「皷子花の」の巻、解説

貞享五年六月五日、奇香亭

初表

 皷子花の短夜ねぶる昼間哉     芭蕉

   せめて凉しき蔦の青壁     奇香

 はつ月の影長檠にたたかひて    尚白

   石にいとどの聲ひびく也    自笑

 松の木を秋風さそふ折々に     通雪

   碪をやめて琴の糸かる     松洞

 

初裏

 うかれたる女になれて日をつくる  奇香

   矢数に腕のよはる恋草     芭蕉

 古塚に故郷の文を捨にけり     自笑

   柿の薹とる童かしまし     通雪

 まだ暮ぬ先より出て蛍狩      宣秀

   浮世の外の清水わく寺     尚白

 嵐ふく雲間をわくる月一ツ     松洞

   杖をまくらに菅笠の露     江山

 いなづまに時々社拝まれて     芭蕉

   よこしまの身の汗ぞながるる  自笑

 花を見て吉野は見ずに帰りきや   尚白

   雨に肥たる峯のさわらび    奇香

 

 

二表

 麦飯にうぐひす招く友ならむ    通雪

   されたる窓に鉦の音きく    江山

 ともし火のかすかにうつる松の枝  宣秀

   出よときそふ舟の村雨     官江

 道心のとふて悲しき野辺の墓    一龍

   追れて鹿の子を捨て行     芭蕉

 中の秋嵯峨なる竹を切せけり    通雪

   三線ちかく萩をふみおる    奇香

 うき人をほめてはそしる月の前   尚白

   大勢よせてあそぶたはれめ   宣秀

 一条や二条あたりの小袖売     松洞

   豕子告こす比叡の山風     尚白

 

二裏

 ころころと雪にまぶれて千鳥鳴   官江

   畚をになふて帰るあぜ道    通雪

 酔ふ時は伯父の顔さへ見忘るる   奇香

   都の妹が子をうみに来る    一龍

 機たたむ妻戸に花の香を焼て    芭蕉

   よき夢語るけふのはつ春    尚白

 

       参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

 

   元禄元歳戊辰六月五日會

    俳諧之連歌

 皷子花の短夜ねぶる昼間哉     芭蕉

 

 「皷子花」は「ひるがほ」は夏の短い夜を眠るだけで長い昼間は起きている。多分昼の興行だったのだろう。この長い昼を楽しみましょうということではないかと思う。

 

季語は「皷子花」で夏、植物、草類。

 

 

   皷子花の短夜ねぶる昼間哉

 せめて凉しき蔦の青壁       奇香

 (皷子花の短夜ねぶる昼間哉せめて凉しき蔦の青壁)

 

 夏の昼間は熱いけど、せめて蔦で緑の壁を作って涼しくしましょう。

 

季語は「凉しき」で夏。「蔦」は植物、草類。

 

第三

 

   せめて凉しき蔦の青壁

 はつ月の影長檠にたたかひて    尚白

 (はつ月の影長檠にたたかひてせめて凉しき蔦の青壁)

 

 「長檠(ちゃうけい)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 台の高い灯火。また、その台。

  ※中華若木詩抄(1520頃)上「長檠は八尺、短檠は二尺也」

 

とある。八尺というと結構な高さがある。二メートル四十といったところか。

 初月は二日か三日の月。高い所の灯火が西の空に見える細い月に負けじと戦いを挑んでいる。今の街灯なら満月よりも明るいが、昔の灯しは弱々しく、初月と争うのがせいぜいだったのだろう。

 

季語は「はつ月」で秋、夜分、天象。「長檠」も夜分。

 

四句目

 

   はつ月の影長檠にたたかひて

 石にいとどの聲ひびく也      自笑

 (はつ月の影長檠にたたかひて石にいとどの聲ひびく也)

 

 いとどはカマドウマのことだが、声はコオロギだろう。

 前句の長檠を庭の灯りとして庭石に響くコオロギの声とする。

 

季語は「いとど」で秋、虫類。

 

五句目

 

   石にいとどの聲ひびく也

 松の木を秋風さそふ折々に     通雪

 (松の木を秋風さそふ折々に石にいとどの聲ひびく也)

 

 松の木は庭にもあるが、それでは展開が不十分なので、前句の石を崖か海岸の岩のこと見た方がいいだろう。

 

季語は「秋風」で秋。「松の木」は植物、木類。

 

六句目

 

   松の木を秋風さそふ折々に

 碪をやめて琴の糸かる       松洞

 (松の木を秋風さそふ折々に碪をやめて琴の糸かる)

 

