「武さし野を」の巻、解説

初表

   一むら薄まれ人をまねいて

 武さし野を我屋也けり涼み笛   翠紅

   切麦さらすさらさらの里   才丸

 皂莢に草鞋ヲいたく径アリて   一晶

   つばめをつかむ雨の汚レ子  其角

 月出て日の牛遅き夕歩み     罔兩

   えぼしを餝る御所やうの松  翠紅

 

初裏

 鏡刻時の斧取り申ける      才丸

   八十万箕の霊とあらぶる   一晶

 生姜薬をかざしにさせる市女笠  其角

   関守浮ス三五夜の曲     才丸

 雁の来ルいで楊弓を競ふらん   翠紅

   治郎にくだす盞の論     罔兩

 金谷ノ泪ヲかたびらにそそぐ   一晶

   荒しや姑蘇の風呂臺に入   其角

 乱往昔古首つるべより上る    才丸

   主人の瑞を告し初鶏     翠紅

 花の比都へ連歌買にやる     其角

   桜まだみぬ島原につよし   一晶

 

二表

 地女の袂みじかき染の帯     翠紅

   小六に祈る郎よかれと    才丸

 御手洗や両国橋の生れぬ世    一晶

   垂樹渡江松九本あり     其角

 蒹焦て番屋は雷に霹らん     才丸

   もるに書ヲ葺閑窓の夜    罔兩

 犬わなにかかるは酔の翁にて   其角

   壻等に恥よ名を反す恋    翠紅

 早稲は実か入晩稲は身稲つはり  一晶

   袖そよ寒しスバル満ン時   才丸

 水飲に起て竈下に月をふむ    翠紅

   聞しる声の踊うき立     一晶

 

二裏

 早桶の行に哀はとどめずて    其角

   我身をてかけ草のいつ迄   翠紅

 花は世に伊達せぬ山の浅黄陰   才丸

   心に寸ンの剣なき盧     其角

 灯前の夜話酒を好ニス      一晶

   あらしに帰る四の罔兩

 

 年の輪の半をくぐる名越哉    翠紅

 

      参考;『普及版俳書大系3 蕉門俳諧前集上巻』(一九二八、春秋社)

初表

発句

 

   一むら薄まれ人をまねいて

 武さし野を我屋也けり涼み笛   翠紅

 

 まれ人は発句を詠んだこの翠紅と思われる。この人についてはよくわからないが、『虚栗』には、

 

 春ン柴ニ負ㇾ葩ヲ木深き宿を山路哉 翠紅

 白魚は朧にて海雲を晴ルル笧哉  翠紅

 

などの句が入集している。

 武蔵野を我が屋だと思って涼んでいきます、という挨拶になる。涼み笛は何か特別な笛があるのか、単に納涼会で笛を吹くというだけなのかよくわからない。

 一晶もまた、コトバンクの「世界大百科事典 第2版 「一晶」の意味・わかりやすい解説」に、

 

 「1643‐1707(寛永20‐宝永4)

  江戸前期の俳人。姓は芳賀,名は治貞。通称は順益。別号は崑山翁,冥霊堂。似船・常矩(つねのり)の傘下から京都俳壇に登場し,秋風・信徳に兄事した。《四衆懸隔》(1680),《蔓付贅(つるいぼ)》(1681),《如何(いかが)》等を刊行し,1万3500句の矢数俳諧で名をあげ,談林俳諧の点者として認められた。1683年(天和3)に歳旦帳を刊行し,その春江戸に移住して蕉門と親交を持ち,天和蕉風の一翼を担った。」

 

とある。『虚栗』が天和三年六月刊なので、春に江戸に来て夏にこの一巻に参加して、すぐに刊行されたことになるが、これ以前にも春の「花にうき世」の巻に参加している。

 才丸は延宝五年から江戸にいて、芭蕉や其角との親交も深い。其角は江戸っ子で父の東順は近江出身。

 罔兩は「菖把に」の巻の最後の二十五句目だけ付けてたので執筆だったと思われる。この巻では三句参加している。

 

季語は「涼み」で夏。「武さし野」は名所。「我家」は居所。

 

 

   武さし野を我屋也けり涼み笛

 切麦さらすさらさらの里     才丸

 (武さし野を我屋也けり涼み笛切麦さらすさらさらの里)

