「須磨ぞ秋」の巻、解説

初表

   於四友亭興行

 須磨ぞ秋志賀奈良伏見でも是は   似春

   ほのぼのの浦さしそへて月   四友

 沖の石玉屋が袖の霧はれて     桃青

   足きられてや鳫の鳴らむ    桃青

 山おろし小柴のかげにさつと吹   似春

   しら雲かろき手水手ぬぐひ   似春

 紺浅黄鹿子まじりに櫻さく     桃青

   梺は藤のつづら明ゆく     桃青

 

初裏

 ぬす人と三笠の春や呼ふらん    似春

   火付の野守とらへられけり   桃青

 草薙の風公儀より烈しくて     似春

   御宿老には白髭の神      桃青

 置頭巾額にたたむさざなみや    似春

   洲崎の松のひとり狂言     桃青

 てうちうち真砂の鶴の子を思ふ   似春

   涎の糸に撥かよふらむ     桃青

 又や来る酒屋門前の物もらいひ   似春

   南朝四百八十目米       桃青

 芳野山みだれて武士の世なりけり  似春

   浪こす岩をきつてのはつての  桃青

 花の庭月の夜嵐ねめ付て      似春

   青柳よわき女房あなづる    桃青

 

 

二表

 血の道気うらみ幾日の春の雨    似春

   胸のけぶりにさがす茶袋    桃青

 朝めしをまつ間ほどふる我恋は   似春

   時雨の松の針立をよぶ     桃青

 お夜詰にはひまつはりし蔦かづら  似春

   寝巻の月はいとうくらきに   桃青

 焼亡やふんどしさわぐ秋の風    似春

   芦の丸屋にうつけありけり   桃青

 浦千鳥ふまれて帰る浪のおと    似春

   さし出の磯に住あまのじやく  桃青

 甲斐が根や須弥の麓に分入ば    似春

   日上人の影てらすなり     桃青

 瓦燈の火もらぬ窟に小夜更て    似春

   神代の鼠まくら驚く      桃青

 

二裏

 明ぬれば萩原どのの鶉啼      似春

   風に薄のぬるい若黨      桃青

 お使に行ども秋の果所なき     似春

   二間ほどかく文箱の露     桃青

 宿の月やりてや鞘をはづすらん   似春

   既によし原の合戦破れし    桃青

 はやりうたさすが名をえし其身とて 似春

   でつち小坊主男なりひら    桃青

 冷飯を鬼一口に喰てけり      似春

   是生滅法生姜梅漬       桃青

 煩悩の夢をさまして棚さがし    似春

   冥きにまよふ道は紙燭で    桃青

 口惜の花の契りやぬく太郎     似春

   ふられて今朝はあたら山吹   似春

 

 

三表

 ひよんな恋笑止がりてや啼蛙    桃青

   あたまくたしに通路の雨    似春

 お情にあづかるほどの木なりとて  桃青

   根なしかづらのかかる浪人   似春

 長髪の霜より霜に朽んとは     桃青

   薬ちがひに風寒るまで     似春

 幾月の小松がはらや隠すらん    桃青

   とへど岩根の下女はこたへず  似春

 磯清水汝ながれをたてぬかと    桃青

   いかつに情を杓でくみよる   似春

 恋衣紺の袂にはし折て       桃青

   雲引かづく星のかよひ路    似春

 ほとほとと天の戸ぼその暮の月   桃青

   帝近所へ夜ばなしの秋     似春

 

三裏

 錦かと田楽染る龍田川       桃青

   山は時雨てすり粉木の音    似春

 浮雲のそなたに近き隠里      桃青

   日影を盗で仙境に入      似春

 幻を挑灯持や尋ぬらん       桃青

   夢はやぶれて杖と草履と    似春

 しにはづれ此頃の礼お門まで    桃青

   衣を肩にかかる仕合      似春

 酒手迄白雲帯を解せたり      桃青

   秋風起て出るより棒      似春

 気違を月のさそへば忽に      桃青

   尾を引ずりて森の下草     似春

 御神体則花は散給ふ        桃青

   つくしはるかに春ぞ飛行    似春

 

 

名残表

 捧げたる二ッの玉子かいわりて   桃青

   うちまた広き国のかみへと   似春

 雪隠に伊与の湯桁も打渡し     桃青

   ふみ石九ッ中は十六      似春

 山作り硯にむかひ筆とりて     桃青

   夢窓国師もいでや此世に    似春

 物相を都の西に参りつつ      桃青

   茶の湯の古道跡は有けり    似春

 太閤の下駄一足や残るらん     桃青

   高麗までも隣ありきに     似春

 秋の寝覚火入をさげて行ものは   桃青

   悋気の袖に月を打わる     似春

 忍び路の霧の妻戸をつき倒し    桃青

   喧嘩眼にくどく夕ぐれ     似春

 

名残裏

 薄情かかりがましき若いもの    桃青

   黒手にはねてころすはころすは 桃青

 追剥の跡は裳ぬけと成にけり    似春

   蝦蟇鉄拐や吐息つくらむ    似春

 千年の膏薬既に和らぎて      桃青

   折ふし松に藤の丸さく     桃青

 より金の花郭公春のくれ      似春

   山もかすみの唐で我を折    執筆 

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

   於四友亭興行

 須磨ぞ秋志賀奈良伏見でも是は  似春

 

 似春と四友が上方行脚の旅に出る際の興行で、行先に須磨が含まれていたのだろう。志賀(滋賀)、奈良、伏見も廻る予定だったか、これらの地名が含まれている。

 須磨は在原行平の流されて、

 

   田村の御時に事にあたりて

   津の國の須磨といふ所にこ

   もり侍りけるに宮のうちに

   侍りける人に遣はしける

 わくらばに間ふ人あらば須磨の浦に

     藻鹽たれつつわぶと答へ

              在原行平朝臣(古今集)

 

の歌を詠んだことでも知らていたが、『源氏物語』須磨巻の秋の場面が印象的で、以後和歌でも須磨の月や須磨の秋が詠まれるようになった。

 志賀でも奈良でも伏見でもどこでも秋だが、須磨の秋は特別だ、今からそこに行ってくる、という旅立ちの句でこの興行は始まる。

 ちなみに志賀の秋は、

 

 さざ波やにほてる浦の秋風に

     うき雲晴れて月ぞさやけき

              為親(風雅集)

 

 奈良の秋は、

 

 秋されば春日の山の紅葉見る

     奈良の都の荒れまく惜しも

              大原今城(夫木抄)

 

 伏見の秋は、

 

 なにとなく物そ悲しき菅原や

     伏見の里の秋の夕ぐれ

              源俊頼(千載集)

 

と、それぞれ秋が歌に詠まれている。

 

季語は「秋」で秋。「須磨」「志賀」「奈良」「伏見」は名所。

 

 

   須磨ぞ秋志賀奈良伏見でも是は

 ほのぼのの浦さしそへて月    四友

 (須磨ぞ秋志賀奈良伏見でも是はほのぼのの浦さしそへて月)

 

 「ほのぼの」は、

 

 ほのぼのとあかしの浦の朝霧に

     島隱れゆく舟をしぞ思ふ

              よみ人しらず

   この歌ある人のいはく柿本人麿が歌なり(古今集)

 

の歌による。須磨の月といえば、

 

 播磨路や須磨の關屋の板びさし

     月もれとてやまばらなるらむ

              源師俊(千載集)

 波のうゑに有明の月を見ましやは

     須磨の關屋にやどらざりせば

              源国信(千載集)

 藻汐汲む袖の月影おのづから

     よそに明さぬ須磨の浦人

              藤原定家(新古今集)

 

などの歌がある。

 人麻呂の歌で有名な「ほのぼの」の浦に月を見てきます、と発句に和す。

 なお四友は脇のみの参加になっている。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「浦」は水辺。

 

第三

 

   ほのぼのの浦さしそへて月

 沖の石玉屋が袖の霧はれて    桃青

 (沖の石玉屋が袖の霧はれてほのぼのの浦さしそへて月)

 

 「沖の石」は、百人一首でも知られている、

 

 わが袖は潮干に見えぬ沖の石の

     人こそ知らねかわく間もなし

              二条院讃岐(千載集)

 

に見える言葉で、玉屋はどこの玉屋かわからないが、沖の石の涙は玉屋の袖によって拭いてきれいになるように、月もまた霧が晴れて輝く。

 

季語は「霧」だ秋、聳物。「沖の石」は水辺。

 

四句目

 

   沖の石玉屋が袖の霧はれて

 足きられてや鳫の鳴らむ     桃青

 (沖の石玉屋が袖の霧はれて足きられてや鳫の鳴らむ)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注に、和氏の璧の故事によるものとある。ウィキペディアに、

 

 「楚の国にいた卞和(べんか)という人が、山中で玉の原石を見つけて楚の厲王(蚡冒)に献上した。厲王は玉石に詳しい者に鑑定させたところとただの雑石だと述べたので、厲王は怒って卞和の左足を切断する刑をくだした。厲王没後、卞和は同じ石を武王に献上したが結果は同じで、今度は右足切断の刑に処せられた。文王即位後、卞和はその石を抱いて3日3晩泣き続けたので、文王がその理由を聞き、試しにと原石を磨かせたところ名玉を得たという。その際、文王は不明を詫び、卞和を称えるためその名玉に卞和の名を取り「和氏の璧」と名付けた。」

 

とある。

 この場合は「足きられてや鳫の鳴らむ、沖の石玉屋が袖の霧はれて」となり、雑石だと言われて足を切られ鳴いてた雁がいたのだろうか、玉屋の袖で名玉だとわかり霧が晴れる、となる。

 霧の雁は、

 

 雁のくる峰の朝霧はれずのみ

     思ひつきせぬ世中のうさ

              よみ人しらず(古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「鳫」で秋、鳥類。

 

五句目

 

   足きられてや鳫の鳴らむ

 山おろし小柴のかげにさつと吹  似春

 (山おろし小柴のかげにさつと吹足きられてや鳫の鳴らむ)

 

 前句の「足きられて」を比喩で「身を切るような風」という意味に取り成し、山おろしが小柴の影にさっと吹くとする。

 

無季。「小柴」は植物、草類。

 

六句目

 

   山おろし小柴のかげにさつと吹

 しら雲かろき手水手ぬぐひ    似春

 (山おろし小柴のかげにさつと吹しら雲かろき手水手ぬぐひ)

 

 「手水手ぬぐひ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 手水のときに用いるてぬぐい。また、神社の御手洗(みたらし)のそばにさげておくてぬぐい。

  ※俳諧・精進膾(1683)「代々農石畳苺の滴梨〈西長〉 都㒵手水手拭しほらせて〈西和〉」

 

とある。

 山颪といえば、

 

 うかりける人を初瀬の山おろしよ

     はげしかれとは祈らぬものを

             源俊頼朝臣(千載集)

 

で、お寺へ願掛けに来て手水で手を清める。手水手ぬぐひは白雲のように軽くて風にはためく。

 山おろしの柴に白雲は、

 

 山おろしに柴の囲いは荒れにけり

     たなびきかくせ峰の白雲

             葉室光俊(続後撰集)

 

の歌がある。

 

無季。「しら雲」は聳物。

 

七句目

 

   しら雲かろき手水手ぬぐひ

 紺浅黄鹿子まじりに櫻さく    桃青

 (紺浅黄鹿子まじりに櫻さくしら雲かろき手水手ぬぐひ)

 

 紺と浅黄の鹿子模様の手拭に混じって桜が咲いている。

 桜に白雲は、

 

 桜花さきにけらしなあしひきの

     山のかひより見ゆる白雲

              紀貫之(古今集)

 み吉野のよしのの山の桜花

     白雲とのみ見えまがひつつ

              よみ人しらず(後撰集)

 

などの歌に詠まれている。

 

季語は「櫻」で春、植物、木類。

 

八句目

 

   紺浅黄鹿子まじりに櫻さく

 梺は藤のつづら明ゆく      桃青

 (紺浅黄鹿子まじりに櫻さく梺は藤のつづら明ゆく)

 

 衣類を入れた藤のつづらを開けると紺と浅黄の鹿子模様の着物に混ざって桜色のものもある。それに「桜咲く麓は藤の咲くつづら折りの道で夜が明けて行く」とを掛ける。

 桜に藤は、

 

 君見ずや桜山吹かざしきて

     神の恵みにかかる藤波

              藤原隆信(続古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「藤」で春、植物、草類。「梺」は山類。

初裏

九句目

 

   梺は藤のつづら明ゆく

 ぬす人と三笠の春や呼ふらん   似春

 (ぬす人と三笠の春や呼ふらん梺は藤のつづら明ゆく)

 

 謡曲『采女』に、

 

 「三笠の山を御覧ぜよ。さて菩提樹の木蔭とも、盛りなる藤咲きて松にも花を春日山」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.22697-22698). Yamatouta e books. Kindle 版.)

