3月23日

 昨日は秩父の三峰神社に行った。

 環八から笹目を経て関越道に入り、花園で下りて秩父へと向った。秩父までは2時間、そこから先が長かった。結局は3時間ちょっとかかって、着いたのは9時過ぎだった。

 境内にはまだ除雪され積み上げられた雪も残っていて、昨日の風で落ちた枝を神社の人たちが総出で片付けていた。

 つつじの季節はまだということで、来る人もまばらで、店も半分は閉まっていた。

 入り口の説明書きの上にも木彫りのオオカミがあり、ここはオオカミの聖地だ。最初の大きな三ツ鳥居のところに、まず昭和45年生の新しい大きな狛オオカミがいた。次いで大きくてきらびやかな仁王門(随身門)の前に大正11年製の狛オオカミ、これもかなり大きかった。都内のオオカミは境内者のものが多く、小さなものが多かったが、ここの狛オオカミは大きな神社の狛犬と同様、堂々としている。

 次いで拝殿の石段へ行く途中に石の狛オオカミが一対、石段のところにブロンズのリアル系の狛オオカミが一対、拝殿の前にやや古そうな狛オオカミが一対、拝殿で拝むと中にも左右に陶器製と思われる狛オオカミがいた。中にあるものは別として、外にある狛オオカミはここまでで5対。

 そして、右手へ行くと、境内者がずらりと並んでいた。常盤台の天祖神社の比ではない。中には伊勢神宮もあり、白木作りの社があった。ここは神様の集合住宅というよりは神様のニュータウンだ。

 その中の一つ国常立神社には小さな「狛犬」がいた。ここでは狛犬は少数派だ。大山祗神社には丸顔の狛オオカミがいた。

 次に奥宮の方に開かれた展望台のような遥拝殿に行った。ここに入る前にも、狛オオカミがいて、これも丸顔だった。これで7対目。ここからは奥宮のある妙法ケ岳や秩父盆地が見渡せる。

 神社の上の方へ行くと、なぜか大山倍達の石碑があり、さらに上へ行くとヤマトタケルの銅像があり、フレンドリーに「ようっ」って感じで手を上げていた。周りは、何だかよくわからない句碑に囲まれていた。

 駐車場の方へ戻ってきて、せっかく来たのだし、天気もいいので、奥宮へ行ってみようと思った。軽いハイキングだと思ったら、意外に距離がある。最初は整った参道だったが、すぐに山道となり、どんどん険しくなってくる。何度も息切れがして休みながら進むと、そのうち雪が道の脇に残っている狭い道に出た。雪で足を滑らせたなら谷底へ滑落するのかな、何て思うとちょっと緊張する。

 やがて奥宮の鳥居があるところに出た。東屋もあり、RPGならここにセーブポイントがあってもよさそうだ。奥宮の方から降りてくる人に会うが、皆きちんとした登山の格好をして、熊除けの鈴を鳴らしている。ここから先、鎖場があるという立て札もあり、これは山を甘く見たかなと思ったが、ここまで来たのだからと思い、先へ進んだ。

 しばらく行くと岩場に木で組まれた階段があり、そこを登ると鎖がさがっていた。上には社殿が、となるとここがボス戦か。鎖場を登ると石段になり、頂上にたどり着いた。頂上には新しいお社があり、一対の狛オオカミ(やや目つきが悪い)が、そしてその脇の2つの石碑の周りにはたくさんの先代と思われる狛オオカミたちが出迎えてくれた。

 さて、山頂の狛オオカミを入れて、これで8対。事前のネット情報だとあと2対どこかにあるはずだ。それを探そうと、今度は奥宮の反対側へと行った。ロープウェーの乗り場跡と思われるところまで行ったオオカミの姿はなく、仕方がなく引きかえすと途中に御仮屋という社があって、その前に狛オオカミを見つけた。石を積み上げたような台座には他に三体のオオカミがいた。

 あと1対は結局わからないまま、帰りは正丸トンネルから飯能に出て帰った。飯能から先は世間では3連休の最終日ということもあって大渋滞。途中、昼食、夕食を含めて6時間かけて帰った。

3月21日

 政府の「エネルギー基本計画」の骨子案が明らかになった。骨子案だからまだ修正の余地があるのだろうけど、相変わらずのバカの一つ覚えのような原発推進はどうにかならないのだろうか。

 原発は不測の事故が起きた際のリスクが大きいだけでなく、北朝鮮の通常ミサイルやテロリストの爆弾等で容易に攻撃可能であり、国土に大きなダメージを与えることができるため、国防上も問題がある。

 これに対して相変わらずバイオ燃料に関しては消極的であり、まるでオール電化社会を作ろうとしているかのようだ。CO2削減だけが環境問題ではない。原発一点突破主義では結局、原発を作ったり維持したり核廃棄物を処理したりするのに大量の地下資源が消費されることになる。そのうえ常に地球規模での放射線汚染の恐怖にさらされることになる。

 自民党の「低炭素社会づくり推進基本法案」でも原発推進が柱になっている。そういうわけで、次の参議院選挙では社民党に投票しよう!

 もちろん、バイオ燃料なら何でもいいとばかりにブラジルからサトウキビを輸入したり、東南アジアから藁を輸入しよう、なんてことをやっていたのでは、「パンを燃やして暖を取るようなものだ」という批判もわからないではない。そのためにCO2削減水準50%(ガソリン比)という基準を設けるのは正当だし、それとともに輸入原料の使用も制限した方がいい。

 あくまでも資源循環型社会を作り、エネルギーの自給率を高めるという見地からバイオ燃料産業の育成を図らなくてはならない。CO2削減水準50%(ガソリン比)という基準も廃棄物の利用などの実験的な試みで、最初から十分な効率が得られないようなケースには柔軟な対応も必要だ。

 また、今の時点でバイオ燃料の過度の使用を義務付ければ、かえって輸入物の駄目バイオ燃料が増えてしまう危険がある。このへんも何でもヨーロッパの真似をすれば良いというものではなく、日本の実情にあった柔軟な政策が必要だ。

 バイオ燃料は「パンを燃やして暖を取るようなものだ」というようなことをいっている人もいるが、現状ではそれもわからなくもないが、これからは「パン屑を発酵させて暖を取る」と考えた方がいいし、そうしなければならない。

3月19日

 猥褻の何が悪いのか。

 理由は大きく言って2つある。ひとつは男女の性的非対称性。もう一つは「出る杭は打たれる」。

 性的非対称性というのは、一般にオスに比べてメスの性選択性が強いために生じる性行動の差をいう。女は男に比べてきわめて限定された相手にしか性的なものを求めない。このため、男が性欲をあらわにした場合、ごく一部の限られた対象を別にすれば不快感や恐怖を感じる。そのため、男の欲望を感じさせる表現は女性の目に触れないようにすることが好ましいということになる。

 もう一つは嫉妬心に基づくもので、いちゃついているカップルに不快感を感じるのに近い。性的魅力の差は結構残酷なもので、一夫一婦制などの社会制度がなければ、自然と人間は一夫多妻になる。男女の体格差、二次性徴の存在からすれば、人類は男一人に女2.5人が自然だという。しかし、こうした競争は嫉妬心を煽り、社会に多くの緊張をもたらす。そのため、性についてはあからさまな競争を避け、性的欲望を適度に隠すことで社会に平穏をもたらしている。性的羞恥心はこうした理由から形成される社会的なものである。

 猥褻を法律で規制する理由は、おおっぴらな性行為が嫉妬心を煽り社会に緊張をもたらすことを避けるためと、あからさまな男性の欲望表現が女性に不快感を与えるのを防ぐために必要なことである。

 まず第一に、それが人目に触れる範囲を制限すること。特に女性の目に触れるような場面を制限する必要がある。その意味ではネットで閲覧できるモロ画像よりも、週刊誌のグラビアのヘアヌードの方が罪が大きいのではないかと思われる。ネットのポルノ画像は、それを見ようと意図しなければ、普通は人目に触れることはない。これに対し、週刊誌のグラビアは真面目な記事を読もうと思っても、いやおうなしに目に入るし、通常の書店やコンビニで子供でも見ることができる。こうしたものをもっとちゃんと規制する必要がある。

 同様に、コンビニでエロ雑誌が売られていることも問題がある。こうしたものは、たとえソフトな表現であっても、あまりにも簡単に多くの人の目に触れてしまうところに問題がある。