 

 切麦は麦をこねて細く切ったもので、夏に冷やして食べるのなら冷麦の原型であろう。冷水にさらしてさらさらにして食べる。

 

季語は「切麦」で夏。「里」は居所。

 

第三

 

   切麦さらすさらさらの里

 皂莢に草鞋ヲいたく径アリて   一晶

 (皂莢に草鞋ヲいたく径アリて切麦さらすさらさらの里)

 

 皂莢は「サイカシ」とルビがある。今日でいうサイカチのことであろう。コトバンクの「デジタル大辞泉 「皂莢」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「マメ科の落葉高木。山野や河原に自生。幹や枝に小枝の変形したとげがある。葉は長楕円形の小葉からなる羽状複葉。夏に淡黄緑色の小花を穂状につけ、ややねじれた豆果を結ぶ。栽培され、豆果を石鹸の代用に、若葉を食用に、とげ・さやは漢方薬にする。名は古名の西海子(さいかいし)からという。《季 実=秋 花=夏》「夕風や―の実を吹き鳴らす/露月」

 

とある。

 前句の切麦の里を旅の途中の涼みとして、旅体に転じる。足にできる豆と掛けているのであろう。

 

季語は「皂莢」で夏、植物、木類。旅体。「草鞋」は衣裳。

 

四句目

 

   皂莢に草鞋ヲいたく径アリて

 つばめをつかむ雨の汚レ子    其角

 (皂莢に草鞋ヲいたく径アリてつばめをつかむ雨の汚レ子)

 

 雨の中で泥だらけになった子供が巣から落ちた燕を掴むということか。前句を旅人から子供に転じる。

 

季語は「つばめ」で春、鳥類。「雨」は降物。「汚レ子」は人倫。

 

五句目

 

   つばめをつかむ雨の汚レ子

 月出て日の牛遅き夕歩み     罔兩

 (月出て日の牛遅き夕歩みつばめをつかむ雨の汚レ子)

 

 前句の汚れ子を牧童として、雨が上がり月の出た夕ぐれを牛とともにゆっくり帰って行く。

 

季語は「日の‥遅き」で春。「月」は夜分、天象。「牛」は獣類。

 

六句目

 

   月出て日の牛遅き夕歩み

 えぼしを餝る御所やうの松    翠紅

 (月出て日の牛遅き夕歩みえぼしを餝る御所やうの松)

 

 前句の牛から王朝時代の牛車に乗った貴族に転じ、御所の松の周りに立派な烏帽子を被って集まる。

 烏帽子は人前では脱がないものだから、烏帽子を松に飾ったのではなく、松の木を烏帽子をした人たちが飾るということであろう。

 

季語は「松」が小松引きのことで春、植物、木類。「えぼし」は衣裳。

初裏

七句目

 

   えぼしを餝る御所やうの松

 鏡刻時の斧取り申ける      才丸

 (鏡刻時の斧取り申けるえぼしを餝る御所やうの松)

 

 これも難解でよくわからない。斧取りは「よきとり」か。

 宮廷で神事に使う銅鏡の模様を刻む時に、銅を溶かすための薪にする松を斧で伐採する人達が松の木の元に集まるという情景だろうか。

 

季語は「斧取り」で春。神祇。

 

八句目

 

   鏡刻時の斧取り申ける

 八十万箕の霊とあらぶる     一晶

 (鏡刻時の斧取り申ける八十万箕の霊とあらぶる)

 

 八十万は八百万(やおよろず)に一桁足りないが、八百万の神にも満たない八十万(やそよろず)の霊(たま)ということか。

 箕の霊(たま)は御霊(みたま)と掛けて、前句を非業の死を遂げた御霊の荒ぶるのを鎮める儀式としたか。

 

無季。神祇。

 

九句目

 

   八十万箕の霊とあらぶる

 生姜薬をかざしにさせる市女笠  其角

 (生姜薬をかざしにさせる市女笠八十万箕の霊とあらぶる)

 

 生姜は薬として体を温めるのに用いられる。それを用いて市女笠の巫女が八十万の霊を鎮める。

 

季語は「生姜」で秋。「市女笠」は衣裳。

 

十句目

 

