兼載独吟俳諧百韻、解説

文亀二年(一五〇二年)春、会津黒川の自在院にて

初表

 

 花よりも実こそほしけれ桜鯛    兼載

   霞のあみを春のひたるさ

 永日の暮ぬる里に鞠をけて

   ほころびがちにみゆるかみしも

 主殿と狂言ながらむしりあひ

   いそひで鳥をくはんとぞする

 鷹犬の鷹よりさきに走出

   門のまはりに立まはりけり

 

初裏

 たび人の宿をも終にこずかれて

   あぢきなげなるゆふくれの空

 こしをれの祖父に似たる三日の月

   秋やはつらんわかきかたがた

 露ほとも用られぬかまひごと

   後には中をたがわれぞする

 若僧のはしめのほどは思ひあひ

   しのびしのびにつまをたづぬる

 さひを手に取ながらへるも口惜や

   はだかにならばさていかにせむ

 人の物我ふところにぬすみ入

   しらず顔なるつらのにくさよ

 急をも動せぬ船のわたし守

   銭をばもたぬ道の悲しさ

 

二表

 傾城はあれども宿に独寝て

   唯恋しさは古さとのつま

 世の中をぶせうながらも捨てにけり

   法師とみれば在家入道

 畑をうつ身は墨染によごれつつ

   鋤持人はおほはらの里

 秋は只よろづの物をくばはれて

   さるのかしらは紅葉しにけり

 露時雨ひつじの時や晴ぬ覧

   いそぐあゆみに捨るみのかさ

 鬼だにも仏をみれば逃ぞする

   おがみてとをれ堂寺の前

 旅の道さはり有なと祈念して

   留守におかるる身こそつらけれ

 

二裏

 猿楽の笛と太鼓を聞計

   うたへどさらに声ぞしいける

 庭鳥の尾もなき程に年ふりて

   尻のまはりはみられざりけり

 小児達窓より顔をさし出し

   徒然そうにも文をこそよめ

 ふりよくする憂身の上に恋をして

   涙にぬるる紙きぬの袖

 哀にも時守は尼におくれつつ

   西にむかひておどりはねけり

 東より都にのぼるおくの駒

   あふさかやまをはひこへぞする

 蝉丸の杖をば人にうばはれて

   手もちわるくも独ただぬる

 

三表

 暮ぬるをうかれ女のあがれつつ

   きのふにけふはをどりこそすれ

 なま魚もはしめの程やうまからん

   山里人は海ばたにすむ

 松風は前代浪の音に似て

   ねぶればやがてまなこあきけり

 とく法を思へばやすき物なれや

   出家をみればおなじ耳鼻

 かくせどもむすこや隠れなかるらん

   つぼねの角になく声ぞする

 うがの神びんぼう神にあてられて

   かたのうへよりかるくなりけり

 打太刀に甲をぬいで持せつつ

   降参に来る敵ぞめでたき

 

三裏

 おんもせぬ内のものとやつかふらん

   花の出仕を申さぬはなし

 桜木に酒と肴と取くいて

   うつり臥たる春のやま里

 ゆかれずよせんきのおこる旅の道

   ふるひわななき火にもあたらず

 あれをみよ唐物すきの雪の暮

   目をもちながらかよふ坊てら

 海草を売共俗はよもくはし

   心にはれてかつぎもやせん

 刈りをける薪はあれど馬もたず

   ただ牛ばかりねりまはりけり

 世の中にまことの僧はなからめや

   いのるぬしには誰をたのまむ

 

名残表

 我蔵に宝はもちて病なし

   ただめでたしといふ計なり

 振舞もせぬ客人に年越て

   面目もなき春のさびしさ

 秘蔵する花をば根より引にけり

   はや梅干をもたじ行末

 やせもののすこのみとものゑらまれて

   顔を苦めつほうをすちめつ

 絵にかける五百羅漢の成をみよ

   坊主は常にいさめこそすれ

 里よりもわらんべ共の数多来て

   つばなぬきくふ野辺の春けさ

 つくづくとむね打つみて永日に

   杖を頼てこゆる山みち

 

名残裏

 白波の太刀をも持ず弓もなし

   かれたる殿のすめる川はた

 きりきざむ漆の枝のかせ者に

   手足をみればかよげなりけり

 拍手打風呂の吹でと聞くよりも

   うしろむきてぞせをかがめける

 こかづしき流石に道をしりぬ覧

   寺もお里もおさまれるとき

      参考;『猪苗代兼載伝』(上野白浜子著、二〇〇七年、歴史春秋社)

初表

発句

 

 花よりも実こそほしけれ桜鯛    兼載

 

 今回取り上げるのは上野白浜子著『猪苗代兼載伝』(二〇〇七年、歴史春秋社)に掲載されている『兼載独吟俳諧百韻』で、あえて注釈のないこれに挑戦してみようと思う。

 この独吟は文亀二年(一五〇二年)春の作と見られている。『宗祇独吟何人百韻』の三年後だ。

 兼載はこのとき会津の黒川(今の会津若松市)の自在院に籠っていたという。

 「花」といえば桜だが、「実の方が欲しい」と言って何のことかと思ったら「桜鯛」で落ちになる。さすがに室町時代で素朴な句だが、基本的な語順を間違えたりはしない。これが「桜鯛花より実こそ‥」では当たり前すぎて面白くない。

 桜鯛はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「1 桜の花が盛りのころ、産卵のため内湾の浅瀬に群集するタイ。瀬戸内海沿岸で特にいう。花見鯛。《季 春》「俎板(まないた)に鱗(うろこ)ちりしく―/子規」

  2 スズキ目ハタ科の海水魚。全長約20センチ。体は卵形で側扁し、雄は鮮紅色。桜の咲くころが産卵期で、内湾の浅瀬に群集する。本州中部以南に産し、食用。」

 

とある。この場合は1の意味。

 曲亭馬琴の『俳諧歳時記栞草』には、

 

 「[本朝食鑑]歌書に云、春三月、さくらの花ひらきて、漁人多くこれをとる。故に桜鯛と云。〇ゆく春のさかひの浦のさくらだひあかぬかたみにけふや引らん 為家」

 

とある。

 桜鯛は江戸時代の俳諧でも詠まれている。

 常矩編の『俳諧雑巾』には、

 

   桜鯛

 生桜科は陽吹ぞうらみなる     尒木

 遅桜夷の手風もれけりや      常二

 

の二句が記されている。

 「陽吹(やうす)」は春風のこと。桜鯛も温かい春風に吹かれると傷みやすいということか。

 遅桜の句は、散る桜を夷様の手から漏れた桜鯛に喩えたものか。

 言水編の『江戸蛇之酢』にも、

 

 陸づけや見れば旅宿の桜鯛     泰清

 もりかたの箸やかざしの桜鯛    口拙

 

の二句が見られる。

 「陸づけ」は船の着岸のこと。漁船から旅宿へ、たくさんの桜鯛が水揚げされる。

 「もりかたの箸」は盛り箸(真菜箸)のことであろう。盛り付けのときに使う鉄の箸をいう。これが桜鯛の簪(かんざし)のように見える。

 同じく言水編の『東日記』には、桜鯛の句が七句も載っている。そのなかには、

 

