X奥の細道、七月

七月一日

雨が時折降る天気で、曾良とその知り合いの人達と一緒に朝のうちに泰叟院(たいそういん)に詣でてから村上を発った。

山を越すと湿地帯の広がる低地で、海岸沿いの砂丘の上を歩いた。ちょうど東海道の沼津から田子の浦の辺りのような感じだ。

 

昼頃(きのと)という村に着いて(おっ)宝寺(ぽうじ)を参拝した。ちょうど着く前に大雨が降って来たがすぐに止んだ。

(きのと)を出てしばらく行くと、夕方にまた雨になり、やっとのことで築地(ついじ)(むら)に辿り着いて宿を借りた。

 

 

七月二日

朝、出る頃には曇ってたが昼には晴れて来た。

とにかくこの辺りは大きな川が集まって形成された広大な湿地帯で、まさに「潟」だ。最近ではあちこち干拓が進められてるともいう。ここが全部田んぼになったらすごいだろうな。

 

あれからしばらく行くと広大な河口に着き、船で渡った。気持ちのいいアイに風が吹いて、まだ日の高いうちに新潟に着くことが出来た。

ただ、宿は相部屋の所しか空いてないので、大工の源七という人の母の家を借りて泊めてもらうことにした。

 

 

七月三日

今日はいい天気だ。これから弥彦(やひこ)明神に向かう。

馬に乗ろうと思ったが、大工の源七が馬は馬鹿みたいに高いから歩いた方が良いって言うので、歩いてゆくことにする。

また湿地を避けての砂丘のコースになる。

 

砂丘の道をゆくと、海の向こうには佐渡(さどが)(しま)も見える。前の方にあった小高い山が近づいて来て、その麓までくると、海から離れて山の内陸側へと参道がある。

暑かったけど何とか明るいうちに着くことが出来た。宿を取ったら参拝に行こう。

 

 

七月四日

今日も良い天気で、弥彦山の宿坊を出て山を越えた。

峠を越えて右の方へ行くと、谷の中にお堂があって、そこで(こう)智法印(ちほういん)像を見た。即身仏だという。

そのあと野積(のづみ)(はま)に出た。佐渡島が正面に見える。

 

野積浜を出て寺泊(てらどまり)を経て海岸を歩き続けると出雲崎(いずもざき)に着いた。暑かったけどアイの風は吹いて、今日も赤々とした太陽が海に沈んでゆく。

 

日が沈むと4日の月が西に浮かび、暗くなると頭上に天の川があって二星が見えた。

南西から真上を通って北東へと連なる天の川をそのまま回転させ、地上に降ろして目の前の海に重ねたら、自分が織姫の位置になり、佐渡の牽牛がいることになる。

 

流刑の地と言われる佐渡島の前には日本海の荒波が横たわり、きっと織姫彦星が見る天の川ってこんなんだろうな。

この荒海は佐渡の前に横たう天の川なるや。

 

荒海や佐渡によこたふ天の川 芭蕉

 

 

七月五日

夜中から降り出した雨は朝に一旦止んだんで出発したが、すぐにまた雨が降り出した。

相変わらず延々と海岸沿いの道が続く。今日は雨で海も霞んで佐渡島も見えない。

 

柏崎まで来たので与三郎が紹介してくれた宿に行ったけど、曾良がブチ切れちゃってね。

まあ、普通に商人が利用する宿なんて、相部屋で詰め込むだけ詰め込むのは普通のことでね。新潟もそうだったし。

 

確かに曾良の紹介で家老やら阿闍(あじゃ)()やら、いろいろ偉い人にアポを取って、今までの旅にはないような経験もできたけどね。

偉い人にに会ったり、そこの屋敷に泊まるから(しらみ)NGだというのもわかるけど。

路通と旅してたらまた違ってたろうな。辻堂とか平気だし、野宿とかも経験できたかな。

 

結局あれから柏崎を出て鉢崎まで歩いた。俵屋六郎兵衛という人の宿で曾良も納得して、今日はこれで落ち着くことができた。

 

 

七月六日

朝は雨が降っていて、止むのを待ってから出発したら昼頃になった。まあ、ちょっと休憩できた。

曾良の方がかなり参ってるみたいな。気苦労が絶えなくて心配だ。

 

黒井の先に川があるので、船で海周りで越えて今町に着いた。

(なお)江津(えつ)は昔国府のあった所で、宗祇法師も最後はここに滞在してた。そんな土地柄だからか、今夜は興行ができそうだ。発句を用意しておこうか。明日は七夕。

 

また曾良が忙しく歩きまわって、予定してた(ちょう)信寺(しんじ)も葬式のため泊まれず、何とか古川市左衛門の家に泊まることができた。夕方から雨も降り出した。

 

夜になったら聴信寺の(みん)(おう)和尚やその檀家の石塚喜衛門と源助、(ゆう)(せつ)などが訪ねてきたが、すっかり遅くなったし、明日改めて興行を行う約束して、発句だけ先に渡しておいた。

 

文月(ふみづき)六日(むいか)も常の夜には似ず 芭蕉

 

 

七月七日

今日も朝から雨。村上から歩きっぱなしだし、ゆっくり休みたい。

曾良もまた昨日の宿のトラブルで疲れ切ってる。

 

聴信寺から何度も使いが来て招待されて、ずっと断ってたが、結局午後には行ってきた。

夜は右雪の家で昨日約束した興行を行う。

 

石塚喜衛門「俳号は()(りつ)だすけ、よろしく。では、発句は昨日出てたので、脇から。六日は常の夜には似ずというのは芭蕉さんがいらしたからで、我々落ちかけてた桐の葉にも露の輝く。」

 

  文月や六日も常の夜には似ず

露をのせたる桐の一葉(ひとつば) 左栗

 

曾良「では露の光ということで、朝の情景に転じましょう。仁徳天皇の民の煙の賑わいを喜ぶということで。」

 

  露をのせたる桐の一葉

朝霧に食焼(めしたく)(けぶり)立分(たちわけ)て 曾良

 

眠鴎「煙が立つと言えば海人(あま)の藻塩だすけ、磯の情景ということで。」

 

  朝霧に食う焼烟立分て

(あま)小舟(をぶね)をはせ(あが)る磯 眠鴎

 

石塚善四郎「俳号は()(ちく)。海人の小舟といえば、昔の須磨明石の流刑人。帰る所もない。ねぐらのないカラスのような。」

 

  蜑の小舟をはせ上る磯

(なく)むかふに山を見ざりけり 此竹

 

石塚源助「俳号は()(のう)。山がないから見渡す限り湿地帯の越後の国。海辺の松並木の木の間の道を大名行列が行く。」

 

  烏啼むかふに山を見ざりけり

松の木間(こま)より続く供やり 布嚢

 

右雪「ではその大名行列を庭から見てるということで。」

 

