X奥の細道、八月九月

八月一日

天気の良い日が続くが、曾良は療養に専念し、温泉に入っている。

自分は北枝と久米之助に俳諧の指導をしたりしながら過ごした。

近くの黒谷橋の辺りを散歩した。

 

 

八月二日

そういえば昨日は八朔(はっさく)だっけ。こういう浮世離れした温泉宿ではよくわからない。

街道から離れてるけど、朝早く旅立つ人の馬が出て行く。

 

  (くつわ)ならべて馬のひと連

日を経たる湯本の峰も(かすか)なる 斧卜

 

ってこの前の興行の句があったな。

 

 

八月三日

今日は久しぶりに雨が降った。降ったり止んだりの天気だ。

久米之助に俳号をつけてやろうと思った。今までも身内に桃隣、桃印がいて、黒羽では桃翠桃雪桃里がいるからな。やはり桃の一字で桃妖にしようかな。

 

詩経に桃夭という詩があったからな

 

桃之夭夭 灼灼其花

之子于帰 宜其室家

 

少年だけど婚期の少女のような美しさということで、まあそのまんまではなく妖の字に変えておくけどね。

 

桃妖も北枝も俳諧の筋がいいのは、この地に安原(やすはら)貞室(ていしつ)がいたせいなんだろうな。貞室というと、

 

これはこれはとばかり花の吉野山

 

の句は知らない人がいないくらい有名だし、その人がこの地で点料を取らずに指導してたというからな。

 

貞門の指導を受けた人は古典の素養がしっかりしてる。桃妖の父もその教えを受けた一人で、それがある程度桃妖にも受け継がれてるのだろう。

 

昔貞室が少年の頃ここに来て、桃妖の祖父に俳諧のことで難じられて、京で貞徳の門に入ったのが、貞室とこの土地の縁の元となったという。

 

偉いのは、散々なじられて俳諧で一流になると、弟子たちを自分がされたようになじる人が多いんだが、貞室はその負の連鎖を断って、親切に指導したことだ。

小松でしつこく引き止められるくらい俳諧が盛んなのもそのせいだろうな。

それも()(よし)や五十韻など、速吟ができるのが、これまで回ったみちのくとは違うなと思う。

 

貞室は寛永9年に亡母追悼百韻を重頼(しげより)に難じられたが、この時は毅然とやり返して、その論戦は語り草になってる。

もっともその重頼さんにはお世話になってるから、そこはなんとも言えない。

 

昔お世話になった師匠さんでも、重頼さんや(にん)(こう)さんはすでに鬼籍で、季吟(きぎん)さんは存命とは聞くが、長いことご無沙汰している。俳諧より古典の注釈書に専念してるようだし。

まあ、俳諧という所もやたら絡んでくるやつっているからな。桃妖も負けるな、だな。

 

桃の木の(その)葉ちらすな秋の風 芭蕉

 

 

八月四日

あれから雨が降ったり止んだりが続いている。

ようやく伊勢長島から若い者がこちらに到着した。明日は曾良とお別れだ。

曾良は伊勢長島に向かい、自分は小松に戻ってもう少し俳諧を楽しもうと思う。

 

曾良が伊勢長島に行くことが決まったので、午後から北枝と三人で餞別(せんべつ)興行(こうぎょう)をすることになった。

桃妖も執筆(しゅひつ)で参加できれば勉強になると思ったけど、宿の方が忙しいとのこと。とりあえず北枝がメモを取っておいてくれるこになった。

 

北枝「では曾良さんが明日馬に乗って、故郷同然の伊勢長島に行ってしまうということで、そんな曾良さんのイメージに、秋に南に渡って行く燕のイメージを重ね合わせて、燕を追いかけるように、という意味で。」

 

馬かりて燕追行(おひゆく)別れかな 北枝

 

曾良「これから幾つも山を越えての帰り道になります。山の峠の曲がり目にはきっと秋の草花も咲くことでしょう。」

 

  馬かりて燕追行別れかな

花野に高き山のまがりめ 曾良

 

芭蕉「花野を馬でゆくなら、『花野みだるる』の方がいいかな。咲き乱れるとも言うし。では、その花野を相撲で踏み荒らして乱すと言うことにして、月夜の相撲にしようか。」

 

  花野みだるる山のまがりめ

月はるる角力(すまふ)に袴(ふみ)ぬぎて 芭蕉

 

芭蕉「月はるるは景だが、月よしとだといかにも『さあやるぞ』って感じで良いかな。」

北枝「なら、相撲をしてて喧嘩になって、刀に手をかけるってあるよね。周囲に止められて、『なに、刀が勝手に滑っただけだ』ってことで収める。」

 

  月よしと角力に袴踏ぬぎて

(さや)ばしりしを友のとめけり 北枝

 

芭蕉「ここで人倫を出してしまうと次の次の句で制約がかかるし、鞘走りが複数の人間のいる場面に限定されて、展開が重くなる。『やがてとめけり』で良いんじゃないか?」

 

曾良「一人の場面でもいいなら、すわっ、曲者(くせもの)!って刀に手をかけたら、という展開にできますね。」

 

  鞘ばしりしをやがてとめけり

(あを)(ぶち)(うそ)(とび)こむ水の音 曾良

 

芭蕉「何だか古池に蛙が飛び込んだみたいだな。まあ、あの句も思わぬ音にハッとする場面ではあるが、それを『曲者!』に?青淵でなくても二、三匹でいいんじゃない?」

曾良「いや、これはパロディだから面白いんだし、二、三匹じゃ緊張感ないでしょう。」

 

芭蕉「まあ、そうだな。だったら青淵だと深山に限定されるし、山類で応じるか。」

 

  青淵に獺の飛こむ水の音

柴かりたどる峰のささ道 芭蕉

 

芭蕉「たどる、かよふ、何か盛り上がらないな。まあ、びっくりしてだと打越(うちこし)と被っちゃうけど、ここは俳諧らしく取り囃して、柴かりこかすにしておくか。」

 

北枝「なるほど、柴かりこかすだと、柴刈がコケるのではなく、柴を刈りこかすとも取りなせる。なら柴刈は山賤(やまがつ)でなく、山奥の小さな寺に隠棲する僧にしよう。」

 

  柴かりこかす峰のささ道

松ふかきひだりの山は(すげ)の寺 北枝

 

芭蕉「松深きだと松の下生えを刈り払って山が荒れないようにすれば、秋には松茸も取れると、それは理屈だが、ここは何かもっと厳しい所にしたいな。たとえば(あられ)降るとか。」

曾良「なら山は遠くに見えてそっちには寺があるとできますね。平野の街道の風景に転じましょう。」

 

  (あられ)降るひだりの山は菅の寺

 

役者四五人田舎わたらひ 曾良

 

芭蕉「この前市振で遊女に会ったしな。ドサ回りの役者もいいけど、田舎わたらいの遊女にすれば花があるし、恋を仕掛けられる。遊女四五人。」

 

芭蕉「宿の部屋の腰張の部分なんかによく落書きがしてあって、結構伝言板代わりに利用している人もいるし、いろいろなローカルな情報があって面白い。田舎わたらいの遊女も、そこに愛しい人の名を見つけたりするのかな。」

 

  遊女四五人田舎わたらひ

こしはりに恋しき君が名もありて 芭蕉

 

芭蕉「腰張の伝言板は旅をしてる人はすぐわかるけど、知らない人は分らないかな。落書きの方がわかりやすいか。」

北枝「お寺にも落書きがあったりする。巡礼の記念みたいに名前を書いていったりして。愛しい人の名があると、別れた後順礼の旅に出たんだなと思って、女も出家はしなくても、肉食を断ったりする。」

 

  落書きに恋しき君が名もありて

髪はそらねど魚くはぬなり 北枝

 