 墨染めに鯛彼桜いつかこちけん   其角

 

の句がある。お坊さんが鯛などを食べて、桜だと言い訳しているのだろうか、という意味か。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「桜鯛」はこの頃季語だったかどうかは不明。

 

 

   花よりも実こそほしけれ桜鯛

 霞のあみを春のひたるさ      兼載

 (花よりも実こそほしけれ桜鯛霞のあみを春のひたるさ)

 

 「ひたるさ」は空腹のこと。

 「霞網」は小鳥を取るための網だが、ここでは霞を網に喩えているだけ。桜鯛が食べたいが、あるのは春の霞の網だけで魚網はなく、腹が減った、となる。

 

季語は「春」で春。「霞」も春、聳物。

 

第三

 

   霞のあみを春のひたるさ

 永日の暮ぬる里に鞠をけて     兼載

 (永日の暮ぬる里に鞠をけて霞のあみを春のひたるさ)

 

 霞の網のたなびく春の永日(ながきひ)も暮れるまで蹴鞠に没頭し、腹が減ったとする。

 

季語は「永日(ながきひ)」で春。「里」は居所。

 

四句目

 

   永日の暮ぬる里に鞠をけて

 ほころびがちにみゆるかみしも   兼載

 (永日の暮ぬる里に鞠をけてほころびがちにみゆるかみしも)

 

 かみしも(裃)は江戸時代には武家の礼服となったが、室町時代では庶民のものだった。

 かみしもには肩衣袴の裃と素襖長袴の長裃があった。素襖長袴の素襖(すおう)はウィキペディアによれば、

 

 「鎌倉時代以降礼服化していった直垂の中でも、簡素で古様なものが室町時代になると素襖と呼ばれるようになった。初めは下級武士の普段着だったが、室町時代末期に至り大紋に次ぐ礼装となる。」

 

だという。

 ただ、長袴で蹴鞠は無理があるので、ここでは長裃ではなく肩衣袴の普通の裃であろう。ウィキペディアによれば、

 

 「肩衣には袖が無いが、袖無しの衣服は近世以前より用いられていた。ただしそれらは袖をなくす事で動きやすくする庶民の普段着または作業着であった。また本来は狩衣や水干、直垂、 素襖など、これらの上衣と同色同質の生地で袴も仕立てることを「上下」(かみしも)と称した。

 肩衣と袴の組合せによる裃の起源は明らかではないが、江戸時代の故実書『青標紙』には、室町幕府将軍足利義満の頃、内野合戦で素襖の袖と裾を括って用いたことに始まるという伝承を記している。松永久秀または近衛前久が用いたのを始まりとする話もあるが確かではない。文献での使用例を辿ると、天文の頃には肩衣に袴の姿がすでに一般化していたと見られる。その後江戸時代に至り、肩衣と袴の「上下」が平時の略礼服として用いられるようになった。」

 

だという。

 兼載の時代は天文より前なので、ここは鄙びた里で庶民が蹴鞠をする姿を詠んだのではないかと思う。

 

無季。「かみしも」は衣裳。

 

五句目

 

   ほころびがちにみゆるかみしも

 主殿と狂言ながらむしりあひ    兼載

 (主殿と狂言ながらむしりあひほころびがちにみゆるかみしも)

 

 肩衣・袴の裃は狂言では太郎冠者などの庶民の役に用いられ、長裃は主殿の役に用いられる。

 前句の「かみしも」を狂言の衣装として、互いに毟りあう芝居をする。

 

無季。「主殿」は人倫。

 

六句目

 

   主殿と狂言ながらむしりあひ

 いそひで鳥をくはんとぞする    兼載

 (主殿と狂言ながらむしりあひいそひで鳥をくはんとぞする)

 

 「狂言」にはweblio辞書の「三省堂 大辞林 第三版」によれば、

 

 「④道理にはずれた言葉や行為。たわごと。 「孔明が臥竜の勢をききをじしてかかる-をば云ふ/太平記 20」

 

という意味もある。

 ここでは急いで鳥を食おうとして、狂ったように羽をむしる様に取り成す。

 

無季。

 

七句目

 

   いそひで鳥をくはんとぞする

 鷹犬の鷹よりさきに走出      兼載

 (鷹犬の鷹よりさきに走出いそひで鳥をくはんとぞする)

 

 「鷹犬(ようけん)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 鷹狩に用いる犬。

  ※隆祐集(1241頃)「かへさの道より鷹犬をこひ侍るとて」

  〘名〙

  ① 鷹(たか)と犬。ともに狩猟に用いる。

  ※令義解(718)職員「正一人。〈掌下調二習鷹犬一事上〉」 〔宋史‐楊業伝〕

  ② 他人に使役されること。他人の手先となって働くこと。また、そのもの。

  ※太平記(14C後)一七「雖レ非二鷹犬(ヨウケン)之才一、屡忝二爪牙之任一」 〔宋史‐唐坰伝〕」

 

とあるが、ここでは「鷹狩に用いる犬」をいう。鷹が獲物を取る前に犬が走り出し、鷹に取られる前に真っ先に鳥を食おうとする。

 

季語は「鷹」で冬、鳥類。「鷹犬」は獣類。

 

八句目

 

   鷹犬の鷹よりさきに走出

 門のまはりに立まはりけり     兼載

 (鷹犬の鷹よりさきに走出門のまはりに立まはりけり)

 

 狩から戻った時であろうか、犬が先に門のほうへ走り、早く開けろとばかりにあたりをうろうろする。

 

無季。

初裏

九句目

 

   門のまはりに立まはりけり

 たび人の宿をも終にこずかれて   兼載

 (たび人の宿をも終にこずかれて門のまはりに立まはりけり)

 

 「こずかれて」は「来ず離れて」か。

 旅人は門の所をうろうろするだけで終にやって来なかったということか。

 

無季。旅体。「たび人」は人倫。

 

十句目

 

   たび人の宿をも終にこずかれて

 あぢきなげなるゆふくれの空    兼載

 (たび人の宿をも終にこずかれてあぢきなげなるゆふくれの空)

 

 旅人は来ず、つまらない夕暮れの空だった。

 

無季。

 

十一句目

 

   あぢきなげなるゆふくれの空

 こしをれの祖父に似たる三日の月  兼載

 (こしをれの祖父に似たる三日の月あぢきなげなるゆふくれの空)

 

 「祖父」は「おほぢ」か。三日月が腰の曲がった祖父さんのように見える。

 

季語は「三日の月」で秋、夜分、光物。「祖父」は人倫。打越に「たび人」があるが、俳諧だからそれほど頓着していないか。

 

十二句目

 

   こしをれの祖父に似たる三日の月

 秋やはつらんわかきかたがた    兼載

 (こしをれの祖父に似たる三日の月秋やはつらんわかきかたがた)

 

 「祖父」に「わかきかたがた」と違え付けで付ける。

 秋はもう終わってしまったのかい、若き方々よ、と三日月が言っているかのようだ。

 

季語は「秋」で秋。「わかきかたがた」は人倫。

 

十三句目

 

   秋やはつらんわかきかたがた

 露ほとも用られぬかまひごと    兼載

 (露ほとも用られぬかまひごと秋やはつらんわかきかたがた)