  松の木間より続く供やり

(ゆふ)(あらし)吹払(ふきはら)ふ石の塵 右雪

 

執筆(しゅひつ)「夕暮れの庭では庭師が仕事を終え、削った石の屑を払うために行水をする。」

 

  夕嵐庭吹払ふ石の塵

たらい取巻(とりまく)(しづ)行水(ぎゃうずゐ) 執筆

 

左栗「行水の水を引いてる(かけい)に鳥が水を飲みに来る。」

 

  たらい取巻賤が行水

思ひかけぬ筧をつたふ鳥一ツ 左栗

 

曾良「思いすらかけてくれない、と取り成して、つれなくもさっさと帰って行った男を起き上がることもなく見送る女としましょうか。行ってしまった後には鳥がいるだけ。」

 

  思ひかけぬ筧をつたふ鳥一ツ

きぬぎぬの場に(おき)もなをらず 曾良

 

義年「何だみんな恋の句は駄目かい?なら飛び入りで。前句をもう二度と会うこともない別れとして、ようやく起き上がると残された恨みの品を捨ててしまおうと並べ始める。」

 

  きぬぎぬの場に起もなをらず

数々に(うらみ)(しな)(さし)つぎて 曾良

 

芭蕉「実際あなたが私にくれたものってこうやって見てみると、笑うっきゃないねって、貰った鏡を見ながら思う。」

 

  数々に恨の品の指つぎて

鏡に移す我がわらひがほ 芭蕉

 

左栗「恋を離れるといっても何も思い浮かばない。この辺りで月を出してくれというし、やはり朝の月しかないかな。」

 

  鏡に移す我がわらひがほ

あけはなれあさ()は月の色薄く 左

 

右雪「うちの犬は鹿を追っ払ってくれるどころか、何故か子鹿を連れてきてしまったよ。何考えてるんだ。」

 

  あけはなれあさ気は月の色薄く

鹿(ひい)て来る犬のにくさよ 右雪

 

眠鴎「犬は鹿を連れて来るというのに、隠棲してるこの坊主には(きぬた)を打ってくれる人はいない。」

 

  鹿引て来る犬のにくさよ

きぬたうつすべさへ知らぬ(すみ)(ごろも) 眠鴎

 

左栗「砧を自分で打ったことのないような元高貴な尼さんにしようかな。嵯峨野の祇王と祇女の姉妹がいいかな。」

 

  きぬたうつすべさへ知らぬ墨衣

たつた二人(ふたり)の山本の(いほ) 左栗

 

義年「さっきの句が良かったからって、いきなり花を持てだなんて光栄な。二人の山暮らしだから寒山(かんざん)拾得(じっとく)なんてどうだ。舞い散る花に拍手しながら夕暮れになったら星を数える。」

 

  たつた二人の山本の庵

(はな)(ぎん)(その)まま(くれ)て星かぞふ 義年

 

右雪「なら邯鄲(かんたん)の夢から覚めたみたいに、花見で浮かれてて気づくと夜で蝋燭(ろうそく)が揺れてる。」

 

  華の吟其まま暮て星かぞふ

蝶の()おしむ蝋燭(らふそく)の影 右雪

 

芭蕉「すまんが自分も曾良も疲れてて、ここで一句づつ付けるから後は何とかみんなで満尾しておいてくれ。前句は和尚さんの遷化(せんげ)で、(とむら)いに稚児も剃髪する。」

 

  蝶の羽おしむ蝋燭の影

春雨(はるさめ)(そる)(ちご)の泪にて 芭蕉

 

曾良「稚児といえば恋ですね。いろんな人と付き合って、相手によって違う香を焚いた手紙が届くが、中には悲しい手紙もありまして。」

 

  春雨は剃髪児の泪にて

()は色々に人々の(ふみ) 曾良

 

 

七月八日

朝は雨が止んだので高田の池田六左衛門の所に行こうかと思ったが、喜衛門に呼ばれて昼食をご馳走になった。

 

昼飯を終えて少し休んでから高田へ出発した。一里かそこらしかないのですぐ着くと思う。

別れ際に、

 

(ほし)今宵(こよひ)師に(こま)(ひい)(とどめ)たし 右雪

 

曾良「私もせめて早稲の新米の取れる頃まで留まりたかったところです。」

 

  星今宵師に駒引て留たし

(かう)ばしき初刈(はつかり)の米 曾良

 

芭蕉「(早稲って香ばしいかな。あれ臭いよね。まあ、それは言えない。)早稲の取れる頃にはお盆かな。漬け込んで天日で干した晒し木綿を搗いて糊付けする頃。」

 

  色香ばしき初刈の米

さらし水(をどり)に急ぐ布つきて 芭蕉

 

そうそう忘れるところだったが、右雪だけでなく、

 

(ゆく)(つき)()とどめかねたる(うさぎ)(かな) 此竹

七夕や又も往還の水方深く 左栗

 

の餞別句も貰った。

 

高田に着くと細川春庵とかいう者の使いが来た。

知らない人なので、先に予定してた池田六左衛門のところに行くと、お客さんが来てるというので、近くの高安寺の観音堂で一休みしてたら、今度は使いの者が春庵からの手紙を持ってきた。

 

薬草園があるというので、何となく知らない花があるんじゃないかと思って行ってみることにした。

 

薬欄(やくらん)のいづれの花をくさ枕 芭蕉

 

春庵は(とう)(せつ)という俳号で、着くと早速四句目まで興行した。

棟雪「薬草園の中で野宿ですか?萩の簾に月が見えてそれは素敵なことでしょう。でもちゃんと部屋で寝てってくださいね。」

 

  薬欄にいづれの花をくさ枕

萩のすだれをあげかける月 棟雪

 

鈴木与兵衛「俳号は更也(こうや)です。萩の簾を、萩の枝を乾燥させたもので作った簾にして、部屋ではなく工房ということにしましょうか。」

 

  萩のすだれをあげかける月

()けぶりの(ゆふべ)を秋のいぶせくて 更也

 

曾良「炉の煙でけぶたいので、それを避けて薮の方を馬で通り過ぎるということにしましょう。」

 

  炉けぶりの夕を秋のいぶせくて

(のり)ぬけし高藪(たかやぶ)の下 曾良

 

このあと六左衛門の息子の甚左衛門が呼びにきたので、一応六左衛門と会ってから春庵の家に泊まることにした。

 

 

七月九日

今日は朝から時折小雨が降る天気で、ゆっくり休めそうだ。

昨日四句で終わった俳諧の続きだが、曾良疲れて寝てるので、そっとしといてやろう。

 

何とか歌仙一巻満尾した。

いつもは曾良が書き留めておいてくれるけど、今日はなしで。

 

 

七月十日

昨日から時々小雨が降るような天気が続いてる。

今日は中桐甚四郎という人に招かれてこれから興行をする。曾良は今日もお休み。

 

