「鴨啼や」の巻、解説

初表

   続みなしぐりの撰びにもれ侍りし

   に、首尾年ありて、此集の人足に

   くははり侍る。

 鴨啼や弓矢を捨て十余年     去来

   刃バほそらぬ霜の小刀    嵐雪

 はらはらと栗やく柴の圓居して  其角 

   影くるはする龍-骨-車の月  去来

 きりぎりす螽も游ぐ山水に    嵐雪

   盞付ケて鶴はなちやる    其角

 

初裏

 うれしくも顔見あはする簾の間  去来

   また手枕を入かへて寝る   去来

 旅衣まてども馬の出がたき    去来

   留守おほかりし里の麦刈   去来

 誰が子ぞ幟立置雨の中      去来

   平家の陣を笑う浦人     去来

 船かけてとまりとまりの玉祭   其角

   畠の中にすめる月影     嵐雪

 いきて世に取後れたる老相撲   其角

   元よし原のなさけ語らん   嵐雪

 花鳥に夫婦出たつ花ざかり    其角

   若餅つくと家子に告こす   嵐雪

 

 

二表

 荒神に絵馬かけたる年の棚    嵐雪

   うつばりかくす関札の数   其角

 よめ娘見分る恋のいちはやき   嵐雪

   小原黒木ぞ身をふすべける  其角

 味噌さます草のさむしろ敷忍び  嵐雪

   雪あそびてん寺の入あひ   其角

 八景の月と鴈とを見尽して    去来

   越のきぬたのいとあはれ也  去来

 狩倉にもよほされたる秋の空   去来

   贈りものには酒ぞたうとき  去来

 今こんと云しばかりに床とりて  嵐雪

   火燵を蹴出す思ひあまりか  其角

 

二裏

 手形かく恋の隈リと成にけり   其角

   にくまれつつも宮仕へする  去来

 顔なをし賑はふ方のめでたきに  去来

   長をくらべてむすぶ水引   嵐雪

 花のもとに各当座つかまつり   其角

   柳にうかむ絃管の舟     嵐雪

 

      参考;『普及版俳書大系3 蕉門俳諧前集上巻』(一九二八、春秋社)

初表

発句

 

   続みなしぐりの撰びにもれ侍りし

   に、首尾年ありて、此集の人足に

   くははり侍る。

 鴨啼や弓矢を捨て十余年     去来

 

 其角編の『続虚栗』は貞享四年刊で、この年の春には芭蕉・去来・其角・嵐雪による四吟歌仙「久かたや」の巻が作られている。去来の発句もこの頃ということで、貞享三年の冬の句ではないかと思われる。

 去来はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「去来」の解説」に、

 

 「江戸中期の俳人。向井氏。通称平次郎、字(あざな)は元淵、庵号(あんごう)落柿舎(らくししゃ)。儒医元升の次男(兄元端、妹千代など9人兄妹)として肥前国長崎に生まれ、8歳のとき、父の移住に伴い上京。一時、福岡の母方の叔父久米(くめ)家の養子となって武芸の道を学び、その奥儀を極めたが、24、25歳のころ弓矢を捨てて帰京し、陰陽道(おんみょうどう)の学をもって堂上家に仕えた。」

 

とあるように、「弓矢を捨て」は二十四、五の時のことのようだ。

 去来は慶安四年(一六五一年)の生まれで、数え二十四というと延宝二年(一六七四年)になる。貞享三年が一六八六年なので十余年と計算が合う。

 句の方は鴨に弓を引くこともなくなったという意味で、かならずしも風流の道に入ったという意味ではない。鴨の声を聞きながら、あれから十年以上経ったかという感慨以上の意味はないと思うし、それだけで十分だと思う。

