現代語訳『源氏物語』

22初音

 年が明けた朝の空の景色は一点の曇りもなく麗らかで、都に広がる家々の垣根の内でさえ雪の合間の草が若々しく色づき初め、いつからか春を思わせる霞に木の芽張る木々もぼんやりと見えて、人の心まで自然と穏やかになってゆくかのようです。

 

 まして、玉臺もかくやとばかりの六条院の庭々は見るべき景色も多く、さらに磨きがかかった人たちの姿はどんな詳しく描写しても言葉が足りないくらいです。

 

春の源氏の大臣と奥方の御殿は梅の香りも御簾の内まで匂いが風に運ばれ、生きたまま仏の世界にいるかのようです。

 

 とはいえ、ここの人はのんびり何事もなく暮らしています。

 

 仕えている女房たちも若々しく才能ある者は姫君の方にと選び、やや年長の女房は由緒ありげで装束の着こなしはもとより、いかにも感じの良さそうに見えて、あちこちに集まっては歯固めの祝いをして、歯固めの餅と鏡餅を一緒くたにして、千代にとも言われる君が代の光も輝く正月行事を行い、ふざけあっていると、大臣の君がやってきたので、懐に入れた手を外に出して、お見苦しい所をお見せしましたと口々に言うのでした。

 

 「今日のお祝いはたいそう盛り上がっておるな。

 皆それぞれ願うことがあるんだろうな。

 少し聞かせてくれ。

 俺がことほぐことにしよう。」

 そう言って笑いだす姿は年の初めの最高にお目出度いものに思えます。

 

 ここは高貴にふるまおうとする中将の君は、

 「最初からわかってましたよ、千歳に栄える我が君は。

 鏡餅に写ってたので噂してたところです。

 私なんぞの祈りはそれで十分です。」

と答えました。

 

 朝のうちはたくさんの人が挨拶に来て慌ただしかったが、夕方にはそれぞれの区画の方々の所を源氏の大臣が回って来るというので、気合を入れて身支度をし化粧する姿もまた見るだけの価値はあるでしょう。

 

 「今朝はここの女房達がはしゃいでいたのがまじ羨ましかったので、紫の上には俺がはしゃいで見せようか。」

といって、格式を破るようなことを少し混ぜて寿ぎの言葉を言います。

 

 「薄氷が溶けて鏡のような池に

    世に曇りのない影が並んでる」

 

 ほんと、目出度い妻達との世(仲)です。

 

 「曇りない池の鏡にどれだけの

    世(仲)にすむ影か、はっきり見えるわ」

 

 まあ何を行ったところで末永く、この仲が続いて行くことを確かめ合います。

 

 この年の元旦は子の日でした。

 

 まさに千歳の春を祝うのももっともな日でした。

 

 明石の姫君のいる方に行くと、童女や下仕えなど庭の築山で小松引きをして遊んでます。

 

 若い女房たちもはやる心が抑えられない様子です。

 

 北東の区画より姫君の母があてつけがましく集めてきた贈り物などを入れる編んだ端っこを長く立てた髭籠や、野外の遊園で良く用いられる破籠(わりご)などが与えられていました。

 

 見事な五葉松の枝に飛び移るかのような鶯の作り物をあしらい、何か思わせぶりな手紙が結んであります。

 

 「年月をまつ引きのまま年取った

    人に鶯の初音聞かせて

 

 音もない里の。」

 

と書いてあるのを読んで「ほんとに可哀想なことをした」とあらためて思い知ります。

 

 悲しいことを慎むべき日なのに涙が溢れそうです。

 

 「この返事はあなた自身で書いてくれ。

 初音を惜しむような相手でもあるまい。」

 そう言って硯を持って来て書かせました。

 

 いかにも可愛らしく、毎日世話をしてる人でも見てて飽きないその姿を、今までほとんど知らせることもないまま何年も経ってしまったことで、また罪を重ねるのかと心苦しく思います。

 

 ひきわかれ年は経ったが鶯の

    巣立った松のねは忘れない

 

 幼心で詠んでみたものの、まあ今さらわかり切った内容です。

 

 北東区画の夏の花散る里の住まいを見れば、正月とは思えないくらい静まり返っていて、特に目立つようなこともせずに品良く暮らしてる様子が見えます。

 