 ポルノとその他の文学芸術などとの大きな違いは、欲望だけが独立して描かれている点にある。いかに性描写がたくさん出てきても、それが恋愛の物語として描かれているものは、恋愛小説であってポルノ小説ではない。また、性器が移っていたとしても美を追及した写真や絵画の中にその要素の一つとして登場するものはポルノとはいえない。また性風俗を廻るドキュメンタリーの文脈の中にあるものや、性について医学的に解説する中で登場する性器もポルノとはいえない。あくまで純粋に性的欲望を表現し、その他の要素が著しく希薄であることがポルノの本質と言っていい。決して都の青少年育成条例の改正案にあるような「性対象として肯定的に描く」ことが問題なのではない。むしろ恋愛や美や報道や医学などの他の要素と切り離して純粋に性対象として描くことが問題なのである。

 ポルノは青少年だけでなく、むしろ熟年男性にも悪影響を与える。近頃新聞をにぎわす事件に、お堅い職業に就くいい年した親父が痴漢や盗撮で捕まるという事件の何て多いことか。長年真面目に生活してきた男性ほど、痴漢サイトの書き込みや盗撮雑誌を見ると、本当にこんなふうに上手くいくと思い込みやすい。昔から猥談のほとんどは嘘八百なのだが、真面目な人間は免疫がないから、こういう話を信じ込みやすい。むしろ情報過多の中で育った今時の青少年の方がポルノの影響を受けにくいのではないか。

3月17日

 東京都青少年健全育成条例改正案が継続審議になったということで、取りあえずは先送りになったが、廃案になったわけではない。

 何か意見を言うには、一応その改正案を読んでおかなくてはならないと思いぐぐってみたところ、http://fr-toen.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-cbc1.htmlに掲載されていた。

 問題になる漫画の規制にあたる部分は、一般人にわかりにくいような抽象的な表現がなされている。

 まず第三章、不健全な図書類等の販売等の規制の第七条において自主規制の対象となるものに、従来の「青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」だけでなく、次の一項を付け加える。

 

「二 年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの(以下「非実在青少年」という。)を相手方とする又は非実在青少年による性交類似行為に係る非実在青少年の姿態を視覚により認識することができる方法でみだりに性的対象として肯定的に描写することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」

 

 普通にポルノを規制したいのであれば、改正前からある「青少年に対し、性的感情を刺激し‥」の文言だけで十分のように思える。これだけでも、この文言で十分取り締まれる明らかなポルノではない「何か」を狙い撃ちにしていると勘繰られても仕方がないだろう。

 たとえば、学園物で制服を着ていたりして、明らかに未成年の性行為を扇情的に描いているにもかかわらず、キャラ紹介のところで20歳だと言い張っているようなものに、抜け道を作らないようにという意図なのだとする。しかし、社会通念に照らし合わせてもすぐにわかるようなごまかしであれば、従来の条例の解釈の問題だけで十分対応できるのではないかと思われる。

 ここで狙い撃ちにされているものは「性的感情を刺激」するとは言えないものであっても、「性的対象として肯定的に描写すること」そのものを規制しているように思える。つまり、極端に解釈すれば、これでは恋愛対象として描くのも問題が生じてしまう。少なくともある程度の年齢になれば、恋愛が純粋に精神的なものでないことくらいは知っている。恋愛対象とすることは、少なくとも健全な青少年にとっては性的対象として肯定することに結びつかない方がおかしい。

 条文は「性的対象として肯定的に描写すること」の前に、「非実在青少年による性交類似行為に係る非実在青少年の姿態を視覚により認識することができる方法でみだりに」という表現方法の問題と、「青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」ということを付け加えている。

 非実在青少年という堅苦しい用語は、実在する人間そのものやそれを実写したものではない、という意味で、漫画やアニメやCGキャラを指すものと思われる。ここがこの条文の奇妙なところは、ならば実在する人間やその実写ならば、「性的対象として肯定的に描写すること」は許されるのだろうか。漫画だからだめだというのだろうか。

 そもそも実写の場合どこで性的対象として肯定的なのか否定的なのか区別をつけるのだろうか。同じ裸体を見ても、ある人は欲情をもよおすかもしれないが、ある人はキモいと思うだけかもしれない。また、ある人間の存在そのものが否が応でも性的対象として見られてしまうのであれば、その人間の存在そのものを否定しなければならない。そのため、ポルノとして規制されるのは、その人間の性的魅力の多少に関わらず、扇情的な表現方法を取っているかどうか、つまりどこまで性行為そのものを明確にわかるように見せているかによって判断される。

 漫画、アニメ、CGキャラによる性表現も、基本的にはそのキャラそのものがどれほどエロいかではなく、どこまで見せているかの問題に他ならない。たとえば、いかに巨乳のキャラを登場させたとしても、そのキャラが普通の健全な振る舞いしかしないならポルノにはならない。

 つまり基本的にこの条文は「みだりに‥‥青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」を自主規制すればよく、非実在青少年に限定する必然性はない。

 つまり、この条例は「非実在青少年」という用語を導入したところに根本的な矛盾があり、単に従来の条例に「みだりに‥‥青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」という項目を付け加えればそれで足りるはずなのである。これで実写だろうがアニメだろうが取り締まればいいだけのことなのである。

 なまじっか「非実在青少年」という特殊な用語を使ったがゆえに、漫画・アニメ・CGを選択的に厳しく取り締まる内容になってしまったのである。これでは漫画家が怒るのは当たり前だ。

 とにかく重要なのは本物のポルノをきちんと規制することであって、そのポルノが実写か漫画かなどという議論は取るに足らない。ところが本物のポルノは神出鬼没でなかなか捕まらない。そこで篠山紀信のような逃げも隠れもしない芸術家を見せしめにってことが現実に起こっている。そこが一番問題なのではないのか。

3月14日

 今日はやや遠距離で、車を使ってのおおかみさがし。

 最初に目指したのは練馬区の谷原北野神社。環八から笹目通りに入り、谷原2丁目を左折。googleマップであらかじめ調べたとおり、セブンイレブンのところを右折だが、何か変。あちこちぐるぐる回り、結局googleマップにあったセブンイレブンはなくなっていて、そこからだいぶ手前に新しくセブンイレブンができたようだった。かつてセブンイレブンだったと思われる建物を見つけ右折するが、神社の姿は見えない。土支田地蔵前まで行って、通りすぎたとわかりもどった。

 しかたなく、コインパーキングに車を入れて、歩いて探した。土支田地蔵側からもどってくると、ようやく鳥居が見えた。

 オオカミは社の前で檻の中に入っていた。高井戸で見たのと似た、片手を上げてお手をしているようなタイプのものだった。北野神社は天神様だけあってだけあって、紅白の梅の木があってまだ咲いていていい匂いがした。

 続いて、土支田地蔵前を左折し、大泉八坂神社に向った。ここは近くにパーキングがなく、路駐で失礼。境内の左側に御嶽神社があり、そこに狛オオカミがいた。やはり片手を上げてお手をしているタイプのものだが、高井戸や谷原のものに比べるとかなりずんぐりとしていた。八坂神社の隣には大きな富士塚があった。

 次に常盤台の天祖神社に行ったが、オオカミはいなかった。代わりに頭に大きなスライム、ではなく宝珠を載せた狛犬がいた。家に帰って調べなおしたら、どうやらオオカミがいるのは同じ板橋でも西台の天祖神社の方だった。それでもこの神社は小さな御狐さんがたくさんいた。合祀されている神社が同じ形の社に規則正しく並んでいて、さながら神様の集合住宅だった。

 次は桜川御嶽神社で、これは城北中央公園の中にあった。三対の狛オオカミと一対の狛犬と、一対の御狐さんがあり、そのうちのオオカミの一つは檻の中にはいっていた。みんな赤くて四角いふんどし状の涎掛けをしていた。檻に入っていたのは嘉永七年のものだという。入り口近くにあるものは昭和35年製で、首が太く頭でっかちな感じがする。奥にあるのは昭和61年製と新しく、顔が異様にリアルだった。

 さて、環七に出て次に向ったのは豊玉氷川神社。静かでなかなか雰囲気のいいところで、オオカミも小ぶりながら歯が細かく作られていた。

 最後は中野区の沼袋氷川神社と、今日はルート配送のようにせわしく何軒もオオカミを見てまわったが、これが最後。神社は線路脇にあり、入り口の狛犬は玉取りの玉も子犬もかなり大きい。そして頭が極端な絶壁。どうやらあとでわかったことだが、ここの狛犬は撫でるとお産に良いということで、それで磨り減ったようだ。

