「雪おれや」の巻、解説

初表

 雪おれやむかしに帰る笠の骨   (しょう)()

   落葉は土にうづむ下駄の歯  一朝(いっちょう)

 はきだめはあたかも軒の山と見て 志計(しけい)

   (ひら)()に雲を(わく)舟入(ふないり)     在色(さいしき)

 浪風もあたりをはらふ御成先(おなりさき)   (ぼく)(せき)

   すかぬやつめが訴状(そじゃう)一通(いっつう)   (いっ)(てつ)

 新田場(しんでんば)人をとまれな今朝の月   (しょう)(きゅう)

   小家(こいへ)三つ四つむすぶしら露  (せっ)(さい)

 

初裏

 きりぎりす念仏講(ねんぶつかう)にこゑそへて  正友(せいゆう)

   ()しめその外萩の花など   執筆(しゅひつ)

 はるばると野路(のぢ)の玉川()()見廻(みまひ)  一朝

   入魂(じっこん)(なか)勢田(せた)の長橋     松意

 俵一つ御無心(まうす)かねのこゑ      在色

   大雨にはかよその夕暮    志計

 ほととぎす万民(ばんみん)(これ)賞玩(しゃうくわん)す   一鉄

   (はな)()をここにうける(さかづき)   卜尺

 小刀の峰より月のかけ(おち)て    雪柴

   (しな)(だま)とりや夜寒(よさむ)なるらむ   松臼

 渡る(かり)そも神変(しんぺん)はいさしらず   松意

   ()羽田(ばた)(おも)の虫のまじなひ  正友

 庭の花伏見(ふしみ)の山をねこぎにて   卜尺

   霞にむせぶうけ出され者   一朝

 

 

二表

 春やむかし忘れ形見の革つづら  志計

   なんだ足袋屋(たびや)板敷(いたじき)(おつ)   在色

 ごみほこりうき名つもりて高崎(たかさき)や 松臼

   いのる妙喜(めうぎ)の山おろしふく  一鉄

 手あやまち三尺(ばかり)もえ(あが)リ      雪柴

   ゆがみをなをす棒は真二つ  松意

 人らしき心もたずばもたせうぞ  正友

   所帯(しょたい)(わけ)てうさもつらさも  卜尺

 世の中はへんてつ(いち)()かるい事  一朝

   あかつきおきの瓢箪(へうたん)の音   志計

 小便やしばらく月にほととぎす  在色

   病目(やみめ)もはるる夏山の雲    松臼

 涼風(すずかぜ)や峰ふき送る薬師堂     一鉄

   かけ(たてまつ)る虎やうそぶく   雪柴

 

二裏

 花生(はないけ)はもとこれ竹の林より    松意

   相客(あひきゃく)七人はるのあけぼの   正友

 比丘尼(びくに)宿(やど)はやきぬぎぬに帰る(かり)  卜尺

   かはす誓紙のからす鳴也(なくなり)   一朝

 (つい)(これ)死尸(しかばね)さらす(しゅ)道事(だうごと)    志計

   豆腐のぐつ()夢かうつつか  在色

 す行者(ぎゃうざ)もこよひは(ここ)にかり枕   松臼

   番場(ばんば)とふげはつもる大雪   一鉄

 駒とめて佐保山(さほやま)の城(うち)ながめ   雪柴

   朝日にさはぐはし台の波   松意

 (こけ)むすぶ石を袂に(さて)こそな    正友

   子どもの小鬢(こびん)かぜぞ(すぎ)ゆく  卜尺

 伽羅(きゃら)のあぶらかほる芝ゐの月(あけ)て 一朝

   川原(かはら)おもての貝がらの露   志計

 

 

三表

 目前(もくぜん)にうつす二見(ふたみ)の秋の景    在色

   反平(はんひゃう)をふむちどりなく(なり)   松臼

 山家おち(いも)がり(ゆけ)小夜更(さよふけ)て   一鉄

   諸行(しょぎゃう)無常(むじゃう)とひびくかね(こと)  雪柴

 (つけ)ざしの口に飛込(とびこむ)気色(けしき)あり    松意

   蠅にならひて君に手をする  正友

 はげあたま(かぶと)をぬいて旗を(まき)   卜尺

   名は末代の分別(ぶんべつ)どころ    一朝

 有明(ありあけ)の月の夜すがら発句(ほっく)(ちゃう)    志計

   京都大坂江戸の秋風     在色

 穀物の相場さだめぬ(つゆ)時雨(しぐれ)    松臼

   (まづ)算盤(そろばん)に虫のかけ声     一鉄

 綱うらは麓の野辺に御影石(みかげいし)    雪柴

   何(ゐん)殿(でん)の法事なる(らん)     松意

 

三裏

 籠払(ろうばら)ひそれらが命拾ひもの     正友

   (つの)のはへてや来る伝馬(でんま)(ちゃう)   卜尺

 胸の火をかな輪にもやす亭女(ていをんな)   一朝

   (わかれ)はの酒寒いにま一つ     志計

 長枕(ながまくら)()(はだ)の雪の朝ぼらけ     在色

   (まち)くたびれてうぐひすの声  松臼

 峰の雲花とおどろく番太郎    一鉄

   人丸(ひとまろ)が目やかすむ焼亡(ぜうまう)    雪柴

 年月(としつき)と送る(わら)()のめし時分(じぶん)    松意

   つとめの経やすみの衣手(ころもで)   正友

 うき世かなおくれ先だつ夫婦中(めをとなか)  卜尺

   大和(やまと)の国になみだ雨ふる   一朝

 悋気(りんき)にや宇野(うの)が一党さはぐらん  志計

   月に向ひて恋の先がけ    在色

 

 

名残表

 (ふみ)づかひ(ゆふべ)の露を七の図まで    松臼

   木刀のすゑ尾花(をばな)波よる    一鉄

 一流(いちりう)のむさしの広く(おぼえ)たり    雪柴

   千家(せんけ)万家(ばんけ)(わく)る水道     松意

 (くだ)(ざけ)名酒にてなどなかるべき  正友

   大江山よりすゑのかし(ぐら)   卜尺

 踏分(ふみわけ)生野(いくの)の道の鼠くそ     一朝

   (ささ)(まくら)にぞたてしあら(つば)    志計

 鎗持(やりもち)や夢もむすばぬ(たま)(あられ)     在色

   口舌(くぜつ)に中は不破(ふは)の関守     松臼

 (とし)()たる杉の木陰(こかげ)()合宿(あひやど)     一鉄

   いかに(まち)みむ魚くらひ坊    雪柴

 一休(いっきう)を真似そこなひし胸の月   松意

   三文(さんもん)もせぬ筆津(ふでつ)(むし)なく    正友

 

 

名残裏

 智恵づけや(まづ)小学の窓の露    卜尺

   薬をきざむ町の呉竹(くれたけ)     一朝

 箱根路を(わが)(こえ)来れば子をうむ音  志計

   (きつ)にばかされ(あけ)てくやしき  在色

 (まち)ぼうけまつ毛のかはく(ひま)もなし 松臼

   思ひの色や辰砂(しんしゃ)なる(らん)     正友

 玉垣の花をささげていのり事   雪柴

   女性(にょしゃう)一人(いちにん)広前(ひろまへ)の春     一鉄

 

     参考;『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)

初表

発句

 

 雪おれやむかしに帰る笠の骨   (しょう)()

 

 竹の骨のあるのは(から)(かさ)だろう。雪の重みで折れてしまうと、ただの竹の棒になる。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

 

   雪おれやむかしに帰る笠の骨

 落葉は土にうづむ下駄の歯    一朝(いっちょう)

 (雪おれやむかしに帰る笠の骨落葉は土にうづむ下駄の歯)

 

 笠は竹に帰り、落葉は土に帰る。

 下駄の歯で踏みつけられた落葉は細かく砕けて土へと帰って行く。

 

季語は「落葉」で冬。「下駄」は衣裳。

 

第三

 

   落葉は土にうづむ下駄の歯

 はきだめはあたかも軒の山と見て 志計(しけい)

 (はきだめはあたかも軒の山と見て落葉は土にうづむ下駄の歯)

 

 ごみ捨て場には壊れた下駄の歯などのごみと一緒に、掃き集められた落葉がうずたかく積まれ山のようになっている。

 

無季。「軒」は居所。「山」は山類。

 

四句目

 

   はきだめはあたかも軒の山と見て

 (ひら)()に雲を(わく)舟入(ふないり)       在色(さいしき)

 (はきだめはあたかも軒の山と見て平太に雲を分る舟入)

 

 平太は「ひらた」とルビがあり、ここでは平田船のこと。物資の輸送に用いられる船で、大きな川は平田船、小さな川は高瀬舟が用いられる。

 ここではごみを運んでいるのだろう。平田船には小さな屋根のついた小屋があり、その軒端の山になる。

 

無季。「平太」は水辺。「雲」は聳物。「舟人」は水辺、人倫。

 

五句目

 

   平太に雲を分る舟入

 浪風もあたりをはらふ御成先(おなりさき)   (ぼく)(せき)

 (浪風もあたりをはらふ御成先平太に雲を分る舟入)

 

 御成(おなり)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「御成」の解説」に、

 