 碪は洗濯した服を叩いて皺を伸ばす作業で、兵士の帰りを待つ妻の碪は漢詩にも詠まれてきた。その碪の作業も終えて、琴弾いて自分を慰める。外は松を吹く風が瀟々と悲し気な音を立てる。

 

季語は「碪」で秋。

初裏

七句目

 

   碪をやめて琴の糸かる

 うかれたる女になれて日をつくる  奇香

 (うかれたる女になれて日をつくる碪をやめて琴の糸かる)

 

 碪を打っていた少女は売られて遊女になり、日がな琴の練習をする。

 

無季。恋。「女」は人倫。

 

八句目

 

   うかれたる女になれて日をつくる

 矢数に腕のよはる恋草       芭蕉

 (うかれたる女になれて日をつくる矢数に腕のよはる恋草)

 

 京都三十三間堂の通し矢は御三家対抗の競技会で盛り上がっていた。その通し矢のかつてのスターも遊郭にはまって今は見る影もないというところか。

 矢数というと西鶴の大矢数俳諧は貞享元年六月五日から六日にかけて住吉神社で二万三千五百句独吟興行を行った。矢数俳諧は延宝期に盛り上がりを見せ、『俳諧次韻』を共に巻いた才丸や天和期に「花にうき世」の巻に参加し、甲斐谷村にも同行した一晶も果敢にこの矢数俳諧に挑戦していた。許六がまだ常矩の門弟だった頃には、「一日ニ三百韻・五百韻を吐キ出す」なんてこともやってたという。

 西鶴の貞享元年の二万三千五百句独吟興行には其角もその場に居合わせていた。それくらい当時の俳諧師の関心は高かった。芭蕉も無関心だったわけではないだろう。ただ、芭蕉の才能は即吟向きではなく、寺社での聴衆の前での興行にも向いてなかったのだろう。それが『俳諧次韻』のようなテキストの遊びを取り入れた書物俳諧の方向に向かわせたのではなかったか。

 芭蕉は西鶴と違う方向に向かったが、何も意識してなかったわけではあるまい。二万三千五百句一昼夜に二万三千五百句という華々しい記録を作ったあと、西鶴は俳諧をやめたわけではなかったが、天和二年に『好色一代男』を書き、草紙の方で次々とヒット作を出し続けているのを見て、矢数俳諧の頃懐かしむ気持ちもあったのではないかと思う。西鶴は芭蕉のよきライバルではなく、別の所へ行ってしまった。「矢数に腕のよはる恋草」の句は、そんな裏の意味もあったのかもしれない。

 

無季。恋。

 

九句目

 

   矢数に腕のよはる恋草

 古塚に故郷の文を捨にけり     自笑

 (古塚に故郷の文を捨にけり矢数に腕のよはる恋草)

 

 「古塚」は謡曲『遊行柳』の俤であろう。かつて武士だった遊行僧が、故郷からの恋文を旅先の古塚に捨てる。

 

無季。旅体。

 

十句目

 

   古塚に故郷の文を捨にけり

 柿の薹とる童かしまし       通雪

 (古塚に故郷の文を捨にけり柿の薹とる童かしまし)

 

 柿の花は五月雨の頃に咲く。緑色で目立たないため、ここでは「薹(とう)」と呼ばれている。咲いてすぐにぽとぽと落ちるため子供がそれを拾って遊ぶ。

 

季語は「柿の薹」で夏、植物、木類。「童」は人倫。

 

十一句目

 

   柿の薹とる童かしまし

 まだ暮ぬ先より出て蛍狩      宣秀

 (まだ暮ぬ先より出て蛍狩柿の薹とる童かしまし)

 

 まだ明るいうちに蛍狩りに行くと、まだ子供が遊んでてうるさい。

 

季語は「蛍狩」で夏、虫類。

 

十二句目

 

   まだ暮ぬ先より出て蛍狩

 浮世の外の清水わく寺       尚白

 (まだ暮ぬ先より出て蛍狩浮世の外の清水わく寺)

 

 蛍狩りの行き先は清水の涌く人里離れた寺とした。

 

季語は「清水」で夏、水辺。釈教。

 

十三句目

 

   浮世の外の清水わく寺

 嵐ふく雲間をわくる月一ツ     松洞

 (嵐ふく雲間をわくる月一ツ浮世の外の清水わく寺)

 

 前句の「浮世の外」からお寺のところだけ雲間の月が現れるとする。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「雲間」は聳物。

 

十四句目

 

   嵐ふく雲間をわくる月一ツ

 杖をまくらに菅笠の露       江山

 (嵐ふく雲間をわくる月一ツ杖をまくらに菅笠の露)

 

 旅体に転じる。

 