 境内にある御嶽神社は小さな祠で、その祠の脇のところに小さなちょっとブタに近いといったらばちが当たるか、オオカミが乗っかってた。

 

『ものぐさ精神分析』

 

 今朝の新聞で岸田秀の『ものぐさ精神分析』が紹介されていた。読んだことはないが、そこで紹介されている理論は、今でも通用する。

 

 「日本人は(その集合的人格)は統合失調症である。内的自己(深い欲望に支えられた本来の自分)と外的自己(現実に適応して生きる社会化された自分)とが統合されて成熟した自己を作るのでなく、分裂したまま争っている。」

 

 もちろん、ここでいう「統合失調症」は比喩であり、器質的な病気である統合失調症がこれで説明されているわけではない。スキゾとパラノという比喩は浅田彰も用いていた。日本人を比喩的に述べるには「スキゾ」という言葉は今でも有効なのであろう。

 理想と現実とのギャップというのは洋の東西を問わず、人間の社会には普遍的に存在する現象に違いない。ただ、通常人間は、ギャップを感じれば、それをどうすれば埋めることができるか、克服することができるか思案するものだ。ところが、日本人はそこで容易にあきらめる。それが現実だ、それが人生だ、それで答にしてしまう。

 西田哲学の「絶対矛盾的自己同一」、和辻倫理学の「空の弁証法」。それは問題を解決するための一つの過程としての矛盾ではなく、決して止揚されることのない弁証法としてえがかれる。ようするに「しょうもない弁証法」。

 現実の生活の中では、改善への努力を萎えさせて、ただあきらめばかりの人生を「悟り」だと勘違いする一方、文学や芸術では社会を否定することがその役目だと勘違いして、誰にもわからないような独りよがりの難解さを良しとしてきた。

 さて、日本人がなぜそうなったかというところで、岸田は「ペリー来航に伴うトラウマ」だと言っているらしい。西洋列強の脅威に突き動かされた明治維新は、国家の大儀も名分もかなぐり捨てて、ただただ強い軍隊を作り植民地争奪戦に参入するという獣の道を日本に選択させた。力が支配する、暴力が支配する、それを当たり前のこととして日本国民に植え付けてきた、それが個人と社会との和を引き裂き、個人は社会を否定するもの、社会は個人を否定するものという、絶対矛盾、空の弁証法、しょうもない弁証法の哲学を生み出した。

 さて、コードギアスの比喩だが、日本はそういうわけで未だにブリタニアの支配下にある。それはかつてのイギリス、フランス、ロシアなどの西洋列強の象徴でもあるし、戦後のアメリカの象徴でもある。そして、日本人はこうした力の支配を当たり前のこととしてあきらめながら日々をすごしている。そこには、個人は社会の否定としてしか表現できない。表向きの服従と引きこもり的な反抗。その歪みはいまだ正されてないし過去のものになっていない。我々は未だにエリア・イレブンに閉じ込められている。

 芸術やメディアの言葉やネットで、こうした日常的に抑圧された個の声が踊っていたところで、それをもってして岸田理論が過去のものになったというのは幻想だ。新聞では佐藤良明氏がこうコメントしている。

 

 「だが維新も戦後も、我々の意識からは遠くなった。メディア環境も激変し、思想にしても音楽にしても国産物がもてはやされる。内的自己が我が物顔で羽根をのばす新時代、理論本体のバージョンアップに、さて誰がとりかかるのだろう。」

 

 維新が本当に遠のいたなら、坂本龍馬のドラマがこんな繰り返し作られることもないだろう。我々は未だに力が支配する世界と個人の無力という幻想の世界で、司馬遼太郎の龍馬のようなキャラを求め続けているのではないか。

 国産物がもてはやされるといっても、未だにそんなことでは日本は孤立する、世界の孤児になるなんていう人はいるし、学問や大衆的でない芸術の世界ではいまだに西洋崇拝が幅を利かしている。そのはけ口で大衆文化やネットがにぎわっていたところで、本当の内的自己の開放などどこにもない。未だに引きこもることでした自己を開放できないのが現状ではないのか。

 

 自分のために生きることのできないスザク症候群。その一つの原因は、たった一度でも失敗を許さない日本の社会にある。

 コードギアスのスザクに象徴されるように、たった一度の過ちで、自分の人生はもう終ったんだと思い込む。そこから自分のためでなく誰か他人のためであれば生きてもいいかのように思い、他人のために死ぬことで罪があがなわれると思い込む。

 巷では確かに「人を殺したら即死刑だ」だとか「人を殺したら自分の人生は終ったと思え」なんてことが当たり前のように言われている。人殺しにもいろいろ種類があって、常習性のある者もいれば、一回だけの過ちの場合もある。後者であれば、その人の人生を終らせることは、かえって公共の利益に反する。なぜなら、その人間が多くの人間を救う側に回る可能性もあるからだし、そのように教育していかなくてはならない。

 一人の人間の命を奪った罪は、自分ひとりを殺してもあがなうことはできない。むしろそれは一人の人間ともう一人自分という人間の命を奪う、つまり二人の命を奪うことに他ならないからだ。人を殺したから自分を死刑にしてくれと安易にいう犯人は、人を殺したうえでもう一人さらに殺そうとしている殺人鬼だ。

 「人を殺したら自分の人生は終ったと思え」という言葉は、人を殺してない人間にも影響を与える。それは、ひょっとしたら人を殺すことになるかもしれない行動をためらわせ、萎縮させる。それは別に私欲のために人を殺すことに限らない。

 酔っ払いが駅のホームから落ちをうになっているのを助けようとして、酔っ払いが予期せぬ暴れ方をしてかえって突き落とす結果になるかもしれない。車を運転すれば、子供が急に飛び出してきて、避けられずに引いてしまうかもしれない。好きな彼女をものにすれば、失恋した誰かが自殺するかもしれない。間接的にであれ、自分が人を殺す可能性はいたるところにある。

 何か良いことしようとしても、必ずしもよい結果を有無とは限らない。結果が悪ければ責められる。一度悪いことをすれば生涯許されることがない。ならば、何もしないほうが良い。そこに一つだけ免罪符があるとする。つまり、他人のためにしたことなら許される。それが今の日本の社会なのではないか。

 実際、そんなのは言い訳にならない。自分のためではなく会社のためにしたのなら、人殺しも許されるのか(たとえば薬害だとか、欠陥車の放置のようなことが)。そんなことはない。会社がなくなったら会社員は失業する。だから会社のためというのは、会社員である自分が自分の地位を守るための利己的な行動に他ならない。どんな奇麗事を言って言いつくろったとしても、私利私欲のための行動なのである。

 一度の過ちは、それが過ちである限り、それをつぐなうチャンスを与えなくてはならない。「人を殺したら即死刑だ」だとか「人を殺したら自分の人生は終ったと思え」なんて言っているやつらこそ、即死刑にすべきだ。

3月11日

 おおかみかくしのブログパーツ追加分をクリアした。壁紙は、なるほど、これだったか。この姿、アニメには登場するのだろうか。

 ところで、日本の子供達が将来になりたいものがなくなっているというようなニュースがあった。もちろん、どんなかっこいい職業でも、過労死するまで働かされると思えばいやにもなるさ。医者なんてのは昔はみんながあこがれた職業だったけど、今はそうでもないだろう。

 なりたいものが見つけられず、やりたいことも特にない(あったとしても金にならないかったり過労死するまで働かされたりする)となれば、一体何のために生きているかということになる。自分のため生きることができず、何とか誰かのために生きることで人生に意味を見出そうとしている。最近のJ-popの歌詞も、そんなものが多いように思える。RADWIMPSの野田洋次郎の有神論(YOU=神論)の亜流のような。

 コードギアスのスザクやマオは何かそんな今の日本人を象徴しているように思える。自分のために生きようとせずに、すぐに自分の人生を別のものに捧げようとする。その辺のパーソナリティーの弱さが、今の日本の弱点なのではないか、そんなことだから日本は独立できないのではないか、と思ってしまう。スザク症候群というのがあるのではないのか。

 戦後日本は国歌の「君が代」の意味を変更した。「天皇の御代」という意味だったこの歌は、「二人称の君の世」と読み替えられることとなった。ここから、かつての神に代わって、二人称の「君」が支配する時代となった。「何のために生きるのか」という問いは、いつのまにか「誰のために生きるのか」という問いにすりかわっていた。

3月10日

 物語を人間が必要とするのは、人間が直接試行錯誤しなくても頭のなかでシミュレーションすることによって最善の行動を探ることができるからで、物語もそのシミュレーション行動の一つなのであろう。

