現代語訳『源氏物語』

21玉鬘

 年月は流れても、思い残したままになってた夕顔のことは決して忘れたわけではありません。

 

 思うがままにいろんな人とつきあってきても、生きていたならと今も無念な記憶だけが残っています。

 

 右近は身分は低いけど、それでも夕顔の君の残していった人ということで、かけがえのないものと思って雇い続けたため、古くからの女房の一人となってます。

 

 源氏が須磨へ行ってた時も、二条院の女君の所に女房たちを移動させていたので、そこで仕えていました。

 

 控えめな所は好感が持てると女君も思っていましたが、心の中では、

 

 「亡くなったあの女がいたなら、あの明石の女への執心にも負けなかったわね。

 そんなすごく愛してるわけでなくても手放そうとしないし、どっかに置いといたままいつまでもキープしてるし、もっとも高貴な部類には入らないから、この六条院の一角を占めることはなさそうだけどね。」

 

と思うと、いつまでも悲しく心に引っ掛かります。

 

 あの西京の乳母の所に住んでた若君は何処へ行ったのだかわからず、どこかでこっそり暮しているのか、また、今さらどうしようもないことだから、俺の名は人に漏らすなと口止めされてたのを気にして、探しはしたけど訪ねてゆくことはなく、その乳母の夫が太宰の少弐になって任地へ向かう時に、乳母も一緒に下向しました。

 

 あの若君もこの時まだ四つで筑紫へ行きました。

 

 *

 

 その乳母ですが、母親の行方を知ろうとあちこちの神仏に祈り、昼夜恋しくて泣き暮し、心当たりのある所を聞いて回っても、ついに見つかりませんでした。

 

 「どうしましょう。

 若君だけでも母の形見として育てていかなくては。

 見知らぬ所へ連れて行っても、辺境の地で暮らすなんて悲しいですわ。

 あの父君にちょっとでも会えないかしら。」

 

と思ってはみても、向こうからは何の連絡もないし、

 

 母のいる場所もわからないのにそのことを聞かれたら、どう答えて良いものか。

 

 「まだ父親の記憶もはっきりしないこんな幼い子供を預けてしまうのも不安よね。」

 「それ知ったら、筑紫へ連れてゆくことを許してくれるはずないじゃん。」

 

などと回りにいろいろ言われるがまま、とにかく可愛らしくこの年で気高く気品のある姫君を、特別な部屋などない船に載せて旅立つのも、何とも可哀そうなことだと思いました。

 

 子供心に母のことが忘れられず、何度も、

 

 「母さんの所へ行くのぉ?」

 

と聞かれても、涙ぐまない時もなく、少弐の娘たちも思いこがれると「船旅に縁起でもない」と諭されました。

 

 景色の良い所を見ながらも、

 

 「好奇心旺盛な方でしたから、こういう所も見せたかったね。」

 「まあ、生きていたら旅になんか出なかったけど。」

 

と都の方ことを思うと、寄せては帰る波も帰る所があるのがうらやましく、不安になってると船乗りたちが荒々しい声で、

 

 ♪浦悲しくも、遠ざかる

 

と歌うのが聞こえてきて、娘二人、向かい合って泣きました。

 

 船乗りも誰が恋しいのか大島の

    うら悲し気な声が聞こえる

 

 どこから来てどこへ行くとも知らぬ沖

    行方不明のあなたはどこに

 

 辺境の地へ赴任する別れに、お互いを慰め合うようにそう言いました。

 

 瀬戸内海、関門海峡を経て宗像鐘崎を過ぎると、「ちはやぶる鐘の岬をすぎぬとも」と古歌にも歌われたように、「我は忘れず」と夜な夜な口にしているうちに現地に到着しました。

 

 夢などにごく稀に見る時などもありました。

 

 変わらないその姿が枕元に出て来た時には、その気配に悪寒がしてひどくうなされることから、やはり亡くなってしまったんだなと思えてくるのも、忌まわしいことです。

 

 *

 

 月日は流れ、少弐の任期が終わり上京の準備をする頃になると、また長旅ということでことさら財産をこしらえたわけでもなければ、帰るにも躊躇して気持ちよく旅立つこともできないもので、思い病気になって死にかけてた時でも、十歳になった姫君のその危険なまでの美しくさを見るにつけて、

 

 俺がここで死んで取り残されてしまったら、一体どんなことになるやら。

 

辺境の地で生きていくのは流石に勿体ないことだし、これから京に連れてって然るべき人に知らせて、その人に運命を委ねようとするのなら、都は広い所で安心でその心算でいたけど、こんな所で命が果てるなんて。」

 

と不安になります。

 

 男の子が三人いるので、

 

 「どうかこの娘を京に連れて行くことだけを考えていてくれ。

 葬式のことなど気にすんな。」

 

と遺言を残しました。

 

 その姫君については館(たち)の人にも知らせず、ただ「乳母の孫のようなもので訳あってたいせつにしなければならない」と言っていただけで、誰にも見せず大切に育てていました。

 

 それが少弐の急死で悲しい上に不安に駆られ、京へ早く出発したかったのですが、この国には少弐と仲の悪かった人がたくさんいて、いろいろな問題を恐れて帰るに帰れくなって不本意にも時が流れて行き、姫君も成人を迎える頃になり、母の夕顔を凌ぐような美人となり、父の大臣の血筋もあってか可愛らしさにも気品が備わってます。

 

 性格も温厚で、理想的です。

 

 女好きの田舎者たちが噂を聞き付けたのか、下心を抱いて手紙の取次ぎを迫る人もたくさんいました。

 

 「見た目は十人並みだし、訳ありの事情もあって、誰にも会わせずに尼にして、生きてる間は私一人で面倒見る。」

 

と触れて回れば

 

 「少弐の孫は障害者かいな。」

 「残念やが。」

 

と言われてるのを聞くのも不愉快で、

 

 「いったいどうすれば都に連れていけて父親の大臣に知らせればいいのか。

 まだ幼い頃にとても可愛がってくれていたから、そんな邪険にいらないとは言わないはず。」

 

 そう言ってため息つきながらも神仏に願を掛けて祈りました。

 

 少弐の二人の娘も三人の男の子も、その土地の人達と結婚したりして、すっかり棲み着いています。

 

 心の中では早くここを出ようと気は急くけれど、京はますます遠ざかって行くように思えます。

 

 姫君も事情のわかる年になり、厭世観を募らせ、年三(ねそう)の精進などをいています。

 

 二十歳くらいになると、すっかり成長しきって美人なだけにとにかく残念です。

 

 この頃は肥前の国に身を寄せてました。

 

 この辺りでもやはり女漁りに余念のない人たちがいて、すぐにこの少弐の孫の噂を聞きつけて、相変わらず何度も訪れるものですから、危なっかしい、とにかくうざいものです。

 

 大夫監(たいふのげん)という、肥後ノ国に広く勢力を持つ、地元では有名な見るからに厳つい武士がいました。

 

 きもい上に助平ったらしく、美人を集めてハーレムにしようと思ってました。

 

 この姫君の噂を聞きつけて、

 

 「障害者だろうが俺は目をつぶってやる。」

 

と馴れ馴れしく使いをよこすのがとにかくきもくて、

 

 「聞いてなかったんですか、尼になるってこと。」

 

