「星今宵」の巻、解説

初表

 星今宵師に駒引いて留たし    右雪

   色香ばしき初刈の米     曾良

 さらし水踊に急ぐ布つきて    芭蕉

 

 此間十句キレテシレズ

 

初裏

   秋風送る父が旅立      芭蕉

 かの巻を錦に包拾ふべし      雪

   絶て継たる国の古堂      右

 種植て小枝に花の名を印      也

   雨のあがりの日は長閑也   曾良

 

 

二表

 糞を引雪車もおかしき雪の上   芭蕉

   一むらからす人馴て飛ぶ    雪

 金山や侘テ小砂を拾ふらん     右

   科のむかしを嶋陰の庵     也

 憂事の百首に魚の名を読て    芭蕉

   人閙しきとしのくれかた   曾良

 松柏荒て嵐の音すなり       雪

   子を射させたる猪の床    芭蕉

 修行者の袂をぬらす硯水      右

   往古の月山に問たし      也

 檜皮むく老の頭の秋寒く     芭蕉

   しぐれて露の深き牛部屋    雪

 

二裏

 塩濱の孤村の烟雲結ぶ       也

   清水に波の半淡しき      右

 かたむきし地蔵の膝に石かひて  曾良

   鎌磨ならふ里の草臥      雪

   笈を下せるさとの物陰     同

 俳諧を尋て花の窓に入り     芭蕉

   身木を取まく梅の彦生    曾良

 

       参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

 

 星今宵師に駒引いてとどめたし  右雪

 

 七月七日の曾良の『旅日記』に、

 

 「雨不止故、見合中ニ、聴信寺へ被招。再三辞ス。強招クニ及暮。 昼、少之内、雨止。其夜、佐藤元仙へ招テ俳有テ、宿。夜中、風雨甚。」

 

とある。この日の「俳」とおもわれる。

 前日、聴信寺が忌中で行かれなかったこともあって、七日になって今度は再三にわたってくるように言われる。雨が降っているうえに芭蕉の体調もすぐれなかったのだろう。夜になって佐藤元仙(右雪)亭で興行が行われる。

 ただ、曾良の『俳諧書留』には表三句しか記されていない。しかも「文月や」の巻あとに「同所」と書かれている。

 そう思ってあらためて曾良の前日の『旅日記』を見ると、

 

 「聴信寺ヘ弥三状届。忌中ノ由ニテ強テ不止、出。石井善次良聞テ人ヲ走ス。不帰。及再三、折節雨降出ル故、幸ト帰ル。宿、古川市左衛門方ヲ云付ル。夜ニ至テ、各来ル。発句有。」

 

とあり、「発句有」とあるだけで「俳有」ではない。つまり前日は「文月や」の発句を作っただけで、実際の興行は七日の夜に行われたのではなかったか。

 そうなると、この同じ日に「文月や」の巻二十二句を巻き、途中で終わってしまったあとに果してこの「星今宵」の興行が行われたのかどうか、どうにも怪しい。

 そうなると後の二十四句は本物なのかどうかという問題になる。この二十四句は例によって甘井編『金蘭集』(文化三年刊)によるもので、その検証を兼ねて読んでいこうと思う。

 前置きが長くなったが、発句は特に説明するような句でもない。今夜は七夕の夜なので、この地を去ろうとしている師(芭蕉さん)の駒を引き留めたい、というもの。

 

季語は「星今宵」で秋、夜分、天象。「駒」は獣類。

 

 

   星今宵師に駒引いてとどめたし

 色香ばしき初刈の米       曾良

 (星今宵師に駒引いてとどめたし色香ばしき初刈の米)

 

 初刈の米は早稲のことであろう。芭蕉はこの後富山の方で、

 

 早稲の香やわけ入右はありそ海  芭蕉

 

の句を詠むことになる。早稲は『笈の小文』の旅の時の「箱根越す」の巻の八句目に、

 

   帷子に袷羽織も秋めきて

 食早稲くさき田舎なりけり    芭蕉

 