 年月が経つごとにお互いの心の隔てもなくなり、しっとりした関係です。

 

 今では無理に関係を迫るようなことも、口説いたりすることもありません。

 

 ただ仲睦まじく、有難い約束の言葉を語り交わすだけです。

 

 御几帳(みきちょう)を隔てあって、源氏の大臣が少し押しやって姿を見ても、そのままそこにいます。

 

 薄い青の衣は確かに華やかさには欠けますし、髪の毛もすっかり色つやが薄れてしまってます。

 

 遠慮などせずに付け髪でもすれば良さそうなものです。

 

 「俺でなかったら興ざめするような姿だが、あえてそれをさらけ出してくれるのも嬉しいし、願ったり叶ったりだ。

 薄情な人だったら、俺から離れて行くところなのにな。」

 などと会う時はいつも、自分の変わらない愛にこの人の心の動かないことを嬉しく理想的だと思いました。

 

 しみじみと昔話など懐かしく語り合って西の対の玉鬘の所へと向かいました。

 

 まだ住み始めてからそんな経ってないわりには、なかなか楽しそうな雰囲気で、着飾った童女も生き生きとしてて、人もたくさんいて部屋の装飾は最低限ではあるけど、こまごまとした調度などは必ずしも揃ってるわけではありませんが、それなりにきちんとした住まいにしてました。

 

 当人も、あら可愛らしいと見てみると、山吹の細長によって引き立てられたその姿はとにかく華やかで一点の曇りもなく、何から何までキラキラ輝いてずっと眺めていたいくらいです。

 

 長い苦難の時を経たせいか、髪の先に切れ毛などがあり背中でバサバサになってるものの、全体としては美しく、傷んだ所との対照がはっきりしているのを見ると、こうして引き取られなかったならと思い、これからも目を離さずにおこうと思います。

 

 このように家族同然に思ってはいるものの、それにしてはよそよそしくて妙な人で、どこか現実の人とは思えない雰囲気があり、距離を置いて世話しているのが面白い所です。

 

 「何年も一緒にいるような感じがして、こうやって気軽に会いに来れるというのも長年の願いだったし、どうか遠慮なく俺の方にも来てくれ。

 まだ子供でこれから弦楽器を習う人もいるので、一緒に習うと良い。

 心配になるような軽い奴はあっちにはいないし。」

と言うと、

 「おっしゃる通りです。」

と、まあ普通はそう答えるでしょう。

 

 夕暮れになって北西の明石の母君の住まいを訪ねました。

 

 近くの渡殿の戸を開けた瞬間から、御簾の内から漂って来る良質の香の匂いがして、これ見よがしに気位をアピールしています。

 

 本人の姿は見えません。

 

 どこにいるのかと見まわすと、硯の辺りに雑然と本などが散らかっていて、それを拾い上げて見ます。

 

 白い東京錦(とうぎょうき)の大仰な角の飾りのついた茵(しとね)になかなか立派な箏が置かれ、いかにもという趣向を凝らした火桶に侍従という香を燻らせて、それをいろんなものに焚き込んであって、衣に焚き込んだ裛衣香(えびこう)と混じり合ってるのは何とも優雅なものです。

 

 字の練習した反古が散らかっているのも凡庸なものではなく、由緒ある書体です。

 

 元の漢字の面影を残す仰々しい草仮名は用いず、平仮名で分かりやすく書き上げています。

 

 小松の歌の返事を何にも代えがたいものと読んだ後、哀れな故事などを書いたものの中に、

 

 「珍しい花のねぐらから木から木へと

    谷の古巣にやってくる鶯

 

 その声を待ってました。」

というのがありました。

 

 「咲いてる丘に家があれば貧しくもない鶯の声」

など有名な歌など引っ張り出して書いてあるのを、拾い上げて見ながらニヤニヤしてるのは、見てて恥ずかしくなります。

 

 源氏の大臣が筆を濡らして何か書き加えていると、明石の女君が膝で歩いてきて、さすがに自分に対しては恐縮するのか、良く見られようと気を配っていて、やはりただものではないなと思います。

 

 あの梅が枝の描かれた白い小袿に対照的な黒い髪がかかり、その髪もやや薄らいで軽くなってますが、ますます大人の色気が備わり惹かれるものがあり、新年早々スキャンダルかななんて自制しようと思いつつ、結局泊っていきました。

