「つつみかねて」の巻、解説

貞享元年十一月

初表

   つえをひく事僅に十歩

 つつみかねて月とり落す霽かな  杜国

   こほりふみ行水のいなづま  重五

 歯朶の葉を初狩人の矢に負て   野水

   北の御門をおしあけのはる  芭蕉

 馬糞掻あふぎに風の打かすみ   荷兮

   茶の湯者おしむ野べの蒲公英 正平

 

初裏

 らうたげに物よむ娘かしづきて  重五

   燈籠ふたつになさけくらぶる 杜国

 つゆ萩のすまふ力を撰ばれず   芭蕉

   蕎麦さへ青し滋賀楽の坊   野水

 朝月夜双六うちの旅ねして    杜国

   紅花買みちにほととぎすきく 荷兮

 しのぶまのわざとて雛を作り居る 野水

   命婦の君より米なんどこす  重五

 まがきまで津浪の水にくづれ行  荷兮

   仏喰たる魚解きけり     芭蕉

 縣ふるはな見次郎と仰がれて   重五

   五形菫の畠六反       杜国

 

 

二表

 うれしげに囀る雲雀ちりちりと  芭蕉

   真昼の馬のねぶたがほ也   野水

 おかざきや矢矧の橋のながきかな 杜国

   庄屋のまつをよみて送りぬ  荷兮

 捨し子は柴刈長にのびつらん   野水

   晦日をさむく刀売る年    重五

 雪の狂呉の国の笠めづらしき   荷兮

   襟に高雄が片袖をとく    芭蕉

 あだ人と樽を棺に呑ほさん    重五

   芥子のひとへに名をこぼす禅 杜国

 三ヶ月の東は暗く鐘の声     芭蕉

   秋湖かすかに琴かへす者   野水

 

二裏

 烹る事をゆるしてはぜを放ける  杜国

   声よき念仏藪をへだつる   荷兮

 かげうすき行燈けしに起侘て   野水

   おもひかねつも夜るの帯引  重五

 こがれ飛たましゐ花のかげに入  荷兮

   その望の日を我もおなじく  芭蕉

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

   つえをひく事僅に十歩

 つつみかねて月とり落す霽かな  杜国

 

 詞書きの「つえをひく」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「杖を手にして歩く。散歩する。旅をする。

  ※俳諧・奥の細道(1693‐94頃)雲岸寺「其跡みんと、雲岸寺に杖を曳ば」 〔礼記‐檀弓〕」

 

とある。散歩に出て十歩歩いて戻ってきたという意味。

 月が出たので散歩にと思ったら、十歩も歩かないうちに時雨の雨が降ってきた。時雨の雲は月を包み損ねてたとは。

 時雨の月は、

 

 時雨れつるまやの軒端の程なきに

     やがてさしいる月のかげかな

              藤原定家(千載集)

 月を待つ高嶺の雲は晴れにけり

     心あるべき初時雨かな

              西行法師(新古今集)

 

などの歌がある。

 

季語は「霽(しぐれ)」で冬、降物。「月」は夜分、天象。

 

 

   つつみかねて月とり落す霽かな

 こほりふみ行水のいなづま    重五

 (つつみかねて月とり落す霽かなこほりふみ行水のいなづま)

 

 氷を踏むと稲妻のような亀裂が入って、その下が水になっている。

 発句の間の悪さに、間の悪さを重ねる。

 

 「月が出たので散歩に出ようとしたら急に時雨てさあ。」

 「あるある、それで氷ってると思って踏んだ水たまりが氷ってなくてねえ。」

 「あるある。」

 

といったところだろう。

 「狂句木がらし」の巻「はつ雪の」の巻に続いて一日に立て続けに三歌仙巻いたのだろうか。三番目となると窮屈な挨拶もなく、こういう軽いやり取りも面白い。

 

季語は「こほり」で冬。

 

第三

 