曾良「魚は殺生だから可哀想だと言いますが、植物だって生きてるのに植物は何で良いのか、その辺はよくわかりませんね。蚕から絹を取るのは殺生だからと言って、当麻寺(たいまでら)中将(ちゅうじょう)(ひめ)は仏様の蓮台の蓮の茎を刈り取って、そこから糸を取って曼荼羅を織ったと言いますが。」

 

  髪はそらねど魚くはぬなり

蓮のいととるもなかなか罪ふかき 曾良

 

芭蕉「本説の句の後は中将姫から離れなくてはならないのが難しい。蓮の糸は何かその家の代々続く習慣として、贅沢を禁じて来たというのがいいかな。」

 

  蓮のいととるもなかなか罪ふかき

四五代(ひん)をつたへたる門 芭蕉

 

芭蕉「おっと、四五代はさっきの遊女四五人と被ってた。先祖の貧にしよう。」

 

北枝「この辺で月を出した方が良いのかな。その門は祭りを執り行う上代で、頑固な人だったから代々の貧を改めることもない。」

 

  先祖の貧をつたへたる門

宵月に祭りの上座(じゃうざ)かたくなし 北枝

 

芭蕉「みんなが浮かれてる宵月に、頑として加わらないというと、普通に付き合いの悪い感じだね。有明に早起きして厳粛に祭りを執り行う、そういう人柄の方が良いかもしれない。有明にしよう。」

曾良「有明の祭の儀式といえばこれですな。」

 

  有明に祭の上座かたくなし

露まづはらふ(かり)の弓竹 曾良

 

芭蕉「狩といえば殺生だからね。露は涙に通じるし、露を散らすのは秋風。殺生の悲しさに狩に付き従った子供も無言で涙する。」

 

  露まづはらふ猟の弓竹

秋風はものいはぬ子もなみだにて 芭蕉

 

北枝「これは秀逸だな。」

芭蕉「いやいや君たちの句もこれに劣るものではない。」

北枝「涙だと、哀傷に展開するのが良いかな。」

 

  秋風はものいはぬ子もなみだにて

しろきたもとのつづく葬礼 北枝

 

曾良「花の定座ですね。白き袂に桜の花の白のイメージを重ねまして、『あおによし奈良の都は咲く花の』にしましょうか。」

 

  しろきたもとのつづく葬礼

花の香に奈良の都の町作(まちつく)り 曾良

 

「奈良の都だと、時代設定が古代になってしまうから、ここは『奈良はふるきの』にしておこうかな。

古今集の奈良伝授は饅頭屋(まんじゅうや)伝授で、堺伝授は形だけ箱を渡す箱伝授になった。いにしえの和歌の道も箱に残ってるだけだし、(じょう)()の連歌の伝授にも架空の箱伝授があったことにしようか。」

 

  花の香に奈良はふるきの町作り

春をのこせる玄仍(げんじょう)の箱 芭蕉

 

北枝「玄仍の箱は何か浦島の玉手箱みたいなものとして、水辺に転じようか。難波の浜で三月上巳(じょうし)の潮干狩りで貝を取る。」

 

  春をのこせる玄仍の箱

長閑(のどか)さやしらら難波(なには)の貝多し 北枝

 

芭蕉「大阪だったらいろいろ手の込んだ料理をしそうだし、貝尽くしというのはどうだ。」

曾良「そうですね。大阪商人なら貝尽くしを食って、銀の小鍋で鴨と一緒に芹焼きにしたり、豪勢でしょうね。」

 

  長閑さやしらら難波の貝づくし

銀の小鍋にいだす(せり)(やき) 曾良

 

二十句目まで終わった所で夕食にして、そのあと曾良は疲れたと言って寝てしまったため、北枝とさしで続きをやった。

芭蕉「芹焼か。なら冬だな。囲炉裏端(いろりばた)でのんびり芹焼を作って、煮えるのを手枕して待つ。」

 

  銀の小鍋にいだす芹焼

手枕におもふ事なき身なりけり

 

芭蕉「これじゃ普通過ぎて面白くないよな。何か良い取り(はや)しがあると良いが。」

 

手まくらに軒の玉水(なが)(わび)

 

芭蕉「まあ、こいふに景色を一つ加える手もある。北枝だったらどうする?」

北枝「手枕の情景で面白くするんでしょ。」

 

手枕によだれつたふてめざめぬる

 

芭蕉「ははは、ありそうだな。まああまり綺麗でないし、それにキャラが馬鹿そうな奴に限定されて展開がしにくい。」

北枝「それなら。」

 

てまくらに竹(ふき)わたる夕間暮

 

芭蕉「囲炉裏の火加減を竹で吹いて調整するのに手枕は無理がないか?ここはもっと何気ない軽いあるあるで。」

 

  銀の小鍋にいだす芹焼

手まくらにしとねのほこり打払(うちはら)ひ 芭蕉

 

北枝「なるほど手枕で居眠りしようと思って、手が痛くならないように座布団の埃を払って、そこに敷く。これなら女でも良いってことか。遊郭で客を待ってる遊女を覆面してやってきた客が品定めする。」

 

  手まくらにしとねのほこり打払ひ

うつくしかれと覗く覆面(ふくめん) 北枝

 

芭蕉「男女ネタから衆道ネタにするのはお約束かな。寺に出入りする薫物売りは若衆で、編笠を覆面して、男なのに振袖(ふりそで)を着たりするが、ここでは古風に継ぎ小袖で。」

 

  うつくしかれと覗く覆面

つぎ小袖(たきもの)うりの古風(なり) 芭蕉

 

芭蕉「両吟だからここは二句づつ行こう。古風な薫物売りに古風な別の職業を対比させてみようか。ぎりぎりで禁中に出入りできる非蔵人が重陽の菊を育てて売りに来る。」

 

  つぎ小袖薫うりの古風也

非蔵人(ひくらうど)なるひとのきく(はた) 芭蕉

 

北枝「これは前句の寺の場面から離れるために、あえて異なる職業を対句的に並べる、いわゆる迎え付けをしたわけだ。」

芭蕉「いかにも。」

 

北枝「重陽だったらご馳走にシギとかを食うけど、シギといえば西行法師の(しぎ)立沢(たつさわ)の秋の夕暮れを思い起こして、なんか寂しげだ。」

 

  非蔵人なるひとのきく畠

(しぎ)ふたつ台にのせてもさびしさよ 北枝

 

芭蕉「なかなかいい展開だ。」

北枝「ここで台を題に取り成して、発句の題が鴫二羽で寂しげなので、脇は三日月をあしらう。」

 

  鴫ふたつ台にのせてもさびしさよ

あはれに作る三日月(みかづき)の脇 北枝

 

芭蕉「あっなるほど、その手で来たか。

そうだな、『三日月の脇』を三日月の見えるその脇でって感じで野宿にしようか。出家して最初の旅の草枕。」

 

  あはれに作る三日月の脇

初発心(しょほっしん)草のまくらに旅寝して 芭蕉

 

芭蕉「取り囃しもなくて凡庸な句になったが、一巻に一句くらいはこういう句もあるもんだな。

初発心といえば西行法師のように、京を出たら鈴鹿の山を越えて、まずは伊勢参りかな。」

 

  初発心草のまくらに旅寝して

小畑(をばた)もちかし伊勢の神風 芭蕉

 

北枝「では伊勢の有り難さを引き立てるべく、疫病の流行も治ってと違え付けで。」

 

  小畑もちかし伊勢の神風

疱瘡(はうさう)桑名(くわな)日永(ひなが)もはやり(すぎ) 北枝

 

芭蕉「違え付けの見本のようだな。」

北枝「疱瘡が流行ったけど、薬になる枇杷の葉がちょうど次々と芽吹いて、その葉を煎じて何とか凌いだ。」

 

  疱瘡は桑名日永もはやり過

雨はれくもる枇杷(びは)つはる也 北枝

 

芭蕉「一雨ごとに、でいいんじゃない。」

 

