「山吹や」の巻、解説

初表

 山吹や无-言禅-師のすて衣      藤匂子

   腕を薪の飢の早蕨      其角

 子路カ廟夕べや秋とかすむらん  其角

   其きさらぎの十六日の文   藤匂子

 花鮎の䱜のさかりを惜む哉    藤匂子

   樽伐なりとひびく杣川    其角

 

初裏

 金滅す我世の外にうかれてや   其角

   褞-袍さむく伯母夢にみゆ     藤匂子

 ひだるさは高野と聞しかねの声  藤匂子

   心ン-鼠は昼の灯をのむ      其角

 あさましき文字の賊衣魚となる  其角

   小袖をさらす凉店の風    藤匂子

 夕闌て官女の相撲めし給ふ    藤匂子

   夭-盞七ツ星をちかひし      其角

 月兮月兮西瓜に剣を曲ケル    其角

   弓張角豆野に芋ヲ射ル    藤匂子

 里がくれおのれ紙子のかかしニて 藤匂子

   なじみは離ぬ雪の吉原    其角

 

 

二表

 米の礼暮待文にいはせけり    其角

   初木がらしを餝ルしだ寺   藤匂子

 暁の閼伽の若水おとかへて    藤匂子

   崫も餅はかびけりの春    其角

 猟師をいざなふ女あとふかく   其角

   なみださがしや首なしの池  藤匂子

 ぬれ具足芦刈やつに剥れけん   藤匂子

   婆-靼にわたる島おろし舟     其角

 鳥葬にけふある明日の身ぞつらき 其角

   寐ざめ語りをきらふ上-臈     藤匂子

 残る月戸にきぬぎぬの歌ヲ書   藤匂子

   蕣の朝粧ひ髪ゆふてやる   其角

 

二裏

 蜩の虚労すずしく成にけり    其角

   雨母親の留守を慰む     藤匂子

 烟らせて男の立テ茶水くさし   藤匂子

   入あひ迄を借ス座敷かな   其角

 蝶-居-士が花の衾に夢ちりて     其角

   仏にけがす茎立の露     藤匂子

 

      参考;『普及版俳書大系3 蕉門俳諧前集上巻』(一九二八、春秋社)

初表

発句

 

 山吹や无-言禅-師のすて衣    藤匂子

 

 无は無と同じ。今でも中華人民共和国ではこちらの文字が用いられている。台湾や香港では繁体字の無が用いられている。元は別字だったという。

 山吹の捨て衣というのは黄衣(くわうえ)のことで、この時代の日本では隠元禅師が着ているというイメージだったのではないかと思う。

 コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「黄衣」の解説」に、

 

 「① あさぎ色の上着。無位の人が着用するもの。

  ※続日本後紀‐承和七年(840)六月辛酉「流人小野篁入京。披二黄衣一以拝謝」

  ※太平記(14C後)一三「黄衣(クヮウエ)著たる神人、榊の枝に立文(たてぶみ)を著て」 〔論語‐郷党〕

  ② 黄色の法衣。僧の着る黄色の衣。ただし、もとは黄色を正色として、僧衣には用いなかった。

  ※参天台五台山記(1072‐73)六「是只被響応大師故也者、院中老宿等多著黄衣」 〔僧史略‐上〕」

 

とある。②の方の意味になる。

 また、「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「黄衣」の解説」には、

 

 「黄色の法衣。黄色は正色の一つであるところから初めは僧侶の衣には用いられなかったが,中国で用いられるようになった。元の時代にはたびたび朝廷から黄衣を与えられている。またチベットのラマ教の旧教が紅衣を用いているのに対し,ツォンカパ (宗喀巴) によって設立された戒律を重んじる新教では黄衣を着用している。」

 

とある。

 隠元禅師の肖像を見るとラマ僧の黄衣にも似ているが、その辺の詳しいところはよくわからない。

 捨て衣は文字通り打ち捨てられた衣で、山吹の花が咲いているのを見ると無言禅師という禅僧が打ち捨てて行った黄衣のようだ、というのがこの句の意味になる。

 無言禅師は実在の僧ではなく、無言のうちに真理を語る高僧のイメージで作られたのではないかと思う。まあ、とにかく、山吹の花の色はお目出度いということだ。

 山吹に衣は、

 