   こほりふみ行水のいなづま

 歯朶の葉を初狩人の矢に負て   野水

 (歯朶の葉を初狩人の矢に負てこほりふみ行水のいなづま)

 

 正月の狩り初めということで矢に羊歯の葉を付けて破魔矢のようにしたのだろう。朝の氷を踏んで出かけて行く。

 

季語は「初狩」で春。「狩人」は人倫。

 

四句目

 

   歯朶の葉を初狩人の矢に負て

 北の御門をおしあけのはる    芭蕉

 (歯朶の葉を初狩人の矢に負て北の御門をおしあけのはる)

 

 北の御門は搦手門とも言われ、小型で目立たない普通の家で言うと勝手口にあたる。初狩りといってもお忍びの外出か。「押し開け」と「年の明ける」を掛ける。

 なお名古屋城の場合は東に搦手門があり北には不明(あかず)御門があったという。

 

季語は「はる」で春。

 

五句目

 

   北の御門をおしあけのはる

 馬糞掻あふぎに風の打かすみ   荷兮

 (馬糞掻あふぎに風の打かすみ北の御門をおしあけのはる)

 

 北の御門は勝手口のようなものなので、物資の搬入もあればゴミや汚物の搬出もある。城内の馬の糞もここから出て行く。

 

季語は「打かすみ」で春、聳物。

 

六句目

 

   馬糞掻あふぎに風の打かすみ

 茶の湯者おしむ野べの蒲公英   正平

 (茶の湯者おしむ野べの蒲公英馬糞掻あふぎに風の打かすみ)

 

 ここでまた六句目の男正平さんが登場する。『三冊子』「しろさうし」に「初の一順に執筆の句なくば揚句を筆にすべし」とあることから、執筆と思われる。

 茶人が野点にいい蒲公英の咲き乱れる野辺があると思ったら、馬糞が匂ってきた。放牧場だったようだ。

 

季語は「蒲公英」で春、植物、草類。「茶の湯者」は人倫。

初裏

七句目

 

   茶の湯者おしむ野べの蒲公英

 らうたげに物よむ娘かしづきて  重五

 (らうたげに物よむ娘かしづきて茶の湯者おしむ野べの蒲公英)

 

 「ろうたげに」は可愛いということ。「かはゆし」は可哀そう。

 「物よむ」はgoo辞書の「デジタル大辞泉(小学館)」に、

 

 「書物を読むこと。特に、漢籍を素読すること。

  「この客僧は、わが―のお師匠なり」〈浮・五人女・五〉」

 

とある。

 前句の茶の湯者は可愛らしく漢文を素読する娘を大事に育て、野辺の蒲公英の綿毛のようにどこかへ嫁いで行ってしまうと思うと悲しくなる。

 

無季。「娘」は人倫。

 

八句目

 

   らうたげに物よむ娘かしづきて

 燈籠ふたつになさけくらぶる   杜国

 (らうたげに物よむ娘かしづきて燈籠ふたつになさけくらぶる)

 

 お寺か屋敷の庭か、二基の燈籠が娘を見守っている。盆燈籠だとあまりに悲しいが、ここでは違うと思う。

 

無季。「燈籠」は夜分。

 

九句目

 

   燈籠ふたつになさけくらぶる

 つゆ萩のすまふ力を撰ばれず   芭蕉

 (つゆ萩のすまふ力を撰ばれず燈籠ふたつになさけくらぶる)

 

 夜の御寺の境内で燈籠を灯して相撲が行われる。

 だが土俵脇には萩に露が降りあまりきれいなので、思い切り投げ飛ばすわけにもいかず、力比べではなく情け比べになってしまった。

 萩の露は、

 

 秋はなほ夕まぐれこそただならね

     荻の上風萩の下露

              藤原義孝(和漢朗詠集)

 

など、多くのの歌に詠まれている。

 

季語は「つゆ萩」で秋、植物、草類。「すまう」も秋。

 

十句目

 