 「① 宮家、摂家、将軍など貴人が外出することや訪ねて来ることをいう尊敬語。また、神輿(みこし)の渡御についてもいう。おでまし。来臨。おんなり。

  ※花営三代記‐応永二八年(1421)正月二日「管領へ〈細川右京大夫入道道観〉御成」

  ② 大事な人・客などがやって来ることを、冗談めかしていう。

  ※浮世草子・傾城色三味線(1701)大坂「揚屋から人橋かけて、盛砂せぬばかり、追付是へおなりと」

 

とある。

 平田船は大きな船なので貴人が乗ることもあったのだろう。その場合浪風(なみかぜ)も露払いのように、「おなーりー、おなーりー」と言っているみたいだ。

 

無季。「浪風」は水辺。

 

六句目

 

   浪風もあたりをはらふ御成先

 すかぬやつめが訴状(そじゃう)一通(いっつう)     (いっ)(てつ)

 (浪風もあたりをはらふ御成先すかぬやつめが訴状一通)

 

 いつも波風ばかり立てている嫌な奴。訴えてやると訴状を持って御成先へと向かう。

 

無季。「やつ」は人倫。

 

七句目

 

   すかぬやつめが訴状一通

 新田場(しんでんば)人をとまれな今朝の月   (しょう)(きゅう)

 (新田場人をとまれな今朝の月すかぬやつめが訴状一通)

 

 人音稀な。大きな新田には人の姿もなく朝の月が照らしている。

 新田開発を廻って訴訟を起こした漁師たちか。

 

季語は「今朝の月」で秋、天象。

 

八句目

 

   新田場人をとまれな今朝の月

 小家(こいへ)三つ四つむすぶしら露    (せっ)(さい)

 (新田場人をとまれな今朝の月小家三つ四つむすぶしら露)

 

 新田には家が三つ四つ立ち並び、今朝の月に白露を添える。

 

季語は「しら露」で秋、降物。「小家」は居所。

初裏

九句目

 

   小家三つ四つむすぶしら露

 きりぎりす念仏講(ねんぶつかう)にこゑそへて  正友(せいゆう)

 (きりぎりす念仏講にこゑそへて小家三つ四つむすぶしら露)

 

 念仏講はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「念仏講」の解説」に、

 

 「① 念仏を行なう講。念仏を信ずる人達が当番の家に集まって念仏を行なうこと。後に、その講員が毎月掛金をして、それを講員中の死亡者に贈る弔慰料や、会食の費用に当てるなどする頼母子講(たのもしこう)に変わった。

  ※俳諧・新続犬筑波集(1660)一「はなのさかりに申いればや 千本の念仏かうに風呂たきて〈重明〉」

  ② (①で、鉦(かね)を打つ人を中心に円形にすわる、または大数珠を回すところから) 大勢の男が一人の女を入れかわり立ちかわり犯すこと。輪姦。

  ※浮世草子・御前義経記(1700)三「是へよびて歌うたはせ、小遣銭少しくれて、念仏講(ネンブツカウ)にせよと」

 

とある。ここは①の意味。三四件集まってのささやかな念仏講で、コオロギが辺りで鳴いている。

 

季語は「きりぎりす」で秋、虫類。釈教。

 

十句目

 

   きりぎりす念仏講にこゑそへて

 ()しめその外萩の花など     執筆(しゅひつ)

 (きりぎりす念仏講にこゑそへて煮しめその外萩の花など)

 

 念仏講には煮しめ、コオロギには萩の花を添える。

 

季語は「萩の花」で秋、植物、草類。

 

十一句目

 

   煮しめその外萩の花など

 はるばると野路(のぢ)の玉川()()見廻(みまひ)  一朝

 (はるばると野路の玉川留守見廻煮しめその外萩の花など)

 

 野路の玉川はコトバンクの「デジタル大辞泉「野路の玉川」の解説」に、

 

 「六玉川の一。滋賀県草津市野路町にあった小川。萩の名所。[歌枕]

 「明日もこむ萩こえて色なる波に月やどりけり」〈千載・秋上〉」

 

とある。萩の玉川ともいう。

 野路の玉川の留守番に来た人が煮しめを食ってという、花より団子ネタ。

 

無季。「野路の玉川」は名所、水辺。

 

十二句目

 

   はるばると野路の玉川留守見廻

 入魂(じっこん)(なか)勢田(せた)の長橋       松意

 (はるばると野路の玉川留守見廻入魂中の勢田の長橋)

 

 入魂(じっこん)昵懇(じっこん)と同じで懇意にしていること。

 留守番のためにわざわざ野路の玉川まで来てくれる人というのは懇意にしている人で、勢田の長い唐橋(からはし)を渡ってくる。

 

無季。「瀬田の長橋」は名所、水辺。

 

十三句目

 

   入魂中の勢田の長橋

 俵一つ御無心(まうす)かねのこゑ    在色

 (俵一つ御無心申かねのこゑ入魂中の勢田の長橋)

 

 懇意の仲だと言いながら米の無心にやってくる。三井寺の鐘を添える。

 

無季。

 

十四句目

 

   俵一つ御無心申かねのこゑ

 大雨にはかよその夕暮      志計

 (俵一つ御無心申かねのこゑ大雨にはかよその夕暮)

 

 前句の俵を土嚢のこととしたか。

 

無季。「大雨にはか」は降物。

 

十五句目

 

   大雨にはかよその夕暮

 ほととぎす万民(ばんみん)(これ)賞玩(しゃうくわん)す   一鉄

 (ほととぎす万民是を賞玩す大雨にはかよその夕暮)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『高砂(たかさご)』の、

 

 「中にもこの松は、(ばん)(ぼく)にすぐれて、十八(しうはツ)(こお)(よそお)ひ、千秋(せんしう)の緑をなして、古今(ここん)の色を見ず。()(こお)御爵(おんしゃく)に、あづかる程の木なりとて異国にも、本朝(ほんちょお)にも万民(ばんみん)これを賞翫(しょおくわん)す。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.102). Yamatouta e books. Kindle .

 

を引いている。

 この場合その前の、

 

 「然るに、長能(ちょおのお)が言葉にも、有情(うじょお)非情(ひじょお)のその声みな歌に漏るる事なし。草木土沙(そおもくどしゃ)風声(ふうせい)水音(すゐおん)まで万物のこもる心あり。春の林の東風(とおふう)に動き秋の虫の、北露(ほくろ)に鳴くも皆・和歌の姿ならずや。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.102). Yamatouta e books. Kindle .

 

が重要で、つまり万物(みな)歌だという所で、にわかに大雨が降ってもそれに構わず鳴く(ほとと)(ぎす)の声は歌だという所で万民是を賞玩する。

 日本人は自然の音を言語脳で聞く能力を持っているという。

 雨の時鳥は、

 

 五月雨の空もとどろに郭公(ほととぎす)

     何を憂しとかよただ鳴くらむ

              紀貫之(古今集)

 郭公雲路に惑ふ声すなり

     小止みだにせよ五月雨の空

              (みなもとの)(つね)(のぶ)(金葉集)

 

などの歌に詠まれている。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。

 

十六句目

 

   ほととぎす万民是を賞玩す

 (はな)()をここにうける(さかづき)     卜尺

 (ほととぎす万民是を賞玩す花柚をここにうける盃)

 

 花柚はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「花柚」の解説」に、

 

 「〘名〙 (ゆず)の一種。果実は柚よりも小さく、花・莟・果実の皮の切片を酒や吸い物に入れたり、料理の付け合わせに用いたりしてその香気を賞する。はなゆず。《季・夏》

  ※浮世草子・好色一代男(1682)三「たばね牛蒡に花柚(ハナユ)などさげて」

 

とある。

 郭公というと橘だが、同じ柑橘の花柚にして、その酒の味を万民賞玩す。

 

季語は「花柚」で夏、植物、木類。

 

十七句目

 

   花柚をここにうける盃

 小刀の峰より月のかけ(おち)て    雪柴

 (小刀の峰より月のかけ落て花柚をここにうける盃)

 

 花柚を切る小刀の刃のない方の「峰」に掛けて「峰より月」として、花柚の実がまっ二つに切られるのを「欠け落ちて」とする。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「峰」は山類。

 

十八句目

 

   小刀の峰より月のかけ落て

 (しな)(だま)とりや夜寒(よさむ)なるらむ     松臼

 (小刀の峰より月のかけ落て品玉とりや夜寒なるらむ)

 

 品玉とりは品玉師のことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「品玉師」の解説」に、

 

 「〘名〙 品玉の曲芸を演ずる者。手品師。曲芸師。品玉使い。品玉取り。

  ※雑俳・天神花(1753)「取まいて・人でかきしたしなだまし」

 

とある。その品玉は、「精選版 日本国語大辞典「品玉」の解説」に、

 

 「① 猿楽、田楽などで演ずる曲芸。いくつもの玉や刀槍などを空中に投げて巧みに受け止めて見せるもの。転じて、広く手品や奇術の類をいう。〔新猿楽記(106165頃)〕」

 

とある。ジャグリングの一種と言えよう。

 小刀を用いたジャグリングで、名月の宴などには呼ばれたりするが、月が欠けて行くと仕事もなくなり懐も寒くなる。

 

季語は「夜寒」で秋、夜分。「品玉とり」は人倫。

 

十九句目

 

   品玉とりや夜寒なるらむ

 渡る(かり)そも神変(しんぺん)はいさしらず   松意

 (渡る雁そも神変はいさしらず品玉とりや夜寒なるらむ)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『海人(あま)』の、

 

 「かの海底(かいてい)に飛び()れば、空は一つに雲の波、(けむり)の波を(しの)ぎつつ、(かい)漫漫(まんまん)と分け入りて、直下(ちょツか)と見れども底もなく、(ほとり)も知らぬ海底に、そも神変(じんぺん)()いさ知らず、取り得ん事は不定(ふじょお)なり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.4167). Yamatouta e books. Kindle .