 前書きの「首尾年ありて」は一巻の完成までに何年もかかったということで、貞享三年にはおそらく去来・嵐雪・其角による表六句までだったのだろう。

 そのあと去来が一人で初裏の六句を付け、懐紙は書簡で京と江戸を行き来したのではないかと思う。十三句目から二十四句目までは江戸で其角と嵐雪が付け、その後二十八句目までを去来が付け、二十九、三十、三十一は江戸、三十二、三十三は京、再び江戸で首尾となったのであろう。

 

季語は「鴨」で冬、鳥類。

 

 

   鴨啼や弓矢を捨て十余年

 刃バほそらぬ霜の小刀      嵐雪

 (鴨啼や弓矢を捨て十余年刃バほそらぬ霜の小刀)

 

 「刃バ」と「バ」を補っているので、ここは「やいば」で良いのだろう。「ほそらぬ」というのは錆びて欠けたりはしていないという意味で、武士だった頃の魂は未だに旅に持ち歩く小刀に残っている、とする。「霜」は放り込みだが、「氷の刃」という言い回しもあるように、今でも研ぎ澄まされているという意味になる。

 

季語は「霜」で冬、降物。

 

第三

 

   刃バほそらぬ霜の小刀

 はらはらと栗やく柴の圓居して  其角

 (はらはらと栗やく柴の圓居して刃バほそらぬ霜の小刀)

 

 圓居は「まどゐ」とルビがある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「円居」の解説」に、

 

 「① 集まってまるく居並ぶこと。くるまざ。団欒(だんらん)。

  ※古今(905‐914)雑上・八六四「おもふどちまとゐせるよは唐錦たたまくをしき物にぞありける〈よみ人しらず〉」

  ② ひと所に集まり会すること。会合。特に、親しい者同士の楽しい集まり。団欒。

  ※神楽歌(9C後)採物・榊「〈本〉榊葉の 香をかぐはしみ 求め来れば 八十氏人ぞ 万止為(マトヰ)せりける 万止為(マトヰ)せりける」

 

とある。

 栗はそのまま火にかけると破裂するので、あらかじめ切れ込みを入れておく。前句の小刀をそれに用いるものとする。

 

季語は「粟」で秋。

 

四句目

 

   はらはらと栗やく柴の圓居して

 影くるはする龍-骨-車の月    去来

 (はらはらと栗やく柴の圓居して影くるはする龍-骨-車の月)

 

 龍骨車はウィキペディアに、

 

 「竜骨車(りゅうこつしゃ)は、農業用水を低地の用水路から汲み上げ、高地の水田に灌漑せしめる木製の揚水機。中国で発明されたとされ、日本にも伝来した。その形状が竜の骨格に似るところからの命名。

 水樋の中で、数多くの板を取り付けた無限軌道を回転させ、樋内の用水を掻きあげる。無限軌道は、上下2個の車輪で回転させるが、うち上端の1個の車輪を2人が相対して踏み、回転させる。

 ‥‥略‥‥

 日本では寛文年中(17世紀頃)に大坂農人橋において踏車が発明され、宝暦から安永年間(18世紀頃)に普及したことにより駆逐された。これは竜骨車の欠点に加え、踏車の方が、仕組みがシンプルであり、農民にとっては単純な構造品の方が使い勝手が良く手頃であったからと一般では考えられている。」

 

とある。この踏車の方は、元禄五年の「打よりて」の巻二十句目に、

 

   愚なる和尚も友を秋の庵

 高みに水を揚る箱戸樋      黄山

 

と詠まれている。

 去来の句は、竜骨車が水を汲み上げるので水に映る月が乱れている、という意味であろう。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「龍-骨-車」は水辺。

 

五句目

 

   影くるはする龍-骨-車の月

 きりぎりす螽も游ぐ山水に    嵐雪

 (きりぎりす螽も游ぐ山水に影くるはする龍-骨-車の月)

 

 螽はイナゴ。「游ぐ」は「およぐ」だが、本当に水に浮かんでいるのではなく、水の周りで遊んでいるという意味だろう。

 

季語は「きりぎりす」「螽」で秋、虫類。「山水」は山類、水辺。

 

六句目

 

