二条院の東の院が完成し、花散る里と呼ばれた人を引っ越させました。
西の対との間に渡殿などを設け、執務室や家司の詰め所などの必要な施設を配置しました。
東の対は明石の人を住ませようと思ってとってあります。
北の対は特に広い場所を取って造営させ、ほんの仮初ににでも思いを寄せ、先々の面倒を見ようと約束した人たちを住ませるために、別々に住めるように設計したので、その細やかに配慮された建物の配置はなかなか興味深いものです。
中央の寝殿には誰も住まわせず、今の二条院から東の院に来る時の休息所にして、そのための設備を整えました。
明石との手紙のやり取りはあれからずっと続いていて、今は早く京に来るように言うのですが、明石の女はまだ自分の身分を気にして、
「皇族の人でさえ目を掛けておきながら、つれなく扱われていて悩んでるゆうし、私のような者が果たして覚えていてもらえるやら、わざわざその中に混ざろうなんてね。
この小さな子も隠しておかんと、身分の差が現れてしもうてもいややし。
たまにこっそりとやってきてくれるのを待つだけで、人に笑われて恥をかくんとちゃうか。」
とあれこれ悩んではいても、だからといって、生まれ育ったところで放置されてしまってもそれはもっと悲しいことなので、ひたすら文句も言わずに従うしかありません。
両親も、「まあ、それもそうやが」と頭を抱えて、なかなか悩みが尽きません。
昔、明石の母君の祖父に中務宮という人がいて、その所領が桂川の辺りにあって、その後特に引き継ぐ人もいなくて最近では荒れ放題になっているの思い出して、以前からその家の番をしていた人を呼び寄せて相談しました。
「宮中とさよならしてこんな片田舎の住まいに身を沈めていたが、この歳になって思いがけないことがあって都の住処があったらと思ったんやが、いきなり都人の中にというのも気後れするし、すっかり田舎者になってしもうたし、穏やかに過ごしたいとところなので、昔の所領を何てどうかと思った次第や。
それなりのものは与えよう。
修理などして形だけでも住めるように取り繕ってくれないかえ。」
と言います。
それを聞いて、
「最近はこの所領を治める者もなくて、とんでもないことになっているので、寝殿の後の下屋を修理して住んでますが、この春頃から内大臣の近くに御堂を建てていて、この辺りはかなり騒がしくなってます。
かなり荘厳な大伽藍を建てているので、大工や人足もたくさん動員されてます。
穏やかにとおっしゃるのならば、ちょっと違うと思いますが。」
すると母の尼君が、
「まあまあそれも、あのお殿様のおかげやし、当てにしていることもあるからねー。
家の中のことはそのうち何とかするから。
先ずは急いで大体の準備をしといてな。」
そう言うと、
「自分の所領ではありませんし、所領を受け継ぐ人もなかったので、ずっとひっそり暮らしてまして、長いこと人とも関わってません。
それで荘園の田畑はとにかく荒れ放題になってたので、今は亡き民部大輔の君に頼まれて、それなり物を作って献上している身なので、所領のように扱ってるんですがね。」
などと、その既得権を没収されると思ったか、髭ぼうぼうのただでさえ不愛想な顔で鼻などを真っ赤にしながらぶつくさ言うので、
「そんな田んぼのことなんて知らん。
今まで通りやったらええ。
権利書はうちらが持っているけど、とっくに世を捨てた身なので、長いこと見に行ったこともないので、そのことを今詳しく聞くことにしましょう。」
ということで、内大臣とのつながりなども仄めかせば、嫌そうな顔をしながらも、その後それなりのものを受け取って、急いで造営しました。
そんなことがあったなんて全然知らずに、上京することを渋っている理由が理解できないまま、
「自分の小さな娘にずっと田舎暮らしを強いたのでは、後の世の人たちがこの頃を言い伝えて、それこそ俺が悪いことになっちゃうじゃないか。」
と思ってたところ、工事が終わって「ここに所領があったことを思い出しました」と連絡してきます。