 

を引いている。

 この最後の「取り得ん事は」は竜が海底に持ち去った宝珠をいう。それを踏まえるなら、品玉師のどんな難しい玉も「取り得ん事はない」という自負と言えよう。

 

季語は「渡る雁」で秋、鳥類。

 

二十句目

 

   渡る雁そも神変はいさしらず

 ()羽田(ばた)(おも)の虫のまじなひ    正友

 (渡る雁そも神変はいさしらず鳥羽田の面の虫のまじなひ)

 

 鳥羽田は鴨川下流域から宇治川北岸の鳥羽の田んぼで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鳥羽田」の解説」に、

 

 「[2] (「とばだ」とも) ()にあった田。歌枕。

  ※新古今(1205)秋下・五〇三「大江山かたぶく月の影さえてとばだの面に落つるかりがね〈慈円〉」

 

とある。

 用例の慈円の歌を踏まえて、鳥羽田の田面(たおも)に降りて来る雁も知らないのま虫よけのまじないの神変、とする。

 

季語は「虫」で秋、虫類。「鳥羽田」は名所。

 

二十一句目

 

   鳥羽田の面の虫のまじなひ

 庭の花伏見(ふしみ)の山をねこぎにて   卜尺

 (庭の花伏見の山をねこぎにて鳥羽田の面の虫のまじなひ)

 

 ねこぎは根こそぎということ。

 鳥羽田から伏見の花の庭まで根こそぎ虫の害が出ているので、虫除けのまじないを行う。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「庭」は居所。「伏見の山」は名所、山類。

 

二十二句目

 

   庭の花伏見の山をねこぎにて

 霞にむせぶうけ出され者     一朝

 (庭の花伏見の山をねこぎにて霞にむせぶうけ出され者)

 

 うけ出はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「請出」の解説」に、

 

 「① 借り金を払って、質にはいっているものを引き取る。請け戻す。請け返す。〔日葡辞書(160304)〕

  ② 身代金と負債とを抱え主に支払って、遊女や芸妓を自由の身とする。身請けをする。請け返す。〔日葡辞書(160304)〕

  ※評判記・色道大鏡(1678)二「傾城をうけ出す事、男の大功に似たりといへども、頗る陽気の沙汰なり」

 

とある。

 ここは②の意味で、伏見の遊女を根こそぎ身請けされてしまい、遊女の居なくなった茶屋は煙に巻かれたようだ。

 

季語は「霞」で春、聳物。

二表

二十三句目

 

   霞にむせぶうけ出され者

 春やむかし忘れ形見の革つづら  志計

 (春やむかし忘れ形見の革つづら霞にむせぶうけ出され者)

 

 忘れ形見の大切な形見の革葛籠をやっとのことで借金を返して取り戻して、ただ涙。

 

 面影の霞める月ぞ宿りける

     春や昔の袖の涙に

              (しゅん)成女(ぜいのむすめ)(新古今集)

 

の歌を踏まえる。

 

季語は「春」で春。

 

二十四句目

 

   春やむかし忘れ形見の革つづら

 なんだ足袋屋(たびや)板敷(いたじき)(おつ)     在色

 (春やむかし忘れ形見の革つづらなんだ足袋屋が板敷に落)

 

 「なんだ」は涙。

 『伊勢物語』四段の、

 

 「泣きながら泣きながら、荒れ果てた板敷に、月が西に傾くまで横になって、去年を思い出して歌を、

 

 月やあらぬ春や昔の春ならぬ

     わが身は一つもとの身にして」

 

を踏まえるが、忘れ形見の革(つづ)()に涙して板敷に横になってるのは足袋屋だった。革葛籠の中味は商品の足袋だったのだろう。

 

無季。「足袋屋」は人倫。

 

二十五句目

 

   なんだ足袋屋が板敷に落

 ごみほこりうき名つもりて高崎(たかさき)や 松臼

 (ごみほこりうき名つもりて高崎やなんだ足袋屋が板敷に落)

 

 高崎は足袋の生産地で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「高崎足袋」の解説」に、

 

 「〘名〙 群馬県高崎地方で産出した刺足袋。足首の部分の高さが低いもの。

  ※浮世草子・好色一代男(1682)二「高崎足袋(タカサキタビ)つつ短かに、がす雪踏をはき」

 

とある。

 まあ、田舎の方で作っている足袋だから、いろいろけなされたりしてたのか。さては他所(よそ)の足袋屋の陰謀か。

 なお、行田足袋はウィキペディアに、

 

 「行田足袋の発祥は『貞享年間亀屋某なる者専門に営業を創めたのに起こり』と伝わり、文献では享保年間(1716年〜1735年)頃の『行田町絵図』に3軒の足袋屋が記されている」

 

とあり、この時代はまだなかったから白。

 

無季。

 

二十六句目

 

   ごみほこりうき名つもりて高崎や

 いのる妙喜(めうぎ)の山おろしふく    一鉄

 (ごみほこりうき名つもりて高崎やいのる妙喜の山おろしふく)

 

 妙喜の山は妙義山。同じ上州の山。妙義神社に祈るが、激しかれとは祈っていない。

 本歌はもちろん、

 

 憂かりける人を初瀬の山おろしよ

     はげしかれとは祈らぬものを

              源俊頼(みなもとのとしより)(千載集)

 

になる。

 

無季。「山おろし」は山類。

 

二十七句目

 

   いのる妙喜の山おろしふく

 手あやまち三尺(ばかり)もえ(あが)リ    雪柴

 (手あやまち三尺計もえ揚リいのる妙喜の山おろしふく)

 

 「手あやまち」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手過」の解説」に、

 

 「〘名〙 あやまち。過失。そそう。特に、失火をいう。そそう火。てあいまち。

  ※平家(13C前)一一「昼で候へば、手あやまちではよも候はじ」

 

とある。

 護摩を焚いて祈ったのだろう。山おろしの風にあおられて一メートルの炎が揚がる。

 妙義神社も昔は神仏習合で別当がいた。

 

無季。

 

二十八句目

 

   手あやまち三尺計もえ揚リ

 ゆがみをなをす棒は真二つ    松意

 (手あやまち三尺計もえ揚リゆがみをなをす棒は真二つ)

 

 曲がった棒を火で炙って直そうとしたら燃えてしまった。

 前句の「手あやまち」を文字どうり手元を誤って、とする。

 

無季。

 

二十九句目

 

   ゆがみをなをす棒は真二つ

 人らしき心もたずばもたせうぞ  正友

 (人らしき心もたずばもたせうぞゆがみをなをす棒は真二つ)

 

 三十棒で人らしき心を持たせようとしたが、そこは人外さんのことで棒が簡単に真っ二つになる。なかなか手強い。

 

無季。「人」は人倫。

 

三十句目

 

   人らしき心もたずばもたせうぞ

 所帯(しょたい)(わけ)てうさもつらさも    卜尺

 (人らしき心もたずばもたせうぞ所帯を分てうさもつらさも)

 

 前句の「人らしき」を人並みのという意味にして、所帯から独立させて人並みの苦労をさせようとする。昔から「こどおじ」っていたのだろう。

 

無季。

 

三十一句目

 

   所帯を分てうさもつらさも

 世の中はへんてつ(いち)()かるい事  一朝

 (世の中はへんてつ一衣かるい事所帯を分てうさもつらさも)

 

 へんてつは(へん)(とつ)で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「褊綴・褊裰」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「とつ」は「綴」「裰」の慣用音) 法衣の一種。ともに僧服である偏衫(へんさん)と直綴(じきとつ)とを折衷して、十徳のように製した衣。主に空也宗の鉢叩の法衣であったが、江戸時代には羽織として医師や俗人の剃髪者などが着用した。へんてつ。〔文明本節用集(室町中)〕

  ※狂歌・古今夷曲集(1666)一〇「よわみなくかたしないしな禅門はまだ幾年かへんとつをきん」

 

とある。

 医者など、今でいう自由業の象徴なのだろう。俳諧師もこれに含まれるか。芭蕉の門人も医者や医者の息子が多い。

 

無季。「へんとつ一衣」は衣裳。

 

三十二句目

 

   世の中はへんてつ一衣かるい事

 あかつきおきの瓢箪(へうたん)の音     志計

 (世の中はへんてつ一衣かるい事あかつきおきの瓢箪の音)

 