 

とあり、三笠の春に藤は縁がある。 

 藤のつづらを勝手に開けて、盗人だと三笠の春日山が呼ぶのではないか。

 三笠の藤は、

 

 おもひやれ三笠の山の藤の花

     咲きならへつつみつる心は

              西園寺実氏(続古今集)

 

など、歌にも詠まれている。

 

季語は「春」で春。「ぬす人」は人倫。「三笠」は名所、山類。

 

十句目

 

   ぬす人と三笠の春や呼ふらん

 火付の野守とらへられけり    桃青

 (ぬす人と三笠の春や呼ふらん火付の野守とらへられけり)

 

 「火付の野守」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「飛火の野守」のもじりだという。「飛火の野守」は、

 

 春日野の飛ぶ火の野守いでて見よ

     いまいく日ありて若菜つみてむ

              よみ人しらず(古今集)

 

の歌に出てくる。飛火野はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「奈良市東部、春日山のふもと、春日野の一部。また、春日野の別称。元明天皇のころに烽火台が置かれたところから名づけられた。とびひの。

  ※枕(10C終)一六九「野は嵯峨野さらなり。印南野。交野。駒野。とぶひの」

 

とある。前句のぬす人は野守だった。

 

無季。「野守」は人倫。

 

十一句目

 

   火付の野守とらへられけり

 草薙の風公儀より烈しくて    似春

 (草薙の風公儀より烈しくて火付の野守とらへられけり)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「草薙の故事による趣向」とあるが、日本武尊の焼道(やいづ)の話だろう。ウィキペディアに、

 

 「その後、ヤマトタケルは相武国(『古事記』および『古語拾遺』)もしくは駿河国(『日本書紀』、熱田神宮伝聞)で、敵の放った野火に囲まれ窮地に陥るが、剣で草を刈り払い(記と拾遺のみ)、向い火を点け脱出する。 日本書紀の注では「一説には、天叢雲剣が自ら抜け出して草を薙ぎ払い、これにより難を逃れたためその剣を草薙剣と名付けた」とある。」

 

とある。この部分は『古事記』(倉野憲司校注、岩波文庫)に、

 

 「ここにその國造、火をその野に著けき。故、欺かえぬと知らして、その姨倭火賣命の給ひし嚢の口を解き開けて見たまへば、火打その裏にありき。ここにまづその御刀もちて草を刈り撥ひ、その火打もちて火を打ち出でて、向火を著けて焼き退けて、還り出でて皆その國造等を切り滅して、すなはち火を著けて焼きたまひき。故、今に焼道と謂ふ。」

 

とある。

 草薙の剣の風はお役所の取り締まりなどよりずっと厳しく、火付けの野守は捕らえられたとさ。

 

無季。

 

十二句目

 

   草薙の風公儀より烈しくて

 御宿老には白髭の神       桃青

 (草薙の風公儀より烈しくて御宿老には白髭の神)

 

 「御宿老」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (「お」は接頭語) 江戸時代、町内の取り締まりをした役。また、その人の俗称。町内の年寄役。おしゅくろ。

  ※浄瑠璃・曾根崎心中(1703)「お宿老殿が仰せられしは、〈略〉とて、町々にまで張紙せし」

 

とある。

 白髭明神はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「白髭、白髥とも書く。白鬚神社は全国に約190社あるといわれている。とくに静岡県に多く、61社、次に岐阜県の43社、埼玉県の20社と続く。主として太平洋岸に東北から九州まで鎮座するが、その根本社は、滋賀県高島市鵜川(うかわ)に鎮座する旧県社白鬚神社である。白鬚神社の祭神たる白鬚明神は、その多くは猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)であるが、武内宿禰命(たけしうちのすくねのみこと)である神社が30社あり、そのほか少数ながら、少彦名(すくなひこな)命、天御中主(あめのみなかぬし)神、太玉(ふとだま)命、金山彦(かなやまひこ)命、大己貴(おおなむち)命、天鈿女(あめのうずめ)命、大田(おおた)命、久延毘古(くえひこ)命ほか多彩な神々の名がみられる。[落合偉洲]」

 

とある。白髭神社は隅田川沿いにもある。

 ここは相対付けで、草薙の風に御宿老のの白髭神と対にしている。

 

無季。神祇。

 

十三句目

 

   御宿老には白髭の神

 置頭巾額にたたむさざなみや   似春

 (置頭巾額にたたむさざなみや御宿老には白髭の神)

 

 置頭巾(おきずきん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 袱紗(ふくさ)のような布を畳み、深くかぶらないで頭にのせておく頭巾。

  ※俳諧・生玉万句(1673)「御免あれ赤地の錦の置頭巾〈均明〉 時雨のあめに染るひん髭〈流水〉」

  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)一「その時にあふて旦那様とよばれて、置頭巾(ヲキヅキン)・鐘木杖(しゅもくつへ)、替草履取るも」

  ② ①の形に似せて鉄板を張り合わせた兜の鉢の一種。」

 

とある。具体的な形が中々イメージがしづらい。御宿老が被っていたのか。「たたむ」は畳むと波の立つとに掛けて白髭神社のある近江に掛かる枕詞「さざなみや」とする。

 滋賀の白髭明神は謡曲『白髭』にもなっていて、

 

 「ここに比叡山の麓さざ波や、志賀の浦のほとりに、釣を垂るる老翁あり。 釈尊 かれに向つて、翁もし、この地の主たらばこの山をわれに与へよ、仏法結界の、地となすべしと宣へば、翁答へて申すやう、われ人寿、六十歳の初めより、この山の主として、この湖の七度まで、蘆原になりしをも、正に見たりし翁なり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.9250-9259). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

とある。

 

無季。「置頭巾」は衣裳。「さざなみ」は水辺。

 

十四句目

 

   置頭巾額にたたむさざなみや

 洲崎の松のひとり狂言      桃青

 (置頭巾額にたたむさざなみや洲崎の松のひとり狂言)

 

 洲崎の松は滋賀唐崎のひとつ松のこと。その「ひとつ」に掛けて一人狂言を導き出す。一人狂言はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「1 「一人芝居」に同じ。

  2 シテが独演する特殊な本狂言。現行曲中にはないが、番外曲として数曲伝えられている。」

 

とある。置頭巾が用いられたのか。

 洲崎の松は、

 

 宿借らん洲崎の松の風をいたみ

     あるる苫屋も人は住みけり

              寂能(宝治百首)

 

の歌に詠まれている。

 

無季。「洲崎」は名所、水辺。「松」は植物、木類。

 

十五句目

 

   洲崎の松のひとり狂言

 てうちてうち真砂の鶴の子を思ふ 似春

 (てうちうち真砂の鶴の子を思ふ洲崎の松のひとり狂言)

 

 「てうちてうち」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「1 そば・うどんなどを、機械を使わないで手で打って作ること。「手打ちそば」

  2 売買契約や和解などが成立したしるしに、関係者一同が手を打ち鳴らすこと。転じて、契約や和解が成立すること。「手打ち式」

  3 (「手討ち」とも書く)武士が家臣や町人などを自分の手で斬(き)り殺すこと。おてうち。

  4 江戸時代の歌舞伎で、顔見世興行のとき、ひいきの連中が土間に立って手を打ちはやすこと。」

 

とあり、4の意味で前句の一人狂言への拍手のことだろう。

 「鶴の子を思ふ」は謡曲『接待』の、

 

 「旧里を出でし鶴の子の松に帰らぬ、淋しさよ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.59422-59424). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

だろうか。謡曲『経政』にも「冷冷として夜の鶴の、子を思つて籠のうちに鳴く」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.17052-17054). Yamatouta e books. Kindle 版. )のフレーズがある。

 洲崎の松に鶴の子が帰らず一人狂言をやる。それは謡曲『三井寺』の、

 

 「帰ればさざ波や・志賀辛崎の一つ松、みどり子の類ひならば、松風に言問はん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.39978-39981). Yamatouta e books. Kindle 版.)

 

の子を探す狂女の鐘撞の場面を演じているのかもしれない。

 鶴の子は、

 

   ある人の産してはべりける七夜

 松が枝のかよへる枝をとぐらにて

     巣立てらるべき鶴の雛かな

              清原元輔(拾遺集)

 おもひやれまだ鶴のこのおひさきを

     千世もとなづる袖のせばさを

              大弐三位(後拾遺集)

 

などの歌がある。

 

無季。「鶴」は鳥類。

 

十六句目

 

   てうちてうち真砂の鶴の子を思ふ

 涎の糸に撥かよふらむ      桃青

 (てうちてうち真砂の鶴の子を思ふ涎の糸に撥かよふらむ)

 

 撥ということで謡曲『経政』の村雨の中で琵琶を弾く場面を思わせる。

 ただ、ここでは前句の「てうちてうち」を子供をあやす所作として、鶴の子の涎の糸にしたか。

 

無季。

 

十七句目

 

   涎の糸に撥かよふらむ

 又や来る酒屋門前の物もらいひ  似春

 (又や来る酒屋門前の物もらいひ涎の糸に撥かよふらむ)

 

 撥(ばち)という字は撥(はねか)すとも読む。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘他サ五(四)〙 泥、水などをとばし散らす。はねるようにする。はねとばす。

  ※西洋道中膝栗毛(1874‐76)〈総生寛〉一三「アレ唾を人にはねかしてサ」

 

とある。

 酒屋の門の前にいつも来る物貰いは、アルコールでおかしくなっているのか、いつも涎を撥ね飛ばしている。

 

無季。「物もらひ」は人倫。

 

十八句目

 

   又や来る酒屋門前の物もらいひ

 南朝四百八十目米        桃青

 (又や来る酒屋門前の物もらいひ南朝四百八十目米)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、杜牧の「江南春」とある。

 

   江南春望   杜牧

 千里鶯啼緑映紅 水村山郭酒旗風

 南朝四百八十寺 多少楼台煙雨中

 

 千里鶯鳴いて木の芽に赤い花が映え

 水辺の村山村の壁酒の旗に風

 南朝には四百八十の寺

 沢山の楼台をけぶらせる雨

 

 「四百八十目米」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 「一石四百八十匁前後。飢饉で米が四百八十匁もして、酒屋の門前に乞食が集る。」としている。匁は重さの単位であり、通貨としては銀の重さの単位になる。六十匁が大体一両だから四百八十匁は金八両になる。

 ウィキペディアの「江戸時代の三貨制度」のところに、

 

 「また「銀20匁」など下一桁が0である場合、「銀20目」と表すのが一般的であった。」

 

とあるから、「四百八十目」は四百八十匁ということになる。

 米一石は約百五十キロとされている。ウィキペディアの「米価」のところの「『日本史小百科「貨幣」』『近世後期における物価の動態』を基に作成した銀建による米価の変遷」によると、延宝の頃の米価は一石五十から八十匁、吉宗の時代に二百三十匁まで跳ね上がったのが最高値で、それからすると一石四百八十匁はありえないようなべらぼうな値段になる。

 なお、このチャートだと一六九〇代になると百匁を越えている。それで、

 

 十団子も小粒になりぬ秋の風   許六

 

だったか。今でいうステルス値上げだ。

 

無季。

 

十九句目

 

   南朝四百八十目米

 芳野山みだれて武士の世なりけり 似春

 (芳野山みだれて武士の世なりけり南朝四百八十目米)

 

 前句の南朝を日本の南北朝時代とする。当時の歴史観では王朝時代の古き良き時代に対し、武士の時代は乱世というふうに認識されていた。この歴史観は江戸後期の国学で強化され、明治維新につながっていった。

 

無季。「芳野山」は名所、山類。「武士」は人倫。

 

二十句目

 

   芳野山みだれて武士の世なりけり

 浪こす岩をきつてのはつての   桃青

 (芳野山みだれて武士の世なりけり浪こす岩をきつてのはつての)

