「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」解説

初表

 ほととぎす聞きしは物か不二の雪  心敬

   雲もとまらぬ空の涼しさ

 月清き光によるは風見えて

   夢おどろかす秋のかりふし

 置き増る露や舎に更けぬらん

   虫のねよはき草のむら雨

 萩がえの下葉のこらずくるる野に

   行く人まれの岡ごえの道

 

初裏

 冬籠る梺の庵は閑にて

   こほるばかりの水ぞすみぬる

 打ちしをれ朝川わたる旅の袖

   棹のしづくもかかる舟みち

 求めつつよるせもしらぬ中はうし

   別れの駒は引きもかへさず

 移りゆく時をこよひの恨みにて

   契りにわたる有明の月

 世の中や風に上なる野べの露

   迷ひうかるる雲きりの山

 啼く鳥の梢うしなふ日は暮れて

   物さびしきぞ桜ちる陰

 故郷の春をば誰か問ひてみん

   霞隔つる方はしられず

 

 

二表

 武蔵野はかよふ道さへ旅にして

   詠しあとの遠き山かげ

 我が身世に思はずへぬる年はうし

   はかなやいのち何を待つらん

 矢先にも妻どふ鹿は彳みて

   秋草しげみしらぬ人かげ

 古さとに野分独やこたふらん

   かりねの月に物思ふころ

 袖ぬらす山路の露によは明けて

   雲引くみねに寺ぞ見えける

 俤や我がたつ杣のあとならん

   蓬がしまの花の木もなし

 春深み緑の苔に露落ちて

   岩こす水の音ぞかすめる

 

二裏

 磯がくれ波にや舟のかへるらん

   わが思ひねの床もさだめず

 夢にだにいかに見えんと悲しみて

   かこつ斗の手まくらの月

 あぢき無くむせぶや秋のとがならん

   植ゑずばきかじ荻の上風

 春を猶忘れがたみに袖ほさで

   霞あだなる跡の哀さ

 淡雪の消えゆく野べに身をもしれ

   人もたづねぬ宿の梅がか

 かくれゐる谷の外山の陰さびて

   けぶりすくなくみゆる遠かた

 塩たるる洲崎の蜑の放れ庵

   苫ふく舟に浪ぞならへる

 

 

三表

 降る雪に友なし鵆打ち侘びて

   ひとりやねなんさよの松風

 問はれずば身をいかにせん秋の空

   たのめ置きつる月の夕ぐれ

 難面も露の情けはありぬべし

   袖に時雨の冷じき頃

 山深み雪の下道越えかねて

   岩ほのかげにふせる旅人

 夏ぞうき水に一よの筵かせ

   江の松がねにつなぐ釣舟

 暮れかかる難波の芦火焼き初めて

   餉いそぐこやの哀さ

 侘びぬれば涙しそそぐ唐衣

   うらみなりけり人のいつはり

 

三裏

 我しらぬ事のみよそに名の立ちて

   とひし其のよは夢か現か

 帰るさは心もまどひめもくれぬ

   青葉悲しき花の山かげ

 水に浮く鳥の一声打ちかすみ

   舟呼ばふ也春の朝泙

 面白き海の干がたを遅くきて

   月の入りぬる跡はしられず

 くらきより闇を思ふ秋のよに

   霧ふる野里雲の山里

 身を安くかくし置くべき方もなし

   治れとのみいのる君が代

 神の為道ある時やなびくらん

   風のまへなる草の末々

 

 

名残表

 冬の野にこぼれんとする露を見て

   はらはじ物を衣手の雪

 つもりくる人ゆゑ深き我が思ひ

   いくよかただに明かし終つらん

 あらましをね覚め過ぐれば忘れきて

   月にも恥ぢずのこる老が身

 吹く風の音はつれなき秋の空

   むかへばやがてきゆる浮きぎり

 道わくる真砂の上のうちしめり

   古き庵ぞ泪もよほす

 橘の木も朽ち軒もかたぶきて

   とふ人まれの五月雨の中

 瀬を早み夕川舟や流るらん

   とまらぬ浪の岸をうつ声

 

名残裏

 山吹の散りては水の色もなし

   八重おく露もかすむ日のかげ

 春雨の細かにそそぐこの朝

   思ひくだくも衣々のあと

 恋しさのなくて住む世も有る物を

   いかにしてかは心やすめん

 月夜にも月をみぬよも臥し侘びて

   風やや寒くいなば守る床

 

       参考;『心敬の生活と作品』(金子金次郎、一九八二、桜楓社)

初表

発句

 

 ほととぎす聞きしは物か不二の雪  心敬

 

 応仁元年(一四六七)というとあの有名な応仁の乱の年だが、その前年の文正元年(い四六六)七月の文正の政変があり、その年の十二月には畠山義就が大軍を率いて上洛し、京都は既に戦乱状態に入っていた。翌文正二年(一四六七)の一月には御霊合戦が起こり、京都の戦火は広がっていった。

 そして文正二年三月五日に改元され応仁元年となった。そしてその応仁元年四月二十八日、心敬は戦乱に明け暮れる京都を離れ関東に下る。まず伊勢神宮に参拝し、それから船で武蔵国品川に着いた。この独吟はその品川での吟になる。

 心敬の草庵がどこにあったかは今となっては謎だが、『心敬の生活と作品』(金子金次郎)によれば、南品川の南馬場のあたりだという。近くに天妙国寺があるが、かつては妙国寺と呼ばれ、

 

 ながれきてあづまにすずし法の水  心敬

 

の発句を詠んでいる。

 「応仁元年夏心敬独吟山何百韻」はその品川に着いたばかりの五月の吟とされている。

 ホトトギスの声が聞こえたが、あれは幽霊か物の怪のたぐいだろうか、富士は雪で真っ白だ。

 富士は雪で真っ白で冬のようだから、ホトトギスなんて鳴くはずがない、でも聞こえてくる。それを「物か」と疑う。

 「物」は多義で、今で言う物質に近い意味もあるが、霊魂だとかたましいだとかいう意味もあるし、物の怪も本来は物質が化けたということではなく、霊魂の意味での物の怪異だった。

 現実のホトトギスの声は「物か」と疑うことによって、現象を超えてその背後の世界、物自体の世界を響かせることになる。単なる音波ではなく、魂の声となる。

 品川からだと、富士はそんなに大きくは見えない。ひょっとしたら、伊勢からの船旅で、駿河沖から見た富士山のイメージがあったのかも知れない。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。「不二」は山類の体。「雪」は降物。

 

 

   ほととぎす聞きしは物か不二の雪

 雲もとまらぬ空の涼しさ      心敬

 (ほととぎす聞きしは物か不二の雪雲もとまらぬ空の涼しさ)

 

 真っ白な富士山が見えるというからには、そこには雲がない。

 旧暦の五月は五月雨の季節だから、晴れるというのも珍しい。「雲もとまらぬ」というのは小さな雲が流れては消え、留まることがないという意味で、それだけ風がある、晴れてもそんなに暑さを感じさせない日だったのだろう。

 

季語は「涼しさ」で夏。「雲」は聳物。

 

第三

 

   雲もとまらぬ空の涼しさ

 月清き光によるは風見えて     心敬

 (月清き光によるは風見えて雲もとまらぬ空の涼しさ)

 

 富士の雪は雲が止まらないから見えるもので、雲が止まらないのは風吹いているからで、雲が動くことで風が見えている。

 江戸時代の俳諧にはないわかりやすい展開で、それでいて月で秋に転じ夜分の景色とし、発句としっかり離れている。

 

季語は「月」で秋、夜分、光物。「よる」は夜分。

 

四句目

 

   月清き光によるは風見えて

 夢おどろかす秋のかりふし     心敬

 (月清き光によるは風見えて夢おどろかす秋のかりふし)

 

 「かりふし」は仮伏しで仮寝のこと。仮の宿での旅寝で羇旅になる。

 「風」に「おどろかす」は、

 

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども

     風の音にぞおどろかれぬる

              藤原敏行朝臣(古今集)