と使いの者に言うように言ったんですが、ますます気になってか、強行突破とばかりに肥前にやってきました。

 

 少弐の息子たちを呼び出して、

 

 「うまくいったら、お前らと軍事同盟を結んでやろう。」

 

と持ち掛けて、次男三男は取り込まれてしまいました。

 

 「一瞬釣り合わないし姫君には可哀想だと思っちゃったんだけど、俺たちどっちも地元に確たる基礎がない以上、味方になれば頼れる人なんだよ。

 逆に睨まれちゃったらこの界隈じゃ暮していけなくなんでしょ。」

 

 「高貴な血筋とはいってもよ、親からも見捨てられたまま誰にも知られてないんじゃ、何のメリットもないじゃん。

 監様がこんな熱心に欲しがってる今が花ってもんだろ。」

 

 「それこそ前世からの縁があったんじゃないのかなあ。逃げ隠れしても良いことなんてないよ。」

 「やつは負けを認めないし、怒らせたら何すっかわからないぞ。」

 

 そんなふうに脅されれば、「まじやばい」と聞きつけた長男の豊後の介が、

 

 「そりゃとにかく穏やかでないし、残念なことだな。

 父上の遺言もある。

 とにかく支度して京に上ろう。」

 

 二人の娘も泣き悲しんで。

 

 「母さんが空しく落ちぶれて未だに行方不明な分、あの子だけはちゃんとした貴族になってほしいと思ってたのに。」

 「あんな奴らの手に渡すなんて。」

 

と悲しみに暮れるのも知らずに、俺は偉いんだぞとばかりに手紙をよこします。

 

 字はそれほど汚くもなく、中国製の色紙に香ばしい香りを薫き込んでは、おしゃれに書いたつもりなのですが、何しろ訛りがひどい。

 

 自ら次男を説き伏せて、家に連れてこさせます。

 

 年は三十ばかり、背が高く筋肉太りで不細工ではないけど、考えることが嫌らしいし、粗野な態度で、見るからに危険な感じがします。

 

 いかにも機嫌良さそうに、ひどくしゃがれただみ声でごたごた言い出します。

 

 懸想人は夜に紛れて来るからこそ夜這いというもので、なんでまあ春の夕暮れに来るんでしょうか。秋の夕暮れに人恋しくなるならまだわかりますが。

 

 機嫌を損ねないようにと乳母がが出てきて会いました。(肥後の言葉がわかるようです。)

 

 「亡き少弐は情に篤く、素晴らしいお方だとお聞きし、いつかこのことをきちんと相談しようと思ってましたが、そうした気持ちを伝える前に大変悲しいことにお亡くなられてしまいまして、その代わりとして、直接申し上げようと気持ちを奮い立たせ、今日はひたすら無理を押して参上しました。

 こちらにいらっしゃる姫君は特別な血筋の方と伺っておりますので、大変勿体ないことだと思います。

 ただ、それがしが我が主君と思い、一族の頂点に君臨するにふさわしいお方です。

 姥殿が不服なのも、良からぬ女ども何人も知り合いになっていると聞いて嫌っているからだと思います。

 しかし、そんな連中と同等に扱うなんてことがありましょうか。

 

 我が君を皇后様の地位にも劣らない物としてあつかう所存です。」

 

などと、何とも言葉巧み並べ立てます。

 

 「何とまあ。

 そうおっしゃられても、またとない幸運なこととは思いますが、何分前世の業を背負ったお方です。

 表に出すことも憚られるもので、どうして人にお見せすることができようと人知れず悲しむばかりで、とにかく気の毒で途方に暮れてます。」

 

 「だったら遠慮することはない。天上天下たとえ目を失い足を失ったとしても、それがしは神仏に仕え、その業を止めて見せよう。

 肥後国内の神仏はすべて我に屈服する。」

 

 まあ、大した自信です。

 

 「ではその日にでも」と婚姻の日を言うと、「三月は季節の終わりで縁起が」などと田舎者じみたことを言って何とか逃れます。

 

 去り際に歌を詠もうとして、ややしばらく案じた末、

 

 「君をもし裏切ったなら松浦の

    鏡の神にかけて誓おう

 

 この日本式の歌を捧げたいと思います。」

 

 そう言って微笑むのも宮中の文化に疎くて無器用な感じです。

 

 啞然呆然で返歌も思いつかず、娘たちにふるのですが、

 

 「まろも無理。」

 

と言って黙ってしまい、あまり長考もするのもいけないので、思いつくままに、

 

 「長いこと祈った結果と違ってて

    鏡の神はむごいと思う」

 

と震えながら詠むと、

 

 「ちょ待て、どういう意味だ。」

 

と一気に間を詰めてきたので、乳母は恐怖で固まってしまいます。

 

 娘たちは機転をきかして、笑いながらきっぱりと、

 

 「姫君が体が不自由なので、ご期待に添えなくて辛いと思うのを、ちょっと惚けたのか神様のせいにして、神に文句を言ったのでしょう。」

 

 「おう、そうかそうか。

 なかなか面白い歌だ。

 それがし、田舎者とは言われるものの、蛮族ではありません。

 都の人だってそんなもんでしょう、わかってますよ。

 馬鹿にしないでもらいたい。」

 

 そう言ってもう一首詠もうと思いましたが難しかったのか、そのまま行ってしまいました。

 

 次男が懐柔されたのも脅威で心配の種なので、長男の豊後の介に上京を急かすと、

 

 「さて、どうしたもんだか。

 相談できる人もいない。

 唯一の身内の二人の弟とも、大夫の監のことで仲違いしてるしな。

 大夫の監に敵視されたら全く身動き取れなくなるし、難しい所だ。

 かえってまずいことになる。」

 

と思い悩んでましたが、姫君が人知れず悩んでるのが可哀想で、生きててもしょうがないと思い詰めるのも当然だと思えば、決死の覚悟で旅立ちを決意します。

 

 二人の妹も、何年も通ってきてくれた夫を捨てて、姫君にお供するつもりです。

 

 下の方のあてきは今は兵部の君と呼ばれてましたが、一緒に行くために夜逃げして船に乗りました。

 

 大夫の監は肥後に帰ったあと、四月二十日に日取りを決めてやってくるということで、その前に逃げることとなりました。

 

 姉のおもとは子供がいたため、結局来ませんでした。

 

 互いに別れを惜しみ、再び会うことの難しさを思うものの、何年も暮した故郷とはいっても未練はありません。

 

 ただ、松浦の宮の前の渚と姉のおもとと別れることだけが気にかかって悲しいことでしょう。

 

 浮島を漕ぎ離れても行末は

    どこの湊かわからないまま

 

 行く先も見えない波に船出して

    ただ風任せに浮かび漂う

 

 とにかくどうなるかわからない不安な気持ちのまま、背中を丸めて寝ました。

 

 *

 

 こうして逃げたことは自ずとどこかから伝わるもので、負けを認めたくない大夫の監は追って来るに違いないと思うと気が気でないので、魯を多く備えた早船を特別に用意した上、風も思うように吹いて大丈夫かと思うくらい快走します。

 

 鐘崎を過ぎ、響灘もすいすい進みます。

 

 「ありゃ海賊船か?

