「くつろぐや」の巻、解説

初表

 くつろぐや(およそ)天下の下涼み     (ぼく)(せき)

   民のかまどはあふぎ一本     (しょう)(きゅう)

 はやりぶし感ぜぬ者やなかるらん   一朝(いっちょう)

   乗かけつづくあけぼのの空    在色(さいしき)

 遠山(とほやま)の雲や(けぶり)のきせる筒      (せっ)(さい)

   (そま)がうちわる峰の松風       (いっ)(てつ)

 岩がねやかたぶく月に()()(まくら)    志計(しけい)

   そこなる清水(けう)(だい)の露      (しょう)()

 

初裏

 (いも)(かご)の下くぐり(ゆく)ささら浪      正友(せいゆう)

   (ひら)(なべ)ひとつ志賀のから崎     執筆(しゅひつ)

 火がふるや大宮人(おほみやびと)の台所      松臼

   神鳴(かみなり)とんとみまくほしさよ    卜尺

 何と何と法性(ほっしゃう)坊の腰の骨      在色

   比叡(ひえ)の山よりやいとの(けぶり)     一朝

 (ふき)をろす杉の嵐の味噌くさい      一鉄

   雑炊(ざふすい)(ばら)にきくほととぎす    雪柴

 村雨(むらさめ)の空さだめなきつかへもち    松意

   こはひ夢見し露の世の中      志計

 たまいだる女の念力(ねんりき)月ふけて     卜尺

   (あげ)(せん)のかねうごく秋風      正友

 口舌(くぜつ)には花も紅葉(もみぢ)もなかりけり     一朝

   のきぎりの身は谷の(うもれ)()    松臼

 

 

二表

 すごすごとかたげて(すぐ)るつづら(をり)   雪柴

   やけ出されたるあとのうき雲   在色

 落城や朝あらしとぞなりにける    志計

   はや馬はいはい松の下道     一鉄

 (この)浦に今とりどりの(なま)(ざかな)      正友

   ()(だる)にさはぐ沖津(おきつ)しら波    松意

 半切(はんぎり)や入日をあらふそめ物屋    松臼

   上京(かみぎゃう)下京(しもぎゃう)しぐれふり(ゆく)   卜尺

 ひかれ者()()(ごろも)高手小手(たかてこて)    在色

   神農(しんのう)のすゑ似せくすりうり    一朝

 なで(つけ)(ひたひ)を見ればこぶ二つ     一鉄

   鬼が嶋よりやはら一流       雪柴

 辻喧嘩(げんくわ)度々(どど)(ちん)西(ぜい)八郎兵衛     松意

   公儀の御たづね()千里(せんり)の月     志計

 

二裏

 廻状(くわいじゃう)初雁(はつかり)(がね)のあととめて   卜尺

   明後(みゃうご)夕がた雲霧の空      正友

 引入(ひきいれ)は山の腰もとがつてんか    一朝

   (なみだ)の滝の水くらはせう     松臼

 (まち)ぶせやおもひの淵へ後から     雪柴

   いかに前髪()(きょう)さばくな    在色

 御恩賞今つづまりて九寸五分     志計

   隠居このかた(じっ)(とく)の袖     一鉄

 貝がらの内をたのしむ名膏(めいかう)あり   正友

   蒔絵(まきゑ)に見ゆる棚先(たなさき)の月     松意

 町人の(おごり)をなげく虫の声      松臼

   庄屋九代のすへの(つゆ)(しも)     卜尺

 花の木や(そもそも)これはさかい(ぐい)     在色

   国まはりする春の山風      一朝

 

 

三表

 鶯や小首をひねる歌まくら     一朝

   かうしてどうして雪のむら(ぎえ)  雪柴

 むかふからうつてかからば(とぶ)火野(ひの)に 松意

   ()(がひ)の山の天狗そこのけ    志計

 八重の雲見通すやうな占算(うらやさん)     卜尺

   乙女が縁組しばしとどめん    正友

 色好みしかも漁父にて大上戸(おほじゃうご)    在色

   よだれをながすなみだ幾度(いくたび)   松臼

 肉食(にくじき)に牛も命やおしからん     一朝

   はるかあつちの人の世中(よのなか)    一鉄

 祖父(ぢぢ)(うば)同じ(うてな)念仏講(ねぶつかう)      雪柴

   つらぬく銭の高砂(たかさご)の松     松意

 秋の月外山(とやま)(いで)て宮一つ       志計

   狐(とび)こすあとの夕露       卜尺

 

三裏

 かうばしう(ここ)に何やら野べの色    正友

   柴の折戸(をりど)にすりこぎの音     在色

 去間(さるあひだ)ひとり坊主(ぼっち)の朝ぼらけ     松臼

   いやいや舟にはあとのしら波   一朝

 (かは)(ぶくろ)たしか桑名の(とまり)まで      一鉄

   古がねを買ふなみ松の声     雪柴

 焼亡(ぜうまう)(かた)山里(やまざと)にきのふの雲     松意

   (だご)にくみこむ滝の水上(みなかみ)      志計

 そげ者はやせ馬(ひき)て帰る(なり)      卜尺

   談合(だんがふ)やぶる佐野(さの)の秋風      正友

 ぬすまれぬかねこそひびけ月の下   在色

   目ざとく見えてうつから(ごろも)   松臼

 花は根に夫はいまだ旅の空      雪柴

   思ひは石のつばくらのこゑ    一鉄

 

 

名残表

 春雨やなみだ等分手水(てうづ)(ばち)      一朝

   (いち)()何とぞ神ならば神     松意

 (かたき)めを御䰗(みくじ)にまかせてくれう物   志計

   かけたてまつる四尺八寸    卜尺

 看板はいづれ(まなこ)のつけどころ    正友

   用の事どもおこたるべからず  在色

 (おき)頭巾(づきん)分別くさくまかり(いで)     松臼

   しもく杖にて馬場乗(ばばのり)を見る   雪柴

 朝まだきうら門ひらく下屋敷    一鉄

   露と命はいづれ縄付(なはつき)      一朝

 観音の首より先に月おちて     松意

   奉加(ほうが)すすむる荻の上風     志計

 衣手(ころもで)が耳にはさみし筆津(ふでつ)(むし)     卜尺

   名所旧跡とをざかりゆく    正友

 

名残裏

 帆柱や八合もつてはしり舟     在色

   すばる満時(まんどき)沖の汐さい     松臼

 (ひさ)(かた)天地(てんち)同根(どうこん)網の魚      雪柴

   七歩(しちほ)のうちにたつ(いわし)(ぐも)    一鉄

 棒手(ばうて)ぶりそのままそこに卒中風(そっちうぶ)   一朝

   家主所謂(いはゆる)大法(よつ)あり      松意

 一町(いっちゃう)公事(くじ)あひ(なかば)(ちり)て     志計

   証拠正しきうぐひすの声     正友

 

     参考;『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)

初表

発句

 

 くつろぐや(およそ)天下の下涼み     (ぼく)(せき)

 

 芭蕉さんもお世話になった小沢さんの句。

 「天下の」という言葉には、「公認の」というニュアンスがある。今でも道を私物化している人に、「ここは天下の公道だ」という言い回しをする。暑い時には木陰で下涼みをしてくつろぐのは、御上も認める、誰もが認めることだ。恥じることはない。

 まあ、いつの時代でも、暑いからといって一休みしていると、何サボってるんだという輩はいるのだろう。まあ熱中症の危険もあるし、現代の御上も休息を取れと言っている。暑い時の下涼みは権利だ、ということだろう。「かまわぬ(自由)」の精神だ。

 

季語は「涼み」で夏。

 

 

   くつろぐや凡天下の下涼み

 民のかまどはあふぎ一本      (しょう)(きゅう)

 (くつろぐや凡天下の下涼み民のかまどはあふぎ一本)

 

 前句を(いくさ)も飢饉もなく平穏な天下の様に取り成して、今日も民の(かまど)から煙が上がっている、とする。

 

   貢物を許されて、国が富んだのを御覧になって

 高き屋にのぼりて見れば煙立つ

     民の竈は賑はひにけり

              仁徳天皇(新古今集)

 

の歌を踏まえたものだが、

 まあ、煙を立てるくらいなら扇一本あれば足りるもので、お安い御用だ。

 

季語は「あふぎ」で夏。「民」は人倫。「かまど」は居所。

 

第三

 

   民のかまどはあふぎ一本

 はやりぶし感ぜぬ者やなかるらん  一朝(いっちょう)

 (はやりぶし感ぜぬ者やなかるらん民のかまどはあふぎ一本)

 

 扇一本あれば、それで拍子を取って流行の小唄なども歌える。

 延宝六年の「さぞな都」の巻にも、

 

 さぞな都(じょう)()()()(うた)はここの花  信章

 

の発句があるように、当時様々な小唄が流行していた。(ろう)(さい)(ぶし)(かた)(ばち)(なげ)(ぶし)は既にこのころになると時代遅れだったようだが、「さぞな都」四十五句目に、

 

   舞台に出る胡蝶うぐひす

 つれぶしには哥うたひの蛙鳴   桃青

 

の句があるように唱和形式の連れ節は流行っていたのだろう。

 延宝六年の「のまれけり」の巻七句目に、

 

   与作あやまつて仙郷に入

 はやり哥も雲の上まで聞えあげ  春澄

 

の句もあるから、丹波与作と関のこまんの恋物語の歌も流行っていたか。

 竈の前で炊事しながら、扇一本あれば小唄の一つもも唄える。

 

無季。

 

四句目

 

   はやりぶし感ぜぬ者やなかるらん

 乗かけつづくあけぼのの空     在色(さいしき)

 (はやりぶし感ぜぬ者やなかるらん乗かけつづくあけぼのの空)

 

 「乗かけ」は(のり)(かけ)(うま)で旅体になる。乗掛馬が一斉に出て行く朝の宿場でも、みんな流行の小唄を口ずさんでいる。

 

無季。旅体。

 

五句目

 

   乗かけつづくあけぼのの空

 遠山(とほやま)の雲や(けぶり)のきせる筒      (せっ)(さい)

 (遠山の雲や烟のきせる筒乗かけつづくあけぼのの空)

 

 あけぼのに遠山は、

 

 眺めやる景色ぞいつも哀れなる

     遠山もとのあけぼのの空

              源師光(みなもとのもろみつ)(新続古今集)

 