 前句を鉢叩きとする。鉢叩きは俗形(ぞくぎょう)俗名(ぞくみょう)で、普段や茶筌売(ちゃせんうり)などをやっている。

 

無季。

 

三十三句目

 

   あかつきおきの瓢箪の音

 小便やしばらく月にほととぎす  在色

 (小便やしばらく月にほととぎすあかつきおきの瓢箪の音)

 

 年末の鉢叩きのこっこっこっこという音は、一瞬冬にホトトギスが鳴いたのかと思う。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。「月」は夜分、天象。

 

三十四句目

 

   小便やしばらく月にほととぎす

 病目(やみめ)もはるる夏山の雲      松臼

 (小便やしばらく月にほととぎす病目もはるる夏山の雲)

 

 夏の青葉は目に良いと言われている。後の貞享の頃になるが、

 

 若葉して御目(おんめ)の雫ぬぐはばや   芭蕉

 

の句もある。

 ホトトギスに夏山が付く。

 

季語は「夏山」で夏、山類。「雲」は聳物。

 

三十五句目

 

   病目もはるる夏山の雲

 涼風(すずかぜ)や峰ふき送る薬師堂     一鉄

 (涼風や峰ふき送る薬師堂病目もはるる夏山の雲)

 

 目が治るということで薬師堂を付ける。

 ウィキペディアに、

 

 「江戸近郊の江戸幕府2代将軍徳川秀忠の五女で後水尾天皇中宮の和子(東福門院)が当寺の薬師如来に眼病平癒を祈願したところ、たちまち回復したとされることから、特に眼病治癒の利益(りやく)に関して有名になった。新井薬師は目の薬師として知られている。」

 

とある。

 ただ、山の近くとは言えないが。

 

季語は「涼風」で夏。釈教。「峰」は山類。

 

三十六句目

 

   涼風や峰ふき送る薬師堂

 かけ(たてまつ)る虎やうそぶく     雪柴

 (涼風や峰ふき送る薬師堂かけ奉る虎やうそぶく)

 

 虎は薬師如来の化身だという。そのため寅の日にお参りしたり、寅年に開帳したりする。

 また、「虎うそぶけば風生ず」という諺があり、コトバンクの「故事成語を知る辞典「虎嘯けば風生ず」の解説」に、

 

 「時勢の変化に乗じて、英雄が活発に活動を始めることのたとえ。

  [由来] 「北史張定和伝・論」の一節から。「虎嘯きて風生じ、竜騰のぼりて雲起こる。英雄の奮発も、亦また各々時に因る(虎が吠えるときには風が吹き、竜が飛び立つときには雲が湧き出る。英雄の出現も、風や雲のような時勢があって可能になるのだ)」とあります。」

 

とある。

 峰から吹き下ろす涼風は、虎に化身した薬師様が(うそぶ)いたから、とする。

 

無季。「虎」は獣類。

二裏

三十七句目

 

   かけ奉る虎やうそぶく

 花生(はないけ)はもとこれ竹の林より    松意

 (花生はもとこれ竹の林よりかけ奉る虎やうそぶく)

 

 

 竹林の虎は画題の定番。由来はよくわからない。

 花を生ける一輪挿しの竹も元は竹林から取って来るもので、それに掛け軸の虎を合わせる。

 

季語は「花生」で春、植物、木類。「竹」植物で木類でも竹類でもない。

 

三十八句目

 

   花生はもとこれ竹の林より

 相客(あひきゃく)七人はるのあけぼの     正友

 (花生はもとこれ竹の林より相客七人はるのあけぼの)

 

 竹林と言えば竹林の七賢、 (げん)(せき)(けい)(こう)山濤(さんとう)(しょう)(しゅう)(りゅう)(れい)阮咸(げんかん)(おう)(じゅう)だが、本物なのか、それともたまたま七人の客が来たというだけか。

 

季語は「はる」で春。「相客七人」は人倫。

 

三十九句目

 

   相客七人はるのあけぼの

 比丘尼(びくに)宿(やど)はやきぬぎぬに帰る(かり)  卜尺

 (比丘尼宿はやきぬぎぬに帰る鴈相客七人はるのあけぼの)

 

 比丘尼はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「比丘尼」の解説」に、

 

 「① (bhikuī bhikkhunī の音訳。苾蒭尼(びっしゅに)とも音訳する) 仏語。出家して具足戒(三四八戒)を受けた女子。尼。びくにん。

  ※書紀(720)敏達六年一一月「百済の国の王、還使大別王等に付て、経論若干巻并て律師、禅師、比丘尼(ヒクニ)、呪禁師、造仏工、造寺工、六人を献る」

  ② 歌比丘尼・熊野比丘尼・絵解(えとき)比丘尼など、尼の姿をして諸国を巡り歩いた一種の芸人。中世から江戸時代ごろまで続き、江戸時代には、尼の姿で売春をした下級の私娼をもいう。びくにん。

  ※仮名草子・東海道名所記(165961頃)二「酒などすこしづつ、のみける処に、比丘尼(ビクニ)ども一二人いで来て、哥をうたふ」

  ③ 良家の子女の外出につきそってその過失を身にひきうける尼。科負(とがおい)比丘尼。

  ※浮世草子・好色五人女(1686)三「十五六七にはなるまじき娘、母親と見えて左の方に付、右のかたに墨衣きたるびくにの付て」

 

とある。ここでは②の意味で、一晩に七人の客を取って、明け方にみんな雁のように列になって帰って行く。戦時中の従軍慰安婦みたいで、合戦の前とかにありそうだ。

 

季語は「帰る鴈」で春、鳥類。恋。

 

四十句目

 

   比丘尼宿はやきぬぎぬに帰る鴈

 かはす誓紙のからす鳴也(なくなり)     一朝

 (比丘尼宿はやきぬぎぬに帰る鴈かはす誓紙のからす鳴也)

 

 誓紙は起請文(きしょうもん)に同じ。あなただけですよと形だけの誓いを文章にして客みんなに渡す。カラスがあきれて鳴いている。

 

無季。恋。「からす」は鳥類。

 

四十一句目

 

   かはす誓紙のからす鳴也

 (つい)(これ)死尸(しかばね)さらす(しゅ)道事(だうごと)     志計

 (終は是死尸さらす衆道事かはす誓紙のからす鳴也)

 

 衆道の三角関係がしばしば刃傷(にんじょう)沙汰(ざた)になることは西鶴の『男色(なんしょく)大鏡(おおかがみ)』にもある。

 

無季。恋。

 

四十二句目

 

   終は是死尸さらす衆道事

 豆腐のぐつ()夢かうつつか    在色

 (終は是死尸さらす衆道事豆腐のぐつ煮夢かうつつか)

 

 衆道はお坊さんに多いので、その快楽も豆腐をぐつぐつ煮る間の夢と消える。

 黄粱(こうりょう)を炊く間の夢に一生の栄華を見る邯鄲(かんたん)の枕の故事による。

 

無季。

 

四十三句目

 

   豆腐のぐつ煮夢かうつつか

 す行者(ぎゃうざ)もこよひは(ここ)にかり枕   松臼

 (す行者もこよひは爰にかり枕豆腐のぐつ煮夢かうつつか)

 

 す行者は修行者。腹をすかせた修行者が行き倒れになって、夢に豆腐のぐつ煮を見る。

 

無季。旅体。「す行者」は人倫。「こよひ」は夜分。

 

四十四句目

 

   す行者もこよひは爰にかり枕

 番場(ばんば)とふげはつもる大雪     一鉄

 (す行者もこよひは爰にかり枕番場とふげはつもる大雪)

 

 番場は中山道の宿場で(すり)(はり)(とうげ)のことか。鳥居本宿との間にある。琵琶湖湖畔の平地から関が原へ向かう山地に差し掛かる所にある。鎌倉末期の北条仲時の悲劇の地でもあるが、この悲劇は夏の事。

 冬は大雪になりやすい。

 

季語は「大雪」で冬、降物。

 

四十五句目

 

   番場とふげはつもる大雪

 駒とめて佐保山(さほやま)の城(うち)ながめ   雪柴

 (駒とめて佐保山の城打ながめ番場とふげはつもる大雪)

 

 佐保山城はかつて彦根にあった石田三成の城で、関が原合戦に敗れたあと三成の父石田正継がこの城に籠って応戦したが落城し、石田の一族は絶えることとなった。石田三成は長浜の北の高時川の方へ逃れたが捕縛された。

 いずれにしても雪の季節ではないし、特に本説ということではなく、普通に旅体の句と言って良いだろう。

 

 駒とめて袖打ち払ふ陰もなし

     佐野のわたりの雪の夕暮れ

              藤原定家(新古今集)

 

が本歌になる。

 

無季。「駒」は獣類。「佐保山」は名所、山類。

 

四十六句目

 

   駒とめて佐保山の城打ながめ

 朝日にさはぐはし台の波     松意

 (駒とめて佐保山の城打ながめ朝日にさはぐはし台の波)

 

 はし台はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「橋台」の解説」に、

 

 「① 橋の両端にあって、橋を支える台状のもの。きょうだい。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「駒とめて佐保山の城打ながめ〈雪柴〉 朝日にさはぐはし台の波〈松意〉」