 

 「用ゐられぬ」「かまひごと」だと65で字足らずになる。

 よくわからないが、計画に用いてもらえないということか。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

十四句目

 

   露ほとも用られぬかまひごと

 後には中をたがわれぞする     兼載

 (露ほとも用られぬかまひごと後には中をたがわれぞする)

 

 前句の構ってもらえないとして、仲違いする。恋に転じる。

 ほとんどかまってもらえないような浅い付き合いで、すぐに仲違いする。

 

無季。恋。

 

十五句目

 

   後には中をたがわれぞする

 若僧のはしめのほどは思ひあひ   兼載

 (若僧のはしめのほどは思ひあひ後には中をたがわれぞする)

 

 これは若僧同士のホモネタか。結局仲違いする。

 

無季。恋。「若僧」は人倫。

 

十六句目

 

   若僧のはしめのほどは思ひあひ

 しのびしのびにつまをたづぬる   兼載

 (若僧のはしめのほどは思ひあひしのびしのびにつまをたづぬる)

 

 これは妻帯の僧侶に転じるか。若僧は最初はこっそりとお忍びで妻のもとを尋ねたが、それも最初のうちだけだった。

 

無季。恋。「つま」は人倫。

 

十七句目

 

   しのびしのびにつまをたづぬる

 さひを手に取ながらへるも口惜や  兼載

 (さひを手に取ながらへるも口惜やしのびしのびにつまをたづぬる)

 

 「さひ」はサイコロのことであろう。博打に身をやつし、放浪の身になってしまったが、それでもひそかに昔の妻を訪ねる。お金を無心にということか。

 「手に取りながら」と「ながらへる」で掛詞になっている。

 

無季。述懐。

 

十八句目

 

   さひを手に取ながらへるも口惜や

 はだかにならばさていかにせむ   兼載

 (さひを手に取ながらへるも口惜やはだかにならばさていかにせむ)

 

 東京国立博物館蔵の『東北院職人歌合絵巻』の博徒は烏帽子だけ被った全裸の姿で描かれる。文字通り身ぐるみをはがされた姿だ。

 

無季。

 

十九句目

 

   はだかにならばさていかにせむ

 人の物我ふところにぬすみ入    兼載

 (人の物我ふところにぬすみ入はだかにならばさていかにせむ)

 

 スリか万引きか、とにかく盗んだものは取り合えず懐に入れるが、見つかって裸になれと言われたら、もちろんばれてしまう。

 

無季。「人」は人倫。

 

二十句目

 

   人の物我ふところにぬすみ入

 しらず顔なるつらのにくさよ    兼載

 (人の物我ふところにぬすみ入しらず顔なるつらのにくさよ)

 

 明らかに盗んだというのに、居直って「何のことかな」なんて言われれば、そりゃあむかつく。鉄面皮というやつだ。

 

無季。

 

二十一句目

 

   しらず顔なるつらのにくさよ

 急をも動せぬ船のわたし守     兼載

 (急をも動せぬ船のわたし守しらず顔なるつらのにくさよ)

 

 「いそぎをもどうぜぬ」と読むのだろう。

 船では船頭さんの言うことは絶対で、今日は川が増水していて危険だ、船は出せねえ、と言われれば、いくら急いでいても黙るほかない。

 

無季。「船」は水辺。「わたし守」は水辺、人倫。

 

二十二句目

 

   急をも動せぬ船のわたし守

 銭をばもたぬ道の悲しさ      兼載

 (急をも動せぬ船のわたし守銭をばもたぬ道の悲しさ)

 

 「銭をばもたぬ道」というのは乞食僧のことか。

 『西行物語』に、出家して東国へ下る西行が天竜川を渡る時、武士がたくさん乗った舟に同乗したが、定員オーバーで危ないというので「あの法師、下りよ下りよ」と言われ、よくあることだと思ってシカトしてたら鞭で打たれたというエピソードが記されている。

 まあ、実話ではなくおそらく作りだろうけど、こういうことは当時よくあることだったのだろう。

 

無季。

二表

二十三句目

 

   銭をばもたぬ道の悲しさ

 傾城はあれども宿に独寝て     兼載

 (傾城はあれども宿に独寝て銭をばもたぬ道の悲しさ)

 

 ウィキペディアに、

 

 「室町時代には、足利将軍家が京都の傾城屋から税金を徴収していた。1528年、傾城局が設置され、遊女は、制度のもとに営業するようになった。」

 

とある。ここでいう傾城は遊女ではなく遊郭のこと。まあ、先立つものがなければ宿で独り寝るしかない。

 

無季。恋。

 

二十四句目

 

   傾城はあれども宿に独寝て

 唯恋しさは古さとのつま      兼載

 (傾城はあれども宿に独寝て唯恋しさは古さとのつま)

 

 律義な男で、遊郭があってもそこに行かずにひたすら故郷の妻のことを思う。

 

無季。恋。「妻」は人倫。

 

二十五句目

 

   唯恋しさは古さとのつま

 世の中をぶせうながらも捨てにけり 兼載

 (世の中をぶせうながらも捨てにけり唯恋しさは古さとのつま)

 

 「ぶせう」は無精か。世俗のことがいろいろと面倒くさくなって世捨て人になったが、別れた妻が恋しくなる。

 

無季。述懐。

 

二十六句目

 

   世の中をぶせうながらも捨てにけり

 法師とみれば在家入道       兼載

 (世の中をぶせうながらも捨てにけり法師とみれば在家入道)

 

 無精だからお寺に入って修行など真っ平ということか。在家ですませる。

 

無季。釈教。

 

二十七句目

 

   法師とみれば在家入道

 畑をうつ身は墨染によごれつつ   兼載

 (畑をうつ身は墨染によごれつつ法師とみれば在家入道)

 

 百姓の在家だから墨染めの衣で坊主頭で畑を耕す。僧衣には泥がついている。

 

無季。「畑をうつ」は当時は無季だったか。「身」は人倫。

 

二十八句目

 

   畑をうつ身は墨染によごれつつ

 鋤持人はおほはらの里       兼載

 (畑をうつ身は墨染によごれつつ鋤持人はおほはらの里)

 

 京都の大原は炭の産地で、大原女は炭を売っていた。

 炭の産地だから農夫も片手間に炭を作っていたのだろう。前句の「墨染によごれつつ」を「炭」で汚れたと取り成す。

 

無季。「人」は人倫。「おほはらの里」は名所。

 

二十九句目

 

   鋤持人はおほはらの里

 秋は只よろづの物をくばはれて   兼載

 (秋は只よろづの物をくばはれて鋤持人はおほはらの里)

 

 旧暦八月一日の八朔は室町時代に既に公式行事になっていたという。大原の里でも鋤が配られたたか。

 

季語は「秋」で秋。

 

三十句目

 

   秋は只よろづの物をくばはれて

 さるのかしらは紅葉しにけり    兼載

 (秋は只よろづの物をくばはれてさるのかしらは紅葉しにけり)

 

 前句を秋は万(よろず)の物に表れるとして、紅葉が赤くなるように猿の顔も赤いとする。

 

季語は「紅葉」で秋。植物、木類。「さる」は獣類。

 

三十一句目

 