 小さな船が飛ぶようにこっち来るぞ。」

 

などと言う者もいます。

 

 海賊が襲って来るよりも、あの恐ろしい人が追って来る方が恐いので、仕方ないことです。

 

 胸騒ぎする心臓の響きには

    響きの灘も及ばないわね

 

 「摂津の川尻ももうすぐだ。」

 

と船頭が言うとようやく生きた心地になります。

 

 船乗りたちが、

 

 ♪唐泊まりより、川尻へ行けば

 

と唄う声が、無情にも悲しく聞こえてきます。

 

 豊後の介も悲しくて会いたい気持ちで、続きを唄います。

 

 ♪愛しい妻子も忘れたよ

 

 

 「そうだ、みんな捨てて来たんだ。

 どうなったんだろうか。

 護衛として役に立つような男達はみんな連れてきてしまった。

 大夫の監が俺を憎んで追いかけたけど見失ったとなれば、何するかわからない。」

 

 そう思うと、安易な考えで考えなしに飛び出しちゃったなと、少し冷静になってくると情けなく後悔ばかりで弱気になって泣き出すのでした。

 

 ♪胡の地の妻子を虚しく棄て捐て

 

と白楽天の「縛戎人」の一節を節をつけて唱えるのを兵部の君が聞いて、

 

 「まじ、とんでもないことしちゃった。

 何年も連れ添った人をいきなり裏切って逃げてきて、どう思われてるのか。」

 

とそれぞれ思うことは絶えません。

 

 帰る所といっても、どこそこという辿り着くべき故郷もありません。

 

 知ってる人もいないし、誰かに頼ろうにもそんな人も知りません。

 

 ただ一人のために、これだけの人が住み慣れた土地を離れて、波風の中に浮かび漂って、どうしていいのかもわかりません。

 

 「この人をどうやって父に会わせるのよ」

 

と途方に暮れていても、結局どうしようもないと思っているうちに京に到着しました。

 

 *

 

 九条に昔知ってた人が今でも残っているというので尋ねて行くと、まず宿を確保して、都の中とは言ってもそれなりの地位にある人の住んでるような所ではなく、よくわからない行商のおばちゃんや商人ばかりの所で悶々としながら秋にになってゆき、過去を思うも未来を思うも悲しいことばかりです。

 

 豊後の介は頼もしい人ではあっても、ただ丘に上がった水鳥が戸惑ってるようなもので、何をしていいのやら不慣れなことばかりで拠り所がなく、今さら帰るのも気まずいし、あまり考えずに出て来てしまったことを後悔してか、一緒に着いてきた男達も一人また一人と逃げ出して、本国に帰って行きました。

 

 安住の地もないまま、乳母は毎日毎日溜息ばかりで可哀想なので、

 

 「まあ、わたくしめのことはどうにでもなります。

 あの方一人、身命を賭して、いつどこで死のうとも何ら支障はありません。

 仮に地元で勢力を誇れたにしても、姫君をあんな連中の中に放り出していたなら、気持ちが収まらなかったでしょう。」

 

 そう慰めてから、さらに、

 

 「神仏ならばあの大臣の所に導いてくれるかもしれません。

 ここから近い所に八幡宮という、向こうでも参拝してた松浦、箱崎と同じ神社があります。

 あちらを離れる時にも、いろいろ願を掛けてきました。

 無事に都に帰れたのも、あの神社の霊験があってのことと、お礼をしなくてはいけません。」

 

そう言って、姫君を連れて石清水八幡宮に参拝に行きました。

 

 その辺りに詳しい人に聞くと、そこに亡き父が昔親しくしていた高僧がそこに五師として残っていたので、呼び寄せて参詣の案内をしてもらいました。

 

 *

 

 「この次は仏様ということでしたら、初瀬という日本国内でもことに霊験あらたかな所がありまして、唐の皇后馬頭夫人の醜い容姿を治したという謂れもあります。

 それからすれば日本の中でご利益の無いはずはありません。

 たとえ辺境の地に長く暮らしたにしても、姫君ならば恵のあることでしょう。」

 

ということで出発します。

 

 順礼ということで、あえて歩いて行くことにしました。

 

 長く歩くのに慣れてなくて、惨めで苦しいけど、言われるがままにただひたすら歩きました。

 

 「どんな前世の深い罪があって、こんなふうにあちこちさすらっているのでしょうか。

 私の親が既に亡くなっていたとしても、私のことを哀れに思うなら、いる所に連れてってください。

 もし、世におはせば、御顔見せたまへ」

 

と、仏を念じつつ、ありけむさまをだにおぼえねば、ただ、「親おはせましかば」と、ばかりの悲しさを、嘆きわたりたまへるに、かくさしあたりて、身のわりなきままに、取り返しいみじくおぼえつつ、からうして、椿市といふ所に、四日といふ巳みの時ばかりに、生ける心地もせで、行き着きたまへり。

 

 歩くともなく、何とか騙し騙しここまで来たけど、足を上げることもできないのが情けなく、仕方なく休むことにしました。

 

 この時の一行は、一番頼りになる豊後の介、弓使いが二人、それに下人と童(わらわ)が三、四人、それに姫君、少弐の未亡人、兵部の君の三人が旅姿の壺装束で、便所掃除のおばちゃんのような下女二人でした。

 

 出来るだけ目立たないようにしてました。

 

 仏前のための大御燈明(おおみあかし)に必要なものをここで調達した頃、日も暮れました。

 

 泊ろうとしてたら家の主人の法師が出てきて、

 

 「ったく、今日は先約があるのにこんな大勢泊めようとして。

 下っ端の女が勝手なことをするから。」

 

と怒ってるのを不愉快に思っているうちに、本当にその一行がやってきました。

 

 この一行も歩いてきたようです。

 

 品の良い女二人に下人も男女合わせてかなりの数です。

 

 馬四、五頭に荷物を乗せて牽かせていて、身分の低い者のような恰好をしていても高貴な感じの男達もいました。

 

 法師は、何とかここに泊まってもらおうと頭を掻いて歩きまわってます。

 

 残念だけど、またほかの宿を探すのも無様だし面倒なので、姫君一行は宿の奥の方に行き、一部は外に隠れたりなどして、隅っこに固まりました。

 

 布を垂らして仕切りにします。

 

 この来た人達も先客に恥をかかせまいとしてるのか、随分と静かで、互いに遠慮し合ってました。

 

 これがあの夜以来共に夕顔の君を恋て泣き暮してきた右近でした。

 

 年月も過ぎて不相応な源氏の家での付き合いにどうにも馴染めずに身をすり減らしていて、この寺にたびたびやって来ていました。

 

 こうした順礼に慣れていたので、簡単に考えていたけど、さすがに徒歩の旅はきつく、物に寄っかかって休んでいると、豊後の介が布の仕切りの所にやって来て、食事を持ってきたのでしょう、お盆を自分で持って、

 

 「これを姫君に持ってってくれ。

 献立が揃わなくて、ほんと申し訳ないんだけど。」

 

という声を聞くと、この人が主人ではないなと思って、扇子の隙間から覗くと、この男の顔をどこかで見たような気がします。

 

 誰かは思い出せません。

 

 まだ若かったころしか知らないので、太って日焼けして老けてしまうと、長年会ってない目にはちょっとその人だとはわかりません。

 

 「三条、こっち来て。」

 