 

で、歌てにはのように付いている。

 雲のない澄んだ月の夜の野宿で、一陣の風が草木を動かし、ハッと目が覚め夢が破られる。

 

季語は「秋」で秋。羇旅。

 

五句目

 

   夢おどろかす秋のかりふし

 置き増る露や舎に更けぬらん    心敬

 (置き増る露や舎に更けぬらん夢おどろかす秋のかりふし)

 

 野宿から宿での旅寝に変り、その宿には夜も遅くなって気温が下がると露が降りる。当時は畳ではなく板床に御座か筵を敷くので露が降りやすい。

 この場合の「や‥らん」は疑いで、露が降りてひんやりとしてくると、その寒さでハッと目が覚める。もう夜明けも近いのかと思う。

 

季語は「露」で秋、降物。羇旅。

 

六句目

 

   置き増る露や舎に更けぬらん

 虫のねよはき草のむら雨      心敬

 (置き増る露や舎に更けぬらん虫のねよはき草のむら雨)

 

 草のむら(草叢)と村雨を掛けている。

 雨が降ると虫もあまり鳴かなくなる。前句の「置き増る露」を雨のせいにする。

 

季語は「虫のね」で秋、虫類。「草」は植物、草類。「むら雨」は降物。

 

七句目

 

   虫のねよはき草のむら雨

 萩がえの下葉のこらずくるる野に  心敬

 (萩がえの下葉のこらずくるる野に虫のねよはき草のむら雨)

 

 金子金次郎注には「くるる」は「かるる」の間違いではないかという。

 「暮る」には終わりになるという意味があり、夕暮れは昼間の終わり、秋の暮れは秋の終わり、年の暮れは年の終わりと考えればわかりやすい。だとすると萩が枝の暮るるも萩の枝が終るという意味になる。

 実際には枯れるということだが、「くるる」だと「萩がえの下葉のこらず、暮る野に」と区切って読んで、「下葉は残らず枯れてしまい、日も暮れる野に」という取り成しが可能になる。

 虫の音が弱るのは雨のせいだけでなく、萩の枝の下葉が枯れてしまったからだとする。

 後の『湯山三吟』に、

 

    露もはや置きわぶる庭の秋の暮

 虫の音ほそし霜をまつころ     宗長

 

の句がある。

 

季語は「萩」で秋、植物、草類。

 

八句目

 

   萩がえの下葉のこらずくるる野に

 行く人まれの岡ごえの道      心敬

 (萩がえの下葉のこらずくるる野に行く人まれの岡ごえの道)

 

 前句の「くるる」を日の暮れるとすると、萩も咲いてなく夕暮れなので人がいない、という意味になる。

 岡ごえは山越えのような旅路ではなく、生活空間の中の移動になる。『応安新式』では岡は非山類とされている。

 どこか、後の俳諧の、

 

 此道や行人なしに秋の暮      芭蕉

 

を髣髴させる。

 芭蕉の同じ頃の、

 

 此秋は何で年よる雲に鳥      芭蕉

 

の句と、

 

   わが心誰にかたらん秋の空

 荻に夕風雲に雁がね        心敬

 

の類似も偶然だろうか。

 

無季。「人」は人倫。

初裏

九句目

 

   行く人まれの岡ごえの道

 冬籠る梺の庵は閑にて       心敬

 (冬籠る梺の庵は閑にて行く人まれの岡ごえの道)

 

 岡の道が行く人稀なら、その岡の麓の庵も静かだ。

 

季語は「冬籠る」で冬。「梺」は山類の体。「庵」は居所。

 

十句目

 

   冬籠る梺の庵は閑にて

 こほるばかりの水ぞすみぬる    心敬

 (冬籠る梺の庵は閑にてこほるばかりの水ぞすみぬる)

 

 庵に棲むは縁語で水に「澄む」に掛ける。

 「澄む」は水だけでなく心まで澄んでゆくようだ。心敬のいわゆる「冷え寂びた」境地といえよう。

 

季語は「こほる」で冬。

 

十一句目

 

   こほるばかりの水ぞすみぬる

 打ちしをれ朝川わたる旅の袖    心敬

 (打ちしをれ朝川わたる旅の袖こほるばかりの水ぞすみぬる)

 

 前句の凍るような澄んだ水を川の水とし、そこを徒歩で渡る旅人を付ける。

 

無季。羇旅。「朝川」は水辺の体。「袖」は衣裳。

 

十二句目

 

   打ちしをれ朝川わたる旅の袖

 棹のしづくもかかる舟みち     心敬

 (打ちしをれ朝川わたる旅の袖棹のしづくもかかる舟みち)

 

 袖が打ちしをれるのを棹を雫がかかったせいとし、「朝川わたる」を船での渡りとする。

 

無季。羇旅。「舟みち」は水辺の用。

 

十三句目

 

   棹のしづくもかかる舟みち

 求めつつよるせもしらぬ中はうし  心敬

 (求めつつよるせもしらぬ中はうし棹のしづくもかかる舟みち)

 

 舟に「寄る瀬も知らぬ」とし、心の遣る瀬なさの比喩とし、求めても報われない恋の憂鬱へと展開する。

 

無季。恋。

 

十四句目

 

   求めつつよるせもしらぬ中はうし

 別れの駒は引きもかへさず     心敬

 (求めつつよるせもしらぬ中はうし別れの駒は引きもかへさず)

 

 「よるせもしらぬ」はそのまま「遣る瀬無い」という慣用句として舟から切り離すことが出来る。

 男は馬に乗って去っていった。

 

無季。恋。「駒」は獣類。

 

十五句目

 

   別れの駒は引きもかへさず

 移りゆく時をこよひの恨みにて   心敬

 (移りゆく時をこよひの恨みにて別れの駒は引きもかへさず)

 

 前句の「駒は引きもかへさず」を時の流れの後戻りしないのの比喩とする。今宵の別れはもう引き返すことが出来ない。

 

無季。恋。

 

十六句目

 

   移りゆく時をこよひの恨みにて

 契りにわたる有明の月       心敬

 (移りゆく時をこよひの恨みにて契りにわたる有明の月)

 

 前句の「移りゆく時」を長い二人の過ごした年月ではなく、宵から明け方までの時にする。

 契った人は来ずに、月だけが現れては西へ渡り、帰ってゆく。

 

季語は「有明の月」で秋、夜分、光物。恋。

 

十七句目

 

   契りにわたる有明の月

 世の中や風に上なる野べの露    心敬

 (世の中や風に上なる野べの露契りにわたる有明の月)

 

 西に渡る月をこの世の無常とし、風の上の露を付ける。「世の中は風に上なる野べの露や」の倒置で、「や」は疑いつつ比喩として治定する。

 金子金次郎注は、

 

 うつりあへぬ花のちぐさに乱れつつ

   風のうへなる宮城野の露

            藤原定家(続後撰集)

 

を典拠として挙げている。

 

季語は「露」で秋、降物。述懐。

 

十八句目

 

   世の中や風に上なる野べの露

 迷ひうかるる雲きりの山      心敬

 (世の中や風に上なる野べの露迷ひうかるる雲きりの山)

 

 この世は諸行無常、すべては儚い夢だとは言っても、この自分はそんな悟った気分にもなれず、いつも迷ったり浮かれたりしながら五里霧中で生きている。

 宗祇の連歌論書『宗祇初心抄』には、

 

 一、述懐連歌本意にそむく事、

   身はすてつうき世に誰か残るらん

   人はまだ捨ぬ此よを我出て

   老たる人のさぞうかるらむ

 か様の句にてあるべく候、(述懐の本意と申は、

   とどむべき人もなき世を捨かねて

   のがれぬる人もある世にわれ住て

   よそに見るにも老ぞかなしき

 かやうにあるべく候)歟、我身はやすく捨て、憂世に誰か残るらんと云たる心、驕慢の心にて候、更に述懐にあらず、(たとへば我が身老ずとも)老たる人を見て、憐む心あるべきを、さはなくて色々驕慢の事、本意をそむく述懐なり、