  ② 橋のそば。橋際。橋もと。

  ※洒落本・客衆一華表(17891801頃)丹波屋之套「こっちらの橋台(ハシダイ)の酒ゃア算盤酒やといって名代でございやす」

 

とある。犬上川の橋台か。

 奈良の佐保川だが、

 

 佐保川の汀に咲ける(ふじ)(ばかま)

     波の寄りてやかけむとすらむ

              (みなもとの)(ただ)(すえ)(金葉集)

 

の歌がある。

 

無季。「朝日」は天象。「はし台の波」は水辺。

 

四十七句目

 

   朝日にさはぐはし台の波

 (こけ)むすぶ石を袂に(さて)こそな    正友

 (苔むすぶ石を袂に扨こそな朝日にさはぐはし台の波)

 

 朝日は、

 

 曇りなくとよさかのぼる朝日には

     君ぞつかへむ万代までに

              源俊頼(みなもとのとしより)(金葉集)

 君が代は限りもあらじ三笠山

     みねに朝日のささむかぎりは

              大江(おおえの)匡房(まさふさ)(金葉集)

 

などの賀歌に詠まれる。そこから、

 

 わか君は千世に八千代にさざれ石の

     いはほとなりて苔のむすまで

              よみ人しらず(古今集)

 

の連想で、朝日に苔結ぶ石を袂に入れて、さて、とする。

 朝日を賀歌に詠む伝統は近代の旭日旗に通じるのかもしれない。

 

無季。

 

四十八句目

 

   苔むすぶ石を袂に扨こそな

 子どもの小鬢(こびん)かぜぞ(すぎ)ゆく    卜尺

 (苔むすぶ石を袂に扨こそな子どもの小鬢かぜぞ過ゆく)

 

 小鬢(こびん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「小鬢」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「こ」は接頭語) 頭の左右側面の髪。びん。また、特にこめかみのあたり。

  ※太平記(14C後)三二「小鬢(コビン)のはづれ、小耳の上、三太刀まで切られければ」

 

とある。

 石合戦であろう。小鬢を石がかすめて、その風圧に髪の毛が揺れる。

 

無季。「子ども」は人倫。

 

四十九句目

 

   子どもの小鬢かぜぞ過ゆく

 伽羅(きゃら)のあぶらかほる芝ゐの月(あけ)て 一朝

 (伽羅のあぶらかほる芝ゐの月明て子どもの小鬢かぜぞ過ゆく)

 

 芝居の子役であろう。子供ながらに伽羅の香りがする。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

五十句目

 

   伽羅のあぶらかほる芝ゐの月明て

 川原(かはら)おもての貝がらの露     志計

 (伽羅のあぶらかほる芝ゐの月明て川原おもての貝がらの露)

 

 川原おもては『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に四条河原とある。芝居小屋が並んでいた。貝殻は鬢つけ油を入れた容器で、河原に落ちている。

 

季語は「露」で秋、降物。「川原」「貝がら」は水辺。

三表

五十一句目

 

   川原おもての貝がらの露

 目前(もくぜん)にうつす二見(ふたみ)の秋の景    在色

 (目前にうつす二見の秋の景川原おもての貝がらの露)

 

 二枚貝の二身に伊勢の二見ヶ浦を掛ける。貝殻の内側に二見ヶ浦の景色が描かれている。

 

季語は「秋」で秋。「二見」は名所、水辺。

 

五十二句目

 

   目前にうつす二見の秋の景

 反平(はんひゃう)をふむちどりなく(なり)     松臼

 (目前にうつす二見の秋の景反平をふむちどりなく也)

 

 千鳥は反閇(へんばい:千鳥足)を踏んで歩くが、それをもじって漢詩の反法(はんぽう)平仄(ひょうそく)を踏んで鳴くとする。

 

季語は「ちどり」で冬、鳥類。

 

五十三句目

 

   反平をふむちどりなく也

 山家おち(いも)がり(ゆけ)小夜更(さよふけ)て   一鉄

 (山家おち妹がり行ば小夜更て反平をふむちどりなく也)

 

 漢詩のイメージから山家に隠棲する僧が堕落した夜這いに行ったとする。和歌でなく漢詩で口説く。

 

無季。恋。「妹」は人倫。「小夜」は夜分。

 

五十四句目

 

   山家おち妹がり行ば小夜更て

 諸行(しょぎゃう)無常(むじゃう)とひびくかね(こと)     雪柴

 (山家おち妹がり行ば小夜更て諸行無常とひびくかね言)

 

 かね言はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「予言・兼言」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「かねこと」とも。かねて言っておく言葉の意) 前もって言うこと。約束の言葉、あるいは未来を予想していう言葉など。かねことば。

  ※後撰(951953頃)恋三・七一〇「昔せし我がかね事の悲しきは如何契りしなごりなるらん〈平定文〉」

  ※洒落本・令子洞房(1785)つとめの事「ふたりが床のかねごとを友だちなどに話してよろこぶなど」

 

とある。

 まあ破戒僧の約束だから常ならずで、儚く消えて行く。

 

無季。恋。釈教。

 

五十五句目

 

   諸行無常とひびくかね言

 (つけ)ざしの口に飛込(とびこむ)気色(けしき)あり    松意

 (付ざしの口に飛込気色あり諸行無常とひびくかね言)

 

 付ざしはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「付差」の解説」に、

 

 「〘名〙 自分が口を付けたものを相手に差し出すこと。吸いさしのきせるや飲みさしの杯を、そのまま相手に与えること。また、そのもの。親愛の気持を表わすものとされ、特に、遊里などで遊女が情の深さを示すしぐさとされた。つけざ。

  ※天理本狂言・花子(室町末‐近世初)「わたくしにくだされい、たべうと申た、これはつけざしがのみたさに申た」

 

とある。

 付ざしの酒か煙管を差し出した遊女の口からは、営業用の甘い言葉が飛び出すが、遊女の色気にやはりそこは飛び込んでいきたい。

 

無季。恋。

 

五十六句目

 

   付ざしの口に飛込気色あり

 蠅にならひて君に手をする    正友

 (付ざしの口に飛込気色あり蠅にならひて君に手をする)

 

 口ざしにと差し出されたものに、蠅のように手を擦って飛びつく。

 江戸時代も終わり頃になるが、

 

 やれ打つな蝿が手をする足をする 一茶

 

の句も思い浮かぶ。

 

季語は「蠅」で夏、虫類。恋。「君」は人倫。

 

五十七句目

 

   蠅にならひて君に手をする

 はげあたま(かぶと)をぬいて旗を(まき)   卜尺

 (はげあたま甲をぬいて旗を巻蠅にならひて君に手をする)

 

 禿げ頭だと蠅も滑って落ちると言われる。ここでは単なる縁語として用いて、意味のつながりはない。

 主君の前で甲を抜いて、禿げ頭を隠すために旗を頭に巻き、手を擦って取り入ろうとする。

 

無季。「甲」は衣裳。

 

五十八句目

 

   はげあたま甲をぬいて旗を巻

 名は末代の分別(ぶんべつ)どころ      一朝

 (はげあたま甲をぬいて旗を巻名は末代の分別どころ)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「諺『人は一代名は末代』」とある。コトバンクの、「精選版 日本国語大辞典 「人は一代名は末代」の意味・読み・例文・類語」に

 

 「肉体は一代で滅びるが、よいにつけ悪いにつけ名は死後も長く残るということ。

幸若・屋嶋軍(室町末近世初)「人は一代名は末代名についたらん其疵の末代迄もよもうせじ」

 

とある。

 生きて汚名を背負うより死して名を末代に残す。前句を敗将の自害とする。

 

無季。

 

五十九句目

 

   名は末代の分別どころ

 有明(ありあけ)の月の夜すがら発句(ほっく)(ちゃう)    志計

 (有明の月の夜すがら発句帳名は末代の分別どころ)

 

 発句帳という立圃(りゅうほ)の『俳諧発句帳』(寛永十年刊)。

 きっと後世になお残すために有明の月を見るまで夜通し句を案じていたのだろう。

 

 霧の海底なる月はくらげ哉    立圃

 

の句がある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

六十句目

 

   有明の月の夜すがら発句帳

 京都大坂江戸の秋風       在色

 (有明の月の夜すがら発句帳京都大坂江戸の秋風)

 

 京都大坂は談林の盛んな所で、今は江戸でも大流行している。みんな夜すがら発句帳に俳諧のネタを書き留める。

 

季語は「秋風」で秋。

 

六十一句目

 

   京都大坂江戸の秋風

 穀物の相場さだめぬ(つゆ)時雨(しぐれ)    松臼

 (穀物の相場さだめぬ露時雨京都大坂江戸の秋風)

 

 穀物の相場は時雨(しぐれ)のように定めなきもので、それで儲ける人もいれば秋風の吹く人もいる。

 

季語は「露時雨」で秋、降物。

 

六十二句目

 

   穀物の相場さだめぬ露時雨

 (まづ)算盤(そろばん)に虫のかけ声       一鉄

 (穀物の相場さだめぬ露時雨先算盤に虫のかけ声)

 

 算盤はじきながら市場で競りの掛け声をかけるのを、前句の露時雨を受けて虫の掛け声とする。

 