季語は「露」で秋、降物。旅体。「まくら」は夜分。「菅笠」は衣裳。

 

十五句目

 

   杖をまくらに菅笠の露

 いなづまに時々社拝まれて     芭蕉

 (いなづまに時々社拝まれて杖をまくらに菅笠の露)

 

 遠くにある社が稲妻が光るたびに姿を現す。

 

季語は「いなづま」で秋。神祇。

 

十六句目

 

   いなづまに時々社拝まれて

 よこしまの身の汗ぞながるる    自笑

 (いなづまに時々社拝まれてよこしまの身の汗ぞながるる)

 

 泥坊か何かか。暗がりにこっそり忍び込もうにも、稲妻が光ると姿が見えてしまう。

 あたりに人けがなくても、神社の姿が現れると神様が見ているような気がして冷や汗が出る。

 

無季。「身」は人倫。

 

十七句目

 

   よこしまの身の汗ぞながるる

 花を見て吉野は見ずに帰りきや   尚白

 (花を見て吉野は見ずに帰りきやよこしまの身の汗ぞながるる)

 

 信心はないけど花は見たいというので吉野へ詣でる。吉野山は蔵王権現を祀る金峯山寺の山なのだが、花見る人はついついそれを忘れて、ただ花を見るために旅の汗を流す。

 まあ、花の心が仏の心だと思えば別に問題はないけど、ちょっとした逆説の面白さというところか。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「吉野」は名所、山類。

 

十八句目

 

   花を見て吉野は見ずに帰りきや

 雨に肥たる峯のさわらび      奇香

 (花を見て吉野は見ずに帰りきや雨に肥たる峯のさわらび)

 

 吉野は花だけでなく、下を見れば立派な早蕨も育っている。これを肴に酒を飲みたいものだ。

 

季語は「さわらび」で春、植物、草類。「雨」は降物。「峯」は山類。

二表

十九句目

 

   雨に肥たる峯のさわらび

 麦飯にうぐひす招く友ならむ    通雪

 (麦飯にうぐひす招く友ならむ雨に肥たる峯のさわらび)

 

 前句の「峯のさわらび」に山に籠る隠遁者とする。質素な麦飯にわらびをおかずとして鶯を友に暮らす。

 

季語は「鶯」で春、鳥類。

 

二十句目

 

   麦飯にうぐひす招く友ならむ

 されたる窓に鉦の音きく      江山

 (麦飯にうぐひす招く友ならむされたる窓に鉦の音きく)

 

 「さる」は「戯る」で「ざる」ともいう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘自ラ下一〙 ざ・る 〘自ラ下二〙 (文語「ざる」は古くは「さる」か)

  ① ふざける。たわむれる。はしゃぐ。

  ※宇津保(970‐999頃)楼上上「いと小さき小舎人童、『御返りたまはらむ』と言ふ。〈略〉『いとされてくちをしきわらはかな』といふ」

  ② 気がきいている。物わかりがよく気転がきく。

  ※落窪(10C後)一「おやのおはしける時より使ひつけたるわらはの、されたる女ぞ、後見とつけて使ひ給ひける」

  ③ あだめいている。色めいている。くだけた感じがする。

  ※紫式部日記(1010頃か)寛弘五年一一月一日「はかなきこともいふに、いみじくされいまめく人よりも、げにこそおはすべかめり」

  ④ すぐれた趣がある。風雅な味わいがある。

  ※源氏(1001‐14頃)浮舟「大きやかなる岩のさまして、されたる常磐木の影、しげれり」

  [補注](1)語頭の清濁に関して「さる」「ざる」両形が考えられ、語源、および後世の「しゃれ(洒落)る」「じゃれる」との関連についても諸説ある。

  (2)語形上では、「さるる」からの「しゃるる(しゃれる)」、「ざるる」からの「じゃるる(じゃれる)」の派生は自然であり、また、現代語で「しゃれる」=垢抜ける、「じゃれる」=ふざけるの分化は明瞭であるが、この対立が歴史的にどこまでさかのぼりうるのかが問題となる。

 

とある。この場合は④の洒落てるということか。前句の「麦飯」を貧しいからではなく仏道に入っているからとし、立派な山寺に転じる。

 

無季。釈教。

 

二十一句目

 

   されたる窓に鉦の音きく

 ともし火のかすかにうつる松の枝  宣秀

 (ともし火のかすかにうつる松の枝されたる窓に鉦の音きく)

 

 「鉦の音」からお寺の明け方とする。夜通し灯る燈火のは薄れ、庭の松の枝がはっきり見えてくる。

 