 

とある。この世は無情と知りつつも迷っているというのは術懐の基本ともいえよう。

 

季語は「きり」で秋、降物。述懐。「雲」は聳物。「山」は山類の体。

 

十九句目

 

   迷ひうかるる雲きりの山

 啼く鳥の梢うしなふ日は暮れて   心敬

 (啼く鳥の梢うしなふ日は暮れて迷ひうかるる雲きりの山)

 

 雲きりの中で迷いうかるるのを比喩ではなく、鳥が梢を失ったからだとした。日が暮れて寝ぐらに戻ろうとしたら、寝ぐらにしていた木が切り倒されてしまったのだろう。自然は大切に。

 

無季。「鳥」は鳥類。「日」は光物。

 

二十句目

 

   啼く鳥の梢うしなふ日は暮れて

 物さびしきぞ桜ちる陰       心敬

 (啼く鳥の梢うしなふ日は暮れて物さびしきぞ桜ちる陰)

 

 前句の「啼く鳥の梢うしなふ」を逆に昼間蜜を吸っていた鳥が桜の木を離れて寝ぐらに帰ることとし、人間に視点から「啼く鳥の梢」うしなうとした。

 桜も散り始め物寂しい。

 

季語は「桜」で春、植物、木類。

 

二十一句目

 

   物さびしきぞ桜ちる陰

 故郷の春をば誰か問ひてみん    心敬

 (故郷の春をば誰か問ひてみん物さびしきぞ桜ちる陰)

 

 廃村の風景であろう。自然災害の場合もあれば、領主の横暴で村民が逃散する場合もある。

 誰も近寄る人もいない故郷に桜だけが残っている。

 

季語は「春」で春。「誰」は人倫。

 

二十二句目

 

   故郷の春をば誰か問ひてみん

 霞隔つる方はしられず       心敬

 (故郷の春をば誰か問ひてみん霞隔つる方はしられず)

 

 故郷を離れる旅人の姿とする。故郷には帰れない。ただ、霞で見えない向こう側へと去りゆくのみ。

 

季語は「霞」は春、聳物。羇旅。

二表

二十三句目

 

   霞隔つる方はしられず

 武蔵野はかよふ道さへ旅にして   心敬

 (武蔵野はかよふ道さへ旅にして霞隔つる方はしられず)

 

 武蔵野は富士山の火山灰の積もった大地で、当時はまだ薄が原だった。畑作にも適さず、水もないから田んぼも作れない。人家もまばらで隣の家に行くのが旅のようだ。

 江戸時代になり、十七世紀半ばの承応の頃に玉川上水、野火止用水が整備され、多くの人が入植し新田開発が進み、いわゆる武蔵野の薄が原は急速に減少してゆく。明治の国木田独歩の頃には武蔵野は雑木林だった。

 

無季。羇旅。

 

二十四句目

 

   武蔵野はかよふ道さへ旅にして

 詠しあとの遠き山かげ       心敬

 (武蔵野はかよふ道さへ旅にして詠しあとの遠き山かげ)

 

 「詠し」は「ながめし」と読む。

 武蔵野の薄が原は遠くの山がよく見える。さっきまで近くにあった山がだんだん遠くなってゆくのが見える。

 武蔵野から見えるというと、丹沢、奥多摩の山々でその合い間に富士山も見える。

 

無季。羇旅。「山かげ」は山類の体。

 

二十五句目

 

   詠しあとの遠き山かげ

 我が身世に思はずへぬる年はうし  心敬

 (我が身世に思はずへぬる年はうし詠しあとの遠き山かげ)

 

 前句を比喩とし、あれから知らないうちに長い年月が流れたなという述懐に展開する。

 

無季。述懐。「我が身」は人倫。

 

二十六句目

 

   我が身世に思はずへぬる年はうし

 はかなやいのち何を待つらん    心敬

 (我が身世に思はずへぬる年はうしはかなやいのち何を待つらん)

 

 何を待つかというと、死を待つのみということなのだろう。来世のことを思わない無明のことをいう。

 

無季。述懐。

 

二十七句目

 

   はかなやいのち何を待つらん

 矢先にも妻どふ鹿は彳みて     心敬

 (矢先にも妻どふ鹿は彳みてはかなやいのち何を待つらん)

 

 儚い命を矢先の前の鹿の命とする。武器の前には愛も儚く消されてゆく。鹿に限らず、戦が起こるたびに人間もまたこうやって消されていった。そんなことを心敬も京の街で見たのだろうか。

 

季語は「妻どふ鹿」で秋、獣類。

 

二十八句目

 

   矢先にも妻どふ鹿は彳みて

 秋草しげみしらぬ人かげ      心敬

 (矢先にも妻どふ鹿は彳みて秋草しげみしらぬ人かげ)

 

 「て」留めの場合は倒置させて下句から上句へと読んだ方がわかりやすくなる時がある。この場合も「秋草しげみしらぬ人かげ、矢先にも妻どふ鹿は彳みて」と読んだ方がわかりやすい。

 知らぬ人影は猟師なのか、それとも畑を守り自分達の家族を守ろうとするお百姓さんだろうか。

 愛する者を守りたいのは鹿も人も同じ。ただ、それ同士が共食いになってしまう。それが生存競争というものだ。

 

季語は「秋草」で秋、植物、草類。「人かげ」は人倫。

 

二十九句目

 

   秋草しげみしらぬ人かげ

 古さとに野分独やこたふらん    心敬

 (古さとに野分独やこたふらん秋草しげみしらぬ人かげ)

 

 台風で壊滅した村に生き残った人が独り。家族や仲間の名を叫んでみても野分の風だけが答える。

 こうした悲劇の連続は、確かに俳諧にはないものだ。俳諧は悲しい句があっても次の句では笑いに転じる。

 

季語は「野分」で秋。「古さと」は居所の体。

 

三十句目

 

   古さとに野分独やこたふらん

 かりねの月に物思ふころ      心敬

 (古さとに野分独やこたふらんかりねの月に物思ふころ)

 

 前句の「古さと」を眼前のものではなく追憶の中のものとして旅体に転じる。

 遠い故郷のことを思っても、現前にあるのは野分ばかり。

 

季語は「月」で秋、夜分、光物。羇旅。

 

三十一句目

 

   かりねの月に物思ふころ

 袖ぬらす山路の露によは明けて   心敬

 (袖ぬらす山路の露によは明けてかりねの月に物思ふころ)

 

 仮寝を山の中での野宿とする。目が覚めたら月はすっかり西に傾いている。

 

季語は「露」で秋、降物。羇旅。「袖」は衣裳。「山路」は山類の体。

 

三十二句目

 

   袖ぬらす山路の露によは明けて

 雲引くみねに寺ぞ見えける     心敬

 (袖ぬらす山路の露によは明けて雲引くみねに寺ぞ見えける)

 

 前句の山路を山寺に続く道とする。

 

 春の夜の夢の浮橋とだえして

     峰に別るる横雲の空

              藤原定家(新古今集)

 

の歌と照らし合わせると、「袖ぬらす山路の露」は浮世の夢で、横雲の空には仏道がある。

 

無季。釈教。「雲」は聳物。「みね」は山類の体。

 

三十三句目

 

   雲引くみねに寺ぞ見えける

 俤や我がたつ杣のあとならん    心敬

 (俤や我がたつ杣のあとならん雲引くみねに寺ぞ見えける)

 

 峰の寺に向かうのではなく、峰の寺をあとにするほうに展開する。

 雲の合間に寺が見えたと思ったのは幻で、あれはかつて自分が住んでいた山の記憶だったのだろうか、と疑う。

 金子金次郎注によれば、比叡山横川で修行時代を過ごした心敬が、延暦寺を開いた伝教大師の、

 

 阿耨多羅三藐三菩提の仏達

     わが立つ杣に冥加あらせたまへ

              伝教大師(新古今集)

 

の歌を思い起こしたという。

 「我がたつ杣」というと、

 

 おほけなく憂き世の民におほふかな

     わが立つ杣にすみぞめの袖

              前大僧正慈円(千載集)