芭蕉「つはるは盛りになるという意味だったね。ここでは枇杷を琵琶に取り成して、雨の中、華やかに琵琶を掻き鳴らすということで、仙女の琵琶にしてみようか。琵琶の音に枇杷が育ってゆく。

 

  一雨ごとに枇杷つはる也

細ながき仙女(せんにょ)の姿たをやかに 芭蕉

 

北枝「なるほど、一巻にもう一つ山場の欲しい所に仙女か。恋ではないし、神祇でも釈教でもない。」

芭蕉「仙女といえば機織りだね。ここは織るのではなく茜染めにしよう。」

 

  細ながき仙女の姿たをやかに

あかねをしぼる水のしら波 芭蕉

 

北枝「これは流血に取り成せと言ってるようなものだな。何か本説で、宇治川合戦じゃベタだから、その前の以仁王(もちひとおう)の挙兵で宇治川で押し返される場面にしようか。(なか)(つな)はここを逃れて平等院で死ぬんだっけ。」

 

  あかねをしぼる水のしら波

(なか)(つな)が宇治の網代(あじろ)とうち(なが)め 北枝

 

芭蕉「お見事。仙女から合戦への展開。この一巻の飾りとなったな。」

北枝「ここは逃げ句で、前句を仲綱で名高い宇治の網代ですねと使いの者の挨拶にする。」

 

  仲綱が宇治の網代とうち詠め

寺に使をたてる口上(こうじゃう) 北枝

 

芭蕉「花の定座(じょうざ)だからな。寺に使いが来たというのは花見の誘いで間違いないな。朝の鐘を撞いたら、今日はもう何もせずに一日遊びましょう。早くしないと花は散っちゃいますよ、ってとこかな。」

 

  寺に使をたてる口上

鐘ついてあそばん花の散かかる 芭蕉

 

芭蕉「『散らば散れ』というのもありかな。いやそれじゃ禅問答だ。普通に花の散る前に花見ができたのを喜んで、北枝とこの一巻を満尾できたことにも感謝を込めて。」

 

  鐘ついてあそばん花の散かかる

酔狂人(すゐきゃうじん)()(よひ)くれ(ゆく) 芭蕉

 

 

八月五日

夜中の雨は止んだが、朝から曇ってる。

昼頃ここを出て小松に向かうが、途中那谷までは曾良も一緒だ。そこから曾良は全昌寺(ぜんしょうじ)に向かう。

あと、桃妖ともお別れだ。

 

湯の名残(なごり)今宵は肌の寒からむ 芭蕉

 

温泉に入れないって意味だからね。

 

出発の時が来た。曾良もこの山中温泉に名残を惜しんで、

 

秋の哀入かはる湯や世の景色 曾良

 

とまるでこの世の名残の景色を惜しんでるかのようだ。

さすがにさっきの句を並べるのは恥ずかしので、作り直した。

 

湯の名残り幾度(いくたび)見るや霧のもと 芭蕉

 

霧のかかってるのを見ると、温泉の湯気の向こうに桃妖がいるようなイメージを、あくまで言葉の裏に隠しておいた。

 

()()に着いた。ここで曾良ともお別れだ。

学者で顔も広く、その土地の有力者にも取り次いでくれたして、本当に有能な男だ。博識で古代の道にも詳しいし、朱子学も分かりやすく解説してくれた。おかげで蕉門の理論付けができそうだ。

 

でも、象潟でもっと北へ行きたいと言った時に止めたのは、きっと二十年に一度の伊勢神宮の式年遷宮に行きたかったからだな。

だからどのみち生きていれば伊勢で会うことになるんだろうな。あんなに遷宮祭を楽しみにしてたからな。まあ、とにかく死ぬなよ。

 

今日よりや書付(かきつけ)消さん笠の露 芭蕉

 

曾良「まあ、途中で病で動けなくなったとしても、その時は師匠が後からどのみち通ると思うと心強いです。倒れても、そこが花野なら誰かが来てくれる。」

 

跡あらん(たふ)れ臥すとも花野原 曾良

 

曾良と別れてから北枝と一緒に()谷寺(たでら)を見て回った。奇岩が多く、それも透き通るように白かった。

折から秋風が吹いて、秋もまた五行説では白だが、目にはさやかに見えない秋風は完全に透き通っていた。

 

石山の石より白し秋の風 芭蕉

 

小松に着いた。かねてから呼ばれていた生駒(いこま)万子(まんし)のところに行った。加賀藩の武士で立派な屋敷に住んでた。

 

 

八月六日

立松寺に戻ってきた。今日は雨で一休みかな。

曾良は全昌寺でどうしてるかな。雨だから無理せずに一休みかな。

 

 

八月七日

今日はいい天気だ。觀生から誘いがあって、今日は興行できるかな。

 

觀生の家で皷蟾を交えて三吟を巻いた。発句はこの前多田(ただ)八幡(はちまん)に奉納した句で、実盛の兜からそれが野に落ちてた姿を想像して、地面に虫が鳴いてたかなと、それを季語にした。謡曲(さね)(もり)の首検分の台詞を引用して、

 

あなむざんやな(かぶと)の下のきりぎりす 芭蕉

 

觀生「まさに虫の息というところか。霜枯れに草には鳴く虫の声も弱ってゆく。」

 

  あなむざんやな冑の下のきりぎりす

ちからも(かれ)し霜の秋草 觀生

 

皷蟾「晩秋の草原は河原でしょうな。丘の麓の川縁で渡し守が月明かりで綱を撚っているといったところでしょうか。」

 

  ちからも枯し霜の秋草

渡し(もり)綱よる丘の月かげに 皷蟾

 

芭蕉「なら、その渡し守の居所がそこにある。仮小屋だけど住めば屋敷のようなもの。」

 

  渡し守綱よる丘の月かげに

しばし(すむ)べき屋しき見(たて)る 芭蕉

 

觀生「見立てというからね。そのしばしの屋敷は実は(から)(かさ)を屋敷に見立ててるだけだったりして。」

 

  しばし住べき屋しき見立る

酒肴(さけさかな)片手に雪の傘さして 觀生

 

皷蟾「雪の笠というと、一輪開いた冬の梅のようでもありますな。ここは見立てではなく、雪の寒梅を見ながら酒を飲むとしましょう。」

 

  酒肴片手に雪の傘さして

ひそかにひらく大年(おほとし)の梅 皷蟾

 

芭蕉「梅というと立派な庭園で水が流れてて、大晦日に咲いた梅は2日になるともう散って流れて来て、薄墨を流したような色になる。」

 

  ひそかにひらく大年の梅

遣水(やりみづ)や二日流るる煤の色 芭蕉

 

觀生「煤の色を文字通り煤が流れて来た色として、煤の出るような安い油を使ってるのが隣にばれて恥ずかしい。」

 

  遣水や二日流るる煤の色

(おと)()(あぶら)隣はづかし 觀生

 

皷蟾「油売りはいろんな家を回ってはそこで噂話をして、油売ってたりするもんですな。そんな人に恋文なんぞ見られたら、そりゃあ恥ずかしい。」

 

  音問る油隣はづかし

初恋に文書(ふみかく)すべもたどたどし 皷蟾

 

芭蕉「初恋でたどたどしい手紙を恥ずかしそうに届けてねなんて頼まれたりしたら、使いの僧の方が惚れちまうな。」

 

  初恋に文書すべもたどたどし

世につかはれて僧のなまめく 芭蕉

 

觀生「僧もひそかに湯女のいる風呂屋に提灯持って通ったりする。」

 

  世につかはれて僧のなまめく

提灯(ちゃうちん)を湯女にあづけるむつましさ 觀生

 

皷蟾「湯女の所に風呂屋で使う提灯を納品しますと、お礼に温泉玉子なんか貰えると嬉しいですね。」

 

  提灯を湯女にあづけるむつましさ

玉子貰ふて戻る山もと 皷蟾

 