「宮中に来るのをずっと渋ってたのは、これがあったからか」と納得しました。
「なかなか隅に置けないもんだな」と思いました。
惟光の朝臣は例によってこうした隠密行動に駆り出される人なので、桂川の新居に使いにやり、いろいろな準備をさせました。
「なかなかいい眺めの所で、明石の海辺にも似た所があります。」
と聞くと、何だかこんな住まいに縁があるんだろうなと思いました。
源氏の君の造らせていた御堂は嵯峨天皇の離宮だった大覚寺の南の方で、滝殿なども名古曽の滝の趣向を取り入れ、それに劣らないほどのお寺になりました。
明石の屋敷は川に面した所で、なかなか立派な松の木の影に無造作に建てられたような簡素なもので、それが却って山里の物悲しげな雰囲気を漂わせています。
内部の設えは源氏の君が面倒を見ました。
親しい人たちを密かに明石へ迎えにやります。
明石の女はこれ以上拒むこともできないと思い、明石を離れようと思いますが、長年住んだ浦に別れを告げるとなると淋しくもあり、入道が一人寂しく居残ることを思うと迷いもあって、余計に悲しくなります。
何でまあ、こう、どれもこれも心配の種になってしまうのかと、なまじっかな情けの露なら、そういうののない人が羨ましく思えます。
入道も尼君もこうやってお迎えが来て上京してゆく幸運は、長年寝ても醒めても願い続けてきたことがかなったというので、大変うれしいことだったのですが、一緒に暮らせないことが気がかりでどうしようもなく悲しくて、夜も昼も気が抜けたみたいに、
「もうこの子の姿を見ることができなくなってしまう」
と何度も何度も言うのでした。
尼君もとても悲しそうです。
今までも入道とは同じ家に住まずに離れて暮らしていたので、これから誰を頼りに生きて行けばいいのか。
ただの浮気心で遊びの関係を結んだにしても、一度情が湧けば別れるのは簡単ではないというのに、まして夫は頭の中がすっかりねじ曲がっていて、心配ばかりかけて頼りないうえに、後生を願うばかりの、ここが終の棲家と余生を過ごすだけと思って今まで一緒に生きてきたのに、急に離れ離れというのも心細いものです。
今までどうなってしまうのかとやきもきしていた若い乳母や女房達も、嬉しくはあるけど、この浜辺からは離れがたくて、二度と帰ることもないかもしれないと、寄せ来る波のような悲しみに、ひそかに袖を濡らしてました。
頃合いもちょうど秋で、物悲しい上に物悲しくて、当日の明方には秋風が涼しく虫の声に急き立てられて、とりあえず海の方を見ていると、入道はいつものようにまだ真っ暗なうちから起きて、鼻をすすりながら朝のお勤めをしてました。
別れに涙は禁物とは言うけど、みんな堪えることができません。
赤ちゃんはとにもかくにも可愛らしくて、中国の伝説の夜でも光る玉のようで、袖の上に抱いたまま手放すことができず、まあいつものこととは思ってはいても、出家の身を恨めしく思うほどの危険なまでの孫煩悩に、この子をもう見ることができないなんてどうやって生きて行けばいいのかと、その思いを隠すことができません。
「行き先ははるか遠くと別れるに
年寄りの涙はこらえきれない
おう、危ない危ない。」
と歌うと、涙を押し拭って隠します。
尼君も、
「一緒にと都を出たのに今一人
野中の道は不安ですわね」
夫婦の契りを交わして長年寄り添ってきたその年月を思えば、どうなるともわからない話に、捨てたはずの世間に戻っていくのも、それも思えば悲しいものですね。
明石の女君も、
生きてまためぐり合うのはいつの日か
いつ死んでしまうかわからない身です
都まで送ってくれても。」
とお願いをしてみるものの、何かにつけていろいろ理由を付けては断るのですが、さすがに道中のことを心配しないわけはありません。
「宮中での出世をあきらめて、こうした離れた国にわざわざやってきたことも、ただお前のためだったんじゃ。
思うがまま満足のいくような育て方ができるようにとそれだけに明け暮れて、そう思っただけだったんじゃ。