であろう。ただここでは、遠山の雲かと思ったら煙草の煙だったという落ちになる。

 一斉に旅立つ乗掛馬の列に遠山が霞んでいると思ったら、みんな朝の一服で、煙管の煙がもうもうと立ち込めているだけだった。

 

無季。「遠山」は山類。「雲」「烟」は聳物。

 

六句目

 

   遠山の雲や烟のきせる筒

 (そま)がうちわる峰の松風       (いっ)(てつ)

 (遠山の雲や烟のきせる筒杣がうちわる峰の松風)

 

 杣は木材にする木を切り出すことを職業としている人で、峰から松風が吹いてこないと思ったら、松の木を伐採作業が行われていた。遠山の雲だと思ったのは、その作業員の吸う煙草だった。

 雲に峰の松風は、

 

 紫の雲路にさそふ琴の音に

     憂き世をはらふ峰の松風

              寂蓮法師(新古今集)

 峰の雲麓の霧の色暮れて

     空も心も秋の松風

              藤原定家(夫木抄)

 

などの歌に詠まれている。

 

無季。「杣」は人倫。「峰」は山類。「松風」は植物、木類。

 

七句目

 

   杣がうちわる峰の松風

 岩がねやかたぶく月に()()(まくら)    志計(しけい)

 (岩がねやかたぶく月に手木枕杣がうちわる峰の松風)

 

 ()()(まくら)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「梃子枕」の解説」に、

 

 「〘名〙 梃子の下にあてがって支える木。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「杣がうちわる峰の松風〈一鉄〉 岩がねやかたぶく月に手木枕〈志計〉」

 

とある。

 林業従事者が峰の松を伐採して、それを梃子の枕として、沈む月を止めようとしている。シュールネタになる。

 

 冬の夜の月は稲葉の峯越えて

     なほ山の端に松風の声

              藤原(ふじわらの)範宗(のりむね)(建保名所百首)

 

の歌がある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

八句目

 

   岩がねやかたぶく月に手木枕

 そこなる清水(けう)(だい)の露       (しょう)()

 (岩がねやかたぶく月に手木枕そこなる清水橋台の露)

 

 (けう)(だい)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「橋台」の解説」に、

 

 「① 橋の両端にあって、橋を支える台状のもの。きょうだい。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「駒とめて佐保山の城打ながめ〈雪柴〉 朝日にさはぐはし台の波〈松意〉」

  ② 橋のそば。橋際。橋もと。

  ※洒落本・客衆一華表(17891801頃)丹波屋之套「こっちらの橋台(ハシダイ)の酒ゃア算盤酒やといって名代でございやす」

 

とある。

 清水の湧き出る傍で架橋工事が行われる。朝早く作業が始まり、梃子枕で橋台を持ち上げると、清水の露に濡れる。

 

季語は「露」で秋、降物。「清水」は水辺。

初裏

九句目

 

   そこなる清水橋台の露

 (いも)(かご)の下くぐり(ゆく)ささら浪     正友(せいゆう)

 (芋籠の下くぐり行ささら浪そこなる清水橋台の露)

 

 (いも)(かご)は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は芋を洗う籠としている。芋は川で洗ったりした。

 

 芋を洗う女西行ならば歌よまむ  芭蕉

 

の句がのちの『野ざらし紀行』にある。

 ささら浪は洗うもので、

 

 ささら浪ひまなく岸を洗ふなり

     渚清くは来てもみよとや

              大友(おおともの)(くろ)(ぬし)(新千載集)

 

の歌がある。

 

季語は「芋」で秋。「ささら浪」は水辺。

 

十句目

 

   芋籠の下くぐり行ささら浪

 (ひら)(なべ)ひとつ志賀のから崎      執筆(しゅひつ)

 (芋籠の下くぐり行ささら浪平鍋ひとつ志賀のから崎)

 

 志賀の辛崎というと「さざなみの」だが細かいことは言わない。大友黒主の歌も『歌枕(うたまくら)名寄(なよせ)』には「東山道一」で志賀の所にある。

 平鍋は底の浅い鍋で、芋の煮ころがしを作るのに用いる。志賀の辛崎といえば比良山で、それと掛けて平鍋を出す。

 

 さざなみの比良山風の海吹けば

     釣りする海人の袖かへりみゆ

              よみ人しらず(新古今集)

 

の歌がある。

 

無季。「志賀のから崎」は名所、水辺。

 

十一句目

 

   平鍋ひとつ志賀のから崎

 火がふるや大宮人(おほみやびと)の台所      松臼

 (火がふるや大宮人の台所平鍋ひとつ志賀のから崎)

 

 志賀の都の大宮人の台所が火事になる。鍋はヘルメットの代りにもなる。

 志賀の辛崎に大宮人は、

 

 さざなみの志賀のから崎幸はあれど

     大宮人の船待ちかねつ

              柿本人麻呂(夫木抄)

 

の歌による。

 

無季。「大宮人」は人倫。「台所」は居所。

 

十二句目

 

   火がふるや大宮人の台所

 神鳴(かみなり)とんとみまくほしさよ     卜尺

 (火がふるや大宮人の台所神鳴とんとみまくほしさよ)

 

 延喜三年(九〇三年)に菅原道真が大宰府で亡くなったその二十七年後の延長八年(九三〇年)、清涼殿に落雷があって火事になり数人の大宮人が焼け死に、そのショックで醍醐天皇も三か月後に崩御した。菅原道真の祟りだと噂され、祟りを抑えるために北野天満宮が創建された。後に北野天満宮は連歌会所が設けられ、連歌の中心地にもなった。

 まあ、その時どんな様子だったのか、見てみたいものだ。

 「とんと」は「どーーーんと」ということであろう。

 

季語は「神鳴」で夏。

 

十三句目

 

   神鳴とんとみまくほしさよ

 何と何と法性(ほっしゃう)坊の腰の骨      在色

 (何と何と法性坊の腰の骨神鳴とんとみまくほしさよ)

 

 清涼殿落雷事件は謡曲『雷電』にもなっている。

 

 「比叡山(ひえいさん)延暦寺(えんりゃくじ)座主(ざす)法性(ほツしょお)坊の律師(りツし)僧正(そおじょお)にて(そおろお)。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.77871-77874). Yamatouta e books. Kindle .

 

とワキが名乗りを上げるところから始まる。後半は菅原道真の怨霊とのバトルシーンとなり、能役者の体幹の強さの試される所だ。 

 

無季。釈教。

 

十四句目

 

   何と何と法性坊の腰の骨

 比叡(ひえ)の山よりやいとの(けぶり)      一朝

 (何と何と法性坊の腰の骨比叡の山よりやいとの烟)

 

 和歌の最後を四三で止めるのは万葉集には見られるが、古今集以降の和歌では嫌われ、連歌や俳諧にも受け継がれている。若干例外が見られるのが談林の流行期だ。

 「やいと」はお灸の頃で、腰を痛めた法性坊は比叡山でお灸をする。

 

無季。「比叡の山」は名所、山類。「烟」は聳物。

 

十五句目

 

   比叡の山よりやいとの烟

 (ふき)をろす杉の嵐の味噌くさい    一鉄

 (吹をろす杉の嵐の味噌くさい比叡の山よりやいとの烟)

 

 比叡山といえば杉林で、お坊さんが住んでいるから吹き下ろす風は味噌臭い。肉や魚を食わないお坊さんは味噌の大豆でたんぱく質を取っている。

 

無季。「杉」は植物、木類。

 

十六句目

 

   吹をろす杉の嵐の味噌くさい

 雑炊(ざふすい)(ばら)にきくほととぎす      雪柴

 (吹をろす杉の嵐の味噌くさい雑炊腹にきくほととぎす)

 

 味噌雑炊であろう。粥腹がお粥だけで満たした腹のことだから、雑炊腹も雑炊しか食べてないということで、味噌臭くなる。

 コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「粥腹」の解説」に、

 

 「〘名〙 粥を食べただけで腹をみたすこと。多く、力のはいらない腹をいう。

  ※洒落本・残座訓(1784)「かゆばらは養生訓のおしえなり」

 

とあるから、雑炊腹も力の入らないということであろう。

 ホトトギスは山に鳴くものだから杉に縁があり、「過ぎ」と掛けて用いられる。

 

 郭公(ほととぎす)三輪の神杉過ぎやらで

     訪ふべきものと誰を待つらむ

              源通光(みなもとのみちてる)(続古今集)

 五月雨の布留の神杉すぎがてに

     小高く名乗る郭公かな

              藤原定家(続後拾遺集)

 

などの歌がある。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。

 

十七句目

 

   雑炊腹にきくほととぎす

 村雨(むらさめ)の空さだめなきつかへもち   松意

 (村雨の空さだめなきつかへもち雑炊腹にきくほととぎす)

 

 「つかへもち」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「痞持」の解説」に、

 

 「〘名〙 さしこみが持病であること。また、その人。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「村雨の空さだめなきつかへもち〈松意〉こはひ夢見し露の世の中〈志斗〉」

  ※黄表紙・色競手管巻(18C後‐19Cか)三「持病のつかへもちと成給ひぬ」

 

とある。「さしこみ」は「世界大百科事典内のさしこみの言及」に、

 

 「普段はまったく無症状であるが,過食,脂肪食の後や,ときになんらの誘因もなく,発作的に強い上腹部痛(疝痛発作)を起こす。これは,〈しゃく〉〈さしこみ〉といわれる激痛で,苦悶状の顔貌で冷や汗をかき,前屈姿勢でうずくまるが,ときに苦痛のため七転八倒する。同時に軽度の黄疸がみられる場合もある。

 

とある。雑炊を食いすぎたのかさしこみをを起こす。

 ホトトギスに村雨は、

 

 心をぞつくしはてつるほととぎす

     ほのめくよひの村雨のそら

              藤原(ふじわらの)長方(ながかた)(千載集)

 声はして雲路にむせぶ郭公

     涙やそそぐ宵の村雨

              式子内親王(新古今集)

 

などの歌がある。

 

無季。「村雨」は降物。

 

十八句目

 

   村雨の空さだめなきつかへもち

 こはひ夢見し露の世の中       志計

 (村雨の空さだめなきつかへもちこはひ夢見し露の世の中)

 

 露の世は露のように儚く消える世ということで、人生は夢とも言うので、死を暗示させる。

 前句の「つかへもち」を餅が喉につっかえたとしたか。「こはひ」は強飯(こはいひ)と掛けて餅の縁語になる。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

