「はやう咲」の巻、解説

元禄二年九月四日浅井源兵衛宅にて

初表

 はやう咲九日も近し宿の菊    芭蕉

   心うきたつ宵月の露     左柳

 新畠去年の鶉の啼出して     路通

   雲うすうすと山の重なり   文鳥

 酒飲のくせに障子を明たがり   越人

   なをおかしくも文をくるはす 如行

 

初裏

 足のうらなでて眠をすすめけり  荊口

   年をわすれて衾かぶりぬ   此筋

 二人目の妻にこころや解ぬらん  木因

   けづり鰹に精進落たり    残香

 とかくして灸する座をのがれ出  曾良

   書物のうちの虫はらひ捨   斜嶺

 飽果し旅も此頃恋しくて     左柳

   歯ぬけとなれば貝も吹れず  芭蕉

 月寒く頭巾あぶりてかぶる也   文鳥

   あかつき替る宵の分別    荊口

 一棒にあづかる山の花咲て    路通

   塩すくひ込春の糠味噌    越人

 

 

二表

 万歳の姿斗はいかめしく     木因

   村はづれまで犬に追るる   斜嶺

 はなし聞行脚の道のおもしろや  此筋

   二代上手の医はなかりけり  残香

 揚弓の工するほどむつかしき   曾良

   烏帽子かぶらぬ髪もうすくて 如行

 冬籠物覚ての大雪に       左柳

   茶の立やうも不案内なる   文鳥

 美くしう顔生付物憂さよ     越人

   尼に成べき宵のきぬぎぬ   路通

 月影に鎧とやらを見透して    芭蕉

   萩とぞ思ふ一株の萩     荊口

 

二裏

 何事も盆を仕舞て隙に成     此筋

   追手も連に誘う参宮     曾良

 丸腰に捨て中々暮しよき     残香

   もののわけ知る母の尊さ   木因

 花の蔭鎌倉どのの草まくら    如行

   梅山吹にのこるつぎ歌    斜嶺

 

      参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

 

 はやう咲九日も近し宿の菊    芭蕉

 

 元禄二年九月四日、美濃大垣の左柳こと浅井源兵衛宅で行われた歌仙興行の発句で、ここで芭蕉と曾良は再会する。

 『奥の細道』にも、

 

 「露通も此みなとまで出むかひて、みのゝ国へと伴ふ。駒にたすけられて大垣の庄に入ば、曾良も伊勢より来り合、越人も馬をとばせて、如行が家に入集る。前川子・荊口父子、其外したしき人々日夜とぶらひて、蘇生のものにあふがごとく、且悦び且いたはる。」

 

とあり、『奥の細道』のエンディングともいえる感動的な場面だ。

 この文章はすぐに、

 

 「旅の物うさもいまだやまざるに、長月六日になれば、伊勢の迂宮おがまんと、又舟にのりて、

 蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」

 

と続き、『奥の細道』はここで終わる。

 この日九月四日、芭蕉は如水の家に集まり、芭蕉、如水、如行、伴柳、路通、誾如の六吟一巡(表六句)を詠んでいるが、ここに曾良の名前はない。

 曾良の『旅日記』には

 

 「四日 天気吉 源太夫へ会ニテ行」

 

とだけある。そういうわけで、芭蕉と曾良との蘇生の者に逢うがごとき感動的な再会は如水宅ではなく左柳宅だった。

 さて、その発句だが、「咲」は「さけ」と命令形になる。

 重陽も近いというので菊も早く咲いてくれと、特に寓意のない、時節柄を詠んだだけの句のように思える。

 

季語は「菊」で秋、植物、草類。旅体。

 

 

   はやう咲九日も近し宿の菊

 心うきたつ宵月の露       左柳

 (はやう咲九日も近し宿の菊心うきたつ宵月の露)

 

 発句に応じて重陽を待ち望む気持ちで和す。四日の月は夕方に出るから宵月になる。発句に「日」の字があるので、去り嫌いを避けて脇で月を出す。この興行も夕方から行われたのだろう。如水宅での六吟表六句は昼間だったのだろう。

 

季語は「宵月」で秋、天象。「露」も秋で降物。

 

第三

 

   心うきたつ宵月の露

 新畠去年の鶉の啼出して     路通

 (新畠去年の鶉の啼出して心うきたつ宵月の露)

 

 今年新たに開いた畑に、棲家を奪われた去年の鶉が鳴いている。収穫は嬉しいが、鶉の身になると悲しくなる。このあたりが路通の「細み」といえよう。

 「うきたつ」はここでは心に沸き上がるという意味で、何がというと「露」つまり泪だ。

 