 

 「浪こす岩」は『伊勢物語』第百八段の、

 

 風吹けばとはに浪こす岩なれや

     わが衣手のかはくときなき

 

で、涙の乾く間もないということを本意とする。それをさらに切った張ったを繰り返す武士の世に、いつでも庶民は苦しめられていた。

 徳川幕府は戦国の乱世を収めるとともに、

 

 日の道や葵傾く五月雨      芭蕉

 

の句もあるように、葵(徳川幕府)が王朝時代(日の道)に戻してくれることが期待されていた。逆に武士の世に戻そうとする由井正雪は「よしなき謀反笑止千万」だった。

 明治維新もせっかく王朝の世に戻したのに、吉田松陰門下の長州の武士が松陰先生の教えの下に侵略戦争に突っ走り、乱世を呼び込んでしまった。西洋列強の競う時代を、地球規模での天下取りの戦いが始まったと錯覚して、あえてそれに参戦しようとしたのだろう。

 

無季。「浪こす岩」は水辺。

 

二十一句目

 

   浪こす岩をきつてのはつての

 花の庭月の夜嵐ねめ付て     似春

 (浪こす岩をきつてのはつての花の庭月の夜嵐ねめ付て)

 

 「ねめ付て」は睨みつけること。関東の不良は「ガンつける」といい、関西の不良は「メンチ切る」というが、「ねめつける」も今でも使われているらしい。

 桜の咲く庭の月の夜もいつしか酔っ払って、ガン飛ばしたの何だので喧嘩になって、たちまち切った張ったのちゃんちゃんばらばらの嵐が始まる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「月の夜」は夜分、天象。

 

二十二句目

 

   花の庭月の夜嵐ねめ付て

 青柳よわき女房あなづる     桃青

 (花の庭月の夜嵐ねめ付て青柳よわき女房あなづる)

 

 まあ相手が柳に風のような弱々しい女房だとあなどっていると‥‥。

 花に柳は、

 

 見渡せば柳桜をこきまぜて

     都ぞ春の錦なりける

              素性法師(古今集)

 

の縁になる。

 

季語は「青柳」で春、植物、木類。「女房」は人倫。

二表

二十三句目

 

   青柳よわき女房あなづる

 血の道気うらみ幾日の春の雨   似春

 (血の道気うらみ幾日の春の雨青柳よわき女房あなづる)

 

 「血の道」は血の道症でウィキペディアに、

 

 「血の道症(ちのみちしょう)とは、月経、妊娠、出産、産後、更年期など女性のホルモンの変動に伴って現れる精神不安やいらだちなどの精神神経症状および身体症状のことである。なお、医学用語としては、これら女性特有の病態を表現する日本独自の病名として江戸時代から用いられてきた漢方医学の用語である「血の道」について、1954年九嶋による研究によって西洋医学的な検討が加えられ「血の道症」と定義された。」

 

とある。

 まあ、生理でいらいらしているときに余計なことを言ったりすると怖い目にあうということか。

 柳に雨は、

 

 ほしわぶる柳の糸に降る雨の

     心細くも暮るる春かな

              藤原家隆(壬二集)

 

など、歌に詠まれている。

 

季語は「春の雨」で春、降物。

 

二十四句目

 

   血の道気うらみ幾日の春の雨

 胸のけぶりにさがす茶袋     桃青

 (血の道気うらみ幾日の春の雨胸のけぶりにさがす茶袋)

 

 「胸の」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「胸の火が燃えるときに出る煙の意で、胸の中の思い。また、その思いが十分にかなえられないさまをたとえていう。

  ※高遠集(1011‐13頃)「うき舟にのりてうかるるわが身にはむねのけふりぞくもとなりける」

 

とある。

 茶袋は茶を小分けにして紙で包んだ袋だが、この場合は薬用茶が入っていたのかもしれない。

 雨にけぶるという言い回しは意外に新しいのか、宗祇の時代になって、

 

 山寺に帰る夕べの人もなし

     雨うちけぶる前の板橋

              肖柏(春夢草)

 

の歌がある。

 

無季。恋。

 

二十五句目

 

   胸のけぶりにさがす茶袋

 朝めしをまつ間ほどふる我恋は  似春

 (朝めしをまつ間ほどふる我恋は胸のけぶりにさがす茶袋)

 

 我恋は朝飯を待つ間のように腹が減っている、せめては茶でも飲むか、となる。

 

無季。恋。

 

二十六句目

 

   朝めしをまつ間ほどふる我恋は

 時雨の松の針立をよぶ      桃青

 (朝めしをまつ間ほどふる我恋は時雨の松の針立をよぶ)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は、

 

 わが戀は松を時雨の染めかねて

     眞葛が原に風さわぐなり

              前大僧正慈圓(新古今集)

 

の歌を引いている。

 時雨の雨で松を染めるのではなく松の針に掛けて鍼医を呼ぶ。

 

季語は「時雨」で冬、降物。「松」は植物、木類。

 

二十七句目

 

   時雨の松の針立をよぶ

 お夜詰にはひまつはりし蔦かづら 似春

 (お夜詰にはひまつはりし蔦かづら時雨の松の針立をよぶ)

 

 「夜詰(よづめ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 夜間、攻めかけること。夜攻め。

  ※庭訓往来(1394‐1428頃)「夜詰後詰者、陣旅之軍致也」

  ② 夜間、詰めていること。夜、君側または役所などに出勤していること。夜番。夜勤。また、夜おそくまで働くこと。夜業。

  ※駿府政事録‐慶長一九年(1614)二月一五日(古事類苑・政事五九)「自二今夜一、近習輩、御夜詰御赦免」

 

とある。この場合は②の方であろう。

 時雨に蔦かづらは定家葛の縁か。謡曲『定家』に、

 

 「これは藤原の定家の卿の建て置かせ給へる所なり。都の内とは申しながら心すごく、時雨ものあはれなればとてこの亭を建て置き、年年歌をも詠じ給ひしとなり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.27305-27310). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

という定家のかつての亭を訪れると、すっかり荒れ果てていて、

 

 ワキ「げにげにこれなる標を見れば、星霜古りたるに蔦葛這ひまとひて、形も見えわかず候。さてこれは如何なる人のしるしにて候ぞ。」

 シテ「これは式子内親王の御墓にて候。蔦葛をば定家葛と申し候。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.27362-27370). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

という光景を見ることになる。

 まあ、句の方はこれと関係なく、夜詰に針立の女を呼んで、やっちゃったということか。

 

季語は「蔦かづら」で秋、植物、草類。恋。「お夜詰」は夜分。

 

二十八句目

 

   お夜詰にはひまつはりし蔦かづら

 寝巻の月はいとうくらきに    桃青

 (お夜詰にはひまつはりし蔦かづら寝巻の月はいとうくらきに)

 

 寝巻は寝るときに着る着物で、綿を入れた「布団」とも呼ばれる夜着とは異なる。上臈のイメージがあったのか、元禄三年の暮の京都で巻いた「半日は」の巻の三十二句目に、

 

   萩を子に薄を妻に家たてて

 あやの寝巻に匂ふ日の影     示右

 

の句がある。この次の句を去来が付けかねていた時、芭蕉が「能上臈の旅なるべし」とアドバイスし、

 

   あやの寝巻に匂ふ日の影

 なくなくもちいさき草鞋求かね  去来

 

ができたことが『去来抄』に記されている。

 前句の「お夜詰」はここでは遊女のことだろう。こういう時の月は暗くしてくれ。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。「寝巻」は衣裳。

 

二十九句目

 

   寝巻の月はいとうくらきに

 焼亡やふんどしさわぐ秋の風   似春

 (焼亡やふんどしさわぐ秋の風寝巻の月はいとうくらきに)

 

 「焼亡(じゃうまう)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (「もう」は「亡」の呉音。古くは「じょうもう」)

  ① (━する) 建造物などが焼けてなくなること。焼けうせること。焼失。しょうぼう。

 ※田氏家集(892頃)中・奉答視草両児詩「勝家焼亡曾不レ日、良医傾没即非レ時」

  ② 火事。火災。しょうぼう。

  ※権記‐長保三年(1001)九月一四日「及二深更一、西方有二焼亡一」

  ※日葡辞書(1603‐04)「Iômǒno(ジョウマウノ) ヨウジン セヨ」

  [語誌](1)「色葉字類抄」によると、清音であったと思われるが、「天草本平家」「日葡辞書」など、室町  時代のキリシタン資料のローマ字本によると「ジョウマウ」と濁音である。

  (2)方言に「じょうもう」の変化形「じょーもん」があるところから、室町時代以降に口頭語としても広がりを見せたと思われる。」

 

とある。

 吉原の火事であろう。ふんどし姿の男たちが騒いでいて、寝間着姿の女は気が気でない。せめて月を暗くしてくれ。

 明暦の大火で日本橋の旧吉原が焼失した時のことは、長いこと語り草になっていたのだろう。

 月に秋風は、

 

 秋風にいとどふけゆく月影を

     たちなかくしそあまの河ぎり

              藤原清正(後撰集)

 

などの歌がある。

 

季語は「秋の風」で秋。「ふんどし」は衣裳。

 

三十句目

 

   焼亡やふんどしさわぐ秋の風

 芦の丸屋にうつけありけり    桃青

 (焼亡やふんどしさわぐ秋の風芦の丸屋にうつけありけり)

 

 これは百人一首でもおなじみの、

 

 夕されば門田の稲葉おとづれて

     葦のまろやに秋風ぞ吹く

              源経信(金葉集)

 

で、まろやをどこかの店の屋号の丸屋にして、そこに馬鹿なやつがいて火をつけたとする。

 芦は貞徳の『俳諧御傘』に「水辺也、植物也、雑也」とある。

 

無季。「芦」は植物、草類、水辺。

 

三十一句目

 

   芦の丸屋にうつけありけり

 浦千鳥ふまれて帰る浪のおと   似春

 (浦千鳥ふまれて帰る浪のおと芦の丸屋にうつけありけり)

 

 芦の丸屋に浦千鳥の展開だが、ここでは千鳥足の酔っ払いのことか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「② (千鳥の歩きかたに似ているところから) 足を、左右踏みちがえて歩くこと。特に、酒に酔った人がふらふらしながら歩くことのたとえ。

  ※新撰六帖(1244頃)五「しほがれの難波の浦のちとりあし蹈み違へたる路も恥づかし〈藤原家良〉」

  ※仮名草子・元の木阿彌(1680)上「ふいご祭りにたべ酔ふて、ちどりあしする風情して」

 

とあるように、古くからある言葉だった。

 酔っ払って、道端で寝込んで踏まれて帰ってきて、うつけだね。

 浦千鳥は、

 

 つくづくと思ひあかしの浦千鳥

     波の枕に泣く泣くぞ聞く

              西園寺公経(新古今集)

 

など歌の詞にある。

 

季語は「千鳥」で冬、鳥類、水辺。「浦」「浪」は水辺。

 

三十二句目

 

   浦千鳥ふまれて帰る浪のおと

 さし出の磯に住あまのじやく   桃青

 (浦千鳥ふまれて帰る浪のおとさし出の磯に住あまのじやく)

 

 「さし出」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「甲州の歌枕。千鳥の名所」とし、

 

 しほの山さしでの磯にすむ千鳥

     君が御代をば八千代とぞ鳴く

              よみ人しらず(古今集)

 

の歌を引いている。

 しほの山と差出の磯はセットになっていて、賀歌に見られるお目出度い歌枕になっている。千鳥が「ちよ」「やちよ」と鳴くというのがその理由のようだ。山梨県の塩山と甲府市の差出磯大嶽山神社の辺りがそれだとされているが、あまり今でいう磯のイメージはない。

 文明十四年(一四八二年)の「宗伊宗祇湯山両吟」五十句目にも、

 

   千鳥たつあら磯かげに風吹きて

 みちくるしほの山ぞくもれる   宗伊

 

の句があり、どう見ても海辺の景色として詠まれている。宗祇はこの時すでに古今伝授を受けていたから、「塩の山」にも何か口伝があったのかもしれない。

 「天邪鬼(あまのじゃくは)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙

  ① 民話などに悪役として登場する鬼。天探女(あまのさぐめ)に由来するといわれるが、瓜子姫(うりこひめ)の話に見えるものなど変形は多い。あまのざこ。あまのじゃき。あまのじゃこ。あまんじゃく。〔俗語考(1841)〕