   きりぎりす螽も游ぐ山水に

 盞付ケて鶴はなちやる      其角

 (きりぎりす螽も游ぐ山水に盞付ケて鶴はなちやる)

 

 中国の高士の架空の遊覧にする。貞享二年の鳴海知足亭での「杜若」の巻、二十句目に、

 

   燕に短冊つけて放チやり

 亀盞を背負さざなみ       芭蕉

 

の句があったが、ここでは鶴に盃を背負わせる。

 

無季。「鶴」は鳥類。

初裏

七句目

 

   盞付ケて鶴はなちやる

 うれしくも顔見あはする簾の間  去来

 (うれしくも顔見あはする簾の間盞付ケて鶴はなちやる)

 

 ここから去来の句が続く。

 婚礼の祝言であろう。お目出度い。

 

無季。恋。

 

八句目

 

   うれしくも顔見あはする簾の間

 また手枕を入かへて寝る     去来

 (うれしくも顔見あはする簾の間また手枕を入かへて寝る)

 

 交互に手枕し合いながら、纏き寝する。万葉集の趣向か。

 

無季。恋。

 

九句目

 

   また手枕を入かへて寝る

 旅衣まてども馬の出がたき    去来

 (旅衣まてども馬の出がたきまた手枕を入かへて寝る)

 

 旅立つのだけど馬の準備がなかなか整わないので二度寝する。

 

無季。旅体。「馬」は獣類。

 

十句目

 

   旅衣まてども馬の出がたき

 留守おほかりし里の麦刈     去来

 (旅衣まてども馬の出がたき留守おほかりし里の麦刈)

 

 宿場の馬ではなく、農家の馬を借りての旅立ちとする。芭蕉も『奥の細道』の那須野で馬を借りている。

 あいにく馬は麦刈の方で使われていて、こちらに回してくれない。

 

季語は「麦刈」で夏。「里」は居所。

 

十一句目

 

   留守おほかりし里の麦刈

 誰が子ぞ幟立置雨の中      去来

 (誰が子ぞ幟立置雨の中留守おほかりし里の麦刈)

 

 端午の節句の幟であろう。幟というと今は鯉幟だが、鯉幟が広まるのはもう少し後になる。この頃は、武家は軍に使う旗幟を立て、庶民は絵の描いた紙の幟を立てた。

 

 笈も太刀も五月にかざれ帋幟   芭蕉

 

は佐藤庄司の旧跡の「義経の太刀・弁慶が笈」を見た後だったので、それを紙幟に飾れ、という句だった。

 紙幟だから、雨が降ればボロボロになる。麦刈で留守にしている間に雨が降り出して、こんなことになってしまった。

 

季語は「幟」で夏。「誰が子」は人倫。「雨」は降物。

 

十二句目

 

   誰が子ぞ幟立置雨の中

 平家の陣を笑う浦人       去来

 (誰が子ぞ幟立置雨の中平家の陣を笑う浦人)

 

 前句の幟を軍の幟として、都落ちした平家の軍隊を見て、浦人が笑う。

 ただ、それで源氏の軍に浅瀬の場所を教えたりすると、「良いことを教えてもらった。だがこのことを他に知られるわけもいかない」と言ってその場で斬られたりする。

 

無季。「浦人」は人倫、水辺。

 

十三句目

 

   平家の陣を笑う浦人

 船かけてとまりとまりの玉祭   其角

 (船かけてとまりとまりの玉祭平家の陣を笑う浦人)

 

 瀬戸内海で合戦を繰り返し、多くの死者を出しながら移動していくから、行く先々で誰かの初盆を迎える。

 

季語は「玉祭」で秋。「船」は水辺。

 

十四句目

 

   船かけてとまりとまりの玉祭

 畠の中にすめる月影       嵐雪

 (船かけてとまりとまりの玉祭畠の中にすめる月影)

 

 船から上り畠の中に澄む月を見る。違え付け。

 

季語は「月影」で秋、夜分、天象。

 