無季。「ともし火」は夜分。「松」は植物、木類。

 

二十二句目

 

   ともし火のかすかにうつる松の枝

 出よときそふ舟の村雨       官江

 (ともし火のかすかにうつる松の枝出よときそふ舟の村雨)

 

 港の明け方の風景に転じ、雨の降る中、競うように船が出て行く。

 

無季。「舟」は水辺。「村雨」は降物。

 

二十三句目

 

   出よときそふ舟の村雨

 道心のとふて悲しき野辺の墓    一龍

 (道心のとふて悲しき野辺の墓出よときそふ舟の村雨)

 

 道心はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「①仏を信じて悟りを求めようとする心。仏道を修めようとする心。菩提心(ぼだいしん)。

  ②十三歳あるいは十五歳以上で仏門に入った者。

  出典好色一代男 浮世・西鶴

  「たのしみし人に捨てられ、だうしんとぞなれる」

  [訳] 一緒に楽しんだ人に捨てられ、道心となった。◆仏教語。」

 

とある。この場合②の意味で人倫。

 謡曲『隅田川』であろう。野辺の墓は生年十二歳の梅若丸のもので、そこで追善供養が行われる。その一方で隅田川を渡る船が出て行く。

 

無季。釈教。「道心」は人倫。

 

二十四句目

 

   道心のとふて悲しき野辺の墓

 追れて鹿の子を捨て行       芭蕉

 (道心のとふて悲しき野辺の墓追れて鹿の子を捨て行)

 

 逃がした鹿に発心する話は『吾妻鏡』にある。

 

 「去る三月七日熊野の那智浦より補陀落山に渡った者がおります。法号は智定房(ちじょうぼう)、実はこの者こそ下河辺六郎行秀法師でした。亡き頼朝殿が下野国の那須野で狩をなさったさい、大鹿一頭が勢子(せこ)の囲い込む中に臥したので、幕下より殊勝なる射手として行秀が召し出され、あれを射よ、と命じられたので厳命にしたがったが、彼の矢は当たりそこね、鹿は勢子の囲いの外へと逃げ去り、小山四郎左衛門尉朝政(ともまさ)がこれを射取りました。行秀は当の狩場で出家を遂げ、逐電し、それきり行方知れず。近年ようやく彼が熊野山で日夜「法花経(ほけきょう)」を読誦しているとの噂を耳にしていたのですが、とうとうかように補陀落(ふだらく)渡りを決行するに至り、憐れに思います。只今お見せしています書状は、彼が同門の僧に誂(あつら)えて、泰時に送り届けてくれよと言い置いていましたもの。今日、紀伊国の糸我庄(いとがのしょう)というところから到着いたしました。書面には、出家遁世してのちのことどもを、くわしく記しております」(『的と胞衣(えな)』横井清、一九九八、平凡社、p.25)

 

 それまでたくさんの鹿を殺してきた行秀も、突如現われた大きな鹿の神々しい姿に一瞬躊躇が生じ、射損ねてしまったのだろう。行秀はこの時、一瞬にして悟りを開いたようだ。

 この句の場合は鹿が子を置いていったことに罪の意識を覚え出家したのだろう。野辺の墓はその鹿の子を弔ったものか。

 

季語は「鹿」で秋、獣類。

 

二十五句目

 

   追れて鹿の子を捨て行

 中の秋嵯峨なる竹を切せけり    通雪

 (中の秋嵯峨なる竹を切せけり追れて鹿の子を捨て行)

 

 嵯峨野の鹿王院であろう。この地を開いてお寺を立てた時、白鹿が出てきたところからこの名があるという。

 お寺を立てるとはいえ、嵯峨野の竹を切り、鹿を追いだすとは罪深い。

 

季語は「中の秋」で秋。「嵯峨」は名所。「竹」は植物で、草類でも木類でもない。

 

二十六句目

 

   中の秋嵯峨なる竹を切せけり

 三線ちかく萩をふみおる      奇香

 (中の秋嵯峨なる竹を切せけり三線ちかく萩をふみおる)

 

 竹を切らせて尺八か一節切(ひとよぎり)を作らせたのだろう。島原の遊郭で使うためか。

 

季語は「萩」で秋、植物、草類。

 

二十七句目

 

   三線ちかく萩をふみおる

 うき人をほめてはそしる月の前   尚白

 (うき人をほめてはそしる月の前三線ちかく萩をふみおる)

 

 真如の月は人を慰めることもあればそしることもある。

 

 なげけとて月やは物を思はする

     かこち顔なるわが涙かな

               西行法師(千載集)

 