   生姜薬をかざしにさせる市女笠

 関守浮ス三五夜の曲       才丸

 (生姜薬をかざしにさせる市女笠関守浮ス三五夜の曲)

 

 関を越える時には頭に挿頭(かざし)を付けて晴着にする。後に芭蕉が『奥の細道』の旅で白河の関を越える時に曾良が、

 

 卯の花をかざしに関の晴着かな  曾良

 

の句を詠んでいる。

 生姜薬のかざしで関を越えようとする市女笠の旅の女だが、何かと出女に厳しい関所のことで、関守を懐柔するために三五夜の曲を奏でる、謡い踊る。

 三五夜は十五夜のことだが、四句隔てて月があるためここで名月は出せないので「三五夜」にしてかいくぐることになる。関所抜けでもあり式目の抜けでもある。

 

季語は「三五夜」で秋、夜分。旅体。「関守」は人倫。

 

十一句目

 

   関守浮ス三五夜の曲

 雁の来ルいで楊弓を競ふらん   翠紅

 (雁の来ルいで楊弓を競ふらん関守浮ス三五夜の曲)

 

 秋だから雁の渡ってくる季節でもある。十五夜の宴の余興として関守をもてなすために楊弓でもって雁を獲る競争をしよう、ということになる。

 楊弓はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ) 「楊弓」の意味・わかりやすい解説」に、

 

 「長さ2尺8寸(約85センチメートル)ほどの遊戯用の小弓。楊弓の呼称は、古くは楊柳(やなぎ)でつくっていたからであり、またスズメを射ったこともあるため、雀弓(すずめゆみ)(雀小弓)ともよばれた。唐の玄宗が楊貴妃とともに楊弓を楽しんだという故事からも、日本には中国から渡来したものと思われる。約9寸(27センチメートル)の矢を、直径3寸(約9センチメートル)ほどの的(まと)に向けて、7間半(約13.5メートル)離れて座ったまま射る。平安時代に小児や女房の遊び道具として盛んになり、室町時代には公家(くげ)の遊戯として、また七夕(たなばた)の行事として行われた。江戸時代になると、広く民間に伝わり競技会も開かれた。寛政(かんせい)(1789~1801)のころから寺社の境内や盛り場に楊弓場(ようきゅうば)が出現した。楊弓場は主として京坂での呼び名で、江戸では矢場(やば)といった。金紙ばりの1寸的、銀紙ばりの2寸的などを使い、賭的(かけまと)の一種であったが、賭博(とばく)としては発達しなかった。矢場はむしろ矢取女という名の私娼(ししょう)の表看板として意味が深い。」

 

とある。本格的な狩猟でなく、あくまでゲームとして楽しむ。

 

季語は「雁」で秋、鳥類。

 

十二句目

 

   雁の来ルいで楊弓を競ふらん

 治郎にくだす盞の論       罔兩

 (雁の来ルいで楊弓を競ふらん治郎にくだす盞の論)

 

 遊戯としての楊弓場は元禄の頃には一般的になるが、天和の頃はまだであろう。

 ここでは武家の子どもの遊戯で、小さい子供に弓を教えながら酒の飲み方も教える。

 

無季。

 

十三句目

 

   治郎にくだす盞の論

 金谷ノ泪ヲかたびらにそそぐ   一晶

 (金谷ノ泪ヲかたびらにそそぐ治郎にくだす盞の論)

 

 金谷は字数からすると「かねたに」だろうか。かねたにの-なみだをかたび-らにそそぐ、こういう切り方は近代俳句でも真似されているが。

 何となくそういう武将がいそうだなという感じで「かねたに」にしたのだろう。息子との涙の別れか。楠木正成の桜井の別れのような。

 

無季。「かたびら」は衣裳。

 

十四句目

 

   金谷ノ泪ヲかたびらにそそぐ

 荒しや姑蘇の風呂臺に入     其角

 (金谷ノ泪ヲかたびらにそそぐ荒しや姑蘇の風呂臺に入)

 

 姑蘇(こそ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「姑蘇」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「中国、江蘇省蘇州市近郊にある呉県の古名。西南に姑蘇山があり、その山頂には姑蘇台がある。〔張継‐楓橋夜泊詩〕」

 

 姑蘇台は、

 