  ② (形動) 何事でも人の意にさからった行動ばかりをすること。また、そのようなさまやそのような人。ひねくれ者。つむじまがり。

  ※評判記・赤烏帽子(1663)中村蔵人「人のなせそといふことを、別而好まるるは、天(アマ)のじゃくの氏子にはなきかとおほさる」

  ③ 仏像で、仁王や四天王の足下に踏みつけられている小悪鬼。また、毘沙門(びしゃもん)の鎧の腹についている鬼面の名。」

 

とある。

 差出の磯の天邪鬼は仁王か何かに踏まれて帰る。

 

無季。「差出の磯」は名所、水辺。

 

三十三句目

 

   さし出の磯に住あまのじやく

 甲斐が根や須弥の麓に分入ば   似春

 (甲斐が根や須弥の麓に分入ばさし出の磯に住あまのじやく)

 

 甲斐が根(峯)は南アルプス連峰のこと。

 

 甲斐が嶺ははや雪しろし神無月

    しぐれてこゆる小夜の中山

              蓮生法師(続後選集)

 

のように、小夜の中山からも見える。

 天邪鬼を踏みつける四天王は須弥山の中腹で仏法僧を守護している。差出の磯で甲州の縁から甲斐が根を須弥山に見立て、差出の磯の天邪鬼が甲斐が根の方に分け入れば四天王に踏まれるとする。

 

無季。「甲斐が根」は名所、山類。釈教。「麓」も山類。

 

三十四句目

 

   甲斐が根や須弥の麓に分入ば

 日上人の影てらすなり      桃青

 (甲斐が根や須弥の麓に分入ば日上人の影てらすなり)

 

 日上人は日蓮のことで、甲斐が峯の麓に日蓮宗総本山の身延山久遠寺がある。

 

無季。釈教。

 

三十五句目

 

   日上人の影てらすなり

 瓦燈の火もらぬ窟に小夜更て   似春

 (瓦燈の火もらぬ窟に小夜更て日上人の影てらすなり)

 

 「瓦灯(くはとう)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 灯火をともす陶製の道具。方形で上がせまく下が広がっている。〔文明本節用集(室町中)〕

  ※俳諧・毛吹草(1638)五「川岸の洞は蛍の瓦燈(クハトウ)哉〈重頼〉」

  ② 「かとうぐち(火灯口)①」の略。

  ※歌舞伎・韓人漢文手管始(唐人殺し)(1789)四「見附の鏡戸くゎとう赤壁残らず毀(こぼ)ち、込入たる体にて」

  ③ 「かとうびたい(火灯額)」の略。

  ※浮世草子・好色一代女(1686)四「額際を火塔(クハタウ)に取て置墨こく、きどく頭巾より目斗あらはし」

  ④ 「かとうまど(火灯窓)」の略。

  ※俳諧・桃青三百韻附両吟二百韻(1678)延宝五之冬「つづれとや仙女の夜なべ散紅葉〈芭蕉〉 瓦灯(クハトウ)の煙に俤の月〈信章〉」

 

とある。ここでは①であろう。瓦燈の火も漏れてこないような窟屋に朝日が射しこみその名の通り「日」上人を後光の様に照らす。

 

無季。釈教。「瓦燈」は夜分。「窟」は居所。

 

三十六句目

 

   瓦燈の火もらぬ窟に小夜更て

 神代の鼠まくら驚く       桃青

 (瓦燈の火もらぬ窟に小夜更て神代の鼠まくら驚く)

 

 神代の鼠は『古事記』の大国主命が葦原色許男神(あしはらしこお)を名乗って根の国に行った時の鼠であろう。ウィキペディアに、

 

 「スサノオは広い野原の中に射込んだ鳴鏑(なりかぶら)を拾うよう葦原色許男神に命じた。葦原色許男神が野原に入ると、スサノオは火を放って野原を焼き囲んだ。葦原色許男神が困っていると鼠が来て、「内はほらほら、外はすぶすぶ」(穴の内側は広い、穴の入り口はすぼまって狭い)といった。それを理解した葦原色許男神がその場を踏んでみると、地面の中に空いていた穴に落ちて隠れることができ、火をやり過ごせた。また,その鼠はスサノオが射た鳴鏑を咥えて持って来てくれた。スセリビメは葦原色許男神が死んだと思って泣きながら葬式の準備をした。スサノオは葦原色許男神の死を確認しに野原に出てみると、そこに矢を持った葦原色許男神が帰って来た。」

 

とある。前句の「火もらぬ」を火が入ってこないとし、窟屋をこの穴に見立てて、夜明けに鼠に驚いて目を覚ますと、さては神代の鼠か、となる。

 

無季。神祇。「鼠」は獣類。

二裏

三十七句目

 

   神代の鼠まくら驚く

 明ぬれば萩原どのの鶉啼     似春

 (明ぬれば萩原どのの鶉啼神代の鼠まくら驚く)

 

 前句の神代の鼠から、鶉啼く萩原とする。

 「萩原どの」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「江戸期の神道家」とある。神道家でもある曾良(岩波庄右衛門)の師である吉川惟足の師匠の萩原兼従のことか。

 

季語は「鶉」で秋、鳥類。

 

三十八句目

 

   明ぬれば萩原どのの鶉啼

 風に薄のぬるい若黨       桃青

 (明ぬれば萩原どのの鶉啼風に薄のぬるい若黨)

 

 「若黨(わかとう)」は若党で若い郎等のこと。「ぬるし」はweblio古語辞書の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「①ぬるい。なまあたたかい。

  出典枕草子 春はあけぼの

  「昼になりて、ぬるくゆるびもていけば」

  [訳] 昼になって、だんだんなまあたたかく、(寒さが)やわらいでいくと。

  ②ゆるやかである。

  出典日本書紀 神代上

  「下(しも)つ瀬はこれ太(はなは)だぬるし」

  [訳] 下流はこれは(流れが)たいへんゆるやかである。

  ③鈍い。のろい。おっとりしている。

  出典源氏物語 若菜下

  「心のいとぬるきぞくやしきや」

  [訳] (自分の)心がたいそう鈍かったのが残念なことよ。

  ④熱心でない。情が薄い。冷淡である。

  出典源氏物語 若菜上

  「うちうちの御心ざしぬるきやうにはありけれ」

  [訳] 内々での(源氏の)御愛情が冷淡なようであった。」

 

とある。まあ、今の「ぬるい」とそれほど変わらない。

 「風に薄」は柳に風と同じようなもので、何を言っても反応が薄い、ただ言われたことだけやるということか。

 萩に薄は、

 

 秋萩の花野のすすき穂には出でず

     我が恋ひわたる隠妻はも

              よみ人しらず(夫木抄)

 

の歌がある。

 

季語は「薄」で秋、植物、草類。「若黨」は人倫。

 

三十九句目

 

   風に薄のぬるい若黨

 お使に行ども秋の果所なき    似春

 (お使に行ども秋の果所なき風に薄のぬるい若黨)

 

 「果所」は「はてど」と読む。『校本芭蕉全集 第三巻』の注によると、

 

 武藏野やゆけども秋の果てぞなき

     いかなる風の末に吹くらむ

              源通光(新古今集)

 

を本歌とする。使いに出されたが、武蔵野の薄が原は果てしない。

 

季語は「秋」で秋。

 

四十句目

 

   お使に行ども秋の果所なき

 二間ほどかく文箱の露      桃青

 (お使に行ども秋の果所なき二間ほどかく文箱の露)

 

 前句の「果所なき」を文のこととし、3.6メートルもの長い巻物の手紙を届ける。露(TдT)。

 仮名草子の『恨みの介』の恋文もやたら長かったが。

 秋に露は、

 

 秋の夜は露こそことにさむからし

     草むらことに虫のわぶれば

              よみ人しらず(古今集)

 秋の野におく白露は玉なれや

     つらぬきかくる蜘蛛の糸すぢ

              文屋朝康(古今集)

 

など、多くの歌に詠まれている。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

四十一句目

 

   二間ほどかく文箱の露

 宿の月やりてや鞘をはづすらん  似春

 (宿の月やりてや鞘をはづすらん二間ほどかく文箱の露)

 

 「やりて」は今でも「やりてばばあ」という言葉があるが、遊女を管理する人のこと。

 「鞘」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「筆などの穂先を保護するための筒をいうが,一般に刀剣,槍などの身を入れる細長い筒をさす。」

 

とある。ここでは文のことなので、元の筆の鞘の意味。売春宿の遣りて婆が筆を執るということは、何やら遊女の悪口や愚痴を延々と書き綴って止まらなくなったんだろうな。

 露に月も付け合いで、

 

 もろともに草葉の露のおきゐずは

     ひとりや見まし秋の夜の月

              顕仲卿女(金葉集)

 

を始めとして、月に露を詠んだ例は数多くある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。

 

四十二句目

 

   宿の月やりてや鞘をはづすらん

 既によし原の合戦破れし     桃青

 (宿の月やりてや鞘をはづすらん既によし原の合戦破れし)

 

 鞘の両義性から刀の鞘のイメージで「合戦破れし」とするが、それはあくまで比喩で、吉原ネタを続ける。

 遣りて婆が年甲斐もなく恋をして、手紙を書こうと筆の鞘をはずして参戦しようとするが、その男は既に遊女とできていて敗北が確定している。

 

無季。恋。

 

四十三句目

 

   既によし原の合戦破れし

 はやりうたさすが名をえし其身とて 似春

 (はやりうたさすが名をえし其身とて既によし原の合戦破れし)

 

 この頃はまだ江戸後期のような一般に知られているような小唄はなく、長唄・端唄も元禄の浄瑠璃から派生したものだから、まだ早い。かといって弄斎・片撥は寛永のころになってしまう。延宝の頃のはやり歌はどのようなものだったか。

 寛文の頃の『糸竹初心集』の俗謡が短い歌詞の、のちの小唄の原型のようなものだったと思われるし、こうした古いものも含めて広義で「小唄」と呼ばれることもある。延宝期もおそらくこのようなものだったのだろう。ネット上の林謙三さんの『江戸初期俗謡の復原の試み ─特に糸竹初心集の小唄について』に詳しい。

 はやりうたで一世を風靡した人気の遊女も、はやりものは廃れるのも早く、既に過去の人とされてしまった。何か今どきのアイドルのようだ。

 

無季。恋。「身」は人倫。

 

四十四句目

 

   はやりうたさすが名をえし其身とて

 でつち小坊主男なりひら     桃青

 (はやりうたさすが名をえし其身とてでつち小坊主男なりひら)

 

 小坊主は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に小坊主小兵衛とある。坊主小兵衛のことであろう。コトバンクの「朝日日本歴史人物事典の解説」に、

 

 「生年:生没年不詳

初期歌舞伎の道外形の歌舞伎役者。月代を左右深く剃り下げる糸鬢という髪型にしていたので,この名が付いた。この風貌が人々に親しまれたようで,のちにこれを真似て坊主段九郎,坊主百兵衛,小坊主などと名乗って糸鬢で道外六法をした役者もあったが,小兵衛ほどの人気を得ることはできなかった。また歌舞伎役者に似せた五月人形を作ることはこの人に始まり,その後多くの役者人形が作られたという。歌舞伎の評判記が出る以前の役者なので,芸風経歴など詳しいことはわかっていない。山東京伝が『近世奇跡考』に「小兵衛人形」の項目を立て,若干の考察を加えている。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』1期(北川博子)」

 

とある。小坊主という坊主小兵衛のフォロワーもいたようだ。浮世絵文献資料館のサイトには、

 

 「『近世奇跡考』〔大成Ⅱ〕⑥293(山東京伝著・文化元年(1803)十二月刊)

  (「小兵衛(コヘイ)人形」の項)