季語は「鶉」で秋、鳥類。

 

四句目

 

   新畠去年の鶉の啼出して

 雲うすうすと山の重なり     文鳥

 (新畠去年の鶉の啼出して雲うすうすと山の重なり)

 

 前句の新たに開いた畑を山の中の畑とし、山が重なり薄雲がかかる遠景を付ける。

 文鳥は『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)の宮本注によれば、荊口の三男だという。此筋(しきん)、千川(せんせん)、文鳥(ぶんちょう)の三兄弟がいて、この時は千川は参加していない。

 

無季。「雲」は聳物。「山」は山類。

 

五句目

 

   雲うすうすと山の重なり

 酒飲のくせに障子を明たがり   越人

 (酒飲のくせに障子を明たがり雲うすうすと山の重なり)

 

 酒飲みが障子を開けたがるのは、体が熱くなるからか、それとも小便が近いからか。別に景色を見ようなどと殊勝な心持ではないだろう。

 

無季。「酒飲」は人倫。

 

六句目

 

   酒飲のくせに障子を明たがり

 なをおかしくも文をくるはす   如行

 (酒飲のくせに障子を明たがりなをおかしくも文をくるはす)

 

 障子を開ければ風が入ってきて紙がひらひらと動き、書いていた文も滅茶苦茶になる。

 

無季。

初裏

七句目

 

   なをおかしくも文をくるはす

 足のうらなでて眠をすすめけり  荊口

 (足のうらなでて眠をすすめけりなをおかしくも文をくるはす)

 

 足の裏には「失眠」というツボがあり、ここを刺激すると不眠症に効果があるという。ただ素人がやってもくすぐったいだけで文をくるわす。

 

無季。

 

八句目

 

   足のうらなでて眠をすすめけり

 年をわすれて衾かぶりぬ     此筋

 (足のうらなでて眠をすすめけり年をわすれて衾かぶりぬ)

 

 此筋は荊口の長男。

 「衾(ふすま)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 布などでこしらえ、寝るときに体をおおう夜具。ふすま。よぎ。

  ※参天台五台山記(1072‐73)三「寝所置衾。或二領三領八十余所」 〔詩経‐召南・小星〕」

 

とある。

 今でも忘年会というのがあるが、昔の数え年では正月に一つ年を取った。年を取るのを忘れていつまでも若くいようというのが忘年会の趣旨で、今年あったことを忘れるという意味ではない。

 足裏のマッサージで不眠を治し、大晦日は早いとこ衾をかぶって寝て、年を取るのを忘れよう。昔は初詣なんてものはなかったし、大晦日に夜遅くまで起きているのは借金に追われているか取り立てている人だけだ。

 『続虚栗』にも、

 

   心よき年

 恙なく大晦日の寝酒かな     蚊足

 

の句がある。

 

季語は「年をわすれて」で冬。

 

九句目

 

   年をわすれて衾かぶりぬ

 二人目の妻にこころや解ぬらん  木因

 (二人目の妻にこころや解ぬらん年をわすれて衾かぶりぬ)

 

 江戸時代前期は離婚率も高く、二人目の妻も珍しくはなかった。

 息子が後妻を迎えたはいいが、若い妻にどう接していいかわからず、年甲斐もなく衾を被って引きこもる。

 

無季。恋。「妻」は人倫。

 

十句目

 

   二人目の妻にこころや解ぬらん

 けづり鰹に精進落たり      残香

 (二人目の妻にこころや解ぬらんけづり鰹に精進落たり)

 

 鰹節は関西では普及していたが、関東に普及するのはまさにこれからという時期だった。

 前妻の法要のために肉や魚を断っていたのだろう。だがしかし、二人目の妻と削り節の誘惑に負けて、ついつい精進をやめてしまう。

 

無季。

 

十一句目

 

   けづり鰹に精進落たり

 とかくして灸する座をのがれ出  曾良

 (とかくして灸する座をのがれ出けづり鰹に精進落たり)

 

 ここでようやく曾良の登場。

 病気の療養で肉や魚を断ったり灸(やいと)をしていたりしたのだろう。ただ、どうしてもお灸が苦手で、逃げ出したついでに鰹節の利いたものを食べる。

 

無季。

 

十二句目

 

   とかくして灸する座をのがれ出

 書物のうちの虫はらひ捨     斜嶺

 (とかくして灸する座をのがれ出書物のうちの虫はらひ捨)

 