   つゆ萩のすまふ力を撰ばれず

 蕎麦さへ青し滋賀楽の坊     野水

 (つゆ萩のすまふ力を撰ばれず蕎麦さへ青し滋賀楽の坊)

 

 蕎麦切りはお寺の精進料理だった。後に庶民の間に広まった時も店の名前に「長寿庵」とつけるなど、長いことお寺のイメージがあった。ちなみにウィキペディアによると最初の長寿庵は元禄十七年、京橋五郎兵衛町にオープンしたという。

 信楽の辺りは夏蒔きの蕎麦だったのだろう。まだ青く収穫には早い。相撲を取ろうにも力が出ない。

 

季語は「蕎麦」で秋。釈教。

 

十一句目

 

   蕎麦さへ青し滋賀楽の坊

 朝月夜双六うちの旅ねして    杜国

 (朝月夜双六うちの旅ねして蕎麦さへ青し滋賀楽の坊)

 

 双六はバックギャモンの一種だが、日本で古くから博打に用いられていた。流れの双六打ちはお寺に泊まったりしていたようだ。残念ながら蕎麦は食えなかったか。

 貞享四年の「笠寺や」の巻の十七句目にも、

 

   院の曹子に薫を乞

 廊を双六うちにしのびより    安信

 

の句がある。

 

季語は「朝月夜」で秋、天象。旅体。「双六うち」は人倫。

 

十二句目

 

   朝月夜双六うちの旅ねして

 紅花買みちにほととぎすきく   荷兮

 (朝月夜双六うちの旅ねして紅花買みちにほととぎすきく)

 

 「紅花買」は「べにかふ」と読む。紅花は夏に収穫する。朝月夜に双六打ちは寝たまんまだが、紅花を買い付けに来た商人は朝早く旅立ち夜明けのホトトギスを聞く。相対付け。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。

 

十三句目

 

   紅花買みちにほととぎすきく

 しのぶまのわざとて雛を作り居る 野水

 (しのぶまのわざとて雛を作り居る紅花買みちにほととぎすきく)

 

 前句の紅花買を自分の使う紅を買いに行くとし、世を忍ぶ女性が雛人形を作って生計を立てる。

 「狂句木がらし」の巻の九句目に、

 

   髪はやすまをしのぶ身のほど

 いつはりのつらしと乳をしぼりすて 重五

 

の句があるように、夫と離別し、一時的に尼になった女性であろう。再婚に備える。

 

無季。恋。

 

十四句目

 

   しのぶまのわざとて雛を作り居る

 命婦の君より米なんどこす    重五

 (しのぶまのわざとて雛を作り居る命婦の君より米なんどこす)

 

 これは『源氏物語』若紫巻の北山の尼君だろう。娘のために雛人形を作ってやる。「命婦の君より米なんど」の部分はあくまで想像。

 命婦はウィキペディアに「律令制下の日本において従五位下以上の位階を有する女性、ないし官人の妻の地位を示す称号」とある。

 

無季。「命婦の君」は人倫。

 

十五句目

 

   命婦の君より米なんどこす

 まがきまで津浪の水にくづれ行  荷兮

 (まがきまで津浪の水にくづれ行命婦の君より米なんどこす)

 

 古代で津波というと貞観地震の大津波がよく知られている。多賀城市の末の松山まで津波が押し寄せたが、かろうじて越えなかったことは後に歌にも詠まれている。

 仁和三年(八八七年)の仁和地震は大阪に被害を出した。ウィキペディアには、

 

 「887年8月22日(仁和3年7月30日) 仁和地震(南海トラフ巨大地震) - M8.0〜8.5、五畿七道諸国大震。摂津の津波被害が甚だしかった。」

 

とある。

 荘園が被害を受ければ領主は米など送って緊急物資としたのだろう。

 なお津波というと、この時代の近いところでは延宝五年(一六七七年)の延宝房総沖地震で、ウィキペディアには、

 

 「1677年11月4日(延宝5年10月9日) 延宝房総沖地震 - M8.0程度。地震動による被害は確認できず津波地震と見られており、主に津波による死者569人。」