そんなうまくはいかないということを身に染みて思い知ることも多かったが、だからといって都に帰って受領崩れと言われるだけで、蓬や葎に埋もれた貧しい家を元通りにできるわけでもないし、宮中にも世間にも悪い評判を立てて、大臣だった今は亡き父の顔に泥を塗るだけだと思い、どうせ出世をあきらめて都を出たということはみんな知っていることだったから、これはこれでやり切らなくてはと思って、お前の成長した姿はとにかくうれしくてしょうがないんじゃ。
それで、こんな残念な場所に宝物を隠したままにしておくのかと思うととにかく憂鬱で、子煩悩の闇に落ちたんだと神仏にすがっていたんじゃ。
でも、こんな駄目なわしのせいでこんな片田舎の小屋に一緒にいさせるわけにはいかないと思う一念で祈っていたら、思い掛けない嬉しい事件が起きて、自分の身の程を思うとまたあれやこれや悩みが尽きなくて‥‥。
孫が生まれたことでこれは奇跡とも言えるもので、こんな侘しい海辺に長年暮してきたのも、すべてこのためのことじゃったと思えば、もう逢えないと思うと迷う心も抑えきれないが、とっくの昔に世を捨てたんだから、それでもいいと思う。
二人とも皇統の御代を背負ってゆく希望の光なんじゃから、こんなちっぽけな田舎もんの心を乱すのもこれもまた運命じゃったんだろう。
天に生まれるべき人が、一時的に地獄道・餓鬼道・畜生道の三途の悪道に落ちていたのが本来の場所に帰るのだと思って、今日ここで永の別れとするつもりじゃ。
この先訃報があったとしても、来世のことは心配するな。
もう逢えないからと言って、迷ったりするな。」
と勇ましく言い放ったそばから、
「この身が煙となる夕べまで、この子のことを一日六回のお勤めの時には‥‥、これも煩悩だが、密かに祈っている。」
などと言って、今にも泣きそうになってます。
牛車を連ねて陸路で山陽道を行くにも道が狭く、半分づつ分けていくのも面倒で、お供の人たちもあまり目立ちたくないということで、船で密かに移動することにしました。
辰の刻(午前八時ごろ)、船出しました。
昔の人も悲し気に歌った明石の浦の朝霧に船が遠ざかって行くと、一気に悲しみが込み上げてきたのか、入道は気が晴れるはずもなく放心状態で眺めるばかりです。
一方、長い年月を経て、今更都に帰るにも、心残りなことも多く、尼君の方も泣いてました。
彼岸へと行くはずだった海人の舟が
反対側に漕ぎ帰るとは
明石の女君も、
秋は来て何度も秋は去ったけど
今流木に乗って帰るのね
思い通りの風が吹いて、予定した日に一日と違わず京に入りました。
人に怪しまれたくないというにもあって、船を上がってからも身分を隠して移動しました。
*
家の造りも面白くて、今までずっと住んできた海辺の家を思わせるもので、引っ越してきたという気もしません。
ただ、この所領の昔のことを知っている尼君は、しみじみとなることも多いようです。
急遽造られた廊下にも趣向が凝らされていて、人工的な川なども面白く造られています。
まだ一部完成してない所があるものの、住む分には申し分ありません。
源氏の君が親しい家司に命じて、歓迎会の準備をさせました。
ただ、直接来るのはいかがなものかと思っているうちに、何日も過ぎてゆきました。
そんなわけで、まだまだすっきりしない日々が続き、捨ててきた明石の家も恋しく、源氏の君が明石に残して行った七弦琴を掻き鳴らそうとすると、折からも秋の淋しさの耐え難い季節に人里離れた場所なので、気兼ねせずに少し奏でていると、物悲しい松風の声とのアンサンブルになります。
尼君も物悲し気にものに寄りかかっていましたが、身を起こして、
尼となり一人帰った山里に
勝手知ったる松風が吹く
明石の女君も、
故郷と思った土地の友を思い
囀る「こと」を誰が知るでしょうか
こんなふうに頼りなげに明かし暮らしているので、源氏の大臣もなかなかじっとしてはいられず、人目をはばかってばかりもいられずに通って行こうと思ったものの、二条院の女君は明石の女君が来ていることをはっきりと聞かせてもらってないもんですから、バレたてもいけないということで、使いの者を出します。