の歌は、月が「嘆け」と言っているのではなく、見る人の問題だとしている。

 前句を遊女として、遊女の悩みに月は褒めているようにもそしっているようにも思える。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。「人」は人倫。

 

二十八句目

 

   うき人をほめてはそしる月の前

 大勢よせてあそぶたはれめ     宣秀

 (うき人をほめてはそしる月の前大勢よせてあそぶたはれめ)

 

 「大勢よせて」は「大よせ」のことで、weblio辞書の「デジタル大辞泉」に、

 

 「多数の遊女や芸人を呼んで遊興すること。

 「―して飲み明かさう」〈伎・壬生大念仏〉」

 

とある。延宝の六年の「物の名も」の巻六十六句目にも、

 

   買がかりしれぬ憂名を付かけて

 いつの大よせいつの御一座     信章

 

の句がある。

 団体さんを相手にする遊女は、褒められたりそしられたりして悩みは尽きない。

 

無季。恋。

 

二十九句目

 

   大勢よせてあそぶたはれめ

 一条や二条あたりの小袖売     松洞

 (一条や二条あたりの小袖売大勢よせてあそぶたはれめ)

 

 京の一条二条は西陣があり、ファッションストリートだったのだろう。多くの女性で賑わっていた。

 

無季。「小袖売」は人倫。

 

三十句目

 

   一条や二条あたりの小袖売

 豕子告こす比叡の山風       尚白

 (一条や二条あたりの小袖売豕子告こす比叡の山風)

 

 玄猪(げんちょ)は宮中に始まった行事で亥の子餅を食べる。

 一条二条は皇居に近く、旧暦十月の玄猪の頃は比叡の山風が吹く。

 

季語は「豕子」で冬。「比叡」は名所、山類。

二裏

三十一句目

 

   豕子告こす比叡の山風

 ころころと雪にまぶれて千鳥鳴   官江

 (ころころと雪にまぶれて千鳥鳴豕子告こす比叡の山風)

 

 比叡の山風を近江側に吹く比叡颪として雪まみれになる琵琶湖の千鳥を付ける。ただ、

 

 近江の海夕波千鳥汝が鳴けば

     心もしのにいにしへ思ほゆ

               柿本人麻呂(万葉集)

 

の歌はあるものの、琵琶湖といえば鳰の海というくらいでカイツブリが多い。

 

季語は「雪」で冬、降物。「千鳥」は鳥類。

 

三十二句目

 

   ころころと雪にまぶれて千鳥鳴

 畚をになふて帰るあぜ道      通雪

 (ころころと雪にまぶれて千鳥鳴畚をになふて帰るあぜ道)

 

 畚(ふご)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 農夫などが物を入れて運ぶのに用いる、縄の紐のついたかごの一種。竹や藁で編んだもの。〔色葉字類抄(1177‐81)〕

  ※広本拾玉集(1346)一「早蕨の折にしなれば賤の女がふこ手にかくる野辺の夕暮」

  ② 魚を入れるかご。びく。

  ※読本・近世説美少年録(1829‐32)一「船なる魚籃(フゴ)を、もて来て」

 

とある。この場合はあぜ道なので①であろう。天秤棒でかつぐ。

 

無季。

 

三十三句目

 

   畚をになふて帰るあぜ道

 酔ふ時は伯父の顔さへ見忘るる   奇香

 (酔ふ時は伯父の顔さへ見忘るる畚をになふて帰るあぜ道)

 

 前句の畦道を帰る百姓を大酒飲みとする。

 

無季。「伯父」は人倫。

 

三十四句目

 

   酔ふ時は伯父の顔さへ見忘るる

 都の妹が子をうみに来る      一龍

 (酔ふ時は伯父の顔さへ見忘るる都の妹が子をうみに来る)

 

 この場合の「妹(いも)」は兄弟姉妹の妹であろう。妹が出産のために実家に帰ってくるというのに兄は飲んだくれている。

 

無季。「妹」は人倫。

 

三十五句目

 

   都の妹が子をうみに来る

 機たたむ妻戸に花の香を焼て    芭蕉

 (機たたむ妻戸に花の香を焼て都の妹が子をうみに来る)

 

 妹が帰ってきたので、今まで空き部屋だったところから機を織る音が聞こえてきて、香を焚くいい匂いがする。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   機たたむ妻戸に花の香を焼て

 よき夢語るけふのはつ春      尚白

 (機たたむ妻戸に花の香を焼てよき夢語るけふのはつ春)

 

 前句の「花の香」は実物の桜の花ではないので、ここでは正月に転じて女たちが初夢の話をして盛り上がる様を付け、一巻は目出度く終わる。

 

季語は「はつ春」で春。