芭蕉「玉子というと煮て食うもので、納豆汁に玉子があれば言うことはない。納豆はお寺で冬に作って配るもので、それを叩いて細かくして納豆汁にする。これがまた旨い。」

 

  玉子貰ふて戻る山もと

柴の戸は納豆(なっとう)たたく頃(しづか)也 芭蕉

 

觀生「正月準備の頃かな。茅の輪にする竹を取りに行く。ただ季語は露にして秋に転じておこう。月の定座も近いし。」

 

  柴の戸は納豆たたく頃静也

朝露ながら竹輪(たけわ)きる薮 觀生

 

皷蟾「竹を取るところでは、同じ竹でモズを取る若者なんかもおりますな。捕まえたモズの目を縫い付けて竹の上に縛り付けて、その鳴き声に釣られて寄ってきたモズを獲るなんて、可哀想なことをするもんです。」

 

  朝露ながら竹輪きる薮

(もず)(おと)す人は二十(はたち)にみたぬ顔 皷蟾

 

芭蕉「モズを獲るのは殺生人と呼ばれる人たちで、河原に縁のある者。真如の月のもとで成仏できると良いな。」

 

  鵙落す人は二十にみたぬ顔

よせて舟かす月の川端(かはばた) 芭蕉

 

觀生「月夜には釜を抜かれるというけど、河原の者は鍋も持ってなさそうだな。ここでは花もないということで花に持ってっていいかな。」

 

  よせて舟かす月の川端

(もた)芦屋(あしや)は花もなかりけり 觀生

 

皷蟾「鍋もないほど貧しい芦葺きの家に住んでますのは、いくさが続いたせいでしょうな。そこら辺にはまだ野ざらしの白骨が残ってたりしましてな。」

 

  鍋持ぬ芦屋は花もなかりけり

去年(こぞ)(いくさ)の骨は白暴(のざらし) 皷蟾

 

芭蕉「時は戦国時代ということで、この頃の薮入りは奉公人の帰省ではなく、嫁が実家に帰る日だったという。」

 

  去年の軍の骨は白暴

やぶ(いり)の嫁や送らむけふの雨 芭蕉

 

觀生「帰省の日で久々に親に会うんだったら、特別に髪を洗ったりする。」

 

  やぶ入の嫁や送らむけふの雨

(かすむ)にほひの髪洗ふころ 觀生

 

皷蟾「思いがけぬ所で仏像が発見されたりしますと、吉祥だということで御所に献上されたりしますな。正月の髪を洗う頃、めでたいものです。」

 

  霞にほひの髪洗ふころ

美しき仏を御所に(たまはり)て 皷蟾

 

芭蕉「では御所を碁所に取り成して、仏像の御利益で連戦連勝。」

 

  美しき仏を御所に賜て

つづけてかちし囲碁(ゐご)仕合(しあはせ) 芭蕉

 

觀生「碁の試合(しあはせ)を幸せに取り成して、勝利が続いて大金を手にした所で、正月には大勢の人に餅を振る舞う。」

 

  つづけてかちし囲碁の仕合

(くれ)かけて年の餅搗(もちつき)いそがしき 觀生

 

皷蟾「正月といえばかぶら寿司ですな。能登の志賀の方の名物です。」

 

  暮かけて年の餅搗いそがしき

(かぶら)ひくなる志賀の古里 皷蟾

 

芭蕉「古里といえば陶淵明の田園の居に帰る。狗吠深巷中 鶏鳴桑樹巓で、犬の声がする。」

 

  蕪ひくなる志賀の古里

しらじらと(あく)る夜明の犬の声 芭蕉

 

觀生「犬というと墓場にいたりして不気味なものだ。ここは謡曲舎利のイメージで、舎利が盗まれたので僧が祈ると韋駄天が現れて取り返してくれる。」

 

  しらじらと明る夜明の犬の声

舎利(しゃり)を唱ふる(みささぎ)の坊 觀生

 

皷蟾「舞台は都の泉湧寺ですな。名前の通り泉が湧く所ですので、筧を作ってそれを引いてきましょうか。」

 

  舎利を唱ふる陵の坊

竹ひねて(われ)(かけひ)岩根(いはね)(みづ) 皷蟾

 

芭蕉「苗代水かなと思ったけどここは夏にして田植えの頃の水にしておこう。水だけでなく早苗も貰う。」

 

  竹ひねて割し筧の岩根水

本家(ほんけ)早苗(さなへ)もらふ百姓 芭蕉

 

觀生「貰った早苗はねこに乗せて運ぶもので、ここでは乳母車にしておこう。子連れで苗を貰いに行って、苗を乗せたら赤子は本家に預けて行く。」

 

  本家の早苗もらふ百姓

朝の月囲車に赤子(あかご)をゆすり(すて) 觀生

 

皷蟾「子を連れての仇討ちの旅ですな。かたきの人相書きを見ながらこの秋も本懐を遂げられず、悲しいもんです。」

 

  朝の月囲車に赤子をゆすり捨

(うた)(かたき)絵図(ゑづ)はうき秋 皷蟾

 

芭蕉「仇討の旅で筑紫の船に乗ったら船酔いした。」

 

  討ぬ敵の絵図はうき秋

(やや)寒く(ゆけ)筑紫(つくし)の船に(ゑひ) 芭蕉

 

亨子「王朝時代の地方赴任だな。船旅の末にたどり着けば、赴任式で新たな国守が(しょう)を吹く。」

 

  良寒く行ば筑紫の船に酔

(かみ)(たち)にて(せう)かりて(ふく) 亨子

 

皷蟾「国守の(うたげ)なら定座を繰り上げて花に行かないとな。花も満開の昼の庭。」

 

  守の館にて簫かりて籟

十重二十重(とへはたへ)花のかげ(あり)()()の庭 皷蟾

 

芭蕉「では田舎の景色に転じようか。花の頃は土筆(つくし)も終わり、薬用の杉菜の収穫をする。」

 

  十重二十重花のかげ有午時の庭

杉菜(すぎな)(いっ)()をわける里人 芭蕉

 

亨子「長閑な田舎の家では天窓に鳩が巣を作る。」

 

  杉菜一荷をわける里人

鳩の来て天窓(あたま)にとまる世の長閑(のどか) 亨子

 

皷蟾「では世の長閑を寿(ことほ)いで、正月の雑煮を神前にもお供えして、一巻を目出度く終わりにしましょう。」

 

  鳩の来て天窓にとまる世の長閑

馳走(ちそう)雑煮(ざふに)はこぶ神垣 皷蟾

 

 

八月十一日

今日も良い天気だ。小松の滞在も長くなったが、今日の昼頃にはここを発って全昌寺に向かう。

一人でというわけにもいかないので、北枝が同行してくれる。福井からは洞哉という人が同行してくれるという。敦賀から先は曾良が手配してるらしい。

 

北枝と二人で今夜は全昌寺に泊まる。5日には曾良が泊まって、

 

終宵(よもすがら)秋風(きく)や裏の山 曾良

 

の句を残して行った。西側が山に面している。

曾良は7日にここを発ったので、明日ここを経てば五日遅れということか。

 

 

八月十二日

朝、福井に向けて出発する時、若い僧が揮毫(きごう)をせがんできた。只というわけにはいかない。

寺に泊まった時は出る時に掃除するのが慣わしだが、それを代わりにやってくれるなら考えてもいいぞ。

 

(はき)(いで)ばや寺に(ちる)柳 芭蕉

 

よし、取引成立だ。

 

吉崎の入江は大きな干潟で、ここを船で渡って海側の汐越しの松を見た。西行法師が、

 

よもすがら嵐に波をはこばせて

   月をたれたる汐越の松

 

と詠んだ所だ。今は昼だし、こういう干潟の風景は象潟以来何度も見てきたな。

 

象潟の楽しかった思い出が蘇ってきてしまって、なんか上手く句にならないな。名月だったらまた違ってたかもしれない。

 