   さるのかしらは紅葉しにけり

 露時雨ひつじの時や晴ぬ覧     兼載

 (露時雨ひつじの時や晴ぬ覧さるのかしらは紅葉しにけり)

 

 時雨は冬だが「露時雨」だと秋になる。未の刻は午後二時頃。

 なぜ未かというと、前句の「さるのかしら」を申の刻の頭に取り成しているからだ。

 未の刻までは晴れていたのに、申の刻には時雨となって紅葉が雨露に色鮮やかに染められてゆく。

 

季語は「露時雨」で秋、降物。

 

三十二句目

 

   露時雨ひつじの時や晴ぬ覧

 いそぐあゆみに捨るみのかさ    兼載

 (露時雨ひつじの時や晴ぬ覧いそぐあゆみに捨るみのかさ)

 

 露時雨は未の刻には止んだのだろう。よほど急いでいたのか誰かが雨宿りしたところに蓑笠を忘れていってる。

 

無季。「みのかさ」は衣裳。

 

三十三句目

 

   いそぐあゆみに捨るみのかさ

 鬼だにも仏をみれば逃ぞする    兼載

 (鬼だにも仏をみれば逃ぞするいそぐあゆみに捨るみのかさ)

 

 大江山の酒呑童子は元々比叡山に住んでいたが、最澄が延暦寺を建てたことで逃げ出して、大江山に移り住んだという。

 鬼も慌てて逃げたせいで、蓑笠を捨てていった。

 

無季。釈教。

 

三十四句目

 

   鬼だにも仏をみれば逃ぞする

 おがみてとをれ堂寺の前      兼載

 (鬼だにも仏をみれば逃ぞするおがみてとをれ堂寺の前)

 

 「堂寺(どうてら)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 堂や寺。〔日葡辞書(1603‐04)〕」

 

とあり、特にどこの寺というわけではないようだ。鬼にあいたくなければ、堂寺で拝みなさい、という釈教の句になる。

 

無季。釈教。

 

三十五句目

 

   おがみてとをれ堂寺の前

 旅の道さはり有なと祈念して    兼載

 (旅の道さはり有なと祈念しておがみてとをれ堂寺の前)

 

 その昔、和歌で名高い藤中将実方が陸奥の守に左遷になったとき、現在の宮城県名取市の笠島で道祖神の社を無視して通過しようとしたところ、社の前でばたっと馬が倒れて転がり落ちて死んだという。

  西行は、

 

 朽ちもせぬその名ばかりをとどめおきて

     枯野のすすき形見にぞ見る

                 西行法師

 

と詠み、後に芭蕉も、

 

 笠嶋はいづこさ月のぬかり道    芭蕉

 

とこの藤中将実方を追悼している。

 堂寺の前では必ず拝んで通るようにしよう。

 

無季。旅体。

 

三十六句目

 

   旅の道さはり有なと祈念して

 留守におかるる身こそつらけれ   兼載

 (旅の道さはり有なと祈念して留守におかるる身こそつらけれ)

 

 旅人からそれを見送る人へと転じる。

 『伊勢物語』二十三段筒井筒の、

 

 風吹けば沖つ白浪龍田山

     夜半にや君がひとり越ゆらむ

 

の歌も思い浮かぶ。

 

無季。「身」は人倫。

二裏

三十七句目

 

   留守におかるる身こそつらけれ

 猿楽の笛と太鼓を聞計       兼載

 (留守におかるる身こそつらけれ猿楽の笛と太鼓を聞計)

 

 室町時代では能と狂言をひっくるめて「猿楽」と言った。庶民から貴族に至るまで国民的な娯楽だった。

 見に行きたいのに自宅で留守番を命ぜられ、遠い笛や太鼓の音だけを聞くのは寂しい。

 

無季。

 

三十八句目

 

   猿楽の笛と太鼓を聞計

 うたへどさらに声ぞしいける    兼載

 (猿楽の笛と太鼓を聞計うたへどさらに声ぞしいける)

 

 「しふ」はこの場合は「癈ふ」で、weblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「目や耳などの感覚がまひする。身体の器官がだめになる。老いぼれる。」

 

とある。

 声が衰えて歌が聞こえず笛と太鼓だけが聞こえる。なんだかボーカルの弱いロックバンドみたいだ。

 

無季。

 

三十九句目

 

   うたへどさらに声ぞしいける

 庭鳥の尾もなき程に年ふりて    兼載

 (庭鳥の尾もなき程に年ふりてうたへどさらに声ぞしいける)

 

 鶏も年取れば尾もしょぼくなり、声も衰える。

 

無季。「庭鳥」は鳥類。

 

四十句目

 

   庭鳥の尾もなき程に年ふりて

 尻のまはりはみられざりけり    兼載

 (庭鳥の尾もなき程に年ふりて尻のまはりはみられざりけり)

 

 これは「鶏姦」を匂わしているのか。鶏姦は男同士で行われる肛門性交だが、年取った男の肛門は見るに耐えないということか。

 

無季。

 

四十一句目

 

   尻のまはりはみられざりけり

 小児達窓より顔をさし出し     兼載

 (尻のまはりはみられざりけり小児達窓より顔をさし出し)

 

 「小児達」は「ちごら」か。

 窓から顔を出しているのだから顔だけで、肝心の尻は見えない。これもホモネタ。

 

無季。恋。「小児達」は人倫。

 

四十二句目

 

   小児達窓より顔をさし出し

 徒然そうにも文をこそよめ     兼載

 (小児達窓より顔をさし出し徒然そうにも文をこそよめ)

 

 字数からしてこの場合は「つれづれ」ではなく「とぜん」か。「退屈そうに」という意味。

 稚児に言い寄ってくる男から恋文をもらったりするが、興味ないのか迷惑なのか退屈そうに手紙を読む。

 

無季。恋。

 

四十三句目

 

   徒然そうにも文をこそよめ

 ふりよくする憂身の上に恋をして  兼載

 (ふりよくする憂身の上に恋をして徒然そうにも文をこそよめ)

 

 「ふりよく」がわからない。おそらく「ふりょく」か「ぶりょく」で、憂身に掛かるからあまり良いことではないのだろう。とすると「無力(ぶりょく)」ではないか。

 コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① (形動) 力がないこと。また、そのさま。むりょく。

  ② (形動) 資力のないこと。貧しいこと。乏しいこと。また、そのさま。貧困。むりょく。〔文明本節用集(室町中)〕

  ③ (━する) 財産を失うこと。貧乏すること。

  ※ロザリオの経(1623)四「ツイニワ buriocu(ブリョク) シケルユエニ」

 

とあり、③に「無力する」という言い回しがあることが記されている。

 つまりこの句は「財産を失った憂身の上に恋をして」となる。

 前句の「徒然」にはしんみりと物思いに沈むという意味もある。

 

無季。恋。

 

四十四句目

 

   ふりよくする憂身の上に恋をして

 涙にぬるる紙きぬの袖       兼載

 (ふりよくする憂身の上に恋をして涙にぬるる紙きぬの袖)

 