 〝江戸に名高く聞えし、坊主小兵衛と云俳優(ヤクシヤ)は、延宝、天和、貞享の頃を盛に経たる道外形なり。

  かしら糸鬂(イトビン)にて、かりそめに見れば、坊主のごとくなればしかいふめり。同時に坊主百兵衛、

  坊主段九、小坊主などいふ俳優あり。皆小兵術なまねびたり。其頃小兵衛が姿を、五月の兜人形に作り

  はじめて、これを小衛人形といふ。其後段十郎、小太夫などをも、兜人形に作りしとぞ。【以上元禄六

  年板本、四場居(シバヰ)百人一首)に見ゆ】其角が小兵衛人形の句、左の如し。

   『五元集』 此友や年をかくさず白鬚二毛の身をわすれて、松どの太郎どのなりけりとのゝしれば、

        今の人形の風俗、ことさらに小兵衛などいふ人形はなし。

        我むかし坊主太夫や花菖  其角

   『五元集』 坊主小兵衛道心して、人々、小兵衛坊主と申ければ、

        坊主小兵衛小兵衛坊主とかへり花  同

  【案るに、小兵衛長き羽おりを好みて着たり。其頃の小唄に、ぼんさまの長羽おり、このゑいつべしに

   はりひぢしやと、うたひしよし、写本『洞房語園』に見ゆ。二朱判吉兵衛が、『大尽舞』に小兵衛の

   坊さの長羽おりと作りしも是なり。『本朝文鑑』に、支考が狂名を、坊主仁平といひしも、小兵衛に

   なずらへたる名なり。いづれ世にめでられたる者とおぼふ〟」

 

とある。

 前句の「名をえし其身とて」が「でっち」に掛かり、はやりうたで名を得た丁稚小坊主ではあるが、坊主小兵衛や在原業平にはかなわざりき、というところか。

 

無季。「でつち」「小坊主」「男」は人倫。

 

四十五句目

 

   でつち小坊主男なりひら

 冷飯を鬼一口に喰てけり     似春

 (冷飯を鬼一口に喰てけりでつち小坊主男なりひら)

 

 業平が出たところで『伊勢物語』の「芥川」と呼ばれる有名な第六段の「鬼一口」を持ってくる。

 『伊勢物語』第六段には、

 

 「はや夜も明けなむと思ツゝゐたりけるに、鬼はや一口に食ひけり。あなやといひけれど、神なるさはぎにえ聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見ればゐてこし女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし。

  白玉かなにぞと人の問ひし時

     つゆとこたへて消えなましものを」

 

とあり、これには落ちがあって、

 

 「御兄人堀河の大臣、太郎國経の大納言、まだ下らふにて内へまゐり給ふに、いみじう泣く人あるをきゝつけて、とゞめてとりかへし給うてけり。それをかく鬼とはいふなり。」

 

というのが真相だった。

 これがもとになって、鬼一口は簡単にできるという意味でも用いられる。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鬼一口」の解説」には、

 

 「① 「伊勢物語」第六段の、雷雨の激しい夜、女を連れて逃げる途中で、女が鬼に一口で食われてしまったという説話。転じて、はなはだしい危難に会うこと。また、その危難。鰐(わに)の口。虎口(ここう)。

  ※謡曲・通小町(1384頃)「さて雨の夜は目に見えぬ、鬼ひと口も恐ろしや」

  ② 鬼が人を一口で飲み込むように、激しい勢いであること。物事をてっとり早く、極めて容易に処理してしまうこと。

  ※浄瑠璃・栬狩剣本地(1714)五「惟茂殺すは己(おのれ)を頼まず、鬼一口にかんでやる」

 

とある。

 小坊主が冷や飯を一口で食べる。「冷や飯を食わす」という言葉もあるように、あったかい飯を食わせてもらえない身分ということになる。

 

無季。

 

四十六句目

 

   冷飯を鬼一口に喰てけり

 是生滅法生姜梅漬        桃青

 (冷飯を鬼一口に喰てけり是生滅法生姜梅漬)

 

 「是生滅法(ぜしょうめっぽう)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 仏語。万物はすべて変転し生滅するもので不変のものは一つとしてないということ。「涅槃経」の「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」の四句偈(げ)の一つ。

  ※観智院本三宝絵(984)上「諸行无常、是生滅法と云ふ音(こゑ)風のかに聞こゆ」

  ※光悦本謡曲・三井寺(1464頃)「初夜の鐘を撞く時は諸行無常と響くなり、後夜の鐘を撞く時は是生滅法と響くなり」 〔北本涅槃経‐一四〕」

 

とある。

 冷や飯も、そのおかずの生姜梅漬も食ってしまえばあっという間になくなる。まこと是生滅法なり。

 

無季。釈教。

 

四十七句目

 

   是生滅法生姜梅漬

 煩悩の夢をさまして棚さがし   似春

 (煩悩の夢をさまして棚さがし是生滅法生姜梅漬)

 

 夜食であろう。腹減って目が覚めて、何か食うものはないかと棚を探すが、生姜梅漬はもはやない。まさに是生滅法。

 

無季。釈教。

 

四十八句目

 

   煩悩の夢をさまして棚さがし

 冥きにまよふ道は紙燭で     桃青

 (煩悩の夢をさまして棚さがし冥きにまよふ道は紙燭で)

 

 夜の棚探しだから紙燭を灯す。

 

無季。「紙燭」は夜分。

 

四十九句目

 

   冥きにまよふ道は紙燭で

 口惜の花の契りやぬく太郎    似春

 (口惜の花の契りやぬく太郎冥きにまよふ道は紙燭で)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 「源氏物語・夕顔『口惜しの花の契りや日と府さ折りて参れ』による。」

 

とある。源氏の君が大弐(だいに)のめのとが尼になったということで五条に向い、門の近くで車を止めたところ、そこに夕顔の咲いている家があり、

 

 「げにいと小家がちに、むつかしげなるわたりの、このもかのも、あやしく打(うち)よろぼひて、むねむねしからぬのきのつまなどにはひまつはれたるを、口をしの花のちぎりや。ひとふさをりてまゐれとのたまへば、このおしあけたる門に入りてをる。」

 (確かに小さな家が多くごちゃごちゃとしたこの界隈のそこかしこ、薄汚く崩れかけていて、傾きかけた軒端などに絡まっているのを、

 「何とも無念な花の宿命か。一輪折ってきてくれ。」

と源氏の君が言うので、お付きの者は先の押し上げてある門のなかに入り、夕顔の花を一輪折ってきました。)

 

という、最初に夕顔の所にやってきた場面だ。

 「ぬく太郎」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「愚かな若者」とある。特に固有名詞だとかモデルとかはないのだろう。「ぬくぬく」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 寒い中にあって、その身だけあたたかいさま、また、気持よくあたたかいさまを表わす語。

  ※四河入海(17C前)一四「ぬくぬくやわやわとした処ぞ」

  ※足袋の底(1913)〈徳田秋声〉一「体のぬくぬく温まって来るのが感ぜられた」

  ② 周囲をはばからず、ずうずうしいさま、また、身勝手なさまを表わす語。ぬけぬけ。

  ※浮世草子・日本新永代蔵(1713)三「内にぬくぬくとして、のちにのちにと一日を暮し」

  ※浄瑠璃・心中天の網島(1720)中「此の孫右衛門をぬくぬくとだまし」

  ③ 労することなく、自分だけうまいことをするさまを表わす語。うまうま。

  ※歌舞伎・傾城壬生大念仏(1702)上「両人を殺させて、後では二箇国共に、ぬくぬくと奪らふとは」

 

とあり、今の用法とそれほど変わらない。ぬくぬくと図々しく楽をしたがるやつ、というニュアンスで今なら「のび太」と呼ばれそうだ。

 紙燭を灯して夜道を迷っているぬく太郎、なんて残念なやつなんだ、というところか。

 『源氏物語』夕顔巻でも源氏の君は思わぬ出来事におろおろして、紙燭持ってきた男を呼び寄せ、惟光を読んでくるように言い、なかなか来ないと、「これみつ、とく参らなん」という場面が「惟光ーー、早く来てくれよ。」と何だかドラえもんを呼んでいるみたいだ。

 若気の至りの源氏の君のことを「ぬく太郎」と呼んだのかもしれない。

 

季語は「花」で春、植物、木類。恋。

 

五十句目

 

   口惜の花の契りやぬく太郎

 ふられて今朝はあたら山吹    似春

 (口惜の花の契りやぬく太郎ふられて今朝はあたら山吹)

 

 「口惜の花」を「クチナシ」に掛けて山吹を導き出す。クチナシで染めた布はヤマブキ色なので、

 

 山吹の花色衣ぬしや誰

     問へど答へずくちなしにして

              素性法師(古今集)

 

のように用いられる。

 満開の桜の花の下で遊女に告ったもののふられてしまったぬく太郎、一夜の代金の山吹(小判)も無駄になった。

 似春が二句続けて読み、ようやく桃青が上句で似春が下句になる。

 

季語は「山吹」で春、植物、草類。恋。

三表

五十一句目

 

   ふられて今朝はあたら山吹

 ひよんな恋笑止がりてや啼蛙   桃青

 (ひよんな恋笑止がりてや啼蛙ふられて今朝はあたら山吹)

 

 「ひよんな」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘連体〙 予期に反して不都合なこと、異様なことについていう。思いがけない。意外な。また、妙な。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ※牛部屋の臭ひ(1916)〈正宗白鳥〉三「娘がひょんな噂の立てられるのさへ厭うて」

 

とある。

 山吹がひょんなことに蛙に恋をして、それを蛙が笑う。

 山吹と蛙は、

 

 かはづ鳴く井出の山吹散りにけり

     花のさかりにあはましものを

              よみ人しらず(古今集)

   この歌はある人のいはく橘清友が歌なり

 

以来の縁。

 この句の辺りに「山吹や蛙飛び込む水の音」の着想があったのかもしれない。

 

季語は「蛙」で春、水辺。恋。

 

五十二句目

 

   ひよんな恋笑止がりてや啼蛙

 あたまくたしに通路の雨     似春

 (ひよんな恋笑止がりてや啼蛙あたまくたしに通路の雨)

 

 「あたまくだし」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 水やほこりなどを頭の上から浴びせること。

  ※松ケ岡本人天眼目抄(1471‐73)上「頭上━尺土、あたまくだし塵ほこりだぞ」

  ② 出だしからそのまま続けて物事をすること。歌などを出だしから句切れなしに詠むこと。

  ※東野州聞書(1455頃)一「今程はあたまくだしによまぬ歌をば、かやうに難ずるなり」

  ③ =あたまごなし(頭━)

  ※史料編纂所本人天眼目抄(1471‐73)一「学人の軽重によって呵々大咲しつあたまくだし罵(のり)打つ扣つ色々したぞ」

  〘名〙 頭髪を剃り、またはそいで、僧または尼となること。剃髪。

  ※大和(947‐957頃)二「御ぐしおろし給ひければ、やがて御ともにかしらおろししてけり」

 

とある。

 まあ、①が原義で比喩として拡張されて②の意味になったと思われる。この句の場合もその両義が生かされている。

 打越と離れるので、笑われているのは人間と考えていい。蛙は雨を降らすというので、頭ごなしに雨を降らせる。

 雨に蛙は、

 

 みくりはふ汀の真菰うちそよぎ

     蛙鳴くなり雨の暮方

              藤原定家(夫木抄)

 春雨に濡れつつをらむ蛙鳴く

     水の尾川の山吹の花

              後鳥羽院(夫木抄)

 

などの歌に詠まれている。

 

無季。恋。「雨」は降物。

 

五十三句目

 

   あたまくたしに通路の雨

 お情にあづかるほどの木なりとて 桃青

 (お情にあづかるほどの木なりとてあたまくたしに通路の雨)

 

 頭ごなしの雨も木のお情けに逢う。この言葉は『校本芭蕉全集 第三巻』の注によると謡曲『高砂』に出典があるという。

 

 「始皇の御爵に、あづかる程の木なりとて」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.1858-1859). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

というフレーズがある。

 

無季。恋。「木」は植物、木類。

 

五十四句目

 

   お情にあづかるほどの木なりとて

 根なしかづらのかかる浪人    似春

 (お情にあづかるほどの木なりとて根なしかづらのかかる浪人)

 

 「根なしかづら」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 ヒルガオ科のつる性一年草の寄生植物。各地の山野に生える。茎は針金状で黄または褐紫色、寄主の植物に巻きつき吸盤によって養分を吸収する。葉はない。夏、黄白色で先が四~五裂した鐘形の小花が穂状に寄生する。果実は広楕円形で長さ約七ミリメートル。種子は黒く、菟糸子(としし)といい強壮薬に用いる。漢名は、金鐙藤・毛芽藤で、菟糸子を当てるのは誤り。なすびのひげ。うしのそうめん。そうめんぐさ。〔色葉字類抄(1177‐81)〕」