福井の町に入る前に、先ず永平寺に行った。日が傾いてきて、早めの夕食を食べた。

そのあと(とう)(さい)の家を訪ねたが、老いた妻がいて松岡へ行ったと聞いたので、松岡という所で洞哉と落ち合った。ここで北枝ともお別れだ。扇子に、

 

物書いて扇子(あふぎ)へぎ分くる別れ哉 芭蕉

 

と書いて渡した。実際に引き裂いたりはしてない。

 

今日は洞哉の家に泊まる。昨日まで天気が良かったが、今日は曇ってて月が見えない。それにめっきり涼しくなった。

 

 

八月十三日

今日は雨。一日ここで休んでいこう。

明後日が十五夜だし、これから敦賀へ向かうが、どこでお月見すると良いか尋ねてみようと思った。

まあ、福井にももう通り過ぎたが汐越の松もあるし、福井に引き止められそうだな。

 

名月の見所(みどころ)(とは)ん旅寝せむ 芭蕉

 

今日は一日雨で、月見もできそうになく、ただ洞哉といろいろ世間話をして過ごした。

洞哉という老人は寛文の頃に活躍した人で、そういえば伊賀にいた頃名前は耳にしていた。その後の俳諧の流れにはついてゆけず、静かに妻と二人で隠居暮らしをしてる。

 

小さな庭で夕顔やヘチマを育て、鶏頭の花が咲き、コキアは勝手に生えてきたものか。一見草に埋もれているようでも、しっかり手入れはされている。

昨日はたまたま松岡の知り合いのところに行ってて、そこで会うこととなった。

 

 

八月十四日

昨日の雨も止んで、今日はよく晴れた。敦賀までの距離も考え、久しぶりに夜明け前に出発した。洞哉も一緒で、今夜は敦賀で月見ができるかな。

 

福井の街を出ると、また広い湿地帯があった。ここが(しゅん)(ぜい)卿の、

 

夏刈りの芦のかり寝もあはれなり

  玉江の月の明けがたの空

 

の歌に詠まれた玉江だという。

月はまだ沈んでなかったが、ただ今は夏刈りをしないのか、芦が茂ってて、水に映る月は見れなかった。

 

月見せよ玉江の芦を(から)ぬ先 芭蕉

 

玉江から少し行くと催馬楽(さいばら)

 

浅水の橋のとどろとどろと

降りし雨の古りにし我を

たれぞこのなか人立てて

みもとのかたち消息(せうそこ)

(とぶら)ひに来るや さきんだちや

 

と歌われ、枕草子にも「橋はあさむつの橋」と言われた浅水(あさむず)(ばし)があった。小さな橋だった。

 

この辺りでちょうど日の昇る明け六つなので「あさむつ」

 

あさむつや月見の旅の明ばなれ 芭蕉

 

日永(ひなが)(だけ)は北陸道の武生(たけふ)宿を出ると左に見えてくる。

今のところ晴れててこの山がはっきり見えてるから、今夜も、明日の名月も晴れますように。

日永というから、日が長く出ていますように。

 

あすの月雨占なはんひなが嶽 芭蕉

 

武生宿と今庄(いまじょう)の間に湯尾峠がある。分水嶺ではなく小さな峠だが、そこに茶店があって疱瘡除けのお札が売られてた。

名月は里芋をお供えするので芋名月とも言うが、疱瘡の方のイモは特に名月とは関係ない。

 

月に名を包みかねてやいもの神 芭蕉

 

今庄宿に着くと目の前に(ひうち)山があった。木曾(きそ)(よし)(なか)の燧ケ城のあった所だ。

 

義仲の寝覚(ねざめ)の山か月かなし 芭蕉

 

今庄宿から敦賀へ行く途中に()ノ芽峠があり、(こし)の中山と呼ばれているという。

この峠を越えて降りてきた頃には月が登ってた。

西行法師の、

 

年たけてまた越ゆべきと思ひきや

   命なりけり小夜(さや)の中山

 

の歌を思いおこした。

 

はるばる松島象潟を回ってきて、生きてここまで戻れたんだなと思う。

 

中山や越路も月はまた命 芭蕉

 

敦賀に着くと出雲屋に宿を取って、さっそく気比(けひ)明神(みょうじん)に参拝した。

参道に白い砂が敷き詰められてたが、その昔遊行二世の()()が、参道が元々沼地でぬかるんでるのを見て、自ら白い砂を運んできて敷いたという。

 

秋の夜の月も澄み渡ってるが、この砂もそれに劣らず澄み切ってる。

 

月清し遊行(ゆぎゃう)のもてる砂の上 芭蕉

 

昨今はいろんな国でその土地の何々百景とか作るのが流行りのようで、敦賀にもあるらしい。

金崎夜雨、天筒秋月、気比晩鐘、野坂暮雪、櫛川落雁、常宮晴嵐、清水帰帆。

 

ただ、気比明神は煙ることなく空は澄み切っていて、後ろの()筒山(づつやま)の上に十四夜の月が明るく光る。

 

国々の八景更に気比の月 芭蕉

 

良い月見ができた。明日も晴れますように。

 

 

八月十五日

今日は朝から曇ってる。昨日の疲れもあって、まずは一休みだ。

午後になって晴れそうだったら、西行法師ゆかりの色の浜に行ってみたいな。でも宿の主人はこういう雲行きだと雨になると言ってる。

 

宿の主人が言った通り、夕方から雨になった。

 

名月や北国(ほっこく)日和(びより)(さだめ)なき 芭蕉

 

まあ、定めないのは月だけでないな。曾良が病気になったりしたし。まあ、おしなべて人生は定めないものだが。

 

 

八月十六日

今朝は晴れた。

昨日はあれから、雨が止んで月が出ないかと遅くまで起きて、宿の主人といろいろ話をした。

主人が言うに、金ヶ崎(かねがさき)戦い(たたかい)の時に海に沈んだ鐘は、その後引き上げようとしたけど海底で逆さになってて、吊り上げる時の取手となる竜頭(りゅうず)が埋もれていたので、引き上げることができなかったという。

 

月いづく鐘は沈める海の底 芭蕉

 

また、敦賀は元々(つぬ)鹿()で、なんでも昔イルカの群れが打ち上げられて、その血が臭かったから「ちうら」といい、「つぬが」になったらしい。

 

イルカの肉はクジラ同様美味しく、これをもたらした御食津(みけつ)大神(おおかみ)気比(けひ)大神(おおかみ)になったって、この辺は曾良の専門だから、いたらうるさかっただろうな。

 

ふるき名の鹿角(つぬが)や恋し秋の月 芭蕉

 

天屋五郎右衛門という人の案内で、船に酒と肴を積んで色の浜へ向かった。もちろん洞哉も一緒。

色の浜は船で北の方へ行った所にあった。

敦賀の北の方に開いた入江に逆向きの南に開いた入江と小さな小島が重なり合い、見事な景観を生み出している。

 

西行法師の、

 

汐染むるますほの小貝拾ふとて

   色の浜とは言ふにやあるらむ

 

の歌でも知られている。

砂浜に砕けた貝殻は小萩が散ったみたいで、壊れてない貝は盃のようだ。

 

小萩ちれますほの小貝小盃(こさかづき) 芭蕉

 

ようやく色の浜に月が昇った。

「ますほ」は()蘇芳(すおう)色をしてるところからその名があり、紅葉の色に見立てられるが、血の色だという人もいる。稀に月もこの色になる。

 

衣着て小貝(ひろ)はんいろの月 芭蕉

 

浜辺の月というと源氏物語の須磨巻も思い浮かぶ。この北の海の渺漠としたうら寂しさはそれにも勝る。

 

寂しさや須磨にかちたる浜の秋 芭蕉

 

 

八月十七日

今日も良い天気だ。

昨日はあれから近くの本隆寺に泊まった。9日には曾良も来てたようだ。手紙も置いてあった。

敦賀の出雲屋の手配も、天屋の船の手配もみんな曾良がやってくれたんだ。病人なのに律儀な奴だ。

洞哉が昨日の句を書いて寺に奉納した。

 