とあり、当時の早稲は今日でいう香り米で独特な匂いがあって、臭いと感じる人も多かったのだろう。曾良は「香ばしき」と言っているが。

 前句の「とどめたし」に「香ばしいお米もあるよ」と同意する。

 

季語は「初刈の米」で秋。

 

第三

 

   色香ばしき初刈の米

 さらし水踊に急ぐ布つきて    芭蕉

 (さらし水踊に急ぐ布つきて色香ばしき初刈の米)

 

 さらし(晒)はウィキペディアに、

 

 「晒(さらし)とは織物や糸から不純物をとりのぞき漂白する工程、また漂白された糸でできた織物。現代では過酸化水素水や晒粉を用いて化学的に色素を抜く手法がとられるが、積雪と日光を用いた「雪晒」(ゆきざらし)、天日と水を用いた「野晒」「天日晒」などの伝統もある。そのままでは染色に適さない木綿や麻に対して行われる。「さらし」のみで晒木綿を指す場合もある。

 晒の麻織物としては野州晒が有名。」

 

とある。株式会社市原亀之助商店のホームページには、

 

 「野洲晒~やすさらし

  かつて野洲町の野洲川の伏流水を使って麻の生平を白く晒す「布晒(ぬのさらし)」は、奈良晒と並び称された。京都の布問屋や湖東の地域から持込まれる麻の生平を晒粉に浸し→水洗→布炊き→布天日干し→灰汁うち→杵で布搗(ぬのつち)→糊付け→整反する請負晒問屋が多くあった。冬の農閑期に農家が作業する副業でもあったが、その野洲晒の作業光景は完全に姿を消して4社が屋内で晒加工をするという状況になっている。」

 

とある。

 かつてはこのような工程による晒の製造はあちこちで行われていたのだろう。芭蕉の句は早稲の頃、お盆に向けて急いで作るとしている。

 

季語は「踊」で秋。

 

 さて、ここまでは何の問題もない。このあと甘井編『金蘭集』(文化三年刊)では「此間十句キレテシレズ」としたあとに二十四句が記されている。

初裏

十五句目

 

   秋風送る父が旅立      芭蕉

 かの巻を錦に包拾ふべし     右雪

 (かの巻を錦に包拾ふべし秋風送る父が旅立)

 

 父が書き残して行った巻物だろうか。ひろって錦で装丁する。

 

無季。

 

十六句目

 

   かの巻を錦に包拾ふべし

 絶て継たる国の古堂       右

 (かの巻を錦に包拾ふべし絶て継たる国の古堂)

 

 作者は前句の「雪」が右雪だとすると「右」は一体誰なんだろうか。芭蕉が「蕉」と表記されているから、何右という連衆がいたのだろう。

 絶えていた古堂を再興する者がいて、縁起の巻物を錦で装丁しなおしたのであろう。

 

無季。釈教。

 

十七句目

 

   絶て継たる国の古堂

 種植て小枝に花の名を印     也

 (種植て小枝に花の名を印絶て継たる国の古堂)

 

 『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注は越後高田の更也だとする。曾良の『俳諧書留』に、

 

   細川春庵亭ニテ

 藥欄にいづれの花をくさ枕         翁

 萩のすだれをあげかける月         棟雪

 炉けぶりの夕を秋のいぶせくて 鈴木予兵へ 更也

 馬乗ぬけし高藪の下            曾良

 

とある。曾良の『旅日記』には八日に直江津を発って越後高田へ行き、細川春庵亭で「発句有。俳初ル。」とある。この四句のことをいうのだろう。

 その翌日に、 「俳、歌仙終。」とあり、この続きがあったと思われる。そして十日にも「中桐甚四良へ 被招、歌仙一折有。」とある。そうなると「雪」は右雪ではなく棟雪で、この時の俳諧の断片だった可能性もある。「右」が不明だが十日の興行でもう一人加わったとすれば辻褄は合う。ただ、一番の問題は蕉門の俳諧らしい面白さがあるかどうかだが。