十五句目

 

   畠の中にすめる月影

 いきて世に取後れたる老相撲   其角

 (いきて世に取後れたる老相撲畠の中にすめる月影)

 

 月夜で相撲の句は、『阿羅野』の「初雪や」の巻五句目、

 

   賤を遠から見るべかりけり

 おもふさま押合月に草臥つ    野水

 

や、「山中三吟」第三にも、

 

   花野みだるる山のまがりめ

 月よしと角力に袴踏ぬぎて    芭蕉

 

の句がある。

 前句を「畠の中に住める」として、引退した力士とする。月を見ると若くて強かったころを思い出す。

 

季語は「相撲」で秋。

 

十六句目

 

   いきて世に取後れたる老相撲

 元よし原のなさけ語らん     嵐雪

 (いきて世に取後れたる老相撲元よし原のなさけ語らん)

 

 昔も今も相撲取りというのは持てたのだろう。若い頃は明暦の大火で移転する前の旧吉原でぶいぶい言わせていた。

 

無季。恋。

 

十七句目

 

   元よし原のなさけ語らん

 花鳥に夫婦出たつ花ざかり    其角

 (花鳥に夫婦出たつ花ざかり元よし原のなさけ語らん)

 

 新婚夫婦を送り出すときに、必ず昔の吉原通いの話をする爺さんっていたのだろう。性教育のつもりなのか。

 

季語は「花ざかり」で春、植物、木類。恋。「夫婦」は人倫。

 

十八句目

 

   花鳥に夫婦出たつ花ざかり

 若餅つくと家子に告こす     嵐雪

 (花鳥に夫婦出たつ花ざかり若餅つくと家子に告こす)

 

 家子は「けし」とルビがある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「家子」の解説」には、「いへのこ」「けご」「やつべ」の読み方はあるが「けし」はない。家に仕える子弟から従者、下僕に至るまで広く指す言葉だったようだ。

 若餅は正月三が日の間に搗く餅で、正月に婚礼と目出度さが重なり、家じゅうみんなで餅を搗くという意味だろう。

 

季語は「若餅」で春。「家子」は人倫。

二表

十九句目

 

   若餅つくと家子に告こす

 荒神に絵馬かけたる年の棚    嵐雪

 (荒神に絵馬かけたる年の棚若餅つくと家子に告こす)

 

 荒神は竈の神。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「荒神」の解説」に、

 

 「① かまどを守る神。かまどの神。民間で「三宝荒神」と混同され、火を防ぐ神として、のちには農業全般の神として、かまどの上にたなを作ってまつられる。毎月の晦日に祭事が行なわれ、一月・五月・九月はその主な祭月である。たなには松の小枝と鶏の絵馬を供え、一二月一三日に絵馬をとりかえる。荒神様。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)二「又壱人、『掛鯛(かけだい)を六月迄、荒神(クハウジン)前に置けるは』と尋ぬ」

 

とある。正月だと荒神様の棚と年神様の棚が一緒になってしまう。

 

季語は「年の棚」で春。神祇。

 

ニ十句目

 

   荒神に絵馬かけたる年の棚

 うつばりかくす関札の数     其角

 (荒神に絵馬かけたる年の棚うつばりかくす関札の数)

 

 「うつばり」は屋根を支える梁で、関札はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「関札」の解説」に、

 

 「① 関所の通行のための札。関所手形。

  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「三月五日たてりとおもへば関札のかすみや春をしらすらん〈三昌〉」

  ② 江戸時代、公家・大名・役人などが宿駅に泊まったとき、その称号、宿泊の旨を記し、宿駅の出入口、宿舎の前に立てた立札。

  ※俳諧・類船集(1676)也「大名高家は道中に関札を立つ也」

 

とある。①は書状の形式なので②であろう。

 正月に泊まる旅人の多い宿では、梁に関札が並んで、年神様の棚が隠れている。

 

無季。旅体。

 

二十一句目

 