 

の歌もよく知られている。

 

無季。釈教。「我」は人倫。

 

三十四句目

 

   俤や我がたつ杣のあとならん

 蓬がしまの花の木もなし      心敬

 (俤や我がたつ杣のあとならん蓬がしまの花の木もなし)

 

 「蓬がしま」は東海の幻の神仙郷、蓬莱山。永遠に散らない玉の枝はあっても儚く散る花はない。

 前句の「や‥らん」を反語とする。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「しま」は水辺の体。

 

三十五句目

 

   蓬がしまの花の木もなし

 春深み緑の苔に露落ちて      心敬

 (春深み緑の苔に露落ちて蓬がしまの花の木もなし)

 

 前句を蓬莱山ではなく、ただ蓬が生い茂る島で桜の花ももう散ってしまったとする。

 

季語は「春深み」で春。「緑の苔」は植物、草類。「露」は降物。

 

三十六句目

 

   春深み緑の苔に露落ちて

 岩こす水の音ぞかすめる      心敬

 (春深み緑の苔に露落ちて岩こす水の音ぞかすめる)

 

 前句の「露落ちて」を岩を越えて流れる渓流の飛び散るしぶきとする。

 「音ぞかすめる」はやや放り込み気味の季語ではある。ただ、景色だけでなく音も霞むというところには一興ある。

 音楽の音も秋は澄んで聞こえ、春は音が籠る。『源氏物語』の末摘花巻に、朧月の夜に七弦琴を聞きに行こうとしたとき、大輔(たいふ)の命婦が、

 

 いと、かたはらいたきわざかな。ものの音すむべき夜のさまにも侍らざめるに

 (何か、かなり無理があるんじゃない。こういう夜は楽器の音もクリアに聞こえないし。)

 

という場面がある。

 

季語は「かすめる」で春、聳物。「水の音」は水辺の体。

二裏

三十七句目

 

   岩こす水の音ぞかすめる

 磯がくれ波にや舟のかへるらん   心敬

 (磯がくれ波にや舟のかへるらん岩こす水の音ぞかすめる)

 

 前句の「岩越す水」を磯に打ち寄せる波のこととする。舟は帰ってゆき去っていくので、磯の水音も遠ざかり、霞んでゆく。

 

無季。「磯」は水辺の体。「波」「舟」は水辺の用。

 

三十八句目

 

   磯がくれ波にや舟のかへるらん

 わが思ひねの床もさだめず     心敬

 (磯がくれ波にや舟のかへるらんわが思ひねの床もさだめず)

 

 愛しい人は舟に乗って去って行ってしまった。眠れない夜に何度も寝返りを打つ。

 

無季。恋。「わが」は人倫。

 

三十九句目

 

   わが思ひねの床もさだめず

 夢にだにいかに見えんと悲しみて  心敬

 (夢にだにいかに見えんと悲しみてわが思ひねの床もさだめず)

 

 せめて夢にでも出てきてくれと思うが、眠れなくて悲しい。

 

無季。恋。

 

四十句目

 

   夢にだにいかに見えんと悲しみて

 かこつ斗の手まくらの月      心敬

 (夢にだにいかに見えんと悲しみてかこつ斗の手まくらの月)

 

 かこつというと、

 

 嘆けとて月やはものを思はする

     かこち顔なるわが涙かな

            西行法師(千載集)

 

の歌が思い浮かぶ。月が嘆けと言っているのではない。月にかこつけて泣いているだけで、悲しみは自分の心の中にある。月見て笑うも泣くも結局人間の心なんだ。

 せめて夢にでも出てきて欲しいと願うのは人の心だが、ついつい月のせいにしたくなる。

 誰にもわかるようなわかりやすい出典を使うというのは、心敬の時代までは守られていたのだろう。時代が下るにつれ、こんな歌も知っているぞみたいな方向でマニアックな出典が多くなる。宗長はそういうのを「引き出して付ける」と言って非難している。

 ただ、連歌も俳諧もオタク文化になってしまうと、どうしても引き出し付けが多くなる。

 

季語は「月」で秋、夜分、光物。恋。

 

四十一句目

 

   かこつ斗の手まくらの月

 あぢき無くむせぶや秋のとがならん 心敬

 (あぢき無くむせぶや秋のとがならんかこつ斗の手まくらの月)

 

 「秋のとが」という言い方も、

 

 花見んと群れつつ人の来るのみぞ

     あたら桜の咎にはありける

              西行法師

 

を思わせる。

 何だかわからずに悲しくなるのは秋の欠点なのかと問いかけ、そうではない、月にかこつけているように、秋にかこつけているだけだ、となる。

 

季語は「秋」で秋。

 

四十二句目

 

   あぢき無くむせぶや秋のとがならん

 植ゑずばきかじ荻の上風      心敬

 (あぢき無くむせぶや秋のとがならん植ゑずばきかじ荻の上風)

 

 この句と同じ句が「文和千句第一百韻」の八十四句目にあることから、いろいろ議論の的になっている句だ。その句というのが、

 

    うき中は心にたえぬ秋なるに

 植ゑずはきかじ荻の上風      長綱

 

なのだが、以前「文和千句第一百韻の世界」にも書いたが(鈴呂屋書庫を参照)、『菟玖波集』に入集したときには、

 

    うきことは我としるべき秋なるに

 植ゑずはきかじ荻の上風

 

に書き換えられているし、この作者の菅原長綱の名があるのがこの百韻にこの一句だけというのも気にかかる。つまり、以前にも書いたが、

 

 「この句は通常の連歌の付け句にしては一句が独立しすぎていて、内容も自業自得という意味の諺として使えそうなものである。そのため、この句は秋の寂しさや悲しさを詠んだ句や述懐の句などであれば、大概付いてしまう。たとえば、この文和千句第一百韻の別の句に付けて、

 

    秋の田のいねがてにして長き夜に

 植ゑずはきかじ荻の上風

 

    ともし火の影を残して深きよに

 植ゑずはきかじ荻の上風

 

    それとみて手にもとられぬ草の露

 植ゑずはきかじ荻の上風

 

などとしてもよさそうなものだ。

 この句は本当に長綱の句だったのだろうか。単なる諺だったのではなかったのではなかったか。また、長綱の句だったにしても、事前に作ってあったいわゆる「手帳」だった可能性もある。それを、一番ぴったりくる前句ができたときに使ってみようと思ってここで出したとすれば、千句が完成したあと、この句は第三百韻の

 

 うきことは我としるべき秋なるに  良基

 

の方がもっとしっくりくるとして、『菟玖波集』編纂の際に差し替えた理由もうなずける。

 そして、この句が作者とはなれて諺として広く知られていたとすれば、心敬も一種のサンプリングのような形で使った可能性もある。つまり、他人の句を自分が作ったように装えば盗作だが、誰が見ても他人の句であれば盗作ではない。」

 

季語は「荻」で秋、植物、草類。述懐。

 

四十三句目

 

   植ゑずばきかじ荻の上風

 春を猶忘れがたみに袖ほさで    心敬

 (春を猶忘れがたみに袖ほさで植ゑずばきかじ荻の上風)

 

 「植ゑずばきかじ」の句をあえてここで用いたのは、逆に言えばこれだけ意味のはっきりした諺のような句をどう違えて付けて展開できるかという、そのテクニックを見せるためだったのかもしれない。

 ちなみに『文和千句第一百韻』の八十五句目は、

 

   植ゑずはきかじ荻の上風

 花みえぬ草は根さへや枯れぬらん  救済 

 

だった。この時代を代表する連歌師の回答だ。

 花のない草は根までが枯れてしまったのだろうか。そんなことはない、植わってなければ荻の上風の物悲しい音は聞こえないはずだ、と解く。

 前句の「植ゑず」を「植えなければ」ではなく「植わってなければ」に取り成す。

 これに対して心敬の答は、春にあった悲しいことを忘れないためにわざと植えたんだ、というものだ。

 

季語は「春」で春。述懐。「袖」は衣裳。

 