中桐甚四郎の家での興行も終わり、夜には春庵の所に戻った。雨も上がって晴れた。

明日はここを出て、また海岸の道になるのかな。

 

 

七月十一日

今日はよく晴れた。高田を出て午前中に直江津の()()国分寺(こくぶんじ)と越後国一之宮の()()神社を見て回った。これからまた海岸沿いの道だ。それにしても暑い。

 

あれから海岸沿いの道を延々と歩いて、夕暮れには能生(のう)に着き、玉屋五郎兵衛の宿に泊まった。今日も夕日が海に沈む。月も南の空に見える。大分丸くなってきた。お盆も近い。

 

 

七月十二日

今日も良い天気で、昨日に続いてまた海岸の道を延々と歩いてる。

途中早川という川を渡ってる時に転んでびしょ濡れになった。まあ、この日差しならすぐ乾くが。

 

昼は糸魚川(いといがわ)の荒屋町の左五左衛門の宿で休憩した。前日名立(なだち)に泊まった場合はここで宿泊する予定だったようだ。名立からの返事がなかったので能生まで行ったんだという。

ここでも加賀大聖寺(だいしょうじ)から何か連絡があったようだ。曾良はしっかり仕事している。

 

糸魚川を出てしばらく行くと親知らず子知らずという断崖絶壁の迫るところがあったが、今日は天気も良く波も穏やかで問題はなかった。

この辺りまで来るとうっすらと能登が見えてくる。

夕日が能登に傾く頃、市振(いちぶり)に着いた。

 

市振に宿を取ると新潟から来たという遊女二人と付き添いの老人が泊まってた。

遊郭の遊女は籠の鳥だが、田舎の方では結構こういう自由な遊女がいて、そんな珍しくもないけどね。

これから伊勢へ行くという。遷宮の年だし自分もこれから行くからね。

 

一つ家に遊女も寝たり‥、そのまんまだけど何か季語を入れたら発句になるかな。

遊女は()すものだから萩。そこに真如(しんにょ)の月が照らすと、萩の露がきらきら光る。

 

一家に遊女もねたり萩と月 芭蕉

 

 

七月十三日

市振を出ると能登の方に虹がかかってた。不安定な天気のようだ。

ちょっと行くと玉木村という所に川があって、ここを渡ると越中になる。

渡るとすぐ先に境の関があった。加賀藩の領内の入るとさすが加賀百万石だ。馬に乗れた。

 

入善(にゅうぜん)まで来ると広い川の河川敷になっていて、ここは馬で通れないという。黒部川の河口はたくさんの川に分かれていて、その都度足を濡らして越えなくてはならない。曾良が人を雇って荷物を持たせて、何とか渡ることができた。今日は転ばないよ。

 

川上に一里半行った所には橋があるので、雨が続く時はみんなそっちを通るという。

 

黒部川を渡ったあと、雨が降ってきたが、晴れるとまた暑い。

まあ、でも馬での移動は楽だ。明るいうちに滑川(なめりかわ)に着いた。

 

 

七月十四日

今日も良い天気で滑川を出た。また海岸沿いの道が続く。高田を出てから異常に暑い日が続いてるが、歩かなくていいのは助かる。昔詠んだ、

 

命なりわづかの笠の下涼(したすず)み 桃青

 

の句を思い出す。

 

東岩瀬までは3里ほどだった。渡し船で大きな川の河口を渡った。

ここを通れば富山藩の手形なしに向こう側に行くことができる。分断された加賀藩の回廊のようなものだ。

富山城は一里ほど川上になるらしい。

 

川を渡ると久しぶりに湿地帯の広がる場所に来て、やがて大きな入江になる。ここが()()の浦か。

 

越の海あゆの風吹く那古の浦に

   船は留めよ波枕(なみまくら)せむ

       藤原(ふじわらの)(なか)(ざね)

 

の歌に詠まれた所か。今日はアイの風もなく暑い。

 

那古の大きな干潟を見ながら海沿いを行くと、放生津(ほうじょうづ)八幡宮があった。放生会(ほうじょうえ)をするところからその名があるという。

そういえば尾花沢の興行でも放生会をネタにしたっけな。

この先また大きな川の河口を渡る。

 

川を渡り、右に折れると海岸沿いに能登へ行くという。こっちへ行くと氷見(ひみ)という所に歌枕(うたまくら)名寄(なよせ)の、

 

この頃は田子(たご)藤波(ふじなみ)なみかけて

   ゆくてにかざす袖や濡れなむ

       土御門院(つちみかどいん)

 

の歌に詠まれた田子の藤波があるという。

 

行ってみたいが狭い道を5里歩かなくてはならないだとか、行っても泊まる所がないと言って曾良に止められた。

この辺りへ来ると田んぼで早稲を作ってるのか、独特な匂いがする。曾良はいい匂いだというが、やっぱ臭い。

 

わせの香や分入(わけいる)右は(あり)()(うみ) 芭蕉

 

高岡に着いた。(ふた)上山(がみやま)は目の前にある。

 

玉くしげ二上山に鳴く鳥の

   声の恋しき時は来にけり

 

これも歌枕名寄にあった。

ここで一泊だが、何だかとにかく疲れた。

 

 

七月十五日

今日はお盆で、これから()()伽羅(から)峠を越えて金沢に向かう。木曽義仲の()(ぎゅう)(けい)は俳諧でもネタにされてるが、本当なのだろうか。

今日も暑い日になりそうだ。昨日はあれから気分が悪くなった。気をつけよう。

 

埴生八幡に参拝した。木曽義仲もここで戦勝祈願をしたという。

ここまでは平坦な道だったが、ここから山越の道になる。

埴生(はにゅう)八幡(はちまん)から少し行って川を渡ると、西へと尾根道を登ってゆくことになる。道は結構広いし馬で越えられるのは有り難い。

 

稜線の尾根道を行き、高いところまで来ると、左に源氏山、右に卯の花山が見える。木曽義仲もこの辺りに陣を張ったという。

道は一度下ってから卯の花山の北側の脇を抜けて行き、ここが倶利伽羅峠になる。

 

倶利伽羅峠を越えた。その火牛の計のあったという谷は山の裏側で、結局見えなかった。

そのあとまた稜線上のだらだらとした道が続く。

曾良はこういう直線的な尾根道は古代の駅路の名残だというが、どうでもいい情報だ。

 

やはり馬は楽だ。暑い一日だったけど意外に早く金沢に着いた。京屋吉兵衛の宿の泊まることになった。

竹雀と一笑を呼んできてもらった。竹雀は牧童を連れてすぐにやってきたが、一笑が去年の12月に亡くなったことを知った。

 

とにかく今日の木曽義仲の旧跡を見てきた楽しい気分が一気に吹っ飛んだ。まだ若かったはずだ。

出発前に名古屋の荷兮に今度の撰集()()()の序文を送ったが、その阿羅野には一笑の句が載っていた。

 