 

とある。

 また、貝原益軒の『東路記』には、

 

 「𠮷原の町、延宝八年の比、海水あふれ民屋悉く崩る。是世俗に津波と云也。町の人は富士のすそのの方へにげて命をのがれぬ。」

 

とある。

 

無季。

 

十六句目

 

   まがきまで津浪の水にくづれ行

 仏喰たる魚解きけり       芭蕉

 (まがきまで津浪の水にくづれ行仏喰たる魚解きけり)

 

 魚の腹の中から仏像が出てくればこれは有難い、奇跡だということで、復興のシンボルにもなるだろう。ありそうな霊験譚を付ける。

 後に桃隣編『陸奥衛』で、桃隣がみちのくを旅して桑折までもどってきたときに、

 

 「仙臺領宮嶋の沖より黄金天神の尊像、漁父引上ゲ、不思儀の緣により、此所へ遷らせたまひ、則朝日山法圓寺に安置し奉ル。惣の御奇瑞諸人擧て詣ス。まことに所は邊土ながら、風雅に志ス輩過半あり。げに土地の清浄・人心柔和なるを神も感通ありて、鎭坐し給ふとは見えたり。農業はいふに及ず、文筆の嗜み、桑折にとゞめぬ

       天神社造立半

    〇石突に雨は止たり花柘榴」(舞都遲登理)」

 

と記している。

 

無季。釈教。

 

十七句目

 

   仏喰たる魚解きけり

 縣ふるはな見次郎と仰がれて   重五

 (縣ふるはな見次郎と仰がれて仏喰たる魚解きけり)

 

 「縣(あがた)ふる」は「鄙(ひな)ぶる」に似ているが、田舎臭いというよりは文脈から言って田舎では一番というような意味だろう。あがたでは一番の風流男子、花見次郎と呼ばれた人がいて、花見の座でさっそうと魚をさばいて見せたのだろう。「これはあのお釈迦さまも戒律を犯してまで食ったという有難い魚だ」とでも言ったのか。

 元禄七年、伊賀の猿雖亭興行の「あれあれて」の巻三十五句目に、

 

   行儀のわるき雇ひ六尺

 大ぶりな蛸引あぐる花の陰    配刀

 

の句がある。ここでは魚ではなく引き上げたばかりの蛸をさばいている。たけだバーベキューのような人は江戸時代にもいたようだ。

 weblio辞書によると、江戸後期の 黄花庵升六編の俳諧集に『花見次郎』というのがあったそうだが、ここから取ったか。

 

季語は「はな見」で春、植物、木類。

 

十八句目

 

   縣ふるはな見次郎と仰がれて

 五形菫の畠六反         杜国

 (縣ふるはな見次郎と仰がれて五形菫の畠六反)

 

 五形はweblio辞書の「季語・季題辞典」だと「ごぎょう」と読んでオギョウ(ハハコグサ)の意味だが、五形花(ごぎょうか)だとweblio辞書の「植物名辞典」にレンゲソウの別称とある。『校本芭蕉全集 第三巻』では「ゲンゲ」と仮名がふってあって(紫雲英)とある。紫雲英はweblio辞書の「デジタル大辞泉」にレンゲソウのこととある。

 田舎の花見次郎の正体は約六十アールの畑を耕す百姓だった。

 

季語は「五形菫」で春、植物、草類。

二表

十九句目

 

   五形菫の畠六反

 うれしげに囀る雲雀ちりちりと  芭蕉

 (うれしげに囀る雲雀ちりちりと五形菫の畠六反)

 

 レンゲや菫の咲く畠の上では雲雀が「ちりちり」と鳴く。

 これが半年後になると、「狂句こがらし」の巻の、

 

   朝鮮のほそりすすきのにほひなき

 ひのちりちりに野に米を刈    正平

 

になるのか。

 

季語は「雲雀」で春、鳥類。

 

二十句目

 