 

とある。

 根無し草というべきところを木だから根無し鬘とする。仕事も棲家もないさすらいの流浪人は人の情けにすがって生きている。

 

無季。「根なしかづら」は植物、草類。「浪人」は人倫。

 

五十五句目

 

   根なしかづらのかかる浪人

 長髪の霜より霜に朽んとは    桃青

 (長髪の霜より霜に朽んとは根なしかづらのかかる浪人)

 

 流浪人は髪を切る余裕もなく、伸び放題になっている。それが白髪になり、霜に朽ちた根無し鬘のようになっている。

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注によると、謡曲『定家』に、

 

 「あはれ知れ、霜より霜に朽ち果てて、世世にふりにし山藍の袖の涙の身の昔」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.27403-27405). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

とある。

 

季語は「霜」で冬、降物。

 

五十六句目

 

   長髪の霜より霜に朽んとは

 薬ちがひに風寒るまで      似春

 (長髪の霜より霜に朽んとは薬ちがひに風寒るまで)

 

 薬が合わなくて、副作用でぼろぼろになってしまった。「寒る」は「さゆる」と読む。

 薬と白髪の因果関係ははっきりしないが、今日だと覚せい剤や合成麻薬で頭が白くなることはあるらしい。直接の因果関係はなくても、体が極度に衰弱すれば白髪になることはありうる。

 霜の風冴ゆるは、

 

 風冴ゆる浅茅が庭の夕日影

     暮れるはやがて結ぶ霜かな

              小倉実教(新拾遺集)

 

などの歌がある。

 

季語は「寒る」で冬。

 

五十七句目

 

   薬ちがひに風寒るまで

 幾月の小松がはらや隠すらん   桃青

 (幾月の小松がはらや隠すらん薬ちがひに風寒るまで)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 「小松が妊娠幾月かの腹をかくそうとして、薬をのんだ。前句の薬を堕胎薬とした。」

 

とある。

 江戸時代には中条流と称する怪しげな堕胎をする医者がいて、中条丸という薬があったという。成分に水銀が含まれていたという。

 小松が原は、

 

 まきもくの檜原のいまだ曇らねば

     小松が原に淡雪ぞ降る

              大伴家持(新古今集)

 九重のみかきが原の小松原

     ちよをばほかのものとやは見る

              源経信(金葉集)

 

など、歌に詠まれている。

 

無季。恋。

 

五十八句目

 

   幾月の小松がはらや隠すらん

 とへど岩根の下女はこたへず   似春

 (幾月の小松がはらや隠すらんとへど岩根の下女はこたへず)

 

 岩根は「言わない」に掛かる。小松の腹のことは下女も口止めされている。

 

無季。恋。「下女」は人倫。

 

五十九句目

 

   とへど岩根の下女はこたへず

 磯清水汝ながれをたてぬかと   桃青

 (磯清水汝ながれをたてぬかととへど岩根の下女はこたへず)

 

 「磯清水」は天橋立の名所。「ながれ」はこの場合噂のことか。

 岩根から湧き出る水のようにお前が噂を立てているのかと問うが、下女は黙秘する。

 磯清水は、

 

 いかにせむ世を海ぎはの磯清水

     潮みちくればからきすみかを

              源仲正(夫木抄)

 

の歌がある。

 

無季。恋。「磯清水」は名所。「汝」は人倫。

 

六十句目

 

   磯清水汝ながれをたてぬかと

 いかつに情を杓でくみよる    似春

 (磯清水汝ながれをたてぬかといかつに情を杓でくみよる)

 

 「厳(いか)つ」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「[名・形動]《中世・近世語》いかついさま。荒々しいさま。また、そのような態度や行為。

  「駈出(かけで)の山伏と申すものは―な物でござる」〈虎寛狂・禰宜山伏〉」

 

とある。

 「くみよる」は日文研の連歌データベースによると、文禄二年一月十四日(1593年2月15日)の「文禄年間百韻」十三句目に、

 

   わづかに棲める木隠れの里

 くみよるや岩の雫のたまり水

 

の用例がある。

 前句を恋仲同士のいさかいとして、男が居丈高に女に御前が噂を流したかと詰め寄る。

 

無季。恋。

 

六十一句目

 

   いかつに情を杓でくみよる

 恋衣紺の袂にはし折て      桃青

 (恋衣紺の袂にはし折ていかつに情を杓でくみよる)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「中間の着る紺看板」とある。中間(ちゅうげん)はコトバンクの「百科事典マイペディアの解説」に、

 

 「公家(くげ)・武家(ぶけ)・寺院などで召し使われた男。仲間・中間男とも記され,身分は侍(さむらい)と小者(こもの)の間にあたるという。平安期からみえ,鎌倉期・室町期の武家の中間は主人の弓・剣などを持ち,警護を務め,また領主の強制執行などの使者も行っている。戦国期の武家奉公人には侍・中間・小者・荒子(あらしこ)の身分が生じていた。江戸時代には武士に仕えて小荷駄(こにだ)隊を結成するなどのほか,平時には雑務を行った。足軽(あしがる)は苗字帯刀を許されたのに対して,中間には認められず,奴(やっこ)・草履(ぞうり)取などともよばれた。また江戸幕府の職制でもあり,3組500余人から構成され,中間頭(かしら)のもとに城内の門番などに従事していた。」

 

とある。紺看板はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 主人の紋所または屋号などを染めだした紺木綿のはっぴ。中間、雇い人などが着用するもの。紺地のしるしばんてん。紺の看板。

  ※歌舞伎・貞操花鳥羽恋塚(1809)四立「忍ばす間もなく二人連れ、〈略〉紺看板(コンカンバン)替り、お供崩れの二合半、川辺伝ひを歩みくる」

 

とある。

 中間は奴(やっこ)さんだから、いかにも気が荒そうで、庭に水を撒いたりしていつも柄杓を持っていそうだ。これは奴同士の衆道か。

 

無季。恋。「紺の袂」は衣裳。

 

六十二句目

 

   恋衣紺の袂にはし折て

 雲引かづく星のかよひ路     似春

 (恋衣紺の袂にはし折て雲引かづく星のかよひ路)

 

 前句の奴さんを七夕の牽牛のこととする。江戸時代の牛の世話をする人も紺看板を着てたか。

 この時期は恋が五句で収まらないことも多い。

 

季語は「星のかよひ路」で秋、夜分、天象。恋。「雲」は聳物。

 

六十三句目

 

   雲引かづく星のかよひ路

 ほとほとと天の戸ぼその暮の月  桃青

 (ほとほとと天の戸ぼその暮の月雲引かづく星のかよひ路)

 

 「ほとほと」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 「平家物語・妓王『竹のあみ戸をほとほととうちたたくもの出来たり‥‥かづきたるきぬをのけたるを見れば』。

 

とある。

 天の戸ぼそを明て暮の月が昇ると、星が雲を担いでやってくる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

六十四句目

 

   ほとほとと天の戸ぼその暮の月

 帝近所へ夜ばなしの秋      似春

 (ほとほとと天の戸ぼその暮の月帝近所へ夜ばなしの秋)

 

 「夜ばなし」は夜話の茶事のことか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「茶事七式の一つ。炉の季節に午後六時ごろから行なわれる茶事。灯心と蝋燭を明りとして用い、床には石菖の鉢をおく。続き薄茶に点(た)てるなど応変の作意を凝らす。夜込の茶事。よばなし。」

 

とある。帝の来訪に茶室の躙り口を「天の戸ぼそ」と呼ぶ。

 月に秋を詠んだ歌はたくさんある。

 

 このまよりもりくる月の影見れば

     心つくしの秋はきにけり

              よみ人しらず(古今集)

 月見れはちぢに物こそかなしけれ

     わが身ひとつの秋にはあらねど

              大江千里(古今集)

 

など。

 

季語は「秋」で秋。「夜ばなし」は夜分。「帝」は人倫。

三裏

六十五句目

 

   帝近所へ夜ばなしの秋

 錦かと田楽染る龍田川      桃青

 (錦かと田楽染る龍田川帝近所へ夜ばなしの秋)

 

 「夜話(よばなし)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 夜、談話すること。また、その談話。やわ。《季・冬》 〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ※咄本・醒睡笑(1628)八「この夕、夜咄にたより、われ人案じて遊ばん」

  ② =よばなし(夜話)の茶事

  ※雑俳・表若葉(1732)「夜噺しに時圭をはづす亭主振」

 

とある。ここでは①の意味に転じ、付き物の田楽(食べ物)を出す。

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は『古今和歌集』仮名序の、

 

 「秋のゆふべ、龍田河にながるるもみぢをば、みかどのおほむめに、にしきと見たまひ」

 

の言葉を引いている。これは、

 

 龍田川紅葉亂れて流るめり

     わたらば錦なかや絶えなむ

              よみ人しらず(古今集)

   この歌はある人奈良帝の御歌なりとなむ申す

 

の歌のことで、謡曲『龍田』では人と神との仲が絶えるという意味にしている。

 龍田川を流れる紅葉を帝の目には錦と見えるのだから、夜ばなし(この場合は茶席ではなく普通の夜ばなし)で食べる味噌田楽も錦と見えるだろう、という句になる。

 

無季。「龍田川」は名所、水辺。

 

六十六句目

 

   錦かと田楽染る龍田川

 山は時雨てすり粉木の音     似春

 (山は時雨てすり粉木の音錦かと田楽染る龍田川)

 

 龍田川と時雨は、

 

 龍田川もみぢ葉ながる神奈備の

     三室の山に時雨降るらし

              よみ人しらず(古今集)

 

の歌の縁。田楽が龍田川の錦なら、それを染め上げる時雨は擂粉木ですり下ろされた味噌ということになる。

 

季語は「時雨」で冬、降物。「山」は山類。

 

六十七句目

 

   山は時雨てすり粉木の音

 浮雲のそなたに近き隠里     桃青

 (浮雲のそなたに近き隠里山は時雨てすり粉木の音)

 

 時雨の浮雲がやってきたあたりに隠れ里があって、そこでは擂粉木の音がする。

 浮雲に時雨は、

 

 淡路島はるかに見つる浮雲も

     須磨の関屋に時雨きにけり

              藤原家隆(壬二集)

 

などの歌がある。

 

無季。「浮雲」は聳物。「隠里」は居所。

 

六十八句目

 

   浮雲のそなたに近き隠里

 日影を盗で仙境に入       似春

 (浮雲のそなたに近き隠里日影を盗で仙境に入)

 

 隠れ里はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「深い山の中とか、洞穴の奥など人目につかない地域に存在すると伝えられる理想郷。仙境。米搗(つ)きや機(はた)織りの音が山の中から聞こえてきたり、箸(はし)や椀(わん)が流れてきて隠れ里が発見されたという伝説が多い。敗軍の武士ならびにその子孫が住み着いたと伝えられる山奥の集落は日本の各地にみられ、平家集落などはその代表例といえる。乳母(うば)が子を懐(ふところ)に入れて難を避けた地という「乳母が懐」の伝説を伴う例も珍しくはない。近世中期の『梅翁随筆』には、狩人(かりゅうど)の迷い込んだ谷間に5、6戸の集落があり、そこに住むのは、武田信玄に滅ぼされた小笠原(おがさわら)長時の一族だったという話が出てくる。また、『薩摩(さつま)旧伝集』は、薩摩の武士が暗夜鹿籠(かご)山中に迷い入るが、そこは黄金の屏風(びょうぶ)岩に囲まれた隠れ里で、真冬というのに雪の降る気配さえなかったという話を伝えている。さらに、宮崎県で発見されたとされる隠れ里は、なまめかしい神秘性を備えたもの。霧島山中に掃除の行き届いた邸宅があり、そこには世にもたえなる美女が住まい、終日音曲が奏でられているという。この隠れ里を見た人のうち何人かは再訪を試みたが、二度と訪ね当てることはかなわなかったと伝えられる。‥‥以下略‥‥」

 

とある。陶淵明の『桃花源記』にも通じるものがある。

 浮雲のあるところに隠れ里があるというので、その雲に紛れて仙境に入る。雲に隠れた隠れ里のモチーフはジブリの「天空の城ラピュタ」にも受け継がれている。

 

無季。

 

六十九句目

 

   日影を盗で仙境に入

 幻を挑灯持や尋ぬらん      桃青

 (幻を挑灯持や尋ぬらん日影を盗で仙境に入)