 「虫払い」はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 

 「夏の土用のころに衣類や調度,書籍などを取りだして日に干し風にあてて,カビや虫害から防ぐこと。〈虫振い〉〈虫干し〉〈風入れ〉〈土用干し〉などともいう。古くは〈曝涼(ばくりよう)〉といい,正倉院の平安初期の曝涼帳の記載が伝えられている。《日次紀事》には〈此月(6月)土用中,諸神社諸仏寺,霊宝虫払〉とある。 なお沖縄では虫送りをムシバレー(虫払)といい,2月から6月にかけて行っている。これは害虫をバショウの葉などに包んで海に流し,作物を病虫害から守って豊作を祈願するもので,虫が戻らぬように干潮に向かうときに行うのがよいとされ,この日は植付けや火の使用を禁ずる伝承もある。」

 

とある。この最後の「この日は植付けや火の使用を禁ずる」がヒントだろう。火を使っちゃいけないのだからお灸からも逃れられる。

 

季語は「虫はらひ」で夏。

 

十三句目

 

   書物のうちの虫はらひ捨

 飽果し旅も此頃恋しくて     左柳

 (飽果し旅も此頃恋しくて書物のうちの虫はらひ捨)

 

 部屋に籠り、書物の虫干しをして、静かに隠棲していても、旅をしていた頃を思い出して旅に出たくなる。

 一度脳内快楽物質の回路ができてしまうと、旅をしていた頃のあの快感が忘れられずに、また繰り返してしまうものだ。元禄七年の芭蕉もそうだったのか。

 

無季。

 

十四句目

 

   飽果し旅も此頃恋しくて

 歯ぬけとなれば貝も吹れず    芭蕉

 (飽果し旅も此頃恋しくて歯ぬけとなれば貝も吹れず)

 

 長いこと旅から遠ざかった前句の人物を修験者とする。修験者は巡礼もすれば登山もする。ただ、年老いて歯も抜けて法螺貝を吹くこともできなくなると、さすがに昔を恋しがるだけになる。

 

無季。

 

十五句目

 

   歯ぬけとなれば貝も吹れず

 月寒く頭巾あぶりてかぶる也   文鳥

 (月寒く頭巾あぶりてかぶる也歯ぬけとなれば貝も吹れず)

 

 年寄りは頭巾のひんやりするのを嫌い、火にかざして温めてから被る。

 

季語は「月寒し」で冬、夜分、天象。「頭巾」は衣裳。

 

十六句目

 

   月寒く頭巾あぶりてかぶる也

 あかつき替る宵の分別      荊口

 (月寒く頭巾あぶりてかぶる也あかつき替る宵の分別)

 

 「分別」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「①心の働きによって対象を理解判断すること。▽誤った理解・判断にもいう。◇仏教語。

  ②(一般に)物事の道理・善悪・得失などを考えること。またその思案。思慮分別。

出典徒然草 七五

  「ふんべつみだりに起こりて、得失止(や)む時なし」

  [訳] 思慮分別がやたらに起こって、利害を思う心がやむ時がない。」

 

とある。今は道徳的な判断以外にはあまり使わないが、昔はそんな特別なことではなく、この句でも夕方と明け方で考えが変わる程度の意味で用いてたようだ。

 寝る時はまだそんな寒くないと思っていても、明け方になって冷えてきて、あわてて頭巾を取り出し、火で温めて被る。

 

無季。

 

十七句目

 

   あかつき替る宵の分別

 一棒にあづかる山の花咲て    路通

 (一棒にあづかる山の花咲てあかつき替る宵の分別)

 

 「一棒(いちぼう)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 仏語。禅宗で師家、禅僧が修行中の弟子を導くために棒で警醒すること。また、それに用いる棒。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ※談義本・世間万病回春(1771)二「その躰相(ていさう)さも一棒(ボウ)の下に打殺すべきいきほひ」

 

とある。弟子を導くと言っても夕べと朝とで言うことが違う困った師匠もいるもんだ。

 ただ、昨日は厳しく修行すると言っていて、今朝花が咲いてるのを見たら一転して今日は遊ぼうと、こういう朝令暮改なら歓迎だ。

 

季語は「花」で春、植物、木類。釈教。「山」は山類。

 

十八句目

 

   一棒にあづかる山の花咲て

 塩すくひ込春の糠味噌      越人

 (一棒にあづかる山の花咲て塩すくひ込春の糠味噌)

 

 お坊さんだと花見といっても肉や魚はなしで、糠味噌に塩を足して糠漬けを作る。

 

季語は「春」で春。

二表

十九句目

 

   塩すくひ込春の糠味噌

 万歳の姿斗はいかめしく     木因

 (万歳の姿斗はいかめしく塩すくひ込春の糠味噌)

 