 山吹の花色衣ぬしや誰

     問へど答えずくちなしにして

              素性法師(古今集)

 

の歌があり、この歌を踏まえたと言って良いだろう。

 

季語は「山吹」で春、植物、草類。釈教。「すて衣」は衣裳。

 

 

   山吹や无-言禅-師のすて衣

 腕を薪の飢の早蕨        其角

 (山吹や无-言禅-師のすて衣腕を薪の飢の早蕨)

 

 立派な高僧としての黄衣を捨てて隠遁した無言禅師は、薪を腕に抱えて運び、早蕨を食べて飢えを凌ぐ。

 早蕨というと、

 

 岩そそぐたるひの上のさ蕨の

     萌え出づる春になりにけるかな

              志貴皇子(新古今集)

 

の歌が百人一首でもよく知られているが、早蕨は早春の野焼きとともに詠まれることが多く、晩春の山吹とともに詠まれることはない。「萌え出づる」も野焼きの「燃え出づる」と掛けていると思われる。

 ここでは早蕨が山奥の山賤同様の身の隠遁者のイメージで用いられているので、発句のすて衣に付く。

 

 山がつの衣の色に紫の

     ゆかりぞ遠き道のさわらび

              正徹(草根集)

 

の歌もあるので、紫も黄衣も尊い色ということで並べたのかもしれない。

 

季語は「早蕨」で春、植物、草類。

 

第三

 

   腕を薪の飢の早蕨

 子路カ廟夕べや秋とかすむらん  其角

 (子路カ廟夕べや秋とかすむらん腕を薪の飢の早蕨)

 

 「子路カ廟」はよくわからない。子路は戦争で死に、その遺体は塩漬けにしてさらされたと言われている。

 霞に早蕨は、

 

 霞たつ峰のさわらびこればかり

     折知りがほの宿もはかなし

              藤原定家(風雅集)

 

の歌がある。「夕べや秋」は、

 

 見渡せば山もとかすむ水無瀬川

     夕べは秋となに思ひけむ

              後鳥羽院(新古今集)

 

で、これと合わせて考えると、腕に薪を抱えて早蕨で餓えを満たす夕暮れを、時節を心得ている宿だと思い、夕べは秋だけでなく春の早蕨の夕べも哀れなものだ、という意味になる。

 孔子が遺体を塩漬けにされた子路を思い、塩漬け肉は食べず、蕨だけで我慢したということか。

 

季語は「かすむ」で春。

 

四句目

 

   子路カ廟夕べや秋とかすむらん

 其きさらぎの十六日の文     藤匂子

 (子路カ廟夕べや秋とかすむらん其きさらぎの十六日の文)

 

 「其きさらぎの」は、

 

 願はくは花の下にて春死なむ

     そのきさらぎの望月のころ

              西行法師(新古今集)

 

であろう。

 秋にも劣らぬ春の夕暮れの霞みに、その日は死ぬことなく十六日(いざよいひ)を迎えた。旧暦二月十五日は釈迦入滅の日でもある。

 

季語は「きさらぎ」で春。

 

五句目

 

   其きさらぎの十六日の文

 花鮎の䱜のさかりを惜む哉    藤匂子

 (花鮎の䱜のさかりを惜む哉其きさらぎの十六日の文)

 

 䱜はシャク、あるいはサクと読むようだが、刺身のさくのことか。鮎のさくを桜に見立てて、如月の十六夜に散るのを惜しむ。

 

季語は「花鮎」で春、水辺。

 

六句目

 

   花鮎の䱜のさかりを惜む哉

 樽伐なりとひびく杣川      其角

 (花鮎の䱜のさかりを惜む哉樽伐なりとひびく杣川)

 

 杣川は滋賀県の甲賀の方を流れる川で、和歌では、

 

 杣川のいかだの床のうきまくら

     夏はすずしきふしどりなりけり

              曾禰好忠(詞花集)

 

のように、杣人の筏、浮くという連想を誘う。

 この場合は花見の酒の酒だるを切って筏にして、花鮎の盛りを惜しむとする。

 

無季。「杣川」は名所、水辺。

初裏

七句目

 