「桂川の方に用事があったんで、行こうと思ってたんだがついつい遅くなってしまったんだ。
訪ねて行くといった人の所が、その辺りまで来ていて待っているということで、悪いことしたなと思ってね。
嵯峨野の御堂には、まだ飾りつけの終わっていない仏像があって、そこに行かなくてはならないので、二三日そこにいることになる。」
と説明します。
急に桂川の辺りに桂の院という別邸作らせたというから何かと思ったら、そこに誰か住まわせてるのねと思い、それで合点がいったのか、
「斧の柄が朽ちてもまた挿げ替えればというとこですね。待ち遠しいです。」
と、もやもやした様子です。
「いつもながら、調子狂うな。
昔は散々遊び歩いてたけど見る影ないと世間でも噂しているというのに。」
こっそりと、事情を知らなそうな人は交えずに、細心の注意を払って出かけてゆきました。
黄昏時に到着しました。
狩衣姿の卑しげな格好もまたこの世に二つとないものでしたが、まして、こうやってきちんと身なりを整えてやってきた時の直衣姿は、この世のものとも思えないほど美しくまばゆいもので、これまで思い悩んでいた心の闇も晴れてゆくようです。
初めて見る可愛らしい若君を見れば、どうして冷たくなどできるでしょうか。
これまでずっと逢わずにいたことで、ひどいことをしたと後悔しきりです。
「左大臣の娘から生まれた若君の方を世間の人が何とも愛らしいと騒ぐのは、今の勢力図があるからみんなそう思ってるだけだ。この子はというと、本当に美人になる素質を持っている。」
と、ふわっと笑ったときの邪心のない顔が可愛くて花が咲いたようなのがいじらしくて、やばいと思います。
乳母が明石に行ったときは見るからにふけたような感じがしたが、すっかり大人の美しさへと変わり、滞在中のいろんな話を友達のように話してくれますが、あの悲し気な藻塩焼く小屋の近くで過ごした頃のことをしみじみと思い出し、
「ここもかなり人里から離れていて、なかなか通うこともできないので、もっとふさわしい所に引っ越してくれ。」
と言ってはみるものの、
「もうちょっとこちらに慣れてから。」
と答えるのもわかります。
その日は夜を徹して語り交わし、夜を明かしました。
嵯峨野の御堂に来るという知らせがあると聞いて、近くの荘園の人たちが集まってきてたのですが、皆こちらの家の方を尋ねて来ました。
前庭の木の折れて倒れた所なども綺麗に作り直します。
「庭石の立ててあったものがそこらかしこ皆倒れているけど、うまくその味を生かすことができれば、なかなか面白い庭になりそうだな。
こんな所をきちっと直してしまうのもつまらない。
ここにずっといるわけでもないので、出て行く時に愛着が湧いて離れ難くなってもいけないし。」
などと先のことまでも心配しては泣いたり笑ったり、包み隠さず語るあたりは立派なものです。
その様子を見ていた母の尼君は、年取ったことも忘れて今までの悩みが晴れて行くような気分でにっこりしています。
東の渡殿の下から流れ出る水を風情のあるように改修しなくてはと言って、すっかりはだけたような袿姿で隙だらけなのを、これは目の保養になると眺めていると、閼伽を汲む器などがあるのを見て思い出して、
「尼君はここにいらしたか。みっともない姿を見せちゃったな。」
と言って直衣を取りに行って着直しました。
几帳の側に寄ってゆき、
「あの子が前世の罪業も軽く、健やかに育ってるのも、それもあなたが仏道に励んできたおかげだ。
ただ一心に仏様に祈って過ごしたあの棲家を捨てて、こうして世俗に復帰したお気持は並大抵とは思っていない。
それにあちらでは今どんな状態で何を思って暮らしているのか、いろいろ考えてしまうな。」
と親し気に話しかけます。
「世を捨てたのに今更帰ってきて、また悩み事を抱えてしまっているのがわかってくれるなら、長生きできたことも仏の加護の御印なのでしょう。」
と涙ぐんで、