十九句目

 

   こはひ夢見し露の世の中

 たまいだる女の念力(ねんりき)月ふけて    卜尺

 (たまいだる女の念力月ふけてこはひ夢見し露の世の中)

 

 「たまいだる」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「魂消(たまぎ)たる」の音便とある。魂消るは今日でも用いる「たまげる」と同じ。

 念力は今日のようなサイコキネシスではなく、一心に祈るその心の強さをいう。

 て留の時は倒置にして「こはひ夢見し露の世の中、たまいだる女の念力月ふけて」と読ませる場合がある。怖い夢を見てすっかりたまげてしまった女が、露の世の無常に一心に来世のことを祈りながら夜も更けてゆく。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。「女」は人倫。

 

二十句目

 

   たまいだる女の念力月ふけて

 (あげ)(せん)のかねうごく秋風       正友

 (たまいだる女の念力月ふけて挙銭のかねうごく秋風)

 

 (あげ)(せん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「挙銭・上銭・揚銭」の解説」に、

 

 「① 中世、利子をとって金銭を貸し出すこと。また、その金銭。こせん。

  ※吾妻鏡‐延応元年(1239)四月二六日「挙銭を取て、まづ寺家に令二進納一後」

  ② 営業権を他人に貸して、受けとる貸料。うわまえをはねて取る金。

  ※滑稽本・浮世風呂(180913)前「目鼻がなけりゃアわさびおろしといふ面(つら)だから、かながしらから揚銭(アゲセン)を取さうだア」

  ③ 小揚げの賃金。労賃。

  ※浄瑠璃・心中二枚絵草紙(1706頃)中「九間のおろせがあげせんの、残りもけふはすっきりと取って九両二歩のかね」

  ④ =あげだい(揚代)

  ※仮名草子・仁勢物語(163940頃)下「恋しやと見にこそ来たれ上銭の金は持たずもなりにけるかな」

 

とある。

 この場合④の意味で、「精選版 日本国語大辞典「揚代」の解説」に、

 

 「〘名〙 遊女、芸妓などをよんで遊興するときの代金。揚げ銭。揚げ代金。あげしろ。

  ※浄瑠璃・夏祭浪花鑑(1745)七「六年以来(このかた)俺が娘を女房にして、慰(なぐさみ)者にしてゐる。サア揚代(アゲだい)(もら)ふ」

 

とある。

 この場合は、老の秋風を感じた遊女が一心に祈った結果、多額の金で買い手がついた、ということか。

 

季語は「秋風」で秋。恋。

 

二十一句目

 

   挙銭のかねうごく秋風

 口舌(くぜつ)には花も紅葉(もみぢ)もなかりけり   一朝

 (口舌には花も紅葉もなかりけり挙銭のかねうごく秋風)

 

 口舌(くぜつ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「口舌」の解説」に、

 

 「① 口と舌。〔日葡辞書(160304)〕〔易経‐説卦〕

  ② もの言い。ことば。弁舌。また、口先だけのもの言い。くぜつ。くぜち。

  ※令義解(718)戸「凡棄レ妻。須レ有二七出之状一。〈略〉四 口舌〈謂。多言也。婦有二長舌一。維厲之階。是也〉」

  ※東寺百合文書‐を・正長二年(1429)正月鎮守八幡宮釜鳴動占文案「今月七日卯時、鎮守御供釜鳴、吉凶 占之、火事、年内自二月至十月慎之〈略〉又云、有口舌事、兼被致祈請、自旡其咎乎」

  ※吾輩は猫である(190506)〈夏目漱石〉四「人生の目的は口舌ではない実行にある」 〔史記‐蘇秦伝〕

  [補注]②は、挙例「東寺百合文書」のように公私の場における占い(占文)の卦()の用語ともなっており、怪異吉凶を占うと、疾病・闘諍・失火・盗賊・口舌・訴訟、その他の災厄の卦が出ることがあり、そのひとつにあげられている。」

 

とある。

 口先だけでいくら色良い事を言っても、遊女にとってやはり大切なのはお金。お金をくれないのに誰が好きこのんで抱かれるものですか。

 「花も紅葉もなかりけり」は言わずと知れた三夕の歌の一つ、

 

 見わたせば花も紅葉もなかりけり

     浦の苫屋の秋の夕暮れ

              藤原定家(新古今集)

 

による。

 

無季。恋。「花」「紅葉」は植物、木類。

 

二十二句目

 

   口舌には花も紅葉もなかりけり

 のきぎりの身は谷の(うもれ)()      松臼

 (口舌には花も紅葉もなかりけりのきぎりの身は谷の埋木)

 

 「のきぎり」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、

 

 「家財道具の少ないときなど、妻を家に残し離別すること。」

 

とある。漢字を充てるなら「退き切り」であろう。追出すのではなく自分が出て行く。

 埋木は川底で炭化した木で、

 

 名取川瀬々の(むもれ)()あらはれば

     如何(いか)にせむとかあひ見そめけむ

              よみ人しらず(古今集)

 

などの歌に詠まれている。

 口論の末に分かれ、家に一人取り残された女は埋木のようだ、ということになる。

 

無季。恋。「身」は人倫。「谷」は山類。

二表

二十三句目

 

   のきぎりの身は谷の埋木

 すごすごとかたげて(すぐ)るつづら(をり)  雪柴

 (すごすごとかたげて過るつづら折のきぎりの身は谷の埋木)

 

 何を担げてというと、下句の「(うもれ)()」であろう。ここでは埋木は「のきぎりの身」の比喩ではなく、山奥で退き切りされた人が仕方なく、自分で埋木を担いでつづら折りの坂を登り、売りに行く、ということになる。

 「退き切り」は夫婦の縁に限らず、男がたった一人山の中に取り残される意味でも用いられたのかもしれない。

 

無季。「つづら折」は山類。

 

二十四句目

 

   すごすごとかたげて過るつづら折

 やけ出されたるあとのうき雲    在色

 (すごすごとかたげて過るつづら折やけ出されたるあとのうき雲)

 

 火事で家を失い、行く所もなく旅に出る。後に天和の大火で芭蕉さんも甲斐大月に旅に出ている。これが後の一所不住の漂泊の人生の始まりだったとも言える。

 

無季。旅体。「うき雲」は聳物。

 

二十五句目

 

   やけ出されたるあとのうき雲

 落城や朝あらしとぞなりにける   志計

 (落城や朝あらしとぞなりにけるやけ出されたるあとのうき雲)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『八島(やしま)』の、

 

 「水や空空ゆくも又雲の波の、打ち合ひ刺し(ちご)ふる、船軍(ふないくさ)掛引(かけひき)、浮き沈むとせし程に、春の()の波より明けて、(かたき)と見えしは群れゐる(かもめ)(とき)の声と、聞こえしは、浦風なりけり高松の浦風なりけり、高松の朝嵐とぞなりにける。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.15597-15603). Yamatouta e books. Kindle .

 

を引いている。

 謡曲は八島の合戦の後の朝嵐だが、それを城の攻防戦で城は炎上して朝が来る場面に作り直す。

 朝嵐という言葉は、

 

 朝嵐山の陰なる川の瀬に

     波寄る芦の音の寒けさ

              ()嵯峨院(さがいん)(続古今集)

 

など、和歌にも用いられる。

 

無季。

 

二十六句目

 

   落城や朝あらしとぞなりにける

 はや馬はいはい松の下道      一鉄

 (落城や朝あらしとぞなりにけるはや馬はいはい松の下道)

 

 落城の知らせを届ける早馬が駆け抜けて行く。

 

無季。「はや馬」は獣類。「松」は植物、木類。

 

二十七句目

 

   はや馬はいはい松の下道

 (この)浦に今とりどりの(なま)(ざかな)      正友

 (此浦に今とりどりの生肴はや馬はいはい松の下道)

 

 新鮮な魚介が浜に上がると、早馬でそれを江戸に届ける。「とりどり」は「今獲れた」と掛けている。

 

 鎌倉を生きて出けむ初鰹     芭蕉

 

の句は後の元禄五年の句とされている。鎌倉は昔から街道が整備されていたから、早馬を飛ばすにはよかったのだろう。

 

無季。「此浦」は水辺。

 

二十八句目

 

   此浦に今とりどりの生肴

 ()(だる)にさはぐ沖津(おきつ)しら波      松意

 (此浦に今とりどりの生肴酢樽にさはぐ沖津しら波)

 

 生肴には酢を用いる。刺身は昔は膾にして食べるのが普通だった。

 「沖津しら波」は、

 

 住の江の松を秋風吹くからに

     こゑうちそふるおきつ白浪

              (おおし)河内躬(こうちのみ)(つね)(拾遺集)

 霞しく春の汐ぢをみわたせば

     緑をわくるおきつしら浪

              九条兼(くじょうかね)(ざね)(千載集)

 

などの歌に詠まれている。

 

無季。「沖津しら波」は水辺。

 

二十九句目

 

   酢樽にさはぐ沖津しら波

 半切(はんぎり)や入日をあらふそめ物屋    松臼

 (半切や入日をあらふそめ物屋酢樽にさはぐ沖津しら波)

 

 前句の酢樽を染物の定着剤に用いる酢とする。

 半切(はんぎり)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「半切」の解説」に、

 

 「① 半分に切ったもの。

  ※島津家文書‐慶長三年(1598)正月晦日・豊臣氏奉行衆連署副状「半弓之用心に、半切之楯数多可レ有二用意一旨、被二仰遣一候」

  ② 能装束の袴の一つ。形は大口袴に似て裾短とし、金襴、緞子(どんす)などにはなやかな織模様のあるもの。荒神・鬼畜などの役に用いる。はんぎれ。〔易林本節用集(1597)〕

  ③ 歌舞伎衣装の一つ。広袖で丈(たけ)が短く、地質に錦または箔(はく)を摺り込んだもので、主に荒事役に用いる。はんぎれ。

  ※歌舞伎・男伊達初買曾我(1753)一「五郎時致、半切、小手、臑当」

  ④ (半桶・盤切) (たらい)の形をした、底の浅い桶(おけ)。はんぎりのおけ。はんぎれ。〔日葡辞書(160304)〕

  ⑤ =つりごし(釣輿)」

 

とある。この場合は④の桶のことか。海に沈む夕日が波を染めて行く様を、染色に用いる桶に喩える。

 