四十四句目

 

   春を猶忘れがたみに袖ほさで

 霞あだなる跡の哀さ        心敬

 (春を猶忘れがたみに袖ほさで霞あだなる跡の哀さ)

 

 袖は干さずに残していても、春の霞はいつしか消えて行く。結局は「衣干したり天の香具山」になるのか。

 

季語は「霞」で春、聳物。

 

四十五句目

 

   霞あだなる跡の哀さ

 淡雪の消えゆく野べに身をもしれ  心敬

 (淡雪の消えゆく野べに身をもしれ霞あだなる跡の哀さ)

 

 霞の消えてゆく感傷に対しては、咎めてにはで応じる。淡雪が消えていったのを喜んでたではないか、霞が消えるのを悲しむことはない。

 

季語は「淡雪」で春、降物。「身」は人倫。

 

四十六句目

 

   淡雪の消えゆく野べに身をもしれ

 人もたづねぬ宿の梅がか      心敬

 (淡雪の消えゆく野べに身をもしれ人もたづねぬ宿の梅がか)

 

 前句の「淡雪の消えゆく野べ」を人里離れた所とし、「人もたづねぬ」と展開する。

 

季語は「梅」で春、植物、木類。「人」は人倫。

 

四十七句目

 

   人もたづねぬ宿の梅がか

 かくれゐる谷の外山の陰さびて   心敬

 (かくれゐる谷の外山の陰さびて人もたづねぬ宿の梅がか)

 

 前句の「人もたづねぬ宿」を隠士の住みかとする。山陰は夜が明けるのも遅く日が暮れるのも早い。

 

無季。「谷の外山」は山類の体。

 

四十八句目

 

   かくれゐる谷の外山の陰さびて

 けぶりすくなくみゆる遠かた    心敬

 (かくれゐる谷の外山の陰さびてけぶりすくなくみゆる遠かた)

 

 山に囲まれた里は日当たりが悪く農作物の育ちも悪いのか人口も少ない。前句の「かくれゐる」を隠士ではなく山に囲まれた里とする。

 

無季。

 

四十九句目

 

   けぶりすくなくみゆる遠かた

 塩たるる洲崎の蜑の放れ庵     心敬

 (塩たるる洲崎の蜑の放れ庵けぶりすくなくみゆる遠かた)

 

 前句の「けぶり」を海人の藻塩焼く煙とする。放れ庵だから遠くにあり、煙も少なく見える。

 「洲崎」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「州が海中または河中に長く突き出て岬のようになった所。」

 

とある。心敬の住み始めた南馬場の辺りにも洲崎という地名がある。今の天王洲アイルの近くだ。

 

無季。「洲崎の蜑」は水辺の用。「庵」は居所。

 

五十句目

 

   塩たるる洲崎の蜑の放れ庵

 苫ふく舟に浪ぞならへる      心敬

 (塩たるる洲崎の蜑の放れ庵苫ふく舟に浪ぞならへる)

 

 「苫ふく舟」は舟に苫葺きの屋根の付いたキャビンのある屋形船。

 前句の「放れ庵」を屋形船のこととしたか。「ならふ」は慣れるという意味で、屋形船で暮らしていれば波にも慣れる。

 

無季。「舟」「浪」は水辺の用。

三表

五十一句目

 

   苫ふく舟に浪ぞならへる

 降る雪に友なし鵆打ち侘びて    心敬

 (降る雪に友なし鵆打ち侘びて苫ふく舟に浪ぞならへる)

 

 屋形船に雪の景を添える。

 水辺が三句続き、やや展開が重いが、「友なし鵆(ちどり)」に寓意を持たせることで次の展開を図ろうというものだろう。

 

季語は「雪」で冬、降物。「衛」も冬、鳥類。

 

五十二句目

 

   降る雪に友なし鵆打ち侘びて

 ひとりやねなんさよの松風     心敬

 (降る雪に友なし鵆打ち侘びてひとりやねなんさよの松風)

 

 「友なし鵆」を出した時点で狙ってた恋への展開。

 ひとり寝の淋しさに、松風の哀れを添える。

 

無季。恋。「松」は植物、木類。

 

五十三句目

 

   ひとりやねなんさよの松風

 問はれずば身をいかにせん秋の空  心敬

 (問はれずば身をいかにせん秋の空ひとりやねなんさよの松風)

 

 ひとり寝は愛しい人にほかされたからだとする。

 

季語は「秋の空」で秋。恋。「身」は人倫。

 

五十四句目

 

   問はれずば身をいかにせん秋の空

 たのめ置きつる月の夕ぐれ     心敬

 (問はれずば身をいかにせん秋の空たのめ置きつる月の夕ぐれ)

 

 前句の「問はれずば」を月の夜に約束したのに来てくれなければ、という意味に転じる。

 

季語は「月」で秋、夜分、光物。恋。

 

五十五句目

 

   たのめ置きつる月の夕ぐれ

 難面も露の情けはありぬべし    心敬

 (難面も露の情けはありぬべしたのめ置きつる月の夕ぐれ)

 

 いくらつれない人でも露の情けはあるはずだ、とやや咎めてには的に展開する。

 

季語は「露」で秋、降物。恋。

 

五十六句目

 

   難面も露の情けはありぬべし

 袖に時雨の冷じき頃        心敬

 (難面も露の情けはありぬべし袖に時雨の冷じき頃)

 

 前句の「難面も」を時雨の定めなさのこととし、冷たい雨露でも雨宿りしたりと人の情けは受けられる。

 後の宗祇法師の、

 

 世にふるも更に時雨のやどりかな  宗祇

 

の句を思わせる。

 

 雲はなほさだめある世の時雨かな  心敬

 

はこの百韻より少し後の句か。応仁の乱で季節はいつもの通り廻って来て時雨は降るが、人の世は定めないというもの。

 

季語は「時雨」で冬、降物。「袖」は衣裳。

 

五十七句目

 

   袖に時雨の冷じき頃

 山深み雪の下道越えかねて     心敬

 (山深み雪の下道越えかねて袖に時雨の冷じき頃)

 

 冬の旅路とする。雪の積もった道は足を取られるし、滑落する危険もある。身動き取れなくなれば凍死の危険すらある。やめておいた方がいい。まだ時雨のほうがいい。

 

季語は「雪」で冬、降物。羇旅。「山深み」は山類の体。

 

五十八句目

 

   山深み雪の下道越えかねて

 岩ほのかげにふせる旅人      心敬

 (山深み雪の下道越えかねて岩ほのかげにふせる旅人)

 

 「岩ほ」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「高くそびえる、大きな岩。◆「ほ」は「秀(ほ)」で、高くぬき出たところの意。」

 

とある。

 岩で風を防いでくれる所でのビバークか。

 日本山岳救助機構合同会社のホームページによると、

 

 「ビバークと決めたら、さっそく場所探しにとりかかる。ツラい一夜になるかどうかは、場所選びにかかってくる。増水が懸念される沢沿い、転滑落や落石 の危険がある斜面や崖のそばはNG。風雨をまともに受ける尾根状や山頂も避けたい。なるべく平坦な場所で、風雨が避けられる樹林帯や潅木帯のなか、岩陰な どが見つかればベストだ。」

 

とある。「岩ほのかげ」はベストといえよう。

 

無季。羇旅。「旅人」は人倫。

 

五十九句目

 

   岩ほのかげにふせる旅人

 夏ぞうき水に一よの筵かせ     心敬

 (夏ぞうき水に一よの筵かせ岩ほのかげにふせる旅人)

 

 冬山から夏山に転じる。

 暑い夏の野宿には、水と筵が必要だ。

 

季語は「夏」で夏。羇旅。「一よ」は夜分。

 

六十句目

 

   夏ぞうき水に一よの筵かせ

 江の松がねにつなぐ釣舟      心敬

 (夏ぞうき水に一よの筵かせ江の松がねにつなぐ釣舟)

 

 前句の「水に一よの筵」を水筵(みなむしろ)のこととしたか。

 コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (「な」は「の」の意) 語義未詳。一説に、水底に、筵を敷いたようにある石。あるいは、水面の意か。