   うつばりかくす関札の数

 よめ娘見分る恋のいちはやき   嵐雪

 (よめ娘見分る恋のいちはやきうつばりかくす関札の数)

 

 宿の人は客の連れが嫁なのか娘なのかをすぐに見分ける、ということか。

 

無季。恋。「よめ娘」は人倫。

 

二十二句目

 

   よめ娘見分る恋のいちはやき

 小原黒木ぞ身をふすべける    其角

 (よめ娘見分る恋のいちはやき小原黒木ぞ身をふすべける)

 

 小原は京都大原のことであろう。かつては「小原」と表記することもあった。黒木は炭にする前の乾燥させた木。元禄二年の「かげろふの」の巻二十七句目に、

 

   黒木ほすべき谷かげの小屋

 たがよめと身をやまかせむ物おもひ 芭蕉

 

の句がある。黒木に大原の雑魚寝を付けている。

 「ふすぶ」はくすぶることで、大原女の恋は黒木を炭にするように、身をくすぶらせている。

 大原女は炭や黒木を京の街に売り歩き、京のエネルギーを供給していた。

 

無季。恋。「小原」は名所。「身」は人倫。

 

二十三句目

 

   小原黒木ぞ身をふすべける

 味噌さます草のさむしろ敷忍び  嵐雪

 (味噌さます草のさむしろ敷忍び小原黒木ぞ身をふすべける)

 

 酒の肴の焼味噌を冷ます情景とする。草の上に黒くなった薪がくすぶっている。

 

無季。

 

二十四句目

 

   味噌さます草のさむしろ敷忍び

 雪あそびてん寺の入あひ     其角

 (味噌さます草のさむしろ敷忍び雪あそびてん寺の入あひ)

 

 雪の上で味噌を冷ます情景を、お寺の夕暮れの雪遊びとする。

 

季語は「雪あそび」で冬、降物。釈教。

 

二十五句目

 

   雪あそびてん寺の入あひ

 八景の月と鴈とを見尽して    去来

 (八景の月と鴈とを見尽して雪あそびてん寺の入あひ)

 

 八景というと瀟湘八景で、日本のあちこちにある何とか八景も皆瀟湘八景に倣ったものだ。

 前句の「雪」の入相は江天暮雪 、「寺の入あひ」は煙寺晩鐘。それに加えて、月は洞庭秋月、鴈は平沙落雁。

 月が美しく雁の飛来する風光明媚な土地を廻り尽くした風狂人は、次は雪の日の寺に行って江天暮雪と煙寺晩鐘を楽しむ。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「鴈」も秋、鳥類。

 

二十六句目

 

   八景の月と鴈とを見尽して

 越のきぬたのいとあはれ也    去来

 (八景の月と鴈とを見尽して越のきぬたのいとあはれ也)

 

 「越のきぬた」は何か出典があるのか、よくわからない。琵琶湖の近江八景に見飽きて北陸の旅に出たということか。

 山里で聞く砧は、

 

 みよしのの山の秋風さよふけて

     ふるさと寒くころも打つなり

              飛鳥井雅経(新古今集)

 

の歌の心になる。

 

季語は「きぬた」で秋。

 

二十七句目

 

   越のきぬたのいとあはれ也

 狩倉にもよほされたる秋の空   去来

 (狩倉にもよほされたる秋の空越のきぬたのいとあはれ也)

 

 狩倉はウィキペディアに、

 

 「元は荘園の在地領主が荘園内や公領の一部であった山野を占拠して狩猟・騎射の場としたことに由来している。在地領主が武士として台頭するとともに狩猟や騎射が軍事訓練の一環として行われるようになり、一般の立入を規制して広大な狩倉を持つようになった。また、狩倉とされた山野から排除された狩猟民を自己の家臣に取り立てて軍事力を強化する者もいた。14世紀に入ると社会の変動に伴って、狩倉であった山野が売買や譲渡の対象とされたり、領主である武士の没落に乗じて周辺の農民の開墾地になるなど衰退していったが、近世の幕藩体制の下で将軍や大名の狩猟場として再び置かれるようになり、狩場・狩庭・鹿倉山(かくらやま)などとも呼ばれた。」