季語は「虫」で秋、虫類。

 

六十三句目

 

   先算盤に虫のかけ声

 綱うらは麓の野辺に御影石(みかげいし)    雪柴

 (綱うらは麓の野辺に御影石先算盤に虫のかけ声)

 

 御影石は六甲山地で取れる花崗岩で、大阪城の築城にも用いられて、巨大なものが石垣に残されている。

 切り出した御影石に綱を付けて麓に引っ張ってくるが、儲けようと人足の給料をケチっているので、みんな虫の息の掛け声で士気が上がらない。

 

無季。「麓」は山類。

 

六十四句目

 

   綱うらは麓の野辺に御影石

 何(ゐん)殿(でん)の法事なる(らん)       松意

 (綱うらは麓の野辺に御影石何院殿の法事なる覧)

 

 野辺の放置された御影石は一体何院殿の供養塔になるのだろうか。

 

無季。釈教。「院殿」は人倫。

三表

六十五句目

 

   何院殿の法事なる覧

 籠払(ろうばら)ひそれらが命拾ひもの    正友

 (籠払ひそれらが命拾ひもの何院殿の法事なる覧)

 

 籠払ひはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「牢払」の解説」に、

 

 「〘名〙 江戸時代、牢内の囚人を解放すること。将軍家の法事などに際し、諸国の軽罪囚の赦免が行なわれたほか、江戸小伝馬町の大牢で、出火あるいは近火の時に、三日間の日限付きで囚人を解放した。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「籠(ロウ)払ひそれらが命拾ひもの〈正友〉 角のはへてや来る伝馬町〈卜尺〉」

 

とある。今でいう恩赦のこと。

 前句の法事で恩赦が下され、死刑囚も命拾いする。

 

無季。

 

六十六句目

 

   籠払ひそれらが命拾ひもの

 (つの)のはへてや来る伝馬(でんま)(ちゃう)     卜尺

 (籠払ひそれらが命拾ひもの角のはへてや来る伝馬町)

 

 伝馬町にはかつて牢屋敷があった。

 出てきた囚人は髪や髭が伸び放題になって鬼のようで、角が生えているのかと思わせるような風体だった。

 

無季。

 

六十七句目

 

   角のはへてや来る伝馬町

 胸の火をかな輪にもやす亭女(ていをんな)   一朝

 (胸の火をかな輪にもやす亭女角のはへてや来る伝馬町)

 

 かな輪はこの場合はコトバンクの「世界大百科事典内の金輪の言及」に、

 

 「このほか籐製などもある。火鉢の付属品として火箸,灰ならし,五徳(ごとく)(炭火の上に置いて鉄瓶などをかける脚付きの輪,古くは金輪(かなわ)といった)が使われる。 火鉢は和風住宅の暖房器具を代表するものといえる。

 

とある、火鉢に乗せる金輪か。

 亭女(ていをんな)は前句の伝馬町からすると伝馬宿の女亭主であろう。火鉢の前で嫉妬の炎をメラメラ燃やしながら夫の帰りを待っている。あたかも角が生えたようだ。

 

無季。恋。「亭女」は人倫。

 

六十八句目

 

   胸の火をかな輪にもやす亭女

 (わかれ)はの酒寒いにま一つ      志計

 (胸の火をかな輪にもやす亭女別はの酒寒いにま一つ)

 

 前句を別れ際の悲しみの恋心の炎として、火鉢に掛けた熱燗(あつかん)を別れ際に「まあ、一つ」と差し出す。

 

季語は「寒い」で冬。恋。

 

六十九句目

 

   別はの酒寒いにま一つ

 長枕(ながまくら)()(はだ)の雪の朝ぼらけ     在色

 (長枕寝肌の雪の朝ぼらけ別はの酒寒いにま一つ)

 

 寝肌はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「寝肌」の解説」に、

 

 「〘名〙 寝ているときの肌。また、ともに寝た人の肌の具合。

  ※曾丹集(11C初か)「あらいそに荒波たちてあるるよもきみがねはたはなつかしきかな」

 

とある。

 雪は雪の朝とも取れるし、共に寝た人の肌の雪のような白さとも取れる。

 寒いので酒を一杯飲んでから出て行く。

 

季語は「雪」で冬、降物。恋。

 

七十句目

 

   長枕寝肌の雪の朝ぼらけ

 (まち)くたびれてうぐひすの声    松臼

 (長枕寝肌の雪の朝ぼらけ待くたびれてうぐひすの声)

 

 二人用の長枕に来ぬ人を待って夜が明けたとする。春が来たというのにあなたは帰らない。

 

季語は「鶯」で春、鳥類。

 

七十一句目

 

   待くたびれてうぐひすの声

 峰の雲花とおどろく番太郎    一鉄

 (峰の雲花とおどろく番太郎待くたびれてうぐひすの声)

 

 番太郎はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「番太」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「ばんたろう(番太郎)」の略)

  ① 江戸時代、町村で治安を守り、警察機構の末端を担当した非人身分の番人。平常は、番人小屋(番屋)に詰め、町村内の犯罪の予防、摘発やその他の警察事務を担当し、番人給が支給されていた。番非人。番太郎。番子。

  ※俳諧・当世男(1676)秋「藁一束うつや番太が唐衣〈見石〉」

  ② 特に、江戸市中に設けられた木戸の隣の番小屋に住み、木戸の番をしたもの。町の雇人で、昼は草鞋(わらじ)、膏薬、駄菓子などを売り内職をしていた、平民身分のもの。番太郎。番子。」

 

とある。非人の身分であることが多く、

 

 五月雨や竜灯あぐる番太郎    芭蕉

 

の句もある。暗くなると愛宕灯籠を点けて回ったりもしていた。

 花の雲は『古今集』仮名序に、

 

 「よしのの山のさくらは、人まろが心には、くもかとのみなむおぼえける」

 

とある。それ以来桜は雲に喩えられるが、その面白さは番太郎でもわかる、というところだろう。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「峰」は山類。「雲」は聳物。「番太郎」は人倫。

 

七十二句目

 

   峰の雲花とおどろく番太郎

 人丸(ひとまろ)が目やかすむ焼亡(ぜうまう)      雪柴

 (峰の雲花とおどろく番太郎人丸が目やかすむ焼亡)

 

 焼亡はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「焼亡」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「もう」は「亡」の呉音。古くは「じょうもう」)

  ① (━する) 建造物などが焼けてなくなること。焼けうせること。焼失。しょうぼう。

  ※田氏家集(892頃)中・奉答視草両児詩「勝家焼亡曾不レ日、良医傾没即非レ時」

  ② 火事。火災。しょうぼう。

  ※権記‐長保三年(1001)九月一四日「及二深更一、西方有二焼亡一」

  ※日葡辞書(160304)「Iômǒno(ジョウマウノ) ヨウジン セヨ」

  [語誌](1)「色葉字類抄」によると、清音であったと思われるが、「天草本平家」「日葡辞書」など、室町時代のキリシタン資料のローマ字本によると「ジョウマウ」と濁音である。

  (2)方言に「じょうもう」の変化形「じょーもん」があるところから、室町時代以降に口頭語としても広がりを見せたと思われる。」

 

とある。

 人丸は「ひとまる=火止まる」と掛けて火災除けの神様でもあった。

 鍛冶で焼け野原になったところに白い煙が残っている様を番太郎が峰の花かと思う。人麿の目を持っている。

 

季語は「かすむ」で春、聳物。

 

七十三句目

 

   人丸が目やかすむ焼亡

 年月(としつき)と送る(わら)()のめし時分(じぶん)    松意

 (年月と送る藁屋のめし時分人丸が目やかすむ焼亡)

 

 前句の人丸を謡曲『(かげ)(きよ)』の悪七兵衛景清の娘の人丸とする。

 日向の国にやってきて、そこで、

 

 「不思議やなこれなる草の(いおり)()りて、(たれ)住むべくも見えざるに、声めづらかに聞こゆる は、もし乞食(こつじき)のありかかと、軒端(のきば)も遠く見えたるぞや。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2949). Yamatouta e books. Kindle .

 

という藁屋(わらや)に辿り着く。

 前句の焼亡が実は飯炊く湯気だったとする。

 

無季。「藁屋」は居所。

 

七十四句目

 

   年月と送る藁屋のめし時分

 つとめの経やすみの衣手(ころもで)     正友

 (年月と送る藁屋のめし時分つとめの経やすみの衣手)

 

 前句を僧の藁屋とする。

 飯を炊いているから朝のお勤めの経を上げるその衣手は炭で汚れている。

 

無季。釈教。「すみの衣手」は衣裳。

 

七十五句目

 

   つとめの経やすみの衣手

 うき世かなおくれ先だつ夫婦中(めをとなか)  卜尺

 (うき世かなおくれ先だつ夫婦中つとめの経やすみの衣手)

 

 妻に先立たれて夫が出家してお経をあげる。

 

無季。恋。

 

七十六句目

 

   うき世かなおくれ先だつ夫婦中

 大和(やまと)の国になみだ雨ふる     一朝

 (うき世かなおくれ先だつ夫婦中大和の国になみだ雨ふる)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『三輪(みわ)』の、

 

 「五濁(ごぢょく)の塵に交はり、暫し心は足引(あしびき)の大和の国に年久しき夫婦(ふうふ)の者あり。八千代(やちよ)をこめ し玉椿、変らぬ色を頼みけるに」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2308). Yamatouta e books. Kindle .