 「中国、春秋時代の呉王夫差が姑蘇山(江蘇省呉県の西南)上に築いた台の名。夫差は越を破って得た美人西施など、千人の美女を住まわせて栄華をきわめたという。姑胥台(こしょだい)。蘇台。

  ※和漢朗詠(1018頃)下「強呉滅びて荊蕀あり 姑蘇台の露瀼々たり〈源順〉」 〔史記‐呉也家〕」

 

とあり、和漢朗詠集にもあるから有名だったのだろう。ただ、風呂臺はおそらく白楽天『長恨歌』の西安華清池の、春寒賜浴華清池 温泉水滑洗凝脂のイメージと組み合わせたものか。

 その温泉台も荒れ果てて涙を流すというのは、前句の金谷殿を玄宗皇帝に見立てたと思われる。

 

無季。

 

十五句目

 

   荒しや姑蘇の風呂臺に入

 乱往昔古首つるべより上る    才丸

 (乱往昔古首つるべより上る荒しや姑蘇の風呂臺に入)

 

 往昔には「そのかみ」とルビがある。荒れ果てた風呂台の跡はその昔乱があって、その時の首が釣瓶に乗って上げられた、ということであろう。昔の首だったら、完全に髑髏になっているのだろう。

 

無季。

 

十六句目

 

   乱往昔古首つるべより上る

 主人の瑞を告し初鶏       翠紅

 (乱往昔古首つるべより上る主人の瑞を告し初鶏)

 

 乱を起こした邪君は既に排除され、我が大君が天下泰平をもたらす瑞兆の鶏の声がする。

 

季語は「初鶏」で春、鳥類。

 

十七句目

 

   主人の瑞を告し初鶏

 花の比都へ連歌買にやる     其角

 (花の比都へ連歌買にやる主人の瑞を告し初鶏)

 

 吉兆があったので花の都で連歌会を催す。中世ならありそうなことだ。「買いにやる」というのは、地下の連歌師たちを多額の報酬をやって集めてくるということか。善阿、周阿。救済のような。

 まあ、其角も自ら「詩あきんど」と言っているし。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

十八句目

 

   花の比都へ連歌買にやる

 桜まだみぬ島原につよし     一晶

 (花の比都へ連歌買にやる桜まだみぬ島原につよし)

 

 花の都と言えば島原の遊郭。連歌師を呼ぶはずが、桜にはまだ早いと言って、結局遊郭で使いこんでしまうという落ちか。

 「つよし」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「強」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘形口〙 つよ・し 〘形ク〙

  ① 丈夫で力がある。また、勢いがある。

  ※書紀(720)神武即位前(熱田本訓)「勁(ツヨキ)卒(いくさ)を駈馳せて」

  ② 勇気・意志力・忍耐力などが十分にある。また、気丈夫である。

  ※続日本紀‐神護景雲三年(767)一〇月一日・宣命「先の人は謀(はかりごと)をぢなし、我は能(よ)く都与久(ツヨク)謀りて、必ず得てむ」

  ③ あることが得意である。あることによく通じている。また、あることに耐える力がある。「将棋が強い」「法律に強い人」「熱に強い材質」

  ※東京の三十年(1917)〈田山花袋〉ある写真「国木田も飲むからな。それに、天渓君だって強い」

  ④ ゆるみがない。堅い。堅固だ。

  ※東大寺諷誦文平安初期点(830頃)「唯し菩提樹下のみ堅(ツヨク)全(また)くして振ひ裂けず」

  ⑤ はげしい。きびしい。するどい。

  ※源氏(1001‐14頃)末摘花「人のいふ事はつようもいなびぬ御心にて」

  ⑥ 程度が著しい。はなはだしい。きわだっている。

  ※源氏(1001‐14頃)玉鬘「詠みつきたる筋こそ、つようは変らざるべけれ」

 

といろいろな意味があるが、ここでは③の意味で、島原を熟知してるということでいいかと思う。

 

季語は「桜」で春、植物、木類。恋。

二表

十九句目

 

   桜まだみぬ島原につよし

 地女の袂みじかき染の帯     翠紅

 (地女の袂みじかき染の帯桜まだみぬ島原につよし)

 

 地女はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「地女」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙

  ① その土地の女。

  ② 商売女に対してしろうとの女をいう。

  ※俳諧・虚栗(1683)上「桜まだみぬ嶋原につよし〈一晶〉 地女の袂みじかき染の帯〈翠紅〉」

  ※浮世草子・好色二代男(1684)八「今迄太夫見つくせども、〈略〉若地女(ヂをんな)に美人もありや、諸国を尋出し、色町をやめんと」

 

とある。

 今でもプロの風俗嬢は私生活では地味な格好をしてるもんで、素人の方が大胆だったりする。この場合の強しは際立つの方か。

 

無季。「地女」は人倫。恋。「袂」「帯」は衣裳。

 

二十句目

 

   地女の袂みじかき染の帯

 小六に祈る郎よかれと      才丸

 (地女の袂みじかき染の帯小六に祈る郎よかれと)

 

 小六はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「小六」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「[一] 小六節(ころくぶし)にうたわれた馬方の小六のこと。慶長(一五九六‐一六一五)頃の人。江戸赤坂に住み、西国生まれの美男で小唄の名手という。

  ※糸竹初心集(1664)下「ころく生れは西のをくに、ころくそをだちやほほほんほほほん」

  [二] 「ころくぶし(小六節)」の略。

  ※俳諧・ひさご(1690)「うつり香の羽織を首にひきまきて〈珍碩〉 小六うたひし市のかへるさ〈同〉」

 

とある。

 郎は「とのこ」とルビがある。馬方の小六のような美少年が生まれることを祈るということか。

 

無季。恋。「郎」は人倫。

 

二十一句目

 

   小六に祈る郎よかれと

 御手洗や両国橋の生れぬ世    一晶

 (御手洗や両国橋の生れぬ世小六に祈る郎よかれと)

 

 両国橋はウィキペディアには、

 

 「両国橋の創架年は2説あり、1659年(万治2年)[1]と1661年(寛文元年)である、千住大橋に続いて隅田川に2番目に架橋された橋。」

 

とある。いずれにしても小六の時代よりは大分後になる。前句の祈りを両国橋誕生前の話とする。

 

無季。

 

二十二句目

 

   御手洗や両国橋の生れぬ世

 垂樹渡江松九本あり       其角

 (御手洗や両国橋の生れぬ世垂樹渡江松九本あり)

 

 「垂樹江を渡る松」と読む。

 両国橋ができる前には川を渡るくらいの横に太い枝を垂れた松が九本あった、と昔話めいてるが真偽不明。

 

無季。「松」は植物、木類。

 

二十三句目

 

   垂樹渡江松九本あり

 蒹焦て番屋は雷に霹らん     才丸

 (蒹焦て番屋は雷に霹らん垂樹渡江松九本あり)

 

 蒹は「よし」とルビがある。芦のこと。

 九本あった松の木は雷が落ちて、辺りの芦も燃えて河原にあった番屋は倒れた松の下敷きになった。

 

季語は「雷」で夏。「蒹」は植物、草類。

 

二十四句目

 

   蒹焦て番屋は雷に霹らん

 もるに書ヲ葺閑窓の夜      罔兩

 (蒹焦て番屋は雷に霹らんもるに書ヲ葺閑窓の夜)

 

 雨漏りした箇所を本で塞いで何事もなかったかのようにふるまう隠士がいた、ということだろう。杜甫の茅屋為秋風所破歌の、

 

 床頭屋漏無干處

 雨脚如麻未断絶

 

の心であろう。

 この少し前に、

 

 芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉   芭蕉

 

の句があり、前年の天和二年刊千春編『武蔵曲』に収録されている。

 

無季。「窓」は居所。「夜」は夜分。

 

二十五句目

 

   もるに書ヲ葺閑窓の夜

 犬わなにかかるは酔の翁にて   其角

 (犬わなにかかるは酔の翁にてもるに書ヲ葺閑窓の夜)

 

 前句を雨漏りではなく窓の灯りが漏れるに取り成し、書を葺くを単に窓の辺りに積み上げられた本の床にしたのであろう。そうなると主は隠士でそこで何かネタをということになる。