   うれしげに囀る雲雀ちりちりと

 真昼の馬のねぶたがほ也     野水

 (うれしげに囀る雲雀ちりちりと真昼の馬のねぶたがほ也)

 

 馬を出すことで舞台は街道になり、旅体になる。

 

無季。旅体。「馬」は獣類。

 

二十一句目

 

   真昼の馬のねぶたがほ也

 おかざきや矢矧の橋のながきかな 杜国

 (おかざきや矢矧の橋のながきかな真昼の馬のねぶたがほ也)

 

 東海道岡崎宿の西の矢作川に架かる矢作橋はウィキペディアに、

 

 「矢作橋は慶長6年(1601年)に土橋として架けられ、その後何度も大水に流され改修を繰り返してきた。架橋がみだりにできなかった江戸時代には日本最長の大橋であった。」

 

とある。

 橋の上の道は単調で、ここを真昼に通る馬は眠たそうだ。

 

無季。旅体。「橋」は水辺。

 

二十二句目

 

   おかざきや矢矧の橋のながきかな

 庄屋のまつをよみて送りぬ    荷兮

 (おかざきや矢矧の橋のながきかな庄屋のまつをよみて送りぬ)

 

 矢作橋は牛若丸と浄瑠璃姫の出会いの地でもある。だが、貞享の時代にここで出会うのは庄屋の娘で、松と待つを掛けて歌を詠んで捧げる。待つ身はつらく矢矧の橋は長い。

 

無季。恋。

 

二十三句目

 

   庄屋のまつをよみて送りぬ

 捨し子は柴刈長にのびつらん   野水

 (捨し子は柴刈長にのびつらん庄屋のまつをよみて送りぬ)

 

 捨ててきた子は背中に背負う柴くらいの背丈になっているだろうか。庄屋の松に文をやって確かめる。

 

無季。恋。「子」は人倫。

 

二十四句目

 

   捨し子は柴刈長にのびつらん

 晦日をさむく刀売る年      重五

 (捨し子は柴刈長にのびつらん晦日をさむく刀売る年)

 

 前句の捨し子を刀の事とする。大晦日に借金を返済するために我子のような大事な刀を売る。

 

季語は「さむく」で冬。

 

二十五句目

 

   晦日をさむく刀売る年

 雪の狂呉の国の笠めづらしき   荷兮

 (雪の狂呉の国の笠めづらしき晦日をさむく刀売る年)

 

 玉屑の「閩僧可士送僧詩」の「笠重呉天雪 鞋香楚地花」による。禅語になっている。

 

 一鉢即生涯 隨緣度歲華

 是山皆有寺 何處不為家

 笠重吳天雪 鞋香楚地花

 他年訪禪室 寧憚路岐賖

 

 生涯鉢一つの托鉢暮らし、

 運命に従い年月が過ぎた。

 この山は皆お寺ばかりで、

 どこにだって住めそうだ。

 呉の国では笠が降る雪で重く、

 草鞋は薫る楚地の花。

 いつか禅室を尋ねる時は、

 遠い寄り道になってもそれもまた。

 

 行脚の僧が呉の国にいた時には笠の雪が重くて難儀したということだが、ここではその呉の国の笠が売りに出されているというのでどうしても欲しくて刀を打ったとする。

 

 市人にいで是売らん笠の雪    芭蕉

 

とかいう怪しげな僧に騙されたか。同じ頃の句でどっちが先かわからない。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

二十六句目

 

   雪の狂呉の国の笠めづらしき

 襟に高雄が片袖をとく      芭蕉

 (雪の狂呉の国の笠めづらしき襟に高雄が片袖をとく)

 

 高雄は吉原の遊女でコトバンクの「朝日日本歴史人物事典の解説」に、

 