   樽伐なりとひびく杣川

 金滅す我世の外にうかれてや   其角

 (金滅す我世の外にうかれてや樽伐なりとひびく杣川)

 

 我世(わがよ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「我が世」の解説」に、

 

 「① 自分の寿命。自分の生涯。

  ※万葉(8C後)一・一〇「君が代も吾代(わがよ)も知るや磐代(いわしろ)の岡の草根をいざ結びてな」

  ② 自分のものである世。何事も自分の思い通りになる世。

  ※小右記‐寛仁二年(1018)一〇月一六日「但非宿構者、此世乎は我世とそ思望月乃虧たる事も無と思へは、余申云、御歌優美也」

  ③ 自分の生きている世界。自分の範疇である世界。

  ※徒然草(1331頃)二六「うつろふ人の心の花に、なれにし年月を思へば、〈略〉我世の外になりゆくならひこそ、亡き人のわかれよりもまさりてかなしきものなれ」

  ④ 自分の所帯。自分の生活。

  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)五「小者が布子に、手染の薄色仕立着せる程せはしき内証、我世(ワガヨ)なればとて、面白からず」

 

とある。この場合は④で、余所で遊び歩いて財産を使い果たして、今は材木屋で働いている。

 

無季。「我」は人倫。

 

八句目

 

   金滅す我世の外にうかれてや

 褞-袍さむく伯母夢にみゆ     藤匂子

 (金滅す我世の外にうかれてや褞-袍さむく伯母夢にみゆ)

 

 褞-袍は「うんぼう」とルビがある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「縕袍・褞袍」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「おんぼう(縕袍)」の変化した語) 綿入れの着物。また、粗末な衣類。人をののしって、その衣服をいうのにも用いる。うんぽう。わんぼ。

  ※玉塵抄(1563)一五「まゑまゑの守護たちはきぶう年貢をもをもうしてとらしますほどに一まいわんぼうさゑなかったぞ」

 

とある。

 この場合は粗末な衣類の方であろう。寒くて故郷の伯母のことを夢に見る。両親とは早い時期に死別して伯母に育てられたか。

 

季語は「さむく」で冬。「褞袍」は衣裳。「伯母」は人倫。

 

九句目

 

   褞-袍さむく伯母夢にみゆ

 ひだるさは高野と聞しかねの声  藤匂子

 (ひだるさは高野と聞しかねの声褞-袍さむく伯母夢にみゆ)

 

 出家して高野山で修行していると、質素な食事に腹は減るし、夜は寒くて残してきた伯母を夢に見る。『苅萱』の石童丸か。

 

無季。釈教。

 

十句目

 

   ひだるさは高野と聞しかねの声

 心ン-鼠は昼の灯をのむ      其角

 (ひだるさは高野と聞しかねの声心ン-鼠は昼の灯をのむ)

 

 高野山というと空海弘法大師で、その書とされる般若心経に「鼠心経」と呼ばれているものがある。

 ここではそれとは関係なく、ひもじさに心が鼠となって、行燈の油を飲む。

 

無季。「鼠」は獣類。

 

十一句目

 

   心ン-鼠は昼の灯をのむ

 あさましき文字の賊衣魚となる  其角

 (あさましき文字の賊衣魚となる心ン-鼠は昼の灯をのむ)

 

 賊衣魚は「ぬすびとしみ」とルビがある。衣魚(しみ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「衣魚・紙魚・蠧魚」の解説」に、

 

 「① (体形を魚に見立てて多く「魚」の字をあてる) 総尾目シミ科に属する昆虫の総称。体長八~一〇ミリメートル。体は扁平で細長く、全体に銀白色の鱗片(りんぺん)でおおわれる。頭部に糸状の触角、体の後端に三本の尾毛がある。原始的な昆虫で、はねはなく変態もしない。家屋の暗所を好み、本、衣類の糊などを食べる。洞穴や落葉の下にすむ種類もある。温帯に広く分布し、日本ではヤマトシミが普通にいる。しみむし。きららむし。《季・夏》 〔新撰字鏡(898‐901頃)〕

  ② 書物ばかり読みふけって、実社会のことにうとい者をあざけっていう語。〔モダン語漫画辞典(1931)〕」

 