無季。「入り日」は天象。「そめ物屋」は人倫。

 

三十句目

 

   半切や入日をあらふそめ物屋

 上京(かみぎゃう)下京(しもぎゃう)しぐれふり(ゆく)       卜尺

 (半切や入日をあらふそめ物屋上京下京しぐれふり行)

 

 京は染物屋が多い。友禅は有名だ。

 時雨に濡れた紅葉の入日に輝く美しさは、和歌にも詠まれている。

 

 時雨降るみむらの山のもみぢ葉は

     誰がおりかけし錦なるらむ

              大江(おおえの)匡房(まさふさ)(新勅撰集)

 夕時雨雲の途絶えは日影にて

     錦をさらす峰のもみぢ葉

              飛鳥(あすか)()(まさ)(たか)(文保百首)

 

などがある。

 

季語は「しぐれ」で冬、降物。

 

三十一句目

 

   上京下京しぐれふり行

 ひかれ者()()(ごろも)高手小手(たかてこて)    在色

 (ひかれ者木の葉衣を高手小手上京下京しぐれふり行)

 

 ひかれ者は刑場に連れてかれる罪人で、高手小手は後ろ手に縛りあげることをいう。

 木の葉衣はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「木葉衣」の解説」に、

 

 「① 木の葉を編んで作った衣。仙人などの着る衣という。

  ※三人妻(1892)〈尾崎紅葉〉前「祖先建国の始末をおもひ、黒木の柱、木葉衣(コノハコロモ)、鳥獣の肉の摸傚(かた)にて行かば一入(ひとしほ)好かるべきに」

  ② 紅葉した木の葉が身に落ちかかるさまを衣服に見たてていう。このはぎぬ。《季・冬》

  ※謡曲・雨月(1470頃)「木の葉の雨の音づれに、老いの涙もいと深き、心を染めて色々の、木の葉衣の袖の上」

 

とある。②の意味で前句の「時雨」を受ける。

 

季語は「木の葉衣」で冬、植物、木類、衣裳。

 

三十二句目

 

   ひかれ者木の葉衣を高手小手

 神農(しんのう)のすゑ似せくすりうり     一朝

 (ひかれ者木の葉衣を高手小手神農のすゑ似せくすりうり)

 

 捕まったのは偽物の薬売りだった。木の葉衣に仙人の衣の意味もあるので「神農」が付く。

 

無季。「くすりうり」は人倫。

 

三十三句目

 

   神農のすゑ似せくすりうり

 なで(つけ)(ひたひ)を見ればこぶ二つ    一鉄

 (なで付の額を見ればこぶ二つ神農のすゑ似せくすりうり)

 

 撫で付け髪という(まげ)を結わずに油で撫でつけただけのオールバックのような髪型は、儒者や神官などに多かった。この頃の医者は僧形が普通だった。

 神農の頭には二つの小さな瘤のような角があるが、これは偽神農。

 

無季。

 

三十四句目

 

   なで付の額を見ればこぶ二つ

 鬼が嶋よりやはら一流        雪柴

 (なで付の額を見ればこぶ二つ鬼が嶋よりやはら一流)

 

 前句の撫で付け髪を柔術の達人とする。修行の時にできたのか、額に瘤が二つあるが、それがまるで鬼のようだ。

 

無季。

 

三十五句目

 

   鬼が嶋よりやはら一流

 辻喧嘩(げんくわ)度々(どど)(ちん)西(ぜい)八郎兵衛     松意

 (辻喧嘩度々に鎮西八郎兵衛鬼が嶋よりやはら一流)

 

 鎮西八郎は源為朝のことで、ウィキペディアに、

 

 「源 為朝(みなもと ためとも、旧字体:爲朝)は、平安時代末期の武将。源為義の八男。母は摂津国江口(現・大阪市東淀川区江口)の遊女。源頼朝、義経兄弟の叔父にあたる。

 『保元物語』によると、身長2mを超える巨体のうえ気性が荒く、また剛弓の使い手で、剛勇無双を謳われた。生まれつき乱暴者で父の為義に持てあまされ、九州に追放されたが手下を集めて暴れまわり、一帯を制覇して鎮西八郎を名乗る。」

 

とある。

 ここではオリジナルではなく、江戸時代の巷の鎮西八郎のような奴という意味で鎮西八郎兵衛になる。

 延宝六年の「さぞな都」の巻八十句目でも、

 

   熊坂も中間霞引つれて

 山又山や三国の九郎助      信徳

 

の句があり、源九郎義経を江戸時代設定に直して九郎助にしている。

 

無季。

 

三十六句目

 

   辻喧嘩度々に鎮西八郎兵衛

 公儀の御たづね()千里(せんり)の月     志計

 (辻喧嘩度々に鎮西八郎兵衛公儀の御たづね二千里の月)

 

 お尋ね者になって捕まり、流罪になって二千里の彼方で月を見る。

 二千里の月は白楽天の、

 

   八月十五日夜、禁中独直、対月憶元九 白居易

 銀台金闕夕沈沈 独宿相思在翰林

 三五夜中新月色 二千里外故人心

 渚宮東面煙波冷 浴殿西頭鐘漏深

 猶恐清光不同見 江陵卑湿足秋陰

 

の詩による。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

二裏

三十七句目

 

   公儀の御たづね二千里の月

 廻状(くわいじゃう)初雁(はつかり)(がね)のあととめて     卜尺

 (廻状に初雁金のあととめて公儀の御たづね二千里の月)

 

 雁金と借り金を掛けるのはお約束といったところか。

 廻状(くわいじゃう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「回状・廻状」の解説」に、

 

 「① =かいぶん(回文)①

  ※東寺百合文書‐ち・永享九年(1437)四月四日・二十一口方評定引付「去年三月廿一日灌頂院御影供廻状、仏土院被載了」

  ② ある事柄を知らせるため、必要な所に配布される書状や書類。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「公儀の御たづね二千里の月〈志計〉 廻状に初雁金のあととめて〈卜尺〉」

  ③ 特に江戸時代に、領主が村々へ年貢取立て、夫役などの用件を通達するための書状。各村の名主(なぬし)はそれに判を押して次の村へ渡し、最後の村(留り村)から発行者(代官所)へもどす。また、村方が独自に出す場合もある。〔島田駿司家所蔵文書‐嘉永六年(1853)四月二五日・館山四ケ浦廻状〕」

 

とある。借金のトラブルでお尋ね者になったようだ。

 

季語は「初雁金」で秋、鳥類。

 

三十八句目

 

   廻状に初雁金のあととめて

 明後(みゃうご)夕がた雲霧の空        正友

 (廻状に初雁金のあととめて明後夕がた雲霧の空)

 

 前句の廻状を③の意味に取り成して、取り立ての連絡を債権者の間で回覧する。

 

季語は「雲霧」で秋、聳物。

 

三十九句目

 

   明後夕がた雲霧の空

 引入(ひきいれ)は山の腰もとがつてんか    一朝

 (引入は山の腰もとがつてんか明後夕がた雲霧の空)

 

 引入(ひきいれ)はここでは手引きのこと。腰元は雑用女のことで、そこのところ夜這いを掛けるのに手引きしてくれ、合点か?と手引きを頼む。

 

無季。恋。「山」は山類。「腰もと」は人倫。

 

四十句目

 

   引入は山の腰もとがつてんか

 (なみだ)の滝の水くらはせう       松臼

 (引入は山の腰もとがつてんか泪の滝の水くらはせう)

 

 どうやって腰元を口説くのかと思ったら、泣き落としか。

 泪の滝は、

 

   仁和のみかとみこにおはしましける時に、

   ふるのたき御覧しにおはしましてかへりたまひけるによめる

 飽かずして別るる涙滝にそふ

     水まさるとやしもは見るらむ

              (けん)(げい)法師(ほうし)(古今集)

 恋わびて一人伏屋によもすがら

     落つる涙や音なしの滝

              藤原(ふじわらの)(とし)(ただ)(詞花集)

 

の歌がある。

 

無季。恋。「滝」は山類。

 

四十一句目

 

   泪の滝の水くらはせう

 (まち)ぶせやおもひの淵へ後から    雪柴

 (待ぶせやおもひの淵へ後から泪の滝の水くらはせう)

 

 泪の滝に後ろから押して落してやろうかと待っている。通って来る不実な男を懲らしめてやろうということか。どれだけお前のせいでうちの娘が泣いたと思ってるんだ、という感じで。

 

無季。恋。「淵」は水辺。

 

四十二句目

 

   待ぶせやおもひの淵へ後から

 いかに前髪()(きょう)さばくな      在色

 (待ぶせやおもひの淵へ後からいかに前髪比興さばくな)

 

 前髪は月代(さかやき)を剃ってないということで稚児や若衆の意味になる。男色の対象。

 ()(きょう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「比興」の解説」に、

 

 「[] (「ひきょ(非拠)」の変化した語。一説に「ひきょう(非興)」とも)

  ① 非理。不合理。また、不都合なこと。

  ※古今著聞集(1254)一一「あまりに供米不法に候て、実の物は入候はで、糟糠のみ入てかろく候故に、辻風に吹上られしを、〈略〉比興の事なりとて、それより供米の沙汰きびしくなりて」

  ② いやしいこと。つまらないこと。とるに足りないこと。そまつなこと。また、そのさま。

  ※異制庭訓往来(14C中)「只当世様。以二珍躰一為二風情一。以二淳朴一為二比興之義一」

  ※史記抄(1477)一五「かかる比興なる者を称挙して其任に、不称者をは、挙たる人を罰せんなり」

  ③ あさましいこと。みっともないこと。また、そのさま。

  ※今川大双紙(15C前)躾式法事「武士の人は、〈略〉臭きもひけふ也」

  ④ =ひきょう(卑怯)

  ※浄瑠璃・平仮名盛衰記(1739)三「ヤア比興(ヒケウ)なり松右ヱ門」

 

とある。

 「比興さばくな」は卑怯なことをするなという意味。

 待ち伏せして恋の淵に突き落とそうなどと、何て卑怯な。いいか絶対に押すなよ‥‥。

 

無季。

 

四十三句目

 

   いかに前髪比興さばくな

 御恩賞今つづまりて九寸五分   志計

 (御恩賞今つづまりて九寸五分いかに前髪比興さばくな)

 

 恩賞はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「恩賞」の解説」に、

 