と呼ばれてきた女を見れば、これも見たことがあります。

 

 昔住んでたところに、下人だったけど長く仕えて親しくしていて、あの下町の家に隠れ住んだ時も一緒にいた人だとわかり、なんか凄い夢でも見ているようです。

 

 主人と思われる人はとにかく気になるけど、見るすべもありません。

 

 悩んだ末、

 

 「この人に聞いてみよう。

 さっきの男も兵藤太(ひょうとうだ)とか言ってた人じゃないかしら。

 なら行方不明の姫君もいるのでは。」

 

 そう思い当たると、いてもたってもいられず、この布の向こうの三条を呼ぼうとしたけど、食事に熱中していて出てこなくてイライラするのも困ったもんです。

 

 ようやく三条がやってきました。

 

 「どういうことでしょうか。

 筑紫国に二十年ばかりいた卑しい身分の者で、都人に知り合いはございません。

 人違いではないでしょうか。」

 

 砧を打って柔らかくした田舎臭い服を着て、すっかり太ってしまってますが、間違いありません。

 

 自分も年を取って人のことは言えず恥ずかしいけど、

 

 「よく見てよ。

 覚えてるでしょ。」

 

と言って顔を見せました。

 

 三条は手をポンと打って、

 

 「御許(おもと)なのっ。きゃーーーっ!嘘っ!、まじっ?。

 どこから来たんですか。

 女君もいらっしゃるんですか?」

 

と涙がぼろぼろ溢れ出てきてぐちゃぐちゃです。

 

 いつも見馴れてた三条のまだ若かった頃を思い出すと、離れ離れだった年月がどれくらいだったかと、また悲しくなります。

 

 「乳母殿はいらっしゃいますか?

 

 姫君はあれからどうなって、あと、あてきという人は?」

 

 そう尋ね返すだけで、女君のことは、亡くなってしまったことを思うとがっかりさせたくもないし、嘘を言うわけにもいかず言い出せません。

 

 「みんないますよ。

 姫君も大人になってます。

 まず乳母にこのことを伝えなくては。」

 

と言って布の奥に入って行きます。

 

 みなびっくりで、

 

 「そんな夢ようなことが、まさか。」

 

 「急に姿を消して、薄情としか言いようのなく思ってた人に、こんな所で逢うなんて。」

 

 そう言って、隔ててる布の外に出てきました。

 

 向こう側にある右近の前にあった屏風なども完全に取っ払い、どちらも言葉もなく泣きました。

 

 老いた乳母はただ、

 

 「私の女君はどうなってしまったのです。

 この長い間、夢でもいる所を知りたいと大願を立ててきましたが、はるか遠くの土地で風の噂にも聞くことができないのがとにかく悲しくて、こうして生きながらえてるのも憂鬱なことですが、置き去りにした女君のあの可愛くて素敵な姿が成仏の妨げになるのも悩みの種で、生きているのやら死んでいるのやら。」

 

 そうとりとめもなく言うので、昔その時言えずにいたことよりも、どう答えて良いのかで悩みながら、

 

 「それがその、知っても今さらだと思わるかもしれないけど、あのお方はとっくに亡くなられてます。」

 

 そう言うと二、三人咽び泣いて、これで良かったのかどうか悩みつつも涙が溢れてきました。

 

 日が暮れると、この夜の大御燈明(おおみあかし)の準備も終わって、これから急いで行かなくてはと、とにかく慌ただしく出発しました。

 

 「一緒に行かないか」と言おうにも、お互いお供に連れている人達同志は知らない間柄だし、豊後の介への説明も済んでません。

 

 三条と右近もともに遠慮し合う間柄でもないので、皆それぞれ出発しました。

 

 右近はお付きの人達にわからぬように三条の一行を見ると、中に可愛らしい後ろ姿があり、身分を隠すかのようなみすぼらしい格好で、四月の衣更えで着るような薄い一重の衣の内側に入れた髪の毛が透けて見えて、その晴らしい髪を見せられないのが残念です。

 

 可哀想だけど愛しく思えます。

 

 *

 

 多少歩きなれた人は、すぐに初瀬の御堂に着きました。

 

 姫君も動かない足に難儀しつつも、初夜の座禅をする場所まで登りました。

 

 とにかく騒がしく、参詣の人でごった返してました。

 

 初瀬の御堂は東向きで、右近の部屋はその御本尊近くの南側です。

 

 姫君の祈祷のガイドをする御師はまだ駆け出しだったか、遙か西の遠い部屋でした。

 

「もっとこっちに来なさい。」

 

と右近の側で探しに来た人がいて、豊後の介に事情を説明すると男達を残して、右近の部屋に移りました。

 

 「こんな変な格好をしていても、今の大臣に仕えているので、こんなお忍びの旅行でも雑な扱いは受けないのは間違いないのよ。

 田舎から出てきたような人はこうした所では、良からぬ生臭坊主に軽く扱われるのも困ったもんね。」

 

 もっといろいろな話をしたかったのですが、大勢の大きな読経の声にかき消され、騒然とする声に促されて仏様を拝みました。

 

 右近は心の中で、

 

 「この姫君を何とか探し出したいとお願いしてきましたが、ともあれこうして見つかりました。

 今思うのは、大臣の君も一生懸命探してましたから、この旅のことを報告しますので、どうか幸せになりますように。」

 

と祈るのでした。

 

 諸国から田舎の人達がたくさん参拝しました。

 

 この国の守(かみ)の奥方も参拝に来てました。

 

 物々しくその勢力を誇示しているのが羨ましくて、三条は、

 

 「大悲観音様、他のことは何も言いません。

 我が姫君を大宰府大弐の奥方か、さもなくばこの大和の守の奥方にして下さい。

 三条めもそれなりに豊かになりましたら、必ず寄進をします。」

 

と指の先が額に当たるほど深く頭を下げて祈りました。

 

 右近は、

 

 「今のは問題ね。

 ほんと、すっかり田舎に染まっちゃって。

 頭の中将様は昔だってそれ以上の地位にいたではないの。

 まして今は天下を動かしてる内大臣様でこの上ない立派なお方だというのに、姫君が受領ごときの妻?

 そんな下の身分確定でいいの?」

 

 「ああうざっ、黙ってて。

 大臣のことも待って。

 大弐の舘の上の清水山の観世音寺に参拝した時の豪華さは、御門の御幸にも劣ってなかったわ。

 ああ、きもっ。」

 

 そう言って額に手を当ててまた一心に拝んでました。

 

 筑紫から来た一行は初瀬に三日間籠もろうと考えてました。

 

 右近はそこまでは思ってなかったけど、せっかくの機会だからゆっくり話をしようと籠もることにして、右近の馴染みの宿坊の主人の大徳を呼びました。

 

 仏様に願文を書く理由など、ここの人は詳しく知っているので、

 

 「いつもの通り例の藤原の瑠璃という姫君のための祈願をします。

 しっかり祈ってくださいね。

 その人がつい今見つかったので、その先のことのお願いということになります。」

 

 それを聞くと法師も、

 

 「それは賢明なことだ。たゆみなく祈れば必ず結果は出る。」

 

と言います。

 

 とにかく騒がしい読経がこの夜ずっと続きます。

 

 夜が明ければ右近のよく知る大徳の宿坊まで降りてきました。

 