とある。

 鼠心経の文字を盗んでいったのはシミ虫だった。

 

季語は「衣魚」で夏、虫類。

 

十二句目

 

   あさましき文字の賊衣魚となる

 小袖をさらす凉店の風      藤匂子

 (あさましき文字の賊衣魚となる小袖をさらす凉店の風)

 

 凉店は「|てん」とルビがある。この縦棒はよくわからないが、前句の「文字の賊(ぬすびと)から、このルビがシミ虫に盗まれたということか。

 虫の食われないように小袖を風にさらす。

 

季語は「凉店」で夏。「小袖」は衣裳。

 

十三句目

 

   小袖をさらす凉店の風

 夕闌て官女の相撲めし給ふ    藤匂子

 (夕闌て官女の相撲めし給ふ小袖をさらす凉店の風)

 

 「闌て」は「たけて」で宴もたけなわというときの「たけ」。

 裸の男たちが体をぶつけあう相撲は官女たちの楽しみ。前句をその情景とする。

 

季語は「相撲」で秋。「官女」は人倫。

 

十四句目

 

   夕闌て官女の相撲めし給ふ

 夭-盞七ツ星をちかひし      其角

 (夕闌て官女の相撲めし給ふ夭-盞七ツ星をちかひし)

 

 夭は若いという意味で、力士の若者が盃を取って、白星を七つ上げることを誓う。

 

季語は「星をちかひ」だけ切り取ると七夕になるので秋、夜分、天象。

 

十五句目

 

   夭-盞七ツ星をちかひし

 月兮月兮西瓜に剣を曲ケル    其角

 (月兮月兮西瓜に剣を曲ケル夭-盞七ツ星をちかひし)

 

 月兮には「つきなれや」とルビがある。兮は漢詩の調子を整えるための言葉で、上古では「ヘイ」と発音していた。「月が出たぜhey!」といったところか。

 前句を若い武将の北斗星への誓いとし、月夜の宴に西瓜を剣を刺して謡い舞う。

 北斗星は天を指すということで、俺は皇帝になるぞ、といったところか。三国志的な乗りだ。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十六句目

 

   月兮月兮西瓜に剣を曲ケル

 弓張角豆野に芋ヲ射ル      藤匂子

 (月兮月兮西瓜に剣を曲ケル弓張角豆野に芋ヲ射ル)

 

 三日月のことを弓張り月というところから、剣舞の横では弓で芋を射って、その腕前をアピールしている。中秋の名月は芋名月とも言う。

 「角豆」は「大角豆」のことで「ささげ」であろう。弓を張り捧げ、と掛けて用いる。

 

季語は「芋」で秋。

 

十七句目

 

   弓張角豆野に芋ヲ射ル

 里がくれおのれ紙子のかかしニて 藤匂子

 (里がくれおのれ紙子のかかしニて弓張角豆野に芋ヲ射ル)

 

 芋を射ているのは、そういう格好をした案山子だった。紙子のを着て弓を以て、ささげの畑に立つ。

 

季語は「かかし」で秋。「里」は居所。「紙子」は衣裳。

 

十八句目

 

   里がくれおのれ紙子のかかしニて

 なじみは離ぬ雪の吉原      其角

 (里がくれおのれ紙子のかかしニてなじみは離ぬ雪の吉原)

 

 「離ぬ」は「かれぬ」と読む。雪の吉原でなじみ客も来ない。

 案山子はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「案山子・鹿驚」の解説」に、

 

 「① (においをかがせるものの意の「嗅(かが)し」から) 田畑が鳥獣に荒らされるのを防ぐため、それらの嫌うにおいを出して近付けないようにしたもの。獣の肉を焼いて串に刺したり、毛髪、ぼろ布などを焼いたものを竹に下げたりして田畑に置く。おどし。

  ② (①から転じて) 竹やわらで作った等身大、または、それより少し小さい人形。田畑などに立てて人がいるように見せかけ、作物を荒らす鳥や獣を防ぐもの。かがせ。そおず。かかし法師。《季・秋》