 「江戸前・中期の遊女。高雄とも書く。江戸吉原京町1丁目の妓楼三浦屋四郎左衛門抱えで,この名を名乗った遊女は7人(庄司勝富『洞房語園』,原武太夫『高尾考』など)または11人(山東京伝『近世奇跡考』,山東京山『高尾考』など)あったといい,いずれも吉原を代表する名妓として知られ,京都の吉野太夫と並称された。三浦屋ではその代数を数えなかったといい,そのため伝によって代数や通称にも異同が大きい。著名なのは以下の通り。 ①妙心高尾。初代といわれる。寛永(1624~44)ごろ,元吉原時代の人で,隠退後尼となって妙心を名乗った。子連れで廓内を道中した子持高尾と同一人物とする説もある。②仙台(万治)高尾。2代といわれる。歴代高尾中でもっとも知られる。仙台藩主伊達綱宗の意に従わず,隅田川の三又で惨殺されたという。伊達騒動に関係づけられた巷説が生まれ,「伽羅先代萩」「伊達競阿国戯場」などの浄瑠璃や歌舞伎に仕組まれたほか,非業の死を遂げた高尾の亡霊がざんげする趣向は,舞踊劇「高尾物」という系列を生んだ。これを初代とする説のほか,近江彦根藩士の石井吉兵衛に落籍された石井高尾と同一人物説もある。‥‥以下略」

 

とある。

 風狂人だから笠は呉天の笠、そして襟には高雄の片袖を用いる。違え付け。

 

無季。

 

二十七句目

 

   襟に高雄が片袖をとく

 あだ人と樽を棺に呑ほさん    重五

 (あだ人と樽を棺に呑ほさん襟に高雄が片袖をとく)

 

 高雄太夫の形見の片袖を襟に巻いた遊女は、高雄の棺の前で浮気な客たちと一緒に酒を飲むのだろう。

 

無季。恋。「あだ人」は人倫。

 

二十八句目

 

   あだ人と樽を棺に呑ほさん

 芥子のひとへに名をこぼす禅   杜国

 (あだ人と樽を棺に呑ほさん芥子のひとへに名をこぼす禅)

 

 棺が出てきたところであだ人と酒を飲むのを禅僧とする。酒飲むからには破戒僧だろう。

 芥子の一重の散りやすさにその名があるというけど、散った後には芥子坊主が残る。

 

季語は「芥子」で夏、植物、草類。釈教。

 

二十九句目

 

   芥子のひとへに名をこぼす禅

 三ヶ月の東は暗く鐘の声     芭蕉

 (三ヶ月の東は暗く鐘の声芥子のひとへに名をこぼす禅)

 

 夕暮れの空に出る三日月の西の空は明るいが東の空には闇が迫っている。

 芥子のお坊さんもまた、闇に飲まれることもなく明るい西の空へと去ってゆく。

 

季語は「三ヶ月」で秋、夜分、天象。

 

三十句目

 

   三ヶ月の東は暗く鐘の声

 秋湖かすかに琴かへす者     野水

 (三ヶ月の東は暗く鐘の声秋湖かすかに琴かへす者)

 

 瀟湘八景の「煙寺晩鐘」であろう。

 

季語は「秋湖」で秋、水辺。

二裏

三十一句目

 

   秋湖かすかに琴かへす者

 烹る事をゆるしてはぜを放ける  杜国

 (烹る事をゆるしてはぜを放ける秋湖かすかに琴かへす者)

 

 三河名物ハゼの佃煮はこの頃からあったのか。ウィキペディアで佃煮のところを見ると、

 

 「江戸時代、徳川家康は名主・森孫右衛門に摂津国の佃村(現在の大阪市西淀川区佃)の腕の立つ漁師を江戸に呼び寄せるよう言い、隅田川河口・石川島南側の干潟を埋め立てて住まわせた(東京都中央区佃島)。佃島の漁民は悪天候時の食料や出漁時の船内食とするため自家用として小魚や貝類を塩や醤油で煮詰めて常備菜・保存食としていた。雑魚がたくさん獲れると、佃煮を大量に作り多く売り出すようになったといわれ、保存性の高さと価格の安さから江戸庶民に普及し、さらには参勤交代の武士が江戸の名物・土産物として各地に持ち帰ったため全国に広まったとされる。」