 

 「やっぱ特別愛されてるんだわ」とあちこちで心配してます。

 

 南東の区画では、当然ながら目障りに思う人たちがいます。

 

 まだ夜も明ける前に戻ってきました。

 

 こんな有り得ないような深夜だというのに、と思うと別れた後も穏やかでなく悲しく思います。

 

 帰りを待っていた方も、ここまであからさまにと思う気持ちは推して知るべしで、

 「なぜか急に眠くなってうとうとしてるうちに、子供みたいに寝過ごしてしまって、誰も起こしに来ないなんて‥。」

と言って何とかなだめようとするのも笑えます。

 

 特に返事もなければ面倒くさげに寝たふりをして、日が高くなるまで寝床に籠って起きてきました。

 

 *

 

 二日は大臣家に客を招いての非公式の饗宴をする臨時客の習わしにかこつけて、奥方とは顔を合わせないようにします。

 

 上達部や親王など、例によって皆やってきました。

 

 音楽などを楽しみ、祝儀や引出物などどことも比べようもない物でした。

 

 集まってる方々も、俺だって負けてはいないと大盤振る舞いしても、源氏の大臣と肩を並べられるものはいないことでしょう。

 

 一人一人を取ってみると楽器などのいろんな才能を持った人たちでも、源氏の大臣の前では圧倒されてしまい、陰に隠れてしまったみたいです。

 

 殿上にも上がれないような下級貴族でも、六条院に来る日には何とか気に入られようと必死です。

 

 まして若い上達部などは噂の女のことなど下心を抱いて、やたらと好感度を上げようとアピールしてて、いつもの年よりも賑やかです。

 

 花の香を誘惑するかのように夕風が長閑に吹いてきて、庭の梅もようやく開き初め、彼は誰の時は音楽の調べも心地良く、催馬楽の「この殿(♪この殿まじ金持ち)」にみんなの手拍子も華やかに盛り上がります。

 

 源氏の大臣も時々声を合わせて「♪三枝(さきくさ)の三棟四棟御殿立てた」の部分が本当にその通りで目出度く聞こえます。

 

 この屋敷すべてが源氏の君の差し挟む合いの手に盛り上がり、花の色も楽の音も他から隔絶されて、別の世界になってゆきます。

 

 やがて帰って行く馬や牛車の誘導の大声が響く中、御簾や几帳の向こうで聞いている女性陣は、極楽浄土十楽の一つで往生した人が蓮の蕾に宿って、まさに今それが開かれんという時の気分がこんなのかと思うと、何だか不愉快な気分にもなります。

 

 まして離れた所にある東院に住む人たちは、ここにいる年月も長くなり、退屈な日々ばかりを積み重ね、「憂鬱な恋を逃れて出家するにもあの人が障害になる」の古歌を自分のことのように感じ、つれない人の心を恨まないことがあるでしょうか。

 

 その他には先の不安も寂しいこともこれといってないので、尼になった方の人(空蝉)はお勤めを欠かさずに続け、仮名によって書かれた様々な草子を学ぶことに熱心な人(末摘花)は望むがままに、実直で堅苦しい所があるもののただ望むがままに暮らしてます。

 

 *

 

 新年の騒がしさの終わる頃、源氏の大臣は東院にやってきました。

 

 この常陸宮の姫君は皇族の娘ということもあって申し訳なく思い、見た目だけでも立派に見えるように扱いました。

 

 昔は美しかった髪の毛も、この年になっては衰えも目立ち、水量の減った滝のように白く量も減った横顔は恥ずかしそうに見えて、気の毒に思えば、正視できません。

 

 贈った柳襲の装束が寒々とした感じに見えるのも、着こなしに原因があるのでしょう。

 

 光沢のない黒ずんだ掻練の紅色のさわさわと音がするくらい糊を利かせた一襲の上に、真新しい柳襲の袿(うちぎ)の組み合わせは、寒すぎて痛々しいものです。

 

 鼻の色だけが春の霞にも霞むことなく華やかで、思わず溜息をついてしまうと、わざわざ几帳を引いて隠してしまいました。

 

 そうは言え女は何とも思わず、今は何とも悲しく、長く源氏の君が気にかけていてくれることで、落ち着いてくつろいぎ、信頼しきってる様子も悲しく思えます。

 

 このような方でも普通の殿上の女房のたぐいではなく、可哀想で悲しんでる事情を思うと、俺だからできると気に掛けてあげるのも有難いことではあるのでしょう。

 

 声もまたいかにも寒そうで震えながら細々と話します。

 

 どうしたものかと思い、

 「着るもののことなど、世話してくれる人はいるのか?