 隠士は酒のみで酔っ払って犬のわなにかかる。

 犬罠は野犬対策だろうか。生類憐みの令より前の時代だから、犬を捕まえて食う人もいたとは思うが、大抵は冬の薬食いに限られていた。

 生類憐みの令の効果の薄れた後の時代も、犬の薬食いは行われていた。

 芭蕉の時代の俳諧では薬食いは大抵鹿で、生類憐みの令の時代に限って言えば、ほとんど犬は食わなかったのだろう。

 韓国人は夏の暑気払いに犬を食い、日本人は冬の薬食いで犬を食ってた。

 

無季。「犬」は獣類。「翁」は人倫。

 

二十六句目

 

   犬わなにかかるは酔の翁にて

 壻等に恥よ名を反す恋      翠紅

 (犬わなにかかるは酔の翁にて壻等に恥よ名を反す恋)

 

 名を反(そら)すというのは名を汚すと同様に考えていいのか。

 前句の犬わなを夜這いに行って犬をけしかけられたか何かと取り成したのだろう。

 婿養子はしっかりしてるが、先代の親父は恥ずかしい。

 

無季。恋。「壻等」は人倫。

 

二十七句目

 

   壻等に恥よ名を反す恋

 早稲は実か入晩稲は身稲つはり  一晶

 (早稲は実か入晩稲は身稲つはり壻等に恥よ名を反す恋)

 

 身には「はらむ」とルビがある。入晩稲は特にルビはないが、字数からして「おくて」で良いのだろう。「わせはみか、おくてははらむ、いなつわり。」

 他の男との子を孕んだかもしれず、聟やその家族に恥じる。婚姻時期に対して子供が早すぎるということを早稲に喩えたか。早稲の頃にできた子か、晩稲の時期につわりになる。

 

季語は「早稲」「晩稲」で秋。恋。

 

二十八句目

 

   早稲は実か入晩稲は身稲つはり

 袖そよ寒しスバル満ン時     才丸

 (早稲は実か入晩稲は身稲つはり袖そよ寒しスバル満ン時)

 

 「すばるまんどき」という言葉がある。明け方に昴が南中したときに蕎麦を蒔くと良いということらしい。初秋の頃になる。

 

季語は「スバル満ン時」で秋、夜分、天象。

 

二十九句目

 

   袖そよ寒しスバル満ン時

 水飲に起て竈下に月をふむ    翠紅

 (水飲に起て竈下に月をふむそよ寒しスバル満ン時)

 

 竈の下に水が汲んであって、それをひっくり返したということか。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「竈下」は居所。

 

三十句目

 

   水飲に起て竈下に月をふむ

 聞しる声の踊うき立       一晶

 (水飲に起て竈下に月をふむ聞しる声の踊うき立)

 

 月を踏んだと思ったら、隣に寝ていた人の禿げ頭だった。

 

季語は「踊」で秋。

二裏

三十一句目

 

   聞しる声の踊うき立

 早桶の行に哀はとどめずて    其角

 (早桶の行に哀はとどめずて聞しる声の踊うき立)

 

 早桶はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「早桶」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 粗末な棺桶。手早く作って間に合わせるところからいう。

  ※俳諧・桃青三百韻附両吟二百韻(1678)奉納弍百韻「富士の嶽いただく雪をそりこぼし〈信章〉 人穴ふかきはや桶の底〈芭蕉〉」

 

とある。

 親しい人が急死したのだろう。見知った人が悲しみに堪えられずに狂乱状態になっているのは哀れだ。

 

無季。哀傷。

 

三十二句目

 

   早桶の行に哀はとどめずて

 我身をてかけ草のいつ迄

 (早桶の行に哀はとどめずて我身をてかけ草のいつ迄)

 

 てかけ草はよくわからない。「てかけ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「手掛・手懸」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 (「てがけ」とも)

  ① 手をかけておくところ。椅子(いす)などの手をかけるところ。

  ② 器具などの、持つのに便利なようにとりつけたあなや金物。

  ③ みずから手を下して扱うこと。自分で事に当たること。

  ※毎月抄(1219)「難題などを手がけもせずしては、叶ふべからず」

  ④ (手にかけて愛する者の意から。「妾」とも書く) めかけ。そばめ。側室。妾(しょう)。てかけもの。てかけおんな。てかけあしかけ。

 ※玉塵抄(1563)二一「武士が死る時にその手かけの女を人によめらせたぞ」

  ※仮名草子・恨の介(1609‐17頃)上「さて秀次の〈略〉、御てかけの上臈を車に乗せ奉り」

  ⑤ 正月に三方などに米を盛り、干柿、かち栗、蜜柑(みかん)、昆布その他を飾ったもの。年始の回礼者に出し、回礼者はそのうちの一つをつまんで食べる。あるいは食べた心持で三方にちょっと手をかける。食いつみ。おてかけ。てがかり。蓬莱(ほうらい)飾り。〔随筆・貞丈雑記(1784頃)〕