 万歳は正月に複数の人で行われる角付け芸だが、その衣装についてはウィキペディアに、

 

 「室町時代中期に門付けが一般化してくると、その際に太夫は裁着袴(たつつけばかま)をはいた。江戸時代には三河出身の徳川家によって優遇された三河萬歳は、武士のように帯刀、大紋の直垂の着用が許された。各地に広まった萬歳は、後に能や歌舞伎などの要素を取り入れたりしたことによって、さらに衣装が多様化した。」

 

とあり、姿だけは立派な武士のように見えたのだろう。だがどこか糠味噌の匂いがする。

 

季語は「万歳」で春、人倫。

 

二十句目

 

   万歳の姿斗はいかめしく

 村はづれまで犬に追るる     斜嶺

 (万歳の姿斗はいかめしく村はづれまで犬に追るる)

 

 昔の田舎では犬の放し飼いは普通だった。怪しいものが来るとどこまでも追いかけてくる。

 

無季。「犬」は獣類。

 

二十一句目

 

   村はづれまで犬に追るる

 はなし聞行脚の道のおもしろや  此筋

 (はなし聞行脚の道のおもしろや村はづれまで犬に追るる)

 

 芭蕉や曾良も犬に追いかけられたことあったのかな。

 

無季。旅体。

 

二十二句目

 

   はなし聞行脚の道のおもしろや

 二代上手の医はなかりけり    残香

 (はなし聞行脚の道のおもしろや二代上手の医はなかりけり)

 

 医者の二代目は医の方の才能がなく、俳諧師になって行脚の道に出るって、そりゃあ其角さんに失礼だ。それとも去来さんのこと?

 

無季。「医」は人倫。

 

二十三句目

 

   二代上手の医はなかりけり

 揚弓の工するほどむつかしき   曾良

 (揚弓の工するほどむつかしき二代上手の医はなかりけり)

 

 「揚弓」はコトバンクの「百科事典マイペディアの解説」に、

 

 「遊戯用の小弓。ヤナギ(楊・柳)製の85cmほどの弓で,ハクチョウの羽をつけた矢をつがえ,約13.5mの距離にある的を射る。この遊戯は唐の玄宗皇帝が楊貴妃とともに楽しんだとも伝えられ,古く中国から渡来し,室町時代には宮中の七夕七遊(ななあそび)の一つとしていろいろな作法を伴っていた。江戸時代に入ると民間でも賭(かけ)付きで行われるようになり,元禄期には楊弓場が出現した。」

 

とある。最後の「楊弓場」は矢場とも言われ、「やばい」の語源とも言われている。

 俳諧師になるのはまだましな方で、矢場にはまってしまうと面倒くさい。

 

無季。

 

二十四句目

 

   揚弓の工するほどむつかしき

 烏帽子かぶらぬ髪もうすくて   如行

 (揚弓の工するほどむつかしき烏帽子かぶらぬ髪もうすくて)

 

 これは弓を作る職人の匠であろう。烏帽子を被らない髪はいわゆる茶筅になるが、それすらみすぼらしい。

 

無季。「烏帽子」は衣裳。

 

二十五句目

 

   烏帽子かぶらぬ髪もうすくて

 冬籠物覚ての大雪に       左柳

 (冬籠物覚ての大雪に烏帽子かぶらぬ髪もうすくて)

 

 髪の薄くなった老人が物心ついて以来初めての大雪だというのだから、五十年に一度、百年に一度の大雪か。江戸時代は寒冷期で、桃隣の「舞都遲登理」によれば元禄九年の東北の栗駒山(1626m)は水無月でも雪があったし、湯殿山に行ったときは吹雪だったという。

 地球は今でも小氷河期に向かって寒冷化していると言われているが、十九世紀からそれをはるかに上回る炭酸ガス濃度の上昇による温暖化が起きて、未曽有の温暖期になっている。

 

季語は「冬籠」で冬。「大雪」も冬、降物。

 

二十六句目

 

   冬籠物覚ての大雪に

 茶の立やうも不案内なる     文鳥

 (冬籠物覚ての大雪に茶の立やうも不案内なる)

 

 前句の「物覚て」を物心ついての意味ではなく、茶道を覚えたばかりでという意味に取り成したか。冬籠りで雪となれば、師匠の所に行けず、練習不足になったのだろう。

 

無季。

 

二十七句目

 

   茶の立やうも不案内なる

 美くしう顔生付物憂さよ     越人

 (美くしう顔生付物憂さよ茶の立やうも不案内なる)

 

 美少年でちやほやされてきたのか、茶の立て様も厳しく指導してくれる人がいなかったのだろう。肝心な時に恥をかく。

 