元日や明すましたるかすみ哉

いそがしや野分(のわき)の空に夜這(よばひ)(ほし)

火とぼして幾日になりぬ冬椿

 

会いたかった。

 

一笑の死のショックは大きかったが、集まった金沢の人達に慰められながら、気を紛らわす意味でもお盆の発句を作ってみた。

九郎(くろう)判官(ほうがん)義経(よしつね)に成敗された盗賊の頭の熊坂(くまさか)長範(ちょうはん)は加賀の生まれだったということで、この辺りだと親類縁者がいるのかな。

 

だとすると熊坂長範の魂を持つる人達もいるのかなって思った。

 

熊坂がゆかりやいつの玉まつり 芭蕉

 

一笑の魂も初盆で帰ってきてくれてるなら聞いてるかな。

 

 

七月十六日

今日も良い天気で、朝はゆっくり休んだ。

竹雀が籠屋を連れて迎えにきてくれて、宮竹屋喜左衛門の家に移った。

 

 

七月十七日

昨日の午後から、金沢で俳諧をやってるという人が二、三訪ねて来た。まあ、深川にいる時はいつもそうだし、旅でも長く滞在してると必ず人がやってくる。

源意庵から誘いがあって今日は出かけることにするが、曾良がまた具合が悪くなって心配だ。

 

源意庵は川の近くでここで夕涼みをした。俳諧興行ではなく、みんなで発句を詠んだ。

この前から何度となく海に傾く夕日を見たけど、それに耳で聞く秋風と取り合わせて、

 

あかあかと日はつれなくも秋の風 芭蕉

 

我ながらよくできたと思った。

 

曾良から預かった句もあって、

 

人々の涼みに残る暑さかな 曾良

 

病気で暑い部屋に取り残されたからな。

その他、宿の主人の、

 

入相(いりあひ)や盆の過ぎたる鐘の音 小春(しょうしゅん)

 

源四郎の、

 

橋見れば少し残暑の支へたり 北枝

 

の句もあった。

あとは、

 

白鷺やねぐら曇らす秋の照り 此道

川音やすごきに退かぬ残暑哉 雲口

雲立ちの今日も変らぬ残暑哉 一水

 

の句もあったかな。

 

 

七月十八日

昨日は源意庵から帰ったあと、夜中に強い雨が降ったが、明け方には止んで、今は快晴だ。

曾良の調子も良くならないし、今日は一日ゆっくり休みたい。

 

昨日の「あかあかと」の句。曾良によると、秋風は春に生じた生命の秋に止むの、その目に見えない暗示だそうで、それに太陽がつれなくも沈んでゆくのと響き会うとのこと。

 

 

七月十九日

今朝も晴れた。曾良の調子もだいぶ良くなってきたという。明日の興行は大丈夫かな。

今日もゆっくり休もう。

 

昼も過ぎた頃だったか、去年の夏、大津にいた時に入門してきた乙州(おとくに)と再会した。明日の興行に参加するという。大阪商人の何処(かしょ)も一緒だった。

一昨日招かれた源意庵の源四郎も来た。牧童の弟で北枝とかいったか。

 

 

七月二十日

午後から一泉の家で興行した。

芭蕉「ではお盆も終わったことで、お供えしてた瓜や茄子(なすび)のお下がりを頂いたので、みんなで食べましょう。茄子は生では何だから、それぞれ火で炙るなり料理してね。」

 

残暑暫(ざんしょしばし)()(ごと)にれ(うれ)うれ(うり)茄子(なすび) 芭蕉

 

一泉「暑いけど日は短くなって暮れるのも早くなったが、今日はまだ日の高いうちで、暑いと思いますが。」

 

  残暑暫手毎にれうれ瓜茄子

みじかさまたで秋の日の影 一泉

 

左任「では旅体に転じようか。日が出たからすぐに月に行かなくてはね。短い日が沈んで月と入れ替わるように、野の末で馬も乗り換える。」

 

  みじかさまたで秋の日の影

月よりも(ゆく)野の末に馬(つぎ)て 左任

 

丿(べつ)(しょう)「弟が参加できなくて残念だけで、頑張ります。月よりも、月ではなく高い生垣(いけがき)ばかり目について、月がよく見えない。」

 

  月よりも行野の末に馬次て

透間(すきま)きびしき村の生垣 丿松

 

竹意「弟さんは本当に残念でした。でもまあここは湿っぽくならずに。生垣の家が並ぶと言えば三条に釘を作流ために集まった(くわ)鍛治(かじ)さん。そこらじゅうで(つち)の音を響かせている。」

 

  透間きびしき村の生垣

鍬鍛治の(かど)をならべて槌の音 竹意

 

語子「鍛冶屋といえば水が必要。」

 

  鍬鍛治の門をならべて槌の音

小桶(こをけ)の清水むすぶ(あけ)くれ 語子

 

雲口「毎日朝夕水を汲みに行く人は、七つの頃から育ててもらった老女に恩を返す意味で、毎日介護をしている。」

 

  小桶の清水むすぶ明くれ

(ななつ)より生長(ひととなり)しも(をば)のおん 雲口

 

乙州「その老女は既に亡くなっていて、追善に放生会(ほうじょうえ)をする。加賀にも放生津八幡があるしね。でも場所はそれっぽい架空の場所ということで、西方浄土の西に掛けて、西の栗原。」

 

  七より生長しも姨のおん

とり(はなち)やるにしの栗原 乙州

 

如柳「放たれた鳥が西の栗原に遊んでるのを見ると、昔読み習った西行法師の、

 

心なき身にもあはれは知られけり

   (しぎ)()つ沢の秋の夕暮れ

 

の歌を思い出す。」

 

  とり放やるにしの栗原

読習(よみなら)歌に道ある心地(ここち)して 如柳

 

北枝「歌の心といえば月花だから、この辺で月を出そうか。油がなくなって行灯(あんどん)の火が消えたと思ったら、いいタイミングで雲間から月が出た。心ある月だ。」

 

  読習ふ歌に道ある心地して

ともし(きゆ)ば雲に()る月 北枝

 

曾良「渡し(もり)の朝にしましょう。明るくなって灯しを消すと、雲の切れ目から有明の月が見えて、今日はいい天気になりそうだ。でも明け方は冷えるので、咳をする。」

 

  ともし消れば雲に出る月

(はだ)(ざむき)(しはぶ)きしたる渡し守 曾良

 

流志「渡し場の景を添えておこう。肌寒い頃には干し残した稲が近くにあったりする。」

 

  肌寒咳きしたる渡し守

をのが立木(たちき)にほし残る稲 流志

 

一泉「稲が干したまま取り残されてるなんて、夫婦喧嘩でもしたかな。元から不本意な縁組をされたとか。」

 