 

とある。

 秋の小鷹狩に転じる。狩倉の外からは里人の砧を打つ音が聞こえてくる。

 

季語は「秋の空」で秋。

 

二十八句目

 

   狩倉にもよほされたる秋の空

 贈りものには酒ぞたうとき    去来

 (狩倉にもよほされたる秋の空贈りものには酒ぞたうとき)

 

 小鷹狩の後の打ち上げは、やはり酒盛りか。

 

無季。

 

二十九句目

 

   贈りものには酒ぞたうとき

 今こんと云しばかりに床とりて  嵐雪

 (今こんと云しばかりに床とりて贈りものには酒ぞたうとき)

 

 「今こんと」と言えば、

 

 今来むといひしばかりに長月の

     有明の月を待ち出でつるかな

              素性法師(古今集)

 

の歌だが、ここでは友が酒を持って訪ねて来るのを待つだけ。

 

無季。

 

三十句目

 

   今こんと云しばかりに床とりて

 火燵を蹴出す思ひあまりか    其角

 (今こんと云しばかりに床とりて火燵を蹴出す思ひあまりか)

 

 「思ひあまり」は恋しさにどうして良いのかわからない状態で、なかなか来ない相手に火燵を蹴り出す。

 

季語は「火燵」で冬。恋。

二裏

三十一句目

 

   火燵を蹴出す思ひあまりか

 手形かく恋の隈リと成にけり   其角

 (手形かく恋の隈リと成にけり火燵を蹴出す思ひあまりか)

 

 手形は多義で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手形」の解説」に、

 

 「① 手の形。てのひらに墨などを塗って押しつけた形。手を押しつけてついた形。

  ※浮世草子・西鶴諸国はなし(1685)五「背中に鍋炭(なべすみ)の手形(テガタ)あるべしと、かたをぬがして、せんさくするにあらはれて」

  ② 手で書いたもの。手跡。筆跡。書。

  ※譬喩尽(1786)五「手形(テガタ)は残れど足形は不レ残(のこらず)」

  ③ 昔、文書に押して、後日の証とした手の形。

  ※浄瑠璃・日本振袖始(1718)一「繙(ひぼとく)印の一巻〈略〉くりひろげてぞ叡覧有、異類異形の鬼神の手形、鳥の足、蛇の爪」

  ④ 印判を押した証書や契約書などの類。金銭の借用・受取などの証文や身請・年季などの契約書。切符。手形証文。また、それらに押す印判。

  ※虎明本狂言・盗人蜘蛛(室町末‐近世初)「手形をたもるのみならず、酒までのませ給ひけり」

  ※読本・昔話稲妻表紙(1806)三「母さまの手形(テガタ)をすゑて証書を渡し、百両の金をうけとり」

  ⑤ 一定の金額を一定の時期に一定の場所で支払うことを記載した有価証券。支払いを第三者に委託する為替手形と、振出人みずからが支払いを約束する約束手形とがある。もとは小切手をも含めていった。