 

とある。

 佃煮の起源が徳川家康に結び付けられてきたことと、中京地区は古くから溜まり醤油があったことから、佃煮が三河の発祥だった可能性は十分にある。

 秋湖に琴を弾く君主は魚好きで、佃煮の販売を許可し、ハゼを放流した。

 

季語は「はぜ」で秋。

 

三十二句目

 

   烹る事をゆるしてはぜを放ける

 声よき念仏藪をへだつる     荷兮

 (烹る事をゆるしてはぜを放ける声よき念仏藪をへだつる)

 

 前句を放生会の放魚とする。まあ、さんざん魚を食べておいて、放生会の時だけ魚を放つというのも何だか。

 

無季。釈教。

 

三十三句目

 

   声よき念仏藪をへだつる

 かげうすき行燈けしに起侘て   野水

 (かげうすき行燈けしに起侘て声よき念仏藪をへだつる)

 

 世が明けてきて行燈の光が目立たなくなり、昼行燈状態になってきて消さなきゃいけないと思っても、なかなか布団から出るのがおっくうで、隣の藪のむこうからは朝のお勤めの声が聞こえてくる。

 

無季。「行燈」は夜分。

 

三十四句目

 

   かげうすき行燈けしに起侘て

 おもひかねつも夜るの帯引    重五

 (かげうすき行燈けしに起侘ておもひかねつも夜るの帯引)

 

 なかなか起きられない原因を、昨日の夜の恋しい思いに耐えかねて「帯引き」をしたからとする。

 帯引きはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 数人が帯を出しあって、その端に結んだ紙こよりに名前を書きつけ、二組に分かれて帯を引き合い、引きあてた帯を自分の物として交換しあうこと。

  ※空華日用工夫略集‐至徳三年(1386)二月三日「聞二余帯経年段々結続一。欲二互相交易一。所レ謂帯引者也」

  ② 遊戯の一つ。帯の両端を引きあって、力の優劣をくらべるもの。

  ※雑俳・川柳評万句合‐宝暦一二(1762)梅二「ふきげんにすこ帯引きの身ふり有り」

 

とあるが、どちらでもなさそうだ。何かの隠語だろう。

 

無季。恋。「夜る」は夜分。

 

三十五句目

 

   おもひかねつも夜るの帯引

 こがれ飛たましゐ花のかげに入  荷兮

 (こがれ飛たましゐ花のかげに入おもひかねつも夜るの帯引)

 

 「こがれ飛」というと蛍であろう。蛍の火は身を焦がす恋心に喩えられる。

 春の蛍は、

 

 春の夜の闇にも通ふ蛍かな

     芦屋の里の海女の焚く火に

              藤原家隆(壬二集)

の歌がある。『伊勢物語』八十七段の、

 

 晴るる夜の星か河辺の蛍かも

     わが住む方の海人のたく火か

              在原業平

 

が本歌になっている。

 

季語は「花」で春、植物、木類。恋。

 

挙句

 

   こがれ飛たましゐ花のかげに入

 その望の日を我もおなじく    芭蕉

 (こがれ飛たましゐ花のかげに入その望の日を我もおなじく)

 

 これは、

 

 願はくは花のしたにて春死なむ

     その如月の望月の頃

              西行法師(続古今集)

 

で、西行法師の魂が体から抜け出して花の蔭に入っていくなら、我が魂も同じように花の蔭に入ってゆきたい、と極楽往生を願う体で一巻が終了する。珍しい終わり方だ。『宗祇独吟何人百韻』の挙句、

 

   雲風も見はてぬ夢と覚むる夜に

 わが影なれや更くる灯      宗祇

 

を彷彿させる。

 

季語はないが「その望の日」は「その如月の望月の頃」の意味なので春ということになる。談林の俳諧によくある、「如月」の抜けになる。「我」は人倫。