「蜻蛉の」の巻、解説

貞享三年秋

初表

   夕照

 蜻蛉の壁を抱ゆる西日かな    沾荷

   潮落かかる芦の穂のうへ   芭蕉

 霧の外の鐘を隔つる松こみて   露沾

   沓にはさまる石原の露    沾荷

 入月の薄粧たる武者ひとり    芭蕉

   柴も筧に笙をあやどる    露沾

 

初裏

 山寺は昼も狐のさまかへて    沾荷

   花とひ来やと酒造るらし   芭蕉

 夕霞日々に重なる鞠の音     露沾

   白き胡蝶の垣を飛越す    沾荷

 絹ばりを欄の柱にすぢかひて   芭蕉

   乱れし髪をなをすかんざし  露沾

 調なき形見の鼓音も出ず     沾荷

   何も焼火に皆盡しけり    芭蕉

 棒の月一の窓に僧痩て      露沾

   渋つき染し裏の薮かげ    沾荷

 みみづくの己が砧や鳴ぬらん   芭蕉

   四十雀こそ風も身にしめ   嵐雪

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

   夕照

 蜻蛉の壁を抱ゆる西日かな    沾荷

 

 「蜻蛉」はここでは「とんぼう」と読む。ほかにも「かげろう」「あきつ」という読み方がある。

 

 真萩散る庭の秋風身にしみて

     夕日の影ぞかべに消え行く

              永福門院(風雅集)

 

を本歌としたものか。壁は比喩で、一面の草原を壁に見立てている。

 トンボがその草原を抱え込むかのようにトンボが留まっているとする。夕照の美しい景色に、トンボの足の仕草がよく捉えられているが、本歌が今となっては忘れ去られてしまったため、意味のとりにくい発句となってしまったのが残念だ。

 トンボはおそらく赤とんぼ(アキアカネ)であろう。赤いトンボに赤い西日という取り合わせに対し、「壁を抱ゆる」という描写が取り囃しになる。

 

季語は「蜻蛉」で秋、虫類。「西日」は天象。

 

 

   蜻蛉の壁を抱ゆる西日かな

 潮落かかる芦の穂のうへ     芭蕉

 (蜻蛉の壁を抱ゆる西日かな潮落かかる芦の穂のうへ)

 

 発句の壁を葦原とし、海辺の風景とする。これはトンボ=秋津から秋津島=豊葦原の瑞穂の国を連想したか。深川芭蕉庵での興行であれば、海も近い。

 発句、脇とも特に寓意はなさそうだ。

 

季語は「芦の穂」で秋、植物、草類、水辺。

 

第三

 

   潮落かかる芦の穂のうへ

 霧の外の鐘を隔つる松こみて   露沾

 (霧の外の鐘を隔つる松こみて潮落かかる芦の穂のうへ)

 

 遠く霧の向こうから聞こえてくる鐘の音は松林によって隔てられている。芦の穂の上にその松林が見える。

 

季語は「霧」で秋、聳物。「松」は植物、木類。

 

四句目

 

   霧の外の鐘を隔つる松こみて

 沓にはさまる石原の露      沾荷

 (霧の外の鐘を隔つる松こみて沓にはさまる石原の露)

 

 「石原」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 小石のたくさんある、ごつごつした平地。いしはら。〔日葡辞書(1603‐04)〕」

 

とある。

 古代の人は靴を履いていた。神職の人は今でも浅靴を履くが、

 

   二月堂に籠りて

 水とりや氷の僧の沓の音     芭蕉

 

の句があるようにお坊さんも履いていたのだろう。スリッパに近い形状なので石が入りやすい。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

五句目

 

   沓にはさまる石原の露

 入月の薄粧たる武者ひとり    芭蕉

 (入月の薄粧たる武者ひとり沓にはさまる石原の露)

 

 江戸時代までは男も化粧していたという。特に武将には欠かせなかったという。まあ、だから歌舞伎の隈取もそんなに違和感はなかったのだろう。

 鎌倉時代までの武士は馬に乗るため貫(つらぬき)という沓を履いた。

 

季語は「入月」で秋、夜分、天象。「武者」は人倫。

 

六句目

 

   入月の薄粧たる武者ひとり

 柴も筧に笙をあやどる      露沾

 (入月の薄粧たる武者ひとり柴も筧に笙をあやどる)

 

 「あやどる」は巧みに操ること。古い時代の武者は笛などの楽器の名手も多く、新羅三郎義光(源義光)は笙の名手で、足柄山で笙の秘曲の伝授を受けたというい。

 

無季。

初裏

七句目

 

   柴も筧に笙をあやどる

 山寺は昼も狐のさまかへて    沾荷

 (山寺は昼も狐のさまかへて柴も筧に笙をあやどる)

 

 山寺で昼間から聞こえてくる笙の音は実は狐の化けたものだった。

 

無季。「山寺」は山類。釈教。「狐」は獣類。

 

八句目

 

   山寺は昼も狐のさまかへて

 花とひ来やと酒造るらし     芭蕉

 (山寺は昼も狐のさまかへて花とひ来やと酒造るらし)

 