  [語誌](④について) 律令時代には「妾」が二親等の親族として認められており、「和名抄」では「乎無奈女(ヲムナメ)」と訓読されている。中世には「おもひもの」の語が妾を指したらしいが、室町以降「てかけ」が一般の語となり、「そばめ」、「めかけ」などの語が使われるようになった。」

 

とある「てがける」は、

 

 「〘他カ下一〙 てが・く 〘他カ下二〙

  ① みずから手を下して扱う。自分からそのことにあたる。仕事・趣味・役目などの内容としてそのことに関わる。体験する。

  ※愚管抄(1220)七「法性寺殿はこながらあまりに器量の、手がくべくもなければにや、わが御身にはあながちの事もなし」

  ※怪談牡丹燈籠(1884)〈三遊亭円朝〉一八「かふ云ふ病人を二度ほど先生の代脈で手掛けた事があるが」

  ② 世話をする。面倒をみる。養成する。特に、女性と関係を持ち、世話をすることにもいう。

  ※史記抄(1477)一三「父の手がけられた者を妻にするぞ」

 

 女房が亡くなって、子供を自分で世話して、それはいつまでも続くということか。

 

無季。「我身」は人倫。「てかけ草」はそういう草があるとしたら植物、草類。

 

三十三句目

 

   我身をてかけ草のいつ迄

 花は世に伊達せぬ山の浅黄陰   才丸

 (花は世に伊達せぬ山の浅黄陰我身をてかけ草のいつ迄)

 

 花はここでは春季に扱われてないので、比喩のしての花で、太平の世になってということか。世間花のように浮かれている中を山の緑のように飾りっけなく、自分の職務を全うする。

 

無季。「山」は山類。

 

三十四句目

 

   花は世に伊達せぬ山の浅黄陰

 心に寸ンの剣なき盧       其角

 (花は世に伊達せぬ山の浅黄陰心に寸ンの剣なき盧)

 

 剣や「つるぎ」、盧は「いほ」とルビがある。

 天下泰平になったので、もはや戦おうという気持ちも寸分もなくなって、庵に隠棲する武士とする。

 

無季。「盧」は居所。

 

三十五句目

 

   心に寸ンの剣なき盧

 灯前の夜話酒を好ニス      一晶

 (灯前の夜話酒を好ニス心に寸ンの剣なき盧)

 

 前句の隠士は灯火を灯して酒を飲んで夜通し人と語り合うのを楽しみとする。

 

無季。「夜話」は夜分。

 

挙句

 

   灯前の夜話酒を好ニス

 あらしに帰る四の罔兩

 (灯前の夜話酒を好ニスあらしに帰る四の罔兩)

 

 罔兩はこの興行の執筆と思われるが、句の中に自分の名前を詠み込んで、まだ真夜中にならないうちの四つの刻に嵐が来たからと帰ってしまった、と付ける。

 罔兩は一般名詞としてコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「罔両」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 陰影のふちに生じる薄い影。ぼんやりした影。

  ※俳諧・幻住菴記(1690頃)「日既に山の端にかかれば、夜座静に月を待ては影を伴ひ、燈を取ては罔両に是非をこらす」 〔荘子‐斉物論〕

  ② ⇒もうりょう(魍魎)」

 

とあるように魑魅魍魎の意味もある。してみると、発句のマレビトは実は魑魅魍魎だったという落ちか。

 

無季。

 

真挙句?

 

 年の輪の半をくぐる名越哉    翠紅

 

 この巻は挙句の後にこの発句が並べられている。

 六月晦日の夏越の祓のことで茅の輪くぐりをする。これを半ばくぐったところで魑魅魍魎は去って行った、ということで一巻は目出度く終わることになる。

 

季語は「年の輪」「名越」で夏。神祇。