本隆寺の日蓮御影堂を拝んでから、船で出雲屋へ戻ると、路通がいた。昨日の夕方に到着して入れ違いになったようだ。

近江粟津の家にいたところ、13日に彦根から曾良の手紙を受け取って、急いで来てくれた。

 

 

八月十八日

今日は雨。もう1日ここで休んでいこう。

一昨日の路通の敦賀到着の時の句があった。

 

目にたつや海青々と北の秋 路通

 

今夜は月も見えない。

 

月のみか雨に相撲もなかりけり 芭蕉

 

 

八月十九日

今朝は晴れた。1日遅れになったが洞哉は福井へ、自分たちは長浜へ向けて夜明け前に旅だった。

いずれにせよ長い馬旅だ。曾良が一両置いていってくれたので、路通と一緒に乞食行脚する必要はなさそうだ。

 

塩津で琵琶湖が見えた時は、帰ってきたというのを実感した。

路通が北へ山一つ隔てた所にある余呉(よご)(うみ)の話をしてくれた。沢山の鳥が集まるというので、結局寄り道して余呉の湖を見て、長浜まで行かずに、木之本(きのもと)宿に宿を取った。

 

路通「毎度。路通でやんす。

余呉の湖の鳥もまだ季節が早いのか、まだ眠ってるかのように静かでやんすね。

 

鳥どもも寝入てゐるか余呉の湖 路通

 

あれ、これは季語は?水鳥の句だから冬だって師匠は言ってたでやんす。」

 

 

八月二十日

今日も天気が良く、ここから大垣まで一気にに行けなくもないが、ゆっくり行くことにしよう。

それにしても路通は天然でよくわからないが、時々凄い句を作るからな。()()()の次の撰集のことも考えなくちゃ。

 

日が高くなってからゆっくり出発して、北国脇往還の方を通った。小谷(おだに)(じょう)のあった小谷宿、伊吹山を真近に見る(すい)(じょう)宿を経て、中山道の関ヶ原宿に着いた。

今日はここに宿を取って、大垣に手紙を書くことにしよう。

長い旅ももうすぐ終わりだ。

 

 

八月二十一日

今日も天気が良く、日も高くなってから関ヶ原を出て、昼には大垣に着いた。如行や宮崎家の人たちなど、大垣のすぐに集まれる人たちが宿場の入り口まで迎えに来ていた。

 

胡蝶の夢なんて言うが、死んで胡蝶になることもなく、元の青虫のまま帰って来れた。

ふと思ったんだが、荘周が胡蝶になったと言うけど、いきなり蝶になるんじゃなくて、まずは青虫に生まれて蛹になって蝶になるんだよな。

 

胡蝶にもならで秋ふる()(むし)(かな) 芭蕉

 

如行「そうかそうか。青虫さんか。ここには貧しい秋茄子しかなくて残念ですが、くつろいでいってください。」

 

  胡蝶にもならで秋ふる菜虫哉

種は淋しき茄子(なすび)一もと 如行

 

曾良も無事に伊勢長島に帰って、今も療養中だという。伊勢の式年遷宮には一緒に行けるかな。

 

 

八月二十八日

今日は赤坂の虚空蔵(こくぞう)さんを尋ねた。

山の上に登った所に奥の院があって、岩戸があった。

辺りは静かでデデッポウと鳴く鳩の声が身に沁みる。

 

鳩の声身に(しみ)わたる岩戸哉 芭蕉

 

そういえば大垣に帰ってから大垣の木因と再会したが、前にお世話になった家ではなく、別邸を建てて隠居していた。もう四十四だもんな。

庭には菊が咲いていて、三反の田んぼがある。隠居には十分すぎると言って良いだろう。

 

かくれ()や月と菊とに田(さん)(たん)  芭蕉

 

また、関から()(ぎゅう)という者が訪ねて来たな。歳は四つ下の初老の坊主だ。

 

関はかつて宗祗法師が藤の花を見て、藤代(ふじしろ)御坂(みさか)という紀伊の歌枕に掛けて、

 

関こえてここも藤しろみさか哉 宗祗

 

と詠んだと荷兮の「()()()」にもある。

見た所素牛は藤の花という歳ではないが、

 

藤の()は俳諧にせん花の跡  芭蕉

 

 

八月三十日

今日は(しゃ)(れい)の家に呼ばれた。

大垣から見る夕暮れの伊吹山のシルエットは何か圧倒するものがあって、ここに月がなくても十分絵になる。

 

そのままよ月もたのまじ伊吹やま 芭蕉

 

 

九月三日

夜に不知という者の送別興行があった。発句は、

 

野あらしに鳩(ふき)(たつ)行脚(あんぎゃ)(かな) 不知。

 

荊口「では野を越えて山に入る所までご一緒して、露払いをしましょう。」

 

 

  野あらしに鳩吹立る行脚哉

 

山に別るる日を萩の露 (けい)(こう)

 

芭蕉「日が出たから月を出さないとね。山に別れる日を山に沈む夕日として、日が沈めば細い初月が見えるので、窓を障子を外して外を見る。」

 

  山に別るる日を萩の露

初月(はつづき)(まづ)西窓をはがすらん 芭蕉

 

如行「初月の頃は大潮だから、波の音がする。窓を剥がしたのはその波の音を好む隠士だったんだろう。」

 

  初月や先西窓をはがすらん

波の音すく人もありけり 如行

 

左柳「隠士と言えば粗末な草庵だから、木を切って自分で枕を作る。

 

  波の音すく人もありけり

木を(ひき)て枕の種と心ざし 左柳

 

残香「貧しそうだから、酒の肴も干し瓜だったりする。」

 

  木を引て枕の種と心ざし

酒の肴に(いだ)(ほし)(うり) 残香

 

斜嶺「干し瓜を肴に酒を飲むくらいだから、家も狭いだろうな。それでも隣の家の松を見ながら飲む。」

 

  酒の肴に出す干瓜

おのづから隣の松をながむらん (しゃ)(れい)

 

怒風「隣の松に何かあったか。そうか間違って切っちゃったんだな。武士が居合い抜きの練習してて。いや、切ってない、松の枝はたまたま自然に落ちたんだ。」

 

  おのづから隣の松をながむらん

(とが)なきあせにしづむ武士(もののふ) 怒風

 

不知「うっかりさんなんだろうな。愛しい人の手紙も間違えて他の手紙と一緒に破いてしまって、なんてことをしてしまったんだと冷や汗をかく。」

 

  過なきあせにしづむ武士

いとおしき人の(ふみ)さへ(ひき)さきて 不知

 

芭蕉「これは愛しい人に捨てられたのだろう。文を引き裂きながら般若の顔になる。猿楽とかでありそうだな。」

 

  いとおしき人の文さへ引さきて

般若(はんにゃ)の面をおもかげに(なく) 芭蕉

 

如行「猿楽で般若と言えば道成寺の女で最初は白拍子だが後で半蛇(はんじゃ)の面になる。」

 

  般若の面をおもかげに泣

(まつ)(よひ)の鐘をよそにや忍ぶらん 如行

 

左柳「宵の鐘がなったころにこっそり寺にやって来るのは、さては人には言えないような病気で薬を貰いに来たか。」

 

  宵の鐘をよそにや忍ぶらん

薬たづぬる月の小筵(さむしろ) 左柳

 

芭蕉「小筵といえば筵を被った乞食だろうな。砧を打つような衣すらなく寒かろう。」

 

  薬たづぬる月の小筵

薄着(うすぎ)して砧聞(きぬたきく)こそくるしけれ 芭蕉

 

残香「乞食ではなく漁師にしようか。遡上してきた鮭を市場に持って来て、薄着の生活から脱却したい。」

 

  薄着して砧聞こそくるしけれ

網代(あじろ)(さけ)を市にむさぼる 残香

 