※散木奇歌集(1128頃)秋「こ隠れて浪の織りしく谷河のみなむしろにも月はすみけり」」

 

とある。

 船を繋ぐのに適した浅瀬の涼しげな水のことか。

 

無季。「江」は水辺の体。「釣舟」は水辺の用。「松」は植物、木類。

 

六十一句目

 

   江の松がねにつなぐ釣舟

 暮れかかる難波の芦火焼き初めて  心敬

 (暮れかかる難波の芦火焼き初めて江の松がねにつなぐ釣舟)

 

 「芦火」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (古くは「あしひ」) 干した葦を燃料としてたく火。あしふ。《季・秋》

  ※万葉(8C後)一一・二六五一「難波人葦火(あしひ)焚く屋のすしてあれど己が妻こそ常(とこ)めづらしき」

 

とある。

 海辺の沼地や干潟の広がる平野部では薪の調達が困難なので、芦を燃やしたのだろう。

 

無季。「難波」は水辺の体。

 

六十二句目

 

   暮れかかる難波の芦火焼き初めて

 餉いそぐこやの哀さ        心敬

 (暮れかかる難波の芦火焼き初めて餉いそぐこやの哀さ)

 

 「餉(かれいひ)」は「かれひ」とも言う。干し飯(いい)のこと。

 炊いたご飯を干したもので、江戸時代には夏の食欲のないときに干し飯を水で戻して食べていたし、もち米で作った道明寺粉は桜餅など菓子に用いられる。

 この時代は硬い状態で食べていたと思われる。

 

無季。「こや」は居所の体。

 

六十三句目

 

   餉いそぐこやの哀さ

 侘びぬれば涙しそそぐ唐衣     心敬

 (侘びぬれば涙しそそぐ唐衣餉いそぐこやの哀さ)

 

 『伊勢物語』九段の東下りの場面にも、

 

 「三河のくに、八橋といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つわたせるによりてなむ八橋とはいひける。その澤のほとりの木の陰に下りゐて、乾飯食ひけり。その澤にかきつばたいとおもしろく咲きたり。‥略‥

 から衣きつつなれにしつましあれば

     はるばるきぬる旅をしぞ思ふ

とよめりければ、皆人、乾飯のうへに涙おとしてほとびにけり。」

 

というふうに登場する。

 わざわざ「ほとび(ふやける)」という言葉が用いられているところをみると、古い時代には旅や行軍の際の携帯食で、戻さずそのまま固い干し飯をたべていたのではないかと思う。それならそんな旨いものでもなさそうで、哀れを誘っていたのだろう。

 

無季。述懐。「唐衣」は衣裳。

 

六十四句目

 

   侘びぬれば涙しそそぐ唐衣

 うらみなりけり人のいつはり    心敬

 (侘びぬれば涙しそそぐ唐衣うらみなりけり人のいつはり)

 

 「唐衣(からころも)」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「①中国風の衣服。広袖(ひろそで)で裾(すそ)が長く、上前と下前を深く合わせて着る。

  ②美しい衣服。」

 

とある。女房装束の「唐衣(からぎぬ)」とは違うようだ。

 となると、これは男歌で、女に嘘に涙することになる。『伊勢物語』の在原業平をそのまま引き継いだ感じだ。

 駆け落ちして逃げる途中、結局女は鬼に食べられてしまう。とはいえ、実際は負ってきた人に説得されて帰ってしまっただけのことだったのだろう。

 

無季。恋。「人」は人倫。

三裏

六十五句目

 

   うらみなりけり人のいつはり

 我しらぬ事のみよそに名の立ちて  心敬

 (我しらぬ事のみよそに名の立ちてうらみなりけり人のいつはり)

 

 知らない内に根も葉もない噂が広がる。そういう息を吐くように嘘をつく奴がいるから世の中は厄介だ。前句の「人のいつはり」をいい加減な噂を安易に広める人たちのこととする。

 

無季。恋。「我」は人倫。

 

六十六句目

 

   我しらぬ事のみよそに名の立ちて

 とひし其のよは夢か現か      心敬

 (我しらぬ事のみよそに名の立ちてとひし其のよは夢か現か)

 

 間違った噂が広まったりすると、現に自分が体験したこともひょっとして夢だったのかと疑いたくなる。嘘も百回言えば真実になるなんて諺もある。

 

無季。恋。「よ」は夜分。

 

六十七句目

 

   とひし其のよは夢か現か

 帰るさは心もまどひめもくれぬ   心敬

 (帰るさは心もまどひめもくれぬとひし其のよは夢か現か)

 

 「めもくる(目も眩る)」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「分類連語

 目の前が真っ暗になる。

  出典平家物語 九・敦盛最期

  「めもくれ心も消え果てて、前後不覚におぼえけれども」

  [訳] 目の前が真っ暗になり気も遠くなって、前後もわからないように思われたけれども。」

 

とある。

 今では夢中になって周りが見えないことに限定されて用いられているが、本来は広い意味で目が暗くなることだった。

 後朝の辛さに、現実を見るのが恐くなり、これが夢であってくれたらと迷う。

 

無季。恋。

 

六十八句目

 

   帰るさは心もまどひめもくれぬ

 青葉悲しき花の山かげ       心敬

 (帰るさは心もまどひめもくれぬ青葉悲しき花の山かげ)

 

 来た時には満開の花だったのに、いつしか山桜もすっかり散ってしまい青葉に変わってしまった。ついつい花の姿をもっと見たいと願い長居し過ぎてしまった。これも心の迷い、現実から目を背けようとした結果だ。

 江戸時代には、

 

 下々の下の客といはれん花の宿   越人

 

の句もある。宗鑑は「上の客人立ちかえり、中の客人日がへり、とまり客人下の下」と言ったというが、何日も居座る客は何と言うべきか。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「山かげ」は山類の体。

 

六十九句目

 

   青葉悲しき花の山かげ

 水に浮く鳥の一声打ちかすみ    心敬

 (水に浮く鳥の一声打ちかすみ青葉悲しき花の山かげ)

 

 「水に浮く鳥」は鴨のことだろう。

 

 水鳥の鴨の羽色の春山の

     おほつかなくも思ほゆるかも

              笠女郎(万葉集)

 

の古い歌もある。ここでは恋の情ではなく春を惜しむ情に展開している。

 鳥で春を惜しむというと、江戸時代には、

 

 行く春や鳥啼き魚の目は涙     芭蕉

 

の句もある。

 

季語は「打ちかすみ」で春、聳物。「水に浮く鳥」は鳥類、水辺の用。

 

七十句目

 

   水に浮く鳥の一声打ちかすみ

 舟呼ばふ也春の朝泙        心敬

 (水に浮く鳥の一声打ちかすみ舟呼ばふ也春の朝泙)

 

 「朝泙」は「あさなぎ」と読む。

 前句の「水に浮く」がここでは「舟呼ばふ也」に掛かる。

 「水に浮く舟呼ばふ也、鳥の一声打ちかすみ春の朝泙」という意味になる。鳥の一声があたかも舟を呼んでいるかのようだ。

 穏やかな春の朝は船でどこかへ行きたいものだ。ましてや戦乱の都。伊勢から舟に乗って品川へ。

 

季語は「春」で春。「舟」は水辺の用。

 

七十一句目

 

   舟呼ばふ也春の朝泙

 面白き海の干がたを遅くきて    心敬

 (面白き海の干がたを遅くきて舟呼ばふ也春の朝泙)

 

 孟浩然の「春眠暁を覚えず」という詩句もあるように、春というと朝寝坊。干潟もすっかり明るくなった時にやって来て、それから舟遊びする舟を呼ぶ。

 

無季。「海の干がた」は水辺の体。

 

七十二句目

 

   面白き海の干がたを遅くきて

 月の入りぬる跡はしられず     心敬

 (面白き海の干がたを遅くきて月の入りぬる跡はしられず)

 