  ※虎寛本狂言・瓜盗人(室町末‐近世初)「かかしをもこしらへ、垣をも念の入てゆふて置うと存る」

  ※俳諧・猿蓑(1691)三「物の音ひとりたふるる案山子哉〈凡兆〉」

  ③ 見かけばかりで、地位に相当した働きをしない人。つまらない人間。見かけだおし。

  ※雑俳・初桜(1729)「島原で年迄取った此案山子」

 

とあり、ここでは③の意味に取り成される。なじみ客は格好だけの男で「おのれ」を罵る時の言葉とする。

 

季語は「雪」で冬、降物。恋。

二表

十九句目

 

   なじみは離ぬ雪の吉原

 米の礼暮待文にいはせけり    其角

 (米の礼暮待文にいはせけりなじみは離ぬ雪の吉原)

 

 「暮待文」は「暮れ待つ文」か。年の暮れになって米の礼状が来た。

 

季語は「暮待」で冬。

 

二十句目

 

   米の礼暮待文にいはせけり

 初木がらしを餝ルしだ寺     藤匂子

 (米の礼暮待文にいはせけり初木がらしを餝ルしだ寺)

 

 餝ルは「かざる」。しだ寺は歯朶の生い茂る寺ということか。苔寺は有名だが。

 

季語は「餝ルしだ」で春、植物、草類。

 

二十一句目

 

   初木がらしを餝ルしだ寺

 暁の閼伽の若水おとかへて    藤匂子

 (暁の閼伽の若水おとかへて初木がらしを餝ルしだ寺)

 

 閼伽は仏に捧げる水。

 若水は古代は立春の日の朝に汲む水で、

 

 袖ひちてむすびし水のこほれるを

     春立つけふの風やとくらむ

              紀貫之(古今集)

 

の歌も若水を詠んだものであろう。

 江戸時代では正月の朝に正月行事を司る年男(今のようなその年の干支の男という意味はない)が汲むものだった。『阿羅野』に、

 

 わか水や凡千年のつるべ縄    風鈴軒

 

の句があるところから、普通に井戸で汲んでいたようだ。

 毎朝閼伽水(あかみづ)を汲む歯朶寺では、正月になるとその水が「若水(わかみづ)」と若干音を変える。

 外は寒くていまだに木枯らしが吹いているが、正月に吹く木枯らしは初木枯らしだ。

 

季語は「若水」で春。

 

二十二句目

 

   暁の閼伽の若水おとかへて

 崫も餅はかびけりの春      其角

 (暁の閼伽の若水おとかへて崫も餅はかびけりの春)

 

 前句の閼伽水を若水に変える僧を、岩窟に籠る修行僧とする。湿っぽい岩窟では餅もすぐにカビが生える。

 

季語は「春」で春。「窟」は居所。

 

二十三句目

 

   崫も餅はかびけりの春

 猟師をいざなふ女あとふかく   其角

 (猟師をいざなふ女あとふかく崫も餅はかびけりの春)

 

 猟師を「れふし」と読むと字足らずだから、「かりびと」か「かりうど」だろう。

 その猟師を岩窟に誘う女は普通の女ではなさそうだ。人外さんか。

 

無季。「猟師」「女」は人倫。

 

二十四句目

 

   猟師をいざなふ女あとふかく

 なみださがしや首なしの池    藤匂子

 (猟師をいざなふ女あとふかくなみださがしや首なしの池)

 

 首無し死体の沈んでいる池があって、首がどこへ行ったか涙ながらに探す。前句は猟師に首の捜索を頼むということになる。

 今のところそれしか思いつかない。何か出典があるのかもしれない。

 

無季。「池」は水辺。

 

二十五句目

 

   なみださがしや首なしの池

 ぬれ具足芦刈やつに剥れけん   藤匂子

 (ぬれ具足芦刈やつに剥れけんなみださがしや首なしの池)

 

 合戦で死んで首を持ち去られた死体の具足は、芦刈る人が持ち去って、どこかに売るのだろう。

 芦刈は和歌では芦刈小舟として用いることが多く、芦刈る人は、

 

 霜枯れの芦刈る人の宿なれば

     八重垣にして住まふなりけり

              永縁(堀河百首)

 

が数少ない用例になる。ここでは俳諧なので、「芦刈る奴」とする。

 

無季。「具足」は衣裳。「芦刈やつ」は人倫、水辺。

 

二十六句目

 