 ここで心置きなく話ができます。

 

 姫君が痛くやつれていて、恥ずかしそうにしてる様子もまたとにかく可愛いものです。

 

 「思いがけなく高貴な人に仕えることになって、多くの人をあれこれ見てきたけど、殿の奥方に匹敵するだけの美貌の人はいないと長年思っていて、今再会して大人になった姫君の美貌も当然ながら素晴らしいわね。

 よほど育て方が良かったのか、こういう貧相な格好をしてても全く見劣りがしないのはなかなかないのよ。

 源氏の大臣は父の御門の時代からそこいらの女御、后、そのちょっと下くらい人は残らず手を出して妻にしてきたけど、その眼にも今の御門の母親に当る亡き后と言われてた人と、明石から来た姫君の容姿が、こういうのを美人というんだとおっしゃるの。

 ただ、比べたくてもその后様の方は見たことがないし、姫君は可愛らしいけどまだ子供で、これから先が楽しみってとこかな。

 奥方の容姿なら、誰とも比べようがないと思うの。

 殿も誰よりも愛してる人なんだけど、口に出してはなぜか美人の数に入れてないわね。

 俺と張り合おうなんて君は何て我儘なんだ、なんて冗談で言ってたりして。

 見てるだけで寿命が延びるような二人の姿に、他にそんな人いないんじゃないかと思ってけど、この娘はどこが劣ってるというの。

 物には限度があるってもので、どんな美人でも頭から後光を放つわけではないけど、ただ、この娘は美人と言って良いと思う。」

 

とニコニコしながら眺めているので、老いた少弐の夫人も喜んでます。

 

 「このようなお方を危うく卑しい所に閉じ込めてしまう所で、そんな勿体ないことをするのも悲しく、家も竈も捨てて少弐の娘息子たちとも離れ離れになり、今となっては未知の世界に思えるような京まできました。

 どうかあなた様が早く良い所に連れてってください。

 宮中で最高の地位にある人に仕えているのでしたら、自然といろいろな頼れる伝手もあることでしょう。

 大臣になられたお父様にお知らせして、そこで暮らせるようどうかお願いします。」

 

 当の姫君は照れたように後ろを向きました。

 

 「いやまあ、私はそんなたいそうな身分ではないけど、ただ殿の近い所にいるだけのことで、何かの折に姫君をどうするのか聞いてみたのを覚えていてくれて、俺も探してるんだが何かわかったら教えてくれとおっしゃってたので。」

 

 「そちらの大臣はたぐい稀なお方ではありますが、高貴な妻たちが何人もいると聞いてます。

 まずは実の親の方の大臣に知らせて下さい。」

 

 そう言うので、右近はあの日あの夜のことなど話して聞かせました。

 

 「本当に忘れられない悲しい出来事だったので、あの方の代りに育ててあげたい。

 子供が少なくて寂しいんで、自分の子を探し出したと余所の人には伝えてくれと、その頃からいった。

 あの頃は深く考えることができず、いろいろ隠しておかなくてはならないことが多くて尋ねてもいけなくて、そのまま時が過ぎて少弐と呼ばれるようになったときも、名前だけしか聞いてなくて。

 大宰府へ向かう折に殿に挨拶に来た日も、姿をちらっと見えただけで声もかけられなかったの。

 その時も姫君はあの昔の夕顔の五条の家にずっといると思ってたの。

 それがまさか、そんな田舎で育つことになるなんて。」

 

 このようにいろいろ語り合いながら、日がな一日、思い出話をしたりお経を唱えたりして過ごしました。

 

 僧坊は参詣に集まる人の様子が見下ろせる場所にありました。

 

 前を流れてる川は初瀬川といいます。

 

 右近、

 

 ふた本の杉の根元に来ないなら

    布留の野原で出会えなかった

 

 姫君、

 

 初瀬川早い時代は知りません

    うれし涙に体まで流れそう

 

 そう言って泣き出す姿も悪くはありません。

 

 見た目はほんと見事なくらい清楚な美人だけど、田舎臭い武骨な所あったら玉に瑕となるけど、そんなこともなくこんなに立派に育てられて、と乳母には感謝の心でいっぱいです。

 

 娘のほうは気高く、仕草などもこちらが恥ずかしくなるような高貴な感じがします。

 

 筑紫も捨てたもんじゃないと見直してはみても、それだと今まで見た人がすっかり田舎に染まってたのが理解できません。

 

 日が暮れるとお堂に行ってお経を唱え、その次の日もそうしました。

 

 秋風が谷底から吹き上がり、とにかく肌寒くて、辛い人生を送ってる人たちの悩みは尽きないもので、そんな奇跡なんて起こるはずもないと思い悩んでたところに、右近の話の中で頭の中将が内大臣になった羽振りの良さや、その何人もの妻達との間にできた子供たちがみんなそうそうたる地位にいることなどを聞くと、こんな野辺の雑草でも希望の光が射したかのようです。

 

 初瀬を出る時も互いに泊まる宿の場所を確認し合いました。

 

 再び互いを見失ったりしたら大変ですからね。

 

 *

 

 右近の家は六条院の近所でそう遠くないので、相談に行く機会もいくらでも出てくるとみんな思ってました。

 

 実際、右近は六条院に行きました。

 

 姫君のことをそれとなくいう機会もあるかと、急ぎました。

 

 門を入ると辺りは広々としていて、参上する車も多くて迷ってしまうほどでした。

 

 身分の低い者が入るには眩しすぎるくらいの玉の臺(うてな)です。

 

 その夜は女君の所にも行かず、どうしようか悩みながら床に就きました。

 

 翌日、昨日実家から戻ってきた身分の高い者や若い者の中で、女君にまっ先に呼び出されたのが右近だったのを光栄に思います。

 

 源氏の大臣も同席してて、

 

 「随分長く家に帰ってたな。

 何かいつもと違う、やもめ女がすっかり見違えるようなことでもあったみたいだが、いい男でもいたのか。」

 

などと、いつもの通りうざい冗談を言います。

 

 「休暇を頂いて七日間すごしましたが、そんなようなことは私には無理ですよ。

 はるばる山を越えて旅をしましたが、可哀想な人なら見ましたね。」

 

 「ほう、どんな人だ。」

 

 そう聞かれても、ここで言うにも、まだ奥方に内緒にしてるようなことを言ってしまったら、奥方が後からそれを知ってまずいことになるんじゃないかと悩み悩んで、

 

 「今は申し上げられません。」

 

と言うと、他の女房たちもやって来たので、話はここで終わりにしました。

 

 大殿油(おおとなぶら)などを灯して、夫婦でともにくつろいでる姿はとても絵になります。

 

 奥方も二十七、八になったのでしょう。女盛りの大人の美しさが加わりました。

 

 何日か見なかっただけに、また一段と色香が増したように思えます。

 

 あの姫君の美貌も負けないと思ってたけど気のせいだったか、持ってる人とそうでない人とはやはり違うんだなと比べてしまいます。

 

 源氏の夫婦は寝所に入るということで、右近に足を撫でさせました。

 

 「若い人に頼むと不愉快だといって機嫌悪くするからな。

 年取ったもの同士の方が互いに事情も分かってて、多少仲良くしてても安心だからな。」

 

 そう言うと女房たちがくすくす笑い、

 

 「そうよね。

 誰も、そういうご奉仕自体には腹立てたりはしないわね。」

 「冗談で口説くようなこというから、やきもきするだけでね。」

 「うちの奴も年寄り同士でも、あまり親しそうにしてると機嫌悪くするからな。

些細なことと見過ごしてくれないから危なくって。」

 

 などと右近に言うと笑いました。

 

 その奥方もますます魅惑的にふるまい、こういう時の機知も身に着けていたのでしょう。

 

 今の朝廷の仕事からすると、そんなに忙しいわけでもなく、女性関係の方でもほとんど波風立たない状態で、ただしょうもない冗談を言ってはその反応を楽しんでは、こういう昔馴染みにも絡んでくるのでした。

 

 「そういや、あの探してた人が見つかったという、あれはどういう人なんだ?