「すさんだ磯辺でこの先どうなってしまうかもわからない二葉の松も、これからはこんなに立派な人にお世話されるという祝福を受けるとはいえ、まだ深く根を下ろしたわけでないために大丈夫かと、とにかく心配事は絶えません。」
などと言うのも理由のないことではないので、昔話にここに住んでいた親王のことなども話して聞かせると、改修されたばかりの水の音なども恨みがましく聞こえます。
住み慣れた家に帰って戸惑えば
主人は俺だと清水が言ってる
さりげなく言い放つ様子は、大宮人らしいなと思いました。
「遣り水は昔を忘れちゃいないけど
元の主人の顔は変わった
悲しいね。」
と遣り水の方を眺めて立ち上がる姿は、この世のものとも思えないオーラを放ってます。
お寺の御堂の方にも顔を出して、毎月十四日の普賢講、十五日の阿弥陀念仏、月末に行われる釈迦念仏の念仏三昧はもとより、さらに行るべきことなどを定めるように言いました。
堂の装飾、仏具などの配置も指示しました。
月の明るいうちに桂の院に戻りました。
明石での夜の事を思い出して、形見にあずかっていた七弦琴を差し出しました。
何となくエモい気分になって、抑えられない衝動のままに掻き鳴らしました。
あの時と同じ曲を繰り返すことで、今まさにそこにいるかのようです。
変わらない約束通りの琴の音に
変わらない心わかってほしい
明石の女君も、
変わらない約束だけを頼りにして
松風のこの音を添えます
と歌を交わしてもまったく不釣り合いでないのが、出来すぎのように思えます。
すっかり大人びた容姿や仕草は捨て難いものがあり、幼い子の方もいつまでも見守ってやりたいと思いました。
「どうすればいいんだい。
いつまでもここに隠しておいたままじゃ気の毒だし勿体ない。
二条院の方で引き取れば思うように育て上げることができるし、入内することになっても堂々としてられる。」
そうは思うものの、二条院の女君のことを思うと困ったことで、言い出せないまま涙ぐむのでした。
幼心に少し人見知りしたりしながら、次第に慣れて来たので、話しかけたり笑い掛けたりしてすっかりなついてくるのを見ると、マジ天使ですね。
抱き上げられたりしている所は本当に見物で、よっぽど前世での行いがよかったのでしょうね。
*
次の日は京へ帰る予定でしたが、少しばかり寝過ごして、出ようと思うと桂の院にたくさんの人が集まって、殿上人も何人もいました。
装束を整えて、
「うわあ、これはまじ面目ない。
見つからないと思ったんだがな。」
と言って、この騒ぎに急き立てられるように出発します。
このまま別れるのは心苦しいので、大したことでもないふうに適当にごまかして戸口に立ち止まれば、乳母が若君を抱いて出て来ました。
気の毒に思えて、その赤子を撫でて、
「会えなくなるのはまじ辛くて、まじ酷いことだ。
どうすりゃいいんだ、こんな人里離れた所に。」
と言えば、
「遥か遠い所で放ったらかしにされたこれまでよりも、今後一体どうしたいのかはっきりしないのが、一番苦しいことです。」
と返します。
若君も手を伸ばして、源氏の立っている方へ行こうとしたので、膝をついて、
「どうしたって悩みは尽きないもんだね。
少しの間でも別れは辛い。
おーい、どこだーー。
どうして一緒に出てきて、引き留めてくれないんだ。
そうすれば腹も座るというのに。」
そういうと急に笑って乳母は女君の所に行って「かくかく」と伝えます。
すっかり心を取り乱して臥せっていたので、すぐに動くこともできません。
プライドが高くて平気なふりをしてたんだな、と思いました。
周りの人も痛いと思っていたので、しかたなく膝で歩いて出てきて、几帳に半分顔を隠しながらこちらを見る目がいわくありげに輝いてます。
張りつめていたものが解けたような様子は皇女のような自信に満ちた気高さをたたえています。
几帳の布を横に引いて、少しの間でも抱きしめたいと思いながらも、すぐに思い直して気持ちを静めて、見送るように言いました。
源氏の君は今が男盛りなのは言うまでもありません。