 「紙きぬ」は紙子(かみこ)のことであろう。

 江戸時代に較べて中世ではまだ紙はそこそこ高価だったと思われるが、それでも布よりは安かったのだろう。紙子は貧しいというイメージがあったようだ。

 池田寿の『紙の日本史』(二〇一七、勉誠出版)によれば、紙子は僧侶が着る質素な服で、古代の文献にはぼろぼろになった紙子を着た乞食坊主の記述などがある。僧侶は殺生の関係から絹を嫌ったというのもあるのだろう。

 藤原定家の『明月記』には、紙で父俊成の死に装束を作ったという記述があるという。また、旅などの防寒着にも用いられた。

 

無季。恋。「紙きぬの袖」は衣裳。

 

四十五句目

 

   涙にぬるる紙きぬの袖

 哀にも時守は尼におくれつつ    兼載

 (哀にも時守は尼におくれつつ涙にぬるる紙きぬの袖)

 

 「時守(ときもり)」はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、

 

 「宮中で、漏刻を守り時刻を報ずることをつかさどった役人。陰陽寮おんようりように属した。守辰丁しゆしんちよう。」

 

とある。

 ただ、それが尼に先立たれるというのは意味がよくわからない。「時守」には別の意味があったか。あるいは時宗の僧の意味での「時衆(じしゅう)」か。

 ここでは紙子は貧乏人の服ではなく僧侶の服となる。

 

無季。「時守」「尼」は人倫。

 

四十六句目

 

   哀にも時守は尼におくれつつ

 西にむかひておどりはねけり    兼載

 (哀にも時守は尼におくれつつ西にむかひておどりはねけり)

 

 時守が時衆なら、念仏踊りのことで意味が通じる。この場合、前句の「おくれつつ」は尼の後ろに付いて踊るという意味になる。

 

無季。「おどり」はここでは盆踊りではなくその前身の念仏踊りなので無季。

 

四十七句目

 

   西にむかひておどりはねけり

 東より都にのぼるおくの駒     兼載

 (東より都にのぼるおくの駒西にむかひておどりはねけり)

 

 陸奥(みちのく)の駒は元気がいいのか、都に上る道すがら踊り跳ねている。

 

無季。旅体。「駒」は獣類。

 

四十八句目

 

   東より都にのぼるおくの駒

 あふさかやまをはひこへぞする   兼載

 (東より都にのぼるおくの駒あふさかやまをはひこへぞする)

 

 逢坂山はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 

 「相坂山とも書く。滋賀県大津市西部と京都市山科区を境する山。標高325m。古来,畿内の北東を限る交通の要衝に位置するため逢坂関が置かれた。山の南北に峠道が通じ,北側は小関越(古代の北陸道),南側は旧東海道をほぼ踏襲して国道1号線,名神高速道路,京阪電鉄京津線が通過する。山の下を東海道本線と湖西線がトンネルで抜けている。近世,大津から京都へ北国米を運搬するため,峠の急坂に花コウ岩を並べた舗装道路がつくられた。」

 

とある。室町時代までは馬が這うようにして登るほどの急坂があったか。

 

無季。旅体。「あふさかやま」は名所、山類。

 

四十九句目

 

   あふさかやまをはひこへぞする

 蝉丸の杖をば人にうばはれて    兼載

 (蝉丸の杖をば人にうばはれてあふさかやまをはひこへぞする)

 

 逢坂山といえば、

 

 これやこの行くも帰るも別れては

     知るも知らぬも逢坂の関

              蝉丸(後撰集)

 

が有名だが、謡曲『蝉丸』では盲目のため帝の命により逢坂山に捨てられるときに、蓑と笠と杖をもらう。

 その杖を奪われたなら、目の不自由な蝉丸は逢坂山を這って登らなくてはならない。

 

無季。「人」は人倫。

 

五十句目

 

   蝉丸の杖をば人にうばはれて

 手もちわるくも独ただぬる     兼載

 (蝉丸の杖をば人にうばはれて手もちわるくも独ただぬる)

 

 「手もちわるく」はweblio辞書の「三省堂 大辞林 第三版」に、

 

 「〔中世・近世の語〕

  ①手持ち無沙汰で、恰好(かつこう)がつかない。 「聞き入るる耳がないと愛想なければ-・く/浄瑠璃・平家女護島」

  ②人との折り合いが悪い。 「アノ人ワ-・イ/日葡」

 

とある。

 杖がなければ恰好がつかないし、奪われたとなれば疑い深くもなり、人を避けるようにもなる。ゆえに独り唯寝る。

 

無季。

三表

五十一句目

 

   手もちわるくも独ただぬる

 暮ぬるをうかれ女のあがれつつ   兼載

 (暮ぬるをうかれ女のあがれつつ手もちわるくも独ただぬる)

 

 「あがれつつ」がよくわからないが、部屋の中に上がっているということか。遊郭を意味する「揚屋」という言葉があるから、呼び寄せられた遊女が店にくることを言うのかもしれない。

 浮かれ女は歌や人を楽しませる芸能の人だが、遊女を兼ねていることも多い。

 客の方が慣れてなかったのか、どうしていいかわからずもじもじしているだけで帰ってしまい、一人で寝ることになる。

 

無季。恋。「うかれ女」は人倫。

 

五十二句目

 

   暮ぬるをうかれ女のあがれつつ

 きのふにけふはをどりこそすれ   兼載

 (暮ぬるをうかれ女のあがれつつきのふにけふはをどりこそすれ)

 

 四十六句目に「おどりはねけり」があり、五句去りで「をどり」だが、微妙に仮名使いを変えている。

 「きのふにけふは」今日で言う「昨日今日」で、覚えたばかりということか。新米の浮かれ女とする。

 

無季。

 

五十三句目

 

   きのふにけふはをどりこそすれ

 なま魚もはしめの程やうまからん  兼載

 (なま魚もはしめの程やうまからんきのふにけふはをどりこそすれ)

 

 前句を「さっきまでぴちぴち跳ねていた」の意味にしたか。

 生魚は新鮮なうちが旨いのはもちろんのことだ。この頃は膾にして食べていたか。

 

無季。

 

五十四句目

 

   なま魚もはしめの程やうまからん

 山里人は海ばたにすむ       兼載

 (なま魚もはしめの程やうまからん山里人は海ばたにすむ)

 

 山里で育った人が海辺で暮らすようになって、最初のうちは生魚も旨いと思って食っているが、やがて食い飽きる。

 

無季。「山里人」は人倫。「海ばた」は水辺。

 

五十五句目

 

   山里人は海ばたにすむ

 松風は前代浪の音に似て      兼載

 (松風は前代浪の音に似て山里人は海ばたにすむ)

 

 「前代」は前代未聞のことだが、ここでは単に強調の言葉か。

 山里の人が海辺に住んでも、松風の音が波の音に変わるだけであまり変わらない。

 

無季。「波の音」は水辺。

 

五十六句目

 

   松風は前代浪の音に似て

 ねぶればやがてまなこあきけり   兼載

 (松風は前代浪の音に似てねぶればやがてまなこあきけり)

 

 松風の寂しげな音に、寝ていてもハッと目が覚めてしまう。

 ここでも四十九句目の「独ただぬる」からぎりぎり五句去りで「ねぶれば」となる。

 

無季。

 

五十七句目

 

   ねぶればやがてまなこあきけり

 とく法を思へばやすき物なれや   兼載

 (とく法を思へばやすき物なれやねぶればやがてまなこあきけり)