無季。

 

二十八句目

 

   美くしう顔生付物憂さよ

 尼に成べき宵のきぬぎぬ     路通

 (美くしう顔生付物憂さよ尼に成べき宵のきぬぎぬ)

 

 女もなまじっか美人に生まれると、悪い男にたかられてしまうものだ。美人だから幸せになれるとは限らない。

 

無季。恋。釈教。「尼」は人倫。

 

二十九句目

 

   尼に成べき宵のきぬぎぬ

 月影に鎧とやらを見透して    芭蕉

 (月影に鎧とやらを見透して尼に成べき宵のきぬぎぬ)

 

 透けて見えるのは亡霊だ。残念ながら主人は戦死しました。明日からは尼です。

 

季語は「月影」で秋、夜分、天象。「鎧」は衣裳。

 

三十句目

 

   月影に鎧とやらを見透して

 萩とぞ思ふ一株の萩       荊口

 (月影に鎧とやらを見透して萩とぞ思ふ一株の萩)

 

 亡霊の正体見たり一株の萩。ちなみに、

 

 化物の正体見たり枯尾花     也有

 

の句はこれより百年後の天明の時代になる。「松木淡々がおのれを高ぶり、人を慢(あなど)ると伝え聞き、初めて対面して」(俳家奇人談)詠んだとされている。淡々を化け物のような人だと思っていたが、会ってみたらしょぼくれた爺さんで枯尾花だったというのが本来の意味。それが後になって「幽霊の」に上五が変わってしまい、今の意味になった。

 ネット上では例によってこういう有名な句を芭蕉に仮託する人がいるようだが、フェイクだ。また也有の『鶉衣』にこの句はない。

 

 笠もたで幽霊消るしぐれ哉    也有

 

の句ならあるが。

 

季語は「萩」で秋、植物、草類。

二裏

三十一句目

 

   萩とぞ思ふ一株の萩

 何事も盆を仕舞て隙に成     此筋

 (何事も盆を仕舞て隙に成萩とぞ思ふ一株の萩)

 

 お盆が終わって精霊棚やなにかを片付けてしまうとすることもなく、それまで目に留まらなかった萩が咲いているのが目に入る。

 

季語は「盆」で秋。

 

三十二句目

 

   何事も盆を仕舞て隙に成

 追手も連に誘う参宮       曾良

 (何事も盆を仕舞て隙に成追手も連に誘う参宮)

 

 お盆の前は大晦日同様つけや借金を取り立てる。済んでしまえば取り立てに来た人も誘ってお伊勢参りに行く。

 

無季。神祇。「追手」は人倫。

 

三十三句目

 

   追手も連に誘う参宮

 丸腰に捨て中々暮しよき     残香

 (丸腰に捨て中々暮しよき追手も連に誘う参宮)

 

 宮本注には「武士の身を捨てて、かえって気楽なさま」とある。

 お伊勢参りも格式ばらずに気ままに物見遊山を兼ねた旅ができるのは庶民の特権だった。

 ただ、武士の身分を捨てて困るのは仕事だろう。絵だとか俳諧だとか医者だとか、何か芸がなければ「暮しよき」とはいかなかっただろう。

 

無季。

 

三十四句目

 

   丸腰に捨て中々暮しよき

 もののわけ知る母の尊さ     木因

 (丸腰に捨て中々暮しよきもののわけ知る母の尊さ)

 

 武家身分を捨てても母の援助を受ければ「暮しよき」にはなるか。

 

無季。「母」は人倫。

 

三十五句目

 

   もののわけ知る母の尊さ

 花の蔭鎌倉どのの草まくら    如行

 (花の蔭鎌倉どのの草まくらもののわけ知る母の尊さ)

 

 鎌倉殿は鎌倉の将軍のことだが、この場合源実朝のことで、母は北条政子か。政治は母や北条義時に任せ、和歌を好み旅をした。ただその末路は…。

 

季語は「花」で春、植物、木類。旅体。「鎌倉殿」は人倫。

 

挙句

 

   花の蔭鎌倉どのの草まくら

 梅山吹にのこるつぎ歌      斜嶺

 (花の蔭鎌倉どのの草まくら梅山吹にのこるつぎ歌)

 

 「つぎ歌」は上句に下句を付けるだけの鎖連歌以前の短連歌のことであろう。

 山吹といえば、

 

 山吹の花の盛りになりぬれば

     井手のわたりにゆかぬ日ぞなき

               源実朝(金塊集)

 

の歌がある。

 

季語は「梅山吹」で春、植物、木類(梅)草類(山吹)。