ただでさえひときわ背が高かったところに、大人としての骨格の整った姿は大臣にふさわしい貫禄も身についていて、指貫の裾までがさつさのない優美なところは可愛らしくもあり、本当に我儘なものです。
あの時解任されてた蔵人も元の官位に戻ってました。
いまは靭負尉となって、五位に叙せられ冠を許されました。
昔と違って、すっきりした顔で太刀を取りに来ました。
几帳の向こうの人影を見つけて、
「あの頃のことを忘れてはいませんが、畏れ多く、失礼します。
浦風を思い出すような暁の寝覚めに、驚かせるようなことを言うすべもありません。」
と何かを仄めかそうとしているのを、
「幾重にも霧のかかった深山は明石の島隠れの船にも劣りはしないけど、松も昔の友と言うわな。
わざわざ訪ねてきて忘れられない人に会えたことも、頼もしい限りや。」
などと言います。
立派になったもんだ、俺だってその気がないわけではなかったのになどと、しょうもないことを思いながらも、
「それではまた改めて。」
とすぐに気を取り直して出て行きました。
いかにも何事もなかったかのように悠々と歩いて外に出ると、お付の誰かが大声で道を開けさせて、車に乗り込むと後ろの席には頭の中将と兵衛督が乗ってました。
「この隠れ家がこんな簡単に見つかっちゃって、悔しいな。」
と困ったような顔をしています。
「昨夜の月には、お供に居合わせることができなくて申し訳ないことをしたと思い、今朝は霧の中、すっとんでやって来た次第です。
嵐山の錦にはまだ早く、野辺の花がいま盛りというところで、どこかの朝臣の小鷹狩にかかずらわっていたので、出発に間に合わなくて‥‥、どうなってしまうんでしょうか。」
などと言います。
「どうなってって、今日はまだこの桂の院に留まるさ。」
と言って、ふたたびそちらの方に向かいました。
*
急に宴会をやるというので大騒ぎになり、鵜匠たちを呼び寄せると、須磨明石の浜辺の漁師の騒いでた頃を思い出します。
前夜から野で夜を明かしていた公達は、小鷹狩で得た小鳥を萩の枝に吊るしてお土産に持ってきました。
盃が次々と流れてきて、川の辺りはなかなか危険な状態になりながらも、酔っ払ってればそんなの関係ないとばかりその日を過ごしました。
短い漢詩などを作って盛り上がるうちに月の光も華やかに差し込んできて、音楽が始まりまり、いかにも今風です。
弾き物は琵琶や和琴が少々と、笛は名人のだけにして、この季節に合った調子のものを吹きたてると、川風の音に調和して面白く、月が高く昇れば何もかもが澄み切った夜もやや更けてきた頃、殿上人が四五人連れ立ってやってきました。
殿上に仕えていたのを、音楽の宴があったそのついでに御門が、
「今日は六日間の物忌みの終わる日だから、必ず来ると思っていたのに、どうしたんだ。」
とのたまったということで、ここに宿泊していることを聞いてそのことを伝えに来たのでした。使いの者は蔵人の弁でした。
「月のすむ遠くの川の里だって?
月の桂ものどかでしょうな
うらやましいじゃないか。」
とのことで、畏れ多く拝聴します。
こうした場所での音楽は殿上で聞くものよりもぞくぞくするようなもので、それを楽しみながら、さらに酔いが回ってきます。
ここには褒美として与えるものも用意してなかったので、桂の院の方に「何か出来合いのもので適当なものを」と言って、そちらへ行かせました。
その場にいた人にに案内させました。
衣櫃を二つある中から、お使いに来た蔵人の弁はすぐ帰らなくてはならないので、女の装束を持たせました。
「久方の光りに似てる川の名も
霧がかかってばかりの里です」
御門がわざわざ来るような所ではありません、という意味なのでしょう。
月の中には桂の木が生えているという言い伝えから、桂の院を「久方の中に生ひたる」という古歌を思い起こしてこの歌を詠んだのですが、河辺海辺の違いはある者のやはり須磨明石の浜でみた淡路島を思い出して、凡河内躬恒が「所がらかも」「あは!」と感動して詠んだ歌なども思われて、物悲しい気分になって酔いながら泣き出す人もいました。
ここに帰り手に取るばかり清々しい