 海の干潟は遠くまで見回せるが、月の沈んだ場所に行くことはできない。それは虹の橋のたもとに行くことができないようなものだ。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

七十三句目

 

   月の入りぬる跡はしられず

 くらきより闇を思ふ秋のよに    心敬

 (くらきより闇を思ふ秋のよに月の入りぬる跡はしられず)

 

 「くらきより闇(くらき)を」と読む。

 前句を真如の月とし、月がすぐに沈んでしまう朔日頃の月だと、夜は無明の闇になる。

 

季語は「秋のよ」で秋、夜分。

 

七十四句目

 

   くらきより闇を思ふ秋のよに

 霧ふる野里雲の山里        心敬

 (くらきより闇を思ふ秋のよに霧ふる野里雲の山里)

 

 闇を月が無いからではなく霧や雲で曇っているためとする。平地は霧で山地は雲。

 

季語は「霧」で秋、聳物。「雲」も聳物。「山里」は居所、山類の体。

 

七十五句目

 

   霧ふる野里雲の山里

 身を安くかくし置くべき方もなし  心敬

 (身を安くかくし置くべき方もなし

 

 雲や霧で里は隠れるが、身は簡単に隠すことはできない。人の噂というのは止めることはできないからだ。

 

無季。述懐。「身」は人倫。

 

七十六句目

 

   身を安くかくし置くべき方もなし

 治れとのみいのる君が代      心敬

 (身を安くかくし置くべき方もなし治れとのみいのる君が代)

 

 これは応仁の乱で混乱するこの国を憂いての句。品川に逃れてもやはり国全体のことが気になって、落ち着いてもいられない。

 

無季。述懐。

 

七十七句目

 

   治れとのみいのる君が代

 神の為道ある時やなびくらん    心敬

 (神の為道ある時やなびくらん治れとのみいのる君が代)

 

 心敬は権大僧都(ごんのだいそうづ)で偉いお坊さんだが、国家に関しては北畠親房の『神皇正統記』以来の神国思想を持っていたようだ。本地垂迹、神仏習合の時代にあって、別に珍しいことではないが。

 

無季。神祇。

 

七十八句目

 

   神の為道ある時やなびくらん

 風のまへなる草の末々       心敬

 (神の為道ある時やなびくらん風のまへなる草の末々)

 

 神国の理想は天皇が強権を持って民を支配することではないし、高慢な理想を示すことでもない。風が吹けば草が自然とひれ伏すように、無為にして治まるのを良しとする。

 日本は神ながら言挙げせぬ国で、神道には教義も戒律もない。ただ自然をもって神となし、その力を畏れ身を慎むことを本意とする。

 近代の哲学者西田幾多郎は、『御進講草案』で、

 

 「我国の歴史に於ては全体が個人に対するのでもなく、個人が全体に対するのでもなく、個人と全体とが互に相否定して、皇室を中心として生々発展し来たよ存じます。」

 

と言っている。

 この西田にとって存在するというのは限定することで、限定は本来の無限なものを否定する事でもある。個人も全体もともに無限のものを反対の方向に否定しあうもので、個人と全体が相互に否定しあう根底には限定されないもの、それは存在するものではなく無と呼ばれる。

 皇室はこの「無」あるいは「絶対無」と呼ばれるところに位置する。

 いかなる個人によっても限定されることのない、いかなる思想や権力や国家体制によっても限定されることのない、限定されないが故に存在しない絶対無、それが日本人にとっての神であり皇室の場所なのである。

 応仁の乱以降生じた戦国時代を終わらせたのも、皇室を含めた既存のあらゆる権威を否定して自らが神になろうとした織田信長などではなかった。権威の否定者はあくまで伝統的な秩序を守ろうとする明智光秀によって否定された。

 そして最終的に、

 

 日の道や葵かたむく五月雨     芭蕉

 

となった。日の道に葵も傾く。風によって草の末々もなびく。比喩は違うが同じことを言おうとしている。これが日本だ。

 

無季。「草」は植物、草類。

名残表

七十九句目

 

   風のまへなる草の末々

 冬の野にこぼれんとする露を見て  心敬

 (冬の野にこぼれんとする露を見て風のまへなる草の末々)

 

 前句の風の前の草の末々には露があって今にもこぼれそうだとする。

 

季語は「冬の野」で冬。「露」は降物。

 

八十句目

 

   冬の野にこぼれんとする露を見て

 はらはじ物を衣手の雪       心敬

 (冬の野にこぼれんとする露を見てはらはじ物を衣手の雪)

 

 前句の「こぼれんとする露」を涙の比喩として、それを掃うこともないとし、掃わない理由を袖に雪がついていて冷たいからだとする。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

八十一句目

 

   はらはじ物を衣手の雪

 つもりくる人ゆゑ深き我が思ひ   心敬

 (つもりくる人ゆゑ深き我が思ひはらはじ物を衣手の雪)

 

 雪の積もると思いの積もるを掛けて、恋に転じる。

 雪の中で来ぬ人を待っているのだろうか。衣に雪が積もっていくように思いも積もってゆく。

 

無季。恋。「人」「我」は人倫。

 

八十二句目

 

   つもりくる人ゆゑ深き我が思ひ

 いくよかただに明かし終つらん   心敬

 (つもりくる人ゆゑ深き我が思ひいくよかただに明かし終つらん)

 

 「終つ」は「はつ」と読む。

 何夜も待ち続ける心とする。

 

無季。恋。

 

八十三句目

 

   いくよかただに明かし終つらん

 あらましをね覚め過ぐれば忘れきて 心敬

 (あらましをね覚め過ぐれば忘れきていくよかただに明かし終つらん)

 

 「あらまし」はこうあったらいいなということで、今日で言う夢に近い。

 いろいろやってみたいことはあっても、朝が来ていつもの日常が始まってしまうと忘れてしまう。こうして幾夜も無駄に夢を思い描いては忘れてきた。述懐に転じる。

 

無季。述懐。

 

八十四句目

 

   あらましをね覚め過ぐれば忘れきて

 月にも恥ぢずのこる老が身     心敬

 (あらましをね覚め過ぐれば忘れきて月にも恥ぢずのこる老が身)

 

 前句の「あらまし」を仏道に入ることとし、結局真如の月を見ても恥じることなく出家せずに俗世に残っている。

 

季語は「月」で秋、夜分、光物。述懐。「老が身」は人倫。

 

八十五句目

 

   月にも恥ぢずのこる老が身

 吹く風の音はつれなき秋の空    心敬

 (吹く風の音はつれなき秋の空月にも恥ぢずのこる老が身)

 

 前句を月が残っているように、老が身も残っているとし、吹く風にも散らなかったとする。

 「つれなき」は「つれ」にならないということ。秋風の吹きすさんでいるにもかかわらず秋の空には月が散ることなくそこにあるように、年老いても人生の秋風を聞いても、まだ死なずに残っている。

 

季語は「秋の空」で秋。

 

八十六句目

 

   吹く風の音はつれなき秋の空

 むかへばやがてきゆる浮きぎり   心敬

 (吹く風の音はつれなき秋の空むかへばやがてきゆる浮きぎり)

 

 「浮きぎり(浮霧)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 下限が地表に達していないで、空に浮いているように見える霧。冷気層と暖気層の境界にできる。《季・秋》

  ※俳諧・桃青門弟独吟廿歌仙(1680)緑系子独吟「げぢげぢの鳴きつる方を詠れば ねぶったやうな浮霧の空」

 

とある。

 風情のある浮霧も秋風はつれなくも吹き飛ばして消してしまう。

 

季語は「うき霧」で秋、聳物。

 

八十七句目

 

   むかへばやがてきゆる浮きぎり

 道わくる真砂の上のうちしめり   心敬

 (道わくる真砂の上のうちしめりむかへばやがてきゆる浮きぎり)

 

 前句の「むかへば」を道を目的地に向かって進んでいけばの意味とする。その旅路は霧の湿気で湿っている。

 真砂は細かい砂のことで、浜の真砂を連想することが多いが、ここでは道路の水はけを良くするために撒かれた砂のことであろう。

 