  をのが立木にほし残る稲

ふたつ屋はわりなき中と縁組(えんぐみ)て 一泉

 

芭蕉「わりなきという言葉は良い意味に転用して使われることもあるからな。逆に評判の思いっきり仲の良い夫婦ということにして。」

 

  ふたつ屋はわりなき中と縁組て

さざめ聞ゆる国の境目(さかひめ) 芭蕉

 

北枝「国の境目というと、そこを越えて駆け落ちする恋人同士というところかな。変装のための衣を縫う。」

 

  さざめ聞ゆる国の境目

糸かりて寝間(ねま)(わが)ぬふ恋ごろも 北枝

 

雲口「ここは(つつ)井筒(いづつ)健気(けなげ)(おさな)馴染(なじ)みとしようか。夫の旅の無事を祈り、

 

風吹けば沖津白波たつた山

  夜半(よわ)には君が一人越ゆらむ

 

の心で。」

 

  糸かりて寝間に我ぬふ恋ごろも

あしたふむべき遠山(とほやま)の雲 雲口

 

浪生「明日(あした)踏む遠山の雲は吉野の花の雲ですな。草庵に住む人が正月に飾る()(ころ)にその花を思う。」

芭蕉「思い出すな、万菊丸と吉野へ行った時を。採用。」

 

  あしたふむべき遠山の雲

草の戸の花にもうつす(とこ)()にて 浪生

 

曾良「野老とか自然のものだけで生活していて、みう何年も畑を耕してい隠者なんでしょうね。まあ、仙人出ないなら、徳があって米をくれる人がいるんでしょうな。」

 

  草の戸の花にもうつす野老にて

はたうつ事も知らで幾はる 曾良

 

興行が半歌仙で終わったあと、野畑という所へ行った。前田家の墓所のある所で、小高い山になる。ここでまた、つれなく沈んでゆく夕日を見た。帰ってから夜食に瓜茄子を食べた。

明後日は一笑の追善会をやる。

 

 

七月二十一日

今日も晴れてる。

曾良はまた病気がぶり返して、高徹という医者の所に行った。

そういうわけで今日も曾良抜きで、北枝と一水と一緒に()辰山(たつやま)の麓の寺に行った。()(くう)という僧が隠棲していて、陶淵明(とうえんめい)に倣ってか柳の木があった。

 

卯辰山に登ると遠くに越の(しら)()が見えた。残暑厳しい中で雪を被っていて白く涼しげだった。

この山を吉野の花に喩えた(しゅん)(ぜい)(きょう)の、

 

み吉野の花の盛りを今日見れば

   (こし)(しら)()に春風ぞ吹く

 

の歌を思い出し、「こしの白嶺を国の花」と下七五が浮かび上五をどうしようかあれこれ考えたが、今一つ決まらなかった。「風かほる」も良さそうだが、これは夏の季語だ、今は秋だからな。

 

 

七月二十二日

相変わらず暑い日が続く。曾良の病気は良くならず、今日はその高徹という医者の方から来てくれるという。今日の一笑の追善会の参加は無理かな。

 

一笑の追善会は朝飯が済んでから(がん)念寺(ねんじ)に集まって、法要が営まれた。午後から曾良も来て、暮に終わった。丿(べつ)(しょう)さんお疲れ様でした。

追善の句。

 

塚も動け(わが)(なく)声は秋の風 芭蕉

玉よそふ墓のかざしや竹の露 曾良

 

 

七月二十三日

今日も晴れ。曾良の病気はだいぶ良くなった。今日一日しっかり休養すれば、明日は小松に向けて出発できると思う。

今日も雲口に誘われて、曾良抜きで(みや)()(こし)を見に行く予定だ。内海で象潟(きさかた)ほどではないにせよ、景色の良い所だという。

 

宮ノ越を見た。なるほど景色は良いが、今日も暑い。アイの風で涼んだ象潟とはやはり違う。

とはいえ、外海の浜に来た時、冠石で詠んだ、

 

小鯛(こだひ)挿す柳涼しや海士が妻

  北にかたよる沖の夕立

 

の句を思い出した。

 

小春「前句が夏だから、秋の初めの夕暮れに転じようかな。秋に転じるなら月、初めだから三日月をあしらっておこうか。」

 

  北にかたよる沖の夕立

三日月のまだ(おち)つかぬ秋の来て 小春

 

雲口「七月の初めというと、重陽(ちょうよう)の開花に間に合うように菊の摘心(てきしん)をしなくてはな。」

 

  三日月のまだ落つかぬ秋の来て

いそげと菊の下葉()みぬる 雲口

 

北枝「菊の摘心の作業をするために羽織を脱いでおいたら、草の露で濡れてしまった。」

 

  いそげと菊の下葉摘みぬる

ぬぎ(おき)し羽織にのぼる草の露 北枝

 

牧童「羽織を脱ぐというと相撲かな。ただ秋が三句続いたので、相撲という季語は入れずに、土俵を表す四方の柱にしておこう。」

 

  ぬぎ置し羽織にのぼる草の露

柱の四方(よも)をめぐる遠山(とほやま) 牧童

 

夕方に牧童と紅爾が来て、もう少しここに留まって欲しいと言われた。

曾良が言うには、高徹は悪い医者ではないが、できれば早く伊勢長島まで行って、馴染みの医者の所に行きたいとのこと。一応途中まで迎えに来てくれるように手紙も書いたという。

そう言うわけで明日は予定通り出発することにした。

 

 

七月二十四日

今日もまた良い天気で、曾良も馬に乗って移動できる程度に回復した。

小春、牧童、乙州も街外れまで、送ってくれた。

雲口、一泉はもう少し先まで来てくれるという。

 

小春「名残惜しいですね。ここで何日も泊っていってくれたことは一生の思い出です。同じ蚊帳の中に寝たなんて自慢です。」

 

寝る(まで)名残(なごり)なりけり秋の蚊帳(かや) 小春

 

芭蕉「来た日はお盆で満月だったけど、一笑の死を知らされて、せっかくの月も(ひさし)を閉ざしたような気分になってしまったな。」

 

  寝る迄の名残なりけり秋の蚊帳

あたら月夜の庇さし(きる) 芭蕉

 

曾良「月夜なのに庇を閉ざすといえば嵐ですね。」

 

  あたら月夜の庇さし切

初嵐(はつあらし)山あるかたの烈しくて 曾良

 

北枝「私はこれから一緒に小松に行って、しばらく芭蕉さんのお供をさせていただきます。では、前句の嵐で増水した水に流されて魚が川の縁の外に出てしまった。」

 

  初嵐山あるかたの烈しくて

江ぶちのり越ス水のささ魚 北枝

 

雲口や一泉とは野々市(ののいち)で別れた。餞別の餅や酒を貰った。曾良のこともあるし、途中休憩しながらゆっくり行こう。

 