 人は問題となる現物を目の前にしなくても、記憶を探り出すことによっていつでもシミュレーションができる。つまり、外で何か難しい問題に直面しても、その場で答を閃く必要はなく、一度家に帰ってじっくり考えることができる。それは、言語を獲得したことによって、記憶にインデックスが付き、様々な過去の記憶を任意に引き出すことができるからだ。

 物語は、このシミュレーションする能力の産物であり、物語は個人的な想像の世界をも生めば、それを語ることによって他者と共有することもできる。

 物語は実際にあったことの記憶を素材としながらも、それを抽象化し、概念的に他のものと組み合わせることによってファンタジーの世界を作り出す。たとえば、魚と人を組み合わせて人魚や魚人を作り出したり、馬と鳥の翼とでペガサスを生み出すように。

 物語の利点は、現実の複雑で様々な未知のものや予測不能なものに満ち溢れている世界を、概念的に単純化・簡略化することで、容易に思考できるようにできる点だ。たとえ、実体験に基づいた物語であっても、史実に基づいた物語でも、物語は現実をかなり単純化して思考する。その意味では物語が現実そのものと混同されることはあってはならない。

 一見して嘘とわかっているファンタジーよりも、むしろ私小説や歴史小説の方が現実と混同される恐れがある。世の中には坂本龍馬を崇拝している人が多いが、歴史上の本当の龍馬に会ったことのある人なんてのは誰もいないはずなのである。ほとんどの人は司馬遼太郎の小説のキャラと現実を混同しているのではないか。それに比べれば、漫画やラノベは罪がない。

3月9日

 2007年8月8日の日記に、「新聞に若者の右傾化云々の記事があった。『コードギアス』は読んでないが、FF12の設定は日本の敗戦、武装解除を思わせるもので、王家を復興させるという筋書きだった。」とあり、当時『コードギアス』が右翼的だという議論があったのかもしれない。(当時は『コードギアス』がアニメ作品だということすら知らなかったから、「読んでない」なんて書いてしまった。)

 最近になってノベライズ版で『コードギアス 反逆のルルーシュ』を読みはじめたが、これが右翼的だというのはどういう感覚かと思った。日本がブリタニアに征服され、エリア・イレブンとなる設定は、一見すると日本がアメリカの侵略を受けて、という連想をしがちだが、この物語のメタファーはそんな単純には作っていない。

 ブリタニアが世界の三分の一を支配するという設定と「ブリタニア」という国名は、むしろかつての大英帝国を彷彿させるし、さらにブリタニアが帝政であるという点ではアメリカとも大英帝国とも一致しない。ナポレオン時代のフランスか、成功したヒトラーなのか、それとも清やオスマントルコなのか。いずれにせよ前時代的な設定である。

 しかも、この物語は征服された日本人の物語ではないし、日本人が戦って独立を勝ち取るどころか、むしろその無力さを揶揄されているくらいだから、逆に右翼が読んだら怒りそうだ。

 表向きはブリタニアの王族の内紛の物語だが、その裏に潜んでいるのは「力」による支配への抵抗ではないかと思われる。力による支配に抵抗するには力が必要になる。この矛盾が結局最後までルルーシュについてまわるのであろう。

 戦う相手が「力」そのものであるなら、戦う相手であるブリタニアは力の象徴であり、その意味では今のアメリカやかつての大英帝国のイメージと重なるのは当然だろう。しかし、問題は通常の国家間の争いのような力と力の戦いではなく、力と反・力との戦いとなると、勝ち取る目標は民族の独立でもなければ、平和でもない。あくまで権力の限界付けなのである。権力を解体して無政府状態にすることではない。無政府状態は無制限の力のぶつかり合いを生むだけであって、そちらの物語は十文字青の『薔薇のマリア』を読んだ方がいいだろう。

 『コードギアス』はいわゆる近未来小説ではないし、近未来に起こりうることを描いてはそこに政治的プロパガンダを織り込む類のものではない。それはファンタジーであり、そのファンタジーは既存のファンタジーの蓄積の上に成立している。

 たとえば、ナイトメアと呼ばれる兵器は明らかに機動戦士ガンダムや新世紀エヴァンゲリオンの系譜の上に位置づけられる。もちろんこのような兵器は実際にはありえない。それが存在する世界、そしてなぜか核兵器が重要な役割を果たすことがない世界、こうした仮定のなかで人間の現実の悩みはシミュレーションされる。

 それが現実の問題のシミュレーションである限り、物語はいかに荒唐無稽なものであろうとリアリティーを生み出す。同じ問題が、違った世界では違ったふうに表れるだけで、問題提起そのものは同じだからだ。江戸時代の人ならこういうだろう。「虚において実をあらわす」と。

 その意味では、我々はブリタニアに支配されたエリア・イレブンのなかで生きている。それは異なる世界での我々の姿だからだ。だからこそ、この種の作品が人に感動を与えることができるのである。

3月8日

 今朝の新聞に、ミドリムシをバイオ燃料にというのが載っていた。

 これを見てすぐに思い出したのが、子供の頃、クロレラが未来の食べ物になるという話だった。さすがにわざわざそんな気持ちの悪いものを日常的に食おうという人もなく、今では健康サプリメントの一種として細々と販売されているだけだ。

 食い物からバイオ燃料が取れるなら、ひょっとしてクロレラからも、というのがおそらく最初の発想だったのではなかったか。バイオ燃料に必要なのは、エタノールの場合は糖類かセルロース、ディーゼルの場合は脂質であり、これが豊富に含まれていて、なおかつ光合成する生物がいるなら、それを培養してバイオ燃料を作ることは可能だろう。

 今回のミドリムシの話も、元はミドリムシを培養して健康補助食品やクッキーを製造していたユーグレナが、ミドリムシに脂質が多く含まれることから、CO2濃度の高い火力発電所の排ガスでの培養に成功し、そこからバイオディーゼルを取る計画を進めていたところ、新日本石油が目をつけ、提携を決めたもののようだ。

 この話はいろいろな可能性を秘めている。たとえば、糖類やセルロースを多く含む微生物が発見され、それを培養できれば、バイオエタノールも生産できる。

 そして、こうした微生物原料は単独で用いるだけでなく、他の廃棄物などと混ぜて用いれば、廃棄物からバイオ燃料を作る際の効率アップにもつながるのではないかと思われる。

 いろいろ知恵を絞ってゆけば、石油を輸入する必要のない、産油国に頭を下げる必要のない、イスラムのテロリストに資金を提供する必要のない日本が作れる。まだまだ日本の未来は明るい。

3月7日

 今日も朝から雨。昼から横浜へ行った。

 中華街は雨でも人がいっぱいで、天津甘栗を売る中国人が声をかけてくる。江戸清のブタまんはいつも行列ができていたが、今日は並んでない。どうやら店舗をあちこちに出したせいか。500円のブタまんはかなり大きく、皮というか本当は饅頭の本体なのだが、これはふわっとしていて、餡は生姜の味がする。

 媽祖廟の前には布製の狛犬が置かれていた。春節限定の臨時のもので、狛研的にはこういうのは研究の対象外なのだろう。良く見ると後にコンセントがついていて、夜になれば光るのだろうか。

 媽祖廟で線香(500円)を上げてお参りすると、財布に入れておくとご利益のあるというカードのような平安符をもらった。お参りの仕方をいろいろ教えてくれるのだが、日本人として習慣のないことなので、きっと中国人が見たら変だったのでは。

 中華街を出ると、山手の洋館群へとむかった。外交官の家は工事中だった。ブラフ18番館の「うみねこ」でも使用されたサンルームを見ることができた。ベーリックホールはピアノのコンサート中だった。

 ふたたび中華街を通り抜けて関内駅に向うと、玄武門の前にも狛犬というか獅子というかひょっとして麒麟なのか、布製のものが設置されていた。媽祖廟の前にあったものよりはかなり雑なつくりで、二頭で一個のボールを持っているのは、玉取りというよりはサッカーをしているのか。これも春節ならではのものだろう。

 今日は横浜FCの開幕戦。高地の二発で見事に勝ちました。

 

 

 ところでさて、「教えて!goo」に桑原武夫の「第二芸術論」に引用された15句の作者名が公表されていた。これによると、

 

1、青畝 3、草田男 4、草城 5、風生 7、井泉水 8、蛇笏 10、たかし 11、亜浪 13、虚子 15、秋桜子

 

だそうだ。

 まあ、草田男、井泉水、虚子、秋桜子以外は一般的には無名と言ってもいいのだろう。あとの人たちも俳句の世界では一応名が通っているのだろうけど、少なくとも俺には代表作が一句も思い浮かばない。松本たかしも、同名の作詞家(元はっぴいえんど)の松本隆とはまったく無関係だということくらいしか知らない。

 YAHOO!の「知恵袋」で、「松本たかしの俳句『真っ白き障子の中に春を待つ』の大意を教えてください 」という質問に対し、

 

有名な人らしいんだけど、知りません(じゃ、回答書くなって?)