 「① 功労を賞して、主君が家臣に官位、所領、物品、税の徴収権などを与えること。また、そのもの。

  ※続日本紀‐神護景雲二年(768)九月辛巳「長谷部文選授二少初位上一。賜二正税五百束一。又父子之際。因心天性。恩賞所レ被事須二同沐一」 〔後漢書‐彭寵伝〕

  ② 恩恵。神の恵み。また一般に、世話を受けた恩。

  ※天草本伊曾保(1593)鳩と蟻の事「カノ アリ タダイマノ vonxǒuo(ヲンシャウヲ) ホウジョウズルト ヲモウタカ」

  ③ 世話になった恩を返すこと。恩返し。報恩。

  ※説経節・をくり(御物絵巻)(17C中)一四「この御おんしゃうの御ために、これまで、御れいにまいりて、御ざあるぞ」

 

とある。

 恩をあだで返すような悪事をしでかしたのだろう。九寸五分は切腹をするときの短刀の長さ。

 

無季。

 

四十四句目

 

   御恩賞今つづまりて九寸五分

 隠居このかた(じっ)(とく)の袖       一鉄

 (御恩賞今つづまりて九寸五分隠居このかた十徳の袖)

 

 (じっ)(とく)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「十徳」の解説」に、

 

 「① 一〇種類の徳。また、多くの徳。

  ※十訓抄(1252)一「俊頼朝臣は十徳なからん人は判者にあたはずとぞかかれける」

  ② 室町時代の脇縫いの小素襖(こすおう)の通称。四幅袴(よのばかま)とあわせて用い、将軍供奉の走衆以下の召具(めしぐ)が着用した。また、江戸時代の儒者・医者・俳諧師・絵師などの外出着。道服の一種で、黒紗の類で仕立てるのを例とした。

  ※教言卿記‐応永一三年(1406)一〇月一九日「倉部十徳之体、当世之風体云々。重能・資能同体也」

 

とある。ここでは②の後半の御隠居さんが着るような外出着で、昔は御恩賞の長刀を差していたが、いまはそれが縮まって九寸五分の短刀を持ち歩いている。

 

無季。「袖」は衣裳。

 

四十五句目

 

   隠居このかた十徳の袖

 貝がらの内をたのしむ名膏(めいかう)あり   正友

 (貝がらの内をたのしむ名膏あり隠居このかた十徳の袖)

 

 膏薬は貝殻に入れて持ち歩いた。膏薬は傷薬などが多かった。

 

   半俗の膏薬入は懐に

 臼井の峠馬ぞかしこき      其角

 

の句が後の『嵯峨日記』にある。蝦蟇(がま)の油がよく知られている。延宝七年の「須磨ぞ秋」の巻九十七句目に、

 

   蝦蟇(がま)鉄拐(てつかい)や吐息つくらむ

 千年の膏薬既に和らぎて     桃青

 

の句もある。九十八句目に、

 

   千年の膏薬既に和らぎて

 折ふし松に藤の丸さく      桃青

 

とあるように、小田原の藤の丸という膏薬屋の膏薬も名膏だったようだ。

 もっとも、延宝六年の「さぞな都」の巻七十四句目、

 

   膏薬に木の実のうみや流覧(ながるらん)

 よこねをろしに谷深き月     信徳

 

のように「よこね」という梅毒のために腫れたリンパ節を抑える膏薬もあったようだ。

 

無季。

 

四十六句目

 

   貝がらの内をたのしむ名膏あり

 蒔絵(まきゑ)に見ゆる棚先(たなさき)の月       松意

 (貝がらの内をたのしむ名膏あり蒔絵に見ゆる棚先の月)

 

 貝殻の内側の真珠質はは螺鈿(らでん)細工(ざいく)に用いられる。貝殻に蒔絵を施すこともある。

 この場合は名膏の膏薬入れに蒔絵がしてあってそれを楽しんでたら、店先の月までが蒔絵に見えてくる、という意味であろう。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

四十七句目

 

   蒔絵に見ゆる棚先の月

 町人の(おごり)をなげく虫の声      松臼

 (町人の奢をなげく虫の声蒔絵に見ゆる棚先の月)

 

 町人の店先に蒔絵を施した豪華な調度が並び、贅沢だなあと虫が嘆く。

 

季語は「虫の声」で秋、虫類。「町人」は人倫。

 

四十八句目

 

   町人の奢をなげく虫の声

 庄屋九代のすへの(つゆ)(しも)        卜尺

 (町人の奢をなげく虫の声庄屋九代のすへの露霜)

 

 九代続いた庄屋もドラ息子の道楽で今は空家になって荒れ果てている。

 

季語は「露霜」で秋、降物。

 

四十九句目

 

   庄屋九代のすへの露霜

 花の木や(そもそも)これはさかい(ぐい)     在色

 (花の木や抑これはさかい杭庄屋九代のすへの露霜)

 

 荒れ果てた家に花といえば『伊勢物語』第四段の、

 

 「またの年の睦月に、梅の花盛りに、去年を恋ひて行て、立て見、ゐて見、見れど、去年に似るべくもあらず。うち泣て、あばらなる板敷に、月の傾くまで伏りて、去年を思ひ出て詠める。

 

 月やあらぬ春や昔の春ならぬ

     わが身ひとつはもとの身にして

 

と詠て、夜のほのぼのと明るに、泣く泣く帰りにけり。」

 

であろう。

 庄屋の境界の杭の代りに木を植えるということは、よくあったことなのだろうか。

 

季語は「花の木」で春、植物、木類。

 

五十句目

 

   花の木や抑これはさかい杭

 国まはりする春の山風        一朝

 (花の木や抑これはさかい杭国まはりする春の山風)

 

 「国まはり」は「国廻り派遣」のことか。ウィキペディアに、

 

 「元和元年1119日、徳川家康は武家諸法度・一国一城制が遵守されているかを確かめるために、3年に1度諸国の監察を行う「国廻り派遣」の方針を打ち出したが、会津地方への監察が1度行われたのみに終わった。8年後の元和9年(1623年)に、徳川秀忠は豊後国に配流された甥(娘婿)松平忠直の状況視察を目的として「国目付」を派遣しているが、これも「国廻り派遣」の1種であった。本格的な派遣再開は徳川家光が親政を始めて1年後の寛永1016日(1633年)に慶長日本図の校訂を理由として「国廻り派遣」を行うことを決め、28日に、小出吉親・市橋長政・溝口善勝・小出三尹・桑山一直・分部光信の6名の譜代大名格を正使として各地に派遣したのが最初とされている。この際には副使として使番・小姓組あるいは書院番に属する旗本からそれぞれ1名ずつが付けられた。彼らは地図の校訂を行うと同時に当時既に構想されていた参勤交代実施時の大名行列のルートを確認する意図があったとされている。

 その後、再びこの制は途絶えていたが、徳川家綱の代に入った寛文445日に全ての大名に対して領知朱印状が交付され(寛文印知)、同年に宗門改が全ての領主に対して義務付けられた。それらの実施状況を確かめる事を名目として寛文7年閏218日に諸国巡見使の制が導入されたのである。」

 

とある。国と国との境の境杭がなくて、この花の木が境杭の代りだと説明する。

 

季語は「春」で春。旅体。「山風」は山類。

三表

五十一句目

 

   国まはりする春の山風

 鶯や小首をひねる歌まくら    一朝

 (鶯や小首をひねる歌まくら国まはりする春の山風)

 

 前句の「国まはり」を歌枕を尋ねる諸国漫遊とし、春の鶯に首をひねって和歌を案じる。

 鶯の歌枕というと、

 

 花の散ることやわびしき春霞

     たつたの山のうくひすの声

              藤原後(ふじわらののち)(かげ)(古今集)

 

の龍田山か、

 

 鶯のなくにつけてや真金吹く

     吉備の中山春を知るらむ

              藤原(ふじわらの)(あき)(すえ)(金葉集)

 

の吉備の中山か。

 春の山風に鶯は、

 

 谷川のうち出る波も声立てつ

     鶯さそへ春の山風

              藤原家(ふじわらのいえ)(たか)(新古今集)

 

の縁になる。

 

季語は「鶯」で春、鳥類。

 

五十二句目

 

   鶯や小首をひねる歌まくら

 かうしてどうして雪のむら(ぎえ)    雪柴

 (鶯や小首をひねる歌まくらかうしてどうして雪のむら消)

 

 「雪のむら消」も和歌の言葉で、

 

 こりつめて真木の炭焼くけをぬるみ

     大原山の雪のむら消え

              和泉式部(いずみしきぶ)(後拾遺集)

 薄く濃き野辺の緑の若草に

     跡まで見ゆる雪のむら消え

              ()鳥羽院(とばいんの)宮内(くない)(きょう)(新古今集)

 

などの歌に詠まれている。

 雪のむら消えは人がそこを通ったから、というのが多い。ただ、誰が何のためにというのがわからないと悩んでしまう。

 

季語は「雪のむら消」で春。

 

五十三句目

 

   かうしてどうして雪のむら消

 むかふからうつてかからば(とぶ)火野(ひの)に 松意

 (むかふからうつてかからば飛火野にかうしてどうして雪のむら消)

 

 (とぶ)火野(ひの)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「飛火野」の解説」に、

 

 「奈良市東部、春日山のふもと、春日野の一部。また、春日野の別称。元明天皇のころに烽火台が置かれたところから名づけられた。とびひの。

  ※枕(10C終)一六九「野は嵯峨野さらなり。印南野。交野。駒野。とぶひの」

 

とある。ここでは飛ぶ火の粉に掛けて、ふりかかる火の粉は払わねばならないとする。そのせいで雪がむら消えになった。

 飛火野の雪のむら消えは、

 

 若菜摘む袖とぞ見ゆる春日野の

     飛火の野辺の雪のむら消え

              藤原(ふじわらの)(のり)(なが)(新古今集)

 

の歌がある。

 

無季。「飛火野」は名所。

 

五十四句目

 

   むかふからうつてかからば飛火野に

 ()(がひ)の山の天狗そこのけ      志計

 (むかふからうつてかからば飛火野に羽買の山の天狗そこのけ)

 

 ()(がひ)の山はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「羽買之山・羽易之山」の解説」に、

 