 こいふに何不自由なく暮らしているとどうしても隙だらけの格好になり、傷んだよれよれのものでもよくなる。

 うわべだけ新しいものを羽織ってもみっともないだけだ。」

と言うとぎこちない作り笑いを浮かべて、

 「醍醐の阿闍梨の世話もあるので、着物を縫う余裕もない。

 皮の上着も持ってかれたので、寒い。」

というのは同じ真っ赤な鼻の兄でした。

 

 良い人なんだけどあまり隙だらけというのもと思いますが、まあこういう所でもほんと真面目で疑うことをしない人です。

 

 「あのロシアンセーブルはその方が良い。

 山伏が蓑の代りに着るぼろ布にと譲ったんならしょうがない。

 それよりはこの何の変哲もない白い衣を七重にでも重ねれば良いじゃないか。

 こういうことは俺も忘れてるかもしれないから、そっちから言ってくれ。

 もともと頭が悪くて、すぐ面倒臭くなってさぼるからな。

 それにどこもかしこもごたごた競い合ってるから、どうしてもそうなる。」

と言って元の二条院の方の倉を開けさせて、絹や綾などを与えました。

 

 荒れ果ててはいないけど、今は住む人もいない二条院は人の気配もなく静かで、庭の木立だけが風情があって、紅梅が咲き始めてその匂いなど、見る人もない庭を見渡して、

 

 故郷の花の梢を訪ねては

    常でないよな花を見るかな

 

 そう独り呟くのも、誰も知る由もないことでしょう。

 

 空蝉の尼衣の方もちょっと覗いてみました。

 

 我家として好きに使ってる感じではなく、ひっそりと女房か何かのように小さく囲った部屋に住んで、部屋の大半は仏様を祀る場所として、お勤めする姿は哀れに見えて、経典や仏様の飾り、仏様の水を汲む簡単な容器などなかなか趣味が良くて、やはり才覚溢れる人に思われます。

 

 青味がかかった灰色を用いることで出家者に配慮した几帳も面白く、同じ色の尼衣はそこに埋没し、クチナシに薄紅を添えた袖口だけが異なるトーンを与え、そこにかつての女性としての色香を思いしては涙ぐみ、

 

 「『噂に聞く松が浦島やっと見れた何とも心ある海女(あま)がすんでた』という古い歌があるけど、遠くから思ってるだけで見ない方が良かったかもな。

 最初から有ってはならない縁だったけどね。

 さすがにこうやってただ会いに来るくらいの関係なら絶やすこともないよな。」

 

 そう言うと尼君も何とも悲しい顔して、

 「そうした人にお世話になるしかないのも、浅からぬ縁だというのはよくわかってます。」

と言います。

 

 「さんざん何度も重ね重ね男の心を惑わした罪の報いなど、仏に懺悔するのも辛いだろうな。

 思い知っただろう。

 素直にしてれば良かったものを、思い当たることもないわけじゃないとは思うが。」

 「あの最悪な継子との一件のことをまだ覚えてるのですね。」

と恥ずかしそうに言うと、

 「こんな姿を見られてしまったること以上の報いがどこにあるのですか。」

と言って本当に苦しそうに泣き出しました。

 

 昔以上に思慮深く恥を強く意識するようになり、こうやって距離を置こうとするのがわかっていても、見捨てることはできないと思って、今さら無駄に口説こうなどとはせず、おおかた昔のことや今のことで雑談するだけで、この程度の会話くらいはいいだろうと余所の部屋を眺めてました。

 

 こんなふうに保護されてる人はたくさんいました。

 

 全員の所を回り終えて、

 

 「なかなか通えない日もあるとは思うが、心の中ではいつも思ってるよ。

 ただ俺がこの世に居られる日々に限りがあることだけが気がかりだ。忘れないようにしていてもいつまでの命かは知らない。」

 