 

 「挑灯持(ちょうちんもち)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 夜道や葬列などで、提灯を持って一行の先頭に立つ役。また、その人。

  ※石山本願寺日記‐証如上人日記・天文五年(1536)五月六日「願証寺葬送卯剋也〈略〉ちゃうちんもち四人は爰許坊主衆子共也」

  ② 他人の手先に使われて、その人の長所を吹聴してまわったりすること。また、それをする人。

  ※洒落本・箱まくら(1822)中「どふやら丁(テウ)ちんもちらしい」

 

とある。

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「楊貴妃の幻を求めて、仙境に尋入った故事による」とある。仙境の楊貴妃を探り当てた方士は玄宗の提燈持ちだったということか。 白居易『長恨歌』に「楼閣玲瓏五雲起」とあるように、楊貴妃のいた仙境の宮殿は五色の雲に包まれていた。

 

無季。「挑灯持」は人倫。

 

七十句目

 

   幻を挑灯持や尋ぬらん

 夢はやぶれて杖と草履と     似春

 (幻を挑灯持や尋ぬらん夢はやぶれて杖と草履と)

 

 提燈持ちも主人が失脚したらただの人で、杖と草履で乞食になる。親亀こけたら皆こけた、というやつだ。

 

無季。

 

七十一句目

 

   夢はやぶれて杖と草履と

 しにはづれ此頃の礼お門まで   桃青

 (しにはづれ此頃の礼お門まで夢はやぶれて杖と草履と)

 

 死ぬと冥土の旅のために杖と草履を棺桶に入れる。

 ところがまだ生きていて墓から抜け出し、杖と草履をお寺の門のところまで返しに行く。

 

無季。

 

七十二句目

 

   しにはづれ此頃の礼お門まで

 衣を肩にかかる仕合       似春

 (しにはづれ此頃の礼お門まで衣を肩にかかる仕合)

 

 「衣を肩に」は肩衣(かたぎぬ)のことか。武士の公服で、切腹を免れてふたたび公務に復帰できる幸せとする。

 

無季。「衣を肩に」は衣裳。

 

七十三句目

 

   衣を肩にかかる仕合

 酒手迄白雲帯を解せたり     桃青

 (酒手迄白雲帯を解せたり衣を肩にかかる仕合)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に謡曲『白楽天』の、

 

 「青苔衣をおびて巌の肩にかかり、白雲帯に似て山の腰を囲る。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.12811-12814). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

を引いている。これは白楽天の詩句ではなく、

 

 「白雲似帯囲山腰、青苔如衣負巌背」(「江談抄」)(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.12937-12938). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

だという。延宝四年春の「梅の風」の巻の九句目、

 

   趣向うかべる船のあさ霧

 いかに漁翁心得たるか秋の風   桃青

 

も同じところから引用している。

 この言葉を用いながら、内容は酒代欲しさに身ぐるみ剥がされ、肩に一枚衣が残っているだけでもまだ良かった、とする。

 

無季。「帯」は衣裳。

 

七十四句目

 

   酒手迄白雲帯を解せたり

 秋風起て出るより棒       似春

 (酒手迄白雲帯を解せたり秋風起て出るより棒)

 

 いきなり棒でぶっ叩かれて身ぐるみはがされる。

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に秋風辞「秋風起ツテ白雲飛ブ」とある。前漢の武帝の作で、漢武帝の『秋風辞』は、

 

   秋風辞 漢武帝

 秋風起兮白雲飛 草木黄落兮雁南帰

 蘭有秀兮菊有芳 懐佳人兮不能忘

 泛楼舡兮済汾河 横中流兮揚素波

 簫鼓鳴兮発棹歌 歓楽極兮哀情多

 少壮幾時兮奈老何

 

 秋風が立つ、ヘイ!白雲が飛ぶ

 草木は黄葉して落ちる、ヘイ!雁も南へ帰る

 蘭は咲き誇つ、ヘイ!菊も薫る

 佳人を懐かしむ、ヘイ!忘れることもできず

 楼を乗せた船を浮かぶ、ヘイ!汾河を渡る

 中流で止める、ヘイ!素波が揚がる

 簫鼓を鳴らす、ヘイ!棹さし歌が始まる

 歓楽極まる、ヘイ!いと哀れなる

 若い盛りも幾時ある、ヘイ!一体何で年を取る

 

で、松意編延宝三年刊『談林十百韻』の「青がらし」の巻二十九句目の、

 

   五人張よりわたる鴈また

 わだつ海みさごがあぐる素波の露 卜尺

 

の句でも「横中流兮揚素波」のフレーズが用いられている。

 

季語は「秋風」で秋。

 

七十五句目

 

   秋風起て出るより棒

 気違を月のさそへば忽に     桃青

 (気違を月のさそへば忽に秋風起て出るより棒)

 

 ここでいう気違いは今でいう精神病者ではなく、謡曲『三井寺』に出てくるような「物狂ひ」であろう。「月の誘はばおのづから」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.40001-40002). Yamatouta e books. Kindle 版. )とあるように、月夜に鐘を搗くような狂乱物のパターンを踏まえている。

 ただ、現実には棒でもって取り押さえられる、というのが落ちになる。

 月に秋風は、

 

 秋風にいとどふけゆく月影を

     たちなかくしそあまの河ぎり

              藤原清正(後撰集)

 

などの歌がある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「気違」は人倫。

 

七十六句目

 

   気違を月のさそへば忽に

 尾を引ずりて森の下草      似春

 (気違を月のさそへば忽に尾を引ずりて森の下草)

 

 尾を引きずりだと狐のようだが、月に誘われるのは謡曲の『猩々』あるいは『大瓶猩々』に近い。後に大正時代に作られた唱歌の『証城寺の狸囃子』は猩々が狸に変化したものと思われる。

 月の下で酒を飲む風狂がいたと思ったら猩々で、たちまち尾を引きずって帰って行った。謡曲だと水の中だが、ここでは森の下草の中とする。

 森の下草の月は、

 

 おほあらきの森の下草いたづらに

     あまねき影は月ぞもりこぬ

              藤原為家(為家千首)

 

の歌がある。

 

無季。「下草」は植物、草類。

 

七十七句目

 

   尾を引ずりて森の下草

 御神体則花は散給ふ       桃青

 (御神体則花は散給ふ尾を引ずりて森の下草)

 

 これも謡曲『西行桜』のイメージを借りながらも桜の精を御神体とし、狐か何かが化けたものとして尾を引きずって帰るとする。民話風に作り変えたような句だ。

 森の下草の花は、

 

 花散りて人も訪ねぬ山陰に

     茂り果てぬる森の下草

              宜秋門院丹後(正治初度百首)

 

の歌がある。

 

季語は「花」で春、植物、木類。神祇。

 

七十八句目

 

   御神体則花は散給ふ

 つくしはるかに春ぞ飛行     似春

 (御神体則花は散給ふつくしはるかに春ぞ飛行)

 

 菅原道真の飛び梅伝説にする。御神体は天神様こと菅原道真公で梅の花が散って筑紫大宰府へ飛んで行く。

 

 こちふかばにほひおこせよ梅の花

     あるじなしとて春をわするな

              菅原道真(拾遺集)

 

の歌はよく知られている。下七を「春な忘れそ」としているのは『大鏡』の方のバージョンになる。

 

季語は「春」で春。

名残表

七十九句目

 

   つくしはるかに春ぞ飛行

 捧げたる二ッの玉子かいわりて  桃青

 (捧げたる二ッの玉子かいわりてつくしはるかに春ぞ飛行)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 「卵の殻を破って鳥の孵ること。神功皇后新羅征伐の折、筑紫の沖で干珠満珠の二つの玉を奉って海路を静めた故事による。」

 

とある。

 この話は『古事記』や『日本書紀』にはない。

 ネット上の清田啓子さんの『「吉備津の釜」の磯良─命名についての報告』の、林羅山の『本朝神社考』の引用の中に、「神代巻・日本書紀・神書鈔等を引用した末に」とあって、「旧伝」とだけあり、「皇后勅磯良。乞干珠満珠於竜宮。竜宮乃献両珠。皇后於是以黄石公一巻書。竜神両顆珠。発向。三韓。」とあった。もう一つは謡曲『香椎』で、今では廃曲なのか、この論文で知るのみだった。

 この後わかったのは、この話は『太平記』「神功皇后攻新羅給事」に、

 

 「軈て是を御使にて、竜宮城に宝とする干珠・満珠を被借召。竜神即応神勅二の玉を奉る。神功皇后一巻の書を智謀とし、両顆の明珠を武備として新羅へ向はんとし給ふに、胎内に宿り給ふ八幡大菩薩已に五月に成せ給ひしかば、母后の御腹大に成て、御鎧を召るゝに御膚あきたり。」

 

とあることだ。どうやらこれが出典だったようだ。

 芭蕉の時代にまだ謡曲『香椎』が上演されていたなら、そちらのネタとしても理解されていたかもしれない。

 龍神が神功皇后に捧げた二つの玉を玉子ということにして、そこから孵った鳥だとか竜の子だとかが筑紫から遥か西の財の国へ飛び立ったということになる。

 

無季。

 

八十句目

 

   捧げたる二ッの玉子かいわりて

 うちまた広き国のかみへと    似春

 (捧げたる二ッの玉子かいわりてうちまた広き国のかみへと)

 

 これは下ネタで、まあ二つの玉と来ればやっぱりこれか。

 股の内側の広き国の神へと二つの玉子を捧げた、となる。

 

無季。

 

八十一句目

 

   うちまた広き国のかみへと

 雪隠に伊与の湯桁も打渡し    桃青

 (雪隠に伊与の湯桁も打渡しうちまた広き国のかみへと)

 

 伊予の湯桁のネタは古くは『源氏物語』にも出てくる。

 一つは空蝉巻の碁が終局して地を数える場面で、

 

 「とおよびをかがめて、とお、はた、みそ、よそなどかぞふるさま、いよのゆげたもたどたどしかるまじうみゆ。」

 (と指を曲げて、「十、二十、三十、四十」などと数えるその速さといい、伊予の湯桁の数だってすぐにパッと答えられそうなものです。)

 

とある。

 もう一か所は夕顔編で伊予の介が京に戻ってきた時で、

 

 「国の物語など申すに、ゆげたはいくつと、とはまほしくおぼせど、あいなくまばゆくて、御(み)こころのうちにおぼし出づる事(こと)もさまざまなり。」

 (任地の伊予の国の土産話をしだすと、ついつい「湯桁はいくつ?」と聞いてみたくなるものの、そんな空気にさせないくらい堂々たる様子に、留守の間に起こした事件をあれこれ思い出してしまい、とても正視できません。)

 

とある。

 ただ、今となっては伊予の湯桁がどのようなものだったかは定かでない。

 ここでは前句の「広き国のかみ」から『源氏物語』の伊予の介を思い起こし、便器に伊予の湯桁を渡す、とする。

 

無季。

 

八十二句目

 

   雪隠に伊与の湯桁も打渡し

 ふみ石九ッ中は十六       似春

 (雪隠に伊与の湯桁も打渡しふみ石九ッ中は十六)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 「伊予の湯の湯桁の数は左八つ右は九つ中は十六」(花鳥余情所引六花集)

 

とある。『花鳥余情』はウィキペディアに「一条兼良による『源氏物語』の注釈書である。」とある。文明四年(一四七二年)成立とされている。『六花集』からの引用として記されているが、『六花集』は現存が確認されていない。季吟の『源氏物語湖月抄』(延宝三年刊)にも引用されている。

 便器は一つで十分だからそこまでの踏み石の数を「九つ中は十六」とした。

 

無季。

 

八十三句目

 

   ふみ石九ッ中は十六

 山作り硯にむかひ筆とりて    桃青

 (山作り硯にむかひ筆とりてふみ石九ッ中は十六)

 

 庭師の庭石の発注とする。

 

無季。「山」は山類。

 

八十四句目

 

   山作り硯にむかひ筆とりて

 夢窓国師もいでや此世に     似春

 (山作り硯にむかひ筆とりて夢窓国師もいでや此世に)

 

 夢窓国師はウィキペディアに、

 

 「鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧・作庭家・漢詩人・歌人。」

 