   ぬれ具足芦刈やつに剥れけん

 婆-靼にわたる島おろし舟     其角

 (ぬれ具足芦刈やつに剥れけん婆-靼にわたる島おろし舟)

 

 婆-靼はフィリピンのバタン島で、ウィキペディアには、「1668年(寛文8年)、渥美半島沖で漂流した千石船がバタン島に漂着した。」とある。参考文献の「尾張者異國漂流物語」のところに、寛文十年(一六七〇年)九月十九日に尾張国に帰ってきたとある。

 漂流先で略奪にあったことなどが、寛文の終わりから延宝の頃の話題になっていたのだろう。

 

無季。「舟」は水辺。

 

二十七句目

 

   婆-靼にわたる島おろし舟

 鳥葬にけふある明日の身ぞつらき 其角

 (鳥葬にけふある明日の身ぞつらき婆-靼にわたる島おろし舟)

 

 鳥葬はチベットのものがよく知られているが、前句の異国ということで、何となくそういうのがありそうだというので出したのだろう。

 バタン島で死んで鳥葬になった人を見ると、明日は我が身と思えて辛い。

 日本でも古代は特定の葬送地とされる野原に打ち捨てていたから、結果的に遺体は鳥に食われるので、それも鳥葬と言えなくはない。「鳥辺野」という地名も残っている。

 

 薪尽き雪ふりしける鳥辺野は

     鶴の林の心地こそすれ

              法橋忠命(後拾遺集)

 はれずこそかなしかりけれ鳥部山

     たちかへりつるけさの霞は

              小侍従命婦(後拾遺集)

 

などの歌はあるが、この時代は火葬の地になっていた。

 

無季。無常。「身」は人倫。

 

二十八句目

 

   鳥葬にけふある明日の身ぞつらき

 寐ざめ語りをきらふ上-臈     藤匂子

 (鳥葬にけふある明日の身ぞつらき寐ざめ語りをきらふ上-臈)

 

 「寐ざめ語り」は平安後期の物語『夜半の寝覚』のことか。書き出しに、

 

 「人の世のさまざまなるを見聞きつもるに、なほ寝覚めの御仲らひばかり、浅からぬ契りながら、よに心づくしなる例は、ありがたくもありけるかな」

 

とある。

 この物語に登場する中の君が「寝覚の上」とも呼ばれている。かなり過酷な運命をたどるので、この物語を好まない上臈も多かったか。

 

無季。恋。「上臈」は人倫。

 

二十九句目

 

   寐ざめ語りをきらふ上-臈

 残る月戸にきぬぎぬの歌ヲ書   藤匂子

 (残る月戸にきぬぎぬの歌ヲ書寐ざめ語りをきらふ上-臈)

 

 前句を普通に、寝覚めた時の後朝に何も言いたくなくて、として、戸に後朝の歌を書き付けておく。

 残る月は、

 

 松山と契りし人はつれなくて

     袖越す波に殘る月影

              藤原定家(新古今集)

 

の歌がある。どんな波も末の松山を越すことがないと誓った人も口先だけだった。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。「戸」は居所。

 

三十句目

 

   残る月戸にきぬぎぬの歌ヲ書

 蕣の朝粧ひ髪ゆふてやる     其角

 (残る月戸にきぬぎぬの歌ヲ書蕣の朝粧ひ髪ゆふてやる)

 

 粧ひは「よそひ」とルビがある。

 『源氏物語』の朝顔には特に後朝の場面はないので、特にそれとは関係なく、朝顔の咲く朝に、帰る男の髪を結ってやり、男は戸に後朝の歌を書いて行くということで、遊郭の朝の場面か。

 

季語は「蕣」で秋、植物、草類。

二裏

三十一句目

 

   蕣の朝粧ひ髪ゆふてやる

 蜩の虚労すずしく成にけり    其角

 (蜩の虚労すずしく成にけり蕣の朝粧ひ髪ゆふてやる)

 

 虚労(きょらう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「虚労」の解説」に、

 

 「① 病気などで、心身が疲労衰弱すること。また、その病気。

  ※菅家後集(903頃)叙意一百韻「嘔吐胸猶遂、虚労脚且」

  ※咄本・多和文庫本昨日は今日の物語(1614‐24頃)「ある人、きょらふして、さんざん顔色おとろへ、医者にあふ」

  ② 肺病。〔日葡辞書(1603‐04)〕」

 