斜嶺「鮭の遡上の季節になるといろんなところからそれを売りに来るから、いろんな形の船が集まって来る。」

 

  網代の鮭を市にむさぼる

舟の(かた)所によりて(かは)りけり    斜嶺

 

不知「諸国から船が着くところでは、船に乗って来たいろんな所の貴婦人もやってきて、目が合うなり対抗心を燃やして火花を散らしている。」

 

  舟の形所によりて替りけり

上臈(じゃうらう)たちも旅のさがなき 不知

 

如行「貴婦人がたくさん来るといえば秋の宮島、厳島神社の長橋だろうか。花吹雪の中貴婦人たちはいっぺんに渡れないので、一人、また一人と渡って行く。」

 

  上臈たちも旅のさがなき

花ふぶき宮の長橋ひとりづつ 如行

 

怒風「花吹雪と言えば吉野。花の散る中、欲張って、長いつり橋を渡って山吹の季節までここにいよう。」

 

  花ふぶき宮の長橋ひとりづつ

欲に見て(おく)(そば)の山吹 怒風

 

 

九月四日

昨日木因の所に越人が来たという。また例によって朝から酒飲んで馬に揺られてたんだろうな。それと夕方に曾良も来たらしい。

今夜は左柳の家で興行するんで、久しぶりに会えそうだ。

 

昼は戸田権太夫の別邸に招かれ、如行、路通と一緒に行った。他に二人ほど来ていて、六吟一順をした。

 

権太夫「木の実草の実を拾うって、なんか仙人みたいだな。千人の御影を訪ねて、山奥の松の戸を押し開け月を見る。」

 

  こもり居て()()草のみひろはゞや

御影(みかげ)たづねん松の戸の月 如水

 

如行「御影は故人の魂ということで、それを訪ねて松の戸より旅立つ。」

 

  御影たづねん松の戸の月

思ひ(たつ)旅の衣をうちたてて 如行

 

伴柳「旅立ちといえば川を舟で越える所から始まる。芭蕉さんの旅も隅田川から始まったというし。

 

  思ひ立旅の衣をうちたてて

水さはさはと舟の行跡(ゆくあと) 伴柳

 

路通「夕暮れに転じて、カラスがねぐらに帰って行くでやんす。自分は帰る所がないというのに。まあ、でもそれを憎んではいけない、みんなそれぞれの暮らしがあるでやんす。」

 

  水さはさはと舟の行跡

ね所をさそふ烏はにくからず 路通

 

誾如「水辺から山類へ舞台を変えるか。峠道を越えると入相の鐘が聞こえて、カラスはねぐらに帰る。」

 

  ね所をさそふ烏はにくからず

峠の鐘をつたふこがらし 誾如(ぎんじょ)

 

そういえば、路通の発句の三つ物もあったっけ。

 

路通「挨拶の句だし、庭にいろんな木や草が生えてるから、それを掻き分けて行くのといろんな趣向が尽されているというのを掛けて。」

 

  峠の鐘をつたふこがらし

それぞれにわけつくされし庭の秋 路通

 

如水「そんなそんな、手入れが行き届かず、草が萎れてたので、お客さんを迎えるために慌てて水やりをしたけど、却って寒くなったのではないか。」」

 

  それぞれにわけつくされし庭の秋

ために(うち)たる水のひややか 如水

 

芭蕉「水の冷ややかだから池の情景にして、『ために』だから何か原因があって水を打つ音がする。秋だから月も出したいな。」

 

  ために打たる水のひややか

池の蟹月待ッ岩にはい出て 芭蕉

 

夕食を食ってから路通と如水と三人で左柳の家へ行った。既に曾良や越人の姿もあり、久しぶりの再会だ。それにしても越人、「まだ生きてたのか」はないだろ。お前こそ酔って馬から落ちてとっくに死んでたと思ってたぞ。

 

曾良は病気がすっかり治って、よくぞ生きててくれた。

荊口の親父は昨日も会ったが、息子の此筋、文鳥、も一緒で、あれ、千川はいないのか。

それにしてもたくさん集まったな。楽しい俳諧になりそうだ。

 

左柳亭での興行が始まった。

 

芭蕉「今日は94日ということで、もうすぐ重陽。多分その頃にはもう伊勢神宮へ向かってると思うので、まあこの俳諧は一足早い重陽の興行としたい。重陽の菊も今日咲いてほしいな。」

 

はやう(さけ)九日(ここのか)も近し宿(やど)の菊 芭蕉

 

左柳「今日が重陽だと思うと、何だか今日の宵の四日の月を見ても、九日が来たかのようにわくわくするな。」

 

  はやう咲九日も近し宿の菊

心うきたつ(よひ)(つき)の露 左柳

 

路通「心浮き立つといえば秋の収穫でやんす。でもそこのちょっと露の涙があるとすれば、新しい畠を開墾して収穫したけど、去年までここに住んでた鶉が何か悲しそうにない照ることかな。」

 

  心うきたつ宵月の露

新畠(しんばたけ)去年(こぞ)(うづら)(なき)()して 路通

 

文鳥「浮き立つと言えば雲かな。新しい畠は山また山の山の中。そこに雲がかかる。」

 

  新畠去年の鶉の啼出して

雲うすうすと山の(かさな)り 文鳥

 

越人「何か酔っ払ってくると窓を開けたくなるやがな。別に小便とかじゃないぞ。外の風を浴びて気持ちえーが。」

 

  雲うすうすと山の重なり

酒飲(さけのみ)のくせに障子を(あけ)たがり 越人

 

如行「酒飲みは陶淵明のような隠士かな。窓の外の景色に風狂な分を(つづ)

 

  酒飲のくせに障子を明たがり

なをおかしくも(ぶん)をくるはす 如行

 

荊口「何がおかしくてって、そうだな、足の裏をくすぐられたとかかな。足の裏には(しつ)(みん)という不眠症に効くツボがあるというが、普通にやってもくすぐったいだけ。」

 

  なをおかしくも文をくるはす

足のうらなでて(ねむり)をすすめけり 荊口

 

此筋「あっ、それこの前やってあげたの、あの時のことかな。それは置いといて、眠れないと言えば大晦日に眠れなくなることってあるよね。」

 

  足のうらなでて眠をすすめけり

年をわすれて(ふすま)かぶりぬ 此筋

 

木因「息子が若い後妻を連れてきおってのう、話が合わないんで爺は引き籠るわ。」

 

  年をわすれて衾かぶりぬ

二人目(ふたりめ)の妻にこころや(とけ)ぬらん 木因

 

残香「前妻の命日で精進日なんだが、若い後妻と鰹節は精進の大敵やな。」

 

  二人目の妻にこころや解ぬらん

けづり鰹に精進(しゃうじ)(おち)たり 残香

 

曾良「江戸では食べられませんでしたが、鰹節の出しの誘惑には勝てませんね。こっちに戻ってきたら医者にお灸責めにされて、いやはや参りました。やっぱ鰹節は最高です。」

 

  けづり鰹に精進落たり

とかくして(やいと)する座をのがれ(いで) 曾良

 

斜嶺「夏の土用の頃は虫干しをするけど、この時は火を使っちゃいけないというから、それを口実にお灸を逃れたりする。」

 

  とかくして灸する座をのがれ出

書物(しょもつ)のうちの虫はらひ(すつ) 斜嶺

 

左柳「旅の好きな人は書物の虫干しをしてても、次の旅のことが気になる。」

 

  書物のうちの虫はらひ捨

飽果(あきはて)し旅も(この)(ごろ)恋しくて 左柳

 

芭蕉「旅人と言えば修験者で、年を取って昔の旅が懐かしくなるが、今は歯もなくて法螺貝も吹けない。」

 

  飽果し旅も此頃恋しくて

歯ぬけとなれば貝も(ふか)れず 芭蕉

 

文鳥「年寄りだからね、頭巾を被る時も火で温めてから被る。」

 