 「禅僧としての業績の他、禅庭・枯山水の完成者として世界史上最高の作庭家の一人であり、天龍寺庭園と西芳寺庭園が「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。夢窓疎石の禅庭は、二条良基の連歌・歌論や世阿弥の猿楽(能楽)とともに、わび・さび・幽玄として以降の日本における美の基準を形成した。」

 

とある。

 築山を作り、庭をこれからどうしようかと思案する。「いでや!夢窓国師!」と言ってはみてもなかなかいいアイデアは出ない。

 

無季。

 

八十五句目

 

   夢窓国師もいでや此世に

 物相を都の西に参りつつ     桃青

 (物相を都の西に参りつつ夢窓国師もいでや此世に)

 

 「物相(もつさう)」はコトバンクに「食器・調理器具がわかる辞典の解説」に、

 

 「➀飯を盛って一人分の量をはかるための、円筒形の曲げ物の器。計量器を兼ねた型でもあり、型から抜いて供する。近世の牢では、型から出さず、盛り切りにしてそのまま食器として用いた。

  ➁茶の湯の点心や和食店・仕出しの弁当などの飯に用いる押し枠。抜き型に飯を詰め、上から押してさまざまな形にかたどる。円筒形もあるが、桜・いちょう・ひょうたんなどの植物、扇・松竹梅などの縁起の良い形のものなどがある。

  ➂「物相飯」の略。◇浄土真宗の大谷派や仏光寺派では、仏前に供える飯に用いる円筒形の型をいう。この場合は「盛槽」と書く。◆「相」は、木型の意。こんにちではステンレス製・プラスチック製などのものもいう。」

 

とある。

 夢窓国師の庭というと天龍寺や西芳寺(苔寺)が有名で、都の西にある。物相でかたどった飯を持って行き、夢窓国師の庭に行く。

 

無季。

 

八十六句目

 

   物相を都の西に参りつつ

 茶の湯の古道跡は有けり     似春

 (物相を都の西に参りつつ茶の湯の古道跡は有けり)

 

 物相から②の意味で茶の湯を付ける。

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は、

 

   仁和のみかど嵯峨の御時の例にて

   芹河に行幸したまひける日

 嵯峨の山みゆきたえにし芹河の

     千世のふるみち跡はありけり

              在原業平(後撰集)

 

を引いている。

 

無季。

 

八十七句目

 

   茶の湯の古道跡は有けり

 太閤の下駄一足や残るらん    桃青

 (太閤の下駄一足や残るらん茶の湯の古道跡は有けり)

 

 千利休が大徳寺三門(金毛閣)に雪駄履きの木像を楼門の二階に置いて、それが秀吉の頭を踏みつけるということで切腹の原因になったと言われている。

 ここでは雪駄を下駄にして、太閤を踏んだ下駄一足が茶の湯の古道の跡として残っている、とする。

 

無季。

 

八十八句目

 

   太閤の下駄一足や残るらん

 高麗までも隣ありきに      似春

 (太閤の下駄一足や残るらん高麗までも隣ありきに)

 

 秀吉の朝鮮出兵(韓国側では壬辰倭乱)をただの散歩とし、下駄一足も残っているだろうか、とする。

 

無季。

 

八十九句目

 

   高麗までも隣ありきに

 秋の寝覚火入をさげて行ものは  桃青

 (秋の寝覚火入をさげて行ものは高麗までも隣ありきに)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は、

 

 はるかなるもろこしまでもゆく物は

     秋のねざめの心なりけり

              大弐三位(千載集)

 

の歌を引いている。この歌は、

 

 唐土も夢に見しかば近かりき

     思はぬなかぞはるけかりける

              兼藝法師(古今集)

 

から来ている。唐土も夢に見る分には近いから、寝ざめたときもまだ夢覚めやらずで唐土はまだ近くにあると思ってしまう。

 そんな秋の寝覚めの夢覚めやらぬ頃だと、煙草の火入れを下げて高麗だって隣歩きに思えてしまう。

 

季語は「秋」で秋。

 

九十句目

 

   秋の寝覚火入をさげて行ものは

 悋気の袖に月を打わる      似春

 (秋の寝覚火入をさげて行ものは悋気の袖に月を打わる)

 

 「悋気」は嫉妬のこと。

 秋寝覚めると夫はいなくて、火入れを下げて出て行っていた。どこぞの女の許に行ってるということで夜には火入れを打ち割られる。

 秋に月は付け合い。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。

 

九十一句目

 

   悋気の袖に月を打わる

 忍び路の霧の妻戸をつき倒し   桃青

 (忍び路の霧の妻戸をつき倒し悋気の袖に月を打わる)

 

 月に掛かっている霧の妻戸を突き倒して、その向こうにある月を打ち割る。月がなければ浮気もできまい。

 月に霧は、

 

 秋風にいとどふけゆく月影を

     たちなかくしそあまの河霧

              藤原清正(後撰集)

 

の歌がある。

 

季語は「霧」で秋、聳物。恋。

 

九十二句目

 

   忍び路の霧の妻戸をつき倒し

 喧嘩眼にくどく夕ぐれ      似春

 (忍び路の霧の妻戸をつき倒し喧嘩眼にくどく夕ぐれ)

 

 前句の「妻戸をつき倒し」をそのまま喧嘩腰に部屋に入ってきて口説く、とする。

 霧に夕暮れは、

 

 むらさめの露もまだひぬまきの葉に

     霧立のぼる秋の夕暮

              寂蓮法師(新古今集)

 

の歌がよく知られている。

 

無季。恋。

名残裏

九十三句目

 

   喧嘩眼にくどく夕ぐれ

 薄情かかりがましき若いもの   桃青

 (薄情かかりがましき若いもの喧嘩眼にくどく夕ぐれ)

 

 「掛かりがまし」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘形シク〙 (「がまし」は接尾語) わずらわしい。しつこい。

  ※俳諧・犬子集(1633)一「四方山にかかりがましき霞哉」

  ※洒落本・陽台遺編(1757頃)秘戯篇「ちょっと桔梗屋へ行と、かかりがましう何(なん)なといふて」

 

とある。

 衆道であろう。愛もないのにやりたいばかりに暴力的に口説く。

 

無季。恋。「若いもの」は人倫。

 

九十四句目

 

   薄情かかりがましき若いもの

 黒手にはねてころすはころすは  桃青

 (黒手にはねてころすはころすは薄情かかりがましき若いもの)

 

 前句の「かかり」を囲碁の相手の石の近くに打つ「かかり」とし、黒の手が伸びてきたらその先をはねて殺しにゆく。

 

無季。

 

九十五句目

 

   黒手にはねてころすはころすは

 追剥の跡は裳ぬけと成にけり   似春

 (追剥の跡は裳ぬけと成にけり黒手にはねてころすはころすは)

 

 「裳ぬけ」は蛻(もぬけ)の殻のことでコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① セミやヘビのぬけがら。もぬけ。

  ② 人の抜け出したあとの寝床や住居などのたとえ。

  ※別れ霜(1892)〈樋口一葉〉一五「並べし床はもぬけの殻(カラ)なり」

  ③ 魂が抜け去った体。死骸。

  ※読本・椿説弓張月(1807‐11)残「その空蝉の裳脱(モヌケ)の殻(カラ)へ、白縫が魂入りて」

 

とあり、この場合は③の意味で、前句の「黒」を田んぼの畔(くろ)として、追剥にあった死体は畔に放り投げられて、「ころすはころすは」となる。

 

無季。

 

九十六句目

 

   追剥の跡は裳ぬけと成にけり

 蝦蟇鉄拐や吐息つくらむ     似春

 (追剥の跡は裳ぬけと成にけり蝦蟇鉄拐や吐息つくらむ)

 

 蝦蟇も鉄拐も仙人の名前。蝦蟇鉄拐図など画題になっている。この頃は手に乗るような実物大の蝦蟇を従えている。蝦蟇使という点では後の巨大な蝦蟇に跨った児雷也などの原型ともいえるだろう。

 鉄拐は自分の体を焼かれたので乞食の死体を借りて蘇ったと言われている。雪村の鉄拐図では口から小人のような魂を飛ばしている。

 仙人は肉体を残して魂だけが仙境に行く尸解というのがある。ここでは蝦蟇鉄拐が追剥に襲われたが、魂だけ抜け出して難を逃れ、ほっと一息つくということだろう。後は焼かれる前に肉体に戻ればいい。

 余談だがスターウォーズでジェダイが死ぬときには衣だけ残して霊体になるのも、尸解仙からの着想ではないかと思う。

 

無季。

 

九十七句目

 

   蝦蟇鉄拐や吐息つくらむ

 千年の膏薬既に和らぎて     桃青

 (千年の膏薬既に和らぎて蝦蟇鉄拐や吐息つくらむ)

 

 千年の膏薬は前句の蝦蟇を受けての蝦蟇の油のことであろう。ウィキペディアには、

 

 「ガマの油の由来は大坂の陣に徳川方として従軍した筑波山・中禅寺の住職であった光誉上人の陣中薬の効果が評判になったというものである。「ガマ」とはガマガエル(ニホンヒキガエル)のことである。主成分は不明であるが、「鏡の前におくとタラリタラリと油を流す」という「ガマの油売り」の口上の一節からみると、ガマガエルの耳後腺および皮膚腺から分泌される蟾酥(せんそ)ともみられる。蟾酥(せんそ)には強心作用、鎮痛作用、局所麻酔作用、止血作用があるものの、光誉上人の顔が蝦蟇(がま)に似ていたことに由来しその薬効成分は蝦蟇や蟾酥(せんそ)とは関係がないともいわれている。」

 

とある。

 蝦蟇の油が効いて傷口もふさがり、蝦蟇も鉄拐も安心して一息つく。

 

無季。

 

九十八句目

 

   千年の膏薬既に和らぎて

 折ふし松に藤の丸さく      桃青

 (千年の膏薬既に和らぎて折ふし松に藤の丸さく)

 

 「藤の丸」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「小田原の膏薬屋、藤の丸。三都に出店があり、有名。」とある。コトバンクの膏薬屋のところの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 膏薬を売る店。また、膏薬を売る行商人。

  ※浮世草子・好色二代男(1684)二「藤の丸の膏薬屋(カウヤクヤ)にたより」

 

という西鶴の例文がある。

 藤の花が松に蔓を絡ませて、あたかも松の花が咲いたように見え、目出度いものとされてきた。千年の膏薬に怪我も治り松に藤の丸が咲いたような目出度さだ、となる。

 

季語は「藤」で春、植物、草類。「松」は植物、木類。

 

九十九句目

 

   折ふし松に藤の丸さく

 より金の花郭公春のくれ     似春

 (より金の花郭公春のくれ折ふし松に藤の丸さく)

 

 「より金」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「金の切箔を絹糸又は綿糸に縒りつけたもの」とある。

 コトバンクでは「縒金・撚金」という項目があり、「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 金箔を絹糸または綿糸に縒りつけたもの。金糸。

  ※信長公記(1598)一四「御袖口にはよりきんを以てふくりんをめされ候」

 

とある。

 きらびやかな金糸を用いた衣の花にホトトギスが鳴き、春は暮れて行く。おりふし松に藤が咲く。

 藤にホトトギスは、

 

 わがやどの池の藤波さきにけり

     山郭公いつか来鳴かむ

              よみ人しらず

 この歌ある人のいはく、柿本人麿が歌なり。(古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「春のくれ」で春。「花」も春、植物、木類。「郭公」は鳥類。

 

挙句

 

   より金の花郭公春のくれ

 山もかすみの唐で我を折     執筆

 (より金の花郭公春のくれ山もかすみの唐で我を折)

 

 「我を折」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「意地を張ることをやめ、他人の意見、指示などに従う。納得する。また、閉口する。あきれる。恐れ入る。〔玉塵抄(1563)〕

  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)二「又目を懸(かけ)しに思ひの外に(かん)のたつ事、手代我(ガ)を折て、喰(くひ)もせぬ餠に口をあきける」

 

とある。

 山も霞がかかり、薄物の唐絹なので、完全に私の負け、脱帽と執筆の宣言により一巻は目出度く終わる。執筆が当事者っぽいが、もしや四友か。

 春の暮に霞は、

 

 佐保姫の霞の袖の花の香も

     名残は尽きぬ春の暮かな

              藤原良経(秋篠月清集)

 

の歌がある。

 

季語は「かすみ」で春、聳物。「山」は山類。「我」は人倫。