 「[] 奈良市の春日山の北側に連なる若草山のこととも、また西側に連なる三笠山、南側に連なる高円山、それに若草山を加えた三山のことともいわれるなど、諸説がある。

  ※万葉(8C後)一〇・一八二七「春日なる羽買之山(はがひのやま)ゆ佐保の内へ鳴き行くなるは誰れ呼子鳥」

  [] 奈良県桜井市穴師にある巻向山につづく龍王山か。

  ※万葉(8C後)二・二一〇「大鳥の羽易乃山(はかひノやま)に吾が恋ふる妹はいますと人の言へば」

 

とある。

 前句の「うつてかからば」を天狗の襲撃とする。

 羽買の山は、

 

 春日なる羽買の山にさほのうちへ

     なきゆくなるは誰よぶこどり

              柿本人麻呂(夫木抄)

 はらひかね浮寝にたへぬ水鳥の

     はかひの山も霜やおくらむ

              衣笠家(きぬがさいえ)(よし)(続後撰集)

 

などの歌に詠まれている。

 

無季。「羽買の山」は名所、山類。

 

五十五句目

 

   羽買の山の天狗そこのけ

 八重の雲見通すやうな占算(うらやさん)     卜尺

 (八重の雲見通すやうな占算羽買の山の天狗そこのけ)

 

 占算(うらやさん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「占屋算」の解説」に、

 

 「〘名〙 占い。とくに、売卜者(ばいぼくしゃ)が算木と筮竹(ぜいちく)とを使って行なう占い。また、それを業とする者。占い者。易者。うらないさん。うらやふみ。うらおき。

  ※玉塵抄(1563)一三「人のしらぬことをうらや算をおいてしるぞ」

 

とある。八重雲は「学研全訳古語辞典」に、

 

 「幾重にも重なってわき立つ雲。八重棚雲(たなぐも)。

  出典源氏物語 橋姫

  「峰のやへぐも、思ひやる隔て多く、あはれなるに」

  [] 山の峰の幾重にも重なってわき立つ雲のように、思いをはせるにも障害が多く悲しいのに。」

 

とある。

 

 白雲の八重に重なるをちにても

     おもはむ人に心へだつな

              紀貫之(きのつらゆき)(古今集)

 

など歌にも詠まれている。

 前句の「そこのけ」を、「そこを退け」の意味ではなく天狗をも凌ぐ「天狗そこのけ」の意味に取り成す。

 

無季。「雲」は聳物。

 

五十六句目

 

   八重の雲見通すやうな占算

 乙女が縁組しばしとどめん     正友

 (八重の雲見通すやうな占算乙女が縁組しばしとどめん)

 

 乙女の姿を引き留めるのではなく、縁談をやめろと占い師が言う。

 

 天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ

     乙女の姿しばしとどめむ

              僧正(そうじょう)遍照(へんじょう)(古今集)

 

による。

 

無季。恋。「乙女」は人倫。

 

五十七句目

 

   乙女が縁組しばしとどめん

 色好みしかも漁父にて大上戸(おほじゃうご)    在色

 (色好みしかも漁父にて大上戸乙女が縁組しばしとどめん)

 

 色好みでは浮気しそうだし、漁父では生活が不安定だし、それで大酒飲みでは良い所がない。この縁談は×。でもこういうのに限って長身のイケメンだったりする。

 

無季。恋。「漁父」は人倫。

 

五十八句目

 

   色好みしかも漁父にて大上戸

 よだれをながすなみだ幾度(いくたび)     松臼

 (色好みしかも漁父にて大上戸よだれをながすなみだ幾度)

 

 色好みなら女と見ればよだれを垂らしそうだ。その上大酒飲みなら酔っ払ってよだれを垂らす。

 

無季。恋。

 

五十九句目

 

   よだれをながすなみだ幾度

 肉食(にくじき)に牛も命やおしからん     一朝

 (肉食に牛も命やおしからんよだれをながすなみだ幾度)

 

 牛はよだれを垂らすものだが、食われるとなると涙を流す。

 冬の薬食いはシカやイノシシのような野生動物の肉を食うことが多かったが、貧しい人は犬を食ったともいう。家畜の牛が食われることもあったのだろう。まあ、桜肉ということばもあって、馬肉も食ってたようだし。屠殺場に行く牛は涙を流すという。

 

無季。「牛」は獣類。

 

六十句目

 

   肉食に牛も命やおしからん

 はるかあつちの人の世中(よのなか)      一鉄

 (肉食に牛も命やおしからんはるかあつちの人の世中)

 

 日本人は薬食いなどの特別な時くらいしか獣肉を食わないが、朝鮮(チョソン)でも清国でも南蛮でも肉を常食する。

 

無季。「人」は人倫。

 

六十一句目

 

   はるかあつちの人の世中

 祖父(ぢぢ)(うば)同じ(うてな)念仏講(ねぶつかう)      雪柴

 (祖父と姥同じ台の念仏講はるかあつちの人の世中)

 

 今は亡き祖父と姥はあっちの世界でも愛し合っているのだろうか。「世中(よのなか)」には男女の仲の意味もある。

 

無季。釈教。「祖父」「姥」は人倫。

 

六十二句目

 

   祖父と姥同じ台の念仏講

 つらぬく銭の高砂(たかさご)の松       松意

 (祖父と姥同じ台の念仏講つらぬく銭の高砂の松)

 

 爺様と婆様でお目出度いということで、高砂の松にお賽銭をする。

 

無季。「高砂の松」は名所、植物、木類。

 

六十三句目

 

   つらぬく銭の高砂の松

 秋の月外山(とやま)(いで)て宮一つ      志計

 (秋の月外山を出て宮一つつらぬく銭の高砂の松)

 

 播磨の尾上の松が難波住吉神社の高砂の松に逢いに行くのが、謡曲『高砂(たかさご)』だが、今なら銭があれば誰でも行ける。

 

 「遠き住の江高砂の、(うら)山国(やまくに)を隔てて住むと、いふはいかなる事やらん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.1786-1788). Yamatouta e books. Kindle .

 

の一節がある。

 

季語は「秋の月」で秋、夜分、天象。神祇。「外山」は山類。

 

六十四句目

 

   秋の月外山を出て宮一つ

 狐(とび)こすあとの夕露        卜尺

 (秋の月外山を出て宮一つ狐飛こすあとの夕露)

 

 山を出た狐の宮といえばお稲荷さん。秋の月に夕露が付く。

 

 秋の月篠に宿かるかげたけて

     小笹が原に露ふけにけり

              (みなもとの)家長(いえなが)(新古今集)

 袖の上に露置きそめし夕べより

     なれていく夜の秋の月影

              (しん)(しょう)法師(ほうし)(新勅撰集)

 

などの歌がある。

 

季語は「夕露」で秋、降物。「狐」は獣類。

三裏

六十五句目

 

   狐飛こすあとの夕露

 かうばしう(ここ)に何やら野べの色   正友

 (かうばしう爰に何やら野べの色狐飛こすあとの夕露)

 

 秋も深まると草も枯れて、野辺も油揚げの色になる。

 

季語は「野べの色」で秋。

 

六十六句目

 

   かうばしう爰に何やら野べの色

 柴の折戸(をりど)にすりこぎの音      在色

 (かうばしう爰に何やら野べの色柴の折戸にすりこぎの音)

 

 野辺に立つ草庵からは擂鉢(すりばち)で何かを擂る香ばしい香りがする。

 

無季。「柴の折戸」は居所。

 

六十七句目

 

   柴の折戸にすりこぎの音

 去間(さるあひだ)ひとり坊主(ぼっち)の朝ぼらけ     松臼

 (去間ひとり坊主の朝ぼらけ柴の折戸にすりこぎの音)

 

 「坊主」は「ぼつち」とルビがある。出家したばかりの坊主を新発意(しんぼち、しんぼっち)というからか。今日でいう「ぼっち」も漢字を充てると坊主か発意になるのか。まあ世俗を断ってはいるが。

 去る間というから、一時的に小坊主が一人で留守番して、その時は朝寝していたが、主人が帰って来たので今日からまた早朝の擂粉木(すりこぎ)が復活した。

 

無季。

 

六十八句目

 

   去間ひとり坊主の朝ぼらけ

 いやいや舟にはあとのしら波    一朝

 (去間ひとり坊主の朝ぼらけいやいや舟にはあとのしら波)

 

 『西行物語』の渡し舟に乗ってた西行が、あとからやって来た武士たちが来た時に船がもう満員だったため、あの「法師降りよ」としたたか打ち据えられて船から降ろされてしまう場面だろう。

 いやいやひどい目にあった。

 

 世の中をなににたとへむ朝ぼらけ

     漕ぎゆく舟のあとのしら浪

              ()(みの)満誓(まんぜい)(拾遺集)

 

による。

 

無季。「舟」「しら波」は水辺。

 

六十九句目

 

   いやいや舟にはあとのしら波

 (かは)(ぶくろ)たしか桑名の(とまり)まで      一鉄

 (革袋たしか桑名の泊までいやいや舟にはあとのしら波)

 

 東海道の七里の渡しは宮(熱田)と桑名を結ぶ。

 銭を入れた革袋は確か桑名を出た時にはあったんだが、船で居眠りしている間にすられたか。気付いた時にはあとの白波。

 

無季。旅体。

 

七十句目

 

   革袋たしか桑名の泊まで

 古がねを買ふなみ松の声      雪柴

 (革袋たしか桑名の泊まで古がねを買ふなみ松の声)

 

 なみ松は松並木で街道には付き物。

 古がねはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「古鉄・古金」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「ふるかね」とも)

  ① 金属器具の使いふるしたもの。または、その破片など。

  ※本福寺跡書(1560頃)大宮参詣に道幸〈略〉夢相之事「かぢやはかじとしにかま・なた・ふるかねをやすやすとうるをかいとめ」

  ※日葡辞書(160304)「Furucaneuo(フルカネヲ) ヲロス」

  ② 「ふるがねかい(古鉄買)」の略。

  ※俳諧・桃青三百韻附両吟二百韻(1678)「釘五六舛こけらもる月〈信章〉 ふる里のふるかねの声花散て〈芭蕉〉」

 

とある。②の意味で「なみ松の古がねを買ふ声」の倒置であろう。街道に古金買がいて、財布を無くした旅人が旅刀を売ってその場をしのぐ。辞書の例文は延宝四年の「梅の風」の巻二十一句目。

 

無季。「松」は植物、木類。

 

七十一句目

 

   古がねを買ふなみ松の声

 焼亡(ぜうまう)(かた)山里(やまざと)にきのふの雲     松意

 (焼亡は片山里にきのふの雲古がねを買ふなみ松の声)