まだ日も高いうちに小松に着いた。竹意がここまで一緒に着いてきてくれて、近江屋という宿を紹介してくれたので、今日は曾良が走り回ることもなかった。北枝も一緒に泊まる。

 

 

七月二十五日

今日も良い天気だ。曾良の病気のこともあって、容態の良い時に一刻も早く伊勢長島へと思ってたが、例によって小松の俳諧好きが集まってきて、北枝にもう少し留まるように頼まれた。

曾良も了解し、立松寺(りっしょうじ)で泊めてくれるというので、そっちに移動する。

 

多田(ただ)八幡へ詣でて、実盛の甲冑や木曽願書を見た。木曽願書といえば須賀川の興行で、

 

  梓弓矢の羽の露をかはかせて

願書をよめる暁の声 芭蕉

 

ってネタにしたっけ。このあと山王神社の神主さんに呼ばれて、そこで興行する。

 

山王神社での興行。

芭蕉「では小松という地名に掛けて、松風だと蕭々(しょうしょう)として凄まじく聞こえるけど、ものが小松なだけにしおらしい音しか出なくて、自分も曾良も本調子ではなく、句のしおらしさもご容赦願おう。」

 

しほらしき名や小松ふく萩芒(はぎすすき) 芭蕉

 

皷蟾(こせん)「山王神社の神主です。小松吹く程度のしおらしい風くらいが、萩芒の露も散らなくて、月夜には月の光でキラキラしてちょうどいいですね。」

 

  しほらしき名や小松ふく萩芒

露を見しりて影うつす月 皷蟾

 

北枝「名月ではなく盆の月にしようか。それも遠くから盆踊りの音を聞くと、低い太鼓の音だけで、これも寂しいものだけど。」

 

  露を見しりて影うつす月

(をどり)のおとさびしき秋の数ならん 北枝

 

斧卜「遠くで聞く盆踊りというと、自宅で留守番かな。芦の網戸を訪う人もない。」

 

  躍のおとさびしき秋の数ならん

(よし)のあみ戸をとはぬゆふぐれ 斧卜

 

塵生「誰も来ず戸を閉ざすのは雪でしょう。ここの冬は雪が深くて。」

 

  葭のあみ戸をとはぬゆふぐれ

しら雪やあしだながらもまだ(ふかき) 塵生

 

志格「雪で一面真っ白な所に真っ黒なカラスをあしらっておこうか。嵐の風で飛ばされたのか、カラスが集まる。」

 

  しら雪やあしだながらもまだ深

あらしに(のり)し烏(ひと)むれ 志格

 

(せき)()「嵐が来たんで漁船が戻ってきたら、カラスの群れが魚を取りに来て、それを追っ払おうと何かないかと見たら、磯に矢が落ちてた。」

 

  あらしに乗し烏一むれ

浪あらき磯にあげたる矢を(ひろひ) 夕市

 

到益「磯に矢というと矢の雨が降ったのかな。臼杵湾の洲崎岩ヶ鼻の八坂神社は大友宗麟(おおともそうりん)の弾圧を受けた。」

 

  浪あらき磯にあげたる矢を拾

雨に洲崎(すざき)の岩をうしなふ 到益

 

觀生「海辺に鳥居が立ってる神社って、結構本殿は海岸から遠かったりする。なかなか火の灯る所に辿り着けない。」

 

  雨に洲崎の岩をうしなふ

鳥居(とりゐ)(たつ)松よりおくに火は遠く 觀生

 

曾良「神社で火を焚くというと、乞食に物を食わせてやろうと炊き出しをやってたんでしょうね。」

 

  鳥居立松よりおくに火は遠く

乞食おこして物くはせける 曾良

 

北枝「蝉が飛んで来て笠に当たって来たんで、乞食が目を覚ましたんでしょう。眠ったままなら通り過ぎようと思ったけど、まあ何か食わせてやろうか。」

 

  乞食おこして物くはせける

夏蝉の(ゆき)は笠に(おち)かへり 北枝

 

芭蕉「夏の暑い盛りは喉が渇くと気分も悪く意識も朦朧として倒れたりもする。生水はお腹壊すからお湯がいいんだが、(から)(ちゃ)だったらもっと良いな。唐茶はお茶の葉を鍋で炒ってから揉んで作る。」

 

  夏蝉の行ては笠に落かへり

茶をもむ頃やいとど夏の日 芭蕉

 

斧卜「お茶を揉んでたら夕立で山伏が雨宿りに来る。」

 

  茶をもむ頃やいとど夏の日

ゆふ(だち)のすず(かけ)(ほし)にやどりけり 斧卜

 

北枝「その山伏というのは何でも一言多くて、雨宿りをした家の子供を褒めてやるんだが。」

 

  ゆふ雨のすず懸乾にやどりけり

子をほめつつも(なん)すこしいふ 北枝

 

皷蟾「お侍さんは人の生死を預かる仕事ですから、子供も厳しく育てますね。ただ、いきなり叱りつけるのではなく、褒めてから叱る。これ大事ですね。」

 

  子をほめつつも難すこしいふ

(さぶらひ)のおもふべきこそ(いのち)なり 皷蟾

 

觀生「かつては命を張って戦ってたお侍さんも、こういう平和な時代で晩年を迎えて、算盤を習う。」

 

  侍のおもふべきこそ命なり

そろ(ばん)ならふ末の世となる 觀生

 

志格「平和で商業が発展して豊かなのは良いことだ。月の定座だし、涙することがあっても月は(とよ)の光。」

 

  そろ盤ならふ末の世となる

泪にさす月まで(とよ)の光して 志格

 

夕市「中秋の名月は芋名月で、ここは十三夜の栗名月にしようか。今年も栗は豊作。」

 

  泪にさす月まで豊の光して

皮むく栗を(たい)(あぢは) 夕市

 

午後雨が降ったがすぐに止んだ。俳諧の方はみんな乗って来たのかまだまだ続きそうで、ここに泊まることにした。

 

興行の続き。

 

致益「朝起きたら栗ご飯がなくなってて、さては狸寝入りしててあとでこっそりと食った奴がいたか。」

 

  皮むく栗を焚て味ふ

朝露も狸の床やかはくらむ 致益

 

塵生「狸と言えば人を化かすもので、床だから女に化けて床に誘ったんだな。騙されて帯を解いた馬子が慌てて逃げて行く。」

 

  朝露も狸の床やかはくらむ

(とけ)かけてはしる馬追(うまおひ)  塵生

 

曾良「吉野の桜は下から上へと咲いてゆきますからね。風流な人は下に庵を結んでおいて、散るとまだ咲いてる上の方へどんどん移動して行くもんですから、ついてきた馬子はたまったもんではありません。」

 

  帯解かけてはしる馬追

(ふもと)より花に(いほり)をむすびかへ 曾良

 