 句の方は、古堂を再建するというので苗木を植えて小枝に花の名を記す。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

十八句目

 

   種植て小枝に花の名を印

 雨のあがりの日は長閑也     曾良

 (種植て小枝に花の名を印雨のあがりの日は長閑也)

 

 花の苗木を植えて雨が降って、雨あがりの日差しは長閑。

 

季語は「長閑」で春。「雨」は降物、「日」は天象。

初裏

十九句目

 

   雨のあがりの日は長閑也

 糞を引雪車もおかしき雪の上   芭蕉

 (糞を引雪車もおかしき雪の上雨のあがりの日は長閑也)

 

 「雪車」は「そり」。

 雪の上に橇に肥えを乗せて引いてゆく意味がよくわからない。芭蕉が糞尿の句を詠むときはたいてい畑の肥しを読むという癖はあるが。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

二十句目

 

   糞を引雪車もおかしき雪の上

 一むらからす人馴て飛ぶ      雪

 (糞を引雪車もおかしき雪の上一むらからす人馴て飛ぶ)

 

 肥えを運ぶ橇にカラスが群がってくる。

 

無季。「からす」は鳥類。

 

二十一句目

 

   一むらからす人馴て飛ぶ

 金山や侘テ小砂を拾ふらん     右

 (金山や侘テ小砂を拾ふらん一むらからす人馴て飛ぶ)

 

 佐渡の金山か。流罪になって侘びて住む人に、死を暗示するかのようにカラスが集まる。砂金を拾って小銭くらいにはなるのか。

 

無季。「金山」は山類。

 

二十二句目

 

   金山や侘テ小砂を拾ふらん

 科のむかしを嶋陰の庵       也

 (金山や侘テ小砂を拾ふらん科のむかしを嶋陰の庵)

 

 流人なので昔の罪を思い嶋陰の庵で暮らす。

 

無季。「嶋陰」は水辺。「庵」は居所。

 

二十三句目

 

   科のむかしを嶋陰の庵

 憂事の百首に魚の名を読て    芭蕉

 (憂事の百首に魚の名を読て科のむかしを嶋陰の庵)

 

 和歌で魚の名というのは確かにあまり聞いたことがない。頓阿法師に魚名十はあるが。

 

無季。

 

二十四句目

 

   憂事の百首に魚の名を読て

 人閙しきとしのくれかた     曾良

 (憂事の百首に魚の名を読て人閙しきとしのくれかた)

 

 「閙しき」は「いそがしき」。軽く季節で流した句で、十八句目と同じパターンだ。

 

季語は「としのくれかた」で冬。「人」は人倫。

 

二十五句目

 

   人閙しきとしのくれかた

 松柏荒て嵐の音すなり       雪

 (人閙しきとしのくれかた松柏荒て嵐の音すなり)

 

 松柏は墓所のこと。年末の市場の忙しさに墓場の嵐を対比させる相対付けになる。

 

無季。

 

二十六句目

 

   松柏荒て嵐の音すなり

 子を射させたる猪の床      芭蕉

 (松柏荒て嵐の音すなり子を射させたる猪の床)

 

 子を射させてしまった、ということか。墓所に子を失った猪が伏せる。

 

無季。「猪」は獣類。

 

二十七句目

 

   子を射させたる猪の床

 修行者の袂をぬらす硯水      右

 (修行者の袂をぬらす硯水子を射させたる猪の床)

 

 伏せる猪を修行者が哀れに思い袂を濡らす。

 

無季。釈教。「修行者」は人倫。

 

二十八句目

 

   修行者の袂をぬらす硯水

 往古の月山に問たし        也

 (修行者の袂をぬらす硯水往古の月山に問たし)

 

 「往古」は「そのかみ」。月に涙する修行者とする。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「山」は山類。

 

二十九句目

 