 

を引いている。言葉は借りているがこの謡曲の趣向ではないので本説ではない。

 情としては、

 

 墨染めの君が袂は雲なれや

     たえず涙の雨とのみふる

              壬生(みぶの)(ただ)(みね)(古今集)

 

の哀傷歌であろう。

 

無季。恋。「なみだ雨」は降物。

 

七十七句目

 

   大和の国になみだ雨ふる

 悋気(りんき)にや宇野(うの)が一党さはぐらん  志計

 (悋気にや宇野が一党さはぐらん大和の国になみだ雨ふる)

 

 宇野の一党は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』に、

 

 「大和国宇野太郎親治の一党。保元物語に家の子郎党を率いて新院の加勢に向かう途中、敵軍に包囲されて滅亡したとある。」

 

とある。これは宇野七郎親治のことか。その息子には宇野太郎有治がいる。

 宇野七郎親治の方はウィキペディアに、

 

 「大和国宇智郡宇野荘に住した。久安元年(1145年)、興福寺の衆徒が金峰山寺を攻めた時には、金峰山側について戦った。保元元年(1156年)に勃発した保元の乱において、崇徳上皇、藤原頼長方に加担。兵を率いて京に入ろうとするところを、警護にあたっていた敵方の平基盛に見咎められ、合戦の末に敗れて捕虜となる。本戦の間は獄舎に繋がれていたが、戦後赦免されて本拠の大和に帰された。これは、親治が大和国内で興福寺と対立関係にあることに目をつけた後白河天皇による、興福寺牽制のための政治的措置だったと言われている。治承4年(1180年)の以仁王の挙兵の際は、息子を源頼政に応じさせた。」

 

とある。宇野太郎有治の方は、コトバンクの「デジタル版 日本人名大辞典+Plus「源有治」の解説」に、

 

 「11391221 平安時代後期の武将。

保延(ほうえん)5830日生まれ。源親治(ちかはる)の長男。大和源氏。治承(じしょう)4(1180)源頼政(よりまさ)の挙兵にくわわるが敗れ,法然をたよって出家。大和(奈良県)宇野や吉野で念仏の教化につとめた。承久(じょうきゅう)322日死去。83歳。通称は宇野太郎,斎院次官。法名は聖空。」

 

とある。

 いずれにせよ負け将で、ここではその故事を引きながらも、あくまで現代の女を廻る諍いとする。

 

無季。恋。「宇野が一党」は人倫。

 

七十八句目

 

   悋気にや宇野が一党さはぐらん

 月に向ひて恋の先がけ      在色

 (悋気にや宇野が一党さはぐらん月に向ひて恋の先がけ)

 

 誰かが宇野一党出し抜いて抜け駆けして、月の野原を女の下にまっしぐら。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。

名残表

七十九句目

 

   月に向ひて恋の先がけ

 (ふみ)づかひ(ゆふべ)の露を七の図まで   松臼

 (文づかひ夕の露を七の図まで月に向ひて恋の先がけ)

 

 七の図はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「七の椎」の解説」に、

 

 「(「ず」は「ずい」の略か) 背骨の大椎部から数えて七節と八節の間。七枚目の肋骨。尻の上部。

  ※浮世草子・懐硯(1687)四「背中を脱ば、七の椎()に王といふ文字の下に大きなる判すわりたるを」

 

とある。

 ライバルよりも早く文を届けようと近道して夕暮れの露の降りた草むらを走り抜ける。 尻の上まで露でぐっしょりとなる。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

八十句目

 

   文づかひ夕の露を七の図まで

 木刀のすゑ尾花(をばな)波よる      一鉄

 (文づかひ夕の露を七の図まで木刀のすゑ尾花波よる)

 

 その男の姿は薄に埋もれて見えず、木刀の先に吊るした状箱だけが歩いて行く。

 

季語は「尾花」で秋、植物、草類。

 

八十一句目

 

   木刀のすゑ尾花波よる

 一流(いちりう)のむさしの広く(おぼえ)たり    雪柴

 (一流のむさしの広く覚たり木刀のすゑ尾花波よる)

 

 (すすき)が原というと武蔵野ということで、二天(にてん)一流(いちりゅう)の宮本武蔵の木刀とする。

 

無季。「むさしの」は名所。

 

八十二句目

 

   一流のむさしの広く覚たり

 千家(せんけ)万家(ばんけ)(わく)る水道       松意

 (一流のむさしの広く覚たり千家万家に分る水道)

 

 前句の一流を一筋の流れとして、玉川上水のこととする。玉川上水は承応二年(一六五三年)に完成した。

 

無季。

 

八十三句目

 

   千家万家に分る水道

 (くだ)(ざけ)名酒にてなどなかるべき  正友

 (下り酒名酒にてなどなかるべき千家万家に分る水道)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『(しゅん)(かん)』の、

 

 「これは仰せにて(そおら)へども、それ(さけ)と申すことは、もとこれ薬の水なれば、(れい)(しゅ)にてなどなかるべき。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2934). Yamatouta e books. Kindle .

 

を引いている。

 上方から下ってくる透き通った清酒は名酒で、千家万家に分ける薬の水の道だ。

 「など」は反語になる。

 

無季。

 

八十四句目

 

   下り酒名酒にてなどなかるべき

 大江山よりすゑのかし(ぐら)     卜尺

 (下り酒名酒にてなどなかるべき大江山よりすゑのかし蔵)

 

 かし蔵はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「貸蔵」の解説」に、

 

 「〘名〙 料金を取って、他に貸す倉庫。貸し倉庫。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「大江山よりすゑのかし蔵〈卜尺〉 踏分て生野の道の鼠くそ〈一朝〉」

  ※咄本・軽口露がはなし(1691)一「戸をさし『借家(かしいへ)かし蔵』と書付しを」

 

とある。

 この場合の大江山は地理的なものではなく、大江山の酒呑(しゅてん)童子(どうじ)を退治して以来ということで、下り酒は鬼をも倒すものだから名酒でないはずがない、となる。

 

無季。「大江山」は名所。

 

八十五句目

 

   大江山よりすゑのかし蔵

 踏分(ふみわけ)生野(いくの)の道の鼠くそ     一朝

 (踏分て生野の道の鼠くそ大江山よりすゑのかし蔵)

 

 大江山に生野の道は、

 

 大江山いく野の道の遠ければ

     まだふみも見ず(あまの)橋立(はしたて)

              小式部内(こしきぶのない)()(金葉集)

 

の歌による。

 大江山の向こうにある貸し蔵に行くには、生野の道の鼠の糞を踏み分けて行かなくてはならない。

 

無季。旅体。「生野」は名所。「鼠」は獣類。

 

八十六句目

 

   踏分て生野の道の鼠くそ

 (ささ)(まくら)にぞたてしあら(つば)      志計

 (踏分て生野の道の鼠くそ笹枕にぞたてしあら鍔)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、

 

 「鼠の糞は『鏽腐鉄器、鼠尿塗新小刀表、安於醋桶上得醋気刮去之肌如古刃』(和漢三才図会)と言われるから、旅寝の枕元に新鍔の道中差を置いたところ、一夜にして錆びたというのであろう。「錆」の抜句であろる。」

 

とある。

 

無季。旅体。

 

八十七句目

 

   笹枕にぞたてしあら鍔

 鎗持(やりもち)や夢もむすばぬ(たま)(あられ)     在色

 (鎗持や夢もむすばぬ玉霰笹枕にぞたてしあら鍔)

 

 笹枕を那須の篠原として、

 

 もののふの矢並つくろふ籠手の上に

     霰たばしる那須の篠原

              源実朝(みなもとのさねとも)(金槐和歌集)

 

の縁で霰を降らせ、武士の一段下の槍持ちを登場させる。

 鎗には(つば)すらない。

 

季語は「玉霰」で冬、降物。「槍持」は人倫。

 

八十八句目

 

   鎗持や夢もむすばぬ玉霰

 口舌(くぜつ)に中は不破(ふは)の関守      松臼

 (鎗持や夢もむすばぬ玉霰口舌に中は不破の関守)

 

 槍持ちの恋は言い争いになって家庭不和になる。不和を不破の関守に掛ける。

 

無季。恋。「不破」は名所。「関守」は人倫

 

八十九句目

 

   口舌に中は不破の関守

 (とし)()たる杉の木陰(こかげ)()合宿(あひやど)    一鉄

 (年経たる杉の木陰の出合宿口舌に中は不破の関守)

 

 出合宿はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「出合宿」の解説」に、

 

 「〘名〙 男女が密会に使う家。出合屋。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「草のまくらに今朝のむだ夢〈一鉄〉 ばかばかと一樹の陰の出合宿〈雪柴〉」

 

とある。例文は「峰高し」の巻二十三句目。そこでも書いたがラブホの原型とも言えるもので、昭和の時代は「連れ込み宿」と言った。「温泉マーク」「さかさくらげ」という言葉もあった。