 

 前句を「開眼」のこととしたか。

 悟りを開くことを開眼(かいげん)というが、ただ目を明けるだけなら眠ってて目を覚ますときに誰でもやっている。

 

無季。釈教。

 

五十八句目

 

   とく法を思へばやすき物なれや

 出家をみればおなじ耳鼻      兼載

 (とく法を思へばやすき物なれや出家をみればおなじ耳鼻)

 

 仏法の理解には差があり、説法をすればその差がわかるが、どの出家僧も顔を見ただけではわからない。

 

無季。釈教。

 

五十九句目

 

   出家をみればおなじ耳鼻

 かくせどもむすこや隠れなかるらん 兼載

 (かくせどもむすこや隠れなかるらん出家をみればおなじ耳鼻)

 

 その出家僧には隠し子がいて、隠し子というとおり自分の子ではないと言い張っているが、耳や鼻を見ればそっくりで隠しようがない。

 

無季。「むすこ」は人倫。

 

六十句目

 

   かくせどもむすこや隠れなかるらん

 つぼねの角になく声ぞする     兼載

 (かくせどもむすこや隠れなかるらんつぼねの角になく声ぞする)

 

 「つぼね(局)」はウィキペディアに「宮殿における女官・女房などの私室として仕切られた部屋のこと」とある。

 公家と女房の間の隠し子だろうか、つぼねの隅で赤子のなく声がする。

 

無季。

 

六十一句目

 

   つぼねの角になく声ぞする

 うがの神びんぼう神にあてられて  兼載

 (うがの神びんぼう神にあてられてつぼねの角になく声ぞする)

 

 「うがの神」は宇賀神で蛇の姿で描かれることが多いが弁才天とも習合し、女性の姿をとることもある。穀霊神・福徳神で人に福をもたらす神だが、貧乏神に毒されれば部屋の隅っこで泣くことになる。

 

無季。神祇。

 

六十二句目

 

   うがの神びんぼう神にあてられて

 かたのうへよりかるくなりけり   兼載

 (うがの神びんぼう神にあてられてかたのうへよりかるくなりけり)

 

 ウィキペディアに、

 

 「竹生島宝厳寺に坐する弁天像のように、宇賀神はしばしば弁才天の頭頂部に小さく乗る。その際、鳥居が添えられることも多い。」

 

とある。竹生島宝厳寺の弁天像は1565年浅井久政奉納で、この俳諧百韻よりも半世紀以上も後だが、兼載の時代にもこういう像があったのかもしれない。

 頭の上に載った宇賀神がいなくなれば、確かに肩の上が軽くなる。

 

無季。

 

六十三句目

 

   かたのうへよりかるくなりけり

 打太刀に甲をぬいで持せつつ    兼載

 (打太刀に甲をぬいで持せつつかたのうへよりかるくなりけり)

 

 「打太刀(うちだち)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 実戦用の太刀。打ち物の太刀。

  ※浄瑠璃・栬狩剣本地(1714)一「赤銅作(しゃくどうづくり)の打太刀」

  ② 剣道で、腕前が上の人に打ちかかって練習すること。また、その打ちかかっていく人。太刀打ち。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ③ 攻め込む立場になること。

  ※内地雑居未来之夢(1886)〈坪内逍遙〉九「総て Defensive 〔受太刀〕と Offensive 〔打太刀(ウチダチ)〕とは、大して其便宜が違うもので」

 

とある。この場合は②の「打ちかかっていく人」だろうか。

 剣の練習が終って、打たれ役(仕太刀)が甲を脱いで打太刀に持たせると、頭が軽くなる。

 

無季。

 

六十四句目

 

   打太刀に甲をぬいで持せつつ

 降参に来る敵ぞめでたき      兼載

 (打太刀に甲をぬいで持せつつ降参に来る敵ぞめでたき)

 

 投降する敵将は甲を脱いで従者に持たせる。

 

無季。

三裏

六十五句目

 

   降参に来る敵ぞめでたき

 おんもせぬ内のものとやつかふらん 兼載

 (おんもせぬ内のものとやつかふらん降参に来る敵ぞめでたき)

 

 「おんも」というと唱歌の「春よ来い」(相馬御風作詞、弘田龍太郎作曲)に「おんもへ出たいと待っている」とあるのが真っ先に思う浮かぶ。

 コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」には、

 

 「〘名〙 (「おも(面)」の変化した語) 幼児語。家の外。おもて。

  ※滑稽本・玉櫛笥(1826)「外(オンモ)へ行ってお昼まで遊んで来なさい」

 

とある。

 「内の者」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「①その家に仕える者。奉公人。召使い。

  ②女房。自分の妻。」

 

とあるから、兼載の時代は幼児語ではなく、普通に俗語として用いられていたのかもしれない。

 普段外に出てくることのない奉公人が使者となって、降参をしてきたから、戦ではなく家同士の争いか。

 

無季。

 

六十六句目

 

   おんもせぬ内のものとやつかふらん

 花の出仕を申さぬはなし      兼載

 (おんもせぬ内のものとやつかふらん花の出仕を申さぬはなし)

 

 花見の席の出仕となると、普段外に出ることのない奉公人も是非ともと申し出てくる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

六十七句目

 

   花の出仕を申さぬはなし

 桜木に酒と肴と取くいて      兼載

 (花の出仕を申さぬはなし桜木に酒と肴と取くいて)

 

 やはり花より団子というか、花といえば酒と肴、これは昔も今も変わらない。

 

季語は「桜木」で春、植物、木類。

 

六十八句目

 

   桜木に酒と肴と取くいて

 うつり臥たる春のやま里      兼載

 (桜木に酒と肴と取くいてうつり臥たる春のやま里)

 

 桜と酒と肴を求めて春の山里を渡り歩いているのか。

 

季語は「春」で春。旅体。「やま里」は山類、居所。

 

六十九句目

 

   うつり臥たる春のやま里

 ゆかれずよせんきのおこる旅の道  兼載

 (ゆかれずよせんきのおこる旅の道うつり臥たる春のやま里)

 

 「せんき(疝気)」はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」には、

 

 「近代以前の日本の病名で,当時の医学水準でははっきり診別できないまま,疼痛をともなう内科疾患が,一つの症候群のように一括されて呼ばれていた俗称の一つ。単に〈疝〉とも,また〈あたはら〉ともいわれ,平安時代の《医心方》には,〈疝ハ痛ナリ,或ハ小腹痛ミテ大小便ヲ得ズ,或ハ手足厥冷シテ臍ヲ繞(めぐ)リテ痛ミテ白汗出デ,或ハ冷気逆上シテ心腹ヲ槍(つ)キ,心痛又ハ撃急シテ腸痛セシム〉とある。江戸時代の《譚海》には,大便のとき出てくる白い細長い虫が〈せんきの虫〉である,と述べられているが,これによると疝気には寄生虫病があった。」

 

とある。

 前句の「臥す」を病に臥すとする。腹痛で旅の途中だが春の山里で動けなくなる。

 

無季。旅体。

 

七十句目

 

   ゆかれずよせんきのおこる旅の道

 ふるひわななき火にもあたらず   兼載

 (ゆかれずよせんきのおこる旅の道ふるひわななき火にもあたらず)