とある。秋になって蜩の声も衰えて来るのを「蜩の虚労」とする。前句の朝の支度に季候を添えて流す。

 蜩は、

 

 いま来むと言ひて別れし朝より

     思ひくらしの音のみぞなく

              僧正遍照(古今集)

 秋風の草葉そよぎて吹くなへに

     ほのかにしつるひくらしのこゑ

              よみ人しらず(後撰集)

 

など、古くから歌に詠まれている。

 

季語は「蜩」で秋、虫類。

 

三十二句目

 

   蜩の虚労すずしく成にけり

 雨母親の留守を慰む       藤匂子

 (蜩の虚労すずしく成にけり雨母親の留守を慰む)

 

 一人家に残された母は日頃の疲れを癒し、雨上がりの夕暮れの蜩の声の涼しさに癒される。

 雨の蜩は、

 

 小萩咲く山の夕影雨過ぎて

     名残の露に蜩ぞ鳴く

              藤原良経(夫木抄)

 

の歌がある。

 

無季。「母親」は人倫。

 

三十三句目

 

   雨母親の留守を慰む

 烟らせて男の立テ茶水くさし   藤匂子

 (烟らせて男の立テ茶水くさし雨母親の留守を慰む)

 

 母親の留守に男が自分で立てた茶は、雨で湿った薪で煙たい上に水っぽい。

 

無季。「烟」は聳物。「男」は人倫。

 

三十四句目

 

   烟らせて男の立テ茶水くさし

 入あひ迄を借ス座敷かな     其角

 (烟らせて男の立テ茶水くさし入あひ迄を借ス座敷かな)

 

 昼の座敷を借りて男たちが集まって、そこでお茶を立てたりしたのだろう。男ばかりというと俳諧の集まりか。

 

無季。「座敷」は居所。

 

三十五句目

 

   入あひ迄を借ス座敷かな

 蝶-居-士が花の衾に夢ちりて   其角

 (蝶-居-士が花の衾に夢ちりて入あひ迄を借ス座敷かな)

 

 蝶居士はここでは人間ではなく、死んだ蝶のことであろう。蝶の死骸のうえに散った桜の花びらが積もり、その様がさながら花の衾(ふすま)のようだ。

 衾はウィキペディアに、

 

 「衾(ふすま)は平安時代などに用いられた古典的な寝具の一種。長方形の一枚の布地で現在の掛け布団のように就寝時に体にかけて用いるため、後世の掛け布団も衾と呼ぶことがある。」

 

とある。

 前句を花見の座敷とする。昔は夜になると真っ暗になるので、花見は昼間するものだった。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「蝶」も春、虫類。

 

挙句

 

   蝶-居-士が花の衾に夢ちりて

 仏にけがす茎立の露       藤匂子

 (蝶-居-士が花の衾に夢ちりて仏にけがす茎立の露)

 

 茎立(くくたち)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「茎立」の解説」に、

 

 「① スズナやアブラナなどの野菜。また、それらの薹(とう)。くくたちな。くきたち。くきたちな。《季・春》

  ※万葉(8C後)一四・三四〇六「上毛野佐野の九久多知(ククタチ)折りはやし吾れは待たむゑ今年来ずとも」

  ※古今著聞集(1254)一八「くくたちをまへにてゆでけるに」

  ② (━する) 芽や茎などがのびること。薹(とう)がたつこと。

  ※読本・椿説弓張月(1807‐11)後「切口より葉生出、いく度も茎立(ククタチ)して、春に至りても尽ずといふ」

  [補注]ククは、ククミラ(=韮(ミラ))のククと同様に、クキ(茎)の被覆形。」

 

とある。スズナやアブラナの薹(とう)というと菜の花のことではないかと思う。

 菜の花の露が泥を濡らし、仏となった蝶の死骸を汚して行く。

 蝶というと胡蝶の夢という『荘子』の言葉もあり、きっと何かに転生してまた生まれてくるのであろう。悲しむなかれ、ということか。

 

季語は「茎立」で春、植物、草類。釈教。