淡路島では「あは!」と見た月
頭の中将も、
浮雲に時々隠れる月影
すっかり澄んで長閑な夜です
左大弁はやや年長の部類に入り、今は亡き院の時代から親しく仕えていた人で、
雲の上の住処を捨てた夜半の月
一体どこの谷に隠れた
それぞれの思いで詠んだ歌が沢山ありましたが、面倒なので割愛します。
親しい者同士のはめを外したひそひそ話など、千年でも立ち聞きしてこっそり眺めていたいですが、斧の柄が朽ちてきたところで継ぎ足すこともなく、さすがに今日こそはと急いで帰って行きました。
頂いた装束などを肩にかけて、霧の絶え間に朧げに見える姿など、前庭に咲く花とも見間違うほどの華やかな色合いです。
近衛府の有名な舎人がいて、神楽などにも習熟していているというのに静かで物足りなかったので、「♪その駒ぞや、我に、我に草請ふ」という「其駒」などを謡わせて、褒美に服を脱いで与えたり、そうしたいろいろなことも秋の紅葉の錦を風が吹かれているかのようでした。
大声で騒ぎながら帰ってゆく声も、桂の院の人たちは離れた所で聞いていて、遠ざかって行くのを淋しく眺めています。
「手紙をやんなきゃな」と源の大臣も心残りです。
*
二条院に帰るとすぐに床で休みます。
山里であったことなども話します。
「予定よりだいぶ長くなってしまって、申し訳ない。
「遊び好きな連中が訪ねてきて、もっと泊っていけなんて言われちゃって、ついつい。
今朝は二日酔いか。」
当然疑っているようでしたが、相手にせずに、
「格下の女と自分を比べるのは良いことではない。自分は自分だと思いなさい。」
と諭しました。
夕暮れになって内裏へ行くときに、隠すようにして急いで書いた手紙は、例の所へでした。
何ともまめなことですが、小声で使いを出すところなど、女房達の憎まれ口が聞こえて来そうですね。
その夜は内裏に宿まる予定でしたが、ますます疑惑が深まったような様子だったので、夜も更けてからですが、戻りました。桂の院からの返事が来ていました。
隠すこともできずに読みます。
特に不都合なことも書いてなかったので、
「これは破って捨ててくれ。面倒くさい。
こうしたものを集めるなんて、もうこの年で卒業した。」
そう言って脇息に寄りかかってはいるものの、心の中では悲しくも恋しく思っていたので、灯りの炎を見つめながらそれ以上何も言いません。
手紙は広げたままになってますが、女君は見ようともしないので、
「そういう見て見ぬふりをするその目つきがやなんだよな。」
と言って苦笑いするその可愛らしいこと、もうこれ以上という所まで溢れさせてほしいものですね。
すっと近寄って、
「そのーー、実を言うと、とにかく可愛らしいものを見ちゃって、前世の因縁も浅くない、これも運命と思って、かといってきちんとうちで世話をするのも、いろいろうしろめたいこともあって、それで悩んでいるんだ。
俺の身になったと思って一緒に考えて、どうするか決めてくれ。
どうしたらいいのか。ここで育ててくれるか。
伊弉諾伊弉冉が生んだという蛭子が流された時と同じ歳(三歳)になって、その子に罪があるわけでもないので見捨ててしまうわけにはいかないんだ。
まだ幼く、これから着袴の儀もしなくてはならないんで、邪見にせずに裳着の腰の紐を結んでやってくれ。」
と遠回しに言います。
「私が思ってもないことを勝手に決めつけて心に壁を作ったりして、せめてわかったふりしないで、心を開いてほしいわね。
その幼い人の気持ちは私にはよーーくわかるわ。
ほんと痛いくらいにね。」
と言ってふっと笑いました。
その子供をとにかく可愛がってやりたいというお気持なので、早く連れてきてもらって抱きしめてやらなくてはと思います。
源氏の方は「どうしたらいいんだ。本当に迎えちゃって良いのか」とまだ思い悩んでいます。
簡単には会いに行けません。
嵯峨野の御堂の阿弥陀念仏、釈迦念仏の日を待っての月に二回の密会です。
年に一度の七夕よりはましでしょうけど、どうしようもないと思ってはみても、いつになっても悩みは尽きないものです。