 

 腹痛に悪寒が伴うというと、腹膜炎やアニサキスなどが考えられる。旅宿では火で暖をとることもできない。薬缶の下の寒さ哉になる。

 

無季。

 

七十一句目

 

   ふるひわななき火にもあたらず

 あれをみよ唐物すきの雪の暮    兼載

 (あれをみよ唐物すきの雪の暮ふるひわななき火にもあたらず)

 

 これは骨董のコレクターは火事を恐れて火を焚かないということだろうか。

 

季語は「雪」で冬、降物。「唐物すき」は人倫。

 

七十二句目

 

   あれをみよ唐物すきの雪の暮

 目をもちながらかよふ坊てら    兼載

 (あれをみよ唐物すきの雪の暮目をもちながらかよふ坊てら)

 

 「目を持つ」というのは鑑定眼のこと。お寺のいろんな宝物を見てみたいし、お寺のほうも鑑定してほしいから、利害は一致する。

 

無季。

 

七十三句目

 

   目をもちながらかよふ坊てら

 海草を売共俗はよもくはし     兼載

 (海草を売共俗はよもくはし目をもちながらかよふ坊てら)

 

 日本の食卓には欠かせない昆布、若布、ひじき、海苔も、室町時代にはもっぱら僧坊料理や茶懐石に用いられる程度で、庶民にはあまり普及してなかったようだ。

 

無季。

 

七十四句目

 

   海草を売共俗はよもくはし

 心にはれてかつぎもやせん     兼載

 (海草を売共俗はよもくはし心にはれてかつぎもやせん)

 

 海藻売りは寺社や貴族相手の商売だから名誉ある仕事なので、晴れて仕事に励みましょう。

 

無季。

 

七十五句目

 

   心にはれてかつぎもやせん

 刈りをける薪はあれど馬もたず   兼載

 (刈りをける薪はあれど馬もたず心にはれてかつぎもやせん)

 

 薪のストックは山にたくさんあるけど、それを運ぶ馬がない。なら自分で担ぐしかない。

 

無季。「馬」は獣類。

 

七十六句目

 

   刈りをける薪はあれど馬もたず

 ただ牛ばかりねりまはりけり    兼載

 (刈りをける薪はあれど馬もたずただ牛ばかりねりまはりけり)

 

 応仁の乱以降の戦乱で、馬は軍に取られて不足していたのだろう。軍の役に立たない牛はあいかわらず京の街に溢れている。ただ、牛は山に登れないから、薪を運んではくれない。

 

無季。「牛」は獣類。

 

七十七句目

 

   ただ牛ばかりねりまはりけり

 世の中にまことの僧はなからめや  兼載

 (世の中にまことの僧はなからめやただ牛ばかりねりまはりけり)

 

 牛はしばしば愚鈍な者の比喩として用いられる。

 

無季。釈教。「僧」は人倫。

 

七十八句目

 

   世の中にまことの僧はなからめや

 いのるぬしには誰をたのまむ    兼載

 (世の中にまことの僧はなからめやいのるぬしには誰をたのまむ)

 

 「ぬし」にはいろいろな意味があり、時代劇では「おぬし」のように二人称でも用いられる。ここでは普通に「祈る人」の以上の意味はないが、外の意味への取り成しを狙っているのではないかと思う。

 

無季。「ぬし」「誰」は人倫。

名残表

七十九句目

 

   いのるぬしには誰をたのまむ

 我蔵に宝はもちて病なし      兼載

 (我蔵に宝はもちて病なしいのるぬしには誰をたのまむ)

 

 前句の「ぬし」はここでは主君や主人のような偉い人のことになる。

 金持ちで健康ならこれ以上祈ることもない。ただ、戦国も長引くと、天下が欲しいなんて者も現れるが。

 

無季。「我」は人倫。

 

八十句目

 

   我蔵に宝はもちて病なし

 ただめでたしといふ計なり     兼載

 (我蔵に宝はもちて病なしただめでたしといふ計なり)

 

 これはそのとおりというばかりなり。

 

無季。

 

八十一句目

 

   ただめでたしといふ計なり

 振舞もせぬ客人に年越て      兼載

 (振舞もせぬ客人に年越てただめでたしといふ計なり)

 

 前句の「めでたし」を新年の挨拶とする。ただ「おめでとう」を言うだけで何の振舞もない。

 

季語は「年越し」で春。「客人」は人倫。

 

八十二句目

 

   振舞もせぬ客人に年越て

 面目もなき春のさびしさ      兼載

 (振舞もせぬ客人に年越て面目もなき春のさびしさ)

 

 困窮して満足な摂待もできないという意味にして「面目ない」とする。

 

季語は「春」で春。

 

八十三句目

 

   面目もなき春のさびしさ

 秘蔵する花をば根より引にけり   兼載

 (秘蔵する花をば根より引にけり面目もなき春のさびしさ)

 

 秘蔵していた花を根から引き抜くって、一体何があったのか。盗難?それとも御頭へ花もらはるるめいわくさ?

 いずれにしても面目ない。あるいは「面目」は「めいぼく」とも読むから名木がなくなったということか。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

八十四句目

 

   秘蔵する花をば根より引にけり

 はや梅干をもたじ行末       兼載

 (秘蔵する花をば根より引にけりはや梅干をもたじ行末)

 

 根こそぎ引き抜かれた花は梅で、梅干が作れなくなった。

 

季語は「梅干」で夏。

 

八十五句目

 

   はや梅干をもたじ行末

 やせもののすこのみとものゑらまれて 兼載

 (やせもののすこのみとものゑらまれてはや梅干をもたじ行末)

 

 「痩せ者の凄の身友の笑らまれて」だろうか。痩せ細って気味悪げな姿を友に笑われる。前句をご飯のおかずにする梅干すらない貧しさと取り成したか。

 

無季。「とも」は人倫。

 

八十六句目

 

   やせもののすこのみとものゑらまれて

 顔を苦めつほうをすちめつ     兼載

 (やせもののすこのみとものゑらまれて顔を苦めつほうをすちめつ)

 

 苦虫を噛み潰したような顔で頬に筋を寄せる。変顔で友を笑わせているのだろう。

 

無季。

 

八十七句目

 

   顔を苦めつほうをすちめつ

 絵にかける五百羅漢の成をみよ   兼載

 (絵にかける五百羅漢の成をみよ顔を苦めつほうをすちめつ)

 

 大徳寺の『五百羅漢図』などのイメージだろうか。まあ、羅漢さんは大体そういう顔をしている。

 

無季。釈教。

 

八十八句目

 

   絵にかける五百羅漢の成をみよ

 坊主は常にいさめこそすれ     兼載

 (絵にかける五百羅漢の成をみよ坊主は常にいさめこそすれ)

 

 坊さんは五百羅漢のように立派に成れと諌めるけど、その姿を見ると痩せていて粗末な衣裳で、あまり成りたくはない。

 

無季。釈教。「坊主」は人倫。

 

八十九句目

 

   坊主は常にいさめこそすれ

 里よりもわらんべ共の数多来て   兼載

 (里よりもわらんべ共の数多来て坊主は常にいさめこそすれ)

 