 

 焼亡(ぜうまう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「焼亡」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「もう」は「亡」の呉音。古くは「じょうもう」)

  ① (━する) 建造物などが焼けてなくなること。焼けうせること。焼失。しょうぼう。

  ※田氏家集(892頃)中・奉答視草両児詩「勝家焼亡曾不レ日、良医傾没即非レ時」

  ② 火事。火災。しょうぼう。

  ※権記‐長保三年(1001)九月一四日「及二深更一、西方有二焼亡一」

  ※日葡辞書(160304)「Iômǒno(ジョウマウノ) ヨウジン セヨ」

  [語誌](1)「色葉字類抄」によると、清音であったと思われるが、「天草本平家」「日葡辞書」など、室町時代のキリシタン資料のローマ字本によると「ジョウマウ」と濁音である。

  (2)方言に「じょうもう」の変化形「じょーもん」があるところから、室町時代以降に口頭語としても広がりを見せたと思われる。」

 

とある。

 焼け出された家があれば、焼け残った金属製の物を買い取りに古金買がやってくる。

 「きのうの雲」は煙に通じる。

 

無季。「片山里」は居所、山類。「雲」は聳物。

 

七十二句目

 

   焼亡は片山里にきのふの雲

 (だご)にくみこむ滝の水上(みなかみ)       志計

 (焼亡は片山里にきのふの雲にくみこむ滝の水上)

 

 (だく)は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「餅米を煎って粉にした非常食。水で練って団子にする」とある。康煕(こうき)字典(じてん)には粉餌とあるから、本来は家畜の飼料だったのかもしれない。

 

無季。「滝」は山類。

 

七十三句目

 

   にくみこむ滝の水上

 そげ者はやせ馬(ひき)て帰る(なり)     卜尺

 (そげ者はやせ馬引て帰る也にくみこむ滝の水上)

 

 そげ者はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「削者」の解説」に、

 

 「〘名〙 かわりもの。変人。奇人。また、人をののしっていう語。そげ。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「にくみこむ滝の水上〈志計〉 そげ者はやせ馬引て帰る也〈卜尺〉」

  ※人情本・閑情末摘花(183941)一「アノ慈母(おふくろ)が思ひの外不通(そげ)もんででも有やせう」

 

とある。

 日ノ岡峠の義経蹴上水だろうか。義経がまだ牛若丸だった頃、金売(かねうり)(きち)()とともに奥州平泉に向かう時、京から山科へ行く日ノ岡峠の道ですれ違った平家武者の馬の跳ね上げた水がかかったということで喧嘩になり、切り捨てた後、峠の坂の上の方にあった清水で刀を洗ったという。

 

無季。「やせ馬」は獣類。

 

七十四句目

 

   そげ者はやせ馬引て帰る也

 談合(だんがふ)やぶる佐野(さの)の秋風     正友

 (そげ者はやせ馬引て帰る也談合やぶる佐野の秋風)

 

 痩せ馬に佐野といえば「いざ鎌倉」の佐野源左衛門で謡曲『(はち)(のき)』に登場する。

 ただ、ここでは約束と違って、鎌倉に駆けつけたけど何ももらえず、すごすごと帰って行く。物語は出来すぎで、現実はこんなもの。

 

季語は「秋風」で秋。「佐野」は名所。

 

七十五句目

 

   談合やぶる佐野の秋風

 ぬすまれぬかねこそひびけ月の下 在色

 (ぬすまれぬかねこそひびけ月の下談合やぶる佐野の秋風)

 

 盗まれた金と鐘の鳴るを掛けている。

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『船橋(ふなばし)』を引いている。

 

 「古き者の申したりし事を語つて聞かせ申し候べし。昔この所に住みし者、忍び妻にあくがれ、所は川を隔てたれば、()()く鐘を境にて、此の橋のほとりに()でたりしを、二親(ふたおや)深くこれを(いと)ひ、この橋の板を取り(はな)つ。それをば夢にも知らずして、かけて頼みし橋の上より、かつぱと落ちて(むな)しくなる。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.53615-53622). Yamatouta e books. Kindle .

 

 まあ、ストーカー退治の物語か。怨霊となったストーカーの魂を成仏させるというのは、この頃から江戸時代にかけての恋物語の一つのパターンでもある。「一心二河白道」もその一つ。

 

 かみつけぬ佐野の船橋とりはなし

     親はさくれどわはさかれがへ(万葉集巻十四 上野国歌)

 

が元になっている。

 句の方はそれを思い起こしつつも、約束と違って騙されて金を盗まれた話に作り替える。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

七十六句目

 

   ぬすまれぬかねこそひびけ月の下

 目ざとく見えてうつから(ごろも)     松臼

 (ぬすまれぬかねこそひびけ月の下目ざとく見えてうつから衣)

 

 眠れなくて夜中に唐衣を打っていたから、泥棒に入られなくて済んだ。

 月に衣打つは、

 

   子夜呉歌       李白

 長安一片月 萬戸擣衣声

 秋風吹不尽 総是玉関情

 何日平胡虜 良人罷遠征

 

 長安のひとひらの月に、どこの家からも衣を打つ音。

 秋風は止むことなく、どれも西域の入口の玉門関(ぎょくもんかん)の心。

 いつになったら胡人のやつらを平らげて、あの人が遠征から帰るのよ。

 

による。

 

季語は「うつから衣」で秋、衣裳。

 

七十七句目

 

   目ざとく見えてうつから衣

 花は根に夫はいまだ旅の空     雪柴

 (花は根に夫はいまだ旅の空目ざとく見えてうつから衣)

 

 李白の「子夜呉歌」が三句にまたがってしまう形だが、一応「花は根に」とすることで、

 

 花は根に鳥は古巣にかへるなり

     春のとまりをしる人ぞなき

              ()徳院(とくいん)(千載集)

 

を逃げ歌にする。

 

季語は「花」で春、植物、木類。恋。「夫」は人倫。

 

七十八句目

 

   花は根に夫はいまだ旅の空

 思ひは石のつばくらのこゑ      一鉄

 (花は根に夫はいまだ旅の空思ひは石のつばくらのこゑ)

 

 燕は岩に巣を掛ける。今は建物の軒や橋の下などにもよく見られる。元は岩場に巣を掛けていた習性による。

 雛が親鳥の帰りを待って鳴いているように、旅に出た夫の帰りを待つ。

 

季語は「つばくら」で春、鳥類。恋。

名残表

七十九句目

 

   思ひは石のつばくらのこゑ

 春雨やなみだ等分手水(てうづ)(ばち)      一朝

 (春雨やなみだ等分手水鉢思ひは石のつばくらのこゑ)

 

 亡き夫を偲ぶ体であろう。軒先で燕の子が鳴くように、悲しい思いをしてるけど、あなたもあの世で私と同じように悲しんでくれてることでしょう。

 

季語は「春雨」で春、降物。恋。

 

八十句目

 

   春雨やなみだ等分手水鉢

 (いち)()何とぞ神ならば神       松意

 (春雨やなみだ等分手水鉢一儀何とぞ神ならば神)

 

 (いち)()はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「一儀」の解説」に、

 

 「① 一つの事柄。一件。話題とする事柄をさしていう。あの事。

  ※高野山文書‐(文祿元年)(1592)七月二三日・島田大蔵清堅・明知坊宗照連署状「仍木上様と御衆徒中、御一儀に付て、帥法へ御懇書」

  ※人情本・貞操婦女八賢誌(183448頃)五「妹に愛溺(あま)き此姉が、願ひは只此一義(イチギ)のみ」 〔淮南子‐斉俗訓〕

  ② いささかの気持。寸志。

  ※上杉家文書‐(永正一七年)(1520)二月二三日・毛利広春書状「抑太刀一腰令レ進候、誠表二一儀一計候」

  ③ 特に男女、または男色の交接のことをさしていう。

  ※仮名草子・犬枕(1606頃)「嫌なる物、〈略〉いちぎ」

  ※咄本・昨日は今日の物語(161424頃)上「一ぎをするたびたびに女房にいふやうは」

 

とある。

 互いに苦しんでいる恋になにとぞ結ばれるようにと神に祈る。③の意味になるが、「なみだ等分」はこの文脈だと男色っぽい。

 

無季。神祇。恋。

 

八十一句目

 

   一儀何とぞ神ならば神

 (かたき)めを御䰗(みくじ)にまかせてくれう物   志計

 (敵めを御䰗にまかせてくれう物一儀何とぞ神ならば神)

 

 前句の「一儀」を単なる一件の意味に取り成す。仇討(あだうち)の祈願とする。

 「くれう物」はよくわからない。

 

無季。「敵」は人倫。

 

八十二句目

 

   敵めを御䰗にまかせてくれう物

 かけたてまつる四尺八寸      卜尺

 (敵めを御䰗にまかせてくれう物かけたてまつる四尺八寸)

 

 四尺八寸は約一四五センチ。日本刀の標準は二尺三寸くらいで四尺八寸はかなり長い。佐々木小次郎でも三尺余とされている。四尺八寸は当時の小柄な人の身長くらいあるから、普通なら後ろに背負っても抜くことが出来ない。よっぽどの巨漢か、そうでなければ儀式用か。

 

無季。

 

八十三句目

 

   かけたてまつる四尺八寸

 看板はいづれ(まなこ)のつけどころ    正友

 (看板はいづれ眼のつけどころかけたてまつる四尺八寸)

 

 前句の四尺八寸を大看板とした。

 江戸時代には近代のような巨大な看板はなかった。ただ、天和二年に贅沢な看板に対して禁令が出ているから、延宝の頃には看板は大きく豪華になる傾向があったのだろう。

 

無季。

 

八十四句目

 

   看板はいづれ眼のつけどころ

 用の事どもおこたるべからず    在色

 (看板はいづれ眼のつけどころ用の事どもおこたるべからず)

 

 看板に小便していく奴がいたのだろう。見張ってなくてはならない。

 

無季。

 

八十五句目

 

   用の事どもおこたるべからず

 (おき)頭巾(づきん)分別くさくまかり(いで)     松臼

 (置頭巾分別くさくまかり出用の事どもおこたるべからず)

 

 「置頭巾」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「置頭巾」の解説」に、

 