志格「吉野隠棲と言えば西行法師だな。吉野の桜のもっと奥に井戸を結んで、とくとくの清水で米を磨ぐ。」

 

  梺より花に菴をむすびかへ

ぬるむ清水に洗う黒米(くろごめ) 志格

 

北枝「山奥に遁れた落人に転じればいいかな。槍を捨てて逃げたから、そこが後に槍捨て橋と呼ばれるようになる。」

 

  ぬるむ清水に洗う黒米

春霞鑓捨(やりすて)(ばし)に人たちて 北枝

 

夕市「春の霞がたなびいて春らしくはなってるけど、蛙の声がなければまだ春も目に見えるだけで耳には聞こえない。」

 

  春霞鑓捨橋に人たちて

かたちばかりに(かはづ)なき 夕市

 

芭蕉「蛙の座ってる姿は座禅みたいだが、座禅も形だけだとすぐに三十棒で喝ってやられる。座禅して人が仏になれるなら、蛙はとっくに悟りを開いてる。」

 

  かたちばかりに蛙聲なき

(いち)(ばう)にうたれて拝む三日(みか)の月 芭蕉

 

皷蟾「いやはや幾つになっても悟りには遠いもんですな。眉毛も真っ白になってしもうたわい。」

 

  一棒にうたれて拝む三日の月

秋の霜おく(わが)眉の色 皷蟾

 

塵生「年老いた遊女というのも哀れなもんで、下級の轡女郎のまま年老いて遊女が、島原の片隅にいたりする。」

 

  秋の霜おく我眉の色

(しま)ながらくつはる袖のやや(さむく) 塵生

 

斧卜「(くつわ)をクツワムシに取り成してみようか。島原の遊郭で虫の鳴き声を競わせて風流を楽しむ。」

 

  嶋ながらくつはる袖のやや寒

恋によせたる虫くらべ見む 斧卜

 

觀生「忘れ草に鳴く虫と忍ぶ草に鳴く虫の鳴き比べかな。」

 

  恋によせたる虫くらべ見む

わすれ草しのぶのみだれうへまぜに 觀生

 

芭蕉「(しの)ぶといえば百敷(ももしき)の古き軒端。忘れの方は板敷の床に重ねられた畳に生えている。」

 

  わすれ草しのぶのみだれうへまぜに

(たたみ)かさねし御所の板鋪(いたじき)  芭蕉

 

北枝「荒れた都に戻ってきた人は乞食に身を落としていて、それでも頭陀(ずだ)(ぶくろ)から紙と筆を取り出して和歌を捧げる。」

 

  畳かさねし御所の板鋪

頭陀(づだ)よりも歌とり出して(たてまつる) 北枝

 

曾良「敗軍の将の辞世ですな。」

 

  頭陀よりも歌とり出して奉

最後のさまのしかたゆゆしき 曾良

 

皷蟾「夜の(いくさ)で打ち取った将を夜が明けてよくよく見れば、なんとまあ昔別れた、ってところですかな。」

 

  最後のさまのしかたゆゆしき

やみ(あけ)て互の顔はしれにけり 皷蟾

 

觀生「朝市の情景に転じて、市場に集まる商人はみんな互いに顔見知りだったりする。」

 

  やみ明て互の顔はしれにけり

声さまざまのほどのせはしき 觀生

 

芭蕉「街の雑踏は賑やかだけど、その多くは丁稚や番頭など、みんな金で雇われた人たちだ。」

 

  聲さまざまのほどのせはしき

大かたは(もち)たるかねにつかはるる 芭蕉

 

致益「そんな雑踏を遠くから眺めている隠士がいる。」

 

  大かたは持たるかねにつかはるる

(いほ)より見ゆる町の白壁 致

 

芭蕉「そういえば芭蕉庵からは隅田川の向こうに日本橋の町が見えたな。夕暮れの風は気持ちよかったが、ここはちょっと夕立と言わずに夕立を匂わせてみようか。疎句付けの実験だ。」

 

  菴より見ゆる町の白壁

風送る太鼓きこへて涼しやな 芭蕉

 

 

七月二十六日

夜中に降り出した雨は朝には止んだ。昨日は結局三十七句までで終わった。疲れた。夜に今度は觀生の家で興行するので、それまではゆっくり休もう。

昨日の発句は最初「荻芒(おぎすすき)」だったが、萩芒(はぎすすき)の方が付けやすいし語呂もいいんでその場で変更した。

 

朝は止んでた雨は一転して豪雨になり、風も酷かった。いわゆる野分(のわき)というやつだ。おかげで今日はゆっくり休むことができた。

夕方には晴れて、觀生の家での興行は夜からになった。

 

芭蕉「いやあ、見事な萩だが、今日の雨で露を乗せたままなので、通るとみんなびしょ濡れだ。まあ、昔から萩に露は付き物で、これも一興だ。あとは月があればいうことないが、26日じゃな。」

 

ぬれて(ゆく)や人もおかしき雨の萩 芭蕉

 

曾良「下駄を履いてるからぬかるみは平気だが、萩の葉から落ちる露は気をつけよう。」

 

心せよ下駄のひびきも萩の露 曾良

 

北枝「人だけでなく、茂みのカマキリもびしょ濡れだ。」

 

かまきりや引こぼしたる萩の露 北枝

 

觀生「では芭蕉さんの発句で興行を始めましょう。萩といえばススキということで、ススキが生えてるだけじゃなく、屋根もススキで葺いて雨露をしのぐ。」

 

  ぬれて行や人もおかしき雨の萩

すすき(がくれ)薄葺(すすきふく)家 觀生

 

曾良「ススキというと河原ですな。月の夜は猟師も猟を休んで、船遊びと洒落込む。」

 

  すすき隠に薄葺家

月見とて(れふ)にも(いで)ず船あげて 曾良

 

北枝「船あげては船を陸にあげてにも取りなせる。船が沈んでびしょ濡れになって、船をやっとのこと引き上げると、帷子(かたびら)を干す。」

 

  月見とて猟にも出ず船あげて

干ぬかたびらを(まち)かぬるなり 北枝

 

皷蟾「松風の寂しげな音に夢を破られて目を醒ますと、帷子もまだ乾いていない。まあ、人生というのはそんないっときの邯鄲(かんたん)の夢ですな。」

 

  干ぬかたびらを待かぬるなり

松の風昼寝の夢のかいさめぬ 皷蟾

 

志格「松並木ということにして街道の風景にしようか。物流を支える馬子たちが集まって昼寝してるというのもよく見る。」

 

  松の風昼寝の夢のかいさめぬ

(くつわ)ならべて馬のひと(つれ) 志格

 

斧卜「馬が並んでるというと温泉かな。人が大勢来るし、療養で何日も滞在する。」

 

  轡ならべて馬のひと連

日を経たる湯本の峯も(かすか)なる 斧卜

 