  歯ぬけとなれば貝も吹れず

月寒く頭巾(づきん)あぶりてかぶる也 文鳥

 

荊口「急に寒くなると、昨日はまではそんな頭巾を炙って被る何で年寄り臭い何て言ってても、明け方に冷えると急に考えを変える。」

 

  月寒く頭巾あぶりてかぶる也

あかつき(かは)る宵の分別(ふんべつ) 荊口

 

路通「だったら寺の和尚さんで、昨日は花見なんてとんでもない、修行だ修行だとびしばし言っておきながら、朝になったら急に花見に行こうと言い出すでやんす。」

 

  あかつき替る宵の分別

(いち)(ばう)にあづかる山の花(さき)て 路通

 

越人「お坊さんだからな。花見でも鳥や魚はなしで、出るのはぬか漬けだけみゃあ。」

 

  一棒にあづかる山の花咲て

塩すくひ(こむ)春の(ぬか)味噌(みそ) 越人

 

木因「三河(みかわ)万歳(まんざい)って姿は武士みたいだけど、本当は百姓なんで糠味噌の匂いがする。」

 

  塩すくひ込春の糠味噌

万歳(まんざい)の姿(ばかり)はいかめしく     木因

 

斜嶺「万歳で回っていると、犬が怪しい奴とばかり吠えたてる。村はずれまで追いかけてきたりして。」

 

  万歳の姿斗はいかめしく

村はづれまで犬に(おは)るる 斜嶺

 

此筋「前句を行脚の土産話のネタの一つということで。」

 

  村はづれまで犬に追るる

はなし(きく)行脚(あんぎゃ)の道のおもしろや 此筋

 

残香「俳諧の道に入って行脚をしたり、好き勝手に生きてる奴って、医者の二代目が多いよな。」

 

  はなし聞行脚の道のおもしろや

二代上手(じゃうず)の医はなかりけり 残香

 

曾良「まあ最近はあちこちに(よう)(きゅう)を競う矢場(やば)ができて、流行(はや)ってますからな。そんなのにはまったりすると面倒くさいですな。」

 

  二代上手の医はなかりけり

(やう)(きゅう)(たくみ)するほどむつかしき 曾良

 

如行「弓職人ということにしましょうか。年取って髪も薄くなって烏帽子も被れない。」

 

  揚弓の工するほどむつかしき

烏帽子(ゑぼし)かぶらぬ髪もうすくて 如行

 

左柳「年寄りもびっくりの大雪というのもこの頃多いね。何か世の中全体が寒くなっているのか。」

 

  烏帽子かぶらぬ髪もうすくて

(ふゆ)(ごもり)(おぼえ)ての大雪に 左柳

 

文鳥「茶道を始めたばかりだというのに大雪続きで。満足に習いに行くこともできない。」

 

  冬籠物覚ての大雪に

茶の(たて)やうも不案内(ぶあんない)なる 文鳥

 

越人「美少年でちやほやされて、茶の道でも師匠に可愛がられるばかりで、なかなか厳しく指導してくれない。」

 

  茶の立やうも不案内なる

(うつ)くしう顔生付(うまれつく)物憂さよ 越人

 

路通「女も美人に生れると、大概悪い男に目を付けられて、結局最後は尼になるでやんす。」

 

  美くしう顔生付物憂さよ

尼に(なる)べき宵のきぬぎぬ 路通

 

芭蕉「尼になるといったら夫の戦死。夢枕に幽霊になってやってきて夫の死を知る。

 

  尼に成べき宵のきぬぎぬ

月影に(よろひ)とやらを見(すか)して 芭蕉

 

荊口「幽霊の正体は萩の枝だった。」

 

  月影に鎧とやらを見透して

萩とぞ思ふ一株(ひとかぶ)の萩 荊口

 

此筋「盆が終わって精霊(しょうりょう)(だな)を片付けると、あらためてそこに萩が咲いてるのに気付いたりする。」

 

  萩とぞ思ふ一株の萩

何事も盆を仕舞(しまう)(ひま)(なる) 此筋

 

曾良「お盆と言えば大晦日と並ぶ決算日で、借金取りに追い回されますね。でも無事に返済が済めば追手も一緒にお伊勢参りですな。今年は遷宮のお目出度い年ですし。」

 

  何事も盆を仕舞て隙に成

追手(おって)(つれ)(さそ)参宮 曾良

 

残香「伊勢参りは庶民の特権。武士も刀を捨てれば伊勢参りができる。」

 

  追手も連に誘う参宮

丸腰に(すて)て中々(くら)しよき 残香

 

木因「武士身分を捨てても、何か一芸なければ食うに困るだけ。いろいろ教えてくれた母に感謝しなくては。」

 

  丸腰に捨て中々暮しよき

もののわけ知る母の(たふと)さ 木因

 

如行「母の政子がしっかりしてたから、実朝殿も和歌を好み風流の旅ができた。ただ、その末路は。」

 

  もののわけ知る母の尊さ

花の蔭鎌倉どのの草まくら 如行

 

斜嶺「花は桜だけでなく、春の花は梅に始まり山吹に終わる。そうやって鎌倉殿は三代続いたけど、そこで終わってしまい、その後の長連歌ではなく昔の言い捨ての短連歌で終わってしまった。」

 

  花の蔭鎌倉どのの草まくら

山吹(やまぶき)にのこるつぎ歌 斜嶺

 

 

九月五日

昨日戸田権太夫の所へ行って6日には伊勢へ旅立とうかと言ってたら、今日になってこれから寒くなるからってあらき酒の角樽一つと紙子二枚に頭巾などいろいろ持ってきてくれた。

 

あらき酒はそれこそ路次の煩いだけど、江戸を発つ時も何かといろいろ持たされたな。強い酒は苦手だが、まあお湯で割って少しづつ飲んでいけばいいかな。でも越人にも飲ませてやんないとな。残りを持ってけばいいか、って残るかな。

 

紙子は出羽で貰ったものをずっと持ってたが、暑い日が多かったんであんまり着なかったな。まあ、これを機に新しいものに替えよう。古いのは捨てようと思ってたが如行の門人の竹戸が記念に欲しいなんて言い出した。冗談で(かみ)(ふすま)ノ記を書いて紙衾を渡したら、

 

あっ、いいないいなと如行や路通や曾良や越人がやってきて、真似して紙衾の俳文を書き出して発句まで添えてあった。何だかとんでもないお宝になってしまった。

それにしても越人の、

 

くやしさよ竹戸にとられたる衾 越人

 

ってそのまんまじゃないか。おい、匂い嗅ぐなよ。

 

越人の悔しがった文章が面白いから公開しちゃおう。

 

阿難は世尊入滅の後に来り。

孔子は周の衰へにいて、

實房ハ嵐や庭の松に答へんとある庵を見、

こゝに芭蕉老人は霞とゝもに武蔵野を出、

能因西行の跡を慕ひ、

ひだるき事寒き事を泣く日に、

松嶋白川を眺め(やうやう)秋風立つ越路を経て、

雪車の早緒の早くも濃州の市隠如行のもとにものし給ふよし、

夕に聞て其朝走り着て、

先達てめづらしなんと泣笑ふその道の程、

前に聞こえつる衾は竹戸にもらはれけむこそこはいかに。

富貴官位ハは徳大寺の如くうらやまし。

此衾とられけむこそ本意なけれ。

貴妃李夫人か後を泣き続けたるはうつけたる話になりぬ。

越人/\おそく来てくやしからん越人、と越人の云

 

くやしさよ竹戸にとられたる衾

 

 

九月六日

今日も良い天気だ。これから曾良と路通と一緒に伊勢へ向かうんで、大垣の南の(からす)()まで来た。ここから船でまずは伊勢長島に行く。木因はここまで来てくれるという。

大垣のみんなとそれに越人。これでお別れだ。

 

(はまぐり)のふたみにわか(ゆく)秋ぞ 芭蕉

 

(完)