 子供たくさん来たらお坊さんも大変だ。悪さしているのを叱ったりしても、その横でまた別の子供が悪さを始める。

 

無季。「里」は居所。「わらんべ」は人倫。

 

九十句目

 

   里よりもわらんべ共の数多来て

 つばなぬきくふ野辺の春けさ    兼載

 (里よりもわらんべ共の数多来てつばなぬきくふ野辺の春けさ)

 

 「つばな」は「茅花」という字を当てる。チガヤの穂で、昔は若いチガヤの穂を子供達がおやつ代わりに食べたという。

 

季語は「春けさ」で春。「つばな」は植物、草類。

 

九十一句目

 

   つばなぬきくふ野辺の春けさ

 つくづくとむね打つみて永日に   兼載

 (つくづくとむね打つみて永日につばなぬきくふ野辺の春けさ)

 

 「むね打(うつ)」は古くは悲しみに胸が痛むことを言った。

 

季語は「永日」で春。

 

九十二句目

 

   つくづくとむね打つみて永日に

 杖を頼てこゆる山みち       兼載

 (つくづくとむね打つみて永日に杖を頼てこゆる山みち)

 

 老いた旅人だろう。いろいろ悲しいことがあったんだろうな。

 

無季。春が二句で終る。旅体。「山みち」は山類。

名残裏

九十三句目

 

   杖を頼てこゆる山みち

 白波の太刀をも持ず弓もなし    兼載

 (白波の太刀をも持ず弓もなし杖を頼てこゆる山みち)

 

 「白波」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「② (後漢の末、西河の白波谷にこもった黄巾の賊を白波賊と呼んだという「後漢書‐霊帝紀」の故事から) 盗賊。しらなみ。

  ※本朝文粋(1060頃)四・貞信公辞摂政准三宮等表〈大江朝綱〉「隴頭秋水白波之音間聞、辺城暁雲緑林之陳不レ定」

 

とある。「大辞林 第三版の解説」には「-有りて東寺に入る/東鑑 建保四」 という用例もある。盗賊のこと。

 この場合は盗賊が太刀や弓を持たないのではなく、白波が出たとしても太刀も弓もないという意味で、杖だけが頼りという前句に繋がる。

 RPGでは杖も一応打撃系の武器として扱われるが、攻撃力は低く、むしろ魔力を増幅させるアイテムとして用いられる。魔法のないこの世界ではあまり役に立ちそうもない。仕込み杖ならまだいいが。

 

無季。「白波」は人倫。

 

九十四句目

 

   白波の太刀をも持ず弓もなし

 かれたる殿のすめる川はた     兼載

 (白波の太刀をも持ず弓もなしかれたる殿のすめる川はた)

 

 前句の白波を川の波のこととし、「かれたる川」で受ける。

 「太刀をも持ず弓もなし、殿のすめる白波のかれたる川はた」という意味。

 

無季。「殿」は人倫。「川はた」は水辺。

 

九十五句目

 

   かれたる殿のすめる川はた

 きりきざむ漆の枝のかせ者に    兼載

 (きりきざむ漆の枝のかせ者にかれたる殿のすめる川はた)

 

 「かせ者」は「悴者」で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 中世後期の武家被官の一つ。侍の最下位、中間の上に位置し、若党や殿原(地侍)に相応する身分。かせにん。かせきもの。

  ※常陸税所文書‐(年未詳)(1452‐66頃)一〇月一四日・書状「巨細者可加世者申候」

  ② 独立した生計をいとなめず、他人の家に奉公などして生計をたてた貧しい者。

  ※本福寺跡書(1560頃)生身御影様大津浜御著岸之事「地下住人の枠(カセモノ)」

 

とある。

 「きりきざむ漆の枝」は枝漆のことか。枝漆は漆を幹からではなく、枝を切って水に浸してにじみ出てきた漆のこと。

 前句を枯れた川のほとりに隠棲する殿様とし、悴者に漆を作らせている。

 

無季。

 

九十六句目

 

   きりきざむ漆の枝のかせ者に

 手足をみればかよげなりけり    兼載

 (きりきざむ漆の枝のかせ者に手足をみればかよげなりけり)

 

 「かよげ」は「かゆげ」で、漆にかぶれて痒げということか。

 

無季。

 

九十七句目

 

   手足をみればかよげなりけり

 拍手打風呂の吹でと聞くよりも   兼載

 (拍手打風呂の吹でと聞くよりも手足をみればかよげなりけり)

 

 「風呂の吹で」を「風呂吹(ふろふ)き」か。

 「風呂吹き」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 風呂にはいった者の体の垢をかくこと。また、その人。

  ※俳諧・野集(1650)二「あまりあつさにかがみこそすれ 風呂ふきのこころも夏はかなしくて」

 

とある。

 手を叩いて風呂吹きを呼んで垢すりを呼んでいるので、見てみれば手足が痒そうだ、となる。

 この場合の「も」は力も(強調の「も」)であろう。

 

無季。

 

九十八句目

 

   拍手打風呂の吹でと聞くよりも

 うしろむきてぞせをかがめける   兼載

 (拍手打風呂の吹でと聞くよりもうしろむきてぞせをかがめける)

 

 手を叩いて風呂吹きを呼んで垢すりをしてもらう。そのために「うしろむきてぞせをかがめける」。

 

無季。

 

九十九句目

 

   うしろむきてぞせをかがめける

 こかづしき流石に道をしりぬ覧   兼載

 (こかづしき流石に道をしりぬ覧うしろむきてぞせをかがめける)

 

 「こかづしき」は小喝食(こかっしき)か。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 年若い喝食僧。禅寺で、食事を給仕することにたずさわった。

  ※足利本論語抄(16C)雍也第六「小喝食が茶碗を打破て云ことは」

  ② 能面の一つ。若い喝食をあらわす面。前髪がやや小さく、「東岸居士」「自然居士」「花月」などに用いる。→喝食。〔八帖花伝書(1573‐92)〕」

 

とある。

 ところで「喝食」の所を見ると、「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「「かつじき」ともいう。禅寺で規則にのっとり食事する際、食事の種別や進行を唱えて衆僧に知らせること、またその役名。喝食行者(かっしきあんじゃ)ともいう。『勅修百丈清規(ちょくしゅうひゃくじょうしんぎ)』や『永平清規(えいへいしんぎ)』に記載があるが、後の日本の禅林では、7、8歳から12、13歳の小童が前髪を垂らし袴(はかま)を着けて勤めるのが一般の風習となった。室町時代には稚児(ちご)の別名となり、本来の職責と異なって、公家(くげ)や禅僧の若道(にゃくどう)の相手役となった。[石川力山]」

 

とある。つまり若い稚児さんのことで、道とは男色の道、後を向いて背をかがめるのが何のポーズなのかは言うまでもあるまい。

 

無季。恋。「こかづしき」は人倫。

 

挙句

 

   こかづしき流石に道をしりぬ覧

 寺もお里もおさまれるとき     兼載

 (こかづしき流石に道をしりぬ覧寺もお里もおさまれるとき)

 

 お寺の喝食行者は仏道をよく心得ている。よってお寺も里も天下泰平と、目出度く一巻は終了する。

 

無季。釈教。「お里」は居所。