦に心を寄せた船人の

     腐った袖を見せた上げたい」

 

 字は上手くなったなと読み終わってから使いを出します。

 

 「帰ってったことが残念寄せてきた

     思い出の袖乾かせなくて」

 

 「まあそれでも悪くないな」とにんまりしてたあの時を思い出し、あらためてはっとして色々考えるものの、こんな時にまた手を出すようなことはしないようにしているようですね。

 

 

 花散る里などには手紙だけだではっきりせず、かえって恨めしく思っていることでしょうね。