無季。

 

八十八句目

 

   道わくる真砂の上のうちしめり

 古き庵ぞ泪もよほす        心敬

 (道わくる真砂の上のうちしめり古き庵ぞ泪もよほす)

 

 前句の「うちしめり」を泪で打ち湿るとする。

 「古き庵」は先人か恩師の庵であろう。既に主は亡くなっていたか。

 芭蕉も雲巌寺で仏頂和尚の山居跡を尋ねて、

 

 木啄も庵はやぶらず夏木立     芭蕉

 

の句を呼んでいる。ただ仏頂和尚は当時まだ存命であるどころか、芭蕉よりもはるかに後まで生きて、正徳五年(一七一五年)に没した。

 

無季。「庵」は居所の体。

 

八十九句目

 

   古き庵ぞ泪もよほす

 橘の木も朽ち軒もかたぶきて    心敬

 (橘の木も朽ち軒もかたぶきて古き庵ぞ泪もよほす)

 

 古い庵の荒れ果てた様子を付ける。

 橘は、

 

 五月待つ花橘の香をかげば

     昔の人の袖の香ぞする

              よみ人知らず(古今集)

 

を髣髴させ、昔の人を偲ぶ意味がある。

 

季語は「橘の木」で夏、植物、木類。「軒」は居所の体。

 

九十句目

 

   橘の木も朽ち軒もかたぶきて

 とふ人まれの五月雨の中      心敬

 (橘の木も朽ち軒もかたぶきてとふ人まれの五月雨の中)

 

 打越の「古き庵」なら「とふ人まれ」も連想できるので、展開は緩い。一巻の終わりが近いので軽く流そうとしている感じがする。

 

季語は「五月雨」で夏、降物。「人」は人倫。

 

九十一句目

 

   とふ人まれの五月雨の中

 瀬を早み夕川舟や流るらん     心敬

 (瀬を早み夕川舟や流るらんとふ人まれの五月雨の中)

 

 五月雨に増水した川に「瀬を早み」と付く。ここも軽く流してゆく。

 

無季。「川舟」は水辺の用。

 

九十二句目

 

   瀬を早み夕川舟や流るらん

 とまらぬ浪の岸をうつ声      心敬

 (瀬を早み夕川舟や流るらんとまらぬ浪の岸をうつ声)

 

 川が激しく流れていればその波は岸を不断に打ち続ける。ここも軽く流す。

 

無季。「浪」は水辺の用。「岸」は水辺の体。

名残裏

九十三句目

 

   とまらぬ浪の岸をうつ声

 山吹の散りては水の色もなし    心敬

 (山吹の散りては水の色もなしとまらぬ浪の岸をうつ声)

 

 山吹と言えば、

 

 吉野河岸の山吹ふく風に

     そこの影さへうつろひにけり

              紀貫之(古今集)

 かはづ鳴くゐでの山吹ちりにけり

     花のさかりにあはましものを

              よみ人知らず(古今集)

 

といった歌がある。

 山吹は散ってしまうと跡形もないのを本意とする。それは源流に近い清流のイメージがあることと、桜のように大きな木で一斉に散るわけではないので、花筏をイメージしにくかったのであろう。

 ここで言う「水の色なし」も水に映っていた山吹の花がなくなったので色がなくなったとしたほうがいい。金子金次郎注は花筏のイメージで水本来の色がないと解しているが。

 水に映る山吹の色もなく、ただ浪の音ばかりだというのを、行く春の情とする。

 

季語は「山吹」で春、植物、草類。

 

九十四句目

 

   山吹の散りては水の色もなし

 八重おく露もかすむ日のかげ    心敬

 (山吹の散りては水の色もなし八重おく露もかすむ日のかげ)

 

 山吹には一重のものもあれば八重咲きのものもある。

 山吹も散ってしまえばあとは残された葉っぱに置く露ばかり。その露が八重に輝き、八重山吹の名残を留めている。

 霞む日の光にまだ春が暮れてないのを感じさせる。最後の春のきらめきというべきか。

 

季語は「かすむ」で春、聳物。「露」は降物。「日」は光物。

 

九十五句目

 

   八重おく露もかすむ日のかげ

 春雨の細かにそそぐこの朝     心敬

 (春雨の細かにそそぐこの朝八重おく露もかすむ日のかげ)

 

 前句の「八重おく露」を春雨の雫とする。

 雨は降っているもののかすかに薄日が射して雨の雫がきらきらと輝く。

 ところで気になっていたが、名残の最後の春にもついに「花」は出なかった。

 当時は花の定座はなかったし、花の句に制限はあっても詠まなくてはいけないという規則はなかった。そのため、初の懐紙には二十句目に「櫻」はあっても花はない。二の懐紙は三十四句目に「花の木もなし」と花は出ているが打ち消されている。三の懐紙も六十八句目に青葉になった「花」を詠んでいる。四の懐紙はこぼしているので、結局花の句は二句しかない。もちろん式目には反していない。

 

季語は「春雨」で春、降物。

 

九十六句目

 

   春雨の細かにそそぐこの朝

 思ひくだくも衣々のあと      心敬

 (春雨の細かにそそぐこの朝思ひくだくも衣々のあと)

 

 最後のほうで景色の句が続いて、少し変化が欲しかったのか、最後に恋に展開する。それも悲しい恋に。

 「思ひくだく」はあれこれ悩んでは思い乱れること。

 衣々は「後朝(きぬぎぬ)」だが、衣に点々と散った涙が春雨の細かにそそぐのと重なる。

 

無季。恋。

 

九十七句目

 

   思ひくだくも衣々のあと

 恋しさのなくて住む世も有る物を  心敬

 (恋しさのなくて住む世も有る物を思ひくだくも衣々のあと)

 

 出家して恋と無縁の世界もあるということなのだろう。でも止められないのが恋というもの。出家しても稚児との恋もあるし。

 別れのつらさに「もう恋などしない」という種の歌は今でもたくさんある。

 

無季。恋。

 

九十八句目

 

   恋しさのなくて住む世も有る物を

 いかにしてかは心やすめん     心敬

 (恋しさのなくて住む世も有る物をいかにしてかは心やすめん)

 

 前句の「恋しさ」を隠棲した時の人恋しさのこととする。「恋しさのなくて住む世」は逆に俗世のことになる。

 ただ俗世に戻ればまた複雑な人間関係の中で悩まなくてはならない。どうすれば心安まるのやら。

 

無季。述懐。

 

九十九句目

 

   いかにしてかは心やすめん

 月夜にも月をみぬよも臥し侘びて  心敬

 (月夜にも月をみぬよも臥し侘びていかにしてかは心やすめん)

 

 月夜には月夜の悩みがあり月のない夜には月のない夜の悩みがある。とかくこの世の悩みは尽きぬものだ。

 月見の宴ともなれば、そこでの複雑な上下関係やら派閥力学やらがあって、あちこちにどの程度ご機嫌を取ればいいのかと悩みは尽きない。ときには恥ずかしい芸をやらされたりもする。

 ただ、お月見がなくても人間関係が複雑なのは何も変わらない。人知れずどのような企みがあるのかもわからないし、いつの間に変な噂が広まってたりもする。そうして悩みのつきないのが人間だ。人知れず枕を濡らす。

 

季語は「月夜」で秋、夜分、光物。述懐。

 

挙句

 

   月夜にも月をみぬよも臥し侘びて

 風やや寒くいなば守る床      心敬

 (月夜にも月をみぬよも臥し侘びて風やや寒くいなば守る床)

 

 前句の結果、今は百姓に混じり稲葉を守る床についている。

 ここには当然、戦乱の京都を遁れ品川で暮らす自身の姿を重ね合わせているのだろう。どこへ行っても悩みが尽きることはない。それが人間だ。だから「歌」がある。

 蝉丸の歌も思い浮かぶ。

 

 世の中はとてもかくても同じこと

     宮もわら屋もはてしなければ

               蝉丸(新古今集)

 

季語は「稲葉」で秋。「床」は居所の体。