 「① 袱紗(ふくさ)のような布を畳み、深くかぶらないで頭にのせておく頭巾。

  ※俳諧・生玉万句(1673)「御免あれ赤地の錦の置頭巾〈均明〉 時雨のあめに染るひん髭〈流水〉」

  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)一「その時にあふて旦那様とよばれて、置頭巾(ヲキヅキン)・鐘木杖(しゅもくつへ)、替草履取るも」

  ② ①の形に似せて鉄板を張り合わせた兜の鉢の一種。」

 

とある。

 頭巾をいかにも偉そうに被って、仕事をサボってないかどうか見回りに来る奴っていたのだろう。

 

無季。「置頭巾」は衣裳。

 

八十六句目

 

   置頭巾分別くさくまかり出

 しもく杖にて馬場乗(ばばのり)を見る     雪柴

 (置頭巾分別くさくまかり出しもく杖にて馬場乗を見る)

 

 撞木(しゅもく)(づえ)は取っ手の処がT字になった杖。体重をかけやすいので年寄りがよく用いる。

 現役引退して、馬場に来ても馬に乗るのではなく、見るのが何よりの楽しみ。

 

無季。「馬」は獣類。

 

八十七句目

 

   しもく杖にて馬場乗を見る

 朝まだきうら門ひらく下屋敷   一鉄

 (朝まだきうら門ひらく下屋敷しもく杖にて馬場乗を見る)

 

 下屋敷はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「下屋敷」の解説」に、

 

 「〘名〙 控えの屋敷。別邸。江戸時代には、大名や豪商の主人常住の上屋敷(かみやしき)に対していった。下館(しもやかた・したやかた)。したやしき。

  ※虎寛本狂言・花盗人(室町末‐近世初)「某此山影に下屋舗を持て御座るが」

 

とある。高田馬場の辺りに多かった。

 

無季。「下屋敷」は居所。

 

八十八句目

 

   朝まだきうら門ひらく下屋敷

 露と命はいづれ縄付(なはつき)        一朝

 (朝まだきうら門ひらく下屋敷露と命はいづれ縄付)

 

 お縄になった罪人は裏門からひっそりと連行されていく。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

八十九句目

 

   露と命はいづれ縄付

 観音の首より先に月おちて    松意

 (観音の首より先に月おちて露と命はいづれ縄付)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『(もり)(ひさ)』を引いている。

 観音の功徳によって死刑を免れた平盛久は明け方に処刑されることになったが、刀が折れてそれが観音の功徳だということで免れることになる。

 て留なので「露と命はいづれ縄付、観音の首より先に月おちて」と読む。捕らえられたが首より先に月が落ちて助かった、となる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。釈教。

 

九十句目

 

   観音の首より先に月おちて

 奉加(ほうが)すすむる荻の上風       志計

 (観音の首より先に月おちて奉加すすむる荻の上風)

 

 荒れ果てたお寺の野ざらしになった観音様に月が落ちる。寄付してお堂の再建をしなければと、荻の声がする。

 

季語は「荻」で秋、植物、草類。

 

九十一句目

 

   奉加すすむる荻の上風

 衣手(ころもで)が耳にはさみし筆津(ふでつ)(むし)     卜尺

 (衣手が耳にはさみし筆津虫奉加すすむる荻の上風)

 

 筆津(ふでつ)(むし)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「筆津虫」の解説」に、

 

 「〘名〙 昆虫「こおろぎ(蟋蟀)」の異名。《季・秋》

  ※古今打聞(1438頃)中「ふでつむしあきもいまはとあさちふにかたおろしなる声よわるなり 筆登虫は蛬を云也」

 

とある。

 最近はあまり見ないが、ちょっと前は耳に鉛筆を挟んでいる人がいたりした。昔は筆を耳に挟んでいたのだろう。奉加を勧める勧進僧が、すぐに奉加帳に書き込めるように耳に筆を挟んでやって来たのだろう。

 秋の草に鳴く虫は縁になる。

 

 虫の音も涙露けき夕暮れに

     訪ふ人とては荻の上風

              藤原家(ふじわらのいえ)(たか)壬二集(みにしゅう)

 

の歌がある。

 

季語は「筆津虫」で秋、虫類。

 

九十二句目

 

   衣手が耳にはさみし筆津虫

 名所旧跡とをざかりゆく      正友

 (衣手が耳にはさみし筆津虫名所旧跡とをざかりゆく)

 

 旅僧が歌を詠もうと思っているうちになにも思い浮かばず、名所旧跡も遠くなってゆく。

 

無季。

名残裏

九十三句目

 

   名所旧跡とをざかりゆく

 帆柱や八合もつてはしり舟    在色

 (帆柱や八合もつてはしり舟名所旧跡とをざかりゆく)

 

 合はいろいろなものの割合を示すのに用いられる。山での八合目のように。

 ここではコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「合」の解説」にある、

 

 「() 和船の帆を張る程度をいう。帆桁を八分に上げるのを八合といい、五分に上げるのを五合という。」

 

であろう。

 和船は帆桁(ブーム)が固定されてないため、帆桁の位置で帆の張り具合を調整する。また、帆桁を横に移動させることで、風上に行く時にはヨットのように縦帆にすることもできる。

 停船時には帆桁ごと帆を下ろしているため、出帆することを「帆を上げる」という。

 帆を八合に挙げている状態だと、かなりスピードが出る。

 

無季。「舟」は水辺。

 

九十四句目

 

   帆柱や八合もつてはしり舟

 すばる満時(まんどき)沖の汐さい      松臼

 (帆柱や八合もつてはしり舟すばる満時沖の汐さい)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注によると、「すばるまん時子(ね)八合」という諺があったという。ネット上を見ると「すばるまん時粉八合」という信州の諺があるらしい。子八合が元で粉八合は蕎麦作りに当てはめた派生形か。

 昴(すばる)はプレアデス星団のことで、東洋では二十八宿の一つで白虎七宿の中央に位置する。黄道上の最も北に位置するため、子の方角の八合という意味だったのだろう。

 昴が夕暮れに見えるのは冬で、その頃の満潮に船出する。

 

無季。「すばる」は夜分、天象。「沖の汐さい」は水辺。

 

九十五句目

 

   すばる満時沖の汐さい

 (ひさ)(かた)天地(てんち)同根(どうこん)網の魚       雪柴

 (久堅の天地同根網の魚すばる満時沖の汐さい)

 

 「天地与我同根、万物与我一体」は『(へき)巌録(がんろく)』の雪竇(せっちょう)禅師の言葉だという。梵我一如の境地を言う。

 どの魚もみな一つということで、一網打尽にする。

 

無季。

 

九十六句目

 

   久堅の天地同根網の魚

 七歩(しちほ)のうちにたつ(いわし)(ぐも)      一鉄

 (久堅の天地同根網の魚七歩のうちにたつ鰯雲)

 

 天地同根ということで、海には鰯が網にかかり、空には鰯雲が出る。

 お釈迦さまは生まれてすぐに七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言ったという。海の鰯と空の鰯雲を指し示して唯我独尊というところか。

 

無季。「鰯雲」は聳物。

 

九十七句目

 

   七歩のうちにたつ鰯雲

 棒手(ばうて)ぶりそのままそこに卒中風(そっちうぶ)   一朝

 (棒手ぶりそのままそこに卒中風七歩のうちにたつ鰯雲)

 

 棒手ぶりはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「棒手振」の解説」に、

 

 「〘名〙 魚、青物などを天秤棒(てんびんぼう)でかついで、振売りすること。また、その商人。ふりうり。ぼてふり。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「七歩のうちにたつ鰯雲〈一鉄〉 棒手ふりそのままそこに卒中風〈一朝〉」

 

とある。

 卒中風は脳卒中で、魚屋が魚を担いで七歩もあるかないうちに脳卒中で倒れた。魚屋だけに紫雲(しうん)ではなく鰯雲が天から御迎えに来る。

 

無季。無常。「棒手ぶり」は人倫。

 

九十八句目

 

   棒手ぶりそのままそこに卒中風

 家主所謂(いはゆる)大法(よつ)あり        松意

 (棒手ぶりそのままそこに卒中風家主所謂大法四あり)

 

 「大法(よつ)あり」は四箇の大法のことか。()盛光法(じょうこうほう)七仏(しちぶつ)薬師法(やくしほう)()(げん)延命法(えんめいほう)安鎮法(あんちんほう)の四つで、かつて宮廷で行われたという。

 前句の脳卒中で倒れた人の蘇生祈願であろう。魚屋の家主の家に伝わる方式がある。

 

無季。「家主」は人倫。

 

九十九句目

 

   家主所謂大法四あり

 一町(いっちゃう)公事(くじ)あひ(なかば)(ちり)て      志計

 (一町の公事あひ半花散て家主所謂大法四あり)

 

 一町は十反で約1ヘクタールになる。この広さの田んぼの所有権を争って公事(訴訟)が長引き、桜の花の散る苗代の季節になる。このままでは田植ができなくなり、困ったものだ。『春の日』の「雁がねも」の巻三十一句目にも、

 

   砧も遠く鞍にいねぶり

 秋の田のからせぬ公事の長びきて 越人

 

の句があり、裁判の長さは今も昔も変わらなかったようだ。

 前句の「大法四」を法律が多くてややこしいという意味に取り成したか。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   一町の公事あひ半花散て

 証拠正しきうぐひすの声       正友

 (一町の公事あひ半花散て証拠正しきうぐひすの声)

 

 和歌では鶯が鳴くと花が散ると言われた。

 

 鶯のなく野辺ごとに来て見れば

     うつろふ花に風ぞふきける

              よみ人しらず(古今集)

 吹く風を鳴きてうらみよ鶯は

     我やは花に手だにふれたる

              よみ人しらず(古今集)

 

 そこから鶯の羽が風を起こして花を散らせているのではないかという嫌疑が掛けられる。

 

 こづたへばおのが羽風に散る花を

     誰におほせてここら鳴くらむ

              素性(そせい)法師(ほうし)(古今集)

 

 それに対して、

 

 しるしなき音をも鳴くかな鶯の

     ことしのみ散る花ならなくに

              (おおし)河内躬(こうちのみ)(つね)(古今集)

 

と、鶯が鳴こうが鳴くまいが毎年花は散っていると抗弁する。

 まあ、状況証拠だけで証拠不十分といった所だが、挙句の方は「証拠正しき」として結ぶ。まあ、裁判というのは時として不条理なものだ。

 

季語は「うぐひす」で春、鳥類。