でも勝手に想像するのは楽しそうなのでお邪魔します。

 

がベストアンサーに選ばれていたのが笑える。

 まあ、俺の感覚では、この句は正月か新年度を迎えるために障子を張り替えた、という程度の意味の句ではないかと思うのだが。もちろん、「真っ白」という言葉に、今年(あるいは今年度)の予定がまだ何も立っていないだとか、進学や就職が決まってないという寓意を読み取ることは可能だろう。小椋佳・井上陽水の名曲『白い一日』が連想される。

 

 なお、「教えて!goo」の回答のなかで、「如何なる大家といえども句会に置いては一投句者で昨日始めたような初心者と同じように選(互選)を受けますので大きい句会では師の句が一句も選出されないこともあります。」とあるが、結局は仲間内の評価だけで選んでいて、大衆の審判を仰いでいないわけだから無意味だと思う。ここで落とされたものの中に、案外名句があったりして。

3月6日

 桑原武夫『第二芸術論』に引用された15句。桑原武夫はどれが名家の句でどれがシロウトの句だか区別がつかないと言うが、よく読むとちゃんと良い句と悪い句は識別できる。俺の良いと思った句は「合点」と記した。 

 

1 芽ぐむかと大きな幹を撫でながら 

 句意は「芽ぐむかと大きな幹を撫でながら(そう思う、そうつぶやく)」。独り言(昔の言葉で言う「私事」)に近く、他者との共有がしにくい。つまり、みんなで口ずさめる句という感じがしないが、この手の句は近代俳句に多い。俺なら「撫でてみよ大きな幹を芽ぐむかと」と直す。 

2 初蝶の吾を廻りていずこにか 

 句意は「初蝶の吾を廻りていずこにか(飛び去りぬ)」。蝶々が寄ってきた喜びと、去っていく悲しみ、発想は悪くない。「初蝶や吾を廻りていずこにか」と切れ字を使えば、より発句らしくなる。 

3 咳くとポクリッとべートヴエンひゞく朝 

 意味不明。問題外。アンドレ・ブルトンの自動記述か。 

4 粥腹のおぼつかなしや花の山 

 花見でもご馳走を食えずにお粥をすすらねばならないのは、体の方の事情か。それを自嘲して「おぼつかなしや」は悪くない。発句の体をなしている。合点。 

5 夕浪の刻みそめたる夕涼し 

 夕波が涼しげだという以外に何も言っていない。わざわざ言葉を難解にして神秘めかした句で、近代俳句にはこの手のがいくらでもある。 

6 鯛敷やうねりの上の淡路島 

 「鯛敷」が何を意味するのか不明。いかにもこんな難しい言葉を知ってるんだぞと自慢げで、鼻持ちならない。この手の句も近代俳句には多い。 

7 爰に寝てゐましたといふ山吹生けてあるに泊り 

 破調句が悪いとは思わないが、一読して文法的にどこがどうつながっているかわからない。「てには」整わず、日本語になっていない。 

8 麦踏むやつめたき風の日のつゞく 

 可もなく不可もないが、きちんと発句としての体をなしている。合点。 

9 終戦の夜のあけしらむ天の川 

 これは非常に惜しい。やはり切れ字を使って「終戦の夜やあけしらむ天の川」としたい。近代の俳人は切れ字の使い方を知らない人がほとんどと言っていい。 

10 椅子に在り冬日は燃えて近づき来 

 最後の「来」が不明。「椅子に在り冬日は燃えて近づきぬ」ではダメなのか。 

11 腰立てし焦土の麦に南風荒き 

 これも「てには」が整っていない。「南風荒し焦土の麦に腰を上げ」ではいけないのか。「腰立て」をgoogleで検索したら、「もしかして子育て」と出た。 

12 囀や風少しある峠道 

 これは悪くない。合点。 

13 防風のこゝ迄砂に埋もれしと 

 Wikipediaによると、「防風(ぼうふう). 風を防ぐこと。 セリ科の植物ボウフウ。またはボウフウの根および根茎の生薬名。」とある。風を防ぐという名でありながら、砂に埋もれているという洒落は月並みだが、発想は悪くない。ただ、これも発句とするには句の切れが悪い。「防風のこゝ迄砂に埋もれけり」と長け高く言い切って欲しい。 

14 大揖斐の川面を打ちて氷雨かな 

 これは悪くない。合点。 

15 柿干して今日の独り居雲もなし 

 「今日の独り居」とはどういう意味だろうか。今日だけは独り居で、いつもは家族と一緒にいるという意味だろうか。はっきり言って、そんな作者のプライベートな事情はどうでもいい。「柿干して独り居今日も雲はなし」とでもした方がいい。 

 以上、俺は4、8、12、14が無名作者の句と見た。 

 

 第一、芸術に「第一」だ「第二」だ、「あれは芸術とはいえない」だとか、そういう階層を作ろうとする発想が、エリート意識に凝り固まった思い上がりだ。もちろん芸術には良いものも悪いものもある。それは個人の感じ方の問題で、権威筋がこれは第一芸術、これが第二芸術だ何て勝手に決めて欲しくない。 

 俳句だって良いものもあれば悪いものもある。悪いものは作られたそばから忘れ去られ、良いものは残る。それが芭蕉の不易流行説ではなかったか。

 残ったものが芸術であり、消えたものは結果的にそうではなかったというだけのことなのである。権威筋が一生懸命、これはよい芸術だから残しましょうと音頭を取ってみたところで、笛意吹けど踊らず。結局何が芸術かは大衆が決めることなのである。

 桑原武夫が引用した15句は、その意味では確かに芸術とはならなかった。

3月4日

 大臣もツイッターにはまって遅刻する時代。何であんなものに夢中になるのかって考えてみると、あれは「俳句」ではないのか。その場の思いつきで言ったことに、たまたま反応してくれる人がいると嬉しくなって、どうでもいい思い付きの発言の繰り返しが、何かいつの間にか立派なことのように思えてしまう。自分の一言で世界を動かしているようなそんな気にさせるのではないか。

 別に普通のブログだって、mixiだって、短いコメントで済ませている人もいるだろう。だからツイッターを別に特別なものと考える必要はないのだし、ブログだってみんなつぶやいている。

 ただ、通常、人に何か伝えるということを意識すると、自分の言葉が人にどう受け取られるか、ある程度は計算する。そこで、どうすれば効果的に伝わるかを各自工夫することで洗練されていく。みんながよく知っている話題をチェックし、ネタを仕入れ、面白くしようと自然に考える。

 ツイッターはそうした工夫のないただの自己満足的な「つぶやき」になりやすい。でもそれが政治家だったり、えらい人の言葉だったりすると、みんなでついついおだててしまうから、結局は豚も木に登る結果となる。

3月3日

 太陽電池は製造工程で、まず最初に珪石、木炭、コークス、木片などを炉で生成して、金属シリコンを取り出さなくてはならない。ことの木の炉の燃料は何なのだろうか。CO2は出ないのだろうか。さらにそれを蒸留して不純物を取り除く時、その燃料は何なのだろうか。CO2は出ないのだろうか。太陽電池はもちろん原料を必要とするし、製造の過程でも多くのエネルギーを必要とする。

 太陽電池が本当にエコであるためには、こうした工程で用いられるエネルギーにバイオ燃料を使う必要がある。そうでなければ資源の浪費となる。

 水素電池は水素と酸素を用いて、ちょうど電気分解の逆のことを行なうことで電気を生み出す。しかし、そのための水素を作るのに水を電気分解したのでは本末転倒だ。水素もバイオの力で作り出さなくてはならない。

 太陽電池や水素電池など、世間では電気を使えばすなわちエコという感覚があるみたいだが、電池を作るにも燃料は必要だし、水素を作るにもバイオの力は必要だ。しかも、バイオ燃料は廃棄物と再生可能な農作物を発酵させるだけで作ることができる。そう考えていくと、地味ではあるが本当のエコの切り札はバイオ燃料以外にない。

3月2日

    野は仕付けたる麦のあら土

 油実を売らむ小粒の吟味して   酒堂

 