 山寺の狐は花見の季節になると人が来るといって酒を造る。ただ、狐の作る酒だから本当は何なのか。

 

季語は「はな」で春、植物、木類。

 

九句目

 

   花とひ来やと酒造るらし

 夕霞日々に重なる鞠の音     露沾

 (夕霞日々に重なる鞠の音花とひ来やと酒造るらし)

 

 王朝時代の貴族の花見。酒を飲み、蹴鞠をしている。

 

季語は「夕霞」で春、聳物。

 

十句目

 

   夕霞日々に重なる鞠の音

 白き胡蝶の垣を飛越す      沾荷

 (夕霞日々に重なる鞠の音白き胡蝶の垣を飛越す)

 

 胡蝶というと黄色いキチョウだが、ここでは「白き胡蝶」なのでモンシロチョウか。夕暮れの景色に蝶を添える。

 

季語は「胡蝶」で春、虫類。

 

十一句目

 

   白き胡蝶の垣を飛越す

 絹ばりを欄の柱にすぢかひて   芭蕉

 (絹ばりを欄の柱にすぢかひて白き胡蝶の垣を飛越す)

 

 「絹ばり」は洗濯や染色の際に着物を固定する道具。ウィキペディアの伸子(しんし)に、

 

 「伸子、または籡(しんし、英語: temple)は、布・反物を洗張(洗い張り)あるいは染織する際に、布幅を一定に保つ道具である。形状は、両端を尖らせた、あるいは針を植えた細い竹棒(木棒)である。左右両端にぴんと張った布を固定、布を縮ませず、幅を保たせるように支える。「しいし」とも呼ぶ[1]。「籡」は国字(和製漢字)である。

 機張・機張り(はたばり)、絹張(きぬばり)とも呼ぶが、この場合は範囲が広く、「籡」だけではなく「張り板」(はいりいた)も含む。日本ではおもに和服に使用するが、日本だけの道具ではなく、英語からの外来語でテンプルとも呼ぶ。」

 

とある。

 絹張が欄干の柱に筋交いに掛けてある。白い胡蝶が垣を飛越す。

 

無季。

 

十二句目

 

   絹ばりを欄の柱にすぢかひて

 乱れし髪をなをすかんざし    露沾

 (絹ばりを欄の柱にすぢかひて乱れし髪をなをすかんざし)

 

 女の仕事する姿か。

 

無季。

 

十三句目

 

   乱れし髪をなをすかんざし

 調なき形見の鼓音も出ず     沾荷

 (調なき形見の鼓音も出ず乱れし髪をなをすかんざし)

 

 「調(しらべ)」は鼓の皮を締め付ける緒のこと。緒がなければ皮を胴に固定することができないので音を出せない。乱れた髪を直すように、緒を締めなおさなくてはならない。

 

 あはれてふことだになくば何をかも

     恋の乱れのつかねをにせむ

              よみ人しらず(古今集)

 

を踏まえて恋に転じた。

 

無季。恋。

 

十四句目

 

   調なき形見の鼓音も出ず

 何も焼火に皆盡しけり      芭蕉

 (調なき形見の鼓音も出ず何も焼火に皆盡しけり)

 

 財産になりそうなものが何もないので皆死者と一緒に燃やしてあげた。

 

無季。

 

十五句目

 

   何も焼火に皆盡しけり

 棒の月一の窓に僧痩て      露沾

 (棒の月一の窓に僧痩て何も焼火に皆盡しけり)

 

 お寺が焼き払われどこかに幽閉された僧だろうか。たった一つの窓には格子があって月はその棒の間から見る。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「僧」は人倫。

 

十六句目

 

   棒の月一の窓に僧痩て

 渋つき染し裏の薮かげ      沾荷

 (棒の月一の窓に僧痩て渋つき染し裏の薮かげ)

 

 小さな小屋に隠棲する僧。裏手の藪の向こうでは柿渋染めの衣を作っている。柿渋染めは被差別民の着るもので、穢多村だろうか。

 

季語は「渋つき染」で秋。

 

十七句目

 

   渋つき染し裏の薮かげ

 みみづくの己が砧や鳴ぬらん   芭蕉

 (みみづくの己が砧や鳴ぬらん渋つき染し裏の薮かげ)

 

 「みみづく」は羽角のはっきりとしたコノハズクかオオコノハズクであろう。短い声で鳴くので砧を打つ音に聞こえなくもない。薮の向こうからその音がする。

 ミミズクはしばしば蓑を着てもこもこと着膨れた旅姿に喩えられる。蓑もまた聖なるものであるとともに賤を象徴するものでもある。

 

季語は「砧」で秋。「みみづく」は鳥類。

 

挙句

 

   みみづくの己が砧や鳴ぬらん

 四十雀こそ風も身にしめ     嵐雪

 (みみづくの己が砧や鳴ぬらん四十雀こそ風も身にしめ)

 

 鳥の四十雀と年齢の四十からとを掛ける。当時四十といえば既に初老で隠居する年齢だった。

 四十過ぎたら既に初老。風も身に染みるので養生して体には気をつけましょう、ということで一巻は終了する。

 

季語は「身にしめ」で秋。「四十雀」は鳥類。「身」は人倫。