  ※経済小学(1867)上「悉尼(シドニー)より来れる千金の手形倫敦にて千金に通用し」

  ⑥ 江戸時代、庶民の他国往来に際して、支配役人が旅行目的や姓名、住所、宗門などを記して交付した旅行許可証と身分証明書を兼ねたもの。往来手形。関所札。

  ※御触書寛保集成‐二・元和二年(1616)八月「一、女人手負其外不審成もの、いつれの舟場にても留置、〈略〉但酒井備後守手形於在之は、無異儀可通事」

  ⑦ 信用の根拠となるもの。身の保証となるもの。また、信用、保証。

  ※歌舞伎・心謎解色糸(1810)三幕「あの東林めが、お娘を殺さぬ受合ひの手形」

  ⑧ 首尾。都合。具合。また、人と会う機会。

  ※随筆・独寝(1724頃)下「源氏がなさけは深しといふ人もあれども、しれにくき事の手がたあらんもの也」

  ⑨ 表向きの理由。口実。だし。

  ※洒落本・睟のすじ書(1794)壱貫目つかひ「おおくは忍びて青楼(ちゃや)へゆく。名代(テガタ)は講参会の外、おもてむきでゆく事かなわず」

  ⑩ 牛車の箱の前方の榜立(ほうだて)中央にある山形の刳(えぐ)り目。つかまるときの手がかりとするためという。

  ※平家(13C前)八「木曾手がたにむずととりつゐて」

  ⑪ 武家の鞍の前輪の左右に入れた刳(く)りこみのところ。馬に乗るときの手がかりとするもの。

  ※平治(1220頃か)中「悪源太〈略〉手がたを付けてのれやとの給ひければ、打ち物ぬいてつぶつぶと手形を切りてぞ乗ったりける。鞍に手がたをつくる事、此の時よりぞはじまれる」

  ⑫ 釜などに付いている取っ手。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  [補注]④は「随・貞丈雑記‐九」に「証文の事を手形とも云事、証文は必印をおす物也。上古印といふ物なかりし時は、手に墨を付ておしてしるしとしたると也」と見え、手印を押したところから「手形」といわれるようになったという。」

 

とある。確約のない、保証のない、という意味であろう。

 「隈リ」は「くもり」か。暗雲垂れ込める恋に火燵を蹴り出す。

 

無季。恋。

 

三十二句目

 

   手形かく恋の隈リと成にけり

 にくまれつつも宮仕へする    去来

 (手形かく恋の隈リと成にけりにくまれつつも宮仕へする)

 

 『源氏物語』の朧月だろうか。

 

無季。恋。

 

三十三句目

 

   にくまれつつも宮仕へする

 顔なをし賑はふ方のめでたきに  去来

 (顔なをし賑はふ方のめでたきににくまれつつも宮仕へする)

 

 恋の争いに負けても同じ職場で、愛しい人の外の女との祝言の宴席も断れなかったのであろう。時折席をはずしてはひそかに涙を流し、化粧をし直して戻ってくる。

 「身をば思はず」というところか。

 

無季。恋。

 

三十四句目

 

   顔なをし賑はふ方のめでたきに

 長をくらべてむすぶ水引     嵐雪

 (顔なをし賑はふ方のめでたきに長をくらべてむすぶ水引)

 

 お目出度の席で偉い人が集まっても、その力を見極めながら、結ぶ水引にも差をつける。

 

無季。「長」は人倫。

 

三十五句目

 

   長をくらべてむすぶ水引

 花のもとに各当座つかまつり   其角

 (花のもとに各当座つかまつり長をくらべてむすぶ水引)

 

 花の本の連歌の席であろう。長点の数を競って、優勝者には水引を結んだ景品が授与される。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   花のもとに各当座つかまつり

 柳にうかむ絃管の舟       嵐雪

 (花のもとに各当座つかまつり柳にうかむ絃管の舟)

 

 雅な花の宴には、川に管弦の舟を浮かべる。『源氏物語』の紅葉賀を春に移したような景色と言えよう。

 

 「れいの、がくのふねどもこぎめぐりて、もろこし、こまと、つくしたる舞(まひ)ども、くさおほかり。

 楽の声、鼓の音、世を響かす。」

 (例によって、船首を龍などで飾った二艘の船の上にステージを組んだ楽団の乗る双胴船が漕ぎ廻り、唐楽、高麗楽などありとあらゆる舞が舞われ、その種類も豊富でした。

 管弦の声、鼓の音、辺り一帯に響き渡ります。)

 

 そして、源氏の君と頭の中将の青海波の舞が始まるのだろうか、というところで一巻は目出度く終了する。

 

季語は「柳」で春、植物、木類。「舟」は水辺。