 江戸時代には行灯の油にアブラギリで作られた桐油が用いられていた。この桐油には毒性があり、食用にはならない。食用にはならなくても、菜種や胡麻よりも効率よく油が作れるので、燃料として広く用いられていた。

 バイオディーゼルは植物の油脂から作れるということで、国内では菜種油が有望とされ、既に「菜の花プロジェクト」や「アレフ・ナタネプロジェクト」などが行われているという。菜種は休耕地を利用して作れるので、菜種を大量に生産したからといって人間の食料が脅かされるということはなく、むしろ菜種の絞りかすは飼料や肥料として、食物の増産に役立てることができる。それに菜の花畑は日本の春の美しい景観を生み出し、観光にもメリットがある。特に、過疎地域の活性化という点で有望だ。

 それなら、山林を利用して、もう一度アブラギリを作ってみてはどうだろうか。そう思ってグーグルで検索してみると、やはり既にやっているところがあった。石川県加賀市日谷町、これが成功すれば全国に広がる可能性も十分にある。

 熱帯産のナンヨウアブラギリは、既に東南アジアでバイオディーゼルの生産に用いられている。ただ、熱帯でのナンヨウアブラギリのプランテーション化は本来の熱帯林を脅かし、環境破壊につながる可能性がある。日本でも原生林を切り開くなら問題になるだろう。ただ、日本では昔から里山の文化があり、日本人は二次林とともに暮してきた。二次林の利用であれば、果樹園を作るのと一緒で、自然破壊とはいえない。

 特に花粉症の原因になる杉林などやめて、代わりにアブラギリを植えてはどうか。

3月1日

 バンクーバーオリンピックが終った。日本は貧しいながら良くやったというべきだろう。金メダルはなかったけど、銀3個、銅2個は立派な数字だ。北欧の強豪フィンランドが銀1個、銅4個だったことを考えれば、これは快挙といえよう。アルペンの本場イタリアも金1個、銀1個、銅3個と、日本とそんなに変わらない。イギリスにいたっては女子スケルトンの金メダル1個だけであとはない。

 ちなみにフィンランドの銀メダルはスノボのハーフパイプのピロイネン、日本は国母が8位入賞。銅はアイスホッケーの男子、女子。あとの二つはよくわからない。女子フィギアのコルピは惜しかった。ところでkorpiというとついついコルピクラーニを連想してしまう。確か荒野というような意味か。

 日本のスポーツはクラブ組織が確立されていないため、企業頼みになることが多く、不景気となると真っ先にそういう予算はカットされて廃部となる。日本の選手は全体的に貧しい中で頑張っている。浅田真央がキムヨナに負けたのも、年収の差か。

2月28日

 今日は朝から雨で、午前中にでも止めば、また「おおかみさがし」にでもと思っていたが、今日は久々に図書館で暇を潰した。

 俳諧や哲学の本ばかり読んでても視野が狭くなるので、何か別の面白いテーマはないか、何て思って見つけたのが、『よくわかる最新バイオ燃料の基本と仕組み』(井熊均、バイオエネルギーチーム著、2008、秀和システム)『トコトンやさしいバイオガスの本』(澤山茂樹著、2009、日刊工業新聞社)だった。難しい化学式だとかベンゼンの六角形だとかは出てこないので、文系でも大丈夫。

 

 これからの日本経済の成長の目ってどこにあるのだろうかと、モータリゼーション、エレクトリゼーション、IT革命、その後に続くものは何かと思いながらも、何も思いつかなかったが、このまえたまたまそういう話をしたら、「エネルギー関係だ」とあっさり答を出されてしまった。

 エネルギー革命で思い出したのが、映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー2」の生ゴミを放り込んで燃料にするというあれだが、それに近いものがあるとすれば、バイオ燃料だろう。

 バイオ燃料というと、バイオエタノールばかりが注目され、しかもその効用よりも、穀物価格の高騰を生んだだとか、マイナス面ばかりが目立ってしまっていた。そのあたりで、太陽電池に比べて今ひとつ盛り上がっていない。

 民主党は原発の推進に傾いているが、原発は初期投資のコストが高い上に、ひとたび事故を起こすとその代償も大きい。太陽電池も輸出産業としては有望だが、じめじめした日本にはあまり向いてない。それに比べると、バイオ燃料は廃棄物を利用するリサイクル産業としても有望だし、農業との連携も可能だ。微生物による発酵を利用したものだから、燃料を作るのに大量の燃料が必要になるという矛盾もない。それに何よりも、ブラジルがバイオ燃料大国になれたように、比較的低コストで始められる。

 バイオ燃料というとバイオエタノールしか知らなかったが、バイオディーゼル、バイオガス、などいろいろあり、水素燃料もバイオの力で作り出せる。民主党も原発なんてやめてバイオ燃料に力を入れれば、人気も回復できるのではないか。民主党がやんないなら、自民党さ~ん、チャンスですよ~。

 

 「景気」という幻想

 

 「景気」という言葉は連歌用語としてこの国に広まったもので、もともとは景色のこと。必ずしも写生ということではなく(近代の俳人はそう説明するかもしれないが)、たとえば絵を描くときに海の景色には松の木を添えるといったような意味で、景色としてわかりやすくする、見ごたえのあるものにする、景色を整える、というように用いられた。「景気付け」というのは、連歌で句を付けるとき、たとえば梅の枝があればそこでさえずる鶯が欲しいように、景色の良くなるものを付けることを言っていた。

 景気というのは、そのあたりから何となく華やかな「雰囲気」的なものを表すのに用いられ、それが経済の良し悪しを言い表すのにも用いられるようになったのだろう。

 今ではあたかも「景気」が経済用語であるかのように用いられているが、実はこの言葉に相当するような英単語は存在しない。(参考:http://ejje.weblio.jp/content/%E6%99%AF%E6%B0%97)。もちろんこれは、英語圏には景気の概念が存在しないということではない。ただもう少し単純な言葉で、businessがgoodかbadかで言い表しているにすぎない。

 日本語の「景気」はその意味では実際にはビジネスの文脈で用いられていても、その用法が安易にそれ以外のものに拡大されやすいということが言えるだろう。たとえば、「景気が悪いのは、みんなが景気良く金を使ってくれないからだ」と言うとき、ビジネスの議論が消費の議論に拡大されている。

 今日の日本の経済の議論に多いのが、景気の回復にはあたかも日本の社会が物を大量消費するような雰囲気作りが不可欠である、といったものだ。これはビジネスがグッドであるということと、みんなが景気良く金を使うということとを同一視した議論だ。これがダメだ。

 たとえば物が今より多くは売れないにしても、一個売るあたりの収益率が上がればビジネスとしてはグッドだ。だが、日本人の大半は多く売らないと景気が悪いとばかりに、自ら価格破壊を行い、収益率を下げてでも売ろうとする。結果、安売り店には行列ができて、景気良く物が売れまくっていても、ビジネスの方はバッドということになる。

 製造業でいえば、ビジネスを成功させるのに、必ずしもより多く売る必要はない。たとえば製造過程を合理化し、生産効率が良くなればビジネスとしてはグッドだ。

 今の景気の議論を見ていると、何やら景気は心理的なもので、悲観論が悪だみたいなことをいう人が多い。そして、悲観論に取り付かれて投資を渋る金融や、設備投資をしない企業、そして物を買わない消費者(特に若者)が槍玉に挙げられる。これは「景気」の意味を取り違えている。

 景気を良くするには生産性を良くすることが不可欠なはずである。それは企業努力によるものであり、消費者には関係ない。

2月21日

 今日はまず、渋谷の宮益御嶽神社から。

 宮益坂を登っていったところのビルの谷間に階段があり、その奥に宮益御嶽神社があった。昭和55年製のブロンズ像で、リアルすぎる。よく図書館だとか合同庁舎の前に飾られている彫刻を彷彿させる。延宝年間というから、芭蕉がまだ「芭蕉」と名乗ってなかった時代に作られたという石造が社務所に安置されていて、これはその複製だというが、元のオオカミ像はここまでリアルではなかった。オリジナルの方は、「日本狼石像」でぐぐるとネットで画像を見ることができる。

 芭蕉といえばこの神社の片隅に、

 

 眼にかかる時やことさらさ月不二  芭蕉

 

の句碑があった。これは芭蕉が元禄7年、西へ向って最後の旅に出て、箱根の関を越えた時の句。すでに体調は悪化し、籠に乗っての旅立ったともいう。そんななかで5月30日に箱根で、梅雨空のなかで珍しく晴れた富士山を見て、富士もこれが見納めとの予感があったのかもしれない。