 など気を持たせるようなことを言います。

 

 どの人のこともそれなりには可哀想だと思ってます。

 

 俺こそはと思い上がってもおかしくない身分ですが、それほど偉そうにふるまうわけでもなく、家や身分相応にいろいろ誰でも手元に置いておきたいと思っているので、ただ源氏の大臣の気持ち次第で多くの人々はまた一つ年を取りました。

 

 *

 

 この年は男踏歌(おとこどうか)があり、殿上人や地下人で四位以下の男たちが、内裏から朱雀院に行き、次にこの六条院を回ります。

 

 その道のりが長くて夜明けの頃になりました。

 

 月は曇ることなくますます澄み渡り、夜中に少し降った雪が薄っすらと残る庭は言いようもなく、殿上人なども楽器の上手い人が多くて、笛の音もなかなか面白く吹きたてて、六条院の庭では特に気合を入れて演奏しました。

 

 たくさんの妻達も聞きに来ようとあらかじめ連絡があったので、左右の対や渡殿などに、几帳などで囲って臨時の部屋を設けました。

 

 北東区画の西の対に住む玉鬘は南東区画にやってきて、そこにいる明石の姫君と対面しました。

 

 紫の奥方も同じ所にいて、几帳越しに言葉を交わしました。

 

 このあと先帝朱雀院の后の所を回る頃には夜もだんだん明けて行くということで、本来簡単に水駅(みずうまや)で踏歌の人達の飯や馬の藁を食うところですが、前例があるのを根拠に、さらにそれに加えた特別待遇で盛大に歓迎しました。

 

 光も凍りつくような暁の月夜に、雪は次第に降り積もってゆきます。

 

 松風が木の高い所から吹きおろして、何とも凄まじい感じがする所に、男踏歌の人達は黄ばんだ青の袍(ほう)の下に白襲(かさね)を着て、飾りっ気がなく、頭に飾る白い綿は何の変哲もない物ですが、こういう儀式の場には奇麗で清々しく、寿命の伸びる気がします。

 

 源氏の中将の君や内大臣の子供達など特に見栄えも良く華やかです。

 

 ほのぼのと夜が明けて行くと雪はやや小降りになり、やたら寒く、催馬楽の竹河を謡い互いに近寄って行く姿といいその惹きつけられる声々といい、絵に描いて残すことができないのが残念です。

 

 妻達は皆いずれも劣らぬ袖の先を出衣(いだしぎぬ)にして、これでもかと外に見せていまして、その色合いが曙の空に春の柳桜こき混ぜた錦が霞の中に現れたかのようです。

 

 見ているだけで不思議と心が晴れて行く踏歌でした。

 

 さらに、綿で顔を隠した高巾子(こうごし)のこの世のものとも思えぬ姿、ことほぐ言葉の無礼でふざけた調子はいかにも大袈裟で、そのせいか何か面白い拍子があっても耳に入って来ません。

 

 ここでも綿を賜って、さらに多くの綿を被って出て行きました。

 

 夜がすっかり明けて、妻達も帰って行きました。

 

 源氏の大臣は少し寝床に籠って日が高くなって起きてきました。

 

 「息子の中将は弁少将(内大臣の次男)にも全く劣らず良い声してたな。

 最近は才能ある人が次々と出てきて変なもんだな。

 昔はばりばり頭の切れる優秀な人はたくさんいたが、芸術方面では今の人にかなわないのではないか。

 中将なども真面目な官僚にしようと思い、俺みたいなしょうもない遊び人にはしないようにと思ってたけど、その下地にはそういう才能も残してやんないといけないな。

 それを押し殺して真面目な外面ばかり気にするのもうるさいもんだ。」

 

 そう思うと我が子ながら本当に可愛く思えてきます。

 

 踏歌の時に歌う万春楽(ばんすらく)を口ずさみ、そして言いました。

 

 「またみんなが集まる踏歌後宴の時にでも、何とか音楽会のようなものができないか。

 個人的にも後宴をしなくては。」

 

 そう言うと、密かに仕舞ってあるあでやかな袋に入った弦楽器類をみんなで引っ張り出してピカピカにし、緩めてあった弦をチューニングさせました。

 

 妻達も最高に気合を入れて愛想を振りまくことでしょう。