 まあ幽霊でも出そうなぼろっちい宿を選んで口論になったのだろう。関所に杉は付き物。

 

無季。「杉の木」は植物、木類。

 

九十句目

 

   年経たる杉の木陰の出合宿

 いかに(まち)みむ魚くらひ坊     雪柴

 (年経たる杉の木陰の出合宿いかに待みむ魚くらひ坊)

 

 出合宿で待ってたのはなまぐさ坊主だった。

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注にもあるように、

 

 みわの山いかにまち見む年ふとも

     たづぬる人もあらじと思へば

              伊勢(古今集)

 

を本歌とする。

 

無季。

 

九十一句目

 

   いかに待みむ魚くらひ坊

 一休(いっきう)を真似そこなひし胸の月   松意

 (一休を真似そこなひし胸の月いかに待みむ魚くらひ坊)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、

 

 「一休咄に、食った魚を生かして放つという一休のことばを信じて、人々の待つ話がある。」

 

とある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

九十二句目

 

   一休を真似そこなひし胸の月

 三文(さんもん)もせぬ筆津(ふでつ)(むし)なく      正友

 (一休を真似そこなひし胸の月三文もせぬ筆津虫なく)

 

 筆津虫はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「筆津虫」の解説」に、

 

 「〘名〙 昆虫「こおろぎ(蟋蟀)」の異名。《季・秋》

  ※古今打聞(1438頃)中「ふでつむしあきもいまはとあさちふにかたおろしなる声よわるなり 筆登虫は蛬を云也」

 

とある。

 一休の筆なら高く売れそうだが、偽物は三文にもならない。

 

季語は「筆津虫」で秋、虫類。

名残裏

九十三句目

 

   三文もせぬ筆津虫なく

 智恵づけや(まづ)小学の窓の露    卜尺

 (智恵づけや先小学の窓の露三文もせぬ筆津虫なく)

 

 小学はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「小学」の解説」に、

 

 「① 中国、夏・殷・周三代の学校で、八歳以上の児童を教育したところ。また、そこで主として教えた学科、すなわち進退・洒掃(さいそう)・文字など。転じて、儒学における初歩的、基本的な学問をいう。

  ※古活字本毛詩抄(17C前)一〇「郷人の子弟たるもの、小学の学校に入て学問するを秀士と云」

  ※閑耳目(1908)〈渋川玄耳〉漢文自修法「字画を覚え字音を識(しる)のは所謂小学(セウガク)、学問に於ての第一歩である」 〔礼記‐王制〕

  ② (①で、主として文字を教えたところから) 文字の字形・字音・字義に関する研究。

  ※随筆・続昆陽漫録補(1768)「小学は文字の学ゆへ」

  ③ 「しょうがっこう(小学校)」の略。

  ※文部省布達第一三号別冊‐明治五年(1872)八月三日「学校は三等に区別す。大学中学小学なり」

  [2] 書名。劉子澄が朱子に指導を受けて編集した初学者課程の書。淳熙一四年(一一八七)成立。内外二編、六巻よりなり、洒掃・応対・進退などの作法、修身道徳の格言、忠臣孝子の事績などを集めている。江戸時代には、昌平黌(しょうへいこう)や藩校で用いられた。」

 

とある。ここでは貧しい家庭でも三文の筆で①の「儒学における初歩的、基本的な学問」を身に付けさせようということであろう。

 秋がまだ二句なので、ここは窓の雪ではなく窓の露になる。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

九十四句目

 

   智恵づけや先小学の窓の露

 薬をきざむ町の呉竹(くれたけ)       一朝

 (智恵づけや先小学の窓の露薬をきざむ町の呉竹)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『(たけの)(ゆき)』の、

 

 「子の別れ()を悲しみて、竹の雪をかきのくる。わが子の死骸(しがい)あらば孟宗(もおそお)にはかはりたり。嬉しからずの雪の(うち)や。思ひの多き年月(としつき)も、はや呉竹(くれたけ)の窓の雪夜学の人の(ともし)()も、払らはばやがて消えやせん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2892). Yamatouta e books. Kindle .

 

を引いている。

 町医者の子どもであろう。後を継がせようと教育に熱心だ。

 

無季。「呉竹」は植物で草類でも木類でもない。

 

九十五句目

 

   薬をきざむ町の呉竹

 箱根路を(わが)(こえ)来れば子をうむ音  志計

 (箱根路を我越来れば子をうむ音薬をきざむ町の呉竹)

 

 「箱根路を我越来れば」といえば、

 

 箱根路を我が越え来れば伊豆の海や

     沖の小島に波の寄る見ゆ

              源実朝(みなもとのさねとも)(続後撰集)

 

の歌で、「いづのうみや(伊豆の海や)」を「いつの生みや」として、子を産むとする。

 前句を小田原の有名な藤の丸の膏薬屋としたか。延宝七年の「須磨ぞ秋」の巻九十八句目に、

 

   千年の膏薬既に和らぎて

 折ふし松に藤の丸さく      桃青

 

の句がある。

 

無季。旅体。「箱根路」は名所、山類。「我」「子」は人倫。

 

九十六句目

 

   箱根路を我越来れば子をうむ音

 (きつ)にばかされ(あけ)てくやしき    在色

 (箱根路を我越来れば子をうむ音狐にばかされ明てくやしき)

 

 街道で産気づいた女がいて駆け寄ったが狐だった。

 

無季。「狐」は獣類。

 

九十七句目

 

   狐にばかされ明てくやしき

 (まち)ぼうけまつ毛のかはく(ひま)もなし 松臼

 (待ぼうけまつ毛のかはく隙もなし狐にばかされ明てくやしき)

 

 狐に化かされて待ちぼうけをくらう。待つだけにまつ毛が涙で濡れる。

 

無季。恋。

 

九十八句目

 

   待ぼうけまつ毛のかはく隙もなし

 思ひの色や辰砂(しんしゃ)なる(らん)      正友

 (待ぼうけまつ毛のかはく隙もなし思ひの色や辰砂なる覧)

 

 辰砂はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「辰砂・辰沙」の解説」に、

 

 「① 水銀の硫化鉱物。特徴ある紅色の土状または塊状物。六方晶系。水銀の原料鉱物として重要。古くから顔料の朱としても用いられた。中国の辰州(湖南省沅陵県)から産したのでこの名がある。朱砂。丹砂。丹朱。

  ※太平記(14C後)二五「風を治する薬には、牛黄金虎丹、辰沙(シンシャ)、天麻円を合せて御療治候べしと申す」

  ② 陶磁器で、銅を含む釉(うわぐすり)の一種。還元焔焼成により、天然朱の辰砂に似た鮮紅色に発色する。中国では釉裏紅(ゆうりこう)という。」

 

とある。いずれにしても血の涙の色。

 

 見せばやな雄島のあまの袖だにも

     濡れにぞ濡れし色は変らず

              (いん)富門院(ぷもんいんの)大輔(たいふ)(千載集)

 

は血の涙を遠回しに言った歌として知られている。血の涙を直接詠んだ歌は、

 

 ちの涙おちてぞたぎつ白河は

     君か世までの名にこそ有りけれ

              素性(そせい)法師(ほうし)(古今集)

 

の哀傷歌に見られる。

 

無季。恋。

 

九十九句目

 

   思ひの色や辰砂なる覧

 玉垣の花をささげていのり事   雪柴

 (玉垣の花をささげていのり事思ひの色や辰砂なる覧)

 

 前句を思う心の清き赤き心と取り成す。赤心はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「赤心」の解説」に、

 

 「① (「赤」は、はだか、あるがままの意) うそいつわりのない心。まごころ。誠意。赤誠。丹心。

  ※菅家文草(900頃)七・未旦求衣賦「容光正レ襟。推二赤心於微隠一」

  ※正法眼蔵(123153)身心学道「赤心片々といふは、片々なるはみな赤心なり、一片両片にあらず、片々なるなり」 〔魏志‐董昭伝〕

  ② ものの赤い中心。赤い芯(しん)。〔毛詩草木鳥獣虫魚疏〕」

 

とある。

 赤心奉(せきしんほう)(こく)は『()治通(じつ)(がん)』が出典だという。幕末になると赤心報国になって、尊王のスローガンになる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。神祇。

 

挙句

 

   玉垣の花をささげていのり事

 女性(にょしゃう)一人(いちにん)広前(ひろまへ)の春        一鉄

 (玉垣の花をささげていのり事女性一人広前の春)

 

 広前(ひろまへ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「広前」の解説」に、

 

 「〘名〙 神仏の前をうやまっていうことば。神の御前。また、神殿・宮殿などの前庭。太前(ふとまえ)。宝前(ほうぜん)。大前(おおまえ)

  ※文徳実録‐嘉祥三年(850)七月丙戌「天御柱国御柱神の広前に申賜へと申く」

 

とある。神の御前で祈りを捧げて一巻及び千句興行は目出度く終わる。

 前書きに「あらがねの槌音絶ぬ鍛冶町と云所へ時々会合して」とあるように神田鍛冶町の松意の家で行われた興行ではあったが、この千句を神前に捧げる意図があったのであろう。

 

季語は「春」で春。神祇「女性一人」は人倫。