 渋谷は子供の頃から数限りなく来ているが、渋谷へ行って神社にお参りしたという記憶はない。長年渋谷に通いながら、今回が初めてとなる。金王坂の向こう側に金王八幡宮というのがあるので、行ってみた。源義朝に仕えた渋谷金王丸に由来するという。渋谷という地名もこの渋谷氏に由来するものなのか。

 ここには三対の狛犬がいた。社殿の前の明治33年製のもの、社内の御嶽神社の昭和12年製のもの、そして金王丸の御影堂の前に宝暦九年製の古い狛犬があった。

 八重と一重の桜が両方咲くという金王桜の下に、またしても芭蕉の句碑があった。

 

 志ばらくハ花のうへなる月夜か那   芭蕉

 

の句が記されていた。これは貞享5年『笈の小文』の旅で吉野へ行ったときの句。

 同じ神社の中に玉造稲荷もあり、神社の外にも道路一つ隔てた向こうに豊栄稲荷神社があった。三猿を彫った庚申塔がたくさんあった。

 この後渋谷をあとにし、井の頭線に乗り、高井戸駅で降りての高井戸御嶽神社に向った。吉祥院の中にあるというので、駅から南の方向に歩いたのだが、入り口がわかりにくくて通りすぎてしまい、すぐに中央高速の下に出てしまった。そこで予定外だが、第六天神社の「明和8年製石造狛犬」(そういう立て札が立っていた)を見ることとなった。金王の宝暦の狛犬よりは少し後。ともに蕪村の時代。赤い涎掛けをしていた。

 高井戸御嶽神社は吉祥院の山門の横にあり、細身の狛オオカミがいた。なかなか均整の取れたデザインと精悍な顔、深く刻まれた肋骨など、今まで見た中ではベストといってもいいだろう。台座にもオオカミの姿が刻まれている。神社に柑橘類が一個供えられていたが、ひょっとして八朔?柑橘の種類はよくわからないが、社の上にその実のなっている木があった。

 高井戸駅に戻ると、明大前で京王線に乗り換え、代田橋で降り、環七を北上し、今日の最後の目的地、方南御岳山神社に向った。ここも小さな神社で、頭にパンツを被っている?なわけないが、赤い毛糸の帽子を被っていた。オオカミだから赤頭巾なのか、そんなこともないだろう。

2月19日

 国母はどうやら次はないようだ。オリンピック選手というのは横綱以上に品格が求められるもので、すべての若者の模範となるような聖人君主でなければいけないらしい。まあ、これも時代の流れか。

 もちろん、スポーツはオリンピックだけではない。そのほかにもいろいろな国際的な大会はあるから、そこで活躍して無冠の帝王を目指す手もあるだろう。あるいは国籍を変えてオリンピックに出場するというのも一つの手かもしれない。

 スポコン漫画というと、たいてい不良だった主人公がスポーツを通じて更正し、輝ける日本の星になってゆくものだが、そんな夢もこの国では見られなくなってしまうのか。今後の若者のスポーツ離れが心配だ。

2月17日

 俺の場合、まだ一度も海外には行ったことがないし、おそらく一生行くことはないだろう。旅行だって、泊りがけの旅行なんてのは社員旅行くらいしかないし、その社員旅行のあった会社も辞めてしまったから、今のところ旅行の予定は何もない。

 典型的な「地に縛り付けられた人間」だが、別に遠くに行かなくても、すぐご近所であっても、まだ行ったことのないところはいくらでも存在する。今年になって日曜日は積極的に外へ出るようにした。これも道祖神の招きだ。別に遠くへ行く必要はない。心の中がいつも一所不住であればそれでいいのだ。

 芭蕉の一所不住に対しては、もちろん色々批判のあるところだろう。住所不定なんてのは人間として恥ずべきことであり、人格を疑うという人もいる。別に芭蕉の真似をする必要なんかない。心の中の一所不住なら誰にも迷惑はかからない。

 

 竜騎士07さんの日記のなかで、ライトノベルとは何かということを論じていた。DLL(ダイナミック・リンク・ライブラリ)の比喩はコンピューターの苦手な俺にはわかりにくいが、基本的には過去の作品によってつくられた設定や世界観などの、いわゆる「お約束」を読者が共有することによって、新しい物語を書く際にその物語に関する情報を大幅に省略できるということのようだ。

 

「例えば、核戦争後の荒廃世界に、無法者たちが跋扈し、まで書けば、誰もが北斗の拳やマッドマックスの世界を連想してくれて、いちいち面倒な描写を書かなくても済むわけですし。」

 

 かつての俳諧も基本的には同じだったのだと思う。いわゆる「本意本情」と言われていたのが俳諧の読者の共通認識の部分で、花といえば皆一様に浮かれ、月といえば酒を酌み交わすものだった。こういう省略なしに575という短い文学は不可能だったのだ。

 近代俳句はこの「お約束」を破壊するところから出発した。しかし、575という短い文章で作者の新たに構築する世界観を伝えるのは結局無理なこと。こうして近代俳句はだんだん分けのわからないものとなり、「私は俳句のことはよくわからないから何ともいえないけど、きっと見る人が見たら凄いのでしょうね」というようなものになって、今に至っている。

 近代俳句の論理で俳諧を読み解こうとしたらどういうことになるか。結局は、解説者それぞれの自分の人生観・世界観を過去の作品に投影させるだけで、解説者の数だけの異なる解釈が生じてしまい、ただ、俺のが深い、俺の方がもっと深い、と解説者個人の人生観・世界観の深さをアピールするだけのものとなる。

 だから、俺の場合、近代俳句を忘れるところから出発した。かつて存在した「お約束」を再発見することなしに、俳諧の古人の本当の心は理解できないと思った。

2月14日

 おおかみさがし、今日は下町編ということで、まず台東区の下谷三峰神社からスタートした。下谷三峰神社へは地下鉄で上野へ行きそこから歩いた。バイク街が途切れた先のマンションの谷間のようなところにあった。大正時代に作られたスリムなオオカミだった。

 そこから入谷鬼子母神の前を通り小野照崎神社へと向った。小野照崎神社の境内に大嶽神社、浅間神社、稲荷神社、庚申塚などが雑居し、狭いながらも盛りだくさんの神社だった。大嶽神社のオオカミはさっき行った下谷三峰神社のオオカミと同じ作者によるもので、よく似ていた。浅間神社の富士塚の前には目と口の赤い、うんこ座りして合掌している狛サルさんもいたし、稲荷神社・織姫神社(二つで一つの社)の前にはなかなか躍動感のある狛キツネさんもいた。もちろん、狛犬さんも二組。

 この後根岸へと向った。子規庵は10年くらい前に土曜の午後が休みになることが多かった頃、都内のいろいろなところを散策に行ったが、その時次は根岸の辺りにしようかと思いつつ、急に仕事が変わってしまっていかなくなってしまい、そのまま忘れていたところだった。

 子規庵の場所はわかりにくく、ようやく目印となる豆腐屋「笹の雪」を見つけた。正岡子規も食べたといわれる豆腐屋だが、高そうなのでパス。店の壁に子規の俳句と案内図があったので、それにしたがって、子規庵を目指したが、そこはラブホ街。正岡子規もまさか、自分のうちの辺りにラブホが建ち並ぶなんてことは予想しなかっただろう。

 子規庵はラブホの並ぶ向こう側にあった。途中に八二神社があった。小さい神社ながらも、ちゃんと小さな狛犬がいた。子規庵は戦争で焼けて、戦後に復元されたものらしい。八畳間と六畳間があり、結構広い。軒には糸瓜もぶら下がっていた。ここで一句、

 

 子規庵やラブホの奥に別の春

 

 子規庵を出て反対側に行くと、ラブホではなく普通の住宅地になり、隼人稲荷神社があった。なかなかきりっとした御キツネさんだった。

 その後谷中に向う。谷中本行寺(月見寺)猫供養塔を除いてから、子どもの頃遊んだり、祭りを見に行ったりした谷中諏訪神社に向った。何でも何年に一度の大きな神輿が来るというので待っていたら、神輿がトラックに乗っていた記憶がある。縁日でウマオイだとおもってクツワムシを買ってしまい、うるさかったこともあった。

 諏訪神社の狛犬は黒っぽい石に目と口が着色されていて、胴体にも花のような模様が掘ってある。吽形のほうには途中で折れているものの立派な角がある。もう一つの社殿前の狛犬は正面を向いた神殿狛犬で、胸を張ってそっくり返っているタイプだ。

 谷中を後にすると、最後を締めくくるのが三河島三峯神社だ。入り口は狭いが、奥は耳無不動と二つに分かれている。ここの狛オオカミはあばらがあるものの、顔はほとんど御キツネさんだ。なぜかお地蔵さんみたいな涎掛けをしている。吽形の方の奥に先代が二匹仲良く並んで座っていたが、どちらも涎掛けをしていた。

2月13日

 オリンピックが始まるとなると、必ず下らない話題が出てくるもので、北京の時はチベット問題で「やめチャイナ」なんて駄洒落で落としてくれた。今回は何???ネクタイが緩んでいたら服装の乱れ????