 偉い修験者でも誘惑して連れて来たのか?」

 

 「まあ、人聞きの悪い。

 儚く消えてった夕顔の露のゆかりの人が見つかったのですよ。」

 

 「ほんと、あれは気の毒だった。年はいくつくらいだ?」

 右近は本当のことは言いにくく、

 

 「人知れぬ山里でした。

 昔馴染みも変わらずに仕えていたので、その頃の思い出話などをして、気持ちを抑えることができませんで。」

 

 すると耳元で、

 

 「そうか。事情を知らない人の前だからな。」

 

と言えば、奥方が、

 

 「何こそこそしてるの?

 眠いから聞こえるはずもないのに。」

 

 と言って袖で耳を塞ぎました。

 

 「で、見た目は昔の夕顔みたいな美人か?」

 

 「そこまで行かないと思ってたのでしたが、それはそれは立派に成長なされて。」

 

 「いいじゃないか。

 誰くらいの美人だ?

 うちの奴とか。」

 

 「さすがにそれほどでも。」

 

 「なんか相当いい女のようだな。

 俺に似ているなら先行き安泰だ。」

 

 そう父親にでもなったかのように言います。

 

 *

 

 この話を聞いてから源氏の大臣は右近だけを呼び寄せて、

 

 「ならばその人を近くに住まわせようと思う。

 もう長いこと何かのことあるごとに、行方がわからなくなったままになってること後悔混じりに思い出したりしてた。

 今となってこんなうれしい知らせを受けたのに、すぐさま住ませることができないのが残念だ。

 父の大臣に知らせる必要はない。

 あいつは子供がたくさんいててんやわんやだし、今急にそこに身分の低い者が加わっても、なかなか難しいんじゃないか。

 俺はこの通り暇を持て余しているし、知らない所から拾ってきたことにすれば良い。

 宮中の好き者どもをわくわくそわそわさせるネタにでもなるように、思いっきり大切に世話しよう。」

 

 そう言われると、何はともあれ大変嬉しいのですが、

 

 「それはお任せします。

 ただ、大臣に知らせなくても誰かが噂して伝わるものです。

 無下に死んでった者への代償として、ともかく姫君をお返しすることが罪を軽くすることだと思います。」

 

 「亡くなったのが俺のせいだというのかよ。」

 

と笑顔を崩さないまま涙がこぼれ出てきます。

 

 「ほんの一時の儚い関係となったことは悲しいし、その思いはずっと変わらない。

 今この六条に集められてる人たちの中にも、あの時ほど夢中になった人はいなかった。

 こうして長く生きて、俺の愛がいつまでも変わらないことを知ってる人も多い中で、それを伝えることもできずに右近だけを忘れ形見としてるのは辛いんだ。

 忘れたことなんてないし、娘がここに来てくれるなら、その願いが叶うような気がするんだ。」

 

 そう言って姫君への手紙を書きます。

 

 あの末摘花が手紙に不慣れだったことを思い出すと、同じように田舎で落ちぶれてた人がどんなだか不安ではあります。

 

 親になったかのように真面目に、それにふさわしいことを書いた後、

 

 「このように申すのは、

 

 知らなくてもいずれ知ります三島江に

    生える水草の筋の堅さを」

 

とあります。

 

 手紙は右近が自分で持って行って、源氏の言ったことなどを伝えました。

 

 装束や女房たちの使用する物などもいろいろ貰いました。

 

 奥方にも相談してくれたようです。

 

 御匣殿(みくしげどの:装束の縫製をする所)などにも準備するものを集めて、色や仕様の異なるものを選んでもらい、長く田舎暮らししてきた目にはなおさら珍しく思えるものばかりです。

 

 姫君自身はただ、「常陸帯のかごとのような」と、僅かなものでも本当の親の心遣いなら嬉しいものの、何で知らない人の家に入らなくてはいけないのかと、仄めかすように言って困っているようでしたが、右近にこうした方が良いということをいろいろ聞かされ、女房たちも、

 

 「源氏の所で立派に殿上人としての振る舞いを身につけたなら、父の大臣も探しあててくれるはずです。

 親子の関係というのは、長く離れてても終わるものではありません。」

 

 「右近様だってあなたを見つけ出す可能性がほとんどなかったのに、神仏の導きでこうなったじゃないですか。

 ですから、とにかくお互いに無事でいればどうにかなります。」

 

 そう口々に慰めました。

 

 まずは返歌をと促されて書きました。

 

 こんな田舎者がそんな、と恥ずかしがってましたが、中国製の紙に薫物をしたものを取り出してきて書かせました。

 

 「憂き草の筋といっても卑しくて

    何で今だに根を張っている」

 

 それだけです。

 

 字は弱々しく頼りなさそうですが、品が良くてそう悪くもないので源氏の君も安心しました。

源氏の大臣は六条院のどこに住むようにしようかと考えます。

 

 「南東の区画には空いている対はない。

 あれの居城のようなもので、人も多く目立ちすぎる。

 南西の中宮の区画はあの姫君が住むのにも静かでちょうどいいけど、中宮だけにお付きの人の中に埋もれてしまいそうだな。

 やや外れになるが東北の区画の西の対の書類置き場にしてるところを他に移して、と。

 花散る里だったら遠慮深く人当たりが良いので一緒に仲良く暮らしていけるんじゃないかな。」

 

 そう決めると、奥方にも今さらにあの昔の恋の話をしました。

 

 まだ秘密にしてたことがあったのと責められて、

 

 「しょうがないじゃないか。

 生きてる人のことだったら自分から話すところだけど、亡くなった人のことまでこういう時にちゃんと説明するのは、君のことを思ってのことだ。」

 

 そう言ってとても悲しそうに思い出します。

 

 「人から聞いた話なんだけど、たくさんの女を見てきたという人が、そんなに深い中でなくても女というものの情の深さをたくさん見てきて、それで浮気心は出すまいぞと思ってきたんだけど、思わずやってはいけないことをしてしまうことがあって、あれは可哀想な人で本当に可愛らしい人で、今も思い出すのも本当これだけなんだ。

 生きていたなら北西の区画に住む人なみには扱ってきた。

 人にはそれぞれ良い所があるんだ。

 鋭く尖ったような才気は感じられなくても、優雅な可愛らしさがあった。」

 

 「それでも明石なみに立てたりはしませんね。」

 

 やはり北西の御殿が特別なのはわかっていました。

 

 明石の姫君のいかにも可愛らしく、何のことかもわからず聞いてる様子がまたいじらしくて、納得のいくことでした。

 