塵生「温泉で酒飲んだやつはみんな出来あがっちゃって、飲めないやつが酒樽を運ばされる。」

 

  日を経たる湯本の峯も幽なる

下戸(げこ)にもたせておもき酒樽(さかだる) 塵生

 

李邑「いくさで敵が酒盛りやってるところを襲撃するって話、よくあるよね。やられた方は飲んでない奴に酒樽持たせて逃げて、そのまま落人(おちうど)になる。」

 

  下戸にもたせておもき酒樽

むらさめの古き(しころ)もちぎれたり 李邑

 

視三「落武者は道の辻堂で一夜を明かしたりする。ここでは地蔵堂にしておこう。」

 

  むらさめの古き錣もちぎれたり

道の地蔵に枕からばや 視三

 

夕市「地蔵堂で野宿しようとすれば日が暮れて、入相(いりあい)の鐘にカラスの声が混じる。」

 

  道の地蔵に枕からばや

入相(いりあひ)の鴉の声も(なき)まじり 夕市

 

芭蕉「懐風(かいふう)(そう)に金烏望西舎、鼓声催短命ってあったな。大津の皇子(みこ)の処刑の詩だったか。罪人は船で運ばれて来て、辞世の歌を促される。」

 

  入相の鴉の声も啼まじり

歌をすすむる(らう)輿(ごし)の船 芭蕉

 

志格「牢輿の船といえば、遊女の売られてゆく船も牢輿のようなもんだな。」

 

  歌をすすむる牢輿の船

肌の(きぬ)女のかほりとまりける   志格

 

皷蟾「着物に女の匂いがすると、浮気もすぐにバレちゃうものです。懐のラブレターも見つかってえらいことですな。」

 

  肌の衣女のかほりとまりける

ふみ盗まれて(わが)うつつなき 皷蟾

 

北枝「うつつというから空蝉。木に寄りかかって悲しみ蝉の抜け殻のようになっていると、そこから抜け出したの魂の蝉が大声で泣いている。」

 

  ふみ盗まれて我うつつなき

より(かか)る木よりふり出す蝉の声  北枝

 

曾良「ここは簡単に景色を付けて流せばいい所ですね。夕立の後は一斉に蝉が鳴き出すものです。」

 

  より懸る木よりふり出す蝉の声

(かみなり)あがる塔のふすぼり 曾良

 

亨子「塔のふすぼりは雷が落ちて煙が上がってる様に取り成して、立派な塔を建てると雷が落ちるが、竹の柱の粗末な草庵なら安心いうことで。」

 

  雷あがる塔のふすぼり

世に(すめ)ば竹のはしらも(ただ)四本   亨子

 

李邑「竹の柱は植木鉢に立った朝顔の柱。」

 

  世に住ば竹のはしらも只四本

朝露きゆる鉢のあさがほ 李邑

 

夕市「秋の朝というと、夜通し鳴いてた虫の声も弱って、露も結んでは消えて行く。」

 

  朝露きゆる鉢のあさがほ

夜もすがら虫には声のかれめなき 夕市

 

斧卜「夜が出たから月を出さなくてはね。次は花の定座。昔の話にしておけば、今は花がと展開できるかな。」

 

  夜もすがら虫には声のかれめなき

むかしを(こふ)る月のみささぎ 斧卜

 

塵生「古い御陵のある所は、今ではすっかり田舎になって、そこに昔ながらの花が散っていく。」

 

  むかしを恋る月のみささぎ

ちりかかる花に米搗(こめつく)里ちかき 塵生

 

視三「最近ではそんな田舎でも立ち雛飾りを売りに来る人が、不案内な土地で道に迷ったりする。」

 

  ちりかかる花に米搗里ちかき

(ひな)うる翁道たづねけり 視三

 

 

七月二十七日

今朝は晴れた。また暑くなるのかな。

ここのお諏訪(すわ)様が祭りだというから参拝して、それから山中温泉の方に行く。曾良の療養にもなるというので勧められた。

最悪の場合は曾良を先に返すことになるが、その時は曾良にも自分にも同行者が欲しい。

 

小松を出る時に、斧卜と志格がまた引き留めようとやって来たが、長居はできない。

多田八幡に寄って発句を奉納した。

 

あなむざんやな(かぶと)の下のきりぎりす 芭蕉

 

北枝も一緒に山中温泉に来てくれる。

 

まだ明るいうちに山中温泉に着いた。泉屋久米之助の宿に泊まる。主人の久米之助はまだ少年、それもとびきりの美少年でこれからの滞在が楽しみ、っとそれはともかく、久米之助の父は貞徳の門人で、俳諧の方も期待できそうだ。

 

山中温泉の湯に早速入った。白くて硫黄の匂いがして、不老長寿の薬効があるという。重陽(ちょうよう)(きく)(ざけ)も用はないか。

加賀には加賀(かが)(きく)(ざけ)というのがあって、これは通常の菊の花の入った酒ではなく、諸白(もろはく)のような清酒だった。

 

精米歩合がやや低くて、江戸の酒ほど黒くないけど、ほんのり黄色い色がついて、それを重陽の菊酒になぞらえて、菊酒の名前があるという。

もちろん温泉に加えて菊酒もあれば言うことはない。

 

山中や菊はたおらぬ湯の(にほひ) 芭蕉

 

 

七月二十八日

昨日も夕立があったが、今朝は晴れた。ここなら金沢の人たちも来ないし、ゆっくり休養しよう。

曾良も温泉に入れて取り敢えずは満足してるようだ。昨日の諏訪祭りは曾良が見に行きたがったし、神社のこととなると病気を忘れるようだ。

 

曾良は金沢にいる時にあちこちに手紙を書いてたから、そのうち迎えの者が来るのかもしれない。多分返事は小春(しょうしゅん)の方に届くのだろう。そこから使いが来るのか、それまではここで休養だ。

 

夕方曾良と一緒に街の辺りを散歩した。薬師堂があって、曾良は興味深そうにしてた。

夜になって雨が降り出した。

 

 

七月二十九日

今日は一日ゆっくり休んで、夜になってから久米之助の道明が淵のカジカ漁を見に行かないかと誘われ、他の宿の人も一緒に見に行った。

町からちょっと川上に行った所で、そんなに遠くはなかった。

曾良はそれほど興味なさそうで、宿に残った。

 

道明が淵はというと、月のない夜で真っ暗な上、(かがり)()の煙がひどくてよく見えなかった。これじゃカジカもさぞ煙たかろう。

 

漁り火に(かじか)や浪の下むせび 芭蕉

 

 

七月三十日

今日も晴れた。7月も今日で終わり。

昨日は真っ暗でよく見えなかった道明(どうみょう)が淵を、あらめて昼間見に行った。今日は曾良も同行で、そうそう北枝がいたのも忘れてはいけない。

 

北枝には暇な時に少しづつ俳諧の指導をしている。