 いつからスキーの競技に服装審査が導入されたのか知らないが、これで出場辞退じゃ世界の笑いものだね。どうせなら高校野球のように日本の選手全体の連帯責任にして、全員頭丸めて帰国したら、リーマンショック以降の不景気なこの世界にそれこそ「明るい」話題を提供できそうだ。

 まあ、日本人(特にお年を召した人)にとって、相変わらずオリンピックは国威発揚、日本にはこんな強い人間がいるから戦争をしたら強いんだぞ、というデモストレーションという戦時下の発想が抜け切れていない。遊ぶことは悪いことだといわんばかりに、エコだ広島だ、何か政治的な大義名分をこじつけなければ、スポーツができないような状況で、日本でもう一度オリンピックなんて100年早いね。

 まあ結局世間では、国母は空気が読めないというレベルのことで決着するのだろう。

2月7日

 狛狼を求めて、今日は世田谷区の砧三峰神社へ。世田谷通りから荒玉水道道路に入り、祖師ヶ谷大蔵駅のあたり、JAが目印になる。

 秩父の三峰神社が狼の本場だということで、入り口付近と本殿の前に二対の狛狼が鎮座していた。奥のものは昭和四十年、手前のものは昭和八年製のようだ。前回の橘樹神社ほど古くはない。あばら骨と牙と立った耳が秩父三峰神社の狼の特徴と一致する。ただ、昭和ということでややリアリズムを追求したデザインになっている。写生説の影響だろうか。

 用賀三峰神社は環八沿いらしいが、見つけることができなかった。

 代田三峰神社は環七の宮前橋付近で円乗院という大きなお寺の裏の住宅に囲まれた一角にあった。鳥居と社だけのシンプルなもので、狼の姿はなかった。

 代田まで来たのだからということで、代田八幡神社に行った。立派な狛犬があった。口のところどころに赤い色が付いている。元は赤く塗ってあったのだろうか。

 今日はここまでで、下北沢に寄って帰った。

2月5日

 昔はアンチ巨人という人たちがたくさんいて、巨人が嫌いだなんて言いながら毎日テレビの巨人戦を見ている人たちがいた。嫌いなら見なけりゃいいのに、というわけにもいかないらしい。そういうわけでアンチ巨人は結局巨人ファンだなんていわれるようになった。

 強いものに惹かれるというのは逆に言えば自分が弱いからだ。ただ、その弱さを自分で認めたくないから、強いものをこき下ろして、いかにも自分の方が強いかのように振舞うが、誰もそうは思ってくれない。

 アンチ巨人のジレンマというのは、たとえば阪神を応援していたとして、阪神がマジック1で優勝にあと一歩という時、マジック対象球団が巨人と試合をした時、心から巨人を応援できるかどうかということだ。阪神は優勝して欲しい、でも巨人に勝って欲しくはない。

 残念ながら今の巨人にアンチ巨人を生み出すだけの強さはない。同じように今の自民党にもアンチ自民になるほどの強さはない。NHKにも、ヴェルディにも、アンチを生み出す力は今はない。

 今でもアンチを生み出す力を持つものと言ったら、小沢トヨタ朝青龍ではなかったか。だから、この三つが世間を騒がせている。ただ、残念ながら朝青龍は引退。内館牧子も本当は朝青龍のファンだったのだろう。

1月31日

 狛オオカミがあるというネット情報に基づき、川崎市高津区子母口にある橘樹神社(たちばなじんじゃ)に行ってみた。狛オオカミは秩父の方が本場らしいが、とりあえずは近場でということで。

 電車の駅から遠いため、車で行ったが、近くにコインパーキングがない。ちょっと離れた下小田でやっと見つけ、そこから歩いた。  橘樹神社は小高い山の上の閑静な住宅地の中にあった。日本武尊(ヤマトタケル)の東征の際の弟橘媛(オトタチバナヒメ)を祭った神社で、日本武尊は東征の時に白いオオカミに導かれたという伝説があるから、一応オオカミに縁のある神社のようだ。

 狛オオカミは日本武尊が植えたという松の跡(大きな朽ちた切り株が祀られている)の前の石碑の前にあり、明治十三年製。石碑の方は山岡鉄舟の書だという。

 ところで、この狛オオカミだが、子母口という地名にちなんでか、両方とも子供づれで可愛いのだが、牙やあばら骨といった狛オオカミの特徴はない。唯一耳が寝ていることくらいがオオカミかなというくらいで、どう見ても犬に見える。秩父からここまで伝わってくる間に、いつの間にか人に飼い慣らされてしまったのだろう。

 本殿の前にも平成になって作られた真新しい狛オオカミ(犬?)がある。これは日本武尊の松の前にあるのとほぼ同形で、レプリカといってもいいものだ。

 

 「おおかみかくし」の世界観も日本武尊を導いたというオオカミが「白狼様」になり、弟橘媛の橘が「八朔」になったものなのだろうか。そして古事記にある弟橘媛の櫛と櫛名田比売がいつのまにか習合したあたりから、櫛名田家が生れたのだろうか。

1月24日

 今日は狛虎めぐり。去年は牛島神社の狛牛だったが、今年は寅年ということで。

 狛犬の代わりに虎が置いてあるのはいずれもお寺で、毘沙門天を祭っている。虎は毘沙門天の使いとされているかららしい。そういえば毘沙門天の化身だという上杉謙信も長尾景虎でのちに上杉輝虎を名乗っていた。

 一軒目は広尾の天現寺で恵比寿から歩いた。

 天現寺の交差点に天現寺はあったが、本堂は工事中だった。正面からは入れず、駐車場の方に墓参りようの入り口があって、そこから事務所の前を通りぬけると、墓地へと通じる狭い通路の脇に狛虎が仮置きされていた。狛虎は二対あって、その隣には芭蕉の「一里はみな花守の子孫かや」の句碑があった。

 天現寺から南北線の麻布十番駅へ行き、飯田橋の神楽坂善国寺へ向った。

 神楽坂は結構賑やかで、善国寺も赤い門と赤いお堂で結構目立っていた。参拝の人もたくさんいた。神楽坂の案内と歴史を記した地図を配っている爺さんがいた。この人も名物爺さんなのだろうか。絵馬を見ると嵐(ジャニーズの)に関係したものが結構あった。狛虎は説明の看板では「善国寺の石虎」になっていた。

 ふたたび飯田橋から南北線に乗り、本駒込で降りて吉祥寺へと向った。

 吉祥寺の境内は広く、閑散としていた。立派な山門、お稲荷さん(茗荷稲荷)、大仏、八百屋お七と吉三の塚(比翼塚)、六地蔵、二宮尊徳の墓の脇には二宮金治郎の像もあり、いろいろと盛り沢山なお寺だった。狛虎は古い経蔵の前にあった。

 これで狛虎めぐりは終りだが、このあと駒込駅へと歩く途中、富士神社と六義園に寄った。富士神社は富士塚の脇にいろいろと石碑が立っていたがどれも赤い文字で独特な雰囲気だった。

1月10日

 川崎クラブチッタへFAR EAST RAMPAGE ADDICT XXを見に行った。

 一階席にステージを三つ組み、1バンド20分から30分の持ち時間で交替でやるという、24バンド切れ目なしぶっ続けのメタル漬けの9時間だった。おまけにオールスタンディングだから、体力を要する耐久レースだ。

 女性ボーカル限定とはいえ、幅広くいろいろなバンドが出て、飽きさせなかった。北は北海道から南は沖縄まで、さらには韓国のバンドまで登場し、楽しい一日だった。

1月2日

 今年は一日遅れで初詣。いつものように琴平神社へ行った。

 先おととし放火された社殿のところは、石垣が新しくなり、奇麗に整地されていた。今年中に新しい社殿ができるのだろうか。

1月1日

 午前中からうみねこEp.6の続きをやった。今日は一日お籠り。