   往古の月山に問たし

 檜皮むく老の頭の秋寒く     芭蕉

 (檜皮むく老の頭の秋寒く往古の月山に問たし)

 

 檜皮葺の屋根のための檜皮(ひはだ)だろうか。「頭の秋寒く」というと禿げているということか。檜皮をはぐから「禿」を連想させようとしたか。

 

季語は「秋寒く」で秋。「老」は人倫。

 

三十句目

 

   檜皮むく老の頭の秋寒く

 しぐれて露の深き牛部屋      雪

 (檜皮むく老の頭の秋寒くしぐれて露の深き牛部屋)

 

 時雨は秋にも詠むが、その場合は紅葉を染める。露時雨はあたかも時雨が降ったかのような露けさをいう。

 笠もない老人の頭に時雨の露が落ちる。

 

季語は「露」で秋、降物。「しぐれ」も降物。「牛」は獣類。

二裏

三十一句目

 

   しぐれて露の深き牛部屋

 塩濱の孤村の烟雲結ぶ       也

 (塩濱の孤村の烟雲結ぶしぐれて露の深き牛部屋)

 

 古代の藻塩焼く煙のことか。煙が雲に通じる。

 

無季。「塩濱」は水辺。「孤村」は居所。「烟」「雲」は聳物。

 

三十二句目

 

   塩濱の孤村の烟雲結ぶ

 清水に波の半淡しき        右

 (檜皮むく老の頭の秋寒く清水に波の半淡しき)

 

 塩濱の夏とする。

 

季語は「清水」で夏、水辺。

 

三十三句目

 

   清水に波の半淡しき

 かたむきし地蔵の膝に石かひて  曾良

 (かたむきし地蔵の膝に石かひて清水に波の半淡しき)

 

 道端のお地蔵さんは立像が多いが、ここは「膝に石かひて」とあるから座像だろう。風雪を経て台座が傾き、膝が欠けたか。

 

無季。釈教。

 

三十四句目

 

   かたむきし地蔵の膝に石かひて

 鎌磨ならふ里の草臥        雪

 笈を下せるさとの物陰       同

 (かたむきし地蔵の膝に石かひて鎌磨ならふ里の草臥

  かたむきし地蔵の膝に石かひて笈を下せるさとの物陰)

 

 三十四句目は二つのバージョンがあるようだ。お地蔵さんの傍で鎌を砥ぐのは、田舎を歩いて鎌を専門に砥ぐ職人か。「笈」だと地蔵堂で休む巡礼者になる。

 

無季。「里」は居所。

無季。旅体。

 

三十五句目

 

   鎌磨ならふ里の草臥

   笈を下せるさとの物陰

 俳諧を尋て花の窓に入り     芭蕉

 (俳諧を尋て花の窓に入り鎌磨ならふ里の草臥

  俳諧を尋て花の窓に入り笈を下せるさとの物陰)

 

 鎌磨の句だとよくわからない。笈の句だと、俳諧師の旅で花の窓にお世話になるという句になる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   俳諧を尋て花の窓に入り

 身木を取まく梅の彦生      曾良

 (俳諧を尋て花の窓に入り身木を取まく梅の彦生)

 

 「彦生(ひこばえ)」は蘖でウィキペディアに、

 

 「蘖(ひこばえ、ベーサルシュート、英語:Basal shoot)とは、樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のこと。

 太い幹に対して、孫(ひこ)に見立てて「ひこばえ(孫生え)」という。春から夏にかけて多く見られるが、俳句では春の季語となっている[1]。なお、樹木ではないが、刈り取った稲の株から生える、稲の蘖に相当する芽を穭と呼ぶ。」

 

とある。

 身木は幹のことで彦生は幹の根元から生える。前句を芭蕉に見立てて、それを取り巻く弟子たちの比喩のように思える。ただ、それだと幹となる芭蕉はもういないことになってしまう。

 

季語は「梅」で春、植物、木類。

 

 以上、印象としては、凡庸な作者が蕉門の句を真似たという感じがする。