 *

 

 こうした話は九月のことでした。

 

 引越しも簡単にはいかなかったようです。

 

 まずは良い童女や若い女房を探します。

 

 筑紫では京を飛び出してきたそこそこの身分の没落貴族を、伝手をたどって呼び集めて雇ってたものの、急遽脱出する際のごたごたでみんな残してきたので、今は誰もいません。

 

 京の街自体は広い所なので、街の女なんかから良さそうなのを見つけては引っ張ってきます。

誰の姫君かは伏せてました。

 

 五条の右近の家にまず姫君を密かに移動させ、そこで童女や女房の選考を行い、装束などを準備して十月に六条院にやって来ました。

 

 源氏の大臣は東北の区画の花散る里に事情を説明しました。

 

 「以前情けをかけていた人が世を儚んで、辺鄙な山里に隠棲してたんだけど、幼い女の子がいて、長いことこっそり探しに行ったりしてたんだけど見つからなくて、そうこうしてるうちにすっかり大人になってしまってたんだが、ひょんなことから居場所がわかって、それならこっちで引き取ろうということになったんだ。

 

 母も亡くなっていたし。

 

 倅の中将(あの侍従がいつの間にか出世してました)ともうまく行ったんだから、何とかなる。

 

 一緒に世話してやってくれ。

 

 山の木こりの子のように育ったから、粗雑な所も多いかもしれない。

 教えるべきことはその都度教えてってくれ。」

 

と詳しく話して聞かせました。

 

 「ほんと、そんな人がいたなんて初めて聞きました。

 姫君がお一人で暮らすのは寂しいことなので、良いことね。」

 

と静かに言いました。

 

 「その子の母親はとにかくいい人で珍しいくらいだった。

 あなたもきっと気に入ると思う。」

 「しっかりと面倒見なくてはいけない人がそんないるわけでもなかったし、退屈してたので嬉しいわ。」

 源氏の側の女房達は未婚の娘とは知らなくて、

 「誰?またどこかからか見つけてきたの?」

 「やっかいな年増女の世話なのかな。」

 

 などと噂してました。

 

 牛車三台ばかりの引っ越しで、随行する人も右近がいるので、そんな田舎臭くはありません。

 

 源氏の大臣から綾布やらなにやら頂いていましたから。

 

 その夜、すぐに源氏の大臣が訪ねてきました。

 

 女房たちも、昔は「光る源氏」なんて呼ばれてた人のことは噂に聞いたことはありましたが、何しろ長いこと都を離れて都のことがよくわからないので、その後のことも知らなかったので、ほのかな大殿油(おおとなぶら)に照らされ、几帳の隙間からわずかに見える姿には恐怖すら覚えたのでしょう。

 

 入口の戸を右近が開け放てば、

 

 「これからこの戸口に入る人は、特別な人になるんだな。」

 

と笑って廂(ひさし)の席に膝をついて座りました。

 

 「灯りが暗くて、何だか夜這いに来たみたいだな。

 親の顔はもっとよく見てみたいだろう。

 そう思わないか。」

 

 そう言って几帳を少し押しやります。

 

 恥ずかしくてしょうがなくて目を合わせようとしない様子が、なかなか感じ良くて嬉しくて、

 

 「もう少し明るくしてくれ。」

 

と言えば右近は大殿油を持ち上げて少し近くに寄せます。

 

 「恥ずかしがりだな。」

 

と少し笑います。

 

 確かに夕顔を彷彿させる目元は恥ずかしそうです。

 

 源氏の方は他人行儀に接することが全くなくて、いかにも親らしく、

 

 「長いことどこへ行ったかわからず、いつでも心のどっかに引っ掛かっててもやもやしてたんだ。

 こうして会うことができたなんて夢みたいなのに、昔のことを思うと気持ちが抑えられなくてうまく言えないんだが。」

と言って涙を拭います。

 

 本当に悲しそうに思い出します。

 

 あれから何年たったか数えて、

 

 「親子だというのに、こんな長く離れ離れになるなんてないだろう。

 前世の縁というのも残酷なものだ。

 今となっては何も知らないうぶな乙女でもないだろうし、これまでの話など聞いてみたいのに何を怖がっているんだ。」

 

と不満げに言うと、何を言うともなく恥ずかしがって、

 

 「まだよちよち歩きの頃から籠ってたので、はっきり覚えてません。」

 

と幽かに聞こえてくる声に、昔のあの人の幼い感じがまざまざと甦ってきます。

 

 にっこり笑って、

 

 「長く籠ってたのは悲しいことだけど、今は他でもないこの俺がいる。」

 

と言うと、こうした受け答えの態度もなくはないなと思いました。

 

 右近にこれからすべきことを命じて、去って行きました。

 

 悪くない反応が嬉しくて、奥方にも話して聞かせました。

 

 「どこかの山奥の家で長年暮してたんで、まあ相当残念な人なんだなと侮ってたら、却って俺の方が恥ずかしくなるくらいだった。

 

 こんな人がいるんだと宮中にも知らせて、兵部の卿の宮(かつての帥の宮)などがこの屋敷の中のことに興味津々だから、夢中にさせてやりたいもんだな。

 

 スケベな奴らがここに来ると何だか真面目くさってるのも、こういうネタになるような女がいなかったからだ。

 

 うまいこと良い相手を見付けたいな。

 

 真面目くさった顔が眼の色変えるのをたくさん見てみたいもんだ。」

 

 「何て親なの。

 まっ先にそんな人の心を煽るようなことを考えて。

 悪趣味ね。」

 

 「君だって、結婚してなければ、同じように良い相手を探してるさ。

 ほんとあとさき考えないことしちゃったもんだ。」

 

 そう言って笑う顔が赤くなって、二十年前の若造に戻ったみたいで笑えます。

 

 硯を引き寄せて習字のお稽古みたいに、

 

 変わらずに愛していたが玉かずら

    どの蔓たどりここにきたのか

 

 「可哀想なことをした。」

 

と、ひとりぽつりと呟いて、今さら本当に好きだった人の忘れ形見だと思いました。

 

 息子の中将にも、

 

 「こういう人が今度ここに来たから、気を使って訪ねていって仲良くしてくれ。」

 

と言えば、すぐに訪ねて行きました。

 

 「大した者ではないですけど、こういう者もここにいるのでと、何かあったらまっ先に呼んでください。

 引越しの時に手伝いに行けなくて‥。」

 

と真面目くさって挨拶するのが痛いなと、これまでのことを知ってる女房達は思いました。

 

 筑紫にいた頃も思いつく限りの趣向を凝らした住まいでしたが、今思えばどうしようもなく田舎臭くて、こことは比べ物にならないと思えることでしょう。

 

 調度装飾を始めとして、どれもこれも今風の高貴なもので、新しい親兄弟と仲良く暮らす姿は顔かたちだけでなく正視できないほど眩しく輝いていて、今の三条からすれば大宰府大弐など卑しく思えます。

 

 まして大夫の監の臭い息なんて思い出すのも忌まわしい限りです。

 

 豊後の介の選択がいかに得難いものだったかが姫君にも理解できたし、右近もそう思います。

 

 大雑把にやられては決断も鈍るということで、家司(けいし)を定める時にその資格をきちんと定め、身内の豊後の介も採用されました。

 

 長年田舎で苦労してきた人でしたが、突如の家司起用にすっかり報われ、本来なら立ち入ることも許されないような身分でありながら源氏の六条院に朝夕出入りして、部下までもって仕事を行うようになったのも本当に愉快です。

 

 源氏の大臣の配慮は細部にまで行き届いて有り難くほんと勿体ないくらいです。

 

 *

 

 年の暮れに新年の飾りや人々の装束など、自分の一族と同等にと考えていました。

 

 「そうは言っても田舎もんのことだ」と山奥の賤民か何かのように馬鹿にしたように思われても困ります。

 

 仕立て上がった物を持ってきた時に、我も我もと最高の技術で織って持ち込まれたたくさんの織物、若い女性の着るいろんな色の細長(ほそなが)や小袿(こうちぎ)などを眺めては、

 

 「それにしてもたくさんあるな。

 みんなに平等に分けてやれ。」

 

と奥方に言うと、それらの物と御匣殿(みくしげどの)で仕立てられた物を皆引っ張り出してきました。

 

 こうしたことは本当によくやってくれて、この世に二つとないような色合いや色つやのそれを見ると、誰にも代えがたい人だと敬服します。

 

 方々の擣殿(うちどの)から送られてきたきちんと糊を利かせて砧で打って艶を出したものを見比べて、深紫や赤のものをいろいろ選ばせて、御衣櫃(みそびつ)や衣筥(ころもばこ)に入れさせると、年配の上

 

 臈女房が来て、こっちは‥、あっちは‥と分け揃えます。

 

 奥方もそれを見て、

 

 「どれも優劣つけがたいものなので、着る人の容貌を考えて似あうものを渡すように。

 似合わないものを着せても間抜けだからね。」

 

と言えば源氏の大臣も笑いだして、

 

 「何気に人の容姿を秤にかけてないか。

 君自身はどうなんだ。」

 

 「小さな鏡で判断するのはちょっと。」

 

 さすがにきまり悪そうです。

 

 紅梅の深い浮き彫り模様のある海老染めの小袿(こうちぎ)にやや淡い紅の今様色の装束。

 

 それに桜襲(さくらがさね)の細長に艶やかな赤い掻練(かいねり)を組み合わせたのが明石の姫君の装束です。

 

 淡い青に波の模様の織物の織り方は清々しいが華やかさに欠けるので、思いっきり濃い掻練と組み合わせて花散る里に。

 

 曇りのない赤に山吹の花の細長が西の対に住む玉鬘の姫君に与えられるのを見て、紫の奥方は密かに想像します。

 

 「内大臣に華やかでああ美しいなと見せておいて、それほど上品に見えない所がそれっぽい。」

 

と、そんな計算をしてることは顔には出しませんが、源氏の大臣が見て、これはちょっとと思います。

 

 「何だよこのコーディネートは、喧嘩売ってるのか。

 まあ、物はいくら良くても所詮物にすぎない。だが人の容貌は悪くても味わいのあるものだ。」

 

 そう言ってあの末摘花の装束に、柳襲の織物の由緒ある唐草模様を乱れ織りにしてとにかく上品にまとめると、密かににやにや笑います。

 

 梅の枝に蝶や鳥が飛び交う中国のような白い小袿に、光沢のある濃い紫を重ねたものが明石の姫君の母の方に。

 

 想像される高貴な姿を紫の奥方は面白くなさそうです。

 

 空蝉の尼君には青味のある暗灰色の織物で、いかにもしっとりとしたものを見つけてきて、御料にあったクチナシの御衣(おんぞ)、許し色の薄紅を添えて、同じ日に来てもらおうということで、みんなに手紙を出して知らせました。

 

 つまりは、集まったみんなが似合ってるかどうか見たいわけです。

 

 みんなから返事がきました。

 

 使いの者はそれぞれ褒美の物を持ち帰りましたが、末摘花は二条院東院に残っていたので、離れた所ということでもう少し色を付けてくれても良い所を、律儀な人なので形式通りに山吹の袿(うちぎ)で袖口の黒ずんたものを上着だけ持って戻ってきました。

 

 手紙には香を薫いた陸奥紙の、古くなって黄ばんだ厚紙に、

 

 「さてさて賜るのはいかがなものと、

 

 着てみればうら見られての唐衣

 袖を濡らして返してやろう」

 

 筆跡もとにかく古風でした。

 

 とにかく苦笑いするしかなく、読み終えても手で握ったままで、奥方は何があったのかと覗き込みました。

 

 お使いの持ってきたものがあまりに侘しく痛いと思ってたところ、お使いの方も機嫌が悪そうだと見たのかいつのまにいなくなってました。

 

 そりゃひどいと、お使いに行った人たちはそれぞれの褒美のことを語り合っては笑ってました。

 

 こんなどうしようもなく古臭くて痛い女がまた余計なことをして、みんなどう対処すればいいのやら。

 

 源氏の大臣としても恥ずかしい限りです。

 

 「昔の歌人は『唐衣』に『袂を濡らす』といったテンプレから離れようとしない。

 まあ、俺も人のことは言えないが。

 古いパターンに縛られて、今流行の新しい言葉を認めないのがステータスだと思ってるからな困るんだよな。

 人が集まる節句や儀礼などの折に、偉い人の前で格式張って読む歌人はたいてその会を「まとゐ」という言葉を使って表す。

 昔の恋の贈答の面白いやり取りには、『あだびと‥』という五文字を真中の五文字の所に置いて、下七七でその人のことをいろいろ言うというのがパターンになってたのだろう。」

 

と言って笑います。

 

 「いろんな物語や歌枕を研究し尽くして、その中から言葉を取り出そうとすると、そこからできる歌なんて大体同じような歌になっちゃうもんだ。

 常陸の親王の書き残した紙屋紙(こうやがみ)の草子は、娘の末摘にこれを読めと言って書かれたもので読ませてもらったけどな。

 和歌の『何ちゃら髄脳』なんていっても視野が狭く、やっちゃいけないことばかり書き連ね、元から時代遅れな人間をますます身動き取れないように縛りつけるもんで、うんざりして突っ返した。

 そういうのを勉強しちゃった人の歌は、大体こんなもんだろう。」

 

 そうやって笑われてるあたり、残念な人です。

 

 奥方は真顔になって、

 

 「なんでその本返しちゃったの。

 写本にして姫君にも見せてあげれば良かったのに。

 ここにもそうした本がないわけでもないけど、みんな虫が食っているじゃない。

 見てない人はそこにすら行き付けないでしょ。」

 

 「姫君の学問には必要のないものだ。

 大体女ってのはな、何か好きな一つのものを極めるなんて見た目が悪い。

 何一つ興味がないというのも残念だが。

 ただ芯の部分をしっかり持って、流されないように腰を据えて、穏やかにしているのが安心できる。」

 

 そんなことを言いつつ、返事を書こうとしないので、

 

 「『返してやろう』と言ってるんだから、このまま返されたままというのも野暮じゃない?」

と返事を促します。

 

 容赦なくそう言われて書きました。

 

 気分がすっきりしたみたいです。

 

 「返そうというのはそれ着て独り寝の

    夢に出てきてくれというのか

 

 納得。」

 

 そう書かれてました。